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冥界の感光板  ステファン・グラビンスキの異次元世界
動きの悪魔 狂気の巡礼 火の書
 近年、邦訳が相次いだ、ポーランドの怪奇小説家ステファン・グラビンスキ(1887-1936)。現時点で、三冊の邦訳作品集が刊行され、グラビンスキ作品の特質も何となくわかってきたように思います。邦訳も、作品集三冊と短篇一篇とまだ少ない数ではありますが、今回は、グラビンスキ作品についてまとめていきたいと思います。

 グラビンスキ作品を読んでいて不思議に思うのは、宗教的な背景があまり感じられないこと。19~20世紀のヨーロッパ作家の怪奇小説においては、これは珍しいことです。
 また、上記の非宗教的な背景とも関係してくるのですが、グラビンスキ作品では、怪異現象に対して、それらをただ単に不可解な現象とするのではなく、「科学的」な説明がなされることが多いのです。
 「科学的」といっても、グラビンスキが持ち出すのは、別次元の存在、土地に内在する力、人間の妄念、神秘的な能力といったもので、「科学的」というよりは「疑似科学的」といった方が当たっているでしょうか。ただ、怪異に対する作家の態度は「客観的」であり、その意味でSFの萌芽的な面を見て取ることもできそうです。

 『動きの悪魔』(芝田文乃訳 国書刊行会)は、鉄道テーマの怪奇小説集です。鉄道によって「異界」に連れて行かれてしまう、もしくは何かが「異界」から侵入してくる…というタイプの話が多いですね。別次元・別世界の存在が示唆される「奇妙な駅(未来の幻想)」「待避線」が典型ですが、このタイプの話で一番印象に残るのは「シャテラの記憶痕跡(エングラム)」でしょうか。

 シャテラは、事故の際に目撃した女の首が忘れられなくなっていました。過去の出来事が別の次元に記録されており、何らかのきっかけでその記録を呼び出すことが出来ると考えたシャテラは、再び女に出会おうとします。
 シャテラは、別次元に記録された女の姿を再現しようとするのですが、その別次元の記録の表現が「冥界の感光板」というインパクトのある描写で表わされています。また作中で、切断された腕が砂によって物質化される…という興味深い描写もありますね。

 「科学的に説明する」というのは、怪異現象に限らず人間に対してもそうで、その結果、奇矯な性格の人間がその性質ゆえに事件を引き起こす…というタイプの作品もあります。目的地にたどり着くのに恐怖を覚える男が登場する「機関士グロット」とか、移動する乗客を嫌う男を描く「汚れ男」など。

 怪異とはベクトルが違うものの「永遠の乗客」もこのタイプの作品でしょうか。主人公のクルチカ氏は、待合室に常駐し、電車がくるたびに乗り込んでは、降りるという行為を繰り返すという「旅をしない旅人」です。人間の不思議さを描いた作品であり、非常に近代的な作品といっていいかと思います。

 巻末の「トンネルのもぐらの寓話」だけは、他の収録作品とは毛色が違っていて、鉄道そのものが題材にはなっていませんが、ラヴクラフト風の味わいもあって面白い作品です。
 代々、トンネルで働くフロレク一族最後の男アントニは、長年トンネルで暮らした結果、外に出られない体質になっていました。ある日ふと見つけたトンネル内の洞窟に入っていったアントニは、古来より生きている人間によく似た生き物と出会います…。
 古くから生きる「先住民」と出会う男の物語なのですが、その「先住民」を怪物として描かないところが異色です。

 『狂気の巡礼』(芝田文乃訳 国書刊行会)は、大きく二部に分かれています。「薔薇の丘にて」は、唯美主義的な雰囲気の強い幻想小説、「狂気の巡礼」では、よりバラエティに富んだ怪奇小説が展開されています。

