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2月の気になる新刊
2月6日刊 アヴラム・デイヴィッドスン『エステルハージ博士の事件簿』(池央耿訳 河出文庫 予価1320円)
2月13日刊 片山廣子『片山廣子随筆集 ともしい日の記念』(ちくま文庫 予価990円)
2月13日刊 青山南『本は眺めたり触ったりが楽しい』(ちくま文庫 予価880円)
2月13日刊 種村季弘『種村季弘コレクション 驚異の函』(諏訪哲史編 ちくま学芸文庫 予価1430円)
2月17日刊 エーリヒ・ケストナー『独裁者の学校』(酒寄進一訳 岩波文庫 715円)
2月18日刊 ベンハミン・ラバトゥッツ『恐るべき緑』(松本健二訳 白水社 予価2750円)
2月20日刊 ローラ・パーセル『象られた闇』(国弘喜美代訳 早川書房 予価3190円)
2月21日刊 南伸坊『仙人の桃』(中央公論新社 予価3300円)
2月26日刊 ベヴ・ヴィンセント『スティーヴン・キング大全』(風間賢二訳 河出書房新社 予価5478円)
2月28日刊 ジャクリーン・バブリッツ『わたしの名前を消さないで』(宮脇裕子訳 新潮文庫 予価1155円)
2月29日刊 アントニイ・バークリー『最上階の殺人』(藤村裕美訳 創元推理文庫 予価1100円)
2月29日刊 夏来健次編訳『ロンドン幽霊譚傑作集』(創元推理文庫 予価1210円)
2月29日刊 北上次郎『冒険小説論 近代ヒーロー像100年の変遷』(創元推理文庫 予価1650円)
2月刊 スタニスワフ・レム『捜査・浴槽で発見された手記』(久山宏一、芝田文乃訳 国書刊行会 予価3190円)


 アヴラム・デイヴィッドスン『エステルハージ博士の事件簿』は〈ストレンジ・フィクション〉シリーズで出ていた単行本の文庫化再刊。奇妙な味わいの奇譚集で、異色作家ファンにはお勧めの作品です。

 『種村季弘コレクション 驚異の函』は、種村季弘のエッセイの選集本のようです。以前沢山出ていた著者のエッセイ集もほとんど絶版になってしまったので、ちょうど良い企画ですね。

 ローラ・パーセルは初紹介の作家だと思いますが、『象られた闇』はヴィクトリア朝を舞台にしたホラーミステリとのことで気になります。紹介文を引用しておきますね。
「ヴィクトリア朝バース。病を抱えながらも小さな切り絵店を営むアグネスに、不穏な影が迫る。彼女に肖像画を依頼した客が次々と謎の死を遂げているのだ。真相解明のためアグネスが縋ったのは、11歳の霊媒師パールだった。降霊会を繰り返す彼女を待つ運命とは――」

 夏来健次編訳『ロンドン幽霊譚傑作集』はロンドンにまつわる怪奇小説を集めたアンソロジー。以前に出たクリスマステーマのアンソロジーが好評だったゆえでしょうか。
全13篇中、12篇が本邦初訳というのも嬉しいですね。


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夢幻の日々  日影丈吉『夢の播種 幻想小説集』
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 日影丈吉『夢の播種 幻想小説集』(早川書房)は、ミステリ・幻想小説の分野で活躍した著者の、後期に書かれた作品がメインに収録された短篇集です。

「ひこばえ」
 「私」は町中でふとある家が気になり、近所の人間に訊ねたところ、そこは瓦斯会社の所有の家で、その社員である男が妻子と共に住んでいるといいます。知り合いの探偵、荒木にその家について調べてもったところ、瓦斯会社の社員の菱田という家族が住んでいるというのです。
 菱田の妻と息子は病みつき、不自然な形で死んでしまいます。その家に住み続ければ、菱田自身も長くないと考えた「私」は、菱田に八ヶ岳のクラブの仕事を紹介し、その家から離れさせようとしますが…。
 住む者を病みつかせ死に追い込む家をめぐる怪奇小説です。家の由来や、家そのものが具体的にどんな影響を及ぼしているのかは描かれず、第三者の視点から淡々と住人の死が語られていく…という構成は恐怖度も高いですね。

「闇夜」
 知り合いの荒木が亡くなったことを聞いた友人たちは、彼が家族に保険金を残していったことに驚いていました。彼は粗暴な性格で、そのような心遣いをするような人間ではなかったからです。
 「私」は、別の知り合いから、荒木の死後に、大阪で荒木と出会ったという話を聞いて、台湾の戦地での過去を思い出します。荒木はそのときに一度死んだ後に生き返ったというのです…。
 死んだはずの友人が生きているのを目撃される、というところで、ゴースト・ストーリー的な興趣がある物語なのですが、死んだ当人の過去には思いもかけない出来事があったことが語られます。
 現実的な解釈が語られるのですが、それが真実だとしても、不思議な出来事には変わりないのです。
 それが真実でなかったとしたら、幽霊が出現したことになり、やはり超自然的な事件が起こっていたことになるという、どちらにしても不思議な味わいの「奇談」ですね。

「レンタ・カーの冒険」
 かってプレイボーイとして世間を湧かせた男、田倉完児。タクラマカン砂漠に向かい美女を連れ帰ったという噂もある田倉のその後を調べるため、記者の「私」は彼の自宅に向かいます。田倉は車で砂漠を訪れた際の奇妙な体験を語りますが…。
 プレイボーイとして慣らした男の不思議な体験が語られる作品です。噂にある美女との出会いが語られるのかと思いきや、その「美女」が思わぬ存在だったことが分かるという、洒落たユーモア作品です。とはいえ、ちょっとした残酷味もあったりしますが。

「旅は道づれ」
 妻同伴で京都旅行にやってきた「私」は、同宿となった人々がある老人の噂をしているのを耳にします。一人旅だというその老人は巨大なトランクを持ち込んでおり、部屋の中では話し声がするというのです…。
 巨大なトランクを持ち込んだ老人の怪しい挙動について語られるという作品です。老人が誰かを連れ込んでいる可能性が高く、それが誘拐なのか殺人なのか、と物騒な犯罪が取り沙汰されたと思ったら意外な展開に。こちらもユーモラスな味わいがありますね。

「砂漠の神」
 社会的地位のある人間たち七人で構成されたクラブで、ある賭けが持ち上がります。ライオンと豹を戦わせたらどちらが勝つのか、というのです。メンバーの一人の男はそれを確かめるために、実際にライオンと豹を戦わせてみせると豪語します。
 動物園を下見した男は、飼育員のふりをした人間を送り込み、うまく誘導すれば、獣たちを戦わせることができると考えます。シンガポールの動物園で働いていたという男サバラルを雇おうとしますが、彼の国では豹は神として崇められており、気乗りがしないというのですが…。
 好事家たちの賭けで、ライオンと豹を争わせようとしたところ、思わぬ事態が持ち上がる、という作品です。ユーモラスなコンゲーム的作品に見えるのですが、皮肉な運命が訪れる結末では結構な大惨事が出来するなど、意外と怖い作品です。

「ある絵画論」
 晦渋だという画家カール・シュピーゲルについての記事を読んだ「私」は彼の絵に関心を抱き、ドイツの町バンベルクを訪れます。シュピーゲル作品を展示しているという美術館に辿り着きますが、そこで見たのは思わぬものでした…。
 ドイツの町のある画家の展示で、異様なものを目撃する男を描いた幻想小説です。
「シュピーゲル」とはドイツ語で鏡を意味する言葉で、それが分かると、何となくテーマが見えてきますね。
 序盤にフランス料理、そしてバンベルクにゆかりのある作家ホフマンについての雑学が展開されます。物語の内容とは特に関係がないようですが、ホフマンについての部分に関しては、ドイツ・ロマン派的な物語のモチーフを暗示しているようにも見えます。

「魂魄記」
 終戦後の台湾で、以前からの知り合いである中年女性、帯玉さんと再会した「私」は、その家で彼女の甥の炎生なる青年と引き合わされます。どこか様子のおかしい炎生に不信感を抱く「私」でしたが、帯玉さんから思わぬ話を聞かされます。
 財産目当てで不埒な行為をしようとしていると思った帯玉さんは炎生と喧嘩になり、殺してしまったといいます。死体を庭に埋めたものの、しばらく経つと生前の姿で再び現れたというのですが…。
 死んだはずの青年が蘇って動いているという、いわゆる<ゾンビ>テーマ(中国風に魂魄の魄だけが死体を動かしているという解釈がなされますが)作品です。
 「私」は、超自然的な解釈ではなく、現実的な解釈を思いつくのですが、どちらにしても恐ろしい事件が起こってしまいます。
 最後の段落に現れる、帯玉さんの台詞の衝撃度は強烈ですね。ミステリとも幻想小説とも読める作品です。

「旅愁」
 記者の夏見は記者仲間からも評判の悪い、ラスク中立療養地の視察に抜擢されますが、好奇心から現地に乗り込むことになります。そこでは、重傷を負った兵士を肉体的に再生しているというのです。
 再生兵士のジョー・ホプキンス宅に厄介になることになりますが、ジョーが入院中のところ、夏見は、その妻リンと男女の仲になってしまいます…。
 科学技術によって兵士を再生する施設を舞台にした、SF的な作品です。とはいえ、メインとなるのは人妻リンと記者の夏見との情事、それによって起こる悲劇という、割とどろどろしたお話になっています。
 再生された人間たちの描写部分は結構グロテスクですね。

「あわしま-又は夢の播種」
 友人成瀬と、彼の父の葬儀で再会した亘理は、それをきっかけに彼との友情を復活させることになります。成瀬は現総理である沖の秘書、亘理は対立する党の党首狩矢の秘書を務めており、政治的な対立から疎遠になっていたのです。
 二人が仕える政治家同士を非公式に会談させれば、何か変革が起こるのではないかと、成瀬は考えていました。折しも、沖総理と自身が過去に恋していた女性初美の夢を見た亘理はその夢について話しますが、成瀬はそれをヒントに、沖と狩谷、二人に互いの夢を見させれば、会談につながるのではないかという考えを話します。そのためには夢の種を撒く必要があるというのですが…。
 対立する大物政治家同士を会談させるため、互いに互いの夢を見させようと計画する男たちを描いた、<夢テーマ>作品です。
 現実的な政治に携わる男たちがその手段として「夢」を使うというテーマからして面白いのですが、それがなかなか上手く運ばない、というあたりもユーモラスです。
 話が進展したと思ったら夢だった…ということが繰り返されるところは<夢テーマ>作品ならではですね。
 政治家たちに夢を見させる、というメインのお話の他に、主人公二人が過去に憧れていた女性初美が夢に登場し、彼女の行方についても探すことになります。
 どちらのエピソードもそう発展はせずに終わってしまうのですが、大真面目に夢を使って現実的な事態を解決しようとする過程がとても面白く、洒落た幻想小説となっています。

テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

怪奇幻想読書倶楽部 第50回読書会 参加者募集です
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こちらの読書会は定員になりましたので、締め切らせていただきました。

 2024年2月18日(日)に「怪奇幻想読書倶楽部 第50回読書会」を開催いたします。若干名の参加メンバーを募集しますので、参加したい方がおられたら、メールにて連絡をいただきたいと思います。

