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妖異と法悦  『アーサー・マッケン作品集成』
 イギリスの作家アーサー・マッケン(1863-1947)は、アルジャーノン・ブラックウッド、M・R・ジェイムズと共に、近代の怪奇小説の三大巨匠の一人とされる人です。
 マッケンの作品に現われるのは、牧神であったり妖精であったりと、人ならざるものたち。しかもそれらは「可愛らしい」ものではなく「邪悪」なものなのです。触れてはいけない超越的な存在に触れてしまった人間はどうなるのか? そんなテーマに憑かれた作家です。しかし作者自身、それらのものたちへの「官能性」に惹かれているところに、一種なまめかしい魅力もあります。
 宗教的、秘教的な面が強い作品もあり、そうした要素が強く出てしまっている作品に関しては、読者を選ぶところもありますね。
 幸い、彼の作品に惚れ込んだ訳者、平井呈一により、主要な作品がほぼ邦訳紹介されました。その訳業は『アーサー・マッケン作品集成』(牧神社)としてまとめられています。
 なお、この『アーサー・マッケン作品集成』は、1973~1975年に牧神社より初刊。1994~1995年に沖積舎より箱入り本として新装復刊されています。また、2014~2015年にはソフトカバー版として、同じく沖積舎から新装版が刊行されました。



アーサー・マッケン作品集成 (1) 白魔
アーサー・マッケン『アーサー・マッケン作品集成1 白魔』(平井呈一訳 沖積舎)

「パンの大神」
 クラークの立ち合いのもと、異端的な医師レイモンドによって脳手術を受けたメリーは、その結果、白痴になってしまいます。クラークは後にフィリップ博士からある事件の顛末を聞き取り手記にまとめます。そこにはヘレンという娘が何か不思議な存在と一緒に森で過ごしていたこと、ヘレンの女友達が恐ろしい体験をしたことなどが記されていました。
 一方、記者のヴィリヤズは、街中で浮浪者に落ちぶれたかっての友ハーバートに出会います。彼の話によれば結婚したヘレン・ヴォーンという女性によって破滅させられたというのです。
 また友人のオースチンから、かってハーバート夫妻の家の前で恐怖のためショック死した男がいることも耳にします。その後も資産家や貴族の男性が次々と自殺するという事件が相次ぎ、その影にはボーモント夫人と名乗る一人の女性がいるらしいことが分かってきます。
 ヴィリヤズは複数の事件の影にいる女性こそ、かってのハーバート夫人ことヘレン・ヴォーンではないかと考え、調査を進めることになりますが…。

 脳手術によって「牧神」が見えるようになった少女の娘ヘレンが魔性の力を発揮し、次々と男たちを破滅と死に追い込んでいくという物語です。ヘレンが、序盤で手術を受けた少女メリーとどういう関係なのかはすぐには明かされないのですが、物語の流れから推測できるようにはなっています。
 物語の語り口も独特です。複数の人物や書簡などがつなぎ合わされ、容易に全体像がつかめないようになっています。クラークとヴィリヤズという登場人物が語る部分が多いのですが、この二人を含め、それぞれの人物がどの程度まで情報を知っていて、何を知らないのかがはっきりしません。
 語られる事件の時系列もあまりはっきりせず、全体が靄に包まれたかのような感覚になっていきます。実際、最初の実験の際にもクラークは眠気のため、実験の詳細を見ていないことになっているあたり、作者も意図的に描いているのかもしれません。
 最後までヘレンが具体的にどういう能力を持っているのか、手術を受けたメリーが具体的にどうなったのか、パンの大神がどういう存在なのかについても明かされません。直接的な語りの部分にせよ、書簡などの間接的な表現の部分にせよ、肝心の真相の手前で記述が打ち切られてしまうことが多いのです。
 ただそうした曖昧な表現が、逆に不気味さと気色悪さを高めている面もあります。
 結末のヘレンの最期の場面のインパクトは強烈で、『三人の詐欺師』中の「白い粉薬のはなし」と並び、マッケン作品の白眉といっていいのではないでしょうか。

