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怪奇幻想読書倶楽部 第29回読書会 参加者募集です
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※追記 定員になりましたので、参加者募集は締め切らせていただきます。

 2021年12月26日(日曜日)に「怪奇幻想読書倶楽部 第29回読書会」を開催いたします。若干名の参加メンバーを募集しますので、参加したい方がおられたら、メールにて連絡をいただきたいと思います。
 連絡いただきましたら、改めて詳細をメールにてお送りいたします。

 お問い合わせは、下記アドレスまでお願いいたします。
 kimyonasekai@amail.plala.or.jp

 今回は少人数開催での予定のため、早めに募集を終了させてもらう場合があります。

開催日:2021年12月26日(日曜日)
開 始:午前9:00
終 了:午前12:00
場 所:JR巣鴨駅周辺のカフェ
参加費:1500円(予定)
テーマ:
第一部 課題書 エリック・マコーマック『隠し部屋を査察して』(増田まもる訳 創元推理文庫)
第二部 本の交換会

※「怪奇幻想読書倶楽部」は、怪奇小説、幻想文学およびファンタスティックな作品(主に翻訳もの)についてのフリートークの読書会です。
※オフ会のような雰囲気の会ですので、人見知りの方でも安心して参加できると思います。
※「怪奇幻想読書倶楽部」のよくある質問については、こちらを参考にしてください。


 第一部のテーマは、課題書として、エリック・マコーマック『隠し部屋を査察して』(増田まもる訳 創元推理文庫)を取り上げます。高い文学性と共に、既存のジャンルにあてはまらない<奇妙な味>の秀作が集められた短篇集です。読者の想像力に任せられた部分も多く、話し甲斐のある作品集ではないでしょうか。

 第二部は、本の交換会を行います。処分してもよい本を持ち寄り、交換する会です。持ち込む本の種類や冊数は自由です。特に持ってくる本がなければ、無理に持ってこなくても大丈夫です。もらうだけでも構いません。

極限の戦い  ロブ・ホワイト『マデックの罠』
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 ロブ・ホワイトの長篇『マデックの罠』(宮下嶺夫訳 評論社)は、罪を着せられ、裸で砂漠に放り出された青年のサバイバルを描くサスペンス小説です。

 砂漠でビッグホーン(オオツノヒツジ)狩りをしたいという資産家の男マデックのガイドを務めることになった大学生の青年ベン。横柄で金の力を過信するマデックにベンは嫌悪感を抱きますが、学費を稼ぐためと割り切り、彼の要求に従うことになります。
 猟の最中、マデックは誤って山師の老人を射殺してしまいます。事故を隠蔽しようとするマデックにベンは反対しますが、腹を立てたマデックは銃でベンを脅迫します。持ち物はおろか、服や靴までをも奪われたベンは、灼熱の砂漠に放り出されてしまいますが…。

 事故(過失致死に近いですが)の隠蔽の協力を拒んだことから、脅迫され、生命の危機にまで追いやられた青年のサバイバルと逆襲を描いたアクション・サスペンス小説です。
 マデックは、金の力で何でもできると思っている横柄な男です。恐ろしく頭が回り、事態が自分の思い通りにならない場合、残酷なことを実行するのにもためらいがありません。ベンが正直者であり、賄賂が通じないと分かった途端に脅迫を始め、その効果が怪しいと判断したマデックは、ベンを殺そうとし始めるのです。
 しかもその手段は残酷かつ執拗。食料や水、服や靴までを奪い、ほぼ裸の状態で砂漠に放置するのです。しかも、側で監視し、ベンが逃げ出したり水を手に入れられないように、邪魔し続けるという徹底したもの。限界状況でのサバイバルという題材の作品は、他にも多々あると思いますが、ここまで徹底して過酷な設定はなかなかないのでは。

 ガイドができるほどに砂漠に習熟したベンが、その知識と技術を用いて、マデックを出し抜けるのか?というのが読みどころなのですが、そう上手くはいきません。マデックがことごとく邪魔をし続け、そのあくどさには唖然としてしまうほど。このマデック、銃の名手で百発百中。殺そうと思えばすぐにでもベンを殺せるのですが、それをせず、ベンが生き延びようとする行動を邪魔します。飽くまでベンが渇水死、もしくは衰弱死するまで追い込もうというのです。
 道具もろくなものがなく、酷暑で体も衰弱してゆくという極限状態で、ベンが生き延びるために様々な試みをしていく過程が、サスペンス豊かに描かれます。山師によって隠されていた道具を手に入れたり、植物を上手く使ったり、小動物で飢えをしのいだりと、純粋なサバイバル部分だけでも相当に面白いですね。

 後半では、直接的に命を狙い始めたマデックに対し、ベンがいかに反撃するか、と言う部分でもスリリングな味わいがあります。ヤングアダルト向けの作品ではあり、主人公ベンが逆襲に転じるだろうことは予測がつくのですが、その逆襲がなされた後にも、さらにマデックの再逆襲がなされ、最後までハラハラドキドキ感が止まりません。
 敵となるマデックが、情状酌量の余地がないほどの徹底した悪役なので、主人公がいかに敵に打ち勝つか、というところに集中できるシンプルな作りの物語になっています。これほど憎たらしい悪役に出会ったのは久しぶりでした。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

怪談を探して  新名智『虚魚(そらざかな)』
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 新名智の長篇『虚魚(そらざかな)』(KADOKAWA)は、「人を殺せる怪談」をめぐって展開されるホラー・ミステリ小説です。

 怪談師を生業とする三咲は、幼い頃に両親と共に自動車事故に遭い、両親を亡くしていました。事故の原因となった男を憎む三咲は、彼を殺すために「体験した人が死ぬ怪談」を探し続けており、その過程で怪談師ともなっていました。
 知り合った少女カナが、呪いか祟りで死にたいと考えていることを知った三咲は、互いの合意のもと、カナを怪談の実験台とすることにします。
 ある日、釣り上げた人が死んでしまう魚がいる、という噂を聞いた三咲とカナは、その話を調べるうちに奇妙な怪談の連鎖に巻き込まれていくことになります…

 親の仇と恨む男を殺すために、体験した人が死んでしまう怪談を探す三咲と、自ら呪いか祟りで死にたいというカナのコンビが、釣り上げると人が死んでしまう魚がいる、という怪談を知ったことから、その謎を追っていく…というホラー・ミステリ作品です。
 怪談師をしながら人を殺せる怪談を探し続ける三咲ですが、実際にそんな怪談は見つかっていません。呪いとされる行為をカナが実践したところで、効果は全くないのです。魚の怪談を追っていった二人は、その怪談の伝播の過程を辿ることになり、怪談が「本物」である確信を抱いていくことになります。

 三咲とカナのほかに、三咲の年下の元恋人の男性昇が登場し、主にこの三人が怪談の真相を辿っていきます。
 調査の過程で、それぞれの怪談や伝説が語られていく形になっており、それらはそれぞれ面白いのですが、主人公たちに直接怪異が降りかかるシーンはあまりありません。怪談もまた聞き・間接的なものであり、飽くまで地道な怪談・伝説の調査過程と、それが導くミステリ的な興味が主眼となった作品でしょうか。
 魚の怪談がなぜそうした形で伝わるようになったのか?その元には何が存在するのか? といった、怪談そのものに関するメタフィクショナルな部分に魅力のある作品となっています。
 主要登場人物たちが怪談に関わるようになったのは、それぞれの過去にも原因があるらしいということも語られます。過去の事故に囚われている主人公三咲のほか、怪談収集に情熱を燃やす昇、過去を一切語らないカナにもまた、怪談に執着する理由があり、そのあたりも物語の展開に絡み合ってくるのが面白いですね。

 怪異そのものの怖さというよりは、怪異を語る人々とその伝播、といった面に重心が置かれており、ユニークな読み味のホラー作品となっています。


テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

危険な世の中  ニック・ドルナソ『サブリナ』
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 ニック・ドルナソの『サブリナ』(藤井光訳 早川書房)は、ある女性が殺害された事件をめぐって、その社会的な反応と、それらが家族や関係者に与える影響を描いた、グラフィックノベル(コミック)作品です。

 若い女性サブリナが突然行方不明になるという事件が発生します。彼女の失踪によって恋人のテディは情緒不安定になってしまい、幼馴染でコロラドの空軍基地に勤務するカルヴィンの元に身を寄せることになります。
 やがてサブリナが殺害される現場を収めたビデオテープが複数のマスコミに送られ、殺害犯と目されるティミー・ヤンシーという男が自殺しているところを発見されます。世間では、この事件について取り沙汰され、事件自体が陰謀であると断ずる者も現れる始末でした。
 サブリナの妹サンドラ、カルヴィンの元にも、マスコミからの取材、そして見知らぬ人間から沢山のメールが届くことになりますが…。

 ある女性の殺害事件が描かれますが、被疑者が死亡していることもあり、その事件の「真相」については最後まではっきりとは分かりません。描かれるのは、その事件を受けて世間の人間がどう考え反応したのか、そしてそれらの影響が事件の関係者たちにどう及んだのか?といった部分が中心に描かれることになります。
 世間の反応といっても、描かれるのは基本的にマイナスのものばかりです。「好奇心」ならまだいいところで、事件が陰謀で、関係者は俳優なのではないかという陰謀論じみた意見が登場し、それはやがてエスカレートしていくことになります
 被害者の妹サンドラや恋人テディを匿っているカルヴィンにもその影響は及んでいき、彼らが精神的にダメージを受けていく様も描かれていきます。

 一方、精神を病んだテディは部屋に閉じこもり、陰謀論を唱えるラジオをずっと聞き続けるなど、その行動にも奇行じみたものが目立ってきていました。
 精神のバランスを崩した登場人物たちの誰かが、何かの事件を起こしてしまうのか? といった不穏な雰囲気が続いていくのですが、実のところ目立った事件は起きません。猟奇的な事件と、社会的に極端なバッシングを受けた登場人物たちの日常はずっと続いていくわけで、その淡々とした描き方が、さらに不安を煽っているようです。

 非日常的な殺人事件とそれによる社会的な悪意を受けた人々がそれをやり過ごし、立ち直るまでの物語、と表面上は見え、実際そういう風に読めるのですが、細かいところをよく読んでいくと、実は他の解釈も可能なように描かれているようです。
 サブリナ殺害事件がテーマではありながら、当事者である妹のサンドラ、恋人のテディよりも、作品のメインで描かれるのはカルヴィンのパートです。
 テディを預かった彼が体験するのは、事件が陰謀ではないのかというフェイクニュースじみた報道や妄想です。そうした妄想を一方的にメールで送りつけてくる特定の人物も現れます。そうした世間からの悪意を受け続けるカルヴィンもまた精神的にダメージを受けており、勤務先のメンタルヘルスの調査書にもそれが具体的に表れてくることになります。
 しかしその「陰謀説」もしくはその一部が真実だったら…という読み方も可能なようで、そう読むと辻褄が会うような部分も多々あるのですよね。表面上の物語も十分シリアスで重いテーマを扱っているのですが、裏で読み取れる解釈もまたヘヴィーです。こちらの解釈で読むと、これ完全にホラーといってよい物語だと思います。
 結局のところ「真相」として唯一の真実が明かされるタイプの物語ではないので、様々な解釈が可能なようにはなっている作品です。非常に奥行きのある物語ともいえるでしょうか。

 著者の絵柄はすごくシンプルな描線で、コマ割りも大体において同じ大きさのコマが連なるという、こちらもシンプルなレイアウト。日本のマンガを読みなれていると、かなり読みにくいのではありますが、この作品の場合、この形式がとてもマッチしていますね。


テーマ:奇妙な物語 - ジャンル:小説・文学

生と死の旅路  ロバート・ネイサン『川をくだる旅』
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 ロバート・ネイサンの長篇『川をくだる旅』(矢野徹訳 文化出版局)は、余命少ない女性が、夫との思い出を作るために川下りの旅に出ることになり、その旅路で不思議な体験をするという、幻想的な小説作品です。

 医師から、病により余命が一、二年であることを告げられた中年女性ミネルヴァ・パーキンソンは、夫ヘンリイに自らの思い出を残しておきたいと考え、二人で旅に出ることを決心します。手持ちの債権を売り、古いハウスボートを購入したミネルヴァは、夫と共にその船でミズーリ川の川くだりの旅に出ることになります。
 船の修復を家で待つ間、ミネルヴァのもとを見知らぬ男が現れます。取り留めのない話をする男を怪しむミネルヴァでしたが、そこに不思議な胸の高まりがあることを自分でも不思議に思います。
 旅に出発したパーキンソン夫妻は、船や川に詳しくないことを自覚し、水先案内人を雇おうと考えます。しかしヘンリイが連れてきたのは、ミネルヴァが以前に会った得体の知れない男モーティマーと心臓に持病を持つ病弱な娘ノラでした。ヘンリイとノラが仲良くなる一方、ミネルヴァはモーティマーに不思議な親近感を覚え始めていました…。

 死を意識した女性が、夫婦の思い出作りにと船旅に出ますが、思いもかけない道連れが出来てしまう…という作品です。ヘンリイが病弱な女性ノラと仲良くなる一方、ミネルヴァはモーティマーに妙に惹かれることになります。夫婦の最後の思い出になるはずが、夫婦仲の破綻につながってしまうのか、と思わせておいて、予想のつかない展開になっていきます。
 鍵となるのはモーティマーで、彼は普通の人間ではなく超自然的な存在のようなのです。ミネルヴァがモーティマーに惹かれるのは、普通の人間における「恋」とは異なり、その意味でミネルヴァが夫を愛する心には変わりはないのですが、その一方、ノラはヘンリイに恋をしてしまい、ヘンリイもまたミネルヴァを愛してはいるものの、ノラに惹かれてはいるのです。また、ミネルヴァがノラとヘンリイの仲に嫉妬をほとんど感じない…というのも、彼女が死に近づいているせいなのでしょうか。
 モーティマーは死を司る存在であり、ミネルヴァはもちろん心臓に疾患を抱えるノラもまた死に近い存在です。ヘンリイをめぐる女性二人が死に近づいているなかで、モーティマーを含む四人の関係がどうなっていくのか? というところに不思議なサスペンス感覚もありますね。

 この作品で登場するのは、通常の夫婦関係や恋愛ではなく、そこには「生と死」をめぐる哲学的な考察も現れてきます。それだけに、男女の愛情関係を描いていながらもドロドロとした感じにはならず、どこか寓意的・象徴的な空気を帯びているのが特徴となっています。
 一生の思い出となる船旅がテーマではありながら、作中では、思い出は完全ではない、どんなに愛した人との思い出でも忘却からは免れない、というような皮肉で現実的な考え方も示されます。それでいながら全体に「愛」の物語となっているのは、そうした物語を多く残した著者ネイサンならではといえるでしょうか。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

自然と精霊たち  マリー・ルイーゼ・カシュニッツ『精霊たちの庭』
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 ドイツの作家マリー・ルイーゼ・カシュニッツ(1901年~1974年)の長篇『精霊たちの庭』(前川道介訳 ハヤカワ文庫FT)は、古い庭の動植物たちを傷つけてしまった贖罪として、不思議な冒険をすることになった幼い兄妹を描くファンタジー小説です。

 大きな町の真ん中の元地主の屋敷には古い庭がありました。やがて貸家が立てられ、そこに越してきた、それぞれ九歳と八歳の幼い兄妹は庭に入り込みます。虫や木や花など、庭にいた生き物たちに乱暴を働いた兄妹は、生き物たちによって裁判にかけられてしまいます。
 生き物たちは兄妹を処刑してしまえと叫びますが、裁判官として呼ばれたブナの木の婦人は、執行猶予として、太陽が昇るまでに試練を乗り越えられたら、命を助けようと話します。<地の母>を見つけ<海の父>のところへ行きつけたら、また太陽の歌を聞くことができ、<風の塔>でお客になることができたら釈放され、処罰されません、というのです。
 兄妹は、魔法によって体を小さくされ、様々な場所を冒険することになりますが…。

 古い庭に住む動植物たちを傷つけてしまったことから、その贖罪のための旅を余儀なくされる兄妹を描くファンタジー小説です。
 地底や海の中、空の上など、様々な舞台が登場することになりますが、胸躍る冒険というよりは、自然をめぐる神秘的・哲学的な旅、というような感じが強いです。
 旅の目的が「贖罪」であることも理由の一つなのでしょうが、兄妹の旅は、自然や世界そのものの美しさを知るための試練といっていいでしょうか。また美しさだけでなく、自然の厳しさについても語られるのも特徴です。寿命を終えたり、競争に敗れて死んでいく生き物などが描かれ、兄妹は彼らに同情することになるのですが、生き物たちを救うことはできないのです。
 魔法の力によってか、出会う動植物たちと兄妹は話すことができるのですが、相手となる動植物たちが擬人化されて人間のように話すのではなく、飽くまでそれぞれの動植物の性質に従ってコミュニケーションを取るあたりも興味深いですね。詩人でもあったカシュニッツであるだけに、作中で多くの詩が登場するのも面白いところです。

