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6月の気になる新刊と5月の新刊補遺
発売中 クラーク・アシュトン・スミス『黑の書』(念黝之神根院書局 5000円 書肆盛林堂にて取扱)
発売中 しおたにまみこ『やねうらべやのおばけ』(偕成社)
6月4日刊 エルサ・マルポ『念入りに殺された男』(ハヤカワ・ミステリ 予価1870円)
6月8日刊 今野真二『乱歩の日本語』(春陽堂書店 予価2420円)
6月8日刊 花咲一男『雑魚のととまじり』(幻戯書房 予価4400円)
6月9日刊 スティーヴン・キング『呪われた町 上・下』(文春文庫 予価968円)
6月10日刊 M・R・ジェイムズ『消えた心臓/マグヌス伯爵』(光文社古典新訳文庫 予価1012円)
6月10日刊 ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー『ほら吹き男爵の冒険』(光文社古典新訳文庫 予価968円)
6月10日刊 新保博久『シンポ教授の生活とミステリー』(光文社文庫)
6月12日刊 フリオ・ホセ・オルドバス『天使のいる廃墟』(東京創元社 予価1760円)
6月12日刊 朝宮運河編『家が呼ぶ 物件ホラー傑作選』(ちくま文庫 予価900円)
6月15日刊 志村有弘『現代語訳 怪談「諸国百物語」』(河出書房新社 予価2420円)
6月17日刊 H・P・ラヴクラフト『宇宙の彼方の色 新訳クトゥルー神話コレクション5』(星海社FICTIONS 予価1650円)
6月18日刊 劉慈欣『三体2 黒暗森林 上・下』(早川書房 予価各1870円)
6月20日刊 フランシス・ハーディング『影を呑んだ少女』(東京創元社 予価3630円)
6月20日刊 野崎六助 『北米探偵小説論21』(インスクリプト 予価9680円)
6月25日刊 中村圭子『奇想の国の麗人たち 絵で見る日本のあやしい話』(河出書房新社 予価2090円)
6月27日刊 立原透耶監修、牧原勝志編『時のきざはし 現代中華SF傑作選』(新紀元社 予価2420円)


 クラーク・アシュトン・スミス『黑の書』は、「ウィアード・テールズ」で活躍したアメリカの怪奇幻想作家スミスの創作ノートを翻訳したもの。同人出版ですが、スミスのファンは必携では。

 今野真二『乱歩の日本語』は、江戸川乱歩のテキストの言語を分析する「乱歩言語論」だそうで、これは興味深いテーマの本ですね。

 M・R・ジェイムズ『消えた心臓/マグヌス伯爵』は、怪奇小説三代巨匠の一人ジェイムズの怪談集の新訳。南條竹則訳です。創元推理文庫の『ジェイムズ怪談全集』が長らく品切れで、ジェイムズ作品を読める本がなくなっていたので、これは慶賀すべき出版ですね。

 フリオ・ホセ・オルドバス『天使のいる廃墟』は幻想的な短篇集のようで気になりますね。「人生を諦めた人にしか用がないと言われる廃墟パライソ・アルト。そこに住む「天使」は不思議な来訪者たちの話に耳を傾け、向こう側への旅立ちを見送る。美しくも奇妙な物語。」

 朝宮運河編『家が呼ぶ 物件ホラー傑作選』』は、ありそうでなかった「家ホラー」アンソロジー。これは面白そうです。収録作品も公開されていたので、転載しておきますね。

 若竹七海「影」
 三津田信三「ルームシェアの怪」
 小池壮彦「住んではいけない!」
 中島らも「はなびえ」
 高橋克彦「幽霊屋敷」
 小松左京「くだんのはは」
 平山夢明「倅解体」
 皆川博子「U Bu Me」
 日影丈吉「ひこばえ」
 小池真理子「夜顔」
 京極夏彦「鬼棲」
 
 フランシス・ハーディング『影を呑んだ少女』は、『嘘の木』が話題を呼んだ作家の最新作。「幽霊を憑依させる体質の少女メイクピースは、亡き父親の一族だという旧家に引き取られるが、そこはとんでもない場所だった。」という内容だそうです。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

もののかたち  ペネロピ・ファーマー『骨の城』
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 イギリスの作家、ペネロピ・ファーマー(1939-)の1972年発表の長篇『骨の城』(山口圭三郎訳 篠崎書林)は、物を過去の形に戻すことのできる魔法のたんすを手に入れた子供たちの冒険を描くファンタジー作品です。

 部屋が片付いていないことを母親に指摘された少年ヒューは、父親と一緒にたんすを買いに出かけます。老人が経営する骨董店に置いてあったたんすに魅了されたヒューは、そのたんすを買ってもらうことにします。
 ある日、ヒューと妹のジーン、隣家の友人ペンとその妹アナと共に部屋で遊んでいたところ、たんすから突然生きた豚が飛び出してきます。調べたところ、豚が出現する直前に、たんすの中に豚皮のさいふを入れていたことが判明します。どうやら、たんすの中に物を入れて扉を閉めると、入れた物を過去の形に復元する能力があるらしいのです。
 子供たちは様々な物をたんすに入れて実験しますが、なかなか思い通りにはいきません。
 一方、ヒューはたんすが家に来てからというもの、毎夜のように、不思議な少女と城の夢を見るようになっていました…。

 「物」を過去の形に復元する魔法のたんすを手に入れた少年少女たちを描くファンタジー作品です。
 登場する魔法のたんすが何とも魅力的なアイテムなのですが、このたんす、過去に戻すといっても、その法則性やルールが非常にランダムで、子供たちにはコントロールすることができません。
 豚皮が豚になったことから、元になっている生物まで復元できるかと思いきや、途中段階の材料にしかならなかったり、たんすに入れている時間が問題なのかと考え、時間を計ってみても、特に法則性もありそうにないのです。

 やがて遊んでいるうちに、子供たちの一人が誤ってたんすに入ってしまい、赤ん坊になってしまいます。この赤ん坊になってしまってからの展開が読みどころで、パニックになった子供たちが親たちにばれないように赤ん坊をあやしながら、何とか元に戻そうとたんすについて調べるものの、はかばかしい結果は得られない…という展開にはハラハラドキドキ感がありますね。

 魔法のたんすというマジックアイテムが登場することから、陽気なコメディ調の作品を予想するかと思うのですが、意外にも終始暗めの雰囲気で終始する作品です。特に子供たちの一人が赤ん坊になってしまってからは、不安感と恐怖感のトーンが強くなります。

 後半では、前半から言及されていたヒューの夢がヒントとなり、問題解決に向けて物語が進み始めます。錬金術的というか神秘的というか、そういうタイプの結末になるのもユニークで、それらを含めて全体的にミスティックな作品になっています。
 主人公ヒューが非常に内省的で、時々放心状態になったりするのも特徴です。また隣家の少女アナも内面をあまり見せない神秘的な少女として描かれていて、それが後半の伏線ともなっています。

 あまり似たタイプの作品が思い浮かばない、奇妙な味わいの物語ですね。一読の価値のある作品ではないでしょうか。

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同人誌『イーディス・ネズビット・ブックガイド』刊行のお知らせ
 新しく、同人誌を作成することにしました。タイトルは『イーディス・ネズビット・ブックガイド』。『砂の妖精』や『宝さがしの子どもたち』などの作品で日本でも知られるイギリスのファンタジー作家、イーディス・ネズビット(1858-1924)の邦訳作品を、まとめてレビューしたガイド本です。

 児童向け作品のほか、アンソロジーや雑誌に訳載された短篇(主に大人向けの怪奇幻想小説)、ネズビットによるシェイクスピアの再話集、ネズビットの研究書などについても触れています。ネズビット邦訳書の書影ギャラリーのコーナーも付けています。
 付録として、ネズビットのフォロワー作家であり、非常に似た作風の作品を残したアメリカの作家、エドワード・イーガーの邦訳作品のレビューも付けています。

 ページ末尾に、表紙と目次、本文のサンプルページの画像を付けていますので、ご参照ください(画像はデータ段階のものですので、本の現物そのものではありません)。

仕様は以下の通りです。

『イーディス・ネズビット・ブックガイド』
サイズ:A5
製本仕様:無線綴じ
本文ページ数:60ページ(表紙除く)
表紙印刷:CMYKフルカラー
本文印刷:モノクロ
表紙用紙:マットコート220K
本文用紙:書籍用紙90K(クリーム)
※書影26点を掲載

内容は以下の通り。

まえがき

●児童向け作品
『砂の妖精』
『火の鳥と魔法のじゅうたん』
『魔よけ物語』
『アーデン城の宝物』
『ディッキーの幸運』
『魔法の城』
『魔法!魔法!魔法!』
『ドラゴンがいっぱい!』
『メリサンド姫 むてきの算数!』
『国をすくった子どもたち』
『緑の国のわらい鳥』
『きみのいきたいところ』
『かがみのなかのぼうや』
『おひめさまとりゅう』
『王女さまと火をはくりゅう』
『まほうだらけの島』
『宝さがしの子どもたち』
『よい子連盟』
『鉄道きょうだい』

●短篇作品
「あずまや」
「影」
「ハーストコート城のハースト」
「すみれ色の車」
「約束を守った花婿」
「三番目の霊薬」
「大理石の躯」
「ドゥ・ララ教授と二ペンスの魔法」
「最後のドラゴン」
「白いねこのひみつ」
「闇の力」
「気高い犬」
「染めもの屋の犬」
「セミ・デタッチドハウスの怪」
「ごちゃまぜ鉱山」

●再話集
『ロミオとジュリエット』

●研究書
『イバラの宝冠 イギリス女流児童文学作家の系譜5』

●ネズビット邦訳書表紙ギャラリー

●付録
エドワード・イーガーのファンタジーを読む

あとがき


以下の、書肆盛林堂さんのページで通信販売をしていただいています。
http://seirindousyobou.cart.fc2.com/

 今回の同人誌、少部数の予定なので、お早めにお買い求めいただければと思います。

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かっこうと魔法の旅  メアリー・ルイーザ・モールズワース『かっこう時計』

