大脱出!  マイケル・ギルバート『捕虜収容所の死』
4488238025捕虜収容所の死
マイケル ギルバート Michael Gilbert 石田 善彦
東京創元社 2003-05

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 マイケル・ギルバート『捕虜収容所の死』(石田善彦訳 創元推理文庫)は、本格推理小説に冒険小説的な要素を融合させたユニークな作品です。
 第二次大戦末期、イタリアの第127捕虜収容所では、400人に及ぶ英国人捕虜たちが収容されていました。彼らは、脱走委員会を結成し、脱出のための大掛かりなトンネルを掘り進めていました。その入り口には、4人がかりでしか動かせないトラップドアを使用しており、その大胆さのためにイタリア軍の発見を免れていたのです。
 ところがある日、トンネル内で、ギリシャ人捕虜クトゥレス中尉の死体が発見されます。クトゥレスは、スパイの噂のあった人物であり、英国人たちからは嫌われていました。殺人容疑を受けたバイフォールド大尉は、逮捕されて処刑を宣告されてしまいます。誰がクトゥレスを殺し、トンネル内に放置したのだろうか? ヘンリー・ゴイルズ大尉は、脱走委員会からその謎を探るように命令を受けます。
 おりしも、連合国の侵攻が収容所の間際にまで迫っています。もし、イタリア側が捕虜たちをドイツ軍に引き渡したら、解放の可能性はなくなるのです。彼らはトンネルを守りながら、犯人を見つけることができるのでしょうか…?
 いろいろな要素の入り交じった小説ですが、まず、本格推理的な面を見てみます。中心となる謎は、4人がかりでしか動かせないドアを開けて、どうやってトンネルに入ったのか?、というものですが、この謎解きは正直あっけないものです。他の謎の部分も、総じて大したものではありませんが、ひとつ感心したのは、新たに捕虜となった英国人が、すぐに移送されてしまうことに対する解釈でしょうか。スパイとして送り込んだものの、ばれそうになったので移送した、という解釈が最初に示されるのですが、実は…、というものです。あと、最後の謎ときも、一応納得できるぐらいの説得力はあるのですが、やはりこの作品の妙味は、冒険小説的な部分の方にこそあるように思います。
 ゴイルズが捜査をすすめていく途中で、話を聞こうとしていたイタリア人将校が殺されたり、脱走しようとした仲間が射殺されたりします。スパイの存在を確信したゴイルズは、それを探そうとするのです。クトゥレス殺害も、イタリア側の仕業か、もしくはその行為を知っていた可能性がある。とすれば、イタリア側が脱出トンネルの存在を知っている可能性が高くなってくる…。このあたりのサスペンスはかなりのものです。
 問題は、結末の処理の仕方でしょうか。最後の最後で、かなりご都合主義な展開になってしまうのです。どうやって敵の裏をかくのか、と楽しみにしていた読者は失望してしまう点もあるかと思います。これが純粋な冒険小説だったら、この時点で失敗作の烙印を押されたかもしれません。
 さらに気になったのは、冒険小説のクライマックスと本格推理のクライマックスがずれているところ。収容所から脱出したずいぶん後に、犯人がわかるのです。この時点で、脱出は成功してしまっているので、犯人探しはもうどうでもよくなってしまっているのが正直なところ。しかも、登場人物が、やたらと多いため、犯人を明かされても、こいつがそうだったのか!という驚きがあまりありません。もっと登場人物を絞って、人物描写を細かくしておけば、犯人明かしのときにもう少し驚きが味わえたのではないでしょうか。
 冒険小説と本格推理の融合、といっても、どちらの要素もわりと中途半端になってしまっている印象は否めません。むしろ様々なジャンルの要素を含んだ一般小説として楽しむのが、いちばんなのかもしれません。

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ねじれた関係  ドロシイ・セイヤーズ『箱の中の書類』
4150017131箱の中の書類
ドロシイ セイヤーズ Dorothy L. Sayers 松下 祥子
早川書房 2002-03

