懐疑時代の冒険小説  サミュエル・シェラバージャー『虚栄の神』
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 バロネス・オルツィ『紅はこべ』や、アンソニー・ホープ『ゼンダ城の虜』など、古いタイプの冒険小説では、たいてい主人公は「騎士道」を信奉する若い青年です。それらの作品においては、主人公の価値感がしっかりしており、行動基準に「ぶれがない」ことが常です。しかし、その点で、今回紹介する作品、サミュエル・シェラバージャー『虚栄の神』(西村考次訳 創元推理文庫)の主人公は異色です。
 舞台は18世紀のヴェネチア、貴族の私生児リチャードは、演劇の道を志していました。リチャードは、舞踏会で知り合った可憐な女性マリツァと恋に落ちます。しかし、彼を憎む青年期族サグレードは、ことあるごとにリチャードを迫害します。リチャードは、舞踏会の余興である芝居の中で、サグレードをこけにするための策略を考えます。計画は見事成功しますが、それがもとになり、リチャードは世界をまたにかける冒険行に出ることを余儀なくされます…。
 この作品の面白いところは、主人公リチャードに、確乎とした「信念」や「価値感」がないところでしょう。「正義」のために戦う、というような一貫した行動基準がリチャードにはないのです。それゆえ、主人公は、周りの情勢に翻弄され、いろいろな職業を転々とします。俳優、劇作家、貴族、軍人、スパイ、とその種類はさまざまですが、彼は何をやっても、本当の自分はここにはいない、と感じているのです。いま、貴族を職業のように書きましたが、まさに彼にとっては、貴族と言う身分も、役柄の一つでしかありません。
 主人公が「一徹な」正義の味方ではなく、アイデンティティに悩む青年、という意味では、現代の読者にとっては、感情移入しやすい作品ではないでしょうか。
 さて、肝心の物語の方は、イタリアをはじめとして、イギリス、フランス、はてはアメリカ大陸までと、舞台が非常に幅広く動くのですが、そのわりには盛り上がりません。というのも、剣戟やアクションシーンがほとんどないため、いまいち刺激に欠けるのです。前半で、敵役の青年と戦うシーンがあるのですが、これも見せ場に欠ける感じです。しかもこの敵役、前半で消えてしまい、後半は全く出てこないのです。全編を通して登場人物のからみが薄いため、物語の躍動感に欠けるのは致命的。それでも、主人公の職業遍歴の部分などで、もっと書込みがなされていれば、面白くなったろうと思うのですが、それもかなり薄味です。
 ちなみに、この『虚栄の神』を読んでいて思い出したのは、ラファエル・サバチニ『スカラムーシュ』(大久保康雄訳 創元推理文庫)という作品。職業を転々とし、アイデンティティに悩む主人公、という点では、かなり共通点があります。ただこちらの作品の方が、二転三転するストーリー展開といい、魅力的な主人公といい、数段上の出来栄えでしょう。『スカラムーシュ』を読んだ後に、『虚栄の神』を読むと、これが『スカラムーシュ』の劣化版みたいに見えてしまうのが難点です。
 ただ、18世紀の時代風俗がよく描けているという点では『虚栄の神』もなかなかではないかと思います。主人公が俳優、義父が作曲家という設定のために、芸術に関する蘊蓄や背景が多く描かれており、そのあたりに興味のある人には面白く読めるでしょう。
 波瀾万丈な冒険小説を期待してしまうと、当てがはずれてしまいますが、歴史風俗小説として見れば、それなりに読める作品です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

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