fc2ブログ
魔性の物語  シャーリイ・ジャクスン『こちらへいらっしゃい』
こちらへいらっしゃい
 シャーリイ・ジャクスン『こちらへいらっしゃい』(深町真理子訳 早川書房)は、様々な作家の短篇集を集めた<世界の短篇>シリーズの一冊として出された作品集です。遺作となった未完の小説「こちらへいらっしゃい」の他、短篇が14作、「自作を語る」コーナーとして、創作に関するエッセイ・講演録がいくつか収録されています。

 表題作「こちらへいらっしゃい」は、著者の遺作で、未完となった長篇。邦訳にして50ページ程度の作品となっています。

 画家の夫ヒューイが亡くなった後、未亡人となった四十四歳の「わたし」は、家や家具を処分し、一人旅立ちます。とある駅で話した女性から、スミス通りで女性の姉が下宿人を探しているという話を聞き、その下宿を訪ねることになります。
 ミセス・アンジェラ・モーターマンと仮の名前を名乗った「わたし」は、家主のフォーン夫人と意気投合し、彼女の下宿人となります。幼い頃から超自然的な力を持つ「わたし」は、フォーン夫人の許可を取り、降神術の会を開くことになりますが…。

 超自然的な力を持つらしい未亡人が、その力を使って降神術の会を開く…というのがメインのあらすじと言えるのでしょうが、どうも語り口が異様すぎて、そちら方面に物語が展開するはずだったのかどうかも分からなくなってくる怪作です。
 主人公の「わたし」は、幼い頃から、人の目には見えないものが見えるという超自然的な力を持つ人物です。ただ韜晦が激しく、名乗っている名前はもちろん、語っている過去や経歴が本当なのかも怪しいのです。また人と話すときも冗談なのか本気なのか分からないような話し方で、エキセントリックの塊のような人物になっています
 交霊会の後も、主人公が人の後を尾行したり、デパートで万引きしようとしたり、奇行のオンパレードで、本当につかみどころのない作品です。
 ですが、ところどころ惹きつける描写や表現も多くて、これが完成していたら相当な傑作になったのでは…と思わせる魅力がありますね。

 「14の短篇」は様々な味わいの短篇を集めたコーナー。明確にジャンル分けはしにくいですが、<奇妙な味>に近い感覚の作品が多いです。

 自殺を仄めかし他人の注意を惹こうとする少女を描いた「ジャニス」、粗野で奔放なベビーシッターの少女をコミカルに語る「女奴隷トゥーティー」、娘のコケティッシュな友人に魅了される夫とそれに嫉妬する妻を描く「カリフラワーを髪に」、両親を亡くした娘が親とのしっくりこない人生を回想する「わが愛する人は」、ある日帰ってきた夫が別人のように感じられるようになった妻を描く「美しき新来者」、夏の休暇を別荘で過ごしていた初老の夫婦が夏が終わっても居残ろうとしたことから起こる異変を不条理に描いた「夏の終り」、認知症になった資産家の夫人と彼女を介護する女性の日常を幻想的に描いた「島」、女学生が訪れた友人の屋敷は時間の流れが止まったかのような場所だった…という幻想譚「ある訪問」、大病をした兄の療養のため、兄夫妻と共に岩だらけの島を訪れた女性の不思議な体験を語る「岩」、夫への怒りから家出を決行した妻の一日を描く「ジャングルの一日」、娘が友だちと一緒に開いたパジャマ・パーティーの顛末をユーモアたっぷりに語る「パジャマ・パーティー」、実家から失踪し近くの町に隠れ住む娘の物語「ルイザよ、帰ってきておくれ」、亡き伯母から相続した家に住むことになった姪が近所の老姉妹の訪問を受ける「小さなわが家」、降りるバス停を間違えてしまった老婦人の不条理な体験を描く「夜のバス」を収めています。

 特に印象に残るのは「夏の終り」「島」「ある訪問」「岩」「ルイザよ、帰ってきておくれ」「夜のバス」でしょうか。

「夏の終り」
 毎年夏を過ごす湖沿いの別荘にやってきたアリスン夫妻は、普段ならば帰る労働休日を過ぎても帰らず、その場に残ることにします。その意思を周辺の人間にも伝えますが、彼らは休日を過ぎても残った人間は今までにいないといいます。
 灯油や食べ物を配達してくれていた店も、配達どころか、売るための余分な品物はないとつっぱねます。やがて車も故障してしまい、夫妻は別荘に閉じ込められてしまいますが…。
 避暑地として居心地の良い思いをしていた場所が、だんだんと居心地の悪いものになっていきます。追い詰められていく夫妻の焦りが描かれていく、不条理味の強いホラー作品です。実際にありそうな事態なだけに、身に迫る怖さがありますね。

「島」
 認知症であるモンタギュー夫人は、資産家である息子ヘンリー・ポールの計らいにより、常時、付添い婦ミス・オークスの世話を受けており、何不自由のない生活をしていました。空想の中で、夫人はある島で過ごしていましたが…。
 認知症の老婦人と彼女を介護する女性の日常が描かれていくのですが、意識も朦朧となった夫人の空想の中で、島のイメージが美しく描かれるという、不思議な味わいの作品です。

「ある訪問」
 友人のカーラ・ローズの家に滞在することになった女学生マーガレットは、カーラの家の美しさと家族の品の良さ、そしてその一族の伝統に魅了されます。また、ちょうど帰省してきたカーラの兄ポールにも惹かれるようになります。
 敷地に建つ塔に住む大伯母の話を聞いたマーガレットは、彼女に興味を持ち、塔を訪ねることになりますが…。
 楽園を思わせる美しい家とその家族のもとに滞在することになった少女を描く物語です。「永久に変わらない」という表現があり、実際、それが比喩ではないようなのです。
 全てを見通しているかのような大伯母の存在、謎めいた碑文など、神秘的な要素も多い、幻想的な作品となっています。

「岩」
 大病をした兄チャールズの静養のため、義姉のヴァージニアと共に岩ばかりの島を訪れたポーラ・エリスン。兄は宿から出ようとはしないため、一人外を見回っていたポーラは、宿のもう一人の客だという男に出会います。彼はヴァージニアを待っていたというのですが…。
 家族の内輪のことまで知っている謎の男。彼の存在を認識できない人間もいるようで、人間ではない別の存在(悪魔?)であることが示唆されています。<奇妙な味>の幻想小説です。

「ルイザよ、帰ってきておくれ」
 姉キャロルの結婚式の前日に実家から姿を消し、近くの町に隠れ住むようになった女子大生ルイザ・テザー。気の合う家主と手堅い仕事も得たルイザは数年間をそこで暮らしますが、ラジオで母親が娘に帰ってきてくれるよう呼びかけているのを耳にします。
 たまたま、隣人だった青年ポールと出くわしたルイザは、数年ぶりに実家を訪れることになりますが…。
 実家から家出(というより失踪に近いですね)をした娘が数年ぶりに実家に戻り、家族に再会する…という物語。感動の再会が待っているかと思いきや、思いもかけない展開となっていきます。
 失踪の直接の原因が姉へのあてつけであることが匂わされるのですが、ヒロインであるルイザ、飄々としていてどこかエキセントリックな香りのする人物です。
 ルイザと家族が、お互いに本当に再会を求めているのかどうかが怪しくなってくる、という意味で、家族関係の「うさん臭さ」を描いており、非常にシニカルでブラックなお話となっています。

「夜のバス」
 夜にバスで自宅に戻る際、眠り込んでしまった老婦人ミス・ハーパーは、運転手に起こされ慌ててバスを降りますが、そこは見知らぬ場所でした。雨が降る中、通りかかった車に乗せてもらったミス・ハーパーは、バスは一晩に一回しか来ないことを知らされます。
 バーの様な場所に連れていかれ、そこに泊まることになりますが、その家は、元は由緒ある大邸宅のようでした。しかも、どこか彼女が子ども時代を過ごした家に似ていたのです…。
 老婦人が見知らぬ場所で、馴染みのない場所を引き回される…という時点で不条理味が濃いのですが、泊まることになった家で体験するのは完全に超自然的な現象なのです。それらから逃れたと思ったら更なる悪夢が…という形で、不穏な雰囲気の幻想小説となっています。

 「自作を語る」パートでは、「体験と創作」「ある短篇小説伝」「若き作家への提言」が収録されています。
 「体験と創作」は講演を文章化したもの。自作や小説作法について語られているのですが、興味深いのは、自作の『丘の屋敷』について触れた部分です。
 幽霊屋敷についての心霊研究の本を読んだことが執筆のきっかけになったこと、列車から見たおどろおどろしいビルのイメージ、資料の中で見つけたいかにも幽霊屋敷という家を調べてみたら、それが曽祖父が建てた家だったこと、など、創作秘話的なエピソードが登場して、興味深く読むことができます。
 ジャクスンは、心霊現象や幽霊などを信じているようなイメージを持っていたのですが、この文章を読む限り、そんなことはなくて、むしろそうした現象について冷めた感覚を持っていたように見えます。ちょっと引用しますね。

 「私には幽霊を見たいという願望などこれっぽっちもありませんでした。今後一生のあいだ、いかなる超自然現象にも出くわさずに過ごしたいものだ、と心の底から希望していました。たしかに幽霊に関する本を書きたいとは思っていましたが、完全に-この点はあまり強く力説できないのですが-完全に、それらの幽霊はもっぱら想像上のものにとどめておくつもりでおりました。」

 上記のようなことを書きながらも、創作のための調査の過程で、著者が体験した事実は本当に数奇で、ちょっとした怪談実話の趣もあります。
 この「体験と創作」、後半はちょっと怪談じみた話になるのですが、前半はなかなか鋭い創作法の話題が展開されていて、こちらはこちらで面白いです。学生が体験を元に書いたという創作を、ジャクスンであればこう作り替えるという実例が示されていて、著者の小説観を知る上でも参考になりますね。
 しかも最後は、自身の体験が創作になった例として、実際の作品「家じゅうが流感にかかった夜」が埋め込まれています。こちらは著者の家族が流感にかかった夜の情景をコミカルに描いた短篇です。
 前半、中盤、後半と話題が様々に変わって、飽きさせない講演録となっています。

 「ある短篇小説伝」は、ジャクスン最大の問題作だった短篇「くじ」についてのエッセイ。1948年、雑誌「ニューヨーカー」に発表直後から反響を巻き起こし、著者への意見や文句などが殺到したとか。その中の一部の意見が紹介されていますが、小説で扱われている「風習」に対する興味、著者の意図に対する憶測、でなければ罵倒の嵐で、当時の反響の強さが窺われますね。雑誌の購読を止める、という意見も多かったようです。
 編集部の人間も、掲載前から問題を引き起こすのは分かっていたようで、著者に何か言われたときの意見がないか訊いてきたというのも面白いですね。発表後の意見に対してもそうですが、ジャクスンはこれが「たんなる物語」と言ったというのも、ある意味潔いです。
 しかも、この「くじ」の着想を得たのは、娘を乳母車に乗せて坂をのぼる途中だった…というのだから、末恐ろしいですね。
 エッセイの最後に「くじ」の実作も再録されており、エッセイと一緒に読むと、さらに味わいが増すように思います。

 「若き作家への提言」は、作家を目指す人に対してのアドバイスの形で語られた小説技術論。作家志望であった娘のサリーのために書かれたものだそうです。物語やプロット部分よりも、もっぱら描写、文章や表現の技術について語られた部分が多いですね。

 多くのジャクスン作品が邦訳され読めるようになった現在、この『こちらへいらっしゃい』は入手難の状態が続いています。収録された短篇も秀作が多いですし、エッセイや講演録では著者の創作に関する意見や本音が読めるなど、
 ジャクスンのファンには大変興味深い作品集になっているので、いずれ何らかの形で復刊してほしい本ですね。



テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

そこだけの小世界  シャーリイ・ジャクスン『壁の向こうへ続く道』
kabenomukouhetudukumiti.jpg
 シャーリイ・ジャクスンの第一長篇『壁の向こうへ続く道』(渡辺庸子訳 文遊社)は、1940年前後のアメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコの郊外の住宅地に住む人間たちの日常が、悪意たっぷりに描き出されるという、ブラック・ユーモアあふれる物語です。

 1940年前後のアメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコの郊外のペッパー通りに立ち並ぶ住宅地。そこに住む人々は、一部を除いて中流の家族であり、壁を挟んで向こう側にある上流階級の人々に憧れていました。ペッパー通りに住む家族たちの日常が淡々と描かれていく作品で、後半まで劇的な事件は起きず、終始静かな雰囲気で終始します。
 ただ「事件」は起きないにしても、登場する人々、大人・子どもに関わらず、住人同士の交流を通して、彼らの心理や本音が赤裸々に描かれていき、そのブラック・ユーモアあふれる描写に読ませられてしまいます。
 中流としての「品」にこだわり、経済的・教養的に劣る人々を馬鹿にする。馬鹿にされる者もまた、それ以下と判断した者たちを馬鹿にする…。そうした偏見や思い込みの連鎖が陰湿なまでに描かれており、読んでいて気分が悪くなってしまう人もいるのでは。
 大人がそうした偏見に染まっているだけでなく、彼らの子どもたちもまた、親のそれを引き継いで、友人付き合いにも上下関係や階級意識を持ち込んでいる…というあたりも非常にブラックですね。

 複数の家族が登場し、それぞれの家族が更に複数いるので、全体で四十人近い人物が登場します。彼らの日常の行動や心理が断章形式でかわるがわる登場する、といった形で物語は進んでいきます。
 序盤で、少女たちによる少年たちへのラブレター事件が取り上げられ、これが物語を進めて行くのかと思いきやこの事件はすぐに終息してしまい、普通の日常描写が続く形に戻ってしまいます。読者が期待するような劇的な展開をあえて起こさないところも、作者の狙いなのかもしれないですね。

 ほぼ全員の登場人物が、利己的で自分勝手、他の人間に対する優越感やそれに伴う軽蔑を抱いており、それは子どもも例外ではありません。しかも男性よりも女性、大人よりも子どもの方がそうした「嫌らしさ」が強く出ているところは、ジャクスンらしいといえばいえるでしょうか。
 本好きで強い正義感を持つマリリン・パールマン、障害のある妹の面倒を見る責任感の強いフレデリカ・ヘレナ・テレルなど、まともな神経を持った常識人的なキャラクターもいますが、彼らに対しても、違った面でシニカルな描写を加えているなど、著者の筆は容赦がありません。
 多数の人間が登場しますが、スポットライトが特にあたるのは少数の人物です。他人に影響されやすい少女ハリエット・ミリアム、自分一人の世界を守り続ける老婦人フィールディング夫人、衝動的で奔放な少女ヘレン・ウィリアムズ、妹と母の世話をする苦労人フレデリカ・ヘレナ・テレル、兄と姉の影に隠れ自分を認めてもらおうと振る舞うトッド・ドナルド、本好きで曲がったことが嫌いなマリリン・パールマン、夫をめぐって三角関係のような関係を保ち続けるランサム=ジョーンズ夫人とその妹リリアンなど。
 特にトッド・ドナルドに関しては、終盤の事件において重要な役目を果たすことになるキャラクターとなっていますね。

