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たそがれの世界  レイ・ブラッドベリの初期作品を読む
 アメリカの作家レイ・ブラッドベリ(1920-2012)は、主にSF作品で知られる作家ですが、そのキャリアの初期には、怪奇・ホラー小説を多く書いていました。
 『10月はたそがれの国』『黒いカーニバル』収録作品はほぼホラーといっていい作品ですし、『刺青の男』の中でもSF的な設定を使いながらもホラーといっていい作品が多く含まれています。また「叙情SF」の代表的な作品とされる『火星年代記』のエピソード中にも、ホラー要素の濃い作品が多く含まれているのです。

 ブラッドベリのホラー小説の一番の特徴は、情感の豊かなところ。恐怖をメインテーマとする小説であっても、そこには「懐かしさ」や「ノスタルジー」が入り交じっています。また子供や子供時代がよくモチーフとして登場するのも特徴で、そういった作品に登場する「闇」や「たそがれ」には、どこか「暖かさ」が伴っているのです。

 ブラッドベリの初期作品から、怪奇・ホラー要素の強い作品を紹介していきたいと思います。



10月はたそがれの国 (創元SF文庫)
『10月はたそがれの国』(宇野利泰訳 創元SF文庫)

「こびと」
 《鏡の迷路》の見世物小屋に毎日のように現れる「こびと」。彼は迷路の中で大きくなった自分の姿を飽きずに眺めていたのです。小屋で働くエイメーは「こびと」が作家であることを知り、あるプレゼントをしようと考えますが…。
 ささやかな喜びにひたる「こびと」を襲う残酷な事件とは…。結末に現れる鏡の情景は何とも印象的。哀愁漂う作品です。

「つぎの番」
 マリーとジョゼフのカップルはメキシコの町を訪れていました。車の故障で足止めを喰らった二人は、地下埋葬所を見学することになりますが…。
 埋葬所を初め、街中にあふれる「死」の匂いにマリーは怯えてしまいます。彼女の不安はどんどん膨らみやがては…。何が起こったのか明確に描かず仄めかす結末は想像力にあふれています。地味ですが、静かな恐怖を味あわせてくれる名篇。

「マチスのポーカー・チップの目」
 平凡な男ジョージ・ガーヴェイは、その平凡さと退屈さゆえに前衛芸術家のグループにもてはやされるようになります。調子にのったガーヴェイは彼らに追従をはじめますが、グループからは飽きられてしまいます。
 ふとした事故で切り落としてしまった小指に、中国の指の防具を取り付けるようになったガーヴェイは再び人気を取戻しますが…。
 平々凡々たる男の人生を描いた作品です。調子に乗りすぎた男の凋落を描くのかと思いきや、思いもかけない逆転が待っています。味わいのある作品ですね。

「骨」
 骨の痛みを訴えるハリス氏は、症状が改善しないのに業を煮やし、専門医のリストからムッシュー・ムニガンの名前を探し出し診察を受けることになります。しかし体の違和感はどんどんと膨らんでいきます…。
 不穏な態度を取るムニガンとは何者なのか? 自らの骨を敵とみなし対決姿勢を取るハリス氏の運命は…? 不気味さとブラックさではブラッドベリ作品の中でも強烈な味を持つ作品です。ムニガン医師の得体の知れなさも印象的。あまり言及されませんが〈クトゥルーもの〉のバリエーションともいえるのでは。

「壜」
 浮気性の妻テディに悩まされている男チャーリーは、見世物小屋で見た壜に惹かれ、その壜を買い取ります。その壜にはアルコールで白ちゃけた得体の知れないものがいくつも入っていました。町の人々は壜を見ようとチャーリーの家を訪れます。
 壜の中身の正体をめぐって人々はあれこれ想像を逞しくしますが、チャーリーはそれについて肯定も否定もしないのです…。
 正体がわからないからこそ、見るものによって違うものが見えるという寓話的なカラーの作品です。そして「事件」が起こったのかどうかも、読者の想像力に委ねられています。