「内奥の光」
 チャールズ・サリスベリは数年ぶりに旧友のダイスンと再会し話をするうちに「ハールズデン事件」のことを知ります。それはブラック医師が夫人殺害を疑われたものの結局自然死とされ、無実になった事件でした。しかも解剖の結果、夫人の脳髄は人間とは思えない状態になっていたというのです。ひょんなことからブラック医師と知り合いになったダイスンでしたが、事件の詳しい話を聞くまえに医師は亡くなってしまいます。やがて医師の残した手帳を手に入れたダイスンは事件の真相を知りますが…。

 オカルティックな手術を施した結果、何らかの悪しきものに体を乗っ取られてしまった妻を殺害することになった医師を描いた物語です。第三者であるダイスンがその事件を追っていくという推理小説仕立ての作品になっています。
 解剖の結果、ブラック夫人の脳細胞が人間ではないものに変貌しているとわかる部分や、ダイスンが窓から除く夫人の顔を見て驚愕するシーンなど、ところどころでぞっとさせる、恐怖小説の名品です。夫の邪悪な手術にしぶしぶ同意する妻が描かれる部分も非常に不穏ですね。

「輝く金字塔」
 上京してきたヴォーンは、友人のダイスンに相談を持ちかけます。田舎にあるヴォーンの自宅のそばに火打石のような石が並べてあったというのです。しかも見るたびにその配列は変わっていました。折りしも現地では、裕福な農家のトレヴァ家の娘アニーの失踪が話題になっていました。
 地元の人間たちはアニーは妖精にさらわれたのではないかと噂をしていました。ヴォーンの話に関心をそそられたダイスンは現地に飛び調査を開始しますが…。

 古代の民俗学的なモチーフを背景に、邪悪な「妖精」が描かれる作品です。石が表す「ピラミッド」は一体何を表しているのか?
 クライマックスでは邪悪な生き物が明確な形で登場します。曖昧な形で描かれることはよくあるものの、この作品のようにはっきりと実体を持った「妖精」が登場するのはマッケン作品では珍しいのでは。伝奇的要素の濃い佳篇です。

「白魔」
 独自の思想を持つアンブローズ散人を訪れたコトグレーヴは、彼の「悪」に対する認識を聞いて感銘を受けます。例証としてアンブローズが持ち出してきたのは、ある少女の手記でした。そこには、幼いころに出会った「白い人」の話、乳母から聞いたという様々な不思議な話が記されていました…。

 人間ではない魔のものらしい存在に出会ったこと、何やら妖術を使うらしい乳母、そして彼女から聞いたという妖しい昔話や妖術…。現実と幻想が混濁するような少女の日記部分が、人間の悪について議論する二人の男の枠物語で挟まれるという体裁の物語です。
 外枠の物語、少女の手記、少女が聞いた話、と段階ごとの入れ子構造になった物語ですが、奥にいくにしたがって幻想性が増していくという構造。特に少女が乳母から聞いたといういくつかの挿話は、おとぎ話風でありながら、血の出るような妖しさに満ちています。少女の書いていることがどこまで本当なのか、それとも妄想なのかははっきりしないのですが、描かれる幻想世界の雰囲気は素晴らしく、マッケン怪奇小説の傑作の一つといっていいのではないかと思います。

「生活の欠片」
 銀行員エドワード・ダーネルは、妻メアリの裕福な叔母マリアンから、いくらかの小切手をもらいます。夫婦はそのお金で家具を買うことを考え、相談するのを楽しんでいました。そんなある日、メアリは叔母から叔父が若い女と浮気をしているという話を聞きます。これ以上夫と一緒にいられない、ダーネル夫妻と一緒に暮らしたいという叔母の相談を受けたダーネルでしたが、叔母の様子がいささかおかしいことに気がつきます…。

 無理にあらすじを要約すると上記のような話にはなるのですが、実際のところ非常に要約しにくい物語です。
 前半は若い夫婦の日常生活が、経済的な問題を含めて淡々と語られるリアリズム風の展開なのですが、終始、妙な妖気が漂っていたりと、雰囲気は妙なのです。
 例えば、夫婦が使っている女中が、つきあっている男の母親に会うエピソード。特に超自然味はないようなのですが、その母親が豹変する箇所など、かなり不気味です。
 淡々とした話が動き出すのは、叔母マリアンが実際に夫婦に会いに来るあたりから。本格的に物語の空気が変わってきます。
 叔母が語っていた叔父の浮気の証拠だという話がすでにしておかしいのですが、叔母が新興宗教のような紙片を落としていったり、叔父が現れ叔母について語るなどして、違和感は最高潮に達します。
 しかし逆にダーネルは、古い書物に耽溺し、自らのルーツを振り返りはじめるなど、様子が変わっていきます。そしてそれを受け入れていく妻メアリ…。
 明確な解釈や真意は示されないものの、読者に居心地の悪さを覚えさせるような作品になっています。
マッケン作品の中で最も「難解」な作品といってもいいのではないでしょうか。