 イギリス、ヴィクトリア朝の児童文学作家メアリー・ルイーザ・モールズワース(1839-1921)の長篇『かっこう時計』(夏目道子訳 福武文庫 1877年)は、魔法の「かっこう」に導かれて少女が不思議な体験をするというファンタジー作品です。

 大おば二人の住む、田舎の古い屋敷に預けられた少女グリゼルダ。グリゼルダはある日、かっこうの鳴き声を聞きます。それは本物のかっこうではなく、グリゼルダの亡き祖母シビラがそのまた祖父から受け継いできたというかっこう時計でした。
 時計の中のかっこうに導かれ、グリゼルダは様々な不思議な体験をすることになりますが…。

 大おばたちに預けられ、大切にはされるものの、同年代の友達もおらず孤独感を抱えていた少女グリゼルダが魔法のかっこうと友達になり、一緒に不思議な冒険を繰り広げるという作品です。
 かっこうと共に訪れるのは、中国の人形の国、蝶の国、そして亡き祖母シビラやその祖父が生きていた時代など、様々です。

 物語が進むにしたがって、グリゼルダの祖母、その息子、さらにその娘グリゼルダと、三代にわたって同じ屋敷に預けられていること、かっこう時計は、職人であった祖母シビラの祖父が作ったものだということが判明します。
 物語が始まった時点で既に、長い時間が経過していることが仄めかされているのです。登場する屋敷の古さとも合わせて、物語上に流れる時間がゆったりとしていますが、それがまたある種の魅力になっています。

 古色蒼然とはしているのですが、今読むと逆にその古さがいい味わいになっているといってもいいでしょうか。
 登場する屋敷や物語の古色蒼然さはともかく、時代的に、提示される道徳部分は今読むと、古く感じられるところもありますね。
 例えば、男の子と遊んでいいかと訊ねるグリゼルダに対して、大おばたちは、男の子がどんな階級のどんな家の子どもか確認してからだというのです。
 また、導き手である「かっこう」が、先生役というか、良識やモラルをグリゼルダに指導するといった面もあります。
 蝶の国を訪れたグリゼルダに対し、遊んでいるように見える蝶もずっと働いていると諭すなど、ちょっと教訓的なところもあるにはあります。
 そうした時代的な制約はありながらも、全体に静謐な時間の流れる夢幻的なファンタジーであり、今でも魅力の感じられる作品になっています。

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忘れられた姫君  デイヴィッド・ガーネット『水夫の帰郷』

 デイヴィッド・ガーネット『水夫の帰郷』(池央耿訳 河出書房新社)は、アフリカの王女を妻にした水夫が、イギリスに帰郷し悲劇的結末を迎えるという、不思議な味わいの作品です。

 ひょんなことからアフリカのアボメに滞在することになり、現地の王ゲゾから王女グンデメを娶ることを許された水夫ウィリアム・ターゲット。妻にテューリップという愛称を付け、妻との間に男の子サンボも生まれていました。
 イギリスに帰郷したウィリアムは、下賜された宝物や資金を利用して、田舎町に居酒屋を開くことにします。
 ちょうど居酒屋がなくなってしまった村からは歓迎されますが、黒人女性であるテューリップに対する偏見はひどく、暴力を振るうものさえ現れます。
 奇しくも、従来から仲の悪かったウィリアムの姉ルーシーは村の資産家の妻に収まっており、テューリップに対する偏見を隠そうともしませんでした…。

 19世紀イギリスを舞台に、黒人の妻を迎えた水夫が出会う偏見を描いた作品です。テューリップは本国では王女であり高い身分の女性なのですが、イギリスの村人たちにとっては黒人はみな劣った人種であり、その偏見を正そうとしても聞く耳を持ちません。
 男気にあふれる夫ウィリアム、寛容なウィリアムの弟ハリー、忠実な雇い人トムなど、テューリップの味方になる人物も登場しますが、それはごくわずか。

 彼女に偏見を向ける中でも最たる人物がウィリアムの姉ルーシー。もともとウィリアムと反りが合わなかったルーシーは、弟が黒人と結婚したことを不快に思っていることを隠そうともしません。ただ明確な「敵」であるルーシーよりも、普段は酒場を利用する村人たちの方が結果的にはたちが悪いのです。
 テューリップやサンボに対しては偏見を隠そうとせず、彼らを精神的に追い込んでいくことになります。

 そんな状況ではありながら、ヒロインであるテューリップのキャラクターは魅力的に描かれています。気丈で情熱的でありながら、状況を客観的に見る冷静さも持ち合わせているのです。
 人種にかかわらず良い人間も悪い人間もいる…。透徹した認識を持つテューリップですが、ある事件を境に厳しい立場に追い込まれてゆくことになります。その結末は悲劇的です。
 「人種差別」をテーマの一つにした作品ではありながら、その描かれ方は妙に洒脱。どこかおとぎ話のような雰囲気も漂う不思議な作品です。

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神秘の旅  ジョージ・マクドナルド『お姫さまとゴブリンの物語』『カーディとお姫さまの物語』
 ジョージ・マクドナルド(1824-1905)の『お姫さまとゴブリンの物語』『カーディとお姫さまの物語』は、アイリーン姫と工夫の少年カーディを主人公にした冒険ファンタジーの二部作。それぞれ独自の魅力を持った作品になっています。



ジョージ・マクドナルド『お姫さまとゴブリンの物語』(脇明子訳 岩波少年文庫)

 父親である王と離れて、山奥の館に暮らす幼いアイリーン姫は、ある日屋敷の中で迷ってしまい、部屋へ戻る道を探しているうちに、見たことのない部屋に入り込み、そこで姫の先祖であると名乗る、美しい女性〈おばあさま〉に出会います。
 乳母ルーティとともに出掛けたアイリーン姫は、ゴブリンに襲われそうになりますが、たまたま出会った鉱夫の息子カーディの機転により助けられます。カーディは鉱山内で働いている最中、ゴブリンたちの悪巧みの相談を耳にし、彼らの計画の詳細を聞くため、彼らの宮殿内にまで忍び込みますが、運悪く捕らえられてしまいます。
 アイリーン姫は〈おばあさま〉の導きでカーディを助けに向かうことになりますが…。
 ゴブリンの悪巧みを防ぐために、アイリーン姫と少年カーディがそれぞれ冒険をするという物語です。この作品に登場するゴブリンは、元は人と殆ど変わらない姿だったものの、地下で生活するうちに醜く退化してしまったという設定。
 彼らが飼っている家畜もまた、地上の生物とは違った形に変わってしまっています。このゴブリンたちがかなり性悪で、彼らが人間たちに対して行おうとしている計画を聞いてしまったカーディが、その計画を止めるために奔走することになります。
 ゴブリンたちにも王国があり、王や女王を中心に、階層社会があることが描かれるところも面白いですね。特に王以上に暴力的で性悪なゴブリンの女王のキャラクターはひときわ目立っています。

 鉱夫の息子であるカーディは家族思いで豪胆な少年。ゴブリンに囲まれても一歩も引かない勇気も持っています。そしてアイリーン姫は、怖がりですぐに泣いてしまったりと、幼い少女ではあるのですが、危機の際には前に進む勇気と決断力を持っています。
 この二人の主人公がとても純粋な少年少女で、読んでいて彼らの冒険を応援したくなるような魅力に満ちています。
 アイリーン姫と少年カーディのそれぞれの冒険が並行して描かれるのですが、アイリーン姫のパートでは、姫が広壮な城の中で不思議な部屋にたどり着くためにさまよい、カーディのパートでは、鉱山の中のゴブリン王国の内部を探索することになります。

 形は違えど、どちらのパートもある種の「迷宮探索」に近い感覚で、ハラハラドキドキ感がありますね。また、アイリーン姫のパートでは、たどり着いた不思議な部屋で、彼女の先祖であると名乗る魔法に満ちた存在〈おばあさま〉に出会うことになります。
 この女性がアイリーン姫の守り神というか、精霊的な存在として描かれていて、物語の鍵を握る存在ともなってゆきます。

 「悪役」であるゴブリンたちが性悪として描かれるのは当然としても、人間側の登場人物も全てが善人ではありません。特に目立つのは姫の乳母であるルーティ。姫を愛しているのは事実ながら、ことあるごとに保身を考え、嘘をつくこともたびたび。またカーディのいうことを信じず、危機を招いてしまう騎士たちなども、その種の人物でしょうか。
 それに比べると、主人公であるアイリーン姫の純真さは本当に真っ直ぐです。善人であるカーディでさえ、一時的に姫のことを疑ってしまうのに対し、アイリーンは最後まで徹頭徹尾相手を信じ続けます。
 そしてその「信頼」が二人を救うことにもなるという展開には、熱いものがありますね。
 また、出番は少ないのですが、脇役として印象深いのはカーディの母。アイリーン姫のいうことを疑ってしまったカーディに対して諭すという、良き大人としての面が描かれます。

 純度の高いファンタジー作品であり、ハラハラドキドキさせてくれるという冒険物語の魅力も持った作品です。付けられたアーサー・ヒューズの挿絵も魅力的ですね。ファンタジーの古典として、今も魅力を失っていない作品です。




ジョージ・マクドナルド『カーディとお姫さまの物語』(脇明子訳 岩波少年文庫)

 アイリーン姫とカーディ少年がゴブリンの悪巧みを防ぎ、平和をもたらしてから一年。カーディはその状態に慣れきっていました。目に付いた鳩を傷つけてしまったカーディは後悔の念に囚われます。直後に光に導かれ訪れた先に現れた老婆の正体は、アイリーン姫の先祖である<おばあさま>でした。
 <おばあさま>の試練を受けたカーディは、手を握るとその者の本質を見極める能力を授かります。
 <おばあさま>から王の住む城に向かうように言われたカーディは、「リーナ」と名付けられた獣を旅の供として旅に出ます。
 ようやく城下町にたどり着いたカーディは、王が病に倒れていること、人心が荒れていることを知りますが…。