「みずうみ」
 「ぼく」は、妻のマーガレットを伴い、少年時代を過ごした町にやってきます。その町のみずうみで、かって幼馴染の少女が溺れ、死体が見つからないままになっていたのです。やがてみずうみを訪れた「ぼく」の前で監視員が引き上げたものとは…?
 少年時代を懐かしむ語り手の前に現れた「過去そのもの」。その結果、現実は色あせたものになってしまう…。何とも想像力に富む一篇です。

「使者」
 病気のため家で療養している少年マーティンは、飼い犬が外から持ち帰るものを楽しみにしていました。犬は、つけてくる匂いや葉などで、外の世界を知らせてくれるのです。やがて犬は教師のミス・ハイトを連れてきます。ミス・ハイトはマーティンの良き話し相手になりますが、突然の交通事故で亡くなってしまいます。やがて犬も姿を消してしまいますが…。
 「外の世界」から何かを持ち帰ってくる犬が「使者」という表現をされています。犬が最終的に持ち帰ったものとは何なのか?
 結末は非常に恐ろしいものでありながら、どこか懐かしささえ感じさせます。ハッピーエンドなのかそうでないのか、読者によって受け取り方は変わるでしょう。

「熱気のうちで」
 元保険業の二人の老人フォックスとショーは、ある女をずっと観察していました。常にいらつき人々に不快感を与える女に対して、老人たちは彼女は「潜在的な被害者」だと忠告するのですが…。
 殺人が多発してもおかしくない「熱気」、そして潜在的な被害者。老人たちが説明する理論を全く信用しない女ですが、その効果はやがて思いもかけない形で証明されることになるのです。暗示が多用された結末が素晴らしい。非常に技巧的な〈奇妙な味〉の作品です。

「小さな殺人者」
 難産でようやく男の赤ん坊を生んだアリスは、赤ん坊に対する恐怖を語ります。赤ん坊が自分を殺そうとしているというのです。主治医は精神的なショックを受けたせいだと考えますが、夫デイヴィッドはある事件のせいで不安な気持ちを隠せません…。
 赤ん坊は赤ん坊として描写されるだけで、彼の直接的な行動は描かれません。本当に全ては赤ん坊のせいなのか…? デイヴィッドが語る赤ん坊の憎悪の理由は、非常に説得力がありますね。

「群集」
 交通事故で一命を取り留めたスポールナー氏は、薄れる意識の中、事故の直後に野次馬が集まるのが異様に早いことに気がつきます。医者は錯覚だと言いますが、彼は車の車輪がまだ回転したことを覚えていました。そうだとすると、群集は30秒足らずで集まっていたのです。
 退院したスポールナーは、たまたま遭遇した事故に集まっていた野次馬の中に、自分が事故を起こしたときに集まっていたのと同じ人間がいることに気付きます。しかし捕まえようとする前に逃げられてしまいます…。
 事故のたびに集まってくる同じ顔ぶれの群集。彼らはいったい何者なのか。群集の秘密を追う男の運命は…? これはなかなか怖い作品。短い枚数の中にも「群集」の不気味さが際立っていますね。

「びっくり箱」
 少年エドウィンが住むのは塔のような建物。建物内には彼の母親と教師の二人のみが暮らしていました。彼らによれば、建物の周りの森の先には何も存在せず、世界はこの建物のみだと言うのです。
 毎年、エドウィンの誕生日が来るたびに建物内の禁断の部屋のドアが開かれ、自由に入れる部屋が増えていきます。今年の誕生日に解放された部屋は上下に移動することができる部屋でした…。
 三人だけが住む閉ざされた世界。この世界はいつの時代、どこの国なのか? 母親と教師が隠しつづける秘密とは…? 「びっくり箱」とは何を表わしているのか? ゴシック小説でもあり、少年の成長物語でもあります。寓意性の強いテーマを叙情性豊かに語った傑作です。