 自然の美しさと厳しさがテーマとなっているということで「自然礼賛」「自然回帰」みたいな作風を思い浮かべるかと思うのですが、単純にそうはなっていません。この「自然」の中には人間も含まれているようで、実際動植物や自然の精霊たちと共に、現実世界の人間と遭遇するエピソードも混在しています。

 物語の展開にかなり「飛躍」が多く、その意味で象徴的・哲学的な要素の濃い物語です。それを示すかのように、主人公の兄妹には最後まで実名が登場しません。
 解説にもありますが、ドイツ・ロマン派の伝統に連なる作品で、かなり観念的なお話になっています。ただ、物語自体は面白く、読みにくくはありません。子どもたちが舞台を変えるたびに、魔法のランプ、魔法の水着、妖精の翅など、その世界にあったアイテムを身に着けるあたりは楽しいですね。また、自然や生き物の営みが、幻想的なイメージと詩と共に語られる部分には美しさが感じられます。
 地水火風の「四大元素」のイメージが使われるのも特徴で、その世界観や登場する精霊たちなども、そのイメージと結びついています。
 全体に、色鮮やかなイメージの乱舞する幻想的・象徴的なメルヘン作品で、一読の価値がある作品かと思います。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

幽霊と幻覚のあいだ  アンドルー・ラング『夢と幽霊の書』
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 イギリスの作家アンドルー・ラング(1844-1912)の『夢と幽霊の書』(ないとうふみこ訳 作品社)は、19世紀末に刊行された怪奇実話集です。
 現代(刊行当時)の事例は少ないようで、もっぱら過去の事例が集められています。また、過去と言っても、17、18世紀の事例や、相当昔の物語、いわゆる伝説や伝承、または民話的なものまでが混ざって語られていくのが特徴です。
 時代もイギリスだけでなく、ヨーロッパやアイスランド、時には中国のエピソードなども引かれています。著者はアイスランドには関心が深かったようで、特にアイスランドの伝説などは良く出てきますね。
 章の構成も独特です。夢や幻視、幻覚などのテーマから、生き霊、幽霊、幽霊屋敷と、段階を踏んで事例が語られていきます。現実からの飛躍が少ないテーマから、段々と超自然味が強くなっていくようにと、配慮された順番になっているようです。
 面白いのは、著者ラングが基本的に幽霊や超自然現象に対して懐疑的であるらしいことです。幽霊現象の大部分は幻覚や精神的な錯乱が影響しているのではないかなど、かなり合理的・客観的にこの種の現象を見ている節がうかがえます。ただ、こうした怪奇現象自体に対する興味と愛情があるのは確かで、それが、幽霊や超自然現象を100%信じるわけでも信じないわけでもない、という絶妙なバランスの語り口となっているのが魅力と言えるでしょうか。

 沢山のエピソードが語られるのですが、個人的に印象に残るのが「ティローン伯爵の幽霊」「夢でノックしたドア」のエピソード。
 「ティローン伯爵の幽霊」は、幽霊に遭遇した貴族の婦人が死ぬまで手首に黒いリボンをつけ続け、死後にその理由が明かされるというエピソード。幽霊と予知に絡んだ、不気味で謎めいたお話になっています。
 「夢でノックしたドア」は夢が主眼となったエピソード。青年は、実家を訪れて、母親に長旅に出るからお別れを言いに来たという夢を見ます。直後に両親から安否を問う手紙が届きます。母親が夜中に目を覚ますと、青年が突然現れ、夢の中で青年が言ったのと同じ話をしたというのです…。
 夢の中での人物及び出来事が、現実世界に現れるという、まるで中国古典の夢物語のようなエピソードで、魅力があるお話となっています。
 このエピソードに関連して、女性がたびたび家を夢に見て、あるとき夢に見た家を実際に見つけ借りたところ、その家に出る幽霊は自分そっくりだった…というお話が言及されます。これ、おそらくアンドレ・モーロワの夢テーマ小説「夢の家」の発想元だと思うのですが、著者ラングはこれを「作り話」だとしていますね。

 著書後半では、アイスランドに絡むエピソードがいくつか紹介されるのですが、こちらも魅力的なお話が紹介されています。
 「グラームの物語」は<グレティルのサガ>の一篇。悪霊に殺された男グラームが死後悪霊となり、家畜や人々や殺して回るという物語です。勇者グレティルによって退治されることになるのですが、この悪霊による被害が凄まじく、相手の骨をへし折るなど、物理的な攻撃力が強烈なお話になっています。
 「フローザーの怪異」は、キリスト教改宗以前のアイスランドを舞台にした物語。アイルランドからやってきた女ソルグンナは働き者でしたが、病にかかり死んでしまいます。彼女が持ち込んだ装飾品は言うとおりに処分してほしいと言い残しますが、おかみのスーリズはもったいながって、その一部を自分のものとしてしまいます。それ以後、死者が大量に発生したばかりか、その死者たちが幽霊となって現れることになります…。
 何度も大量に現れる幽霊たちの描写が印象的で、「怖い」怪異譚となっています。
 この「フローザーの怪異」というエピソード、どこかで似たような話を読んだ覚えがあって、手持ちの本で探していたのですが、先ほど気が付きました。
 R・L・スティーヴンソンの短篇「宿なし女」(河田智雄訳『スティーヴンソン怪奇短篇集』福武文庫 収録)にそっくりなのです。こちらのあらすじは次のような感じです。
 フィンワールの家に滞在することになった「宿なし女」ソルグンナは、誰も見たことのない装身具や服飾品を持っていました。フィンワールの妻オードは、その品物を欲しがり買い取ろうとしますが、ソルグンナは断ります。
 病との床についたソルグンナは、自分が死んだら品物はオードとその娘アスディスに譲るが、寝具は必ず焼き捨ててほしいと言い残し息絶えます。フィンワールは遺言の通りにしようとしますが、オードはもったいないと言い寝具を焼くのを止めてしまいます。
やがて家の者は、ソルグンナの遺体が歩いているのを目撃しますが…。
 アイスランドを舞台にした民話風の怪奇小説です。死者の遺言を守らなかったために起きる怪異を描いています。
 「宿なし女」が突然死ぬ理由も、品物と怪異との関連性も明確に描かれなかったりと、ところどころに不条理な空気の感じられる不気味な作品です。
 あらすじばかりか、登場人物の名前も一部同じだったりと、スティーヴンソンがアイスランドの伝説を元にしたのは間違いないようですね。

 この『夢と幽霊の書』、「実話集」と言うには、民話・神話・伝承の占める部分が多いのですが、逆に物語性が強いエピソードが多く収められており、面白いお話集として楽しめる本となっています。


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知性のはたらき  アンドリュー・ラング『りこうすぎた王子』
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 アンドリュー・ラング『りこうすぎた王子』(福本友美子訳 岩波少年文庫)は、妖精の悪戯で利口になりすぎてしまった王子が周囲から嫌われてしまうという、ブラックな笑いに満ちたフェアリー・テールです。

 パントウフリア国の王とお妃の間に待望の王子が誕生します。お妃はたいそう利口だったため妖精の存在を信じず、赤ちゃんのお祝い式にも妖精たちを招待しませんでした。後からやってきた妖精たちは多くの魔法の品物を贈ってくれますが、唯一、年よりの妖精は、赤ちゃんにりこうすぎる王子になるといい、という魔法をかけていってしまいます。
 成長したプリジオ王子は、知識をひけらかし相手をやりこめる嫌な性格となり、周囲から嫌われるようになっていました。プリジオを嫌う父親のグログニオ王は、弟のエンリコかアルフォンソを王位につけたいと考えます。火をふく竜ファイアードレイクの退治に王子たちを向かわせれば、真っ先に長男が殺されるに違いないと考えた王は、プリジオに退治を命令しますが、彼は竜などこの世に存在しないと、のらりくらりとその命令を無視します。
 一方、エンリコとアルフォンソは竜退治に向かいますが、彼らの行方は分からなくなり死んだものとみなされます。激怒した王は、プリジオをひとり残して、家来を連れて遠くの町に移動してしまいます…。

 妖精の魔法によって利口になりすぎてしまったプリジオ王子がそれゆえに嫌われてしまうという、ブラックなフェアリー・テールです。父王にまで嫌われて、何度も密かに命を狙われてしまうという、とんでもない展開になっています。
 プリジオが、竜や魔法などの超自然的現象を全く信じないため、魔法の品物を使って不思議な出来事が起こっても、偶然だと思い込む…というあたり、笑ってしまいます。

 登場人物たちが、童話のフォーマットやお約束を知っており、それ通りに行動しようとするという、メタフィクショナルな展開も面白いですね。例えば、王が、竜退治に三人の息子を向かわせれば、長男と次男は失敗するが三男は成功するだろうということで、プリジオを殺そうとするあたりも童話の型をひっくりかえしたパロディー風味が強いです。巻き添えで次男も殺されるだろうがしょうがない、と考えるあたりもブラックです。

 プリジオはほとんどの人間に嫌われているため、困難に陥っても周囲の協力が見込めないのですが、利口すぎるがゆえに、独力で大部分の事態を解決してしまうのも人を食った味わいですね。

 妖精によって「利口すぎる」ようになる魔法をかけられるという物語の前提部分がすでに、悪い妖精に呪いをかけられてしまうという童話のパロディとなっています。いわば、利口さが「呪い」や「災い」と見なされているわけで、それでは物語を通してそれが解けるのか、と思いきや、そうはならないところも皮肉です。
 利口さによって困難に陥るのは確かなのですが、その利口さによって事態を打開するのも事実なのです。妖精たちからもらった魔法の品物が多数登場するのですが、それらがいろいろと活用されるのも利口さゆえでしょうか。
 主人公を含めた登場人物たちにせよ、物語自体にせよ、従来の童話をひっくり返したかのような設定や展開が多く、シニカルでパロディ味の強い作品になっています。徹頭徹尾楽しい童話作品です。


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最近観たホラー・SF映画

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ステイシー・パッソン監督『ずっとお城で暮らしてる』(2018年 アメリカ)

 姉のコンスタンス、叔父のジュリアンと共に古く広壮な屋敷で暮らす少女メリキャット。そこはかって住んでいた家族の間に毒殺事件が起き、大量の死者が出たことで知られていました。コンスタンスが容疑者となったものの無実となり、毒の影響でジュリアンは半身不随、精神を病んでしまっていました。
 町の人々からは、彼らブラックウッド家の人々は嫌悪されていました。たまに買い物に訪れても囃し立てられ、からかわれてしまうのです。そんな生活にも関わらず、コンスタンスを愛するメリキャットは満足していました。その生活を守るために、庭で、多くのまじないじみた儀式を行ってもいたのです。
 ある日、疎遠だったいとこのチャールズが現れ、その静かな生活をかき乱すことになります。外の世界と触れるべきだとするチャールズは、コンスタンスを説き伏せ、屋敷と遺産についての経済的価値も気にしていました。彼を憎むメリキャットは、様々な手段でチャールズを追い出そうとしますが…。

 シャーリィ・ジャクスンの長篇『ずっとお城で暮らしてる』(創元推理文庫)の映画化作品です。全体に忠実な映画化となっています。
 溺愛する姉との生活のみを良しとする、いささか精神のバランスを崩した少女メリキャットの生活を描いた、サイコ・スリラー味の強いダークな作品です。
 ブラックウッド家は、過去の毒殺事件で大量の死者を出し、容疑者も家族内の一人コンスタンスとされていました。もともと亡くなった当主が横暴な人間だったことからも、その事件以後、彼らは町の人々から嫌悪され、忌避されることになります。
 また、ジュリアン叔父は毒の影響で精神を狂わせており、毒殺事件について本を書くと称して、毎日のように姉妹にその話を聞かせていました。しかしコンスタンスは何事もなかったかのような態度で、静かな日常生活を送ることを良しとし、メリキャットもそんな生活に満足していました。
 しかし、いとこのチャールズがその生活に闖入してくることによって、ブラックウッド家の生活は変わり始めます。彼が語る外界の話やその態度に魅了されたコンスタンスは、外の世界に出ていくことを考え始めるのです。
 チャールズを追い出そうとするメリキャットの手段は、最初はまじないをかける程度だったものが、段々と直接的なものとなっていき、最終的には破滅を迎えるほどのものとなってしまうのです。しかもそれがさらに、町の人々の悪意を呼び込んでしまうことにもなり、クライマックスシーンのダークさ、ブラックさはとんでもないことになっています。
 作品全体にあふれる悪意と狂気が強烈な作品です。明らかに狂気じみているメリキャットはもちろん、ブラックウッド家を非難する町の人々の悪意も強烈です。そんななか、唯一まともな神経を持つコンスタンスも、狂気の中に囚われていってしまうことにもなります。過去の毒殺事件の真相についても明かされますが、見方によっては、その時点からすでにコンスタンスも狂気に囚われていた、という考え方もできそうです。
 客観的には不幸のどん底といえる状態でも、最終的にコンスタンスと二人だけの「城」を手に入れたメリキャットが「幸福」を感じるようになる…という展開も空恐ろしさを感じさせますね。
 ブラックウッド家が暮らす屋敷と彼らの生活は、非常に美しく描かれており、それはある種の「おとぎ話」的な原作のトーンを再現したものといえるでしょうか。特にメリキャットがまじないを行う庭の情景は美しいです。
 メリキャットの異様な行動もさることながら、彼女や叔父の狂気を目の当たりにしながらも、ずっと笑顔で何事もなかったかのように振る舞うコンスタンスが描かれる部分にもある種の空恐ろしさがありますね。
 原作の味わいも強烈なものがありますが、実際に映像化されると、さらにきついシーンも多々ありますね。原作を読んで「ショックを和らげてから」鑑賞するのが吉かもしれません。



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ジャウマ・バラゲロ監督『ミューズ 悪に堕ちた女神の魂』(2017年 フランス、スペイン、アイルランド、ベルギー)

 自宅で共に過ごしていたところ、恋人のベアトリスに自殺されてしまった作家兼大学教授のサミュエルは、その後、見知らぬ女性が別の女性たちに殺される悪夢を何度も見るようになります。ある日、リディアと言う女性が殺害されるという事件が起こり、その女性が夢の中で殺されていた女性であることをサミュエルは確信します。友人のスーザンによれば、サミュエルが見たのは予知夢ではないかというのです。
 リディアの屋敷に侵入したサミュエルは、写真立ての中に古いもう一枚の写真があるのを見つけます。そこには数人の男性が映っており、裏面には「白い輪 1968年」と書かれていました。
 人の気配を感じたサミュエルは、屋敷内にいたレイチェルという女性を見つけます。彼女もまたサミュエルと同じ夢を見ていたというのですが…。

 恋人に自殺されてしまった大学教授サミュエルが予知夢を見て、その謎を探っていくうちに、古くから存在する邪悪な七人の女神たちの争いに巻き込まれていくという、ダークなホラー作品です。
 屋敷で見つけた写真の男たちが、かって七人の「女神(ミューズ)」たちについて研究していたことが分かります。彼女らは詩人や作家に霊感を与えてきたというのです。しかし研究者たちは皆変死していました。
 サミュエルとレイチェルが屋敷からある品物を持ち出すのですが、それを求めて「女神」の一人がサミュエルの前に現れることになります。殺されかけたサミュエルは、彼女たちが恐るべき力を持っていることを知ることになるのです。
 「女神」たちは、おのおの自らを象徴する権能を持っています。また「詩」を唱えることによって、人間を意のままに動かしたり殺したりすることもできるのです。「ミューズ」であるだけに、詩が能力開放の手段となっているところが洒落ていますね。超自然的な能力を持つ彼女たちに、サミュエルとレイチェルがどう対抗していくのか? というのが見どころになっています。
 また、女神たちの造形もユニークで、その容姿も美しい中年女性、幼い少女、老婆、アジア系女性と様々。女神が登場する前兆として、近くに虫が現れる…というのも面白い演出です。
 女神たちが詩を通して能力を使う、というのもそうですが、全体に「詩」がテーマにもなっています。過去に詩人たちに名作を書かせたのは女神たちであり、ミルトンの『失楽園』も女神たちが書かせたというのです。
 主人公のサミュエルもまた詩人であり、恋人ベアトリスの死によって書けなくなっていたものが、一連の事件を通して再び書けるようになる…というモチーフも盛り込まれているようですね。
 何より七人の女神たちが魅力的に描かれていて、その登場シーンや、詩を詠唱して能力を使うシーンなどが非常に格好良いのですよね。女神たちは非常に残酷であるので、人が死ぬシーンなども結構強烈です。グロテスクなスプラッターシーンも多いので、そのあたりが苦手な人は気を付けた方がいいかもしれないです。



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ガルダー・ガステル=ウルティア監督『プラットフォーム』(2019年 スペイン)

