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眠れる街  東曜太郎『カトリと眠れる石の街』
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 東曜太郎の長篇『カトリと眠れる石の街』(講談社)は、19世紀エディンバラで発生した、謎の眠り病の原因をめぐって、二人の少女が活躍するという冒険ファンタジー作品です。

 19世紀スコットランドの都市、エディンバラ。13歳の少女カトリは、養父のジョシュが病で寝込んでいるため、養母であるエリーと共に、家業の金物屋を手伝っていました。
カトリは、ふと知り合った新市街に住む裕福な家の少女リズから、旧市街内で眠り病が流行っていることを聞かされます。
 リズの父親もその病にかかっているというのです。病にかかると一日中眠って過ごすようになり、意識がある時にもろくに反応もしなくなってしまうといいます。
 父ジョシュもまた眠り病にかかってしまったことから、カトリはリズと協力して眠り病の原因について調査を重ねることになりますが…。

 19世紀スコットランドの都市エディンバラに現れた、謎の眠り病をめぐって、少女二人が活躍するという冒険ファンタジー作品です。
 その病にかかると、ほぼ寝たきりになり、意識もろくにないという状態になってしまうのです。医者もお手上げであり、父親がその病にかかってしまった少女カトリとリズは、独自に調査をしようと考えます。

 労働者階級の娘であるカトリと、裕福な家の娘であるリズ、主人公の二人が対照的なのも特徴ですね。ただ、カトリは地頭が良く、強い知的好奇心を持っており、一方リズも、階級の規範から逸脱した行動力と意志の強さを持っているなど、二人ともが、その階級から「はみ出した」存在として描かれているのも面白いところです。
 また、舞台となるエディンバラの庶民の日常生活や行動などがリアルに描かれるところも興味深いですね。カトリが旧市街と新市街、それぞれで暮らす人々の規範や行動が違っているのを目の当たりにする部分にも精彩があります。

 メインテーマとなっている眠り病についても、カトリとリズが証拠を集めたり、情報を集めながら、論理的に推測していく過程も面白いです。その調査過程が論理的である一方、現れる真実は超自然的なものであり、後半になると俄然、伝奇色あふれるファンタスティックな雰囲気になるのにも驚かされます。
 リアルに描かれた舞台、生彩あるキャラクター、幻想的な物語と、非常に丁寧に作り込まれたファンタジーで、一読の価値のある作品かと思います。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

運命の一断面  レオ・ペルッツ『アンチクリストの誕生』
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 レオ・ペルッツの短篇集『アンチクリストの誕生』(垂野創一郎訳 ちくま文庫)は、様々な時代や題材を扱った物語性豊かな作品集です。

「「主よ、われを憐れみたまえ」」
 ロシア内乱時代、ヴォローシンは、戦友二人を匿っていた罪で捕らえられてしまいます。折しも、重要な情報を隠したであろう暗号がモスクワで傍受され、ヴォローシンはその暗号解読の技術を買われて、秘密警察(チェーカー)のジェルジンスキーから革命政府に協力するよう要請されます。しかしヴォローシンはそれを断り、慫慂として処刑を受け入れる心境になっていました。
 しかし、死ぬ前に妻子に会いたいという願いが許され、戻ってくることを条件に妻の住むロストフへ旅に出ることになります…。
 秘密警察に囚われた男が、処刑される可能性が高いにも関わらず、戻ってくる約束をして妻子に会いに行くという、まるで「走れメロス」のようなお話です。
 主人公ヴォローシンが、死ぬ前に一度妻子に会いたいと考えるものの、妻へ出した手紙には返事がなく、おそらくすでに他の男と暮らしている可能性も高いのです。それでも、と旅に出るヴォローシンの心理は悲痛に満ちていますね。
 死が約束された男の哀切な物語、と思いきや、後半では思わぬ展開が待っています。激動の時代に生まれた男の不思議な運命の物語として読み応えがあります。
 また、ジェルジンスキーが冷徹な男でありながら、ヴォローシンが必ず戻ってくると信じているなど、男同士の不思議な信頼感が描かれたり、モチーフとなっている暗号の奇妙な照応などの部分も興味深いお話になっています。

「一九一六年十月十二日火曜日」
 怪我をして捕虜となったドイツの予備役伍長ゲオルグ・ピヒラーは、ロシア軍下の療養所に収容されますが、周囲には言葉は通じず、読める本もないため、無聊をかこっていました。
 ある日、医者が持ってきた一九一六年十月十二日火曜日付けのウィーンの新聞を手に入れたピヒラーは、その新聞を何度も読み直しているうちに、書かれた事件や人の名前をすっかり覚え込んでいました…。
 それしか読むものがない状況のなか、ある一日の新聞を読み込み続けた男の中で、一つの世界が出来上がってしまう…という物語です。彼の中では一つの新聞の中で起きた人物や事件は一続きなのです。後年、実際に訪れた町でもその認識で行動してしまい、そのズレに困惑してしまう、という不思議な心理が描かれています。
 「洗脳」というとまたニュアンスが異なりますが、平凡な一日が一人の人間にとって「永遠」にも近い重要な意味を持ってしまうことになる、というのも面白いですね。

「アンチクリストの誕生」
 18世紀半ばのパレルモ、靴直しの男は司祭の家政婦をしていた女と知り合い夫婦になります。ある日女房は、夫に後ろ暗い過去があり、悪人たちから脅迫まがいのことをされていることをを知ります。
 生まれたばかりの赤ん坊がアンチクリストだという夢を信じ込んだ靴直しは、赤ん坊を殺そうとします。夫の意図を悟った女房は、子どもを殺させまいと様々な手段を取りますが…。
 生まれたばかりの子どもがアンチクリストだと信じ込んだ男が、子どもを殺そうと考え、それを殺させまいとする女房との間に対立が持ち上がる、という作品です。
 互いに後ろ暗い過去を持ちながらも、愛し合っていた夫婦の愛憎が変転していく様がサスペンスたっぷりに描かれています。夫も妻も、それぞれ異なる形ではありますが、信心深い人物であり、その敬虔さと互いに対する愛情が入り交じった結果として、意外な結末に導かれていくストーリー展開は非常に面白いですね。
 子どもが「アンチクリスト」だというのも男の思い込みに過ぎないのだろうと読んでいくと、満更それが間違いでもなかったのではないか…という結末にも気が利いています。
 靴直しの男と腐れ縁の悪党三人組のキャラクターも立っており、ストーリーへの絡ませ方も達者ですね。

「月は笑う」
 老弁護士は、かって顧客だったサラザン男爵について話を始めます。男爵からかって打ち明けられたところによれば、ブルターニュの出だというサラザン一族には、代々月に対する恐怖心が受け継がれており、男爵もまたその不安を抱えているというのです。
 月に関わりのある形で、先祖が何人も亡くなっており、また男爵自身の娘も亡くなっているといいます。男爵の月に対する恐怖心はどんどん膨らんでいきますが…。
 月を恐れる男を描いた恐怖小説です。サラザン男爵は恐怖心が高じて自滅してしまったように見えるのですが、そこに本当に月の意志は働いていなかったといえるのか? 男爵の死が月の仕業なのか妄想の結果なのか分からなくなってくるところも面白いですね。
 男爵が持ち出す年代記の部分も興味深いです。その年代記には先祖の不幸な運命が記されているといいます。中では、月に向かって発砲したところ、逆に月から奇妙な石の狙撃を受け亡くなったというオリヴィエ・ド・サラザンのエピソードは印象に残ります。
年代記が結局は見つからず、それが実在したのかも分からないのも面白いところです。
 美しく澄明なイメージの強い「月」がこれほど邪悪に描かれる作品は珍しいのでは。