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 ドロシイ・セイヤーズのミステリ小説は「ミステリ」の部分よりも「小説」の部分にこそ、長所が現れているタイプの作品ですが、『箱の中の書類』(松下祥子訳 ハヤカワ・ミステリ)もまたそんな「物語性」を味わうべき作品。
 アマチュアの植物学者である頑固な初老の夫、虚栄心の強い若く美しい夫人。この夫婦の住む家のとなりに、詩人と画家の若者が下宿人として越してきます。画家と夫人は、不倫の仲になり、とうとう夫が毒キノコで中毒死してしまいます。はたして自殺なのか、他殺なのか?
 つりあわない夫婦に、魅力的な青年の三角関係という、ありふれた設定ながら、キャラクターの魅力で読ませる作品となっています。とくに詩人のキャラクターは魅力的です。画家には友情というか責任感を感じ、保護者的な態度をとっています。また、夫に大しては、学者として、人間として魅力を感じているのです。そして画家と婦人との不倫に気付いても、画家を諭し、あくまで穏便に事をおさめようとします。
 夫が死に、当然殺人の疑惑がおこるのですが、ここにおいて海外にいた息子が登場し、捜査を始めます。その息子が捜査にあたって参照した書簡を集めた「箱の中の書類」が、この作品であるという設定となっています。それぞれの書簡は、個々の人物の主観で書かれているので、当然、ある事態、ある人物に対しても、独自の見方が現れているところが興味深いです。とくに精神分析をうけているオールドミスの家政婦の存在がユニークです。深夜、画家が婦人のところに忍んできたところを、詩人であると勘違いし、あまつさえ誘惑しようとするのですが、それをはねのけると、襲われそうになったとわめきたてるのです。この家政婦の存在が、本来わかりやすい三角関係を、少しねじれたものに見せているのは非常に上手いところ。
 殺人のトリックは、かなり専門的な知識を必要とするものなので、一般人にはわかりにくいのが難点です。しかし、物語自体の出来は秀逸です。登場人物たちの繰り広げるドラマを追っていれば、結末まで退屈せずに読むことができるでしょう。

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こころの模型  エドワード・ケアリー『アルヴァとイルヴァ』
4163234705アルヴァとイルヴァ
エドワード・ケアリー 古屋 美登里
文藝春秋 2004-11-20

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 エドワード・ケアリーの描く作品には、エキセントリックな性格を持つ人物がよく登場します。その奇矯さとは裏腹に、彼らの心は弱く脆いのです。『アルヴァとイルヴァ』(古屋美登里訳 文藝春秋)も、そんな繊細な人間たちを描いた物語です。
 ヨーロッパのどことも知れぬ街、エントラーラ。この町に生まれた双子の姉妹、アルヴァとイルヴァは、幼い頃から常に一緒に行動していましたが、長ずるに従って、二人は少しずつ離れていきます。積極的で好奇心旺盛な姉アルヴァは、妹との違いを作るために、額に傷をつけ、全身に世界地図の刺青を彫ります。対して、イルヴァは外の世界を恐れ、家に引きこもってしまいます。イルヴァと和解したアルヴァは、イルヴァを外界に引き出すためにエントラーラの町をプラスチック粘土で作るのを手伝い始めます。しかし、模型が完成間近のある日、エントラーラの町を大地震が襲います…。
 おしゃべりな仕立屋、外国の切手を手に入れるために手紙を盗む父親、マッチ棒で模型を作る祖父、いくつものTシャツコレクションを持つトラック運転手など、ケアリー独特のエキセントリックな登場人物たちが織りなす物語。そして主人公のアルヴァとイルヴァもまた、風変わりなキャラクターでありながら、異様なリアリティを持っています。
 外交的で、外の世界に飛び出すアルヴァ。姉との別離に傷付き、引きこもってしまうイルヴァ。正反対の性格を持つ二人は、また互いの存在なしでは生きられないのです。
 表面的なグロテスクさにとらわれずに読むと、繊細な神経を持つ登場人物たちの心の動きが見えてきます。前作『望楼館追想』(古屋美登里訳 文春文庫)では、心を閉ざした主人公は世界を受け入れますが、それは個人的なレベルにとどまっていました。それに対して、本作では、イルヴァが外界に対しての恐れをなくすために作るエントラーラの模型によって、個人的レベルの救済がまた町の人々の救済にもなっています。
 すなわち、イルヴァを救う試みが、世界を救う試みとも捉えることができるのです。その意味で、前作よりも外に対して開かれたという印象が強いのですが、結末としては、結局、アルヴァとイルヴァは救済を得たのかどうかは明白ではありません。最終的には、双子の姉妹は認められますが、これをハッピーエンドととらえてもいいのかどうかは、読む人次第でしょう。
 幻想的でありながら、血の出るような現実感をも備えた物語。不安におびえるすべての人に贈る、壮大な癒しの物語です。