 ある日、ゴレンが目を覚ますと、中央に巨大な穴のあいた階層上の建物の中にいました。上の階からは巨大な台座に乗った食物が降りてきますが、それは食べ散らかした後の汚い食事でした。同じ階にいた老人トリマカシは、この建物内では上層階から食べ物が降りてきており、上から順番に食べていくため、下層階ほど食物がなくなってくるというのです。定期的に階層は移動させられ、上層階であれば食べ物にありつけますが、下層階では食物がほとんど残っておらず死んでしまう人間もいるといいますが…。

 上層階からの食べ残しを食べることが強制される建物に閉じ込められた男が、そこを脱出しようと試行錯誤する…という不条理SFホラー映画です。
 各階二人ずつが配置されるのですが、食べ物が十分にある上層階はともかく、下層階に配置された人間たちは食べ物をめぐって争い、時には人殺し、またカニバリズムまでもが発生してしまいます。主人公も、襲われたり、逆に人を殺してしまうという経験を経て、やがて無感覚になっていってしまいます。
 建物を作った「管理者」は何を考えて、この建物を作ったのか? 「管理者」の目的は何なのか? という謎と共に、建物内や行動のルールを探っていく過程が非常に面白いです。
 節度を守って、余分な食物を取らなければ、全ての階層の人間が生きていけるのではないか、とする人間もいますが、下層階の経験がある人間たちは、自らの利得のみを考え食べ物を食べつくしてしまうのです。主人公ゴレンは心優しい人物なのですが、自分だけが他人を思ってもどうにもならない…という過酷な構造の社会が描かれています。
 まさに「弱肉強食」なのですが、おそらく「搾取」や「利己心」といった、現実社会を諷刺・寓意的に描いた作品なのでしょう。ただ寓意的といっても、その描写はハードかつバイオレンスに満ちています。
 食物のために人を殺したり、生きるために他人を食べたりと、強烈かつグロテスクな描写も多いため、かなりショッキングな映像が多いです。飢えに苦しめられるという極限状況を描いた作品は過去にも多々ありますが、この作品では、食物自体は十分にあり、それが「搾取」されてしまうことによって人々の命が左右されるという形になっています。
 人間にとっては本能的な「食べる」という行為がこれほどクローズアップされた作品はそうそうないのではないでしょうか。ユニークな発想の作品といえますね。



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ロルカン・フィネガン監督『ビバリウム』(2019年 ベルギー、デンマーク、アイルランド)

 新居を探していたトムとジェマのカップルは、ふと入った不動産屋の男マーティンから、郊外にあるという住宅地ヨンダーを勧められ、そのまま車で見学に行くことになります。マーティンは挙動の不審な男でしたが、家自体はそれなりに魅力的でした。
 気が付くと、マーティンの姿が見当たらず、車もなくなっていました。そのまま帰ろうとするトムとジェマでしたが、車で走り続けても出口に辿り着けず、元の場所に戻ってしまいます。夜になり仕方なく二人はその家で過ごすことにします。
 何度も脱出しようと試みる二人でしたが、結局元の家に戻ってきてしまいます。やがて家の前には段ボール箱が置かれ、そこには誰の子かも分からない赤ん坊が入っていました。仕方なく二人は赤ん坊を育てることになりますが…。

 どこまでも同じような家の続く住宅街に閉じ込められたカップルを描く不条理スリラー映画です。その住宅地は見渡す限り全く同じ作り、同じ色の家で、地平線の果てまでその家が続いているのです。脱出しようとしていたカップルですが、やがてそれもあきらめてしまいます。
 途中からは置き去りにされた赤ん坊を託されてしまうことになるのですが、この子どもが異様な存在で、カップルの生活を脅かしていくことになります。
 食料のみは定期的に現れたり、家の基本的な機能は使えるものの、刺激はまったくなく単調な生活が延々と続きます。永遠につながるループ空間のような魅力的な設定ではあるのですが、その世界自体の探索はそう行われず、カップルの単調で退屈な生活が悪夢のように繰り返される…という部分がメインになっています。
 カップルが閉じ込められた原因については、冒頭の挿話で示唆がなされており、推測はできるようになっています。その意味でシンプルなお話ではあり、更に中盤にはあまり山場のようなものがないので、そこで退屈してしまう人もいるかもしれません。
 SF・幻想的な設定ではありながら、主人公のカップルの描写には、現実の人間の生活の寓意のようなものが感じられるようになっていますね。「面白いか」と言われると、微妙な作品ではあるのですが、観終えて作品についていろいろ考えていると、評価が上がってくるタイプの作品だと思います。



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クリストファー・スミス監督『サヴァイヴ 殺戮の森』(2006年 イギリス、ドイツ)

 研修のため、バスで山奥のロッジを目指していた、兵器開発会社のパリセイド社の社員たち。道が塞がれていたことから、森の中の道を通ることを提案しますが、運転手はそれを断り、社員たちを置き去りにしてしまいます。森の中に古びた建物を見つけた社員たちは、とりあえずそこに落ち着くことにします。
 放置されたバスと惨殺された運転手の死体を見つけた社員たちは逃げようとしますが、家の近くのあちこちには罠が仕掛けられていました…。

 兵器会社の社員たちが、山奥で謎の殺人鬼集団に襲われるという、いわゆる「スラッシャーもの」ホラーなのですが、ところどころでブラック・ユーモアが炸裂する、ホラーコメディのような作品となっています。
 実際、前半は、山奥の古びた建物に腰を落ち着けた社員たちの生活がゆるく描かれたコメディ調で展開します。それに比して、後半は緊迫度・バイオレンス度の上がったコテコテのホラーになるのですが、そこでも悪趣味なブラック・ユーモアが頻出して、妙な味わいを出しています。
 罠で足を挟まれた男性を助けようとして、何度も挑戦している内に足がもげてしまったり、放火しようとする殺人鬼のマッチがつかなかったり、殺人鬼を追い詰めた女性が岩で顔をつぶそうとして岩を持ち上げようとしても持ち上がらないとか、シリアスに展開していた中に突然現れる、ぶっとんだユーモアが特徴です。足がもげたり、首が飛んだりと、ホラー映画としての流血・ゴア描写はかなり強烈で、コメディ要素と合わせて面白い作品になっていますね。
 有能そうなキャラクターが真っ先に退場するのはお約束としても、脇役が突然活躍し始めたりするのにもびっくりします。結末も唖然とするような展開で「悪ふざけ」そのもののようなホラーとなっています。
 監督のクリストファー・スミスは、『0:34 レイジ 34 フン』とか『トライアングル』などを撮った人ですね。



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トラヴィス・スティーブンス監督『ガール・オン・ザ・サード・フロア』(2019年 アメリカ)

 モラルに欠け、問題をたびたび起こしていた男性ドンは、妊娠中の妻リズと改めてやり直すため、田舎の中古家を購入し、そこをリフォームすることになります。
 妻を置いて、先に飼い犬と共に新居に着いたドンは一人リフォーム作業を始めますが、家にはところどころ奇妙な現象が起きていました。壁や床からは謎の液体が吹き出し、奇妙なビー玉が転がっています。周囲の人々は家になにかいわくがあるような話をしながらも、詳細については話してくれません。
 突然家のそばに現れた美女サラに目のくらんだドンは、彼女と浮気をしてしまいます。後悔したドンは、再度現れたサラを追い返しますが、友人マイロがリフォームを手伝いに来た際に、サラが勝手に家に上がり込んでいることに気づき驚くことになります…。

 新しい家で妻との仲を修復するため、リフォームを始めた男性が家に起こる怪奇現象に巻き込まれていくという、いわゆる幽霊屋敷テーマを扱ったホラー映画です。
 この家に起こる怪奇現象が、生理的嫌悪感の強烈な現象ばかりなのが特徴で「汚らしさ」「気持ち悪さ」が徹底して追及されています。
 家自体が、住む人間の性質に応じて感応を起こしているようなのですが、主人公ドンがモラルのない「ろくでなし」と言って良い人物のため、それに対して起こる現象もまた嫌悪感を煽るような形になっています。
 アンモラルな人物が、怪奇現象に遭遇して改心する話かと思いきや逆で、ずぶずぶとマイナスの方向に行ってしまうのが、見ていてハラハラドキドキさせられますね。事態がエスカレートしていくのと呼応して、起こる怪異現象も露骨で派手になっていき、後半の展開は目が離せなくなります。
 いわゆる霊現象が発生しますが、そこに物理的な攻撃も付随していて、その味わいはまるでスプラッター。なおかつ、それが現実なのか幻覚なのか分からないという精神攻撃的なものもまとわりついていて、異色の幽霊屋敷もの作品となっています。
 家自体が霊と一体化して怪物化しているような描写もあり(これは幻覚なのかもしれないですが)、グロテスク度は強烈です。とにかく「絵面が汚い」作品ではあって、ホラー好きな方でも、好き嫌いは分かれるかと思います。
 怪奇現象の怖さとは別に、主人公ドンが何をしでかすか分からない危うさもあって、その点サイコ・スリラー的な風味もありますね。道徳的・宗教的なテーマも盛り込まれており、楽しめる作品となっていました。



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ニック・ヨンゲリウス監督『風泣村』(2016年 オランダ)
 ベビーシッターの仕事をしていた若い女性ジェニファーは、偽名を使っていたことを雇い主の男性に指摘され、彼を殴って逃走してしまいます。「ハッピー・オランダ・ツアー」の観光バスを見付けたジェニファーは、チケットを持っているふりをしてバスに乗ろうとします。運転手は何とか彼女を乗せてくれ、ツアーに紛れ込むことに成功します。
 風車を観光してまわる一行でしたが、バスが故障し、立ち往生してしまいます。そこは電波も圏外、近くの村までも遠い場所でした。やがて夜になり、乗客の一人、イギリス海兵隊員のジャックは、先ほど見た風車のところまで戻ることを提案し、ジェニファーと共に風車まで行くことになります。
 歩いていたジャックは急に大鎌で切りつけられ、殺されてしまいます。逃げ出したジェニファーは、大鎌を持った男がジャックを襲ったことを話しますが、以前から不自然な行動を繰り返していたジェニファーは怪しまれており、乗客たちは彼女の言うことを信じてくれません…。

 バスツアーの乗客たちが遭難し、謎の殺人鬼に襲われて殺されていくというホラー作品です。一見、単純なスラッシャーホラーに見えるのですが、この被害者たち(乗客たち)にある共通点があり、さらに殺人鬼側にも、彼らを殺す必然的な理由があるという、意外にも、かちっとした作りになっています。ただ、理由といっても現実的なものというよりは、宗教的なそれであって、殺人鬼の設定にも超自然的な要素が強くなっています。
 主人公ジェニファーには身分詐称のほか、後ろ暗い過去があることが示唆されており、他の乗客たちにも、何らかの事情があることが明かされていきます。殺人鬼が彼らを襲うのは何故なのか? 殺人鬼は何者なのか? といった面に関しても、徐々に明らかになっていくことになります。
 殺人鬼によるスプラッターシーン、乗客の一部が体験する幻覚シーンなど、ホラーとしての見せ場もなかなかで、純粋に娯楽ホラーとしても面白い作品なのですが、それらに加えて、登場人物たちの過去の行為やそれに対する後悔・贖罪の念など、宗教的・倫理的なテーマも盛り込まれていて、見応えのある作品になっています。
 邦題の『風泣村』は、某邦画作品の類似品みたいな印象を与えますが、原題は The Windmill Massacre で、全然関係ないですね…。



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ゴンサーロ・ロペス=ガイェゴ監督『オープン・グレイヴ 感染』(2013年 アメリカ)

 死体だらけの穴の中で目を覚ました男は、自分が記憶を失っていることに気付きます。謎のアジア人女性に助けられた男は、森の中の一軒家に辿り着きます。そこには助けてくれたアジア人女性の他に四人の男女がいました。
 彼らにもまた記憶がないことに驚きますが、四人は持っていたIDで自分の名前が分かったようなのです。数カ国語を話せるらしいネイサン、医療者らしきシャロン、銃器の扱いに長けたマイケル。リーダーシップを取るルーカス。何かを知っているらしいアジア人女性は口が聞けず、コミュニケーションを取ることもできません。
 マイケルとアジア人女性を家に残し、残りの人間は家の周辺を見て回ることになります。家は僻地にあり、周囲には何もないようでしたが、家を囲むように柵と死体が木に結びつけられていました。
 一方、悲鳴を耳にしたマイケルは外に飛び出し、有刺鉄線に絡め取られた奇怪な男を発見しますが…。

 邦題で分かってしまうとは思うのですが、ウイルス感染によって凶暴化した人間が登場するという、感染もの(擬似ゾンビもの)作品です。実際、感染者によって襲われるシーンもあるのですが、メインは記憶喪失になった複数の男女の過去に何が起こったのか?を探っていくサスペンス部分に重点が置かれた作品です。
 記憶の断片がフラッシュバックしたり、何となく知り合いであるような気はするものの、互いに自分たちの関係がどんなものであるのかは分かりません。
 誰かの陰謀である可能性や、何者かが記憶喪失のふりをしてグループ内に入り込んでいる可能性すらあるのです。家の中にいた他の人間と異なり、唯一、死体のいる穴に落ちていた主人公の男は、最も怪しい人物として疑惑を持たれてしまいます。
 互いが疑心暗鬼になるなか、さらに外では感染者たちが襲いかかってきます。いったい何が起こって、自分たちはなぜこんな状況に陥ったのか? 少しずつ情報を得て事件を推測していく過程はサスペンスたっぷりで楽しめますね。
 主人公の男に関しては、序盤から皆に疑われ、自分を知っているらしい人物と出会っても忌避されるなど、彼視点では不条理な要素が濃いですね。しかも調べていくうちに、自らが悪人・犯罪者である可能性も示唆されてくるなど、アイデンティティーに関する不安も表れてくるのも面白いところ。
 「ゾンビ」テーマではありながら、彼らに襲われたり撃退する部分に主眼が置かれていないので、その分派手さには欠けるのですが、記憶喪失の男女たちの心理サスペンスを描く部分だけでも充分に面白い作品になっています。逆に言うと、「ゾンビ」テーマを扱っていながらそちらに重心を置かず、登場人物たちの葛藤や心理のサスペンスをメインにしているのは、思い切った構成だと言えますね。



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アンディ・フェッチャー監督『アーバン・エクスプローラー』(2011年 ドイツ)

 ベルリンには、数万と言われる地下通路があり、その大部分は封鎖されているといいます。夜にその地下通路を案内するという違法ツアーに参加することになったアメリカ人のデニスとその恋人ルチア、韓国人ヨナとフランス人のマリエの四人。ドイツ人のガイド、クリスを加えた五人は地下の探検に出かけることになります。
 かってナチスが残したという壁画があるというクリスの話に惹かれ、皆はそこに向かいますが、道中でクリスが穴に落下し瀕死の重傷を負ってしまいます。デニスはヨナとマリエに救援を求めるよう頼み、看護師であるルチアと共にクリスの傍に残ることになりますが…。

 違法な地下通路探検ツアーに参加した少年少女が恐怖に満ちた体験をすることになるというホラー映画です。
 土地勘があり冷静なリーダー格の青年クリスが真っ先に動けなくなってしまい、他の四人は困惑することになります。さらに救援を求めて出て行ってしまった二人に関してはその後はほぼ出番がなく、残ったデニスとルチアのカップルがもっぱら中心に描かれることになります。二人には思わぬ助けの手が入ることになるのですが、それがまた恐怖の幕開けでもあったのです。
 前半は、一行が廃墟となった地下通路を探検するというパートで、雰囲気たっぷりの展開になっています。後半はある存在に襲われたカップルが逃げまどい、脱出を目指すという展開になり、ここからは王道のホラー展開になっていますね。
 ただ、ドイツ作品ゆえというべきか、ホラーの定石を外す展開が発生して驚かされます。流血描写はそんなにないのですが、一か所とんでもなくスプラッターな箇所があり、これだけでこの作品を記憶してしまうぐらい、強烈な描写がなされています。
 テンポも悪くなく、見やすい作品ではあるのですが、物凄く後味が悪い結末になっているので、ホラー耐性のあまりない人は見ない方が吉かもしれません。



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アンソニー・ドーソン監督『地獄の謝肉祭』(1980年 イタリア、スペイン)

 ベトナム帰還兵のノーマンは、帰国してから精神に問題を抱えていました。ベトナムで捕虜となっていた部下のチャーリーとトミーを救出する際に、彼らに手を噛みつかれて以来、生肉を見ると異常に興奮するようになっていたのです。
 チャーリーとトミーは、捕虜となっていた際に人肉を食べるようになり、それに取り憑かれていました。精神病院に入院し完治したかのように見えた二人でしたが、外出を許されたチャーリーが、映画館で会ったカップルの女性に突然噛みついたことからパニックが起こります。
 チャーリーは銃を持ってスーパーに立てこもり、殺人まで引き起こしてしまいます。事件を知ったノーマンはチャーリーを説得しようと、店の中に一人乗り込むことになりますが…。

