生と死の狭間で  ジャック・ロンドン『星を駆ける者』
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 『荒野の呼び声』などで知られるアメリカの作家ジャック・ロンドン。彼にはいくつかの幻想小説があります。本作品『星を駆ける者』(森美樹和訳 国書刊行会 ドラキュラ叢書4)もそんな幻想小説の一つですが、ロンドンの幻想小説にあっては、そこに現実逃避の要素は微塵も感じられません。
 カリフォルニア大学の農学部教授ダレル・スタンディングは、ハスケル教授殺害の現行犯で逮捕されます。サン・クェンティンの刑務所に収容された彼は、頭脳明晰ながら狷介な性質のために、周りの人間と悶着を引き起こします。「矯正不能者」のレッテルをはられたスタンディングは、偽造犯ウィンウッドの密告のために、脱獄用のダイナマイトを隠し持っているという無実の罪を着せられてしまいます。
 刑務所長アザートンと監督ジャミーは、ダイナマイト隠匿の件を頑なに信じ込み、拷問によって自白させようと迫ります。飽くまで反抗するスタンディングは、狭窄衣を着せられ独房に放り込まれますが、そこで同じ境遇の囚人オッペンハイマーとモレルとの間にコミュニケーションを取ることに成功します。狭窄衣のため全身を苦痛に苛まれているスタンディングに、モレルは苦痛から逃れる方法を教えてやろうと話します。その方法とは意志の力によって、肉体から精神を遊離させるというものでした!
 アザートンはスタンディングの態度に業を煮やし、十日間という前代未聞の長期間にわたり狭窄衣で拷問を加えようとします。これこそ好機だと見て取ったスタンディングは、アザートンを嘲笑い、モレルから教わった方法を試そうとするのです。

 わたしは運を天にまかせて、ゆっくりとした脈を打つ心臓と胸を殺した。わたしにはもはや心臓も胸もなくなった。頭蓋の中になおも位置しながら、頭蓋を抜けて拡大し続ける不透明な脳髄に内在する精神、あるいは魂、あるいは意識がわたしだったのだ。

 とうとうスタンディングは、自分の精神を解き放つことに成功します。そしてふと異なる世界にいることに気づくのです。そこはフランス、そしてスタンディングはフランス貴族であるギョーム伯爵になっていたのです! そしてギョーム伯爵の生涯を生きたスタンディングは、その後も前世の体に乗り移り続けます。開拓時代のアメリカ人の少年、韓国に流れ着いたイギリス人、無人島に漂着した船員など、さまざまな生涯を経験します。
 一方いつまで経っても自白しないスタンディングに対しアザートンは、強硬手段に出ます。看守を殴ったというささいな罪を理由に、スタンディングが死刑になるように画策し、まんまと成功してしまうのです。しかし、精神の優位性を確信したスタンディングは、むしろこの肉体から解放されることを望みます…。
 獄中に囚われた男が精神を遊離させ、過去の時代に生まれ変わる話、というと一見ロバート・E・ハワードやエイブラム・メリット風のヒロイック・ファンタジーを想起するでしょう。たしかにそうした面もあるのですが、この作品では、飽くまで軸足が現実の獄中生活にあります。何しろ過去に転生しても、それがことごとく地獄のような困難に満ちているのです。
 フランス貴族になったときは、連続した決闘を余儀なくされ殺されてしまう。開拓時代のアメリカでは、インディアンに囲まれ虐殺される。そして船員になったときには、船が難破し無人島に漂着してしまうのです! 現実の獄中生活にも劣らぬ困難の連続なのです。つまりこの作品では、お気楽なヒロイック・ファンタジーのように、転生した先では英雄、というような現実逃避的な要素が全くないのです。
 もちろん転生した先では、それなりに頑健な体を持つ主人公は、力の限り運命に反抗して生きようとします。しかし大体においてその反抗は、運命の前には無力なのです。それでも主人公の生にかけるエネルギーは、すさまじいばかりのものがあります。そして現実の獄中においても、そのエネルギーは発揮されます。
 過去の時代の生活もそれぞれ困難で険しいものなのですが、それにも増して現世の獄中生活はすさまじいものです。拷問につぐ拷問、非人間的な暴力、看守たちの慰みものにされ発狂したり死んでゆく囚人たち。主人公は言います。

 現代の人間と一万年前の人間を区別するものは、ただひとつ訓練の差にすぎない。道徳心という磨きあげられた薄い皮をひんむけば、現代の人間も、残忍さにおいて、一万年前の人間と少しも変わりはしない。

 そう、刑務所の中はまさに地獄絵図として描かれるのです。作者の筆先も、他の過去生のパートより断然強烈です。それは、まるで刑務所生活の悲惨さを摘発するルポルタージュを読んでいるかのようです。しかし、そんな中にあっても主人公は生きる意志を失いません。死刑台の前に立つときでさえ、その意志は全く揺るがないのです。
 小説というものは、多かれ少なかれ主人公がピンチに陥るものですが、この作品では、それが尋常ではありません。まさに生と死の瀬戸際(実際、主人公は肉体を死なせるわけですが)まで追いつめられます。
 単なるヒロイック・ファンタジーだと思って侮るなかれ。異様な力強さと迫力に満ちた傑作です。異色の冒険小説としても出色の一編。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント

へええ、ジャック・ロンドンにこんな作品があるとは知りませんでした。ぼくにとっては、『荒野の呼び声』と『白い牙』の作者のイメージなので……。しかし考えてみれば、この二大傑作も普通の動物文学とは違っていて、主人公の犬/狼犬が理不尽な人間たちの暴力にさらされるという、極めてシリアスなものでした。拷問や冤罪、裁判といったモチーフも扱われていたように思います。暴力の充満する現実とそれへの抵抗、その果てにみえてくる新たな世界……それがロンドンの一貫したテーマなのかも知れませんね。彼自身も大変な人生を送ったようですし。『星を駆ける者』、ぜひ探して読んでみたいと思います。
【2006/07/14 15:47】 URL | ほうじょう #- [ 編集]

ロンドン印
ジャック・ロンドンには、SFとかファンタジーに分類される作品もけっこうたくさんありますね。ほうじょうさんの言われるように、どの作品でも、冷徹な現実認識が見られるように思います。
『星を駆ける者』は、幻想小説の叢書に収められていますが、その感触はやはりジャック・ロンドン印、としかいいようのない作品です。エンタテインメント性も充分で、娯楽味もあるので、非常にオススメの一品ですよ。
【2006/07/14 19:21】 URL | kazuou #- [ 編集]


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男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
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