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4月の気になる新刊と3月の新刊補遺
発売中 新島進編『ジュール・ヴェルヌとフィクションの冒険者たち』(水声社 3300円)
3月30日発売 『ナイトランド・クォータリーvol.24』(アトリエサード 予価1870円)
4月5日刊 マシュー・バトルズ『図書館の興亡』(白須英子訳 草思社文庫 予価1320円)
4月12日刊 『新青年』研究会編『新青年』 名作コレクション』(ちくま文庫 予価1760円)
4月12日刊 エリザベス・ハンド『過ぎにし夏、マーズ・ヒルで エリザベス・ハンド傑作選』(市田泉訳 創元海外SF叢書 予価2530円)
4月13日刊 高原英理編『少年愛文学選』(平凡社ライブラリー 予価1320円)
4月14日刊 アレックス・パヴェージ『第八の探偵』(鈴木恵訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 予価1254円)
4月14日刊 キャロル・スタイヴァース『マザーコード』(金子浩訳 ハヤカワ文庫SF 予価1386円)
4月14日刊 ヴィクトリア・マス『狂女たちの舞踏会』(永田千奈訳 早川書房 予価2640円)
4月21日刊 エドガー・アラン・ポー『赤い死の舞踏会 付・覚書(マルジナリア)』(吉田健一訳 中公文庫 予価1100円)
4月22日刊 ブライアン・W・コリンズ『365日、1日1本毎日ホラー映画』(仮題)(入間眞、有澤真庭訳 竹書房 予価3645円)
4月26日刊 フィリップ・プルマン『ダーク・マテリアルズⅠ 黄金の羅針盤 上・下』(大久保寛訳 新潮文庫 予価各781円)

 『ジュール・ヴェルヌとフィクションの冒険者たち』は、E・T・A・ホフマン、E・A・ポー、レーモン・ルーセルなど、ヴェルヌと関わりのある作家とヴェルヌについて書かれた評論集です。ヴェルヌに影響を与えた作家、与えられた作家に関心のある人には面白い本では。

 エリザベス・ハンド『過ぎにし夏、マーズ・ヒルで エリザベス・ハンド傑作選』は、ネビュラ賞や世界幻想文学大賞の受賞作4編を収めた抒情SF作品集とのこと。

 アレックス・パヴェージ『第八の探偵』は、作家が主人公で、7篇の作中作が埋め込まれたメタ的なミステリだそう。これは面白そうですね。

 キャロル・スタイヴァース『マザーコード』はSF作品ですが、あらすじが面白そうです。「バイオ兵器が致死的感染症となり、世界中に広まった! 人類滅亡の危機に、〈マザー〉ボットによる人類養育計画が発動するが……!?」


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

自然と妖精たち  アリソン・アトリー『氷の花たば』『西風のくれた鍵』

氷の花たば (岩波少年文庫 (2133)) 新書 – 1996/10/15


アリソン・アトリー『氷の花たば』(石井桃子、中川李枝子訳 岩波少年文庫)
 民話を思わせる素朴なお話が多いのですが、どの作品でも背景となる自然が美しく描かれています。

「メリー・ゴー・ラウンド」
 毎年開かれる緑地でのフェアを楽しみにしている双子の少年ジョンとマイケル、今年もやってきたキャラバンのリーおばあさんにプレゼントをした二人は、お礼にとローマ時代に作られたらしい美しい呼び子をもらいます。
 夜にそれを吹くと、木で作られた木馬たちが生き物のように動き出します…。
 魔法の呼び子によって木馬たちが動き出すというファンタジー。夜を舞台に美しい光景が描き出されています。

「七面鳥とガチョウ」
 オスの七面鳥に誘われて、メスのガチョウは向かいの丘を越えたところにあるお城でクリスマスを過ごすために出かけることにします。やがて途中で出会ったコブタやキジ、はてはプラム・プディングたちを仲間に加え、辿りついた城は、泥棒たちのかくれ家になっていました…。
 パーティを組んだ動物たちが泥棒を撃退するという物語。動物だけでなく、プディングが登場人物として登場するのがユニークですね。

「木こりの娘」
 森に住む木こりの夫婦の間に生まれた美しい娘チェリー・ブロッサムは、編み物や仕立物で生計を立てていました。ある日、暖炉の炎の中から金色のクマが現れ、彼女にイラクサの上着を縫ってくれるように頼んできますが…。
 編み物の名手の娘が植物をもとに上着やドレスを編むことによって呪いを解き、幸せになるというフェアリー・テール。炎の中から現れる金色のクマのイメージはユニークですね。主人公チェリーの祖母も金色のクマから編み物を依頼された経験が語られることから、呪いが遠い昔からあったことが匂わされるなど、ちょっと不穏な雰囲気もあったりします。
 イラクサの上着、サクラの花びらのドレスなど、作中で現れる着物のイメージも美しいです。

「妖精の船」
 船乗りの息子トムは、クリスマスにはサンタクロースが船と共にやってくると想像していました。やがて船に乗りプレゼントを持ってやってきたのは、思いもかけないものたちでした…。
 妖精が少年のもとにやってくるというお話なのですが、その姿形はユニーク。ユーモラスなクリスマス・ストーリーです。

「氷の花たば」
 吹雪の中で道に迷い、凍死しかかっていたトム・ワトソンは、真っ白なマントをはおった不思議な男と出会い、彼の案内で九死に一生を得ます。お礼をしたいというトムに対し、男は、彼の家の炉辺の上のバスケットの中にあるものをもらいたいと言い残します。
 帰宅したトムは、赤ん坊の娘ローズがバスケットの中に寝かされているのを見て驚きますが、男との約束を夢だったと思い込もうとします。ローズは美しく成長しますが、色白できゃしゃな外見にも関わらず、冬にはなぜか元気を取り戻し活動的になっていました…。
 冬の精霊らしき存在に助けられた男が、そのお礼として自分の娘を差し出すことになってしまう、という物語。娘には赤ん坊の頃から、その精霊の加護があるようで、娘自身も進んで男のもとに嫁ごうと考えるのです。
 人間だった娘が精霊たちの世界に行ってしまうというラストは、幸せに暮らしたという記述がありながらも、どこか淋しさを感じさせる雰囲気が強くなっています。

「麦の子 ジョン・バーリコーン」
 生き物に優しく、慎ましく暮らしていたおばあさんは、ある日、道端で緑がかった黄色い包みを拾います。その包みの中には、見たことのない金色の卵が入っていました。そこから生まれてきたのは、妖精のような子どもでした。
 自らジョン・バーリコーンと名乗る子どもは、おばあさんの息子として生活するようになります。あっという間に大きくなったジョンは、おばあさんの手伝いをするようになりますが…。
 妖精の子どもを拾ったおばあさんを描く物語です。時折、子どもを加護する親のような精霊が現れたり、自らも人間たちの収穫を多くしたりと、どうやら彼は豊穣を司る妖精のようなのです。
 あっという間に成長し、いつの間にかいなくなってしまう子どもなのですが、そのひとときでおばあさんを含め、周囲に幸せを振りまいていく、というお話になっています。



西風のくれた鍵 (岩波少年文庫) 単行本 – 2001/2/16


アリソン・アトリー『西風のくれた鍵』(石井桃子、中川李枝子訳 岩波少年文庫)
 美しいイメージの横溢する童話集です。

「ピクシーのスカーフ」
 おばあさんと一緒に荒野へコケモモ摘みに出かけた少年ディッキー・バンドルは、虹色の小さなスカーフを見つけます。それはピクシーの持ち物なのだから捨てるように言われたディッキーですが、その美しさに惹かれて持ち帰ってしまいます。
 スカーフを身につけていると、地面の中に埋まっているものが見えたり、周囲の動物たちの声が聞こえることに気付くディッキーでしたが…。
 ピクシーの魔法のスカーフを手に入れた少年が、その能力を使って楽しいひとときを過ごしますが、スカーフを取り戻すために現れたピクシーたちと交渉することになる、という物語です。
 主人公の少年がなかなかに商売上手で、スカーフの力を楽しんだうえで、さらにその返還の条件として富を手に入れてしまいます。怠け者で遊び好きの少年が幸福になる、という点で爽快なお話ではありますね。
 おばあさんは、ピクシーのスカーフや、その能力によって地面の下から見つけたお金を忌み嫌うのですが、孫が交渉で手に入れた富は受け入れる、というのも面白いところです。

「雪むすめ」
 氷でおおわれた北の国を統治する霜の大王と妃の氷の女王は深く愛し合っていましたが、子どもがないことだけが悲しみの種でした。北風は王たちの願いを叶えるために、世界中を飛び回りますが、王女にふさわしい子どもを見つけることができません。
 ある兄弟が作った少女の雪像に美しさを見てとった北風は、そこに命の風を吹き込み、彼女を国に連れ帰ります…。
 命を吹き込まれ王女になった雪像が、北の国で幸せに暮らしますが、ふと自分を作ってくれた少年の記憶を思い出すことになる、という物語。美しいイメージの作品なのですが、半永久的な命を持つようになった王女に対し、彼女を作ってくれた少年たちの純粋さは失われてしまったことが描かれるなど、かすかな無常感が感じられるところも魅力ですね。

「鋳かけ屋の宝もの」
 年配の鋳かけ屋は、田舎町を歩き回っては、貧しい人たちのために金物を修理する仕事を請け負っていました。あるお屋敷で修理をしていたところ、庭師が掘り出したという金属のかたまりをもらいます。
 それでおもちゃでも作ろうと考えていたところ、火にかざした金属はひとりでに形を変え、半分は動物、半分は人間の姿をした像になります…。
 善人の鋳かけ屋が富を手に入れるというお話ですが、そのきっかけになるアイテムとその展開がユニークですね。夢によって富の場所が暗示される、という夢テーマの作品でもあります。

「幻のスパイス売り」
 お城のコック長ダンブルドア夫人の下で働く見習いコックのベツシーは、1年に1度だけやって来るスパイス売りのおばあさんのところへ、ケーキ用のスパイスを買いに出かけます。敬意を忘れないベツシーに対しておばあさんは、ナツメグ、シナモン、ジンジャーなど、ベツシーのために特別にスパイスを分けてくれます。やがて短気なダンブルドア夫人によってベツシーは解雇されてしまいますが…。
 誠実なコック見習いの少女が、おばあさんからもらったスパイスによって幸せを手に入れるという物語。スパイス売りのおばあさんはおそらく魔法使いなのですが、その来歴や詳細が明かされないところもミステリアスですね。
 おばあさんのバスケットに最後に入っていたものとは何なのかか? 美しく閉じられる結末の情景も良いですね。

「妖精の花嫁ポリー」
 ダートムアの田舎の家に、農家の作男が、妻と14人の子どもを抱え暮らしていました。ある日、働き者の美しい長女ポリーを嫁にもらいたいと、小さなピクシーの男が現れます。お礼に欲しいだけの金貨を渡すと言いますが、両親は断ります。
 しかし家族を楽にしてやりたいということと、ピクシーの男が誠実そうに思えたことから、ポリーは嫁に行くことを承知します。魔法によって体の小さくなったポリーは、ピクシーの国で暮らすことになります。
 子どもも生まれ夫と共に幸せに暮らすポリーでしたが、魔法の力により人間社会での記憶は薄れていました…。
 妖精の国に嫁ぐことになった人間の娘を描く作品です。そこではいつまでも若く美しいまま幸せに暮らすことができるのですが、その代わり人間世界の記憶は薄れてしまいます。ふと実家の家族たちのことを思い出した主人公は、彼らに会いたいと思うようになるのです。
 しかし人間と妖精の国での時間の流れ方は異なるようで、人間世界に戻ったヒロインはショックを受けることになるります。手に入れた幸せと同時に、失われたものものもあるという、喪失感に満ちた作品です。
 過去の記憶を封印されたヒロインは本当に幸福なのか? というところも、いろいろ考えさせられますね。

