 2019年12月22日(日曜日)、JR巣鴨駅前のカフェにて「怪奇幻想読書倶楽部 第26回読書会」を開催しました。 第一部は課題図書として、荒俣宏編『アメリカ怪談集』(河出文庫)を取り上げました。 ポオ、ホーソーン、ヘンリー・ジェイムズから「ウィアード・テイルズ」で活躍したジャンル作家まで、バランス良く編まれた怪奇アンソロジーです。 第二部では、毎年恒例の本の交換会を行いました。例年になく、持ち寄った本が量・質ともに充実しており、皆さん良い収穫を得られたのではないかと思います。
今回は、この読書会が結成されてから三周年ということで、手製本として『怪奇幻想読書倶楽部 三周年記念小冊子』を作成し、参加者の方に配らせてもらいました。 過去に参加してくださった方、常連として参加し続けてくれている方に感謝したいと思います。
それでは、当日の会の詳細について、ご報告したいと思います。
今回も、参加者全員のプロフィールをまとめた紹介チラシを作りました。チラシをPDFにしたものを、メールにて事前に配信しています。
それでは、以下話題になったトピックの一部を紹介していきます。
■第一部 課題図書 荒俣宏編『アメリカ怪談集』(河出文庫)
●ナサニエル・ホーソーン「牧師の黒いヴェール」
・解釈が分かれる作品だと思うが、宗教的な背景があるのは間違いない。
・黒いヴェールは傲慢の罪の象徴? キリスト教、キングの『スタンド』でも似たようなモチーフがあった。
・周りの人間に罪を自覚させるために、牧師はヴェールをかぶった?
・不気味ではあるけれども、周りの人間がヴェールをかぶった牧師をそんなに怖がる理由がよくわからない。
・色が「黒」であることには意味がある? もし白だったり、他の色であれば意味合いが違ってくるのだろうか。
・ホーソーン『緋文字』の逆バージョンとも取れるのではないか。主人公の不倫相手が牧師なのだが、その罪がもしばれていなかったら、この「牧師の黒いヴェール」のような話になるのでは?
・牧師が過去に何か罪を犯したという具体的な描写でもあれば、分かりやすいのだが、そういう描写もないために、解釈に迷う作品となっている。
・ヴェールをかぶるに至る理由やきっかけも示されないのが不気味。
・ホーソーンの作品では「きず」がどこか似た印象を受ける作品。
・ヴェールによって「顔」を隠すというのが重要? 初めて読んだとき、梅毒にでもかかっているのかとも思った。
・牧師が死ぬ直前に捨て台詞のようなセリフを吐くのもどうかと思う。
・牧師は「言葉」によって神の言葉を伝える人のはずなのに、言葉以外のもの(ヴェール)によって語りはじめてしまった…という風にも見える。そういう意味では切ない話でもあるのでは。
・言葉では伝わらないものに気づいてしまった男の物語? この牧師のみが断絶を感じているのかもしれない。
・この世では顔を隠しているが、あの世の神の前では顔をさらす…という解釈もある?
・カトリックでは告解があるが、プロテスタントにはそれがない。牧師にも聞いてもらいたいという欲求があったのかもしれない。
・聞いてもらいたいけれども、話すこともできないという牧師の絶望が描かれている?
・ヴェールの下に真実の姿がわるわけではなく、人間は全てヴェールをかけており、またそれが本質?
・コッパードの短篇「おーい、若ぇ船乗り!」に服を脱いでいくと消滅してしまう幽霊が出てくるが、あれと似たものを感じる。
●ヘンリー・ジェームズ「古衣裳のロマンス」
・ジェームズとしてはわかりやすいゴースト・ストーリー。
・超自然現象よりも姉妹の確執の方がメイン?
・途中から財産目当てみたいな話になってしまうのがよくわからない。この時代としては衣装は財産と同等の価値のあるものという認識?
・結婚相手の男性としては、特に妹に執着していたわけではない? 姉と妹どちらでも良かったような印象を受ける。
・ジェームズの長篇『ねじの回転』は想像力を働かせないとわかりにくい話だった。ただのヒステリーの話とも読める。
・先妻が亡くなるときに後添えをもらわないでほしい…という話は、日本でもよくある。 ・ジェームズの他作品に比べ、登場人物の感情や輪郭もはっきりしている。二時間サスペンスっぽい?
