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海外短篇エトセトラ
 単発で書いた海外短篇のレビューがたまっていたので、まとめておきたいと思います。怪奇幻想小説、<奇妙な味>作品を中心に、36作品を紹介しています。


ワレーリイ・ブリューソフ「生き返らせないでくれ」(深見弾訳『ロシア・ソビエトSF傑作集』創元SF文庫 収録)
 語り手の「わたし」は、世間の話題を呼んでいる「魔術研究所」を見学することに成功します。そこでは人間を生き返らせる実験を行っていると噂されていました。所長が語るには、人間の人格は神経中枢に保存されており、死後も人格を復活させることが可能だというのです。
 しかし資金や技術的な問題により、実験は制限されていました。復元は短期間だけであり、しかも肉体的に不完全な状態で蘇っていたのです。研究所で復元されたのは、一人目はヘーゲル、二人目はニノン・ド・ランクロー、そして三人目は意外な人物でした…。

 「科学的な」方法による人格復元といいつつ、なにやらその手段は魔術的でオカルトチック。しかも蘇った人間は不完全な状態なのです。こんな状態での蘇りに意味はあるのか、語り手は疑問を抱きます。
 短篇集『南十字星共和国』の収録作でもそうなのですが、ブリューソフは残酷な状況をかなり突き放した視点で見ている作品が多く、本作もその例に漏れません。ただこの短篇では、諷刺的・ブラックユーモア的な要素が強く出ているのが面白いところですね。



トーマス・M・ディッシュ「読書する男」(浅倉久志訳『ミステリマガジン1994年12月号』早川書房 収録)
 近未来、仕事にあぶれた男は読書することによってお金を稼ごうとします…。

 主人公に仕事を斡旋する人物が明らかに詐欺師なのですが、主人公もまた別の手口で詐欺をしたり、盗作しても誰も本を読んでいないので気づかれない…とか、皮肉なタッチで描かれる作品なのですが、意外と「読書」の本質的なところをついている作品のような気もします。
 主人公が盗作して作った本のタイトルが「ボヴァリー夫人をバラすまで」だったり、言及されるジャンルが「ニュー・ウェーブ・ポストモダン・スプラッターパンク小説」だったりするのが楽しいです。



ラムジー・キャンベル「夢で見た女」(大森望訳『ミステリマガジン1994年12月号』早川書房 収録)
 ホラーやオカルトジャンルの本の表紙画を手がけている男が、自分の想像の中の女をモデルにすることで仕事が評価され始めます。男は空想上の女のイメージに取り憑かれていく一方、妻との仲はぎくしゃくし始めていました…。

 官能的な要素の強い作品ですが、空想と現実が混濁し始める悪夢のような空気感があり、力作といってよい作品だと思います。



ロバート・エイクマン「案内人」(西崎憲訳『ミステリーズ!vol.54』東京創元社 収録)
 休暇でベルギーの聖バーフ大聖堂を訪れたジョン・トラントは、石の下から突然現れた男の子とも女の子ともつかない不思議な子供に連れられ、大聖堂の中を見学することになりますが…。

 エイクマン作品の通例で、はっきりとした意味などは取れないのですが、そのダークな雰囲気、結末のヴィジュアルなどにインパクトのある作品ですね。



アーサー・キラ=クーチ「プシュケー」(西崎憲訳『ミステリーズ!vol.54』東京創元社 収録)
 蒸気機関車の運転士である男は、体の弱い妻を静養のためレミンスターに下宿させていました。レミンスターの劇場が大火事になり、たまたま劇場を訪れる予定だった妻を心配する男でしたが…。

 妻に寄せる愛情ゆえに、男がだんだんと狂ってしまうという物悲しい怪奇小説です。魂の象徴として使われる蝶や蛾のモチーフが美しいですね。タイトルの「プシュケー」も内容に即していて象徴的。



モーリス・ルナール「甘ったるい話 残酷な愛」(吉澤弘之訳『6つの物語』amazon kindle 収録)
 芸術家の男が構ってくれなくなった恋人に復讐される…という復讐奇談。享楽的な雰囲気で進むので結末には驚かされるかも。モーリス・ルヴェル作品を思わせますね。



モーリス・ルナール「彼女(エル)」(吉澤弘之訳『6つの物語』amazon kindle 収録
 深夜に一人で車を運転している男は、車内に超自然的な何かが侵入したことを感じ取りますが…。

 最後まで怪異ははっきり現れず、ほぼ男の心理的な恐怖だけで構成されるという怪奇小説です。



モーリス・ルナール「死の蝶(パピヨン)」(吉澤弘之訳『6つの物語』amazon kindle 収録)
 養蜂業者として働くため、父親の知り合いであるヤコブス親方のもとを訪れた少年フリッツは、親方の片目がつぶれていることに気づきます。親方は蛾のせいで蜂蜜が駄目になったと話しますが…。

 蛾をモチーフにした恐怖小説。「スフィンクス・アトロポス」という、ドクロのような模様を持つ蛾が登場します。蛾のモチーフも不気味ですが、結末はかなりショッキング。残酷小説の趣もありますね。



パトリシア・ハイスミス「からっぽの巣箱」(小倉多加志訳『11の物語』ハヤカワ・ミステリ文庫 収録)
 主婦のイーディスは、庭の巣箱に何者かわからない動物が入っているのを目にします。小鳥のために作ったその巣箱には今は何も入っていないはずでした。
 不気味に思ったイーディスは夫のチャールズに確認してもらいますが、巣箱の中には何もいません。部屋の中でも何度かその動物らしき存在が走り去るのを目撃したイーディスはふと動物に対して「ユーマ」という名前を心に思い浮かべます。
 夫と相談のうえ、ネズミ捕りが上手だという近所の猫を借りてくることになりますが…。