「西風のくれた鍵」
 西風は謎かけの歌と共に、カエデの実を幼いジョンのもとに投げつけていきます。カエデの実を鍵のように使い木を開くと、中には戸棚のようなものがあり、木が隠しもっていた情景が現れます…。
 少年が、木の実を鍵代わりに使って、様々な木が隠し持つ秘密をのぞき見る、という物語です。英語の「key」には「鍵」の意味のほか、「羽根のついた実」の意味もあることから、木の実が木の戸棚を開ける鍵にもなっているという洒落た趣向です。
 カエデ、トネリコ、カシなど、木の種類によって、隠し持っている秘密の情景は異なっており、少年がのぞき見ることになる情景は、それぞれの美しさを抱えています。純真な少年の前に、大自然の神秘がほんのちょっとだけ開示される、という美しい小品です。
 少年の父親が、それぞれの木に対して、木ごとの役割や有様を語るというシーンが繰り返されるのですが、ここにも自然に寄せる崇敬と信頼の念が溢れており、作品の魅力ともなっています。


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戦いの果て  マックス・ブルックス『WORLD WAR Z(ワールド・ウォー・ゼット)』

WORLD WAR Z(上) (文春文庫) Kindle版

WORLD WAR Z 下 (文春文庫) 文庫 – 2013/3/8


 マックス・ブルックスの長篇『WORLD WAR Z(ワールド・ウォー・ゼット)』(浜野アキオ訳 文春文庫)は、大量発生したゾンビと人類との戦争、その終結後に世界各地で生き残った人々の証言をまとめたドキュメント、という形式のユニークなホラー作品です。

 ウィルスによる人間のゾンビ化が発生し、瞬く間にその疾病は世界に広がってしまいます。ゾンビそのものによる被害もさることながら、政治的な思惑による核戦争すら発生し、人類は壊滅状態に追い込まれていました…。

 ウイルスによるゾンビ化現象の発端から、最終的に人類がゾンビを掃討するまでが語られる作品なのですが、面白いのはその構成です。ゾンビに対する戦争が終結した後に、世界各地で生き残った人々から、その体験をインタビューによって聞き取りまとめていったドキュメンタリーという体裁になっています。
 固定した主人公というものがなく、さまざまな国籍・職業・性別・年齢の人々の体験が語られていきます。登場する人々も、幾人かの例外を除いて基本的には一回きりです。語り手とその視点が次々に変わり、その意味では、スピーディに読むのはなかなか難しい作品かもしれません。

 「戦争」の初期から後期まで、時系列に人々の話が語られていき、そのそれぞれは断片的なものなのですが、読み通すと大きな物語が見えてくる…という仕組みになっています。本当に断片に近い、人々のリアルな証言、といったパートもあるのですが、ちょっとした長さの短篇として読めるエピソードも多く存在しています。
 中では、極寒の北方に向かった親子の誤算を描くエピソード、墜落した女性パイロットのサバイバルを描くエピソード、引きこもりの青年がマンションから脱出しようとするエピソード、盲目の男が武道の達人となりゾンビを撃退するエピソード、中国の原子力潜水艦が逃げ出し、その艦で家族ともども生活するというエピソードなどは、非常に読み応えのある部分になっています。

 全体にリアルでシニカルな視点で描かれる作品なのですが、時折ユーモア(ブラックなものですが)とファンタジーがかったエピソードが現れることもあり、特にそれが出ているのが、上記にも挙げた、日本が舞台になった二つのエピソードです。
 一つは引きこもりの青年が、ゾンビに襲われマンションから脱出しようとするエピソードで、ロープを作りベランダから脱出しようとするものの、引きこもり生活で肉体が弱っているために、何日間もかかってしまう…というお話になっています。
 もう一つは、幼いころに盲目になった男がシャベルのような武器を使い、気配だけで大量のゾンビを殲滅する、というエピソード。後にこの男をリーダー、引きこもりだった青年がサブリーダーとして、武闘派集団が結成されるというのも、ちょっとぶっとんだ設定ですね。

 疾病が中国から発生したり、イランとパキスタンが核戦争になってしまったり、ロシアが独自の動きをしたりと、政治的な動向もいろいろ描かれていて、国際政治小説的な面白さもありますね。
 世界各地のさまざまな動向が描かれるだけに、それぞれのエピソードの味わいも千差万別、いろいろなジャンルが味わえるジャンルミックス的な作品にもなっています。

 メインテーマとなるゾンビに関しては、動きはにぶく、脳を破壊すれば死ぬ、というオーソドックスな設定のようです。面白いのは、海中におちたゾンビが何年も生存し、船や潜水艦の航行時に障害になる、というところでしょうか。
 作中では、ゾンビがなぜ海中で長時間活動できるのか? というところが謎になっているようですね。
 あと、ユニークなのは「寝返り」という設定。精神的におかしくなり、生者でありながらゾンビに成りきっている、という人間たちを指しています。
 本物のゾンビと、この偽者である「寝返り」をどう見分けるのか?といったあたりが描かれる部分も面白いですね。

 本作の構想は、スタッズ・ターケルに代表されるオーラル・ヒストリー(歴史研究のために関係者から直接話を聞き取り、記録としてまとめること)から来ているそうです。そこから、架空のゾンビ戦記に関するオーラル・ヒストリー、というアイディアにまとめたのは慧眼ですね。
 ちなみに、作者のマックス・ブルックスは、映画監督・俳優のメル・ブルックスと女優アン・バンクロフトとの間の息子だそうです。

 映画化作品『ワールド・ウォーZ』は、あれはあれで面白く観たのですが、原案にJ・マイケル・ストラジンスキーが関わっているというのも初めて知りました。
そもそも原作が、ゾンビ戦争終結後の世界各地の人々へのインタビュー集、という体裁なので、そのままの映画化は難しいのではありますが。


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キリストと会った男  デイヴィッド・グレゴリー『ミステリー・ディナー』

ミステリー・ディナー 単行本 – 2005/11/26


 デイヴィッド・グレゴリー『ミステリー・ディナー』(西田美緒子訳 ランダムハウス講談社)は、イエス・キリストと名乗る男からディナーの招待を受けた男の不思議な体験を描く作品です。

 サラリーマンのニックのもとに、夕食会の招待状が届きます。場所はイタリアン・レストラン、差出人は「ナザレのイエス」を名乗っていました。現れたのは30代のスーツ姿の男でした。男の言葉を疑いながらも、彼がニックしか知りえない事をいくつも知っていること、そして彼の言葉に説得力があることなどから、本当に目の前の男はイエスではないのかと信じ始めます…。

 あらすじから、コメディ調の作品を予想したのですが、案に相違して、しごく真面目な作品でした。
 仕事の忙しさから、幼い娘の世話をする時間も取れず、それにより妻との仲もぎくしゃくしている男ニックが主人公。イエスを名乗る男とニックは、神と人間との関係について議論をすることになります。
 「イエス」の話の中で、ヒンズー教や仏教、イスラム教など、他の宗教との比較も行われ、真面目な宗教論が戦わされていくのですが、その論旨は優しく、分かりやすいものになっています。「イエス」が話すキリスト教の話はいささか逆説的な表現が多く、ユニークなものになっていますね。
 いくら善行をしても修業をしても、それだけでは神には近づけないとか、善人も悪人も神から見れば大して変わらない、というのも、解説されると、なるほどという感じです。
 宗教心が強いわけでも、「イエス」の言葉を信じきったわけでもない主人公ニックが、それでも何か人生を変えるような決意を抱いて帰宅する…というのも、良いラストになっていますね。
 「イエス」が語る言葉は、キリスト教徒でなくても分かりやすいものになっています。風変わりな設定ではありますが、瀟洒なキリスト教的ファンタジーとして良い作品ではないかと思います。

 この作品、『神様の食卓』(ランダムハウス講談社文庫)というタイトルで文庫化もされていますが、版元がなくなってしまったため、どちらも廃版になっています。


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人生の代償  クリストファー・ファウラー『スパンキイ』

スパンキイ (創元推理文庫) 文庫 – 2000/12/1


 クリストファー・ファウラーの長篇『スパンキイ』(田中一江訳 創元推理文庫)は、冴えない青年が守護精霊を名乗る男によって成功を手に入れるものの、思いもかけない事態に追い込まれる…というホラー・ファンタジー作品です。

 家族の誰からも信頼されていた長男ジョーイを失って以来、マーティン・ロスの人生は上手く行かなくなっていました。昇進の見込みもない家具店に勤め、恋人も友人もないマーティンは、ある日、並外れてハンサムな青年と出会います。
「スパンキイ」と名乗る彼は、守護精霊であり、マーティンの人生を良い方向に変えてやろうと話します。詐欺ではないかと一度は断ったマーティンでしたが、オカルトに詳しいルームメイト、ザックから話を聞いて、考えを変えます。スパンキイと契約したマーティンは、彼の指導でたちまちのうちに望み通りの人生を手に入れることになりますが…。

 守護精霊スパンキイと契約した青年が、人生をいい方向に変えていくことになりますが、思わぬ落とし穴が待っていた…というホラー・ファンタジー作品です。
 自らを悪魔ではなく、魂を要求もしないと語るスパンキイの言葉を信じたマーティンは、彼の言うとおりに行動することで、地位や富、美女などを手に入れていくことになります。
 長男ジョーイの死によって機能不全になっていた、マーティンの家族のケアまでをも引き受けてくれるというのです。両親の夫婦仲やひきこもっていた妹のことまで面倒を見てくれるスパンキイに対して、マーティンは彼を信用することになります。

 あらすじを読んで何となく予想がつくとは思うのですが、いわゆる<悪魔との契約>テーマのバリエーションと言っていい作品になっています。後半は、豹変したスパンキイがマーティンにそれまでの慈善の代価を要求することになり、それが払えないマーティンはとんでもない目に会うことになるのです。
 前半でその有能さ、万能感を見せつけただけに、スパンキイが敵に回った瞬間、マーティンはあらゆる手段で苦しめられることになります。そもそもスパンキイは彼以外には見えず、彼がスパンキイのことを訴えても誰にも信じてもらえません。
 しかもマーティンのふりをして相手を騙したり、犯罪を犯したりもするのです。殺人にもためらいがなく、無関係の人物も冷酷に殺していくことになります。孤立無援のマーティンはどうスパンキイに対抗することになるのか? といったところが読みどころでしょうか。

 守護精霊とはいいながら、その実スパンキイはほとんど悪魔といっていい存在で、実際にその行動も悪魔的。幻覚を操って人の精神をコントロールしたり、もちろん物理的に人を殺すことも可能。家族や友人を人質にとったりと、その行為は手段を選びません。
 全く対抗の手段がなく追い詰められていく主人公の姿を描く部分は、サスペンスがたっぷりになっています。