 『お姫さまとゴブリンの物語』の続編です。相対した者の本質を見極める能力を手に入れた少年カーディが、王に対する陰謀に対して、味方を集めそれを挫こうとする物語です。前作では、アイリーン姫とカーディ少年の二人が主人公として同じぐらいの扱いだったのですが、本作ではカーディ少年がメインとなり、姫は後半少しだけの登場になります。
 謎が多く、背景に隠れていた感のある<おばあさま>が前面に現れ、カーディに対する導きと支援を行うことになります。

 前作では「ゴブリン」というわかりやすい敵がいたのですが、本作の「敵」は人間になっています。王様に陰謀を働く部下や官僚たち、そして悪い心を持つ国民たち。露骨に「悪人」である連中はともかく、表面上は親切で忠誠心を装う人間もいるのが厄介なところです。
 カーディが<おばあさま>から授かった能力により、その者の本心を読み取ることができるようになり、その能力を使って味方と敵を判別することになります。
 この能力、人間以外にも効果があり、お供となる獣のリーナや後半で仲間になる他の獣にもそれが使われ、見た目の醜さとは関係なく、心の美しさが強調されます。

 全体を通してテーマとされるのは、見た目に惑わされない「心の美しさ」を強く持つこと、見極めること、でしょうか。カーディは陰謀に立ち向かうに当たって、そうした「心の美しさ」を持った者たちを味方として集めていくことになるのですが、カーディ自身もまた最初はそうした心の弱さを<おばあさま>に指摘され、それを克服するための冒険に出ることにもなるのです。
 著者のマクドナルドが精神的に弱っていた頃に書かれた作品であるそうで、その「人間不信」がかなり強く出ているのも特徴です。カーディに対する民衆や召使いたちの心根の醜さはなかなかに強烈で、折悪しく攻めてきた別国に味方する民衆も現れる始末。
 一部ではなく、国民の大部分がそうであるというのだから、参ってしまいます。結果的に、カーディは国を救うことになり、守り神として<おばあさま>も国を庇護していくことになるのですが、それにもかかわらずエピローグでは、悲観的な結末が仄めかされています。

 前作よりも現実的・政治的な要素が強くなっており、そうした陰謀にまつわるサスペンスという意味では非常に面白いのですが、その分ファンタジーとしての魅力は前作に譲るところがありますね。ただ、本作ならではの面白さもあります。
 全体を通して活躍する<おばあさま>の魔法の力、醜い姿ながら愛情あふれる獣のリーナ、リーナに協力することになる数十匹の獣たちなど、ユニークな要素がたくさんあります。また、クライマックスでの敵国軍隊との決戦シーンは、スペクタクルに満ちていて素晴らしいですね。


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幽霊と記憶  ペネロピ・ライヴリィ『トーマス・ケンプの幽霊』

 イギリスの作家、ペネロピ・ライヴリィ(1933-)の長篇『トーマス・ケンプの幽霊』(田中明子訳 評論社)は、17世紀の魔術師の幽霊に悩まされる少年を描いたファンタジー作品です。1973年度のカーネギー賞を受賞しています。

 ジェームズ・ハリスン少年とその家族は、古くから建つ<東端荘>に越してきます。ジェームズのために屋根裏部屋は寝室に改装されていましたが、その際に工事業者の男たちは、窓枠の奥に隠されていた小さなびんを落として割ってしまいます。
 引越しの直後から、家にある紙や黒板に、古風な文体と書体で、不思議な内容が書き残されているという事件が相次ぎます。その内容によれば、文章を書いているのはトーマス・ケンプという昔の魔術師であるようなのです。トーマス・ケンプは、ジェームズに彼の弟子となり言うとおりに動くことを要求していました。
 要求を断るジェームズに対して、ケンプの幽霊は家の中の物を壊しはじめます。両親はジェームズのいたずらだと思い込み、取り合ってくれません。
 友人も半信半疑の対応をするなか、ジェームズは幽霊祓いを副業としているという建築業者バート・エリソンの話を聞き、助けを求めてバートの住まいを訪ねます…。

 ひょんなことから封印が解け、少年にまとわりつくことになった魔術師の幽霊と、それを追い払おうとする少年ジェームズを描いたファンタジー作品です。
 幽霊とはいっても、この作品に登場するトーマス・ケンプは「ポルターガイスト」に近く、姿は全く見えません。文章を書き残すほかに、家の中や周囲の物を動かしたり壊したりと、念力的な力を発揮します。
 しかし、ジェームズ以外の人間の前ではその力を見せないため、周囲の人物は彼の存在を信じてくれません。幽霊の存在を認識しているのは、犬のティムと幽霊祓いをするバートぐらいで、実際バートはジェームズに協力することになります。

 幽霊が物理的な力を行使するといっても、花びんを割るぐらいで、人の命に別状はなく、それほどの被害は出ません。なので、主人公ジェームズがケンプの幽霊を追い払おうとする過程も、どこかユーモラスでのんびりした形になっています。
 何か事態が起きるたびに、ジェームズのいたずらになってしまい、食事を抜かされたり、おこづかいを減らされてしまう…というのも楽しいですね。

 のんびりした展開のお話ではあるのですが、主人公ジェームズが幽霊と関わりあう過程で、人間が生きてきた人生や記憶、歴史といったものを認識し、成長していく…というのがメインテーマといえるでしょうか。その意味では、中盤で登場する、家に残されていた古い手記のエピソードは重要な意味を持っています。

 100年以上前にもケンプの幽霊は現れており、当時住んでいた少年とその伯母が悩まされていたというのです。その伯母が残した手記を読んだジェームズは、過去の人間たちに思いを馳せることになります。
 また、近所に住む老婦人が、手記に登場する少年が老人になった際に会ったことがあること、老人もかっては子供だったことがあること、幽霊トーマス・ケンプ自身もまた、生前は生きている一人の人間であったことなどに思い至ることになるのです。

 人間の記憶は引き継がれること、「幽霊」という形で「場所」に「記憶」されることもあること、なども隠れたテーマとして伏流しているようです。解説にも引用されていますが、クライマックス、教会の場面での文章は非常に良くそれを表しています。

 教会はもうとても暗く静かでしたが、からっぽではありません。これだけ長いあいだ、これだけたくさんの人に使われてきた場所はけっしてからっぽにはなれないからです。古い建物がすべてそうであるように、この教会堂もたくさんの人たちの思いや気持ちでみたされていました。

 表面上はコミカルな物語でありながら、その底には人間の人生や歴史的な重みを肯定するような認識が広がっており、非常に優しい視点で描かれた作品になっています。

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奇妙な触れ合い  ハーバート・リーバーマン『地下道』
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 ハーバート・リーバーマンの長篇『地下道』(大門一男訳 角川文庫)は、家の地下道に住み着いた青年と老夫婦との奇妙な交流を描いた、不思議な味わいのサスペンス小説です。

 郊外の田舎に家を買い、静かに老後を過ごしていたアルバートとアリスの老夫婦。ある日、給油会社の社員として青年リチャード・アトリーが夫婦のもとを訪れますが、人恋しさから夫婦は青年を歓待します。
 二度目に訪れた青年の振る舞いに異様なものを感じ取る二人でしたが、数日後、地下室に降りたアルバートは、そこに人間が住み着いていること、鳥や獣の食い散らかされた死骸を発見します。住み着いているのがリチャード・アトリーであることを知ったアリスは、彼と一緒に暮らすことを提案します。
 アルバートも賛成し、リチャードに地下道から出て、自分たちと家の中で暮らすように話しますが、彼は今の場所で問題ないと言い張り、奇妙な共同生活が始まります…。

 子供もなく、孤独感を抱えていた老夫婦が、家に突然現れた変わり者の青年を保護するようになり、やがて自分たちの息子であるかのように感じるまでになります。しかし青年は、周囲の人間とは相容れない気質と独自の感性を持つ人間であり、夫婦だけでなく近隣の町や住民達とも問題を起こしてしまいます。
 青年リチャードの行動で、周囲の人間から老夫婦は孤立してしまいます。やがて妻アリスは、リチャードの激しい気性に恐怖を感じ始めるのです…。

 家庭に見知らぬ者が入り込み、家庭が破壊されてしまう、というタイプの物語なのですが、本作ではその入り込む青年がある種、純粋な人間であり、また家庭側の老夫婦も彼を子供代わりとして暖かく迎える、というところがユニークな点になっています。
 青年リチャードの来歴は結末まで明かされないのですが、この青年の人格が歪んでいて、愛情を求めながらもそれを素直に受け入れることができず、やたらと極端な行動に及んでしまいます。
 アルバートとアリスの夫妻も、リチャードの行動を相当まで受け入れるものの、彼の限度を超えた行動に何度も彼を追い出そうと考えるまでになるのです。

 主要な登場人物はアルバートとアリスの夫妻、そして青年リチャードの三人というシンプルなストーリーなのですが、終始サスペンスが途切れません。彼ら三人の愛憎がめまぐるしく変転する様が、豊かな心理描写を持って描かれていくからです。
 居候となる青年リチャードが単純な「悪人」ではなく、また彼を迎え入れる側の夫婦もまた単純な「善人」ではないことが、この物語を面白くしている要因でしょうか。
 装いこそ風変わりなものの、「人間の絆とは何なのか?」というテーマを真摯に追求した、サスペンス小説の名作といっていいかと思います。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

ベッドの上の冒険 メアリー・ノートン『空とぶベッドと魔法のほうき』

 イギリスの作家メアリー・ノートン(1903-1992)の『空とぶベッドと魔法のほうき』(猪熊葉子訳 岩波少年文庫)は、魔女の卵によって魔法をかけられたベッドに乗り、南の島や過去に冒険に出かける子供たちを描いたファンタジー作品です。
 岩波少年文庫版は、『魔法のベッド南の島へ』(1945年)と続編『魔法のベッド過去の国へ』(1947年)の合本版となっています。解説によれば、今日では、二作は合本して出版されることが多いとのこと。