 「薔薇の丘にて」は、庭園、建物、土地などをモチーフに、狂気に囚われる人間を描く…といったトーンが強い作品集でしょうか。
 壁に囲まれた薔薇の庭園からの不思議な芳香を描く「薔薇の丘にて」、忌まわしい土地の力により惨劇が起こる「狂気の農園」、奇妙な思想を持つ男がその理論に従うという「接線に沿って」、憎むべき天敵を死に追いやった男がその人格に取り憑かれる「斜視」、孤独な森番の老人の家に映る影の恐るべき秘密を描く「影」、かっての恋敵の人格が別の人間によって再現されるという「海辺の別荘にて」を収録しています。

 中では「影」の印象が強烈です。語り手が見つけた山小屋の窓からは、今まさに殺人が行われようとしているようなシルエットが映っていました。驚くものの、それは何らかの影がたまたま人の形に映っているようなのです。小屋の主の老人と親しくなった語り手は、影が生まれた原因について聞きますが…。
 老人も「影」が物質的なものにすぎないとは理解しているものの、それが再現された理由については運命的なものを感じているのです。過去の惨劇が何らかの形で再現される…というタイプの作品は聞いたことがありますが、このような形の作品は珍しいのでは。非常にユニークな作品です。

 「狂気の巡礼」の部では、「薔薇の丘にて」に比べて、ストーリーに動きのある作品が多く、バラエティに富んだ構成になっています。
 引越し前の家と同じ前住者が住んだ部屋に引っ越してきてしまった男の奇妙な体験を描く「灰色の部屋」、深夜に迷い込んだ小屋で惨劇を追体験する「夜の宿り」、死んだ前妻の存在が夫に及ぼす影響を描く「兆し」、「ジキルとハイド」テーマのバリエーション「チェラヴァの問題」、時間をテーマにした寓話的な「サトゥルニン・セクトル」、亡き美女をめぐる奇妙な三角関係を描いた「大鴉」、煙を信仰するインディアンの怪異を描く「煙の集落」、蟄居した作家の想像力が生み出す怪異を描いた「領域」など。
 「狂気の巡礼」の部の中で目を引く作品は「灰色の部屋」「チェラヴァの問題」「領域」などでしょうか。

 「灰色の部屋」では、前住者の影響を逃れ、新しい部屋に越してきた語り手が、またも同じ人物の影響力に苦しみます。新しい部屋の前住者も、前の部屋と同じ人物だったのです。「夢」の中の部屋に現れる前住者を排除しようと、語り手は部屋のレイアウトを変えていきます。やがて、「夢」の中で、だんだんと前住者の動ける範囲は減っていきますが…。
 部屋の家具という物質的なものの移動で、精神世界内での影響力を排除するという面白い発想の作品です。作中で明確にはされませんが、時間的なズレも発生しているかのようにも読めます。

 「チェラヴァの問題」は、グラビンスキ版『ジキル博士とハイド氏』ともいうべき作品です。夜になると、高名な学者チェラヴァの家に出入りする、浮浪者然とした粗暴な男。学者の妻は、2人の関係を懸念しますが、なぜか2人が同時に起きて話をしているところは見たことがないのです。妻から依頼を受けた主人公は、彼らの関係を探りますが…。
 学者の裏の顔は希代の犯罪者なのか? それとも二重人格なのか? この作品などは、非常にSF寄りの発想で、いわゆる「分身」テーマの幻想小説として読んでいた読者はびっくりするのではないでしょうか。

 巻末の「領域」は、作家の想像力により怪異が発生するという作品。やがて作家は怪異に飲み込まれてしまいます…。クライマックスで登場する怪異は、ラヴクラフトを思わせますね。

 『火の書』(芝田文乃訳 国書刊行会)は、『動きの悪魔』『狂気の巡礼』に比べて、エンタメ要素の多い作品集です。「火」がテーマということもありますが、視覚的に鮮やかなシーンが多いですね。
 火に呪われた娘とそれを防ごうとする父親を描く「赤いマグダ」、煙突に潜む怪物を描く「白いメガネザル」、超人的な力を持つ消防士と精霊の物語「四大精霊の復讐」、家が必ず燃えてしまう土地をめぐる異常心理もの「火事場」、愛に生きる花火師の人生をめぐる寓話「花火師」、精神病院内で発生した拝火教カルトを描く「ゲブルたち」、煉獄の死者が残した遺物をめぐる「煉獄の魂の博物館」、炎の前でしか愛を感じられない男を描く「炎の結婚式」、吹雪で遭難した男が山小屋で遭遇する怪異を描いた「有毒ガス」、他にエッセイとインタビューを収録しています。