お問い合わせは、下記アドレスまでお願いいたします。
kimyonasekai@amail.plala.or.jp
メールの件名は「読書会参加希望の件」とでもしていただければと思います。本文にお名前と読書会参加希望の旨、メールアドレスを記していただければ、詳細に関してメールを返信いたします。


開催日:2024年2月18日(日)
開 始:午後13:30
終 了:午後16:00
場 所:JR巣鴨駅周辺のカフェ(東京)
参加費:1500円(予定)
課題書 アーサー・マッケン『怪奇クラブ』(平井呈一訳 創元推理文庫)


※「怪奇幻想読書倶楽部」は、怪奇小説、幻想文学およびファンタスティックな作品(主に翻訳もの)についてのフリートークの読書会です。
※対面型の読書会です。
※オフ会のような雰囲気の会ですので、人見知りの方でも安心して参加できると思います。
※「怪奇幻想読書倶楽部」のよくある質問については、こちらを参考にしてください。
※扱うジャンルの関係上、恐縮ですが、ご参加は18歳以上の方に限らせていただいています。


 今回取り上げるのは、アーサー・マッケン『怪奇クラブ』。マッケンの代表作でもある、幻想的な奇譚集で、不穏な語り口や構成も魅力の一つです。色々な側面から、この作品を味わっていきたいと思います。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

鏡の中の恐怖  飛鳥部勝則『鏡陥穽』
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 飛鳥部勝則の長篇『鏡陥穽』(文藝春秋)は、鏡をめぐって展開されるエロティック、かつグロテスク極まりないホラー小説です。

 帰宅途中の麻田葉子は、突然暴漢に襲われますが、抵抗している内に相手を殺してしまいます。婚約者の水谷武は疑い深い性格で、事故とは言え自分が人を殺したことを知れば、婚約を解消されかねない…。そう考えた麻子は、死体を海に捨てて隠滅を図ります。
 数日後、友人の結婚式に出席していた葉子は、昨夜殺したはずの男が目の前に現れたのを見て驚きます。久遠仙一と名乗る男は、自分は刑事であり、葉子が殺人を犯した事実を知っているというのですが…。

 鏡をテーマとした本格的なホラー小説です。
 序盤は、殺した男とそっくりの顔の男につきまとわれる女性の不安が描かれていき、異常心理サスペンス風に話は進みます。殺した男と久遠は「同一人物」なのか、それとも別人なのか? 久遠の目的は何なのか? といった謎が物語を引っ張ります。

 何かを知っているらしい久遠を葉子が問い詰める形で、久遠が自身の過去を語り始めるのですが、ここからがこの作品の本領発揮です。
 ある特性を持つ魔性の鏡が登場し、それを利用した猟奇犯罪が描かれることになります。その鏡は超自然的な力を持っているのですが、それを使う人物たちが、自分たちの欲望のままにその能力を利用します。それがゆえに、元から変態的・猟奇的だった人物たちの行動がさらにヒートアップすることになり、エロティックかつグロテスクな情景には息をのんでしまいます。
 江戸川乱歩作品に登場するようなエログロ要素を極限まで突き詰めたらこうなるのでは…とでもいうような、常識を越えた猟奇快楽殺人が描かれており、ホラー耐性のない人はここで読み進められなくなってしまうかもしれませんね。

 久遠の語る話は現実なのか虚構なのか、語り終えた時点ではどちらの可能性もあり、実際、一時的には現実的な解釈の方向に向かうのですが、最終的には超自然的な方向に収束することになります。
 結末付近で展開されるのは、まさに悪夢のような情景で、その突拍子のなさとシュールなヴィジュアルには唖然としてしまいます。

 いわゆるドッペルゲンガーテーマ、分身テーマのホラーといえるのですが、そこにかなり即物的な解釈・展開を加えて、さらにエログロ要素をまぶしてみた、といった感じの作品になっていますね。
 ほぼ完全なホラーとなっているのですが、中盤からの怒濤の展開が素晴らしいです。あまりにグロテスクで人体損壊描写がきつい部分もあるので、読む人は選びそうですが、この発想はホラーとしてとても魅力的でした。
 画家の稲垣孝二の作品がインスピレーション元となっているということで、稲垣作品が口絵として付けられています。鏡から人体が断片的に出現しているシュールかつグロテスクなモチーフで、こちらも面白い作品ですね。


テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

夢幻の人生  アーサー・マッケン『アーサー・マッケン自伝』
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 アーサー・マッケン『アーサー・マッケン自伝』(南條竹則訳 国書刊行会)は、英国怪奇小説の巨匠の一人マッケン(1863-1947)の自伝的エッセイ『遠つ世のこと』『遠近草』を収録した本です。

 『遠つ世のこと』は1915年(刊行は1922年)、『遠近草』は1923年に書かれており、マッケンの最晩年というわけではないのですが、その時点で代表的な作品はすでに世に出ていて、著者としては「総まとめ」的な意識をもって書かれているようです。
 『遠つ世のこと』は幼時から青年時代、『遠近草』は成人後、作家になってからの時代が中心に描かれている感じでしょうか。

 『遠つ世のこと』では、幼児の故郷の記憶が美しく描かれていたり、ウォルター・スコット作品を始め読んだ本や触れた芸術に対する感動がみずみずしく描かれていたりと、叙情的・夢幻的な色彩が濃いです。

 作家としてのマッケンに興味のある読者には、自作についての言及が多い『遠近草』の方が面白く読めるでしょうか。実際こちらの作品の方が筆が闊達で、ユーモアも感じられて読みやすいのは確かです。
 特に興味を惹くのは代表作「パンの大神」について書かれた部分。作品の内容が内容だけに散々な評が多かったらしく、そのいくつかが言及されていますね。
 こちらも代表作である『三人の詐欺師』(邦題名『怪奇クラブ』)についても興味深いことが書かれています。ジョン・レイン社から刊行される前に、ハイネマン社に作品を持ち込んでおり、原稿を返されているのですが、その際にエピソードの一つを書き換えているというのです。人狼の登場するエピソードを、大学教授が妖精を探し求めるエピソードに差し替えた、と言うのですが、元のエピソードも非常に気になりますね。
 マッケンが関わった秘密結社の話や、個人的な神秘体験、あと中年になってから突如やり出した役者稼業などについても登場し、マッケンの愛読者としては面白く読める作品だと思います。

 『遠つ世のこと』『遠近草』も同様なのですが、マッケンの小説作品と同じように、妙に曖昧で省略された記述が多いので、伝記的な事実を知るというよりは、マッケン散文作品の一つとして読むのが、この自伝的作品の楽しみ方としては吉なのではないでしょうか。
 読み方によっては、幻想的な私小説として読むのも可能な作品ではないかと思います。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

怪異とAI  饗庭淵『対怪異アンドロイド開発研究室』
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 饗庭淵『対怪異アンドロイド開発研究室』(角川書店)は、怪異を感知するセンサーを持つ、対怪異アンドロイドの活躍を描く連作ホラー作品です。

 白川有栖教授率いる白川研究室で開発された「アリサ」は、対怪異アンドロイドでした。怪異を感知するセンサーを持ち、さらに人間では耐えられない呪いや祟りを受け付けないアリサは、様々な怪異現象に遭遇することになりますが…。

 対怪異アンドロイド、アリサが様々な超自然現象を調査していく…という連作ホラー小説集です。怪異を感知する機能を持ち、その一方、機械であるため呪いや祟りを受け付けないので、人間では危険な場面でも、調査に集中することができるのです。
 見かけは人間の女性とそう変わらず、AIにより自律的に会話することができるため、傍目からは人間と見分けがつきません。怪異の側からも、その点で人間と判断されている…というのが面白いところですね。
 白川教授の命令下にはあるものの、アリサ自身の至上命令は怪異の調査であって、人間を守ることなどが優先はされないため、危険な怪異に遭遇しても周囲の人間を無視して行動してしまう、という危うさも抱えているのもユニークです。
 アリサには人間的な躊躇いや恐怖心がないため、どんどん危険な場所に入っていってしまう…という展開は爽快ですね。

 どのエピソードも面白いですが、異界の列車に乗り込んだアリサがそこで出会った女性と一緒に探索をするという「回葬列車」、「浮気相手」の男性とその家族をことごとく死に至らしめる謎の女が登場する「共死蠱惑」、タクシーに乗り込んだアリサが異界に連れ去られてしまうという「異界案内」などが印象に残りますね。
 特に「共死蠱惑」に登場する女の怪異の暴力性は強烈で、相対した人間が何もできないなか、アリサがどのように対抗するのか? といったところでサスペンス味も強いです。
 個々のエピソードで問題になる怪異現象のほか、アリサが開発された経緯や、白川教授の目的、彼らに絡んでいくことになる霊能者の存在など、連作を通じての謎も少しづつ明かされていくなど、長篇としての面白さもあります。

 表面上、高機能なアリサは無敵に見えてしまうのですが、それに対しての怪異の側も非常に怖いものとして描かれているのも特徴です。本作に登場する怪異は「わけの分からないもの」で、人間側の理屈が全く通じず、アリサの行動も全く役に立たないこともままあるのです。
 身近な日常のところどころに怪異が存在し、巻き込まれればいつの間にか死んだり、異界に連れ去られてしまう。さらに人間たちの認知が勝手に改変され、しかもその記憶も残らない…などというパターンもあり、恐怖度が高いですね。
 対怪異アンドロイドという画期的なガジェットを登場させながらも、ホラー小説としてちゃんと怖い、という稀有な作品になっています。

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ずっと幸せ  尾八原ジュージ『みんなこわい話が大すき』
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 尾八原ジュージ『みんなこわい話が大すき』(KADOKAWA)は、呪いをめぐる不穏なホラー小説です。

 シングルマザーの母親と暮らす小学生の少女ひかりは、学校でいじめにあっていました。クラスの人気者ありさが、陰で陰湿な行為を行っていたのです。母親からもネグレクト気味なひかりの唯一の友達は、自宅の押入にいる、形のない影のような存在「ナイナイ」だけでした。
 こわい話が大好きだといいながら、異常なまでに怖がりであるありさの秘密を知ったひかりは、ふとしたきっかけから、彼女を自宅に招くことになります。
 「ナイナイ」を見せようと押し入れに入ったありさを、ひかりは衝動的に閉じ込めてしまいます。その日から、ありさは人が変わったようになり、ひかりの親友のように振る舞うようになります。しかも周囲の子どもたちも、ひかりが人気者のように扱い、果ては母親までもがひかりに甘い態度を取るようになっていきます。
 一方、〈よみご〉と呼ばれる全盲の霊能者、志朗貞明のもとには、甥と心中してしまった姉の死の真相を探ってほしいという女性からの依頼が舞い込んでいました。
 依頼人の神谷実咲によれば、義兄の前妻が何かの呪いをかけたのではないかというのです。以前にもそれが原因で、姉の命が狙われたことがあるというのですが…。

 得体の知れない影のような友だち「ナイナイ」が姿を消してから、周囲からの自分の扱いが一変したことに困惑する少女ひかり、〈よみご〉と呼ばれる霊能者、志朗貞明に持ち込まれた呪いをめぐる「殺人」事件…。大きく分かれた二つの事件が、段々と結びついていくことになる、というホラー作品です。