 ジャンルとしては「普通小説」なのですが、その読後感はどう考えても「普通」ではありません。その意味で、ジャンルは「シャーリイ・ジャクスン作品」としかいいようがないですね。第一作目からして、すでに彼女の持ち味が発揮されています。
 魅力のある作品といえるのですが、ジャクスンを始めて読む読者にはお勧めしません。『丘の屋敷』『ずっとお城で暮らしてる』など、他の代表作をいくつか読んでから読んだ方が、より著者の持ち味が楽しめる作品ではないかと思います。

 登場人物が非常に多いのですが、最初のページに、舞台となる通りに建つ家の配置図、及びそこに住む人間たちが家族構成と共に紹介されています。そこを見ながら読むと、あまり混乱しないかと思います。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

帰るべき家  シャーリイ・ジャクスン『丘の屋敷』
okanoyasiki.jpg
 シャーリイ・ジャクスンの長篇『丘の屋敷』(渡辺庸子訳 創元推理文庫)は、幽霊屋敷の調査に参加することになった女性が、屋敷に魅了され精神を狂わせていく…という幻想小説です。

 八十年前に資産家ヒュー・クレインによって建てられたという<丘の屋敷>。クレインの妻の死を始めとして、不幸が続いた屋敷はやがて人が住まなくなり、周囲の人々からは恐れられるようになっていました。
 心霊学の研究者であるモンタギュー博士は、屋敷の調査のための人員として、超常現象の体験者を探していました。幼いころにポルターガイストの経験をしていた女性エレーナ・ヴァンスは博士の誘いを受け、屋敷に向かうことになります。
 介護していた母を失い、姉一家の居候となっていたエレーナは、姉夫妻の静止を振り切って家を出てきていました。
 <丘の屋敷>でモンタギュー博士のほか、自分と同じように志願してきた女性セオドラ、屋敷の所有者サンダースン夫人の甥ルークと出会います。
 エレーナは、彼らとの交友と屋敷での生活に安堵感すら覚え始めますが、屋敷では奇怪な現象が相次いでいました…。

 心霊研究者モンタギュー博士の調査団の参加者となって、幽霊屋敷と呼ばれる<丘の屋敷>を訪れた女性エレーナが、奇怪な体験をし、屋敷に魅了されていく…という幻想小説です。
 母の介護に十数年を費やしたうえ、居候となっている姉夫婦とは上手くいかず、孤独を抱えていた女性エレーナ。幽霊屋敷の調査という「後ろ暗い」役目ではありながら、そこで出会った人たちとの交友を通して、ある種の充実感を得ていくことになります。特に年齢の近いセオドラに対しては、特別強い愛情を抱くことになります。
 屋敷での怪異現象は続き、他の人間たちはそれに対して恐怖を覚えます。エレーナも表面上は怖がりながらも、屋敷に対してどこか妙な安心感を覚えていくのです。
 屋敷で起こる怪異の原因、幽霊がいるとして誰の幽霊なのか? 建物を作った男の娘二人、あるいは屋敷の権利を継承し自殺してしまった娘の可能性も示唆されますが、結局のところその因果関係は分かりません。

 エレーナの周囲で特に怪異現象が発生すること、メッセージとして現れた言葉にエレーナの名前が使われていること、などから、屋敷の力がエレーナを媒介にして発現している…とも取れるようですね。
 屋敷が邪悪な力を持っていること、そこにいる人々に悪い影響を与える…ということは明確なのですが、そのメカニズムは、モンタギュー博士の調査によっても明らかになりません。
 屋敷で起こる怪異と共に、精神的に常軌を逸していくエレーナの姿に、周囲の人間は恐怖を抱くことになりますが、エレーナ本人はそこに恐怖を感じていない、というのが特徴でしょうか。彼女にとって屋敷は恐怖の対象というより、むしろ「家」「故郷」に近いものになっており、それがゆえに彼女が迎える結末も非常に納得のいく形になっています。 エレーナ視点で見る限り、<丘の屋敷>が邪悪であるという前提すら疑わしくなってくるあたり、幽霊屋敷に対する認識の相対性と言う意味で、面白い作品になっていますね。

 全体を通して、主人公エレーナの孤独感の描写は強烈です。例えば、屋敷で出会った人々に自分の経歴や家に関する作り話をしてしまうのですが、その中で、以前に目撃した家族の幸せそうなエピソードを自分のものとして混ぜていたりするのです。
 自分は「普通」ではないし「幸せ」ではない…という自己認識が強烈に彼女の精神を支配しており、それが屋敷に魅了されてしまう一因にもなっているのでしょうか。
 屋敷に「魅了される」「憑かれる」という表現も、少しニュアンスが違っていて、エレーナ自身は、そうなることを自ら望んでいる節もあるのです。屋敷自体のインパクトももちろんなのですが、そこに住み、影響される人間の心理とその変化をじっくり描いた、異色の幽霊屋敷小説といえましょうか。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

怪異の住む家  ジョン・ランディス編『怖い家』
kowaiie.jpg
 ジョン・ランディス編『怖い家』(宮﨑真紀訳 エクスナレッジ)は、英米の幽霊屋敷テーマの小説の名作を集めたアンソロジーです。

エドガー・アラン・ポー「アッシャー家の崩壊」
 幼馴染みのロデリック・アッシャーから、病んだ精神を癒やすため、旧交を温めたいという知らせを受けた「私」は、彼が住むアッシャー家の一族伝来の館を訪れます。そこは陰鬱で、気が塞ぐような館でした。
 ロデリックの妹マデラインもまた衰弱しており、その命もあとわずかだというのです。直後にマデラインは亡くなり、「私」はロデリックと共に彼女の遺体を地下室に運ぶことになります。ロデリックの精神状態は悪化していきますが…。
 陰鬱な館に住む兄妹の破滅を描く、ゴシック風味の恐怖小説です。館の主人ロデリックの精神状態と館そのものがリンクしているかのような展開が見事ですね。リンクといえば、作中で「私」とロデリックが読む物語、ランスロット・キャニングの『狂気の邂逅』の効果音と現実の音とが重なってくる…という描写もユニークです。
 ロデリックの蔵書内容として、本のタイトルがいくつか列挙されるところも雰囲気を高めています。中には、ティークの『青い彼方への旅』(邦訳は『青い彼方への旅』垂野創一郎訳 エディション・プヒプヒ があります)なんてタイトルも。
 ゴシック小説的な雰囲気と共に、使われる「早すぎた埋葬」モチーフも恐怖小説的な興趣を強くしています。ポーの代表作にして「館もの」の名作の一つでしょう。

エドワード・ブルワー=リットン「幽霊屋敷と幽霊屋敷ハンター」
 ロンドンの真ん中に幽霊屋敷があるということを友人から伝え聞いた「私」は、持ち主のJーー氏にかけあい、怪奇現象を見極めようと、下男のF--と愛犬を連れ、屋敷で一晩を過ごすことになります。
 屋敷では怪奇現象が相次いでいました。犬は恐怖の余り動けなくなり、下男もまた衝動的に逃げ出してしまいますが…。
 いわくのある幽霊屋敷に泊まり込んだ男が様々な怪奇現象に遭遇するという、正統派の幽霊屋敷小説です。起きる怪奇現象が派手で、ポルターガイスト的な現象、霊的な存在も姿を現します。しかも物理的な力まで発揮するようで、屋敷に長居していると本当に殺されてしまいそうなほどの凶悪さなのです。
 屋敷の管理人をしていた老女(彼女も物語が始まった時点で既に死者となっています)が、悪人の夫と共に殺人を犯したらしいこと、かっての屋敷の住人が妾とその情夫を殺したらしいこと、など、屋敷にまつわる怪しい事実も明らかになりますが、これらの事件や惨劇が、現在の屋敷の「呪い」にどう関わっているのかは明確でなく、いろいろ考えさせられるところもあります。
 実はこちらの作品、後半部分がカットされたバージョンです。後日談が付け加えられたバージョンがあり、邦訳もあります。というわけで、もう一つのバージョンも読み直してみました。『怪奇小説傑作集1』(創元推理文庫)に収録された、エドワード・ブルワー=リットン「幽霊屋敷」(平井呈一訳)です。
 こちらでは、屋敷の「呪い」が人為的なものなのではないかということで、その「犯人」らしき謎の人物リチャーズ氏が登場します。語り手が、数百年は生きているらしいこの男と対峙し、神秘的な対話を繰り広げるシーンが描かれており、作者が描きたかったのはこの部分なのでしょう。
 前半はオーソドックスな幽霊屋敷ホラーといえるのですが、後半部分が付け加わることによって、オカルト小説的な雰囲気が強くなります。どちらのバージョンでも共通しているのは、超自然現象に対する語り手の思想(作者自身の思想でもあるのでしょうか)です。超自然現象とは、その仕組みが解明されていないだけであって、あくまで「自然法則」のなせる業であるとする考えが語られます。ある種、科学的な態度ではあるわけで、その意味で「ゴースト・ハンターもの」の先駆的な作品と捉えることも可能でしょうか。
 後半に登場するリチャーズ氏は、怪人と呼ぶべき人で、不老不死の可能性も匂わされています。この人物のモデルは、フランス生まれの隠秘学思想家エリファス・レヴィ(1810-1875)であるとか、18世紀に活躍した怪人サンジェルマン伯爵だとか、諸説あるようです。
 ラヴクラフトは「文学と超自然的恐怖」(植松靖夫訳 東雅夫編『幻想文学入門』ちくま文庫 収録)中で、この作品に触れて、モデルがサンジェルマン伯爵ではないかと書いていますね。
 さて、このブルワー=リットン作品に登場する幽霊屋敷、実在する幽霊屋敷がモデルになっているそうです。具体的には、ロンドンの「バークレー広場50番地」という場所で、当時から最も有名な幽霊屋敷と言われていたとか。
 イギリスの有名な幽霊スポットを解説した、ピーター・アンダーウッド『英国幽霊案内』(南條竹則訳 メディアファクトリー)を開いてみると、こちらにも載っています。ブルワー=リットン自身も泊まったことがあり、実際に怪異現象に遭遇したとか。
 「バークレー広場50番地」、建物が現存するようですね。参考に画像を載せておきます。
Berkeley_Square_illustration.png 20190303_213310-scaled.jpg baakure50.jpg

アルジャーノン・ブラックウッド「空き家」
 ジム・ショートハウスは、ジュリア叔母に誘われ、幽霊屋敷の噂のある広場の家に乗り込むことになりますが…。
 幽霊屋敷に乗り込むというオーソドックスな怪奇作品なのですが、息詰まるような雰囲気と、主人公たちが感じる恐怖感が丁寧に描かれているのが特徴です。互いに連れの感情を気にしながら行動するところが細かいですね。
 屋敷では過去に殺人に関わる悲劇があったようで、それらの惨劇が霊現象として再生される…というタイプの超自然現象が起こっているようです。作中で言及される「物理霊媒」の概念も興味深いですね。
 外的な怪奇現象に劣らず、内的・心理的な恐怖が描かれた秀作といえるでしょうか。
ジム・ショートハウスを主人公とした作品はいくつかあって、邦訳書としては『秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集』(南條竹則訳 光文社古典新訳文庫)でまとめて読むことができます。

H・G・ウェルズ「赤の間」
 二十八歳の「私」は、幽霊が出るという噂のある城を訪れていました。そこに住む老人たちは、幽霊が出るという部屋を教えますが、その決断は自分で決めたことだと念を押します。「赤の間」に入った「私」はやがて恐怖に囚われることになりますが…。
 幽霊が出るという「赤の間」。幽霊を信じない男がその部屋で体験したものとは…。
怪しい現象はいくつか起こるものの、明確な幽霊は登場しない作品です、飽くまで主人公の心理的な「恐怖」を描いていくという意味での「純恐怖小説」といえるでしょうか。

H・P・ラヴクラフト「忌み嫌われた家」
 ポーもそのそばを通ったことがあるという、プロヴィデンスのある農家の屋敷。そこは、過去に数えきれないほどの人間が原因不明で死んだとされる屋敷でした。屋敷を調べていたエリフー・ホイップル医師とその甥である「私」は、所有者の許可を得て、家を直接調べることにしますが…。
 住人が次々と死んでしまう呪われた屋敷をめぐる怪奇小説です。記録を通して、屋敷で死んだ人々の履歴が語られていくのですが、膨大な数の人間が「呪い」としか思えないような形で亡くなってしまうという部分はかなり怖いです。
 ノンフィクションタッチを思わせる語り口が、実話怪談的な恐怖感を醸成している感じでしょうか。
 後半では、「呪い」の原因とされる超自然的な存在が登場しますが、こちらの存在も得体が知れません。前半とはトーンが異なってはくるものの、不気味さは強烈ですね。

アンブローズ・ビアス「幽霊屋敷」
 馬車を走らせていたマッカードル大佐とヴェイ判事は、嵐に行き会い、たまたま通りかかった無人の屋敷で体を休めることになります。そこは家族全員がまるまる姿を消してしまったということで「幽霊屋敷」の噂もある家でした。
 入ったとたん暗闇に覆われ、とっさに再度ドアを開けますが、つながっていた部屋には、大量の人間の死体が横たわっていました…。
 たまたま「幽霊屋敷」に入り込んだ二人の男が謎の部屋を発見する…という物語です。見つかった死体は、おそらく失踪した家族のものと推測できるのですが、なぜその部屋で死んでいたのか、何らかの原因で閉じ込められたのか、など分からないことだらけなのが不安を煽ります。
 「異次元怪談」の趣もある不気味な作品になっています。

オスカー・ワイルド「カンタヴィルの幽霊」
 カンタヴィル卿から、カンタヴィル・チェイス荘を買い取ったアメリカ人のオーティス公使は、家族を引き連れて屋敷に移住することになります。屋敷には幽霊が出没するとされていました。
 16世紀、妻のエレノアを殺害し自らも失踪したというカンタヴィル家の先祖サイモン・ド・カンタヴィル卿の幽霊が現れるというのです。
 オーティス一家を脅かそうと、サイモン卿の幽霊は様々な仮装で現れますが、現実的なオーティス一家の面々は驚くどころか、物理的に彼をやりこめてしまいます。唯一、娘のヴァージニアだけは幽霊に同情的な態度を取りますが…。
 イギリスの幽霊屋敷に引っ越ししてきた、現実主義者のアメリカ人一家が、幽霊をやりこめてしまうという、ゴースト・ストーリーのパロディ作品です。
 血痕を洗剤で消してしまったり、幽霊に潤滑油を勧めたりと、オーティス一家の幽霊に対する態度がいちいち現実的で笑ってしまいます。伝統を重んじるイギリス人と現実的なアメリカ人との対比が諷刺的に描かれていますね。
 幽霊のサイモン卿は、出現の際に手持ちの衣装を使って仮装するという芸術家肌の幽霊なのですが、芸術家とそれを理解しない一般人、という寓意も込められているようです。
 ユーモアたっぷりで楽しい作品です。