 この作品、初期バージョンが存在し、それも邦訳されています。こちらも紹介しておきますね。
 レオ・ペルッツ「月を狩る」(小泉淳二、田代尚弘訳 ハンス=ハラルト・ミュラー編『ウィーン五月の夜』法政大学出版局 収録)、「月は笑う」の初期バージョン作品です。
 カラガン公爵こと「私」は、月に対する恐怖心を抱えていました。一族の年代記によれば、先祖は皆月に呪われており、暴力や奸計によって命を落とさなかったカラガン公はいないというのです。ある夜、月を追いかけていた「私」は、近くのフランス騎兵隊大佐の庭園で、ある情景を目撃しますが…。
 「月は笑う」と物語の大筋は同じですが、一番異なるのは一人称で物語が語られていることでしょうか。先祖の年代記や子どもの死を語るのも、語り手本人になっています。狂気に囚われている風ではあるものの、一人称で語られることによって、
超自然的な現象(月による災厄)が実在する可能性が高くなっているように読めますね。
 また子どもの死の状況が具体的に語られます。こちらでは妻のレオニーと共に馬車で事故にあったことが語られています。
 結果的に「月を狩る」は、かなりストレートな怪奇小説のように読めます。比べてみると、「月は笑う」の方は第三者である弁護士が物語を間接的に語ることによって、超自然的な現象があるのかないのか、はっきりとはしない…という曖昧な幻想小説として読めるようになっているようです。
 その意味では、書き直された「月は笑う」の方が完成度は非常に高くなっているように思います。

「霰弾亭」
 酒の席では陽気な男として知られるフワステク曹長。フワステクと親しくなった部下の「わたし」は、曹長の部屋で美しい女性と並んで写っているフワステクの写真を見て、その女性に憧れを抱きます。どうやら「わたし」も以前に知っていた女性のようでもあるのです。
 ある日「わたし」は、フワステクが旧友らしい中尉と出会う場面を目撃します。中尉の妻は写真の女性のようなのです。フワステクは動揺しているようにも見えましたが…。
 酒場では陽気で野卑であり、蓮っ葉な娘フリーダとつきあっているフワステク。ならず者と思いきや、過去に将校でありながら何らかの事件を起こし降格されたこと、生まれも悪くなく教養もあること、などが判明します。
 さらに曹長の部屋にある女性と写った写真から、この女性をめぐって何らかの事件があったことが示唆されます。後半で実際に人妻となったこの女性が現れ、その再会を経て、フワステクが自殺に至ってしまうのですが、そこにはどんな思いがあったのか…。
 女性との再会後、自暴自棄のようになってしまい、付き合っていた娘フリーダに対してもぞんざいに扱ってしまうフワステクが描かれるシーンには、哀切さが漂っています。
 運命というか偶然というか、悪い巡り合わせでフワステクは死に至ってしまうのですが、作中ではそれが「遠くから来た流れ弾」という表現がされています。タイトルにもなっている酒場の名「霰弾亭」といい、フワステクが自殺に使った弾丸の行方が詳細に描写される序盤の描写といい、「弾丸」が重要なモチーフともなっています。
 さらに言うなら、フワステクの死を語る語り手も、事件が起こった未来から過去を回想回想しており、語り手自身も過去からの「流れ弾」を受けている、ともいえそうです。
 時間を経て大切なものに気付き、その取り返しのつかなさを認識して絶望してしまった男の物語、とでもいいましょうか。非常に文芸味豊かな作品になっています。

「ボタンを押すだけで」
 ケレティ博士は突然の脳卒中によって死を遂げたというのですが、実は撃ち殺されたという噂もありました。アラダーはその真相について語り出します。
 名門の宮廷顧問官の娘と結婚したアラダーは、教養を高めようと様々な勉強をしていました。その一環として降霊術の会に出かけることになります。どんな霊でも呼び出せるという霊媒に、衝動的にまだ生きているケレティ博士の名前を出してしまいますが、霊媒はケレティ博士本人だという霊を呼び出していました…。
 ブラック・ユーモアたっぷりのオカルト風幻想小説です。語り手の男アラダーと、生まれが良く虚栄心の強い妻との間がしっくりいっていないことは匂わされるのですが、真実を知ってか知らずか、教養を高めるために努力を続けたという男の行動が描かれていきます。
 語り自体に本当のことを語っていないような胡散臭さがあり、その不穏な雰囲気も読みどころですね。生きている人物を無理矢理霊媒によって呼び出したらどうなるのか、というアイディアの部分も面白いです。

「夜のない日」
 資産家の家に生まれ、様々な方面に手を出していた青年デュルヴァル。ある日一人の男と諍いになり、決闘をすることになってしまいます。興奮を収めようと本棚から冊子を手に取ると、数学的な思考が働き始め夢中になってしまいます。決闘の当日になっても気もそぞろなデュルヴァルでしたが…。
 有名な数学者ガロアの生涯をモデルにしたと思しい物語です。決闘をきっかけとして思考が研ぎ澄まされたがゆえに、優れた数学的発想が生まれることになる、という物語です。運命の皮肉というよりは、運命自体が人間の成果を吐き出させた…というような、独自の思考様式の物語になっていますね。
 夭折ではなく、成すべき事を成して人生を終えた、というような物語なのですが、もちろん物語の主人公にその認識はなく、飽くまで彼を外から見ている視点が前提となっているようです。逆に言うと、人間は自分自身でその生涯を総括することはできない…という不可能性を示した作品ともいえましょうか。

「ある兵士との会話」
 バルセロナを訪れた「わたし」は、電車を待つ間に、若いスペイン兵と知り合い意気投合します。彼は口がきけないにも関わらず、その雄弁な身振り手振りで様々な事を語ります。しかし通りかかった馬車の馬が倒れ、その主人の残酷な行為を見た途端、怒りのあまり言葉を失ってしまいます…。
 あらゆる物事を身振りで語り得る男が、原初的で単純な感情を語ることができない…という逆説的なテーマを扱った作品です。身振り手振りであらゆる物事を語るというのも、何やら超自然的な風味さえ感じさせますね。わずか数ページの小品ながら、非常にテーマ性が強く、考えさせられる作品です。

 ペルッツのこの短篇集を読んでいたら気になることがあって、J・L・ボルヘスのエッセイ集『続審問』に収録されたエッセイ数篇を読み直してみました。ちょっとペルッツと似た視点について書かれているところがあるのですよね。
 読み直したのは、「コウルリッジの花」「コウルリッジの夢」「カフカとその先駆者たち」です。

 「コウルリッジの花」は、詩人コウルリッジが残したテクストをめぐるエッセイ。夢の中で手に入れた花が目覚めてもそこにあることに気付く、という内容のコウルリッジの文章を手始めに、H・G・ウェルズやヘンリー・ジェイムズの作品にも同じようなモチーフが現れる、ということが記されています。
 「コウルリッジの夢」はコウルリッジの詩「クブラ・カーン」をめぐるエッセイ。忽必烈汗(クビライハン)が王宮を造営する夢を見て、そこから三百行もの詩を受け取ったコウルリッジがそれを書き起こそうとしたところ、来客があり、一部しか思い出すことができなかったというエピソードが記されます。
 もともとモンゴルの皇帝自身が、自ら見た夢に従って宮殿を作った、という記述が文献にあることから、忽必烈汗とコウルリッジは同じ「存在」から宮殿のイメージを受け取っており、さらに宮殿の「造営」はまだ終わっていないのではないか? というのです。
 「コウルリッジの花」「コウルリッジの夢」に共通して現れるのは、文学や芸術のもとになる精神体のようなものが、この世の外にいるのではないか、という思想です。そこから敷衍して「この世のすべての作者は一人」というとんでもない考え方が提示されています。不気味ではありながら、魅力的な考え方ではあるのですよね。
 ペルッツの短篇「夜のない日」に登場する主人公の人生についての捉え方が、ボルヘスの上記の考え方にちょっと似ているな、と思いました。

 「カフカとその先駆者たち」では、カフカ以前の作家たちによるカフカ的なテキストや作品が、カフカが登場したことによって「カフカ的なもの」としてカテゴライズされることになる、という逆説的な状況を描いています。おのおのの作家は、その先駆者を作り出す…というテーゼには説得力がありますね。
 こちらはペルッツ作品との関連性はありませんが、ボルヘス独自の思考様式が面白いエッセイだと思ったので、併せて紹介させてもらいました。


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運命の弾丸 レオ・ペルッツ『第三の魔弾』
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 レオ・ペルッツの長篇『第三の魔弾』(前川道介訳 白水Uブックス)は、コルテス率いるスペイン軍に敵対し、三発の魔弾を手に入れることになったドイツ人伯爵の運命を描く幻想歴史小説です。

