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物語をめぐる物語 その2
B000J83KXC世界幻想文学大系〈第19巻〉サラゴサ手稿 (1980年)
荒俣 宏 紀田 順一郎 J.ポトツキ
国書刊行会 1980-09

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ヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』(工藤幸雄訳 国書刊行会)

 ナポレオン戦争中のスペインで、あるフランス人将校が、古い家の中で写本を発見します。そこに書かれていたのは、青年アルフォンスの不思議な物語でした。
 アルフォンスは、マドリッドに向けて山を越えようとしていました。そこは絞首刑になった山賊、ゾト兄弟の幽霊が出るという噂の土地でした。廃屋で夜を明かそうとしたアルフォンスは、ある貴婦人の侍女と名乗る女に導かれた先で、美しいムーア人の姉妹に出会います。アルフォンスの遠い親戚だという姉妹に歓待されたアルフォンスが目を覚ますと、そこは山賊の死体が吊るされた処刑場の真下でした…。

 ポーランドの大貴族ヤン・ポトツキによって、19世紀初頭に書かれた枠物語です。収録されたエピソードは、どれも『千夜一夜物語』を思わせる、妖艶で幻想味あふれる作品になっています。エピソードが入れ子状になるなど、構成そのものも幻想的です。
 原作は66日間分のエピソードがあるらしいのですが、邦訳ではその5分の1の抄訳になっています。完訳の原稿は既に出来ていると話なので、全訳の刊行が期待されますね。
 映画版も、原作の味を上手く生かした秀作で、非常に面白い作品でした。映画版のレビューはこちら



4150200858プリンセス・ブライド (ハヤカワ文庫FT)
ウィリアム・ゴールドマン 佐藤 高子
早川書房 1986-05

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ウィリアム・ゴールドマン『プリンセス・ブライド』(佐藤高子訳 ハヤカワ文庫FT)

 作家のウィリアム・ゴールドマンが、子供の頃に父親に読んでもらい、忘れられない作品がありました。それは、ヨーロッパの小国フローリン出身の作家S・モーゲンスターンによる「プリンセス・ブライド」でした。
 その本を自分の息子にも読ませたいと考えたゴールドマンは、古本屋でその本を手に入れ読ませますが、息子は退屈で読み通せなかったというのです。本を実際に読んでみたゴールドマンは驚きます。息子の言うとおりだったのです。かって父親は、本の面白いところだけを選んで読んでくれていたらしいのです。
 ゴールドマンは、父親に倣い「プリンセス・ブライド」の娯楽抜粋版を書こうと考えますが…。

 非常に手の込んだメタ・ファンタジー小説です。物語本編の「プリンセス・ブライド」は、それだけでも十分面白いファンタジーなのですが、本編に挟み込むように現れる作家自身のツッコミも秀逸。作家のパートのみ、赤インキで印刷されているというのも洒落ていますね。
 本の作者モーゲンスターンが架空の作家だということは、すぐわかるようになっているのですが、それをめぐるゴールドマンの回想部分も、さりげなくフィクションが混ぜ合わされていたりと、一筋縄ではいかない作品です。とにかく読んで楽しい作品。



4047913103ゾッド・ワロップ―あるはずのない物語
ウィリアム・ブラウニング スペンサー William Browning Spencer
角川書店 1998-12

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ウィリアム・ブラウニング・スペンサー『ゾッド・ワロップ あるはずのない物語』(浅倉久志訳 角川書店)

 有名な童話作家ハリーは、娘の事故死のショックから精神を病み、心療クリニックに入院します。そこで出会った患者のレイモンドは、熱狂的なハリーのファンでした。入院中にハリーが創作した童話「ゾッド・ワロップ」の世界観を信じ込んだレイモンドは、退院後もハリーに電話をし、悩ませていました。
 数人の患者と小猿と共にハリーの自宅に現れたレイモンドは、世界を救うためにハリーの力が必要だと話します。狂人のたわごとだと思っていたハリーでしたが、やがて現実に不思議な現象が起き始めます…。