 巣箱の中に突如出現し、夫婦の前に現れ続ける謎の生き物を描いた不穏な雰囲気の作品です。最初は妻にか目撃していなかった動物をやがて夫も目撃するようになります。しかし目撃した動物の大きさから考えるに、巣箱の中に入るような大きさではないのです。
 イーディスはお産に対する恐怖から、わざと転んでお腹の子供を流産したという過去があり、夫もまた密告により同僚を自殺に追いやったという過去がありました。もしかしたら、謎の動物は夫婦の罪の象徴なのかもしれない…とも読めます。
 再読して連想したのは、レ・ファニュの「緑茶」でした。「緑茶」は、小猿の幻影が現れ続けるという話なのですが、この作品と似た雰囲気があるなと。
 ただハイスミス作品はレ・ファニュよりもわかりにくい作品です。謎の動物に対する不安とは別に、借りてきた猫を押し付けられて帰そうとするものの、勝手に帰ってきてしまう、など、解釈の難しい展開があったりします。またイーディスが思い浮かべる動物の「ユーマ」とは何の意味なのか、というのも難しいところですね。「UMA(ユーマ:未確認動物)」という言葉がありますが、これは日本語の造語らしいので、また意味合いは違うようです。



ガストン・ルルー「三つの願い」(中川潤訳 エニグマティカ ※同人出版)
 「わたし」の家に食べ物を求めてやってきた修道士。よく見ると姿は変わっていたものの、それはかっての友人でした。無神論者だった友人からその経緯を聞いた「わたし」は彼のようになりたいとつぶやきますが…。

 清廉な生活をしているらしい修道士の友人をうらやむたびに、「わたし」に不幸な事態が降りかかってくるという、何ともブラック・ユーモアに富んだ展開。最後の部分ではどこかメタフィクショナルな雰囲気もあり、なかなかに魅力的な作品でした。
 シャルル・ペローの教訓話のパロディだそうですが、皮肉めいた展開と多様な解釈が可能な寓意的短篇です。



J・N・ウィリアムスン「ワードソング」(山田順子訳 J・N・ウィリアムスン編『ナイトソウルズ』新潮文庫 収録)
 <ワードソング>の名前で送られてきた小説を読んだアンソロジストの「わたし」は驚きます。それはまさに天才の作品だったからです。感銘を受けた「わたし」は電話で<ワードソング>に絶賛の言葉を述べますが、相手は現金でそれをあらわしてほしいと言います。
 しかもその傑作小説の出版は許可しないというのです。それからも「わたし」の元に<ワードソング>の傑作が次々と届きますが、出版は絶対に許可しないというのです…。

 絶対に出版を許可せず、アンソロジストの「わたし」のみがそれを読み評価することを許される小説。<ワードソング>の目的はいったい何なのか…?
 アンソロジストであるウィリアムスン自身を彷彿とさせる主人公、メタフィクショナルかつ寓意に満ちた結末も面白いですね。



メアリ・エレノア・ウィルキンズ=フリーマン「迷子の幽霊」(BOOKS桜鈴堂訳『夜のささやき 闇のざわめき』収録)
 エマスン夫人は、友人のメザーブ夫人から彼女が若い頃に体験したと言う不思議な話を聞きます。デニスンさんとバードさんの姉妹が始めた下宿に落ち着くことになったメザーブ夫人は、快適な家と親切な姉妹のもてなしに満足していました。しかしある夜、真っ白な顔をした小さな女の子が部屋に現れます。
 何を聞いても「お母さんはどこ?」としか答えない女の子が生きている人間ではないと考えたメザーブ夫人は、家主の姉妹に詳細を尋ねますが…。

 非業の死を遂げた幼い子供の幽霊を描いたゴースト・ストーリーです。家主の姉妹がその霊に対して同情的で、特に未亡人で優しい妹の方がその霊に惹かれていってしまいます。
 物語を語るメザーブ夫人も、詳細は描かれないものの、家族をなくす大変な目にあっているらしいことが描かれるなど、全体に物悲しくはあるけれども「優しげ」なジェントル・ゴースト・ストーリーになっていますね。ただ、雰囲気は抜群で「怖い」作品でもあります。



アメリア・B・エドワーズ「4時15分発急行列車」(泉川紘雄訳「ミステリマガジン1986年8月号」早川書房 収録)
 友人のジェルフの屋敷を訪れるため4時15分発の急行列車に乗り込んだ「わたし」は、個室で一人にしてもらう手はずだったはずなのに、鍵を使って入り込んできた男の顔に見覚えがあることに気がつきます。
 それはジェルフ夫人のいとこである弁護士ドウェリハウスでした。仕事のために大金を持ち歩いているという話を聞かされた「わたし」は、途中下車したドウェリハウスが葉巻ケースを忘れたことに気づき、後を追いかけます。
 見知らぬ男と二人で話しているドウェリハウスを見かけた直後に、その二人の姿が消えてしまったことに驚いた「わたし」は、ジェルフの館で聞かされた話にさらに驚かされます。ドウェリハウスは会社の大金を持ったまま数ヶ月前から失踪しているというのです…。

 オーソドックスなゴースト・ストーリーなのですが、語り口が非常に上手いですね。最初は失踪した人間が生きているかもということで調査を進めるのですが、やがて彼が殺されているのではないかという疑いが出てきます。
 「わたし」が見たものは幽霊なのか。衆人環視の前で犯人が摘発される場面はかなりインパクトがあります。