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アーサー・マッケン『アーサー・マッケン作品集成2 三人の詐欺師』(平井呈一訳 沖積舎)

「赤い手」
 文士のダイスンと友人のフィリップスは、夜の散歩中に、男の死体を発見します。死体のそばには凶器らしき古代の石斧が落ちており、近くの塀にはチョークで謎の符丁が描かれていました。死体の身元は医師のタマス・ヴィヴィアンであることが判明します。
 ヴィヴィアンの死体の下からはナイフが発見されたものの、それが使われた形跡はありません。しかも彼が持っていた手紙は妙な書体と暗号文のような文章が書かれていました。奇妙な殺人事件に関心を惹かれたダイスンとフィリップスは事件を調べ始めますが…。

 『三人の詐欺師』にも登場するダイスンとフィリップスが、奇怪な殺人事件の真相を探るという、ミステリ的な要素の強い作品です。先史的な石器や記号が登場するなど、民俗学的なモチーフも強いですね。
 割と真っ当に犯人探しをする物語で、ちゃんと犯人も捕まります。しかも犯人探しにはシャーロック・ホームズ的な名推理(?)も使われるという趣向。ただ、一番面白いのは犯人が捕まってからのその告白部分で、そこで一気に伝奇的な展開になるのはマッケンならではでしょうか。

『三人の詐欺師』
 ロンドンで暮らす有閑紳士ダイスンは、ある日通りすがった男が落としていった金貨を拾います。その金貨は、幻と言われるティベリウス金貨でした。その事件を発端に、ダイスンは友人フィリップスともども不思議な事件の話を耳にすることになりますが…。

 ロンドンで二人の紳士が出会う不思議な事件を、枠物語の形で描いた連作短篇集です。ダイスンとフィリップス(主にダイスン)が、街中で出会った男女から不思議な話を聞く…というのが大まかな構成になっています。エピソードは、明確な怪奇小説でないものも混じっていますが、どれも妖しさにみちた話ばかりです。
 そもそも、エピソードを語る男女たちが、そろいも揃って「胡散臭い」のです。そしてそれらの話を聞くダイスンやフィリップスも、どこか真面目に取り合っていないような態度を取っており、この作品自体をシリアスに取っていいものかどうか、読者も迷ってくるような感じなのが、何とも不思議な味わいになっています。
 挿話のうち、「黒い石印」「白い粉薬のはなし」の2つのエピソードは、傑作短篇といっていいかと思います。
 「黒い石印」は、古代の石印を見つけた大学教授が古代の人間ならざる種族を追って行方不明になってしまうという話です。「怪物」が直接登場することはなく、仄めかしにつぐ仄めかしで怪奇ムードを高めるという技巧的な作品になっています。
 「白い粉薬のはなし」は、ふとしたことから、謎の薬を飲み続けることになった青年の恐るべき末路を描いた物語。こちらの作品では、かなりグロテスクな描写がありますね。
 怪奇な事件が語られるパートももちろんですが、ダイスンやフィリップスが登場する「日常パート」(といっていいのでしょうか)も、意外と味わいがあります。このあたり、訳者は解説で「ロンドン綺譚」という表現をしていて、なるほどという感じです。何気ない日常部分でも、何やら禍々しさが感じられるのは、マッケンならではというべきでしょうか。



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アーサー・マッケン『アーサー・マッケン作品集成3 恐怖』(平井呈一訳 沖積舎)

