君は自由なんだ  ジェニファー・イーガン『古城ホテル』
4270003197古城ホテル
子安 亜弥
ランダムハウス講談社 2008-03-20

by G-Tools

 ある男が構想した独創的なホテル。それは「想像力」によって癒しを与えるホテル。しかしホテルの予定地である、その古城にはいわくがあったのです…。
 ジェニファー・イーガン『古城ホテル』(子安亜弥訳 ランダムハウス講談社)は、二つの物語が交錯する、「想像力」と「再生」の物語。
 主人公ダニーは、30代も半ばを過ぎて、何事もなせない自分に忸怩たる思いを感じていました。そんな彼がたのみにしているのは、幸運のシンボルの「ラッキーブーツ」と、他の人間とつながっていることを感じさせてくれる「携帯電話」だけでした。
 そんなある日、数十年ぶりに、いとこのハワードから連絡が入ります。成功を収め、莫大な財産を築いたハワードは、ヨーロッパのある古城を買い取り、そこにホテルを建てる計画をあたためているというのです。そしてその手伝いをしてもらいたい、とも。
 行き詰まっていたダニーは、一も二もなく引き受けますが、不安をも感じていました。かっては仲のよかった二人が、疎遠になるきっかけを作った、少年時代のある事件。ハワードは自分に復讐をしようとしているのではないか…?
 やがてたどり着いた古城は、電波も通じない辺境の場所にありました。ダニーの命綱である携帯電話が通じないことを手始めに、超自然的な出来事がダニーを襲います。ダニーは精神的に追いつめられ、城から逃げ出そうと考えますが…。
 もともと精神的な不安定さをかかえる青年ダニーが、古城の超自然的な現象によって、さらに精神を病んでいく…という、典型的な「幽霊屋敷」テーマで始まるこの物語。じつは序盤すぐに、この物語が、作中人物によって書かれた「小説」であることが明らかになります。
 刑務所に服役する男レイ・ドブズが、更正プログラムの一環である創作クラスで書いた作品なのです。死んだような生活を送っていたレイに小説を書くきっかけを与えたのは、講師である女性ホリーでした。ホリーに読んでもらいたいがために必死で書いた小説は、やがて他の囚人たちをも魅了し始めます。しかし、囚人たちの間で「小説」をめぐり、軋轢もまた起こり始めるのです…。
 この作品、「21世紀のゴシック・ゴースト・ストーリー」という謳い文句から、本格的な「幽霊」小説、「怪奇」小説を期待しがちですが、じつは主眼はそこにはありません。たしかに超自然的な現象は起こります。死んだ双子、年齢不肖の男爵夫人、地下牢、と雰囲気も題材も「怪奇」小説のそれなのですが、それにもかかわらず、主眼は、登場人物たちの人間ドラマにあるのです。
 そして、この作品の題材である「古城ホテル」。作中作内で、ハワードが構想する古城ホテルのコンセプトもなかなか興味深いものです。

 そう、僕の使命は想像力を呼び覚ますことなんだ。人を自分自身の想像の旅人にさせる。

 娯楽産業にイメージを与えられることに慣れきった人々に、自分で想像する能力をよみがえらせる、というコンセプトなのです。そしてこれはまた、この物語全体のテーマでもあります。
 何かになりたくて、しかし何者にも成りきれない未成熟な大人ダニー。少年時代の傷をかかえるハワード。ハワードの親友でありながら、彼の妻との不倫に悩む側近ミック。
 そして、枠となる物語の方でも、友人を殺したという、小説の語り手レイ。子どもの死と麻薬に溺れた過去を持つ教師ホリー。二つの物語に登場する、ほぼ全ての人物が、何らかの重い過去を背負っています。そして彼らが、古城での体験、小説作りの過程において、過去の傷やトラウマを克服するのもまた「想像力」なのです。その意味で、結末付近でレイがホリーに語る言葉は、重要な意味を感じさせます。