トーマス・バーク「小さな顔」(坂崎麻子編訳『七つの恐怖物語 英米クラシックホラー』偕成社文庫 収録)
 青いレインコートの男は、ロンドンのレンスター・ガーデンズにある資産家の屋敷に入り込みます。屋敷の主人は東洋の品物のコレクターで、部屋には仏像や根付、偶像神などがあふれていました。
 部屋に入ってきた主人を男は殺して逃げ出しますが、男の行く先々で、血まみれの根付が現れます。しかもそれらはみな殺した男の顔をしていたのです…。

 人を殺した男が幻影につきまとわれる…という恐怖小説です。それが超自然現象なのか、男の妄想・幻覚なのかははっきりしない、というタイプの作品ですね。東洋趣味で知られた作家だけに、主人公を追い回すのが「根付」であるところにユニークさを感じます。



アーネスト・ブラマ「絵師キン・イェンの不幸な運命」(法水金太郎訳「季刊ソムニウム第四号」エディシオン・アルシーヴ 収録)
 浙江省で花鳥画を生業とする画家キン・イェンは、北京に上り人物画を学ぼうと考えます。キン・イェンは、高名な絵師ティエン・リンから五種類の人物の描き方を学びます。ティエン・リンによれば、五種類もあればあらゆる物語が飾れるというのです。やがて人物の描き方を覚えたキン・イェンは、葬列をテーマにした絵で評判を取るようになります。やがて美しい娘ティエン・ナンに出会ったキン・イェンは彼女に恋しますが、彼女を描くために、新しい人物の描き方を身につけようと考えます…。

 超自然的な要素は薄いながらも、ファンタスティックかつ人工的な世界観で展開される風俗小説、といった味わいの作品です。<カイ・ルン>シリーズは、想像上の中国を舞台に、放浪の語り部カイ・ルンが様々な物語を語っていくというシリーズだそうです。この短篇だけでは全体像ははっきりしませんが、魅力的な作品ではあるようですね。
 尊敬語や謙譲語をやたらと駆使した、もってまわった語り口が採用されており、それが人工的な感覚を強くさせているのも特徴です。



ウィリアム・ウィルキー・コリンズ「悪魔の眼鏡」(甲斐清高訳 亀山郁夫、野谷文昭編訳『悪魔にもらった眼鏡』名古屋外国語大学出版会 収録)
 青年アルフレッドは、父親が面倒を見ていた老人セプティマス・ノットマンが、死の床で自分に会いたがっているということを聞きます。彼は評判の悪い人物で、行方不明になっていた時期には海賊をやっていたという噂もありました。
 セプティマスはアルフレッドにお世話になった礼として、悪魔からもらったという眼鏡と、それを手に入れることになった経緯も一緒に話したいというのです。
 かって北極探検隊の一員として出かけたセプティマスは、自らの勝手な行動で仲間とともに遭難してしまいます。飢えた彼は仲間の死体を食べるまでの行為もしたというのですが、そこで悪魔と出会い、眼鏡を手に入れたといいます。その眼鏡をかければ、人間の心の奥で考えていることが分かるといいます。ちょうどシシリアとジラ、二人の女性のどちらと結婚すべきか悩んでいたアルフレッドは、半信半疑ながら、その眼鏡を使おうと考えますが…。

 人の心を読める「悪魔の眼鏡」を扱った、怪奇幻想小説です。前半は、無頼の徒として過ごした老人がかっての罪と悪魔からの贈り物について語る物語、後半は人の心を読める眼鏡を手に入れた青年が、二人の女性の間で揺れるという恋愛もの、と非常に盛り沢山な内容が詰まったエンターテインメント作品です。
 ゴシック・ロマンス風の前半も捨てがたいのですが、後半がそれに輪をかけて面白いです。主人公の青年が、悪魔の眼鏡によって、結婚を考えている二人の女性の心のうちをのぞくことになるのですが、真のヒロインは美しい心の持ち主だった、ということにはならず、ヒロイン二人を含め、ほぼあらゆる人間が悪いことを考えていることがわかってしまう…という皮肉な展開になります。結局、完全な善人・悪人などいない、という結末は、世間や大衆を知り尽くしたコリンズならではでしょうか。
 コリンズは二流作だと考えて、単行本には収録しなかったそうですが、なかなかどうして素晴らしい作品だと思います。



アンブローズ・ビアス「ふさわしい環境」(中村能三訳『生のさなかにも』創元推理文庫 収録)
 電車の中で新聞を読んでいたマーシュは、そこで知り合いの作家コルストンに出会います。コルストンが新聞に寄稿した小説を読んでいたマーシュは、その作品を絶賛しますが、コルストンは憤然とした面持ちで答えます。その作品は怪談であって、電車の中のような環境で読まれるべき作品ではない。
 もっとふさわしい環境で読まれるべきだ、と。一人っきりで夜、蝋燭の明かりで読むべきだと力説するコルストンは、たまたま持ち合わせた恐るべき物語の原稿があるが、これを「ふさわしい環境」で読む勇気があるかと、マーシュを挑発します…。

 深夜、幽霊屋敷で肝試しをする…という、怪奇小説ではよく見るテーマのお話ではあるのですが、その前段として、ビアスの読書論的な話題が盛り込まれているのが面白い作品です。
 読んでみると、一律、小説や文学作品がみな静かな環境で読まれるべきだというわけではなく、怪談に限っては、という感じのようですね。ちょっと引用します。

 「きみならわかるさ、マーシュ、今朝の『メッセンジャー』に載っているぼくの作品には、はっきり『怪談』という副題がついている。それを見ればだれだってわかりすぎるほどよくわかるはずだ。ちゃんとした読者なら、どういう条件下でこの作品が読まれるべきかを、その副題が暗に示していると理解するだろう」