『魔法のベッド南の島へ』
 夏休みのこと、ベドフォード州のおばさんの家に預けられたきょうだい、ケアリイ、チャールズ、ポールの三人は、村の近所の住人で、しとやかな女性として知られるプライスさんが、足をくじいているのを見つけます。
 医者を呼ぼうとするケアリイやチャールズに対し、プライスさんはなぜか慌てます。ポールはそばに落ちていたほうきを見て、プライスさんはほうきに乗って飛んでいたところを落ちたのではないかと言い出します。ポールは、プライスさんがほうきに乗っているところを目撃したことがあるというのです。
 自宅に戻ったプライスさんは、自分は魔法を勉強中の魔女であることを子どもたちに明かします。彼女の正体を明かさないことを条件に魔法をかけてほしいと頼んだ結果、ポールがたまたま持っていた、ベッドの端のノブに魔法をかけてもらうことになります。
魔法のノブをベッドに取り付け、一方に回すと現在で行きたい場所に、反対に回すと過去に行くことができるというのです。子どもたちはベッドを使って様々な場所に行くことになりますが…。

『魔法のベッド過去の国へ』
 一度は魔法のベッドとプライスさんとに別れを告げた三人のきょうだいたち。二年後のある日、新聞広告で子どもを預かりますという広告を見つけた子どもたちは、それがプライスさんであることを確信し、母親に頼んで、彼女のもとを再度訪れることになります。
 魔法はもう止めたと話すプライスさんでしたが、末っ子ポールと共にベッドを密かに使っていたことに気づいたケアリイとチャールズは、まだ試したことのない過去への旅にベッドを使わせてほしいと頼みます。エリザベス朝に行くつもりだった三人がたどり着いたのはチャールズ二世の御世でした。
 現地の「魔法使い」エメリウスと対面した三人は、彼に未来のことを話しますが…。

 魔法のかけられたベッドを使って冒険の旅に出る子どもたちを描いたファンタジー作品です。一作目では同時代の別の場所、二作目では過去のイギリスが舞台になっています
 魔法がかかっているのは、あくまでベッドのみ。しかも「移動」機能のみなので、移動した場所でトラブルに巻き込まれた子どもたちは、なかなか事態を積極的に解決することはできません。逃げの一手になってしまうのです。
 やがて、魔法使いであるプライスさんが同行することによって、彼女自身が魔法を使って事態を解決することにもなります。

 実際、この二部作の真の主人公はプライスさんだと言っても間違いないと思います。淑やかで理知的なレディであり、練習中とはいえ、有効な魔法をいくつも駆使することができるのです。
 子どもたちの良き友人となったプライスさんは、最初は嫌々だったものの、共に冒険の旅に出ることにもなります。

 一作目の『魔法のベッド南の島へ』も、タイトル通り南の島への冒険を行ったりと楽しい作品ではあるのですが、作者の本領が発揮されているのは、二作目の『魔法のベッド過去の国へ』だと思います。
 過去へと旅立った子どもたちの手によって、現地の「魔法使い」の男性エメリウスと親交を深めることになったプライスさん。互いに孤独を抱えていた男女の時代を超えた愛情が描かれていきます。
 やがて過去へと戻ったエメリウスの命を救うため、過去へ舞い戻るプライスさんと子どもたちの冒険が描かれる部分は、この二部作のクライマックスといっていい迫力に満ちています。過去やその時代の登場人物を描くにあたっても、絵空事ではなく、リアルで等身大な描写がされているのも魅力ですね。

 プライスさんに比べると、子どもたちの存在感は多少薄れてしまうのですが、彼らの中で一番印象に残るのは、末っ子のポールでしょうか。魔法を使うにあたって、重要なのはこのポールで、実際彼を通してしか魔法は起動しないのです。プライスさんに一番可愛がられるのもポールであり、これは幼さゆえに、魔法を信じる純真さを持っているということなのでしょうか。
 「魔法」についても、無尽蔵にそれが実現されるわけではなく、必ず何らかの「たね」や「エネルギー」が必要だとされるところもリアルですね。
 日常の中に魔法が持ち込まれるという<エブリディ・マジック>の名作であるといっていいかと思います。

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闇のメルヘン  ジョーン・エイキン『月のケーキ』

 イギリスの作家、ジョーン・エイキン(1924-2004)は児童向け作品を多く遺した作家ですが、本書『月のケーキ』(三辺律子 訳 東京創元社)は大人向けのダーク・ファンタジー集となっています。以下、収録作を紹介していきましょう。

「月のケーキ」
 祖父の家に滞在することになったトム。祖父が住むウェアオンザクリフは、希望を失った人間ばかりが集まるという不気味な村でした。村の住人ミセス・ラリーディ・リーから「月のケーキ」を作るための材料集めを手伝ってほしいと頼まれたトムでしたが…。
 希望を失った者ばかりが集まる僻村、「月のケーキ」とはいったい何なのか…?
 住人たちの「後悔の念」が不幸な結末を呼ぶというダーク・ファンタジーです。

「バームキンがいちばん!」
 娘のアンナが話す謎の存在物「バームキン」に目をつけた父親は、経営する食料品店の品物に、バームキンが入っていないことを証明する文章を付け加えるように指示します。やがて人々はそれらの品物を争って求めるようになりますが…。
 子供が創造した、架空の存在「バームキン」をめぐるナンセンス・ストーリー。次々と品物に飛びつく人々が描かれますが、ファンタジーではありながら、どこか諷刺的な要素もありますね。

「羽根のしおり」
 母親の死に目に会えなかったことを後悔し続ける少年ティムは、まじない師のウィケンズさんから、死んだ人にさよならを言うための手段を教えてもらい、友人のスーとともに母親の墓に向かいますが…。
 死んでしまった母親と言葉を交わそうとする少年の物語です。詩人を目指す姉が作った詩が重要なモチーフとして使われています。家族愛もテーマになった、切ない作品ですね。

「オユをかけよう!」
 仲良しだったマンデーおばあちゃんから形見を受け取ったポール。それはオウムのフォッズと大きさがまちまちの包みが五つでした。包みを開くたびにフォッズは「オユをかけよう!」と繰り返しますが…。
 亡き祖母が孫のために残したプレゼントとは…。「死」で始まる物語ながら、読後感は非常にハッピー。洒落たお話です。

「緑のアーチ」
 その緑のアーチのような森に行くにはいくつかの条件がありました。雨が降っていること、金曜日であること、前夜に決まった夢を見ていること、そして兄のブランが作った曲を聞くこと。その場所を訪れた「ぼく」は何度も奥に進もうとしますが、なかなか果たせません…。
 いわゆる「異世界譚」なのですが、そこに行くための条件がユニークです。その異世界の魅力もさることながら、兄弟にとってその場所の「意味」が判明し、主人公である「ぼく」の真実が明かされる結末は非常に感動的。
 集中でも一、二を争う傑作です。

「ドラゴンのたまごをかえしたら」
 クロウネスの町のそばの山に巣くうメスのドラゴンのグリア。観光の目玉にもなり、町の人々から愛されていました。しかし突然現れた騎士によってグリアは殺されてしまいます。その後、山の奥の洞窟からグリアが生んだらしい卵が見つかりますが…。
 町ぐるみで赤ん坊のドラゴンを育てるというファンタジー作品です。このドラゴンが凶暴で、なかなか御すことができません。皮肉な結末も面白いですね。

「怒りの木」
 結婚により妻イザベルの広大な領地を手に入れたガストン卿は、人々を追い出します。皆から恨まれたガストン卿は、まじない女に呪いをかけられてしまいます。一方、彼の息子ジョンは、父の贖罪のための旅に出かけ、その優しさから人々に敬われますが…。
 中世風の世界で展開されるファンタジー作品ですが、後半では現代にまで時代が進みます。過去では「悪」だったものが、現代では必ずしもそうではない…という、逆説的なテーマも描かれています。エコ的な思想も出てきたりと、いろいろ多面的な要素を持つ作品です。

「ふしぎの牧場」
 高齢で亡くなったサラ・ラザロは所有する広大な牧場を子供や孫たちに残します。しかし遺言には牧場内の「ティターニアの土地」を<旅人たち>に残すという言葉がありました。その土地は別の次元とつながっているという伝説があるというのですが…。
 祖母の残した土地をふざけ半分で探す親族たちが遭遇する出来事とは…?
 ユーモラスなタッチながら、ちょっと怖い作品になっています。

「ペチコートを着たヤシ」
 ジョーは、キューおばあちゃんが大事にしているというヤシを寒さから守る手伝いをします。おばあちゃんが持っていたペチコートや服をヤシに着せたジョーは、冗談半分にヤシの木に踊ってほしいと願いますが、その結果、ヤシの木は歩いていってしまいます…。
 これはユーモラスなファンタジー。踊りだすヤシの木の描写が楽しいですね。

「おとなりの世界」
 昔からリンゴの木と共にその場所に住んでいたクウィルばあさんは、新たに所有者となったグロビー卿によって家を動かされ追い出されてしまいます。その後喉の渇きに苦しむようになったグロビー卿はクウィルばあさんに助けを求めますが、彼女の姿はこの世界から消えていました…。
 強欲な男が罰を受ける…というタイプの物語ですが、追い出した住人が「異世界」に行ってしまい助けてもらえない…という、ちょっと怖いお話です。この話では「救い」があるのですが、エイケンのお話では、悪人の末路は救いのないものが多い印象ですね。

「銀のコップ」
 土砂に埋もれた銀のコップを見つけたジムは、スタブスさんの話から、それがサンタクロースがプディングを作ってほしいと置いたものだと思い込み、サンタクロースにプレゼントを上げようと考えますが…。
 心温まるクリスマス・ストーリーです。