 16世紀、皇帝の不興を買ったことで神聖ローマ帝国を追放された「ラインの暴れ伯爵」グルムバッハは、ドイツ人の部下たちと共に新大陸に渡り、アステカ王国の王モンテスマと友好関係を結んでいました。
 新大陸にやってきた、コルテス率いるスペイン軍は、アステカ王国を征服しようとしますが、グルムバッハは彼らに敵対することになります。百発百中として知られるスペイン軍の狙撃兵ノバロの銃を手に入れることになったグルムバッハでしたが、その責任を問われ絞首台に上ることになったノバロから、三発の銃弾に呪いをかけられてしまいます…。

 コルテスのアステカ征服以前に、新大陸に渡り現地の人間と友好関係を結んでいたドイツ人たちがいた、という設定で描かれる幻想歴史小説です。
 高貴な生まれではありながら、その激情的な性格から追放されてしまったグルムバッハが、コルテス率いるスペイン軍に敵対し、彼らに大打撃を与える過程が描かれていきます。ただ、グルムバッハが獅子奮迅の働きをするというよりは、運命の手によって結果的にその役目を担わされた…という感覚が強いです。
 というのも、グルムバッハの性格は直情径行で、緻密な計画を元に動いたりはできず、その場の感情に囚われて動いたり、まんまと騙されてしまうことも多いのです。グルムバッハと対照的に描かれるのが、彼の異母兄弟である、冷血漢の美男子メンドーサ。危機に陥っても、のらりくらりと逃れたり、グルムバッハをまんまと欺いたりもします。インディオの娘であるダリラをめぐって、グルムバッハとメンドーサが三角関係にもなり、その愛憎関係を含めて、二人の関係がどう展開されていくのか、と言う部分も物語の魅力の一つになっていますね。

 特筆したいのは、語り口の妙です。新大陸でのグルムバッハの物語は過去に起きたことであり、それが現在の時点で回想されるという形になっています。具体的には、ミュールベルクの戦い(1547年)の皇帝軍の陣営で、古参のスペイン兵が、コルテスの無敵軍を敵に回して戦った伝説的な男グルムバッハについて語り出すのです。三発の魔弾のことについても語られますが、一発目と二発目の行方については語られるものの、三発目の行方については、様々な説が出されることになります。
 グルムバッハはどうなったのか? 三発目の魔弾はどこに行ったのか? ということが明かされる最終章「終曲-第三の魔弾」の展開は幻想的で、何とも言えない魅力があります。歴史上に実際にあったアステカ帝国征服を題材としており、コルテスも実在の人物です。
 それだけにグルムバッハの宿敵といえどもコルテスが殺されることはないだろうことが予想できるのですが、そのあたりの処理も上手くされています。歴史の隙間を空想で埋める…といった体で、まさに「幻想歴史小説」の名に恥じない作品になっていますね。

 著者のペルッツ自身がユダヤ系ということも関係しているのでしょうか、本作で蹂躙されてしまう側のインディオの描き方には同情味が感じられ、そこには人間味があります。
 その一方、コルテスやメンドーサ、スペイン人たちの描かれ方は散々で、その残虐さ、悪辣さは強烈です。インディオたちをまともな人間とは見なさず、嬉々として殺戮を行う人間たちとして描かれています。ただグルムバッハ自身も、スペイン人たちに対しては殺人も辞さないなど、純粋な意味でのヒーローとはいえないところも興味深いですね。

 序盤から終盤に至るまで、とにかく大量の死者が発生します。殺戮されるインディオの民衆、混乱に巻き込まれ命を落とすスペイン兵、スペイン兵に殺されてしまうグルムバッハの部下のドイツ人たち…。
 そうした殺伐かつ混沌とした世界観の中で、グルムバッハがどんな運命をたどるのか…? 悲劇的ではありながら魅力的なロマンが展開されています。
 単純なヒューマニズムでは割り切れない人種間、人間間の争いや憎悪が描かれ、その筆致は濃厚です。列強による帝国主義の盛んだった1915年という時代に描かれていることを考えると、なおさらその特異性が目立ちますね。


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とある恋  ポール・ギャリコ『ザ・ロンリー』
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 ポール・ギャリコ『ザ・ロンリー』(矢川澄子、前沢浩子訳 新潮文庫)は、二人の女性の間で思い悩む青年の心理を繊細に描いた恋愛小説です。

 まだ若く、富裕な家庭の息子であるアメリカ人青年ジェリーは、従軍して英国に駐屯していました。故郷の許嫁キャサリンのことを思いながらも、英国空軍の婦人隊員パッチズに惹かれたジェリーは、一時のアバンチュールのつもりで彼女と一緒に休暇を過ごすことになります。
 一緒に過ごすうちに、パッチズの優しさと包容力に魅了されたジェリーは、パッチズとキャサリンとの間で思い悩むことになりますが…。

 二人の女性の間を揺れ動く青年を描いた恋愛小説です。小さい頃から、親同士が決めた許嫁としてキャサリンと共に育ったジェリーは、彼女と結婚することに対して疑問を持っていませんでした。それは、従軍して女遊びを覚えても変わりません。
 しかし、パッチズと共に休暇を過ごしたジェリーは、彼女に対して一体感に近い恋情を抱き、キャサリンとの婚約について疑問を抱くようになります。
 キャサリンへ直接婚約破棄を伝えようとするものの、親に止められ考えているうちに、パッチズとの恋も一時的な熱に浮かされているだけなのだろうかと、内省してしまうことにもなります。さらにキャサリンとの結婚は両親が望む形でもあり、それを否定するということは、家族との仲がこじれてしまうことにもつながるのです。

 ジェリーは大人になりきれていない青年です。優しいだけに優柔不断でもあり、二人の女性との間で思い悩んでしまいます。その心理が描かれていく過程には説得力がありますね。地味ではありながら優しさと包容力にあふれるパッチズ、輝くばかりの美しさを持つ清楚なキャサリン、ジェリーはどちらを選ぶのか?タイプが違えどどちらも素敵な女性であり、ジェリーも子供っぽい青年ではありながら、誠実な男性ではあるのです。

 ジェリーと休暇を過ごすパッチズに関しては、彼女の心理が直接描写され、パッチズがジェリーを本当に愛していることが示されるのですが、ただ、キャサリンとの結婚は、彼女を愛しているかどうかということ以上に、親との絆を保つこと、安定した社会へ所属すること、を意味しています。
 その意味でも、パッチズを選ぶことには困難がつきまとうのですが、それをジェリーは選ぶのか否か…。青年の成長小説としての側面もありますね。
 青年が純粋で誠実であるがゆえに、真摯に恋に悩むという、清涼感のある恋愛小説になっています。


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この世の終わり  グードルン・パウゼヴァング『最後の子どもたち』
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 グードルン・パウゼヴァング『最後の子どもたち』(高田ゆみ子訳 小学館)は、原爆が落とされた西ドイツの町を舞台にした、ディザスター(大災害)小説です。

 西ドイツのフランクフルトに暮らす少年ロランドとその家族は母方の祖父母のいるシェーベンボルンへ出かけますが、車で走行中に閃光と轟音に襲われます。父クラウスと母インゲは、どこかの町に原爆が投下されたことを悟ります。
 シェーベンボルンに着くと、祖父母はフルダに出かけていたことを知らされます。フルダはおそらく核攻撃の直撃を受けていたのです。一家は祖父母の家に留まりますが、やがてテレビやラジオも止まり、救援もない中、食料がなくなっていきます。
 周囲では負傷者や家族を失ったものが増え始めていました。爆発で直接怪我をしたもののほか、放射能障害や後から発生する疫病で命を落とす者も現れます。
 ロランドは病院でけが人の手伝いを行っていましたが、瀕死の女性から幼い娘ジルケと息子イェンスを託されてしまいます…。

 ドイツの作家パウゼヴァングによる、核災害を扱った作品です。1983年の発表で、まだ冷戦下にあった西ドイツを舞台に、実際に核が落とされたらどうなるのか? というところがリアルに描かれています。
 国同士の関係性やどのようにして核攻撃にまで至ったのか、といった政治的な状況はほとんど語られず、あくまで核攻撃を受けた後の町や人々の様子がリアルな様子で語られていくことになります。
 放射能の被害がすさまじく、人々が次々に死んでしまいます。離れたところにいたはずのロランドの一家も間接的な被害を受けており、家族たちもだんだんと亡くなってしまうのです。