 結局、挑発された男は、幽霊屋敷で夜一人原稿を読むことになるのですが、あまりの恐怖のために死んでしまう…という、ビアスらしいブラックな怪奇小説となっています。



シャーロット・マクラウド「執念」(高田恵子、浅羽莢子訳『お楽しみが一杯!』創元推理文庫 収録)
 夫が亡くなり、新しいアパートに引っ越してきた未亡人の「わたし」。上の部屋に住んでいたという仕立業の女性セラフィーンは仕事中に亡くなったばかりだといいます。アパートの隣は修道院で、そこでは夜、修道女たちがロウソクを持って何かの儀式をしていました。しかも見るたびに一人ずつ人数が増えていくのです。しかし、他の人間に聞いても、修道女は夜は外出せず、そんな儀式は行っていないというのですが…。

 正統派のゴースト・ストーリーなのですが、面白いのは著者前書きにある、この短篇の発想元です。夢のなかで最初から最後までストーリーを夢に見て、それを短篇に起こしたというのです。確かに、独特な奇妙な論理、印象的な視覚イメージといい、「夢」を思わせる作品になっています。



ジャック・ロンドン「千通りの死」(酒井武志訳「ミステリマガジン1998年8月号」早川書房 収録)
 資産家の家の息子に生まれながらも、その無謀な行動から家を勘当されてしまった「私」は、船員として生業を立てていましたが、サンフランシスコ湾で溺死してしまいます。気がつくと、奇妙な装置によって「私」は蘇生させられていました。
 救い主を見ると、相手はなんと「私」の父でした。しかし父は変わってしまった「私」に対して、息子であることに気がつきません。父は新たな科学の研究に没頭していました。それは死んだ人間を装置によって生の領域に引き戻す、というものでした。
 父は「私」を実験台に、実験を開始します。毒やガス、電気ショックなど、様々な方法で死んだ「私」は何度も蘇生させられますが…。

 残酷非道なマッドサイエンティストの父親に何度も殺されては蘇らせられる男を描いた、怪奇幻想小説です。この父親が本当に人でなしで、相手が自分の息子だと気付いても一向に態度を変えない…というところもすごいです。
 息子は息子で、脱出の方法を考えるのですが、編み出された方法がこれまた奇想天外で驚かされます。蘇生方法も含め、登場する超技術が破天荒で、その意味では「ホラ話」的な要素もあるのですが、展開されるストーリーが冷酷かつハードなこともあって、全体にニヒルな物語となっています。
 ジャック・ロンドンの怪奇幻想作品の傑作のひとつといっていい作品だと思います。



アースキン・コールドウェル「夢」(高橋まり子訳『幻想と怪奇5』新紀元社 収録)
 「おれ」は友人のハリーから何年も同じ夢の話を聞いていました。ハリーは月に一度同じ内容の夢を見るというのです。夢では決まって、小川にかかる橋にたどり着き、そこで若い女と出会います。女はハリーを待っていると言い、ハリーがそれは自分だと言うと、女は逃げ出してしまうのだというのです。夢の中の女に執着するハリーは、やがて夢の中で案内板を見つけ、その場所の近くに行けば女が実際に見つかるのではないかというのですが…。

 何度も同じ女が登場する夢を見続ける男が、現実にその女を見つけようとするという、幻想的な作品です。あらすじだけ聞くとロマンティックな香りがするテーマなのですが、実際のところ、夢の情景は不気味で、夢の中でも女を逃げるところを追いかけるなど、夢の内容自体もどこか不穏です。
 女が現実に存在すると信じ込んでいるハリーもどうかしているのですが、夢の内容から考えるに、実際に女が存在していて会えたとしても、何か危険なことが起こるのではないかと思わせる不気味な雰囲気に満ちています。
 ハリーの話を聞いているうちに、語り手の中で、女の実在感が大きくなってくる、という結末も良いですね。<奇妙な味>の秀作だと思います。



ウォルター・デ・ラ・メア「失踪」(平井呈一訳 平井呈一編『恐怖の愉しみ』創元推理文庫 収録)
 猛暑のロンドンを訪れた「わたし」は喫茶店で、妙な男から話しかけられます。男は自分のところから失踪したという女性についての事件の顛末について話し出します。居候として居ついていたミス・ダットンは教養のある女性で、障害のある男の妹にも優しく接するなど、男も憎からず思っていました。
 やがて結婚の約束をするまでになったミス・ダットンは、横暴な性格を露にしていきますが…。

 登場人物の男のセリフを関西弁で訳したという、面白い翻訳です。「殺人」という言葉は一回も出てこないのですが、おそらく男が女性を殺害しただろうことが仄めかされます。真夏の猛暑日、見知らぬ男から異様な話を聞かされ続ける…という、なかなか怖いシチュエーションの物語です。ただ男の関西弁のセリフはやっぱり微妙ではありますね。



メアリ・E・ウイルキンズ=フリーマン「南西の部屋」(平井呈一訳 平井呈一編『恐怖の愉しみ』創元推理文庫 収録)
 ソフィアとアメンダのギル姉妹は、叔母の死により一族の屋敷を相続します。姉妹は姪のフローラを伴い、屋敷で下宿を始めますが、叔母が死んだという「南西の部屋」では何度も気味の悪い現象が起こっていました。部屋を怖がるアメンダとフローラに対し、現実主義者のソフィアはそれを信じませんが…。