 フィクションの世界が現実世界を侵食していく…というタイプのファンタジー小説なのですが、世界観が独特です。
 旅の途中で出現する怪物や不思議な現象も面白いのですが、興味深いのは、ハリーの童話「ゾッド・ワロップ」の登場人物と、現実の登場人物が二重写しになっていくところです。「ゾッド・ワロップ」には、ハリー入院中に出会った人々が無意識に反映され、それぞれのモデルがいるというのです。
 それぞれの登場人物は、レイモンドの妄想にも当てられ、自分が現実の人間なのか、作中人物なのかがはっきりしなくなっていきます。同様に主人公ハリーも、その「妄想」に取り込まれていきます。
 そもそも「ゾッド・ワロップ」はハリーの娘の死の影響から書かれた作品でした。愛する妻とも別れたハリーは娘の死を乗り越えられずにおり、レイモンドたちとの旅は、彼が立ち直るための旅でもあるのです。
 一見、何でもありのファンタジー世界に見えるのですが、そこにはある種の論理があり、後半ではその「論理」も明かされていきます。主人公ハリーを含め、登場人物たちの旅は、彼らの「再生」のためでもあったことがわかるクライマックスには感動があります。
 現実の世界に「帰還」しながらも「魔法」は消えない…という肯定的な結末も好感触です。序盤は多少とっつきにくいのですが、世界観に慣れてしまえば面白く読めると思います。ファンタジーの名作の一つと言っていいのではないでしょうか。



4152088575哀れなるものたち (ハヤカワepiブック・プラネット)
アラスター・グレイ 高橋和久
早川書房 2008-01-26

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アラスター・グレイ『哀れなるものたち』(高橋和久訳 早川書房)

 容貌魁偉ながら天才的な技術を持つ医師バクスターは、身投げした妊婦の死体を蘇生させ、彼女をベラと名付けます。まっさらな状態から再度精神的な成長を始めたベラは、その奔放さで男たちを魅了し、翻弄します。
 バクスターの友人アーチボールド・マッキャンドレスを見初めたベラは、彼と結婚すると言い出します。しかしその直後に別の男と出奔し、海外を遍歴することになりますが…

 天才医師の手により、死から甦った女性の生涯を描く、ゴシック風奇想小説です。
 メインとなる物語は、後にベラの夫となったアーチボールド・マッキャンドレスが書いた「スコットランドの一公衆衛生官の若き日を彩るいくつかの挿話」という自伝です。しかし、夫の自伝の後に、その内容を否定するかのような、ベラ自身の手記も収録され、真実をわかりにくくさせています。
 さらに複雑なのは、夫婦二人の手記に対し、小説家グレイが編集を行い註をつけているという、非常に手の込んだ体裁。
 アーチボールドの自伝は非常にグロテスクで戯画的。そこでのベラは倫理的にも性的にも奔放です。
 一方、ベラの手記では、自分は甦った死体などではなく、普通の人間であることが強調されます。どちらの物語にしても、ベラが学習を重ね、やがて医師になることは同じで、やがて彼女は社会を改善したいという活動家のような存在になっていきます。
 男と出奔してしまったベラが、思想や宗教の影響を受けたり、元夫に訴えられたりと、ストーリー的にも非常に面白いのですが、後半医師になって以降のベラを描く部分では、かなり「まっとうな」話になってしまうという、妙なアンバランスさも面白いですね。
 全体にグロテスクな題材ではあるものの、一女性の生涯を描く「教養小説」的な要素が強いです。メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』や、ジェイムズ・ホッグ『悪の誘惑』の影響が感じられる作品で、とくに作品構成については、手記を多用するなど、ホッグ作品との共通点が多いようです。



4151830510ノクターナル・アニマルズ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
オースティン ライト 吉野 美恵子
早川書房 2017-10-05

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オースティン・ライト『ノクターナル・アニマルズ』(吉野美恵子訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)

 外科医の夫と子供たちと暮らすスーザンの元に、小説の草稿が送られてきます。それは20年以上前に別れたスーザンの元夫エドワードからのものでした。若い頃から作家を目指していたエドワードは、作家の夢に見切りをつけたものと考えていたのですが、彼はあきらめていなかったようなのです。
 小説の感想を聞かせてほしいというエドワードの手紙を読んだスーザンは、何の気なしに読み始めますが、その小説「夜の獣たち」にすぐに夢中になります。「夜の獣たち」の主人公は大学教授トニー。妻子とともに車で走っていたトニーは、柄の悪い男たちに煽られ接触事故を起こしてしまいます。
 言い争いをしている内に、妻子は男たちに誘拐されてしまいます。警察の協力を得たトニーは妻子の行方を探します。最初は妻子を助けるヒーローの物語かと思いきや、どんどんと不穏な展開になっていく小説を読みながらスーザンは不安になります。この小説は一体何を表わしているのか?
 20年以上も前に別れた自分に小説を読めというエドワードの意図は一体何なのか? 小説を読みながら、スーザンはエドワードとの生活や、今の夫と出会った過去を思い出し始めますが…。

