こころの裁判  スタンリイ・エリン『鏡よ、鏡』
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鏡よ、鏡
スタンリイ・エリン 稲葉 明雄
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 先日の記事で、スタンリイ・エリンの長編はわりとストレートなものが多いと書いたのですが、ひとつ例外があります。それが『鏡よ、鏡』(稲葉明雄訳 ハヤカワミステリ文庫)です。精神分析的なテーマを扱ったサスペンスといえる作品ですが、その書き方が、じつに異様なのです。
 全編が主人公の独白で語られ、しかも過去や現在の出来事が入り乱れています。過去の回想が唐突に挟まれたりと、物語の時系列がバラバラになっているのです。主人公たちが今どこで何をしているのか?ということさえ、序盤では非常につかみにくいでしょう。
 あらすじを要約するのも難しいのですが、とりあえず、紹介してみましょう。
 妻ジョーンと離婚した主人公ピーターは、ある日、自宅の浴室で見知らぬ女が射殺されているのを見つけます。女は誰で、ピーターとどんな関係があったのか? なぜ彼女は殺されたのか?という謎を追って行く、というのが、大まかなアウトライン。
 その後、ピーターは、精神分析医エルンスト博士に精神分析をされていたかと思うと、どことも知れぬ場所で陪審員を前に、裁判を受けることになります。しかも、陪審員たちは、エルンスト博士をはじめ、元妻ジョーン、ジョーンと再婚した弁護士アーウィン・ゴールド、ピーターとジョーンそれぞれの父母や姉など、関係者ばかりなのです。ピーターは実際に殺人を犯したのでしょうか? そしてその理由とは…?
 唐突に動く場所と時間、つじつまの合わない物語展開、そしてどうやら記憶が曖昧になっているらしい「信頼できない語り手」。まさに霧の中を進んでいくような作品ですが、サスペンスは途切れません。それは、物語自体のサスペンスというよりは、主人公ピーターの人間性を探ってゆくサスペンスといえるでしょう。
 ピーターの子供時代から、両親や姉との関係、そして長じてからは、妻や息子との歪んだ関係が徐々に明らかにされていきます。ピーターは、男らしくハンサムで、冷静な男性として登場しますが、その奥には、子供時代に端を発する、病んだ神経が潜んでいることが、わかってくるのです。
 後半、ピーターに対する裁判は、殺人に対する糾弾ではなく、ピーターの人間性に対する糾弾となっていきます。いったい誰が誰を裁いているのか? 最後の最後まで、物語は予断を許しません。そして最後に明かされる驚くべき事実とは…?
 この作品、主人公の性的な側面がかなりクローズアップされており、その点、あまり愉快な作品とはいいにくいのですが、大胆な手法といい、驚くべき結末といい、傑作の名に値する作品であるといってもいいかと思います。万人に勧められるような作品ではありませんが、変わったサスペンスを読みたい人はぜひ。ただ、最後まで読まないと、作品の構成がわからないので、序盤がわからないからといって、投げ出さずに読むことをお勧めしておきます。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント

これ結構苦手です。(「闇に踊れ」多少これと同じ系統かもしれません。もっとストレートですが)、エリンの長編はたしかにストレートなので、読みやすいんですが、これは、本当の最後の最後まで読まないと(途中で何度くじけそうになったか)、「げ!こうきたのか」と思わせる作品なんで、「すごい。。。でも、でも、好きじゃないなぁ」(誉めてるつもり)
でした。
技巧をこらした作品だと思います。
kazuouさんの解説を読んで「ラストの衝撃」しか印象ににのこっていないことに気が付きました。
【2007/09/26 14:55】 URL | fontanka #- [ 編集]

傑作だけど…
すごい作品だと思うんですけど、やっぱり後味が悪いのは否定できないですね。
正直、後半になるまでは、読み進むのがつらかったです。だけど、読み終えたら、なるほど!と膝を打ちました。
これ、発表当時は、類似作品がたぶんほとんどなかったじゃないかと思います。今では、わりと似た作品が思い浮かびますけど。具体的な作品名を挙げると、ネタばれになってしまいかねないですし。

たしか単行本初版は、結末部分が袋とじになってたんですよね。「ラストの衝撃」は確かにそれだけのインパクトがあるかも。
【2007/09/26 18:55】 URL | kazuou #- [ 編集]


個人的にエリンの魅力のひとつに「普通の人が誰しも持ってる心の闇を暴き出す」というのがあると思っているのですが、この作品はそれを大真面目にとことん追求した上に導き出した最終形態じゃないかな、と思います。あの結末にたどり着くまでの展開も、エリン的にはああでなければならなかったのでは……などと勝手な妄想などもしたりして。
ベストワンには決してならないけれど、ふっと突然圏内に食い込んでしまうような、なんとも忘れがたき作品じゃないでしょうか。
【2007/09/26 20:06】 URL | げし #ItxbjV56 [ 編集]

普通の人
げしさんのおっしゃる通り、エリンの作品で描かれるのは、強烈な個性を持った人間というよりは「普通の人」なんですよね。『鏡よ、鏡』の主人公にしても、多少すぐれた資質があるにせよ、基本的には「普通の人」です。
発端に殺人があり、その容疑者とされている主人公が裁かれるのは当然、と読者は考えてしまいがちですが、考えたら、この主人公それほど大それたことをしてきたわけではないんですよね(最終的には殺人に至ってしまいますが)。
「弱さ」を認められなかった主人公は、結局「自分」で「自分」を裁いたことになるのでしょうか。そう考えると、あの特異な構成も必然的なものだったように思えてきます。

読み終わった後で、作品について考えるたびに、評価が上がるようなタイプの作品ですね。
【2007/09/26 20:37】 URL | kazuou #- [ 編集]


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