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大人は判ってくれない  サイモン・クラーク『地獄の世紀』
4594046517地獄の世紀(上)
サイモン・クラーク 夏来 健次
扶桑社 2004-05-28

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4594046525地獄の世紀(下)
サイモン・クラーク
扶桑社 2004-05-28

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 イギリス作家、サイモン・クラークの『地獄の世紀』(夏来健次訳 扶桑社ミステリー)は、英国のいわゆる〈破滅もの〉小説の伝統に連なる作品です。
 ある日、大人たちが、突然子どもたちを襲い始めます。正常なのは19歳未満の子どもだけ。それ以上の年齢の人間は一人の例外もなく、殺戮を開始します。主人公ニック・エイテンは、弟のジョンが殺害されているのを発見し、車で逃走します。途中で出会ったサラとその姉妹を連れたニックは、子どもだけで作られたコミュニティーに参加しますが、やがて武器を手に入れた、傍若無人な連中にコミュニティーは支配されてしまいます。そしてニックを殺そうと追いかける両親。ニックは生き延びる事ができるのでしょうか…?
 基本的には「ゾンビ」小説です。この場合、怪物となるのは大人ですが、かすかながらも知性が残っており、群れをなしたりもします。子供たちは、徒党を組み、大人たちから生き延びようとするわけですが、仲間内でも争いが起こってしまうのです。
 大人が子供を殺す、という設定からして、かなり残虐な内容を想像してしまいますが、これが意外にしっかりとした成長小説になっているのには感心します。一部の殺戮シーンなどに残虐な描写はあるものの、少年が様々な困難を経て成長するという、伝統的な成長小説の形をとっています。
 ただ、非常に読みやすい作品なのですが、読後感も軽すぎる、というかどうも深みが足りない感じです。主人公ニックの好きになりかけた女の子が殺されたり、愛する両親が自分を殺そうとする、など、かなり読みどころも用意されていますが、総じて書込みが足りません。登場人物もみな印象が薄いのですが、主人公のライバル的存在、タグ・ステッターはいい味を出しています。最初は、自分勝手で、嫉妬深く、嫌がらせばかりする、いいところ一つもなしの人間なのですが、最後になって、主人公と意気投合するのです。
 そして、物語後半、神がかった少女バーナデットと出会ったニックは、この現象の意味を悟り、神の存在を確信するのです。その後は、滅亡寸前の世界の救世主が現れる、というような宗教がかった方向に向かっていってしまいます。前半がかなり暗かった分、後半はやたらと明るくなってしまうのはどうかと思いますが、読後感はよいです。
 ひとつ気になるのは、ニックの両親がずっとニックを追いかけてくる合理的な理由に触れられないところ。母親がときどき正気にもどる、という設定はなかなか効果的だったのですが。
 題材の割に軽い読後感、後半の宗教がかった展開が気にならなければ、物語としてはそれなりに読ませる佳作です。印象としては、出来のよいジュヴナイル、といった感じの作品でしょうか。
 ちなみに、この作者、ジョン・ウインダム『トリフィドの日』の続編も書いているそうで、そちらの方も気になりますね。

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ハイブリッド・ホラー  L・P・デイヴィス『忌まわしき絆』
4846005232忌まわしき絆
L.P. デイビス L.P. Davies 板垣 節子
論創社 2005-02

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 1964年発表のL・P・デイヴィス『忌まわしき絆』(板垣 節子訳 論創社)は、ミステリの叢書〈論創社ミステリ〉の1冊として出版されているのですが、その肌触りは、ミステリとは、ちょっと異なります。ミステリとSFとホラーとのハイブリッド、今で言えば、モダンホラーが一番近いのでしょうか。とにかく、ストーリーテリングが非常に達者なので、飽きずに読むことができます。
 主人公は、教師のシーコム。ある日、彼の勤める学校内で、問題のあった子供が、屋根から墜落死します。以前にも同じような事故があったことを聞いたシーコムは、奇妙な雰囲気を持つ生徒、ロドニー・ブレイクに関心を持ちます。彼は、事故の現場に必ず居合わせていたのです。ロドニーの両親は養父母であり、彼の出生が不明なことや、空想上の人物と話しをすることなどから、ロドニーには双子の兄弟がいるに違いないとシーコムは考えます。しかも少年は、超能力らしきものを持っているらしい。同僚の女教師とともに、シーコムは、その子供の探索に乗り出します…。
 謎が謎を呼ぶ序盤の展開は、ページをめくる手がもどかしくなるほどの面白さ。最初は双子であると思っていた少年が、実は三つ子、いや四つ子に違いないと、推理が二転三転していくところが面白いです。子供をとりあげた看護婦が、生まれた子供は1人しかいなかった、というあたりの展開は圧巻です。
 しかも彼らは、ただの双生児ではなく、奇形であったことが仄めかされるのですが、このあたりの猟奇的な雰囲気は、素晴らしいものがあります。
 ですが、後半では、物語のトーンが変わってきます。子供たちの秘密が明かされるのですが、その真相も、どこか「トンデモ系」。B級SF的な大風呂敷になってしまうのが、ちょっと残念なところ。なにしろ、世界的なスケールにまで、事態が拡大してしまうのです。
 ミステリとしてみたときには、論理に傷があり、SFとしても、ちょっと大仰というか古くさい。ですが、そのサスペンスはかなりのもので、不思議な魅力を持つ作品です。どこか昭和初期の怪奇探偵小説を思わせる、ブラックな展開が魅力です。