 徹頭徹尾ブラックな展開ながら、主人公マーティンにはある種の良識や良心があり、家族思いの人物でもあるため、残酷ではありますが不快な作品にはなっていないところも好感触です。望んでいた地位にも恋人にも裏切られた後、本当に大切な人は誰だったのかが分かる…という展開も良いです。
 前半は冴えない青年のサクセス・ストーリー、後半は精霊からの命がけの逃走という、二つの物語が楽しめる秀作です。


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遠くて近い場所  ロバート・ウェストール『弟の戦争』

弟の戦争 単行本 – 1995/12/1


 ロバート・ウェストールの長篇『弟の戦争』(原田勝訳 徳間書店)は、イラク軍の少年兵と精神が入れ替わってしまったイギリス人の少年と、その家族を描く物語です。

 両親と弟と共に暮らす「ぼく」ことトムは、ことに弟のアンディを生まれた時から愛していました。「ぼく」は、二人の間だけのあだ名として、幼いころの空想上の友達「フィギス」の名で弟を呼んでいました。フィギスは、その優しさのあまり、弱い立場の動物や人間のことを知るととりつかれたようになってしまい、両親や兄の「ぼく」はその優しさに感じ入るものの、たびたび家族を困らせるほどでした。
 中東で湾岸戦争が始まったころのある日、フィギスは突然理解できない奇妙な言葉を話し始めます。ようやく意思の疎通ができるようになった弟は、自分はイラクの少年兵ラティーフであると話します。フィギスが、「ラティーフ」に身体を占領されてしまう時間はどんどんと増えていきますが…。

 湾岸戦争の只中に、突然イラクの少年兵の精神に身体を乗っ取られてしまったイギリス人の少年を描く物語です。この少年フィギス(アンディ)が非常に心の優しい少年なのですが、その優しさは度を越えているほどで、小動物から遠い国の人間にまでもがその対象となっています。
 その優しさが原因で休暇が台無しになってしまうなど、フィギスに対して家族は不満を持つものの、家族は皆彼を愛していました。そのフィギスの性質が原因となったものなのか、ある日彼の身体にイラクの少年兵ラティーフの精神が入り込んでしまうことになるのです。
 理解のある医師ラシードの協力もあり、フィギスの状態は病気ではなく、超自然的な現象なのではないかという結論を「ぼく」は得ることになります。ラティーフがこちらに来ている間、代わりにフィギスはイラクのラティーフの体の中に行っているだろうということ、ラティーフは戦死してしまう可能性が高いだろうということに思い当たった「ぼく」とラシードは、フィギスの身を案じることになります。

 遠い国の戦争、しかもハイテク兵器が多数使用された「近代的戦争」である湾岸戦争を舞台に、どこか遠い世界のことだと思っていた家族たちが、直接の当事者として戦争を実感させられることになる、という、ある種ショッキングな題材を扱っています。
 いわば弟が直接戦争に駆り出されているのと同じなわけで、ラティーフに乗り移られた弟の姿を見て「ぼく」は戦慄することにもなります。
 両親、とくに父親はアラブ人に対して多少の偏見を持っているようで、イラクやサダム・フセインを嫌っています。また担当医師であるラシードが、アラブ人であることも不満の種の一つではあるのです。また母親は福祉に積極的で慈善活動にも協力的なのですが、フィギスの一件でその仕事を辞めてしまいます。

 「戦争は悪」という反戦メッセージが込められた作品ではあるのですが、それ以上に、人に対する優しさはどこまで人を救うことができるのか?という普遍的なテーマが感じられる作品になっています。母親が福祉活動を辞めてしまうのも、自分の無力さを感じたがゆえですし、「ぼく」や父親もまた、フィギスに対して何もできないことに無力感を感じます。
 「人類愛」に近い優しさをもつフィギスもまた、戦争という事態に対してはほとんど何もできません。戦場の悲惨さを目の前にした後に彼に残るものとは何なのか?
 一人一人の優しさで救えるものには限界がある、それでも優しさを持ち続けられるものなのか? 「戦争の惨禍」というもの以上に、「愛」や「優しさ」「良心」といったものについての寓話とも読める作品です。


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万物への変身  ジュール・シュペルヴィエル『日曜日の青年』

日曜日の青年 (1980年) (Serie fantastique) 単行本(ソフトカバー) – 古書, 1980/10/1


 ジュール・シュペルヴィエル『日曜日の青年』(嶋岡晨訳 思潮社)は、魂を他の生き物に潜り込ませることのできる若い詩人が、様々な生き物になって恋する人妻の周囲をさまよいながら、不思議な体験をするという幻想小説です。

 パリの青年詩人フィリップ・シャルル・アペステーグは、南米出身の人妻オブリガチオンに恋をしていました。しかしオブリガチオンは夫のフィルマンを熱愛しており、アペステーグに対しては母親のような愛情を抱いていました。彼女はむしろ、彼のお相手として妹のドロレスがふさわしいと考えていました。
 オブリガチオンと二人きりになった際にアペステーグは衝動的に彼女にキスをしてしまいます。怒ったオブリガチオンに部屋を追い出されたアペステーグでしたが、そこを去りたくないと強く念じた結果、自分の体とは別に、部屋の中にいた蠅の体の中に自分の魂がいるのに気づきます。蠅として、オブリガチオンの周囲を飛び回るアペステーグでしたが…。

 人妻に恋しているうちに、他の生き物に魂を潜り込ませることができるようになった青年詩人を描く幻想的な作品です。
 人妻オブリガチオンは夫を熱愛しており、アペステーグの恋が実る可能性はあまりないのですが、詩人は最初は蠅、次は猫と、他の生き物に潜り込んだ状態で、人妻の後を追いかけ続けます。
 最初は他の生き物だったのが、ついにはオブリガチオンその人と一体化したり、その後はまた別の人間の中に潜りこんだりすることにもなります。他の生物の中に潜り込んでも、その生物の行動には特に影響はないようで、そもそも宿主はアペステーグの存在にすら気が付かないのです。
 物語上、重要な役目を果たすのが、第二部から登場する、ギュチエレッツ博士。小人でありながら、その知識と技術で周囲から尊敬される医師です。オブリガチオンの良き友人になりますが、その後、彼女に恋をして精神錯乱を起こしてしまいます。

 作品は大きく三部に描かれています。第一部では主人公アペステーグが蠅と猫の中に入り込み、オブリガチオンとその周囲を観察することになります。第二部ではオブリガチオン自身に入り込んだアペステーグが、ギュチエレッツ博士の体に入り込むという展開、
第三部では「変身」は起こらず、「詩そのもの」への変身が行われる、という象徴的な結末を迎えます。
 基本、アペステーグのオブリガチオンへの恋がメインの物語なのですが、途中から登場するギュチエレッツ博士の存在感が強烈で、後半では二人の仲を取り持つなど、重要な役目を果たすことにもなります

 詩人でもあるシュペルヴィエルらしく、主人公アペステーグが蠅や猫に入り込んだときはその意識、他の人物、オブリガチオンやギュチエレッツ博士の体に入り込んだときは、その人の体の中から観察する他人の意識など、風変わりな主観描写が非常に面白く描かれています。
 主人公の魂が他の生き物に入り込んだ後、本体の体はどうなっているのか?というのも気になるのですが、本体に関してそちらの意識も普通に続いている、という設定も面白いところですね。
 ただ、魂なしでは、体の本体は生きていけず、だんだんと死に近づいていってしまうのです。魂と体の再会が描かれる部分も、どこか象徴的なものを帯びていて興味深いところです。

 恋愛小説的な部分でも、アペステーグが、恋敵であるはずのオブリガチオンの夫フィルマンに親愛の念を抱いたり、ギュチエレッツ博士に同情したりと、風変わりな味わいですね。<奇妙な味>の恋愛ファンタジーとしてとても面白い作品だと思います。


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生きる力  フランシス・ハーディング『影を呑んだ少女』

影を呑んだ少女 単行本 – 2020/6/22


 フランシス・ハーディングの長篇『影を呑んだ少女』(児玉敦子訳 東京創元社)は、死者の霊を体に住まわせることのできる能力を持つ少女が、同様の能力を持つ一族と戦うことになる歴史ファンタジー作品です。

 17世紀の英国、父を亡くして母親と共に親類の家に身を寄せていた少女メイクピース。彼女には幽霊を憑依させることのできる能力がありました。父親譲りらしいその能力のことも、父親自身のことも母は明かしてくれません。
 母は力を蓄えるためだと称し、メイクピースを定期的に墓場に一人置き去りにしますが、それによって母子の間には溝ができるようになっていました。ロンドンに出た際、政治的な暴動に巻き込まれ母は死んでしまいます。
 ある日死んでしまったクマを見つけたメイクピースは、その境遇に同情し、その霊を体に宿すことになります。
 父方の屋敷グライズヘイズに引き取られることになったメイクピースは、自分と同じ能力を持つフェルモット一族の面々と出会うことになりますが、彼らは私生児であるメイクピースを歯牙にもかけず、召使としてしか扱いません。しかも何らかの目的から屋敷の外に出ることも許さないのです。
 同じ境遇の腹違いの兄ジェイムズと親交を深めたメイクピースは、彼と共に屋敷からの脱出の機会をうかがうことになりますが…。

 死者の霊を体に宿すことのできる能力を持つ少女、メイクピースの運命を描いた、歴史ファンタジー作品です。
 主人公の能力は霊を体に宿すことができるというもの。ただ一時的な憑依ではなく、半永久的に霊を体にとどめておけるのです。取り込まれた霊は人格もそのまま、やり方によっては、その霊の知識や技能をも利用することができます。
 実際、同じ能力を持つ父方のフェルモット家は、一族の繁栄のためにその能力を利用していました。しかしメイクピースが最初に取り込んだのは、動物であるクマの霊。人間と違い、その本能をコントロールすることは難しく、自分の意志とは無関係にクマの本能に支配されてしまうこともあります。フェルモット家で使用人として仕えることになったメイクピースはそのクマの存在を隠して生活することになりますが、クマの力のおかげで危難を脱することにもなるのです。

 屋敷に半ば監禁された形になったメイクピースが、腹違いの兄のジェイムズと共に脱出の機会をうかがうことになるのですが、その過程で、能力の秘密や一族の野望、彼らがメイクピースたちを監視する理由などが明らかになっていきます。さらに屋敷を逃亡してからの展開は波乱万丈で、目が離せなくなりますね。

 主人公の少女メイクピースが、気丈で優しい少女として描かれています。母親との生活における貧困、屋敷での冷たい対応、過酷な逃亡劇など、その人生は最初から最後まで困難に満ちています。舞台となる時代もピューリタン革命の寸前ということで、時代的にも荒れています。
 また、一族が関わる政争に巻き込まれ、スパイのような活動をするようになるシーンもあります。
 様々な困難に会いながらも、メイクピースの「生きる意志」は一貫しています。自らの住む世界が様変わりしても、崩壊しても、それでも生きている、という主人公の行動原理が強力なので、安心して読み進めることができますね。