「大鎌」
 仕事も家も失った農夫のドルー・エリックスンは、妻子とともに車で移動中に、ある農家を見つけます。食べ物を分けてもらおうと訪ねた家の中では老人が死んでいました。書置きらしきものには、この家と付属物一式を訪ねてきたものに送る、と書いてあります
 家には食物も充分以上にあり、家族が楽に暮らせる環境が整っていました。ある日ドルーは、広大な畑に穀物が熟れているのを見て、大鎌を持って刈り入れ作業を始めます。しかし刈り取ったものはすぐに枯れてしまし、次の朝になるとまた芽を吹いているのです。 無駄な作業ではないかと、ドルーは刈り入れをやめてみるものの、なぜか刈り入れをしなければいけない気持ちになるのです…。
 広大な畑は何のために存在するのか? 刈っても再生する穀物の秘密とは…? 主人公が手に入れた家と畑は決して贈り物ではなかったのです。物悲しい運命を描く作品。

「アンクル・エナー」
 大きな緑色の翼をもつアンクル・エナーはある日飛行中に高圧線にぶつかり、飛べなくなってしまいます。たまたまそばに居合わせた娘と恋に落ちた彼は、彼女と結婚し子供も生まれますが…。
 飛べなくなった男が妻との結婚生活を経て、再び飛び立つ…という物語。ブラッドベリらしい感性のにじむ愛らしいファンタジーです。

「風」
 ハーブは毎日のように親友のアリンから電話をもらっていました。アリンはかって〈風の谷〉で「風」の秘密を知ったため「風」に命を狙われているというのです。妄想だとは思いつつもアリンの話に付き合うハーブでしたが…。
 ハーブとアリンの会話は全て電話の内容として描かれています。アリンの様子が直接的に描かれないため、彼の話が本当かどうかはわからないのです。だんだんとアリンの話す内容がエスカレートしていくのが面白いです。「風」が襲ってくるというテーマはなかなかユニーク。

「二階の下宿人」
 祖母が営む下宿にやってきた不気味な男コーバーマンは不思議な行動を取っていました。昼間はずっと寝ており起こそうとしても全く起きません。また食事は、必ず木で出来た食器を持参して使用しているのです。時を同じくして、下宿の周辺では死亡事件や失踪事件が相次いでいました。不審の念を抱いた少年ダグラスは、たまたま窓の色ガラスを通してコーバーマンの姿を目撃し、彼の正体を知ることになりますが…。
 序盤から吸血鬼ものであることはわかるようになっています。吸血鬼そのものよりも、主人公である少年のキャラクターが独特で、この少年が何をするかわからないサスペンスの方が強いですね。結末で明かされる吸血鬼の特徴もどこかファンタスティックで、一風変わった吸血鬼作品といえます。

「ある老母の話」
 老女のティルディ伯母のもとに、やなぎ細工のかごを持った四人の黒服の男が現れます。てっきり物売りだと思っていたティルディ伯母ですが、隣人のドワイヤー夫人が亡くなったときにも同じかごを見たことを思い出し、彼らの目的に思い当たります…。
 気丈なティルディ伯母のキャラクターがいい味を出しています。いくら強い意志を持っていても死には勝てない…という話なのかと思いきや、結末には驚かされます。「死」を扱いながらも、徹頭徹尾明るいカラーのファンタジー作品。

「下水道」
 雨の日の午後、刺繍をしている姉ジュリエットの前で妹のアンナは下水道についての空想話を始めます。下水道には死者の男女がいるというのですが…。
 他愛ない空想かと思いきや、だんだんとそのイメージは濃くなっていき、語り手アンナの過去へとつながる…という流れは見事。余韻を帯びたラストにも、読者の想像の余地がありますね。普通小説としてみても優れた作品だと思います。

