たらいまわし本のTB企画第41回「私家版・ポケットの名言」
 恒例の企画『たらいまわし本のTB企画』第41回が始まりました。今回の主催者は「ソラノアオ」の天藍さん。そして、テーマは「私家版・ポケットの名言」です。

本の海から掬い上げた、「打ちのめされた」一言、「これがあったからこの本を最後まで読み通した」という一行、心震えた名文・名訳、名言・迷言・名台詞、必読の一章…、そういった「名言」をご紹介くださったらと思います。

 いや、今回は難しいですね。最近読んだ本はともかく、読んでから時間がたった本は、物語全体の印象とか、キャラクターの魅力なんかで、記憶に残っているので、特定の一文、というのは、なかなか思い付きませんが、挑戦してみましょう。
 ただ、いわゆる古典や名作の中から引用しても面白くないので、自分の記憶に残った物語の断片、を挙げるような形でやってみたいと思います。とりあえず、まずはこれ。



動物園の麒麟


男性の郵便切手が、はりつく前に
すばらしいことを体験した
彼はお姫様になめられた
そこで彼には恋が目覚めた


ヨアヒム・リンゲルナッツ『郵便切手』(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)

 なんと「お姫様になめられた切手のはなし」です。引用部分から後、さらに皮肉な運命が待っています。
 ヨアヒム・リンゲルナッツは、20世紀初頭に活躍したドイツの詩人。ナンセンスとユーモアにあふれた詩と残しました。「詩」といっても、読めば具体的なイメージがわくような「散文詩」といった方が近いような作品が多く、詩に抵抗のある人でも読みやすいと思います。
 この人の作品で素晴らしいのは、その奇想天外なイメージと同時に、どこか哀愁や情緒を感じさせるところでしょう。そして、こんなに短い文章で、これだけの「物語」を予感させてくれるとは! 今でいえば「超短篇」に近い味わいの作品ですので、興味を持たれた方はぜひ。



4622080567悪戯の愉しみ (大人の本棚)
アルフォンス アレー Alphonse Allais 山田 稔
みすず書房 2005-03

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問題のひげというのは、パリでも有数のひげのひとつだったと仮定しよう。そしてもうその話はよそう。

アルフォンス・アレー『ひげ』(山田稔訳『悪戯の愉しみ』みすず書房収録)

 おふざけの名手、アルフォンス・アレーの作品のなかでも、人を食った書き出しでは、いちばんに挙げたい作品。立派なひげを持ちながら無頓着だった男が、ひげを気にし出したことから…という、内容自体はたいしたことのないユーモア・コントなのですが、書き出しの一文の楽しさといったら!



ミステリーゾーン3ミステリーゾーン〈3〉 (文春文庫)
リチャード マシスン 矢野 浩三郎
文藝春秋 1989-11

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顔に笑いをはりつけたままのサルバドア・ロスにむかって、老人は引鉄をひいた。ためらいも、なさけも、やさしさもなく。

ヘンリー・スレッサー『サルバドア・ロスの自己改良』(矢野浩三郎訳『ミステリーゾーン3』文春文庫収録)

 自己中心的な青年サルバドア・ロスが手に入れた悪魔的な能力。それは、他人の持っているものと自分の持っているものとを交換する能力でした。しかも、それは物質的なものに限らないのです。富と、そして誠実な人格まで手に入れた青年が直面する皮肉な結末とは…?
 引用しただけで、結末のネタがバレてしまうのですがご勘弁を。これは文章のレトリックに非常に感心した一編です。



世界ショートショート1

それは赤いバックラム装釘の痛んだ古本。モーティマーが十二歳のときに父親の書斎にある本棚の上段で見つけたものだった。

アルフレッド・ノイズ『深夜特急』(高見沢芳男訳 各務三郎編『世界ショート・ショート傑作選1』収録)