 最終的には、主人公は複数の霊(人格)を宿すことになります。動物霊であるクマや、中には無理に入り込んだ敵対する勢力の霊までもが混ざっています。性別、年齢、種族さえも異なる複数の霊たちをまとめていくことができるのか? ある種、疑似的な多重人格小説の味わいもありますね。
 敵対することになるフェルモット一族の能力・権力も非常に強力、一族の中には格闘術までもが人間離れしている者もいます。それだけに、孤立無援だったメイクピースが、霊たちの力を借りながら逆襲に転じるという展開には爽快感があります。

 SF・ファンタジー・ホラーなど、多様な要素を含んだ物語で、歴史小説的な面白みもあります。フェルモット一族の後ろ暗い秘密など、全体にダークな色調が濃いのですが、主人公メイクピースの力強さもあって、後味の良い物語に仕上がっています。


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すり替えられた人生  フランシス・ハーディング『カッコーの歌』

カッコーの歌 単行本 – 2019/1/21


 フランシス・ハーディングの長篇『カッコーの歌』(児玉敦子訳 東京創元社)は、「取り替え子」をテーマにした、ダークなファンタジー作品です。

 1920年代のイギリスの町エルチェスター、11歳の少女トリスの父ピアス・クレセントは有名な土木技師であり、町を立て直した功労者として一家は尊敬されていました。しかし長男セバスチャンが従軍して戦死して以来、一家の状態はいびつなものになっていました。
 トリスは病弱だとして過保護にされる一方、妹のペンは一家の困り者として扱われていました。
 ある日、トリスはグリマーと呼ばれている沼地に落ちて意識を失います。目覚めたトリスには一部の記憶が欠落していました。父母の話を盗み聞きする限り、トリスがグリマーに落ちたのには、父の知る何者かが関与しているようなのです。
 また、目覚めて以来、トリスは食欲が異様に昂進していました。食べても食べても空腹が止まらないのです。さらに耳元では「あと何日」という幻聴のような言葉が聞こえます。元から姉を嫌っていたペンは、トリスのことを「偽物」だと言い続けていました…。

 目覚めてから記憶に欠落を抱えている少女トリスが、あやふやな状態のまま自分や家族に何が起こっているのかを探っていく、というファンタジー作品です。何となくの記憶はあるものの、自分や家族の過去に何が起こったのか、なぜ沼地に落ちることになったのか、なぜ妹は自分を偽物だと言い続けるのか…、疑問だらけの状態のトリスが、手探りで周囲を探っていく序盤は不安を含んだサスペンスとして非常に面白い展開になっています。 最初は現実的な感覚で進んでいた物語が、無機物まで食べてしまうトリスの異常な食欲、幻覚とも見まがう不思議な生物が登場したりなど、明らかに超自然的な現象が多発し始めたあたりから、俄然ファンタジー色が強くなっていきます。

 やがてトリスは、自分の真の姿を認識することになりますが、それによってまた新たな冒険が発生することにもなるのです。そして、トリスを憎んでいた妹ペン、不良娘だと思われていた長男セバスチャンのもと婚約者ヴァイオレットなど、それぞれの人物がまた違った面を見せることにもなります。
 登場人物は皆印象的なのですが、特にペンは物語上でも重要なキャラクターです。姉を嫌い、わがままな行動を繰り返す「嫌な子ども」として登場しながらも、主人公と一緒に行動しているうちに、少しずつ暖かい雰囲気が生まれ、やがて互いに愛情を覚えるようになる…という過程も興味深いですね。
 また、トリスの死んだ兄セバスチャンの婚約者だったヴァイオレットは、トリスの父母には不良じみて身勝手な娘として認識されていますが、実際は体面に拘らず強い意志を持つキャラクターで、後々、トリスやペンの力強い味方になる人物です。
 セバスチャンの死によって魔法の呪いをかけられており、それが後半の展開の伏線にもなっています。この「呪い」自体も非常に詩的で魅力があるのですよね。

 主人公を始め、その家族、関係者など、登場する人物たちの印象が次々と変わっていくのが非常に面白い物語です。敵だと思っていた人物が味方だったり、また敵ではあるものの協力することになる人物が現れたりと、時々刻々と様相を変えていく展開は、読者を魅了しますね。

 失われた記憶を探すミステリーであり、自らのアイデンティティーを探す成長物語であり、家族の崩壊と再生を語る物語であり、自分の命を救うタイムリミット・サスペンスでもあるという、多様な要素を含んだファンタジー作品です。傑作といっていい作品ではないでしょうか。


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過去と孤独  キット・ピアソン『床下の古い時計』

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床下の古い時計 単行本 – 1991/1/1


 キット・ピアソンの長篇『床下の古い時計』(足沢良子訳 金の星社)は、少女が古い懐中時計の力により過去にさかのぼり、子供のころの母親と出会うという、時間ファンタジー作品です。

 離婚を前提とした父母の話し合いの中で、12歳の娘パトリシアは、しばらくの間、母ルツの妹であるジニー叔母夫婦のもとに預けられることになります。おとなしいパトリシアは、活発ないとこたちとの間に壁を作ってしまい、孤独感を抱えていました。
 一人で過ごしていたパトリシアは、たまたま小屋の床下に隠されていた古い懐中時計を見つけます。それは彼女の祖母ナンの持ち物だったらしく、若くして亡くなった婚約者ウィルフレッドからのメッセージが刻まれていました。
 時計のねじを巻いて、外に出てみたところ、そこで少年二人と少女一人のきょうだいたちに出会います。しかしパトリシアの姿は彼らには見えないようなのです。彼らの顔に見覚えを感じたパトリシアは、彼らが、昨夜見た母親とそのきょうだいたちの古い写真と同じ顔であることに気がつきます。
 どうやらパトリシアは、35年前、母親ルツが子供のころの時代に来ているようなのですが…。

 両親の不和、独立心の強い母親との軋轢に悩む少女パトリシアが、叔母の家に預けられるものの、そこでも人間関係に悩みます。ふと見つけた古い懐中時計の力により、子供時代の母親がいる過去に行ったパトリシアが、立場は違えど、孤独感を抱えているらしい母親の姿を見て、そこに共感を抱き、母親の気持ちを理解しはじめるようになる…という作品です。
 いわゆるタイムトラベルを扱っていますが、あくまで主人公側は傍観者で、一方的に物事を見るだけ、という形になっています。相手側には自分の姿が見えず、物理的に干渉することもできません。それゆえ過去に起こったことをただ目撃するだけなのです。
 ただ、主人公パトリシアが目撃するのは、母親ルツの少女時代であり、それらを目撃することでパトリシアの中の母親や家族観が変わっていき、母親への理解を深めると同時に、自らも現実的に成長する、という物語になっています。

 パトリシアはおとなしい少女で引っ込み思案、活発で元気ないとこたちとなかなか親しくなれず、孤独感を抱えてしまいます。特にいとこの一人で美しい少女ケリーからは嫌われてしまいます。ふと見つけた時計の力により、母親の過去の姿を見ることになりますが、そこで目撃したのは、活発で独立心旺盛な少女の姿でした。
 何か目立つことをすると「女の子なのだから」とたしなめられてしまい、また兄のゴードンやロドニーと一緒にいたずらをしても、彼女だけがしかられることになるのです。家族から浮いてしまい、孤独感を抱えるルツの姿にパトリシアは共感を抱くことになります。
 とくに母親のナンとの軋轢は根深いものがあり、大人になったルツとナンとの仲も良くないことをパトリシアは知っているだけに、そこにも興味を抱くことになります。
 小さいころにあったきりで、祖母に対してほとんど知識がないパトリシアが、過去で若いころの祖母の姿を見るのとほぼ同時期に、叔母の家にやってきた年老いた現実の祖母にも出会うことになる、というのは面白い展開ですね。

 時間が経つにつれて、ケリーをはじめとするいとこたちとも仲良くなっていき、孤独感を解消することになるパトリシア、過去の母親を通して理解を深めるものの、現実の母親との仲が良くなったわけではありません。
 父母の離婚が進むなか、現実世界で迎えに来た母親ルツとパトリシアは理解し合えることができるのか…?というところも読みどころですね。
 娘のルツに厳しく接していた祖母ナンもまた、自らの婚約者を失っており、彼女なりの考え方をしていたことも示されます。ルツとパトリシアの親子間だけでなく、過去にさかのぼるナンとルツの親子間の愛憎もまた描かれることになり、三代にわたる家族について考えさせられることになるという、真摯なテーマの作品ともなっています。

 最終的には、家族やいとこたちとの絆を築くことに成功するのですが、序盤、人間関係に悩む主人公の孤独感の描写は強烈です。叔母の手前、いとこたちと遊んでいるふりをして一人で過ごすことになるパトリシアが描かれるシーンでは、そのいたたまれなさは印象深いですね。
 広い意味での家族の問題を扱った作品で、タイムトラベルという空想的なテーマを使用していながらも、その手触りは非常に現実的なファンタジー作品になっています。大人が読んでも読み応えのある秀作です。


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理想の家族  キット・ピアソン『丘の家、夢の家族』

丘の家、夢の家族 単行本 – 2000/10/1


 キット・ピアソンの長篇『丘の家、夢の家族』(本多英明訳 徳間書店)は、幸せな家族に憧れる少女が、理由も分からないまま、願った通りの「夢の家族」の一員になるというファンタジー作品です。

 バンクーバーで母親リーと暮らす少女シーオは、家族に憧れていました。母親のリーは16歳でシーオを生んだものの、父親は行方知れず、自分自身もまともな定職に就かず、娘のシーオを放置していました。
 ボーイフレンドの出来たリーは、シーオを姉のシャロンに預けようと考えます。シャロンの住むビクトリアに向かうフェリーの中で、仲の良さそうな四人きょうだいとその両親に出会ったシーオは、彼らのような家族の一員になりたいと強く願い、その直後に意識を失ってしまいます。
 目を覚ますと、彼女はなぜかフェリーで出会ったカルダー家の家族の一員となっていました。夢のような家族と幸せな生活を送るシーオでしたが…。

 経済的にも精神的にも孤独な少女シーオが、幸せな家族の一員になりたいと願った結果、何らかの理由でその願いが叶うことになる…というファンタジー作品です。
 主人公のシーオは不遇な少女で、母親からは育児放棄に近い扱いを受けています。食べ物もろくに与えられず、衣服などもほとんど買ってもらえません。母親にボーイフレンドができればほとんど放置状態、時には物乞いの真似までさせられています。
 彼女の唯一の楽しみは本を読むことぐらいで、図書館から本を借りてきては読みふけっていました。物語に没入することは現実世界から逃れたいという思いの表れでもあり、そのため本を読んでいないときでも、現実逃避のあまり空想をしがちで、学校の授業もろくに頭に入らないのです。
 カルダー家での生活を体験している時期には、本に対する興味が薄れてしまうというのも、もともと現実逃避の要素が強かったゆえでしょうか。

 シーオが夢見ていた家族との生活は、空想していた理想の生活そのものなのですが、何らかの原因で起きていた不思議な出来事は、また何らかの原因によって終わってしまうことになります。
 空想か夢だと思っていたカルダー家の人たちとの生活ですが、カルダー家やその住人たちが実在することが分かり、シーオは再び彼らの一員になりたいと、彼らに接触することになります。しかし、一緒に暮らしていたときは理想の家族だったはずのカルダー家の人たちも、思っていたほどの理想的な人物たちではなく、不平不満を訴えたり、仲違いしたりと、ごく平凡な普通の家族であることが徐々に分かってきます。
 また、カルダー家の人たちに憧れるあまり、彼らと比較して、持て余していた友人のスカイも、そこまで嫌な人間ではないことも分かってきます。

