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支配する菌  デヴィッド・コープ『深層地下4階』

 デヴィッド・コープ『深層地下4階』(伊賀由宇介訳 ハーパーBOOKS)は、地下施設に封印された致死率100%の菌が漏れ出し、人々を襲うというバイオ・ホラー作品です。

 前科持ちの青年ティーケイクは、ようやく見つけた貸倉庫に勤め始めます。上司であるグリフィンから盗品の転売の手伝いを要求されますが、それを何とか断っていました。夜勤シフトに入っていたある日、どこからかブザー音が聞こえます。
 たまたまた同じシフトに入っていた、シングルマザーのナオミと意気投合したティーケイクは、音の出所らしい壁を壊しますが、そこにはブザー音と異常を知らせるランプが点滅する、聞いたこともない深層地下階の図面パネルがありました。好奇心を刺激された二人は、その深層階に降りていこうと考えます。
 一方、40年前に仕事としてある菌を封印したロベルトは、封印された施設から非常ブザーが発信されていることを知らされ、菌を殲滅するため、元同僚のトリーニと現場に向かいますが…。

 突然変異した菌をめぐって展開されるバイオ・ホラー作品です。菌に寄生された人間は短時間で100%死んでしまうのです。その恐ろしさゆえ地下施設に封印され、その存在も秘密にされていたものが、後年その場所を買い取った民間施設の貸倉庫会社の社員が見つけて、それを解放してしまうことになります。

 この菌が強力で、傷口などがあればあっという間に侵入し、菌をばらまくために人体を破裂させてしまいます。餌は有機物であれば何でも良く、封印されても何十年も生き延びると言うタフさ。しかもどんどんと進化し、知能を高めていきます。
 果ては脳を乗っ取り、人間の行動を操ることにもなるというのだから、手に負えません。プロローグで、軍人のロベルトと相棒のトリーニが、その菌が発見された場所に赴き、その恐ろしさを知る場面が描かれ、それがために読者にはその菌の恐ろしさが刻み込まれます。
 それだけに、本編で主人公二人が菌を本当に解放してしまうのか、二人は生き残ることができるのか? というハラハラドキドキ感がありますね。また、救援に向かうことになるロベルトもすでに高齢になっており、充分に動けるのか、といったところもサスペンスを高める要因になっています。

 主人公ティーケイクが、非常に間の悪い青年で、前科持ち。ヒロインとなるナオミも、宗教一家に絡まれたりと、こちらもめぐり合わせの悪い人物になっています。そんな二人が非常事態において仲良くなり、また強い意志を持つ人間に成長する…というのも良いですね。
 菌に汚染されてしまった人間はもちろん、動物や虫なども菌によって変容し、怪物じみた存在になったりと、モンスター・ホラー的な一面もあります。

 著者のデヴィッド・コープ、小説としてはこの作品がデビュー作となりますが、脚本家としては『ジュラシック・パーク』など多くの作品を手がけた、ベテランかつ名手です。それだけに、小説作品の方も、構成が上手いだけでなく、描写も映画的というか視覚的になっていますね。
 エンターテインメント・ホラーの快作といっていいかと思います。


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甘美な再会  ロバート・ウェストール『禁じられた約束』

 ロバート・ウェストールの長篇小説『禁じられた約束』(野沢佳織訳 徳間書店)は、若くして亡くなった初恋の少女に取り憑かれる少年を描いた、繊細なゴースト・ストーリーです。

 ヒトラー率いるドイツとの戦争中の英国、海辺の小さな町に住む14歳の少年ボブは、裕福な家の娘ながら病弱な少女ヴァレリーに気に入られ、家に遊びに来てくれないかと言われます。ヴァレリーの父親モンクトンは、ボブの父親の上司であり友人でもあったのです。
 度々遊びに行くうちに、ボブとヴァレリーは仲良くなり、それはやがて恋にまで発展していきます。しかしヴァレリーには生まれつきの重い病があり、とうとうその命を落としてしまいます。
 放心状態になってしまったボブはかってヴァレリーから預かった鍵を使い、生前の彼女の家に入り込みますが、そこには明らかにヴァレリーと思われる存在の気配がしていました…。

 正直、筋が分かっても読むのに支障がないタイプのお話だと思うので、あらすじで中盤までの内容を説明してしまいました。ものすごくシンプルに言い表すと「初恋の少女の霊に取り憑かれる少年の物語」です。
 前半はボブとヴァレリーの幼い恋が、様々なエピソードを連ねて語られていきます。この部分だけでも、青春小説としてよくできた作品だと思います。特にボブの自意識が細かく描かれていくところは面白いですね。ヴァレリーに恋をしながらも、周囲にそれがばれるのを恐れて秘密にしようとしたり、遊びに夢中になって彼女をほっぽらかしにしてしまったりと、大人にも子供にもなりきれない年齢層の少年として、非常にリアルなキャラクターとなっています。
 病のこともあり、ボブよりは内省的な少女ヴァレリーも、一方では、かなり自己中心的な振る舞いをすることが示されます。しかしそれは、自分に未来がないことが分かっているがゆえの行動でもあるのです。

 やがてヴァレリーは、自分は迷子になる夢をよく見る。自分が迷子になったら助けに来てほしい、という「約束」をボブとすることになります。彼女の死後、その「約束」は果たされることになるのです。
 ヴァレリーの死後、ボブは彼女の霊と「再会」することになるのですが、そこからは急激に恐怖小説的なトーンが強くなっていきます。再会できたことを喜ぶボブですが、ヴァレリーは生前の彼女とは既に違った存在になっていたのです。
 彼女との触れ合いに甘美なものを感じたボブは、自らも彼女と同じ世界に生きたいとまで思い至るようになります。奇しくもドイツ軍の空襲が激しくなり、身の回りにも死の影が濃くなっていきます。

 すでにして日常生活自体がリアルなものとは感じられなくなっている、という背景が、主人公ボブの心理に影響していくのも、非常に上手いところですね。
 ボブがヴァレリーに憑かれて殺されてしまうのか、それとも戦争により死んでしまうのか、どちらにしても死の空気が充満してくる後半は、雰囲気も張りつめており、読んでいてとても「怖い」です。
 戦争の描写は作品冒頭から描かれてはいるのですが、中盤まではボブにとって戦争はどこか遊び気分であり、空襲への防衛活動などを取っても、彼にとってそれは「楽しい事」として描かれています。
 それはヴァレリーに対しても同様で、彼女が余命わずかの重病であるということも本当には理解できておらず、彼女を傷つけるような言動も取ってしまいます。
 そうした前半の描写があるがゆえに、後半では霊となったヴァレリーに対して、償いのような意味もあり、ボブは彼女に尽くすことにもなるのです。

 初恋の少女の死を経験して成長を遂げる少年の物語ではあるのですが、この作品でユニークなのは、それがただの「死」ではなく「死後の接触」が必要であったというところでしょうか。
 全体に、少年少女の恋の甘美さが描かれていますが、前半ではそれが「生の世界」、後半では「死後の世界」におけるそれが描かれるというのも興味深い試みです。
 幽霊の登場するシーンも「怖い」です。ヴァレリーの霊が語る死後の世界も、冷たく淋しい世界観で描かれており、そのあたりも含めて、ゴースト・ストーリーとして強烈なインパクトを与える作品になっていますね。


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死に寄り添う男  フリオ・ホセ・オルドバス『天使のいる廃墟』

 スペインの作家、フリオ・ホセ・オルドバスの『天使のいる廃墟』(白川貴子訳 東京創元社)は、廃墟になった村パライソ・アルトに住み着いた「天使」を自称する男が、村にやってくる自殺志願者たちの人生の話を聞く…という物語です。

 何らかの原因によって住人たちが逃げ出し、打ち捨てられてしまったために廃墟になった村、パライソ・アルト。それ以来、この村には、人生を諦めた自殺志願者ばかりが訪れるようになっていました。自らも人生を終わらせるためやってきた「わたし」は村に来て気が変わり、そこに住み着くことになります。
 村の家々に残された服や靴を身につけた「わたし」は「天使」を自称し、やってきた人々に歌を聞かせ、彼らの人生の話を聞き、そして彼らを「見送る」ことになります…。

 自らも人生を捨てかかっていた男が、同じく人生を終わらせるためにやってきた人々の話を聞き、彼らを見送るのを仕事とするようになる…という物語です。
 自殺志願者たちの死を思いとどまらせるのではなく、あくまで彼らの最後の日々につきあって見送る、というのが主眼になっています。訪問者たちの死の決意は固まっており、また「わたし」もそれを変えようとはしないのです。

 様々な訪問者たちと「わたし」とのやりとりが、オムニバス形式で描かれていくのですが、一部の人間を除いて、彼らの死に至るまでの手順や「死」そのものが描かれないのが特徴です。死んだり葬られたりという描写がないために、もしかして生きているのでは? と思ってしまうのですが、物語の最後まで言及がされないところを見ると、やはり皆亡くなっているのでしょう。

 人生を終わらせるためにやってきた訪問者たちが、皆そろいもそろって風変わりなのも面白いところです。逆立ちする少女、売れなくなった老奇術師、一世を風靡したポルノスター、骨の笛を吹く男など、破天荒な言動の人々や、また見た目が普通でも、彼らが語る人生の物語は皆一筋縄ではいかないものばかり。そんな人々に「わたし」は寄り添い、受け入れる役目を続けていくことになります。
 やがて「わたし」を探しにきた訪問者も現れ、「わたし」自身の人生の一片もまた描かれることになります。

 自殺志願者たちとその死、という暗い題材が、恐ろしいほどの明るさと透明感を持って描かれる不思議な手触りの作品になっています。浮世離れした語り手の「わたし」のキャラクターや、「死」そのものが直接的には描かれないために、全体が寓話的なトーンを帯びている、というのもあるかと思います。
 解説によれば、実際にある事件をきっかけに廃墟になってしまった村がモデルになっているということです。ただフィクションに取り込むにあたって、非常にミスティックな雰囲気の舞台に作り変えられているところは、作者の手腕といっていいでしょうか。


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ボルヘスの冒険  ルイス・フェルナンド・ヴェリッシモ『ボルヘスと不死のオランウータン』

 ルイス・フェルナンド・ヴェリッシモ『ボルヘスと不死のオランウータン』(栗原百代訳 扶桑社ミステリー)は、E・A・ポーに関する学会上に居合わせた作家ボルヘスが、そこで起こった殺人事件を探偵する…という衒学的な幻想ミステリ作品です。

 幼い頃にナチスの手を逃れブラジルで伯母のもと育てられた「私」(フォーゲルシュタイン)は、翻訳と教職を仕事としていました。ブエノスアイレスでエドガー・アラン・ポーの研究者たちによる学会が行われることを知った「私」はその学会に参加することにします。
 学会でたまたま居合わせた作家のJ・L・ボルヘスに引き合わされた「私」は感激します。彼の作品に傾倒していたのです。かって、ボルヘスの名前を知らなかった「私」は、ボルヘス作品の英訳を更にポルトガル語に訳す仕事をした際に、一部を改竄してしまっていました。
 その後ボルヘスの作品を読み認識を改めた「私」は、謝罪の手紙だけでなく、自作の小説までもボルヘスに送っていましたが、返事はもらえていませんでした。実際に名を名乗ってもボルヘスは名前に思い当たるような様子もありません。
 そんな中、殺人事件が起こります。被害者はドイツ人のロートコプフ。問題行動を起こしていたロートコプフ殺害の容疑者は、天敵といえるアルゼンチン人ウルキサ、自説を否定されたアメリカ人ジョンソン、ロートコプフに乱暴な扱いを受けた日本人イイハラの三人でした。
 死体の発見者となった「私」は、ボルヘスと共に殺人事件の謎を追っていくことになりますが…。

 学会の殺人事件にたまたま居合わせた、実在の作家ボルヘスが、彼を敬愛する「私」と共に殺人の謎を追っていくという、幻想的なミステリ作品です。
 密室の謎や犯人の動機や殺害方法など、具体的な捜査も展開されるのですが、それ以上に「探偵」ボルヘスが重視するのが形而上学的な謎。「鏡」や「暗号」といったボルヘス好みのモチーフから、ラヴクラフトのクトゥルー神話、魔術師ジョン・ディー、カバラ、ヘブライ語、エジプトのイクナートンなど、まるで元の殺人事件からは関係のないような要素までもが、語られ続けます。
 あまりに浮世離れした推理に、ボルヘスの友人として登場する犯罪学者クエルボも呆れ果てます。しかし、ボルヘスに心酔する「私」は、彼の意見に同意するばかりか、その意見を助長するような態度さえ取ることになるのです。

 そもそも語り手となる「私」自身、非常に怪しい人物で、かってボルヘス作品を改竄しておきながら、後に彼の信奉者となった人物。ボルヘスに実際に会ってからは、自分のことを思い出させようといろいろ仄めかすのですが、ボルヘスは知ってか知らずか、それをスルーしてしまいます。
 いわゆる「信頼できない語り手」と言えるのですが、そのある種歪んだフィルターを通して描かれる殺人事件の顛末は、幻想的で魅力的な物語になっています。かって「私」が創作しボルヘスに送ったという数編の作品の概要が作中で語られるのですが、これらもボルヘス風の幻想小説で魅力的です。

 ボルヘス作品を読んだことがなくても、それはそれで面白く読める作品だと思いますが、ボルヘス特有のモチーフが頻出することもあり、多少読んだことのある方が、楽しく読める作品かと思います。主人公の飼い猫の名前が「アレフ」だったり、細かい設定も面白いですね。
 作者のヴェリッシモは、1936年生まれのブラジルの作家。作品の発表年は2000年です。ちなみに作品の舞台は1985年で、ボルヘスの最晩年、亡くなる前年に設定されているのも意味深ですね。


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8月の気になる新刊と7月の新刊補遺
7月28日刊 クラーク・アシュトン・スミス『魔術師の帝国3 アヴェロワーニュ篇』(安田均編 アトリエサード 予価2640円)
7月30日刊 サミュエル・バトラー『エレホン』(武藤浩史訳 新潮社 予価2420円)
8月5日刊 奈落一騎『江戸川乱歩語辞典 乱歩にまつわる言葉をイラストと豆知識で妖しく読み解く』(誠文堂新光社 予価1760円)
8月11日刊 ウィリアム・トレヴァー『ラスト・ストーリーズ』(栩木伸明訳 国書刊行会 予価2640円)
8月12日刊 草上仁『キスギショウジ氏の生活と意見』(日下三蔵編 竹書房文庫 予価1100円)
8月20日刊 レスリー・カラ『噂 殺人者のひそむ町』(北野寿美枝訳 集英社文庫 予価1155円)
8月21日刊 『幻想と怪奇3 平井呈一と西洋怪談の愉しみ』(新紀元社 予価2420円)
8月21日刊 中央公論新社編『事件の予兆 文芸ミステリ短篇集』(中公文庫 予価902円)
8月24日刊 小森収編『短編ミステリの二百年3』(創元推理文庫 予価1540円)
8月25日刊 アーシュラ・K・ル=グウィン『現実と幻想 ル=グウィン短篇選集』(大久保ゆう、小磯洋光、中村仁美訳 青土社 予価2860円)
8月25日刊 C・S・ルイス『ナルニア国物語1 ライオンと魔女と洋服だんす』(河合祥一郎訳 角川文庫 予価649円)
8月25日刊 C・S・ルイス『ナルニア国物語2 カスピアン王子』(河合祥一郎訳 角川文庫 予価704円)8月27日刊 ジャック・ロンドン『赤死病』(辻井栄滋訳 白水Uブックス 予価1540円)
8月27日刊 ショーン・タン『内なる町から来た話』(岸本佐知子訳 河出書房新社 予価3190円)
8月27日刊 東雅夫編 三島由紀夫『幻想小説とは何か 三島由紀夫怪異小品集』(平凡社ライブラリー 予価1870円)[ama
8月末予定 ケネス・モリス『ダフォディルの花 ケネス・モリス幻想小説集』(館野浩美、中野善夫訳 国書刊行会)