 「分からないのか? 君は自由なんだ」

 作品の後半、互いに平行して進められてきた二つの物語が交錯し始めます。フィクションであったはずの物語が、やがて現実の物語へと結びつくのです。レイが殺人を犯した理由とは何なのか? そしてレイの書いた物語はまた、ホリーの心をも変えていくことになるのです。
 謳い文句のような「幽霊」小説、「怪奇」小説とはニュアンスが異なる作品なのですが、人間の「過去」と「再生」の物語として、じつに読みごたえのあるドラマです。結末も、単純なハッピーエンドでこそありませんが、希望を残す肯定的なもの。
 物語の構成上、作中作の途中で中断が入ったり、いきなり語り手が顔を出したりと、読者がいまどちらの物語を読んでいるのか、わかりにくくなるところも多々あるのですが、それもまた、この作品の魅力の一端ともなっています。
 「ホラー」小説だと思って、手に取らないのはもったいありません。ジャンルとは関係ない、一編の「小説」として、多くの人に読んでいただきたい作品です。
 

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

乱歩大正浪漫  東 元『江戸川乱歩怪奇短編集 赤い部屋』
赤い部屋江戸川乱歩怪奇短編集~赤い部屋 (ヤングジャンプコミックス)
東 元
集英社 2008-07-18

by G-Tools

 現在でも人気のある江戸川乱歩作品。映像化作品をはじめ、漫画化作品も数多く出版されてきました。ですが、私見によれば、今までの漫画化作品は、乱歩作品の怪奇性・官能性を強調したタイプの作品が多かったように思います。最近の作品から挙げると、丸尾末広 『パノラマ島綺譚』(BEAM COMIX エンターブレイン)などは、その最たるものといえるでしょう。
 もともとの乱歩作品自体に、そういう要素が強いのは事実なので、それはそれでひとつの方向性だとはいえます。
 今回、乱歩作品の漫画化を担当したのは、東 元。大正時代を舞台にした作品には定評のある作者です。たおやかな描線で描かれた、今回の漫画化作品『江戸川乱歩怪奇短編集 赤い部屋』(ヤングジャンプコミックスBJ 集英社)は、今までの漫画化作品よりも、より繊細で、ロマン性の高まった作品集に仕上がっています。
 原作として取り上げられているのは、主に初期短篇です。収録作品のタイトルを挙げておきましょう。

 『百面相役者』
 『双生児』
 『人間椅子』
 『鏡地獄』
 『人でなしの恋』
 『赤い部屋』

 基本的には、原作に忠実な漫画化となっていますが、いちばんの特色としては、全体が枠物語のかたちになっているところでしょうか。この世の快楽に倦み果てた会員たちが集う、秘密倶楽部「赤い部屋」を舞台に、毎回ゲスト会員たちが、自身の物語を語る、という構成の連作短編集となっています。
 もちろん乱歩作品であるので、猟奇的な事件が起こるわけですが、それらの事件よりも、より印象に残るのは、たおやかな女性像です。『人間椅子』に登場する女性作家、『鏡地獄』のお手伝いの女性、そして『人でなしの恋』の人妻…。「妖艶」というよりは「清楚」といった方がふさわしい女性たちには、とても魅力があります。
 その点でより魅力的なのは、冒頭に置かれた作品『百面相役者』でしょう。まるで本物としか思えない、複数の人物に化ける、美貌の女役者を描いたこの作品、女役者のみならず、作中で描かれる芝居の雰囲気も巧みで、見事な出来になっています。
 そう、作品を通して、大正時代の雰囲気が上手く醸成されているのにも感心しました。そしてそれがいちばんよく出ているのが、最後に置かれた『赤い部屋』です。絶対に捕まらない「プロバビリティー(可能性)の犯罪」を追求した青年が、最後に選んだ犠牲者とは…。
 夜の都会を背景に、秘密倶楽部の終焉を描いたこの作品、結末の付け方も絶妙なのですが、最後から1ページ前、見開きで描かれる夜の風景の美しさは絶品!
 上記でもふれたように、この作品集、猟奇性はあまり強くありません。それゆえ、乱歩独特のどろどろとした情念はあまり感じられないのですが、そのかわり、透明感のあふれるロマン性の強い作品集になっています。
 初期短篇を中心に集めたのも、「大正浪漫」という、この作品集のテーマにマッチするがゆえでしょうか。乱歩作品の新たな魅力を描き出した、という点でも、出色の作品といえるでしょう。ぜひ、続きのシリーズも描いていただきたいですね。
 参考に、著者のホームページアドレスを貼っておきます。画風を見てみたい方はどうぞ。
http://www3.ocn.ne.jp/~azumagen/