 ひかりをめぐるパートでは、おそらく謎の存在「ナイナイ」がありさに取り憑いて、人格が変貌してしまったのだろうということは予測がつくのですが、ありさ(ナイナイ)の力がどのようなものなのか、どこまで力が及ぶものなのか、といったことが不明なため、終始不気味な雰囲気となっています。
 その影響力が、ひかりに対する態度が変わる程度なのかと思いきや、周囲で死者が発生し始めるなど、人の命に関わる規模であることが分かってきた段階で、ひかりも恐怖を感じめているようなのです。
 ありさ(ナイナイ)の力を認識してからも、何年もの間、その環境で過ごすことを余儀なくされるひかりの日常は不穏極まりないですね。

 一方、霊能者、志朗貞明のパートでは、人を殺す呪いが取り沙汰されていきます。志朗にも手に余る強力な呪いは、誰が何のためにかけたのか? 呪いの目的や形は途中段階で予測がついてくるのですが、それが分かったとしても強力すぎてそれが止められない…というあたり戦慄度が高いですね。呪いをかけた張本人の本気度とその異常さが分かってくる後半は非常に怖いです。

 呪いテーマということで、テーマ自体にはそんなに目新しさはないのですが、面白いのはその後の展開。本来の目的を外れた呪いが「暴走」というか「変異」というか、思わぬ方向に効果を及ぼしてしまい、周囲の人々がそれに巻き込まれてしまう…というところで、パニック小説的な味わいもあります。

 タイトルは、最初にひかりがありさから邪険にされるようになったきっかけ、ありさが好きだという「こわい話」がひかりは嫌いだと答えたこと…から来ているようですね。実際にひかりが体験する出来事は恐怖そのものなのです。
 冒頭で「こわい話」が嫌いと答えていたひかりの態度が、結末では変わってくる、というあたりも面白いですね。

 表では、少女たちのいびつな形の「友情物語」が展開し、その裏では情念に満ちた恨みと呪いの物語が明らかになっていく、という面白い物語です。「想像の友だち」というモチーフがこんな形で使われるとはびっくりです。ユニークなホラー小説といえますね。


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運命の女たち  ヴァーノン・リー『教皇ヒュアキントス ヴァーノン・リー幻想小説集』
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 ヴァーノン・リー『教皇ヒュアキントス ヴァーノン・リー幻想小説集』(中野善夫訳 国書刊行会)は、音楽、文学、演劇の研究者としても知られたイギリスの女流作家ヴァーノン・リー(1856-1935)の幻想小説を集めた作品集です。

 リーの幻想小説、いくつかの特徴があります。古い時代の歴史や遺物が登場したり舞台になっていること、芸術が重要なモチーフになっていること、現実の女性であれ超自然的な存在であれ、男性を悲劇に誘い込む「運命の女」(ファム・ファタール)的な女性が出てくること。これら全てが合わさって、芸術を通して過去からの亡霊や因縁が現在の人間を苦しめる…というパターンもありますね。

「永遠の愛」
 イタリアを訪れたドイツの研究者の「私」は、300年以上前に何人もの男を死に追いやった悪女メデアについて調べているうちに、彼女に夢中になってしまいます…。
 歴史に残る悪名高い女性に囚われてしまった男が、最終的にはその「霊」と遭遇する…という幻想小説です。殺されるのが分かってなお夢中になってしまう美女の恐ろしさが印象的です。
 過去のエピソードとして語られるメデアの「悪行」も凄まじく、死後の存在以前に、生前の姿がすでに恐ろしいという稀有な人物となっています。

「教皇ヒュアキントス」
 主との賭けで、悪魔はとある男オドーに様々な誘惑を仕掛けることになります。悪魔の計らいで幸運を手に入れたオドーは、やがて教皇ヒュアキントスと呼ばれることになりますが…。
 悪魔に誘惑される聖者を描く作品なのですが、この悪魔の誘惑が全て相手を良い方向に導いてしまう…というのが面白いですね。悪魔の目的は何なのか?という寓話的な作品です。

「婚礼の櫃」
 親方のセル・ピエーロの娘マッダレーナと結婚することになっていた職人デシデリオは、マッダレーナに横恋慕した貴族のトロイロ殿に彼女をさらわれてしまいます。トロイロ殿の依頼で作られた婚礼の櫃が彼らの元に帰ってきますが、そこに入っていたのはマッダレーナの遺体でした…。
 恋人を殺された男の復讐譚です。仇相手となるトロイロの残忍酷薄さもあり凄惨なお話になっています。

「マダム・クラシンスカの伝説」
 「私」は、貧者救護修道女会の修道女から受けた印象があまりにも強烈だったため、彼女のことを友人のチェッコに訊ねることになります。その女性マダム・クラシンスカは、かっては美貌と莫大な資産を持った自由な女性でしたが、ある時、息子を失いおかしくなってしまったソラ・レーナとの出会いを機に変わったというのです…。
 ある女性が慈善の道に入った経緯を語る奇跡譚でしょうか。ソラ・レーナの人物像が印象的です。

「ディオネア」
 サン・マッシモの村の海岸に倒れていた幼い褐色の少女ディオネア。彼女を引き取る家がなかったため、王女レディ・エヴェリンの援助金をもとに修道院の世話になることになります。ディオネアは美しく成長しますが、彼女が傍を通り過ぎると、若者たちが互いに恋に落ちてしまうというのです…。
 周囲の男女を恋に迷わせてしまう魔性の少女を描く物語です。本人が惑わすというよりは、媒介となって周囲を惑わし、しかもその相手が普通なら魅力を感じないような相手だというところが独特ですね。
 最後まで正体も分からず、悲劇的な事件を起こしたまま行方が分からなくなる…というところも神秘的です。

「聖エウダイモンとオレンジの樹」
 カエリウスの丘の斜面に居を構えた聖者エウダイモン。こちらも聖者である神学者カルポフォルスと柱頭行者ウルシキヌスはエウダイモンのことが気に入らず、絶えず議論を仕掛けますが、毎回いなされていました。
 新しい葡萄園を作ろうと地面を掘っていたエウダイモンは、大理石の女性の彫像を掘り当てます。それはウェヌスの像でした。小作人たちと競技を楽しんでいる際に、自身がかって結婚を考えていた娘のために買った指輪を外し、その像の右手の指に嵌めますが、気付くと像の手は拳を握りしめており、指輪が外せなくなっていました…。
 善良な聖者をめぐる奇跡譚です。異教の像に指輪を嵌めたところ外せなくなってしまうという、メリメの有名作「イールのヴィーナス」とも共通するモチーフが扱われています。メリメ作品が悲劇に終わるのに対して、こちらのリー作品では、聖者の力により奇跡が起こるという暖かいお話になっていますね。
 エウダイモンにちょっかいを出し続ける二人の聖者も実のところ憎めない人物たちとして描かれているのも味があります。

「人形」
 ウンブリア地方のフォリーニョを訪れ骨董巡りをしていた「私」は、そこでオレステスとう魅力的な骨董商と出会います。彼の手引きでとある伯爵の邸宅を見ていたところ、1820年代の衣装を纏った大きな人形に出会います。それは伯爵の祖父の最初の妻の人形だというのです。
 美しかったというその夫人は結婚後数年で亡くなり、半狂乱になった伯爵は写真に基づいて人形を作らせ、その人形と一緒に過ごしていたというのですが…。
 亡くなった妻をモデルに作られた美しい人形と出会った女性を描く物語です。人形にまつわる話を聞いた「私」は人形を買い取ろうと考えるのですが、
 その行為が人形、ひいてはモデルになった妻を思ったものだった…という情感あふれるお話になっています。

「幻影の恋人」
 真面目で善良な男オーク氏から夫婦の肖像画を依頼された画家の「私」。彼らの住む館の素晴らしさに驚く「私」でしたが、オーク夫人アリスは「私」どころか、夫にすらろくに関心を払っていませんでした。
 アリスと夫は親戚だといいますが、一七世紀初頭の一族の先祖ニコラス・オークとその妻アリスに絡んで凄惨な事件があったということを聞きます。アリスとの浮気を噂された若い詩人ラヴロックが、アリスと夫によって殺されたというのです。ラヴロックの残した詩の手稿を見つけたアリスは、ラヴロックの話を夫にするようになります。
 妻からラヴロックが実在するような話を聞かされているうちに、オーク氏は嫉妬の念にかられるようになっていきますが…。
 先祖の三角関係が現代の夫婦にも再現される…というお話なのですが、面白いのは、現代においては浮気相手となる男が実在しないところ。
 妻のからかい(?)、そして妻の言葉を信じてしまう夫によって、本来いないはずのラヴロックの幽霊(思念?)が存在感を増していく…という過程には迫力がありますね。
 実際にラヴロックの霊が現れたのか否かははっきりしないのですが、妻アリスの夫に対する残酷さは強烈な印象を残します。

「悪魔の歌声」
 古典音楽を愛する作曲家のマグナスは、アルヴィーゼ伯爵から一八世紀の歌手ザッフィリーノの話を聞かされます。彼はその魔性の歌で女性を意のままにできたといいます。伯爵の大叔母ピサーナも彼の歌によって殺されたというのですが…。
 かって一世を風靡した魔性の歌手ザッフィリーノをめぐる怪奇小説です。彼の霊(?)と歌によって作曲家の才能が潰されてしまうという音楽奇談となっています。

「七懐剣の聖母」
 女性をたぶらかしては捨てる行為を繰り返していたミラモール伯爵ドン・フアン・グスマン・デル・ブルガルは、グラナダの七懐剣の聖母の前で、彼女ほど美しい女性はいないと祈りを捧げます。
 美しい女性を求めるドン・フアンはユダヤ人バルクの力を借り、魔術的な手段で数百年前に眠りについたというコルドバの賢王ヤハヤの王女を手に入れようとしますが…。
 現実の女性に飽き足らなくなったドン・フアンが伝説の王女を手に入れようとするものの、それに失敗してしまう…という物語。伝説の王女が、今まで実際に付き合ってきた女性一人一人と、どちらが美しいのかドン・フアンに問いかけていくシーンは圧巻です。
 結末を迎えたかのように思えた後のエピローグ部分にも驚きがありますね。

「フランドルのマルシュアス」
 一二世紀末に、デュンの岸辺に打ち上げられていたイエスの石像。十字架はなかったその像は小さな教会に納められることになりますが、度々起こる奇現象は奇跡として評判を呼んでいました。後から加えた十字架はたびたび投げ落とされ、関係者には死者までもが出ていましたが…。
 聖像をめぐる奇跡譚と思いきや、真相が後半で明かされると同時に、それが忌まわしい怪奇小説に変貌するという技巧的な作品です。なぜ聖像が十字架を拒否するのか…という理由が明らかになる部分には説得力がありますね。