 少年モーティマーが、書斎で見つけた痛んだ古本。それは「深夜特急」と題された本でした。興味を惹かれた彼は、その本を読み始めますが、あるページに差し掛かると、突然怖くなって本を閉じてしまいます。それから何度もその本を読み続けようとしますが、あるページに来ると、それ以上読み進めることができないのです…。
 特定のページ以上に読みすすめることのできない謎の本とは…?大人になった少年は再びその本に出会うのですが…。
 想像力をテーマにした、怪奇幻想小説の名作です。かなり短い掌編ながら、プロローグとエピローグがつながる、その構成の技巧にはうならされるはず。引用したのは冒頭の一行ですが、結末でも同じ文章が効果的に使われています。



戦慄のハロウィーン
戦慄のハロウィーン
アラン ライアン 仁賀 克雄
徳間書店 1987-10

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目覚めると、夜だった-まだハロウィーンの夜。月は動いていなかった。

 マイケル・マクドウェル『ミス・マック』(仁賀克雄訳 アラン・ライアン編『戦慄のハロウィーン』徳間文庫収録)

 豪快で魅力的な女性教師ミス・マック。彼女の親友であるジャニスに思いを寄せる校長は、ミス・マックを疎んじ、魔女の噂のある母親の力を借りて、彼女に呪いをかけてしまいます…。
 女性教師が永遠の夜の森に閉じ込められてしまうという、戦慄度では比類のない作品です。引用した「月は動いていなかった」という文章が作中のところどころで繰り返され、効果を上げています。この女性教師が、変わり者ながらとても魅力的に描かれているだけに、結末の暗さも際立ちます。



失われた部屋失われた部屋 (1979年)
大滝 啓裕
サンリオ 1979-03

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いまは、なにもかもが見える。すべてが同時に、それもぞっとするほどありのままに。

 フィッツ=ジェイムズ・オブライエン『世界を見る』(大瀧啓裕訳『失われた部屋』サンリオSF文庫収録)

 才能のなさに絶望した青年詩人シプリアーノは、奇跡を起こすとまで言われた医者セジリウスに助けを求めます。セジリウスは悪魔的な手段を使い、彼に絶大なる能力を授けます。しかし、その能力には大きな代償があったのです…。
 すべてを理解する能力を得たために、偉大な文学作品や音楽に価値を認めることができなくなった青年詩人。最愛の女性でさえ、ただの血のかたまりにしか見えなくなってしまった男の皮肉な物語です。


最後はシオドア・スタージョンの作品で。


4309621821不思議のひと触れ (シリーズ 奇想コレクション)
シオドア・スタージョン 大森 望
河出書房新社 2003-12-22

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-どんな孤独にもおわりがある。いやというほど長いあいだ、いやというほど孤独だった人にとっては。

シオドア・スタージョン『孤独の円盤』(大森望訳『不思議のひと触れ』河出書房収録)

 ある日、宇宙から飛来した「円盤」に接触した女性のふしぎな物語。「円盤」を「孤独」の象徴に使うなんて、スタージョン以外のだれが思い付くでしょうか。
 ベタな「感動もの」と言われてしまいそうですが、これは外せません。スタージョンの作品は、作品が一見どんな「衣」をまとっていても、その中心には「愛」というテーマが隠されているといっていいのですが、この『孤独の円盤』では、そのメッセージがより読者に近い感じで伝わってくる、という点で、スタージョン作品のなかでも力強い一編です。
 
2月の気になる新刊
2月6日刊 北村薫・宮部みゆき編『名短篇、さらにあり』(ちくま文庫 予価819円)
2月7日刊 ロバート・ルイス・スティーヴンスン『宝島』(光文社古典新訳文庫)
2月7日刊 式貴士『カンタン刑 式貴士怪奇小説コレクション』(光文社文庫)
2月7日刊 稲垣足穂『足穂拾遺物語』(青土社 予価3990円)
2月上旬刊 綾辻行人『深泥丘奇談』(メディアファクトリー 予価1575円)
2月中旬刊 パーシヴァル・ワイルド『検死審問 インクエスト』(創元推理文庫 予価882円)
2月中旬刊 エリザベス・ボウエン『エヴァ・トラウト』(国書刊行会 予価2625円)
2月20日刊 ジョン・スラデック『蒸気駆動の少年』〈奇想コレクション〉 (河出書房新社 予価1995円)
2月25日刊 A・M・ウィリアムスン『灰色の女』(論創社 予価2940円)
2月25日刊 ジョン・ブラックバーン『刈りたての干草の香り』(論創社 予価2100円)
2月予定   パトリック・クェンティン『グリンドルの悪夢』(原書房)