 霊そのものの出現ではなく、起こる怪異が服やナイトキャップ、鏡といった小道具を使って表現されるのが面白いですね。特に死んだ叔母の服を動かしても消えてしまったり、箪笥に突然服が出現したりするところはインパクトがあります。
 主人公(?)の女性ソフィアが力強い性格に設定されているのも面白いところです。基本、超自然現象を信じないのはもちろん、妹や姪、下宿人、果ては牧師にまでその霊現象を認定された部屋に一人で乗り込み、確かめてやろうという気概の持ち主として描かれています。
 「寝室の怪」もそうでしたが、超自然現象の描き方にユニークなものを感じる作家ではありますね。



M・ジョン・ハリスン「パンの大神」(白石朗訳 ダグラス・E・ウィンター編『ナイト・フライヤー』新潮文庫 収録)
 二十年近く前に、語り手の男(名前は明かされません)を含む三人の男女がスプレイクという男の手引きにより、何か恐れ多い行為を行った結果、グループのアンとルーカスは現在でも精神を病んでいました。特にアンは発作を繰り返し、結婚していたルーカスとも別れてしまっています。
 語り手はアンを心配して彼女のもとを訪れますが、心労のあまりアンは廃人同様になっていました。その際、語り手は幻覚ともつかぬ異様な存在を目撃しますが…。

 マッケン「パンの大神」に触発されたという作品なのだそうですが、何度か読み直しても、解釈の難しい作品です。
 たぶん、数人の男女が何かの禁忌を犯して呪われてしまった…という話だと思うのですが、彼らが一体に何をしたのかが全く分からないうえに、現在何に取り憑かれているのかも分からないので、非常にもやもやした物語になっています。
 過去の事件については、具体的な行為のヒントや当時の状況など、本当に全くといっていいほど示されません。確かに技法的にはマッケン風で、マッケンの描き方を強調するとこんな話にはなるかもしれないな、という感じはするのですが。ただ、現在時で語り手が目撃する怪奇現象は、ちょっとシュールで面白いです。青白い人間の男女のような二人組みが「愛」を表現する…という、これもまたマッケン風の「法悦」の表現ではあるのでしょう。
 描写や説明が断片的すぎて、読者が物語を再構成するのが難しい作品です。時折はさまれる描写はなかなかユニークではあったので、もう少し具体性があれば…とは思いました。



ジョン・コリア「少女」(村上啓夫訳『炎のなかの絵』早川書房 収録)
 世界中を放浪しているという男レンヴィルは、ドッド夫妻と娘のパトリシアのもとを訪れます。旅するのは楽しいでしょうというドッドに対して、レンヴィルはどこかの土地に落ち着きたいと思っているものの、いつも突発的な事態が起こりその場所を離れなければならなくなると話します。
 レンヴィルにまとわりつくパトリシアをたしなめるドッド夫妻でしたが、レンヴィルは構わないと話します。やがて帰宅するレンヴィルを送るのを兼ねて、一緒に森の中を散歩したいと言い出すパトリシアでしたが…。

 一見ある家庭を訪問した旅人の何気ない世間話を描いた作品、と見えるのですが、その実、もの凄い不穏さに満ちた技巧的な作品です。
 ポイントは、定住したいと言いながら「突発的衝動」によって土地を離れざるを得なくなるというレンヴィルの言葉、ドッド氏とレンヴィルとの間に交わされる食人種の話、パトリシアに対してつぶやいたレンヴィルの「食べちまいたい」という言葉…。ヒントを並べると、どういう話か見当がついてくるかと思います。
 ただ、そう取れるというだけで、本当にそういう話かははっきりしないという意味で<リドル・ストーリー>とも取れる物語になっています。



ジョン・コリア「死者の悪口を言うな」(村上啓夫訳『炎のなかの絵』早川書房 収録)
 50年配の無骨なランキン医師は、水の染み出た地下室を治すため床をセメントで塗りこめていました。そこへやってきた知り合いのバッグとバッドは、医師の妻アイリーンが出かけたという話をいぶかしみます。
 やがて恐ろしいことに思い至った二人は、自分たちはここへは来なかった、アイリーンは男と一緒に町を出た、そう口裏を合わせるからと話し出します。二人の勘違いを正そうとするランキン医師は、自分の知らなかった妻の浮気癖を聞かされてショックを受けますが…。

 妻を殺して地下室に埋めたと勘違いされた男が、勘違いされた犯罪そのものを行おうと決意する…という、技巧的な作品です。結末のシーンは暗示に満ちていて、ブラック・ユーモアがあふれています。解説するのも野暮なぐらいで、コリア作品の中でも「完全無欠」に近い構成の作品だと思います。
 主人公の医師が殺人を行ったのか、そうでないかは読者の想像力に任されています。ジョン・コリアは、こういう暗示や仄めかしが非常に上手くて、その技術は職人の域に達していますね。



ジョン・コリア「むかしの仲間」(中西秀男訳『ジョン・コリア奇談集』サンリオSF文庫 収録)
 パリのアパートで二十年間結婚生活を送ってきたデュプレ夫妻。夫妻は互いに嫉妬深く、しっくり来ない生活を送ってきました。肺炎で死に掛けていたマダム・デュプレは、夫妻の親友だったロベールの名前を口に出し、夫は妻が愛していたのはロベールだったのだと思い込みます。
 妻が亡くなり外に出たムッシュー・デュプレは、カフェーで落ち着きますが、ふと見ると死んだはずのマダム・デュプレが座っていました。しかもそこに旧友のロベールまでもが現れます。三人で飲み歩いた後、自宅で目を覚ましたムッシュー・デュプレは、妻の死体がなくなっていることに気がつきます…。