 食料や物資が無くなり、人々はそれをめぐって争いにもなってしまいますが、ロランドや母インゲは他人を助けるべきだとボランティアを手伝う一方、父クラウスは家族を優先すべきだとして、家族内でも対立ができてしまいます。
 母インゲの意志の強さは強烈で、壊滅したのが確実な町がまだ存在していると信じ込むなど、妄執に近い思いを抱いており、それは家族を危険にさらすことにもつながっていきます。
 善人であるロランドの一家にしてから、他人も助けたいという善意を発揮する一方、時には盗みを働いたり、けが人を見捨てていくこともあります。それは他の人間も同様で、パニックの最中の、人間の善性と悪性もが等しく描かれており、重厚な読み味となっています。

 主人公の家族たちにも容赦なく死が襲い掛かり、子どもたちも死んでしまうという、強烈な作品です。原爆や放射能の恐ろしさを描くという意味では、これほど恐ろしい作品はないでしょう。
 ドイツ作品ということもあるのでしょうが、これを読むと、英米の同種の作品がいかにロマンティックだったか…ということを逆に認識させられます。傑作だとは思いますが、あまりに救いがないので、安易にお勧めしかねる作品ではありますね。


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12月の気になる新刊と11月の新刊補遺
発売中 三津田信三『みみそぎ』(KADOKAWA)
11月28日刊 アラン・ムーア作、ジェイセン・バロウズ画『プロビデンスAct1 ネオノミコンシリーズ2』(柳下毅一郎訳 国書刊行会 予価3080円)
11月30日刊 東雅夫『文豪と怪奇』(KADOKAWA 予価2090円)
12月1日刊 牧原勝志編『新編 怪奇幻想の文学2 吸血鬼』(新紀元社 予価2750円)
12月1日刊 『幻想と怪奇12 イギリス女性作家怪談集 メアリー・シェリーにはじまる』(新紀元社 予価2420円)
12月2日刊 岡本綺堂編訳『世界怪談名作集 信号手ほか』(河出文庫 予価990円)
12月2日刊 岡本綺堂編訳『世界怪談名作集 北極星号の船長ほか』(河出文庫 予価990円)
12月5日刊 ジョン・ヒューム『ダグラス』(三原穂訳 春風社 予価2640円)
12月6日刊 ブレイク・クラウチほか『フォワード 未来を視る6つのSF』(宇佐川晶子他訳 ハヤカワ文庫SF 予価1320円)
12月6日刊 ニック・ドルナソ『アクティング・クラス』(藤井光訳 早川書房 予価4620円)
12月12日刊 ジェラルディン・マコックラン『世界のはての少年』(杉田七重訳 創元推理文庫 予価1100円)
12月12日刊 山川方夫『箱の中のあなた 山川方夫ショートショート集成』(日下三蔵編 ちくま文庫 予価1100円)
12月14日刊 トマス・M・ディッシュ『SFの気恥ずかしさ』(浅倉久志、小島はな訳 国書刊行会 予価4620円)
12月14日刊 森瀬繚『クトゥルー神話解体新書』(コアマガジン 予価2500円)
12月21日刊 クリスティーヌ・サイモン『嘘つき村長はいつか助けてくれる』(金井真弓訳 早川書房 予価2750円)
12月20日刊 アーノルド・ファン・デ・ラール 『黒衣の外科医たち 恐ろしくも驚異的な手術の歴史』(福井久美子訳 晶文社 予価2420円)
12月21日刊 和田誠『本漫画』(中公文庫 予価880円)
12月23日刊 ウィンストン・グレアム『罪の壁』(三角和代訳 新潮文庫 予価880円)
12月26日刊 伊藤典夫編訳『吸血鬼は夜恋をする SF&ファンタジイ・ショートショート傑作選』(創元SF文庫 予価1100円)
12月26日刊 池澤春菜監修『SFガイドブック』(Pヴァイン 予価1980円)
12月27日刊 アルジス・バドリス『誰?』(柿沼瑛子訳 国書刊行会 予価2530円)


 『世界怪談名作集 信号手ほか』『世界怪談名作集 北極星号の船長ほか』の二冊は、岡本綺堂編訳による英米怪談集アンソロジー。以前、同じ河出文庫で『世界怪談名作集 上下』として出ていたものの新装版ですね。もともとは、昭和4年に改造社から「世界大衆文学全集」の1冊として刊行され大好評を博したアンソロジーの復刻です。収録作も紹介しておきますね。

『世界怪談名作集 信号手ほか』
「貸家」リットン
「スペードの女王」プーシキン
「妖物」ビヤース
「クラリモンド」ゴーチェ
「信号手」ディッケンズ
「ヴィール夫人の亡霊」デフォー
「ラッパチーニの娘」ホーソーン

『世界怪談名作集 北極星号の船長ほか』
「北極星号の船長」ドイル
「廃宅」ホフマン
「聖餐祭」フランス
「幻の人力車」キップリング
「上床」クラウフォード
「ラザルス」アンドレーフ
「幽霊」モーパッサン
「鏡中の美女」マクドナルド
「幽霊の移転」ストックトン
「牡丹燈記」瞿宗吉 著

 いわゆる名作怪談を集めたアンソロジーですが、ストックトン「幽霊の移転」やマクドナルド「鏡中の美女」あたりはちょっと珍しい作品かと思います。「鏡中の美女」は、江戸川乱歩のエッセイ「怪談入門」でも取り上げられている<鏡怪談>の名作ですね。マクドナルドの長篇ファンタジー『ファンタステス 成年男女のための妖精物語』(ちくま文庫)の挿話を取り出したものです。

 ニック・ドルナソ『アクティング・クラス』は、前作『サブリナ』が話題になった著者の作品。紹介文を引用しておきます。
 「倦怠期の夫婦、シングルマザーにヌードモデル。社会にうまく馴染めない10人は、人生の変化を求めて演技教室に通い始める。謎の男ジョン・スミスが指導する即興演技クラスに参加するうちに、現実と演技の境界は曖昧に。カラフルに彩られた不穏さが身に迫る新作」とのことで、こちらも何やら不穏な感じの作品のようですね。

 『箱の中のあなた 山川方夫ショートショート集成』は、ショートショートの名手である著者のショートショートを集成するシリーズ。全二巻になるようです。

 伊藤典夫編訳『吸血鬼は夜恋をする SF&ファンタジイ・ショートショート傑作選』は、かって文化出版局から刊行された名アンソロジー。元版に増補もされているようです。

 アルジス・バドリス『誰?』は、ソノラマ文庫海外シリーズの一冊として刊行された『アメリカ鉄仮面』(仁賀克雄訳)の新訳版。SFサスペンスと言われる作品ですが、旧訳版を読む限り、一人の男の孤独な人生が描かれていくというヒューマン・ストーリーといった感が強いです。以前に書いたレビューをリンクしておきますね。

仮面の中の孤独  アルジス・バドリス『アメリカ鉄仮面』


テーマ:読書 - ジャンル:小説・文学

開けてはいけない壺  ジェフ・ジョンズ&クリス・グリミンガー作、ブッチ・ガイス画『オリュンポス』
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 ジェフ・ジョンズ&クリス・グリミンガー作、ブッチ・ガイス画『オリュンポス』(古川晴子訳 パイインターナショナル)は、ギリシャ神話をモチーフにしたホラーコミック作品です。

 エーゲ海でダイビングを楽しんでいた考古学部教授ゲイル・ウォーカーとその学生たち、ブレント、レベッカ、サラは、海底から年代物の壷を発見して引き上げます。その壷を手にした瞬間から、さまざまな災厄が彼女たちに降りかかることになります。
 嵐に襲われ、その最中に武装集団が彼女たちの船を襲撃します。武装集団と共にゲイル一同は見たこともない島に漂着してしまいます。
 島には、ギリシャ神話の怪物たちがあふれかえっていました。彼らが発見した壺は、伝説で語り継がれる「パンドラの箱」だったのです。一同は、無事に現実世界に帰還することができるのでしょうか…?

