不可思議な南洋のわたし  サマセット・モーム『カジュアリーナ・トリー』
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カジュアリーナ・トリー
サマセット モーム William Somerset Maugham 中野 好夫
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 モームの短編の上手さには定評がありますが、本書『カジュアリーナ・トリー』(中野好夫・小川 和夫訳 ちくま文庫)でも、その上手さを十分に味わうことができます。主に南洋などのエキゾチックな地方を舞台にして、そこに暮らす白人たちを描いていますが、事件や出来事そのものの起伏を追うというよりは、それによって引き起こされた登場人物の心の動きを細かく描写していくのが特徴です。その心理描写だけで十分に面白く読めてしまうところに、モームの技巧が発揮されているといえるでしょう。

 『手紙』 ある人妻が、自分に乱暴をしようとした男を射殺します。貞淑で知られた人妻は、無罪放免が確実視されていましたが、不審な点が一つありました。死体には弾丸が六発もうちこまれていたのです。その後、殺された男が、実は人妻の愛人だったことを示唆する手紙の存在が明らかになるのですが…。
 大人しく貞淑だと思われていた女の、秘められた激情と愛憎劇。愛人との関係を示す手紙のことを示唆されても、のうのうと嘘をつくしたたかさ。人間の二面性が強烈に描かれた一編です。

 『園遊会まで』 夫ハロルドが病死したために、イギリスに戻ってきたミリセント。しかし妹のキャサリンは、知り合いからハロルドは自殺だったことを聞かされます。さらには、問いつめられたミリセントが淡々と語る事実に、皆は驚かされます。大酒飲みだったハロルドを更正させようと努力したいきさつ、そしてハロルドは自殺ではなく、夫に失望したミリセントが殺したということを!。それを知った家族たちは…。
 ミリセントの言動だけでなく、それに対する家族の態度が興味深い作品です。殺人の事実を知ったというのに、どこか他人事のような言動。ミリセントの行為の道徳的な正否よりも、世間の反応の方を気にしているらしい偽善的な家族を描写しています。

 『奥地駐屯所』 何年ものあいだ、白人のいない奥地で過ごしてきた司政官ウォーバートンは、数週間遅れでとどく本国の新聞を楽しみにしていました。若い頃に資産家だった彼は、無理をして貴族とつきあい、破産してしまったのです。影で馬鹿にされているにもかかわらず、貴族に対して尊敬の念を抱き続けていたウォーバートンは、新しく駐屯地にやってきたクーパーと対立することになります。クーパーは、植民地育ちであり、貴族や階級を馬鹿にしている男でした。誰とでも対等だと考えるクーパーは、ウォーバートンの俗物性を指摘し高飛車に対応します。対立のさなか、クーパーは召使いのマレー人をぞんざいに扱ったために殺されてしまいますが…。
 ウォーバートンとクーパー、対照的な二人のキャラクターが見事です。貴族に憧れる俗物ながら、紳士であり現地人にも優しいウォーバートンに対し、身分を否定するくせに、現地人を見下して差別するクーパー。同じような繊細な神経の持ち主ながら、他人に気を配るウォーバートン、逆に他人を否定せずにはいられないクーパー。結局、二人は同じ人間の表裏なのではないか? 考えさせられる佳作です。

 『環境の力』 夫とともに駐屯地にやってきた新婚のドリスは、夫が何年も前から現地人の女と関係し、三人も子供がいることを知ります。女とは手を切った、ここでは誰もがやっていることだ、と弁明する夫に対し、ドリスは夫と別れることを決意します…。
 駐屯地では、もとの国の道徳観からは認められないような行為を平気でしている夫に対し、それを許すことができないドリスの胸中が読みどころ。夫の理屈を頭では認めながらも、肉体的な嫌悪感を隠すことのできないドリス。人間に及ぼす「環境の力」とは?

 『東洋航路』 夫の浮気を許せずに、飛び出してきたミセス・ハムリンは、イギリスに帰る船中で、ギャラハアという男と出会います。植民地で身代を築いたギャラハアは、イギリスでの生活に対し夢を語ります。しかしその矢先、ギャラハアは原因不明の病気になってしまいます。同行者のプライスは、現地に捨ててきた女の呪いだといい、それを解くためにまじないめいたことを始めますが、その甲斐むなしくギャラハアは死んでしまいます。そして、一部始終を見ていたミセス・ハムリンの胸中には変化が…。
 道徳ではとらえきれない人間心理を描いた好編。

 『臆病者』 イザートとキャンピオンは同乗していた船で、事故にあいます。転覆した船のそばで、キャンピオンが助けを求めるにもかかわらず、イザートは見捨てて逃げてしまいます。キャンピオンが無事だったことを後で知ったイザートは、自分の臆病さが知られると破滅だと考え、悶々とします。自分のことを、まったく悪く言わないキャンピオンに対し、イザートはとうとう心中をうち明けますが…。
 同じ状況に置かれたにもかかわらず、それぞれ対照的な態度をとる二人。ほんとうの「臆病者」はいったい誰なのか? 周りの反応を気にするイザートに対し、悪びれもしないキャンピオンのしたたかさが印象に残ります。

 どの作品でも、不道徳であったり、偽善的な人間が多く描かれますが、それを断罪したり告発する…といったニュアンスはまったくありません。あくまで人間の心の不可思議さ、その心理のバリエーションを客観的に描く、といった感が強く、そこに一流の観察家というべきモームの面目躍如があるといえるでしょう。

この記事に対するコメント
どれも
おもしろそうな短編ですね。是非読みたいと思います。
どんなものより人間心理を描いたものが、やはり一番興味があります。
あらすじを見てるだけでは「臆病者」が一番私好みです。
【2007/01/28 00:11】 URL | 加納ソルト #- [ 編集]

ストーリーテラー
モームの短編は、どれも基本的には人間心理を扱った作品だといっていいと思うんですが、ほとんどハズレがないのがすごいです。しかも短編でも密度は高い! 天性のストーリーテラーという言葉がこれほど似合う作家も珍しいでしょうね。
大体どの作品を読んでも面白いですよ。いちばん簡単に手に入るものは、新潮文庫から何冊か出ている短編集でしょうか。ちくま文庫からも何冊か短編集が出ていますが、どれも読みごたえがあります。
人に話せるような明確なストーリーとテーマがあることが多いので、紹介もしやすいんですよね(笑)。
【2007/01/28 00:31】 URL | kazuou #- [ 編集]


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