 死んだはずの妻が外を元気に歩いており、数十年音信普通だった旧友が目の前に現れるという、不自然な状況に困惑する夫を描いています。夫の幻覚なのか、それとも超自然現象が起こっているのか? 結末では旧友がすでに死んでいるのではないかという情報ももたらされ、更に状況が不可解になっていきます。結局のところ、妻が旧友ロベールを愛していたのかどうかもはっきりしません。
 死後の妻が夫の前に現れる現象にしても、幽霊が現れたとも、死体がよみがえったとも、全てが幻覚であるとも、さまざまな解釈が可能です。謎だらけの作品で、幻想小説ともゴースト・ストーリーともつかぬ、<奇妙な味>の作品です。


ギ・ド・モーパッサン「手」(榊原晃三訳『モーパッサン怪奇傑作集』福武文庫 収録)
 予審判事ベルミュティエは、人々の前で過去に体験した怪奇めいた事件について語ります。コルシカ島で予審判事をしていたベルミュティエは、サー・ジョン・ロウウェルと名乗るイギリス人と知り合いになります。
 ロウウェルは狩猟と釣りに行く以外は家に引きこもっており、町の人々からは何者なのか噂を立てられていました。彼の家に招かれたベルミュティエは、コレクションの中に干からびた人間の黒い手があることに気がつきます。その手首には、太い鎖が巻き付けられていました。
 その手は、ロウウェルの敵であった男のもので、軍刀で断ち切ってアメリカから運んできたといいます。手の持ち主は強い男で、鎖はこの手が逃げ出さないようにつけているのだとロウウェルは話します。
 困惑するベルミュティエは、それからロウウェルとはあまり会わなくなっていましたが、ある日ロウウェルが殺されたという知らせを耳にします…。

 普通に読むと、ロウウェルが保管していたかっての敵の「手」によって絞め殺された、という怪奇小説に読めるのですが、その実、そうではない可能性も匂わされているところがポイントです。物語を語る予審判事自体が、超自然的な事件とは言い切れない、といっていることもそうですし、実際、手を落とされた男が死んだとは書かれていないので、片手を取戻しに来た男がロウウェルを殺した可能性もあるのです。また、ロウウェルを殺したのは「敵」ではなく第三者である可能性もあります。
 さらに言うと、ロウウェルと「敵」との間に何があったのか、なぜわざわざ手を保管しているのか、鎖は本当は何のためだったのかなど、語られない部分が多いのも、物語の不穏さを高めています。
 怪談として書かれたのは間違いないのでしょうが、結末にいくつかの解釈の余地を残しているといころに特色があります。



ガイ・N・スミス「うつろな眼」(仁賀克雄訳 アラン・ライアン編『戦慄のハロウィーン』徳間文庫 収録)
 ハロウィーンの夜、レスター・マイルズは娘のジュリーを探していました。16歳のジュリーは、柄の悪い男ハッチに夢中になり、彼との付き合いを反対するレスターに反発して、出て行ってしまったのです。拳銃を持ち出したレスターはハッチを殺す気になっていました。
 しかし見つけたジュリーはすでに骸になっていました。ハッチを探し回るレスターでしたが…。

 つきあっていた柄の悪い男が娘を殺し、それを追う男、というホラーなのですが、その実、単純な殺人ではなく、もっと恐ろしいものの片鱗に過ぎなかった…という作品です。


ガイ・N・スミス「インスマスに帰る」(大滝啓裕訳 スティーヴァン・ジョーンズ編『インスマス年代記 上』学研M文庫 収録)
 伯父の遺言で、大叔母のアンナ・ティルトンが遺した手書きの記録を受け取った「わたし」は、そこに書かれたインスマスでの奇怪な事件の詳細を知り驚愕します。内容はウィリアムスンという人物の公表された手記でした。それを読んで以来、悪夢に悩まされるようになった「わたし」は、実際にインスマスを訪れます。かってウィリアムスンが泊ったのと同じ部屋に泊まった「わたし」でしたが、夜中に外部から部屋に入ろうとする者がいるのに気づき、恐怖することになります…。

 ラヴクラフト「インスマスを覆う影」から触発されたアンソロジー『インスマス年代記』のために書かれた作品です。インスマスについての手記を読んだことから悪夢に囚われ、実際に現地を訪れた男の恐怖を描いています。



マーク・トウェイン「終りのない話」(勝浦吉雄訳『マーク・トウェイン短編全集 下』文化書房博文社 収録)
 二十五年前に短編集である話を読んだ男は、その話を途中までしか読めなかったといいます。納得のいく結末をつけた者に50ドルを出そうというのですが、その話は次のようなものでした。美しいメアリー・テーラーに恋をしていた男ジョン・ブラウンは、メアリーの母親に結婚を反対されていました。
 しかし、母親が慈善で世話をしている老姉妹に対して、ブラウンが寄付をしていることから、その心は動き始めていました。ある日、馬車を運転していたブラウンは、帽子を小川に落としてしまいます。服を脱ぎ馬車に入れて、帽子を取り戻したものの、気が付くと馬車は走り出していました。
 なんとか追いついて中に入りますが、その瞬間人が近づいてくるのに気づき、慌てて膝掛けで体を隠します。やってきたのは、メアリー親子を含む四人の女性でした。彼らは火事で焼け出されてしまった老姉妹を運ぶのに悩んでいたところだというのです。ブラウンの馬車を使って、どう二人を運ぶか相談を始める四人でしたが…。