第一次世界大戦中に書かれた作品を集めた巻です。

「恐怖」
 ウェールズの西のはずれの片田舎、メリオンで、事故や殺人が多発していました。崖からの転落、沼での溺死、ウィリアムズ家では五人の家族が頭を砕かれて殺されていました。メリオンの住民内には恐怖が蔓延します。時局柄、ドイツのスパイによるものではないかとの噂も流れ始め、やがてそれを浴びると殺人狂になってしまう「Z光線」という殺人兵器の存在を語り始めるものも現れる始末でした。そんな中、姿を見せなくなったグリフィス家の様子を心配した住民たちが彼の家を訪れると、主人は滅多突きで殺され、家の中では家族と居候の画家が渇水死していました。
 死んだ画家セクレタンが残した書き置きを読んだ、知り合いの医師ルイスは、彼らが何者かに襲われて家に篭城していたことを知ります。ルイスは、周辺で起こっていた「恐怖事件」の真相について調査を重ねますが…。

 一地方で起きた大量の事故と殺人。状況も被害もバラバラな事件に共通するものは何なのか? 犯人は人間なのか狂人なのか、それとも超自然的な存在なのか? まったく推測がつかないまま、どんどんと発生していく事件の推移は非常に不気味で、マッケン作品の中でも戦慄度が高い作品になっています。
 特に主人公的な人物は登場しませんが、作者の分身とおぼしいルイス医師がメインの登場人物となって事件を探っていきます。他にレムナントという人物が登場するのですが、こちらは犯人が二重人格の人間ではないかとか、殺人光線のせいではないかとか、ちょっと変わった意見を出す人物として描かれておりなかなか興味深いです。
 超自然的な決着を迎える作品ではあるのですが、当時の戦争や切羽詰った状況と絡んで語られている面もあり、現実的な意味での「恐怖」も描かれています。マッケンの傑作の一つといっていいのではないでしょうか。

「弓兵・戦争伝説」
 戦争をモチーフにした幻想小説・奇跡譚の連作短篇集です。イギリス軍の危機に聖ジョージが弓兵を連れて救援に現れるという「弓兵」、ドイツ軍に包囲されたイギリス人兵士が身を挺して死に天国で酒を振舞われるという「兵隊の宿」、かって殺害した老僧の姿を幻視したドイツ人曹長が命を尾落とすという「聖体顕示台」、甲冑をつけた兵隊の群れを幻視した男がその光景を現実の兵隊の行進と重ね合わせるという「眩しい光」、現実の紛争箇所そっくりに作られた庭で二種の蟻たちが戦争を繰り広げる「小さな民族」、トルコ兵との戦いの中、古代の神々が救援に訪れるという「トロイから来た兵隊」の6篇から構成されています。
どれも短くシンプルな奇跡譚になっていますが、ゴースト・ストーリーの変種的な味わいの「聖体顕示台」、ユーモアもある「トロイから来た兵隊」などが印象に残りますね。

「大いなる来復」
 ラントリサントに奇妙なことが起こっていることを記す記事を見た「わたし」は、現地でいろいろな「奇跡」が起こっていることを知ります。人々の健康状態が改善するのはもちろん、死病にとりつかれた娘が突然回復する、犬猿の仲の人間が和解したりと、その現象は様々でした。
 一部の人間たちは、不思議な鐘の音が聞こえたり、赤い光を目撃したといいます。そしてある日決定的な奇跡が顕現しますが…。

 いわゆる「聖杯」を扱った幻想小説です。ある町に様々な奇跡が起こり、クライマックスではついに「聖杯」が出現するという作品です。そうした不思議な現象に対して、語り手がルポ風に事態を語っていくのですが、語り手の「わたし」は必ずしもこれらの現象を信じているわけではないようなのがポイントでしょうか。最終的にも、語り手はこれらの奇跡がどういうことなのかわからないという形で小説は閉じられています。

 この巻の解説によると、訳者の平井呈一は「恐怖」を高く評価していたようで、「パンの大神」「夢の丘」「恐怖」を三つの代表作としています。



アーサー・マッケン作品集成〈4〉夢の丘
アーサー・マッケン『アーサー・マッケン作品集成4 夢の丘』(平井呈一訳 沖積舎)
 文学を志す青年の彷徨を描いた、幻想的な青春小説です。
 田舎で育った牧師の息子ルシアン・テイラーには、夢想癖があり、山や廃墟を訪れては空想に耽っていました。作家になる夢を持つルシアンでしたが、経済的な問題のために学業を途中で放棄せざるを得ず、たびたび書き物をしながらも、なかなか物にはなりません。ひょんなことから親類が残してくれた遺産が入り、ルシアンはロンドンに下宿を借りて、ひとり創作に打ち込むことになりますが…。