 作中の登場人物が書いた小説を、別の登場人物が読んでいくという、入れ子状の構成をとったサスペンス小説です。
 エドワードの作中作「夜の獣たち」と、それを読むスーザンの心理が交互に描かれていくという体裁になっています。「夜の獣たち」はそれ単体で充分に面白いサスペンス作品なのですが、その小説を読みながらスーザンの心理に徐々に変化が起きていく様子もまた読みどころ。
 読者は、作中作の小説に何か「仕掛け」があるのではないかと疑いながら読むと思います。確かに「仕掛け」はあるのですが、ギミックという意味でのそれではなく、スーザンの心理に変化を起こさせる「きっかけ」という意味での「仕掛け」なのです。
 面白いのは、作中には直接エドワードは登場しないところ。スーザンの回想を通してしか現れないのです。それゆえエドワードが小説を書いて送ってきた意図ははっきりしません。しかし最後まで読み終えた読者は、エドワードの意図が何だったのかが、ぼんやりと見えてきます
 「ぼんやり」とはしているのですが、そこには豊かな「含み」があって、読後感は悪くはありません。狭義のミステリやサスペンスとは異なるかもしれませんが、これは確かに傑作といえる作品だと思います。



4309461093イーディスの日記〈上〉 (河出文庫)
パトリシア ハイスミス Patricia Highsmith
河出書房新社 1992-08

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パトリシア・ハイスミス『イーディスの日記』(柿沼瑛子訳 河出文庫)

 夫と息子とともに郊外の新居に引っ越してきたイーディス。ライターの経歴もある彼女は、ここで新聞を作ろうと理想に燃えていました。しかし夫の老齢の伯父ジョージと同居することになったことから、だんだんと家庭が上手くいかなくなり始めます。息子のクリッフィーは怠け者で、働く気もありません。
 夫は秘書との浮気から家を出ていってしまいます。ジョージは介護を必要とするようになり、経済的にも苦しくなっていきます。イーディスは日常生活の辛さを忘れるために日記をつけるようになります。その日記では現実と異なり、幸せなことばかりが書かれていました。
 イーディスの日記の中では、息子は一流の実業家であり、美しい妻と子供も持っています。日記の中の息子たちの生活を書き続けるのと同時に、イーディスは静かな狂気に囚われていきますが…。

 一人の主婦が日常を過ごすうちに狂気に囚われていく、という作品です。犯罪が起こるわけでもないのに、尋常でない迫力と密度のあるサスペンスになっています。
 ヒロインのイーディスは有能な女性なのですが、ふとしためぐり合わせの悪さから、どんどんとのっぴきならない状況に追い込まれていきます。それに輪をかけて、夫と息子、特に息子が彼女の足を引っ張ります。不満を外に出せず、溜め込んでいくイーディスはだんだんと日記にのめりこんでいきます。
 日記はイーディスの正気を保つ手段であると同時に、狂気の進行具合を測るバロメーターでもあるのです。やがて、周りの人間たちと軋轢を起こし始めたイーディスの行く末は…?
 作中で殺人事件や大きな犯罪は起こりません。起こるのは、夫の不倫、介護、素行不良の息子などの日常的な「事件」。それらが降り積もったとき、何の変哲もない普通の人間がどうなってしまうのか、というリアリティあふれるサスペンス小説。これは現実的な意味で「怖い」作品ですね。



433603964Xハルーンとお話の海
サルマン ラシュディ Salman Rushdie
国書刊行会 2002-01-01

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サルマン・ラシュディ『ハルーンとお話の海』(青山南訳 国書刊行会)

 主人公の少年ハルーンの父ラシードは、天才的なストーリー・テラーで「物語ること」を生業にしていました。しかし妻のソラーヤが近所の男と家出してしまったことから、自信をなくし、物語ることができなくなってしまいます。
 ある日、水の妖精モシモと出会ったハルーンは、ラシードが「お話の海」と契約をしていて、そこからお話を貰って話をしていたということを知ります。ハルーンは、父に「お話」を取り戻すべく、モシモと共に「お話の海」のある場所「オハナシー」に赴くことになりますが…。