パーシヴァル・ランドン「サーンリー・アビー」
 列車内でコルヴィンなる男と知り合った「私」は、彼から、次に乗る船オシリス号で「私」の船室に一緒に寝かせてほしいという頼みを聞き怪訝に思います。コルヴィンがその理由として語ったのは、ある友人についての話でした。
 コルヴィンがインドで知り合い友人となったジョン・ブロートンは、地所を相続し、地元のサーンリー・アビー館に新妻ヴィヴィアンと共に落ち着くことになります。アビーには幽霊が出るという伝説があり、村人は館を怖がっていました。
 ある日、ブロートンから、自分を助けるために会いに来てほしいという手紙を受け取ったコルヴィンはアビーを訪れますが、ブロートンの変貌ぶりが深刻なことに気が付きます。部屋で眠っているときに、コルヴィンは「幽霊」に出会いますが…。
 何やら怯えているらしい男から、その原因となった幽霊話を聞く男の物語です。オーソドックスな幽霊譚ではあるのですが、出現する幽霊の造型がユニークで印象に残ります。物理的に破壊可能な幽霊、というのはあまり前例がないんじゃないでしょうか。

ブラム・ストーカー「判事の家」
 静かな場所で勉強をしたいと、列車に乗り、人気のあまりない町ベンチャーチを訪れた学生マーカム・マーカムソン。勉強に最適な空き家を見つけたマーカムソンはそこを借りることになりますが、その屋敷は、強引で残酷な性格で知られた判事がかって居住していたという家でした。マーカムソンが移り住んでから、巨大な鼠が現れ、彼を悩ますようになりますが…。
 残酷な判事の悪霊が鼠の形を取って現れるという怪奇小説です。逃げ出す機会はいくらかあったはずなのに、どんどんと深みにはまっていってしまう主人公の姿には、悪夢のような雰囲気がありますね。ストーカーの短篇怪奇小説では一、二を争う傑作でしょう。

シャーロット・パーキンス・ギルマン「黄色い壁紙」
 避暑と療養を兼ねて、夫のジョンと共にコロニアル風の大邸宅にやってきた「わたし」。家の最上階にある育児室だった場所を寝室にしますが、かっての子どもたちの仕業か、壁紙がところどころ破けていました。
 それは、火焔がのたくっていくかのようなフランボワイヤン模様で、見ているとむかむかしてくるという黄色い壁紙でした。
 壁紙に気を取られ始めた「わたし」は、その中に女の顔を見出します。やがて女は壁紙の外にまで出てくるようなのです…。
 精神を病んでいるらしい妻が、借りた屋敷の壁紙をきっかけに、怪奇現象に遭遇する…という物語です。といっても、その現象はおそらく主観的なもので、第三者には知覚されていません。
 壁紙の中に見出した妖怪じみた「女」と「わたし」が同一視され、一体化されていくかのような展開には、強烈な気味の悪さがあります。

M・R・ジェイムズ「呪われた人形の家」
 ディレット氏は、骨董屋のチッテンデン氏から、掘り出し物の人形の家を手に入れます。それはゴシック様式の人形の家でした。就寝したディレット氏は、周囲に時計もないはずなのに、鐘の音で起こされたことに驚きますが、人形の家の中で人間たちが動いているのに気が付きます…。
 過去にあったらしい事件を再現する人形の家をテーマとした怪奇小説です。ディレット氏だけでなく、チッテンデン氏も同じ現象を目撃していることが示されます。再現性のある怪奇現象、ということで面白い趣向となっていますね。
 人形の家で再現されるのは毒殺事件なのですが、それに加えて怪しい現象が起こっていること、さらに後で言及される幾人かの死と考え合わせると、過去の事件を推測していく過程も興味深いです。
 作者自身のあとがきで、同著者の「銅版画」のバリエーションではないかとの指摘があったとの言及がありますが、確かに似ていますね。

ギ・ド・モーパッサン「オルラ」
 体調のすぐれない「私」は、悪夢に悩まされていました。枕元の水が何時の間にかなくなっていることに驚いた「私」は実験的に飲み物や食べ物を用意して眠りますが、朝起きると、それらは減っていました。
 「私」は、目には見えない何者かが自分にまとわりついているのではないかと考えますが…。
 目には見えない怪物(吸血鬼的な特性もあるようですね)「オルラ」の恐怖を描いた怪奇小説です。置いておいた食べ物や飲み物が減っているなど、客観的な証拠もあるものの、怪物が実在するかは最後まで実ははっきりしません。もともと体調を崩していた「私」の妄想とも考えられるのですが、妄想にしてはいろいろと実在する証拠があるようなのも、微妙なバランス感ですね。
 作中で、「私」のいとこに対して催眠術の実験が行われるシーンがあるのですが、この部分、合理的な精神を示すものというよりは、どちらかと言うと未知の神秘を表しているようなのも独特ですね。
 「オルラ」が実在するとすると、それは透明で精気を吸う異次元風の怪物で、どこかSF風味も感じられてくるのも面白いところです。

小泉八雲「和解」
 京都の若い侍は、主君を失い困窮したため、遠隔の地に出仕することになります。出世のため、糟糠の妻を離縁して新しい妻を迎えますが、年が立つごとに前の妻の得難さと彼女への思いを実感することになります。任期を終えた侍は、かっての妻の元へ許しを請いに戻りますが…。
 捨ててしまった、かっての妻と再会する侍を描いた物語です。予想される通り前妻、はすでにこの世の人ではないのですが、前夫への思いは消えていなかった…という健気な幽霊譚となっています。

サキ「開けっぱなしの窓」
 神経を休めるために静養にやってきた男フラントン・ネテル。姉からもらった紹介状を手に、サプルトン夫人の屋敷を訪ねますが、本人は留守でその姪に迎えられます。彼女が言うのは、叔母は三年前に夫と二人の弟を底なし沼で失い、それ以来、彼らが戻ってくると信じ込み、フランス窓を開けっぱなしにしているというのです。
 帰宅したサプルトン夫人は、夫たちが帰ってきたと言い、フラントンを驚かせますが…。
 幽霊話のパロディにして、嘘つき少女を描いた皮肉な物語です。ただ、話を一方的に聞かされるフラントンにしてみれば、幽霊は実在したわけで、そのあたりを考えると、ゴースト・ストーリーの真実性について相対的に考えさせる作品ともいえそうです。

 おまけとして、ロバート・ブロックとレイ・ブラッドベリが「アッシャー家の崩壊」からインスパイアされて書かれた作品も紹介しておきます。

ロバート・ブロック「ポオ蒐集家」(仁賀克雄訳 仁賀克雄編『幻想と怪奇1』ハヤカワ文庫NV 収録)
 幻想小説家の「わたし」が知り合いになった男ラウンスロット・キャニングは、ポオに関する蒐集家でした。彼の家に招待された「わたし」は、祖父、父と三代にわたって集められたというコレクションに目を見張ります。しかし、キャニングの祖父はコレクションのために、人には言えないようなこともしていたというのです。
 キャニングが見せてくれたのは、通常のコレクションだけでなく、ポオの未発表の原稿でした。「わたし」は、蒐集熱のあまり、キャニングは自分がポオだと思い込み、自ら偽作を書いたのでないかと疑いますが…。
 タイトル通り、ポオの作品や遺物を蒐集する男を描いた物語です。語り手の「わたし」がキャニングの館を訪れるというのがメインストーリーなのですが、その全体がポーの「アッシャー家の崩壊」のパロディになっているという手の込みようです。いわゆる「魔導書」的な本の存在もちらつくなど、ちょっとしたクトゥルー風の味付けも楽しい作品ですね。
 主人公の名前も「アッシャー家の崩壊」で登場する本『狂気の邂逅』の著者と同名になっているところも洒落ています。

レイ・ブラッドベリ「第二のアッシャー邸」(小笠原豊樹訳『火星年代記』ハヤカワ文庫SF 収録)を再読。
 「アッシャー家の崩壊」をモチーフに、ポーの作品のエッセンスが散りばめられたオマージュ作品です。
 その時代、ポーやラヴクラフトなどの「恐怖と幻想の物語」は焚書にされ、禁じられていました。反逆の意味を込めて、資産家スタンダールは、火星にポオの作品に触発された巨大な屋敷「アッシャー邸」を建造します。
 さっそく調査に現れた道徳風潮調査官ギャレットは、邸の取り壊しを明言します。壊す前に内部をちょっと見てみたらというスタンダールの誘いに乗り、ギャレットは邸の内部を見て回ることになりますが…。
 「アッシャー家の崩壊」にインスパイアされた物語です。邸の内装や、そこで演じられるパフォーマンスは、皆ポオの作品からインスピレーションを得たものになっている…というのが凝っていますね。
 作中では「早まった埋葬」「モルグ街の殺人」「アモンティリヤアドの酒樽」などからの情景が再現されます。そして作品全体は「アッシャー家の崩壊」へのオマージュになっているという、ポーづくしの物語です。
 ブラッドベリの他作品「亡命した人々」、もしくは『華氏四五一度』でも同じテーマが変奏されていますが、空想的なもの、ファンタジー作品の「焚書」「排斥」に対する抵抗という、ブラッドベリの思想が強く出た作品となっています。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

愛と食  チェンティグローリア公爵『僕は美しいひとを食べた』
bokuhautukusiihitowotabeta
 チェンティグローリア公爵『僕は美しいひとを食べた』(大野露井訳 彩流社)は、語り手の男性が恋人を食べるまでの経緯が、食人に関するペダントリーと共に語られていくという、異色のカニバリズム小説です。

 スウェーデンの外交官の娘として生まれ、中国で育った女性イザベル。スコットランドの貴族サー・ジョージと結婚しますが、そこに愛はありませんでした。夫は常時出かけており、妻を放っていたのです。
 イザベルの愛人となった「僕」が、彼女の死後に恋人の遺体を食べるまでの経緯が、様々な食人にまつわるエピソード、ペダントリーと共に語られていくという作品です。
 語り手の「僕」は、イザベルの夫サー・ジョージに向けて物語を語っているという、捻った語り口が採用されているのも特徴です。

 物語に大きな起伏はなく、最終的な「食人行為」を除けば、大部分は「僕」と恋人イザベルとの会話とそのやりとりが続きます。ただ、その中で食人に関するエピソードや逸話が毎ページのように登場し、その面白さで読ませられてしまいます。
 エピソードは、西洋だけでなく東洋、アフリカやアジアなど世界中の話題が言及されます。どちらかと言うと西洋以外の話題が多いですね。テーマの内容上、原始的な部族の話題も多くなっています。
 エピソードは小粒なものが多いのですが、特に大きく扱われるのは、「僕」の先祖であるプロスペロー・グローリアに関するエピソードです。西インド諸島のある島の領事に任命されたプロスペローが、島民に捕えられて食べられてしまったというのです。その経緯と、彼がどのように食べられたのか、というところまでが、悪趣味なまでに詳細に語られていきます。

 自らの先祖が食べられてしまったエピソードを始め、食人に関わる膨大な話題を語り続ける「僕」は悪趣味な人物なのですが、対する恋人のイザベルもまた精神を偏向させた人物として描かれています。
 中国で育った彼女は、西洋において常に精神のアンバランスさを抱えており、自殺願望、そして死後には恋人に自分の体を食べてほしいという願望さえ口にするのです。
 イザベルの希望は最終的に叶えられることになるのですが、そこには予想されるような悪趣味さは少なく、むしろ象徴的で美しい表現が現れるのにも驚かされます。

 作品も面白いのですが、作者自身も興味深いです。チェンティグローリア公爵とは、本名ヨハネス・クーデンホーフ=カレルギー(1893-1965)、有名なクーデンホーフ光子の息子だというのです。解説では、この人の数奇な生涯についても記されており、こちらも面白く読むことができます。
 東洋と西洋のあわいに生まれた人物であり、そうした境遇が反映された「自伝」として読むことができるのではないかとの指摘もあり、確かにそうした要素もあるように思います。イザベルが東洋育ちであることや、語り手の「僕」がヨーロッパだけでなく、インドの血を引いていることなどは、その現れでしょうか。ただ、そうした作者に関する情報が全くない状態で読んでも、十分に異色で面白い作品になっています。

 「僕」と恋人イザベルとの倒錯した愛情、全篇にわたる食人に関するエピソードや知識…。異端中の異端ともいえる作品で、その食人に対する「情熱」に圧倒されてしまいます。語られるエピソード中では残酷趣味が多く見られる一方、主人公二人の「恋愛」には、歪んではいるものの、ある種の美しさも感じられますね。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

支配する家  シルヴィア・モレノ=ガルシア『メキシカン・ゴシック』
mekisikanngosikku.jpg
 シルヴィア・モレノ=ガルシアの長篇『メキシカン・ゴシック』(青木純子訳 早川書房)は、いわくのある一族の古い屋敷に嫁いだいとこから助けを求められた女性が、恐ろしい経験をするというゴシック・ホラー小説です。

 1950年のメキシコ、大学生活を楽しんでいた資産家の娘ノエミ・タボアダは、父親からある知らせを受けます。一年前にイギリス人の青年ヴァージル・ドイルのもとに嫁ぎ、彼が一族と共に住む廃鉱山の頂きの屋敷に移り住んだいとこのカタリーナから、助けを求める手紙が届いたというのです。
 手紙には、夫に毒を盛られ、さらに幽霊が現れるという、異様な内容が記されていました。カタリーナの様子を確かめるため、ノエミは現地の屋敷ハイ・プレイスを訪れることになります。そこは、当主ハワード・ドイル、ハワードの息子ヴァージル、姪のフローレンス、フローレンスの息子フランシスら、ドイル一族が共に住む古びた屋敷でした。一家はかって栄えた銀鉱山を経営していたものの、謎の病気で鉱夫たちが次々と死に、廃鉱を余儀なくされたといいます。
 彼らは、結核であると言い張り、カタリーナになかなか会わせてくれません。また、カタリーナを医者に診せようとするノエミに対して、ヴァージルやフローレンスはいい顔をしないどころか、ノエミの行動までをも制限しようとします。ノエミは、一族でただ一人、彼女に協力的な芸術家肌の青年フランシスに好意を寄せるようになりますが…。

 山頂の古びた屋敷に嫁いだいとこの様子を見に訪れたヒロインが、自らも屋敷に囚われてしまうことになるという、ゴシック・ホラー小説です。
 美男子のヴァージルに惹かれ、幸せな結婚生活を送っていたはずのカタリーナ。しかしノエミの再会したカタリーナは精神的な病を抱えているかのようでした。
 ドイル家のお抱え医者カミンズが信用できないノエミは、町の医者にセカンドオピニオンを確認しようとしますが、一家はノエミの行動をいちいち邪魔するかのようなのです。 屋敷に滞在しているうちに、一族にまつわる過去の惨劇や黒い噂、ドイル一族や屋敷自体が何か秘密を抱えていることを知るノエミ。やがて超自然的としか思えない現象も起きてくることになります。
 唯一まともな感性を持つ青年フランシスにノエミは惹かれていくことになりますが、彼を含め、一族の面々は、当主のハワードに支配されているようなのです。ノエミはカタリーナを救い、屋敷から脱出できるのでしょうか?