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夫の居ぬ間に  ウォラス・ヒルディック『ブラックネルの殺人理論』
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 身近な人間が、実は殺人者だったら、あなたはどうしますか? 夫の秘密を知った妻の取った信じられない行動とは? ウォラス・ヒルディック『ブラックネルの殺人理論』(広瀬順弘訳 角川書店)は、一筋縄ではいかないサスペンスです。
 イギリスからアメリカに越してきたブラックネル夫妻。几帳面で論理的な夫ロナルドと、人のよい優しい妻パット。アメリカに来てから、夫妻は、周りの住民たちと、うまくいかずに悩んでいました。しかし、ある時からロナルドが、妙に自信にあふれるようになり、いろいろなことがうまく行き出します。
 もしや夫には愛人ができたのではないか? パットはそんな疑惑に捕らえられながらも、物事がうまくいくようになったことを喜んでいました。ところがある日、レンチを使うために、ロナルドの工具箱を開けたパットは、ロナルドの日記を見つけます。そこには恐ろしい殺人計画が記されていたのです…。
 ふだん人も殺さないような人間が、実は殺人者だった、というのは珍しくありませんが、この作品で面白いところは、ロナルドが、殺人をもっぱら自分の自信を深めるための手段としてしか見ていない点です。したがって、殺人の対象は、誰であってもよいのです。実際には、社会に害をなす人物を選んでいる、という自己弁護がなされますが、その判断もかなり主観的です。
 殺人自体も、非常に論理的に計画されます。場所や手段、証拠の消し方など、詳細に考えられたそれは「ブラックネル理論」と名付けられるのです。ただ、理論が大層なわりには、犯される殺人はあまり大したことはないのが、ちょっと拍子抜けではあります。酔っぱらいに毒を飲ませるとか、暴走族に放火するとか、ポン引きを射殺するとか、派手さには欠けます。論理的、というだけあって、確かに安全性の高い犯罪ではありますが。
 そしてもう一つ、この作品の最大の特色としてあげられるのは、その構成です。夫ロナルドの日記と、それを読んだ妻の行動が、交互にはさまれるという体裁になっているのですが、ユニークなのは、夫の秘密を知った妻の取る行動です。夫を止めるわけでも、警察に連絡するわけでもありません。なんと、いきなり夫の日記を写し始めるのです! これには驚かされます。「書き写すと頭に入る」とか、理屈をつけているのですが、かなり不自然です。行動自体が不自然なうえに、別に手書きで写さなくても、コピーすればいいのではないか?と思わされてしまうのですが、それに対しても、人に見られるとまずいから、という理由で却下されてしまいます。
 読者に上記のような疑問を抱かせることからも分かるように、あまり上手なサスペンスとはいえません。「ブラックネル理論」の設定上、あまり警察にも疑われないので、ロナルドを追いつめる「敵」も基本的に存在せず、盛り上がりにも欠けます。強いて言うなら、妻が夫の帰ってくる前に日記を書き写す、というのが時間上のサスペンスになってはいるのですが、行為自体があまりにリアリティに欠けるので、白けてしまうところがあります。
 あと、妻が非常に頭の悪い人間に思えてしまうのも、問題です。この妻が、もう少し頭のいい人間で、夫への疑惑をはらすために、もう少し動くとか、もしくは夫婦の仲が冷えていて、夫を陥れようとする、とかすれば、もう少し物語に動きが出たのではないでしょうか。
 設定はあまりに不自然なのですが、趣向自体は、前代未聞ともいうべき面白さなので、B級サスペンスが好きな方は、読んで損はないでしょう。