 考古学者と生徒たちの一行が発見した「パンドラの箱」の封印を解いてしまったことから、ギリシャ神話の怪物たちがうろつく世界に入り込んでしまう…というホラーコミック作品です。
 巨人、人食い鳥、ミノタウロスなど、神話の怪物たちが次々と一行を襲撃してくるのですが、人間離れした力を持つ怪物たちには、人間の力がほとんど通用しません。銃器を使ってさえ、ほとんどそれが効かない怪物もいるのです。
 成り行きから行動を共にすることになった武装集団の男たちも、銃を使って抵抗しますが、どんどんと殺されていってしまいます。
 唯一頼りになるのが武装集団のリーダーなのですが、まともに戦えるのが彼一人ということで、大体において怪物に遭遇した際は逃げの一手になってしまいます。ただ後半では、つけると透明になれる「ハデスのヘルメット」や見た者を石化させる「メドゥーサの頭」など、神話のアイテムが登場し、それらを使って逆襲するあたりは楽しいですね。

 複数の人間たちが何人生き残って脱出することができるのか? というモンスター・パニック・ホラー作品なのですが、そこに、神話の怪物や謎を絡めているのが特徴です。武装集団の男たちが一方的な攻撃だけしているのに対し、ゲイルと学生たちがその知識を生かして攻略していく…というのも面白いところです。
 登場する怪物たちはリアルで、ギリシャ神話の好きな方は楽しめるのではないでしょうか。その一方、人間たちが殺されてしまうシーンもかなりリアルなので、そのへんはご注意を。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

怪奇幻想読書倶楽部 第38回読書会 参加者募集です
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 2022年12月25日(日)に「怪奇幻想読書倶楽部 第38回読書会」を開催いたします。若干名の参加メンバーを募集しますので、参加したい方がおられたら、メールにて連絡をいただきたいと思います。
 連絡いただきましたら、改めて詳細をメールにてお送りいたします。

お問い合わせは、下記アドレスまでお願いいたします。
kimyonasekai@amail.plala.or.jp
メールの件名は「読書会参加希望の件」とでもしていただければと思います。

開催日:2022年12月25日(日)
開 始:午前09:30
終 了:午前12:00
場 所:JR巣鴨駅周辺のカフェ(東京)
参加費:1500円(予定)
テーマ
第一部 課題書 ジョーン・エイキン『ルビーが詰まった脚』(三辺律子訳 東京創元社)
第二部 本の交換会

※「怪奇幻想読書倶楽部」は、怪奇小説、幻想文学およびファンタスティックな作品(主に翻訳もの)についてのフリートークの読書会です。
※対面型の読書会です。
※オフ会のような雰囲気の会ですので、人見知りの方でも安心して参加できると思います。
※「怪奇幻想読書倶楽部」のよくある質問については、こちらを参考にしてください。
※テーマが「怪奇幻想・ホラー」である関係もあり、18歳未満の方にはご遠慮いただいています。ご了承ください。


 今回は、児童文学やファンタジー小説の分野で大きな足跡を残した大家ジョーン・エイキンの作品を取り上げます。エイキンの短篇には、大人向けの作品や、解釈の多様な<奇妙な味>の作品も多く、読書会で話し合うのにもってこいの楽しい作家かと思います。
 また年末企画として、本の交換会を行います。参加者それぞれの処分したい本、処分してもいい本を持ち寄り、交換しようという企画です。お持ち頂く冊数は何冊でも構いません。特に処分できる本がない場合はもらうだけでも結構です。
 他の人にぜひ読んでもらいたい、布教したい!という本をお持ちいただくのでも大丈夫です。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

月と遊ぶ  フィリップ・ステッド文、エリン・ステッド絵『音楽をお月さまに』
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フィリップ・ステッド文、エリン・ステッド絵『音楽をお月さまに』(田中万里訳 ぷねうま舎)は、月をテーマにした美しい絵本作品です。

 チェロ弾きの少女ハリエット(ハンク)は、両親から将来はオーケストラで演奏するものと期待されていましたが、当のハンクは大勢の前で演奏することを嫌い、一人で演奏を楽しみたいと考えていました。
 ある夜一人でチェロを弾いていたところ、フクロウの泣き声に邪魔されて怒ったハンクは、窓からティーカップを投げつけますが、それが当たったお月さまが落下してきてしまいます。お月さまと友人になったハンクは、お月さまと不思議な時を過ごしますが…。

 ひょんなことから地上に落下してしまったお月さまと少女が友人となり、不思議な時間を共有するという、象徴的で美しい絵本作品です。
 お月さまが擬人化されて描かれているのですが、ティーカップにぶつかって落下してしまうとか、荷車に載せて運ぶとか、その物理的な「近さ」がとても魅力的に描かれています。エリン・ステッドの画風は繊細で美しいのですが、その一方で、お月さまに関する部分はナンセンス度が高く、そのギャップも魅力です。まるで稲垣足穂の描く「月」のようですね。
 孤独を好んでいた少女が、お月さまとの付き合いを通して、他人とのコミュニケーションを受け入れていく…というテーマもあり、成長物語としての一面も描かれています。

 序盤に、家の中でハンクが一人チェロを弾いているシーンが描かれているのですが、その場面はまるでびんの中のように表現されており、彼女の世界が「閉じられて」いることを表しているように見えますね。後半ではお月さまの導きにより、外に出たハンクがチェロを弾くシーンが現れ、小世界から外の世界に出たことが象徴的に描かれています。
 擬人化された月、というのはよくありますが、この作品の「お月さま」ほど、魅力的な「登場人物」として存在感を発揮している作品はなかなかないのでは。


テーマ:絵本 - ジャンル:本・雑誌

小さくて怖いもの  滝川さり『めぐみの家には、小人がいる。』
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 滝川さり『めぐみの家には、小人がいる。』(幻冬舎)は、小人の伝説を背景に、猟奇的な殺人事件が発生するというホラー作品です。

 幼い頃のいじめが原因で、群集恐怖症を患う小学校教師の美咲は、担当するクラスでのいじめに手を焼いていました。転校生であり、外国人の血を引く小紫めぐみが、威圧的な児童、中村天妃愛(ソフィア)とその取り巻きにいじめを受けていたのです。
 いじめの事実を天妃愛の母真奈に訴えてみても、彼女はことある毎に学校にクレームを入れる強圧的な人物であり、美咲の上司である教頭の白井も彼女を恐れ、いじめの事実を隠蔽しようとしていました。
 不登校になっためぐみの家を訪ねた美咲は、めぐみの家が百年近く前に移住してきたドイツ人商人ゲオルグ・トーマスが建てた家であり、めぐみとその母冴子もその血を引いていることを知ります。しかし、めぐみの祖母が以前、異常な状態で変死を遂げたことから、家は子供たちから<悪魔の館>の名前で呼ばれていたのです。
 美咲は、めぐみのケアのために交換日記を始めますが、めぐみがそこに描いていたのは、人間に近い形をしていながらも無数の小さな目を持つ、小人のイラストでした。やがて猟奇的な殺人事件が起こることになりますが…。

 猟奇的な殺人事件が起きますが、それは「小人」の仕業なのか、それとも人間の仕業なのか…? 不気味な「小人」をめぐるホラー作品です。美咲とめぐみとの間で交換日記が交わされるようになり、その内容が挿入されるのですが、子どもらしい記述の中に、不気味な描写や「小人」についての内容が頻出するあたりの不穏さにはインパクトがありますね。

 メインとして描かれるいじめ事件は結構深刻です。いじめっ子である天妃愛の神経が図太いだけでなく、その母親は娘を溺愛しており、事実を認めようとしません。そればかりか学校や美咲の責任を逆に追及してくる始末なのです。
 美咲は気の弱い人物で、過去のいじめのトラウマから臆病な性格になっています。天妃愛親子にも強く対応することができないのです。上司である白井たちも事なかれ主義で、いじめの事実を隠蔽しようとするなど、孤立無援の立場に立たされてしまいます。
美咲がめぐみと交換日記を交わし、めぐみの信頼感を得ることに成功するなど、改善される点はわずかにあるのですが、結局はエスカレートするいじめを止めることができません。
 また、それに伴って起こる猟奇的な事件に対してもほぼ無力で、事態が悪化していくのを見ているだけしかできない…というあたりの絶望感は強烈ですね。めぐみの姿にかっての自分を重ねる美咲は事態を打開することができるのか? めぐみ親子が語る「小人」とは何なのか? 後半の怒濤の展開には唖然としてしまいます。

 邪悪な小人の伝説という童話的なモチーフと、大人子ども、それぞれのいじめ問題などの社会問題が同時に描かれる、意欲的なホラー作品となっています。邪悪な小人(矮人?)テーマを、現代日本を舞台に展開させるという力業には驚かされてしまいますね。


テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

機関車の冒険  ペーター・ニクル文、ビネッテ・シュレーダー絵『ラ・タ・タ・タム ちいさな機関車のふしぎな物語』
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ペーター・ニクル文、ビネッテ・シュレーダー絵『ラ・タ・タ・タム ちいさな機関車のふしぎな物語』(矢川澄子訳 岩波書店)は、小さな機関車の冒険を描くチャーミングな絵本作品です。

 小さな体ながら、天才的な発明家のチッポケ・マチアスは熱狂的な機関車好きでした。まちはずれの大きな工場にもぐりこんでは、機関車の上に座り込んでいました。
 マチアスは、工場から道具を借りてきては、こつこつと作業をし、とうとう小さな白い機関車を作り上げます。
 しかし横暴な工場長によって、その機関車は取り上げられてしまいます。マチアスは、空とぶ自転車に乗ってどこかに行ってしまいます。
 小さな機関車はマチアスを追いかけて、工場を脱出することになりますが…。

 作り主をおいかけて旅に出た、小さな機関車の冒険を描く絵本作品です。主人公の小さな白い機関車が「絵にかいたおひめさまみたいにきれいな、おじょうさん」と表現されているのが素敵ですね。
 石炭鉱山で働かされたり、黒い機関車に追いかけられたりと、様々な冒険を繰り広げることになります。石炭採掘の労働で真っ黒になってしまった小さな機関車が元の白さを取り戻す…というのも象徴的な展開です。
 実際、「黒」と「白」は重要な意味を持っているようで、小さな機関車が働かされるのは「くろいまち」、追っ手となる機関車たちの色も黒です。一方、主人公の体の色は白、最終的な目的地もまた雪景色の白い村なのです。あと機関車を照らす月も「大きな白いお月さま」と表現されていますね。純真さ、善性を持つ存在として「白」という色が象徴的に使われているようです。

 機関車が走行する音が「ラタタタム」なのも愛嬌がありますね。日本語の「ガタンゴトン」に相当する擬音のようです。
 機関車自体が言葉を話し、冒険するという擬人化ファンタジーといえますが、主人公の小さい機関車が非常に愛らしく描かれています。シュレーダーによる絵でも、デフォルメのきいたキュートな造形で、作品の魅力を高めています。
 子どもはもちろん大人にも楽しめる名作ではないでしょうか。文章担当のペーター・ニクルは、ビネッテ・シュレーダーの旦那さんだそうです。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

あり得たかもしれない世界  トーマス・パヴェル『ペルシャの鏡』
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 ルーマニアの作家トーマス・パヴェル(1941~)の『ペルシャの鏡』(江口修訳 工作舎)は、いくつかの架空の書物をめぐっての青年の体験が語られる、観念的な幻想小説です。

 青年ルイは、古い学院の蔵書である古文書を調べていたところ、哲学者ライプニッツの弟子だったという、数学と天文学の教授アロイシウス・カスパールなる男の存在を知ります。彼の手稿には、アロイシウス自身の人生と共に、不倫の仲になってしまった娘アグネスについても記されていました。
 アロイシウスに別れを告げられたアグネスは、魔術師クラウゼンブルグ博士の指導のもと、ある魔術の探求に励むことになります。それは「可能的世界」への扉を開くためのものでした…。

 青年ルイが出会ういくつかの書物をきっかけに、不思議な出来事や過去の物語を知ることになる…という幻想小説です。
 全体のテーマとなるのはライプニッツの「可能的世界」で、それを表すように、各章で登場するエピソードや物語は明確に完結せず、曖昧なまま閉じられています。
 上記のあらすじで紹介したのは一章目の内容です。全五章それぞれに架空の書物が登場し、それにまつわるエピソードが展開されます。
 視点人物となるのは青年ルイなのですが、各章の中心となるのはルイが出会った古書の内容(五章目はルイの創作)であるので、その点メタフィクショナルな作りといえるでしょうか。

 特に面白いのは一章目と五章目です。一章目では、アロイシウスと不倫の仲になった娘アグネスが魔術によって「可能的世界」に移動しようとするオカルト的な展開が面白いですね。
 五章目では、ルイ自身の書き始めた物語「ペルシャの鏡」が登場しますが、この章が一番物語性が強いでしょうか。語り手は、湖畔に住む老オランダ人ヘルマンから彼の過去の話を聞きます。ヘルマンは、かってイスパファンの市場でペルシャ語が彫られた美しい鏡を手に入れていました。
 恋仲になった娘マーガレットとの結婚話が進む一方、結婚によって制限される自由にも未練を抱いていました。逡巡の中、ペルシャの鏡を覗き込むと、鏡の中の自分が同じ行動をしていないことに驚愕します。
 マーガレットとの結婚をあきらめ出奔するヘルマンでしたが、後日知ったマーガレットの結婚相手は何と自分自身のようなのです…。
 魔術的な鏡の力で、重大な選択を機に「二人」に分かれてしまった男の人生を語る幻想的なエピソードとなっています。こちらも「可能的世界」がモチーフとなっているようですね。

 魅力的なモチーフや物語の萌芽がたびたび登場するのですが、哲学的で固めの語り口のせいもあり、素直に物語が展開していきません。それゆえ難解な印象を抱く人もいるかもしれませんね。その意味で「ルーマニアのボルヘス」の異名も、なるほどという感じです。曖昧で明確な結論が出ないエピソードも多いのですが、逆に読者の想像力をそそる部分も大きく、魅力的な幻想小説といっていいかと思います。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

不穏な未来  イアン・リード『もっと遠くへ行こう。』
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 イアン・リードの長篇『もっと遠くへ行こう。』(坂本あおい訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)は、ある出来事をきっかけに夫婦間の関係性が変わっていくという、不穏な心理スリラー作品です。

 田舎の農場で暮らす男ジュニアとその妻ヘン(ヘンリエッタ)。彼らの前にある日現れたのは、<アウターモア>なる組織から来たという男テランスでした。テランスがいうには、ジュニアは宇宙移住計画の候補に選ばれたというのです。そのため一時的な仮移住を行う必要があり、その期間は長くなる可能性があるといいます。
 ジュニアをよく知るため、そしてその家族であるヘンをサポートする必要があるとするテランスは、たびたび彼らの家を訪れることになりますが、彼の訪問をきっかけに、ジュニアとヘンの間には奇妙な壁が出来始めていました…。

 あまり人付き合いはなかったものの、特に問題なく過ごしていた夫婦ジュニアとヘンが、テランスの訪問を機に、夫婦間の溝を深めていってしまう…という心理的なスリラー作品です。
 人間の宇宙移住計画を進めているという<アウターモア>から来た男テランス。彼はジュニアがその計画に参加することを疑わないような態度で、どんどんと話を進めてしまいます。ジュニアはテランスの存在を鬱陶しく思いながらも、インタビューを受けたり、センサーを付けたりと、彼の言うがままになってしまいます。
 一方、妻のヘンは、テランスが現れてから、夫との間に距離を取るようになってしまいます。ジュニアの態度に気に入らない部分があるようなのですが、それに関してもはっきりとは明言せず、そのためジュニアも不安定な気分になってしまうのです。
 夫婦の関係性はどうなってしまうのか? ジュニアは本当に宇宙移住計画に参加するのか? そもそもテランスの言う計画は本当なのか? さらにヘンが抱いている夫への不満とは何なのか? 明確な情報が与えられないこともあって、様々な部分で疑問が発生するという、不穏の塊のような物語になっています。

 物語はジュニアの視点から語られていきます。大人しく、争いごとを好まないらしい性格のジュニアだけに、妻に対しても、自分に悪いところがあれば直したい、というスタンスで対するのですが、妻は一方的に彼に対して心を閉ざしてしまいます。
 さらに、後半で反抗の姿勢を見せることにはなるのですが、基本的にはずっとテランスの言うがままを受け入れてしまうジュニアの心理にも不可解なものがありますね。

 後半で「ある真実」が明かされることにはなるのですが、それが明かされたところで物事は解決せず、また別の問題点が現れることにもなります。そこで現れるのは、アイデンティティーの問題を始め、人間とは何か、人と人とが関わるとはどういうことなのか、といった哲学的な諸問題。
 「真実」が明かされてから、前半の展開を振り返ると、また物語の違った面が見えてくるという、なかなかに意味深な内容となっています。