 しきたりや血筋にこだわる一族、秘密を抱えているらしい古屋敷、過去の惨劇、囚われた若妻など、ゴシック要素満載の作品で、実際、しばらくはこのジャンルらしいオーソドックスな展開が続きます。一族や家の秘密を探ろうとするノエミと、彼女を邪魔する一族たちとの心理的なサスペンスが描かれていきます。
 さらに終盤では、一転して斬新な展開が待ち受けています。それまでにドイル一族の人間たちの間で繰り返される「家から離れることはできない」「当主に支配されている」といった表現が、文字通り「真実」であったことが分かる展開には驚く人もいるのではないでしょうか。

 ドイル一族、特に当主のハワードは優生思想の持ち主で、肉体的・人種的な改良に対して深い関心を抱いています。その一方、ヒロインのノエミは混血、知的好奇心を持つ、快活で魅力的な女性として描かれています。これらの人物は対比的に描かれているようですね。
 自立心が強く、型に縛られないノエミは、たびたび伝統やしきたりを重視するドイル一族と対立することになりますが、その「伝統」や「しきたり」が、裏でおぞましい事実とつながっていたことが分かる部分には戦慄があります。
 一族の中でも、フランシスは唯一、そうした「伝統」を悪しきものと考えてノエミに同調し、容姿とは別にその精神の清廉さにノエミは惹かれていくことになるのです。

 物語が始まってしばらくは、超自然的な雰囲気を匂わせながらも、実際に起きるのはノエミが経験する幻覚的な現象ぐらいなのですが、終盤からは超自然的要素が全開となります。序盤から存在が匂わされる「幽霊」の正体も斬新で、古風なゴシック小説が現代的な形で再構築されている、ともいえるでしょうか
 「古さ」と「新しさ」が、ほど良く混ぜ合わされたホラー作品となっていますね。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

空想の大旅行  ポール・ギャリコ『セシルの魔法の友だち』
sesirunomahounotomodati.jpg
 ポール・ギャリコ『セシルの魔法の友だち』(野の水生訳 福音館書店)は、花栽培農家の娘セシルと、彼女が一目惚れしたてんじくねずみのジャン=ピエールの冒険を描いた連作集です。

 花栽培農家の娘、八歳のセシルは、ある日ペットショップで展示されていたてんじくねずみの一匹に注意を惹かれます。アビシニアから来たというそのてんじくねずみに、ジャン=ピエールと名付けたセシルは、彼を自分の家に迎えることにします。
 初対面から互いに魅了された二人は、様々な体験をすることになりますが…。

 八歳の少女セシルと、彼女のペットとなった、てんじくねずみジャン=ピエールの不思議な日常を描いた連作童話です。
 セシルが「魔法のてんじくねずみ」と考えるジャン=ピエール、ねずみである彼自身が魔法を使ったり、不思議な事を起こすわけではないのですが、ジャン=ピエールの周囲には、たびたび数奇な出来事が起こり、彼がそれに巻き込まれていくという意味で、「魔法のような日常」が描かれていきます。

 面白いのは、セシルではなく、ジャン=ピエール自身が外の世界で「冒険」をし、それを飼い主のセシルが間接的に享受する…という物語のスタイルです。第二話「ジャン=ピエール、さらわれる」では、ジャン=ピエールがセシルの家からさらわれて戻ってくるまでが描かれます。第三話「ジャン=ピエール、世界をめぐる」では、荷物を取り違えられ、世界のいろいろな場所にジャン=ピエールが送られてしまいます。また第四話「ジャン=ピエール、サーカスに入る」では、ピエロの老人と共に旅立ったジャン=ピエールがサーカスで活躍することになります。

 どのエピソードでも、セシルが家にいる間(三話では伯母の家)、ジャン=ピエールが外界で冒険を繰り返し、セシルは間接的に、その冒険を想像して楽しむ、という形が多くなっています。いわばジャン=ピエールがセシルの冒険の「代理者」となっているわけで、面白い構造の物語になっていますね。
 その意味で目立つのは、第三話「ジャン=ピエール、世界をめぐる」です。パリにある伯母の家に休暇旅行に出かける際、ジャン=ピエールを連れていきたがった
セシルは、箱の中に彼を入れ、空港の職員に念入りに頼みますが、手違いで別の場所に送ってしまいます。セシルが箱に入れていた手紙を読んだ現地の人から手紙が届きますが、行先はなんとアビシニアでした。
 それからもジャン=ピエールはまっすぐに戻ってこれず、パキスタンやタイなど、世界中を経めぐることになります…。
 ジャン=ピエールがたどり着いた世界各所から手紙が届き、セシルは世界の様々な場所に思いを馳せる…というエピソードになっています。パリの伯母の家に滞在しているセシルは、そこにある図書室の本や地球儀で、世界各地について調べて想像を繰り返すのです。セシルは各地の場所からの手紙を、ジャン=ピエールからの手紙と認識していました。
 セシル自身は家にいるものの、ジャン=ピエールが世界を飛び回り、その冒険を間接的にセシルが体験するという、不思議な味わいがありますね。

 タイトルには「魔法の友だち」とありますが、第二話から第四話に関しては、「魔法」といっても、それは比喩的なもので、実際に「魔法」が発動するのは、第一話のみです。。
 ペットショップから迎えたジャン=ピエールとセシル、二人が互いを思う余り、話ができたらいいなと考えていた際、家に伝わる古い大時計の力により、ほんの少しの間だけ、言葉が伝わる時間が発生するのです。その時間はおそらく数秒に満たず、その短い間に何の言葉を伝えるかを考えた二人が発した言葉とは…。
 非常に純粋でロマンティックなエピソードとなっています。

 ジャン=ピエールだけでなく、他にも登場する動物たちに対する目線が優しいです。動物に対する愛情も感じられるところは、動物好きだったというギャリコならではでしょうか。
 第一話を除いては、魔法や超自然的な現象が起きないのですが、物語の手触りはファンタスティックで、その読後感は「ファンタジー」に近いです。日常が「冒険」と「魔法」に満ちているという意味で、「日常のファンタジー」とでも呼びたい作品です。



テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

最近観た映画

sentineru.jpg
マイケル・ウィナー監督『センチネル』(1977年 アメリカ)

 ニューヨークで、恋人である弁護士のマイケルと暮らしていたモデルのアリスンは、しばらく一人で暮らしてみたいと考えていました。父の急死後、仲介人のローガン夫人に紹介されたアパートに住むことになります。最上階の窓からは、引退した神父ハリランがずっと外を眺めており、それを不気味に感じます。やがてアリスンは、猫と小鳥を友とする陽気な初老の男チェイズンを通して、アパートの住人を紹介されますが、皆が風変わりな人物ばかりでした。
 アパートに住むようになってから、アリスンは頭痛を始め体調不良に悩まされることになります。しかも誰もいないはずの上の階には誰かがいるようなのです…。

 原作は、ジェフリイ・コンヴィッツ『悪魔の見張り』(高橋豊訳 ハヤカワ文庫NV)。モデルのヒロインが、引越し先のアパートで次々と奇怪な体験をするというホラー作品です。
 繊細で神経の細いヒロインが日常生活で不思議な体験をするようになっていく…という物語なのですが、中盤以降から頻発する怪異現象のインパクトが強烈です。
 アリスンは、亡き父との葛藤から、かって自殺未遂にまで追い込まれた過去が示されるのですが、アパートにおいてその父の亡霊(幻覚?)と遭遇することになります。幽霊というよりゾンビといった方が近い強烈な造形で、この場面を見ていて、ここがこの作品の一番の見せ場だろうなと思っていると、さにあらず、それをさらに上回るシーンが最後に用意されています。
 テーマとしては、悪魔を扱ったオカルト作品といえるのですが、アリスンとマイケルのカップルの個人的な罪と罰、そして世界的なレベルでの危機が結び合わされており、意想外に壮大なスケールのお話になっています。
 怪物が登場するシーンに、特殊メイクをした人間ではなく、全米のサーカスや見世物、病院などから異形の風貌を持った人々を集めて撮影したということで有名な作品で、実際それらのシーンはとんでもなくインパクトがあるのですが、その他にも、全体を覆う怪奇ムード、謎が段々と明かされていくサスペンスなど、見どころの沢山ある魅力的な作品となっています。



sitaigatari.jpg
デニソン・ラマーリョ監督『死体語り』(2018年 ブラジル)

 死体安置所で解剖の仕事をしているステニオには、死体の声を聞くことができる能力がありました。ある日運ばれてきた死体はギャングの一員でしたが、彼から自分が殺される理由となった密告者のことを聞き出します。
 別の死体から、ステニオの妻オデッテがカフェの店主ジャイミと浮気をしていることを知ったステニオは、以前に聞いたギャングの情報を利用してジャイミを殺させようとします。ギャングの一味によってジャイミは殺されますが、巻き添えを食ったオデッテも殺されてしまいます。
 死者の秘密を話したことにより、ステニオは呪われてしまいます。夫を憎むオデッテの霊は、ステニオとその子どもたちに対して度々襲いかかることになりますが…。

 死体の声を聞くことができる男が、その秘密を利用して妻を間接的に殺してしまい、そのために悪霊となった妻に呪われる…というホラー作品です。
 主人公ステニオの妻オデッテは、生前から夫を悪しざまに罵るなど相当の悪女なのですが、死後に至っては強烈な悪霊となり、夫を攻めたてることになります。妻の死後、怪奇現象がステニオをこれでもかと降りかかることになるのですが、周囲からは彼は精神のバランスを崩しているようにしか見えません。子どもたちからも怖がられてしまうことになります。
 妻の浮気相手ジャイミの娘ララは、ステニオに仄かな恋心を抱いており、子どもたちの世話の手伝いもしてくれるのですが、このララや子どもたちに対して、ジャイミとオデッテの殺人の真相を話すこともできず、それがために自らの精神のバランスが狂っていると疑われながらも、家族を守ろうと奔走することになります。
 悪霊化したオデッテは、子どもを殺すことにもためらいがないようで、その狂暴な霊から、いかに子どもたちとララを守れるか、というのが見どころになっていますね。
 ステニオと死体が話すシーンは独特で、彼には死体が口を聞いているように見えています。明らかにステニオが知るはずのない情報を得ていることからも、この能力が実在していることは間違いないようです。死者の秘密を漏らしてしまったことと家族を殺したこと(この場合は妻)は、死者の世界における重罪であるようで、ステニオはそれがため呪われ、死後においても罪人であることが確定してしまったようなのです。そもそも主人公が妻に浮気されたりと、もともと非常に運の悪い男で、死後における重罪が確定した上に、生きている現在でも度々悪霊に襲撃されるという悲惨な状況で、罪を犯したとはいえ、見ていて同情したくなってしまいます。
 死体解剖部分がリアルに描写されるので、グロテスクなものが苦手な人にはきついかもしれないですね。ステニオが仕事によるプレッシャーに悩まされるシーンなどもあります。事故で大量に運び込まれた死体から、何人もの死者の声を聞き、狂いそうになってしまう…というシーンには迫力があります。
 ブラックコメディになりそうな題材なのですが、終始シリアスに展開されており、ダークな色彩が濃い作品となっています。南米の作品と言うこともあるのでしょうが、陰湿な「怖さ」がありますね。



endoresuekusosizumu.jpg
ディーデリク・ヴァン・ローイェン監督『エンドレス・エクソシズム』(2018年 アメリカ)

 勤務中のある事件をきっかけに、恋人のアンドリューとも別れ、精神を病んでしまったメーガン。友人の看護師リサの紹介で、彼女の勤める病院の遺体安置所の夜勤の仕事を始めます。それは、病院に運び込まれた遺体の写真と指紋を撮った後、安置所に移動するという仕事でした。
 順調に仕事をこなすメーガンでしたが、運び込まれてきたハンナという少女の遺体を撮影しようとしたところ、機械がエラーを起こしてしまいます。それ以降、メーガンの周辺で次々と異常な現象が発生することになりますが…。

 遺体安置所の夜勤をすることになった元警官の主人公が、謎の少女の遺体が運び込まれたことをきっかけに怪異現象に襲われるというホラー映画です。
 主人公メーガンが、かっての警察の仕事で精神を病んでいた過去があり(現在も治りきってはいません)、そのため異様な現象を目撃しても、それが幻覚でないのか確信できません。あまりに異常な現象に、やがてそれらが本当に起きていることを確信するものの、周囲の人間も彼女を信じきれない、という設定は非常に上手いですね。
 少女の死体に何があるのか、メーガンが徐々に知ることにはなるのですが、この死体に何があったのかは冒頭で視聴者には知らされてしまっているため、何も知らない主人公に何が起きるのか?といった興味の方が先に立つようにはなっています。
 ただ、遺体安置所や不気味な死体など、ムード醸成は抜群で「怖い」ホラー映画になっていますね。トラウマを抱えていた主人公が、事件を通して自らを取り戻す…という成長もの的な要素もあります。
 前半は静かな心霊ホラー、後半は派手な怪物ホラーにシフトしていくのもメリハリがあって面白いです。



zamesseizi.jpg
スコット・スピアー監督『ザ・メッセージ』(2018年 アメリカ)

 シカゴにあった加速器の爆発事故の衝撃波で、多くの人間が命を落とします。事故で亡くなった人間たちは、生前の姿を留めたまま特定の行動を繰り返す幽霊となり、彼らは通称<残存者>と呼ばれていました。
 事故から十年、高校生の少女ロニーは、母親と<残存者>となった父親と共に暮らしていました。ある日、シャワーを使っていたロニーは、目の前に見知らぬ男の<残存者>が現れ、鏡に「逃げろ」というメッセージを書き残すのを目撃して驚きます。<残存者>はただの残像であり、意思疎通などは不可能とされていたからです。
 <残存者>に詳しいと噂される転校生カークの助けを借りることになったロニーは、ロニーの家に現れる男の正体を探ろうとしますが…。

 加速器の爆発事故によって死んだ人間が、<残存者>と呼ばれる死者の幽霊となって現れ続ける世界を舞台にした、ホラー・ファンタジー作品です。
 幽霊とはいっても、生前の行動を一定の時間で繰り返す残像のようなもので、周囲の人々はすでにその現象に慣れきっています。しかし、その法則に当てはまらない新しい<残存者>を目撃したロニーと友人カークは、<残存者>の秘密を探っていくことになります。ロニーの家に出現する<残存者>が、過去の殺人事件に関わっていることが分かり、それを調べていくうちに、ロニー自身も危機に巻き込まれていくことになります。
 メインテーマとなっている<残存者>の設定がユニークです。見た目は生者と全く見分けがつきません。一定の時間、一定の行動を繰り返すと消えて、再び現れるのです。また、物理的にぶつかっても消えてしまいます。
 事故の犠牲者のみに起きている現象かと思いきや、新しい<残存者>が現れたり、事故以前に死んだらしき過去の<残存者>が出現したりと、従来の法則では説明できない現象が多発していき、事故がいったい何を引き起こしたのか?というあたりに、SF的・オカルト的な説明がされるのも面白いところです。
 大量の人間が集まっている場所で、誰が生者で誰が死者なのか分からない…というシーンがたびたび繰り返されるところもユニークですね。
 主人公のロニーとカークが、それぞれ亡き父親への思いを抱えていること。また他の登場人物たちも、亡くした家族への思いを抱えているなど、「親子愛」「家族愛」がテーマともなっていて、事実それらが主人公を救うことにもなるという展開には温かみがあります。
 その一方、<残存者>をめぐる世界観は結構不気味で、後半に明かされるその真実は、かなり壮大なもの。主人公たちの問題は最終的に解決しますが、世界そのものが変わるわけではなく、それが続いていくのだと想像すると、意想外に怖い作品となっています。死者の世界をSF的に解釈した、異色のゴースト・ストーリーとも言えるでしょうか。



somunia.jpg
マイク・フラナガン監督『ソムニア 悪夢の少年』(2016年 アメリカ)