 2月は要注目本が目白押しですね。
 『名短篇、さらにあり』は、1月刊行の『名短篇、ここにあり』の続編アンソロジー。『名短篇、ここにあり』は、全編日本作家の作品だったんですが、ジャンル小説ではなく、一般文学からミステリ的な要素を持った作品を抜き出した、という感じのアンソロジーでした。ふだん海外作品ばかり読んでいる身としては、なかなか新鮮な味わいではありました。
 光文社古典新訳文庫からは『宝島』の新訳が登場です。これはこれで期待大なのですが、スティーヴンソンは入手難の作品がまだまだあるので、他の作品を出してほしかった気もします。
 光文社文庫からは、もはや伝説の作家(といっていい)式貴士の短編集が刊行。初収録の作品もいくつか含まれているようで、式貴士の著作を揃えている人でも買う価値はあり。安っぽさとグロテスクさとロマンシチズムの同居する作風は、はまる人ははまると思います。これを機会にファンが増えるといいですね。
 昔、創元から出ていた、パーシヴァル・ワイルド『検死審問 インクエスト』も待望の新訳。ワイルドの作品は、基本がユーモア小説っぽいので、これも楽しめると思います。
 〈奇想コレクション〉からは、スラデックの短編集。以前サンリオSF文庫から短編集が出ていましたが、今回の作品集は「決定版ベスト」だそうで、楽しみです。
 (論創ミステリ)来月刊行の2冊はどちらもマニアックです。ブラックバーンは以前にも1冊出ていますが、注目しているのはA・M・ウィリアムスン『灰色の女』です。この作品、なんと江戸川乱歩『幽霊塔』の原作となった作品だそうです(正確には乱歩作品の原作の黒岩涙香翻案作品の原作ですが)。乱歩作品ほどエログロじゃないんだとは思いますが、今さらながら日本語で読めるようになることを慶賀したいです。
バッハ系ドイツ人  バッハの息子たちの音楽
Wilhelm Friedemann Bach: Concerti W.F. Bach: Oeuvres pour clavecin C.P.E.バッハ:ヴァイオリンソナタ集C.Ph.E. Bach; 6 Hamburg Symphonies, Wq. 182 Bach: Die Kindheit Jesu (The Infancy of Jesus); Wachet auf (Awake) バッハ:6つのシンフォニア
 バッハといえば「音楽の父」と称される、有名な作曲家です。音楽に興味がない方でも、バッハの名前は聞いた事があると思います。ただし「バッハ」という作曲家が、ひとりではない、というのはご存じでしょうか?
 じつは、この「バッハ」、音楽を生業とした音楽家の一族なのです。現在では、ただ「バッハ」と言えば、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)のことを指すのですが、このヨハン・セバスティアン以外にも、一族から優秀な音楽家を多数輩出しています。このため、ヨハン・セバスティアンのことを、他の一族と区別して「大バッハ」という言い方をすることもあります。
 当時、画家や音楽家という職業を子孫に受け継ぐ、というのは珍しいことではありませんでした。そもそも18世紀においては、現代のような「芸術家」という概念がまだ生まれておらず、画家も音楽家も、貴族や王侯に使える「職人」という位置づけだったのです。ただ、それにしてもバッハ家は、一族総出ではないかというぐらい、多くの人間が音楽を生業にしていた、という点で、じつにユニークな一族です。
 同じ名字を持つ人間が、同じ職業についている、ということから想像がつくように、当時の人々も、彼らバッハ家の人間を区別するのに苦労したことと見えます。アメリカのユーモリスト、フランク・サリヴァンは『忘れられたバッハ』(浅倉久志訳『忘れられたバッハ  ユーモア・スケッチ絶倒篇』ハヤカワ文庫NV収録)という作品の中で、このあたりの事情を茶化して書いています。