 筋らしい筋はあまりなく、夢想家で作家志望の青年ルシアンの人生とその彷徨とを描いた作品といえるでしょうか。夢想家である主人公の目には、故郷である田舎でも、ロンドンの雑踏でも、そこに幻想的な情景が映りこむのです。小説中でも、主人公の日常的な描写の中に、幻想・空想的な描写が入り混じっており、現実と空想とが切り離しにくい状態で描かれます。かといって主人公ルシアンが完全に「異界」に囚われてしまった人間かというとそういうわけでもなく、経済的な状況であるとか、自分が世間にどう見られているか、という客観的な認識はしっかりと持ってはいるのです。
 小説の前半では、そうした夢想家としての側面と、周囲から見た現実的な自分の評価とのギャップに悩む姿が描かれます。理解がある父親やいとこなどはともかく、隣人たちからの評価はひどいもの。ルシアンが夢見る空想世界とは対比的に、隣人たちは利己的な「俗物」として描かれます。容姿は美人だけれども中身は「俗物」として描かれる隣人の令嬢たちと比べて、農婦の娘である純朴なアニーに、ルシアンは恋をし賛美するようにもなります。
 後半では、ようやく資産を得て、ロンドンで創作に打ち込むことができるようになったルシアンですが、そこでは今度は「孤独」が彼を蝕むことになります。ロンドンの街でもサバトの幻想を見るなど、変わらず夢想家としての性質を発揮するものの、故郷にいたときほどのものはすでにありません。やがて肉体的にも精神的にもルシアンは衰えていってしまうのです。
 客観的な超自然現象はまったく起こらないといっていいのですが、主人公ルシアンの眼が「夢想家」のそれであるため、彼が見る現実がみな幻想的な風景に見える…という類の作品になっています。そこで現れるのは異教的な風景であったり、黒ミサのサバトの風景であったりします。そのあたりの幻想的な描写は作者マッケンの面目躍如といったところでしょうか。
 それと同時に現実に適合できない青年の悩み・苦しみを描いた青春小説としての面もあり、こちらは現代日本でも共感できる読者が多いのではないでしょうか。
 主人公ルシアンの世界が破綻してしまう最終章は圧巻で、最後に、第三者から見たルシアンが客観的に描写されるのが痛々しいですね。
 結末では「溶鉱炉」を使った比喩的な描写が使われるのですが、「溶鉱炉」の比喩は物語の始まりにも使われており印象的です。



アーサー・マッケン作品集成〈5〉秘めたる栄光
アーサー・マッケン『アーサー・マッケン作品集成5 秘めたる栄光』(平井呈一訳 沖積舎)
 舞台はイギリスのラプトンという公立学校(パブリック・スクール)、感受性豊かな生徒アンブローズ・メイリックは、学校生活に馴染めないでいました。成績は問題ないものの、他の生徒との付き合いは悪く、彼の伯父でもある教頭のホーベリからはきつい躾をされていました。彼の慰めは、今は亡き父親とともに見た聖杯の情景を思い返すことでした。
 ある時、ノルマン人の作ったというアーチを見にセルドン寺院に出かけたメイリックは門限に遅れてしまいます。その結果、ホーベリから鞭による体罰を受けてしまいます。直後に決意を固めたメイリックは人が変わったように、成績優秀、スポーツにも取り組む学校の模範生となります。
 しかし数年後、ネリー・フォーランという使用人の娘を連れ出しロンドンに出奔してしまったメイリックは、学校に戻らずにそのまま姿をくらましてしまいます…。