 ベトナムで人肉食に取り憑かれた兵士の病が、伝染病として広まりパニックになるというホラー映画です。いわゆるゾンビ映画のバリエーションなのですが、ユニークなのはその病の描かれ方です。人肉を食べたいという欲望から手当たり次第に人を襲うものの、肉体的には普通の人間と変わらず、撃たれたり、内臓が傷ついたりすれば死んでしまいます。襲われた人間も出血が多ければ、感染に至る前にそのまま死んでしまうのです。そのため、感染自体は大きなスケールにまでは広がらず、小規模にとどまる…というのが特徴でしょうか。
 また、感染しても元からの知能や感情はそう変わらないらしく、場合によっては冷静に動ける、というのも特徴です。感染源といえるチャーリーとトミーはともかく、感染していながらも、それに対抗しようとする主人公ノーマンの逡巡が描かれる前半は、あまりホラー映画らしからぬドラマ展開で異色ですね。
 時折ショッキングなシーンはあるものの、作品の半分近くは、立てこもったチャーリーとそれを止めようとする警察との争いが描かれるサスペンス風の展開で、宣伝文句ほどのどぎついホラー展開は観られません。
 さらにその間には、ノーマンと芸能人の妻ジェーン、ノーマンを診ているメンデス医師、隣人でノーマンに憧れる若い娘メアリーとの微妙な四角関係が描かれる地味なメロドラマも展開されます。
 後半、感染が広がってからが見所でしょうか。感染者たちが下水道に逃げ込み、警察が銃と火炎放射器でそれを追い詰めていく、というシーンは迫力満点です。人肉食シーンはもちろんですが、銃で撃たれて人体に穴があいたりと、残酷シーンの見せ場も多数ありますね。
 カニバリズムが伝染病として広まるという、結構穴のある設定なのですが、あらすじから予想されるほどのトンデモ展開にはなりません。意外にも地道な人間ドラマ・メロドラマが描かれており、そのタッチとは見合わぬほど生彩のある流血・スプラッター描写と合わせ、妙な味わいのある作品となっています。



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ユージニオ・マーティン監督『ゾンビ特急"地獄"行き』(1972年 スペイン、イギリス)

 20世紀初頭、満州の氷壁で類人猿のミイラを発掘した考古学者のサクストン教授は、シベリア横断鉄道でそれを輸送しようとします。奇しくも旧知のウェルズ博士も同じ列車に乗車していました。荷物の中身を怪しんだウェルズ博士は、荷物係に密かに荷物の中身を確認するよう指示します。
 中身を開けた荷物係は、突然蘇ったミイラに見つめられた途端に、白目を向いて血を流し死んでしまいます。次々と死体が発見され、ミイラによる連続殺人と断定した刑事は、部下たちに見つけ次第殺すようにと命令を出しますが…。

 数百年前の類人猿のミイラが蘇り、人々を殺して回るというホラー作品です。B級ホラーそのもののような題材ながら、メインの役者がクリストファー・リー、ピーター・カッシング、テリー・サヴァラス、舞台が走行中のシベリア横断鉄道、セットも豪華になっており、無駄にお金のかかった怪作です。
 お話の方もぶっ飛んでいて、ミイラが蘇り人々を襲うのみならず、このミイラ、人々の目を見るだけで相手を殺してしまうという特殊能力の持ち主なのです。乗客たちも怪しげな人物ばかりで、狂信者のような神父を連れた伯爵夫妻、国際的な女スパイ、怪しげな医者とその助手、後半では傍若無人な騎馬隊長までも乗り込んできます。そもそも、主人公の、クリストファー・リー演じるサクストン教授がもっとも怪しい人物で、自分が持ち込んだミイラが原因で殺人事件が引き起こされるにも関わらず、後半ではしれっと探偵役のような活躍をするのにも笑ってしまいます。
 オカルトホラーかと思っていたら、段々とSF味が強くなっていくのも面白いところで、最終的に明らかになる「怪物」の正体には唖然としてしまうのではないでしょうか。
 列車内で密かに起こる殺人、また後半では、その内部での追跡劇やアクションシーンも派手に展開され、B級ながら、全編が飽きさせない作りになっています。
 いい意味での「馬鹿らしさ」「稚気」に満ちた作品です。残酷シーンやショッキングなシーンもありますが、「フィクション感」が強いので、見ていてもあまり気分が悪くなるようなことはないと思います。大真面目にB級ホラーをやったらこうなる、という見本のような作品で、とても楽しいホラー映画です。
 ちなみにタイトルには「ゾンビ」とあり、実際死体が蘇るのではありますが、現代で言うところの「ゾンビ」とはちょっと違う感触のモンスターなので、そのあたりはちょっと語弊があるかもしれないですね。



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ジェロルド・フリードマン監督『SF 白い恐怖』(1973年 アメリカ)

 常に吹雪の絶えない山頂の研究所から連絡が入ります。そこに滞在していたボーゲルは、錯乱したような言葉を残し、連絡を絶ちます。研究所では宇宙空間での極限状況での人間の状態を予測するため、サルを実験台として研究が進められていました。
 原因究明と研究の続きを行うため、研究所に赴いた二人の科学者フランクとロバートが、施設を調べたところ、ヒーターは切られ、サルたちは凍死寸前でした。ボーゲルは、通信機の前に座ったまま凍り付いて死んでいました。部屋はなぜか窓が開けっぱなしで極寒の状態でした。彼らはボーゲルが錯乱して、部屋に閉じ込められたと考えたのではないかと推測します。
 遺体を回収しヘリが帰還したため、フランクとロバートは二人きりで研究を再開することになります。サルたちには食事を減らしたり、寒さを感じさせたりと、極限状況を体験させる実験を行いますが、次第にサルたちは攻撃的になっていきます。新しく連れて来たチンパンジーのジェロニモは他のサルたちの様子におびえ始めていました。
 やがてロバートは、部屋に閉じ込められかかったり、計器が勝手に作動しているのを発見し、この施設には何者かがいるのではないかと考えます。その考えを伝えるものの、フランクはロバートを疑います。二人の仲は段々と険悪になっていきますが…。

 極寒の山頂の研究所で先任の科学者が謎の死を遂げ、後任として訪れた二人の科学者が、そこで不思議な現象に遭遇するものの、互いの間で反目していく…という、ホラーサスペンス作品です。日本では『恐怖の酷寒地獄・雪山宇宙研究所の謎』の題名でも知られるカルト的な作品ですね。
 二人しか人間の滞在していない施設で、機械が動かなくなったり、閉じ込められそうになったりと、不自然な現象が続き、二人が互いに疑心暗鬼になってゆきます。厳密に言うと、ロバートは終始冷静で、もう片方のフランクがロバートを疑っていく、という形でしょうか。
 ロバートは自分たち以外の何物かが存在するのではないかと疑いますが、フランクはそれは妄想だとつっぱねます。そうはいいながら、たびたび起こる事故やトラブルをロバートのせいではないかと疑い出し、その念はエスカレートしていきます。
 事故やトラブルは人間の仕業によるものなのか、人間だとしたらロバートかフランクの仕業であるのか、もしくは本当に第三者(人間以外も含めて)が存在して行っているのか、というところが不明なまま進む展開は、不穏な雰囲気とサスペンスに溢れています。
 吹雪の中、高度も高いという極限的な環境のため、水の材料になる雪を集めようと外に出ても短時間で凍死寸前になったり、機械の不調が少しでも起こると命の危機に直結したりと、ささいな事故やトラブルが命を左右する環境となっています。それだけに滞在しているロバートとフランクの緊張感も強く、特にメンタル面での弱さを抱えるフランクは、普段の温厚さとは異なる激しい態度をたびたび示すことになります。
 観ていて、事態が超自然的(SF的)な方向に向かうのか、サイコ・スリラー的な方向に向かうかも最後の方まで分からず、そういう面でもサスペンス感のある作品になっていますね。全体に、アイディアの優れた小粋なホラー・サスペンスといった趣です。


テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

邪悪なる祈り  牧野修『蠅の女』
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 牧野修の長篇『蠅の女』(光文社文庫)は、奇怪なカルト教団から命を守るために、呼び出した悪魔と共に戦う男たちを描いた、オカルト・アクション・ホラー小説です。

 城島洋介は、ネットの『オカルト部』のオフ会として企画された廃病院『加々美療養院』の探索に、他のメンバーと共に参加することになります。和気藹々と過ごしていたメンバーたちでしたが、病院の庭で見知らぬ人間たちがいるのに気が付きます。女二人が見守る中で、地中から光り輝く男が出現するのを目撃した彼らは、衝動的に逃げ出してしまいます。メンバーの一人<五分厘>を置いてきてしまったことに気づきますが、彼はその後消息を絶ってしまいます。
 事件後に、前に見た奇怪な女と接触した城島は、リアルな幻覚に襲われます。同じくオフ会に参加していた蒲生と堀井から、出会ったのがキリストを信奉するカルト教団であること、彼らもまた奇怪な体験をしていることを聞くことになります。
 蒲生は、教団から身を守るため、悪霊の王ベルゼブルを呼び出そうと提案します。<喚起>の儀式によって現れたのは、「蠅」を名乗る女でした…。

 カルト教団から身を守るため悪魔を呼び出した男たちを描く、オカルト・アクション・ホラー小説です。
 悪魔ベルゼブルを呼び出すものの、現れたのは一見人間の女に見える存在でした。しかしその能力は人間離れしており、城島たちはたびたび命を救われることになります。
 相手のカルト教団はキリストの復活を奉じるカルト教団なのですが、「蠅」によれば、彼らの頭目は実際に復活したキリスト自身であり、その団員たちは彼によって甦った死人であるというのです。放っておけばキリストによる世界が顕現し、人間は滅ぶ…という「蠅」の言葉を聞いた城島たちは、キリストを倒すために動くことになるのです。

 敵方がキリスト本人であり、味方が悪魔という、異色の構成で描かれたホラー作品になっています。復活を遂げた人間が、ほとんどゾンビのような状態になっており、「ゾンビもの」といってもいい作品にもなっていますね。
 神と悪魔のどちらが勝つのか? と同時に、城島たちは生き残れるのか? という、スケールは小さいながら「ミニ黙示録」のような様相を呈しています。キリストも「蠅」も、ところどころで聖書の言葉を引用するのもあって、宗教感強めの雰囲気になっています。

 「蠅」のキャラクターは破天荒でお茶目に描かれています。冗談を飛ばしながらも、その行為はえげつない、という強烈なキャラとなっていますね。一緒に戦ううちに、主人公城島と「蠅」との間に連帯感のようなものが生まれてくる、というのも面白いところです。悪魔が「蠅」だけに、蠅を思わせる生態と行為も描かれ、そのグロテスク度は高いので、そのあたりは注意した方がよいかも。
 ハードな暴力描写と歪んだユーモアが混在していて、妙な読み味のホラー小説となっています。


テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

隠された愛  リチャード・アダムズ『ブランコの少女』
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 リチャード・アダムズの長篇『ブランコの少女』(百々佑利子訳 評論社)は、美しいドイツ人女性と結婚したイギリス人男性の結婚生活が不穏な空気に覆われていくという幻想的なサスペンス作品です。

 イギリスで陶磁器の店を営むアラン・デズランドは、仕事で訪れていたコペンハーゲンで、美しいドイツ人女性カリンと知り合い、一目惚れをしてしまいます。結婚を申し込んだアランに応えたカリンは、アランと共にイギリスに行くことになります。
 振る舞いも申し分がなく、周囲の人々からの印象も良いカリンでしたが、その過去についてはアランにも一切を話してくれません。結婚式を教会で行うことに対しても頑なに拒むカリンの態度に、アランは不審の念を抱くことになります。
 結婚生活を始めると共に仕事も順調に行き始め、文句ない生活を送るアランとカリンでしたが、カリンに不信感を抱いたアランの母親は家を出てしまいます。やがて夫妻の生活に、たびたび不思議な現象が起こることになりますが…。

 美しく聡明ながら、その過去について一切を明かしてくれない謎の女性カリン。そんな女性と結婚した主人公の不穏な結婚生活を描く作品です。
 主人公アランの結婚相手カリンは、外国で知り合った外国人女性で、その過去も一切が秘密でした。そんな事情を知ったアランの母は、カリンに不信感を抱き、親子の軋轢を引き起こしてしまうことにもなります。また、教会で結婚式を行うことに拒否感を示すなど、アランは、ところどころでカリンの不自然な点に気付くことにはなります。しかしその熱烈な愛情から、思い切って結婚生活をスタートすることになります。
 愛情深く、仕事に関してのサポートも申し分がないカリン。しかし結婚生活の合間に不可思議な現象が起こり、アランも不安を隠せなくなっていきます
 カリンの抱える秘密とはいったい何なのか…? という不穏な雰囲気のあふれる作品になっています。

 面白いのは、アランに超能力にも似た不思議な力があるとされるところです。子どもの頃から予知にも似た、異様なほどの勘の良さを持っているのです。恋人関係になりそうになった女性に対しても、その「勘」から交際を拒否することにもなるのですが、悲劇に終わることになるカリンとの付き合いに対しては、その「勘」が働かなかったのか、それともそれを無理に押し切ってしまったのか…。それを考えると、アランとカリンの出会いは運命だったというべきなのでしょうか。

 アランとカリンはどちらも教養豊かな人物で、様々な芸術に造詣の深い人物として描かれています。文学的な引用も多くなっており、クライマックスで重要な意味合いを持つカリンのセリフは、そうした文学的な含みを持たせられているようです。
 アランの能力やデズランド一族の先祖に伝わる幻想的なエピソード、過去の伝説、アランとカリンの結婚生活に時折起こる奇妙な出来事など、全体に幻想的な雰囲気に覆われてはいるものの、表だってはっきりとした超自然的な出来事は起こりません。
 作品の大部分を占めるのは、アランとカリンの結婚生活、そして愛の交歓です。上下巻の多くのページがそれに費やされるのですが、そこでカリンがいかに愛情に満ち、魅力的な女性であるかが印象づけられるようになっています。
 それだけに、クライマックス、カリンの秘密が明かされたときに、反動として、その不条理さ、不可思議さが実感されることにもなります。

 秘密を抱えた女性と結婚した男性の人生の転落を描くサスペンス小説、といえるのですが、そこに文学的な香気と神話的なエピソードが加わり、古典悲劇のような貫禄のある作品に仕上がっています。エロティックな要素も含む、主人公夫婦の愛情生活が長期にわたって描かれますが、その部分があるがゆえに、クライマックスの悲劇と驚きが際立つ形になっていますね。



テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

奇跡と恩寵  ポール・ギャリコ『スノーグース』
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 ポール・ギャリコ『スノーグース』(矢川澄子訳 新潮文庫)は、三篇が収録された短篇集です。三篇とも、動物が重要な役目を果たすことと、広い意味での「奇跡」が扱われていることが共通点となっています。

「スノーグース」
 その醜い姿から、人目を避けて燈台に住み着いたせむしの画家ラヤダーは、野生の鳥の保護を行い、鳥と共にひっそりと暮らしていました。ある日怪我をしたスノーグースを治療してもらいたいと、美しい少女フリスがラヤダーの元を訪れます。
 回復したスノーグースはラヤダーたちになつき、たびたび燈台を訪れるようになっていました。スノーグースを通してフリスと交流するようになったラヤダーは、彼女に愛情を抱くようになりますが…。

 醜い姿ながら心優しい青年と、美しい少女がスノーグースを通して交流し、そこに愛情が生まれる…という作品です。後半では青年が戦争に巻き込まれて悲劇を迎えることになりますが、青年の行動が、人々に「奇跡」とも思える出来事をもたらすことになります。
 愛情を感じながらも、その「醜さ」から青年にその愛を伝え損なってしまった少女の悲しみが、余韻と共に語られるラストも味わい深いですね。


「小さな奇蹟」
 イタリアのアシジ近郊の村で暮らす10歳の少年ペピーノが飼っているろばのヴィオレッタは、孤児となったペピーノの唯一の財産にして家族であり友人でした。ヴィオレッタの具合が悪くなりバルトーリ医師に診せますが、医師は自分にもはっきり原因は分からないと言います。
 聖フランチェスコに祈願しようと考えるペピーノでしたが、聖堂の中に動物を入れることはできないとつっぱねられてしまいます。もっと偉い人に頼めば何とかなるのではないかと考えたペピーノは、法王に会いにローマまで出かけることになりますが…。

 飼っているろばに深い愛情を抱く少年が、ろばの病気を治すために奔走するという物語です。その無私の行為が「小さな奇跡」を起こすことになります。少年の純粋さが人々の心を打ち、ついには法王までをも動かす、という暖かいお話になっていますね。


「ルドミーラ」
 リヒテンシュタイン公国の、とある渓谷では「お助け聖女さま」とも呼ばれる聖女ルドミーラが信仰されていました。彼女は牧夫や乳搾り女たちの守護聖者でした。この土地では、立派な乳を一番多く出した牝牛を飾り立て賞賛するという風習がありました。
 ろくに乳が出ず小柄な牝牛は、聖女ルドミーラの像に向かってまるで祈願するかのようなそぶりを見せます。やがてまともに乳の出なかった牝牛が、生まれて初めて大量の乳を出すという奇跡が起こります…。