 結末のない話を描いた、人を食ったユーモア・ストーリーです。ブラウンの苦境をよそに、どう効率よく人を運ぶか相談を重ねる四人の女性たち。婦人たちの信望を高め、汚点がつけずにブラウンに幸せをもたらす結末はつけられるのか? という、何ともユーモラスな話になっています。
 選択肢は複数考えられるものの、結末は明示されずに終わるという、これは<リドル・ストーリー>のバリエーション作品ですね。



オー・ヘンリー「運命の道」(越前敏弥訳『オー・ヘンリー傑作集2 最後のひと葉』角川文庫 収録)
 王朝期フランス、田舎の村ヴェルノワの若い羊飼いダヴィド・ミニョは、詩人志望の青年でした。ある夜、恋人のイヴォンヌと喧嘩をしたダヴィドは、運命を試してみたいと、とっさに村の外に出ていきます。分かれ道にたどり着いたダヴィドは左右どちらの道にいくべきか、それとも村に戻るべきか、悩みます…。

 詩人志望の羊飼いの青年の運命が、三通りに描かれるという、ユニークな物語です。青年が左右の分かれ道のどちらに行ったか、もしくは村に戻ったかで、それぞれ違う三通りの分岐した人生が描かれます。
 左の道のルートでは、横暴な貴族とその美しい姪に出会って強制的に結婚させられます。右の道のルートでは美しい婦人によって国王への反逆計画に加担させられてしまうという展開。村に戻るルートでは、恋人と結婚して家庭を築くこととなります。
 三パターン全てに女性が絡んでいるのが特徴で、しかもこれが全て悲劇的な結末に向かってしまうというのがシニカルですね。
 左と右のルートでは、直接的な敵や陰謀などによって、主人公が悲劇的な結末を迎えるのですが、村に戻るルートではまた違った形で破滅を迎えることになります。この三番目のルートが、暮らしとしては一番平穏でありながら、運命としては最も残酷…という感じであるのも面白いです。
 左と右ルートでは直接的に登場する全てのルートで「ボーペルトゥイ侯爵」という人物が登場し、主人公ダヴィドを破滅に追い込むことになります。直接的に登場する左右ルートとは異なり、村に戻るルートでは、間接的にダヴィドに悲劇的な運命をもたらすことになります。
 主人公ダヴィドは詩人志望なのですが、冒険好きで無鉄砲の好人物として描かれています。それゆえに陰謀に巻き込まれたり、利用されてしまうことになるのですが、そうした陰謀に関わらなかった三つ目のルートでも、結局は夢が叶うことはない…という点で、シビアなお話になっています。



ジェフリー・アーチャー「焼き加減はお好みで…」(永井淳訳『十二枚のだまし絵』新潮文庫 収録)
 出勤のため車を走らせていたマイケルは、オールドウィッチ劇場のそばで素晴らしい美人の女性を見つけ、衝動的に車を止めます。上手く手を回し、劇場でその女性の隣の席に座ったマイケルは、医者だというその女性アナを夕食に誘いますが…。

  結末が四通り選べるという、面白い趣向の物語です。主人公マイケルが、美しい女性アナを夕食に誘いますが、その後の展開がどうなるのか?を四パターンに描いています。 四つのパターンは、それぞれ「1 レア(レア)」「2 バーント(黒焦げ)」「3 オーヴァーダン(焼きすぎ)」「4 ア・ポワン(ミディアム)」と題されています。
 マイケルが、レストラン関係の仕事についているという設定で、それに合わせてつけられたタイトルのようです。タイトルから何となく予想がつくとは思いますが、最後の「4 ア・ポワン(ミディアム)」以外は、マイケルの恋が成就しないパターンとなっています。
 相手が人妻だったり、それ以前にいくつものトラブルに遭遇してしまったり、夕食の段取りが失敗して相手を不機嫌にさせてしまったりと、「焼き加減」によって、主人公マイケルの恋が上手く行くのかどうか、が変わってきます。
 パターンによって、マイケルとアナ、それぞれに配偶者がいたりいなかったりと、その設定も変わってくるのですが、基本、不倫をしようとするパターンでは不幸な結末が待っているのは、ちょっと教訓的なところではありますね。



リチャード・マシスン「消えていく」(矢野浩三郎訳『ミステリーゾーン4』文春文庫 収録)
 何年も小説を書き続けながらも芽の出ない「私」は、お金のことが原因で、妻のメアリーとも上手くいかなくなっていました。妻と喧嘩した「私」は、友人のマイクと共に浮気をしてしまいます。ある日、浮気相手のジーンに電話をするものの、彼女の存在は痕跡も残さずに消えていました。
 事情を知っているはずのマイクもジーンのことを知らないのです。ジーンが勤めていた会社も、彼女を紹介してくれた友人の存在もが見当たらなくなっていました。やがて友人のマイク、妻のメアリーさえもが消えてしまいます…。

 主人公の周囲の人物や物が次々と消えていく、という不条理感あふれるホラー短篇です。理由も分からずに、次々と人や物が消えていくという過程は非常に不気味です。失踪したとか、なくなったとか、ではなく、存在そのものがなかったことになっており、その人や事物についての記憶すら残っていないのです。
 不条理な消失現象とはいえ、消えるのは主人公が知る人や物です。その意味で、マシスンが得意とする「自分は本当に存在しているのか?」「自分とは何なのか?」といった、アイデンティティーの不安をえぐる作品になっていますね。
 ロッド・サーリングのドラマ「ミステリーゾーン」で「誰かが何処かで間違えた」というタイトルで映像化されているのですが、こちらでは三人の宇宙飛行士が消えてしまうという、かなり異なったストーリーになっていました。とはいえ、サーリング脚本になるこちらのエピソードも、マシスン的なテーマを上手く料理した名エピソードだと思います。