 そこで、彼らはバッハ一族を名前で区別するのをあきらめ、そのかわりにバッハ家の一人ひとりを、それぞれがオルガン奏者をつとめる都市に結びつけようと試みた。

 事実、当時のドイツでは、駅弁あるところ必ずバッハが住んでいた、といわれる。さて、そこでなにが起こったか? ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハは、ドレスデンの教会オルガン奏者だという理由で、ドイツ人からドレスデン・バッハと名づけられたとたん、ハレへ引っ越した。カール・フィリップ・エマヌエルは、ベルリンの宮廷オルガン奏者だという理由でベルリン・バッハと呼ばれたとたん、ハンブルクへ移った。

 同じ名字の親戚を、当人が住む都市の名前で呼ぶ、というのは日本でもある習慣ですね。ただ、上に引用した部分の内容、じつはフィクションではなく事実です。バッハ家の人間は引っ越し魔らしく、やたらと引っ越しているのです。
 さて、長くなりましたが、これからが本題。「大バッハ」ヨハン・セバスティアンは、今でこそ「大作曲家」ですが、生前にはそれほどの評価を受けていませんでした。腕のいい中堅作曲家、というのが当時の世間の見方であり、むしろ、彼の息子たちの方が有名だったのです。
 ヨハン・セバスティアンの息子たちのうち、4人が有名な作曲家になりました。今でこそ知名度は父親に及びませんが、彼らは、後の古典派へとつながる音楽史の潮流を作り出したという意味で、重要な位置を担っています。また、それぞれが父親とは違った魅力を持った音楽を作っています。そこで今回は、彼らバッハの息子たち4人の音楽を、簡単に紹介してみたいと思います。

 まずは、長男ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710~1784)。通称「ドレスデンのバッハ」または「ハレのバッハ」。
 初めて誕生した男の子ということもあり、父親から溺愛されて育ちました。音楽的な才能は突出していたものの、克己心に欠ける不安定な性格だったため、世間的には大成せずに終わりました。
 しかし彼の音楽は、今聞くとなかなか魅力的です。いささか不安定ながら、ファンタジーに富み、幻想的とさえいっていい曲を書いています。当時の他の作曲家たちの曲と比べても、あまりに異質な曲調はオリジナリティの証明でしょう。オルガンやチェンバロなどの、鍵盤による即興曲には、先の読めない面白さがあります。

 次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714~1788)。通称「ベルリンのバッハ」または「ハンブルクのバッハ」。
 当時「バッハ」と言えば、この人のことを指すぐらい、広く影響力を持った作曲家です。ヨーゼフ・ハイドンも彼を尊敬していたとか。
 プロイセンのフリードリヒ大王に仕えるものの、意見の相違から大王と喧嘩別れをし、後にハンブルクの音楽監督に就任します。
 「多感様式」と呼ばれる彼の作風は、激しい転調が特徴的で、今聞いても刺激的な音楽です。とくに「ハンブルク交響曲」と呼ばれる交響曲群は傑作。形式的には似たような曲が多かった時代にあって、一度聞いただけで判別できるぐらい独創的な曲を書いた「天才」作曲家。

 ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ(1732~1795)。通称「ビュッケブルクのバッハ」。
 バッハ家には珍しく、ひとつの都市にとどまりつづけ、平穏な一生を送りました。ヘルダー(1744~1803)との出会いから、文学的な要素を音楽に取り込みます。アクの強い兄弟たちの中にあって、適度に保守的、適度に革新的、というバランスのとれた作風です。

 ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735~1782)通称「ミラノのバッハ」または「ロンドンのバッハ」
 ヨハン・セバスティアンの末っ子。バッハの息子たちの中で、唯一オペラに手を染めました。ミラノでデビューするも、後にロンドンに渡ります。カール・フリードリヒ・アーベル(1723~1787)とともに、公開演奏会の先駆となる『バッハ・アーベル・コンサート』を主催し、人気を博します。ここでクリスティアンの曲を聴いたモーツァルトが絶大な影響を受けたのは有名。
 オペラで鍛えただけあって、交響曲や鍵盤曲など他のジャンルでも、歌うような流麗な旋律が特徴です。一見してモーツァルトと区別がつかないぐらい似た作風を持っています(実際は、モーツァルトがクリスティアンを真似ているのですが)。