 まるで乳の出なかった小柄な牝牛が、聖女への祈願によって乳を出せるようになり、栄光に包まれることになる…という奇跡譚です。その「奇跡」が合理的に説明可能であることも示されますが、そうなるに至った経緯にはやはり不可思議な巡り合わせがあるのです。一見合理的に見える現象であっても、振り返ってみればそれはやはり「奇跡」ではないか…という、不思議な手触りのファンタジーとなっています。
 「主人公」である小柄な牝牛が単なる動物としてではなく、美しさや栄光を夢見る「可憐な女性」として描写されており、極めて人間的に描かれているのもユニークですね。



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世界の美しさ  ポール・ギャリコ『雪のひとひら』
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 ポール・ギャリコ『雪のひとひら』(矢川澄子訳 新潮文庫)は、雪のひとひらの生涯を一人の女性として擬人化して描いた、美しいファンタジー作品です。

 ある寒い日に、突然自分が存在していることに気づいた雪のひとひら。地上に舞い降りた彼女は、世界の美しさに目を見張ります。やがて川に流れ込んだ雪のひとひらは、伴侶となる存在と出会うことになりますが…。

 突然生まれ、地上に降りることになった雪のひとひらが生涯を終えるまでの生活と冒険とを語ったファンタジー作品です。主人公である雪のひとひらは「女性」として描かれており、少女時代、恋愛、結婚、出産、そして老後の生活から生命の終わりまで、人間の女性の生涯の出来事が象徴的に描かれています。
 動物や植物、自然現象や無生物まで、擬人化の対象は数あれど、一つの雪の結晶という、ミクロなサイズの存在を主人公に、しかもその生涯までもが描かれるというのは前代未聞ではないでしょうか。

 純粋な物質的存在ということもありますが、ヒロイン雪のひとひらは純真無垢で、自分が生まれ落ちた世界の事物全てに感嘆を抱き、また自分を生み出してくれた存在に対しても感謝の念を抱きます。
 埋もれてしまった雪のひとひらが、やがて太陽の姿を再度見ることになるシーンなどには、美しさが溢れていますね。

 夫となる「雨のしずく」、そして彼との間に生まれる子供たち。家族との生活に幸福感を感じる雪のひとひらですが、やがて彼らとの別れもやってくることになります。老いて、孤独となった雪のひとひらですが、それでも自らの生まれた意味を悟り、自らの人生に価値を与えていくことになるのです。生まれ落ちただけでも世界とのつながりは発生し、本当の意味での「孤独」ではない…。
 シンプルな物語であるだけに、そのメッセージ性も直截的に伝わるような作品となっています。読んでいる読者も人生を肯定的に考えたくなってくるような、全体にポジティブさに満ちた寓話作品です。


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現実と仮想  『フィリップ・K・ディックのエレクトリック・ドリームズ』
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 『フィリップ・K・ディックのエレクトリック・ドリームズ』(イギリス、アメリカ 2017年)は、アメリカの作家フィリップ・K・ディックの短篇小説を原作としたオムニバスのドラマシリーズです。一話当たり、それぞれ50分前後のドラマとなっています。
 未来の社会やテクノロジーの描写が多く登場するのですが、それらがテレビシリーズとは思えないレベルで描かれています。また、原作ではあっさりとしている主人公の内面や心理的な葛藤を深掘りしたりと、見応えのあるドラマとなっています。
 原作者のディック特有の、現実が揺らいでいくような浮遊感覚も上手く映像化されています。ただ、全体にシリアスに構成されたエピソードが多く、ディックの原作にはある、スラップスティックでブラック・ユーモア的な部分は抑えめにはなっていますね。
 かなり現代的に脚色されているので、原作短篇を知っていても楽しめるエピソードが多いと思います。一つのエピソードに、それぞれ一本の映画を観たような満足感がありますね。お勧めのシリーズです。
 以下、各エピソードを原作の短篇の内容も交えて紹介していきたいと思います。



エピソード1「真生活」(ジェフリー・ライナー監督、ロナルド・D・ムーア脚本)

 近未来、女性警官サラは、同僚を大量に殺された経験から精神的に病んでいました。妻であるケイティーから仮想世界で休暇を過ごす装置を勧められたサラは、それを試してみます。
 その世界では、サラは会社経営者の男性ジョージとなっていました。妻を殺されて苦しんでいた彼は、親友と共に犯人を探します。やがてサラとジョージ、二人はどちらの世界が現実なのか分からなくなっていきます…。

 仮想現実の世界に入った主人公が、どちらの世界が現実なのか分からなくなってくる…というエピソードです。どちらの世界にも同じ女性ケイティーが存在したり、犯人が同じコリンズという男だったり、登場する場所が同じだったりします。ただ片方は現代、もう片方はテクノロジーが発展した未来世界となっています。
 未来世界で暮らすサラが、自らの世界が上手く行きすぎることから、本来の自分が空想した妄想の世界なのではないかと思う一方、現代世界のジョージが妻を亡くした喪失感と罪悪感から、もう一つの世界こそ妄想なのではないかと考えたりと、どちらが現実であってもおかしくないように見える演出がされているのが上手いですね。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「展示品」(仁賀克雄訳『人間狩り』ちくま文庫 収録)です。
 未来社会が舞台。二十世紀の展示品の責任者ジョージ・ミラーは、自らもその時代の服装や品物を愛するなど、二十世紀に入れ込んでいました。
 ある時、展示品の二十世紀の住宅に入り込んだミラーは、その家の中に中年の女性と二人の子どもがいるのを見つけます。彼はいつの間にか二十世紀の世界におり、女性と子どもが、自らの妻と息子であることを認識しますが…
 過去の二十世紀を愛する未来の男が、時を超えて過去に入り込んでしまうという作品です。時を超えるだけでなく、自らがその時代の住人となってしまっているようで、過去そのものが改変されているような雰囲気がありますね。
 ディストピア的な未来社会に比べて、理想の市民生活として二十世紀が描かれるのですが、それを嘲笑うようなブラックな結末が待ち構えているところも面白い作品です。

 ドラマは原作を相当膨らませた設定になっています。当人の人格がそのまま過去に移行するという原作に比べて、ドラマ版は、記憶も朧げな別人格として別の時代に移行する形になっています。



エピソード2「自動工場」(ピーター・ホートン監督、トラヴィス・ビーチャム脚本)

 戦争が終結してから数十年、世界は荒廃し、ごくわずかになった人類は身を寄せ合って暮らしていました。しかし、かって作られた自動工場は生産をし続けており、資源を浪費して自然環境を汚染していました。
 このままでは人類の再起ができないと考える革命家のコンラッド、技術者のエミリーらは、自動工場から派遣されたアンドロイドのアリスのプログラミングをハッキングして、共に自動工場に侵入し、工場を破壊しようとします…。

 戦争が終わっても稼働し続ける自動工場を止めようとする人々が描かれています。口で説得しようとしても無駄なことを認識した人々が、力づくで工場を破壊しようとするのですが、そこには思いもかけない罠が潜んでいました。
 人間そっくりに作られたアンドロイド、アリスにどこか同情してしまう主人公エミリー。自分たちはそう違った存在ではないのではないか? といったところも伏線になっています。
 ディック的な「本物と偽物」テーマも盛り込まれています。主人公エミリーと恋人アヴィ、かっての恋人コンラッドとの三角関係も描かれ、アヴィは、エミリーに対して自分たちの愛情は本物なのかと問いかけます。それは人類たちの生活に関してもそうで、機械に支配された生活から、本当の自由を獲得するための戦いが描かれていくことになります。
 最終的には残酷な真実が明かされることになりますが、それでも自分たちの思いは真実なのではないか?というポジティブな結末になっていますね。

 原作は、フィリップ・K・ディック「自動工場」(大瀧啓裕訳『時間飛行士へのささやかな贈物』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 戦争終結後も稼働を止めず、物資を配送し続けてくる自動工場。彼らとコミュニケーションを取ろうとするオニール、ぺライン、モリスンたちは、わざと品物に対して不自然な行動を取ることになります。派遣されてきたロボットの融通が利かないことに怒った男たちはロボットを破壊してしまいます。しかし資源の採掘をめぐって、機械たちの間では区域ごとに争いが生まれ始めていました…。
 原作では、人類の意思を無視して暴走する機械たちの裏をかいて、いかに彼らを止めるか…という部分が描かれます。それに成功することにはなるのですが、結局はさらなる災難が待ち構えていた、というブラックなお話になっています。



エピソード3「人間らしさ」(フランチェスカ・グレゴリーニ監督、ジェシカ・メッケルンバーグ脚本)

 大気汚染が進む「テラ」で暮らすサイラスとヴェラの夫妻。ヴェラは冷たく打算的な夫との暮らしに息苦しさを感じていました。
 「テラ」に足りない水を奪うためレクサー星を襲撃したサイラスたちは、敵の襲撃を受けほぼ全滅してしまいます。ようやく「テラ」に帰り着いたのはサイラスとその部下の二人だけでした。帰ってきてからのサイラスは、別人のように優しく思いやりのある男性になっており、ヴェラは驚くことになりますが…。

 異星に行っていた夫が別人のようになっており、異星人に寄生された可能性があるというサスペンスSFです。ですが、打算的だった元の夫と異なり、今の夫は思いやり深く、もし異星人だったとしても、そこに愛情があるのではないか? という情感のあるお話になっています。
 後半で、夫と妻それぞれが、思いやりとは何なのか? 人間らしさとは何なのか? と人々に問いかける部分が見どころでしょうか。ヒューマン・ストーリー的な味わいが強いエピソードになっていますね。

 原作はフィリップ・K・ディック「人間らしさ」(友枝康子訳『時間飛行士へのささやかな贈物』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 ジル・へリックは夫のレスターが冷たい人間なのに嫌気がさしていました。甥のガスが遊びに来るのを楽しみにしていたジルですが、レスターはそれも台無しにしてしまいます。異星の「レクサーⅣ」にレスターが出かけている間、ジルは兄のフランクに離婚について相談していました。
 戻ってきたレスターは別人のようになり、明るく思いやり深い人間になっていました。また妙に古臭い言葉を多用するレスターを見てジルは不審に思います。ジルから話を聞いたフランクは、レスターを告発しますが…。
 原作では、体を乗っ取られた夫の本当の人格を戻すことが可能だという設定です。そのうえで妻の選んだのはどちらだったのか…? ドラマ版で扱われているような倫理的な問いかけはあまりなく、全体にブラック・ユーモア味のある作品でした。



エピソード4「クレイジー・ダイアモンド」(マーク・マンデン監督、トニイ・グリソーニ脚本)

 海岸の浸食で陸地が減少し、人間は常に短期間で移住を繰り返していました。妻のサリーと暮らすエド・モリスは、アンドロイドとその意識の元となる部品「QC」を作る会社で働いていました。
 ある日出会った魅力的な女性は、実は「ジル」と呼ばれる女性型アンドロイドでした。彼女の「QC」は劣化しており、もうすぐ寿命が来てしまうというのです。助けてほしいと頼むジルに同情したエドは、ジルが工場から「QC」を盗み出す計画に加担することになりますが…。

 その世界では、食品はすぐに駄目になってしまい、植物を育てることも禁止されています。侵食する海から逃れるために、決まった家に住み続けることもできないのです。
生の実感を感じられない男が、必死で生きようとするアンドロイドと出会ったことから、彼女に惹かれていきます。
 アンドロイドの他にも、六割が豚である合成人間が登場したりと、人間そのものの定義が問われるお話になっています。「生きるとは何か」「人間性とは何なのか」といったテーマがシリアスに追及されていくドラマとなっていますね。

 原作はフィリップ・K・ディック「CM地獄」(浅倉久志訳『変数人間 ディック短篇傑作選』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 仕事でガニメデと地球の間を往復しているビジネスマン、エド・モリス。エドは、通勤宇宙船に乗っている間中流れ続ける広告に嫌気がさしていました。妻のサリーに太陽系外への惑星への移住について提案しますが、よく考えるべきだとたしなめられてしまいます。
 そんな折り、家に押し売りのロボットがたずねてきます。「ファスラッド」という商品を売っているらしいロボットは宣伝をしている最中に家の内部を次々と壊してしまいます。なんと「ファスラッド」とはそのロボット自身であり、自らを客に売り込みにきたというのですが…。
 近未来、CMや広告で溢れかえった世界を舞台にした風刺的なSF小説です。日々CMに悩まされている男がその生活に嫌気がさし移住を考えたまさにその時に、さらに広告ロボットがやってくるという物語。
 押し売りロボットに対して、激怒した主人公が吹っ切れた行動をすることになるのですが、それも役に立たない…というブラックな展開が面白いですね。

 原作と比べてみると、ドラマ版の脚色がものすごいですね。CMだらけの未来世界を描いた風刺SFといった体裁の原作が、シリアスな問題意識を持ったドラマになってしまっています。共通点は、生きにくくなった世界から脱出したいという願望、というモチーフぐらいじゃないでしょうか。
 原作の押し売りロボットが、ドラマの女性アンドロイドになったと考えると、脚本家の創意が目立ちますね。
 ほとんどオリジナルに近い脚本で、これは原作とドラマを比べてみると非常に面白いエピソードかと思います。



エピソード5「フード・メーカー」(ジュリアン・ジャロルド監督、マシュー・グラハム脚本)

 その世界では人の心を読むことが出来る超能力者「ティープ」が恐れられ、嫌われていました。彼らを排斥しようとするデモが頻発し、暴動も起きかけていたのです。
 町では、ティープが心を読むのを妨害するフードマスクがどこからか現れ始めます。それをばらまいている「フード・メーカー」を調べていた捜査官ロスは、上司の命令でティープである女性オナーとコンビを組むことになります。
 一緒に行動するうちに、二人には互いに信頼が生まれ、やがて恋愛感情も芽生えることになりますが…。

 人の心を読むテレパスが忌避され差別される世界で、女性のテレパス、オナーとコンビを組むことになった捜査官ロスが、テレパシーを妨害する謎のフード・マスクの製作者を追っていく…という物語です。
 テレパスの能力がものすごく、表面上の考えていることが分かるだけでなく、その人間の過去やコンプレックス、秘められた欲望までも見透かしてしまいます。捕まった容疑者がその全てを見透かされて、精神的にダウンしてしまうシーンにはインパクトがありますね。
 心の声を聞きすぎて、人間に失望していたヒロイン、オナーが、相棒となったロスには不思議な信頼感を感じて彼に惹かれていくことになります。それと同時に人間に対する信頼、生きる希望を感じるようにもなっていきますが、その信頼は本当に正しいものだったのか? というあたりが問われていくことになります。
 ロス以外の人間は、ほとんどが偏見や差別に満ちた人間として描かれています。またテレパスが差別される被害者として描かれる一方、テレパスに見透かされる通常人もまた「弱い存在」ではあることが示されるなど、テレパスと通常人どちらもが、弱い被害者であるともいえそうです。
 二つの「種族」は分かり合えるのか? というのが主人公オナーとロスのカップルを通して示されるのですが、それを明確に示さずに終わるラストも余韻がありますね。
 ただ彼らのコミュニケーションが上手くいかなかった、という風に取れるラストではあり、それを示すように、ルネ・マグリットの絵画「恋人たち 」の複製画が部屋にかけられているシーンが写されます。こちらの絵画は布を顔にかぶった男女が、その状態のままキスをしている場面を描いた作品で、コミュニケーションの不可能性を象徴しているように見えますね。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「フード・メーカー」(大森望訳『トータル・リコール ディック短篇傑作選』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 突然変異によって生まれ、人の心を読むことのできるテレパス、いわゆる「ティープ」が誕生し、政府は忠誠心を試すために、彼らを利用するようになっていました。
 巷では、心を読み取るのを邪魔するフードが現れ始め、政府の人間を悩ませていました。フードをかぶっていた容疑で捕らえられた連邦資源委員会のフランクリン博士は、走査の結果、危険思想の持主とされて、指名手配されてしまいます。やがて謎の少女に助けられることになりますが…。
 全体主義的な社会が舞台で、テレパスはその政府の走狗となっているという設定です。テレパスを邪魔するフードは、彼らの支配をはねのける象徴のように使われていますね。
 政府の手先であるテレパスもまた、独自の思惑にのっとって動いているようなのです。複数の勢力のそれぞれの動きが描かれ、近未来を舞台にしたSF陰謀サスペンスといった感じの作品となっています。

 ドラマ版は、原作の陰謀劇的なトーンは残したまま、あくまで人間同士のコミュニケーションや信頼といった面をクローズアップした脚色となっているようです。



エピソード6「安全第一」(アラン・テイラー監督、カレン・イーガン&トラヴィス・センテル脚本)

 田舎町バブルスから、母親アイリーンと共に都会にやって来た女子高校生フォスター・リー。学校では、皆がデックスと呼ばれるウェアラブル装置を身に着けていました。
 親の許可がなければ入手できないデックスを手に入れるため、フォスターはクラスメイトのカーヴェにハッキングをしてもらい、母親の口座から無断でデックスを購入してしまいます。デックスを手に入れたものの、フォスターは学校で孤立し、友達のできないままでした。
 デックスのカスタマーサービス要員イーサンとやり取りをしていくうちに、フォスターは彼のいうことに耳を貸すようになっていきます。イーサンは、カーヴェが不審な行動をしているため、彼のことを調べてほしいとフォスターに頼みますが…。