 幼い息子ショーンを亡くした夫妻マークとジェシーは、8歳の少年コーディを養子に迎え入れます。蝶好きのコーディは、眠るのを嫌がり、蝶の図鑑を眺めてばかりいました。ある夜、夫妻の目の前に突然、大量の蝶の群れが出現し、やがて消えてしまいます。
さらに別の夜には、死んだはずの息子コーディが現れて、二人を驚かすことになります。 コーディが夢で見たものが現実に現れることを知ったジェシーは、ショーンの幼い頃に録画したDVDを見せて、コーディに息子の夢を見させようとします。マークはそんな妻の行動を批判しますが…。

 見た夢が現実化する能力を持つ少年と、彼を養子として迎え入れた夫婦を描くホラー・ファンタジー作品です。
 引き取った少年コーディの記憶にある物や人が現実に現れることを知ったジェシーは、亡くなった息子ショーンの写真や記録を見せ、その姿を再現させようとします。しかし、それはコーディを利用しているだけだとする夫マークは、妻の気持ちを理解しながらも、ジェシーの態度を批判し、二人の間にはわだかまりも生まれることになります。しかも、コーディの能力は良い夢だけでなく、悪夢もまた現実化してしまうことが分かります。
 彼自身が抱えるトラウマから眠ることを嫌がり、それがまたストレスとなって不眠を引き起こし、さらにそれが悪夢につながってしまう…という悪循環が描かれる部分は非常に上手いですね。
 コーディが見る悪夢では、奇怪な怪物が登場し、やがては現実世界に現れて、人を襲うことにもなります。この「怪物」の名前や造形の由来が、物語の設定としっかり結びついているところにも感心します。
 ジェシーは死んだ息子のトラウマを克服できるのか?また、コーディは悪夢を克服できるのか? といったところがポイントになっており、最終的には、お互いが本当の親子になれるのか?というのがテーマとなっている感じでしょうか。
 最初は美しい物や記憶を再現するだけのものだと思われていたコーディの夢が、段々と悪夢じみたものになっていくという展開は不穏です。起きているものだと思っていたのが、いつの間にか眠り込んでいたりと、このあたりは夢テーマ作品ならではの描写ですね。
 「怪物」の登場するシーンや、死んだ息子の行動が再現されるシーンなど、ところどころで不気味なシーンはあるものの、全体にファンタジーに近い味わいです。悲劇的な死がありはするものの、親子愛がテーマとなっていることもあり、後味の良い作品となっています。



huranken.jpg
バーナード・ローズ監督『フランケンシュタイン アダム・ザ・モンスター』(2015年 アメリカ・ドイツ)

 現代アメリカ、ヴィクター博士の率いる科学者チームによって、成人男性型の人造人間が生み出されます。彼の知能は赤ん坊同様であり、少しづつ言葉や思考を身につけていきます。人造人間は、科学者の中でもヴィクターの妻エリザベスを「ママ」と呼び、特に慕っていました。
 しかし、細胞の複製が上手く行かなくなったことから、美しかった人造人間の体が醜く変貌していきます。悲観したヴィクター夫妻は薬を使って彼を安楽死させようとします。死んだと思われたものの、目を覚まし、パニック状態になった彼は、科学者や警備員を殺し、外に逃走してしまいます。森に逃げ込んだ彼は、そこで食物を探しながら暮らすことになりますが…。

  メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』を原作に、その舞台を現代においてアレンジしたホラー作品です。人造人間として生み出された「モンスター」が、育ての親から捨てられ、現代社会を放浪しながら、迫害を受け続ける…という、かなりダークな雰囲気の物語となっています。
 「モンスター」の容貌は醜く、赤ん坊並の知能しかありません。しかしその腕力は常人では考えられないほどで、少し暴れただけで相手を殺してしまうほどなのです。外界で人間と接触する度に問題を起こしてしまい、それが原因でさらに迫害を受けてしまいます。
 「モンスター」本人は純真で悪意は全くないのですが、遊んでいるつもりで子どもを水に放り込んでしまったり、可愛がっていた犬を殺されて警官を傷つけてしまったりと、その行動が周囲と軋轢を引き起こしてしまいます。
 唯一、「モンスター」の友人となるのが盲目のホームレス、エディなのですが、彼との関係も、ある事件をきっかけに壊してしまうことになります。人間社会から否定された「モンスター」は、最終的には創造主であるヴィクターとエリザベス夫妻の元に向かうことになりますが、その結果も悲劇的なもの。最初から最後まで、愛を求めながらも、迫害され続けるという、救いようのない物語となっています。
 「モンスター」が振るう暴力シーンはかなり強烈です。人間離れした力が強調されており、その流血シーンも激しいもの。その一方、「モンスター」を迫害する人間の側の悪意も強烈で、暴力を振るい、時には殺そうとします。その意味で、強力な力を持ちながらも、むしろ「モンスター」の方が「被害者」的な描かれ方をされています。
 「モンスター」が受ける肉体的な迫害のみならず、精神的な孤独の描写も印象深いです。娼婦の部屋で、「ママ」への愛について語る部分は哀愁を帯びていますね。
 流血描写のほか、森で虫や動物の死骸を食べるシーンなど、視覚的にグロテスクな描写があるので、このあたりが苦手な人は観るのがきついかもしれないです。それ以上に、主人公の境遇が既にして痛々しく、精神的にも来るものがあります。
 現代で『フランケンシュタイン』の物語が展開されるなら、まさにこのような感じでは…というシリアスな秀作だと思います。ある意味、メアリ・シェリーの原作のエッセンスを上手く再現した作品ともいえるでしょうか。
 監督のバーナード・ローズは、『ペーパーハウス/霊少女』(1988)や『キャンディマン』(1992)を撮った人ですね。



ebaarasuteingu.jpg
ジェイ・ラッセル監督『エバーラスティング 時をさまようタック』(2002年 アメリカ)

 20世紀初めのアメリカ、地主で資産家の娘ウィニー・フォスターは、厳しい両親の教育に対して窮屈さを感じていました。ふと家を飛び出し、森の中に入り込んだウィニーは迷ってしまいますが、そこで木の根元の泉から湧き出ている水を飲んでいる青年と出会います。
 喉の渇きを癒そうと泉の水を飲もうとするウィニーに対して、その青年ジェシーは必死で止めようとします。その場面を目撃したジェシーの兄マイルズは、ウィニーを無理やり、彼らの家に連れ去ってしまいます。兄弟の家には、彼らの両親であるアンガスとメイのタック夫妻がいました。
 さらわれた理由をタック一家はウィニーに明かそうとしませんが、いずれ、家に無事に返すことだけは約束します。一家と暮らしているうちに、ウィニーは実家では得られなかった自由を感じ、その生活を楽しみ始めます。やがてジェシーに対して恋心を抱くようになりますが…。

  ナタリー・バビットの小説『時をさまようタック』(評論社)を原作としています。資産家で厳しい家の一人娘が、森の中で暮らす一家と生活しているうちに彼らに魅了されていく…というファンタジー作品です。
 彼らタック一家には、ある秘密があり、その秘密が知られれば世間から追われてしまう可能性があるのです。事実、すでに遠出をしていた兄弟二人は、以前に追手から追われた経験もあることが示されます。
 ジェシーと恋人関係になるウィニーでしたが、彼と一緒に生きるためには、タック一家の抱える秘密を自身も抱える必要があるのです。彼らと共に「不自然な形で」生きるのか、それとも自然のままに生きるのか、ウィニーは人生の選択を試されることになるのです。
 タック一家の秘密と、それを追う追手との争いもお話の重要な要素として登場するのですが、その部分は割とあっさり決着がついてしまいます。むしろ、その後、ウィニーが二つの人生をどう選ぶのか逡巡するという、後日談的なパートがこの映画の一番の見どころといってもいいでしょうか。「ハッピーエンド」とは異なる形ですが、ヒロインのウィニーが、自ら生きる道を選択したことが示されるラストには感動がありますね。
 映画版では、原作では幼い子どもに設定されていた、ウィニーとジェシーの年齢を引き上げ、恋愛を絡ませることによって、ウィニーの「選択」が難しくなるという、現代的なアレンジがなされています。



morugu.jpg
ウーゴ・カルドゾ監督『モルグ 死霊病棟』(パラグアイ 2019年)

 夜に車で恋人の家に向かう途中、落ちたスマホに気を取られて人をはねてしまったディエゴは、倒れた男を見捨てて逃げ出してしまいます。おびえて家に帰りますが、目覚めると勤め先の警備会社から連絡が入ります。仕事の指示で、病院の夜勤につけというのです。病院で警備についていたゴンザレスと交代したディエゴは、死体安置所を訪れますが、そこには一体の死体が寝かされていました。ゴンザレスによれば、死体の主はひき逃げされた男であり、犯人はまだ見つかっていないというのです。
 平然としたふりをして警備につくディエゴでしたが、夜を過ごしているうちに、奇怪な現象に何度も遭遇することになります…。

 ひき逃げした男が、自分が殺した男の死体が置かれた死体安置所の警備をすることになる、というホラー作品です。警備をしているうちに、何度も奇怪な現象が起こり、主人公が精神的に追い詰められていくことになります。
 前半は、ドアや物が勝手に動いたり、カメラやスマホに霊のようなものが映ったりと、地味めな怪異現象が続きます。「地味」とは言いましたが、間の取り方や雰囲気づくりなど、演出が上手いので、これがかなり怖いのですよね。実際に人間の侵入者が現れるなど、演出のメリハリが効いているので、たびたび起こる細かい怪異現象が効果を上げています。
 中盤から、主人公ディエゴが死体置き場に閉じ込められてしまうのですが、ここからが見どころです。怪異のつるべ打ちといった感じで、前半に現れていた以上の怪異現象が続きます幻覚とも実体ともつかぬ霊現象が発生しますが、このあたりの恐怖感は強烈です。基本、出るぞ出るぞ、といった前置きがあった後に実際に怪異が起きるので、身構えて観てしまうのですが、それでも怖がらせてしまう、というあたり、恐怖演出が優れているのだと思います。
 主人公ディエゴは見栄っ張りで軽薄、利己的な人物として描かれています。そうした性格描写の果てに、ひき逃げ行為が描かれるので、この人物が散々怖い目にあっても「因果応報」としか思えないようになっています。その意味で、主人公が理不尽な怪異現象に苦しめられても、あまり後味が悪くありません。
 霊に復讐されるという、お話としてはかなりオーソドックスな部類の映画です。ただ、雰囲気作りや怪異現象の演出が優れていて、飽きずに見ることができます。これだけ「正攻法」で来ても「怖い」映画はなかなかないのではないかと思います。



zigoku_.jpg
中川信夫監督『地獄』(1960年 日本)

 大学生の清水四郎は、恩師の矢島教授の一人娘である幸子と婚約し、幸せの絶頂にいました。悪友の田村の自動車に同乗していたところ、ヤクザらしき男を轢いてしまいますが、そのまま轢き逃げしてしまいます。良心の呵責に苦しめられていたところ、さらに、幸子を自動車事故で亡くしてしまいます。
 母親の危篤の報を受けて、四郎は実家に戻ることになります。父の剛造は老人保養施設「天上園」を経営していましたが、その一室に友人の画家、谷口円斎とその娘サチ子を住まわせてやっていました。サチ子と互いに好意を抱くようになった四郎でしたが、またも、四郎の前に田村に導かれるようにして、罪を重ねてしまうことになります…。

 大学生四郎が、殺人を始めとする罪を重ねて死んだ結果、地獄に落ちてしまうという物語です。四郎は善良な人間なのですが、彼の周りをうろつく悪友田村が悪魔のような人間で、彼の導きによって、次々と罪を重ねてしまうことになります。
 轢き逃げした後に自首を考える四郎に隠蔽を勧め、それが原因で、轢き殺されたヤクザの母と情婦に命を狙われてしまうことにもなります。またその因果で、四郎の周囲の人間が大量に死ぬ原因ともなってしまうのです。
 前半は、四郎を始めとした人間たちが罪を重ねていくという、非常にどろどろとした人間ドラマが展開されていきます。四郎の周囲の人物はほとんどが過去に罪を重ねてきた人間であり、善人だと思われていた矢島教授でさえ例外ではないのです。
 なかでも「罪深さ」で群を抜いているのが四郎の父親である剛造。老人ホームを経営しながらも、補助金をピンハネし、ろくな食べ物を与えなかった結果、栄養失調になった老人が死んでしまうほどの貪欲さ。重病の妻の前で堂々と妾と遊び回るという、無神経かつ鉄面皮な人間として描かれています。
 後半では、四郎を含む主要な登場人物が全て死んでしまい、そのまま地獄に落ちてしまいます。ここからがこの映画の本領で、生前罪を重ねた人間たちが、地獄で罰を受けるシーンが強烈なビジュアルと共に描かれます。
 「三途の川」や「血の池」といった地獄の場所、また、地獄の鬼による拷問、のこぎり切りの刑や皮剥ぎの刑など、罪人たちが受ける刑罰の描写も描かれています。特に皮剥ぎの刑の場面は、スプラッターそこのけのインパクトで記憶に残ります。
 前半でその罪深さが描かれていただけに、悪人たちが地獄で罰を受けるのも当然、となりそうなのですが、その刑罰が余りに強烈で、逆に同情心が湧いてしまうほどです。
 四郎に執着する田村は、超自然味の強いキャラクターで、誰も知らないはずの他人の罪を言い当てるなど、超能力的な力を発揮します。四郎を悪の道に引き込もうとする、徹底して「悪」を体現するキャラクターになっています。
 「悪魔」というべきか「メフィストフェレス」というべきか、そうしたモチーフを担っているようですね。「地獄めぐり」がメインテーマとなっている本作ですが、この悪魔的存在の田村が絡む部分は、ゴシック小説風の味わいもあります。
 1960年の映画ということで、今観ると特撮的には弱いところもあるのですが、その想像力あふれる演出で、恐怖感が感じられる作品となっています。前半は人間の罪深さが描かれる「生き地獄」、後半は文字通り「死者の地獄」が描かれるという、地獄づくしの映画です。



marigunanto.jpg
 ジェームズ・ワン監督『マリグナント 狂暴な悪夢』(2021年 アメリカ)

