あなたが見えない  柴田元幸編訳『むずかしい愛』
402257416Xむずかしい愛―現代英米愛の小説集
柴田 元幸 畔柳 和代
朝日新聞社 1999-08

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 現代英米のいっぷう変わった愛の物語を集めたアンソロジー『むずかしい愛』(柴田元幸編訳 朝日新聞社)。このアンソロジーには一つとしてまともな愛を描いたものはありません。
 ウィリアム・トレヴァー『ピアノ調律師の妻たち』盲目のピアノ調律師に恋した美貌の女性。しかし彼は容姿の劣る別の女性と結婚してしまいます。数十年後、後妻としてピアノ調律師と一緒になるという宿願を果たした女性ですが、ことあるごとに前妻の影がちらつきます。何十年も前妻のなすがままに暮らしてきたピアノ調律師は、後妻の言葉によってそれまでの人生のイメージが覆されてゆくのに困惑するのです。
 盲人は言葉として世界を知る。それならば、妻の言葉が、夫の世界のイメージを決定してしまうのではないか。前妻と後妻、それぞれによって与えられる世界像にとまどいながらも、それを受け入れるしかない男の哀愁ただよう物語です。
 ヘレン・シンプソン『完璧な花婿』結婚を前提にして何年もつきあっていた男から振られた女。女は想像上の完璧な花婿を作り上げ、彼と結婚することにします。結婚式さえも本人不在のまま代理の男を立てて、行おうとするのですが…。
 想像上の恋人が次第に実在性を持ち始める過程はスリリングです。とはいえ、ユーモアあふれるタッチで描かれた物語は、あくまで現実の範疇で進みます。悲劇的な結末になるかと思いきや、ハッピーエンドになってしまうのには唖然としてしまうでしょう。
 グレアム・スウィフト『ホテル』母親を憎んでいた神経症気味の男が主人公。彼は精神病院を退院後、地道な商売を続け、ついにホテルを手に入れます。そのホテルは人々が真に落ち着ける「セラピー滞在」を目的としたものでした。常連も増え順調だったホテルにある日、不釣り合いなカップルが現れます。化粧をした若い娘とおそらく父親と思われる男、このカップルのせいで客はホテルからいなくなり、主人公は自分の世界が揺らぎつつあるのを実感します…。
 自らの価値観に従い、心地よい世界を作り上げたはずの男、その世界の崩壊を描く作品です。
 ジョン・クロウリー『雪』資産家の妻と結婚した作家志望の男。妻は「ワスプ」と呼ばれる監視機械で自分の日常を記録します。そして妻の死後、男は生前の妻の映像を見に出かけますが、記録された映像はランダムなものであり、特定の出来事を再現することはできません。一度見た映像をもう一度見ようとしても、それは不可能に近いのです。やがて映像は劣化し始めるのですが…。
 愛する妻に再び会おうとする男に対して、妻はその全体像を現してくれない。愛の不可能性を描いた、難解な作品です。
 そして、本作品集で一番過激な愛を描いた物語としては、レベッカ・ブラウン『私たちがやったこと』があげられます。
 互いに愛し合う男と女が主人公です。二人の結びつきを緊密なものにするために、彼らはとんでもないことを実行します。

 安全のために、私たちはあなたの目をつぶして私の耳の中を焼くことに同意した。

 目の見えなくなった男と耳の聞こえなくなった女。二人は互いに足りない感覚を補うことによって、結びつきを深めることができると考えます。二人はそれぞれの感覚を失ったことを世間には隠そうと、今まで通りの振る舞いをすることに決めます。女は相手の唇を読むことを練習し、男は物にぶつからないように注意を払います。
 ピアニストである男の演奏会に連れ添った女は、聞こえないはずの演奏に対して拍手し「ブラヴォー」と叫びます。しかし男はその叫び声に違和感を感じます。

 私の声の変化が著しくなってきたというメモをあなたは書いてよこした。もはや単に声音や高低の問題ではなく、言葉をかたちづくる能力自体の問題だ、と。

 聴覚を失った女の声は徐々に抑制を欠いてきていたのです。一方画家である女は、展覧会場でターナーの絵に感嘆しますが、その感動は男には全く伝わりません。目の見えなくなった男もまた視覚的なセンスを喪失してしまうのです。

 あなたのメモはぞんざいな書き方だった。字と字が重なりあい、行は曲がりくねっていた。

 二人の間には徐々に亀裂が入り始め、とうとう悲劇が起こってしまうのですが…。
 愛を深めるために互いに感覚を捨てるという設定がまず魅力的です。さらに二人の恋人たちがそれぞれ芸術家であるということもテーマを深めるのに役立っています。互いの感覚の劣化が、それぞれにとって美的に耐えられないものになってゆきます。愛を強めるための行為が、逆に二人を引き離してしまうのです。
 本当に障害にもかかわらず恋人たちは愛を深めることができるのか?「障害を乗り越えてこそ真の愛」というお題目を皮肉ったかのような作品です。
 この作品に関わらず、本アンソロジーに収められた作品は「障害のある愛」を描いています。それもだいたい悲劇的な結末に終わるものが多いように感じられます。障害を乗り越える強い愛情という通念を、ひっくり返すかのような作品群。それは現代における恋愛小説が困難になりつつあることを示しているのかもしれません。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

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