「集会」
 不思議な能力をもつ一族の皆が集まる「集会」の日、病弱で何の能力もない少年ティモシーは気後れしていました。他の生き物の意識に入ることができる妹シシーは、ティモシーの中に入り込みますが…。
 素晴らしい能力を持つ親戚たちの中で劣等感を感じてしまう少年の心理が繊細に描かれます。良かれと思ったシシーの行動も、結局ティモシーを傷つけてしまうことになるのです。結末はブラッドベリならではの優しさに満ちており、非常に後味の良い作品ですね。

「ダッドリー・ストーンのふしぎな死」
 天才と呼ばれた作家ダッドリー・ストーンが作品を発表しなくなってから25年。彼の動向をめぐって憶測が出回るなか、「わたし」はストーン自身に引退の真相を聞こうと彼の自宅を訪れます。
 ストーンは、親友の作家ケンドルにかって「殺された」というのですが、その言葉はいったい何を意味しているのか…。
 伝説的な作家が筆を追った理由とは? 「書くこと」と「生きること」は等価なのか? 読む人によっていろいろな意見が出そうな、非常に豊かなテーマを内包した作品です。



黒いカーニバル (ハヤカワ文庫SF)
『黒いカーニバル』(伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫NV)

 当時稀覯書だった原著の『Dark Carnival』を、雑誌掲載作から再現できないかと考えた訳者が編んだ短篇集です。完全な再現はできなかったものの、その際に発見した初期作品も多く収録されています。
 それゆえ、原著とタイトルは同じであるものの、収録内容は大分異なった日本オリジナル短篇集になっています。収録作品の多くは1940~1950年代に書かれていますが、この時代のブラッドベリ作品には、どれも作品に輝きがありますね。

 長篇『何かが道をやってくる』の原型となったダーク・ファンタジー「黒い観覧車」、詩にあらゆる事物を封じ込めることができるようになった詩人を描く「詩」、全ての欲望をかなえるという火星の伝説的な壜をめぐる「青い壜」、ブラッドベリには珍しい直裁的な恐怖小説「ほほえむ人々」、タイムトラベルで過去の観察に訪れた子供たちを描く「時の子ら」、虫が人類を支配しているという妄想に取りつかれた男を描く「監視者」、刺青に未来の情景が現れるという「刺青の男」、戦争がごっこ遊びだと思い込んだ兵士を描く「戦争ごっこ」「バーン!おまえは死んだ!」、遊園地に現れる暴力的な子供たちを描いた「遊園地」などが面白いですね。
 「みずうみ」「ダドリィ・ストーンのすばらしい死」などに関しては、短篇集『10月はたそがれの国』と重複しています。

 収録作品は、怪奇小説専門誌<ウィアード・テールズ>掲載作品が多い関係もあって、いわゆる怪奇幻想小説に属する作品が大部分です。ただ、怪奇幻想小説といっても、単純な怪奇ものではなく、ブラッドベリ独自の情感や叙情性が発揮された作品が多くなっていますね。
 当時の<ウィアード・テールズ>という雑誌のカラーから考えると、これだけ情感を盛り込んだブラッドベリ作品を読んだ読者は驚いたのではないでしょうか。

 それにしても収録作品のバラエティにも驚きます。例えば「詩」なんか、あらゆるものを包含する「詩」という、まるでボルヘスみたいな話だし、人間の想像力や欲望をテーマにした「青い壜」、強制的に安楽死させる棺を扱ったブラック・ユーモア作品「棺」、虫に対する恐怖を扱った「監視者」などはフィリップ・K・ディックやリチャード・マシスンを思わせるパラノイア作品です。
 ブラッドベリの得意テーマである「子ども」を扱った作品も多く含まれていますが、面白いのは「陰」と「陽」、どちらのベクトルの作品もあるところです。未来から来た子どもたちが現在の時代に入り込んでしまうという「時の子ら」や、屋根裏に残された家族の思い出の品から家族のイメージを再現しようとする「再会」、 戦争をごっこ遊びだと思い込み続ける兵士を描いた「戦争ごっこ」 「バーン!おまえは死んだ!」などは「陽」のベクトルの作品でしょう。
 一方、同級生を殺してしまう子どもが登場する「死の遊び」、子どもの暴力性が強調される「遊園地」などは「陰」のベクトルの作品ですね。
 初期の作品において既に、単純なノスタルジーではない暗い側面を描いた作品も見られるところに、ブラッドベリの奥深さがあるといってもいいかと思います。