 テロリストの被害が多発し、安全を確保するためのセキュリティシステムが日常と化している世界を舞台にしたSF作品です。田舎からやってきた少女が、皆の仲間入りをしたいとデックスと呼ばれる装置を身に着けたがりますが、それは支配の一端だと母親から否定されてしまいます。
 デックスを通して友人となった青年イーサンから「真実」を知らされた少女フォスターは、それを信ずるべきなのか混乱することになります。世界は本当に「安全」なのか? 自分がすべきなのは何なのか?
 フォスターの父親が精神的に問題があったことも判明し、フォスターは自分が正常なのかも疑っていくことになります。誰の言っていることが正しいのか…? 現実感覚と共に、自らのアイデンティティーも揺らいでいくような展開には、ディック的な味わいが強いですね
 最終的に明かされる真実にはディストピア感覚も強烈です。「依存」や「支配」についての寓話とも読める刺激的なエピソードになっています。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「フォスター、おまえはもう死んでるぞ」(若島正訳『人間以前 ディック短篇傑作選』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 ソヴィエトとの冷戦が続くアメリカ、人々の第一の関心は安全にありました。学校では子供たちが生き残るための技術を学んでいました。
 いざというときのためのシェルターをほぼどの家庭もが購入しており、それも毎年のように新製品が登場するのです。経済的な理由と父親の信念からシェルターを持っていない家庭の息子マイク・フォスターは、皆から馬鹿にされつつも、シェルターに憧れを抱いていました。
 息子と妻からの懇願に負け、父親はようやくシェルターを買うことを決心します。最新型のシェルターを購入し、誇らしさを抱くマイクでしたが…。
 ソヴィエトからの攻撃を恐れる国民たちが、競ってシェルターを導入しており、それらがステータスにもなっているという、歪んだ社会を舞台にした作品です。製品を買わなければ死んでしまうため、買わざるを得ないという恐るべき搾取構造が描かれており、考えると空恐ろしいテーマの作品です。
 少年が皆と同じ物に憧れる、というテーマはあれど、その対象がシェルターであるというのもユニークなところです。そのシェルターに対して、少年の憧れと失望が描かれる部分が、豊かな情感をもって描かれているのも、面白いですね。

 ドラマ版は、原作のテーマを敷衍して、管理社会の恐ろしさと、そうした環境に依存・支配されてしまう人間の弱さを描いています。きわめて現代的な脚色といえましょうか。



エピソード7「父さんに似たもの」(マイケル・ディナー脚本・監督)

 野球好きの少年チャーリーは、趣味を同じくする父親を愛していました。ある日、大量の流星群が落ちた後に、チャーリーはガレージの中で、父親が光と共に何者かに吸収される場面を見てしまいます。直後に部屋に入ってきた父親が、いつもの父親でないことにチャーリーは瞬時に気が付きます。母親にそのことを話しても信じてもらえません。
 ネットでは、家族や友人がにせものにすり替わっているのではないかという書き込みが多数現れていました警官に相談するものの、彼らの中身もすでに「にせもの」にすり替わっているようなのです…。

 地球が異星人に侵略され、人間の中身が「にせもの」に入れ替えられている…という侵略SF作品です。
 父親が何者かと入れ替わっていることは、主人公チャーリーにとっては明確なのですが、周囲の大人たちにはそれが分かりません。もともと父と母の仲が上手くいっていなかったこともあり、「にせもの」の父親が家族に親身に行動するのを見て、母親は逆に、夫婦の再構築に対して努力していると解釈してしまうのです。
 友人の助力を得たチャーリーたちは、子どもたちだけで侵略者を撃退しようとしますが、その策略は上手く行くのか…というのが見どころですね。
 父親の中身が入れ替わっているのは明確なので、本物か偽物か分からない…というディック特有の味わいは控えめです。少年の目線で、いかに敵を撃退するか…という流れが、かっての父親に対する愛情と共に展開されていくという、冒険SF的なエピソードになっていますね。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「父さんに似たもの」(大森望訳『時間飛行士へのささやかな贈物』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 少年チャールズは、ガレージで父親のテッドが二人いるのを目撃します。直後に目の前に現れた父親が本物でないことを直感し、出て行けと叫びます。ガレージで、本物の父親だったらしき残骸を見つけたチャールズは、父親が完全ににせものと入れ替わっていることを確信します。
 近所に住む大柄な不良少年トニー・ペレッティ、さがしものの名人ボビー・ダニエルズに協力を打診し、父親のにせものを動かしている何かを探すことになりますが…。
 原作でも、父親がにせものであることはすぐに判明し、仲間と共に、彼を撃退するための方策を探す…という正統派の侵略SF作品になっています。

 ドラマ版は原作に割と忠実な作りなのですが、主人公の少年と父親との絆や親子愛を丁寧に描いており、それだけに、にせものに対する憎しみが深くなるという、説得力のある展開となっています。原作では描かれなかった世界規模での侵略の広がりについても描かれていて、スケールが広がっています。



エピソード8「ありえざる星」(デイヴィッド・ファー脚本・監督)

 宇宙への観光旅行を提供しているアストラル・ドリーム社のノートンとアンドリュースは、ある日ロボットを連れた、耳の不自由な老婦人イルマの訪問を受けます。
 彼女は「地球」に行きたいというのですが、すでに「地球」という星は消滅しており存在していないのです。断ろうとするノートンでしたが、高額の現金を提示されたアンドリュースは、地球に似た惑星を探し出し、そこを地球だと偽ってごまかそうと考えます。
 恋人バーバラのために現金の欲しいノートンも計画に加担することになりますが、ツアーを勧めるうちにイルマと心を通わせるようになり、良心の呵責を覚え始めます…。

 地球が消滅してしまった未来、自らの祖父母が住んでいたという地球にノスタルジーを覚える老婦人と、彼女の心情に入れ込んでいく男を描いた、幻想的なエピソードです。
 もともと旅行ツアーに際して、外に見える星や宇宙の画像や音響をコントロールして演出するなど、演出過剰なことを行っていたノートンとアンドリュースが、老婦人が地球と錯覚するように、偽のツアーを実行するという計画を実行することになります。
 飽くまで金のためと考えるアンドリュースに対して、ノートンは老婦人イルマの心情に共感していき、だましていることに良心の呵責を覚え始めます。恋人バーバラの冷たい言動を思い返しながら、300歳以上だというイルマに対して、恋心に似たものさえ、そこには生まれてくるのです。
 地球に対する憧憬の念、祖父母に寄せる親愛の念、そしてイルマ自身の純粋さ…。ドレスを着るイルマが描かれるシーンでは、彼女が少女のように見えてくるから不思議です。
 最後までイルマを欺くのか、それとも真実を打ち明けるのか? ノートンの決断が描かれるクライマックスには驚きと感動がありますね。最後に現れる神秘的な情景は、幻影なのかそれとも真実なのか…。
 宇宙を舞台にした遠未来SFのような道具立てで描かれる物語ながら、その本質は幻想的なラブ・ストーリーです。これはシリーズ屈指の傑作エピソードでは。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「ありえざる星」(仁賀克雄訳『地図にない町 ディック幻想短篇集』ハヤカワ文庫NV 収録)です。
 アンドリュウス船長とノートンの元に、ロボットの使用人と一緒に現れた高齢の老婦人イルマ・ヴィンセント・ゴードン。リガ星系からやってきた三百五十歳だという彼女は、死ぬ前に「地球」を見てみたいというのです。
 「地球」は伝説か神話であり、実在しないとされていました。しかし高額の報酬を提示されたアンドリュウスは、「地球」の特徴とされる環境に似たエムファー星系の星に案内して、ごまかそうと考えます。
 着陸した星は荒廃して、汚れ切っていました。考えていたのとは全く異なる環境に失望する老婦人でしたが…。
 「地球」だと称して老婦人を案内したのは荒廃した惑星だった…という物語です。失望した老婦人には救いも示されずに終わってしまうという非常にブラックな物語になっています。皮肉に満ちたラストにも強烈なインパクトがありますね。

 ドラマ版は、シニカルでブラックな原作を、ロマンティックで幻想的なラブ・ストーリーに作り替えています。同じような設定を使いながら、これだけ違う物語に仕立てられるのはすごいですね。



エピソード9「地図にない町」(トム・ハーパー監督、ジャック・ソーン脚本)

 駅に二〇年近く勤める初老の男性エド。彼の勤務する切符売場のカウンターに現れた女性は「メイコン・ハイツ」なる駅への切符を買いたいといいます。
 しかしその路線にそんな名前の駅は存在しないのです。しかも、女性はいつの間にか姿を消していました。再度現れた女性にメイコン・ハイツの町について話を聞くことになりますが、またもや女性は消えてしまいます。
 気になったエドは勤務中にもかかわらず電車に乗り込みますが、途中で乗客が扉を開けて飛び降りてしまいます。つられて飛び降りたエドがたどり着いた近くの町は、存在しないはずの町メイコン・ハイツでした。その町の美しさとたたずまいにエドは魅了されます。夜になり、家に戻ったエドは、その世界が元いた世界とは微妙に異なることに気が付きます。
 心の病を抱え、問題を起こしていた息子のサムが、生まれていないことになっており、彼は妻と二人暮らしになっていたのです…。

 電車の駅と駅の間にある、存在しないはずの町メイコン・ハイツに魅了された男が、従来とは異なった世界に入り込んでしまうという、ファンタジー作品です。
 心の病を抱え、その暴力性で人々との間に軋轢を起こしていた息子のサム。サムの扱いで妻と共に悩んでいたエドは、理想の町メイコン・ハイツを通して、サムがいない世界に入り込みます。正直ほっとしていた自分に罪悪感を感じつつも、穏やかで暮らしやすい生活に溶け込んでいきます。
 しかし、その安寧な生活に疑問を抱き始めることにもなります。メイコン・ハイツとは何なのか?ここにいる人々は何者なのか?探っていくうちに、町の秘密、そしてその町の虜になった人々の悲しさにも気づいていくことになります。
 全ての障害のない安寧な世界に浸るのか、困難があるとしても家族との愛情の存在する世界に戻るのか? 単純な現実逃避、ノスタルジーに終わらないテーマが描かれていて、意欲的なファンタジーとなっています。
 メイコン・ハイツが美しく調和のとれた場所として描かれるの対照的に、地元の町はスラムじみた汚い場所として描かれています。ただメイコン・ハイツを訪れた後、「変化後」の地元の町では、そこに住む人々が親切で思いやりのある人間になっているなど、明らかにいい方向に変化しています。
 主人公エドにとってマイナスなのは、息子サムがいないことだけで、他に関しては皆いい変化ではあるのです。「愛情」のためといえば聞こえはいいですが、それは本当に「綺麗事」ではないのかという問題提起がなされるなど、テーマ性も強いエピソードになっています。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「地図にない町」(仁賀克雄訳『地図にない町 ディック幻想短篇集』ハヤカワ文庫NV 収録)です。
 駅員エド・ヤコブスンは、メイコン・ハイツなる聞いたこともない駅への切符を求めて現れた小男が、目の前で消えてしまうのを目撃します。
 報告を受けた上役のペインは、再び現れた小男クリチェットからメイコン・ハイツの話を聞いた直後に、再度男が消えてしまうのを目撃し驚きます。町の名前にかすかに聞き覚えがあったペインは、恋人のローラにその町について調査を頼みます。
 電車に乗っていたペインは、ある男が途中で電車から飛び降り、霞の層の中へ消えていくのを目撃します。車掌によれば、その場所こそがメイコン・ハイツだというのです。
 ローラの調査の結果、メイコン・ハイツが、新興住宅地として計画があったものの、取りやめになってしまった場所だということを聞いたペインは、自らもその町を訪れようとしますが…。
 あり得たかもしれない理想の町メイコン・ハイツと、その町が現実に影響を与え変容させるという、幻想的なファンタジー小説です。メイコン・ハイツは魅力的な町ではあるのですが、主人公のペインにとっては、そこに憧憬の念が抱くというよりは、町の影響によって現実世界が変容させられてしまう(時空の歪みとでもいうべきでしょうか)という、「災厄」のような形で認識されているようです。
 事実、後半では現実世界そのものが変わってしまうという、<奇妙な味>風味の強い作品となっています。

 ドラマ版でも、原作同様、メイコン・ハイツが現実世界に影響を与える(パラレルワールドに入り込んだという解釈もできそうです)という部分は描かれていますが、どちらかというと、個人が選べるとしたならば、どんな世界を選ぶべきなのか、人間の幸福とはどこにあるのか? といった倫理的なテーマが中心に置かれているようです。



エピソード10「よそ者を殺せ」(ディー・リース脚本・監督)

 近未来、一党独裁の政府が支配するアメリカ。選挙も政府が選んだ「候補者」を追認するという、形骸化したものになっていました。
 工場で働くフィルバートは、テレビ放送中に候補者から「よそ者を殺せ」という言葉が出たのを聞き、耳を疑います。しかしその言葉について話題にしている人間が全くいないことに疑問を抱きます。
 工場から見える広告看板には「KILL ALL OTHERS」という言葉が書かれ、そこには死体のようなものが吊り下げられていました。それについても誰も気にしようとしないのです…。

 最新技術で自動化され生活は便利になっているものの、始終周りで広告が流れ、政府は一党独裁、それでいて民主主義を標榜するという、全体主義的な社会が舞台となった作品です。人を殺せというスローガンや、死体(かどうかははっきりしないのですが)が吊り下げられていることなど、非日常的な事件や事態にも関心を抱かなくなった人間たちに、主人公フィルバートは疑問を抱き始めます。
 「よそ者」は排除してよいという論理をフィルバートは否定することになりますが、その意思自体が、彼を「よそ者」にカテゴライズすることになってしまうのです。
 自らの意思とは無関係に、誰もが「よそ者」に仕立て上げられる可能性があるという恐怖、皆が単一の論理に従うという社会的な狂気が描かれています。
 硬直し、洗脳された全体主義社会を舞台に「魔女狩り」が描かれるという、社会的テーマの強いサスペンス・ホラーとなっています。

 原作は、フィリップ・K・ディックの短篇「吊るされたよそ者」(大森望訳『トータル・リコール ディック短篇傑作選』ハヤカワ文庫SF 収録)です。
 テレビ販売店を経営するエド・ロイスは、店に向かう途中に街灯から死体がぶら下がっているのを見て驚愕します。周囲の者に訴えるものの、誰もがそれを気にしていないようなのです。
 やって来た警官たちにも当局の指示だと言われてしまいますが、彼らの顔に見覚えがないエドは、とっさに逃げ出してしまいます…。
 公衆の面前に吊るされた死体に対して反応もしない町の人々。彼らに何が起こったのか? 不条理な雰囲気で始まるスリラーですが、やがて町全体が何者かに侵略されつつあることが分かるという、侵略SFホラーとなっています。
 「吊るされたよそ者」が、なぜ「よそ者」だったのかが分かるシーンは非常に怖いですね。序盤に現れた「吊るされたよそ者」のシーンが、結末でも同じ形で現れるというリフレインが見事です。

 はみだし者となり社会から追われるというテーマは同じくしながらも、完全に侵略SFとして書かれた原作に対して、ドラマでは、人間が人間に与える組織的な圧力とその狂気を描いていて、現代的な脚色になっているように思います。


テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

迷宮のような物語  ミロラド・パヴィッチ『十六の夢の物語 M・パヴィッチ幻想短編集』
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 『ハザール事典』で知られるセルビアの作家ミロラド・パヴィッチ(1929-2009)の『十六の夢の物語 M・パヴィッチ幻想短編集』(三谷惠子訳 松籟社)は、『ハザール事典』発表以前の、主に1970年代に書かれた短篇が集められた作品集です。

 悪夢に悩まされた語り手が肖像画と似た男と出会う「バッコスとヒョウ」、数世紀前に王の秘められた謎に絡んで処刑された男をめぐる幻想小説「アクセアノシラス」、犬を愛した男が不可思議なダイヤの魅力に囚われて破滅するという「ロシアン・ハウンド」、元傭兵の神父が、クシャミをする不思議な三本手の聖母のイコンについて知ることになる「クシャミをするイコン」、五人の男と二人の女の不思議なめぐりあわせを語って寓話的な「カーテン」、驚異的な聴力を持つ男が聖なる女王の宝物と「歌の指輪」の伝説に出会う「風の番人」、戦争で家族を失い肉屋を始めた男が、家のガラス戸の中に数人の男女が賭博をする情景を見るという「朝食」、修道士によって摘発され処刑された魔女の因縁が現代に不思議な形で甦る「ドゥブロヴニクの晩餐」、急激に老化する病で息子を失った女性が世界を放浪することになる「沼地」、恋人をめぐっての決闘で九死に一生を得た男が大天使の化身である魚に願いを叶えてもらうという「フェルディナント皇太子、プーシキンを読む」、自らの死を客観的に見るという不思議な夢の物語「夢の投稿」、トルコのスルタンの依頼によりブルーモスクを作った建築家の物語「ブルーモスク」、初めて見たシルクハットによって民衆の間に迷信が広がってゆくという「裏返した手袋」、すでに破壊された我が家が一人の男の記憶力によって完璧に再現されるという「ワルシャワの街角」、視力を失った代わりに夢によって人々を治療する能力を得た男の物語「出来すぎの仕事」、自らに関わる未来ばかりか遥か後世の未来までを見通す予知能力を持つトロイア人少年を描く「聖マルコ広場の馬 もしくはトロイアの物語」の十六篇を収録しています。