 随分時間が空きましたが、クラーク・アシュトン・スミスの邦訳短篇集の分冊版の三冊目『魔術師の帝国3 アヴェロワーニュ篇』が刊行です。

 サミュエル・バトラー『エレホン』は、ディストピア小説の古典の新訳版です。

 雑誌『幻想と怪奇3 平井呈一と西洋怪談の愉しみ』は、怪奇小説の名訳者、平井呈一をテーマにした特集号。資料として「シンシア・アスキス編 怪奇小説アンソロジー総目次」も載るようで、これは楽しみ。

 ジャック・ロンドン『赤死病』(白水Uブックス 予価1540円)は、破滅SF作品の古典。今読んでも面白い作品です。過去に書いたレビューを載せておきますね。

 8月のイチオシはこれでしょうか。ケネス・モリス『ダフォディルの花 ケネス・モリス幻想小説集』。ケネス・モリス(1879-1937)はイギリスの作家。今ではファンタジー小説における重要な作家の一人と目されているようです。



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夢のタペストリー  ジェイン・ヨーレン『夢織り女』

 ジェイン・ヨーレンの作品集『夢織り女』(村上博基訳 ハヤカワ文庫FT)は、『夢織り女』『月のリボン』『百番めの鳩』という、原書の三冊の短篇集をまとめたファンタジー作品集です。短めながら、どれも密度の濃いファンタジーになっていますね。

『夢織り女』
 大寺院の石段に座る盲目の老婆は、一ペニーと交換に、その人に合った夢を織ってくれます。それを喜んで受け取る人間もいれば、捨ててしまう人間もいるのです…。

「一番目の夢 ブラザーハート」
 森の奥に住んでいる兄と妹。魔法にかけられている兄は、毎夜、鹿の皮をかぶって鹿に変身し森を駆け回っていました。ある日戻ってきた兄は傷を負っていました。妹は、直後に現れた猟師が兄を追っていたことを知り、兄をかくまいますが、その一方、たくましい猟師にも惹かれていました…。
 鹿に変身する兄と、彼を追う猟師に恋してしまった妹を描く物語。やがて悲劇が訪れて…。兄妹に魔法がかけられた理由が明かされないなどもあり、非常に寓意的な味わいの強い作品になっています。

「二番目の夢 岩の男、石の男」
 石工のクレイグは岩のように頑固な男で、妻が子どもを欲しがるのに対して、それを拒否していました。子どもを作ることもできないと妻に挑発されたのに対し、クレイグは石を掘って「息子」を作ろうとします…。
 男によって作られた「息子」はやはり不完全で…。「息子」に対する父親と母親の態度の違いも面白いところですね。

「三番目の夢 木の女房」
 資産家の夫が亡くなり、裕福な未亡人となったドルシラ。彼女は財産目当ての求婚者たちと結婚するぐらいなら、庭にある白樺の木と結婚した方がましだと宣言します。ある夜、白樺の木から不思議な男が現れドルシラと一夜を共にします。やがて彼女は妊娠しますが…。
 木の精霊と結婚した女を描く物語です。木を愛する未亡人に対し、周囲の連中はそれを認めず、悲劇的な結末を迎えることになります。怪奇色の濃い作品ですね。

「四番目の夢 猫の花嫁」
 老婆は息子のトムと飼い猫を等しく可愛がっていました。病を得て死の床にあった老婆は、トムに飼い猫と結婚するようにと話します。すると猫は美しい娘の姿になって現れますが…。
 軽いタッチの幻想的な掌篇です。人間の娘になった猫の行動を描く結末のオチも楽しいですね。

「五番目の夢 死神に歌をきかせた少年」
 七人兄弟の末っ子のカールは、愛する母親を亡くした後、母を返してもらうために死神を探す旅に出ます。人々に死神の姿を訊ねるものの、人によってその見える姿は様々のようなのです。戦場でようやく探し当てた死神は美しい女性の姿をしていました。カールは得意とする歌で彼女を振り向かせようとしますが…。
 死神から母親の魂を返してもらおうとする息子を描いた物語です。どちらのパターンも暗いトーンではあるのですが、二通りの結末が用意されていて、その構成も面白い作品です。

「六番目の夢 石心臓姫」
石の心臓を持つ姫は、何も感情を感じ取ることができず、それゆえに石心臓姫と呼ばれていました。美しいきこりの青年ドナルは、動物たちから石心臓姫の孤独、そして姫の心臓を担ってやることによって、彼女を助けることができると諭します。ドナルは姫のもとに向かうことになりますが…。
 姫の負担を担うことによって彼女を救う青年を描いた物語です。生まれつき呪われた姫の呪いを解く主人公というパターンの物語はよくありますが、この物語では、一生、姫の負担を背負い続ける…という意味で、なかなか珍しいタイプの物語になっています。

「七番目の夢 壺の子」
 年老いた偏屈者の陶工が壺の表面に描き出した子どもは、絵の中から抜け出してきます。しかし、少年は自分に魂がないことを嘆きます。陶工は自分が死んだ後、自分の魂を上げようと話すのですが…。
 壺から生み出された子どもが、魂を得て完全な存在となる…という物語。壺としては不完全なものの、それが生命を感じさせる、という結末も面白いところですね。
 他のエピソードが、夢織り女の老婆が客に対して語った(織った)物語(夢)であるのに対して、この七番目のエピソードは、老婆が自分のために語った物語になっています。職業は異なりながらも、物を作る職人という共通点があるあたり、比喩的なメッセージも込められているのでしょうか。

 夢織り女が、老若男女、様々な人物に対して、それぞれのエピソードを語ると言う体裁になっていて、その物語に対する反応も千差万別。カップルの男女で受け取り方が異なったり、何度も求める夢を語らせようとする男もいたりと、その掛け合い部分も含めて面白い短篇集になっています。


『月のリボン』

「月のリボン」
 父が亡くなり、意地悪な継母と姉たちに虐められていた少女シルヴァは、母が残してくれた「月のリボン」を大事にしていました。そのリボンは母や代々の女性が髪を織り込んだ銀色のリボンで、魔法がかけられていたのです。
 そのリボンを通して別の世界を訪れたシルヴァは、白銀の髪の美しい女性に出会います…。
 「月のリボン」によって幸福を手に入れる少女の物語。少女が置かれた現実的な状況や、継母たちの末路など、意外と残酷味が強いですね。

「蜂蜜と薪の少年」
 蜂の巣の精に子どもを授けてほしいと願う老夫婦ですが、その願いは叶えてもらえません。おばあさんは薪と蜜を使って人形を作りますが、やがてその人形は動き出し、夫婦は彼を息子として迎えます。自分を敬わなくなった老夫婦に蜂の巣の精は腹を立てますが…
 薪と蜜で作られた子どもを描く物語です。人形が命を持ち始める…というお話はよくありますが、薪と蜜というのは材料として面白いですね。

「バラの子」
 子どもを欲しがっていた年老いた女は、バラの花の中に小さい子どもを見つけます。百姓や地主、神父など、様々な人間にバラの子の育て方を訊ねるものの、誰もまともな答えを返してはくれません…。
 バラの子に本当に必要なものとは…? 寓意的な要素の強い掌篇です。

「サン・ソレイユ」
 太陽の光を浴びると死んでしまうと予言された美しき王子サン・ソレイユ。父王は、彼を太陽に触れさせないように大切に育てます。美しい娘ヴァイガは王子と結婚しますが、予言は思い込みだと考え、王子に光を浴びさせて目を覚まさせようとします。国中の雄鶏を隠して、朝が来たことを王子に悟らせまいとするヴァイガでしたが…。
 太陽の光で死んでしまうとされた王子と、それを信じない妻の物語です。現実しか信じない妻と伝説に支配される夫との対比が興味深いですね。最初は予言を信じていた父王も、ヴァイガの言葉によって感化されていく…というのも面白いところです。

「いつか」
 若者のトムは自分の運を試すために旅に出かけます。途中で出会った老人にどこに行くべきか訊ねると、彼は「いつか」に行くべきだと答えます…。
 夢の終着地点とはどこにあるのか…? 老人になった主人公が、自らの聞いた言葉を繰り返す…という結末も寓意的で面白いですね。

「月の子」
 太陽を崇拝するソーリン国の人々は、光の入らない<黒の森>を恐れていました。夜に生まれ青白い肌をした少女モナは、森の中に入っては散策をしていました。モナが国に恐ろしいものを持ち込むのではないかと恐れた人々は、少女を排斥するようになりますが…
 偏見と思い込みが少女を迫害するという物語。おとぎ話的な道具立てのお話ですが、その実、非常に現実的な要素を持つ物語になっています。


『百番めの鳩』

「百番めの鳩」
 腕のいい鳥撃ちのヒューは、王さまに呼ばれます。王さまは美しい婦人を伴っていました。彼女との結婚式のために鳩を百羽ほど捕らえてほしいとの命令を受けたヒューは、99羽まで捕らえるものの、純白の美しい鳩1羽のみ、何度も取り逃がしてしまいます。
 ようやくその鳩を捕らえたところ、鳩はヒューに逃がしてくれればお礼をすると話しますが…。
 鳩を逃がすのか、王の命令を守るのか? 葛藤する鳥撃ちを描く物語です。悲劇的なトーンの物語になっています。

「炎の乙女」
 詩人肌の炭焼きの青年アッシュは、ある日炎の中に小さな娘を見つけます。娘にブレンナと名付けた青年は彼女を愛するようになります。やがて炭焼きが疎かになったことに気付いた周囲の人間はアッシュを問い詰めますが…。
 炎の精霊の娘を愛するようになった青年の物語です。結末は幻想的で美しいですね。

「風の帽子」
 百姓の青年ジョンは船乗りに憧れていましたが、一緒に暮らす母親からはそれを止められていました。ある日、亀を助けたジョンは、お礼に風の帽子をもらいます、それは風を自由に呼ぶことのできる魔法の帽子でした。ただ、一度かぶれば人間の手では外せないのです。
 衝動的に船乗りになってしまったジョンは、その力で船員たちから重宝されますが…。
 風を呼ぶ魔法の帽子を手に入れた青年の物語です。人間の手では取れない帽子という設定が面白いですね。

「白アザラシの娘」
 孤独な漁師のマードックは、白いアザラシが皮を脱ぎ捨てて美しい娘になるのを目撃します。さらに、彼女の周りに集まってきたアザラシは皆、皮を脱いで人間の姿に変身していました。マードックは、最初に見つけた白アザラシの娘セルと結婚します。セルは七人の息子を生み、マードックは幸福な結婚生活を送りますが…。
 正体を知られたために人間の男を結婚することになったアザラシの精の娘の物語、かと思いきや、意外な展開に驚きます。いろいろ考えさせる深みのある物語ですね。

「約束」
 結婚する約束をしていた少年ケイと少女ケイヤは、家の事情で引き離されてしまうことになります。ケイは魔法使いである老いた叔父のもとへ、ケイヤは修道院に引き取られることになりますが、ケイヤの美しさを見た叔父は彼女が大きくなったら自分のものにしようと考え、ケイを虐待します。やがて叔父は、ケイを魔法で鯉に変身させてしまいますが….
 魔法によって引き離された恋人同士の少年少女が結ばれる、という物語。魔法が解けても、全てが解決するわけではない…というところも面白いですね。

「昔、善良な男が」
 善良さで知られる男が、その褒美として天使から一つ願いを叶えてもらうことになります。男が望んだのは、天国と地獄をそれぞれ見せてほしい、という願いでした。地獄では、テーブルの上に食物があるものの、座っているものたちは皆縛られて食べることできない、という情景を見せられます。一方、天国でも地獄と同じような情景が繰り広げられていることに男は首をかしげますが…。
 天国と地獄の違いは本当にちょっとしたことにすぎない…という寓意的なファンタジーです。どこか、東洋の宗教説話のような味わいもありますね。

「人魚に恋した乙女」
 船長の娘ボーンは生まれつき醜く、それを指摘された妻は心労で亡くなってしまいます。娘を疎んじる父親に対して、ボーンは父親を深く愛していました。孤独な娘は、ある日出会った人魚の男に恋をすることになりますが…。
 報われない愛情を捧げる孤独な娘が、人魚に出会って恋をするという物語。ただこの人魚、話をすることはできず、娘の愛情に応えてくれているのかも実ははっきりしません。一見、純愛物語に見えるものの、どこか残酷さを感じさせる物語とも読めますね。

 この『夢織り女』、収録作は多いものの、どれも掌編といっていい長さでページ数はそんなにないのですが、どれも非常に密度が濃いです。解説文にもあるのですが、「ファンタジー小説」というよりは「妖精物語」「フェアリー・テール」といった印象が強い作品集になっています。


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世界の色彩  メガン・シェパード『ブライアーヒルの秘密の馬』

 メガン・シェパード作、リーヴァイ・ピンフォールド絵『ブライアーヒルの秘密の馬』(原田勝、澤田亜沙美訳 小峰書店)は、第二次大戦中のイギリスで結核の療養所で暮らす少女が、別世界からやってきた翼のある馬と出会うという、幻想的な物語です。

 第二次大戦中のイギリス、結核を患った少女エマラインは、両親や姉と離れ、かって資産家の伯爵夫人が住んでいた屋敷を改装したという、ブライアーヒル療養所にやってきます。周囲には同じ結核を患った子どもたちが集められていました。
 その中でも、エマラインは、年上で一番の古株であるアナになついていました。しかしアナは喀血を繰り返すなど、予断を許さない状態が続いていました。
 ある日、エマラインは鏡の中に翼の生えた馬たちが歩いているのを目撃します。しかし他の子どもたちには彼らが見えないようなのです。庭に、美しい翼を持った白馬を見つけたエマラインは、彼女こそ鏡の世界からやってきた馬なのではないかと考えます。やがて、エマラインは、馬のそばに手紙を見つけます。それは「馬の長」なる人物から彼女に宛てた手紙でした。
 それによれば、翼の生えた雌馬の名前はフォックスファイア。翼を傷つけてしまい、この世界に逃げてきたというのです。しかもフォックスファイアを追って、邪悪な黒馬ブラックホースが近づいているということも記されていました。
 虹の色を集めれば、黒馬に対して盾になると知ったエマラインは、虹に属する色のついた品物を集め始めます。
 療養所を手伝う片腕の青年トマスもまた、馬たちを見ることができると知ったエマラインは、彼の協力も得てフォックスファイアを守るために奔走することになりますが…。

 結核を患い療養所で暮らす少女が、鏡の中の世界からやってきたという翼の生えた馬と出会い、彼女を追ってきた黒馬から守ろうとする物語です。
 鏡の中の馬たちや、フォックスファイア、ブラックホースの存在は、基本的にエマラインにしか見えていません。後に、青年トマスや別の子どもにも彼らが見えているのではないかという描写がなされますが、本当に見えているのかは、はっきりしません。
 物語が進む間にも、エマラインの病は進み、死に近づいているわけで、フォックスファイアをめぐる超自然的な現象が本当に起こったのか、それとも死に近づきつつあったエマラインの幻覚(幻想)なのかは、物語の中ではっきりとは示されません。著者あとがきを読む限り、著者もそれに決着をつけようとはせず、読者の判断に一任しているようです。 実際、どちらとも取れるようにかかれており、その読み方次第では、エピローグの意味合いが多少変わってくるなど、読者の読み方の自由度も高い作品になっているといえるでしょうか。