 後半では、自分の空想や理想を通して観てきたカルダー家の人々や友人に対して、彼らを等身大の現実的な存在として受け入れるシーオの成長が描かれていきます。
 それは母親のリーに対しても同様です。最後まで母親としても人間としてもあまり成長の見られないリーに対して、なるようにしかならない、しかし自ら主張すべきことは主張する、という現実的な落としどころを見つけるという展開は、ファンタジーとしては夢がないところではあるのですが、非常にリアリティがありますね。

 ヒロインが本好きということで、様々な児童文学やファンタジー作品が言及されるのも、楽しいところです。『砂の妖精』『ふくろ小路一番地』『シャーロットのおくりもの』『ナルニア国ものがたり』『ツバメ号とアマゾン号』『若草物語』など、
名作のタイトルが多く言及されています。
 シーオの出会うきょうだいが四人であるのは、『砂の妖精』に代表されるイーディス・ネズビット作品の主人公たちの構成を思わせるところがあり、シーオの空想が反映されていると考えてもいいのかもしれません(ネズビット作品の主人公の子どもたちは四人か五人のきょうだいであることが多いのです)。

 主人公シーオが夢の家族の一員になるという、一種の超自然現象に関する部分の解釈もユニークです。ある種の「現実改変」に近い扱いなのですが、仮定されるその原因も独特の設定になっています。
 シーオが主人公であり、彼女の成長を描く物語ではあるのですが、彼女の物語自体がまた別の人物の人生の物語でもあったことが分かるという結末には、感動がありますね。それに伴って、物語がメタフィクショナルな展開を見せるところもユニークです。
 夢と現実、両方を見据えた上でリアリティーは失わず、なおかつ物語の楽しみを味あわせてくれる、現代ファンタジーの秀作かと思います。


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残酷な真実  モーリス・ルヴェル『夜鳥』

夜鳥 (創元推理文庫) 文庫 – 2003/2/12


 モーリス・ルヴェル『夜鳥』(田中早苗訳 創元推理文庫)は、残酷物語を得意としたフランスの作家ルヴェル(1875-1926)の傑作集です。ルヴェル作品にほれ込んだ同時代の翻訳家、田中早苗(1884-1945)の翻訳を集めています。

 刺激に飢えた男が危険な曲芸の見世物に通い続ける「或る精神異常者」、不倫の恋人に麻酔をかけることになった医者を描く「麻酔剤」、目の見えない乞食に施しをして自分が資産家になった幻想を抱く乞食を描く「幻想」、不貞を働いた妻へ復讐する夫を描く「犬舎」、孤独の念に捕らわれた初老の男を描く「孤独」、書斎に置かれた頭蓋骨になぜか惹き付けられるという「誰?」、障害を持ち、老いた三人の姉弟を描く「闇と寂寞」、妻の不貞を疑う男が残酷な行為を働くという「生さぬ児」、死刑になった恋人を悼む娼婦がある男に出会うという「碧眼」、妻と主人の不貞を疑う作男が復讐を遂げるという「麦畑」、荷馬車の下敷きになった男を助けようとするものの乞食ゆえにその家族から相手にしてもらえないという「乞食」、殺した相手の前に立たされた殺人犯の恐怖を描く「青蠅」、娼婦のささやかな幸せが崩されてしまうという「フェリシテ」、ふられた元恋人に復讐をする作家を描く「ふみたば」、恋人に硫酸をかけられて失明した男が女を許し二人きりで会おうとする「暗中の接吻」、列車内で世間を騒がせる殺人事件について話していたことから事故が起きるという「ペルゴレーズ街の殺人事件」、純潔に執着する老婆が猫にさえそれを強要しようとする「老嬢と猫」、一人では育てられない赤ん坊を保育院に任せようとする若い母親を描いた「小さきもの」、死刑になろうとする息子を救うために嘘をつく母親の物語「情状酌量」、真面目なふりをして大金を盗んだ集金係の男の誤算を描く「集金掛」、遺書で母の父に対する裏切りを知った息子の逡巡を描く「父」、凄惨な列車事故に居合わせた男の告白を描く「十時五十分の急行」、自分でも分からぬうちに殺人を犯した男の奇妙な物語「ピストルの蠱惑」、思わぬ事故から一人の赤ん坊を共同で育てることになった二人の女を描く「二人の母親」、放蕩のあまり逃げ出した元画家が、かっての名前に執着するという「蕩児ミロン」、元検事が自ら死刑台に送った男が無実だったのではないかと思い悩む「自責」、医者の誤診によって家族を殺してしまった男を描く「誤診」、物凄い形相で死んでいる死体の謎が描かれる「見開いた眼」、殺人を犯した青年が自らの犯行が無駄だったと悟る「無駄骨」、空家に忍び込んだ窃盗犯の恐怖体験を描く「空家」、船での反乱のためと呼び集められた悪党たちの航海を描く「ラ・ベル・フィユ号の奇妙な航海」を収録しています。

 ルヴェル作品、人間が人間に行う残酷な行為が描かれる作品が多いのですが、それらの人物もごく普通の人間であり、嫉妬や激情など、ふとした感情から残酷な行為を働いてしまうのです。
 その原因として、最もよく取り上げられるのが、不貞とそれによる嫉妬の念。不貞を働いた妻への復讐のため、気を失った間男が死んでいると偽り犬舎に投げ込むという「犬舎」、妻の不貞を疑う男が自らの息子に残酷な行為を働くという「生さぬ児」、妻と主人の不貞を疑う作男が二人に対して復讐を遂げるという「麦畑」など、多くの作品で不貞とそれに対する復讐が描かれます。
 同じく、妻の不貞がその死後に遺書によって知らされるものの、愛する父親のためにその手紙を破ってしまう息子が描かれる「父」は、血のつながらない父子の愛情を描いていて、感動を呼ぶ作品になっていますね。

 弱い立場の人間が登場するのも特徴で、乞食、障害者、娼婦、未亡人など、社会的に立場の弱い人間が多く描かれます。その立場の弱さゆえに残酷な運命に遭遇することになるのですが、またその過酷な運命が読者の心を打つこともありますね。
 自らも死ぬ直前の乞食が、目の見えない乞食に施しをして幸福感を得るという「幻想」、一人では育てられない赤ん坊を保育院に任せるものの、捨て子をさらに拾ってしまう若い母親を描いた「小さきもの」などはそうしたタイプの作品でしょうか。もっとも、弱い立場の人間たちが悲惨な目に会うだけ、という救いようのない「闇と寂寞」のような作品もあるのではありますが。

 純粋に恐怖小説として面白い作品もあり、いちばんインパクトがあるのはやはり「或る精神異常者」でしょう。
 刺激に飢えた男が、ある日訪れた自転車曲芸の見世物。その危険な刺激に一時は興味を惹かれるものの、すぐに慣れてしまいます。しかしいつか事故が起こるのではという期待から、見世物に通い続けます。ある日対面した曲芸師は、曲芸の成功の秘訣を聞かされることになります…。
 あらゆる刺激に飽きた男が猟奇的な興味から曲芸を見に通い続けるという不穏なお話で、実際、猟奇的な結末が訪れることになります。いわゆるサイコパス的な主人公なのですが、直接手を下さず、間接的な手段で殺人を行う、というところが興味深いところですね。
 自らも分からぬ理由で殺人を犯した男を描く「ピストルの蠱惑」、物凄い形相で死んでいる死体についての謎が描かれる「見開いた眼」、空家に忍び込んだ窃盗犯が恐怖体験をするという「空家」などは、ホラーとして面白い作品になっています。

 本書には付録として、田中早苗のほか、小酒井不木、甲賀三郎、江戸川乱歩、夢野久作といった、同時代の探偵作家たちのルヴェルについての文章も収録されています。当時のルヴェル人気がうかがえますが、なかでも乱歩のエッセイ「少年ルヴェル」が出色。
 ルヴェルには少年のような心性があるとして、彼の作品の魅力を考える際に示唆的な文章となっています。


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死の向こう側  ジョージ・マクドナルド『北風のうしろの国』

北風のうしろの国(上) (岩波少年文庫) 単行本(ソフトカバー) – 2015/10/17

北風のうしろの国(下) (岩波少年文庫) 単行本(ソフトカバー) – 2015/10/17


 ジョージ・マクドナルド(1824-1905)の長篇『北風のうしろの国』(脇明子訳 岩波少年文庫)は、純真な少年が美しい北風とともに不思議な体験をし、周囲の人々を幸せにしようとする、美しいファンタジー作品です。

 幼い少年ダイヤモンドは、両親と暮らしていました。その名前は、コールマンさんの御者を勤める父親のお気に入りの馬ダイヤモンドじいさんからもらったものでした。ダイヤモンドのベッドの壁に節穴が開いてしまったために、そこを干し草で埋めますが、何度詰めても、風によってたちまち抜けてしまいます。
 あるとき、その穴から話しかけられたダイヤモンドは、そこに美しい女性の姿をした北風がいることに気付きます。北風に愛情を抱くようになったダイヤモンドは、彼女に連れられて夜ごと、様々な場所に出かけることになりますが…。

 美しい北風と出会った純真な少年ダイヤモンドが、彼女に連れられ不思議な体験をする、というファンタスティックなお話なのですが、その冒険はもっぱら前半までで、後半は、貧しいながらも家族といっしょに生活するダイヤモンド一家のリアルな生活がメインで描かれます。

 前半では、ダイヤモンド少年が北風と共に行う不思議な冒険が描かれ、その旅程には幻想的な美しさがあります。それが頂点に達するのが、タイトルにもある「北風のうしろの国」への旅ですね。
 「北風のうしろの国」から帰還したダイヤモンドは、以前にも増して純真で美しい心を持つようになります。ただ、このあたりから超自然的な冒険行は描かれなくなり、一家の窮乏とそれに対する現実的な苦労が前面に出てくることになります。
 そもそも一家の窮乏の原因は、雇い主コールマンさんの破産で、それは北風が彼の船を沈めたことが原因なのです。ダイヤモンドが崇拝する女神のような北風も、単純な「いい人」ではなく、風によって船を沈ませることもあるなど、人間から見れば「悪い」行為を行ったりと、両義的な存在として現れるところも興味深いです。さらに言うなら、北風自体がある種の「死の女神」である節もあり、「北風のうしろの国」は死後の世界とも言えるでしょうか。

 現実世界がメインとなる後半では、父親のかわりに御者をして家計を助けたり、不遇な少年少女を助けたりと、ダイヤモンドの様々な努力が描かれます。そのあまりの純真さに周囲の人々も感化されていく、という流れには、清涼感が感じられますね。
 ただ、ダイヤモンドが精一杯努力しても、それはやはり一時しのぎであり、根本的な解決にはなりません。一家の窮乏ぶり、またダイヤモンドが助けることになる少女ナニーの境遇なども含め、彼らの生活は苦しく、産業革命時代の都市に暮らす人々の経済的な厳しさが強烈な筆で描かれています。
 現実世界を舞台にしたパートにおいて、主人公ダイヤモンドの純粋さは際だっており、彼の純粋さを描くためにあえて現実的な背景が必要だった、という見方もできるでしょうか。ある種人間的な範囲を超えた彼の善意と純粋さは、それに対して頭の弱さではないかと周囲の人物からは指摘もされてしまいます。
 ただ、彼の存在と行為によって周囲の人々は幸福に導かれることにもなり、作中で彼のことを「天使」と形容する人物もいるほど。
 地上に存在するには純粋すぎるダイヤモンドが、最終的に「北風のうしろの国」に行ってしまう、というラストも、そうならざるを得なかった…という意味で、非常に説得力がありますね。