 作者の母国セルビア(旧ユーゴスラビア)だけでなく、様々な場所、そして時代が舞台になった幻想小説集です。代表作『ハザール事典』ほどではないですが、「仕掛け」のされた作品もまま見られますね。時代がいつのまにか転移してしまうという、タイムトラベル的な発想の作品や、人格が転移してしまうという「転生」テーマの作品もあったりします。
 「仕掛け」の大胆さで一番目につくのは「裏返した手袋」でしょうか。若殿下アレクシイェと彼の教師ドシテイのもとに、新開発の製品として送られてきたシルクハット。ふとしたことからその帽子を置き忘れてしまいますが、帽子を見たことのない民衆の間に次々と迷信が生まれていきます…。
 啓蒙主義者を任じるドシティの目の前で、どんどんと迷信が発生していくという皮肉なタッチの作品で、お話自体も面白いのですが、後半である「仕掛け」が発生するというユニークな作りになっています。タイトルの「裏返した手袋」の由来が分かることになるクライマックスには驚きますね。

 面白く読んだのは「アクセアノシラス」「ロシアン・ハウンド」「朝食」「沼地」「ワルシャワの街角」などでしょうか。

 「アクセアノシラス」は、王の秘められた謎に絡んで処刑された男をめぐる幻想小説。
 14世紀末、学識豊かな修道士スパンは、王の秘密を守るために処刑されてしまうことになります。しかもその理由は、まだ生まれてもいない未来の誰かに秘密を守らせる担保にするためだというのです…。
 過去に王の秘密に関して処刑された男の罪の因果が、遥か未来で達成されるという物語です。結果の後に原因がやってくるという、倒錯した論理が現れる不思議な手触りの作品です。

 「ロシアン・ハウンド」は、ロシアン・ハウンドを愛した男が不可思議なダイヤの魅力に囚われて破滅するという物語。
 語り手の曽祖父スレヴァン・ミハイロヴィッチ博士は愛犬家で、ロシアン・ハウンドを可愛がっていました。しかしある日現れたドージャという男から見せられたダイヤを買い取るために、ハウンド犬を始め、あらゆるものを売り払ってしまいます…。
 魅せられたダイヤのために破滅してしまう男の物語で、その不思議な魅力を持つダイヤについても書かれているのですが、タイトルにもある「ロシアン・ハウンド」についての生態や習性がやたらとクローズアップされて描写されます。犬についての生態・習性が、まことしやかに書かれてはいるものの、その内容は非現実的かつ幻想的なもの。まるで古代や中世の「博物誌」の読むような魅力が生まれていますね。

 「朝食」は、不思議な情景の映るガラス戸をめぐる物語。
 戦争後家族をなくした「私」はベオグラードに戻り、かっての部下ニコラを助手に肉屋を始めます。ある日ガラス戸に五人の男女が映っていることに気づきますが、彼らはドミノ賭博をしているようなのです。映っている部屋は「私」の家の部屋と同様ながら、人間はひとりもいないのです。「私」は彼らの様子を観察することになりますが…。
 ガラス戸に映った不思議な男女をめぐる幻想物語です。彼らと「私」との間には何か不思議なつながりがあるようなのです。例えば、彼らがワインを飲むと「私」の喉が渇いたり、彼らが掛金として設けた金が「私」の店のレジから消えていたりするのです。さらに「私」が、男女の中の一人の女に対して妙な魅力を感じるようになったりと、物語自体も不穏な展開になっています。

 「沼地」は、ある女性の不可思議な一生を描いた物語。
 貴族の血を引き、資産と美貌を兼ね備えた女性アマリヤ・リズニッチは食に魅了され、グルメとして名をはせていました。ある日出会ったエンジニアのフィスターと恋に落ちたアマリヤは彼と結婚し男の子を生みます。
 息子のアレクサンダルは急激な成長で両親を驚かせますが、その成長度合いは極端なものになり、やがて急激な老化によって死んでしまいます…。
 際立った資産と魅力を持つ女性アマリヤの人生を描いた物語です。最初は食にこだわりグルメとして過ごし、結婚後は夫と息子、そして息子の死後にはまた旅に出ることになります。ヒロインの人生の旅路が印象的な出来事と共に語られていき、それぞれのエピソードが魅力にあふれています。
 タイトルにもある「沼地」がどこで出てくるのかと思っていたら、最後の方で唐突に出現します。けれど、読み終わってみると、このラストしかないように思えるのだから不思議ですね。

 「ワルシャワの街角」は、記憶によって再現された生家をめぐる物語。
 破壊され、なくなってしまった生家を離れ、アパートで暮らす女学生スターシャ。絵の中の楽譜を読み取ることを趣味とした父親の趣味を始め、独特の秩序を持っていた家を彼女は強く覚えていました。森の中で、かっての家の「間取り」を見て取ってしまうことさえありました。
 ある日、ワルシャワの街角で父の家とそっくりな家を見つけたスターシャは驚きます。調べたところ、その家は驚異的な記憶を持つある男の記憶によって再現された家だというのですが…。
 ある男の記憶によって復元された生家に出会った女性を描く物語です。ヒロインのスターシャも、家に愛着を持ちその「間取り」を外部に見てとるなど、想像力豊かな人物なのですが、さらにそれを上回る記憶力の持ち主によって完全に物質的に家が再現されてしまうのです。
 その完璧さに驚くものの、何かが違うことにも気づくことになります。そのヒントになるのが、父親が集めていた絵のコレクションで、音楽を扱った絵画の中の、描かれた楽譜の音楽を実際に再現してみようという趣味でした。
 その中の一つの絵に、楽譜が読み取れないものがあり、それが神秘的なものの象徴としてヒロインの心に焼き付いているのです。これが元となって神秘のヴェールがはがされてしまうという皮肉な作品ともなっています。
 記憶と美意識に訴えかける建築の魅力について描かれながらも、それらが想像の産物で空虚なものではないかという疑問までもが同時に描かれるという、何とも奇妙な味わいの物語です。「建築幻想小説」としても魅力的な一篇なのでは。

 この短篇集、収録作はどれも短めな作品が多いのですが、その密度がすごいです。眩暈のするようなイメージが乱舞する迷宮的味わいの物語集で、独特の読書経験が得られるのではないかと思います。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

闇の力  タニス・リー『闇の城』
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 タニス・リーの長篇『闇の城』(こだまともこ訳 ハヤカワ文庫FT)は、その力ゆえに生まれつき闇の城に監禁された少女と、彼女の力によって呼び寄せられた吟遊詩人の青年の冒険を描く、ダークなファンタジー作品です。

 周囲には人も村もない、黒い廃墟のような城に、二人の老婆によって世話をされながら暮らす少女リルーン。外の世界に憧れるリルーンは「呼ぶ」魔法を使って、城に人を呼び寄せようとします。
 一方、魔力を持つ竪琴を所有する青年吟遊詩人リアは、謎の力に呼び寄せられ城に辿り着き、そこでリルーンと出会います。外に出たいというリルーンの希望を入れて彼女を外に連れ出したリアは、通りすがった村で彼女の世話を頼もうと考えますが…。

 生まれつき体に宿す闇の力ゆえに、城に囚われていた少女リルーンが、運命的に出会った吟遊詩人の青年リアと共に冒険の旅に出る…というファンタジー作品です。
 最初はリルーンがなぜ監禁されているのか、彼女がどんな力を持っているのかははっきり分かりません。リアにしても、城から発せられる謎の力と、自らの持つ竪琴の魔力に引きずられて、行きがかり上リルーンを助けてしまうというような流れで、常識知らずで傲慢なリルーンに対して、むしろ嫌悪感を抱いてしまうのです。

 ある事件をきっかけに、二人は生き別れになってしまうのですが、リルーンの運命に同情的なリアが、嫌々ながら義侠心を発揮して、彼女を助けにいくことになります。その過程で二人の間に絆が生まれていく…という展開はオーソドックスではあるものの、王道的な魅力がありますね。
 二人は何度も危機に会い、命の危機にも何度もさらされることになりますが、そのたびごとにリルーンの体に潜む闇の力、またはリアの竪琴の魔力によって切り抜けていきます。出自からして邪悪なものを宿したリルーンはともかく、リアの竪琴の力に関しても、その魔力は聖なるものというよりは闇の力に近いというのも面白いところです。
 人間の骨を使って作られたという由来が語られるなど、竪琴が作られた経緯を語るエピソードも魅力的ですね。クライマックスでも、この竪琴の魔力に関してはクローズアップされることになります。
 「呪われた」リルーンの性質も興味深いところで、太陽の光に当たると体がやけどしてしまうため、夜にのみ活動したり、ほとんど物を食べずとも生きられるなど、まるで吸血鬼のような生態となっています。

 最終的には「倒すべき」だとされる闇の力なのですが、危機に陥った際にはその力を利用することになったり、またクライマックスでは、闇の力の真相の「理解」に至るなど、単純な善悪二元論的なお話にならないところも魅力の一つですね。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

満たされぬ仲  唐瓜直『さりさりと妻が削れる音がする』

さりさりと妻が削れる音がする Kindle版


 唐瓜直『さりさりと妻が削れる音がする』(Amazon Kindle)は、人の願いを叶えてくれる、紙に描かれた金魚をめぐって、仲睦まじかった夫婦の仲が変容を来してゆくという幻想小説です。

 妻の更紗から妊娠したらしいことを告げられた佐山翔は、一緒に産婦人科を訪れますが、その診断は想像妊娠でした。しかし更紗の腹部は膨らみ続け、彼女の体調も悪くなっていきます。ろくに食べ物も食べない更紗から食べたいと頼まれたのは、祭りの屋台で売っているような焼きそばでした。
 歩き回った翔は、ふと見知らぬ神社の祭りに迷い込みます。突然出会ったTシャツの青年に、来るのは初めてだろうと言われ困惑する翔でしたが、この祭りに新規に訪れた客にはなにがしかのルールがあるようなのです。
 くじを引き、当たった品物により、客の用があるお店が分かるというのですが、当たったのは水道水から塩素を抜くためのハイポでした。翔が行くべきは金魚店だというのです。その店で、翔は、平面の紙の中を動く不思議な金魚を譲り受けます。この金魚には肉体的、あるいは精神的に変貌したい、そんな類の願いを叶えることが出来る、というのですが…。

 想像妊娠が止まらない妻の体を元に戻したいと考える夫が、迷い込んだお店で、不思議な力を持つ金魚と出会う…という幻想的な作品です。
 金魚には肉体や精神を変容させる力があるようなのですが、その力の現れは常識的な形では発現しないようなのです。何らかの病気であるらしい妻を、金魚の力によって治すことができるのか? といったところで、思いもかけない展開になっていくのが読みどころでしょうか。
 仲睦まじかった夫婦の仲が、金魚の力により変容を遂げ、全く違った形になっていくという過程にはホラー味も強いですね。最終的にたどり着いた夫婦の愛の形はどうなってしまうのか? 主人公は幸福になったといえるのか?いろいろと考えさせるテーマもはらんでいます。

 妻の変貌、そしてそれに対して自らも変容を選ぶことになる夫。「さりさりと妻が削れる音がする」というタイトルの意味が分かるクライマックス部分は非常に印象的です。
 翔が訪れることになる祭りや出店も興味深いです。本作では金魚店がメインとなりますが、他にも不思議な力を持つ品物や体験を扱うお店があるらしく、それらの片鱗もさらっと描かれていますね。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

最近読んだ本(評論・エッセイを中心に)

ドイツ怪奇文学入門 (1965年) - – 古書, 1965/1/1


前川道介『ドイツ怪奇文学入門』(綜芸舎)

 戦後ドイツ怪奇幻想文学の翻訳紹介の中心的存在だった前川道介(1923-2010)による、ドイツの怪奇幻想文学の入門書です。
 大きく二部に分かれています。一部では、ドイツという国の歴史や風土、その精神性などを簡単に概説した後、民話や伝承などを紹介しています。グリム兄弟が収集した伝説を中心に、魔術や錬金術、ファウストやパラツェルズスなど、文学的なモチーフの強い伝承が紹介されています。
 二部では、ドイツの怪奇幻想文学が時代を追って紹介されていきます。シラーやゲーテから書き起こし、クライスト、ホフマン、 フケー、ブレンターノ、アルニム、シャミッソー、ケルナー、ハイネなどのドイツ・ロマン派の作家、スイスのゴットヘルフ、ケラー、シュトルム、シュニッツラー、ホーフマンスタール、現代の作家エーヴェルス、シュトローブル、マイリンク、ヴィルヘルム・ショルツ、クービン、カフカ、トーマス・マン、リガの作家ヴェルナー・ベルゲングリューン、レルネット=ホレーニアなどが紹介されています。

 昭和40年(1965年)刊行のため、レルネット=ホレーニア(1897-1976)が一番新しい作家となっていますね。
 単純な作家・作品紹介だけでなく、テーマに関連する伝承や歴史的な事実なども紹介されており、非常に分かりやすくまとめられたドイツ怪奇幻想文学史になっています。翻訳も出て日本でも大分知られるようになった作家だけでなく、今でも翻訳がなかったり、知名度の低い作家も紹介されており、今でも貴重な情報源となってくれます。
 珍しいところでは、フリードリッヒ・ハルム(1806-1871)、パウル・エルンスト(1866-1933)、アレクサンダー・フォン・ベルヌス(1880-1965)などが紹介されています。エルンストは短篇「奇妙な町」の翻訳がありますね。
 後に、創土社などでドイツ怪奇幻想文学を紹介することになる著者ですが、この時点では本が入手できていないものも多かったようで、例えばシュトローブルの項には、一冊も入手できていない、との言葉も見えます。

 文学研究において、小作家や娯楽小説が不当に扱われているのではないか、との慨嘆の言葉が、本のところどころで見られるのも、時代を感じさせるところではあります。
 紹介されている作家・作品では、後に、自ら翻訳した創土社の単行本や、責任編集として関わった《ドイツ・ロマン派全集》などで紹介されたものも数多く見られます。その点、視野も非常に広いです。
 類書がないというのもありますが、ドイツ怪奇幻想文学の入門書として、今読んでも面白く、参考になる本になっています。これはぜひ復刊していただきたいですね。



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ジュール・ヴェルヌとフィクションの冒険者たち 単行本 – 2021/3/25


新島進編『ジュール・ヴェルヌとフィクションの冒険者たち』(水声社)

 ヴェルヌとヴェルヌに関わる作家についての評論を集めた本です。取り上げられている作家は、ポー、ホフマン、デュマ、プルースト、レーモン・ルーセル、クルト・ラスヴィッツ、コナン・ドイル、スタニスワフ・レムなど。
 なかでも興味深く読んだのは、ヴェルヌにおけるホフマンの影響を語った「物質主義の矯正装置としての幻想―ヴェルヌとホフマン」(フォルカー・デース)、デュマ作品とヴェルヌ作品を比較した「或る復讐譚の変奏―『モンテ=クリスト伯爵』から『シャーンドル・マーチャーシュ』へ」(三枝大修)、レーモン・ルーセルへのヴェルヌの影響を語った「師弟の邂逅―ヴェルヌとルーセル」(新島進)、ドイツSFの父と言われるクルト・ラスヴィッツとヴェルヌについて語った「〈ドイツのヴェルヌ〉と呼ばれたくなかった男―ヴェルヌとラスヴィッツ」(識名章喜)などでしょうか。

 特にユニークだと思ったのは「〈ドイツのヴェルヌ〉と呼ばれたくなかった男――ヴェルヌとラスヴィッツ」。ヴェルヌにライバル意識を抱いていたらしいドイツの作家ラスヴィッツについて語られているのですが、ヴェルヌ作品との比較を通して、ラスヴィッツ作品、ひいてはドイツSFの弱点が赤裸々に語られるという、面白い論考となっています。
 個人的にこのラスヴィッツという作家に関心があることもあって、興味深く読みました。ラスヴィッツの短篇、「シャボン玉の世界で」『独逸怪奇小説集成』国書刊行会 収録)とか「万能図書館」『世界SF全集 31 世界のSF 短篇集 古典篇』早川書房 収録)は結構面白かった覚えがあるので、他の作品も読んでみたいのですよね。



