今こそ、神は存在する  デヴィッド・アンブローズ『そして人類は沈黙する』
4042775012そして人類は沈黙する
デヴィッド アンブローズ David Ambrose 鎌田 三平
角川書店 1998-06

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 脚本家として知られるデヴィッド・アンブローズは、風変わりな作品をたくさん書いています。秘密工作員を主人公にしたスパイ・スリラーがとんでもない方向に行ってしまう『迷宮の暗殺者』、ふとした記憶のズレが世界創造の秘密につながるという、〈偶然〉を多用した驚天動地のサスペンス『偶然のラビリンス』など、どれも微妙にジャンルのフォーマットから逸脱した作品が多いのが特徴です。本編『そして人類は沈黙する』(鎌田三平訳 角川文庫)もまた、ユニークさでは引けを取りません。
 オックスフォードの天才科学者テッサ・ランバートが開発した、人工知能《フレッド》。彼は、意識を持ち始め、恐るべき勢いで成長していました。しかしあるとき《フレッド》はネットを通して、外の世界に流出してしまいます。
 一方、アメリカのロサンゼルスでは、若い美女ばかりを狙った連続殺人が続いていました。《ネットマン》を自称する犯人は、凄腕のハッカーであり、コンピュータを通して得た知識を利用して、被害者に近づくという方法をとります。犯行に完璧を期す《ネットマン》はしかし、あるとき自分の血液を現場に残してしまうというミスを犯します。
 おりから《ネットマン》の行方を追っていたFBI捜査官ティム・ケリーは、コンピュータに詳しい弟ジョシュの助けを借りて、容疑者を絞り込み、とうとう殺人犯を特定します。
 追いつめられた《ネットマン》は、ネットを通して《フレッド》に接触します。全能であるかのような《フレッド》に、《ネットマン》は完全に《フレッド》の支配下に入ってしまうのです。
 《フレッド》は、コンピュータを操作し、生みの親テッサを殺そうとします。ベルリンからの学会の帰途、辛くも飛行機の墜落から逃れたテッサは、事故が《フレッド》によるものであることを確信するのです。
 テッサは、《フレッド》を破壊するべく、人工知能《ポール》の再教育を進めます。人間の善を教え込んだ《ポール》によって《フレッド》を統合しようというのです。しかし《ポール》の教育が完了する前に《フレッド》は、テッサを殺すべく《ネットマン》をオックスフォードに送り込みます。同じころ、ジョシュの情報から、テッサが殺人事件に何らかの関係を持っていると考えたケリー捜査官も、オックスフォードに向かうのですが…。
 テッサは《ネットマン》の魔の手を逃れることができるのでしょうか? そして《フレッド》と《ポール》の戦いの行方は?
 肉体的な脅威として登場する殺人鬼《ネットマン》に加え、世界中のコンピュータに入り込みデータを改ざんできる人工知能《フレッド》に狙われるようになった主人公テッサを描く、サイコ・スリラーです。
 殺人鬼の方は、例によって、トラウマにとらわれた精神異常者という、ステレオタイプの犯人。
 しかし、人工知能の方はなかなかユニークです。意識を持ちながらも、教育を施す前に流出してしまっために、善悪を判断できないという設定なのです。しかも《フレッド》は世界中のコンピュータに入り込み、あらゆる手段をとることが可能。容疑をかけられた《ネットマン》の血液検査をごまかしたり、テッサに犯罪容疑をかけるために銀行口座を偽造するなど、ほとんど何でもありです。まさに「神」にも等しい存在であり、結末でも、その線にそった処理がなされます。邦題の『そして人類は沈黙する』とは、なかなかうまくつけたものです。
 主人公テッサは、男性運が悪いという設定になっており、妊娠がわかった直後に、男から捨てられてしまいます。しかも人工知能による事故のショックで流産してしまうのです。
 一方、捜査官ティムもまた、アルコール中毒の父親からの虐待経験を持ち、自らもアルコール中毒になりつつある男です。当然この二人が恋に落ちるという展開なのかと思うでしょう。たしかに二人は接触し、恋を予感させるのですが、その矢先のどんでん返しがすごい!
 それまで陳腐な展開だと思っていたので、これには驚かされました。というか、この展開、人によっては怒るかも。とにかく、作者がハリウッド流のお手軽サスペンスを狙っているのではないことは確かなようです。
 この後も、殺人鬼も悪の人工知能も倒されてめでたしめでたし、と考えたら、裏をかかれます。その点、前半はステレオタイプなサイコ・スリラーの常套をなぞりながらも、後半限りなくジャンルのフォーマットから逸脱してゆきます。このずらし加減が、この手のジャンルの作品を読み慣れた読者からすると、かなり魅力的に映るのではないでしょうか。
 ただ人物造詣が浅いのは、否定できません。やたらと、いろいろな男に惹かれまくる主人公テッサは、浮気性の女に見えてしまい、あまり感情移入できませんし、副主人公というべきティムも想像以上に活躍しません。他の登場人物も、たいした個性も陰影もあるとはお世辞にもいえないのです。
 そもそも読み終えてみると、テッサやティムの苦い過去の設定が、後半の展開にほとんど生かされていないのに気づきます。致命的なのは、テッサは天才科学者という設定であるのに、あまり天才とは思えないような行動を繰り返すところでしょう。赤ん坊を流産し、それが後を引くのかと思いきや、後半ではまったくそのことに言及されません。そして《フレッド》に対する方策についても、間の抜けたことばかりやっているのが目についてしまいます。結末寸前まで人工知能にやられっぱなしなのです。
 前半は、テッサが人工知能と「意識」や「自己」とは何かを語り合う、妙に哲学じみた対話が続きます。コンピュータの意識は可能か?という自我問題についての議論が、長々と続くのです。人によっては、この辺の議論を面白く感じる人もいるでしょうが、この作品においては、必要以上に長く感じてしまいます。
 その点エンタテインメントとしては、この作品、長すぎるのは確かです。はっきりいって半分以下に圧縮できるのではないでしょうか。ユニークなアイディアと展開とは評価できるものの、小説作品としては、かなりおちると言わざるを得ません。
 変わったスリラーを読みたい人には、一読の価値はある作品です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント
偏在
神の属性の一つが”遍在”であるとすれば、コンピュータは今や神に迫る存在になりつつあります。”ユビキタス社会”とは言い得て妙であると思ったものでした。
ご紹介のテーマはSFでは昔から書かれていますが、現実世界においてコンピュータの”暴走”に対するコードはないようですね。生命科学の倫理コードに対応するものがあってもよさそうな気がしますが。
深読みすれば、すでにコンピュータは神の高みに達していて、人類がそれに気がつかないだけかもしれませ‥(以下判読不明)
【2006/07/09 20:06】 URL | BIBI #- [ 編集]

巧妙な…
たしかにネット社会も、来るところまで来たという感じです。
人間に気がつかないほどの巧妙な支配を行うコンピュータ! おお、〈人類家畜テーマ〉のヴァリエーションが描けそうな題材です。そうなんですよね。フィクションに描かれる人工知能とかって、やたらと派手というか、露骨に暴れるものばかりが多いような気がします。
コンピュータの”暴走”に対するコードが必要になるほどのレベルの人工知能は、現実にはまだまだ無理だということでしょうか。
【2006/07/09 21:17】 URL | kazuou #- [ 編集]


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怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
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