 妊婦のマディソンは、夫であるデレクから家庭内暴力を受けていました。既に何度も流産しているマディソンは、お腹の子どもに対する不安からデレクに反抗しますが、激昂したデレクに壁に頭を叩きつけられ出血してしまいます。危険を感じたマディソンは部屋に鍵をかけ、そのまま眠ってしまいます。
 部屋から閉め出され、1階で寝ていたデレクは、何者かに襲われ殺されてしまいます。目を覚ましたマディソンも、隠れていた人影に襲われて意識を失います。
 退院したマディソンは、白昼に悪夢を見るようになります。それは得体の知れない殺人鬼の男が、見知らぬ人々を殺害していくというものでした。殺人が現実のものだと考えたマディソンは、妹のシドニーと共に警察を訪れ、刑事のケコアとレジーナに夢の内容を話すことになりますが…。

 夫を殺され、自らも襲われた女性マディソンが、殺人鬼の犯行現場を幻視するようになる…というホラー作品です。
 奇怪な殺人鬼は、マディソンを襲った男と同一人物なのではないか? ということで、犯人を追い詰めていくサスペンス・ホラーなのかと思いきや(実際そういう話ではあるのですが)、中盤からの怒濤の展開で、開いた口が塞がらなくなってしまうという怪作です。ホラー慣れしている方であれば、犯人の正体については何となく想像がつくかとは思います。ただ、それが見抜けたところで、さらに予想を上回る展開と演出が待っているのです。
 序盤こそオーソドックスなサスペンス・ホラー風味ですが、中盤からは全く先の読めない展開になっていきます。後半では唐突に激しいアクションシーンが登場するなど、いろいろなジャンル要素が詰め込まれたホラーとなっています。
 タイトルにもある、ヒロインの「悪夢」シーンについても、現実と悪夢世界が混濁していくという斬新な演出で印象に残りますね。また、なぜマディソンが「犯人」を夢に見るのか? という部分の解釈も、合理的で納得のゆく説明がなされているところに感心します。
 観ると、いろいろ語りたくなるのですが、あまり情報を入れずに観た方が楽しめる映画だと思います。「B級ネタ」を大真面目に、スタイリッシュに構築してしまった映画で、「快作」であると同時に「怪作」でもある作品ですね。
 ミステリ、サスペンス、SF、アクション等、多様なジャンルの要素が散りばめられた、エンターテインメント要素たっぷりのホラー作品です。



the door
アノ・サオル監督『ザ・ドア 交差する世界』(2009年 ドイツ)

 画家のダビッドは、妻マヤの留守中に、不倫相手の隣人の女性ジアと会っていました。その間、目を離していた娘のレオニーは自宅のプールに落ち、ダビッドが帰宅した際には、すでに命を落としていました。
 5年後、レオニーをめぐる一件と不倫行為から、マヤに別れを告げられていたダビッドは絶望し、自殺を試みますが、友人のマックスに助けられます。
 直後に不思議な蝶に導かれて辿り着いたのは奇妙なトンネルでした。トンネルを抜けると、そこは自宅周りの場所で、しかも季節が異なっていました。周囲の環境から、そこが5年前の娘が死んだ当日であることを認識したダビッドは、自宅に急ぎ、レオニーを救出することに成功します。
 娘を休ませていたところ、本来の住人である5年前のダビッドが帰宅し、鉢合わせした二人はもみ合いになります。ダビッドは、そばにあった鉛筆で衝動的に過去の自分を刺し、殺してしまうことになりますが…。

 娘を亡くした男が、娘が生きているパラレルワールドに入り込み、その世界の自分と入れ替わって暮らそうとする…というSFサスペンス映画です。
 不倫を繰り返すなど、利己的だった主人公ダビッドが、パラレルワールドに入り込むことによって、失った娘と妻を取り戻すチャンスを得ることになります。入り込んだパラレルワールドは5年前の世界であることから、髪や格好を過去のものに似せて、その世界の住民になりすまそうとするダビッドでしたが、血痕を目撃した娘のレオニーからは「本物のパパ」ではないと疑われてしまいます。さらに庭に埋めた過去の自分の死体が見つかりそうになったり、親友のマックスに疑われたりもします。
 再び娘と妻を失うことを恐れ、「偽物」であることがばれないように、様々に取り繕うダビッドの焦燥感が描かれていき、このあたりのサスペンス感は強烈です。
 「他人のふりをする」サスペンスというのは、珍しくないと思うのですが、演じるのが「過去の自分」という点でユニークな作品になっています。隠した死体が見つかりそうになって焦るシーンというのも、この手のサスペンスでは常套ではありますが、それが「自分の死体」であるだけに、ブラックな味わいになっていますね。
 「成りすまし」がばれずにやり過ごすことができるのか? と同時に、失われた娘と妻の愛を取り戻すことができるのか? といったところもテーマになっています。身勝手な男ではあるものの、家族に対する愛情は本物であり、それを失うまいとする行動が、物語を動かす大きな要因となっています。
 後半では、パラレルワールドと本来の世界をめぐって新たな事実が示され、思いもかけない方向へ物語が進んでいくことにもなります。後半の展開は、ある種、ホラー的な興趣も強くなっており、目が離せません。風変わりな味わいのSFサスペンスとして、秀作といってよい作品だと思います。
 原作は『猫たちの聖夜』で知られるドイツの作家アキフ・ピリンチの未訳の小説『Die Damalstur』(2001年刊)です。



SAIKOGOAMAN_.jpg
スティーブン・コスタンスキ監督『サイコ・ゴアマン』(カナダ 2020年)

 8歳の少女ミミと10歳の兄ルークは、庭で遊んでいた際に、掘った穴から不思議な宝石を見つけます。それはかって宇宙を恐怖に陥れた残虐な宇宙人「悪夢の大公」を封印していた宝石でした。復活した宇宙人が宝石を持った者に逆らえないことを知ったミミは、その力を使い宇宙人をコントロールします。
 「サイコ・ゴアマン」と名付けた宇宙人と共に、ミミはやりたい放題を重ねており、ルークと両親は嫌々ながらそれに巻き込まれていました。
 一方、宇宙では「悪夢の大公」の復活を感知した者たちが討議を重ねていました。かって「悪夢の大公」を封印した「テンプル騎士団」の戦士パンドラは、人間の姿に化け、地球に潜入することになりますが…。

 破壊の限りを尽くした残虐な宇宙人を復活させた少女が、宝石の力により彼をコントロールし、やりたい放題に暴れ回る…というホラーコメディ作品です。
 宇宙人「サイコ・ゴアマン」は恐るべき力の持ち主で、素手で人間を簡単に殺せるだけでなく、奇怪な姿に変身させたりと、魔法のような力の持ち主。性格も残酷で、隙あらば目の前の生き物を殺してしまうような存在です。
 一方、ミミはいささかサイコパス的な少女で、「サイコ・ゴアマン」を全く恐れるどころか、自らの遊びのために彼の力を利用してしまうのです。この主人公ミミの破天荒な行動がこの作品の一番の魅力でしょうか。両親の言うことは聞かず、兄のルークも手下扱い。自分の利益と楽しみのために「サイコ・ゴアマン」を利用しまくるのです。最後まで徹底して「やりたい放題」を繰り返す、というのが爽快です。
 地球上の生物に対しては無敵だった「サイコ・ゴアマン」も、「テンプル騎士団」のパンドラを始め、地球外から訪れた宇宙人たちには苦戦することになります。ミミとルーク、その両親も戦いに巻き込まれてしまうことになるのですが、その過程で夫婦愛、兄弟愛、家族愛が試されることにもなっていきます。さらに家族たちと過ごしていた「サイコ・ゴアマン」の中にも暖かい感情が生まれてくるという、まるでファミリー映画のような展開にも唖然としてしまいます。
 悪ふざけの固まりのようなミミのキャラクターに眉を顰める人もいるかと思うのですが、正義の執行者を自認するパンドラも、残虐さと身勝手さでは「サイコ・ゴアマン」とそう変わるところはなく、また他の宇宙人の「偽善」も示されるなど、相対的な善悪が宇宙的スケールで表現されていき、そのあたりの正義と悪の観念も曖昧になってしまう…というあたりも面白いですね。
 観ていて笑ってしまうお話なのですが、「サイコ・ゴアマン」や他の宇宙人による殺戮シーンは強烈で、ゴア描写も容赦がないです。そうした残虐なスプラッター描写とコメディ調のトーン、そして家族愛のモチーフ、本来なら一緒にならないような諸要素が一体となっており、しかもそれらが違和感なく同居しているという怪作です。
 監督は特撮作品のファンでもあるらしいのですが、本作に登場するそうした特撮部分も、多少の安っぽさを含めて、こうしたジャンルに対する愛情が感じられるものになっていますね。
 「サイコ・ゴアマン」を始めとした、宇宙人やクリーチャーの造形も、ユニークかつユーモラスで楽しいです。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

邪悪なるものたち  ジョー・R・ランズデール『死人街道』
sininkaidou.jpg
 ジョー・R・ランズデール『死人街道』(植草昌実訳 新紀元社)は、邪悪な者を滅ぼすため、銃を持ち荒野を旅するジェビダイア・メーサー牧師の活躍を描く、ホラー・アクション小説の連作集です。

 殺されて蘇ったインディアンの魔術師の力により、町中の人間がゾンビと化す「死屍の町」、呪いにより死後も人々を襲い続ける元養蜂家の男とメーサー牧師の戦いを描く「死人街道」、封印から解き放たれた怪物によって町の人々が亡霊となった町を描く「亡霊ホテル」、異次元から召喚された怪物の恐怖を描く「凶兆の空」、坑道に住むゴブリンたちとメーサー牧師との死闘を描く「人喰い坑道」の五篇を収録しています。

 神を疑いながらも、邪悪なる者を滅ぼすことを自らの使命とし、銃を持ち、荒野を旅するジェビダイア・メーサー牧師。彼が邪悪な怪物や化け物と遭遇し、滅ぼすまでを描いたホラーアクション小説です。
 牧師は拳銃の達人で、その精度は百発百中に近いほど。恐れを知らぬ精神力で、相手が人間ならば、かなうものがいないほどなのです。しかし、彼が相手をすることになる怪物たちは、人間離れした力を持つものばかり。何度もピンチに陥りながらも、怪物たちの弱点を探し出したり、思わぬ手段で逆襲する…という展開が、サスペンスとアクションを交えて描かれていきます。
 怪物たちの造型もユニークです。拳銃の効かない怪物や、何度破壊しても再生してしまう怪物など、普通に戦ったら勝てない強力な怪物たちにどのように対抗するのか? といったあたりも読みどころになっています。

 エピソードはそれぞれ独立しており、主人公の牧師以外は、特にエピソード間のつながりはありません。毎回協力者となる人物が何人か登場し、共に戦うことになるのですが、余りに激しい戦闘によって、ほとんどの者が死んでしまう、というハードな展開となっています。
 協力者の中では、女性のキャラクターに特に脚光が当たっており、「死屍の町」に登場する医者の娘アビーや「亡霊ホテル」に登場する娼婦メアリ、「人喰い坑道」に登場する気っ風の良いフラワーなどは、印象が強いキャラになっていますね。

 邪悪な存在、その背後の闇の力が明確に存在する一方、対立する存在である「神」に関しては存在感が薄いです。実際、神に仕えるはずの主人公も、神に対する軽蔑の念をたびたび表明するなど、神を信じておらず、全体に殺伐とした世界観は、ホラーとしても魅力的ですね。かすかなクトゥルー神話風味もあって、魔導書的な「ドーシェスの書」が言及されるのも楽しいところです。

 最初に置かれた「死人街道」は200ページ弱の中篇で、これは1980年代後半に書かれたもの。他の作品は2000年代後半と、時間を置いて書かれています。ページ数の長さもありますが、「死人街道」では、メーサー牧師の苦悩や内面などについての描写も多いのに比べて、他の作品ではそのあたりの描写はあっさりとしており、アクション・エンタメ要素が強くなっています。もっとも、後半の作品では、牧師も年を取っているので、「迷いがなくなっている」という解釈も可能なのですが。

 19世紀後半のアメリカ西部が舞台になっているということで、怪物以前に、登場する人々も荒っぽいです。それゆえ人間相手に牧師が戦うことも多く、その際も容赦なく銃弾を撃ち込むなど、凄惨な殺し合いになるあたりも強烈です。
 メインとなる怪物たちとの戦いでも、全篇激しいアクションが展開され、敵味方共に次々と死者が出ます。場合によっては、自害した方が楽だという恐ろしい殺され方すらあるのです。
 スプラッターに近いほどのバイオレンス描写には好き嫌いが分かれるかもしれないですが、読んでいて痛快なエンターテインメント作品となっています。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

「悪」の誕生  ケネス・ウォーカー『箱船の航海日誌』
hakobunenokoukainissi.jpg
 イギリスの作家ケネス・ウォーカー(1882-1966)の長篇『箱船の航海日誌』(安達まみ訳 光文社古典新訳文庫)は、聖書のノアの箱舟のエピソードをモチーフに、ユーモラスに描かれた寓意的ファンタジーです。

 動物園の碩学は、その家系に伝えられてきたというアルメニアの洞窟について語ります。そこには失われた物語の詳細があるというのです。調査の結果見つかった洞窟には、膨大な壁画と文章とが記されていました。ヤフェトによって書かれたと推定される壁画には、洪水とノアの箱舟について記されていました。
 世界が洪水になることを知ったノアとその家族は、巨大な箱船を作り、動物たちをそこに避難させようと考えます。船は多くの動物たちを受け入れますが、その中には邪悪な生き物も混じっていました…。

 神による洪水によって世界が浄化され、ノアの箱船に乗った生き物のみが助かる…という聖書のエピソードを元に描かれたファンタジー作品です。
 面白いのは、驚くほど宗教色が薄いこと。ノア自身が全くといっていいほど「神」について語らないのもそうですし、登場する動物たちも同様です。作家自身も、キャラクターたちの行為にからめて神について語ることもありません。
 飽くまで箱船に乗り込んだノアの家族たちと動物たち、特に中心は動物たちで、彼らの「変化」について語られていくという物語になっています。

 洪水以前の世界では、動物たちは果実や植物だけを食べ、皆が仲良く暮らしていました。それが洪水を境に、「弱肉強食」になってしまうのです。それを引き起こしたのは「肉食」で、それを広めたの、はある「動物」でした。
 箱船にいつの間にか乗り込んでいた、スカブという動物。洪水以前の世界で、唯一肉食によって血の味を覚えてしまった邪悪な生き物とされていますが、彼によって、箱船内で、動物たちに疑念と邪心が広まってしまうのです。
 スカブも直接的に暴力を働くわけではありません。食べ物などで箱船内で不満がたまっているのを見計らい、動物たちに疑念を吹き込み、仲たがいさせるなどの手段を使います。本人は礼儀正しいふりをするなど、その行動は姑息極まりないもの。「悪魔」を思わせるキャラとなっています。