刺青の男〔新装版〕 (ハヤカワ文庫SF)
『刺青の男』(小笠原豊樹訳 ハヤカワ文庫NV)

 語り手が出会った刺青の男の刺青から様々な物語が語られるという、ファンタスティックな設定の枠物語です。

 子供に与えた世界中の場所を映し出すスクリーンが恐ろしい事態を引き起こすという「草原」、宇宙船から放り出された乗組員たちの死の間際の情景を描いた「万華鏡」、火星に移住した黒人たちのもとに数十年ぶりに白人が現れるという「形勢逆転」、ある星に現れた「救世主」をめぐる宗教的テーマの作品「その男」、宇宙飛行士の父親とその家族をめぐる物語「ロケット・マン」、肉体を持たない種族に布教しようとする神父の物語「火の玉」、世界の終わりを静かに描く「今夜限り世界が」、怪奇小説が焚書になった世界で展開されるファンタジー「亡命者たち」、未来の管理社会から過去に逃げ込んだ夫婦を描く「狐と森」、火星に隔離された人々のもとにどんな情景でも見させることの出来る能力を持つ青年が現れるという「訪問者」、本人そっくりのアンドロイドが非合法に出回る社会を描く「マリオネット株式会社」、人間に復讐をしようとする「町」を描く「町」、何者かによって子供たちが大人を襲うという恐怖小説「ゼロ・アワー」など、秀作揃いの作品集です。

 未来の時代やテクノロジーなどが扱われた作品が多く収録されていますが、それらが無条件で礼賛されることはなく、むしろ文明批判的な視点から使われているようです。そのため未来社会が登場しても、そこはバラ色の未来ではなくディストピア的な香りが強いのです。
 それが典型的に出ているのが「狐と森」で、過去に逃げ込んだ夫婦を未来社会の人間たちが追いかけてきます。テクノロジーに関しても、それらによって人間が恐ろしい目に会うという作品が多いですね。「草原」「マリオネット株式会社」などでは、それが恐怖小説的な味わいとなっています。

 ブラッドベリのメッセージ性が強く出ているのが「亡命者たち」です。この作品では、怪奇小説やファンタジーが焚書にされてしまった社会が登場します。火星では、焚書を逃れた怪奇作家やその登場人物たちが生き延びていました。本が一冊でも残っている限り、彼らは死なないのです。
 火星に向かう宇宙船の隊長は、博物館からポーやビアス、キャロル、ブラックウッド、ボーム、ラヴクラフトらの本を持ち出しますが…。ポーやブラックウッドといった実在の怪奇作家たちが登場人物として登場するという作品です。彼らは生き延びることができるのか…?
 この「悪書」が焚書にされてしまうというモチーフは、長篇『華氏四五一度』「第二のアッシャー邸」『火星年代記』収録)でも描かれており、ブラッドベリ自身が真剣に危惧していたテーマといっていいかもしれません。
 ちなみに、ブラッドベリには独立した短篇の「刺青の男」『黒いカーニバル』収録)という作品もあります。刺青の男の設定などは似ている部分が多く、連作『刺青の男』の枠部分の原型といっていいようです。



火星年代記 (ハヤカワ文庫SF)
『火星年代記』(小笠原豊樹訳 ハヤカワ文庫NV)

 地球人が火星を訪れ植民していく…という流れを連作短篇として描いた作品です。全体を覆う叙情性、文明に対する諦観とそして希望。代表作と言うにふさわしい作品といっていいかと思います。

