意地悪な終末  シャーリイ・ジャクスン『日時計』
4892571164日時計
シャーリイ・ジャクスン 渡辺庸子
文遊社 2016-01-05

by G-Tools

 シャーリイ・ジャクスンの第4長編『日時計』(渡辺庸子訳 文遊社)は、ジャクスンの代表作と言える『丘の屋敷(たたり)』『ずっとお城で暮らしてる』に先立つ作品。ミステリ、SF、ホラーの要素は少しづつ持ちながらも、ジャンル小説とは微妙に異なるベクトルの作品になっています。

 舞台は、大富豪ハロラン一族の住む広大な屋敷。当主のリチャードは老衰し、息子のライオネルが死んだことにより、家の実権はリチャードの妻オリアナが握ることになります。孫娘ファンシー以外、眼中にないオリアナは、リチャードの妹ファニーやライオネルの嫁メリージェーン、司書のエセックスなど、邪魔者を早速追い出しにかかります。しかし、時を同じくして、ファニーが死んだ父親の「お告げ」を聞いたことから、考えを変えることになります。
 「お告げ」によれば、世界は滅びることになっている。ただ、屋敷にいる限りは安全が保証されるというのです。一族の人間はそれを信じ始め、崩壊後の世界で生き延びるための準備を始めます。やがて一族の計画は、オリアナの友人や、村にやってきた男などを巻き込んでいきますが…。

 世界の破滅を前にして、人間たちは何を考え、どう行動するのか? いわゆる「破滅もの」や「大災害小説」のバリエーションといえる作品なのですが、そこはジャクスン、一筋縄ではいきません。
 真面目に災害後の準備をするかと思えば、些細なことで喧嘩をしたり茶化したり。一族の人間も本気で「お告げ」を信じているのかどうかもはっきりしません。
 何しろ、登場人物たちが揃いも揃って、尋常な人間ではないのです。皆が皆、自分の欲望のみを優先し、しかもその意図を隠そうともしません。
 権力欲の強いオリアナ、虚栄心の塊であるファニー、皮肉屋のエセックスなど、大人はもちろん、幼い孫娘のファンシーさえ、平気で自分の祖母や一族を罵倒するという有様。
 そもそも、生き残るための条件は、一族の一員である必要すらなく、その破滅の時点に屋敷内にいればいいのです。結局、その破滅の存在により、人間たちが行動を改めることもなく、内面が変化することもありません。そんな大人たちを皮肉るように、孫娘ファンシーは次のように語ります。

 「だから」ファンシーはのろのろと言った。「みんなは世界のすべてが変わることを望んでいるんでしょ。そうなったら自分たちもきっと変わるだろうと思って。でも、世界が新しくなったくらいで、人間まで変われるなんて、あたしは思わない。だいたい、その世界だって、この世界以上に確かな存在ってわけじゃないし」

 愚かな人間たちが愚かなままで終わる物語。そう言ってしまうと、身も蓋もないのですが、実際、身も蓋もない物語なのです。

 ストーリー上、大きな起伏はなく、屋敷に集まったハロラン一族や使用人、客などの行動が細かく描かれていくのみです。起きるのは、大概がささいな事件といっていいのですが、読んでいて飽きさせないのは、ジャクスンのブラック・ユーモアあふれる人物描写の面白さゆえでしょうか。
 作中で、家族を皆殺しにしたという女性の逸話が登場し、この部分はすこぶる面白いのですが、それを本筋にからめることもなく、単発的に終わらしてしまうところも、ジャクスンらしいといえばジャクスンらしい。

 読後に読み取れるテーマも一つにとどまらず、読む人によって、それぞれ異なった感想が出てくるのではないでしょうか。多面性のある、実に味わいのある作品と言えます。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント
カルト宗教の信者のような。
この人は助かって欲しいと思えるような善人は一人も登場しません。方舟となるべき屋敷も、居心地悪そうです。籠城のための物品搬入も行き当たりばったりで、そんな物のために図書室の蔵書を・・・。でも、その蔵書さえ読みたいからではなく、見栄と体裁のために前当主が収集したのだから、当然の末路かも。客の娘さんの占いは、屋敷の未来を暗示しているのでしょうか?未来の当主である孫娘が不気味です。
【2016/11/06 13:33】 URL | 奈良の亀母 #- [ 編集]

