宇宙をやりなおしてでも  うえお久光『紫色のクオリア』
404867904X紫色のクオリア (電撃文庫)
アスキーメディアワークス 2009-07-10

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 最近のライトノベルは、一般の小説作品と比べても、遜色のないものが多くなってきている…。そんな気はしていましたが、ここまで来ると、立派なSF作品と呼んでいいのではないでしょうか。
 うえお久光『紫色のクオリア』(電撃文庫)は、一見、何気ない学園ドラマから始まりながら、あれよという間に壮大なスケールへと舞台を広げていきます。そのイメージの飛躍はまさに驚異的。
 語り手の少女、波濤マナブの親友である毬井ゆかりには、ある特殊な能力がありました。彼女の眼には、あらゆる人間がロボットに見えるというのです。ただ、自分の姿を除いて。
 ゆかりは、美しい外見にもかかわらず、周りの人間たちに対してコンプレックスと疎外感を抱いていました。またそれゆえ、人一倍周りの人間たちに対して、愛情を抱いてもいたのです。そんなゆかりに愛しさを感じるマナブでしたが、ある事件をきっかけにして、二人の人生は大きく変化していきます。
 ゆかりには人間が全てロボットに見える。それはまた、その人間の能力や性質が、具体的なイメージとなって、眼に見えるということでもありました。その能力ゆえに、警察からも一目置かれる存在になっていたのです。
 連続殺人の犯人を写真から指摘したゆかりでしたが、それが原因で、マナブは殺人鬼に誘拐されてしまいます…。
 上に紹介したあらすじは、第一章『毬井についてのエトセトラ』についてのもの。ここまででも、それなりに魅力的な物語ではあるのですが、この作品が本当に傑作になるのは、次章の『1/1,000,000,000のキス』からです。
 誘拐事件をきっかけにして、ある特殊な能力を手に入れた波濤マナブは、ゆかりの危機を救うために、能力を駆使していきます。その過程を通じて、マナブは神にも等しい超越的な存在になっていくのです。しかし、その超越的な力をもってしても、ゆかりの運命を救うことはできません…。
 これ以上、具体的な詳細を書くと、未読の方の興味を削いでしまうので書きませんが、パラレルワールドを利用したネタとだけ言っておきましょう。
 神にも等しい能力を手に入れたマナブの唯一の「誤算」とは? 変わり過ぎてしまったマナブに対して、ゆかりが放った言葉とは?
 親友を救うために、世界、そして宇宙、時空までもを犠牲にしてしまうという、壮大なスケールの物語。たった一人の友のために、全てをなげうつ愚かしさと、そして愛しさ。
 ライトノベルの枠を超えた大傑作。近年稀に見る日本SFの収穫といっていいのではないでしょうか。
この記事に対するコメント
読了!
読み始めて先ず思ったのが… ライトノベルって、みんなこんな感じ? …と。 普通に小説じゃないか…
昔ちょっと読んだ新井素子の作品のような、フレーズのぶつ切り感はちょっと気になるものの、あとはさほど気にならなかったです。
それにしても、これが読めるなら普通の小説だって読めるような気がするのは私だけでしょうかね…?(あまりライトという気もしない…もちろんへヴィではまったくないですが)
…といって、これからじゃんじゃんラノベを読むぞ!という気にまではなりませんでしたが。。

個人的に魅力的に感じたのが、並行世界の「私」たちが同時に蠢きあい、ざわめいているかのようなイメージ。よく考えてみると、実際には個々の通話と個々人の動きがあるだけで、そんな光景は存在しないのですけれども…何だかそんなイメージの湧く筆致でした。
あと、左腕の事件のぼかした記述(と推測される事態)もホラーファンとしては結構魅力的でした(笑)
先日読んだマーティン『洋梨型の男』の某短編を想起させる展開もありましたが、整合性を置き去りにしてでも(「理由や過程はどうでもいい」)驀進していく思考実験(というより、もはや妄想?)の展開もなかなかでしたね。

全体的には、あぁ、これは日本のSFだという印象でした。
世界観が延々と語られるあたりとか…
科学のパラドックスを、世界を緻密に構築するのに使うというより、人間臭い妄想?を展開(でもその大展開ぶりが魅力的でもありますね)させるネタとして使っているあたりも… 
その意味では、これは完全に幻想小説という気もするし、でも科学のネタをベースにして初めて生まれる妄想という点ではやっぱりSFなのだという気もしました。

ラノベファンにはなれそうもなかった点は、表紙と仲の挿絵ですかね(笑)。ファンなら萌える、のでしょうが… 個人的には別に絵自体は嫌いではないけれど、この手の挿絵があると、なんか電車の中で開きにくかったです(笑)
【2010/03/07 04:02】 URL | Green #- [ 編集]

そんなに差はないですよ
ひとむかし前はともかく、今現在のライトノベルって、文章的には、そんなに普通のものと変わらないと思いますよ。それを言ったら、新井素子の方がよっぽどライトノベル文体だし。ライトノベルとして出なかったら、ふつうのSF作品として評価されたんじゃないでしょうか。

「日本のSF」だと思った、というのは確かにそうですね。基本的に日本作家の作品って、世界というより、個人が中心の物語になりがちで、その意味で「人間臭い」といっていいのかもしれません。個人的には、こういうタイプの作品は好きです。

表紙と挿絵のイラストは…、まあ、ライトノベルにはこれがつきものなので、しょうがないかなと。たしか以前、実験的に挿絵のないライトノベルというのがありましたが、あんまり売れ行きはよくなかったそうで。
【2010/03/07 08:12】 URL | kazuou #- [ 編集]


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男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主催。
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