夢見る家と夢見られる人  内田善美『星の時計のLiddell』
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 現在でも「漫画は芸術なのか?」という問題が、取沙汰されることがありますが、この作品に限っては、無条件で「芸術」だと言い切ってしまってもいいのではないでしょうか。
 詳細に描き込まれた美麗な絵柄、哲学的なテーマ、そして幻想的、詩的な物語。内田善美『星の時計のLiddell』(集英社)は、漫画作品の一つの極致を示すものといっていいでしょう。

 青年ヒューは、長い間、同じ夢を見ていました。そこはいつも必ず同じ場所、ヴィクトリアン・ハウスの屋根裏部屋なのです。そしてその家で、彼は美しい少女と出会います。少女の名は「リデル」。彼女は、彼のことをなぜか「幽霊さん」と呼びます。
 行ったことのないはずの家を、なぜこうも繰り返し夢に見るのだろうか? 裕福な友人ウラジーミルの助けを借り、二人は夢の中の家を探すために、旅に出ますが…。

 ヒューが主人公ではあるのですが、全体を通して、物語は友人ウラジーミルの視点から語られます。屈託がなく、天真爛漫なヒューに対して、ウラジーミルは故国を失い、どこにも自分の故郷がないと感じている青年です。このウラジーミルを語り手にすることによって、ヒューの体験する「夢」にも、客観的な距離感が置かれており、絶妙なリアリティを出しています。
 上に記したあらすじで「旅に出る」と書きましたが、物語がそこまで来るのに、ほぼ全体の3分の2が費やされています。このことからもわかるように、あまり展開に動きのある作品ではありません。ヒューの「夢」に対する、人々の解釈や、周りの人々の微妙な心の揺れ動きの描写などが、大部分を占めています。
 物語の基本的なアイディアは、作品内で言及される、荘子の「胡蝶の夢」と同じものです。ちなみに、「胡蝶の夢」は、荘子が蝶になった夢を見て、自分は蝶になった夢を見た人間なのか、それとも人間になった夢を見た蝶なのか自問する、という寓話です。つまりヒューが「家」や「少女」を夢見ているのか、それとも逆なのか、ということです。

 じつは、この『星の時計のLiddell』そっくりの小説があります。それは、アンドレ・モーロワ『夢の家』(矢野浩三郎訳 各務三郎『世界ショートショート傑作選1』講談社文庫収録)という作品です。
 ある家を繰り返し夢に見ていた女性が、あるとき夢と同じ家を見つけて訪ねる、という話。とくに明記されているわけではないのですが、『星の時計のLiddell』は、この作品からインスピレーションを得たのではないかと、個人的には考えています。もちろん二つの作品はまったくの別物、というかモーロワ作品の方は、ちょっとしたショート・ショート作品であって、この掌編から、あの雄大な物語を作り出したとするならば、やはり作者は天才と言わざるを得ません。

 物語後半、ついにヒューとウラジーミルは「夢の家」を発見します。「夢」の少女の正体とは? ヒューと少女は会うことができるのでしょうか? そして、それまで「傍観者」として事態を見てきたウラジーミルもまた、自分が「傍観者」などではなく、壮大な「物語」の一部であったことを悟るのです。
 結末自体は、はっきりと示されるわけではなく、解釈に迷うところもあるのですが、それも含めて、余韻をたたえた素晴らしいものです。おそらく再読、三読したときに、その素晴らしさがわかる作品でしょう。
 作者の内田善美は、完璧主義といっていいほど、手抜きのない美しい絵で知られた漫画家ですが、現在ではすべての作品が絶版になっています。作者自身が、自分の作品の再版を拒否しているとのことです。そのため、新刊で手に入れることはできないのですが、この作品だけでも、ぜひ再版していただきたいですね。
この記事に対するコメント
文学するマンガ
こんにちは。
10年程前、別冊宝島『このマンガがすごい!』に、“文学するマンガ”として「星の時計のLiddell」が紹介されていました。
細密画のような絵のスゴサは他を圧倒する、と書かれていて、どんな凄い漫画なんだろうと思っていました。

そうですか、「夢の家」を下敷きにしているのですか。
それはぜひとも読んでみたいですね。再版は絶望的なのかしら。
【2008/07/14 14:11】 URL | タツナミソウ #- [ 編集]

>タツナミソウさん
内田善美は、画力ももの凄いのですが、感性が並外れて素晴らしいと思います。ところどころのセリフが、まるで詩のようですから。
『夢の家』がほんとうに原案かどうかは定かではないのですが、話の膨らませ方といい、奥深いテーマといい、傑作であることは確かですね。
これほどのレベルの作品を描いていたら、やっぱり量産はできなかったんでしょうね。

作者自身が行方知れずだという噂もあるようなので、再版は難しいかもしれません。
【2008/07/14 20:05】 URL | kazuou #- [ 編集]


