
身近な人間が、実は殺人者だったら、あなたはどうしますか? 夫の秘密を知った妻の取った信じられない行動とは? ウォラス・ヒルディック『ブラックネルの殺人理論』(広瀬順弘訳 角川書店)は、一筋縄ではいかないサスペンスです。 イギリスからアメリカに越してきたブラックネル夫妻。几帳面で論理的な夫ロナルドと、人のよい優しい妻パット。アメリカに来てから、夫妻は、周りの住民たちと、うまくいかずに悩んでいました。しかし、ある時からロナルドが、妙に自信にあふれるようになり、いろいろなことがうまく行き出します。 もしや夫には愛人ができたのではないか? パットはそんな疑惑に捕らえられながらも、物事がうまくいくようになったことを喜んでいました。ところがある日、レンチを使うために、ロナルドの工具箱を開けたパットは、ロナルドの日記を見つけます。そこには恐ろしい殺人計画が記されていたのです…。 ふだん人も殺さないような人間が、実は殺人者だった、というのは珍しくありませんが、この作品で面白いところは、ロナルドが、殺人をもっぱら自分の自信を深めるための手段としてしか見ていない点です。したがって、殺人の対象は、誰であってもよいのです。実際には、社会に害をなす人物を選んでいる、という自己弁護がなされますが、その判断もかなり主観的です。 殺人自体も、非常に論理的に計画されます。場所や手段、証拠の消し方など、詳細に考えられたそれは「ブラックネル理論」と名付けられるのです。ただ、理論が大層なわりには、犯される殺人はあまり大したことはないのが、ちょっと拍子抜けではあります。酔っぱらいに毒を飲ませるとか、暴走族に放火するとか、ポン引きを射殺するとか、派手さには欠けます。論理的、というだけあって、確かに安全性の高い犯罪ではありますが。 そしてもう一つ、この作品の最大の特色としてあげられるのは、その構成です。夫ロナルドの日記と、それを読んだ妻の行動が、交互にはさまれるという体裁になっているのですが、ユニークなのは、夫の秘密を知った妻の取る行動です。夫を止めるわけでも、警察に連絡するわけでもありません。なんと、いきなり夫の日記を写し始めるのです! これには驚かされます。「書き写すと頭に入る」とか、理屈をつけているのですが、かなり不自然です。行動自体が不自然なうえに、別に手書きで写さなくても、コピーすればいいのではないか?と思わされてしまうのですが、それに対しても、人に見られるとまずいから、という理由で却下されてしまいます。 読者に上記のような疑問を抱かせることからも分かるように、あまり上手なサスペンスとはいえません。「ブラックネル理論」の設定上、あまり警察にも疑われないので、ロナルドを追いつめる「敵」も基本的に存在せず、盛り上がりにも欠けます。強いて言うなら、妻が夫の帰ってくる前に日記を書き写す、というのが時間上のサスペンスになってはいるのですが、行為自体があまりにリアリティに欠けるので、白けてしまうところがあります。 あと、妻が非常に頭の悪い人間に思えてしまうのも、問題です。この妻が、もう少し頭のいい人間で、夫への疑惑をはらすために、もう少し動くとか、もしくは夫婦の仲が冷えていて、夫を陥れようとする、とかすれば、もう少し物語に動きが出たのではないでしょうか。 設定はあまりに不自然なのですが、趣向自体は、前代未聞ともいうべき面白さなので、B級サスペンスが好きな方は、読んで損はないでしょう。 テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学
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