 訳者解説によれば、当時の学校制度を風刺した作品だとのことで、確かにそうした趣は感じられます。主人公以外の生徒や、伯父である教頭ホーベリなど、現実主義者であり「俗物」である印がこれでもかと描かれるのです。
 特に集中的に描かれるのがホーベリなのですが、この人物、出世のことや学校をビジネスとして考える「俗物」ではあるのですが、それなりに善人であり、子どもの教育についてもそれなりに考えている、ある種の「善人」なのです。
 このホーベリが後年に失脚してしまうことになるのですが、風刺小説ではありながら、その描き方が「俗物」が失敗するのを笑いのめす…という感じにはなりません。上にも書いたように、ホーベリが、笑いのめす対象というよりは同情すべき対象として読めてしまうからです。
 画一的な学校教育に反抗するロマンティスト、メイリックと、現実主義者で俗物である他の生徒や教師(特にホーベリ)を対比的に描こうとした作品だと思うのですが、正直、作者の狙いはあまり達成されてはいません。
 年齢が幼いということもあるのでしょうが、主人公メイリックが精神的に幼く、あまり「孤高の存在」だとは感じられないこと。「俗物」であるべきホーベリがそれほど「俗物」には感じられないこと。要するに、作中に存在する「聖・俗」の要素がどちらも中途半端な感が強いのです。
 また、出来事の時系列がバラバラであること、物語にまとまりがないことなども作品の狙いをわかりにくくしています。「聖杯」をめぐるシーンは、流石にマッケン流の美しさが感じられるのですが、この物語の中ではやはり浮いてしまいます。
 ただ、学校という場になじめない少年の自意識を描く部分には味わいがあり、そうした少年小説的な面では面白い作品だとも思います。後半、学校から逃げ出したメイリックが、同行したネリーの生涯を知り、自分の未熟さを知るという流れも悪くありません。
 風刺小説としては失敗作なのでしょうが、部分的には、画一的で個性を押し込めようとする学校制度というものがよく描かれており、そうした面では、現代日本でも通じるところがあり、読者の共感が得られるのではないでしょうか。



アーサー・マッケン作品集成 第6巻 緑地帯
『アーサー・マッケン作品集成6 緑地帯』平井呈一訳 沖積舎)
 連作中篇「緑地帯」と短篇集「池の子たち」を収録しています。どちらも最晩年の作品で、派手な趣向はないものの、細心に綴られた趣のある作品群になっています。

「緑地帯」
 孤独な生活から来るストレスから転地療養を勧められたロレンス・ヒリヤーは、保養地であるポースに滞在することになります。友人も出来て快適に暮らしていたヒリヤーでしたが、現地で起こった女性殺人事件の犯人との関係を疑われ、土地を追われてしまいます。ロンドンに戻ってきてからも、下宿のあちこちで物が破壊されたりと、不可解な事件は続きます。やがて彼は、奇妙な小人を目撃するようになりますが…。

 何らかの邪悪な力に囚われてしまったらしい主人公が、様々な事件に遭遇するという連作中篇です。やがてその正体が「小人」のような存在であることが明らかになっていきます。面白いのは、主人公が憑かれている「小人」が主人公自身には見えないことで、周囲の人間のみに見えているようなのです。
 たびたび、第三者の目から主人公のそばに何者かがいるような描写が積み重ねられていきますが、当人は全く気付いていないというのが不気味です。
 「小人」の正体は最後まで明らかにならず、ただ「忌まわしさ」のみが残るという怪奇小説です。

「池の子たち」は、マッケン晩年の短篇を集めた作品集です。

「ω (オメガ)」
 前半は老紳士マンセル氏のぼんやりとした日常生活の描写、後半は霊媒ラディスロー夫人の降霊会における事件が描かれるという作品です。二つの出来事をつなぐのは、「ω (オメガ)」の文字。降霊会で現れた「ω (オメガ)」の文字は、かってマンセル氏がよく描いていた文字でした。両者の関係がはっきりしないまま幕を閉じるという、奇妙な味の作品です。

「池の子たち」
 メイリックは山を散策している途中、休ませてもらおうと目に付いた家を訪ねますが、奇しくもそこには旧友ジェイムズ・ロバーツが滞在していました。話をする内に、ロバーツは過去に犯してしまった罪を責めるような声を度々耳にしていることを知ります。
 メイリックは、家のそばにある不気味な池がロバーツに何らかの影響を与えているのではないかと考えますが…。