「森の王さま」
 森番の父親にひどい扱いを受けていた娘イェナは、自分が生まれると同時に亡くなった母親のことについて祖母から話を聞きだします。どうやら母は身分の高い女性であったらしいのですが…。
 土地をめぐって争う貴族、森の精霊、不遇な娘の生誕の秘密…、短いなかにも様々な要素が盛り込まれた、奥行きのある作品です。結末の余韻にも味わいがありますね。

「にぐるま城」
 少年コラムは、町がヴァイキングの襲撃を受けようとしているのを見つけ、魔女だったおばのエイリーが使っていた魔法を使って町を助けようと考えますが…。
 魔法の効果が鮮やかに描かれています。タイトルの意味が分かる部分は思わず膝を打ちますね。ジャンルは全く異なるのですが、江戸川乱歩風の趣向が出てくるところも面白いです。

 収録作品はどれも面白いのですが、「月のケーキ」「羽根のしおり」「緑のアーチ」「怒りの木」「おとなりの世界」「森の王さま」などは特に秀作で、ハイレベルな作品集です。本当にお薦め。

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奇想の冒険  ピエール・グリパリ『ピポ王子』『木曜日はあそびの日』
 フランスの作家、ピエール・グリパリ(1925-1990)。邦訳紹介されているのは二作のみだと思いますが、どちらも奇想とファンタジーに溢れた面白い作品になっています。それぞれ紹介していきましょう。



『ピポ王子』(榊原晃三訳 ハヤカワ文庫FT)

 子供を欲しがっていた王と王妃は「水のほとりの大魔女」に頼み、赤ん坊を手に入れます。ピポと名付けられた王子はすくすくと成長します。15歳の折に生まれた赤い子馬に同じピポと名付けた王子は、愛馬と共に出かけますが、突然馬が勝手に走り始めます。
 火山に登り始め、とうとう火口に飛び込んでしまいますが、彼らが気がつくと城の近くの麦畑に倒れていました。そのまま家に戻ると、そこには城はなく変わりに農家がありました。しかも王と王妃はおらず、代わりにそこにいた小人と魔女は、自分たちがピポの両親だと話すのですが…。

 両親も自分の王国も無くしてしまった王子が、両親に再会するために冒険を繰り広げるというファンタジー作品です。上記にあげたあらすじがメイン・ストーリーと言えるのですが、実はこの話が始まるまでが長く、本が始まってから作者がこの話を語り始めるまで脱線が続くという、奇天烈な構成になっています。

 最初に出てくるのは、嘘つきの男の子が大変な目に会うという「嘘つきのお話」という独立したエピソード、そしてその後に続くのが「あるお話のお話」『ピポ王子』本編がどのように生まれたのか?というメタフィクショナルかつファンタスティックなストーリーです。
 作家のピエールさんが夢の中で作り上げたお話が『ピポ王子』本編だというのですが、目覚めたピエールさんがそれを忘れてしまい、語られなくなった「夢」が語り手を求めてさまよう…というエピソードになっています。
 実は、このピエールさんも、グリパリの別作品『木曜日はあそびの日』の語り手でもあって、それを考えると、更に手の込んだ物語といえますね。

 序盤のような独立したエピソードに関しては、本編中ほどにも二つほど出てきて、こちらも面白いお話です。一つは「「悲しみ」のお話」。「悲しみ」に取り憑かれた貧乏な弟が、「悲しみ」を追い払い幸せになる、というお話です。
 もう一つは、「「不死身のコシュ」のお話」。不死身の魔法使いコシュに婚約者の姫君をさらわれたジャン王子が、忠実な召使いや動物たちの助けを借りて、魔法使いを倒すという物語です。こちらも本編同様、奇想天外な展開で楽しいお話になっています。

 さて、本編はピポ王子が両親を捜して冒険するというお話なのですが、小人と魔女に監禁されてしまうのを皮切りに、さまざまな困難に出会うことになります。怪しい宿屋で動けなくなってしまい、「お話」をしないと殺すとおどされたり(先に紹介した二つのエピソードはここで語られます)、軍隊に入れられてしまったり、果てはドラゴン狩りに借り出されたりと、落ち着く暇がありません。
 冒険の途中で知った運命の人「ポピ王女」に出会うのも目的のひとつとして、ピポは冒険を繰り広げることになります。

 おとぎ話的なトーンで語られる物語ではあるのですが、作中では結構血が出たり、人死が出たりと、血なまぐさいシーンもあるのが特徴です。特にドラゴン狩りに関わるエピソードでは、大量の死人が出たりしますね。
 序盤からあちこちに飛んでしまう作者の語り口から、本編の王子の冒険も、一見、行き当たりばったりな印象を受けるのですが、後半に至って、それまでのお話がかちっとはまってくる感があり、そのあたりも爽快です。ちょっぴり寓意的な結末を含め、非常に面白いファンタジー作品といえますね。

 この作品、表紙画と挿絵を描いているのが『星の時計のLiddell』で知られる伝説的な漫画家、内田善美です。こちらもこの本の魅力の一つといっていいでしょうか。




『木曜日はあそびの日』(金川光夫訳 岩波少年文庫)

 パリにあるという不思議な通り「ブロカ通り」にやってきたピエールさんが、近所に住む子供たちとともに創作したお話、という設定の童話集です。「まえがき」でそのあたりの事情がまことしやかに語られ、お話自体は創作であるものの、元になった事情や人物は実在する…という体裁になっているのは楽しいですね。

 特に「まえがき」にも登場する居酒屋の主人サイドさんとその子供たちは、お話の直接の主人公になるエピソード以外にも、いろいろなエピソードで言及されます。
 このサイドさん始め、ブロカ通りには多国籍でいろいろな国の出身者が住んでいるという設定で、エピソードに登場する人間以外のものたちを含め、どこか無国籍風のファンタジーになっている感もありますね。

 若さを取り戻すために少女を食べようと画策する魔女を描く「ムフタール通りの魔女」、魔法の靴下を持つ巨人が一目ぼれした少女を結婚するために冒険する「赤靴下の巨人」、左右で夫婦である靴たちの物語「一足の靴」、未来を予知できる魔法の人形の冒険を描く「万能人形スクービドゥー」、顔を掘られ言葉を話せるようになったじゃがいもを描く「じゃがいもの恋の物語」、泉に封印されていた妖精が蛇口から魔法をかけるという「蛇口の妖精」、善人に憧れる悪魔の子供が神様に会いにいくという「やさしい、子供の悪魔」、魔女が出ると言う噂にあるいわく付の家を買った男の物語「ほうき置場の魔女」、死後も隠していた金貨を数え続ける幽霊を描く「ピエール伯父さんの家」、幼馴染の人魚と結婚しようとする王子を描く「ブリュブ王子と人魚」、空から星を盗み出した子豚を描く「ずるがしこい子豚」、魔法使いの妻と結婚した「とんま」が王様の難題に悩まされるという「誰やら、何やら、もしくは賢い妻」を収録しています。

 物や動物が話したり、おとぎ話のフォーマットが使われていたりと、一見「普通の童話」なのですが、物語の展開の仕方がユニークでシュールなのが特徴です。
 例えば「じゃがいもの恋の物語」。話せるようになったじゃがいもが「油で揚げられる」ことを目指して、ギターとコンビを組んで興行に出る…という何ともシュールな作品です。
 また、「誰やら、何やら、もしくは賢い妻」は、魔法使いの妻と結婚した「とんま」が、妻に横恋慕した王様から出される難題に悩まされるというお話なのですが、この難題がどれもシュール。最終的に出されるのは「どこやらへ行って、誰やらを探して、何やらをもらって来い」という、ナンセンス極まりない課題なのです。

 一番面白いのは「ブリュブ王子と人魚」でしょうか。幼い頃からの友人である人魚の少女に恋をしたブリュブ王子は彼女と結婚したいと願います。しかし、そのためには王子自身も人魚となり「不死」になる必要があるのです。結婚に反対する父王は、人魚を捕らえて、王子を別の国に幽閉してしまいますが…。
 引き離されても「水」がある限り、王子のもとに人魚は現れることができる、という設定が面白いですね。王の命令によって捕らえられた人魚の体の一部が切り離されるという残酷なシーンもあるのですが、「不死」であるため人魚は死なず、むしろ不気味な変化を起こすと言う部分は、ちょっと怖いです。

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イーディス・ネズビット補遺
 今年初めの数ヶ月、まとめてイーディス・ネズビット作品を読んでいたのですが、読み残していた絵本と研究書、そして映画化作品も紹介しておきたいと思います。


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イーディス・ネスビット『まほうだらけの島』(中山知子訳 おのきがく絵 文研出版)

 赤ちゃんを授かるために魔法使いの老婆のもとを訪れたおきさきは、その望みを叶えてもらいます。授かった赤ん坊が女の子で王子ではなかったことに怒った王様は、母娘を邪慳に扱うようになります。やがて成長した王女を、王さまは遠く離れた小島にある塔に幽閉してしまいます。
 島の周りには9つのうずまきがあり、塔はグリフィンとドラゴンとが守っていました。王女を助ける男が現れるまで、彼女は年をとらないというのですが…。

 父王の手によって幽閉されてしまった王女を描く作品です。いわゆる「邪悪な魔法使い」が実の父親で、魔法使いの老婆はむしろ味方、というのが面白い設定ですね。
 やがて王女を助ける少年が現れるのですが、門番である怪物たちを倒すために智恵を絞ることになります。
 ネズビットの他作品「メリサンド姫」でも使われていた算数問題がここでも登場し、少年も王女もそれに惑わされてしまう、というのが楽しいです。母親であるおきさきとその友人である魔法使いの老婆が身を挺して、王女を守るとい自己犠牲的なテーマも美しく、ユーモラスな要素もありながら、正統派の冒険ファンタジーとして魅力的な作品になっています。
 「うず潮の島のドラゴン」(八木田宣子訳『ドラゴンがいっぱい!』講談社青い鳥文庫 収録)と同一作品の翻訳です。