 物語の中で重要な意味を持つのが「色彩」。「馬の長」の手紙から、虹の色を持つ品物が、ブラックホースからの盾になることを知ったエマラインは、色が付いた品物を集めようとします。その品物の色が、エマラインが慕う年上の少女アナが持つ色鉛筆の色と照応しているのも特徴です。
 エマラインが新たな色の付いた品物を見つけるたびに、「七八一-ターコイズ・ブルー」「九三五-ヘリオトロープ・パープル」など、色鉛筆の色の名前を叫ぶ、という描写も魅力的。彼女が色のついた品物を探していく過程は、どこか「宝探し」的な趣もありますね。
 作品の背景として暗い世相、陰鬱な状況を扱っているうえに、挿絵のモノクロ画の印象も相まって、どこか世界観全体がモノトーン的な印象を帯びています。「敵」である黒馬もその色は「黒」であるのも、その一環といえるでしょうか。

 黒以外の「色」は、アナが持つ色鉛筆(これは後にエマラインに譲られることになります)、そしてそれに準じたカラーを持つ様々な品物になっているわけです。戦中ということもあり、この療養所内では、品物が不足しており、なおかつ病気の子どもたちが持つ品物も限られています。
 その中で色鉛筆は、エマラインだけでなく、子どもたちの希望を象徴するものともなっているように感じられます。
 物語の途中で、色鉛筆は何者かによって折られてしまうのですが、ラストでそれらが再生され、エマラインが「独占」していた色鉛筆が、子どもたち皆のものになるシーンも描かれます。
 その意味で「希望」が一人だけでなく、皆の心にも宿った、という解釈もできそうです。

 上記にフォックスファイアをめぐる出来事が現実なのか幻想なのか、どちらとも取れるとは書いたのですが、この色鉛筆のエピソードを読む限り、出来事は実際に起こった…と取れる可能性が高いのではないかなと、個人的には思います。
 物語自体もさることながら、リーヴァイ・ピンフォールドによる挿絵も素晴らしい出来です。リアルでありながら幻想的という、作品のトーンを上手く表現しています。
 クライマックスでは、挿絵の領域を逸脱するほどの広い画面構成を取る場面もあり、挿絵というよりは、既に「共作」といってよい存在感を持っていますね。

 戦争や病気の子どもたちという、暗い題材を扱いながらも、重くなりすぎず、魅力的な幻想世界を描いた秀作といっていい作品ではないでしょうか。


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魔法の記憶  ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『九年目の魔法』

 ダイアナ・ウィン・ジョーンズの長篇『九年目の魔法』(浅羽莢子訳 創元推理文庫)は、失われた記憶を求めて探索を続ける少女を描いたファンタジー作品です。

 大学の新学期に備えて祖母の家に滞在していた19歳のポーリィは、ふと自分の記憶に違和感を抱きます。ベッドの上にかかっている「火と毒草」という写真、そして再読していた「忘れられた時代」という短編集。
 写真はこんな風ではなかったし、本の収録作は記憶と違っている。読んだはずの話の半数が収録されていないのに、なぜか今の本に収められている短編は全部読んだ記憶があるのです。やがてポーリィは、自分の記憶が奇妙な二重性を帯びていることに気づきます。真相を探るため、ポーリィは九年前、十歳の頃の記憶を辿り直します。
 友人のニーナと一緒に遊んでいたポーリィは、ふと知らない女の人の葬式にまぎれこんでしまいます。そこから助け出してくれたのはチェロ奏者のリンさんという男の人でした。仲良くなった二人はお話を作って遊んだりと、交友を重ねます。それからも思い出す記憶の中には必ずリンさんの姿がありました。
 なぜ今までリンさんのことを忘れていたのだろう。リンさんとの記憶は本当にあったことなのだろうか? リンさんの存在を確かめるために、ポーリィは記憶を遡っていくことになります…。

少女とその憧れの男性をめぐる交友の記憶を辿ると同時に、その記憶がなぜ失われてしまったのかを探索してゆくという、ファンタジー作品です。
 ヒロインのポーリィの記憶だけでなく、リンさんに関わることに何らかの魔法が関与していることはうっすら分かるのですが、誰が何のために誰に魔法をかけているのか? その魔法とは何なのか? といったことが、物語の後半まで皆目分かりません。そのため雲の中を進むような物語展開なのですが、ヒロインをめぐるあれこれがとても魅力的なので、面白く読めてしまいます。

 ヒロインのポーリィが複雑な家庭環境の娘で、父親は愛人と暮らしており、母親は情緒不安定のため、祖母と一緒に暮らしています。特に母親は精神的に不安定で、たびたび下宿人を変えては、その男とくっついたり別れたりを繰り返しています。娘に敵意を抱いたあげく、家を追い出したりもしてしまうのです
 そんな彼女が憧れるリンさんとは、彼の前妻であるローレルの家に葬式にやってきたときに出会うのですが、離婚したにも関わらず、リンさんはローレルに弱みを握られているかのようなのです。またリンさんを敵視するモートンやその息子セブ、彼らの行動も不穏さにあふれています。
 やがて物語として創作したはずの、リンさんとポーリィの話と同じようなことが現実に起こったりと、不思議なことが相次いでいきます。

 リンさんが出先からたびたびポーリィにあてて、様々な本を送ってくるのですが、これがイーディス・ネズビット作品を始め、ファンタジーの古典的な作品なのです。単なる物語上の趣向かと思っていると、これが後半の伏線にもなっているというのが手が込んでいますね。
 バラッドや伝承がたびたび引用され、また物語のモチーフとしてそれらが使われています。そうした知識があると、読んでいて物語の輪郭がうっすら分かってくると思うのですが、そうした知識がないと、かなりもやもやした物語展開に感じられる節はあります。

 物語の構成も手が込んでいて、主人公の現在から始まり、過去の封印された記憶を遡っていき、再び現在に戻るという構成になっています。その間にも、ポーリィとリンさんが創作した物語、その物語と同じように現実に起こる出来事、別の登場人物たちが創作した物語など、様々な階層のメタフィクショナルな要素が登場して、眩暈がしてきてしまいます。

 恐ろしく複雑で、おそらく一度読んだだけでは、物語を把握しきれないほどの情報が盛り込まれています。再読、三読したときに更に評価の上がる作品ではないかと思います。
 複雑な構成や要素を別にしても、少女ポーリィの成長の軌跡と恋を描く作品としても充分に魅力的な物語になっていることも申し添えておくべきでしょうか。主人公ポーリィをはじめ、様々な人物が登場しますが、特にインパクトがあるのが幼馴染で友人のニーナ。 恐るべきバイタリティと飽きっぽさで、次々に関心を移していく様が、ポーリィの背景と同時に描写されていき、物語にユーモラスな味を添えています。

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あたしは誰?  ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『わたしが幽霊だった時』

 ダイアナ・ウィン・ジョーンズの長篇小説『わたしが幽霊だった時』(浅羽莢子訳 創元推理文庫)は、記憶を失い幽霊となったヒロインが、自分は誰なのかを探ってゆくというファンタジー作品です。

 「あたし」が気がつくと、頭がぼやけていて、自分が誰なのか、なぜここにいるのかも思い出せないようになっていました。しかも自分の体も全く見えず、他の人間からも認識されていないようなのです。自分が幽霊となってしまったことを知った「あたし」は、自分が誰なのかを探ろうとします。
 学校を経営するメルフォード夫妻とその娘である姉妹たちの行動を観察した「あたし」は、自分が姉妹たちの一人であることを確信します。その場に姿のない次女サリーこそが自分であると考えた「あたし」は、長女のカート、三女のイモジェン、四女のフェネラらの姉妹に、自分の存在を知らせようとしますが果たせません。姉妹たちは、娘たちを放置している両親に自分たちの存在を認めてもらうための計画を立てていました。
 また、今は止めていたものの、かって小屋に人形を配置して、独自に生み出した異教の女神モニガンの崇拝を行っていたのです。やがて「あたし」が幽霊となった原因にも、モニガンが何らかの形で関わっていることが分かりますが…。

 冒頭から、主人公の「あたし」が記憶を失い幽霊となっていることがわかりますが、それ以外には何もわからず、読者も雲をつかむような状態で物語を読み進めることになります。自分が誰なのか? という疑問と同時に、なぜ自分は幽霊のような状態になっているのか?という部分も併せて探っていくところが面白いですね。
 語り手は、自分が姉妹の一人サリーであると当たりをつけることになりますが、読み進むに従って、彼女が本当にサリーであるのかどうかも疑わしくなっていきます。

 中盤までずっと「あたし」が、姉妹と両親の家族について観察してゆく過程が描かれていきます。混乱に満ちた一人称記述も相まって、少々読みにくく、冗長に感じられる部分もないではないのですが、謎の女神モニガンの存在が明らかになるあたりから、俄然物語が動き出します。冗長に思えた前半部分も、後半の展開において重要な意味を持ってくるあたり、著者の筆が冴えていますね。

 姉妹たちが、本当に皆「変人」で強烈な性格の持ち主なのが特徴です。皮肉や悪口の応酬で仲が悪いと思いきや、肝心なところでは協力したりと、その愛憎半ばする姉妹愛も読みどころになっています。
 男子生徒の中で目立つのが、悪魔的な魅力を持つジュリアン・アディマン。姉妹の何人かも、彼に魅力を覚えるのですが、彼が原因となって事態は悪化することにもなります。本作品において、四姉妹に次ぐ重要なキャラクターといえるでしょうか。

 幽霊の描写も面白いです。ドアをすり抜けたりする一方、物理的に物を動かすのはほぼ不可能に近かったりします。そんな状態で、別の人間に自分の存在を知らせようとする主人公の努力が描かれます。
 基本的に他の人間に主人公の存在は見えないのですが、一部の人間には気配のようなものが感じられたり、幽霊として存在を認識できる人間もいるようなのが面白いところですね。

 自分が誰だか分からない、という題材からも推測できるように、アイデンティティーの問題が重要なテーマとなっています。中心となる姉妹たちがみなエキセントリックで、個性豊かな人物たちなのですが、そんな彼女たちも忙しい両親に構ってもらえず、食事の世話さえ疎かになっている始末。
 それゆえ、そんな状況を両親に気付いてもらうために計画を練るのですが、それも上手くゆきません。姉妹の中で一番の「常識人」であるサリーは、特に姉妹たちに対する無意識のコンプレックスに苛まれているようで、そこから生まれた行為がまた事態を大きくすることにもなってしまうのです。

 物語の構造がけっこう複雑で、なかなか本筋が捉えにくいのですが、メインテーマは、四姉妹それぞれが自分の人生を取り戻す話、といっていいのでしょうか。両親から期待された道に進む娘もあれば、その選択を捨てる娘もある。
 輝かしいと思われた将来を捨てることが本人にとって幸福な場合もある…ということが描かれるあたり、非常に懐が広く、ポジティブな物語といえますね。

 メインはファンタジー小説といっていいのですが、ミステリとSFの風味も混ぜ合わせたような感じになっています。女神モニガンに関する部分はホラー味もあるなど、さまざまな要素のあるジャンルミックス的な作品といっていいでしょうか。
 途中から語り手が時間移動していることもわかるなど、構造はかなり複雑で、一読しただけでは話の全貌が捉えにくい話ではありますね。再読したときに、より面白さのわかる作品ではないでしょうか。


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夢見る少女たち  ペネロピ・ファーマー〈メイクピース姉妹三部作〉
 イギリスの作家ペネロピ・ファーマーの『夏の小鳥たち』『冬の日のエマ』『ある朝、シャーロットは…』は、シャーロットとエマのメイクピース姉妹が主人公となる、ファンタジー小説の三部作です。それぞれテーマも味わいも異なっており、独自の魅力を持った作品となっています。


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ペネロピ・ファーマー『夏の小鳥たち』(山口圭三郎訳 篠崎書林)

 おじいさんのイライジァと共に『鳥の館』と呼ばれる家に住むシャーロットとエマのメイクピース姉妹。ある日、不思議な少年と出会った姉妹は、少年と一緒に学校に向かいます。しかし他の生徒や先生たちには少年の姿が見えていないようなのです。
 授業中に、少年と共に教室を抜け出したシャーロットは、彼から空の飛び方を教わります。続いて妹のエマ、そしてクラスの他の子供たちにも飛び方を教えた少年は、子供たちと一緒に空を飛んでは楽しんでいました。
 しかし、少年はどこの誰なのか、名前さえも明かそうとはしません。彼の正体に不信の念を抱いたリーダー肌の少年トッティーは、正体を明かせと彼に迫りますが…。

 突然現れた、空を飛ぶ能力を持つ不思議な少年が、子供たちにその飛行の仕方を教え、共に飛ぶようになる…というファンタスティックな物語です。
 はじめに少年と出会ったシャーロットとエマの姉妹を中心として、なるべく争いが起きないようにと飛行能力を伝授していく少年ですが、やはり、嫉妬や不信の念から争いが起こってしまいます。
 少年は何者なのか? 何の目的があって飛行能力を伝授するのか? 単純な夢物語的ファンタジーかと思って読んでいくと、意外な結末が待っています。

 少年の正体については、伏線となる描写がたびたびあるので、何となく予想はつくのですが、その目的はなかなか分かりません。真相が明かされた後に、前半を読み返してみると、また違った風にも読めてくるのが面白いところですね。

 子供たちが飛行を練習するシーンや、子供たちがそれぞれ独自の飛び方をしていると描写されるシーンなど、飛行に関する部分の描写は瑞々しく、魅力がありますね。

 少年の正体が明かされ、彼の目的が分かる結末は、考えようによってはちょっと「怖い」です。それまでの展開では、子供たちのちょっとした「争い」はあるものの、終始、陽性で描かれていた物語のトーンが突然ガクンと落ちるような節もあり、そのギャップも含めてユニークなファンタジー作品だと思います。



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ペネロピ・ファーマー『冬の日のエマ』(山口圭三郎訳 篠崎書林)

 姉のシャーロットが寄宿学校に行ってしまってからというもの、妹のエマは孤独を囲っていました。周囲から「泥水ぱちゃ子」と呼ばれ、皆から軽んじられていた少年ボビーは、エマと仲良くしたいと彼女に話しかけますが、エマはそれをはねつけてしまいます。
 そのころエマは、夜になると毎日のように空を飛ぶ夢を見ていました。その夢の中でエマはボビーらしき存在を見かけます。ボビーもまたエマと同じ飛ぶ夢を見ていることを知ったエマは、夢を通して彼と仲良くなっていきますが…。

 不思議な飛ぶ夢を共有することになった少年少女が仲良くなり、人間的にも成長してゆく…というお話です。舞台は、前作『夏の小鳥たち』たちから数年後という設定になっています。
 主人公エマは、真面目な姉シャーロット(三部作の一作目と三作目で登場します。本作には直接は登場せず)に比べ、わがままで自分勝手な性格の少女です。対してボビーは皆から馬鹿にされてはいるものの、素直で、頭の働きも良い少年として描かれています。
 最終的にはエマは成長を遂げ、包容力のある存在になるのではありますが、読者はボビーの方に感情移入して読む人が多いのではないでしょうか。

