ちっぽけな欲望  フィリップ・K・ディック『ドクター・ブラッドマネー』
4488696171ドクター・ブラッドマネー―博士の血の贖い―
フィリップ・K・ディック 佐藤 龍雄
東京創元社 2005-01-22

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 フィリップ・K・ディック『ドクター・ブラッドマネー ―博士の血の贖い―』(佐藤龍雄訳 創元SF文庫)は、核戦争後の世界を描く作品なのですが、荒廃した世界を描く、いわゆる「破滅ものSF」とは、ちょっとタイプが違います。むしろ、核戦争後の日常生活を描いた「普通小説」といった趣なのです。
 何しろ、核戦争直前に打ち上げた人工衛生に乗っていたために、死を免れた宇宙飛行士が、戦争後にラジオのDJとなり、世界の人々に癒しを与えている、という設定からして異色です。人々にとっては、この宇宙飛行士が、神にも等しい存在となっています。戦争後、貴重品となったラジオをめぐって人が殺し合うほどなのです。
 身体障害者に生まれながら、戦争後に超能力に目覚めたホッピーは、コミュニティーで絶大な権力を得ますが、その能力を使って、衛星上の電波を乗っ取り、自らがDJになろうとし、そして実際にそれに成功します。
 この作品において、ストーリー上の主たる起伏といえば、これぐらいしか見あたりません。核戦争後ものにありがちな、救世主の登場とか、生き残った人々のサバイバルだとか、スケールの大きな事件はほとんどありません。ただ、それにもかかわらず、退屈せずに読ませるのも事実です。
 それというのも、人々の日常生活がリアルに描かれているからでしょう。世界が滅びてしまった後も、ささいなことで争う、矮小な人々の意識が浮かび上がってくるのです。それらの人々を代表するキャラクターとして挙げられるのが、ボニーです。戦前からすでに、魅力ある女性として知られていたにもかかわらず、戦後はモラルのかけらもないような存在に変貌します。不倫を繰り返し、夫どころか子どもまで見捨てます。挙げ句の果てには、かっての恩師の殺害を示唆し、恋人よりも自分の身を一番に考えるしたたかさ。これに比べれば、狂った科学者とか、超能力を持った障害者などのキャラクターも、かすんでしまいます。
 作中の世界では、ホッピーをはじめ、超能力を身につけた子どもたち、いわゆるミュータントが生まれてくるのですが、それも超能力というよりは、ほとんど超自然的な力に近い印象を受けます。作品のタッチが限りなく普通小説に近いので、妙な読後感があります
 大きな盛り上がりには欠けますが、核戦争後の「日常」を描いた異色作として、類例が見当たらない貴重な作品です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント

ディック作品実はいままで読んだことが無くて、読んでみようかな、と思っていた作品がこれか「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」だったんです。そう思ってから結構たちますが、kazuouさんに紹介されているのを見て急に読みたくなってしまいましたね。
核戦争後での、「普通小説」というのも面白そうですね。誰も知らないのにそれを普通と感じさせられるのは何かすごいなあと思ってしまいます。
【2007/03/19 23:27】 URL | ベネルクス #xWQIkCZA [ 編集]

>ベネルクスさん
そうですね、初めてディックを読むには、わりといい作品かもしれません。
ディックらしいクセがないというか、他の長編に比べて、読みやすいのは確かなので。少なくとも『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』よりは、読みやすいと思います。
ミュータントとか核戦争とか、ところどころ、SF的なガジェットは出てくるのですが、基本的には日常生活を描いた小説のような印象を受けます。こういうタイプの作品は、僕も読んだことがなかったので、すごく新鮮でした。
【2007/03/20 07:04】 URL | kazuou #- [ 編集]


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男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
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