 肝心な部分でネタバレがしにくい作品なのですが、読み終えた後、読んだ人同士で話し合いたくなるような、「問題意識」の強い作品になっていますね。心理的・哲学的スリラーの秀作かと思います。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

血の支配  ダヴィド・ムニョス作、マヌエル・ガルシア画『ヴァンパイアの大地』
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 ダヴィド・ムニョス作、マヌエル・ガルシア画『ヴァンパイアの大地』(原正人訳 パイインターナショナル)は、ヴァンパイアに支配された世界を舞台にしたホラー・コミック作品です。

 何らかの原因で太陽が出なくなり、寒さと吹雪に覆われてしまった世界。その頃から人間の血を吸うヴァンパイが現れ、人間を襲い始めます。学校の子どもたちの面倒を見ていた元絵本作家エレナは、車で移動中にヴァンパイアたちに襲われ、恋人のラウルを失ってしまいます。
 彼らを救ったのは、ナイルという男でしたが、実は彼自身もヴァンパイアでした。自分は人間の敵ではないと言うナイルの言葉を信用しきれないエレナでしたが、彼と行動を共にすることになります…。

 太陽が失われ、ヴァンパイアに支配された世界を舞台に、生き残った人間たちの苦闘を描くホラー・コミック作品です。雪と吹雪に閉ざされた世界を舞台にした「破滅もの」作品なのですが、そこにさらに人間を狩るヴァンパイアたちが跳梁するという、ハードな世界観の物語となっています。欲望のままに人間を襲うヴァンパイアがいる一方、人間との共存を図るヴァンパイアもおり、主人公たちに協力することになるナイルは、そうした友好的なヴァンパイアらしいのです。

 この作品に登場するヴァンパイアは血を吸うことによって、相手もヴァンパイアにすることができるのですが、そのあたりの匙加減は調整が効くらしく、無暗にヴァンパイアを増やさないようにしている…というのは面白いところですね。
 肉体的には人間よりはるかに強力であり、知能は人間の時のまま。太陽が常時沈んでいるため、外界も自由に動けるのです。ほとんど無敵の状態なわけで、主人公エレナとその一行を始め、人間たちがどう彼らに立ち向かうのか…というのが読みどころでしょうか。
 信用しきれないとは思いながら、ナイルに頼らざるを得ないエレナが、旅を重ねるうちに、彼に対して情愛を抱いていくようになる、という流れも良いですね。また血の渇望に度々捕らえられてしまうナイルが、その倫理観と正義感から、エレナたちを守ろうと一貫した行動をする姿も魅力的に描かれています

 食料も燃料もほぼ尽き、人類の数も激減。ヴァンパイア以外にも、野犬や熊など、人間を襲ってくる野獣が闊歩する世界が舞台となっており、そのハードなサバイバル描写には見応えがありますね。ヴァンパイアが殺されるシーンはもちろん、人間たちもあっさり殺されてしまうなど、流血描写も結構強烈です。
 ただ、飽くまで子どもたちを守り続けようとするエレナの生きる力、最後まで信念を貫こうとするナイルの正義感が、物語を通して徹底しており、読み味は悪くありません。吸血鬼テーマ作品の秀作といえるのではないでしょうか。


テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

記憶の中の町  乾緑郎『彼女をそこから出してはいけない』
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 乾緑郎の長篇『彼女をそこから出してはいけない』(祥伝社文庫)は、記憶の中の町を描き続ける画家と不思議な少女をめぐるホラーサスペンス作品です。

 フリーライターの大塚文乃は、個性的な作風で注目されている画家、荒木一夫のルポを書くために、彼の個展会場を訪れます。荒木はダムに沈んだ故郷、小楷町の風景を記憶だけから再現し、緻密に描くことで知られていました。しかも彼の絵には、例外なく人物が一人も描かれていないというのです。ある絵の前に立ったとき、文乃は絵の中に少女がいるのを目撃し、その直後に気を失ってしまいます。
 一方、文乃の恋人で、児童養護施設に勤める古河啓介は、施設に新しくやってきた少女弥生の言動に不審なものを感じていました。弥生は長年、老夫婦に監禁されるように暮らしており、「ツキノネ」という名前で動画配信をしていたといいます。
 文乃が小楷町の歴史を調べていくうちに、町でかって新興宗教のような活動があったことが分かります。その信仰を追っていくうちに現れたのは「ツキノネ」の名前でした…。

 ダムに沈んだ町を記憶のみで描き続ける画家と、素性の知れない不思議な少女。それらがみな、ダムに沈んだ町、小楷町に関わりがあることを知ったライター文乃が、調査を進めていくうちに得体の知れない事件にぶつかることになる…というホラー・サスペンス作品です。
 町には過去に異様な宗教活動や信仰があったことが判明することから、土俗的・伝奇的なホラーかと想像するのですが、その秘密の部分にSF・ファンタジー的な要素も混在しているという、ジャンルミックス的なエンターテインメントとなっています。
 記憶の中の町を描く画家、荒木に関する部分は非常に面白いですね。記憶というより、彼の頭の中に町が存在し、その中を想像で歩けるほどだというのです。荒木と少女や記憶の町がどのように関係しているのかが明かされていく過程はサスペンスたっぷりです。

 主人公というか、探偵役として現れるのはライターの大塚文乃とその恋人古河なのですが、彼らは事件の目撃者的な役目が強く、本当の主人公は荒木といってもいいような形になっていますね。荒木がなぜ町の記憶を再現できるようになったのか。彼の過去に何があったのか、などが、記憶や少女の謎と直結しているのです。
 また、「ツキノネ」の名前を使っていた少女弥生の秘密に関しても驚くような展開が待ち構えています。絵の中の少女は弥生なのだろうか? 弥生の来歴に関する部分は伝奇的な香りが強いのですが、それがSF・ファンタジー的な趣向と結びついているのもユニークです。

 作中で荒木によっても言及される、落語の「頭山」が作品のメインモチーフともなっており、実際に物語の中で展開されるその発想は奇想天外で、驚かされてしまう人も多いかと思います。
 非常にスピーディに進む物語なのですが、その分、伝奇ホラー的な部分の描き込みが薄味になってしまっているきらいはあります。ただ、様々な発想が組み合わされた物語のオリジナリティは強烈で、楽しめる作品になっているのではないでしょうか。


テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

空を飛ぶということ  ディディエ・マルタン『飛行する少年』
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 フランスの作家ディディエ・マルタンの長篇『飛行する少年』(村上香住子訳 サンリオSF文庫)は、飛行する能力を持つ少年の自意識を語っていくという、文学味の強い幻想小説です。

 幼い頃から空を翔ぶことができる少年ラファエルは、成長するにしたがって、人間は皆が空を翔べないことに気付き、自らの能力を秘密にするようになります。
 同級生のフランソワも空を翔ぶ力を持っていることを知ったラファエルは、フランソワと親しくなろうとします。
 しかし、フランソワは飛行能力を大したものだとは思っておらず、それを捨てることにも躊躇がないようなのです。彼は、自分の母親の前で翔んでみせますが、母親はその飛行を認識していないようであるのを見て、ラファエルは驚くことになります…。

 飛行能力を持った少年を描いた幻想小説なのですが、このテーマから想像されるようなロマンティックなお話にはならず、少年の自意識や内省を中心とした、純文学的なトーンの内容になっているのが特徴です。
 主人公ラファエルは、普通の人間は飛行能力がないことを知るようになり、自らの力に対して秘かな優越感と少しの不安感を抱いていました。やがてフランソワを始め、他にも少数ながら飛行能力を持つ者たちがいることを知ります。
 しかし、フランソワは飛行能力をお荷物としか思っておらず、それを捨てることにも躊躇がないようなのです。その考え方にラファエルは驚くことになります。
 飛行能力をどう捉えるべきなのか、どう付き合っていくべきなのか、といったことに関して、ラファエルが悩んでいく過程が描かれていきます。
 別の飛行能力者と出会い、その都度考えが揺さぶられることになるのですが、最も影響を受けることになるのが、恋人のカトリーヌ。結婚までを考えている存在なのですが、能力者ではない彼女に飛行能力についてどう話したものなのか。
 そもそも能力者ではない人たちには、翔んでいるシーンを見せても視覚的に認識できないようなのです。彼女との付き合いにおいて、飛行能力を持て余してしまうあたりは、ラファエルの悩みのピークでしょうか。