 カール・フィリップ・エマヌエルやヨハン・クリスティアンの音楽は、後にハイドンやモーツァルトに大きな影響を与えました。バロック時代から古典派のはざまにあたるこの時代、音楽史的には「前古典派」と呼ばれますが、バロックとも古典派とも違う、過渡期の荒削りながらユニークな音楽は、今聴いても充分な魅力を持っています。
 昨今では、モーツァルトしか聴かないモーツァルト・ファンなども多いと聞きますが、バッハの息子たちの曲で、モーツァルトの源流の一端にふれる、というのも貴重な体験ではないでしょうか。
 ちなみに、上で引用した『忘れられたバッハ』は、バッハ家に音痴の息子が誕生し、一族のもてあましものになる、というユーモア短篇です。これもなかなか面白いので、機会があったら、ご一読をお勧めしておきます。
何が殺したか?  道尾秀介『ソロモンの犬』
4163262202ソロモンの犬
道尾 秀介
文藝春秋 2007-08

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 『向日葵の咲かない夏』『シャドウ』など、問題作を発表し続ける道尾秀介の『ソロモンの犬』(文藝春秋)は、著者初の「青春ミステリー」です。ただ、この作家が書くのが、ただの「青春ミステリー」であるはずもなく、全編に伏線と仕掛けが張り巡らされています。
 まず気になるのは「青春ミステリー」とはいいながら、青春から連想される、明るさや楽天性があまりないこと。各登場人物には、それぞれ暗い過去や悩みがあり、それが全編を覆い尽くしているのです。それを象徴するように、不安に満ちたシーンから物語は始まります。
 大学生である秋内静は、ある日天気雨に降られ、たまたま目に止まった喫茶店で雨宿りをすることにします。そこに現れたのは、友江京也、巻坂ひろ子、羽住智佳の三人。彼らは親しい仲でありながら、ある事件以来、お互い会うのを敬遠していたのです。
 その事件とは、四人の共通の知り合いである、大学の女性講師、椎崎鏡子の息子陽助が、飼い犬に手を引かれた拍子に車に轢かれ、亡くなったという事件。互いに何か隠しごとをしているのに感付きながらも、彼らは事件について再び話し合うことになります。そして秋内は、ある言葉を口にします「この中に、人殺しがいるのかいないのか」…。
 知り合いの男の子が、目の前で交通事故に遭い、死んでしまうという衝撃的な事件。飼い主を眼の前にして、なぜ飼い犬は走り出したのか?というのが、本書の中心的な謎になります。
 あらかじめ教えられたサインと勘違いして走り出したのではないか? それとも眼の悪い犬が、遠くの人物を飼い主と勘違いしたのだろうか? 事件の鍵が犬の習性にあると考えた秋内が、それを推理していく過程はなかなか論理的です。関連して、中盤から登場する動物学者の間宮助教授も、ユーモラスに描かれ、いい味を出しています。
 そして事件をめぐって軋轢を深める四人。京也を疑う秋内、クールフェイスで、追求をかわしつづける京也。事件以来、口を閉ざし続ける智佳、恋人の京也に疑惑を抱くひろ子、とそれぞれの登場人物の関係と感情の揺れ動きが、前半を中心に描かれます。ただ、このあたり、事件が本格的に動き出すまで、少々もたつき気味なので退屈してしまう方もいるかもしれません。
 驚かされるのは、真相に気づき始めた秋内を襲う、後半の怒濤の展開です。序盤のシーンで描かれる不可解な現象の原因がわかったときには、なるほど!と膝を打ちました。具体的に言うとネタを割るので書きませんが、コニー・ウィリスの某作品と似た展開と言えば、分かる人には分かるかもしれません。
 もったいないのは、その後の展開。最後に事件の真相と謎解きがなされるのですが、後半の急展開の後だと、はっきり言ってどうでもいいような気になってしまうのです。真相自体は、非常によく出来ていて、伏線の張り方にも感心するのですが、構成にもう少し工夫の余地がある気がします。
 この作家、もともとトリック、ドンデン返しなどを優先に構想していて、それに当てはめて物語を構成しているような印象があるのですが、本作は、それがもっとも露骨に出てしまった感じです。端的に言えば、登場人物に「血が通っていない」感じを受けてしまうのです。今までの作品では、登場人物のキャラクターがどうこう以前に、作品の構成や仕掛けが見事だったので、あまり気にならなかったのですが、本作品では、前半のもたつき具合もあって、青春小説的な部分での「ぎこちなさ」が目立ってしまった感が否めません。
 水準以上の作品であることは確かなのですが、もっと人物描写の部分でがんばってほしかったな、というのが正直なところですね。
シニカルな視線  レイ・ラッセル『血の伯爵夫人』
血の伯爵夫人
血の伯爵夫人―モダン・ゴシックの真髄
レイ ラッセル 猪俣 美江子
朝日ソノラマ 1986-04