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『イバラの宝冠 イギリス女流児童文学作家の系譜5』(ニュー・ファンタジーの会 透土社)

 日本ではおそらく唯一の、イーディス・ネズビットの研究書です。
 内容は、ネズビットの伝記的な部分と作品論、大きく二つに分かれています。
 ネズビットの生涯を追っていて驚くのが、その波乱万丈さ。幼くして父を亡くし、母親は病弱な姉の療養のために転地を繰り返します。そのため家族と引き離されて様々な学校に入れられたり慌しい子供時代を送っています。
 そのあたり子供時代の体験が、作品を作る上で大いに反映されているようです。結婚してからも夫の女癖の悪さと経済的苦境から晩年まで苦労しつづけだったようで、本当に苦労人という感じです。ただその経済的な苦境から、多彩な作品群が生まれたわけで、そのあたりは何ともいえないところがありますね。
 作品論部分では、「リアリスティックな作品の世界」「ファンタスティックな作品の世界」「短編物語の世界」に分けて、ネズビット作品が語られています。

 「リアリスティックな作品の世界」では主に『宝さがしの子どもたち』『よい子連盟』などの〈バスタブル家物語〉『鉄道の子どもたち』、未訳の『すばらしい庭』などについて語られています。この『すばらしい庭』は、子供たちが魔法の効果を確かめようとするものの、毎回その結果が偶然なのか魔法なのかわからなくなる…という話だそうです。

 「ファンタスティックな作品の世界」では、ファンタジーを扱った作品、『砂の妖精』三部作、『魅せられた城』(邦訳『魔法の城』)、未訳の『魔法の町』『濡れた魔法』『アーデンの家』(邦訳『アーデン城の宝物』)、『ハーディングの幸運』(邦訳『ディッキーの幸運』)などについて語られています。
 未訳の『魔法の町』は、少年と少女が自分の作った街に入り込んで冒険を繰り広げるという作品、『濡れた魔法』は、助けた人魚の王女とともに海底の王国を訪れる子どもたちを描いた作品だそうです。

 「短編物語の世界」では、ネズビットの短編作品について語られています。妖精物語の再話集『ばあやのお話』「最後の竜の話」(邦訳「最後のドラゴン」)、「メリザンド王女と割り算のお話」(邦訳『メリサンド姫 むてきの算数!』)、「緑の島の笑い鳥」(邦訳「緑の国のわらい鳥」)、「国を救った子どもたち」(邦訳『国をすくった子どもたち』)など。

 作品論部分では、作品の評価だけでなく、未訳の作品含めネズビット作品の詳細なあらすじも紹介されており、ブックガイドとしても役に立ちそうな本になっていますね。

 ネズビット作品の特徴として、宗教色が薄いこと、子どもの「自由」が描かれていること、ネズビット以前の児童文学が大人の目線から見た子どもの話なのに対して、ネズビット作品は子どもの目線から見た子どもの話になっていることなどが挙げられていますが、なるほどという感じです。
 弱点として、ネズビット作品の主人公である子どもたちのキャラクター性が薄く、互いに交換可能な感じになっている、というのも言われていますが、頷けるところがあります。ネズビット作品を連続して読むと、物語そのもののストーリーは記憶に残るのですが、
 主人公の子どもたちの印象がごっちゃになりがち、というのは確かにそうだなと思いました。もちろん例外もあって『宝さがしの子どもたち』の語り手のオズワルドなど、個性が強くて印象に残るキャラクターもあります。

 全体にネズビット作品を概観するのに非常に便利な本だと思います。特に伝記的な事実から作品への影響関係は細かく語られていて参考になります。
 例えば『お守り物語』(邦訳『魔よけ物語』)が大英博物館の考古学者との交流から生まれたとか、興味深い話題も沢山取り上げられています。ネズビットファンは読まれるといいのでは。




ジョン・スティーヴンソン監督『ジム・ヘンソンの不思議の国の物語』(2004年 イギリス)

 イーディス・ネズビット『砂の妖精』の映画化作品です。設定をいろいろ変えてはいますが、原作のエッセンスを汲んだ楽しい映画作品でした。

 第一次世界大戦時、父親はパイロットとして、母親も負傷者の介護の仕事に従事しているため、ロバートたち五人の子どもたちは伯父の住む田舎の館へと預けられることになります。立ち入りを禁止された中庭の秘密の入り口から浜辺へと出た子供たちは、そこで砂の妖精サミアドを発見します。
 何でも願いを叶えるというサミアドに、子供たちはいろいろな願いを叶えてもらいますが、どれも上手くいきません。しかも彼の願いは日没までしか効果が続かないというのです…。

 五人の子どもたちが砂の妖精サミアドにいろいろな願いを叶えてもらう、という中心テーマは原作そのままですが、それ以外はいろいろと現代風に改変がなされています。オリジナルキャラとして、算数の教科書を書いているという変人の伯父さん、怪物の研究をしているマッド・サイエンティスト風のいとこのホレスが登場しています。家政婦のマーサも、原作にも登場するキャラですが、映画版では頭のねじのいささか外れたキャラとして登場していますね。
 舞台が第一次大戦の最中に変更されているのは、上手い改変だと思います。
 従軍して離れた父親を子供たちは敬愛しており、後半にはそれが物語の重要な鍵になっていきます。全体に兄弟愛・家族愛がテーマとして盛り込まれており、90分弱の映画作品としては上手くまとめられた作品だと思います。]
 作中に登場する「願い」のエピソードとしては、原作にもあった、金貨をもらうエピソードと子供たちが翼を生やすエピソードのほか、映画オリジナルとして、大掃除するために子供たちが大量に増えてしまい屋敷をめちゃくちゃにしてしまうエピソード、恐竜の卵を孵化させてしまい、いとこが食べられそうになるエピソードなどが追加されています。
 翼を生やした子供たちが、父親が従軍するフランスまで飛ぼうとして、途中でドイツ軍のツェッペリン飛行船に遭遇し、そのためドイツ軍が驚いて撤退し、父親の命が助かるという流れは、非常に上手いですね。

 ドイツ軍が「天使」を見て撤退する…というのは、もしかして「モンスの天使」(元はアーサー・マッケンの創作)事件を意識しているのでしょうか。

 原題は FIVE CHILDREN AND IT で、原作の『砂の妖精』の原題と同じなのですが、ジム・ヘンソンのスタッフが作ったということで、こんな邦題になってしまったようです(ジム・ヘンソンは 1990年に死去)。

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世界は俺のもの  モルデカイ・ロシュワルト『世界の小さな終末』
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 ポーランド生まれのイスラエル人作家、モルデカイ・ロシュワルト(1921-2015)の長篇『世界の小さな終末』(志摩隆訳 ハヤカワ文庫NV)は、核ミサイルを積んだ原子力潜水艦が国家に対して独立を宣言し、海賊行為を働いて回るという、ブラック・ユーモアたっぷりのスラップスティックな作品です。

 アメリカ海軍の原子力潜水艦ポラー・ライオン号の副艦長ジェラルド・ブラウンは、艦内で勤務中に友人たちとともに酒を飲んでいるところを、艦長のジョンソンにとがめられ、かっとなって艦長を殴り、死に至らしめてしまいます。
 元から自分の地位に不満を抱いていたジェラルドは、艦内で有力な位置にある友人数人を抱き込み、本国に対して、軍からの独立を宣言します。ライオン号に搭載されている16発の核ミサイルで攻撃することを脅しとして、酒や金、女性などを差し出すようにアメリカ政府を脅迫するジェラルドでしたが…。

 核ミサイルを積んだ潜水艦が本国に反旗を翻し、やりたい放題に海賊行為を行う…という物語です。指導者となるジェラルドは自らの権力欲のため、それに追随する仲間の目的も酒や女にあったりと、高尚な目的や理想があるわけではなく、自分たちの欲のために乗っ取った潜水艦を利用していきます。
 最初は要求を飲んでいたアメリカ政府も、あまりの勝手な要求に拒否する態度を見せますが、それがきっかけとなり、潜水艦は世界各国を対象に海賊行為を働くようになります。主人公たちの行動は身勝手極まりないのですが、その野放図さは清々しいほどで、読んでいて痛快です。

 主人公ジェラルドを始め、潜水艦の乗組員たちは、いかに快楽を追求するかという動機のみで動くのですが、後半、物語は急展開することになります。ジェラルドに影響された「模倣犯」が現れるのです。
 核を悪用する者たちが次々と現れるあたり、作者の筆はコメディ調でありながら、現実に起こり得るのではないかと思わせて、フィクションにはとどまらないテーマを持った作品といえるでしょうか。

 正直、「核」という政治的、かつデリケートなテーマを「悪ふざけ」で描いたような部分もあり、読んでいて眉をひそめる向きもあるかと思います。ただ冷戦時代に描かれたにも関わらず、今読んでも「諷刺」という面では新鮮さを失っておらず、名作といっていい作品ではないでしょうか。

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世にも不思議な物語  三田村信行『オオカミの時間 今そこにある不思議集』

 トラウマ童話集『おとうさんがいっぱい』で知られる、三田村信行の最新短篇集『オオカミの時間 今そこにある不思議集』(理論社)は、幻想的な作品の多い童話集ですが、中にはかなり不条理な作品も混じっており、大人の読者でも楽しめる作品集になっています。

