FC2ブログ
遠くて近い場所  ロバート・ウェストール『弟の戦争』

弟の戦争 単行本 – 1995/12/1


 ロバート・ウェストールの長篇『弟の戦争』(原田勝訳 徳間書店)は、イラク軍の少年兵と精神が入れ替わってしまったイギリス人の少年と、その家族を描く物語です。

 両親と弟と共に暮らす「ぼく」ことトムは、ことに弟のアンディを生まれた時から愛していました。「ぼく」は、二人の間だけのあだ名として、幼いころの空想上の友達「フィギス」の名で弟を呼んでいました。フィギスは、その優しさのあまり、弱い立場の動物や人間のことを知るととりつかれたようになってしまい、両親や兄の「ぼく」はその優しさに感じ入るものの、たびたび家族を困らせるほどでした。
 中東で湾岸戦争が始まったころのある日、フィギスは突然理解できない奇妙な言葉を話し始めます。ようやく意思の疎通ができるようになった弟は、自分はイラクの少年兵ラティーフであると話します。フィギスが、「ラティーフ」に身体を占領されてしまう時間はどんどんと増えていきますが…。

 湾岸戦争の只中に、突然イラクの少年兵の精神に身体を乗っ取られてしまったイギリス人の少年を描く物語です。この少年フィギス(アンディ)が非常に心の優しい少年なのですが、その優しさは度を越えているほどで、小動物から遠い国の人間にまでもがその対象となっています。
 その優しさが原因で休暇が台無しになってしまうなど、フィギスに対して家族は不満を持つものの、家族は皆彼を愛していました。そのフィギスの性質が原因となったものなのか、ある日彼の身体にイラクの少年兵ラティーフの精神が入り込んでしまうことになるのです。
 理解のある医師ラシードの協力もあり、フィギスの状態は病気ではなく、超自然的な現象なのではないかという結論を「ぼく」は得ることになります。ラティーフがこちらに来ている間、代わりにフィギスはイラクのラティーフの体の中に行っているだろうということ、ラティーフは戦死してしまう可能性が高いだろうということに思い当たった「ぼく」とラシードは、フィギスの身を案じることになります。

 遠い国の戦争、しかもハイテク兵器が多数使用された「近代的戦争」である湾岸戦争を舞台に、どこか遠い世界のことだと思っていた家族たちが、直接の当事者として戦争を実感させられることになる、という、ある種ショッキングな題材を扱っています。
 いわば弟が直接戦争に駆り出されているのと同じなわけで、ラティーフに乗り移られた弟の姿を見て「ぼく」は戦慄することにもなります。
 両親、とくに父親はアラブ人に対して多少の偏見を持っているようで、イラクやサダム・フセインを嫌っています。また担当医師であるラシードが、アラブ人であることも不満の種の一つではあるのです。また母親は福祉に積極的で慈善活動にも協力的なのですが、フィギスの一件でその仕事を辞めてしまいます。

 「戦争は悪」という反戦メッセージが込められた作品ではあるのですが、それ以上に、人に対する優しさはどこまで人を救うことができるのか?という普遍的なテーマが感じられる作品になっています。母親が福祉活動を辞めてしまうのも、自分の無力さを感じたがゆえですし、「ぼく」や父親もまた、フィギスに対して何もできないことに無力感を感じます。
 「人類愛」に近い優しさをもつフィギスもまた、戦争という事態に対してはほとんど何もできません。戦場の悲惨さを目の前にした後に彼に残るものとは何なのか?
 一人一人の優しさで救えるものには限界がある、それでも優しさを持ち続けられるものなのか? 「戦争の惨禍」というもの以上に、「愛」や「優しさ」「良心」といったものについての寓話とも読める作品です。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://kimyo.blog50.fc2.com/tb.php/1274-88296e89
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『奇妙な味の物語ブックガイド』「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」を刊行しました。



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する