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 近年復刊された〈異色作家短編集〉にも収録されているアメリカの作家レイ・ラッセル。かって「プレイボーイ」誌の編集長をつとめたというだけあって、その作風は非常に多彩かつ技巧的です。ただ、アクの強い他の異色作家と比べてしまうと、インパクトに欠ける印象があるのは否めません。
 実際、〈異色作家短編集〉『嘲笑う男』の収録作品を読んでみても、ゴシックホラー『サルドニクス』以外は、どうもパッとしない感じです。
 しかし、邦訳されているもう一冊の短編集『血の伯爵夫人』(猪俣美江子訳 ソノラマ文庫)を読んでみると、「意外」といっては失礼ですが、なかなか味わいのある作品が並んでいました。それでは以下、収録作品について解説します。

 『彗星の美酒』 音楽に一家言ある「わたし」が手に入れたある古い書簡。それは19世紀末、イギリス人スタントン卿が、ロシアに滞在した折りに書かれたものでした。そこに登場する天才作曲家、チョロデンコに興味を抱いた「わたし」は、チョロデンコについて調べようと、方々に手をつくしますが、彼についての資料はおろか、彼が存在した証拠さえもが見つからないのです…。
 実在の作曲家が多く登場して、リアリティを高めています。ロシア音楽についての蘊蓄がたっぷりつめこまれた、知識人のラッセルらしい作品。芸術的な才能を手に入れるために、悪魔に魂を売った青年の末路とは…? テーマはオーソドックスながら、その処理の仕方がユニークです。後半、青年の末路を、オペラの台本の形で暗示するシーンは非常に技巧的。

 『ビザンチン宮殿の夜』 映画業界の大立者フリーモンドは、かって目をかけてやったにもかかわらず、自分を馬鹿にしている連中に復讐をしようと、彼らを自宅に招待します。密かに盗聴器を仕掛けたフリーモンドは、食事の席でその内容を聞かせてやろうと考えますが、そこに録音されていたのは、思いもかけない内容でした…。
 復讐に燃える傲慢な男が遭遇した、思いもかけない出来事とは…。O・ヘンリー風の哀感に満ちた展開が、最後の最後で皮肉なオチになってしまうのは、ラッセルならではでしょうか。

 『仮面の暗殺者』 南米の大統領の死を取材するために、現地を訪れた記者ストロー。大統領の死は暗殺ではないかと考えた彼は、もと女優の大統領夫人を怪しみ調査を始めますが…。
 これは意外にも「政治スリラー」でしょうか。調査が進むにしたがって明らかになる、複雑な人間関係が読みどころです。二転三転するクライマックスには驚かされます。