ブラッドベリ、自作を語る 単行本(ソフトカバー) – 2012/6/2


レイ・ブラッドベリ、サム・ウェラー『ブラッドベリ、自作を語る』(小川高義訳 晶文社)

 作家レイ・ブラッドベリの晩年における、様々なテーマについてのインタビューを集めた本です。
 タイトルが「自作を語る」となっていますが、自作についての言及は思いの外少なく、作家自身の思想、人生体験、映画人や作家との交流エピソードなどが大部分を占めています。聞き手のサム・ウェラーの狙いはブラッドベリの全体的な人間像を描き出すことにあるようで、政治や信仰などを含め、思想的・伝記的なところを中心に聞き出している感じです。
 映画との関わりが深い著者でもあるだけに、映画関係や監督・俳優たちとの交流エピソードが多く登場し、誰でも知っているような有名人の名前も散見しますね。

 交流エピソードで個人的に興味を覚えたのは、ロッド・サーリングとチャールズ・ボーモント。
 サーリングは、気さくな人物であると同時に、結構厚かましい人でもあったようです(ブラッドベリから見て)。「トワイライトゾーン」のエピソードが明らかに『火星年代記』を下敷きにしており、本人もそれを認め、権利を買うといいながらそれっきりだったとか、それ以降もヘンリー・カットナーやジョン・コリアの作品から借用を繰り返していたとか。
 ジョン・コリアの作品に関しては、ブラッドベリもかなり影響を受けているようです。他に影響を受けた作家としては、ロバート・A・ハインライン、リイ・ブラケット、シオドア・スタージョン、ユードラ・ウェルティ、ヘミングウェイ、ジョン・スタインベックなどの名が挙げられていますね。
 チャールズ・ボーモントはブラッドベリの直接の弟子筋だった人で、自分に最も似た作家はボーモントだったと発言しています。ブラッドベリに読んでみてほしいと渡された作品が短篇「ロバータ」だったそうです。サーリングにボーモントを紹介したのもブラッドベリだったとか。

 自作について言及されるのは、やはり『華氏451度』『火星年代記』などの代表作が多いですが、個々の短篇についてもところどころで触れられています。
 「すばらしき白服」「夜の出来事」「二度と見えない」が実話に基づいているとか、「優しく雨ぞ降りしきる」が、広島の原爆写真からインスピレーションを得ている、というのも興味深く読みました。恐怖小説の名品「群衆」が、十代の頃に目撃した凄惨な自動車事故の目撃体験が元になっている、というのもなるほど、という感じです。
 インタビュー時に既に高齢になっているにも関わらず、全体にブラッドベリの発言は、非常にポジティブで感性豊か。おもちゃをずっと集め続けている、というのもブラッドベリらしいです。「作品秘話」という面ではちょっと物足りないのですが、読んでいて心地よい本になっています。



ミステリ編集道 単行本(ソフトカバー) – 2015/5/21


新保博久『ミステリ編集道』(本の雑誌社)

 戦後ミステリに関わった13人の編集者のインタビュー集です。有名な作家・作品の話がさらっと出てきて、大変面白い本です。編集者の激務もすごいですし、流行作家たちの変人ぶりが描かれる部分も興味深く読めますね。
 面白く読んだのは、「大坪直行(宝石社/「宝石」編集長)」「中田雅久(久保書店/「マンハント」編集長)」「八木昇(桃源社/大ロマン復活の仕掛け人)」「島崎博(幻影城/「幻影城」編集長)」「宍戸健司(角川書店/角川ホラー文庫、日本ホラー小説大賞を創設)」「染田屋茂(早川書房/ポケミスと「ミステリマガジン」編集部)」「藤原義也(国書刊行会/「世界探偵小説全集」を刊行)」などのパート。
 昭和の時代だけに、結構いい加減なことをしている部分もあるのですが、作家や出版社と編集者とが思わぬところでつながっていく、というのは、やはり「縁」なのだなあとも思わされます。

 読んでいて、思わぬところで思わぬ人の名前が出てくるのも、裏話として面白いです。例えば、「新青年」末期の編集者だった中田雅久さんが矢野目源一に会いに行ったとか、雑誌「幻影城」に挿絵の持ち込みをしてきた人の中に佐竹美保さんがいたりとか。
 桃源社の<大ロマンの復活>シリーズ刊行に、澁澤龍彦が関わっていたというのも、面白いトピックですね。特に、小栗虫太郎は澁澤が強く推していた作家だったとか。
 それぞれの編集者が手掛けたシリーズや本のリストが付けられているのも参考になります。戦後日本のミステリ出版に興味のある人には、面白く読める本ではないかと思います。



戦後創成期ミステリ日記 単行本 – 2006/4/1


紀田順一郎『戦後創成期ミステリ日記』(松籟社)

 戦後に青年時代を過ごした著者が、推理小説同好会やミステリ同人団体の同人誌に書いた、ミステリ関係の評論を集めた本です。
 当時リアルタイムで出版されたミステリの批評や、出版社に対する意見などが収録されていますが、そのどれもが、毒舌といっていいほどの強烈な筆で書かれています。著者がつまらなかった作品は、容赦なくつまらない、と書かれているのです。
 ただ、掛け値なしに傑作と評されているものは少なく、大部分が何かしらの欠点を上げられているので、この批評を読んで、本を読みたくなるという感じにはならないですね。どちらかと言うと、読者が自分も読んだ本について、著者がどう見ているのか参考にする、といった感じでしょうか。

 怪奇幻想小説紹介にも深く関わった著者だけに、ミステリ作品にまじって、怪奇幻想作品も時折紹介されています。ただこちらのジャンル作品に対しても、毒舌は発揮されていて、全体にかなり手厳しいです。
 例えば、ウォルター・デ・ラ・メア『死者の誘い』はこんな感じ。引用しますね。

 「要するに半世紀近く前の怪奇小説であり、とにかく言語に絶した退屈さであります。そばに置いておくと、蛍光灯がこわれるほどであります。」

 その毒舌は、師匠である平井呈一の訳本に対しても発揮されていて、こちらは『屍衣の花嫁 世界怪奇実話集』に対しての批評。

 「…平凡な怪談でも実際にあったと思えば、あるいはこわいかもしれません。それがドキュメント精神などこれっぽっちもない、通俗読物風に並べられただけでは、全然問題になりません。夜の十一時以降は読まないで下さい、などと書いてあるのも、そんなに遅く読み始めても。すぐグウグウ眠ってしまうからでありましょう。NOT・TO・BUY。」

 全体に強烈な筆鋒であるので、読んでいてちょっと怯んでしまうのですが、1950年代~1960年代に出版された翻訳ミステリ・怪奇幻想小説や、それに対してのリアルタイムでの反応が記された資料として、とても面白い本になっているかと思います。



ユリイカ 2021年10月臨時増刊号 総特集◎須永朝彦 ―1946-2021― ムック – 2021/9/8


『ユリイカ2021年10月臨時増刊号 総特集=須永朝彦』(青土社)

 先日亡くなった作家須永朝彦が残した多方面の業績について、いろいろな面からアプローチしたエッセイ・評論が集められています。個人的には、著者と直接的なつきあいのあった人たちの語る、作家自身の人間像についての部分を面白く読みました。
 歌人、エッセイスト、アンソロジストとしての業績についての文章が多くなっています。幻想文学ファンとして一番気になる須永朝彦の小説について語っている文章は少ないのですが、その中では、 吸血鬼小説集『就眠儀式』について語った、川野芽生「〈永遠〉に開いた小窓――『就眠儀式』とその思い出」 、自身の吸血鬼文学研究と併せて、日本の吸血鬼テーマ創作の先駆者としての須永朝彦を語った、下楠昌哉「美しき吸血鬼――須永朝彦さんへの感謝を込めて」が面白いですね。

 東雅夫×礒崎純による対談「幻の夢をうつゝに見る人――幻想と唯美とその晩年」も興味深く読みました。読んでいると、癖のある仕事人としての一面が浮かび上がってきますね。 『書物の王国 吸血鬼』に収められた、詠み人知らずのスロヴァキア古謡「死者の訪ひ」(須永朝彦訳)が、翻訳ではなくフェイクで、須永さんの創作だった、というのは初めて知りました。

 山尾悠子のエッセイ「去年の薔薇」では、編者となった『須永朝彦小説選』(ちくま文庫)について、「故人の如き超絶マイナー作家」の文庫本は、この時期でなければ難しい、と編集者から言われたと書かれています。
 それを知ると、著者の作品の復刊や新刊は難しいような気もしています。現に国書刊行会から出た『須永朝彦小説全集』、著者の没後、やたらと古書価が上がってしまいました。
 とりあえず、この度刊行された、文庫版『須永朝彦小説選』が売れて、新たな企画につながるよう期待したいところです。
 ちなみに、個人的にクラシックの古楽、特にチェンバロ音楽が好きなのですが、もともとこの楽器が気になるようになったのは、須永朝彦作品の影響によるところが大きいです。


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神秘なる出会い  ロナルド・ファーバンク『オデット』

オデット 単行本 – 2005/12/14


 イギリスの作家ロナルド・ファーバンク(1886-1926)の『オデット』(柳瀬尚紀訳 講談社)は、純真な少女が現実と貧困に出会う様子を象徴的に描いた幻想的な小説作品です。

 インドからの船旅の事故で両親を失った幼い少女オデット。同じく夫を失った叔母ヴァレリ・ダントルヴェルヌに引き取られたオデットは、居城の古い城で暮らすことになります。信仰心の篤いオデットは、聖母マリアに会おうと夜中に城を抜け出します。
 うめき声を耳にしたオデットは、川堤で一人の女が横になっているのを見つけます。頬紅を塗りたくり、険しい表情の女に対し、オデットは彼女を聖母だと思い込みますが…。

 幼く純真な少女と娼婦と思しい女の深夜の出会いを、象徴的に美しく描いた小品です。
 最初は聖母かと思った女が苦しんでいることを見て取ったオデットは、純粋に彼女を救いたいと考えます。また最初はオデットを馬鹿にしていた女も、その純真さに心を打たれ、生きる力を取り戻すことになるのです。
 女を聖母だと勘違いしてしまう幼いオデットはもちろんのこと、相手の女もまた、オデットに聖母とまではいかないにしても「天の遣い」であるかのようなイメージを持つようになります。

 初めて現実の悲惨さを目にしたオデットが成長し、一方、女は生きる力を取り戻すという、「聖」と「俗」が象徴的に入り混じるかのような寓話とも読めますね。二人の間に介在するのは、神の救いと聖母の幻影。超自然的な現象は全く起こっていないにもかかわらず、二人の間には何か神秘的な出来事が起こったのと同じような感動が生まれている…という、美しい小説作品となっています。

 大部分のページが、山本容子の銅版画で彩られており、瀟洒な挿絵本としても楽しめる本になっています。原題は「オデット、けだるい大人のための童話」だそうで、こちらのタイトルも良いですね。
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幻想のインド  タニス・リー『タマスターラー』

タマスターラー (ハヤカワ文庫FT) 文庫 – 1987/3/1


 タニス・リーの短篇集『タマスターラー』(酒井昭伸訳 ハヤカワ文庫FT)は、現実には存在しないインドを舞台にした、幻想的な連作短篇集です。
 古い時代のインドから未来のインドまで、時代は様々ですが、現実とは異なるインドを舞台にした作品が集められています。そこに「輪廻転生」や「業」といったヒンドゥー教の思想が絡んだファンタジーが、エキゾチックな香りと共に語られていくという幻想的な短篇集です。
 主人公となるのは、インドに生まれた人々であることもあるし、そこを訪れたヨーロッパ人であることもあります。また主人公はヨーロッパ人でありながらも、それを語る語り手はインドの人間、というパターンの作品も交じっていますね。
 インド神話的な英雄譚、哲学的な文芸小説、恋愛物語、近未来SFなど、さまざまなジャンルの作品が収められています。共通するのは、現実とは異なるものの、エキゾチックな背景のインドの土地柄、そして輪廻転生を始めとしたヒンドゥー教的な世界観です。特に転生をモチーフにした物語が多く、「龍(ナーガ)の都」「炎の虎」「運命の手」「象牙の商人」「暗黒の星(タマスターラー)」は、それがメインのモチーフとなっていますね。

「龍(ナーガ)の都」
 横暴な父親からその柔弱さを馬鹿にされている少年デイヴィッドは、妖魔の化身である家庭教師の女性アグニーニーの案内のもと、地下の蛇の都を訪れるます。そこでは少年は、屈強な肉体を持つ大人の男性として転生しており、ナーガ族の男と決闘を繰り広げることになります…。
 インド神話を思わせる風格の英雄譚となっています。冒険を経て少年が成長を遂げる、という展開も良いですね。

「炎の虎」
 知り合いの狩人ペターサンが人食い虎に襲われ八つ裂きにされたという話を聞いた語り手は、その死の謎を調べようとしますが…。
 なぜ狩人がそんな死を迎えなければならなかったのか、がヒンドゥー教的な思想を背景に語られます。ウィリアム・ブレイクの詩がモチーフとして使われるなど、文学的・哲学的な要素も濃いですね。

「月の詩(チヤーンド・ヴエーダ)」
 
 互いに醜い男と女だと自認しながらも、周囲の勧めもあり結婚したヴィクラムとギーターの新婚の夫妻。ある夜、列車の転覆事故に出遭い、歩いての脱出を余儀なくされます。 森に迷い込んでしまった二人はいさかいを始めますが、月の光のもとで不思議な現象が起こります…。
 互いに妥協して結婚をした夫婦をが、月の下の魔術的な雰囲気の中で、互いの本当の美しさを知り、幸せな結末を迎える…という恋愛物語。これは良い雰囲気の作品です。

「運命の手」
 生まれつきのその美しさと純真さから、皆から愛される少年ラーマージー。母の死後もその性質から苦労知らずのまま成長することになりますが、ある事故を境にその運命は変わることになります。
 一方、美しく生まれた少女スニターは、金持ちのパトロンに囲われますが、自ら毒をあおってしまいます…。
 互いに美しく生まれた少年少女の、それぞれの運命の不思議さを描いた作品です。すれちがいはあるものの、二人の運命が直接交錯するわけではない、というところも不思議な味わいですね。最後に明かされる、輪廻転生的な背景の結末も、非常にファンタスティックです。

「象牙の商人」
 天才作家と謳われ、賞を総なめにするローランド・マイケル・スミス。有名な文学賞の受賞の翌日に、銃で自らの命を絶ってしまいます。その死には、ある殺し屋が関わっていました…。
 天才作家はなぜ死を選ばなかればならなかったのか?を探っていくミステリ的な短篇です。作家の前世の「業」がそれには関わっており、殺し屋はそれを利用した…という、壮大な設定の作品です。
 殺し屋の持って回った手段もどこかおかしいのですが、作家が死を選ぶほどの理由がそこにはあったのか?も含めて、どこかブラックなユーモアがあり、<奇妙な味>風味も強い作品となっています。

「輝く星」
 近未来のインド、映画業界の都として知られる町タージャ。そこにやってきた女優志望の少女インドゥーは成功を収め、誰もが憧れる俳優ヴァシャリとの共演の仕事も舞い込むことになります。やがて惹かれ合った二人は結婚を決意するまでになりますが、彼らにはその日常生活を常時監視する装置が付けられていました…。
 スターとしての地位を手に入れるものの、その生活には、プライバシーはなく、全てが映画会社の意のままにされてしまう…というディストピアSF的な世界観が描かれた作品です。自由を求めるヒロインの脱出は成功するのか? というところで結末は悲劇を迎えてしまうのですが、その結末は非常にブラックで恐怖度が高くなっており、ある種のホラーとしても読める作品になっています。

「暗黒の星(タマスターラー)」
 思想的な動機からテロ行為を繰り返していた男ルナールは、仲間のハンスジョッシュから見せしめとして縛り付けられ、殺害されようとしていました。
 死を目前にしたルナールの前に現れた若い女性は危険をものともせず彼のそばを離れようとはしません。彼女の目的は何なのか…?
 男の危機に現れた謎の女。ルナールの危機と併行して、心を病んだ女性のパートが描かれます。二人の物語がどのように交錯するのか、が読みどころなのですが、二人の関係が明かされる部分には驚きがありますね。SF味の強い作品になっています。
 「輪廻転生」がテーマと言うと、どういう話か見当がつくかもしれません。そのテーマは別としても、人間のトラウマを治療する、寓意的な「癒し」の物語としても秀逸な作品になっています。

 どの収録作もテーマ性が強く、読んでいていろいろ考えさせる作品集になっていますね。それでいてエンターテインメントとして楽しめ、かつエキゾチックなファンタジーとして魅力的な作品集となっています。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



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kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
twitter上でも活動しています。アカウントは@kimyonasekaiです。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」も主宰してます。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド 増補版』『奇妙な味の物語ブックガイド』『海外怪奇幻想小説ブックガイド1・2』『謎の物語ブックガイド』『海外ファンタジー小説ブックガイド1・2』『奇想小説ブックガイド』『怪奇幻想映画ガイドブック』を刊行。「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」も作成しました。



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