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冗談による死  マイケル・イネス『アプルビイズ・エンド』
4846006425アプルビイズ・エンド
マイケル イネス Michael Innes 鬼頭 玲子
論創社 2005-09

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 近年、再評価が進みつつある作家、マイケル・イネスの作品は、一応ミステリに分類されてはいますが、その肌触りには、むしろファンタジーに近いものがあります。『アプルビイズ・エンド』(鬼頭玲子訳 論創社)も、そんなファンタジー色の強い一編。
 スコットランド・ヤード警部ジョン・アプルビイは、列車の中で、百科事典を編纂しているという風変わりな男エヴァラード・レイヴンと出会います。時刻表の手違いから、途中下車せざるを得なくなったアプルビイは、エヴァラードの屋敷に泊まることになります。風変わりなレイヴン家の人間は、みな芸術的な才能を持っているといいます。エヴァラードのいとこたちに紹介されたアプルビイは、彫刻家のジュディスに心を惹かれます。
 ところが直後に、召使いのヘイホーが首まで身体を雪の中に埋めた状態で発見されます。それは、昔一世を風靡した小説家、ラヌルフ・レイヴンの未発表の小説どおりだというのです。そして、つぎつぎとラヌルフの小説どおりの出来事が起こり始めます。しかも、アプルビイが降り立った駅の名は、アプルビイズ・エンド…。
 小説通りの出来事が次々と現実になるという、テーマからしてファンタジー風の作品ですが、一応は、現実の枠内で事件は解決されます。とはいえ、その肌触りは、やはりファンタジーのそれに近いでしょう。
 注目したいのは、そのファルス志向。冗談と言っても構いませんが、作品世界全体が、冗談でできているかのような印象を受けます。
 何しろ、最初から最後まで、登場人物たちは、それぞれ冗談を飛ばし続けるのです。殺人に対しても、周りの人間は大して気にもとめません。ミステリにおける人間の死が、リアルな血を伴わない「記号」でしかないというのは、以前から言われていた問題ですが、この作品では、それが極端に誇張されているのです。殺人の被害者ヘイホーの死は、まさに「冗談」として描かれています。
 探偵役のアプルビイでさえ、例外ではありません。最終的に真相に到達するとはいえ、レイヴン一族の壮大な冗談に喜んでつきあい続けている感さえあります。
 本格ミステリのファンからすると、ある意味、許せない作品かもしれませんが、冗談小説、ファンタジーとして見ると、とても面白い作品です。いわゆる「本格」に思い入れのない方の方が楽しめるでしょう。さらに付け加えるなら、ある程度ミステリを読み込んで、ミステリのジャンル的な決まり事がわかっていて、なおかつ「本格」にこだわらない人、にはもっと楽しめる可能性があります。
 あとひとつ、作中で言及される小説家ラヌルフの作品のあらすじが、もう少し魅力的であれば、もっと面白くなったような気もします。ただその陳腐さが、ある意味、作品中の肝にもなっているのが、心憎いところです。

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良心の問題  C・S・フォレスター『終わりなき負債』
4093565910終わりなき負債
C.S. フォレスター Cesil Scott Forester 村上 和久
小学館 2003-12

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 犯罪を犯してしまった人間の罪悪感。そんな重たいテーマを扱いながらも、C・S・フォレスター『終わりなき負債』(村上和久訳 小学館)は、豊かな物語性で、最後まで飽きさせずに読ませます。
 借金に追われる銀行員、ウィリアム・マーブルは、ある日、甥の訪問を受けます。海外で暮らしていた姉の息子、ジェームズ・メドランドは、父親の事業の成功により、資産家となっていたのです。それを知ったマーブルは、メドランドの係累が他にいないことを確かめます。そしてついにメドランドに手をかけてしまうのですが…。
 金のために甥を殺した、マーブルの罪悪感と不安が、彼を自滅に追い込む物語です。この手の話につきものの、脅迫者も存在しないところがユニークです。犯罪の事実を知るものも、マーブルを愛する妻一人のみ。つまりは、はっきりと自分を圧迫する脅威は存在しないのです。あくまで、自分の内心の不安感のみが、マーブルを追いつめます。その点、題名は、内容をじつに上手く、言い表しています。
 メドランドを殺して手に入れた金も、そんなに大した額ではありません。マーブルは後に、この金を利用して、さらなる大金を儲けるのですが、そうした点を考えても、マーブルはかなりの才能を持つ人物ではあるのです。もっとも、自分の犯した犯罪の発覚を恐れるあまり、その隠蔽のために必要な金を手に入れようとするところは、皮肉が利いています。
 ちなみに、メドランド殺害のシーンは、直接的には描かれず、暗示にとどめられます。その後も、殺した、という言葉は出てこないのです。
 もしかして、メドランドは生きているのではないか?と考えてしまうミステリ巧者もいると思いますが、そこまでの引っかけはありません。ミステリとしてのトリックや、引っかけは全くなく、あくまで、罪を犯した人間の心理をじっくりと描き込む、ストレートな心理小説です。