 夢の世界では、序盤からエマとボビーの他に、何か悪い存在がいることが示唆されており、実際に後半ではその存在が姿を現すことになります。おそらく、現実世界でのエマの不満や憎しみなどが夢の世界で形を取って現れており、それを克服することが、現実世界でのエマの成長とリンクしているようです。
 夢の世界は、いわば現実世界の投影のように思えるのですが、ボビーとの仲を始め、現実世界での困難がとりあえず解決した後も夢の世界は続きます。その夢の世界では、周囲の光景がだんだんと過去に遡っていき、やがては地球の始源にまで至る…という壮大な展開になっています。
 この結末の情景、物語の中では明らかに突出していて解釈が難しいのですが、その神秘主義的な色彩にはある種の魅力がありますね。

 前作『夏の小鳥たち』が明るいトーンの作品だったのに比べ、こちらの『冬の日のエマ』は冬が舞台になっていることもあり、全体に多少暗いトーンの作品になっています。主人公エマに関することで言えば、姉のシャーロットの不在、祖父のイライジァが老齢になり体が衰えていること、ボビーに関しても、赤ん坊の妹が生まれたことで母親の愛情がそちらに移ってしまったと不満を持っていることなど、メインとなる二人の登場人物の精神的な背景にも少々の暗い影が見られます。
 ただ、そうした暗く寒い冬のイメージで統一された作品の中でも、夢の中、一面の雪景色の中を飛んでいく情景の美しさには特筆するものがありますね。

 夢の世界はともかく、現実世界では、主人公エマがボビーを始めとした周囲の人間を受け入れて人間的に成長する…という、かなり地味な展開のお話ではあります。ただ、妙に心に残る作品であることは確かで、ある種の人の琴線に触れる作品ではないかなと思います。



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ペネロピ・ファーマー『ある朝、シャーロットは…』(川口紘明訳 篠崎書林)

 シャーロット・メイクピースは、家族と離れ町の寄宿学校にやってきます。上級生のサラはなぜか彼女に親切にしてくれますが、サラの案内でシャーロットに割り当てられたのは、車輪のある古いベッドでした。そのベッドで眠ったシャーロットが目を覚ますと、目の前には見知らぬ幼い女の子がいました。
 女の子はシャーロットのことをクレアと呼びます。周囲の環境も人間も異なっているのを知ったシャーロットは、そこが40年前、1918年の世界であることを知ります。シャーロットは40年前に同じ寄宿学校にいた少女クレアと入れ替わっており、幼い女の子はクレアの妹エミリーだというのです。
 眠るたびに現代と1918年を行き来することになったシャーロットは、二つの時代の環境の違いに困惑することになりますが…。

 1日ごとに40年前の別の時代に目覚めてしまうことになった少女を描くファンタジー小説です。
 現代の少女シャーロットと1918年の少女クレア、互いに別の時代に移動しているようなのですが、視点はシャーロットに固定されているので、クレアが現代にやってきてどうなっているのかは間接的にしか分かりません。後に交換日記を思い付き、連絡をすることで互いの情報を知るものの、お互い別の時代の環境に困惑している様子が描かれていきます。
 シャーロットの方は、寄宿学校に入った途端に別の時代に飛ばされてしまうわけで、最初の内は、周囲の同級生や先生も取り違えてしまいます。学校の勉強も上手くできず、先生たちからは劣等生の怠け者として認識されてしまうのです。

 入れ替わっている、といっても、面白いのは容姿や肉体的な変化はないところ。鏡を見ても自分の姿に変わりはないのです。飽くまで周囲の人間の認識によってその時代の人間と思われているらしいのです。
 1918年の時代では、常に一緒にいることになるクレアの妹エミリーは、クレアとは異なるシャーロットの言動に不信感を持ちますが、それもあり、やがて入れ替わったことを打ち明けることにもなります。

 二つの時代の行き来を繰り返したことにより、シャーロットのアイデンティティーに揺らぎが生じてくる、という流れも興味深いところです。過去の時代においては、周囲は飽くまでクレアとして接してくるわけで、自分は本当にシャーロットなのか、そもそもシャーロットという人格の本質とは何なのか? といった、ある種哲学的な認識まで芽生えてくるのです。クレアの妹エミリーがことあるごとに、シャーロットとクレアの言動を比較する、というのも、そうした状況に拍車をかけていますね。

 時代の行き来という「タイム・トラベル」だけでなく、他にも不思議なことが起こります。特に過去の時代において、幽霊らしき存在が登場したり、シャーロットがその時代から更に過去の人物と入れ替わりかかったりする、というのも面白いところです。
 「タイム・トラベル」の原因や理由は最後まで明かされず、飽くまで、それにより時代を移動するヒロインの心理的な戸惑いと成長を描く作品となっています。
 日本ではそれほど知名度はないと思うのですが「時間ファンタジー」の名作の一つといってよい作品ではないでしょうか。

 この三部作、登場人物はかぶっているものの、それぞれお話は独立しているので、単独でも楽しめる作品になっています。
 『夏の小鳥たち』はシャーロットとエマ、『冬の日のエマ』はエマ単独、『ある朝、シャーロットは…』はシャーロット単独のお話になっています。
 時系列的には『夏の小鳥たち』が一番早く、その数年後が『冬の日のエマ』『冬の日のエマ』とほぼ同じ時間軸で寄宿学校に行っているシャーロットの物語が『ある朝、シャーロットは…』という関係になっているようです。

 三部作の中では、飛び抜けて『ある朝、シャーロットは…』の完成度が高いです。三作のうちどれか読んでみたいというなら、この作品をお薦めしておきたいと思います。


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さまざまな幻想  ペネロピ・ファーマー『陶器の人形』

 ペネロピ・ファーマー『陶器の人形』(山口圭三郎、山口昌子訳 篠崎書林)は、『骨の城』『イヴの物語』で知られるイギリス作家ファーマーの、秀作揃いのファンタジー短篇集です。

「陶器の人形」
 森と湖に囲まれた大きな城に集う貴公子や貴婦人たち。城にやってきた物売りは、商っているその不思議な品物で彼らの欲望を叶えようと持ちかけるのですが、彼らは面倒だとしてその申し出を断ります…。
 まるで「陶器」のような人間たちに物売りが施した魔法とは…? 皮肉な味わいの、幻想的な散文詩といった趣の作品です。

「魔女エミリー」
 おばあさんから魔女の後継者として育てられてきた美しい少女エミリー。おばあさん亡き後、魔女の修行に励んでいた彼女は、魅力的な水兵ジョン・スミスに恋をしてしまいます。しかし、魔女の力を捨てない限り、人間の男と恋をすることはできないのです…。
 恋する男性のために魔女の力を捨てようとする少女を描いた物語です。美しい恋物語かと思いきや、ブラックな結末には驚きます。

「かんしゃく姫」
 その王国には、美しい三姉妹の王女がいました。親切ながら頭のからっぽな長女、学問好きでお堅い次女、そして一番の美貌を誇りながらもかんしゃく持ちでわがままな三女のメリリンダ王女。かんしゃくを起こした三女は罰として、妖精に蜜蜂に変えられてしまいます。
 メリリンダ王女の肖像を見て彼女に惚れ込んだ隣国の王子は、となりの国に向かう途中、偶然にも蜜蜂になったメリリンダ王女に出会いますが…。
 かんしゃく持ちのヒロインがそれを克服して王子と結ばれる…という話かと思いきや、そうはならないところが実にシニカル。捻りのあるおとぎ話です。

「龍の兄弟」
 地球がまだ氷と雪に覆われていたころ、そこには龍の三兄弟が住んでいました。宇宙を散歩する兄弟たちでしたが、ふとしたことから周囲を回っていた月に、吐いた炎で火を付けてしまいます…。
 太陽が生まれた理由を描く、創世神話的な物語。宇宙を駆け巡る龍のイメージが壮大です。

「ある農夫の一生」
 考え深い農夫は、いかに効率的に仕事をするかについて普段から熱心に考えていました。魔法使いや魔女、博士など、様々な賢者のもとをめぐっては知恵を学ぼうとする農夫でしたが、完璧な方法は見つかりません…。
 「完璧な方法」などこの世には存在しない…という寓話的な作品です。

「心優しい王子さま」
 心優しく、民衆のことを常に考える優しい王子は、革命こそが最善の手段だと思い至り、それを実行しようと考えます。しかし魔法使いでもある家庭教師に、革命の結果がどうなるかを諭され、考え直すことになります…。
 その優しさゆえに、極端に走ってしまう王子を描いた物語です。堅実さこそが重要という、教訓的なテーマも含まれていますね。

「ナメクジ」
 魔女に仕えるナメクジは、褒美として何でも願いを叶えてもらうことになります。蝶に変身させてもらったナメクジはその生活を楽しみますが、その短い寿命に気がつき、別の姿に変えてもらいます。
 やがて王女の美しさに憧れたナメクジは、その姿を王女に変身させてもらいますが、その生活は思ったよりも窮屈で退屈なものでした…。
 様々な姿に変身させてもらったナメクジが、想像とは異なった生活に失望を繰り返すという物語。最終的には王女になるものの、それでも満足できないのです。最終的に元の姿(状況)に満足を見出す、というタイプのお話はよくありますが、本作では主人公の元の姿がナメクジだけに、その展開には、ギャップと驚きが感じられますね。

「羊飼い・ロビンの物語」
 トゥルーラブ七人兄弟の真ん中で、賢いロビンには、他の兄弟にあるような野心がなく、羊飼いとして平穏な生活を送っていました。ある日妖精の小さな男を助けたロビンは、お礼として「野心」を授けてもらいます。
 ふとしたことから王様の召使いになったのを皮切りに、どんどんと出世するロビンでしたが、彼は他の兄弟以上に「俗物」になっていきます…。
 富や名声を求めず平穏に暮らす青年が、「野心」を手に入れたことから俗物になってしまう…という物語。ロビンの俗物具合が誇張して描かれていて楽しいですね。

「天地創造」
 まだ人間や他の生き物が生まれる以前、天地創造を行った魔法使いは、風、水、火、地の4人の使者を召使いとしていました。あまり取り柄のない地の使者は、様々な能力を持つ他の使者に馬鹿にされてしまいますが…。
 天地創造とそれに協力したという4人の使者を描く神話的ファンタジーです。地の使者がやがてある生き物になった…という起源譚にもなっているところもユニークです。

「王女さまの婿えらび」
 美しい王女が結婚するため、婿選びをすることになりますが、いたずら好きの王女は妖精に協力してもらい、彼女が牝牛に変身したかのように見せかけます。宮殿に迎えられた牝牛に対して、王女に仕える者たちや求婚者たちは、ご機嫌を取ろうと必死になりますが…。
 婿選びでいたずらをする王女の物語です。妖精が登場するものの、目立った魔法は特に使われないという、珍しいタイプのフェアリー・テールです。

「魔女山の魔女が笑うとき……」
 フリッツとヘンゼルの兄弟は普段から魔女をからかっては楽しんでいました。やがてうり二つの姉妹とそれぞれ結婚することになった兄弟でしたが、魔女によって、結婚相手がいつの間にか入れ替えられていたことを知ります…。
 からかわれていた魔女によって復讐されてしまう兄弟を描く物語です。嫌いなものを我慢しているうちに、どんどん具合が悪くなっていく…という生活感あふれる描写が妙にリアルです。

「ヒバリとナイチンゲール」
 自分たちの環境にうんざりしたヒバリとナイチンゲール。普段とは逆に、ヒバリは夜に、ナイチンゲールは昼に鳴くようになりますが、それによって生活を狂わされてしまった人々によって、鳥たちは王様のもとに引っ立てられてしまいます…。
 昼と夜に鳴く鳥が、互いの環境を入れ替えてみるという物語。周囲の人間たちの生活のリズムがそれで狂ってしまうという、いささか大げさな設定が楽しいです。

「醜い王女」
 王は末娘の王女を結婚させたいと願いますが、器量の悪い王女の縁談は次々と断られてしまいます。様々な魔法使いのもとに助けを求めますが、助けることはできないと匙を投げられてしまいます。王女自身はきこりの青年を愛し、青年もまた彼女を愛していましたが、平民の青年とは結婚することができません。
 ただ一人、王女の助けになった魔法使いは、彼女に二つの薬を渡します。この世の男性が全て王女に恋をするようになる薬と、きこりの姿が王の目に結婚相手としてふさわしく見えるようになる薬。どちらを飲むかは王女の考えしだいだと…。
 虚栄心を満足させるのか、それともただ一人の愛を求めるのか、という「醜い」王女の判断を描いた物語です。純愛を貫く方向にはいかず、王女は判断を誤ってしまうことになるのですが、それでも別にいい…という割り切った結末もユニークですね。

「ロマンティックな王さま」
 王には、フレデリック、フェルディナンド、ジョージという三人の王子がいました。王は自らの後継者を決めるため、三人に様々な課題を出します。のんびり屋のフレデリック、野心に満ちたフェルディナンド、マイペースなジョージと、王子たちはそれぞれのペースで課題に挑戦することになりますが…。
 一見、第三王子のジョージが主人公的な扱いを受けており、上の兄たちが失敗してジョージが最終的に王位に就く話かと思いきや、そういう風には進みません。ジョージ以外の二人の王子も個性があり、特にずる賢い描かれ方をしているわけではないのも、おとぎ話の類型を外していて興味深いですね。

「フクロウ」
 幼いエリザベスはある夜、どこからか話しかける声を聞きますが、それは屋根裏部屋にあるフクロウの剥製が話していたのでした。フクロウと共に夜の空を飛び出したエリザベスは、、部屋にあった様々な家具と、それ以外にも大量の家具が一緒に飛んでいるのに気がつきます。
 やがて家具たちは、野原に降り立ち、様々な「部屋」を形成していきます…。
 古びた家具たちが空を飛び、部屋を形作るというファンタスティックな作品です。家具たちやフクロウの目的も特に分からないのですが、どこかシュール、奇妙な魅力のある作品になっています。古い家具に対する愛情が描かれている部分も魅力的ですね。

「公園の魔女」
 四人の子供たちの乳母になった魔女は、魔法の力で彼らに罰を与えたりと、子どもたちを上手くコンロトールしており、両親からも高く評価されていました。ある日子供の一人ロバートが乳母の魔法の枝を突然奪ってしまいます。彼はその魔法の力で周囲に魔法をまき散らしますが…。
 乳母になった魔女が、その魔力で仕事を上手くこなすものの、暴れた子供のせいで魔法のコントロールが効かなくなってしまうという物語。魔女である乳母よりも、言うことをきかない子供の方に邪悪さが感じられてしまいます。

「銀の花」
 その銀の花には、不思議な力がありました。その花の香りを嗅いだ人間を消してしまうのです。花の力により、若者から老人まで大量の人間が消えてしまいます。そんな中、うすのろと呼ばれる農夫サイモンが花に近づいていきますが…。
 人を消してしまう銀の花を描いた、奇妙な味わいのファンタジー作品です。純真な心を持つ男が現れるものの、それによって人々が救われるというわけでもなく、寂寥とした結末を迎えるという、なんとも言い難い味わいの作品になっています。

 この『陶器の人形』、著者ファーマーが20歳そこそこで刊行されたデビュー作品集だということですが、恐ろしく達者で、面白い短篇集です。基本のカラーはフェアリー・テールですが、その作風は多様。幻想的な散文詩のような作品や〈奇妙な味〉に接近した作品もありと、バラエティに富んでいます。


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二つの時代  アリソン・アトリー『時の旅人』

 アリソン・アトリーの長篇『時の旅人』(松野正子訳 岩波少年文庫)は、田舎の農場に預けられた少女が、現代と16世紀のダービシャーを行き来することになるというファンタジー物語です。

