虫のいい生活  ウィル・セルフ『元気なぼくらの元気なおもちゃ』
4309621899元気なぼくらの元気なおもちゃ
ウィル・セルフ 安原 和見
河出書房新社 2006-05-20

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 風変わりな登場人物、不条理な展開、オチらしいオチもなし。それでいて失わないユーモア。ウィル・セルフの作品は、面白いかと言われて素直に面白いとは言えないのですが、かといってつまらないとも言えないのです。『元気なぼくらの元気なおもちゃ』(安原和見訳 河出書房)は、実に変わった作品集です。その面白さを伝えるのが、これほど難しい作家はいないでしょう。そもそも、面白いかどうかさえ判然としないのですから。
 『リッツ・ホテルよりでっかいクラック』主人公は、兄ダニーと弟テンベの黒人の兄弟。軍隊帰りで、堅気になろうとしたダニーでしたが、ロンドンの家の地下室でなんとクラック(コカインを加工した麻薬)の山を見つけてしまいます。麻薬中毒の恐ろしさを知るダニーは、自らは薬に手を出すことを控え、テンベに麻薬をさばかせて大もうけするのですが…。
 オチらしいオチも、ストーリーらしいストーリーもなく、麻薬を吸うイラン人の描写が長々と続くという唖然とする作品です。
 『ヨーロッパに捧げる物語』ダニエルとミリアム夫妻の一粒種である息子ハンピーは、実に愛らしい子供でしたが、口を開くやいなや、まったく意味不明な言葉を話し出します。時が経っても変わらないその様子から、知恵遅れではないかと心配した夫妻はハンピーを児童心理学者ウェストンのもとに連れていくのですが…。
 子供の意識が、別人のものと交感するという、SFではわりとありふれたテーマですが、徹頭徹尾、明るい語り口で楽しめるユーモア作品です。
 『愛情と共感』その世界では「大人」は、自らを保護してくれる巨大な「エモート」という存在を持っていました。異性に対して消極的なトラヴィスは、同じく、おくての女性カリンと出会いデートすることになります。トラヴィスの「エモート」であるブリオン、カリンの「エモート」であるジェインの存在がきっかけとなり、二人はつきあいを深めていきます。しかし二人が寝静まった後、二人の「エモート」はその保護者じみた態度を豹変させます…。
 〈内なる子供〉を現実に実体化させてしまったという「エモート」の設定からして、度肝を抜きます。ひたすら被保護者の身を案じ、包容力にあふれる「エモート」。純真そのものと見えた彼らの本性がわかる結末は、皮肉が効いています。ただ「エモート」が人間なのかロボットなのか、そのあたりの説明も全くないので、困惑する読者もいるのでは。
 『元気なぼくらの元気なおもちゃ』車で走っていた精神分析医のビルは、途中でヒッチハイカーの男を拾います。敗残者じみたその男から、内情をいろいろ聞き出したビルは、無意識に彼を分析している自分に気がつき、自己嫌悪を抱くのですが…。
 問題を抱えた男を冷静に分析するビル自身もまた、同じような問題を抱えていることに気づくという心理小説です。
 『ザ・ノンス・プライズ』冒頭の作品『リッツ・ホテルよりでっかいクラック』の続編。薬に手を出し廃人寸前になっていたダニーは、性犯罪者の汚名を着せられ刑務所に入れられてしまいます。所長の心証をよくしようと講座を受講することにしたダニーが、電気工事と間違えてとってしまったのは、なんと小説講座!
 講師のマーニイに感化されたダニーは、読書にとりくみ、めきめき腕をあげてゆきます。やがて「ウォルフェンデン刑務所創作賞」を目指すようになったダニーは、同じ講座をとった性犯罪者クラックネルとグリーンスレイドにライバル心を燃やすのですが…。
 前編が奇想天外な設定だったのに比べて、これは意外とストレートな作品。とはいってもやはりおかしな作品であることには変わりありません。舞台からしてもう異様。性犯罪者の集まる刑務所内の描写は、猥雑で下世話なのです。とくにダニーのライバル二人は、ほとんど異常者で、さらに異様な雰囲気を醸し出しています。そんな中で文学に目覚め、夢を持ち始めるダニー。本来なら感動ものの人間ドラマなのでしょうが、ぜんぜん感動できません。あまりに周囲が異常で、主人公にしてからが、風変わりすぎて感情移入もしにくいからです。異様な登場人物を使った普通小説、とでもいいましょうか。
 どれもこれも、異様な作品であんまり人に勧めにくいのですが、本作品集で一番まとまりがよく、ストーリーらしいストーリーがあるものを挙げるとすれば、これ『虫の園』でしょう。
 索引制作を生業とするジョナサン・プリーストリーは、妻のジョイに出て行かれてから、いらついていました。部屋中を飛び回るハエやハチ。夏とはいえ、やたらと目に付く虫を殺すべく、彼は殺虫剤やハエ取り紙を買い込みます。
 あるときジョナサンは、キッチンの水切り板じゅうにシミの群れがわき出しているのに気がつきます。