 この作品「叙情SF」の代表的作品とされていますが、その実、意外にも恐怖小説といっていいレベルの「怖い」短篇が多く含まれています。何しろ、序盤では地球から火星を偵察に探検隊が訪れるのですが、第三探検隊までもが全滅してしまうのです。
 精神感応で地球人の訪問を予知した火星人の女とその夫を描く「イラ」、火星に到着した探検隊員たちが精神異常の火星人だと思われ監禁されてしまうという「地球の人々」、火星の町に到着したはずがそこはアメリカの田舎町だったという「第三探検隊」、焚書に反抗しポオの作品を模した屋敷を建造する「第二のアッシャー邸」などは完全にホラー小説といっていい作品だと思います。特にノスタルジーに満ちた展開と思わせて突然ホラーになる「第三探検隊」は相当怖い作品ですね。

 もちろん叙情性に富んだ短篇もたくさんあって、火星に植民にやってきた地球人の男が遙か過去の火星人と時を越えて出会うという「夜の邂逅」、火星に取り残された男が数十年もロケットを待ち続ける「長の年月」、「新しい火星人」の誕生を描く「百万年ピクニック」などは、非常に後味のいい作品です。

 他にもバラエティに富んだ短篇が収められています。黒人が火星に植民しようとするのを邪魔しようとする白人の男を描いて問題意識の強い「空のあなたの道へ」、亡くした大事な人間に変身することができる火星人をめぐる人々を描いて哀愁漂う「火星の人」、火星に取り残された男が同じく取り残された女に出会うというコミカルな「沈黙の町」、人がいなくなった自動機械を淡々と描写する文明批評的な「優しく雨ぞ降りしきる」など、様々な要素を持った作品が集められており、その質の高さには驚かされます。

 ブラッドベリは地球人たちを「主人公」にしていますが、単純に彼らを「正義」の側とはしていません。地球人たちは、火星人にとっては「侵略者」なのです。しかし「イラ」における夫のように「残酷な火星人」も描かれたり、また地球人の側にも横暴で勝手な人間が登場したりもします。
 その一方で、善良な火星人・地球人も多く登場します。このあたり、バランスの取れた相対的な視点が保たれているのも、この作品が読み継がれてきた理由の一つでもあるのでしょうか。

 『火星年代記』収録短篇でホラー味を感じた…という人はちょくちょくいるようで、例えばスティーヴン・キングも評論集『死の舞踏』(ちくま文庫)で、短篇「第三探検隊」(ラジオドラマ化作品ですが)が、本物のホラーの手ほどきをしてくれた作品だと書いていますね。

「空のあなたの道へ」は旧版のみの収録です。現在流通している改訂版からは削除されています。改訂版では、代わりに『刺青の男』収録の「火の玉」が加えられているほか、各エピソードの年度が31年繰り下げられています。



何かが道をやってくる (創元SF文庫)
『何かが道をやってくる』(大久保康雄訳 創元SF文庫)

 二人の少年ウィル・ハロウェイとジム・ナイトシェイドは隣人同士で大の仲良しでした。彼らが十三歳の秋、彼らの家に避雷針売りの男が訪れます。どちらかの家に必ず雷が落ちるはずだと予言した男は、避雷針を無料でおいていきます。
 一方そのころ、町にはカーニバル団「クガー&ダーク魔術団」が訪れていました。怪しげなカーニバルに不審の念を抱いたウィルとジムは、夜中にカーニバルに忍び込みます。そこで目撃したのは、カーニバルの経営者の一人クガーが逆回転する回転木馬に乗って、どんどんと若返っていく場面でした。
 やがて少年の姿になったクガーは、ウィルとジムの教師であるミス・フォレーの家に、彼女の甥と称して入り込みます。ミス・フォレーを説得しようとする少年たちでしたが、やがてミス・フォレーは失踪してしまいます…。