 邪悪な意思を持つ「悪い土地」をテーマとした作品です。

「神童」
 高い教育を受けた青年ジョゼフ・ラストは、知り合いからある少年の家庭教師の職を斡旋されます。資産家であるマーシュ夫妻の息子ヘンリーを教えてほしいというのです。ラストは、美少年であるヘンリーの学習能力の高さに驚き教育の成果に満足しますが、
 ふとしたことからマーシュ夫妻の後ろ暗い部分を知り、衝動的に逃げ出してしまいます。数年後三人の凶悪犯が裁判にかけられたことを聞いたラストは、その三人がマーシュ夫妻とその息子であることを知って驚きます…。

 マッケンお得意の邪悪で忌まわしい秘密が明らかになるかと思いきや、不気味ではありながら、何ともブラック・ユーモアに富んだ展開に。これは読んだ人はびっくりするのでは。「奇談」と言いたくなるような作品ですね。

「生命の樹」
 領主の落とし胤として領地を引き継いだテイロ・モーガンは体が弱く、外にろくに出ることもできない青年でした。しかしテイロは農業に興味を持ち、領地の農地を改革しようといろいろな施策を考えることになります…。

 体の弱い青年が農地改革をする話と思いきや、後半ではその青年の人生が客観的に語られ、物語の裏面が明らかになります。それ自体味わいのある物語なのですが、最後に突如現れる神秘的な描写が、妙な味を添えていますね。

「絵から抜ける男」
 記者である「わたし」は、かって書いた批評文をきっかけに、奇怪な絵を描く画家のマッカルモントと知り合いになります。折しも「小人」による忌まわしい犯罪が世間で騒ぎになっている中、画家は突如失踪を遂げますが…。

 二面性を持つ奇妙な画家を描く物語、といっていいと思うのですが、物語の焦点が奇妙にずれていく面もあり、かなりバランスの歪な作品です。ただ、作品に漂う怪奇ムードは非常に魅力的ですね。
 サブのお話として、ポルターガイストを起こす少年の話が出てきます。こちらも面白いのですが、本筋とはあまりつながらず終わってしまうのは残念。

「変身」
 ブラウン家の子どもたちの保母兼家庭教師として雇われた、色黒の美人アリス・ヘイズ。彼女の有能さを見たスミス家とロビンソン家の母親たちは、彼女に共通の保母として子どもの世話を頼むことになります。子どもたちも彼女になつきますが、子どもたちを連れたピクニックの最中に、子どもの一人が行方不明になってしまいます…。

 いわゆる「取り替え子」を扱った怪奇小説です。子どもが本当に「取り替え」られてしまったのか、家庭教師は一体何者だったのか、はっきりとしたことはわかりません。「取り替え」られてしまった子供の描写は非常に不気味で、マッケンの筆も冴えていますね。
 マッケンの後期作品、日本では知名度があまりないと思うのですが、これはこれで味わいがありますね。もっと読まれてもよい作品群だと思います。



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「幻想文学4 特集A・マッケン&英米恐怖文学事始」(幻想文学会出版局)
 マッケンの短篇やコラムの翻訳、マッケンについてのエッセー、評論など、盛り沢山の特集号です。日本語で読めるマッケン関連本では、未だにこれが一番では。

 直接マッケンに接した著者による、マッケンの人柄を描くエッセー「アーサー・マッケン回想」(ロバート・ヒリヤー)が興味深いです。とくに、アメリカの女流作家に招かれるものの、その作家の目当てはマッケン自身ではなく、当時有名だった彼の義兄弟と姪だった…というエピソードは面白いですね。
 ちなみに、マッケンの義兄弟はT・F・ポウイス(1875-1953)、姪はシルヴィア・タウンゼント・ウォーナー(1893-1978)です。

 この号に収録されたマッケン作品より、短篇「地より出でたる」(南條竹則訳)とコラム「帰ってきた兄の話」(保坂泰彦、並木二郎訳)も紹介しておきます。

「地より出でたる」
 ウェールズの海岸地方に現れる邪悪な子供たちを描く作品です。その地方では手のつけられない悪さをする子供たちがいることが語られていました。語り手は、彼自身も現地に滞在したことがあることから、噂は根も葉もないのではと考え、現地の人間も噂を否定しますが、噂は一方的に膨れ上がっていきます。語り手は、友人モーガンが異様な光景を目撃したことを聞きますが…。

 語り手はおそらくマッケン本人で、序盤では彼自身の作品「弓兵」が異様な反響を呼んだことについても書かれています。
 今でいうところの「都市伝説」的な題材を扱っていて、短めながら戦慄度は高い作品ですね。