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閉じられた世界  ギルバート・アデア『閉じた本』
4488016375閉じた本
ギルバート アデア Gilbert Adair 青木 純子
東京創元社 2003-09

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 視覚を失った人間は、まわりの人間からの情報によって、自分のなかに世界像を作り出します。しかし、その情報が間違っていたとしたら? そして、情報提供者が悪意を持つ人物だったとしたら…?
 ギルバート・アデア『閉じた本』(青木純子訳 東京創元社)は、そんな状況に追い込まれた男の苦境を描く、サスペンス小説です。
 ブッカー賞を受賞したこともある高名な作家ポールは、交通事故で視覚を失ってしまいます。郊外の家に隠棲した彼は、世間とは没交渉の日々を送っていました。ある日ポールは、新聞に、助手を募集する広告を出します。口述筆記をしてもらおうというのです。
 やってきたのは、まだ若い青年ジョン・ライダー。ポールのお眼鏡にかなったジョンは採用され、助手として働きはじめます。有能なジョンは、口述筆記ばかりか、新しいパソコンを買い、料理もこなすなど、ポールにとって、なくてはならない存在になっていきます。
 しかしある日、買ってきてもらったパズルの絵柄が違うことに気付いたポールは、違和感を感じはじめます。考えると、他にもどこかおかしな点がある…。ほんとうに彼を信用していいものなのだろうか…?
 主人公が盲目の作家のため、情景描写などはなく、会話と主人公自身の内面描写が中心となっています。そのため、かなり読者が感情移入しやすい作りになっています。
 ストーリー展開よりも、謎につつまれた青年の正体や目的が何なのか?という方面に興味が向かいます。何しろ、あらすじと設定だけで、基本的には、話の展開が予想できてしまうタイプの話ではあるのです。それゆえ、読者の興味もしぜんと細部の描写に向かいます。
 すると、ポールが、ところどころ、日常生活で感じる違和感が見事に描き出されているのに気づきます。ネクタイが異なっていたり、シミができていることに気づくなど、主人公が神経質な人間に設定されていることもあって、じつに細かい描写になっているのです。
 ジョンが、ポールに虚偽の情報を与えているだろうことは、読者もうすうす気づくのですが、その情報がイギリス独特のものだったりするので、日本の読者にとっては、ちょっと感覚的にわかりづらいところもあります。例えば、ダイアナ妃の銅像が建った、などという情報をとってみても、日本人には判断しにくいでしょう。ただこの場合、ジョンが提供する情報が、読者にとって虚偽かどうか判別しにくい、という点では、青年の無気味さを増しているといえるかもしれません。
 サスペンスたっぷりの前半に比べて、後半はかなり失速気味です。とくに結末は、かなり弱いです。青年の正体が後半、暴かれるわけですが、その後は出来の悪いB級作品になってしまったような印象が強いですね。
 ただ、テーマ的には、批評的なものを強く含んでいます。作者もかなり意識しているようで、たとえば、作中で、盲人は、読者と同じである、という考えが出てきます。
 読書においては、基本的に、作者が伝えたいと思う情報しか示されない。もし故意に、虚偽が示されたとしても、読者は客観的にその正否を判断できない。それと同じく、盲人においても、視覚で事実を確認できないために、音声で情報を与えられれば、それを信じるしかない、というのです。
 サスペンスとしては、失敗作なのでしょうが、「読書」や「読者」について考える機会を与えてくれる…という意味では、なかなか面白い作品です。

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プロフィール

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。雑誌に埋もれた短編を紹介する「埋もれた短編発掘!」コーナーもあり。「奇妙な味」の作品がお好きな方は必見です。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。



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