8月の気になる新刊
8月4日刊 T・S・ストリブリング『カリブ諸島の手がかり』(河出文庫 予価998円)
8月6日刊 『文豪怪談傑作選 小川未明集 幽霊船』 東雅夫編(ちくま文庫 予価945円)
8月上旬予定 都筑道夫『ポケミス全解説』(フリースタイル 予価2310円)
8月中旬刊 ドナルド・A・スタンウッド『エヴァ・ライカーの記憶』(創元推理文庫 予価1470円)
8月中旬刊 パトリシア・A・マキリップ 『ホアズブレスの龍追い人』(創元推理文庫 予価1155円)
8月21日刊 広瀬正『ツィス』(集英社文庫)
8月25日刊 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『たったひとつの冴えたやりかた』(早川書房 予価1050円)
8月25日刊 野田昌弘『スペース・オペラの読み方』(ハヤカワ文庫JA 予価840円)
8月下旬刊 D・M・ディヴァイン『ウォリス家の殺人』(創元推理文庫 予価903円)
8月下旬刊 M・ジョン・ハリスン『ライト』(国書刊行会 予価2730円)
8月刊 アレクサンドル・デュマ『メアリー・スチュアート』(作品社 予価2200円)

 本来なら、創元あたりから出そうなストリブリングの文庫化『カリブ諸島の手がかり』は河出文庫から出版。
 都筑道夫『ポケミス全解説』は、以前から予告が出たり消えたりしていましたが、今回はようやく出そうな感じですね。
 ドナルド・A・スタンウッド『エヴァ・ライカーの記憶』は、以前文春文庫から出ていたものの復刊でしょうか。
 今月に引き続いて、広瀬正『ツィス』が出ます。これ順当にすべての作品を復刊するのでしょうか。
 ティプトリー『たったひとつの冴えたやりかた』は、改訳単行本版だそうですが、何かオマケがあるなら気になりますね。
天使の誘惑  トム・リーミイ『サンディエゴ・ライトフット・スー』
サンディエゴサンディエゴ・ライトフット・スー (サンリオSF文庫)
トム・リーミイ
サンリオ 1985-10

by G-Tools

 わずかな作品を残し、早逝した作家トム・リーミイ。しかし彼の作品は、レイ・ブラッドベリにも通じる叙情性、そしてブラッドベリにはない官能性をもたたえた、珠玉のファンタジーとなっています。
 短編集『サンディエゴ・ライトフット・スー』 (井辻朱美訳 サンリオSF文庫)には、そんなリーミイの佳作が収められています。いくつか紹介していきましょう。

 『トウィラ』 ミス・メイハンの教室にやってきた転校生の少女トウィラ。愛らしい容姿、娘を溺愛しているらしい両親。なにも問題はないように思えたものの、ミス・メイハンは、どこか嫌な気持ちを抱きます。やがてトウィラは、クラスメイトたちの間に軋轢を起こしはじめます。その矢先、ある少女が強姦されて殺されているのが発見されますが…。
 小悪魔的な魅力を持つ少女が、学校を引っ掻き回す、という類いの話かと思って読んでいると、驚くべき展開に! 少女トウィラの背後には、とんでもない存在がいることが明らかにされます。ホラーとファンタジーの境界線上の作品です。

 『ハリウッドの看板の下で』 事故現場に必ず現れる謎の美少年。しかも彼らは、ひとりではなく何人もいるようなのです。その人間離れした美貌に惹かれた「俺」は、彼らのひとりを捕まえ監禁しますが…。
 人間とは思えない美少年の正体とは…? 露骨といっていいほどの性的な要素を含んだ作品ながら、まったく先の読めない展開には、驚かされることでしょう。

 『亀裂の向こう』 ある日突然、一定の年齢以下の子どもたちが、大人を襲い、殺戮をはじめます。やがて姿を消した彼らは、ふたたび町を襲撃します。なんとか撃退したものの、後に残された死体から、子どもたちは性的に成熟し、子孫を残せるまでに変化していることが明らかになります…。
 子どもたちが、突然「怪物」というか「ミュータント」化して、大人を襲い始めるというパニック・ホラー小説。直裁的な暴力描写といい、物語の盛り上げ方といい、じつに手慣れた筆致の作品です。長編化しても面白くなりそうな作品ですね。

