閉じられた世界  ギルバート・アデア『閉じた本』
4488016375閉じた本
ギルバート アデア Gilbert Adair 青木 純子
東京創元社 2003-09

by G-Tools

 視覚を失った人間は、まわりの人間からの情報によって、自分のなかに世界像を作り出します。しかし、その情報が間違っていたとしたら? そして、情報提供者が悪意を持つ人物だったとしたら…?
 ギルバート・アデア『閉じた本』(青木純子訳 東京創元社)は、そんな状況に追い込まれた男の苦境を描く、サスペンス小説です。
 ブッカー賞を受賞したこともある高名な作家ポールは、交通事故で視覚を失ってしまいます。郊外の家に隠棲した彼は、世間とは没交渉の日々を送っていました。ある日ポールは、新聞に、助手を募集する広告を出します。口述筆記をしてもらおうというのです。
 やってきたのは、まだ若い青年ジョン・ライダー。ポールのお眼鏡にかなったジョンは採用され、助手として働きはじめます。有能なジョンは、口述筆記ばかりか、新しいパソコンを買い、料理もこなすなど、ポールにとって、なくてはならない存在になっていきます。
 しかしある日、買ってきてもらったパズルの絵柄が違うことに気付いたポールは、違和感を感じはじめます。考えると、他にもどこかおかしな点がある…。ほんとうに彼を信用していいものなのだろうか…?
 主人公が盲目の作家のため、情景描写などはなく、会話と主人公自身の内面描写が中心となっています。そのため、かなり読者が感情移入しやすい作りになっています。
 ストーリー展開よりも、謎につつまれた青年の正体や目的が何なのか?という方面に興味が向かいます。何しろ、あらすじと設定だけで、基本的には、話の展開が予想できてしまうタイプの話ではあるのです。それゆえ、読者の興味もしぜんと細部の描写に向かいます。
 すると、ポールが、ところどころ、日常生活で感じる違和感が見事に描き出されているのに気づきます。ネクタイが異なっていたり、シミができていることに気づくなど、主人公が神経質な人間に設定されていることもあって、じつに細かい描写になっているのです。
 ジョンが、ポールに虚偽の情報を与えているだろうことは、読者もうすうす気づくのですが、その情報がイギリス独特のものだったりするので、日本の読者にとっては、ちょっと感覚的にわかりづらいところもあります。例えば、ダイアナ妃の銅像が建った、などという情報をとってみても、日本人には判断しにくいでしょう。ただこの場合、ジョンが提供する情報が、読者にとって虚偽かどうか判別しにくい、という点では、青年の無気味さを増しているといえるかもしれません。
 サスペンスたっぷりの前半に比べて、後半はかなり失速気味です。とくに結末は、かなり弱いです。青年の正体が後半、暴かれるわけですが、その後は出来の悪いB級作品になってしまったような印象が強いですね。
 ただ、テーマ的には、批評的なものを強く含んでいます。作者もかなり意識しているようで、たとえば、作中で、盲人は、読者と同じである、という考えが出てきます。
 読書においては、基本的に、作者が伝えたいと思う情報しか示されない。もし故意に、虚偽が示されたとしても、読者は客観的にその正否を判断できない。それと同じく、盲人においても、視覚で事実を確認できないために、音声で情報を与えられれば、それを信じるしかない、というのです。
 サスペンスとしては、失敗作なのでしょうが、「読書」や「読者」について考える機会を与えてくれる…という意味では、なかなか面白い作品です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント
興味深いテーマ
それを意識的に使っているのが、ミステリの叙述トリックですね。
中学生のときに読んだ『アクロイド殺し』が今でも最も印象に残るミステリです。
それとは別に、なんらかの事情で普通知っているべきことを成人になっても知らないでいることが悲劇を生むというミステリもいくつかありました。自分自身、二十歳過ぎてから間違って漢字を書いていることに気づいて愕然としたこともあります(もしかすると今でも…)。
人間の認識そのものまで敷衍して考えると、哲学やSFになってきますね。
【2007/03/15 21:30】 URL | 迷跡 #- [ 編集]


作者の伝えたいことのみを伝える、という点では、ある意味で作者は「神」でもあるんでしょうね。ミステリなどにおいては、それが高じるとアンフェアだ、ということになりがちですが『アクロイド殺し』は、その最たる例だと思います。
人間の知識や認識にも限りがあるわけで、それを拡大したい…という欲望が、SFなどでは「意識の拡大」テーマにつながっているのかもしれませんね。

ちなみに、このアデアという人、もともと批評家というか思想家っぽい人なので、けっこうテーマが露骨ではあるんですよね。でも学者の手すさび、というレベルではなくて、それなりに小説として形が整っている作品ではありました。
【2007/03/15 22:33】 URL | kazuou #- [ 編集]


タイトルといい、前半の盛り上げ方といい、全体の内容が想像できてしまうけれど期待させる”何か”があったのに、
この下がり方はないだろう?!のラストにはがっくり。(翻訳が悪いという噂もありますが)
アイデア、意図したことをまとめる時間あるいは気力が続かなかったのだろうか?と思います。

アデアは2005年11月に『The Act of Roger Murgatroyd』(お屋敷で起こった密室殺人・容疑者多)
というミステリィを 出していてこちらは「カー、クリスティの探偵小説より出来がいい」「黄金期のミステリィのようだ」と
好評のようです。その前は2004年2月に『Buenas Noches, Buenos Aires』というゲイ、エイズ・・とシリアスな
小説をかいていますが、こちらは賛否両論。エンターテイメントに徹すると面白い小説、ということ
なのでしょうか?