>奈良の亀母さん
備えるための準備もいい加減で、破滅が来るか来ないかにかかわらず、ろくな未来にならない…という感じが強いですよね。
貴重な蔵書もどんどん焼いてしまうというのもどうかと。そもそも広大な屋敷なのだから、備品はもっと入りそうなものですが。
作中で、実際に他の「カルト」が出てきますが、このあたりも皮肉が効いてますよね。
【2016/11/06 18:22】 URL | kazuou #- [ 編集]

「日時計」を読みました
 結構面白かった…のですが、「具体的にどこが面白かったか」と聞かれると困る作品ですね。
 途中で話を膨らませたら面白そうなネタはあったのですが…私はライオネルの死因絡みで1章くらい使うものかと思いましたが、見事に放置されてしまいました。

 流石にここまで欲望丸出しの人間が揃うと色々と考えましたが、私は、「自分で自身が自己中心的だと認めている人間」は結構好きで、感情移入できる所も多かったです。
 皆さん自己中心的ではあるけど感情に流されるタイプではない、お互いの心の中には踏み込まない、またある程度互いの要求がわかっているので、一部の例外を除いては妥協が成立したんでしょうね。そういう意味では、このメンバーではファンシーが一番恐いです。個人的には、最終章で起こった事件は彼女が関わっているのではないかと考えています。
【2017/01/14 15:13】 URL | bear13 #- [ 編集]

>bear13さん
そうなんですよね。利己的な人物ばかりなんだけれど、そんなに不愉快ではない…というのも面白いところです。互いに互いがわかっていて、ある意味芝居を演じているような雰囲気があったりして。人間関係のドラマが深まらないのもそのせいなのかもしれません。
ファンシーのキャラクターが、いちばん底知れなくて、怖い…というのは同意です。
【2017/01/14 19:34】 URL | kazuou #- [ 編集]

日時計の意味するもの
登場人物たちの自己中心的な性格は変わらない、のですが、行動自体はお告げとその後の出来事を受けて明らかに変化して行っていて、個人的にはそこが読みどころでした。
典型例が、館の中での一番の権力者、オリアナで、現実主義者であったはずが、ファニーのお告げの終末論的な部分に惹かれて巻き込まれていき、最終的には金の輪っかを頭に載せて周囲に王冠だと言わせるという、裸の王様みたいなことになって行くのが興味深いです。しかも、理性を失ったのかというとそうでもないんですよね。
このオリアナの変化を見て、更にキャプテンのような現実主義者たちが巻き込まれて行くというのも面白いです。
権威への反抗の姿勢を見せていたはずのジュリアは新しい事態に適応できずに怖がってばかりで、メリージェーンもただ空想の世界に夢中になるばかり… これらはもともとの行為が意味していたものが、露わになった結果なのか…

終末は本当に訪れたのか、物語は明確に示していないですが、根拠となる出来事はどれも科学的でなく終末との因果関係のかけらもない割に、意外とどれも終末が来る方向で統一されてはいるんですよね。グロリアが鏡で見る内容であるとか…
愚かな人々の群像劇としてなら、まるで根拠も一貫性もないたわごとに人々が踊らされる、というのでも面白くなった気はしますが、作者はそうしていなかった意図は何だろうということもちょっと思いました。
実際終末が来たら?というSF的な発想で書かれたとも、単純に登場人物は自己中であっても理性はあるので、あまりあけすけに騙されるのではつじつまが合わなかったのかとも。ただ、それなら終末は来たのかというと、日時計(タイトル!)に関してオリアナが、人は計算されたものがもたらす錯覚に簡単に騙される、と言っていたりして、それなら「一貫している」数々の出来事はミスディレクションとも取れますし・・・
単純な結末不明ではなく、いろいろ情報をばらまいた上で結末不明にする辺り、ジャクスンも意地が悪いというか・・・