 兄のイアン、姉のアリソンと共に、大おばであるティッシーおばさんの住むダービシャーのサッカーズ農場に預けられることになった少女ペネロピー・タバナー。そこは彼らの先祖がずっと住んできた場所であり、かっての領主バビントン家の領地でもありました。
 エリザベス女王の御世、バビントン家の若き当主アンソニーは、スコットランド女王メアリ・スチュアートをめぐる陰謀に加担したとして処刑されてしまったといいます。
 優しい大おばと大おじ、自然豊かな農場での暮らしを楽しむペネロピーでしたが、家の中で時折、数百年も昔の格好をした人物を目撃するようになります。大おばによれば、タバナー一族にはごくまれに透視能力のようなものを持つ女性が現れるというのです。
 やがて別の時代に入り込んでしまったペネロピーは、そこが16世紀、アンソニーの治めるバビントン家の人々が住んでいるということを知ります。屋敷の家政を切り盛りするシスリーおばさんの姪という名目で、屋敷に置いてもらえることになったペネロピーは、屋敷の人々と触れ合い、彼らに対して親愛の情を覚えるようになります。
 アンソニーの弟フランシスとも仲良くなったペネロピーでしたが、アンソニーが囚われているスコットランド女王メアリ・スチュアートを敬愛しており、彼女を脱出させる計画に加わっていること、家族は必ずしもそれに賛成しているわけではないことを知り、自分にも何かができないかと考えますが…。

 数百年前の過去にタイム・トラベルしてしまった少女が、その時代の土地や人々と触れあい、成長を遂げてゆく…という幻想的な物語です。
 現代における農場での生活、過去の16世紀におけるその当時の風俗や生活などが、詳細かつリアルに描かれており、その部分だけでも素晴らしい作品になっています。
 作者アトリーが実際に農場で暮らしていたという経験が生かされているという現代の農場生活の描写も良いのですが、過去パートにおいては、その時代の服装や礼儀、貴族や召使の生活の違いなど、現代とは異なる様々な描写が現れ、興味深く読むことができます。
 食事の際に食器を使わず手を使って食べるシーンがあるところなど、非常にリアルですね。

 主人公ペネロピーのタイム・トラベルもちょっと独特です。自分の意思で行ったり来たりすることはできず、本当突然ランダムな感じで時間を移動してしまうのです。
 16世紀にいる間は現実世界での時間が経過していないようなのですが、再び過去に戻ると、過去では時間が経過しているようなのも独特ですね。

 後半は、メアリ女王をめぐって当主アンソニーが脱出のための計画を進める過程が描かれていきます。その神秘的な能力から、アンソニーやその弟フランシスから認められることになるペネロピーですが、彼女が何か具体的に計画の手助けをしたり、歴史を変えるようなことにはなりません。
 その意味では、ペネロピーは「歴史の傍観者」的な立場なのですが、過去の時代の人々に感情移入しているペネロピーは、彼らの手出けをしたいと思いが強くなっているのです。この過去への思いは段々と強くなっていき、逆に現代の時代への違和感となっても現れます。
 農場を訪れた両親に対しても、ある種の疎ましさまで感じてしまうのです。しかし、そこまでの思いがあっても歴史は変えられない…。
 喪失感に満ちてはいながら、単なる諦観で終わらないラストの情景にも非常に味わいがありますね。

 登場人物も厚みを持って描かれていますが、特に印象に残るのは、現代のティッシーおばさんと、過去の時代のシスリーおばさん、どちらも主人公ペネロピーの味方となる人物なのですが、特にシスリーおばさんに関しては、ペネロピーの人には言えない事情を問いたださずに受け入れたりと、包容力のある人物として描かれています。

 過去の出来事や人々が等身大に描かれるという非常に厚みを持った作品です。その経験は、主人公に喪失感を持たらしますが、それが成長にもつながっていくのです。序盤で登場したペネロピーと、結末におけるペネロピーの姿の違いには驚かされるはず。名作といっていい作品ではないでしょうか。


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家に棲むものたち  ペネロピ・ライヴリー『犬のウィリーとその他おおぜい』

 ペネロピ・ライヴリー『犬のウィリーとその他おおぜい』(神宮輝夫訳 ディヴィッド・パーキンス絵 理論社)は、犬やネズミ、クモなど、とある家に住み着いた小動物たちの生活や冒険が描かれる連作短篇集です。

 パヴィリオン・ロード五四番地に建つディクソン家。ディクソン家の飼い犬ウィリーを始め、家に住み着いたネズミの一族、クモ、ワラジムシ、家に立ち寄るレース鳩などを主人公にして、それぞれの生き物の視点から彼らの生活や冒険が描かれるという趣向の連作になっています。
 それぞれのエピソードでは、登場する生き物の視点から物語が描かれるので、家の持ち主であるディクソン家の人々は最後まではっきりとしたキャラクターとしては現れてきません。彼らとのつながりが深い犬のエピソードでは、背景として飼い主家族が登場しますが、それも飽くまで背景程度。
 主人公たちは飽くまで人間以外の動物であって、彼らの物語が合わさって「一つの家」が現れてくる…という面白い趣向です。

 登場する生き物たちは、それぞれの動物としての特性にとらわれてはいあるものの、ある種人間のように考えたりと、微妙なレベルの擬人化がされているのが特徴です。
 その点面白いのが、クモやワラジムシを主人公としたエピソードでしょうか。特にワラジムシのナットを主人公としたお話では、仲間のワラジムシの考え方を否定せず、自分は自分として、与えられた環境で身の丈にあった生活をしようとするナットの様子が描かれます。そんな彼に「新しい世界」を見せようと現れるクモの存在はいい味を出していますね。

 生き物たちも一つのエピソードだけでなく、何回か再登場したり、また別の生き物が中心となるエピソードでも背景にちらっと登場したりするのが楽しいです。犬はおっちょこちょい、ネズミは亭主関白で冒険家気質、ハトは自信家であるなど、それぞれの生き物に性格づけがはっきりされているのも面白いところです。
 作中一番活躍するのは、ネズミのサムでしょうか。家の中だけでなく、外に出たりと、様々な冒険が描かれます。

 登場する生き物たちが等身大に、しかも愛らしく描かれており、読後感の非常によい作品になっています。原題は「裏返しの家」というような意味のタイトルだそうで、こちらの方が作品の内容を上手く言い表していますね。


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火の神秘  オドエフスキィ『火のドラゴンの秘密』
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 オドエフスキィ『火のドラゴンの秘密』(渡辺節子訳 ポプラ社文庫)は、オドエフスキィ「火のドラゴンの秘密」とゴーゴリ「悪魔を描いた男」の二篇を収録した怪奇小説集です。

オドエフスキィ「火のドラゴンの秘密」
 フィンランド、ヴォクサ川のふもとの村で養い親に育てられていた少年ヤッコは、戦争で侵入してきた兵隊に親を殺され、ロシアへと連れ去られてしまいます。10年後、ロシア皇帝のもとで出世したヤッコは、故郷の村に戻り、かっての養い親の孫エリサを連れ帰り、結婚しようと考えます。
 しかし自然で育ったエリサは都会の生活に馴染まず、故郷に帰ることになります。世話になっていた一家の娘と結婚したヤッコでしたが、失脚して資産を失った途端、妻は悪妻となってしまいます。
 富の源泉となる「奇跡の石」を手に入れるため、貴族の伯爵と協力して錬金術の実験を繰り返すようになったヤッコでしたが、成果は上がりません。やがて炎の中にエリサの姿を認めるようになりますが、炎の中の彼女は火の精サラマンドラを呼び出さなければ成果は得られないとささやいてきます…。

 現実的な利益を求める青年ヤッコと、自然を愛する少女エリサとの恋物語に、錬金術や火の精霊が絡んでくるという幻想小説です。エリサには幼いころから超自然的な能力があり、火の精サラマンドラが「もうひとつの人格」として度々現れてきます。
 メインである「錬金術」の話が出てくるのが、物語も中盤を越えたあたりで、それまでは男女の愛憎を描いた、結構どろどろのお話になっているのが面白いところです。一途に相手を愛するエリサに対し、ヤッコの方は他の娘に気を取られたりと全体に浮気性なのです。
 戦争で養い親を失ったりと、さまざまな辛苦を舐めているだけに、現世的な利益を求めるという青年の心根も前半で描かれていて、その意味で単なる「浮気者」にはなっていないのが上手いところでしょうか。
 雇い主が変わっただけで、あっという間に凋落してしまい、錬金術を通じて再度エリサの愛情を取り戻すものの、再び富の魔力に抗し切れなくなってしまう…という流れになっています。
 絶大な力を持つらしい火の精とエリサが同一人物なのか、どういう関係なのかは最後まで明かされず、なにやら神秘的なヴェールに覆われています。

 「火のドラゴンの秘密」の原題は「サラマンドラ」、こちらも邦訳のある「シルフィッド」(望月哲男訳 川端香男里編 『ロシア神秘小説集』国書刊行会 収録)とともに、オドエフスキィの四大精霊もの作品になっています。
 ウラジーミル・フョードロヴィチ・オドエフスキー(1804~1869)はロシアの作家。多彩な作品を書きましたが、幻想的な作品もいくつか残しているようです。「4338年」(1840)はSFの先駆的作品ともされています。


ゴーゴリ「悪魔を描いた男」
 才能のある若き画家チャルトコフは、店で老人の肖像画を見つけ、その存在感と迫力に魅せられその絵を購入します。ある夜、肖像画から老人が抜け出してくる夢を見たチャルトコフは、夢の中で老人が持っていた金貨が実際に目の前にあるのを見て驚きます。
 やがて貴族の肖像画で当たりを取り、富と名声を手に入れたチャルトコフでしたが、それと比例するように彼の才能は急速に萎んでいきます…。

 「悪魔の肖像画」を手に入れた男が、富と名声を手に入れるが、大切なものを失い破滅する…という怪奇小説です。二部に分かれており、一部では画家チャルトコフが破滅するまで、二部では絵の由来が描かれています。
 二部の「悪魔の肖像画」のモデルである金貸しのエピソード部分は、非常に暗鬱でゴシック・ロマンス風の空気に満ちています。「絵画怪談」として面白い作品ですね。
 この作品、大人向けの訳では、一般に「肖像画」と題されている作品です。


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月の姫の物語  エリザベス・グージ『まぼろしの白馬』

 幻の動物たち、呪われた一族の伝説、引き裂かれた恋人たち…。
 エリザベス・グージの長篇『まぼろしの白馬』(石井桃子訳 福武文庫 1946年発表)は、一族の悲願を託された少女が幻想的な冒険を繰り広げる、ロマンティックなファンタジー作品です。

 両親を失った少女マリア・メリウェザーは、家庭教師で親代わりのヘリオトロープ先生、飼い犬のウィギンズとともに、またいとこであるベンジャミン・メリウェザー卿が住むムーンエーカー館に引き取られることになります。
 好人物のベンジャミン卿と仲良くなったマリアは、古い館や周囲の自然の素晴らしさにも感銘を受けます。館での生活を楽しむマリアでしたが、ある女性に関してメリウェザー卿に悲しい過去があったらしいこと、そして村の老牧師から、数百年前にメリウェザー家の当主ロルフ卿と敵対関係にあった「黒ウィリアム」との間に激しい争いがあったことを聞きます
 「黒ウィリアム」の領地を奪うために彼の娘「月姫」と結婚したロルフ卿は、妻を心から愛するようになりますが、「黒ウィリアム」が再婚して跡継ぎの息子が生まれたことから、妻との間はこじれてしまいます。やがて「黒ウィリアム」と息子の行方が知れなくなったことから、ロルフ卿が手を下したと信じ込んだ「月姫」は姿を消してしまったというのです。
 代々のメリウェザー家の女性もまた「月姫」と呼ばれ、その力で呪いを解くことができると言われていましたが、まだそれを果たした女性はいません。
 ベンジャミン卿の領地を荒らす黒い男たちが、かっての「黒ウィリアム」の子孫ではないかと考えたマリアは、友人となったロビン、館を守る巨大な獣ロルフたちとともに、平和をもたらすために奔走することになりますが…。

 数百年前の一族同士の因縁から争いが続いてきた土地にやってきた少女が、その因縁を断ち切るために活躍すると言うファンタジー作品です。この伝説が非常にロマンティックで、争いの当人たちが善人ではなかったにしろ、すれ違いによって悲劇が起こってしまうのです。
 両家の争いの犠牲者ともいえる初代「月姫」、そしてその血を引く代々の女性も解決できなかったことを、マリアは解決できるのでしょうか? 純真で善意に満ちたヒロイン像が魅力の一つになっていますが、物語を彩る登場人物や舞台も非常に魅力的です。
 数百年を経た古城、鬱蒼とした森と住み着いた悪漢たち、隠された秘宝、現代まで続く呪いと伝説、運命によって引き裂かれた恋人たち…。これでもかとばかりに放り込まれたロマンティックな要素が物語を彩っています。

 本筋である一族同士の和解の他に、いくつかの恋愛物語も進行していきます。ヒロインのマリアとロビンの恋の他にも、ベンジャミン卿とヘリオトロープ先生、それぞれの恋人たちの再会も描かれており、そちらのエピソードも面白いですね。
 タイトルにもなっている幻獣「白馬」や、巨大な獣ロルフ、他にも幻想的な生物ではないものの、犬や猫、ウサギなど、様々な動物が登場し活躍するのも魅力です。
 主人公たちだけでなく、脇役に至るまでそれぞれの過去と厚みを持った人間として丁寧な人物描写がされており、それは悪役たちも例外ではありません。ヒロインの純粋さによって、全ての人間に幸福がもたらされるという結末も、非常に後味が良いですね。

 ロマンティック・ファンタジーの極致のような作品なのですが、その過剰なほどのロマンティックさが全然嫌味になっていないところも魅力でしょうか。作品のメインモチーフとなっている「月姫」伝説は特に魅力的です。

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ジュースキントの日常世界  パトリック・ジュースキントの中篇小説を読む
 奇想に満ちた長篇幻想小説『香水 ある人殺しの物語』(文春文庫)で知られるドイツの作家パトリック・ズュースキント(ジュースキント)。『香水』とは異なり、彼の中篇には幻想的な要素は薄いです。ただ、奇矯な登場人物が繰り広げる物語は、日常を舞台にしていても、奇妙な味わいが強いですね。
 単行本として刊行された中篇『鳩』『ゾマーさんのこと』の二作品について、見ていきたいと思います。



パトリック・ズュースキント『鳩』(岩淵達治訳 同学社)

 数十年来、銀行の警備員として勤める初老の男性ジョナタン・ノエルは、何十年もかけて自分のアパートの部屋を住み心地の良いものにしていました。部屋を完全に自分のものとするために、家主のラッサール夫人にかけあい部屋を購入することにします。費用もすでに大部分払い込んでいました。
 ある朝、ドアを開けたジョナタンは、廊下に鳩がおり、床中が糞だらけになっていることに気がつきます。仰天して部屋に逃げ帰った彼は絶望し、もうこの部屋に帰ってこられないとまで思いつめます。何とか仕事に出たジョナタンでしたが、一日を通して動揺から失敗を繰り返してしまいます…。

 身寄りもなく数十年以上、一人暮らしを続ける初老男性が、居心地の良い落ち着いた部屋を作り上げるものの、何の変哲もない鳩に驚いてしまったことから、自信をなくし、生きる気力までを失ってしまう…という物語です。
 きっかけは「鳩」ではあるものの、「鳩」そのものが主人公の世界を崩壊させる原因というわけではありません。その後の数回に渡る失敗の度に、主人公は自らのちっぽけさを認識し、自己嫌悪に悩まされてしまうのです。

 劇的な事件は全く起こらず、起こるのは主人公ジョナタンのちょっとした失敗とそれに伴う自己嫌悪だけ、という地味な作品ながら、主人公のささやかな幸せが戻るのかどうか、読んでいてハラハラドキドキしてしまうという、妙なサスペンス感があります。