【2007/03/15 22:38】 URL | shen #SgmGMb7Y [ 編集]

ダメでしたね
そうなんですよね。前半は、盛り上がっていて、ちょっと期待したのですが、後半は本当にダメでしたね。手抜きとしか思えないようなラストには、がっかりしてしまいました。
アデアは以前に『作者の死』を読んだのですが、これも眼高手低というか、テーマだけが浮き上がっていて、小説にうまくテーマを取り込めてないなあ、という気がしました。
小説作りの腕は悪くないと思うので、変なところで文学ぶらずにエンタテインメントに徹した方がいいのかも。

アデア、またミステリを書いていたんですか。うーん、「黄金期のミステリィのようだ」というのも、今となってはあんまり褒め言葉に聞こえなかったりしますね。邦訳が出たら、とりあえず読んでしまうんでしょうが。
【2007/03/15 22:51】 URL | kazuou #- [ 編集]

これですか
これが「閉じた本」ですか。
設定だけ聞くと、とても面白そうですが。
でも、前半傑作ものなんですよね…。
なんだか、ラストまでのあらすじだけ知りたいという、ものぐさゴコロが出てしまいます。
どんな、がっかり落ちなのか、メタフィクション落ちだったりするのかと、いろいろ考えてしまいました。
【2007/03/20 00:41】 URL | タナカ #- [ 編集]

前半だけでも
設定といい、前半の盛り上がり方といい、かなり期待を煽る作品ですね。オチがどうのというよりは、ストーリー上に設定されていた謎の真相が、あっけないというか、あまりに下世話なところが、がっかりさせる要因でしょうか。なんというか、安っぽくなっちゃうんですよ。それまで、かなり抑制のきいた筆致だったのに、急に手抜きになってしまったような印象でした。
でも、記事にも書いたように、テーマ的にはとても面白いと思うので、あらすじをあらかじめ知りつつ、そうした面を中心に読んでいくのもありかなと思います。
【2007/03/20 07:10】 URL | kazuou #- [ 編集]

前半は永遠のテーマ
いろいろ面白そうな短編小説を紹介してくださってありがとうございます。こんな充実したサイトもあったのかとびっくりしました。ハヤカワミステリのバックナンバーが私の地方の図書館にあるので、読んでみようと思います。「タタール人の砂漠」なんかも。

「閉じた本」の前半のテーマですが、要約を読ませてもらって、いろいろなことを考えました。

サルトルは晩年視力が落ちたので、秘書をやとい、最後のほうの著作は、この青年との共著になっていたと思います。サルトルは認知症もわずらっていたようですので、どちらが書いたのか、わからなくなります。

アーサー・C・クラークも、小松左京も最近の本は共著者がいます。読者としては、どちらが主導権をもっているのか、気になります。

「南総里見八犬伝」の滝沢馬琴も盲目になって、息子の嫁に口述筆記の助手をさせました。この場合は若い女性から、創作のエネルギーを吸い取っていたので、馬琴の作品であることはたしかですが。

人間年とって、周囲の介護が必要になると、介護者にイニシアティブをとられてしまうことがあります。助手のほうが実権を握っていたりします。はじめは自分を助けてくれて有難いと思っていても、だんだん、自分が乗っ取られそうで、気味悪くなってくることはよくあるのでないかと思います。

ディケンズの「デイビッド・コッパフィールド」に年取った資産家に雇われていた、貧相な執事が、主人の判断力の衰えにつけこんで、書類を偽造し、何年もかけて、財産を奪っていくエピソードがあったと思います。

ウォルポール「銀の仮面」の気の毒な主人公も年寄りです。

中島敦の短編にたしか「牛男」というのがあって、養子の讒言を信じて、実子を放逐してしまうと、だんだん養子に屋敷の一角に閉じ込められてしまうというあらすじだったと思います。

知り合いの医者にききましたのでは、盲目の人が肺がんになると、レントゲンで病状を説明して、手術が必要といっても、自分の目でたしかめてもらえないので困るそうです。(長々書いて失礼しました)


【2007/04/10 02:47】 URL | しんご #Mgc1tJKU [ 編集]

>しんごさん
しんごさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

なるほど、他人に世話にならざるを得ない状況、というのはありますよね。『閉じた本』も、いつの間にか家の主導権を乗っ取られてしまう、という『銀の仮面』と通底するものがありますね。そのあたりの恐怖感は、『閉じた本』にも上手く生かされていたように思います。
共著者や協力者がいる場合はもちろん、多大な影響を受けた場合に、その作品を書いたのは本当は誰なのか?という問題も、なかなか面白いと思います。つきつめてゆくと、完全なオリジナリティなんてものは存在しない…というボルヘス的な考え方も生まれてきそうです。
【2007/04/10 19:18】 URL | kazuou #- [ 編集]


「閉じた本」もっと面白いものかなと思ったんですが。。。
この作者ですと、個人的には「ラブ & デス」が良かったです。
「ベニスに死す」のパロディというところで、苦手な方は多いと思うんですが、
「愛に死ぬ」なんて時代はなくなったことを思い知らせてくれる作品でした。
【2007/10/31 13:56】 URL | fontanka #- [ 編集]

ちょっとばかり
ものすごく面白そうな設定だったんですけどね。
作者がどうも、一辺倒のサスペンスにする気がなかったというか。エンタテインメント系の作家なら、ここは盛り上げるべきだろう、というところを盛り上げないような感じを受けてしまいました。

この作者、学者だけあって、へんにアカデミックな感じがしてしまいます。ちょっととっつきにくいんですよね。
【2007/10/31 21:11】 URL | kazuou #- [ 編集]


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怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
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