 邪悪な意思を持つカーニバル団の秘密に気付いた少年たちが、彼らの行動を阻止しようとしますが、孤立無援になってしまう…という物語。面白いのは少年二人だけで戦うのではなく、協力者となる大人が現れるところ。その大人とは、図書館員であるウィルの父チャールズ・ハロウェイでした。
 初老のチャールズは自分の衰えを感じつつありましたが、子供たちの話を聞き、カーニバル団の行動を阻止しようと立ち上がります…。人の年齢をコントロールする回転木馬や、魔術を使う魔女、刺青男など、多彩なキャラやガジェットの登場する怪奇味あふれるファンタジーで、その雰囲気は素晴らしいです

 前半こそ少々まとまりに欠ける部分もありますが、後半になってからは物語の緊張感も密になっていきます。子供たちが成長する物語であると同時に、初老の男が誇りと生きる喜びを取り戻す物語でもあります。また父と子の相互理解というテーマを見て取ることもできますね。
 若い読者であれば少年たちに感情移入するでしょうし、大人の読者であれば父親のチャールズに感情移入するのではないでしょうか。作品を読むときの読者の年齢によってその味わい方にも変化があるという意味で、非常に懐の深い作品ではないかと思います。非常に雰囲気のある、ダークな色調のファンタジー小説です。



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『別冊奇想天外 レイ・ブラッドベリ大全集』(奇想天外社 1981年)

 まるまる一冊ブラッドベリの特集号で、当時未訳だった短篇邦訳やエッセイ・評論がたくさん載っており、今でも参考になります。
 中では、小笠原豊樹、川又千秋、萩尾望都による座談会「ブラッドベリの魅力を語る」、サム・モスコウィッツ「レイ・ブラッドベリ論」、ジョージ・エドガー・スルーサー「ブラッドベリ・クロニクル」などを興味深く読むことができます。

 座談会「ブラッドベリの魅力を語る」では、訳者である小笠原豊樹とブラッドベリファンでもある川又千秋、萩尾望都の3人で、ブラッドベリの魅力について語られています。さすがに訳者だけあって、小笠原豊樹の発言は示唆に富むものが多いですね。
 『刺青の男』はブラッドベリの日本趣味ではないかとか、ブラッドベリはポオやラヴクラフトの直系であるとか。ブラッドベリの本質は『10月はたそがれの国』にあるのではないかという意見は、なるほどと頷けるところでした。ちょっと引用してみますね。

小笠原 なるほどね。確かにそうだと思うんですけれども、彼の本質は『10月はたそがれの国』あれだと思うんですよね。僕は。
ブラッドベリの本質というのは、前に何かのあとがきで書いたことがあるんですが、結局、僕が読んだブラッドベリというのはいろんなことを還元していくとね。例えばポーの影響とかそういうこともいろいろあるだろうけど、結局のところ彼が何やりたかったのかというふうに考えると、恐怖小説を書きたかったんじゃないかと思うんです。『10月はたそがれの国』はほとんど処女作に近いんですけれども、あれに入っているものはことごとく恐怖小説ですよね。
…結局のところ、彼が書きたかったのは、何か子供の時に感じた、恐い話をね、「恐いですね。恐いですね。恐いですね。」という映画紹介者がいますけれども(笑)ああいうことをやりたかったんじゃないかという気がするんですね。


 ジョージ・エドガー・スルーサー「ブラッドベリ・クロニクル」は、ブラッドベリ作品を年代記風に紹介していくと言う評論です。短篇単位であらすじの紹介と評者の評価が記されており、ブラッドベリ短篇の概観として、非常に参考になりますね。