 『サンディエゴ・ライトフット・スー』 母親の死をきっかけに、田舎からロサンジェルスにやってきた、15歳の少年ジョン・リー。彼は、絵を描いているという、美しい中年女性スーと出会います。やがて二人は恋に落ちますが、スーの元恋人に殺されそうになったジョン・リーは、成り行きから彼を殺してしまいます。裁判所の命令によって引きはなされてしまったことに加え、ふたりの年齢差に悩むスーは、あることをしようと考えますが…。
 純真無垢な少年と、初老の域に入ろうとする女性。年齢差のある二人の恋を、ほろ苦く描いた純愛物語です。純粋なラブ・ストーリーとしても出色の出来ですが、物語の要所要所に散りばめられた、ファンタジー的な要素が、物語の完成度を高めています。
 そしてこのファンタジー的な仕掛けが、切なすぎる結末を導き出すのです。刹那であるがゆえの永遠の恋…。リーミイの最高傑作といっていい作品でしょう。

 『ウィンドレヴン館の女主人』 ロマンス小説作家アグネスは、本がようやく売れ始めたことに安堵したものの、失業中の夫のコンプレックスからくる、夫婦間の軋轢に心を痛めていました。やがてアグネスは、現実から遊離して物語の中に没入していきますが…。
 苦しい現実生活から、フィクションの世界に逃げ込んでしまう女性の物語。物語の地の文と、作中作とが、技巧的に描き分けられています。

 『デトワイラー・ボーイ』 私立探偵バート・マロリーは、知り合いが殺されたことから、殺人事件の輪の中に巻き込まれてしまいます。やがて、殺人が起きた場所の近くには、かならず一人の青年がいたことが明らかになります。純粋な性格ゆえに、周りの人間から愛されている青年デトワイラーには、しかしある欠点がありました。背中に瘤がある、せむしだったのです。デトワイラーを疑うマロリーは、彼にはいつもアリバイがあること、そしてマロリー自身がデトワイラーに好意を抱きつつあることに、困惑を覚えます…。
 異形の青年デトワイラーの秘密とは…? ハードボイルド風ファンタスティック・ストーリー。

 『琥珀の中の昆虫』 家族と車で出かけている最中、嵐のために足どめを余儀なくされた少年ベン。居合わせた人々とともに、最寄りの邸に避難した彼らでしたが、その邸にはいわくがありました。五十年前に住んでいた家族が忽然と消えたのです。突然、ベンはいわれのない恐怖感に襲われますが…。
 嵐の夜、邸に閉じ込められた数人の男女。そして邸に起こる超自然的な現象。典型的なゴシック・ホラーの筋立てかと思いきや、後半にはB級SFになってしまいます。前半の雰囲気醸成が上手かっただけに、後半の展開には少しガッカリしてしまうかもしれません。

 『ビリー・スターを待ちながら』 恋人と車で立ち寄ったレストランで、男に置き去りにされてしまったスザンヌ。行く当てのない彼女は、やがてそのレストランでウェイトレスとして働き始めます。その美しさから、いろいろな男たちから声をかけられるスザンヌでしたが、彼女は頑なに自分を捨てた恋人「ビリー・スター」を待ち続けます…。
 恋人に捨てられた女がひたすら男を待ち続けるという、一見、普通小説的な作品。シンプルな筋立てながら、味わいのある小品です。

 リーミイ作品の特徴は、物語がいかにファンタスティックなものであれ、そこに性的な要素が強いこと。そしてその最たるものが、いくつもの物語に登場する「天使」です。これは実際に「天使」であることもあるし、「天使のような」純真な青年として現れることもあります。どちらにせよ、本来「天上的存在」で性を持たないはずの「天使」が、リーミイ作品では、実在的な「肉体」を持って現れてくるのが特徴です。
 「肉体」といえば、『亀裂の向こう』『デトワイラー・ボーイ』に登場する殺人や暴力の描写も、かなり直裁的で、その意味でも「肉体」が強い要素となって現れています。それらの性的・肉体的な要素、言うならば現実的な要素が、SF・ファンタジー的な要素と違和感なく同居しているのが、リーミイの最大の魅力といっていいかもしれません。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