「アルベリック王子と蛇女」
 老齢になっても若さを失わないことで有名な老公爵バルタサール。彼の孫息子アルベリックは、碌に世話もされずに放っておかれていましたが、幼い頃から部屋に飾ってあったタペストリーに愛着を抱いていました。それは彼の先祖である金髪のアルベリックと蛇女オリアナの物語を描いたものでした。
 差し替えられたタペストリーをアルベリックが切り裂いたことを聞き激怒したバルタサール公爵は、アルベリックを一族発祥の地に立つ古い城<煌めく泉の城>に追いやってしまいます。そこで美しい女性と出会ったアルベリックは、彼女を教母として慕うようになりますが…。
 蛇の化身である美しい女性に恋するようになった若き王子を描く、幻想的なファンタジー作品です。蛇の化身オリアナを愛するようになるアルベリックでしたが、その立場や政治的圧力から、結婚を強制されそうになり、それを拒否することで悲劇を迎えてしまうのです。
 不思議な力に出会うアルベリックだけでなく、年を取らないように見えるバルタサール公爵のキャラクターも独特ですね。

「顔のない女神」
 マンディネイアの賢女ディオティマは、彫刻家フェイディアスにアテナ像の作成を注文します。彼が作ったアテナ像の顔が気に入らないディオティマはたびたび修正を要求しますが…。
 完璧な神の顔を作成することはできない…という寓話的な作品です。フェイディアスに諭されたディオティマの台詞も気が利いています。

「神々と騎士タンホイザー」
 デューリンゲンの吟遊詩人タンホイザーに恋した女神アプロディーテは、タンホイザーが歌合戦に出かけると言い張っているのを止めようとしていました。行ったら最後、彼は帰ってこないのではないかというのです。
 話を聞いたアポロンとアテナは人間に化けてタンホイザーに同行し、彼を連れて帰ってこようと言いますが…。
 これは何とドイツのタンホイザー伝説を、彼に絡んだオリンポスの神々側から描くというコミカルなファンタジー作品です。
 恋人であるアプロディーテの頼みで、歌合戦に向かうタンホイザーに同行することになったアポロンとアテナが事態を引っ掻き回すことになります。アポロンやアテナが、彼らを普通の人間だと思い込んだ人物たちと頓珍漢な会話を交わす部分は抱腹絶倒です。さらにタンホイザー自身も愚かな人物として描かれていますね。
 神々が非常に人間的に描かれており、人間たちだけでなく神々さえも笑いのめす、楽しいファンタジー作品になっています。

 この『教皇ヒュアキントス』、耽美的な芸術小説、雰囲気のあるゴースト・ストーリー、ユーモラスなファンタジー、美しい奇跡譚など、ヴァーノン・リーの様々な傾向の幻想小説が楽しめる、良質な作品集となっています。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

宇宙の真実  貴志祐介『我々は、みな孤独である』
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 貴志祐介の長篇『我々は、みな孤独である』(ハルキ文庫)は、前世の事件を調べるよう依頼を受けた探偵が、思わぬ真実に辿り着く…という幻想的な作品です。

 私立探偵の茶畑徹朗(ちゃばたけてつろう)は、大企業の会長である正木栄之介から、人捜しの依頼を受けます。しかしその人間の名前もいる場所も分からないといいます。その人物とは、正木が夢に見た男、正木自身の前世の姿だといいます。そこで正木は無名の百姓だったというのです。しかも水をめぐる争いのうちに、その百姓が殺されてしまったといいます。
 茶畑は、助手の毬子の提案を受けて、正木から聞き取った夢の話をヒントに、小説家にフィクションの文書を書かせ、それを郷土史家に読み解かせて情報を入手し、真実味のある話をでっちあげようと考えますが…。

 実在するかも分からない、前世に生きていた人物の人捜しを依頼された探偵が、調査を行っているうちに、前世をめぐる思わぬ真実に遭遇することになる…という作品です。
 基本は人捜しのミステリーに、前世をめぐるスピリチュアルな要素の加わったお話といえるのですが、他にも様々な要素が盛り込まれており、一口にこういう話といえない複雑さがあります。物語が始まった時点で、以前に探偵事務所の従業員だった北川遼太が金を持ち逃げして失踪しており、茶畑は経済的に困窮しています。そこからヤクザの丹野に絡まれることになり、大金を払わなければ殺されてしまう可能性が高いのです。後にはメキシコの麻薬カルテルからも狙われることになり、ヤクザとマフィアから逃げ回ったり、殺し合いになったりと、バイオレンスなお話が展開されることになります。
 前世をめぐる部分では、正木の前世の話が本当なのか、彼の前世の男を殺したのは誰なのか? という歴史ミステリー的な読みどころもあります。また、茶畑が震災時に失った恋人亜未の死の謎も提示されており、そちらにも前世の話が絡んでくることになります。
作品中に現れたどの話がどの話とつながり、どんな話が展開していくのか? といったところが全く読めず、ハラハラドキドキする展開になっていますね。

 ヤクザやマフィアが登場することからも分かるように、残酷なシーンも多くなっています。人間が拷問されたり虐待されたりと、残酷シーンの強烈さは、この著者の作品中でも随一ではないでしょうか。
 茶畑自身も場合によっては暴力を辞さないという意味で危険な男ではあるのですが、それ以上に狂気を感じさせるのがヤクザの丹野。茶畑の幼馴染みでありながら、友人や知り合いだろうと冷酷に殺してしまう冷血な男です。借金のカタに彼から殺される可能性があるということが、序盤の茶畑の行動の要因の一つともなっています。

 正木の前世の夢の話が「事実」らしいことは序盤でも示唆されているのですが、やがては他の人間たちの前世ばかりか、人間の生死をめぐる世界観にまでスケールが広がっていくところに驚かされてしまいます。タイトルの「我々は、みな孤独である」の意味が分かる結末にはある種の感動もありますね。

 ちなみに、指摘している方が見つからなかったのですが、『我々は、みな孤独である』で使われているメインアイディア、形は少し違いますが前例があって、佐々木淳子の漫画『SHORT TWIST』『SHORT TWIST 佐々木淳子作品集』バーズコミックススペシャル 収録)で使われているアイディアと同じものだと思います。


テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

この世とあの世  北沢陶『をんごく』
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 北沢陶の長篇『をんごく』(KADOKAWA)は、亡き妻の霊を成仏させようと奔走する男と、その相棒となった不思議な男を描くホラー・ミステリです。

 大正時代末期の大阪船場。呉服屋の息子として生まれた壮一郎は、店を姉と義兄に任せ、絵で生計を立てようとしていました。見合いで結婚することになった倭子は、幼い頃からの顔見知りで、結婚生活は上手く行っていましたが、大地震の怪我が元で、倭子は亡くなってしまいます。
 妻の死を受け入れられない壮一郎は、巫女に妻の降霊を頼みますが上手く行きません。巫女が言うには、妻は普通の霊とは違う状態にあるというのです。
 そんな折、壮一郎は、人間ともつかぬ顔のない存在「エリマキ」と出会います。彼は死を自覚できず地上をさまよっている霊を喰って生きている存在だといいます。エリマキは倭子の霊を喰おうとしますが、何者かに阻まれてしまいます…。

 成仏できていないらしい妻の霊をめぐって、その夫と相棒となった不思議な男「エリマキ」の冒険を描く作品です。
 主人公の相棒となるこの「エリマキ」は奇妙な存在で、厳密には人間ではなく、自分が死んだことに気付かず地上を彷徨い続ける霊を「喰って」生きています。壮一郎の妻倭子の霊も喰おうとするものの、何らかの障害があって果たせません。
 倭子は異形の霊となってしまっているようで、なぜ倭子がそのような状態になったのか、彼女を成仏させることはできるのか、といったところが壮一郎たちの目的となっていきます。

 この作品での霊の存在、非常に怖く描かれています。その霊すらも食べてしまう「エリマキ」は、更に不気味な存在かと思いがちなのですが、読み進めていくうちにこのエリマキに愛着が湧いてくるのも不思議です。実際この作品の魅力の一つは、このエリマキのキャラクターにあるように思います。
 人間なのか霊的な存在なのか、そのどれでもないのか…。不思議な立ち位置の存在で、その姿も一様ではありません。見る人間によってエリマキはそれぞれ大切な人間の姿に見えるようなのですが、壮一郎にはエリマキの顔が「のっぺらぼう」にしか見えません。そのあたりの謎も物語を引っ張る要因の一つとなっていますね。

 この世に未練を残した霊、そして霊の存在を未だ愛おしく思う生者、彼らを歪んだ形であれ、つなぐ存在となっているエリマキ、それぞれの存在の「物哀しさ」が全体に横溢する作品となっています。
 この世界観を作っているのが独自の「語り」。方言を用いたその文体が非常に魅力的なのですよね。ちょっと一部を引用しますね。

「ほんまやて。わて、たんまにちらと見たことがあるんや。一度、藍地に葦模様の裾が廊下の角をすぅと曲がっていったんやけど、お母様(かあはん)も姉さんもそないな着物は着はらへんのや。女子衆(おなごし)は炊事場で忙しうしとったり、家の者(もん)やないんやったら幽霊やとしか思われへんやろ。どないや。その廊下、こっそり連れて行ってもええで」

 最初は癖があるかと思いきや、読んでいると、だんだん読みやすくなっているから不思議です。

 地上における未練を残した霊や、その霊の行く末など、死者に関わる世界観もミステリアスです。倭子がなぜ成仏できないのか、何を夫に伝えたがっているのか、結末に現れるメッセージも、人間の深い情念が感じられて味わい深いです。
 正直なところ、ミステリというほどの複雑な「謎解き」はないのですが、その文体と相まって、独自の世界が繰り広げられており、幻想小説として魅力的な作品になっているように思います。

テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

不可思議な日常  ルーシー・ウッド『潜水鐘に乗って』
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 イギリスの作家ルーシー・ウッドの短篇集『潜水鐘に乗って』(木下淳子訳 東京創元社)は、英国のコーンウォール地方を舞台に、幻想的な出来事や現象を背景として、様々な人々の日常が情感豊かに描かれていくという作品集です。

 不思議な出来事が起こる世界が登場しながらも、人々はそれを当たり前のものとして受け入れている…という感覚が強いでしょうか。完全な幻想譚となっているものもあれば、物語の背景としてのみ幻想的な要素が登場し、普通小説に近い作品となっているものもあります。
 特に面白く読んだのは「潜水鐘に乗って」「石の乙女たち」「緑のこびと」「ミセス・ティボリ」「語り部(ドロール・テラー)の物語」など。

 表題作「潜水鐘に乗って」は、一定の酸素を注入して人が海底に降りることのできる「潜水鐘(ダイビング・ベル)」を扱った物語。高齢となったアイリスは、数十年前にいなくなった夫を探すため、友人からもらった券を使い潜水することになりますが…。
 数十年も前に海で行方不明になった夫を潜水鐘に乗って探しに行く老婦人の物語です。時間的にも見つかる可能性は少ないとされており、そこに老婦人のもの悲しい心情が感じられるのですが、思いも掛けない幻想的な結末が待ち構えています。
 これが真実なのか、老婦人の幻覚なのかは分からないのですが、結末のビジョンは非常に美しいですね。

