想いびと、想われびと  ジュール・シュペルヴィエル『海の上の少女』

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海の上の少女

 今回はウルグアイ生まれのフランス詩人、ジュール・シュペルヴィエルの短編集『海の上の少女』(飯島寿秀訳 みすず書房)を紹介しましょう。かって堀口大學によって彼の作品が紹介されていたので、ご存じの方もいるかと思いますが、小説作品に関しては長らく読めない状況が続いていました。新訳として出た本書は、ファンにとってはありがたい限りです。
 まずは、表題作『海の上の少女』です! おそらくシュペルヴィエルの短編で最も有名なものでしょう。
 人知れぬ大西洋の沖合、六千メートルもの深さの海面に、道が浮かんでいます。いくつもの店が並ぶ、村といっていい広さのこの道には、たった一人の少女が住んでいました。しかし彼女には、なぜ自分がここにいるのか、そもそも自分は誰なのか、まったく記憶がありません。
 食料はいつの間にか戸棚に入っており、食べてもまたすぐに補給されます。少女は朝早く起きては、村中の店のシャッターを開けてまわります。そして日没になると何を考えるでもなく、シャッターを閉めるのです。
 少女の部屋の戸棚には一冊のアルバムがあります。その中の一枚には少女とそっくりな人物が写っていました。

 また別の写真には、女の子に両わきに水兵服を着た男と、晴れ着姿の痩せぎすの女が立っていた。男というもの女というもの、まだどちらも見たことのない少女は、この二人がいったい何者なのか、長いこと思い悩んだ。

 少女はひとり、学校に通って書き取りをしたり、誰に宛てるともなく手紙を書いて海に投げ込んだりすることを繰り返していました。ある日、はじめて船が間近にくるのをとらえた少女は「助けて」と叫びますが、水夫たちはまるで気付いてくれません。絶望した少女は自殺をしようと試みるのですが…。
 謎につぐ謎、冒頭から読者をとらえて離さない優れた設定ですが、合理的な解決を期待してはいけません。非常に幻想的な結末です。ひとの思いがどこまで力を持ちうるものなのか、切ないファンタジーとなっています。
 他には、身投げした娘が死者の世界に出会う『セーヌから来た名なし嬢』、タイトルが全てを表す「ヴァイオリンの声をした少女」、ポルターガイストを引き起こす不思議な少女の話『年頃の娘』、売れない劇作家のためにサクラとして用意された蝋人形が引き起こす悲喜劇を描いた『蝋の市民たち』、本物の羊を息子に持った未亡人の話『三匹の羊をつれた寡婦』などが面白いです。こう見てみると、少女が登場する作品が多いですね。それにしてもシュペルヴィエルの描く少女の可憐なことといったら、どうでしょう。
 そして『海の上の少女』と並んで強い印象を与える作品『また会えた妻』は、シチュエーション・コメディと見まがうばかりの魅力的な設定を持っています。
 妻とのふとした喧嘩から、家を飛び出し船に乗ったポール・シュマンは、難破して死んでしまいます。天国に来たシュマンは、下界の妻の姿を見て再会を強く望みますが、天国の役人は条件を出します。それは、人間の姿では無理だが、動物としてなら可能だ、というものでした。妻の好きだったフォックス・テリアの姿になったシュマンは、うまく妻の家に住み着くことに成功します。しかしあくまでペットとしてしか扱ってもらえないシュマンは複雑な思いを抱きます。そこへ妻の恋人としてあらわれた男、彼はよりにもよって醜い中年の肉屋でした。シュマンは強烈な嫉妬の念に駆られるのですが…。
 三角関係をめぐる物語に、突飛な設定を導入したファンタジーです。設定からも予想されるように、悲劇的な結末が待ちかまえているのですが、単に悲劇で終わるのではなく、そこはかとないユーモアが感じられるところが素晴らしいです。
 シュペルヴィエルの短編は、幻想味を帯びた、ごく短い作品が多数を占めています。非常に突飛なイメージを持ちながらも、叙情性が感じられるものになっているところが特徴です。ことに登場人物に対する視点に、大らかなやさしさが感じられます。それでいて甘さべったりの感傷性とはまた異なるのです。日本人にとっては、馴染みやすい感性の作家ではないでしょうか。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント
シュペルヴィエルといえば
創元推理文庫で最近出たハミルトン短編集『眠れる人の島』の表題作を少女の視点から描いたらかくあろうというようなストーリィですね。もっともフランスの詩人とアメリカの”ワールド・デストロイヤー”とでは結末の処理がまるで違うのでしょうが。
シュペルヴィエルといえば昔ハヤカワ文庫で読んだ気がしたので検索してみたら、おそらく『ノアの箱船』ですね。内容はすっかり忘れてしまいましたがカバーイラストはしっかり覚えています。
【2006/03/16 12:42】 URL | 迷跡 #- [ 編集]