夢見る家と夢見られる人  内田善美『星の時計のLiddell』
リデル1 リデル2 リデル3

 現在でも「漫画は芸術なのか?」という問題が、取沙汰されることがありますが、この作品に限っては、無条件で「芸術」だと言い切ってしまってもいいのではないでしょうか。
 詳細に描き込まれた美麗な絵柄、哲学的なテーマ、そして幻想的、詩的な物語。内田善美『星の時計のLiddell』(集英社)は、漫画作品の一つの極致を示すものといっていいでしょう。
 青年ヒューは、長い間、同じ夢を見ていました。そこはいつも必ず同じ場所、ヴィクトリアン・ハウスの屋根裏部屋なのです。そしてその家で、彼は美しい少女と出会います。少女の名は「リデル」。彼女は、彼のことをなぜか「幽霊さん」と呼びます。
 行ったことのないはずの家を、なぜこうも繰り返し夢に見るのだろうか? 裕福な友人ウラジーミルの助けを借り、二人は夢の中の家を探すために、旅に出ますが…。
 ヒューが主人公ではあるのですが、全体を通して、物語は友人ウラジーミルの視点から語られます。屈託がなく、天真爛漫なヒューに対して、ウラジーミルは故国を失い、どこにも自分の故郷がないと感じている青年です。このウラジーミルを語り手にすることによって、ヒューの体験する「夢」にも、客観的な距離感が置かれており、絶妙なリアリティを出しています。
 上に記したあらすじで「旅に出る」と書きましたが、物語がそこまで来るのに、ほぼ全体の3分の2が費やされています。このことからもわかるように、あまり展開に動きのある作品ではありません。ヒューの「夢」に対する、人々の解釈や、周りの人々の微妙な心の揺れ動きの描写などが、大部分を占めています。
 物語の基本的なアイディアは、作品内で言及される、荘子の「胡蝶の夢」と同じものです。ちなみに、「胡蝶の夢」は、荘子が蝶になった夢を見て、自分は蝶になった夢を見た人間なのか、それとも人間になった夢を見た蝶なのか自問する、という寓話です。つまりヒューが「家」や「少女」を夢見ているのか、それとも逆なのか、ということです。
 じつは、この『星の時計のLiddell』そっくりの小説があります。それは、アンドレ・モーロワ『夢の家』(矢野浩三郎訳 各務三郎『世界ショートショート傑作選1』講談社文庫収録)という作品です。
 ある家を繰り返し夢に見ていた男性が、あるとき夢と同じ家を見つけて訪ねる、という話。とくに明記されているわけではないのですが、『星の時計のLiddell』は、この作品からインスピレーションを得たのではないかと、個人的には考えています。もちろん二つの作品はまったくの別物、というかモーロワ作品の方は、ちょっとしたショート・ショート作品であって、この掌編から、あの雄大な物語を作り出したとするならば、やはり作者は天才と言わざるを得ません。
 物語後半、ついにヒューとウラジーミルは「夢の家」を発見します。「夢」の少女の正体とは? ヒューと少女は会うことができるのでしょうか? そして、それまで「傍観者」として事態を見てきたウラジーミルもまた、自分が「傍観者」などではなく、壮大な「物語」の一部であったことを悟るのです。
 結末自体は、はっきりと示されるわけではなく、解釈に迷うところもあるのですが、それも含めて、余韻をたたえた素晴らしいものです。おそらく再読、三読したときに、その素晴らしさがわかる作品でしょう。
 作者の内田善美は、完璧主義といっていいほど、手抜きのない美しい絵で知られた漫画家ですが、現在ではすべての作品が絶版になっています。作者自身が、自分の作品の再版を拒否しているとのことです。そのため、新刊で手に入れることはできないのですが、この作品だけでも、ぜひ再版していただきたいですね。
切ない夏  マイクル・コーニイ『ハローサマー、グッドバイ』
4309463088ハローサマー、グッドバイ (河出文庫 コ 4-1)
山岸真
河出書房新社 2008-07-04