リチャード・マシスン「死の部屋のなかで」(尾之上浩司訳 尾之上浩司編『運命のボタン』ハヤカワ文庫NV 収録)
 砂漠の手前の田舎町で、長方形の喫茶店を見つけたボブとジーンの夫妻は車を降り、その店で食事を取ることにします。食事も冷たい飲み物もないことに夫妻はがっかりしますが、あるもので我慢することにします。ジーンが洗面所に行っている間、ボブもまた洗面所に入ります。
 洗面所から戻ったジーンは、夫の姿が見当たらないのに気づきますが洗面所に行ったのだろうと考えます。しかし洗面所から出てくるのは別の客ばかりで、夫本人は出てきません。聞いてみても洗面所には誰もいないというのです。店主に洗面所を開けて見せてもらいますが、そこには誰もいませんでした…。

 ふと立ち寄った店で、いつの間にか夫が消えてしまいパニック状態になる妻を描いた不条理風味のサスペンス作品です。SF・ホラーを得意とするマシスンだけに、超自然的な消え方をしたのかと思ってしまうのですが、この作品では合理的な解決が示されます。
 ただ、夫が消えてしまった後の妻の不安やあせりが描かれる部分には不条理な恐怖感が感じられます。妻が言っていることを誰にも信じてもらえないため、一瞬、本当に夫がいたのかどうか疑ってしまうような、ニューロティックな雰囲気が魅力になっていますね。



H・G・ウェルズ「塀についたドア」(阿部知二訳『ウェルズSF傑作集1』創元SF文庫 収録)
 レドモンドは、友人のライオネル・ウォーレスから「塀についたドア」の話を聞きます。ウォーレスは幼いころにそのドアを開け中に入り込んだといいます。その場所は自然に満ち溢れ、美しい人々が暮らしている、楽園のような場所だったというのです。元の世界に帰ってきたウォーレスは、それからも何度か「塀についたドア」を見かけますが、そのたびに重要な用事があったため、ドアを通り過ぎてしまっていました。しかし今となって、そのドアに焦がれているというのです…。

 楽園のような別世界に通じているらしい「塀についたドア」について語られる幻想小説です。「塀についたドア」及び、その中の別世界が本当にあったのかどうかは明確にはされません。結末でウォーレスが命を落としたことが語られるのですが、ただ事故に遭っただけなのか、本当に別世界に行ってしまったのかは、読者の受け取り方によって印象は異なるでしょう。
 ドアの中の別世界に関しては、どこか死を思わせる描写があり、別世界というよりは死後の世界という解釈もできますね。別世界は楽園のような描き方をされていますが、その中で、少年(ウォーレス)が自分の生涯を本によって見せられるというシーンがあり、この部分はちょっと怖さを感じますね。



アドルフォ・ビオイ=カサレス「大空の陰謀」(安藤哲行訳 鼓直編『ラテンアメリカ怪談集』河出文庫 収録)
 秘書として働く姪と暮らすセルビアン博士は、知り合いのイレネオ・モリス大尉が会いたいと話していることを知ります。彼はテスト飛行のパイロットとして飛行機に乗っていたところ、意識を失い、気が付くと病室にいたというのです。
 スパイ容疑がかけられていることを知ったモリスは、知り合いに確認してほしいと幾人かの名前を上げますが、誰もが自分を知らないというのを聞いて驚きます。スパイ容疑でモリスの処刑もあり得ると知った看護婦のイディバルは、伝手を利用して、モリスに再度テスト飛行の実験をさせるように手を回します。
 飛行中に再び意識を失い病室で目を覚ましますが、そこで自らがアルゼンチン軍所属のパイロットであることが認識されていたことに、モリスは安堵します。しかし、恋人となった看護婦イディバルの存在を誰も知らないのです…。

 並行世界に紛れ込んでしまったパイロットの悪夢のような体験を描く幻想小説です。
 紛れ込んだ世界はウェールズが消滅し、カルタゴが滅亡しなかった世界らしいのです。ウェールズの血を引くモリスはその世界では存在しないため、誰もが彼のことを知りません。
 再飛行で元の世界に帰還しますが、そこではカルタゴの血を引いていた恋人イディバルは存在しないのです。恋人に会いたいモリスと、別の世界に行きたいセルビアン博士は、再び飛行して別の世界への移動をしようと考えることになります。
 モリスが戻ってきたと思った世界も、実は元の世界ではなく、また別の世界であったことが示されます。複数の世界のモリスが飛び立って別の世界に移動しているわけで、中には並行世界には行かなかったモリスも存在しているのです。物語に登場するモリスは、どの世界から来てどこに行ったのか?考えるとますます分からなくなってきますね。
 並行世界のディテールも細かく描かれていて、滅亡した国や存続した国の影響で、その人種が変わっていたり、町の通りの名前が変わっていたりします。さらに、並行世界のセルビアン博士が、モリス家の家系が存在しないため、教養的な面での影響を受けずに読書傾向が異なることとなり、その結果、モリスの並行世界移動に気づくための知識を持っていた…というのも面白いです。また、セルビアン博士と姪との関係も現実世界と並行世界とで異なっているようで、それが物語の展開にも深く関わってくる、というのも興味深いですね。
 複雑な構造で、図面を書いてみないと理解しにくいような設定のお話なのですが、いろいろ深読みできる面白い作品ですね。並行世界というSF的な設定を扱っていながらも、作者の筆致のせいもあって、閉塞感のある重厚な幻想小説に仕上がっています。



テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

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男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『奇妙な味の物語ブックガイド』「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」を刊行しました。



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