 舞台は1984年のパリに設定されていますが、主人公が味わう苦難やそれに対する思いには、普遍的なものが感じられます。「こんなことってあるよね」という、人が日常生活で感じるような、ある種、身につまされる部分が魅力でしょうか。




パトリック・ジュースキント『ゾマーさんのこと』(池内紀訳 文藝春秋)

 村一番の変わり者ゾマーさんは、人々が知る限りずっと昔から村の周囲を一日中歩き回っていました。ステッキとリュックサックを欠かさず、雨の日も雪の日も歩き続けているのです。人々が話しかけてもろくに返事もしません。少年の「ぼく」は、たびたびゾマーさんを目撃することになりますが…。

 「変人」のゾマーさんの様子を背景に、少年の成長の過程が挟まれてゆくという異色作品です。
 クラスメイトの少女への淡い恋、ピアノ教師とのユーモラスなやりとりなど、少年の日々が描かれる部分はごく普通なのですが、その一方、主人公が目撃するゾマーさんのパートはどこか暗さに満ちています。
 単純な変わり者ではなく、彼自身が非常に苦しんでいるのを目撃してしまった少年は、奇しくもゾマーさんの最期を見届けることにもなるのです。

 ゾマーさんの行動の理由は明確には明かされず、最後まではっきりしたことはわかりません。不思議な静寂に満ちた作品で、どこか心に残る作品ですね。


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幻想の航海  ロバート・ネイサン『夢の国をゆく帆船』
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 ロバート・ネイサン『夢の国をゆく帆船』(矢野徹訳 ハヤカワ文庫NV)は、気弱な大工が自分の作った車輪付きヨットに乗り込み放浪の旅に出る…という、都会派ファンタジー作品です。

 ニューヨーク市ブロンクスに住む中年男性ヘクター・ペケットは、気弱な性格の大工でした。かかった分の費用の請求も上手くできない彼に対して、妻のサラは不満を抱いていました。そんなペケットの唯一の楽しみは、庭で自ら作り上げたボート<サラー・ペケット号>に乗り空想を楽しむこと。
 もともと防水処理も竜骨もないボートは水に浮かべることはできません。ボートを役立たずだと考えるペケット夫人は、夫に黙って、知り合いの肉屋のシュルツに売店としてボートを売ることを決めてしまいます。
 船の権利を売ってしまったことを聞かされたペケットは、最後に船の中で過ごすことにしますが、移動用の車輪がつけられていたこともあり、船は勝手に風に乗って動き出します。やけになっていたペケットは風に吹かれるまま、そのまま放浪の旅に出かけることになりますが…。

 車輪が付いた「船」で陸上を放浪する男を描いた、ファンタスティックな作品です。うだつのあがらない生業と高圧的な妻との生活に嫌気が差した大工の主人公は、風の吹くままに旅に出ることになります。
 その道中で、孤独な若いウェイトレスや放浪していた歯科医、後には農場で預かった子牛など、旅の道連れも徐々に増えていくことになります。
 もともと経済的な蓄えもろくになく、やけで飛び出した旅だけに、すぐに彼らの旅は行き詰ってしまいます。しかしその短い旅の間に、彼らの人生観に対する考えの変化、そして乗組員同士の恋愛なども芽生え、彼らの人生が変化することにもなるのです。

 主人公ペケットの行動は、風変わりでありエキセントリックではあるのですが、彼を描く著者の視線は非常に優しくなっています。ペケットと旅を共にすることになるウェイトレスのメリイ、歯科医ウイリアムズもまた、彼の純真さと旅の魅力に囚われて、人生を変えられることになります。

 旅自体は失敗に終わってしまうだろうことが、作品前半から予感されているのですが、それでも人生は捨てたものではない、というメッセージが全体に伏流していて、非常に後味のよい作品になっています。
 絶望的な状態に追い込まれてしまう主人公ペケットにもまた、最終的な「愛と救い」が用意されています。「大人のおとぎ話」と言うにふさわしい作品ではありますが、「おとぎ話」には終わらないリアルな感触が魅力ですね。


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怖がる人々  クリス・プリーストリー<怖い話>シリーズ
 イギリスの作家、クリス・プリーストリー(1958~)による<怖い話>シリーズは、連作短篇集3冊と長篇1冊が邦訳されています。児童書として書かれた作品ですが、どれも恐怖度が高く、大人が読んでも楽しめる作品集になっています。順に見ていきましょう。



クリス・プリーストリー『モンタギューおじさんの怖い話』(デイヴィッド・ロバーツ画 三辺律子訳 理論社)

 少年エドガーは、子供が苦手な両親から、親戚であるモンタギューおじさんの家に遊びに行くように言われていました。おじさんはかなり上の世代で、両親も正確にはどんな関係にあたるのかも分かりません。
 やがて森の中の先にあるおじさんの家に着いたエドガーは、おじさんから話を聞くことになります。それはことごとく、恐ろしい経験をしたという子どもたちの物語でした…。
 もはや何歳かも分からないという、遠縁のモンタギューおじさんから、怖い話を聞かされる少年を描く怪奇小説です。
 それぞれ趣向は異なるものの、大抵において、わがままだったり、いたずら好きだったりと、性格の悪い少年少女たちが、禁忌を犯したために、不幸な目に会う…というパターンの物語が多いです。
 不幸な目といっても、そのほとんどが死んでしまったり、それに近い状態になってしまうという意味で、とてもブラックな味わいが強くなっていますね。
 怖いエピソードの前後に主人公エドガーとモンタギューおじさんの会話が挟まれる体裁になっているのですが、話が進むにしたがって、おじさんやおじさんの屋敷、家具、そして使用人など、不穏な点がどんどんと増えていきます。特に、全く姿を見せない使用人フランツの存在感は強烈です。
 最終的には、おじさんがなぜこれらの怖い話を知っているのか? おじさんは何者なのか? といった疑問も含めて、大枠となる物語の謎が明かされることにもなります。

 登ってはいけないと言われる木に登った少年が恐ろしい目に会う「ノボルノ、ヤメロ」、降霊会に訪れた家で塗り込められた元ドアをめぐる怪奇現象が起きる「元ドア」、呪われたベンチ飾りを盗んでしまう少年の物語「ベンチ飾り」、牧師の息子が霊に取り憑かれるという「ささげもの」、目の見えない老婆の家に盗みに入った少年が体験する恐怖を描く「剪定」、三つの願いを叶える額ぶちを手に入れた少女の物語「額ぶち」、父親との旅行先のトルコで精霊に出会う少年を描いた「精霊」、いとこたちとのかくれんぼの中で霊に出会うという「毛布箱」、家を出奔した少年が不気味な化物に追われるという「道」、モンタギューおじさん自身の過去が明かされる「おじさんの物語」が、エピソードとして収録されています。
 どれも面白いのですが、強く印象に残るのは「元ドア」「ベンチ飾り」「額ぶち」などでしょうか。

「元ドア」
 霊媒の母娘のふりをした詐欺で金を荒稼ぎしていた、感化院出身のモードとハリエット。交霊会に訪れたバーナード家で、家の中の物を物色していたハリエットは、その家の娘らしきオリヴィアという少女に出会います。
 彼女から、かっては使われていたものの、塗りこめて使えなくなった「元ドア」の話を聞いたハリエットでしたが…。
 詐欺のつもりでやっていた交霊会に本物の霊が現れ、また詐欺師であるはずの二人には本物の霊能力があった…という皮肉なゴースト・ストーリーです。塗り込められたドア、巨大なドールハウスと、雰囲気抜群の作品です。主人公二人が下層階級出身の詐欺師という設定にはピカレスク小説味もありますね。

「ベンチ飾り」
 たまたま通りがかった行商人の荷物の中に、奇妙なベンチ飾りを見つけた少年トーマスは、それが欲しくてたまらなくなります。盗もうとしたところを行商人の男に見つけられてしまいますが、なぜか男は見逃そうとするようなのです。
 しかも男によれば、その品物は盗まれることでしか手放すことはできないと言うのですが…。
 盗まれることでしか手に入れられない呪われた品物を扱った怪奇小説です。それを持っていると悪魔のささやき声が常時聞こえるようになり、周囲の人々を傷つけてしまうというのです。段々と狂っていく少年の描写が怖いですね。

「額ぶち」
 わがままなクリスティーナは、母親から家の財政が逼迫しており節約をしなくてはならないという話を聞いて不満を募らせていました。母親が競売会で買ってきた金の額ぶちに興味を惹かれたクリスティーナは、自分と同じぐらいの少女の肖像写真がそこに入っているのを見つけます。
 写真の中の少女はクリスティーナが一人になったとき、突然口を聞き始め、何でも願いを三つ叶えてあげようと言いますが…。
 いわゆる「三つの願い」テーマを扱っています。予想される通り、願いの結果はろくなことにならず、ことごとく取り返しのつかない状態になってしまいます。超自然的な現象かと思わせながら、全てはクリスティーナの妄想の可能性もあるように描かれるなど、なかなか複雑な作品になっています。

 この『モンタギューおじさんの怖い話』、ヤングアダルト向けに書かれた作品だそうですが、怪奇現象やそれによって起こる惨劇に関して、本当に容赦がないです。陰惨、といえばそうなのですが、読後感は意外に悪くないのは、やはり「勧善懲悪」的な視点があるからでしょうか。
 不気味ではありながら、どこかユーモアも感じさせる、デイヴィッド・ロバーツの挿絵もいい味を出しています。




クリス・プリーストリー『船乗りサッカレーの怖い話』(デイヴィッド・ロバーツ画 三辺律子訳 理論社)

 断崖絶壁に立つ古い宿屋の子ども、イーサンとキャシーの兄妹は、父親が帰るのを待っていました。立地の悪さにも関わらず繁盛していた宿屋ですが、妻を亡くした後、父親はやる気をなくしてしまい、ろくに客もこなくなっていました。子どもたちにも関心を払わなくなった父親でしたが、突然具合を悪くした二人を心配し、医者に助けを求めるために出かけていたのです。
 嵐の中、ドアが叩かれるのに気付いた兄妹は、訪ねてきた若い船乗りサッカレーを、父親が戻るまでという約束で家の中に入れます。サッカレーは嵐がおさまるまで、自分が知っている「怖い話」を二人に話し始めますが…。

 嵐の中、父を待つ幼い兄妹が、ふらりと現れた船乗りから怖い話を聞く、という大枠の怪奇小説集です。語り手が船乗りということもあり、その話は全て海に関連するエピソードとなっています。

 兄妹と船乗りサッカレーについて語られる大枠となる物語「嵐」、移民船に乗り込んだ若い船員が飛び抜けて美しい少女に恋をするという「ピロスカ」、魔が差して嫌われ者の同僚を海に突き落としてしまった男が不可思議な現象に追い詰められていく「ピッチ」、イレズミを入れるためナガサキを訪れた友人の様子がそれ以降おかしくなってしまうという「イレズミ」、漂流していた純真無垢な少年を助けた船が不運に見舞われ続けるという「ボートに乗った少年」、修行として父親に無理に船乗りにさせられた少年の船が人食いカタツムリに襲われるという「カタツムリ」、双子の兄を衝動的に殺した男が殺したはずの兄の姿を垣間見るという「泥」、海賊船の一員になった少年が乗っ取った船で恐ろしい体験をするという「サル」、港で瀕死の男が持っていたクジラの歯の細工物を拾った船乗りがその細工に呪われるという「スクリムシャーの悪魔」、船内で怪談話に興じる船員たちを描いた「黒い船」、主人公の兄妹の真実が語られる「トリカブト」のエピソードを収録しています。

 幽霊や呪い、怪物など、様々なテーマの「怖い話」が扱われていますが、精神的な怖さよりも肉体的な怖さが中心となったエピソードが多い印象ですね。特に人食いカタツムリが登場する「カタツムリ」、病気を持ったサルが登場する「サル」などでは、肉体的な残酷さや生理的な気色悪さが強調されています。

 作中で一番「怖い」作品を挙げるなら「ボートに乗った少年」でしょうか。ある船が、海に一人漂流していた幼い少年を見つけ救助します。天使のような純粋さを持った少年を船員たちは可愛がりますが、その少年のそばにいる人間はやたらと事故に会い、怪我をしたり、果ては死んでしまうのです。
 しかもそんな目に会いながらも、船員たちは少年に操られるようにただ笑い続けさせられてしまう…という物語。
 船員たちが事故に遭ったり怪我をしたりする、肉体的な損傷が事細かに描かれ、その描写はまるでスプラッター。
 本来、悪魔的な少年が引き起こす精神的な怖さを描くのが主眼であるタイプのお話だと思うのですが、それに加えて肉体的な恐怖をも描く物語になっています。

 あと興味深いのは「スクリムシャーの悪魔」。瀕死の男が持っていたクジラの歯の細工物を手に入れた船乗りが、それを手に入れてから不気味な現象に襲われることになるというお話です。細工物には自分らしき船乗りの画像が彫られており、自分の運命を暗示しているようなのです。
 しかも、手放そうと思っても、体に異変が起こり、手放すこともできません…。
 持ち主の運命が現れる細工物という、一種の「絵画怪談」といってもいいでしょうか。結末のオチも捻られており、非常に面白い作品です。

 兄妹を描く大枠の物語自体もいささか不穏です。いつまで経っても帰ってこない父親、得体の知れない船乗りとその不気味な物語、船乗りの指摘で激高する少年など、何か怪しいことが隠されていることが仄めかされており、その真相は結末の二篇「黒い船」「トリカブト」で描かれていきます。
 話の語り手サッカレーが語る、過去に宿屋を知っていたこと、キャシー(兄妹の妹と同名です)という恋人がいたこと、なども思わせぶりな描写ですね。
 船乗りサッカレーが生身の人間ではないだろうことは、読んでいるうちに薄々分かってくることになります。
 兄のイーサンがサッカレーの語る話について度々口を挟む疑問「当事者が死んでいる話をなぜ語れるのか?」についても「合理的な」解決が示されます。「異界の存在」であるサッカレーの訪問自体が、兄妹にとって重要な意味を持っていたことが分かる結末も見事ですね。

 最後にさらっと、前作『モンタギューおじさんの怖い話』の語り手モンタギューの、若いときらしい姿が現れ、重要な働きをするのも面白いところです。
 前作同様、子ども向けとは思えない、容赦のない筆致の怪奇小説集なのですが、さらに恐怖度・残酷度が上がっており、これは大人が読んでも十分に怖くて面白い作品になっていますね。




クリス・プリーストリー『トンネルに消えた女の怖い話』(デイヴィッド・ロバーツ画 三辺律子訳 理論社)

 19世紀末、父親はボーア戦争に従軍し、継母と共に休暇を過ごしていた少年ロバートは新しい学校へ行くために、列車で一人旅をすることになります。自分に予知能力があると信じている継母は、ロバートに対し、前兆として見た「暗く恐ろしいトンネル」と「キス」に気をつけろと注意しますが、ロバートは取り合いません。
 ある車室に乗り込み少し眠ってしまったロバートが目を開けると、列車はトンネルの手前で止まってしまっており、目の前の席には白いドレスを着た近づきがたい雰囲気の若い女が座っていました。時計は動いておらず、女に時間や名前を訊ねても、彼女ははぐらかしまともに答えてくれません。しかも同じ車室に乗り合わせてた男たちは、目を閉じたまま、一向に目を覚ます気配がないのです。女は、列車が動き出すまでの暇つぶしにと、怖い話を始めますが…。

