鋼鉄の肉体  埋もれた短編発掘その11
 思いこみというのは、どこまで人間を変えるものなのでしょうか? 燃える炭の上を火傷せず歩く行者のように、思い込みによる精神力は、ときに常識を越えた力を発揮します。しかし、この物語の主人公は、少し行き過ぎてしまったのです…。今回紹介するのは、エアンド・ビンダーの『アイアン・マン』(島田三蔵訳 早川書房 ミステリマガジン1979年4月号所収)です。
 ロボット工場に勤める、小柄でやせた男チャーリー・ベッカーは、ある日奇妙なことを言い出します。油をさしてもらってくるというのです。同僚は驚きます。ベッカーは冗談をいうような男ではなかったからです。給油係のピート・オズグッドのもとにやって来たベッカーは同じ言葉を繰り返します。機嫌の悪いオズグッドは、ベッカーの肩に油をたっぷりと浴びせかけます。しかし、ベッカーの反応は驚くべきものでした。

 「どうもありがとうございました」といって、ベッカーは腕をぐるぐるとまわしてみせた。「肩の関節はもう、ちゃんと動きます」

 家に帰ったベッカーは、自分はロボットのX八十八号であると名乗り、相変わらず同じ行為を続けます。冗談だと思っていた妻のローラでしたが、夫が油の罎を飲み干すに至って、事態の異常さに気付きます。ローラは夫を精神科医ジョン・グレイディのもとに連れてゆきます。
 グレイディがローラから聞き出した話によれば、ベッカーは九年間、ロボットの言語中枢を調整する仕事を担当していたということでした。装置が反応しない欠陥ロボットを処理するのに罪悪感を覚えたベッカーが、罪の意識からロボットになりきっているのだと考えたグレイディは、ベッカーの幻想を打ち砕くべく、様々な手段を試みます。まずグレイディは、論理的にベッカーは人間だと説得を試みますが、効果はありません。
 そこで、グレイディは、ロボットならその金庫を持ち上げられるはずだと、そばにある金庫を指し示します。それは大男三人がかりでも動かせないような、重いものでした。

 グレイディは、ベッカーがかがんで、短い脚のついた金庫の下のほうの手がかりに手をいれるのを、息をつめて見つめていた。人間ロボットはパイプの柄のような腕とか弱い背筋で、懸命に、金庫の一角を床から持ちあげた。

 驚いたグレイディでしたが、間髪を入れず次の試みにとりかかります。ロボットなら、この十階の窓から飛び降りても、膝関節のバネで損傷せずに着地できるだろう、とけしかけますが、ベッカーは平然とした顔をして窓を開けます。グレイディは、あわてて命令を撤回します。グレイディは、ひとまず治療をうち切り、時間をかけてベッカーを治してゆくことにしますが、ふと重大なことに気付くのです。ベッカーは、人間の食物を有害だとして、食事をとっていなかったのです!

 急いで、ベッカーをロボット幻想からひきずりださなければならない。時間はなかった。チャールズ・ベッカーはすでに四十八時間、飲食物をとっていないのだ。

 ベッカーが餓死する前に、グレイディは、彼の幻想を壊すことができるのでしょうか? この後さらにグレイディは、思いもよらぬ手段を繰り出すのですが、それは予期せぬ結末をもたらすことになるのです。
 自分をロボットだと思いこんだ男ベッカーを治療しようと、精神科医グレイディが次々と試みる手段がことごとく失敗してゆく過程は、実にサスペンスフルです。ベッカーの幻想は、常にグレイディの予想を上回るのです。人間の思い込みはどこまで肉体上の変化をもたらすのか、興味深い症例となるでしょう。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

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怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
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