 「石の乙女たち」は、定期的に石になってしまう女性をめぐる物語。
 リタは自分の体が石になる予兆を感じていました。過去にも同じように石になってしまったことがあるのです。そんな折り、元恋人であるダニーに誘われ、彼が新しく引っ越すことを考えている家に一緒に行くことになりますが…。
 自身の体が石になってしまう寸前という、その短い時間に元恋人と過ごすことを選択した女性の心情が細やかに描かれていく幻想小説です。
 石になってしまってから、元に戻るまでには個人差があるらしく、長年そのままであることも多いようなのです。
 元恋人と過ごす時間、かっての二人の生活のあった家に対する思いなど、女性の心情が描かれていく部分に魅力がありますね。
 石になってしまった人々が同じところに集まり、石像のように建っている、というところもユニークです。

 「緑のこびと」は、女性の周りに現れる不思議な男性の物語。
 母親と別れ、新しいパートナーと再婚した父親。父親とその妻をわざわざ自宅に招いた母親に、娘の「あなた」は複雑な思いを抱いていました。「あなた」はいつの間にか母親のそばにまとわりつく不思議な人物に気が付きます。
 褐色の髪で、来ているベストは緑に見えたり、他の色に見見えるのです。自分以外には彼の姿は見えていないようなのですが…。
 母親の周囲に突如出現した、不思議な人物をめぐる幻想物語です。母親は若い頃失踪していたことが言及されており、それがこの「妖精」と関係があるらしいことも示唆されていますね。
 この世の存在ではないながら、母親と謎の男性、さらに父親とパートナーと、自分以外は「カップル」であることに気づき、娘が奇妙な孤独感を感じるところも面白いですね。

 「ミセス・ティボリ」は不思議な力を持つ老婦人の物語。
 老人ホームに入居しているミセス・ティボリは、個人的に気に入った「わたし」にある秘密を明かします。彼女が持つたくさんの壜を開けると、そこに封じ込められていた映像や香りが解放されるのです。
 ある日ミセス・ティボリのもとを訪れた男性は、壜の中の映像で見たのと同じ人物でした…。
 何やら魔法のような力を持つ不思議な老婦人ミセス・ティボリを描いた物語です。彼女の元を訪れた男性と彼女がどんな関係だったのか、その魔法のような力は何なのか、といったことは語られず、謎めいています。
 ミセス・ティボリが「変身」してしまうことが作品の冒頭と結末で示されるのですが、これもどういった脈絡で起こったのかもはっきりしません。いろいろな解釈ができそうな不思議な作品ですね。

 「語り部(ドロール・テラー)の物語」は、何百年も生きてきたという語り部の物語。
 数百年を生きてきた語り部、ドロール・テラーは、このところ衰えを感じていました。人に物語を語るときに、いろいろなことが思い出せなくなってきていたのです。旅行客の夫婦に物語のツアーをすることになりますが、迷って同じ場所に戻ってきてしまいます…。
 数百年を生きる語り部を描いた物語です。周辺の住人の先祖について知っている描写もあることなどから、長生きをしていることは事実のようです。ただ、語り部としての能力は衰えているらしく、道に迷ったり、お話につまってしまったりします。
 実際に起こったことを物語として語っているというよりは、純粋な創作としての物語を語っているようでもあり、物語とは何か、語り部とは何なのか?といったことも考えさせられますね。

 幻想的なガジェットが登場しながらも、登場人物たちがそれを重要視しない、というタイプの物語もあります。例えば「願いがかなう木」
 六十歳になる母親のジューンと共に車で出かけてきていた娘のテッサ。母親は病に冒されていましたが、二人はかって遭遇した願いがかなう木に再び出会うことになります…。
 母親が重い病に冒されていることが示され、治療のためにどんな方法も試してみたいと考えていることも示されます。その流れから、効能が本物かどうかは分からないながらも「願いがかなう木」に頼るのかと思いきや、それがあくまで過去に遭遇したエピソードとしてしか示されず、それに頼ろうとはしないのです。
 かといって二人が実行しようとする「療法」もいささか迷信的なものであり、それが「願いがかなう木」とそんなに変わらないのではないか…というところで、登場人物たちの不思議な心情が、親子の間の情愛と共に感じられる作品となっています。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

アイルランドの情念と幻想  キャサリン・タイナン『キャサリン・タイナン短篇集』
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 キャサリン・タイナン『キャサリン・タイナン短篇集』(高橋歩編訳 未知谷)は、アイルランドで最も多作な作家のひとり、キャサリン・タイナン(1861-1931)の幻想的な短篇を集めた作品集です。

 寡婦となった女の謎めいた死を幻想的に綴る「海の死」、先妻の霊とその影響力を排除しようとする後妻の密やかな戦いを描く「先妻」、競技者としても女性をめぐってもライバルだった男の死後にその霊と戦おうとするレスリング選手を描く「試合」、魔術を使い男を支配していた女の邪悪な行いを描く「死の縄」、資産をため込んでいるという噂からその金を狙って周囲の人間がとある女に親切になるというシニカルな「裕福な女」、妻子を失い神を憎むようになった男が改心するまでを描く「神さまの敵」、悪女に捕まってしまった男が小さな天使像の導きで幸福を手に入れるまでを描いた「迷子の天使」、孤児となり意地の悪い親戚に引き取られた少女が理想の男性と結婚するまでを描く「聖人の厚意」、青年が山荘にある肖像画そっくりの美しい少女の幽霊に恋するという「幽霊」の九篇を収録しています。

 幽霊が出現したり、幻想的な出来事が多く現れますが、お話としてはシンプルなものが多いです。面白いのは、幽霊の登場する作品でも、その幽霊よりも生者の側の情念が強く描かれることが多いというところ。
 例えば「先妻」。亡くなった先妻の霊に悩まされる後妻のお話なのですが、霊が直接的に姿を現さず、愛犬だった犬を通してその存在感を示す…という異色のゴースト・ストーリーになっています。しかも霊となった先妻よりも、生者である後妻の力の方が強く、最終的には屋敷の支配権は後妻のものになる…という展開も面白いです。
 「試合」では、亡くなった女性をめぐってライバル関係だった選手が、これまた先に亡くなってしまっており、勝負がついていないことに煩悶を覚えるレスリング選手が、霊となって現れるライバル選手と生と死を超えた戦いを繰り広げる…という物語になっています。
 この強い「情念」、タイナン作品の特徴のようで、霊や超自然に関わることになる、生者の側の強いエネルギーが描かれることが多いようですね。

 基本、幽霊が出現する作品でも、あまり邪悪度が高くない作品が多いようなのですが、その中で怪奇色が濃いのが「死の縄」
 本来善人であったロバート・モリニュー卿を誘惑し、悪の道に引きずり込んだ悪女モーリーンの死と、その死をめぐる忌まわしい現象をめぐる本格的な怪奇小説です。死の間際に改心するモリニュー卿と対照的に、最後まで徹底して男を支配しようとしる女の邪悪さが印象に残ります。

 妻子を亡くして神を憎んでいた男が、亡き娘の起こした奇跡により改心する「神さまの敵」や破滅寸前で死まで考えていた男が、ふと手に入れた小さな天使像の導きで幸福を手に入れる「迷子の天使」なども素朴で温かい感触の物語なのですが、一番ハートウォーミングなお話が巻末の「幽霊」でしょうか。
 ルーシー叔母一家の招待を受けて、彼らが所有する山荘を訪れていた青年ハンフリー。叔母は従妹のジュリエットとハンフリーを結婚させたいと考えており、ハンフリー自身も彼女に好意を持っていました。しかし、最近現れたヒュー・ヤングにジュリエットが惹かれていることに気付いたハンフリーは自分は身を引こうと考えます。
 そんな折、山荘にあった肖像画に描かれた少女像にハンフリーは魅了されることになります。しかも肖像そっくりの少女の幽霊がたびたびハンフリーの目の前に現れるようになったのです。山荘の前の所有者はワーナーという名の一族で、末裔である祖父と少女が経済的な要因から山荘を手放したようなのです。少女の幽霊に恋するようになったハンフリーでしたが…。
 幽霊に恋する青年が登場し、報われない恋が描かれるのかと思いきや、思わぬ展開に。登場人物全てが幸福になる結末は非常に清涼感が溢れています。

 物語自体がシンプル、素朴と言い換えてもいいですが、その素朴さと同時に、現れる人間たちの等身大の人生、そして強い情念やエネルギーが、幻想的な背景と共に描かれていくのが魅力といえましょうか。

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怪奇幻想読書倶楽部 第49回読書会 参加者募集です
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※定員になりましたので、締め切らせていただきます(2024.01.16)。

 2024年1月28日(日)に「怪奇幻想読書倶楽部 第49回読書会」を開催いたします。若干名の参加メンバーを募集しますので、参加したい方がおられたら、メールにて連絡をいただきたいと思います。
 連絡いただきましたら、改めて詳細をメールにてお送りいたします。

お問い合わせは、下記アドレスまでお願いいたします。
kimyonasekai@amail.plala.or.jp
メールの件名は「読書会参加希望の件」とでもしていただければと思います。


開催日:2024年1月28日(日)
開 始:午前10:00
終 了:午後12:30
場 所:JR巣鴨駅周辺のカフェ(東京)
参加費:1500円(予定)
課題書 フリオ・コルタサル『遊戯の終わり』(木村榮一訳 岩波文庫)


※「怪奇幻想読書倶楽部」は、怪奇小説、幻想文学およびファンタスティックな作品(主に翻訳もの)についてのフリートークの読書会です。
※対面型の読書会です。
※オフ会のような雰囲気の会ですので、人見知りの方でも安心して参加できると思います。
※「怪奇幻想読書倶楽部」のよくある質問については、こちらを参考にしてください。
※扱うジャンルの関係上、恐縮ですが、ご参加は18歳以上の方に限らせていただいています。


 今回取り上げるのは、フリオ・コルタサル『遊戯の終わり』。不条理味・文学性の強い幻想短篇集です。多様な解釈の可能な作品もあり、読み解き甲斐のある作品集ではないでしょうか。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

恐るべき街  宇佐美まこと『少女たちは夜歩く』
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 宇佐美まこと『少女たちは夜歩く』(実業之日本社文庫)は、中央に城山を抱える街で、様々な人々が奇妙で恐ろしい出来事に出会う…という連作ホラーミステリー小説です。

 城山のある街の風景が語られる「はじまりのおわり」、長屋風の借家に住む女の不倫の恋が描かれる「宵闇・毘沙門坂」、夫の実家に伝わる絵画を修復したところ、絵の背後から恐ろしい出来事を予言するような人物が描かれていたという「猫を抱く女」、アル中で身を滅ぼした男が清掃員となり、密かに孫娘を見守ろうとする「繭の中」、障害のある幼児と不思議な動物との関わりを描く「ぼくの友だち」、入院先で相手の秘密を読み取ることの出来る能力を持つ女性と知り合いになるという「七一一号室」、飼い猫の失踪をきっかけに夫婦の間の溝が広がっていくという「酔芙蓉」、突然知り合いの女性の赤ん坊を預かることになった青年の困惑を描く「白い花が散る」、児童写生大会の審査員となった女性が、名家の跡取り娘を通じて不思議な出来事に出会う「夜のトロイ」、とある女性同士の奇妙な関係が明かされる「おわりのはじまり」が収録されています。