●H・P・ラヴクラフト「忌まれた家」
・ラヴクラフトとしてはマイナーな部類の作品だが力作だと思う。
・登場する怪物の正体がはっきりしないところがある。読んでいてスティーヴン・キングの『IT』を連想した。
・怪物に対抗しようとして、調査したり寝ずの番をしたりするシーンなど、どこかホジスンの「カーナッキもの」に近い印象がある。
・最終的に怪物を硫酸で倒すみたいな描写があるのがちょっと怪しい。
・結末はともかく、それまでの展開は結構怖い。
・アンソロジーの中ではかなり読みにくい部類の作品だった。
・前振りが長い。幽霊屋敷ものはもうちょっと導入部をさらっとやってほしい。
・最終的に怪物を倒せるという点で、ラヴクラフト作品としては珍しい。ラヴクラフトは作品は大抵、主人公が死ぬか発狂して終わるものが多いので。
・ラヴクラフト入門としては、新潮文庫から最近出たラヴクラフト傑作集がお薦め。 創元推理文庫の全集では、4巻、5巻、1巻あたりがお薦め。
・ラヴクラフト作品は、ただただ人間がやられるだけ、という話が多い。
●アルフレッド・H・ルイス「大鴉の死んだ話」
・インディアンの民話みたいな話。超自然現象自体は起こっていない?
・アメリカには大西洋から「妖精」は導入できず、代わりにインディアンやアフリカの人々の神話や文化がその役目を果たしている? ラテンアメリカっぽさもある。
・このアンソロジーの収録作家を見ていくと、主流のアメリカ文学史で取り扱われる作家とそれほどずれてこないというのが興味深い。
・アメリカ・ゴシックの研究書、八木敏雄『アメリカン・ゴシックの水脈』について。イギリスのゴシック小説がアメリカに移入されたとき、アメリカにはない要素の置き換えとして、大自然やインディアンの恐怖が登場するようになった。
・アメリカ・ゴシック作品では、イギリス作品におけるよりも主人公側が抵抗の姿勢を見せることが多い。ヒロインが出てくる場合でも、イギリス作品よりも主体性が強い。
・インディアンのモチーフが重要とはいいつつ、あまり怪奇幻想ジャンルで登場するものは見ることが少ないような気がする。ブラックウッド作品ではよく出てくるが、そういう意味ではブラックウッドはイギリスというよりアメリカ的な作家?
・インディアンであるとか、ヴードゥであるとか、アンソロジー全体に、編者がアメリカの怪奇幻想作品を網羅しようとする意思が感じられる。
●メアリ・E・カウンセルマン「木の妻」
・山間が舞台で、銃や車が登場したりと、アンソロジー内でも、読んでいてアメリカだと感じる要素が強かった。
・導入部は都会的なのだが、話が進むと19世紀のような暮らしをしている人たちが登場したりと、両極端な人々の差が現れているのが面白い。
・カウンセルマンの「七子」について。黒人の家庭にアルビノが生まれる物語。文明と非文明についての物語でもある。
・青年を殺してしまう父親は、ある種の名誉殺人? 娘に子供が出来ているのに父親は気付いていたのだろうか? 気付いていたら結婚式を挙げさせて私生児にはしないようにすると思うので、気付いていなかったのだと思う。
●ヘンリー・S・ホワイトヘッド「黒い恐怖」
・ブードゥーもの作品だが、ファンタジーというよりリアリスティックにそれを描いている作品。
・ホワイトヘッドはもっとファンタジー寄りの作品が多く存在するが、その中でわざわざリアルな要素の強いこの作品をアンソロジーに取っているというのが興味深い。
・結局ブードゥーが押さえられているので、キリスト教的な視点から描かれている感が強い。恐怖小説としてはあまり面白くない気がする。
・キリスト教に帰依したとしても現地の人にはブードゥーの信仰は残っていたりする。
・実際の魔術では、呪った相手に呪いをかけたことを伝えるらしい。それによって心理的に怖がらせる。
・過去に読んだドルイドもの作品で、髪の毛が呪いに使われるので落とさないようにする…という描写があった。
●メアリ・E・ウイルキンズ=フリーマン「寝室の怪」
・下宿の一部屋が異世界につながってしまうという物語。暗闇の中でだけ空間がつながらうという発想が面白い。
・下宿人が行方不明になる(異世界に行ってしまった?)のは、美しい女性を始め、そちらの世界に魅了されてしまったという解釈でOK?
・物語の最初と終わりに出てくる家主の夫人がすごく現実的な人物なのが面白い。
・山の中の妖精郷であるとか、たまたま異世界に遭遇するという話はよくあるが、この話のように条件を同じにすると毎回行ける…というのがシステマチックでSF的な発想だと思う。
・最後の方で「五次元」という言い方をしているが、無理に解釈づけなくても良かったような気はする。
・日本でもこういう空間的なアイディアを使った作品はある? 民話的なモチーフのものはある。「見るなの座敷」など。日本の話では空間が外に広がっていく感じ。
・暗闇の中で別世界に行くとどうなるのだろうか? 感覚的なもので世界を感じ取れるようになるのだろうか。
・ウイルキンズ=フリーマン作品に登場する女性は「強い」女性が多い。「南西の部屋」「ルエラ・ミラー」など。
・「ルエラ・ミラー」について。周りの人々の生気を吸って無意識に人を殺してしまう精神的吸血鬼の物語。
・物語自体が下宿の女主人について語られているので、内容が本当かどうかわからない?信用できない語り手ものとも読めるかも。
・ホール・ベッドルームについて。どういう部屋なのか調べてもちょっとわからなかった。廊下の突き当たりにある小さい部屋、という記述があった。当時の家としては小さい部屋?