 この飛行能力、何らかの「象徴」とかではなくて、文字通り空を翔ぶ力であり、超自然的なものなのですが、人前で見せることに躊躇ってしまうような、ある種「恥ずかしい」ものとして描かれるのも特徴ですね。そもそも能力者ではない人にはその行為が見えないのですし、能力者同士がその力を明かすにもどこか恥ずかしさが混じる…というシーンも描かれます。
 世の中の飛行能力者たちがそうした羞恥心を持っているのですが、そういう意味で、屈託なく能力を捨ててしまうフランソワは特異なキャラクターとなっています。

 空を飛翔する能力という、ロマンティックな題材を扱いながら、夢やロマンあふれる冒険譚にならず、思春期の少年の自意識をメインにしたお話になってしまうところは、フランス作家ならではといったところでしょうか。
 友人や恋人を始め、周囲の人間とどう接していくべきか、自分はどんな人間になるべきなのか、といった、社会的な関係性を描いた、かなり真面目な作品です。そこに飛行能力といった幻想的なモチーフが入り込んで、妙な味わいを出している感じでしょうか。
 「変」な作品ではあるのですが、文学性は豊かで、なかなかに読み応えがありますね。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

繰り返される夜  阿泉来堂『邪宗館の惨劇』
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 阿泉来堂『邪宗館の惨劇』(角川ホラー文庫)は、大量殺人が起こるループに囚われた男を救おうと、那々木悠志郎が活躍するシリーズ最新作です。

 一年前の火災事故で友人を失った天田耕平は、共に生き残った恋人真由子と一緒に慰霊祭へと向かいますが、バスが事故を起こし、山道で立ち往生してしまいます。
 風雨を防ぐため、他の乗客と近くに見つけた建物に避難しますが、そこはかってカルト的な宗教団体、人宝教が所有し、既に廃墟となった建物『白無館』でした。集団生活をしていた信者たちが互いに殺し合い、猟奇的な殺され方をした人間もいたことから、周囲の住人からは、館は『邪宗館』とも呼ばれているといいます。
 その夜、乗客たちが次々と残酷に殺害され、真由子と共に逃げようとした耕平は異様な怪物に遭遇し殺されてしまいます。
 しかし気が付くと、事故を起こしたはずのバスに乗っていたのです。その後も全く同じ展開で皆殺しにされてしまった耕平は、自分がタイムループのような現象に巻き込まれていることに気が付きますが…。

 いわくのある宗教施設の廃墟で、謎の怪物による大量殺人が起こるというタイムループに巻き込まれてしまった男の苦難を描くホラー作品です。
 恋人真由子を守ろうと、何度も周囲の人間に訴えたり、対策を取ろうとする耕平ですが、その甲斐なく二人を含めて皆が殺されてしまうのです。個人の力ではどうにもならず、中盤から登場する那々木悠志郎の力を借りながら、事態の打開を目指すことになります。
 今回の怪異はスケールが大きく、人間の力で対抗できるのか?というところで、那々木も苦戦を強いられるのですが、持ち前の知識と洞察力でそれらを切り抜けていくことになります。相棒として登場する、刑事の裏辺との絡みも楽しいですね。

 「タイムループ」という、かなりSF的な題材が扱われており、どう解決を付けるのか考えてしまうのですが、それが「怪異現象」としっかりつながってくるのに感心してしまいます。
 怪異の民俗学的・宗教的な秘密も興味深いところなのですが、これが結末の思いもかけない展開と次巻への引きになっているところも面白いです。
 独立した物語としても面白いですが、シリーズ的な面白さも強くなってきており、次巻が楽しみになりました。


テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

幻想の島々  ウィリアム・モリス『不思議なみずうみの島々』
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 ウィリアム・モリスの長篇『不思議なみずうみの島々』(斎藤兆史訳 晶文社)は、魔女の奴隷として育てられた少女が、流れ着く不思議な島々で数奇な冒険をすることになるという冒険ファンタジー作品です。

 幼い頃に、実の母親のもとから魔女によってさらわれてきた少女バーダロンは、魔女の奴隷として育てられます。森の聖女ハバンディアと出会ったバーダロンは、彼女から知恵を授かり、精霊を宿した小船を使って魔女のもとから逃げ出すことになります。
 様々な不思議な島々に流れ着いたバーダロンは、思いもかけない冒険と恋をすることになりますが…。

 魔女に育てられた少女バーダロンが、様々な冒険を繰り広げるという冒険ファンタジー作品です。
 序盤では、森の精霊的な存在ハバンディアの協力のもと、魔女のもとを脱出するのが主目的となりますが、その後に登場する三姉妹と彼女たちの恋人である騎士たち六人との関わりが、バーダロンの運命を変えていくことになります。
 魔女の姉の島にたどりついたバーダロンが、そこに囚われた三姉妹オーリア、ヴィリディス、アトラから島の脱出を手伝ってもらう代わりに、彼女らの恋人である三人の騎士に助けを求めにいってほしいと遣いを頼まれます。
 やがて出会った金の騎士ボードイン、緑の騎士ヒュー、黒の従者アーサーが三姉妹を助けに向かうことになります。その間に、騎士たちの帰還を願うバーダロンが、願いの祈願のために入り込んだ山の中で、三騎士の宿敵である赤の騎士に囚われてしまい、それをきっかけに彼女の運命がまた違った方向に展開していくことになるのです。

 バーダロン自身は、知恵者であり、弓矢の名手、俊足であったりと、いろいろな技能を持つ有能な女性なのですが、彼女自身が戦ったり、事態を解決する、という形にはほとんどなりません。
 遍歴を続けるバーダロンがいつの間にかトラブルに巻き込まれてしまう…というパターンが多いのですが、彼女自身が非常に美しい女性で、出会う男性がことごとくバーダロンに恋してしまい、それがもとでトラブルになることも多いのです。
 殆どの男性はバーダロン自身が断ってしまうのですが、黒の従者アーサーに関しては、バーダロン自身が恋をしてしまうことになります。またアーサーもアトラという許嫁がありながら、バーダロンに恋してしまい、アトラを挟んでの三角関係が、後半の物語の流れを変えていくことにもなるのは面白いですね。

 バーダロンが訪れる島々は、魔法や不思議な出来事に満ちた場所が多く、特にバーダロンが育てられた魔女の家と、魔女の姉が支配する島に関しては、その魔法の力も強い場所となっています。魔女の姉と三騎士の戦いが描かれるパートは、魔法ファンタジーとしても魅力的ですね。
 三騎士と三姉妹は、途中から準主人公的な立ち位置になり、バーダロンとは別行動をしていた彼らの行動も、後になってから別パートとして語られます。許されぬ恋をしてしまったバーダロンが仲間のことを思い、一人旅に出てしまった後、彼らとの和解がなされるのか、恋の行方はどうなるのか?といったところで、冒険のパートとは違った興味も生まれてきます。
 バーダロン自身、魔女のもとから脱出した後も、多くの場所を移動することになり、それぞれのエピソードも大変面白いものになっています。前半で通り過ぎた島々に、後半になってから再び上陸することになる、という流れも興味深いですね。

 本作、モリスの死後の出版で、未完であるそうなのですが、結末まで含めてほとんどが出来ていたそうで、物語として一貫した形になっています。最初から最後まで波乱万丈で、ハラハラドキドキさせてくれる物語となっています。
 モリス作品には珍しい、女性を主人公にした作品ではありながら、ヒロインが積極的に戦ったり、運命を切り開く、といった感じではないので、現代の読者としてはそこに不満を覚える人もいるかと思います。ただ、バーダロンが知恵と優しさで、周囲の人々に影響を与え、物事を善い方向に導いていく…という、たおやかなヒロイン像が描かれており、これはこれで魅力的な作品になっているように思います。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



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kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
twitter上でも活動しています。アカウントは@kimyonasekaiです。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」も主宰してます。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド 増補版』『奇妙な味の物語ブックガイド』『海外怪奇幻想小説ブックガイド1・2』『謎の物語ブックガイド』『海外ファンタジー小説ブックガイド1・2』『奇想小説ブックガイド』『怪奇幻想映画ガイドブック』を刊行。「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」も作成しました。



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