 本来ならば、ノアがスカブを断罪する立場にあるのでしょうが、彼はそうしたことはしません。神がノア一家や動物たちを見逃したように、ノアもまたスカブも見逃してしまいます。それゆえに「新世界」に悪が広まってしまう、というのは、キリスト教的な「原罪」を意識して描かれているのかもしれません。

 読み通すと、かなりシリアスなテーマを含んだ作品なのですが、物語のトーン自体はユーモラスです。人間同様、様々な性格を与えられた動物たちの行動の楽しさ、架空の動物たちのユニークな造形など、読みどころも様々です。
 架空の動物たちの中では、球体の動物フワコロ=ドン、虚弱ながら群れで暮らすクリダー、繊細な小動物ナナジュナナなどの不思議な動物たちには魅力がありますね。フワコロ=ドンはその愛嬌さで目立ちますし、ナナジュナナは物語の節目で重要な役目を果たすことにもなります。

 ユーモアもあり、非常に読みやすい物語なのですが、そこに「悪」と「罪」に対する真摯な問いかけも含まれている問題作です。宗教色が薄い代わり、上記のテーマが普遍的な形で浮かび上がってくるという点で、哲学的な味わいもありますね。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

皮肉な人生  マルセル・エイメ『壁抜け男』
kabenukeotoko2.jpg
 フランスの作家マルセル・エイメ(1902-1967)の『壁抜け男』(長島良三訳 角川文庫)は、ユーモラスでファンタスティック、時には皮肉や哀感もかいま見えるという、奇妙な味わいのファンタジーを集めた作品集です。

「壁抜け男」
 モンマルトルに住む役所の職員デュティユルは、ある日、自分に壁を通り抜ける能力があることを発見します。目立つことを好まないデュティユルは、能力を使わずに隠していました。しかし、新しく上司になったレキュイエに閑職に追いやられたデュティユルは、意趣返しとして壁をすり抜けてレキュイエをからかい、彼を病院送りにしてしまいます。 同時に能力を試したい衝動に駆られたデュティユルは、<オオカミ男>を名乗り、銀行強盗を始めますが…。
 壁を抜ける能力を手に入れた男が、その力を自らの虚栄心のために使って破滅してしまう…というブラックな幻想小説です。だんだんと大胆になり、正体を隠さなくなってしまうあたりの展開は痛快です。どんなに警備を厳しくしても、何度も脱獄してしまうシーンは楽しいですね。
 最終的には悲劇的な結末に至るのですが、それが小市民的な「不安」に起因しているところもシニカルです。

「変身」
 三人の人間を殺害した罪で裁判にかけられた男デルミューシュは死刑を宣告されてしまいます。彼には善悪の区別がつかず、好んでいたオルゴールの音を聞きたいがために、複数の人間を殺害したのです。
 司祭は、純粋にイエスの存在を信じるデルミューシュの純真さと同時に、罪の意識の無さにも驚きます。
 クリスマス前日、死刑執行のためデルミューシュの監房を訪れた一団は、そこにデルミューシュがおらず、赤ん坊がいることに気づきますが…。
 残虐な殺人を犯しながらも、その心は子どものように純真な男デルミューシュ。彼は何らかの「奇跡」によって赤ん坊になってしまいます。記憶も失い、赤ん坊になってしまった死刑囚の罪を裁くことは可能なのか…? という問題作です。
 赤ん坊になってしまった男に罪はない、という意見もあれば、同一人物である限り罪は消えない、という意見もあるのです。そもそも「罪」とは何なのか? ということまで考えさせられてしまいます。そもそも純粋さや信仰心ということであれば、デルミューシュは人一倍「善人」であるといってもいいのです。
 「クリスマス・ストーリー」でありながら、単純なハッピーエンドには終わらないという、異色の「奇跡譚」といえるでしょうか。

「サビーヌたち」
 モンマルトルに住むサビーヌという若妻には同時存在の能力がありました。自分の体の分身をいくらでも作り出すことができたのです。夫のアントワーヌと暮らしながら、画家の卵の青年テオレームに夢中になったサビーヌは彼のために尽くしていました。
 テオレームのためのお金がなくなったサビーヌは、分身を作り富豪のバーベリ卿と結婚してしまいます。
 味を占めたサビーヌは、次々と富豪と結婚しお金を増やします。さらに数万人単位に増えたサビーヌたちは、それぞれ愛人を作りますが…。
 分身をいくらでも増やせる能力をもつ若妻が、分裂して次々と愛人を作るという、アンモラルなファンタジーです。分身たちは「同期」しているようで、肉体的・精神的に影響が共有される、というのも面白いところです。
 それでいて、良心の呵責や罪の意識から善行をしようとする一派がいるかと思えば、欲望の限りを尽くす一派もありと、同じ「サビーヌ」の中でも方向性が違ってくる、というのもユニークですね。ある種、下世話な浮気話が、壮大なスケールの話になってしまい、読んでいて唖然としてしまいます。

「死んでいる時間」
 その男マルタンは、奇妙な存在の仕方をしていました。二十四時間ごと、二日に一日しかこの世に存在しなかったのです。まともな仕事にもつけないマルタンは、ひっそりと暮らしていましたが、ある日アンリエットという美しい娘と出会い、恋人になります。
 しかし一日ごとに姿の消えるマルタンに対して、アンリエットの愛情は覚めていきます…。
 一日おきにしか存在しない男という、とんでもない設定のファンタジー小説です。なのですが、そのファンタスティックな設定が、恋人との愛情問題(やがては浮気)という部分に終始してしまうことになるのは、エイメならではですね。
 ただ、主人公マルタンの、自分が存在していない間の時間や世界に対する存在論的な不安であるとか、個人的・社会的な時間間隔の差について描かれる部分は独特で、読み応えがあります。

「七里のブーツ」
 掃除婦をしているジェルメーヌとその息子アントワーヌは経済的に苦しい生活をしていました。アントワーヌを含めた子どもたちは、乱暴者のフリウラと一緒に遊んでいる際に、穴に落ち怪我をしてしまいます。
 変わり者の老人が経営する骨董店に飾られた「七里のブーツ」を本物と思い込んだ子どもたちは、それを欲しがっていました。入院中に親たちにブーツねだる子どもたちを見て羨んだアントワーヌは、アメリカにいるという資産家の伯父の話をでっちあげてしまいます…。
 「七里のブーツ」を欲しがる子どもたちが描かれた、感性豊かな少年小説です。基本リアルなタッチで描かれており、「ブーツ」も魔法の品物ではない、象徴的なものなのだと思いながら読んでいくと、もしかしたら本物なのかも…と思わせるところが上手いですね。結末の情景はファンタスティックで美しいです。
 母親に真摯な愛情を注ぎ、しかし貧乏であるがゆえに嘘をついてしまう。主人公の少年アントワーヌの心情が説得力豊かに描かれています。
 骨董店の主人の老人のキャラクターも独特です。剥製の鳥に一方的に話し続けたり、まともに会話が通じなかったりと、奇人そのもののキャラクターなのですが、見方を変えると魔法の品物を持っていてもおかしくない存在とも見えるのですよね。
 「七里のブーツ」が本物だったのか否かは、読む人によって変わってくると思います。懐の広い大人のファンタジー作品です。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

闇と眠り  山吹静吽『夜の都』
yorunomiyako.jpg
 山吹静吽の長篇『夜の都』(KADOKAWA)は、東洋の島国を訪れた14歳の少女ライラが、魔女と出会いその魔術に魅了されるという、ダーク・ファンタジー作品です。

 言語学者である父ジェレマイアと継母ローズと共に、東洋の島国を訪れることになった14歳の少女ライラ・フォーサイス。継母との仲も上手くいかず鬱屈した思いを抱えていたライラは、その早熟さとプライドから、ホテルで出会った同国人たちとも反目してしまいます。
 同宿の男性コヴァックスに挑発されたライラは、現地の聖地とされているらしい、ホテルのそばの古い祠を訪れることになります。石窟の中に井戸を見つけたライラはその中に何か光るものを目撃します。ふと出会ったホテルのオーナーの老婦人トキから、井戸の由来を聞くものの、その挑戦的な態度から、彼女とも反目してしまいます。
 突然気を失ったライラは、いつの間にか周りが真っ暗な世界に入り込んでいました。現れた建物の中で舞踏会が行われているのを見たライラは夢だと考えますが、突如鳴り出した電話に出ると、それは美しい女性の声でした。
 「禍の魔女クダン」と名乗る女性は、「月の姫」より直々に眠りの魔術を授かった存在であり、ここはかって地上に降った神「月の姫」の所領である星の界の異界であるというのです。そしてライラが見ていた情景は「眠りの砂」を浴びたために作り出された幻影だとも言うのですが…。

 父母と共に訪れた東洋で、異界に住む魔女に出会い、その魔術に魅了されていく少女を描いた、ダーク・ファンタジー作品です。
 ライラは、14歳ながら早熟で、様々な学問にも長けた少女。女性の権利にも関心を持っており、旅先で出会った男性から侮られると喧嘩腰になってしまうなど、感情的な性格でもあります。
 異界に入り込み、そこに住む魔女クダンと出会ったことから、眠りの魔術を習うことになります。それにより、現世には生者とは異なる亡者の世界が広がっていることを知り、彼らと関わらざるを得なくなっていくのです。
 最初は、知的好奇心とある種の虚栄心から魔術を学習し始めるものの、やがてその魔術の行使には代償があることを知るライラ。代償を払ってでも魔術に深入りするのか、日常世界に戻るのかの選択を迫られることになります。声だけでしか接触してこないクダンの正体も皆目分からず、深入りするほど自らの命の危険さえ増していきます。

 破滅的なカタストロフを迎えたときに、「魔術」と「日常」、そして「夢」と「現実」のどちらを選ぶのか? というのも大きなテーマになっているようですね。魔術に関わりあう過程で、東洋と西洋、文明と伝統、正気と狂気、様々な葛藤にヒロインが悩むという、少女の「成長物語」ともなっています。
 登場する魔術や世界観も魅力的です。異界の力を借りて死者を祓う魔術、そして永遠の夜の異界。異界やクダンの秘密が徐々に明らかになる展開にも驚きがあります。終盤では魔術合戦的な趣向もあり、魔術による効果が視覚的にも美しく描写されています。
 いわゆる「魔法少女もの」に近いタイプの物語なのですが、勧善懲悪とは程遠く、「敵」と「味方」どころか、「夢」と「現実」が混沌とし、相対化されていきます。夢幻的な世界観で展開される、ひたすら美しい作品です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

お化けと人生  後谷戸隆『お化けのそばづえ』
<obakenosobadue.jpg
 後谷戸隆の長篇『お化けのそばづえ』(ドワンゴ)は、幼い頃から“真っ黒なお化け”に憑かれた青年を描く、オカルト・ホラー作品です。

 須磨軒人は、幼い頃から日常的に「お化け」を目撃していました。真っ黒な人の顔のようなものを何度も見ていたのです。住んでいたアパートを引っ越してもそれは続き、周囲での幽霊の目撃談や異常者による殺人の発生までもが発生していました。
 成長した軒人は、彼の過去を受け入れてくれる女性と出会い結婚します。子どもの妊娠が分かった頃、落ち着いてきていた「お化け」現象が多発するようになります。軒人は家族を守るため、霊能力者に相談することになりますが…。

 幼い頃から「お化け」に悩まされる青年が、妻子のためにその現象を止めようとする、というオカルト・ホラー小説です。この「お化け」による被害は結構なもので、本人が怪奇現象を体験するのはもちろんのこと、周囲にも悪しき影響を与えているようなのです。軒人本人も、やがてはとり殺されてしまうのではという、本能的な恐怖を感じていました。
 「お化け」の恐怖感は強烈で、純粋な怪異現象の部分でも命の危険があるほか、それによる間接的な影響で狂った人間に襲われるなど、物理的な危険さえあるのです。そうした境遇に対する怒りの念はあれど、あまりの恐怖感により、成人して後も「お化け」に対する恐怖で何もできなくなってしまう…という描写には説得力がありますね。一方、そうした軒人を受け入れる妻、羽月も、包容力のある魅力的な女性として描かれています。

 後半では、霊能力者の助けを借り、「お化け」を祓おうとする試みが描かれるのですが、過去の先祖や一族にルーツをたどることになるという部分には伝奇ホラー的な味わいもありますね。また、通常の「憑き物」とは異なる軒人の「症状」に対して、現状と対策を考えていくという展開には、オカルト的なものではあれど「理詰め」の面白さがあります。

 主人公の軒人は、幼い頃からの「お化け」現象による恐怖から、ほぼ無抵抗で逃げるだけ、というような状態になってしまっています。全篇にわたって、一方的に不条理なまでの被害を受け続けるわけで、読者としては早く平穏になってほしいと思いながら読むかと思います。ですが本当に最後の最後まで事態は落ち着かず、結末の予想もつかないという意味で、非常にサスペンスのある作品ともなっています。

 主人公軒人とその両親、妻羽月との関係など、親子間、夫婦間の関係性が丁寧に描かれているところも魅力です。特に軒人の父親像が作中で変遷していく部分は読みどころですね。「お化け」をめぐって、前半では家族の「崩壊」、そして後半ではその「理解」が描かれるという点で、家族小説の趣もあります。

 メインとなる怪異「真っ黒なお化け」の得体の知れなさは強烈で、特に、その由来や経緯が不明である前半での怖さには結構なものがあります。後半ではその由来が何となく分かるのですが、そちらはそちらでおぞましさが増しており、どちらにしてもその「邪悪さ」はインパクト充分です。

 軒人の協力者となる霊能力者たちが、それぞれの得意分野で事件に当たるというのも面白いです。形の違いはあれど、それなりのルールにのっとって行動するのですが、怪異現象ではあれど、それらへの対抗手段が「理詰め」なのですよね。
 また、それでも対応しきれない怪異、そしてさらに上の対抗手段が出てきたりと、そのエスカレート具合が描かれる部分も、ホラーとして読み応えがあります。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

伝えたい思い  ペニー・ジョエルソン『秘密をもてないわたし』
himituwomotenaiwatasi.jpg
 ペニー・ジョエルソンの長篇『秘密をもてないわたし』(河合直子訳 KADOKAWA)は、脳性まひで全く動けず話せない少女が、殺人犯の秘密を知ってしまう…というサスペンス作品です。

 脳性まひによって、体が全く動かせない14歳の少女ジェマは、里親の両親のもとで暮らしていました。有能な介護ヘルパーの女性サラの助けで、日常生活が楽になり、両親は新たに自閉症の少年フィンと問題の多い少女オリビアも引き取っていました。
 サラが付き合い始めたボーイフレンドのダンは、サラを迎えに、度々ジェマの家を訪れますが、恋人の前では見せない冷たい面をジェマの前では公にします。ある時ジェマは、隣家の息子ライアンが殺された事件について、ダンが、自分が犯人であるような言葉を発したのを耳にします。
 ジェマは、そのことについて家族やサラに伝えたいと考えますが、伝える手段がありません。さらにサラが、ダンとは別に、前の恋人リチャードともまだつきあいが切れていないことを知ったジェマは、それがダンに知られたら、サラに危険が及ぶのではないかと危惧していました…。