 北風との冒険を描くパートでは空想的・観念的な要素が強いのに対して、現実生活が描かれるパートではリアルな窮乏生活が描かれるなど、全体に両極端な要素が現れる、不思議な手触りのファンタジーになっています。
 また哲学的・宗教的な要素も強く、そのあたりの「分かりにくさ」が逆に魅力ともなっているタイプのファンタジーといえるでしょうか。


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知られざる幻想作品  橋本勝雄編編訳『19世紀イタリア怪奇幻想短篇集』

19世紀イタリア怪奇幻想短篇集 (光文社古典新訳文庫) 文庫 – 2021/1/13


 橋本勝雄編訳『19世紀イタリア怪奇幻想短篇集』(光文社古典新訳文庫)は、19世紀イタリアの知られざる怪奇幻想小説を集めたアンソロジーです。
 20世紀以降の作品と比べ、19世紀の怪奇幻想作品は本国イタリアでもなかなか再評価が進まなかったそうです。確かに日本ではあまり名前も聞かれない作家が集められており、その意味でも貴重なアンソロジーになっています。
 特に国や時代のカラーを出すことを狙ったわけではなく、作品の多様性を優先して選んだとのことで、バラエティ豊かなアンソロジーとなっています。

イジーノ・ウーゴ・タルケッティ「木苺のなかの魂」
 猟に出かけた若い男爵Bは、喉の渇きを癒すためそばに生えていた木苺を食べますが、その途端、自分の中に自分ではない、女性のような感覚が芽生えるのを覚えます。出会った領地の人々は、別人のような対応をする男爵に驚きますが…。
 殺された娘の霊が木苺を通して憑依するという物語。憑依といっても、自分自身の感覚はそのままで別の人間の感覚を二重写しで経験するという、実のところ憑依とは少し異なる現象が描かれます。しかも取り憑いた人格は女性のようで、普段は見向きもしない対象に対して美や魅力を感じるなど、その感覚や感性に驚く主人公の困惑を描く部分が面白いですね。

ヴィットリオ・ピーカ「ファ・ゴア・ニの幽霊」
 アルベルトは、魔術の心得のある友人パオロに対して、富と美女が欲しいとぼやいたところ、不思議な提案を受けます。願いを叶える代わりに、日本のある新郎の命を奪うことになるがそれでもいいか、と。
 願いを叶えてほしいと頼んだアルベルトは、その日本人ファ・ゴア・ニの死の瞬間を見せられます。直後に、アルベルトは亡くなった親戚から遺産を相続し、美しい娘を嫁にもらい受けます。しかし深夜になると、彼のせいで死んだファ・ゴア・ニの幽霊が彼の前に出現するようになります…。
 見知らぬ人物の命の代わりに富を手に入れた男が、殺された男の幽霊にまとわりつかれるという物語です。その幽霊が、たびたび現れて恨めしさを語るなど、恐怖感よりも、霊の人間くささが目立つ作品になっています。
 霊によれば、死んだ後に動物に生まれ変わって、恋人の女性オ・ディアキラのそばにいようとするものの、彼女は新しい恋人を作ってしまい、それに対して復讐の念を抱いているというのです。後半では、主人公よりも幽霊の男の方が存在感を増してくるという、面白いゴースト・ストーリーになっています。
 見知らぬ他人の命の代わりに富を手に入れる、というモチーフも興味深いです。おそらくこれは、当時ヨーロッパで広く知られた「マンダリン(中国の大官)を殺す」というモチーフで描かれた作品かと思います。
 邦訳があるものでは、エッサ・デ・ケイロース「大官を殺せ」(弥永史郎訳『縛り首の丘』白水Uブックス 収録)も同じモチーフの作品ですね。

レミージョ・ゼーナ「死後の告解」
 神父の「わたし」は、呼び鈴が鳴った直後に、部屋にいるはずの医者の兄クラウディオが外に立っているのを目撃し、ふと後をついていくことになります。たどり着いた建物の中では女性の遺体が寝かされていました…。
 告解を受けるために死者の女性が蘇るという奇跡譚です。どこか夢幻的な雰囲気の中で展開される作品です。

アッリーゴ・ボイト「黒のビショップ」
 その勤勉な働きにより雇い主から莫大な遺産を相続したという黒人の資産家アンクル・トム。彼の弟はジャマイカで反乱軍を率いているガル・ラックという男だといいます。
 アメリカに住む元英国貴族サー・ジョージ・アンダーセンは、トムにチェスの勝負を申し込みます。黒の側を選んだトムは、手持ちの駒のビショップに執着しているようでした。勝負は、チェスの達人であるアンダーセンの圧倒的な優位のままに進んでいきますが…。
 白人と黒人の男がチェスで争うという物語なのですが、その戦いは熾烈を極め、何やら幻視的な光景まで立ち現れるという、迫力のある作品になっています。チェスの白と黒、白人と黒人、そしてビショップの駒が重要なモチーフとして使われるなど、象徴的な要素が強い作品ともなっています。

カルロ・ドッスィ「魔術師」
 周囲の人物から「魔術師」と呼ばれる男マルティーノは、死への恐怖に取り憑かれていました。彼の技術や知識も、その恐怖を押さえつけるためのものでした…。
 死への恐怖に取り憑かれた男を描いた作品です。結末も鮮やかですね。

カミッロ・ボイト「クリスマスの夜」
 愛する双子の姉と姪を亡くした男ジョルジョは、クリスマスの夜に姉とそっくりなお針子の女を見かけ、声をかけることになりますが…。
 愛していた家族を次々と失った男が、町で見かけた女に、姉の面影を見ることになる…という物語です。一方的に姉の面影を見出すものの、実のところ、女は蓮っ葉な性格で、姉とは似ても似つきません。その差異に絶望した男が瞬間的に狂暴になるシーンは狂気を感じさせて強烈です。
 男の目には幻想が見えている、という意味での幻想小説でしょうか。結末で描かれる男の最後も、幸せだったのかそうでないのか…、読者によって見方の変わる作品かと思います。

ルイージ・カプアーナ「夢遊病の一症例」
 警察本部に勤めるヴァン・スペンゲルは、机の上に書いた覚えのない事件の報告書があるのを見つけます。家政婦によれば、彼が夜中に自分で書いていたものだというのです。そこにはまだ起こっていない事件のことが詳細に描かれていました。
 やがてロスタンテイン=グルニイ侯爵夫人と令嬢、その使用人が殺されたという事件が発覚しますが、その事件が報告書に書かれていたものとそっくりなのを知り、ヴァン・スペンゲルは驚きます…。
 夢遊病にかかった男が、未来の強盗殺人を幻視する、という幻想小説です。この作品の夢遊病はオカルト的な症状として描かれ、予知能力や狂気と結びつけて語られているのが特徴です。未来予知を参考に事件を解決するものの、主人公は狂気に陥ってしまうという結末もちょっと怖いですね。

イッポリト・ニエーヴォ「未来世紀に関する哲学的物語 西暦2222年、世界の終末前夜まで」
 魔術的な実験によって「わたし」が呼び出した未来の人間による手記。そこには三世紀にわたる世界の歴史が記されていました…。
 手記に記された未来の歴史を語るという未来小説です。未来の人間が過去の歴史を記したものを、過去の人間が未来の記録として読むという、面白い趣向となっています。作品が描かれたのと近い時代の部分は、かなり政治的な要素が濃いですが、
 後半、人造人間的な存在「オムンコロ」が登場してからはSF的な感興が強くなります。
 架空の国際政治史が描かれていく部分でも、宗教が強い力を持って登場するところは、19世紀に書かれた古典的作品ならではでしょうか。

ヴィットリオ・インブリアーニ「三匹のカタツムリ」
 宝石で出来た庭を持つ王は、そこを任せた人間が皆自分を裏切るのを嘆いていました。ドン・ペッピーノが嘘をつかない正直者との評判を聞いた王は、彼を庭番に任命します。
 いじめられていた動物たちを助けたドン・ペッピーノは、実は妖精であった彼らから不思議な力を授かります。王がドン・ペッピーノを讃えるのに腹を立てた、王の妻、弟、息子たちは、ドン・ペッピーノが王を裏切って嘘をつくことに対して、王に賭けを持ち掛けますが…。
 かなりエロティックな要素も濃い、艶笑譚的な作品です。富にも権力にも動じない男が、性の誘惑には勝てない…というところは寓話としても面白いところですね。宝石でできているという花や果実、真珠母と銀で出来たカタツムリなど、幻想的な庭の造形も魅力的です。


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あり得ない出来事  ロード・ダンセイニ『魔法の国の旅人』

魔法の国の旅人 (ハヤカワ文庫 FT (47)) 文庫 – 1982/12/31


 ロード・ダンセイニ『魔法の国の旅人』(荒俣宏訳 ハヤカワ文庫FT)は、小さなクラブに現れる古参の会員ジョーキンズが語る、ファンタスティックかつ奇想天外な「ほら話」を集めた連作集です。

 ロンドンで友人に誘われ訪れた小さなクラブ「ビリヤード・クラブ」。そこでは古参の会員ジョゼフ・ジョーキンズが一杯の酒をおごるのと引き換えに、奇想天外な体験談を話してくれるというのが呼び物になっていました。「わたし」は彼から様々な話を聞くことになりますが…。

 クラブの古参会員ジョーキンズから、本当なのかホラなのか分からない奇想天外なエピソードが次々と飛び出す、というファンタスティックで楽しい連作集です。明らかに大ぼらとしか思えない話に指摘が入ると、むきになって抗弁するジョーキンズのキャラクターも楽しいですね。
 時には本物としか思えない物証が出てくることもあり、読者としては、もしかして本当なのでは…?と思わされてしまうあたりも、人を食った感じの物語となっています。

 ホテルで見世物にされていた人魚を盗み出し結婚してしまうという「ジョーキンズの奥方」、森の中で出会った魔女との交流を語る「柳の森の魔女」、虹のたもとの宝物とレプラコーンの物語「妖精の黄金」、前代未聞の巨大ダイヤモンドについて語る「大きなダイヤモンド」、最後の野牛と遭遇したジョーキンズの体験を語る「最後の野牛」、蜃気楼に現れた遠方の町が神秘の都市として崇められるという「クラコヴリッツの聖なる都」、魔術によって呼び出された古代エジプトの姫君の恋の物語「ラメセスの姫君」、儲けるために自ら考案した病気に取りつかれてしまうという「ジャートン病」、自らを追い詰める恐怖症を克服するために東洋を訪れる男を描いた「電気王」、地球の公転力を利用し飛行機で火星を訪れた男の冒険物語「われらが遠いいとこたち」、霊媒によって呼び出された霊は原爆を使用していたという「ビリヤード・クラブの戦略討議」のエピソードを収録しています。