 先祖が残した割れた面をめぐる幻想的な物語「われたお面」、自分の鏡像がだんだんと映らなくなってくるという「見るなの鏡」、部屋からいらなくなった物が消失していくという不条理な「歯ぬけ団地」、何かもずっと待ち続ける少女を描いた「白い少女」、巨大な木を取り憑かれた男を描く「木の伝説」、魔法使いの杖の材料になっていたという木をめぐる「魔法使いの木」、謎の恐竜の木を取材に訪れた記者の物語「恐竜の木」、学校に上手く適応できない少年がオオカミのマスクをかぶって町を徘徊するという「オオカミの時間」、他人を支配できるピストルを誤配により手に入れた少年の物語「誤配」、様々なシーンでピストルが登場する夢が展開するという不条理な幻想作品「夢のなかでピストル」、夢の中で浮浪者然とした男の行動が展開される怪奇作品「穴」、生き残りをかけて夢の中でゲームを行う少年少女たちを描く「ゲーム」、飼い犬をさらわれた少年が犬を取り返そうと冒険するという幼年ハードボイルド小説「エッグタルトに手を出すな」、世界で最後に生まれた少年が「王様」として祭り上げられた世界をめぐるSFファンタジー「最後の王様」を収録しています。

 年少読者向けに書かれているだけに、主人公は子どもであることが多いのですが、容赦ないアンハッピーエンドが襲うタイプの話も多く、子どもにはかなりハードかもしれないですね。「見るなの鏡」「誤配」「ゲーム」あたりの結末にはびっくりする人もいるかと思います。
 どれも面白いですが、特に印象に残るのは「オオカミの時間」「誤配」「ゲーム」「最後の王様」あたりでしょうか。

 「オオカミの時間」は、内省的な少年が学校や両親との関係で悩み、オオカミのマスクをかぶって町を徘徊するという物語。電車の中で、自分と同様にずっと乗り続ける老婆に気がついた少年は彼女を跡を追いかけますが…。
 少年が世界との折り合い方を見つけると言う、内省的で哲学的な物語です。

 「誤配」は、同名の人間と間違えられ誤配されてきたピストルを手に入れた少年を描く物語。そのピストルには人をいいなりにさせる力がありました。その力を使い、少年は他人を意のままにしていきます。やがて少年は大人になり、政治家にまでなりますが…。
 強力な道具を手に入れた少年がそれを利用してなりあがっていくという物語。結末もブラックで、かなりハードな作品ですね。

 「ゲーム」では、夢の中で、ある男からピストルを渡された少年少女たちが生き残りをかけてゲームを強制されます。少年は何度かのゲームを経て最終的な勝者になりますが…
 いわゆる「デスゲーム」ものですが、異様な雰囲気でちょっと怖い作品ですね。
 夢の中ではピストルで撃たれても大丈夫とはいいながら、撃たれた子どもたちがどうなったかは触れられません。このゲームは誰が何のために行っているのか? 勝者になった少年自身にもろくな結末が待っていないという、徹頭徹尾ダークな物語です。

 「最後の王様」は、大人に生殖能力がなくなってしまい、子どもが生まれなくなってしまった世界が舞台。最後の子どもである少年は「王様」として祭り上げられ、その生活は世界中で映されていました。
 ある日図書係りとして少年のお付になった女性は、ある本を読ませますが、それをきっかけに少年は世界の秘密を知ることになります…。
 集中でも一番「童話」らしい語り口とフォーマットの作品なのですが、その物語は結構ハード。主人公である少年の背後で陰謀が進行していたことが徐々に判明していきます。 SF的なアイディアも盛り込まれており、非常にサスペンスフルな物語になっています。


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隠された世界  ダン・シモンズ『うつろな男』

 ダン・シモンズの長篇『うつろな男』(内田昌之訳 扶桑社)は、同じテレパシー能力を持つ最愛の妻を失ったテレパスの夫が彷徨を繰り返すという、ロード・ノヴェル的味わいのSFサスペンス作品です。

 35歳の数学者ジェレミー・ブレーメンは、最愛の妻ゲイルを脳腫瘍で亡くし絶望していました。この世界で始めて出会った同じテレパシー能力を持つ女性であり、最大の理解者を失ったジェレミーは投げやりになります。仕事を辞め、家に放火したジェレミーは、あてどのない旅に出ることになります。
 人気のない田舎で釣りに集中している内にようやく気分が癒え始めたジェレミーでしたが、ギャングが死体を始末している場面を目撃してしまいます。ジェレミーは、そのギャング、ヴァンニ・フッチに捕らえられてしまいますが…。

 最愛の妻を失ったテレパシー能力者の主人公が、そのショックから旅に出るという作品です。傷ついた心を癒やそうとするジェレミーですが、ギャングの犯罪現場を目撃したことを皮切りに、いろいろなトラブルに遭遇してしまいます。
 相手の心を読める能力があるため、その能力を利用してトラブルを切り抜けていくことになりますが、能力を利用したがために更なるトラブルに巻き込まれてしまうことも。

 テレパシー能力で相手の心を読むことができるとはいっても、その能力には副作用があります。常時開放していると、周りの人間の心の声が無制限に入ってきて、精神が参ってしまうのです。それに加えて、愛妻を失った事による精神バランスの混乱で、上手く能力を使うことも難しくなってしまいます。そんな状態でトラブルをどうやって切り抜けていくのか?というのも読み所になっています。
 それぞれのエピソードはどれも興趣に富んでいるのですが、中でも、資産家の独り者の女性の牧場にやっかいになるというエピソードは、特にサスペンスフル。独立したホラー作品としても秀逸なエピソードになっています。

 作品は現在のジェレミーを追うパートと、ジェレミーとゲイル夫妻の過去を語る「眼」と題されたパートから成っています。「眼」のパートでは、ジェレミー自身の研究と、ゴールドマン教授の革新的な研究から、世界の隠された秘密が明かされていきます。
 また、「眼」の語り手が何者なのかも、後半クローズアップされていくことになります。
 「量子力学」や「多世界解釈」が重要なモチーフとなっており、盛んにその話題が登場します。そのあたり、ちょっと難しいところもあるのですが、大枠の方向性がわかれば物語を楽しむのには十分だと思います。

 妻ゲイルがSF・ホラー小説のファンという設定で、作中でスティーヴン・キング『ニードフル・シングス』やアルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』を読むシーンも出てくるのは、ジャンルのファンには楽しいですね。ベスター作品に関しては、作中の展開において重要なモチーフになっていたりもします。
 作品全体にSF的な衣がつけられていますが、読み心地はどちらかと言うとホラーに近いです。「死後の魂は存在するのか?」という隠れテーマもあり、テーマ性と娯楽性とがほどよくブレンドされた良作ではないでしょうか。

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陽気な魔法たち  エドワード・イーガー『魔法半分』『魔法の湖』
 アメリカの作家エドワード・イーガー(1911~1964)のファンタジー作品『魔法半分』『魔法の湖』は、イーディス・ネズビットの影響が色濃い<エブリディ・マジック>作品。ネズビットの影響を受けた後続の作家は数多く存在しますが、作風もここまで近い作家は珍しいのではないでしょうか。
 順番に見ていきたいと思います。



エドワード・イーガー『魔法半分』(渡辺南都子訳 ハヤカワ文庫FT)

 父親を亡くし、新聞記者として働く母親と暮らす四人のきょうだい、ジェーン、マーク、キャサリン、マーサ。子供たちは、図書館でE・ネズビットの本を読み漁り、魔法が実際にあったらいいなと空想していました。ある日ジェーンは敷石のすきまに光るコインを見つけます。
 退屈していたジェーンは火事でも起こればいいのにと口に出しますが、途端に近くで庭にあったままごとの家が燃え出しているのに気がつきます。それからも不思議な事件に遭遇したきょうだいたちは、コインに触れて願えば、願いが叶うこと、ただしその願いは「半分」しか叶わないことを発見します…。

 願いを叶える魔法のコインを手に入れた子供たちを描くファンタジー作品です。作中でも言及されるように、イーディス・ネズビットのファンタジーに強く影響されている作品で、雰囲気や構造が非常に近いです。独自の要素としては、魔法が必ず「半分」の形で実現されるところでしょうか。
 例えば、どこか別の場所に移動したいと願っても、その半分の距離しか移動できなかったり、家にいたいと願ったら、存在が半分になり半透明になってしまったりと、あらゆる願いが「半分」となってしまい、それがトラブルを引き起こします。
 後半では、その「半分」のルールに気づいた子供たちが、願いに「二倍」の文言を入れることで、その不自由を解消してしまうのですが、あわてていたり、何の気なしにしゃべった言葉が実現されてしまったりするのも楽しいですね。
 日常レベルからタイムスリップまで、大小さまざまな願いが実現されますが、白眉はアーサー王宮廷にタイムスリップするエピソードでしょうか。魔法でランスロット卿をたたきのめしてしまったキャサリンが魔術師マーリンにたしなめられるなど、子供たちの破天荒な行動が描かれます。
 「ジェーンの冒険」のエピソードも面白いです。母親の再婚をめぐって弟や妹と喧嘩したジェーンが、よその家族になってしまいたいと願った結果、姿はそのままながら「もうジェーンではない子」になってしまいます。よその子になってしまったジェーンを取り戻そうと、きょうだいたちの活躍が描かれます。
 子供たちが魔法を使う契機が「ひまつぶし」や「遊戯」にあるため、その行動もいきあたりばったり。その結果、予想がつかない展開になるという意味で大変面白い作品です。ネズビット作品に比べるとライトな印象ですが、これはこれで楽しい作品だと思います。
 序盤で子供たちがネズビット作品について言及するシーンがあり、そこで具体的に言及されるのが『魔法の城』。作者イーガーもこの『魔法の城』の評価が高かったということでしょうか。




エドワード・イーガー『魔法の湖』(渡辺南都子訳 ハヤカワ文庫FT)

 『魔法半分』での魔法のコインの事件以来、魔法との関わりがなくなっていたジェーン、マーク、キャサリン、マーサのきょうだいだち。前作で知りあい、母親と再婚して義父となったスミスさんとともに、田舎の湖畔の山荘で過ごすことになります。
 湖のそばで、魔法を操る話す亀と出会ったきょうだいたちが、魔法を使ってほしいと話した結果、亀は湖に魔法をかけることになります。湖に対して願いを望めば、それが叶うというのです。様々な願いを叶えるきょうだいたちですが、それに応じて様々なトラブルも発生してしまいます…。