 全体に超自然味の強い連作という感覚の作品なのですが、「人物再登場法」というか、各エピソードで登場した人物が他のエピソードで違う形で登場してくるのが特徴です。話の背景として触れられることもあれば、脇役として登場した人物が他のエピソードでは主役を務めたりと、様々な形で人物が再登場します。あるエピソードで起こった出来事の結果や人々の行く末が、別のエピソードで描かれるのも面白いところですね。

 なかでも面白く読んだのは「猫を抱く女」「七一一号室」です。

 「猫を抱く女」は、こんなお話。
 名家の息子である画家の慶介と結婚した絵画修復士の環。義母の依頼で、夫の先祖、蒲生秀衡が描いたという絵画を修復することになります。修復作業をしているうちに、絵画には下の層に別の絵が描かれている部分を発見し、それらを表に出していくことになりますが、そこに現れてくる人物たちは、環の人生において不幸に結びついている人間ばかりでした…。
 過去の不幸な人生ばかりか、未来までをも予言する謎の絵を描くホラー作品です。絵画の下の層から何かが現れるたびに、過去の不幸な事件の記憶が呼び出されていく…という趣向も良いですね。レイ・ブラッドベリの『刺青の男』を思わせるような趣向の怪奇作品です。

 「七一一号室」は不思議な力を持つ女性と出会った主婦を描く物語。
 手術のため入院することになった主婦の「わたし」は、同じ部屋になった女性遠藤と知り合います。病的な美しさを持つ遠藤は、脳腫瘍が原因で不思議な力を得たといいます。他人の頭の中を覗けるという遠藤は、「わたし」の夫が不倫をしているというのですが…。
 どこか怪しい入院患者の女性遠藤と出会った主婦が、奇怪な体験をする、というホラー小説です。個人的な事情だけでなく、いつ亡くなるか、といったことも分かるらしく、それらの情報を聞かされた「わたし」は気味悪く思うのですが、知らされた夫の不倫の事実について沈み込むのではなく、逆に開き直ってしまうような態度が描かていくところには、不気味なユーモアがありますね。

 個人の人々の不思議な出来事が描かれる連作ではあれど、全体を読み通すことによって、「街」自体の存在が浮かび上がってくる…といった趣向の作品ともいえましょうか。複数のエピソードに共通して登場する不思議な病と、その原因となる奇怪な動物の存在もユニークです。
 また、登場するのが揃いも揃って業の深い人物ばかりであるのも特色ですね。意図的にせよ、そうでないにせよ、不幸な事態を招いてしまった人々が描かれており、陰鬱なトーンが強くなっています。このあたりの読み味には、好き嫌いが分かれるかもしれません。

テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

最近読んだノンフィクション作品

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ロブ・ダン『家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている』(今西康子訳 白揚社)

 今まで誰もがあまり関心を払ってこなかった家の中の生物たちについて語られた本です。生態学者の著者が家のあちこちを調べたところ、そこには20万種を超す生物の痕跡が見つかっていました。
 家の中にはどんな生き物がいてどういう風に暮らしているのか? 彼らは人間にとって有害なのか、無害なのか?など、生物そのものについての記述と共に、人間にとっての彼らの影響についても語られています。
 この本で描かれている、家の中の生物は、イヌやネコといったペット的な生物ではなく、文字通り家の各所に住み着いている生物です。それゆえ皆小型の生物であり、昆虫や細菌、微生物といった生物が多数を占めています。
 特に細菌や微生物といった分野に関しては、家の中でも相当数の種類の生物が見つかっており、わざわざ熱帯雨林にまで行かなくても、目の前にフロンティアが広がっていた…というのは目から鱗ですね。
 面白いのは、冷蔵庫や給湯器など、人間が住む家の設備は、生物にとってある種の極限環境になっており、そうした極限環境でしか生きられない特殊な微生物がそこから見つかった…というところ。
 人里離れた熱水泉の中にしか存在しないはずの細菌が、家の中の給湯器の中から発見された…という記述にはびっくりします。
 家の中が極限環境であるというのは、他の面でもそうで、徹底的な消毒を行ったり、殺虫剤を振りまいたりすることによって、細菌や昆虫の「進化」を促進してしまうらしいのです。ある意味で世界中で最も進化が早いのは「家の中」だというのです。「第9章 ゴキブリ問題は私たちの所業」では、ゴキブリを殺そうとする人間たちと殺虫剤によって毒への耐性を身に付け続けるゴキブリたちとの戦いが語られています。
 「生物多様性」が大切だというのはよく言われることですが、本書では、室内においても人間の体内においても、それが実用的な視点から説得力豊かに語られています。特定の最近や微生物を殺そうとして薬を使っても、肝心の対象が耐性を身に付けて変異してしまう一方、人体に有益な他の生物が死んでしまい結局は「敵」を利してしまう結果になることが多い、というのはなるほどという感じですね。
 この「実用性」という視点は著者ロブ・ダンが重要視するところで、例えば多くの家に住み着いているカマドウマの体内から、セルロースを分解できる細菌を見つけたりと、人間の生活に有益な要素を見つけ出そうとする視点はすごいです。
 家の中に住み着いた生物、ということで、明らかに有害な害虫や細菌というのももちろんいるのですが、大体は無害か、むしろ人間にとって有益な生物が多く存在しているといいます。彼らがそばに存在することによって、人間の健康や生活が安定したり快適になることもあるのです。
 小さな生物たちがこんな生態や活動をしている、という知的面白さと同時に、彼らの研究から人間にとって有用な何かが生まれる可能性も沢山あるのではないか、という未来へのポジティブな提言も含まれており、いろいろな面で面白みのある本となっています。



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ジャスティン・O・シュミット『蜂と蟻に刺されてみた―「痛さ」からわかった毒針昆虫のヒミツ』(今西康子訳 白揚社)

 昆虫の研究者である著者が、毒を持つハチとアリについて語った本です。
 虫刺されの基本特性は「毒性」と「痛み」。毒性に関しては客観的に測定が可能なのですが、痛みに関しては測定が難しく研究の対象になっていなかったというのですが、シュミット博士は何と、自分の体を実験台に、多くの虫から何度も刺されることによって、痛みの基準「シュミット指数(シュミット刺突疼痛指数)」を生み出したというのです。
 痛みの強度はレベル1からレベル4の4段階。セイヨウミツバチに刺されたときの痛みがレベル2で、それが基準になっています。
 各章、毒を持つハチやアリの具体的な種の生態が描かれていきます。日本でも一時期話題になったヒアリについても触れられますが、意外にもヒアリの痛みはレベル1でミツバチよりも痛くないそう。最強なのはサシハリアリだそうで、こちらの痛みは何時間も続くのだそうですね。
 著者の体を張っての研究がユーモラスに語られていて、とても楽しい本なのですが、毒を持つ昆虫たちがなぜそれらの毒を持つようになったのか、どういう目的で毒が使われているのか、など、読んでいてなるほど、と思う箇所も多数です。刺針は産卵管から進化したものなので、基本刺すのはメスのみ、というのも初めて知りました。
 アリやハチが話題になっているだけに、社会生活を営む彼らの生態などにも触れられ、こちらも興味深く読みました。
 巻末にハチとアリの種について、それぞれ「痛さのレベル」と「刺されたときの感じ」が記されているのですが、ここの表現が絶妙なのです。「はずれていたカーペット鋲が、ウールの靴下をはいている足に刺さったみたいな」とか「単純でなまいき。年下のきょうだいに小指をつねられたような感じ」とか、著者のユーモアセンスと文才に笑ってしまいますね。
 画像は、痛み一覧のページの一部。この部分だけでもこの本を買う価値があると思います。
 シュミット博士の研究はそのユニークさから、2015年にイグ・ノーベル賞を受賞しているそうで、確かに人には真似できない研究だと思います。面白くてためになる好著でした。



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トゥオマス・アイヴェロ『寄生生物の果てしなき進化 』(セルボ貴子訳 草思社)

 フィンランドの進化生物学者である著者が、寄生生物の生態や進化について語った本です。サナダムシのような文字通りの寄生虫だけでなく、細菌やウイルスなど、他の生物に寄生して生きる生物をひとまとめに「寄生生物(パラサイト)」として、その生態や進化について考察しています。
 本の多くを占めるのは、細菌やウイルスによる「感染症」に関する内容で、自然、人間と関わる部分での記述が多くなっています。感染症がどのように発生して、どう進化を遂げてきたのか、対策はあるのか、絶滅させることは可能なのか、など、かなり実用的な意味で参考になる内容になっています。
 さまざまな動物との接触、人間の移動が盛んになった現代では、新たな感染症が生まれるのは避けられないだろう、ということなのですが、それらに対してどのように対応すればよいのか、という指針も示されていますね。
 科学雑誌に連載されたオンラインブログの文章が元になっているそうですが、最後の方には新型コロナウイルスに関する追加の文章も収録されています。
 新型コロナウイルスだけでなく、感染症そのものに関する基礎を理解したい人には、とても有用な本だと思います。



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リサ・ジェノヴァ『Remember 記憶の科学 しっかり覚えて上手に忘れるための18章』(小浜杳訳 白揚社)

 人間の記憶の仕組みやその特性について、多方面から語られる科学ノンフィクションです。記憶はどのように形成されるのか? といった基本的な仕組みから、記憶の種類とそれぞれの特質、なぜ特定の記憶が残って他の記憶は忘れてしまうのか? 老化による忘却とアルツハイマー病でのそれとの違い、記憶力を高めるための対策まで、様々なトピックが語られていきます。
 読んでまず驚くのは、記憶のいい加減さ。想起するたびに記憶は自分の都合のいいように改ざんされたり、他人の言葉に影響されて勝手なイメージを作ってしまったりするというのです。しかもその時点での「文脈」や「意味」によって記憶が再構成され、たまたま同じ場所で遭遇した関係の無い出来事が、当人の記憶の中で勝手に結びついてしまうことも。
 思い出すためには、そもそもそれを記憶に焼き付ける必要があり、そのためには「注意を払って」長続きする記憶へと固定化する必要があるといいいます。そうしなければ、あっという間に記憶から消えてしまうというのです。駐車場のどこに車を止めたか分からなくなる、といった身近な題材が例に使われているのも分かりやすいですね。
 記憶の特徴として、新規な物事は記憶に残りやすい、というのがあるのですが、逆に毎日行っているルーティン、毎日通っているルートなどは頭が慣れてしまい、記憶に残らなくなってしまうそうです。
 初めは目新しかったことも慣れてしまうと「馴化」が起こり、記憶に残りにくくなる…というのも興味深いですね。
 普通の人間は特定の一部の記憶しか残らないということなのですが、「非常に優れた自伝的記憶(HSAM)」を持つ人々が少数ながらおり、彼らは特に何も起こらなかった平日の日の記憶なども詳細に覚えているといいます。過去の特定の日付を訪ねられると、その日に起こったことを詳しく答えられるそう。
 記憶を上手く残すための具体的な手段にも触れられています。本文でところどころ、それらについては触れられていますが、最後の「まとめ 記憶のためにできること」では、そうした具体的な手段がまとめられていて参考になります。この章を読むだけでも、かなり有用だと思います。
 専門用語をあまり使わず、身近な例を持って具体的に語られていくので、非常に分かりやすい本になっています。ユーモアたっぷりの語り口も楽しいですね。「記憶」に興味のある人にはとても面白い本だと思います。