●イーディス・ウォートン「邪眼」
・語り手は善人であるといいながら、実はその心の邪悪さが「眼」となって現れている? ・J・D・ベレスフォードの「人間嫌い」という作品を思い出した。
・「眼」によって人が死ぬわけではなく、邪悪さが現れているだけ?
・ブラックウッド「炎の舌」について。似た印象のある作品。ささいな悪口の繰り返しが地獄の罰になって帰ってくる話。内側に地獄がある?
・「邪眼」は本人の幻覚・妄想? 最後に第三者が目撃する描写があるので実在する?
・ウォートンは他の怪奇幻想ものでも、超自然現象が妄想や幻覚である可能性よりも、実在するとはっきり言ってしまう作品が多い。
●アンブローズ・ビアス「ハルピン・フレーザーの死」
・時系列が非常に難しい作品。場所に関しても今どこにいて、どこから来たのかもはっきりしないところがある。
・冒頭の引用文は作者の創作らしい。
・悪霊に憑かれた母親によって息子が殺される…という怪奇小説。クトゥルー神話ものとして分類されることもあるらしい。
・夢の中で殺された結果、現実に死んでしまったのか、悪霊に憑かれた母親の肉体は現存しているのか、など疑問点が多い。
・冒頭、男が森で起き上がる描写があるのだが、これはすでに男が死んでいるのか、それともこれから死ぬところなのか。
・クトゥルー神話ものの怖さについて。宗教的なものというよりも、物理的な巨大さからくる怖さがある。
・荒俣さんがどこかのエッセイで書いていたが「身近なものの恐怖」というのがあって、身内や親愛の情を抱いている人が怪物となって襲ってくる…というのは、単純に怪物が襲ってくるよりも怖い。スティーヴン・キング『ペット・セメタリー』など。
●エドガー・アラン・ポオ「悪魔に首を賭けるな」
・冗談小説みたいな作品。ポオには結構ユーモア小説的な作品もある。
・ユーモアということでは「使いつぶした男」がひどい発想の作品だった。
●ベン・ヘクト「死の半途に」
・過去の殺人の記憶に囚われる男の話。
・老婆は生きているが、登場する猫は幽霊? 猫は殺された被害者の飼い猫だと思うが、ちょっと邪魔をするのがわからない。
●レイ・ブラッドベリ「ほほえむ人びと」
・題材はB級だが、ブラッドベリならではの詩的な表現で成り立っている作品。
・サイコ・スリラー的な作品。死体を並べてずっとそのままにしているなど、主人公の精神状態はおかしくなっている。
・「十月のゲーム」など、ブラッドベリ作品はその「クサさ」が気になってしまうものもある。
・死体などグロテスクなものが出てきても、ブラッドベリは生理的不快感がほとんどなく美しく描かれることが多い。
・このアンソロジーの中ではちょっと浮いている感じがする。モダンすぎる作品?
●デヴィッド・H・ケラー「月を描く人」
・精神病院で狂った画家が絵を描く、というイメージが魅力的。
・登場する絵が魅力的なのだが、レイアウトが複雑で想像しにくい。
・作中に登場するホイッスラーの絵は実在するもの。
・母親が吸血鬼になって帰ってくる。母親への恐怖、女性への恐怖心が描かれている。
・絵に描かれた女性がだんだん古くなってくる…というのも、女性全体への恐怖を表している。
・映像化すると映える話だと思う。
■第二部 本の交換会
持ち寄った本の数が多かった関係で、具体的なタイトルは省略させていただきます。すでに絶版・品切れになった本を多く持ってきてくれた方が多く、皆さん自分で持ってきたよりも多くの本を持ち帰れた人も多かったようです。タイトルや簡単な内容を紹介したりしたことをきっかけに、話がはずむこともありますね。 毎年だいたい年末にやっている企画ですが、これは続けていきたいなと思っています。
次回「怪奇幻想読書倶楽部 第27回読書会」は、2020年1月26日(日)に開催予定です。テーマは、
課題図書:モーリス・ルヴェル『夜鳥』(田中早苗訳 創元推理文庫)
の予定です。
テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学
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