 今回は「魔法の湖」がテーマになっています。魔法をかけるのは亀なのですが、実際に魔法が働くのは湖を媒介した形になっています。最初は野放図に働いていた魔法を制御しようとして、子供たちは後付けで、亀にいろいろな魔法のルールを追加していくのですが、それもなかなか上手くいかない…というのも読みどころでしょうか。
 『魔法半分』同様、実現される魔法は、子供たちの純粋な遊戯のための願いが多いです。人魚や海賊が現れたり、「大きく」なってみたり、南極に行ってみたりと、娯楽に富んだ冒険が多く描かれていきます。
 大人には魔法の効果が見えないルールのため、危機を逃れようと亀に変身した子供たちが、亀の姿のまま親と一緒に移動したり、「16歳」にしてもらった女の子たちが不良少年たちにナンパされて出かけた先で、「大人」である少年たちには小さな女の子を連れているようにしか見えないなど、工夫された魔法の効果の表現にはユーモアがたっぷりです。 また、魔法の効力が「一日」のため、効果を打ち消そうとして、魔法により月を無理やり沈めてしまうなど、そのスケールの大きさも楽しいですね。
 南極に行ったものの、ずっと太陽が沈まないため、魔法の効果が切れずに帰れなくなってしまうなど、魔法のルールを上手く使った演出も光りますね。

 実はこの『魔法半分』『魔法の湖』、四部作のそれぞれ一作目と三作目になっています。登場人物が共通しているのがこの二作のため、一作目と三作目ではあるのですが、直接的な続編になっています。二作目と四作目は、一・三作目の子供たちの未来の子供たちが主人公になった作品になっているそうです。
 親の世代と子の世代が交互に活躍するシリーズになっているわけで、二作目と四作目に関しては未訳なのですが、ちょっと読んでみたいところではありますね。
 『魔法の湖』でも、子世代の子供たちが時を越えて助けに現れるシーンがあり、その部分の演出というか仕掛けも、なかなか凝っています。
 エドワード・イーガー作品、イーディス・ネズビット作品の影響が強いです。というか、ほとんどネズビットの作風そのままといってもいいぐらいです。ただネズビット作品に時折表れる「影」のような部分がイーガーにはなく、徹頭徹尾明るいのが特徴。「能天気なネズビット」といった感じでしょうか。

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名前の力  ジャンニ・ロダーリ『ランベルト男爵は二度生きる』

 イタリアの作家ジャンニ・ロダーリによる長篇小説『ランベルト男爵は二度生きる サン・ジュリオ島の奇想天外な物語』(原田和夫訳 一藝社)は、他人に名前を呼び続けてもらうことにより若返った、大富豪の老人を描く奇想天外な物語です。

 オルタ湖に浮かぶサン・ジュリオ島に広大な屋敷を構え、執事のアンセルモと共に暮らす大富豪の老人ランベルト男爵。数え切れないほどの病気を持つ男爵は、執事と共に別荘のあるエジプトに出かけますが、なぜか慌てて家に戻ってきます。
 男爵は高額の報酬で六人の男女を雇い入れ、屋根裏部屋で順番に男爵の名前「ランベルト」の名前を一日中唱え続けるように命じます。やがて男爵の体に異変が起こり始めますが…。

 他人が唱え続ける名前の魔力により若返った老貴族を描く物語です。最初は髪の毛が生えてきたり、皺が減る程度のものだったのが、病気の症状がなくなり、やがて見た目も壮健な若者になってしまいます。
 今まで興味のなかったスポーツを始めたりと、生きる活力を取り戻す男爵ですが、様々なトラブルが彼を襲います。
 財産を狙う甥に殺されそうになったり、盗賊団に家を占領されたりと、命の危険がいくつも襲ってくるのですが、名前を唱え続けてもらっている限り、実質的に男爵は「不死」なのです。

 ファンタスティックな手触りの物語ではあるのですが、盗賊団に襲われ身代金を要求される部分などは、かなりリアルです。解説文によれば、これは1970年代にイタリアで多発した誘拐事件に参考にしているとのことなのですが、物語に違和感なく溶け込んでいるあたり、ロダーリの筆力は見事ですね。

 男爵はじめ、登場人物はユーモアたっぷりに描かれています。鷹揚な男爵、心配性で傘をいつも抱えている執事、男爵の名前を唱え続ける六人の男女もちゃんと描き分けがなされています。他にも、構成員が皆ランベルトという名前の盗賊団「二十四のL団」であるとか、男爵が所有する多数の銀行からやってきた二十四の頭取と二十四人の秘書などに至っては抱腹絶倒です。

 次にどうなってしまうのか予測がつかず、物語の楽しみを味あわせてくれる作品です。「童話作家」ロダーリの晩年の作品で、もちろん子供が読んでも楽しめますが、むしろ大人向けの作品といっていいのではないでしょうか。

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イナゴの降った日  デイヴィッド・ガーネット『イナゴの大移動』

 デイヴィッド・ガーネット『イナゴの大移動』(池央耿訳 河出書房新)は、荒野に不時着した男の苦難を描く、奇妙な味わいのサバイバル小説です。

 夫亡き後に富裕となった未亡人リリー・ビーンランズは、恋人のウィルモット・シャップ中佐と共に飛行機に乗って長距離飛行の記録に挑もうと考えます。彼らは操縦士として経験豊かなジミー・リークスを雇うことになりますが、シャップとリークスは互いに馬が合っていませんでした。
 イギリスから飛び立った彼らは順調に飛行していきますが、アジアの上空で飛行機が故障し墜落してしまいます。三人とも命に別状はありませんでしたが、墜落した場所は周りに人家も動物もいない不毛の土地でした。幸いそばに小川があったため、水だけは確保できるものの、食料はほとんどありません。
 足を痛めたリークスを残して、リリーとシャップは救援を求めて出かけます。何日経過しても二人は戻ってこず、リークスは飢えに襲われつつありました…。

 幻想的な変身小説『狐になった奥様』で知られるイギリスの作家、デイヴィッド・ガーネット(1892-1981)の長篇です。不毛の地に不時着し、一人取り残された男の飢えと精神的な孤独を描くサバイバル作品となっています。
 主人公ジミー・リークスが飢えと暑さに苦しめられるという、リアリスティックな話ではあるのですが、どこか空想的な雰囲気が感じられるのは不思議です。後半には、タイトルにあるようにイナゴの大群に遭遇することになるのですが、それらが「外敵」ではなく「食料」になってしまうのは非常にユニーク。

 飢えた主人公に感情移入していると、彼が食べているイナゴが美味しそうに見えてきてしまいます。食べなれてきたリークスがイナゴの調理法に凝り出したりするところは妙なユーモアがありますね。「イナゴの群れ」というと天災の象徴的なイメージがありますが、本作では逆に「天恵」になっています。

 この作家の作風といっていいのでしょうか、超自然的な要素はないものの、どこか幻想的な要素の漂う作品になっており、その題材のリアルさと相まって、奇妙な味わいの作品になっています。「イナゴ小説」(というジャンルがあるかわかりませんが)の傑作です

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盗みは精確に  マシュー・ディックス『泥棒は几帳面であるべし』

 マシュー・ディックス『泥棒は几帳面であるべし』(高山祥子訳 創元推理文庫)は、タイトル通り、几帳面な泥棒を描いたユニークなサスペンス小説です。

 青年マーティンは、泥棒を生業にしていました。泥棒といっても、大掛かりなものではなく、日用品や食品など、なくなっても気付かれにくいものをメインに盗みを行っています。しかも盗みに入るのは特定の家庭のみに限定されていました。
 ターゲットは、裕福で子供のいない夫婦。しかも裕福すぎず、品物に頓着しない性格だとなお良いのです。マーティンは時には数ヶ月から半年もかけて、ターゲットを調査してから仕事にかかるのです。夫婦の性格や仕事、場合によっては近所の住人の情報まで調べます。
 ターゲットを知り、何年も彼らの家に出入りするうちに、マーティンは住人たちを「友人」と見なすようになっていました。ある日「お得意」のひとつ、クレイトン家に侵入したマーティンは、ふとしたことから、クレイトン夫人の歯ブラシを便器に落としてしまいます。
 夫人に汚い歯ブラシを使わせるわけにはいかないと考えたマーティンは、新品の歯ブラシを購入し入れ替えようとしますが、折悪しくクレイトン夫妻が帰宅してしまいます…。
 人間関係が苦手な青年が選んだ仕事は「泥棒」でした。しかもその仕事は几帳面で、住民は何年もの間、品物が盗まれたことすら気付かないという徹底ぶり。家や住人に親しみを覚えていくうちに、彼らを友人と見なすようになった青年は、ある出来事をきっかけに「善行」をしようと考えるようになるのです。

 最初から最後まで、非常に几帳面な泥棒の仕事ぶりが丁寧に描写されていきます。実際に実践できるのではないかというぐらいの丁寧さです。正直、結末近くになるまで事件らしい事件は起きないのですが(泥棒自体犯罪ではあるのですが)、泥棒仕事の細かな描写だけで面白く読めてしまいます。

 主人公が家の住民に見つかりそうになるとか、買った歯ブラシを入れ替えるのに間に合うのかとか、ある種「小ぶりな事件」でサスペンスを保たせるのはすごいですね。そんな「地味な」人生を送っていた主人公が「冒険」を決断したとき、彼の人生を変えるような事件が起こるのです。

 読者を「笑わせ」ると同時に「泣かせる」という、豊潤な味わいの小説です。2013年に邦訳が刊行されており、あまり話題にならなかったようですが、これはすごく良い作品だと思います。「泥棒」の「仕事ぶり」が丹念に描かれるというユニークな作品です。

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プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』を2019年8月に刊行しました(完売しました)。
「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」、同人誌『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』を盛林堂書房さんで通信販売中です。



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