 サム・モスコウィッツ「レイ・ブラッドベリ論」は、真摯なブラッドベリ論で、ブラッドベリの長所と短所を明確に指摘した、すぐれた評論です。こちらもブラッドベリのデビュー当時の状況から、近作(当時)の評価まで、バランスのとれた構成になっています。 モスコウィッツは、ブラッドベリの功績は、SFに主流文学の主題と文体を持ち込んだことだと書いています。逆に言うとそれゆえに、彼がSFの衣を外したときにそのメッセージ性は弱まる、とも。
 終わりの文章はそのことについて書かれていて、すごく印象的な部分なので引用してみます。

 新作短篇集が評論されるときは、ほとんどの場合と言っていいほど、数少ないサイエンス・フィクションがとりあげられ、のこりの諸作はいんぎんに受けいれられるだけだ。ブラッドベリの単行本のなかで未来が燃えつきてしまわないような類の作品は、『火星年代記』に似た手法にしたがうものばかりである。ブラッドベリの「メッセージ」は、科学の衣をまとったときにのみ読者に伝わる。
 H・G・ウェルズもジュール・ヴェルヌも、その訓戒を学ばなければならなかった。今度は、ブラッドベリの番である。


 かなり手厳しい意見ですが、なるほどという感じです。この評論が書かれたのは1960年代半ばのようですが、その後のブラッドベリを見ると、モスコウィッツの意見は的を射ていたといっていいでしょうか。あともう一点興味を惹かれたところは、ブラッドベリの恐怖小説が一級のものだったにも関わらず、なぜSF作品ほど喝采を博さなかったのかというところ。
こちらの理由はあっさりしていて、この分野にはもっと素晴らしい作家がたくさんいたから…とされています。

ことばと、おどろくばかりの独創性とを自在にあやつる男女作家-ジョン・コリア、ロアルド・ダール、エドガー・アラン・ポオ、アンブローズ・ビアス、A・E・コパード、アルジャナン・ブラックウッド、シオドア・スタージョン、ウォルター・デ・ラ・メア、サキ、M・R・ジェイムズ、W・ハーヴィ、E・F・ベンスン、メイ・シンクレア、ロード・ダンセイニ、以上は氷山の一角にすぎない。ブラッドベリはこのうちの何人かよりは上位に立ち、多くの者と方をならべ、そして何人かの下に立つが、このような競争では先頭にたつことはできない。

 モスコウィッツの、怪奇幻想ジャンルにおけるブラッドベリの評価位置を具体的に聞いてみたくなりますが、書き方からすると、先頭には立てないとしながらも、錚錚たる作家たちに比べてもかなり評価が高いように感じますね。
 ブラッドベリに関しては、晩年になってインタビュー集やブラッドベリ論的な本が何冊か邦訳されましたが、今でも、ブラッドベリ作品を読む上では、『別冊奇想天外 レイ・ブラッドベリ大全集』が一番参考になる副読本だと思います。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント
「刺青の男」読みました。
 良かったと思ったのは「形勢逆転」と「火の玉」ですが、
鋭いな、と思ったのは「その男」と「町」ですね。
「その男」に登場する「ハート隊長」は、こういう奴いるな~、という感じがしました。
「町」ですが、「やった方はすぐ忘れ、やられた方はいつまでも忘れない」
のが世の常ですが、「やられた方」に人工知能がいれば、半永久的に忘れない訳ですね…


ちなみに、英会話教室の講師(カナダ人)にこの本を見せたら、
「読んだ事がある、映像化されている」という話でした。
彼は「長雨」が好きだと言っていました。
【2018/12/01 17:17】 URL | bear13 #- [ 編集]

>bear13さん
『刺青の男』はブラッドベリとしては、メッセージ性が強い作品集ではないかなと思います。「その男」も「町」も、現代の作家が同じテーマを取り上げたらもっと描き込みをするでしょうが、ブラッドベリのさらっとした取り上げ方も味わいがありますね。

「長雨」も映像的な作品で面白いですね。
【2018/12/01 21:19】 URL | kazuou #- [ 編集]


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kazuou

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。
twitterアカウントは@kimyonasekai



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