 基本はジョーキンズが語る物語なのですが、クラブの一員である医者コーベットが語る「ジャートン病」だとか、ジョーキンズの話に登場する富豪メイキンズが間接的に物語を語る「電気王」なんて話もあり、もともとほら話感が強いエピソードが妙に真実味を増したりするあたり、面白い趣向ですね。

 虹のたもとに埋められた宝物とレプラコーンを見つけたジョーキンズがそれを手に入れようとするものの、それら全てが「夢」になって消えてしまうという「妖精の黄金」、ロマンティックな性分の男が蜃気楼で見た東洋の都市を崇拝し、やがてそれを疑似的に再現するという「クラコヴリッツの聖なる都」などは、ダンセイニのノンシリーズのファンタジーに近い味わいですね。

 治療法をも同時に編み出して商売に利用しようとした男が、架空の病に体を支配されてしまうという「ジャートン病」、富豪の男が精神的な恐怖症を克服しようと東洋に旅立ち、ある解決法を見つけるという「電気王」などは、病がテーマとなっているだけあり、恐怖感も強い作品になっています。
 実際、想像力による病を描いた「ジャートン病」には異様なリアリティがあり、「呪いの感染」を描くホラーとも読める作品です。

 飛行機で火星に向かうという「われらが遠いいとこたち」は、ジュール・ヴェルヌ的な雰囲気のSF冒険小説。惑星の公転力を利用して飛行機で宇宙に飛び出し、火星に行くという物語です。到着した火星には、地球人よりも洗練された人間たちがおり、さらに彼らを捕食する怪物のような存在がいたりと、H・G・ウェルズ作品の影響も見られるようですね。包帯を巻いておけば宇宙空間でも大丈夫、というあたり、かなり大雑把で笑ってしまいます。

 せっかく駆け落ちした人魚の野性味に困惑し、彼女を厄介ばらいしようとする「ジョーキンズの奥方」であるとか、神秘的な崇拝の念から再現した、蜃気楼都市の元が悪徳あふれる都市であったという「クラコヴリッツの聖なる都」など、非常にシニカルなエピソードもあり、ロマンティック一辺倒ではない、大人の味わいのファンタジー集になっています。


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幸福な国  ウィリアム・モリス『輝く平原の物語』

輝く平原の物語 (ウィリアム・モリスコレクション) 単行本 – 2000/6/1


 ウィリアム・モリス(1834~1896)の長篇『輝く平原の物語』(小野悦子訳 晶文社)は、海賊に許婚をさらわれた青年が、許婚を取り戻すために<不死の王>が支配する<輝く平原>の国へ旅に出ることになるという、冒険ファンタジー作品です。

 クリーヴランド・バイ・ザ・シーのレイヴァン家の若者ホールブライズは、ある日許婚であるローズ家の娘ホスティッジが海賊にさらわれたことを知り、彼女を取り返すために旅に出ることになります。
 旅の途次で出会った海賊ピューニー・フォックスによってランサム島に取り残されてしまったホールブライズは、そこで海賊の首領である老人シー・イーグルに出会います。シー・イーグルは、不死の王が支配する<輝く平原>の国に行きたがっていました。そこに行けば再び若さが手に入るというのです。
 <輝く平原>にホスティッジがいるのではないかと考えたホールブライズは、シー・イーグルと共に航海の旅に出ることになりますが…。

 さらわれた許婚を求めて旅に出ることになる若者を描いたファンタジー作品です。恋人を探すのが一番の目的ではあるのですが、この作品でいちばん目立つのは、やはり<輝く平原>のパートでしょうか。不死の王によって支配されている国であり、その国に入れば、老人も若さと健康を取り戻すことができるのです。数多くの美しい乙女がおり、争いもありません。そもそもこの国に入った途端、闘争心は消えてしまうのです。若さを取戻し美しい乙女を手に入れた相棒のシー・イーグルは国に残ることを選択しますが、ホールブライズは恋人を探すため誘惑を振り切ろうとすることになります。

 不死の王や海賊など、主人公の邪魔をする人物はいくらか登場するのですが、明確で強大な「敵」が登場しないのも特徴でしょうか。それゆえ、時間的な停滞はあるにしても、主人公の旅はおおむね上手く進むのです。
 主人公が勇猛果敢で一本気な青年として描かれているのですが、剣を持って戦うのもクライマックスの一場面のみ、それもある種の八百長としての戦いなのです。主人公が自らの腕で困難を切り開く、というよりも、運命に流されていく、といった感じが強いです。実際、恋人ホスティッジとの再会もどこか唐突の感があります。

 不老不死や安楽な生活よりも人間の恋人を選ぶ、という意味では、寓意的な要素も強いのでしょうか。メインとなる<輝く平原>のパートのせいもあり、全体に夢幻的な雰囲気の強いファンタジー作品になっていますね。




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古き良きファンタジー  神宮輝夫編《イギリスファンタジー童話傑作選》
 神宮輝夫編の二冊のアンソロジー『銀色の時 イギリスファンタジー童話傑作選』『夏至の魔法 イギリスファンタジー童話傑作選』は、1920年代イギリスの年間作品集<ジョイ・ストリート>から選ばれたファンタジー童話を集めたアンソロジーです。
 純度の高い、古き良きファンタジー作品が集められており、楽しい作品集となっています。


銀色の時―イギリスファンタジー童話傑作選 (講談社文庫) 文庫 – 1986/12/1


神宮輝夫編『銀色の時 イギリスファンタジー童話傑作選』(若林ひとみ、もきかずこ訳 講談社文庫)

ローレンス・ハウスマン「銀色の時」
 妻を亡くし、幼い娘が行方不明になって以来、孤独に暮らしてきた男ケイレブ。彼は50年間、寝る前に家の鍵を閉めていました。鍵をかけ忘れたために娘を失ったことを彼は後悔し続けていたのです
 ある晩、家に鍵をかける意味があるのかと自問したケイレブは鍵をかけないことにします。直後に寝込んでしまったケイレブは、毎日寝ている間に、補充していないはずのまきが増えていることに気が付きます。ある夜、寝ずに起きていたケイレブが暖炉の前に行くと、自分そっくりの男が座っていました…。
 娘を何者かにさらわれてしまった男が50年ぶりに家の鍵を開けたことから、不思議な体験をする、という物語です。家の中に突然現れた男は、おそらく自分の分身であるようで、彼との会話から「自分自身」を締め出してしまっていたことがわかります。鍵を開けることは、自分の心を開くことにもなり、それをきっかけに、行方不明になっていた娘の行方もまた知らされることにもなるのです。
 妖精にさらわれていた娘を人間界に引き戻すチャンスを得ながらも、時の経過と自らの寿命、娘の幸福を考えた主人公が、魔法を解かずにおく、というラストも美しいですね。
 登場する魔法のウサギや銀色の毛皮、老人の孤独感と寂寥感など、物語全体の夢幻的な雰囲気も素晴らしいです。短い作品の中に50年という長い時間が感じられ、「時間」や「幸福」の寓話としても読めますね。多様な要素を含んだ傑作だと思います。

コンプトン・マッケンジー「へんてこ通りのメーベル」
 良家の子女でありながら活発でおてんばな少女メーベルは、散歩中に乳母やきょうだいとはぐれて迷子になってしまいます。歩き回った末に入り込んだのは「へんてこ通り」でした。
 その町の住人は皆がへんてこで、帰り道を訪ねてもまともな答えが返ってきません…。
 奇天烈な町に入り込んでしまった少女を描く、ナンセンス童話作品です。「へんてこ通り」の人々の言動は不条理かつナンセンスで、全く意味をなしません。
 少女には、迷子になった不安だけでなく、人々に対する恐怖感すら発生しているようで、ちょっと「怖い」作品でもあります。「へんてこ通り」の人々と主人公の間で言葉が通じないのは、イギリス社会の上流階層と下流階層の齟齬を皮肉って描かれているようにも読めますね。

A・A・ミルン「ウサギの王子」
 子どもができないため、世継ぎとなる若者を国中から募集しようと考えた王様。若者たちに交じって現れたのは、言葉を話すウサギでした。人間を世継ぎにしたい王様は、ウサギを試験から落とそうといろいろ策略を弄しますが、ウサギは常にその上を行くことになります…。
 王位を狙うウサギと、それを阻止しようとする王様の争いを描いています。やがてウサギの秘密も明らかになりハッピーエンドに。ユーモラスなファンタジーです。

メーベル・マーロウ「お菓子屋のフラッフおばさん」
 リスのフラッフおばさんが経営するお菓子屋の名物はペストリーでした。クマのブルーインは、代金を払わずにペストリーを食べてしまいます。友人のフクロウに知恵を借りたフラッフおばさんはブルーインに仕返しをしようと考えますが…。
 リスのおばさんが横暴なクマに仕返しをしようとする物語。このクマ、意外と素直で、最終的には痛い目を見たくないと、言うことを聞くようになります。動物たちの登場するかわいらしいファンタジーになっていますね。

メーベル・マーロウ「フラッフおばさんのブランデー・ボンボン」
 フラッフおばさんの新しい品は、ブランデー・ボンボン。リスたちが美味しそうな匂いをかぎつけてやってきますが、おばさんは明日まで待たなければだめだと言います。しかし、クマのブルーインは、隙を見て、口に入れてしまいます…。
 登場人物たちも共通する「お菓子屋のフラッフおばさん」シリーズ作品。こちらでは、クマのブルーインが大変痛い目を見てしまうという、痛快なお話になっています。

ロイ・メルドラム「太鼓たたきのピーター」
 お城の祝宴で演奏するために森の中を歩いていた太鼓たたきの少年ピーターと笛吹きの父親。しかし魔女の罠にはまって、父親の姿は消されてしまい、ピーターは魔女のしもべとして囚われてしまいます。
 ある日、魔女が不在の際に小屋を訪れた白い狼と友人になったピーターは、魔女から逃れる方法を教えてもらいます。王様に会ったピーターは、王から王子と王女が魔女の森で行方不明になったことを聞かされ、彼らを探してほしいと頼まれますが…。
 魔女に囚われた少年がそこから逃げ出し、魔女を出し抜くという物語です。魔女の様々な魔法が登場し、それらを破るために少年はいろいろと冒険をすることになります。その際、太鼓が重要な意味を持ってくるところが良いですね。楽しい冒険ファンタジーです。

ローズ・ファイルマン「サンタクロースが風邪をひいたら」
 サンタクロースが風邪をひいたため、彼の奥さんが代わりにプレゼントを配ろうと出かけることになりますが…。
 愛らしい掌篇ファンタジーです。

アルジャナン・ブラックウッド「ふしぎな友だち」
 ケント屋敷に住む少女モリーが飼っている灰色オウムのダドリーは、迷い込んできた野良猫のギルデロイとの間に、奇妙な仲間意識を抱いていました。
 このところ、屋敷の人々はいろいろな動物の物音に悩まされ、睡眠を妨害されていました。無邪気そうなダドリーの態度にモリーは疑いを抱きますが…。
 オウムと猫のコンビが屋敷の人々に嫌がらせをする、という動物もの作品です。作者はこの作品を長篇化した『王様オウムと野良ネコの大冒険』(相沢次子訳 ハヤカワ文庫FT)という作品も書いています。長篇版が完全にファンタジーとして書かれているのに対して、短篇版では、風変わりではあるものの、ダドリーとギルデロイの行動はあくまで動物として描かれており、超自然的な現象は登場しないのが特徴ですね。

