善人による善人のための…  シャーロット・アームストロング『毒薬の小壜』
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毒薬の小壜
シャーロット・アームストロング 小笠原 豊樹
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 サスペンスには、悪役が欠かせません。主人公をピンチに陥れる悪役がいなくては、話が面白くならないからです。しかし、物語から悪役を取り除いてもサスペンスは可能なのか? そんな試みがこの作品、シャーロット・アームストロング『毒薬の小壜』(小笠原豊樹訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)です。
 詩の教師ケネス・ギブソンは、55才になるまで、女抜きの孤独で静謐な生活を送っていました。元同僚であるジェイムズ教授の葬儀に出かけたギブソン氏は、そこで教授の娘ローズマリーと出会います。三十二になるローズマリーは親類も頼れる友人もなく、困り切っていました。ギブソン氏は教授の遺稿でもないかと探しますが、めぼしいものはありません。仕事を見つけてやると請け合いますが、結果は芳しくありません。彼女を助けるために、ギブソン氏はある提案をします。

 「それから、いつも申し上げる通り、私は詩なんぞにかかずりあっています。年収は七千ドルです。こんな…ええ…統計みたいなことをお話申しあげてから、私はあなたに求婚します」

 同情の念から結婚を決意したギブソン氏でしたが、徐々に元気を取り戻したローズマリーに、改めて恋を抱くようになります。互いに愛情が生まれつつあった矢先、ギブソン氏は自動車事故で足が不自由になってしまうのです! しかも運転していたのはローズマリーでした。
 事故を聞き、見舞いにきたギブソンの妹エセルは、ギブソン夫妻と一緒に住むことになります。キャリアウーマンであるエセルは徹底したリアリスト。彼女の忌憚のない意見は、夫妻を悩ませます。ローズマリーは事故の責任を否応なしに意識させられ、ギブソン氏は、ローズマリーが不貞をしているのではないかと思い悩むようになるのです。
 ある日、ローズマリーが、化学者であるやもめの隣人ポール・タウンゼンドに抱擁されているのを見たギブソン氏はショックを受けます。しかし考え直した彼はある結論に至ります。

 考えられる反抗の道は一つしかなかった。たった一つ。彼はものすごい精神の高揚を感じた。ほんのすこしの勇気さえあれば-逃亡できる。

 足が不自由で、老い先短い自分よりも、まだ男盛りの魅力的なポールの方がローズマリーを幸せにできる。ギブソン氏は自殺を決意し、ポールの仕事場から毒薬を盗み出します。しかし、途中に乗ったバスで、毒薬の入った小壜をなくしてしまうのです!
 慌てて警察に電話するギブソン氏。事実を知ったローズマリーとポールはギブソン氏を加え、小壜の行方を追って飛び出します。その捜索の途中で出会った人々、バスの運転手、看護婦、資産家の夫人、老画家など、彼らは、ギブソン夫妻の境遇に同情し、手伝いを申し出ます。一行は小壜を見つけられるのでしょうか? そしてギブソン夫妻の結婚生活の行方は?
 まさに、善人による善人のためのサスペンス。犯罪が起こるのですが、その原因も全て善意から出たものなのです。そして、ほぼ全ての登場人物が善意の人です。小壜を探している最中に出会う人は、みな同情し手伝おうとします。まるで民話の『大きなかぶ』を思わせるストーリーです。
 善意に満ちた登場人物の中にあって、唯一、悪人と呼べるのがギブソン氏の妹エセルです。とはいっても正確に言うと現実主義者と言った方がいいでしょうか。キャリアウーマンとして一人で社会で戦ってきたエセルは、冷徹なリアリストであり、他人が認めたがらない真実を突きつけます。ギブソン氏に対しても、結婚は失敗であり、ローズマリーが若い男に惹かれるのはしょうがないと達観した意見を持っています。それがギブソン氏の自殺の決意につながって物語が動き出すわけですが、善人ばかりの登場人物の中にあって、一番魅力を感じるのもエセルのキャラクターです。善人ばかりの世界で、物語の動因を導入する要素としての最低限の悪、それがエセルに体現されているといってもいいでしょうか。
 性善説に従い人助けを好むギブソンは、世間知らずの無邪気な男とされるのに対し、エセルは世の中を知り尽くしているかのように描かれますが、結末にいたって、エセルこそ何もわかっていなかったということが示されます。現代の悪意に満ちたミステリを読み慣れた読者から見ると、現実主義者であるエセルの方こそ正常に見えてしまうのですが、それがひっくり返される結末には爽快感を覚えることでしょう。
 善人ばかりという、ある意味ありえない世界を描いているということで、限りなくファンタジーに近づいた作品です。心疲れた時にこそ読みたいハートウォーミングな逸品。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

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