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伊藤亜紗『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』(文藝春秋)

 テクノロジーの助けを借り、人間の体が「できるようになる」ことについて語っています。5人の科学者・エンジニアの研究を通して同一テーマに迫る、という形になっています。
 技術の習得であるとか、体に新しいことを覚えさせる、といった「できるようになること」について、テクノロジーやそれを使った研究によって、新たな知見が見えてくる、というユニークな視点の本になっています。
 機械やテクノロジーが人間の体に適用されるとき、一般には、機械が人間の体の「延長」になるとか「代替」になる…といった印象を抱きがちなのですが、こちらの本で紹介されている研究では、人間が新たな技術を習得するための「介助」や「協力」といった面でテクノロジーを役立てる、というものが多く、読んでいて、目から鱗でした。
 一番面白いなと思ったのは、手に装着して、ピアニストの打鍵の情報を再現させる「エクソスケルトン」なる装置。体に実際の動きをさせて「納得させる」という発想が興味深いまた、「バーチャルシャドウ」は、ゴルフのスイングを覚えさせるための機械。プロジェクタによって、スイングをする人の影に重なるような形で人工的な影を投影するというものです。「お手本」の影に自分の影が重なるようにスイングすれば、スイングのズレを治せる、という面白い発想です。
 他にもテクノロジーによって、人間が何かをできるようになったり、学ぶことができる、といった面で役に立つ研究が多く取り上げられています。
 機械やテクノロジーが人間とは断絶したものではなく、人の身体感覚を改善したり更新していくことができる…という、知的刺激に満ちた本になっていますね。



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池上健一郎『作曲家◎人と作品シリーズ ハイドン』(音楽之友社)

 作曲家の伝記と作品紹介を概説するシリーズの新刊、ハイドン篇です。モーツァルト、ベートーヴェンと並び、古典派の巨匠とされるフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)についての概説書です。膨大な関連書籍があるモーツァルト、ベートーヴェンに比べ、本邦ではハイドンの関連書が極端に少ないため、非常に貴重な書籍となっていますね。
 全体は「生涯篇」と「作品篇」に分かれていて、「生涯篇」では作曲家の伝記的な記述が語られています。こちらを読んでみると、ハイドンは本当に「叩き上げ」と「地道な努力」の人です。ロマン派的な劇的な出来事はその生涯にあまりないものの、着実に腕を上げ評価を得た…というタイプの人です。
 幼い頃から周囲の音楽家たちから技術を学んではいるものの、作曲の専門的な教育を受けたのは、ナポリ楽派の作曲家ニコラ・ポルポラ( 1686-1768)による一時的なものだけ。大体は自身の独学と工夫で技術を高めていった人のようですね。
 興味深いのは、ハイドンは自分が置かれた環境の中で最大限に工夫をしていた人だというところ。主に活躍の舞台となったエステルハージ公爵家では、常に自分の与えられた団員たちやその構成を踏まえて曲を作っているのです。
 楽長としての立場からは音楽そのものだけでなく、団員たちの生活や教育までがその仕事になっており、その日常的な大変さも語られています。
 団員たちから休みがほしいという訴えを受けて、曲の途中から演奏者が舞台から去っていく、というエピソードで有名な交響曲「告別」(著者は「おわかれ」という邦題を提唱しています)などは、そうしたハイドンの音楽と日常がユーモアをもって結実した作品の一つといえるでしょうか。
 大貴族とはいえ、一貴族に仕えていたハイドンの名声が段々と外にも知られ始め、パリやロンドンからもお呼びがかかったりすることにもなります。晩年に至るまで作品の質が着実に上がっていく…という、ある意味芸術家としての理想の姿を体現した作曲家であるようです。
 後期は、まさに当時としても「巨匠中の巨匠」なのですが、それでも、曲の途中で観客を驚かせるという交響曲「驚愕」(こちらも著者は「びっくり」という邦題を提唱していますね。驚かせるニュアンスが「驚愕」では大げさではないかとの主張です。)を書いたりと、ユーモアとウィットを失わないところは、まさに大人の作曲家です。
 作品篇では代表的なジャンルとその曲が概説されています。全ジャンルを紹介しきれていないとのことですが、それでも多くの作品が紹介されており参考になります。
日本ではモーツァルトなどと比べると影が薄い人ですが、その人生、その曲とも非常に味わいのある人です。ハイドンの作品に関心がある人にはとても面白く読める本ではないかと思います。



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ジェラルド・グローマー『「音楽の都」ウィーンの誕生』(岩波新書)

 18世紀後半にウィーンが音楽の都と呼ばれるようになったのは何故なのか? その「誕生」の実像を資料を駆使して描いていく、というノンフィクションです。
 ハイドンやモーツァルトが活躍した18世紀の音楽シーンについて書かれた著作なのですが、同時代の他のヨーロッパに比べても「音楽の都」としてとりわけ喧伝されるウィーンについて、同時代の資料を使ってその実像に迫っていくというノンフィクションです。
 曲や作品についてなど音楽そのものよりも、当時の社会の中で音楽や音楽家がどんな地位を占めていたのか、どういう生活をしていたのか、国や教会、また一般人との関係など、社会的・経済的な詳細が語られていくのが特徴です。
 芸術家と言えど普通の人間であり、彼らが暮らしていくためには貴族や王侯に仕えて給金を得たり、レッスンをしてその対価を得たりする必要があります。具体的にどのぐらいの収入を得ていたのか、彼らの生活は楽だったのか、など経済的な視点も多く登場し、読んでいて参考になりますね。
 その中でもハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど有名な作曲家たちについても言及されています。ハイドンが有名な詩人ピエトロ・メタスタージオと同じ建物に住んでいたとか、これも同様に同じ建物に住んでいた作曲家ポルポラに指導を受けたとか、個々のエピソードも興味深いです。
 オペラ、バレエ、ジングシュピールなど舞台作品についても語られており、そのつながりでそれらが上演された劇場のことや、その盛衰について書かれています。関連して、動物を戦わせる見世物で人気を博した「ヘッツ劇場」にも触れられています。当時としてはこれも「演劇」枠として捉えられていたようですね。
 また、音楽教育、舞踏会とサロン、公開演奏会についてなど、幅広い方面から当時のウィーン社会が描かれていて、新書レベルとは思えないほどの情報量が盛り込まれていますね。
 社会の隅々まで音楽が普及し、音楽によって身分を超えた「平等」さえもが実現していた…という意味で「音楽の都」の名前に恥じない都市だったウィーンの姿が描かれていますが、その一方その「理想」も一時的・限定的なものだとして、手放しのウィーン礼賛になっていないところも、客観的でバランスの取れた著作になっているように思います。



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宮野裕『「ロシア」はいかにして生まれたか タタールのくびき』(NHK出版)

 モンゴル帝国の支配下に置かれた240年。それが、「ロシア」成立の礎となった…という観点から、モンゴル支配下のロシアと、その「タタールのくびき」から脱するまでが記述されていくという歴史書です。
 数百年以上、ロシアがモンゴル支配下にあった、というのは知識としては知っていましたが、具体的にどのような状況にあったのか?という点については知らなかったので、とても参考になる本でした。
 「支配」というと、一方的に略奪する関係を思い浮かべるのですが、互いの内紛に乗じて利用したり、一時的な同盟関係があったりと、複雑な関係があるところは興味深いですね。
 現状行われている侵攻において、ロシアがなぜウクライナの支配権を主張するのか? という歴史的な根拠も描かれていて、なるほど、という感じです。
 この時代のモンゴルが強大だったのは当然なのですが、この時代のロシアの周辺で強国として存在感を放っていたのがリトアニア大公国だそうで、このあたりの歴史的な経緯は知らなかったので、非常に参考になりました。
 モンゴル支配、そしてその支配から脱して、近代ロシアが「誕生」していく時代に的を絞った記述になっています。このあたりの時代の入門書的な本はあまりないと思いますが、とても分かりやすくまとめられた良書だと思います。



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生駒哲郎『畜生・餓鬼・地獄の中世仏教史 因果応報と悪道』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)

 中世において信じられていた仏教の世界観「六道」のうち、「三悪道」とされた「餓鬼・畜生・地獄」についての概念や、それらについてどう考えられていたのかを読み解いていくという本です。
 仏教の世界観「六道」において、文字通りの地獄である「地獄道」のほか「餓鬼道」「畜生道」もまた悪い世界とされており、それらの世界はどのようなものと考えられていたのか、どんな人間がそういう世界に生まれ変わってしまうのか、といったことが語られていきますが、
 同時に中世の人々の倫理観や善悪観にも触れられていくのが特徴です。例えば、当時の武士に「殺生」はつきものでありながら、彼らの中にも地獄に落ちた人と極楽へ往生したとされている人が分かれるのは何故なのか? といったことや、武士の「敵討ち」に関して、それらが死後の世界の因果応報について与える影響についてはどう考えられていたのか、などが語られていきます。「因果応報」の種類として語られる「現報・生報・後報」の区別も興味深いです。
 ちなみに、現世の行為の報いを現世でうけるのが「現報」、次の来世でうけるのが「生報」、次の世を過ぎて来々世以後にうけるのが「後報」とされています。罪の報いとして一番重いのが「現報」だそうです。
 地獄からの脱出の手助けをしてくれる存在として現れる地蔵菩薩についての逸話が多く登場するのも面白いところですね。
 「畜生道」については、動物たちにも存在のランクや位置づけがあったことが語られます。生まれ変わりによってランクの高い動物に生まれ変わっていった、という逸話は興味深いです。
 また、両親が動物に生まれ変わっている可能性なども語られます。
 「餓鬼道」に関しては、仏事である「施餓鬼」や絵巻の「餓鬼草紙」などを通してその考え方が語られます。
 宗教的・超自然的な話題が多いだけに、紹介されたり引用される逸話は、古典の説話集などからのものが多く、そのあたりから、当時の人々が死後の世界についてどう考えていたのか、ということが推測できるようになっていますね。
 中世の考え方は、現世の行いだけでなく、前世や来世など、死後の世界を含めて人間の人生がつながっている、という考え方が強いようです。
 中世人の宗教観や死生観の理解が深まると言う意味でも、日本人の宗教的な考え方のルーツ的な面を探る、という意味でも面白い本だと思います。



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伊藤亜紗『記憶する体』(春秋社)

 視覚障害、吃音、麻痺や幻肢痛、認知症などを持つ人たちのエピソードを手がかりとして、体の記憶や「癖」などについて考察していくという本です。
 視覚障害だったり、手足を失ったり、あるいは先天的に四肢が麻痺していたりと、障害を持つ人々は、どのような身体感覚を持ち、身体の運用をしているのか、といったことが書かれています。一部の身体が使えないことによって、身体に関する認識自体が普通の人間とは異なっているようなのです。
 非常に興味深く読んだのが「幻肢」に関わる部分。失われた手や足のイメージが残り、そこが痛む…と思っていたのですが、そう単純な話ではないらしく、切断前に使っていたのとは長さが異なったり、あるいは胴体にめり込んでしまったような幻肢を持つ人もいるというのです。
 また認知症に関わる部分では、今まで出来ていなかったことが出来なくなる、というところで、常に意識を働かせて注意をしないと行動ができないために、身体に非常に負荷がかかる…という記述もあり、興味深く読みました。
 通常とは異なった身体感覚を持つようになってしまった人々を通して、逆に、人間が普段どのように身体を運用しているのか…といったところも考えさせられる著作でした。