 「物語ること」について書かれた、ちょっとブラックなファンタジー小説です。全体におとぎ話的な雰囲気でありながら、ところどころに妙に「現実的」なモチーフが現れるのが面白いですね。
 この手のファンタジーでは不思議なことがあっても「魔法だから」で済ませがちですが、この作品、変にリアリティのある設定があって楽しいです。例えば、舞台となる「オハナシー」が、地球のもう一つの月で、毎回軌道が変わるので、誰も見つけられないとか。 展開が非常に速く、あれよという間に結末を迎えます。結末も「ハッピーエンド」なのですが、その安易さも含めて物語を相対化するようなメタな視点があるのが読みどころ。一見子供向けですが、大人が読んでも楽しめる作品です。



4488256090青鉛筆の女 (創元推理文庫)
ゴードン・マカルパイン 古賀 弥生
東京創元社 2017-02-26

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ゴードン・マカルパイン『青鉛筆の女』(古賀弥生訳 創元推理文庫)

 三重構造になったメタミステリという面白い小説です。作中に埋め込まれた小説が、非常にB級なスリラーなのですが、最後まで読むとそれもまた別の意味を持っていることがわかるという、手の込んだ趣向になっています。
 作品全体は、二種類の小説と、作者に対する女性編集者の手紙との三種類のパートが交互に現れるという構成になっています。小説の一つは、タクミ・サトーによる『改訂版』という作品。日系アメリカ人の講師が、殺された妻の事件を調査するハードボイルド小説です。
 もう一つの小説は、ウィリアム・ソーン『オーキッドと秘密工作員』。残酷な日本人美女をリーダーとするスパイ組織の連続殺人を、朝鮮系アメリカ人の私立探偵が追っていくというスパイ・スリラー作品です。
 3つ目のパートは、作中小説の作者タクミ・サトーに対する女性編集者の手紙です。こちらからは、戦争や日本人排斥の風潮などから、日本人主人公を改変したり、小説内に愛国心を煽るような要素を盛り込むなど、改変を余儀なくされていることがわかります。
 やがて、作中の2つの小説が混ざり始め、片方の小説の主人公がもう片方の小説の主人公を追うような形になっていきます。日系人講師の妻を殺したのは誰なのか? そして「オーキッド」の正体とは?

 作中の2つの小説のうち『改訂版』は非常にSF的な要素の強い作品で、主人公の日系人は、なぜか日米戦争の前夜から開戦直後に時間を跳ばされているのです。しかも周りの人間は自分のことをまったく覚えていません。ただでさえ日系人への当たりが厳しいなか、アイデンティティまでが揺らぐ…という展開。
 作中の2つの小説が互いに交じり合っていき、それらも、最後には女性編集者の視点により、また違った意味を持ってくるという、非常に凝った趣向になっています。作中作、特に『オーキッド』の方はかなりステレオタイプなB級スリラーなのですが、この味わい自体が作者の意図したところなのでしょう。
 全体を読み終えると、作中では直接登場しなかった、ある人物の生涯が浮かび上がってきます。それを読み取ることを含め、作中作同士の関係や、女性編集者の意図を探るなど、読者がいろいろ想像をめぐらす部分が多数あって、読んでいて非常に楽しい作品になっています。



4150119554華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)
レイ・ブラッドベリ 伊藤典夫
早川書房 2014-04-24

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レイ・ブラッドベリ『華氏451度〔新訳版〕』(伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫SF)

 本を所有することが禁じられた未来社会、本を見つけ出し燃やすことを生業にする「昇火士」モンターグは、自分の仕事に誇りを持っていました。しかし冷え切っていく妻との暮らしの中、たまたま出会った風変わりな少女との交流をきっかけに、モンターグは書物の魅力に惹かれていきますが…。

  本が禁じられた未来社会を舞台にしたディストピアSF小説ですが、ブラッドベリらしい詩情も感じられる作品。やはり名作だと思います。
 窮屈な管理社会で、反旗を翻す主人公…という、ある種フォーマットともいうべき展開の作品なのですが、その対抗の手段が、実にブラッドベリらしいのです。「現実的」ではないといえばその通りなのですが、こうした抵抗の仕方があってもいいんじゃないかと思わせるのが、ブラッドベリのユニークさ。
 ブラッドベリは、短篇でも「第二のアッシャー邸」や「亡命した人々」といった作品で、書物(特に怪奇幻想小説)が焚書になる世界を描いていますが、そうした未来を本当に危惧していたように見えます。