 少年が、列車で出会った不思議な若い女から怖い話を聞かされるという枠物語です。
 物語の大枠が語られる「列車」、植物研究にのめりこむ父親とそれをよく思わない息子の軋轢が描かれる「温室」、兄弟が畑の中の島のような箇所で謎の生物の骨と槍を見つけるという「島」、新しい勤め先で手に負えない子供に困惑する家庭教師を描いた「新しい家庭教師」、妖精を見たという義妹に憎しみを抱く姉の物語「小さな人たち」、スコットランドの古い信仰を扱った「猫背岩」、精神的におかしくなってしまった少年に恐怖を抱く人形好きの少女の物語「ジェラルド」、狂信的なシスターが子供たちに復讐されるという「シスター・ヴェロニカ」、貧しい少年たちを精神的に支配する少年が謎の殺人事件に遭遇するという「ささやく男」、新しく移り住んだ屋根裏部屋の壁の割れ目に恐怖を抱く少年を描いた「壁の割れ目」、枠物語の真相が明かされる「トンネルの入口」の各エピソードを収録しています。

 収録エピソードは、どれも安定して「怖い」物語で、安心して(というのもおかしいですが)読めますね。
 シリーズの他作品同様、主人公となる子供たちが異常な現象に出会い、容赦ない目に会う(たいていは死んでしまいます)というフォーマットになっています。
 結末はだいたい同じでも、取り上げられているテーマは様々で、お化け植物、封印された怪物、幽霊、妖精、古代の呪い、異次元など、バラエティに富んでいます。

 新しい勤め先で言うことをきかない少年に悩まされる家庭教師を描いた「新しい家庭教師」は、ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』を意識したと思しい作品ですね。

 全体に前半よりも後半のエピソードの方にインパクトが強い作品が多い印象です。「ジェラルド」「シスター・ヴェロニカ」「ささやく男」「壁の割れ目」などのインパクトは強烈です。

 「ジェラルド」は、人形劇に目がない少女エマが主人公のお話。かっては魅力的だったものの、突然精神的におかしくなってしまったという少年ジェラルドが、やたら近づいてくるエマは彼に対して恐怖を抱くようになります…。
ジェラルド自身が不気味な存在で、その時点で充分に怖いのですが、それが伏線でしかなかったという強烈さ。前半に現れる「人形劇」が重要な意味を持っています。

 「シスター・ヴェロニカ」では、いささか狂信的な若いシスターが描かれます。子供たちに容赦のない体罰を加え、自殺に追い込んでしまった子供さえいるというシスターが、子供たちに復讐されるという物語です。非常に直接的な「暴力」が描かれる残酷な作品です。

 「ささやく男」は、都市伝説的な題材を扱った作品。いわゆるエリート階級の息子である少年ローランドは、貧しい少年たちのリーダーとなり、彼らを精神的に支配していました。仲間の少年カッターが死んでいるのを発見した彼らは、カッターは「ささやく男」に殺されたのではないかと話します。
 「ささやく男」などいないと否定するローランドは、もとから彼と反目していたジャックと決裂することになりますが…。
 「ささやく男」の正体が強烈で、これは集中でも一番生理的嫌悪感の強い作品では。

 「壁の割れ目」は「異次元」怪談的作品。新しく引っ越した家の屋根裏部屋が、息子のフィリップの部屋になる予定でした。改装業者のベンソンと助手のトミーは作業中に、壁の割れ目を見つけますが、何度修復しようとしても、そこには割れ目が出来てしまうのです。
 割れ目を覗き込んだフィリップは、外につながっているはずのその割れ目から、別の部屋と、更にその中に男がいることに気がつきます…。
 異次元(?)につながってしまった部屋の割れ目を描く作品です。ラヴクラフト風味もあり、集中でも不気味さの目立つ作品になっていますね。
 主人公が死なないという結末も、プリーストリーとしては珍しいタイプですね(ある意味、死よりもつらい状態になってしまうのですが)。

 枠物語となっている少年ロバートと謎の若い女のお話の真相は、ホラー慣れしている人なら、途中で薄々気付いてしまうとは思うのですが、その怪奇的な雰囲気は絶品で、結末に気付いたとしても、充分に楽しめるかと思います。
 前二作(『モンタギューおじさんの怖い話』『船乗りサッカレーの怖い話』)よりも、主人公の少年ロバートの性格がはっきり出ているのも特徴ですね。読んでいて、怖がりでありながら強がりで、自分を常に優位に立たせたいという自意識の強い少年の姿が浮かび上がってきます。
 このロバート、ホラーやミステリが好きとのことで、スティーヴンソンやブラム・ストーカー、H・G・ウェルズ、オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』、『シャーロック・ホームズ』などの作家・作品が言及されるのも、雰囲気を高めていますね。
 ロバートの祖父が『モンタギューおじさんの怖い話』に登場するモンタギューおじさんと関係があったことが仄めかされるなど、シリーズのくすぐりもあり、そのあたりも含めて、非常に楽しめるエンターテインメント・ホラーの快作となっています。




クリス・プリーストリー『ホートン・ミア館の怖い話』(西田佳子訳 理論社)

 二人暮らしだった母を亡くし、孤児になった少年マイケルは、後見人である資産家スティーヴン卿が、マイケルを引き取りたいと考えていることを知ります。マイケルの父が戦争でスティーヴン卿を救って命を落として以来、彼はいろいろと援助を申し出ていましたが、マイケルの母はそれを素直に受け取ることを拒んでいたのです。マイケルもまたスティーヴン卿に反感を抱いていたものの、母の残した手紙を読んで考えを変えます。
 財産管理を任されているジャーウッドと共に、スティーヴン卿の住むホートン・ミア館に向かったマイケルは、馬車の中から、外にずぶ濡れの女性がいるのに気がつきます。助けを求めていると考え、マイケルは外に出ますが、彼女の姿は見当たりません。見間違いだと言われたマイケルは釈然としないまま館に到着します。
 館には、主人であるスティーヴン卿とその美しい妹シャーロットが住んでいました。スティーヴン卿は神経衰弱のようなものにかかっていました。支配的な父親の元、子供のころから虐げられていた彼は、美しい妻をもらって一時的に幸福になるものの、その妻をも亡くして以来、陰鬱に沈み込んでいたのです。
 やがてマイケルは、館の中で不思議な現象にたびたび襲われることになります…。

 両親を失った少年マイケルが、後見人であるスティーヴン卿に引き取られるものの、その館には幽霊が出現するのみならず、不思議な現象が起こっていることを知る、という物語です。
 マイケルには超自然的な現象を感じ取る能力があるらしく、他の人間には見えない幽霊や現象を見たり聞いたりすることになるのです。たびたび現れる「幽霊」が、スティーヴン卿の亡くなった妻であることを確信したマイケルは、彼女が何かを訴えているのではないかと考え、過去に何が起こったのかを調べていくことになるのです。

 父親の死の原因となった人物ということで、スティーヴン卿に反感を抱いていたマイケルですが、卿の悲しい過去を知るにつれ、彼に同情を抱くようにもなっていきます。またジャーウッドを始め、召使のホッジズなど、少数ながらマイケルに愛情を持って接してくれる人間と触れることによって、頑なだったマイケルの心が少しづつやわらかくなっていきます。その意味で、ある種の成長物語にもなっていますね。

 幽霊が出現したり、怪奇現象が起こったりはするものの、『モンタギューおじさんの怖い話』『船乗りサッカレーの怖い話』など、同著者の怪奇作品のように派手な趣向は抑えられています。陰鬱な館における怪異が丁寧に描かれてゆくという、伝統的なゴースト・ストーリーになっているのです。
 大人になったマイケルが過去を回想する…という形で物語が書かれているのも伝統的なゴースト・ストーリー感を高めています。しかもそれが結末の伏線になっているという演出も見事ですね。

 プリーストリーお得意の、シリーズの別作品が言及されるという趣向もあって、本書ではマイケルが館の図書室で見つけた本のなかに、旅行作家アーサー・ウェイブリッジの名前が言及されます。
 これは、父親との旅行先のトルコで精霊に出会う少年を描いた「精霊」『モンタギューおじさんの怖い話』収録)の登場人物ですね。

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ロシアン・ファンタジー  西周成編訳『ロシアのおとぎ話』

 西周成編訳『ロシアのおとぎ話』(アルトアーツ)を読了。ロシア作家の未訳の珍しい童話作品を集めたアンソロジーです。

ウラジーミル・ダーリ「カラス」
 他の鳥に悪さをするカラスが、鳥たちの裁判にかけられてしまう…という物語。
 嘘をついたりすると酷い目に会う、という教訓要素の強い作品です。

ウラジーミル・オドエフスキー「耳の悪い四人 インドのおとぎ話」
 羊の面倒を見ていた、耳の悪い牧夫は、家に食事に戻るため、羊たちを見てくれるよう、近くにいた番人に頼みます。しかし耳の悪い番人には話が通じていませんでした。
 戻った牧夫は番人にお礼を言いますが、相手は文句をつけていると思い込みます…。
耳の悪い人同時が話をしますが折り合わず、調停人を入れますがその人も耳が悪くて話が通じない…というコミカルな寓話作品です。

ウラジーミル・オドエフスキー「オルゴールの中の街」
 父親が持ってきた飾りのついたオルゴールに魅了された少年ミーシャ。オルゴールを見つめている内に、小さな少年が現れ、彼についていくと、いつの間にか不思議な町の中に立っていました…。
 オルゴールの中の街に入り込んでしまうというファンタジーです。オルゴールの部品である、ベルやハンマー、シリンダーなどが、街の住人として擬人化されているのが楽しいですね。

リディヤ・チャルスカヤ「ふしぎな星」
 エゾリダ姫は、この世にないような不思議な品物ばかりを欲しがっていました。姫に仕える騎士たちは命を懸けて品物を持ってきますが、そのたびに姫はもういらないと突っぱねるのです…。
 人を人とも思わない姫が、誠実な人々を見て改心する、という物語。前半で犠牲になった人々が結局そのまま助からない…という展開もちょっと微妙ですね。

ミハイル・クズミン「金の服」
 とあるシリアの街では雨が降らず渇きに苦しんでいました。主教のもとを訪れた天使は、歌や踊り・服などのはかない楽しみをあきらめる娘がいれば、雨は降ると言い残します。話を聞いた、体の不自由な娘マラが自ら犠牲を申し出ることになりますが…。
 体の不自由な健気な娘が結局役に立たず、華美で美しい娘が街を救う…という、ちょっと逆説的な物語。「自分に必要ないものをあきらめてもしょうがない」というテーマには、なかなか味わいがありますね。

ミハイル・レールモントフ「アシク=ケリブ」
チフリスの街に住む貧しい青年アシク=ケリブは、裕福なトルコ人の一人娘マグリ=メゲリに恋をします。アシク=ケリブは七年間旅をして富を蓄えるつもりだと話すと、マグリ=メゲリは七年後に戻ってこなければ、求婚者と結婚すると答えます…。
 魔法が登場するのですが、それが使われるタイミングが妙だったり、主人公を陥れようとした恋敵が幸せになったりと、ユニークな展開のおとぎ話です。エキゾチックな世界観も楽しいですね。

アレクサンドル・クプリーン「デミル=カヤ 東方の伝説」
 東方で強盗を続けていた盗賊デミル=カヤは、皇帝の軍隊に取り囲まれ命からがら逃げ出した直後に、天使アズライルと出会います。彼によれば、東の地にオアシスとなる旅館を作り、人に尽くせば神に許されると言うのですが…。
 改心した強盗の慈善が思わぬトラブルでふいになってしまいますが、それさえも神の御心のうちだったという、宗教説話的作品です。

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人生を変える旅  アルト・パーシリンナ『行こう!野ウサギ』

 フィンランドの作家、アルト・パーシリンナ(1942~)による長篇小説『行こう!野ウサギ』(ハーディング・祥子訳 めるくまーる)は、仕事や妻との生活に疲れた男が、森で出会った野ウサギの仔とともに衝動的に旅に出てしまうという、ユーモラスなロード・ノヴェルです。

 雑誌記者のヴァタネンは、カメラマンとの取材旅行の途中、林を通る際に車で野ウサギの仔をはねてしまいます。幸い軽傷だった野ウサギを介抱しているうちに、カメラマンはしびれを切らして一人で帰ってしまいます。
 置き去りにされたヴァタネンは、身持ちの悪い妻との生活や仕事について考えた結果、全てを放り出してそのまま衝動的に旅に出ることにします。なつき始めた野ウサギとともに自然の旅を満喫するヴァタネンでしたが…。

 野ウサギとともに気ままな旅に出る中年男性を描いた物語です。「旅」といっても、主人公ヴァタネンがめぐるのは、自然あふれる場所が中心となります。森を散策したり、釣りをしたりと主人公が行うアウトドア生活が細かく描写され、そのあたりも魅力的な部分になっていますね。
 「マスコット」的な野ウサギの存在もキュートです。野ウサギの存在をきっかけに現地の人と親しくなったり、また野ウサギが原因で争いごとが引き起こされることもままあったりと、ウサギそのものが何かするわけではないのですが、エピソードの「点景」として存在感を示し続けます。

 野外生活を繰り返しているうちに、精神的にも若返ったヴァタネンは、ある種怖いものなしになっていきます。酔って問題を起こしたり、現地の人と軋轢を起こしたりと、エピソードが進むにしたがって訴えられた件数が多くなっていき、とうとう逮捕されてしまう、という展開も人を喰っていますね。

 作品全体が細かいエピソードの集積からなっている作品です。主人公に特に決まった目的はなく、楽しみを求めて放浪するという形なので、大きな盛り上がりはない代わりに、それぞれのエピソードが小話・笑話的な魅力を持っています。
 一番盛り上がるエピソードは、後半に現れる熊狩りのエピソード。熊に襲われ助かるものの、逆上した主人公が延々と熊の跡を追っていくことになります。やがてフィンランドの国境を越えソビエト連邦に不法に侵入してしまうのです…。

 主人公以外に多数の人物が登場しますが、一つ一つのエピソードが短いので、あまりレギュラー的な人物は少ないです。ただ、さらっと描かれる人物たちの中でも、フィンランド大統領が偽物だと信じる男だとか、野ウサギが守り神だと信じ込む婦人、動物を生け贄にささげる狂信者など、エキセントリックな人物がちょこちょこと登場するのも楽しいですね。

 本作は1975年に発表された著者の代表作で、海外でも多く翻訳されているとか。一見、大自然の中で生の喜びを取り戻す話、といえば聞こえはいいですが、正直そこまで深いテーマがあるわけでもありません。ただ文字通り「大人のおとぎ話」といった感があり、小味な秀作として面白い作品といえますね。


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リチャード・ヒューズのナンセンス童話を読む
 イギリスの作家リチャード・ヒューズ(1900-1976)の童話はナンセンスかつシュール、次に何が起こるか分からない魅力があります。二冊ほど童話集の邦訳があるので、内容を順番に見ていきましょう。



リチャード・ヒューズ『まほうのレンズ』(矢川澄子訳 岩波少年文庫)
 原著の『クモの宮殿』『ウラマナイデクダサイ』の二冊からの選集になっています。

 スイートピー泥棒を捕まえようとする庭師の冒険を描いた「庭師と白ゾウたち」、緑色の顔をした男がサーカスから仲間の動物とともに脱走する「みどりいろの顔をした男」、電話を通してかけてきた人がいる場所に移動できる女の子を描いた「でんわからでてきた子」、ガラスの玉の中の国に入り込んだ家族の物語「ガラスだまの国」、クモに連れられて透明な宮殿で暮らすことになった女の子を描く「クモの宮殿」、互いを出し抜こうとする三つの宿屋の物語「三げんの宿屋」、通して覗くと、生物が無生物に、無生物が生物に見えるという魔法のレンズをめぐる「まほうのレンズ」、愛する夫を除いて女王だけが死ななくなった顛末を描く「年とった女王さま」、校長と女教師だけ一人だけの学校が生徒を集めようとする「学校」、思い込みの強いゾウと間の抜けたカンガルーのピクニックを描いた「ゾウのピクニック」、段々とワニに変身してゆくバイクを描いたシュールな物語「ウラマナイデクダサイ!」、学校の教師を引き受けたワニが子供たちを食べようとする「ジャングル学校」、人形と人魚と人間の女の子の三角関係を描いた「ガートルードと人魚」、人形が人間の子供をペットにするという「ガートルードの子ども」の14篇を収録しています。