 その無数の虫が、なにか見覚えのある模様を描いている。ジョナサンはよく見ようと屈み込んだ。文字だ。シミが自分で並んでスローガンを書いている。虫ノ園ヘヨウコソ…とあった。最後のリーダーの点線はいわば落伍者で、最後の「ソ」の足に入りそこねた五十匹ばかりでできていた。

 何と虫たちは、ジョナサンに助けを求めてコミュニケーションをとってきたのです! 虫たちは、殺虫剤やハエ取り紙をどけてほしいと懇願します。その代わりにジョナサンの生活を快適なものにすることを条件として。
 虫たちは、部屋を綺麗にしたり、必要な物を運んだりと、様々な仕事をこなしていきます。

 昼食のときには、水切り板の前でかなり長いこと会話を交わした。「いいだろう」彼はシミに向かって言った。「これまでのところ、おまえたちはちゃんと約束を守ってるようだ。バポナは始末する」
 バンザイ!とシミが書いた。


 いつしか虫たちとの生活に満足感を抱くようになったジョナサンのもとに、妻ジョイからの電話がかかってきます。虫たちに親近感を感じ始めた彼の耳には、妻の声は異様に不快に響くようになっていたのですが…。
 虫たちと奇妙な共同生活をすることになった男の不思議な物語です。その虫の描写には、気色悪さというよりは、なにやら官能的な雰囲気さえ漂います。体中を蛾にきれいにしてもらう描写に至っては、露骨に性的な含意を窺わせます。猥雑な題材を扱いながらも、妙なユーモアが醸し出されており、本集では一番楽しめる作品でしょう。
 とにかく、本集は〈奇想コレクション〉シリーズの中でもいちばんの問題作です。エンタテインメントとしては、あまりオススメできませんが、今まで味わったことのない読書経験が得られることだけは、保障できます。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント
kazuouさん、こんにちは、、。
kazuouさん、こんにちは、、
コメントいただいた、indi-bookです。
早いですね、、この本、本屋に並んでましたよ、、。
ちょうど、この本のシリーズの「どんがらがん」読んだところなので、注目してました。
「どんがらがん」は、ちょっと苦労したけれど。
翻訳物がおすきなのですか?
私は、大好きです。
では、又。
【2006/05/30 23:52】 URL | indi-book #- [ 編集]

>indi-bookさん
indi-bookさん、こんにちは。
翻訳ものは、大好きです。というか、小説は、ほとんど翻訳ものしか読まないですね。
〈奇想コレクション〉シリーズは、どれも面白く読んでいます。『どんからどん』もたしかに風変わりで読みにくくはありましたが、楽しめました。
ですけど、今回のウィル・セルフの作品は本当に難物! 完全に一般人とは異なる思考回路で書かれてますね。非常に難しかったです。でも〈奇想コレクション〉で出なかったら、おそらく手を出さなかった作家ではあるので、出会いを与えてくれたことには感謝すべきなんでしょうね。

【2006/05/31 00:04】 URL | kazuou #- [ 編集]


併読していたマコーマックの「隠し部屋を査察して」の方が奇想すぎたのでメインストリーム系の話として楽しみました。
解説によればウィル・セルフの本の中でも読みやすいものだということなので、本領発揮したものの方はどんなものなのかちょっと気にはなりましたね。
もっとも翻訳されても読むかどうかは別ですが。
【2006/06/01 16:59】 URL | Takeman #- [ 編集]

マコーマックのほうが…
そういえば、マコーマックの『隠し部屋を査察して』が文庫化されてましたね。あれは僕も好きな作品集です。たしかに、あの本と比べたら大抵の本は、大した物じゃないように見えちゃいますね。
ウィル・セルフ、今回の作品集は難物ではありましたが、とりあえず、まだ理解の範囲内でした。風変わりなメインストリーム系統、といったところでしょうか。〈奇想コレクション〉だから読みましたが、普通に出てたら手に取らなかったかも。
以前読んだセルフの短編『北ロンドン死者の書』なんか、かなりぶっとんでたので、あの傾向の作品を集められてたら、相当きつかったな、とは思いました。
【2006/06/01 19:47】 URL | kazuou #- [ 編集]


kazuouさん、こんにちはー。

「隠し部屋を査察して」、吉野朔実さんの読書エッセイで「わからないけどおもしろい」と紹介されていたのが気になって、図書館で借りてきたところです。
かなりすごい話のようですね、楽しみです。
奇想コレクションや異色作家短編集など最近は面白そうな翻訳ものが続々出版されていて読む速度が追いつかなくなっています(^^;)

【2006/06/02 11:26】 URL | 眠猫 #- [ 編集]

>眠猫さん
『隠し部屋を査察して』は、『パラダイス・モーテル』と並んで、僕のオールタイム・ベストに入るお気に入りの作品です。たしかに謎だらけですけど、わからなくはないですよ。『パラダイス・モーテル』の原型の短編も入ってたと思います。
そうですね、最近の翻訳物ラッシュは、すごいですね。今みたいに、異色作家の短編集が続々と訳されるのは一過性のものだと考えてるので、すぐ読むかはともかく、なるべく購入するようにしています。
【2006/06/02 12:49】 URL | kazuou #- [ 編集]


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Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
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