by G-Tools

 今はなきサンリオSF文庫から刊行され、SF青春恋愛小説として、カルト的な人気を得ていたマイクル・コーニイの『ハローサマー、グッドバイ』(山岸真訳 河出文庫)が、新訳で刊行されました。
 舞台は太陽系外のどこかの惑星、登場人物は全てが異星人です。ただし、異星人といっても、外見も考え方も、ほとんどが人間とそっくり、という設定であり、つまりは異星を舞台にした人間たちの物語、として読むことができます。
 この星には、二つの大きな国、エルトとアスタがありました。エルトの高官の息子ドローヴは、父親の仕事の関係で、夏の休暇の間、港町パラークシを訪れます。ドローヴは、ほのかな恋心を寄せていた、少女ブラウンアイズとの再会を楽しみにしていました。
 念願のブラウンアイズとの再会を果たしたドローヴでしたが、折しも、隣国アスタとの戦争が勃発し、政情は不安になりつつありました。それに伴い、以前から政府に不信感を抱いていた、パラークシの住人たちと政府との対立も深まっていきます。
 下層階級であるブラウンアイズと、息子がつきあうことを喜ばない両親。ドローヴにほのかな思いを寄せる、パラークシのリーダー的存在ストロングアームの娘リボンとの複雑な関係。やがて惑星規模の陰謀が進められるなか、ドローヴとブラウンアイズも否応なく、巻き込まれていきますが…。
 思春期を迎えた、少年と少女の淡い恋を描いた青春小説。これが序盤を読み進めている間の印象です。その意味で、かなりシンプルな構造の作品ではあります。しかし、二人の中を引き裂く戦争の影や周囲の無理解、そして、それに翻弄される主人公たちの微妙な心の揺れ動きなど、それだけで充分読みごたえがあります。
 加えて、異星の自然や動物たちのみずみずしい描写が、物語に彩りを添えています。異星だけに、その環境も地球とは異なるため、作中でもかなりのページを費やして、描写がされています。そして、それらが結末の伏線にもなっているところが、じつに心憎い。
 きな臭い戦争や、ほのめかされる陰謀を背景に、ゆるやかに進んでいた物語は、後半に至って急展開を迎えます。互いに気持ちを確かめあったドローヴとブラウンアイズはしかし、自分たちだけではどうすることもできない巨大な障害により、引き離されてしまうのです。二人を襲う絶望的なまでの状況と、ほのかに見える希望の光。
 純粋な青春小説、恋愛小説としてみても、充分に魅力的な作品なのですが、舞台を「異星」にした必然性が、最後の最後で明かされるという大仕掛けが待っています。ここに至って、この物語が「SF」であったことがわかるのです。
 作者も序文で語っているように、恋愛小説であり、戦争小説であり、SF小説でもある。多くの要素が渾然一体となった、傑作と呼ぶにふさわしい作品です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

7月の気になる新刊
7月8日刊 マイクル・コーニイ『ハローサマー、グッドバイ』(河出文庫 予価893円)
7月9日刊 東雅夫編『文豪怪談傑作選・特別篇 文藝怪談実話』(ちくま文庫 予価945円)
7月10日刊 C・L・ムーア『シャンブロウ』(論創社 予価2310円)
7月15日刊 三津田信三『忌館 ホラー作家の棲む家』(講談社文庫 予価750円)
7月18日刊 広瀬正『マイナス・ゼロ』(集英社文庫 予価800円)
7月中旬刊 中井英夫『幻戯』(出版芸術社 1575円)
7月22日刊 スコット・パック『題名のない本 上・下』(仮題)(PHP研究所 予価各1785円)
7月24日刊 『綾辻行人と有栖川有栖のミステリ・ジョッキー』(講談社 予価1680円)

 今月一番の要注目本は、やはりマイクル・コーニイ『ハローサマー、グッドバイ』でしょう。かって、サンリオSF文庫から何冊か訳書が出たものの、文庫レーベルの消滅にともなって、全訳書が絶版になっていました。なかでも本書は、SF青春小説として、名のみ高くなっていたものです。他の作品も復活を期待したいところですね。
  〈ダーク・ファンタジー・コレクション〉の新刊は、C・L・ムーア 『シャンブロウ』。予告では、C・L・ムーアの短編集となっていたので、ノンシリーズ短編集かと思っていたんですが、スペース・オペラ「ノースウエスト・スミス」シリーズの新訳のようです。
 三津田信三 『忌館 ホラー作家の棲む家』は、かってノベルスで出ていたものの文庫化です。メタフィクション的な趣向を使った怪奇小説で、なかなかの佳作なので、未読の方はぜひ。この作品に限らないんですが、三津田信三作品にはたいてい、ホラーの蘊蓄が出てきたり、引用がされたりと、この手のジャンルのファンには、より楽しめる作品になっていることが多いんですよね。
 馴染みのない作家名なんですが、少し気になるのが、スコット・パック『題名のない本 上・下』。内容は、「街で起きた怪事件の被害者はみな、この 『題名のない本』 を図書館で借りていた…」というもの。どうやら本にまつわるミステリかホラーのようです。本好きとしては、そそられますね。


プロフィール

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主催。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する