ジャクスンは、この物語を厭な人間のショーケースとして企画したのか、というと、必ずしもそればかりでもない面も感じます。例えばラスト、人の死を目の前にした登場人物たちの行動には、嫌っていたはずの人に対する尊厳を尊重する行為も各人物に見られましたし。そこでもファンシーは自己中心を通しますが、まぁ子供というのはそういうものなのでは?
権力欲を感じさせるオリアナにしても、自分のフェアネスを強調するような姿勢を再三見せ、また"村民全体への施し"(上から目線ではある…)として村中参加のパーティーを企画したりしますし(それは結局感謝を誘うどころかただの乱痴気騒ぎに終わりますが…)、ミス・オグルビーのパーティ終盤の行動も、多分本人としては崇高な意図に駆られてのものでしたし・・・(これもコメディの一部になって終わりますが…)
オリアナは「尼崎殺人死体遺棄事件」の"鬼婆"ほど権力欲を暴走させる訳ではなく(もっとも、終末に向けての規則を制定し、「各々のxxの相手は自分が決める」などと言い出した辺りは唖然としましたが…)、最後の村民パーティーもアイザック・シンガーの「クラコフからやってきた紳士」の悪魔主催のパーティーほどに乱痴気を極める訳でもない。ある意味日常的な愚かさで、かわいいくらいのものだとも言える。
結局ジャクスンには人間なんてこんなもの、という感じに見えていたのではないか、というのが個人的な感想です。

タイトルであり、再三言及されていた日時計が何を象徴していたのか、というところまでは読み切れませんでしたが、感覚的には人は空疎な標語や飾りそのものの(あるいはそのような見せかけに惹かれ、惑わされる)人生を生き、己を顧みることをしない、といった辺りでしょうかね・・? 見せかけの価値すら持たない、オリアナの位置づける権威の象徴でしかない「王冠」に、ラスト、次世代を担うファンシーが執着していくのが象徴的です。愚行は引き継がれ、繰り返される……?

あと、ドーキー・アーカイヴ紹介の小冊子に、ジャクスンは女性心理の暗黒面を探求したというような書き方がされていましたが、確かにここでの男性陣はさほど強烈でもなく数も少ないですね。
リチャードはもはや繰り言を言ういわゆるボケ老人。あとは相手が聞きたいことを言う、いうなら嘘つきのエセックスと、マッチョな印象だが(単に主語が「俺」だからか?)風任せな生き方(勝手な名前をつけられるがままにしているのが象徴的。そこに女性が理想像を投影する…)のキャプテン。あまり尊敬できるタイプとは言い難いですが、キャラクターはさほど強烈ではなくてむしろ人間味がある感じで(そこそこ理性もある)、むしろ女性が(といっても、多分読者ではなく登場人物だけが)惹かれそうな人物を配置したとも取れる。
ジャクスンは女性だったので、男性の心理にまでは踏み込みづらかった面はあるかもしれませんが、とはいえ「くじ」にはジェームズ・ハリスという悪魔のような人物も出てきますし(まぁ、実在の人間というよりは象徴的な何か、正に"悪魔"といえるかも…)… ジャクスンは女性を、また男性を、どう見ていたのか、ちょっと考えてしまったりして・・

既刊の傑作群に並ぶかというとそれほどでもない気はするけれど、感想に書かれている通り、確かにいろいろな感想を誘発する、一読の価値ありの作品、でしたね…
【2017/01/15 09:06】 URL | Green #mQop/nM. [ 編集]

>Greenさん
登場人物は皆、基本的に利己的で現実的な人間が多いのにもかかわらず、なぜかお告げや終末に関しては、来るものと信じてしまう…というのが、不思議といえば不思議ですよね。

終末が本当に来たのか、というのは多分作者としてはどうでもよいのではないかと感じました。作中のセリフにもありましたが、結局、人間はみな同じ、という諦観があるのではないかと。ただ登場人物たちの「愚行」を描いていても、そこまでそれらの人物に対しての悪意が感じられないのも事実なんですよね。ジャクスンなら、もっと悪意たっぷりに描けそうなところを少し手心を加えてるんじゃないか…と感じてしまいました。

テーマが定まらない作品と見ることもできるかと思うのですが、いろいろな面からのアプローチが可能という点では、魅力のある作品ではありました。
【2017/01/15 11:41】 URL | kazuou #- [ 編集]


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怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
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