フローラ・フォースター「幸運な王子」
 引き継ぐ財産もあまりなく、幸運を求めて旅に出た末っ子の王子は、ある町にたどり着きますが、町の宿屋はどこも閉まっているようでした。ようやく開いている宿屋に入ったところ、そこでは町中の宿屋の看板やマスコットの精たちがパーティを開いていたのです。彼らから様々な贈り物をもらった王子は、ドラゴンに囚われているという姫君を救いに向かいますが…。
 末っ子の王子が幸運を求めて冒険をするというファンタジーです。貰い物のおかげで事態が良くなったりと、タイトル通り、自分の努力というよりは「幸運」によって道を切り開いていくというのが面白いですね。最後のドラゴンとの戦いも知恵によって打ち勝つ、というのも良いですね。

G・K・チェスタトン「カラー・ランド」
 別荘の庭でブルーな気分になっていた少年トミーは、突然現れた奇妙な若者から、不思議な色のついた眼鏡を差し出されます。青の世界、赤の世界、黄色の世界など、様々な色に彩られた世界のことを聞くことになりますが…。
 若者から、様々な色の世界のことを聞く少年を描いた作品です。それぞれの色の空想的な国の様子が語られるだけでなく、色ごとに世界は違って見えるという、世界の相対性が語られます。哲学的な風味も強い寓話的ファンタジーです。

エリナー・ファージョン「すばらしい騎士」
 サセックスの名高い騎士、ジョン夢見卿は、オードリーという若い娘が幼いころになくした手まりを見つけだすことを使命と考え、旅に出ることになります。オードリーと、利発な青年ディックを共に手まりが流れていったというマレイ川を目指す一行でしたが…。
 夢想家の騎士がお供と共に冒険の旅に出るというファンタジー、なのですが、騎士本人は本当に夢想家で、現実的にはほとんど役に立たず、実際の働きはほとんどお供のディックが行う、というのが面白いところです。
 たびたびジョン卿が磨く盾の美しさが語られるのですが、騎士の純粋さ・世間知らずさを象徴しているものでしょうか。しかし、周囲の人物は彼を馬鹿にするわけではなく、むしろ崇拝している風さえあるのです。
 旅の途上、本来であれば使命を果たした後めとるつもりだったオードリーがディックと結婚してしまった後も、旅を続けようとする騎士の夢想家気質は筋金入りで、それを皮肉でなく肯定的な視線で捕らえる作者の筆には、独特の魅力がありますね。

 この『銀色の時』、解説にもある通り、様々なタッチ、題材の物語が収められており、楽しく読めるアンソロジーになっています。収録作では、ローレンス・ハウスマン「銀色の時」が飛び抜けた傑作だと思いますが、他の作品もどれも面白い作品です。



夏至の魔法―イギリスファンタジー童話傑作選 (講談社文庫) 文庫 – 1988/3/1


神宮輝夫編『夏至の魔法 イギリスファンタジー童話傑作選』(もき かずこ、若林ひとみ訳 講談社文庫)

メーベル・マーロウ「夏至の魔法」
 なんでも屋のダッチィ・ダンに買われていたロバ、クロップには逃げ出し癖がありました。逃げ出したクロップは、魔女が住んでいた家の垣根の木を使って作られたという回転木戸に追い詰められてしまいます。たまたま居合わせたオールド・ワイジー先生は、
ロバと目を合わせた瞬間、魔法によってクロップと中身が入れ替わってしまいます…。
 魔法によってロバと入れ替わってしまった学者の先生を描く作品です。人間の体に入ったロバはいつも通り吠えますが、それは自動的に人間の言葉に変換される、というのも面白いですね。ロバがいつもの癖で人間の姿のまま本や靴をかじるシーンは抱腹絶倒です。ユーモアたっぷりのファンタジー作品です。

ローレンス・ハウスマン「妖精を信じますか?」
 様々な業績を残した学者であるブレイントリー教授は、孫娘のエルフリーダのことを愛しながらも、彼女が信じている妖精の存在に関しては、この世にいないと断言していました。
 先に家にもどった教授は、エルフリーダから妖精を目撃したという手紙を受け取ります。手紙には、証拠として妖精がいたという木の葉っぱが同封されていました。その直後、見たことのないような小さな生き物がそばにいることに教授は気がつきます…。
 妖精を信じない現実主義者の教授のもとに、孫娘を通して妖精が現れるという物語。妖精の造形が非常にリアルで印象に残ります。魔法の存在ではありながら、人間が信じなくなったら妖精は死んでしまう…ということも描かれるなど、「死」の雰囲気が濃いところも興味深いですね。

ローズ・ファイルマン「王室御用達の焼きぐりは、いかが?」
 その美味さには定評のあったアンドリューの焼きぐり売りの屋台は、新しくやってきたソーセージ売りに押されて、あまり売れなくなってしまいます。古い看板を参考に、自分の店の看板を作ろうと思い立ったアンドリューは、見本に書いてあった「王室ご用達」の文句までもそのまま写してしまいます。看板のおかげで、売り上げはどんどん上がることになりますが…。
 「王室ご用達」の文句を看板に書いてしまった素朴な老人が、そのせいでトラブルに巻き込まれてしまう、という物語。登場人物たちの素朴さと正直さが気持ちのよい作品になっていますね。

A・A・ミルン「笑わないお姫様」
 笑い上戸の王は、娘が全く笑わないのを気にして、姫を笑わせたものに姫との結婚と国の半分をゆずる旨を布告します。たくさんの参加者が現れるものの、姫を笑わせることはできません。参加者の数はどんどん減っていきますが、諦めずに毎日やってくるのは、ひょうきん者のホッポ卿、美男子のロロ卿だけでした。ロロ卿に好感を抱いた姫は、彼が勝つことをひそかに願っていましたが…。
 笑わない姫と、彼女を笑わせようとする求婚者たちを描く物語。姫を笑わせるのが思いもかけない手段、というのは常套的な展開なのですが、笑いに関して才能があり努力もした方が破れてしまう、というところはちょっと釈然としないところではありますね。

コンプトン・マッケンジー「毛布の国の大冒険」
 マイケルはある夜、周囲がぼんやりしてくるのに気づきます。毛布の中の世界に入ってしまったのです。そこで出会ったのはウェールズのセント・デヴィッド。ほかにも合わせて七人の聖人たちと共に冒険に出ることになりますが…。
 毛布の中の世界で聖人たちと冒険を繰り広げるというファンタジー作品。最初は完全な別世界と思えた毛布の中の世界が、だんだんと現実と結びつきはじめ、現実の事物が幻想世界に現れ始める、という展開は魅力的です。

ヒュー・ウォルポール「ストレンジャー」
 子どもが苦手な父親と田舎の農家にやってきた少年の「私」。現地の人々とも深い付き合いはできず孤独を抱える「私」ですが、周囲の自然の美しさには魅力を感じていました。家の人々が留守のある夜、追われていた見知らぬよそ者の男が現れますが…。
 孤独を抱える少年が、突然現れたよそ者の男と瞬間的に心を通わせるという物語。全体に写実的に描かれた物語で、ファンタジーとはちょっと異なるのですが、少年の孤独感と寂寥感、そしてほのかな温かみが感じられる、味わい深い作品になっています。

メーベル・マーロウ「みんなで背中を流すには」
 川で何年も背の高さの順に並んで背中の流し合いをしていた小人たち。しかし、のっぽのランキー・トムは、自分はいつも一番後ろで背中を流してもらったことがないと文句を言いだします。お風呂係のハンピーは新しい方法を考えることになりますが…。
 小人たちの間で、背中の流し合いについて揉め事が起こるという物語です。妖精たちの世界が舞台ではありながら、話題になるのが、背中を洗うことというのが、生活感があふれていて楽しいですね。

メーベル・マーロウ「歌い病・バイオリン病・フルート病」
 ある夏の晩、突然歌が止まらなくなってしまった小人のゴロップ。彼は「歌い病」にかかってしまったというのです。相談した老人から、バイオリンに病を移せば病気は治ると言われたゴロップは、バイオリンを借りますが、今度は「バイオリン病」にかかってしまったといいます…。
 「歌い病」にかかった小人がバイオリンに病を移しますが、今度は「バイオリン病」になってしまい、果ては「フルート病」になってしまうという、ユーモラスなファンタジー。音楽が「病」として描かれるというユニークな作品です。結局「病」は形を変えただけ、という結末も面白いですね。

 小説のほか、巻頭に「カラーポエム」としてカラー口絵が8ページ、マリアン・アレン、ローズ・ファイルマン、ヒュー・チェスターマンの詩も掲載されています。こちらは素朴な童謡詩といった感じでしょうか。中ではイタリアの村のオレンジについて詠ったマリアン・アレン「オレンジ」が印象に残ります。


テーマ:読書 - ジャンル:小説・文学

3月の気になる新刊
発売中 田口俊樹『日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年』(本の雑誌社 1760円)
発売中 眉村卓『静かな終末』(日下三蔵編 竹書房文庫 1430円)
3月11日刊 ダフネ・デュ・モーリア『原野の館』(務台夏子訳 創元推理文庫 予価1320円)
3月11日刊 J・J・アダムズ編『この地獄の片隅に パワードスーツSF傑作選』(中原尚哉訳 創元SF文庫 予価1210円)
3月11日刊 ジョン・コナリー『失われたものたちの本』(田内志文訳 創元推理文庫 予価1320円)
3月12日刊 石塚久郎編訳『疫病短編小説集』(平凡社ライブラリー 予価1540円)
3月17日刊 藤井淑禎『乱歩とモダン東京 通俗長編の戦略と方法』(筑摩選書 予価1650円)[amazon]
3月17日刊 キャスリーン・デイヴィス『シルクロード』(久保美代子訳 早川書房 予価2200円)
3月17日刊 サマンサ・ダウニング『殺人記念日』(唐木田みゆき訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 予価1320円)
3月19日刊 J・G・バラード『旱魃世界』(山田和子訳 創元SF文庫 予価1188円)
3月19日刊 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『ゲーテ ショートセレクション 魔法つかいの弟子』(酒寄進一訳 理論社 予価1430円)
3月20日刊 リサ・タトル『夢遊病者と消えた霊能者の奇妙な事件 上・下』(金井真弓訳 新紀元社 予価各1870円)
3月23日刊 冨田章『ビアズリー怪奇幻想名品集 増補改訂版』(東京美術 予価2640円)
3月25日刊 スティーヴン・キング『アウトサイダー 上・下』(白石朗訳 文藝春秋 予価各2420円)
3月31日刊 落合教幸、阪本博志、藤井淑禎、渡辺憲司編著『江戸川乱歩大事典』(勉誠出版 予価13200円)


 J・G・バラード『旱魃世界』は、世界的な旱魃が文明を崩壊に導く、という破滅もの長篇。同著者の長篇『燃える世界』を改稿した作品だそうです。

 リサ・タトル『夢遊病者と消えた霊能者の奇妙な事件』は、新紀元社からの怪奇幻想叢書の第一弾。ヴィクトリア期ロンドンを舞台にしたオカルト・ミステリだそうで、これは面白そうです。

 『江戸川乱歩大事典』は、江戸川乱歩に関する大事典。執筆者が総勢70人に及ぶという大著です。これは気になりますね。


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プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『奇妙な味の物語ブックガイド』「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」を刊行しました。



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