 物語の背景となる、火事や火をめぐる事件や怪異もさることながら、登場人物たちの心理の動きも読みどころです。例えば「火事場」。その土地に家を建てれば必ず燃えると言われる場所に、わざわざ家を建てる男の話です。
 やがて男は、家族と共に火をもてあそび挑戦的な態度を取るようになります。迷信など信じない、冷静で現実主義的だった男が、火に関するオブセッションに囚われていくという作品です。まさに「火遊び」がエスカレートしていくのです。

 また「ゲブルたち」では、患者の妄想を否定しないという方策をとる精神病院の院長が登場します。行き着くところまでいけば偏執狂は良くなるというのです。あげくには、拝火教のようなカルト宗教が発生してしまうのです。ポオの「タール博士とフェザー教授の療法」を思わせる作品です。

 「有毒ガス」は、集中でも怪奇趣味の強い作品。雪山で仲間とはぐれた若い技師は、ようやく旅籠のような建物を見つけ、そこに一夜の宿をとることになります。家のなかには、主と思しき老人と、肉感的な娘がいました。しかし、二人は互いに家の中には自分ひとりしかいないと言うのです…。
 怪しい雰囲気の老人と娘、彼らは人間なのかそれとも…? 超自然的な要素が強く「妖怪小説」としても出色の作品です。

 エッセイ「私の仕事場から」は、短篇「機関士グロット」に関する創作秘話、「告白」は、自作について語った自伝的エッセイになっています。「告白」では、自らの作品が属するジャンルに関して非常に意識的であると同時に、作者の矜持もうかがえます。
 ポーランド出身の作家を除けば、グラビンスキが高く評価しているのは、エドガー・アラン・ポオ、グスタフ・マイリンク、スティーヴンソンなど。確かに作品のところどころに、ポオ的な要素は感じますね。

 アンソロジーに収録された短篇「シャモタ氏の恋人(発見された日記より)」(沼野充義訳 沼野充義編『東欧怪談集』河出文庫 収録)にも触れておきましょう。

 シャモタ氏は、自分に会いたいという手紙を受け取って幸福に酔いしれていました。その手紙は、国一番の美女との呼び声も高い女性ヤドヴィガからのものでした。外国に出かけていたヤドヴィガは、彼女の自宅で土曜日の夜に会いたいというのです。
 シャモタ氏は、ヤドヴィガと恋人関係となりますが、いくつか気にかかることがありました。直接会っているときにも、ヤドヴィガは声を全く出さないこと。土曜以外の日に会おうとしても絶対に会えないこと。不審に思いながらも、彼女の気まぐれだと、シャモタ氏は考えます。
 説明しがたい出来事が続くにつれ、シャモタ氏はヤドヴィガに質問を浴びせますが、彼女は答えず、弁解ともつかない手紙が後から送られてくるだけでした。彼女の不可解な行動にシャモタ氏は思い切った行動に出ますが…。

 決まった日と時間にしか会えず、言葉もしゃべらない…。おそらく相手の女性は死者なのではないか? そう読者は考えるだろうと思うのですが、読んでいくうちに、それが「死者」であるかどうかさえも曖昧になっていきます。
 ヤドヴィガは、肉体のある人間なのか? それとも幽霊なのか? それとも…? 怪奇小説の恐怖の対象が「得体の知れなさ」とするならば、この作品に登場する女性の「得体の知れなさ」は強烈です。
 人間と霊体、精神と肉体、無生物と生物が入り交じるという、ゴースト・ストーリーのグラビンスキ的変奏。名品といっていい作品ではないでしょうか。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

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Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
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