「帰ってきた兄の話」
 舞台中のグリマルディのもとを訪ねてきた二人の男。それは十数年も行方不明だった船乗りの兄ジョンでした。再開を喜ぶグリマルディでしたが、目を離したすきにジョンは姿を消してしまいます。
 知り合いや母親に先に会いに行ったのかと、彼らの家を回るグリマルディでしたが、一足違いで兄は行ってしまった後でした…。

 19世紀初頭の俳優グリマルディに関する奇談を描いたコラム。行方不明だった兄が突然現れ、再び行方不明になってしまうという奇談です。兄が本物だったのか、連れの男は何者だったのかなど、不思議なことがそのままに終わってしまうという、奇妙な味の話になっています。

 マッケンの邦訳作品のガイドである「[ブックガイド]マッケンを読む」、南條竹則氏による未訳のマッケン作品のガイド「[ブックガイド]未訳書篇」も参考になります。主要作品は大分訳されてると思うのですが、未訳のものもまだ結構あるのですね。



架空の町 (書物の王国)
アーサー・マッケン「N」(高木国寿訳東雅夫編『書物の王国1 架空の町』国書刊行会 収録)
 好事家であるペロット、アーノルド、ハーリスの三人組は、40~50前のロンドンについてあれこれ話を交わしていました。ペロットは友人からストーク・ニューイントンにあるという、景色の素晴らしいキャノン公園の話を聞いたと言いますが、ハーリスによれば、そんな場所はないというのです。
 アーノルドはふと手に取ったハンポール牧師の古い本の中に、著者が友人の部屋から都会とは思えない幻想的な光景を見せられる箇所を発見し驚きます。アーノルドは実際の現地を調べてみようと考えますが…。

  都会の窓から異世界を垣間見るという、怪奇幻想小説です。都会の真ん中で、ある特定の人間に特定の間だけ見える異世界のような光景を描いた幻想小説です。「異世界」とはいっても、マッケンの他作品に表れるような邪悪なものではなく、ユートピアのような描かれ方がされています。
 マッケンお得意の技法で、友人からの聞き語り、古書の中の描写など、間接的に異世界の存在が仄めかされていきます。結局のところ、主人公の三人は誰もその異世界を見ることができない…というのも、奥ゆかしいところですね。


 ついでに、スティーヴン・キングがアーサー・マッケンの「パンの大神」より影響を受けて書いたという短篇もついでに紹介しておきましょう。


夜がはじまるとき (文春文庫)
スティーヴン・キング「N」(安野玲訳『夜がはじまるとき』文春文庫 収録)
 精神科医ジョニー・ボンサントは「N」という強迫性障害の患者を診ることになります。彼は数を数えること、物の秩序を整えることに対して、異様な強迫観念を持っていました。その症状の原因となったのは、ある場所にあった複数の石を目撃したことだというので最初は八つに見えた石がよく見ると七つになっており、カメラを通して見ると再び八つに見える。物を数えたりと、秩序だった行動をすることにより、その岩が七つになってしまうのを防いでいるというのです。岩の数が奇数になってしまうと、そこからこの世の世界のものではない何かが出てきてしまうと…。

 ストーンサークルのような岩と異次元の怪物、それに強迫神経症をからませたという、ユニークなホラー小説です。全体を読むと、マッケンというよりは、ラヴクラフト、またはクトゥルー神話的な味わいが強いですね。作中でも実際に「くとぅん」という、クトゥルーを思わせる単語が出てきます。
 作品の構造は入れ子状になっており、このあたりは確かに「パンの大神」を思わせるところもありますね。医師ジョニーが死んだことを知らせる手紙を、その妹シーラがジョニーの親友チャーリーにあてて書き出すというところから始まり、ジョニーの診察記録が続きます。
 そしてその中で、さらに患者「N」が自らの体験を語り、それに医師が影響されてゆく…という体裁になっています。
異次元の怪物も直接的には描かれず、ちらりと姿を覗かせるにとどめているのも、マッケン的といえますでしょうか。
 古典的な骨法の怪奇小説として、傑作短篇といっていい作品かと思います。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

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Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『奇妙な味の物語ブックガイド』「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」を刊行しました。



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