4594059767ルシアナ・Bの緩慢なる死 (扶桑社ミステリー)
ギジェルモ・マルティネス
扶桑社 2009-06-27

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ギジェルモ・マルティネス『ルシアナ・Bの緩慢なる死』(和泉圭亮訳 扶桑社ミステリー)

 ある日、作家である「私」の元に電話がかかってきます。電話の主はルシアナ。10年前の一時期、タイピストとして「私」が雇っていた女性でした。彼女は、かっての雇い主である大作家クロステルが復讐のため、ルシアナの家族を殺していると話し、「私」に助けを求めます。
 クロステルは娘の死を、ルシアナのせいだと考えているというのです。ルシアナはかってクロステルを訴訟ごとに巻き込み、それが原因でクロステルの妻は娘を死なせてしまいます。逆恨みをしたクロステルは、何らかの間接的な手段を使って、ルシアナの関係者を殺していきます。
 最初は恋人、続けて両親と兄を失ったルシアナは、次は祖母か妹が狙われるというのです。懇願に負けた「私」は口実を設けて、クロステルと話すことに成功しますが、そこで耳にしたのは、驚くべき話でした…。

  アルゼンチンの現代作家によるアンチ(?)・ミステリー小説です。同じ事件や事態に対する「被害者側」と「犯人側」の言い分が異なるのが面白いところなのですが、クライマックスではさらに斜め上の展開が。
 「被害者」であるルシアナと「犯人」であるクロステルの言い分が全く異なっており、「私」は何を信じていいのかがわからなくなっていきます。ルシアナが狂気に陥っているのではないかと考える「私」でしたが、そんな矢先に再び事件が起こります。クロステルは本当に「無実」なのか?
 最初にルシアナの語るクロステル像が提示され、次にクロステル自身によってそれらがひっくり返されていく、という部分が読みどころです。何よりクロステル自身が語る自伝的な部分が非常に面白いのです。しかも物語はそれで終わりません。二人とは異なる「第三の視点」までが発生するのです。
 本格的な謎解きを期待すると、ちょっと異なる味わいなのですが「幻想小説」としては、非常に面白い作品ではないかなと思います。



4488224024殺人者の烙印 (創元推理文庫)
パトリシア ハイスミス 深町 真理子
東京創元社 1986-06

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パトリシア・ハイスミス『殺人者の烙印』(深町眞理子訳 創元推理文庫)

 売れない作家シドニーは、資産家の娘アリシアと結婚し、イギリスの田舎で執筆活動に励んでいました。度重なる夫婦喧嘩の末、アリシアは行き先も告げずに出て行ってしまいます。シドニーは妻を殺したとしたら…という想定で、古い絨毯を密かに捨てたり、実際の殺人者が取るような行動を取ります。
アリシアの行方が長期間にわたってわからないことから、周りの人間はシドニーが妻を殺したのではないかという疑念を抱き始めます。やがて警察が訪れますが、シドニーは、持ち前の反抗心から、疑念をさらに膨らますような発言を取ってしまいます…。

 ひねくれ者を主人公にした心理サスペンス小説です。周りの人間の疑念が雪だるま式にふくらんでいく過程が非常に面白いですね。
 主人公がとにかくひねくれ者で、妻や友人との軋轢はもちろん、警官にまで挑発的な言動を取り、どんどん追い込まれてしまう…という流れが読みどころです。もしかして本当に殺してるのでは?と思い始める矢先に、妻のパートが現れるのですが、妻は妻でおかしな行動を取り始めます。やがて妻の居所を知ったシドニーのとった行動とは?
 ハイスミス作品では変わった人物がよく登場するのですが、それらの複数の人物が絡んだとき、全く予想もつかない展開になることが多いです。この作品も例に漏れず、非常に斜め上の結末を迎えます。
 正直そこまで動きのある作品ではないのですが、心理のサスペンスだけでこれだけ読ませるのはすごいですね。



4488208029私家版 (創元推理文庫)
ジャン=ジャック フィシュテル Jean‐Jacques Fiechter
東京創元社 2000-12-01

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ジャン=ジャック・フィシュテル『私家版』(榊原晃三訳 創元推理文庫)

 イギリスの出版社社長エドワードは、少年時代からの友人であるフランス人作家ニコラのゴンクール賞受賞を苦々しげに見つめていました。ニコラの作品には明らかに若い頃の経験が反映されていましたが、その中にはエドワードの恋人だった女性の死の原因がニコラにあることが示されていたのです。
 エドワードは「本」そのものを使用して、ニコラを破滅させるための計画を着々と準備しますが…。