 脳性まひで全く他人とコミュニケーションを取れない少女が、殺人犯の秘密を知ってしまいますが、そのことを周囲に伝えることができず、その間にも新たな事件が発生してしまう…というサスペンス作品です。

 主人公ジェマは、重度の病気のため、体はおろか話もできない少女です。コミュニケーションが取れないことに加え、まともに意識もないのではないかと考える人もおり、そのため彼女の前では、他人に言えない秘密を漏らす者もいるのです。ダンも、ジェマがまともに意識がないと判断し、自らの秘密を漏らすことになります。
 自分の愛するヘルパーのサラ、そして自らにも危険が及ぶのではないかと、ジェマは不安に囚われることになります。彼女は、ダンの秘密を何らかの手段を使って家族や周囲に伝えることができるのか?といったところに、サスペンスがありますね。

 動けない少女が秘密を伝えることができない…というサスペンス上のテーマと共に、この作品の魅力となっているのが、病気の少女の内面が、感性豊かに描かれているところです。
 日常生活の不便さや、具合が悪くても人に伝えることができないつらさ、その一方で、家族と共に過ごせる喜びや、義理のきょうだいたちやヘルパーのサラに対する愛情。父や母が苦しんでいるときには、手伝ったり、声をかけられないことに、自らに不甲斐なさを覚えたりもします。植物状態とも思われてしまう客観的な状況とは裏腹に、その内面は傷つきやすく、愛情深い少女がいることが示されていきます。
 後半、ジェマがコミュニケーションを取るためのある手段が見出され、それにより事態が変わっていくという展開も面白いです。それにより、犯人のジェマに対する態度が変わるのと同時に、きょうだいたちや両親、サラとの関係も変わっていきます。全てがいい方向に行くわけではないのですが、少なくともジェマの「成長」にとってはプラスになっていく、というあたりには、ちょっとしたほろ苦さもあります。

 著者は、重度障害者の支援活動をしていたことがあるそうで、そうした障害のある子どもたちへの視線が優しいのですよね。かといって、安易な同情を寄せるわけでもありません。困難に満ちたリアルな日常を描く一方、そうした生活の中にも生きる喜びがある、という面で、非常にバランスの取れた作品となっています。
 困難な状況にありながら、主人公ジェマの生きる意志と意欲が力強い筆致で描かれており、読み味の良い作品といえるでしょうか。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

どす黒い物語  曽根圭介『腸詰小僧 曽根圭介短編集』
tyoudumekozou.jpg
 曽根圭介『腸詰小僧 曽根圭介短編集』(光文社)は、残酷な悪人が登場する、ダークでブラックな作品ばかりを集めた作品集です。

 ソーセージにするために何人もの人間を殺した殺人鬼”腸詰小僧”のインタビューに成功したライターが、被害者の父親から面会を求められるという「腸詰小僧」、DVやストーカーを扱う探偵社のために「完全解決」を図る恐るべき男を描いた「解決屋」、介護の仕事中に認知症の老人から殺人事件の真相を聞き出した女性の物語「父の手法」、児童ポルノ犯罪を追う特捜班と友人の虐待を訴える少年を描いた「天誅」、裏切られた元妻に怒りを覚える男が、セラピーで出会った女性にある団体に参加するように誘われる「成敗」、死刑囚として服役中の息子の命を助けようと奔走する母親を描いた「母の務め」、娘の留守中に家にやって来た恋人らしき男と父親のやり取りを描いた「留守番」の七篇を収録しています。

 どの短篇でも悪人が登場し、残酷な行為や犯罪を行います。その意味では後味が悪いはずなのですが、そこにブラックなユーモアと意外な捻りが加わっているため、妙な爽快感が感じられるという、ダークながら痛快な作品集となっています。

 作品の序盤に登場する、メインとなりそうなモチーフがそのまま展開されず、だんだんとずれていってしまう、という作品も多く、読んでいて唖然としてしまいます。表題作「腸詰小僧」は特にその傾向が強いです。
 女性をソーセージにしてマスコミに送りつけ、全国を震撼させた殺人鬼”腸詰小僧”。未成年だったことから、施設を出所後、更生して働いていました。独占インタビューに成功したライターの西嶋は、ある日”腸詰小僧”の被害者だった女性の父親楢崎の訪問を受けます。楢崎の熱意に負け、犯人とのインタビュー録音を聞かせてしまった西嶋でしたが…。
 娘を殺した犯人に怒りを燃やす父親が、何かしでかしてしまうのでは…と予想する読者が多いと思います。実際、それは間違ってはいないのですが、それがとんでもない方向で結実してしまうという展開にびっくりします。タイトルの「腸詰小僧」、そしてこの殺人鬼の存在そのものがミスリードを誘うという痛快作です。

 全く予想のつかない方向への展開、という点では「母の務め」も面白いですね。
 死刑囚として収容中の息子の純をたびたび面会に訪れていた母親の美千代。会社を経営していた夫は息子の事件をきっかけに仕事を止めた後、末期癌に侵され、娘の陽子は結婚が破談にされ、姿を消してしまっていました。
 共犯者に巻き込まれただけだと信じる美千代は、息子の命を救うため必死で方策を考えますが、有効な方法は思いつきません。
 一方、母子家庭で育った西本文彦は、勤める弁当会社にアルバイトとして入社した若い女性、斉藤美香に思いを寄せますが、彼女に裏切られ衝動的に殺害してしまいます…。
 死刑囚の息子を救おうとする母親と、女性を殺害してしまった男性、二つの物語がどうつながるのか、というところで、思いもかけない展開になるのですが、二つの物語の合流の仕方が斜め上からで、驚かされてしまいます。この展開の予測がつく人は、そうそういないんじゃないでしょうか。

 他の収録作も、多かれ少なかれ、ストーリー上の捻りとひっくり返しが多用されています。その技巧の見事さと、まぶされたブラック・ユーモアの味付けで、本来後味が悪いであろう題材が「爽快」に読めるのが魅力でしょうか。「ふてぶてしさ」に溢れた「どす黒い」短篇集です。


テーマ:読書 - ジャンル:小説・文学

ポータブルな人々  エンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』
potaburubungakusyousi.jpg
 エンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』(木村榮一訳 平凡社)は、「ポータブル文学」を目指す秘密結社シャンディをめぐって、様々な作家や芸術家が登場するという、前衛的な味わいの作品です。

 秘密結社シャンディの構成員は、次の三つの条件を満たす必要がありました。作品は小型でトランクで持ち運べるようなサイズであること、高度な狂気を持つこと、無責任な子どものように行動し、独身者でありつづけること。
 「ポータブル文学」を目指しシャンディに集った、様々な作家たちの行状を「文学史」の体で語った、という体裁の小説作品です。

 マルセル・デュシャン、ヴァルター・ベンヤミン、ヴァレリー・ラルボー、アンドレ・ベールイ、アレイスター・クローリー、マン・レイ、フランシス・ピカビア、スコット・フィッツジェラルド、ジョージア・オキーフ…。現代に名を残す作家、画家、作曲家などの芸術家たちが、秘密結社シャンディの一員として活躍したエピソードが次々と語られていくという体裁で、ストーリーらしいストーリーはない作品です。
 シャンディという名前は、ローレンス・スターンの前衛的な小説『トリストラム・シャンディ』に由来するものです。この秘密結社にしても、本のテーマとされる「ポータブル文学」にしても、いろいろとそのコンセプトや哲学について語られてはいるのですが、正直その本質ははっきりしません。
 軽量級で前衛的な芸術活動の総称、みたいに捉えてもよいと思うのですが、そうした活動に勤しむ芸術家たちのエピソードが次々と語られていきます。
 ただ、もともとの「シャンディ」や「ポータブル文学」が曖昧な概念なので、自然それぞれのエピソードの物語性も薄くなっており、一概に「こういう内容の本」と説明するのが難しくなっています。それでは、あまり面白くないかというと、読んでいる間、これがなぜか結構面白いのですよね。

 要約してしまうと、風変わりな人物たちが、良く分からない奇矯な活動をしているエピソード集、といってもいいかと思います。やたらと沢山の芸術家たちが登場するので、実名の人物を使ったフィクションなのかと思いきや、解説によると、意外にその活動の裏付けについてはしっかりしているのだそうです。
 有名な人物に混ざって、あまり聞いたことのない人物も登場し、これは日本ではたまたま有名でない人なのか、それとも虚構の人物なのかが分からなくなるあたりも、奇妙な味わいです。
 巻末に、登場する芸術家一覧がついており、これを見ると、やはり虚構の人物も結構混ざっているようで、人を食っていますね。

 フィクション的な部分としては、カフカやマイリンク作品に登場する「オドラデク」や「ゴーレム」が比喩的キャラクターとして使われており、これらの部分のエピソードは幻想性が高いですね。
 個人的に面白く読んだのは、自殺に取りつかれたジャック・リゴー、完璧主義者のカール・クラウスと彼を憎んで誤植を発見してやろうとするリトバルスキー、アフリカ民話をでっちあげたブレーズ・サンドラールなどのエピソード。このあたりは物語性も強いエピソードとなっています。

 本全体のテーマからして、重厚な文学的意図のもとに書かれた作品ではないので、気軽に面白いところだけを楽しめばいい本だと思います。文学に「軽み」を取り戻すための前衛芸術家たちのシュールなエピソード集、として読むと、なかなか楽しめる本ではないでしょうか。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

2022年4月の気になる新刊
発売中 ダイアン・クック『人類対自然』(壁谷さくら訳 白水社 3300円)
4月6日刊 三島由紀夫『復讐 三島由紀夫×ミステリ』(河出文庫 予価792円)
4月11日刊 レオ・ペルッツ『テュルリュパン ある運命の話』(垂野創一郎訳 ちくま文庫 予価990円)
4月11日刊 スザンナ・クラーク『ピラネージ』(原島文世訳 東京創元社 予価2640円)
4月12日刊 ロバート・ルイス・スティーヴンスン『臨海楼綺譚 新アラビア夜話第二部』(南條竹則訳 光文社古典新訳文庫 予価1078円)
4月12日刊 タリアイ・ヴェーソス『氷の城』(朝田千惠、アンネ・ランデ・ペータス訳 国書刊行会 予価2640円)
4月15日刊 マグナス・ミルズ『鑑識レコード倶楽部』(柴田元幸訳 アルテスパブリッシング 予価1870円)
4月16日刊 エド・サイモン『アートからたどる悪魔学歴史大全』(加藤輝美、野村真依子訳 原書房 予価4950円)
4月20日刊 グレイディ・ヘンドリクス『吸血鬼ハンターのための読書会』(原島文世訳 早川書房 予価3190円)
4月21日刊 遠藤周作『怪奇小説集 恐怖の窓』(日下三蔵編 角川文庫 予価858円)
4月25日刊 スタニスワフ・レム『マゼラン雲』(後藤正子訳 国書刊行会 予価2970円)
4月25日刊 E・T・A・ホフマン『ホフマン小説集成 上』(石川道雄訳 国書刊行会 予価7700円)
4月29日刊 モーリス・ルヴェル『地獄の門』(中川潤編訳 白水Uブックス 予価2200円)
4月29日刊 ドニ・ディドロ『運命論者ジャックとその主人 新装版』(王寺賢太、田口卓臣訳 白水社 予価4400円)


 レオ・ペルッツ『テュルリュパン ある運命の話』は、17世紀を舞台に、町の床屋が陰謀に巻き込まれるという伝奇歴史小説とのこと。これは面白そうですね。

 スザンナ・クラーク『ピラネージ』は、巨大な建物の世界で孤独に暮らす男を描いた幻想小説。気になりますね。

 ロバート・ルイス・スティーヴンスン『臨海楼綺譚 新アラビア夜話第二部』は、『自殺クラブ』の訳題でも親しまれている『新アラビア夜話』の第二部です。いくつかの短篇がまとまっていますが、この形で邦訳されるのは珍しいのではないでしょうか。

 グレイディ・ヘンドリクス『吸血鬼ハンターのための読書会』は、以下のようなお話。 「 アメリカ南部の高級住宅街に住むパトリシア。彼女の忙しい毎日の息抜きは、主婦仲間との連続殺人ノンフィクションの読書会だ。だがある晩、近所の嫌味な老婦人が血まみれでアライグマの死骸をむさぼっているのに遭遇し――不安と興奮に満ちた傑作吸血鬼ホラー 」
 ちょっと変わった吸血鬼小説のようです。

 E・T・A・ホフマン『ホフマン小説集成 上』は、名訳者として知られる石川道雄訳のホフマン作品を集成した作品集の上巻。アルフレート・クービン、フーゴー・シュタイナー=プラーグ、谷中安規などの挿絵も収録した豪華函入愛蔵版とのことで、これは欲しいかも。

 モーリス・ルヴェル『地獄の門』は、以前より同人出版の形でルヴェル作品の邦訳を手掛けていた中川潤編訳になる、ルヴェル短篇の新訳作品集です。同人版にはなかった作品も入っているそうです。

怪奇幻想読書倶楽部 第32回読書会 参加者募集です
okanoyasiki.jpg kowaiie.jpg

※こちらの読書会、定員になりましたので締め切らせていただきました。

 2022年4月29日(金・祝)に「怪奇幻想読書倶楽部 第32回読書会」を開催いたします。若干名の参加メンバーを募集しますので、参加したい方がおられたら、メールにて連絡をいただきたいと思います。
 連絡いただきましたら、改めて詳細をメールにてお送りいたします。

お問い合わせは、下記アドレスまでお願いいたします。
kimyonasekai@amail.plala.or.jp


開催日:2022年4月29日(金・祝)
開 始:午後13:30
終 了:午前16:30
場 所:JR巣鴨駅周辺のカフェ
参加費:1500円(予定)
テーマ:幽霊屋敷の恐怖
第一部 課題書 シャーリイ・ジャクスン『丘の屋敷』(渡辺庸子訳 創元推理文庫)
第二部 課題書 ジョン・ランディス編『怖い家』(宮﨑真紀訳 エクスナレッジ)


※「怪奇幻想読書倶楽部」は、怪奇小説、幻想文学およびファンタスティックな作品(主に翻訳もの)についてのフリートークの読書会です。
※対面型の読書会です。
※オフ会のような雰囲気の会ですので、人見知りの方でも安心して参加できると思います。
※「怪奇幻想読書倶楽部」のよくある質問については、こちらを参考にしてください。

 今回は、海外の幽霊屋敷テーマ作品を取り上げます。シャーリイ・ジャクスンの長篇『丘の屋敷』とアンソロジー、ジョン・ランディス編『怖い家』で、様々な幽霊屋敷テーマ作品について考えていきたいと思います。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
twitter上でも活動しています。アカウントは@kimyonasekaiです。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」も主宰してます。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド 増補版』『奇妙な味の物語ブックガイド』『海外怪奇幻想小説ブックガイド1・2』『謎の物語ブックガイド』『海外ファンタジー小説ブックガイド1・2』『奇想小説ブックガイド』『怪奇幻想映画ガイドブック』を刊行。「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」も作成しました。



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する