TBどうも!
「また会えた妻」は、面白そうですね。
まだ読んだことのない作品がいくつか入っているようなので、こちらも是非読んでみたいと思います
【2006/03/16 16:59】 URL | ntmym #- [ 編集]


>迷跡さん
そうそう、ハミルトン『眠れる人の島』を読んでて僕もシュペルヴィエルを思い浮かべました。たしかにアイディアは同じですが、おそらく発想元が180度違うのだろうと思います。
ハヤカワ文庫NVの『ノアの方舟』は、訳者が詩人だけあって、訳もこなれていて読みやい本でした。たぶん「ノアの方舟」だと思いますが、やけにリアルなタッチで描かれた表紙も印象に残ってます。

>ntmymさん
シュペルヴィエルの小説作品はファンタスティックなので、どれを読んでも気に入ると思いますよ。長編でも、子供をさらってきて育てる夫婦の話『ひとさらい』とか、次々と魂が他の体に乗り移る青年の話『日曜日の青年』とか、面白いのが目白押しです。
【2006/03/16 17:20】 URL | kazuou #- [ 編集]


こんにちは。初めてここに書き込みます。
フランスの詩人、シュペルヴィエル。
良い作家ですよね。興味深いお話を有難うございました。

ところで、
今、シュペルヴィエルの長編、「日曜日の青年」の
購入を迷っています。

それで、もしご都合がよろしければ、
この作品のちょっとした説明と、適切な評価を
教えて下さればと思います。

他に気になる点として、以下の事柄があります。

・不道徳な描写はないか(無いほうが良)
・文学的価値はあるか
・話のテーマは何か、何を伝えたいのか


宜しくお願いします。

【2009/11/29 14:11】 URL | みれん #gX8OzRaA [ 編集]

>みれんさん
はじめまして。

おたずねの『日曜日の青年』のことですが、正直なことをいいますと、読んだのは随分前なので、詳細は大分忘れてしまいました。
うろ覚えの印象でよければ、少し書かせていただきます。
筋らしい筋はなく、人妻に恋をした青年がいろいろな生き物の体に乗り移ってしまう、というような幻想小説です。
たしか女性の体に潜り込む、みたいな描写があったので、その意味では多少「不道徳な描写」があるかもしれません。ただ、もともとシュペルヴィエルには、性に対するある種の大らかさがありますし、詩的な表現になっているので、そんなに気にするほどではないかと思います。
あと「文学的価値」や「テーマ」に関して。一般論になってしまいますが、小説の「文学的価値」や「テーマ」は、読む人によって千差万別ですから、具体的に断定することは難しいですね。個人的には大好きな作品ですし、その意味では「文学的価値」はある、と思います。
『海の上の少女』や『ノアの方舟』など、シュペルヴィエルの短篇が気に入った方なら、味わいはそれらに近いものなので、あくまで個人的な感想になりますが、購入してもいいかと思いますよ。
【2009/11/29 17:59】 URL | kazuou #- [ 編集]


突然の質問に丁寧に答えて頂き、有難うございます。
不道徳、というのは生々しい性描写の事ですので、お話によれば問題はなさそうですね。安心しました。

シュペルヴィエルの作品、そして日曜日の青年という題名から、大いに関心を持っていたので、このように答えて頂いて、とても助かりました。
近いうちに購入して読んでみたいと思います。
有難うございました。
【2009/11/30 09:18】 URL | みれん #gX8OzRaA [ 編集]


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HP更新

HPのメモを更新。今回はシュペルヴイエルの「海の上の少女」の訳を3つ並べています。ひとつは、「海の上の少女」(網島寿秀訳)。もうひとつは、「沖の小娘」(堀口大学訳)。3つめは、「海に住む少女」(永田千奈訳)。タイトルはばらばらだけれど、みんなおなじ話。絵 一冊たちブログ【2007/04/20 00:31】

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kazuou

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
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