 「本の存在そのものが凶器になる」というのが売りの作品なのですが、そのギミック部分よりも、主人公の屈折した心理を描いた部分の方が読み応えがあるという、変り種サスペンス小説です。
 エドワードが「犯罪」に手を染めることになった理由は何なのか? 少年時代、長じては大人になってからのニコラの人生と、それを見つめるエドワード自身の人生が描かれていきます。裕福な家に生まれ、容姿端麗、女たらしのニコラに対し、エドワードは終始卑屈な態度で接します。
 劣等感を感じながらも、ある種の憧れを感じていたエドワードは、ニコラが恋人の死に関係していたことを知り、復讐の念にかられるのです。この鬱屈した心理描写が、この作品のいちばんの読みどころだと思います。
 「犯罪」が終わった後にも、意外な展開があります。オフビートといっていいのか、こんな結末を迎えるのは、フランス作品らしいというべきでしょうか。ジャンル小説というよりは、心理小説として面白い作品です。



4150106983鉄の夢 (ハヤカワ文庫SF)
ノーマン スピンラッド 荒俣 宏
早川書房 1986-12

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ノーマン・スピンラッド『鉄の夢』(荒俣宏訳 ハヤカワ文庫SF)

 架空の小説を扱ったメタフィクションであり、改変歴史ものでもあるという、非常に凝った作りのSF小説です。
 ページを開くとすぐに、アドルフ・ヒトラー作『鉤十字の帝王 第2版』という小説が始まります。それが終わると、大学教授による『鉤十字の帝王』に対する評があり、それで作品は終わってしまいます。つまり『鉄の夢』は、ヒトラーの小説『鉤十字の帝王』とその評だけでできているのです。
 もしヒトラーがアメリカに渡り、SF作家になっていたら…という想定の作品なのですが、ヒトラーが書いた仮想のSF小説で全文を構成してしまうという、面白い試みです。しかも作中世界では『鉤十字の帝王』はヒューゴー賞を受賞していると言う設定。
 小説そのものは、ひどくB級です。核の影響によりミュータントがあふれた世界が舞台で、遺伝子を汚染されていない「純人間」フェリック・ジャガーが主人公。ジャガーは、ミュータントを絶滅し「純人間」だけの世界を作ろうとする…という話。実際のヒトラーの思想をパロディ化したような作品ですね。
 主人公がほとんど無敵で、敵の大群を次々となぎ倒すという、ご都合主義の塊なのですが、戦闘シーンの迫力はなかなかのもので、娯楽作品としては意外と悪くありません。
 小説が終わった後に、大学教授の小説に対する評文が入るのですが、ここで作中世界がどうなっているのかがわかるという仕組みです。この世界では、ソビエト連邦がほぼ全世界を支配しており、日米のみがかろうじて抵抗を続けているのです。
 ほぼ共産主義に支配された世界で、『鉤十字の帝王』がある種の人々に評価されているという、非常に皮肉が効いた状況が描かれます。作中作『鉤十字の帝王』が、いろいろと「ひどい」作品なので読み通すのが意外と大変なのですが、作品全体のコンセプトは非常に面白く、一読の価値はあるのでは。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント
「青鉛筆の女」読みました。
なかなか凝っていましたね。
真珠湾攻撃の後の日系人の話は多少聞いたことはありましたが、
その心中を代弁させている様な箇所が結構あったと感じました。
歴史好きとしても満足のいく作品でした。

本筋とは全く関係無いですが、作中の白人男性の「ジャップは女の方が男より美しい」
というセリフは何となくツボでした。まあそう見えるのかな…?

物語の中に出てくる本としては、私は「1984年」の中に出てきた本
(「例の本」と呼ばれていたと記憶しています)が印象に残っています。
統制下の社会で本というのは、何か印象が強いですね。
【2018/07/29 14:21】 URL | bear13 #- [ 編集]

>bear13さん
『青鉛筆の女』は、構成がすごく凝っているのと同時に、シリアスなテーマ性もはらんでいて、意欲的な作品だと思います。

ディストピア社会で登場する「本」は、たいてい自由や思想の象徴だったりするので、印象に残りやすいのかもしれませんね。考えたらディストピア社会が登場する作品って、たいてい未来に舞台が設定されているのに、「本」が電子媒体とかではなく、紙の形で登場することが多いのも、どこか象徴的です。
【2018/07/30 09:06】 URL | kazuou #- [ 編集]


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プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。
twitterアカウントは@kimyonasekai



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