 元々著者が、知り合いの子どもや自分の子どもたちに対して、即興で作ったお話が元になっているらしく、奇想天外でシュール、お話の面白さを追求した童話集になっています。
 やかんをやわらかく煮て食べてしまうという「ゾウのピクニック」、バイクが段々ワニに変身してゆくという「ウラマナイデクダサイ!」などを読むと、本当に「思い付き」で作ったようなお話です。特に「ゾウのピクニック」の結末は「悪ふざけ」の極致みたいな感じで楽しいですね。
 どれも楽しく読める作品ではあるのですが、非常に完成度が高い作品もいくつか混じっていて、「クモの宮殿」「まほうのレンズ」「ガートルードと人魚」「ガートルードの子ども」などがそれに当たります。

 「クモの宮殿」は、ある日クモに誘われて、彼の住まいである空の上にある宮殿で暮らすことになった女の子の物語。その宮殿はすべてが透明なのですが、唯一カーテンで覆われ中が見えない部屋がありました。クモは定期的にその部屋にこもるのです。女の子はその部屋の謎を探ろうとしますが…。
 お話自体は、昔話によくある「秘密の部屋」をテーマにしてるのですが、その秘密を知った後の展開がシュールな作品です。

 「まほうのレンズ」は、不思議なレンズの物語。小さな男の子は見つけたレンズを通して木でできたウサギを見てみます。すると木のウサギは本物のウサギのように動いているのです。また、レンズを通して両親を見てみると、彼らは木ぼりの人形のようになっていました…。
 通して覗くと、生物が無生物に、逆に無生物は生物に見えるというまほうのレンズを描いた物語です。圧巻は、レンズを通して鏡を見るというシーン。なんと鏡に映ったレンズもただの絵になってしまい、無生物のまま固まってしまう…という展開なのです。ちょっと怖さも含んだ、幻想物語の傑作です。

 「ガートルードと人魚」「ガートルードの子ども」は、動いて話す木の人形ガートルードを主人公にした連作です。
 「ガートルードと人魚」では、持ち主の女の子からひどい扱いを受けたガートルードが家出しますが、旅先で人魚と出会い彼女を連れ帰ります。
 女の子と人魚は仲良くなり、ガートルードが仲間はずれにされがちになる…というお話です。
 「ガートルードの子ども」は、家を出たガートルードが旅先で人間の子どもを売る店から小さな女の子を買い、自分の「持ち物」にする、という物語。
 こちらでは、ガートルードは人間の女の子に対してひどい扱いを繰り返します。前作で自分がやられていたひどいことを今度は自分が人に対してやっているわけで、構図が反転しているといえるでしょうか。二篇とも他人との関係性について考えさせるところがあり、味わいのある作品だといえますね。

 飛びぬけて完成度が高いのは「まほうのレンズ」でしょうか。レンズ幻想小説の傑作といっていい作品で、日本作家で言うと、江戸川乱歩や稲垣足穂のある種の作品に似た味わいがあります。




リチャード・ヒューズ『クモの宮殿』(八木田宣子、鈴木昌子訳 ハヤカワ文庫FT)
 原著の童話集 The Spider's Palace and Other Stories(1931)の全訳です。

 透明な手紙でパーティーに誘われた女の子の物語「ご招待」、電話を通して世界中移動できる女の子を描いた「電話旅行」、通して覗けば生物と無生物がひっくり返って見えるというガラスを描く「魔法のガラス」、平和な心の人しか入れない不思議なガラス玉の中の国を描く「ガラス玉の中の国」、花を荒らすウサギと庭師の争いを描いた「庭師と白いゾウ」 、それぞれ不思議な場所への旅をするヒツジたちを幻想的に描いた「三びきのヒツジ」、空中の透明な宮殿でクモと一緒に暮らすことになった女の子の物語「クモの宮殿」、テーブルの上の「無い」をめぐって展開するシュールな物語「なんにも無い」、緑色の顔の男が仲間とともにサーカスから逃げ出すという「緑色の顔の男」、馬車の旅で様々な人や物を乗せることになるというコミカルな「馬車に乗って」、魔法のボタンのせいで動けなくなってしまった男の子が料理として出されてしまうという「あわてもののコック」、三軒の宿屋が互いを出し抜こうとする「王さまの足屋」、生まれつき暗闇を放つ男の子の物語「暗やみをはなつ子ども」、薬の吸入のし過ぎで巨大化してしまった子供たちを描く「吸入」、犬が言い出した魔法の言葉が世界中に広まってしまうというナンセンス・ストーリー「ピンクと緑の…」、学校を始めよう生徒を集める男女の教師の物語「学校」、クリスマスツリーのおもちゃが一斉に隠れてしまうという「クリスマス・ツリー」、クジラのお腹の中で暮らそうとする女の子と犬の物語「くじらでくらして」、アリに囚われた息子たちを救出しようとする老農夫を描いた「アリ」、年をとっても死ななくなったおきさきを描く「年とったおきさきの話」の20篇を収録しています。

 『まほうのレンズ』(リチャード・ヒューズ 矢川澄子訳 岩波少年文庫)は、この『クモの宮殿』ともう一冊の短篇集からの抜粋なので、結構内容がかぶっています。原著を全訳した、こちらの『クモの宮殿』の収録作の方がナンセンス度が高いでしょうか。

 時間を置かずに再読になりましたが、やはり一番の傑作は「魔法のガラス」。それを通して覗くと、見た生物は無生物に、無生物は生物に変わって見えるという魔法のガラス(レンズ)を描いた物語。どこか哲学的なエッセンスさえ感じるようなシュールな物語です。

 以下、こちらの作品集のみに収録されているものから、いくつかお気に入り作品を紹介しておきます。

 「三びきのヒツジ」は、それぞれのヒツジが冒険の旅に出ますが、気付くと、元の場所で草を食んでいる…という物語。百年間囚われていたりと、それぞれスケールの大きな冒険をするヒツジたちですが、それらがみな「夢」や「幻想」の可能性もある…という幻想的な作品です。

 「なんにも無い」は、テーブルの上に散らかされた物をめぐる物語。その中にあった「無い」をめぐるナンセンスな物語です。「無い」が物質的なものとして扱われるのが楽しいですね。

 「馬車に乗って」は、馬車に乗っているうちに、おじいさん、おばあさん、ツル、のし棒、じゅうたんなどを乗せてやるというお話。やがてそれらの所有者であるおきさきが現れますが…。
 シュールなストーリーで、乗せている物も後半登場するおきさきの役目もよく分からないのが楽しいですね。

 「暗やみをはなつ子ども」は、生まれつき暗闇をはなつ男の子を描いた物語。彼のそばにいると真っ暗になってしまうため、煙たがられる男の子はどうにかしようと手段を探します。逆立ちすると逆に光を放つことを発見した男の子は常時逆立ちすることになりますが…。
 「暗闇をはなつ」という設定がまずシュールなのですが、ひっくり返ると光が出る…というのもまたおかしな設定です。ファンタスティックな方法で男の子の悩みが解決されるという結末も面白いですね。

 「くじらでくらして」は、クジラのお腹の中で暮らすのが快適だと思い込んだ女の子と犬が、クジラの体の中に入り込み暮らそうとします。しかし食べ物も家具もないところから、食べ物や家具をクジラに飲み込んでもらいます…。
 大きなクジラのお腹の中には人間が住めるのではないか?という空想を物語にしたような作品です。消化されてしまわないかなど、もっともな疑問を吹っ飛ばす大雑把な物語展開が楽しいです。

 「アリ」はファンタスティックな冒険物語。
 密猟をしている二人の息子が行方不明になったことから、猟場番人と共に老農夫は彼らを探します。谷間のへこみを通った二人は、いつの間にか体が小さくなっていました。アリたちに拉致された二人が閉じ込められた場所には、二人の息子も囚われていました…。 アリのえさになりかけた四人が智恵を絞って逃げ出す?末を描いています。それぞれ上着の中に頭を突っ込んで一列になり、イモムシのふりをして逃げ出す…というのは何ともシュールですね。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

最近読んだ本(日本ホラー作品を中心に)


岩城裕明『事故物件7日間監視リポート』(角川ホラー文庫)

 リサーチ会社を営む穂柄は、友人の藤木からあるマンションの一室の住み込み調査を依頼されます。そこは、7年前に妊婦が割腹自殺を遂げたという部屋でした。事件後には同じ階の住人が次々と退去し、今ではその階だけ無人になっているというのです。
 穂柄は、バイトとして雇った青年、優馬に問題の部屋で寝泊りしてもらい、自分は管理人室から定点カメラで様子を見ることにします。しかし部屋に入った一日目からすでに優馬には妙な影響が現れていました…。

 心理的瑕疵物件を調査することになった男たちを描くホラー作品です。いわゆる「幽霊屋敷」と「point of view」を組み合わせた趣向なのですが、幽霊やポルターガイストのような超自然現象ではなく、部屋に入った人間やそれに感化された他の人間たちへの影響という形で、怪奇現象が描かれます。
 オカルトに洗脳された主婦、怪しい霊媒師など、このジャンルにお馴染みの人物たちも登場しますが、物語が進むうちに、起こっているのはどうやら単純な心霊現象ではないことが分かってきます。そもそも妊婦はなぜ自殺したのか? 同じ階の部屋の住民が出ていってしまったのは何故なのか?

 実話怪談風のタイトル、オーソドックスな心霊ものと見せかけて、ユニークな展開になるホラー作品です。序盤の様子からこういう結末になるのは、あまり予想できないのではないでしょうか。
 ページ数も短く、さらっとした描き方ながら、不気味さのポイントはしっかり押さえてありますね。お勧めです。




日向奈くらら『私のクラスの生徒が、一晩で24人死にました。』(角川ホラー文庫)

 教師の北原奈保子は自分が担任する二年C組の生徒数人が失踪していることに焦っていました。その中には、いじめられていたらしい女子生徒、宮田知江と彼女をいじめていた主犯格の生徒数人が含まれていました。C組の生徒から助けを求めるメッセージを受け取った奈保子は深夜学校に向かいます。
 教室で目撃したのは、二十四人もの生徒が死んでいる姿でした。調査の結果、彼らの一部は殺し合い、一部は自殺したとの情報がもたらされます。しかもその中には失踪した生徒たちは含まれていませんでした。
 奈保子は調べていくうちに、いじめの被害者だった宮田知江が「悪魔の目」を持っているために、周囲から恐れられていたということを知ります。一方、事件を追う刑事の野々村は、事件の異様さに驚きながらも、調査を続けていました…。

 一クラスの生徒が同時に数十人死んだ事件をめぐるホラー・サスペンス小説です。殺人とも自殺ともつかない、大量の死者が発生した事件の影に、超自然的な能力を持つらしい少女の影が浮かび上がる…というホラー作品になっています。

 クラスメイトたちは何故死んだのか? 少女は本当に超能力を持っていたのか? 少女は生きているのか死んでいるのか?疑問が渦巻く序盤の展開はじつにサスペンスフル。
 後半まで「犯人」が特定できず、特定した後もその能力ゆえに手がつけられない…という、恐怖度の高い作品になっています。スプラッター度が高く、テーマにされる事件もかなり痛々しいので、読者は選びそうですが、ホラー小説として読ませる力のある作品だと思います。




阿川せんり『パライゾ』(光文社)

 ある時突然、全人類が不定形の黒い塊に変身してしまいます。その物質は生きているようではあるものの、動くことも食べることも意志の疎通をすることもできません。運よく変身を逃れた少数の人間たちには、ある共通点があるようなのですが…。

 突如、人類が不定形の物質になってしまった世界を舞台にした、終末SF・ホラー作品です。
 人類が不気味な黒い塊に変身してしまった世界で、「生き残った」人間たちの行動が、それぞれのエピソードとして描かれていくという構成になっています。どうやら残ったのは、人殺しもしくはそれに準ずる行為をした人間に限られるようなのです。

 我が物顔に振る舞う者、「黒い塊」について探索する者、救いを求める者など、変化後の世界でそれぞれの人間がどう行動するのかが描かれていきます。また、変化後の世界の行動を描くエピソードだけでなく、問題を抱えた人物たちが「変化」に遭遇するまでの人生を切り取ったようなエピソードもあり、こちらも味わいがありますね。

 「変化」しなかった人間は殺人者であったり、それに近い人物なので、正直ろくな行動を取らず、悲惨な結末に終わるエピソードが多いです。生き残った少数の人間が集まって協力したり、現象の謎を解明しようという流れにはならないので、そうした神秘的な謎を解いていくという魅力には乏しいです。ただ、極限状況に陥った人間、しかも人格破綻した人物や精神に問題を抱える人物が「破壊的に」行動する…という、徹底してダークな物語が描かれていく部分には、非常に魅力がありますね。

 物理的に残酷なシーンもありますが、それ以上に精神的に残酷な描写が多く、かなりハードな物語になっています。言葉通りの「破滅もの」に近い印象で、このジャンルに残る秀作ではないでしょうか。




北見崇史『出航』(KADOKAWA)

 家族を捨てて家出してしまった母親を追いかけて、大学生の息子の「私」は、北海道の太平洋岸の町、独鈷路戸(とっころこ)に向かいます。ようやくたどり着いた街は口の悪い老人ばかりの暮らす不気味な町でした。母親を見つけるものの、彼女はこの地で配達と水産加工のパートをして暮らしているというのです。探りを入れた結果、母親は何か宗教のような活動をしているらしいのですが、詳しいことは教えてくれません。しかも町のところどころに奇怪な生物がうろついているのです…。

 ブラック・ユーモアに満ちた、強烈なインパクトのあるホラー作品です。これは読む人を選びそうですね。ネタバレしてしまうと面白さが減ってしまうタイプの作品だと思うので、細かいあらすじが紹介できないのですが、前半はブラック・ユーモアの効いた不条理ホラー、後半は宇宙的スケールの超常ホラーといった感じの作品になっています。
 とにかく終始「血」と「内臓」のオンパレードで、出血量がただごとではありません。しかもその流血劇にブラックなユーモアが混じっていて、妙な味わいを醸し出しています。小説家で言うとクライヴ・バーカー、映画で言うと『ブレインデッド』(ピーター・ジャクソン監督)を思わせると言うと、何となく伝わるでしょうか。

 グロテスクな怪物ホラーかと思っていると、後半異様な方向に物語の展開がねじれていき、クライマックスの情景にはびっくりさせられます。
 スプラッター描写が強烈なのですが、それ以上に目立つのが独自の人体損壊描写。描写も非常に映像的なので、ホラー慣れしている人でもちょっときつく感じるかもしれません。日本人作家ではあまりいないタイプの作風ではないでしょうか。

 とても面白い作品だったのですが、動物好きの人には勧めません(そういう描写が多数出てくるので)。


テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学



プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』を2019年8月に刊行しました(完売しました)。
「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」、同人誌『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』を盛林堂書房さんで通信販売中です。



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