『ポーの一族』、『童夢』、そしてこの『星の時計のliddell』を読んだ時の衝撃は何十年たった
今でも私に鮮烈な印象を残しています。

テーマはシルヴァスタインの『僕をさがしに』と同じだと思うのですが、その肉付けの表現、物語性が
とても深く、登場人物たちのそれぞれのセリフまでもが緻密に計算されていて、もの凄くいい小説を
読んだのと同じような深い感動を覚えます。(でも漫画でなければこれはムリだったでしょう)
ラストの冒頭に回帰するような静謐な透明感もいいですよね。


漫画ではないのですが、『ソムニウム夜間飛行記』もお薦めです。
ちょっと奇妙、ちょっと不思議と微妙にズラされた世界のショート・ショートです。
漫画以上に古書価がついていますが、どこかの図書館で貸出可能という話も・・・。

【2008/07/14 23:33】 URL | shen #SgmGMb7Y [ 編集]

>shenさん
これは、漫画史上最高の作品のひとつでしょうね。ほとんど「文学」といってもいいような作品だと思います。

内田善美の作品は、今ではすごく手に入れづらくなってしまって、僕も読んだのは『星の時計のliddell』以外は、『草迷宮・草空間』ぐらいです。『ソムニウム夜間飛行記』はぜひ読んでみたいです。でもこの本って、内田善美の本のなかでもさらに手に入れづらい部類ですよね…。
【2008/07/15 20:19】 URL | kazuou #- [ 編集]

はじめまして
はじめまして、めとろんと申します。

僕も「星の時計のLiddell」大好きでした!内田善美さん、ぜひ復活して頂きたいですよね。「草迷宮・草空間」は少女の人形が可愛らしくてまだとっつき易く思えます。「星の…」は「読む絵画」といいますか、その圧倒的な美しさに浸る以外にない孤高な存在でした。
考えてみれば、一見フツーの少女マンガだった「空の色ににている」からして、単なる恋愛ではなく、己の存在そのものに関わる「運命的」つながりとして「他者」と出会う人間たちを描いていましたね。
今こそ、再評価されるべき方だと思います。
これからも、来させて頂きます!
【2008/08/07 18:22】 URL | めとろん #nzfQoPME [ 編集]

>めとろんさん
はじめまして、めとろんさん。コメントありがとうございます。
じつは、ちょくちょく、めとろんさんのブログを拝見させていただいておりました。映像作品に関しては、とても参考にさせていただいています。こちらこそ、よろしくお願いしますね。

内田善美作品は、ほんとうに素晴らしいですよね!
「草迷宮・草空間」も大好きな作品です。ためいきが出るような美しさで、何度も読み返しています。漫画作品ながら、しっかりとした「哲学」があるところがまた素晴らしいと思います。
じつは、これと「Liddell」以外の内田作品は、まだ読んだことがないんですよね。めとろんさんは、他の作品もお読みなんですね。うらやましいです。
いずれ、他の作品も探して読んでみたいと思います。
【2008/08/07 19:52】 URL | kazuou #- [ 編集]


漫画を超えた漫画、
漫画が芸術になった。
自分がその同じ時をすごせた幸せを感じさせるさくひんですね。
この作品を多くの人に、海外の人にも読んでもらいたいな、、。
【2008/08/10 22:06】 URL | hitosi #mQop/nM. [ 編集]

>hitosiさん
言葉にならない美しさ、これはもう読んでくださいというしかないですよね。
【2008/08/11 20:38】 URL | kazuou #- [ 編集]

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【2011/08/01 23:51】 | # [ 編集]


はじめて、コメントします。
内田善美は私も大好きです。
出会ったのは中学生で、頭を殴られたような衝撃を受けた記憶があります。始めは「ねこ」のかわいらしさに魅かれたのですが、そこにある「いのち」の意味の多様さに、まだ子供だった私は悩みながらも繰り返し読んでいました。ちなみに、「ねこ」のおかげでそれまであった人形への恐怖がなくなりました。そして、ヒューとウラジーミルとリドル。彼らはこのふつうな日常にあるのに、どうしてあんなに透明な琥珀いろの話になるのでしょう。その空間に入りたくて、彼らのセリフを繰り返して読み、暗記までしたほどです。もちろん他の話も好きです。私が中学生のころは、まだふつうに内田さんのコミックは売っていたんですよね。
あのときに戻って、コミックを全て集めたいです。
【2011/10/04 00:38】 URL | たつき #- [ 編集]

>たつきさん
たつきさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

内田善美作品、僕は出会ったのが遅かったのですよね。すでに作家活動を休止されていたので、結局読んでいるのは、この『星の時計のLiddell』と『草迷宮・草空間』だけ。だけどどちらも大好きな作品です。
マンガというより、本当に上質な小説を読んでいるような味わい。読んでいる間、至福の時間を過ごせました。他の作品も手に入れる機会があれば、ぜひ読んでいきたいです。
【2011/10/04 22:09】 URL | kazuou #- [ 編集]


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男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
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