切り取られた物語  リン・ディン『血液と石鹸』
4152089571血液と石鹸 (ハヤカワepiブック・プラネット)
柴田元幸
早川書房 2008-09-26

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 かって、アルゼンチンの作家ボルヘスが編んだいくつかのアンソロジーがあります。例えば『夢の本』『幻獣辞典』『天国・地獄百科』など。それらのアンソロジーに共通するのは、収録されているのが、それぞれ作品の一部の文章だということです。短編を最初から最後まで収録するのではなく、テーマに沿ったエッセンスを含んだ一部の文章のみを収録する…。わが国の澁澤龍彦も同じような試みをしていますね。
 このタイプのアンソロジーを初めて読んだとき、驚きかつ困惑しました。これじゃ「ストーリー」がまるでわからない! しかし読み進むうちに、これはこれで面白いんじゃないか、と考えを改めました。一部の抜粋から、全体のストーリーを想像するのもよし。また抜粋だけでも完結した「物語」を持つものもありました。結局、小説を楽しむには、起承転結のある「ストーリー」がなければいけないというわけでもないのです。
 そんなことを思い出したのも、このリン・ディン『血液と石鹸』(柴田元幸訳 早川書房)を読んだからです。ベトナム系のこのアメリカ作家の描く作品は、ボルヘスのアンソロジーを彷佛とさせる味わいがあります。極度に短い作品の中で、完結されたストーリーが展開されることはまれです。ポンと投げ出されたかのような骨組みだけの作品、もしくは骨組みさえない作品が多いのですが、何ともいえない魅力があるのです。
 全く知らない言語の辞書を与えられた囚人が、その辞書をもとに自分だけのひとつの世界を作り上げてしまうという、ボルヘス的な短編『囚人と辞書』、架空の英語体系を作ってしまった奇妙な教師の話『“!”』、金持ちと貧乏な友人の寓話『$』など、わりとオーソドックスなつくりの作品もあります。
 もちろんこれらの作品もユニークで素晴らしいのですが、より印象に残るのは、物語の断片をつなぎ合わせたかのような『八つのプロット』『一文物語集』のような作品です。例えば『一文物語集』から少し引用してみましょう。

 大衆が映画スター、スポーツ選手、政治家、革命家、大量殺人犯、詩人に魅了されるのを無視して、丹念なリサーチに基づいて詳細な注を施し図版も盛り込んだ。バスの運転手やレジ係や美容師や文書整理係や配管工や屋根職人の伝記を彼は書いた。

 そのお似合いの夫婦は結婚後五年経ってもまだ子供がなく、いまでは二段ベッドを使って夫は上に妻は下に寝ているが、時折場所を取り替えはする。

 彼女は突然、夫の誕生日も、子どもたちの名前も、夫の顔も、夫を裏切ったことがあるかどうかも、そもそも自分が結婚しているかどうかも思い出せなくなった。

 どれも短い文章ですが、そこから読者がストーリーを想像できるだけの「膨らみ」を持っています。逆にこれを短編の形で描いたのなら、それほどユニークには思えなかったのかもしれません。 
 小説の形式としては多少「前衛的」ではあるのですが、「物語」のエッセンスを考える、という意味では、とても刺激的な作品集になっています。「ふつうの」小説に飽きた方に読んでいただきたい短編集です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

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