 フレデリック・ブウテ『絞首台の下で フレデリック・ブウテ残酷戯曲集』(蟻塚とかげ編訳 爬虫類館出版局)は、知られざるフランス作家ブウテ(1874-1941年)による、残酷趣味にあふれた戯曲集です。
「絞首台の下で」 町外れの絞首台に吊るされた三人の男の死体は、夜が訪れると共に、烏や幽霊たちと会話を交わし始めます…。 吊るされた死者たちが、周囲に現れた烏や幽霊たちと語り始める…という怪奇劇です。絞死人たちが自分たちの死の原因となった過去の罪を語るだけでなく、途中から登場する無垢な女性たちも、死者たちの悪意によって死に至ってしまう…という、徹底してダークな物語になっています。 第一の絞死人が語るエピソードは、人造人間生成の物語にもなっており、こちらも興味深いですね。
「詩人と娼婦と二人の墓堀人」 亡くなった詩人サミュエルの通夜のため雇われた墓堀人トゥルービィとメイムは、酒を飲みながら死体の見張り番をしていました。そこに現れたのは、詩人の生前の愛人である娼婦でした。ふざけて死者の口に酒を注ぎこんだところ、サミュエルは息を吹き返しますが…。 墓堀人と娼婦の目の前で死者が甦る…という物語。この死者が本当に息を吹き返したのか、それとも超自然的な力により死者として蘇ったのかは定かではないのですが、どちらにしても彼を待つのは残酷な運命なのです。 死者よりも生者の方が「怖い」物語といえましょうか。
「雨の夜の酒場[タバーン]」 冷たい雨の夜、ジョナス・シュリップの経営する安酒場には、様々な人々が集まっていました。貧しい酔っ払い、脱走兵たち、片言のユダヤ人商人、幼子を抱えた母親など。彼らの元にはそれぞれ残酷な運命が訪れますが…。 安酒場に集まった貧しい人々が、さらに残酷な運命に見舞われる…という群像劇的作品です。直接的な悲劇に見舞われなくても、すでにして将来は真っ暗な人々だけでなく、同じような過酷な環境にありながら、互いに裏切って他人を陥れてしまう者など、現実的でリアルな残酷行為が描かれていきます。 起こっている悲惨な出来事にも関わらず、作品の最後で「無口な男」が吐くセリフ「人生は素晴らしい」は、実に皮肉です。
「我が言葉を聞け」 貧窮した人々が集っている橋の下に現れた男は、己の信じる「真実」に従って人々を説得しようとします。その説得には身内を捨て去ったり、死を選ぶことすら含まれていたのです…。 貧窮して兵士になろうとしている若い男、盲人の父親を抱える美しい娘、生きるのもままならない子連れの女など、困窮の極みにある人々が集まる場所に現れた男が、「眞實」と称し、自らの信念に従って人々を説得しようとする物語です。 男は自分なりの正義を信じているようなのですが、その勧めに従った結果は世間一般のモラルとは正反対であり、ほとんど「悪魔」のようにも感じられますね。 男の勧めに従って、罪を犯してしまう者もいるのですが、実際のところ貧窮の状態にある彼らの行為を責めることもできない…という、いたたまれない状況が描かれています。 また「眞實」を称する男もまた、一人の何の変哲もない人間であり、彼の「偽善」も断罪されてしまうという、救いのないお話になっていますね。
ブウテの戯曲作品、下層階級や貧窮した人々など、弱者がさらに悲惨な運命に出会ってしまう、という点で非常に救いのないお話が多いです。しかもその際に人間の利己心や裏切り、悪意などが現れてくる、という部分も強烈です。 その意味で非常に「残酷」な物語群であるのですが、その残酷さが粘着質でなく、からっとしているのも特徴でしょうか。下手な「情」が入ってこない分、ある種の様式美というか、「残酷美」が感じられるようにもなっています。 さらにある種のブラック・ユーモアさえ感じられるものもあって、「絞首台の下で」はそうした要素の強い作品ですね。 残酷劇として有名な<グラン・ギニョル>とは直接関係はなかった作家だそうですが、方向性として、非常に近しいものがあるように思います。
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