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岡田温司『最後の審判 終末思想で読み解くキリスト教 』(中公新書)

 世界の終末にキリストが再臨して、天国で永遠の命をあずかる者と地獄へ堕ちて永遠の苦しみを課される者を振り分ける「最後の審判」という考え方について、解説されていくという本です。
 著者は美術畑の人で、ヨーロッパの美術作品を題材に、キリスト教的な主題や思想がどのように表現されてきたか、という本を何冊も出しています。こちらの本も同様で、キリスト教美術において「最後の審判」がどのように表現されてきたか、考えられてきたのか、といった面が語られています。
 人が死んでから「最後の審判」が始まるまで滞在する「場所」について考察される「あの世の地勢図」、宗教的・世俗的な裁きと正義について語られる「裁きと正義」、宗教的な罪と罰について語る「罪と罰」、キリスト教的な肉体の復活がどのように考えられたのかを語る「復活」の四章からなっています。
 正直、「最後の審判」そのものがそれほど掘り下げられていくわけではなく、それに関連して、様々なキリスト教的トピックが幅広く解説されていくという、教養書的な本ですね。
 個人的に面白く読んだのは一章「あの世の地勢図」と四章「復活」です。
 「あの世の地勢図」では、人間が死んでから「最後の審判」が始まるまでには、魂はどの場所に存在するのか? ということが考察されていきます。古代から様々に考えられてきた場所の呼び名や考え方が列挙され、ダンテの『神曲』の世界観についても触れられています。
 「復活」は、「最後の審判」時に起こる復活とは具体的にどのようなものなのか?をめぐる章。キリストの再臨と共に肉体が復活する、というのですが、その肉体とはどのような状態で復活が行われるのか、といった点が考察されます。
 死んだときの状態で蘇るのか、肉体に欠損があった場合はどうなるのか、年齢的にはどうなるのか、など、肉体の状態については、神学的にもいろいろ考えられていたらしく、そのあたりの記述はとても面白いですね。
 人によっては、人間以外にも動物や、悪魔さえもが救済の対象になる…という考え方もあるらしいです。
 「最後の審判」を通して、キリスト教的な死生観や、それらが古代からどのように考えられてきたのか、が分かりやすく語られています。具体的なキリスト教美術が画像で紹介され、その中で、その宗教的な考え方がどのようにイメージされているか語られていく部分も参考になりますね。
 この本、欧米の幻想文学を読むときの副読本としても面白いのではないかと思います。


不思議な日々  ジョーン・エイキン『お城の人々』
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 ジョーン・エイキン『お城の人々』(三辺律子訳 東京創元社)は、10篇を収録したファンタスティックな味わいの短篇集です。

「ロブの飼い主」
 ある日少女サンディのもとに飛び込んできたジャーマン・シェパードの小犬ロブ。リバプールから近所にやってきたドッズワースさんの飼い犬だというのですが、彼が引き取るたびに、サンディのもとに戻ってしまいます。諦めた飼い主は、サンディにロブを飼ってほしいといいますが…。
 運命的な出会いをした少女と犬の物語です。ごく普通の日常を描いた作品かと思いきや、後半で事件が起こり、そこにファンタスティックな要素が現れることになります。結末は感動的ですね。

「携帯用エレファント」
 元教師のマイルズは、森に入ろうとしますが、入るためには「携帯可能」な動物が必要だといいます。「携帯用エレファント」がいると聞き込んで買い取ったのは巨大な象ノエルでした。ひょんなことから一緒になった少女ナンアと一緒に象の世話をすることになりますが…。
 ふとした流れで象の世話をせざるを得なくなった青年と少女を描く物語。携帯用の動物が必要だという奇妙な設定はともかく、厳格に管理された社会が舞台のようで、その中で少女と象と過ごす日常がかけがえのないものになっていく…というところが魅力的です。

「よこしまな伯爵夫人に音楽を」
 優れたピアノ奏者である音楽教師ボンド先生の噂を聞きつけた森の中のお城の主、よこしまな伯爵夫人は、ボンド先生を自分の元につれてくるように妖精たちに命じますが、なかなか目的を果たすことができません…。
 ピアニストの青年を連れてこようと様々に策略を凝らしますが、どれもが失敗してしまう…というコミカルなファンタジー。結末の落ちも楽しいです。

「ハープと自転車のためのソナタ」
 その会社グライムズビルでは定時以後の残業が禁止されており、ビルからまるごと人が消えるような状態でした。入社間もない青年ジェイソンは、彼に心を寄せる秘書の女性ミス・ゴールデンからその理由を聞きます。
 かってハープ教師のミス・ベルに恋していた夜警の男性ヘロンが、自分が裏切られたと思い込み命を絶ち、恋人の女性も後を追うように亡くなってしまったというのです。それ以来ビルにはその二人の幽霊が出るために、人が残らないというのです。ジェイソンはそれを確かめようと、ビルに残ることにしますが…。
 幽霊をめぐるちょっとコミカルなファンタジー作品です。幽霊の「恋」を成就させる…というところも魅力的ですね。自転車に乗る警備員の幽霊という造型もユニークです。

「冷たい炎」
 エリスのもとに、噴火口に落ちて死んだはずの元恋人パトリックから電話がかかってきます。生前書き溜めた詩をなんとか出版してほしいというのです。有名な画家シャプドレーヌが無名時代にパトリックの母親オシェイ夫人を描いた肖像画があり、それを売ればかなりのお金になるはずなので、出版費用にしてほしいといいます。
 しかし彼の母親は自分の仕事を邪魔するかもしれないとパトリックは心配していました。実際に家を訪れたエリスは、オシェイ夫人から軽くあしらわれてしまいます…。
 死んだはずの男性から生前の作品を出版してほしいと頼まれてしまった女性を描く、奇妙な味のファンタジーです。死者であるパトリックよりも、生者である彼の母親の方がやっかいな存在で、彼女のおかげで、挙げ句の果てにはとんでもない結末を迎えてしまうなど、かなりオフビートな作品ですね。

「足の悪い王」
 老いた両親のローガン夫妻を連れて、車でやってきた息子のフィリップとサンドラ夫婦。その行程で、元作家だった母親のローガン夫人はいろいろと口を挟むことになりますが…。
 親と子ども世代の断絶を描く作品かなと思って読んでいくと、意外な展開に。悲劇的なお話ではあれど、そこに象徴的な「救い」のようなものが見えてくる、というのが特徴です。

「最後の標本」
 自身が住む村と自然を愛する七十歳のペンテコスト牧師は、ポニーを連れた見かけたことのない少女が周囲に生えている花を摘もうとしている場面を目撃し、それを止めさせます。
 花が欲しければ同じものが自分の家にもあると彼女を招くことになりますが、どうにも少女の挙動には不審な点がありました…。
 見知らぬ少女の秘密とは? 一見コミカルな作風ながら、迎える結末は実に壮大。エイキンには珍しいSF的な発想の物語ですね。

「ひみつの壁」
 その旅人ジョーンズは、十年前に山の中に入り込み、自身のカナリアと楽譜を奪って逃げたという男ピップを追っていました。やがて、山の中でピップに出会ったジョーンズは、協力し合ってフルート演奏をすることになりますが…。
 音楽の力によって秘密の世界への扉を開く…という象徴的なファンタジー。エイキン作品では、音楽が魔法のような力を持つ、という展開のお話がまま見られますね。
 十年間ロールパンを食べ続けて生きていたとか、三十三段変速ギア付きの自転車で山に登るとか、物語のディテールも楽しいです。

「お城の人々」
 険しい山の上にある巨大なお城、山のふもとに立つ病院で医者をしている男は、ある日城に住んでいるという王女ヘレンの訪問を受けます。彼女の病気を治した医者は、ヘレンと結婚することになりますが、父王のいうには、ひと言でも王女に対して思いやりのない言葉を口にしたら、娘は消えてしまうだろうというのです。
 幸せな生活を送る二人でしたが、医者はある日ふと心ない言葉を放ってしまいます…。
 「ルール」を破ったことによって、最愛の相手と引き離されてしまう男の姿を描いた、もの悲しい恋愛物語です。
もともと冷たい質だった男が愛を知り、またそれを失ってしまう、というところで、直接的には描かれないものの、男の心情が伝わってくるようです。

「ワトキン、コンマ」
 思わぬ遺産が入ったことから、田舎の水車小屋を買い取り、ケーキ作りの仕事を始めようとした初老の女性ミス・ハリエット・シブレイ。小屋を改装しているうちに、古い男性の骸骨が発見され、それは当時の粉屋ジェフリー・ハワードが匿っていたというカトリック神父のものではないかと推測されます。
さ らに家からは隠し部屋が見つかります。そこは過去に隠れ潜んでいた神父が隠れていた部屋のようなのです。その神父ガブリエルが残した手記も見つかりますが、そこには神父の話し相手としてワトキンなる人物が登場していました。
 ふとしたことから隠し部屋に閉じ込められてしまったミス・シブレイは、明日は土曜であり少なくとも五十時間は人が訪れる予定がないことに思い当たりますが…。
 遺産を手にしたことを期に、第二の人生としてケーキ屋を開こうとした活力ある女性が、ある時「孤独」に直面してしまう…という物語です。突如沸き起こった女性の絶望と、そこからの救済が描かれるという、感動的なお話です。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

2024年 新年のご挨拶
 あけましておめでとうございます。2024年の新年を迎えました。
 さっそくですが、今年の目標として、次の二つを進めていきたいと思っています。蔵書整理を進めること、課外活動を増やすこと、です。

 蔵書整理に関しては、昨年秋頃から少しずつ進めています。正直、部屋からあふれ出している分に関してもう少し処分をしないといけない、というところから始めました。
 ブックカフェのお店に寄付したり、個人的に友人にもらってもらったり、というところで少しばかり減らしましたが、もう少し整理をしたいなと考えています。今年は本格的に処分本を選定して、古書店に買取をお願いしたいと思っています。

 課外活動に関しては、既に定期的な読書会を行っていますが、こちらとは別に、あるいはスピンオフ企画としてでもいいのですが、もう少し外に出て活動したいなという思いがあります。具体的には、そうした企画を通じて、もっと人と会っていけたらいいなと考えています。

 読書の目標としては、例年通り、積読本を減らすことが第一ですね。読み残している大作や古典作品をたくさん読めたらなと考えています。

 今年もよろしくお願いいたします。

テーマ:文学・小説 - ジャンル:小説・文学



プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
twitter上でも活動しています。アカウントは@kimyonasekaiです。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」も主宰してます。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド 増補版』『奇妙な味の物語ブックガイド』『海外怪奇幻想小説ブックガイド1・2』『謎の物語ブックガイド』『海外ファンタジー小説ブックガイド1・2』『奇想小説ブックガイド』『怪奇幻想映画ガイドブック』を刊行。「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」も作成しました。



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