愛欲と情念  メイ・シンクレア『胸の火は消えず』

4488513026胸の火は消えず (創元推理文庫)
メイ・シンクレア 南條 竹則
東京創元社 2014-02-28

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 本邦では、怪奇小説の名作『胸の火は消えず』『希望荘』で知られる女流作家メイ・シンクレア。彼女の怪奇小説を集成した短編集が『胸の火は消えず』(南條竹則編訳 創元推理文庫)として刊行されました。
 過去にアンソロジーに収録されたものもあり、既訳の作品も多く含まれているのですが、まとめて読むことで、シンクレア作品の特色も浮かび上がってきます。
 シンクレア作品のいちばんの特徴は「生々しさ」。彼女の作品では、よく「幽霊」や「死者」が登場するのですが、その「幽霊」や「死者」がひどく生々しいのです。
 例えば、同じ怪奇小説を書いたH・R・ウェイクフィールドの作品に登場する「幽霊」が生者の世界とは断絶した禍々しいものとして描かれるのとは対照的に、シンクレア作品のそれは、生者の世界と地続きといっていいでしょう
 『形見の品』では、死んだ妻が夫に認めてもらおうと頻繁に出現しますし、『被害者』では、殺された被害者が加害者に長々と真実を話し始めます。霊が現れるとき、精神的な接触というよりは、肉体的な接触に近いのです。
 もう一つの特徴は、官能的な要素が強いこと。例えば表題作『胸の火は消えず』では、生前情欲に囚われた主人公の女性は、死後、かっての愛人とともに生前の行いを繰りかえします。また『証拠の性質』では、死んだ前妻が後妻を夫に近づけまいと、なんと夫を誘惑するのです。
 上に挙げた「肉体的な接触」とも関係してきますが、「幽霊」が生者に対し、肉体的(性的)に接触してくるという点が、シンクレア作品が生々しく感じられる一つの要因でしょう。
 その意味で、シンクレア作品において恐ろしいのは「幽霊」よりも「情念」であり「愛欲」なのです。そうした要素が強く出ているのが、巻末に収められた『希望荘』でしょう。
 新妻を失った男への同情がやがて愛情に変わり、後妻に入ることになった女性。彼が用意した屋敷の部屋はかって新妻が死んだ部屋でした。その部屋に現れたのは、前妻の霊なのか…?
 典型的な幽霊話と思わせておいて、出現したものには驚かされるはず。シンクレアらしさの出た傑作幽霊譚です。

  他に力作として『水晶の瑕』『仲介者』が挙げられます
 『水晶の瑕』は、癒しの能力を持つ女性が、友人の夫の狂気を治療したことから、自らも狂気に感染するという物語。「狂気」自体の得体の知れなさが不気味です。
 『仲介者』は、下宿に現れる子供の霊をめぐる怪奇小説です。下宿先の夫婦の精神的・性的な葛藤が不必要なほど濃厚に描かれ、しかもそれが物語自体に有機的に結びついているという、独創的かつ心理的なゴースト・ストーリーです。

 また『マハトマの物語』『ジョーンズのカルマ』は、インドの行者を語り手にした作品で、SF的なアイディア・ストーリーとしても興味深い作品です。
 『マハトマの物語』は二組の夫婦の人格入れ替わりを扱った作品。『ジョーンズのカルマ』は、人生をやり直せたら、人間は良い選択をできるのか?という道徳的テーマを含んでいます。

 『胸の火は消えず』『水晶の瑕』『仲介者』『希望荘』と、普通なら短編集に1編あればいいというぐらいの傑作がこれだけ入っているのに驚かされます。クラシックな怪奇小説好きであれば、必ず満足できる短編集でしょう。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント
買ってよかったです。
平井呈一御大の流れをくむ訳文と当時の雰囲気を体現した挿絵、美しい装丁があいまって
素晴らしい一冊でした。あの世のものなのに「生々しい」幽霊や死者。でもそれらに遭遇する生者は、「被害者」「仲介者」以外は大した罪も犯していないと思うのですが。ヴィクトリア朝の価値観では情念や愛欲は断罪の対象になるのでしょうか。ウェイクフィールドやエイクマンもそうですが、エリザベス・ボウエンとも異なる生々しさで、イギリス人作家の怪奇小説
の奥深さに感心します。南條先生ありがとうございました。
【2014/03/17 00:27】 URL | 奈良の亀母 #- [ 編集]


シンクレアの作品世界では、犯罪や殺人も大したことのないものとして描かれていますね。むしろ人間の情念そのものが罪というか…。

南條氏の訳文、もともと素晴らしく上手い人でしたが、このごろは更に磨きがかかってますね。
【2014/03/17 21:34】 URL | kazuou #- [ 編集]


ジェントル・ゴーストストーリーというよりも、気弱でコミュニケーション下手な幽霊たちという感じでした。
むしろ怖いのは生者の念の方でしょうか。
それにつけても英国怪談の奥の深さよ! ですね。
【2014/03/18 21:54】 URL | 迷跡 #- [ 編集]


メイ・シンクレアは、アンソロジーの中で結構目立つなと思っていて→短編集が出るってすごいなと思っています。
この本は読む予定ですが、「風変わり」な感じがします。
しかし、男やもめ→当然のように再婚になるという時代だったと思うんですが、これを読んだら、世の男性は再婚できなったんじゃないかしらと思うくらいです。
【2014/03/19 20:48】 URL | fontanka #- [ 編集]

>迷跡さん
現代では、幽霊とのかかわりで人間の精神的な危機がクローズアップされるタイプの怪談がありますが、その意味でメイ・シンクレアは先駆的な作家といえますね。
【2014/03/19 21:38】 URL | kazuou #- [ 編集]

>fontankaさん
この時代の作家としては、どろどろとした情念的なものが強い作風ですよね。
今読んでも十分面白い作家です。
【2014/03/19 21:40】 URL | kazuou #- [ 編集]

現代の怪談と比べると…
幽霊は苦手なので普段こういう話は読まないのですが、
さほど怖くならずに読めました。
現代の怪談の感覚で、「被害者」「仲介者」あたりは途中で
「あ、これは何人か霊に殺されるかな~」などと予想したのですが…。
復讐に縁が無い幽霊、というのは現代の怪談に馴れた
身としては新鮮でした。

ちなみに、本作を読んで、何故か中学生の頃に読んだ「雨月物語」を
思い出しました。何故でしょうね…
【2014/05/17 21:41】 URL | bear13 #- [ 編集]

>bear13さん
「情の強い」幽霊物語、といっていいんでしょうか。欧米のゴースト・ストーリーとは異質なのですが、日本人には親しく感じられるようですね。それが『雨月物語』を連想させたのかもしれません。
ある意味、古びないタイプのゴースト・ストーリーだと思います。
【2014/05/18 08:26】 URL | kazuou #- [ 編集]


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男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
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