 『悦楽の分け前』 女性に全く相手にされず、自分の容姿にコンプレックスを抱いていた青年ソニー・グレイは、ある余興の席で行われた催眠術に興味を引かれます。素人でもすぐにマスターできると言われたソニーは、その催眠術を使って女性に迫ろうと考えます。目論みは成功しますが、たまたま女性の身辺を調べていた私立探偵に事実をつかまれてしまいます…。
 催眠術を使って女性をものにしようとする青年を描いた、願望充足的な話。なのですが、主人公の青年が、繊細で同情をさそうような人物に描かれているのがミソ。私立探偵に尻尾をつかまれた彼が気の毒になってしまうのです。結末はいささか安易なものの、題材から連想されるのとは、ちょっと違った読後感が面白いところです。

 『血の伯爵夫人』 若くして結婚したエリザベスは、最愛の夫が戦に出かけた後、その愛情を持てあましていました。そこに現れたジプシー女性ドロティアはエリザベスに快楽の味わい方を教え、またたくまに彼女の心をつかんでしまいます。やがて帰って来た夫は…。
 16世紀ハンガリーに実在した貴族、エリザベート・バートリを扱ったゴシック作品です。彼女は、つぎつぎと若い女性を殺し、吸血鬼伝説のモデルともなった女性ですが、この作品では、汚れを知らない無垢な女性として描かれます。残虐な行為に手を染めながらも、それはすべて周りの人間の言われるがままにされたことであって、彼女自身は最後まで純粋だった…とする解釈はなかなか面白いですね。

 収録作品中では、やはり『血の伯爵夫人』がいちばんの力作といえるのですが、他の作品もなかなかに捨てがたい味があります。どの作品も技巧が凝らされていますが、その表面的な部分よりも、登場人物の情緒や哀感を描く部分の方に、この作家の本領があるような気がします。この作家、もっとストレートな人情ものやラブストーリーを書いたら、かなりのものになったのではないでしょうか。
 ただ、ラッセルはいくら人情もの的な展開になったとしても、必ず最後に皮肉なオチをもってきてしまいます。場合によっては、素直に「いい話」で終わらせた方が効果的な場合でも、シニカルな終わり方をさせてしまうのは、この作家の性格なのでしょうか。
物語を変えろ!  マーク・フォースター監督『主人公は僕だった』
B000X4FHEM主人公は僕だった コレクターズ・エディション
マギー・ギレンホール エマ・トンプソン ウィル・フェレル
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2007-12-19

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 登場人物が作家に出会う…。メタフィクション的な小説では時折見られるこの手法。まさか実写映画化が可能だとは…。
 マーク・フォースター監督『主人公は僕だった』(2006年 アメリカ)は、奇想天外な設定ながら、人生の寓意を含んだ、良質な作品に仕上がっています。
 国税庁に勤めるハロルド・クリックは、面白みのない人間でした。計算が得意な彼は、何事も無駄なくこなす代わりに、仕事以外に何の趣味も持たずに、決まりきった日常を送っていたのです。
 そんなある日、ハロルドの耳に、聞き覚えのない女性の声が響きます。その声は、ハロルドの行動、そして心理さえも、的確な表現でナレーションしています。しかもその声は、周りの人間には聞こえず、ハロルド自身にしか聞こえないようなのです。
 相談を受けた文学部のヒルバート教授は、ナレーションの言い回しから、語り手は「全能の第三者」だと断定します。つまり「作家」がハロルドを主人公に、物語を語っているというのです。
 変わりばえのしない日常をただ描写していた「声」は、ある日ハロルドの死を予告します。どうせ死ぬなら好きなことをしてから死にたい、ハロルドはやりたかったことを始め、思いを寄せていた女性アナに告白します。
 人生が好転しだした直後、ハロルドはたまたまテレビに映った女性の声を聞いて驚きます。その声こそ、ナレーションの「声」だったのです。ヒルバート教授から「声」の主が女性作家カレン・アイフルであることを知ったハロルドは、また彼女の過去の作品は全て悲劇であり、主人公は必ず死んでいる、ということも知らされます。ハロルドは、彼女に会って、自分の運命を変えてもらおうと考えますが…。
 主人公の耳に、主人公を描写する作家の「声」が聞こえてしまう、という何とも人を食った設定の作品です。
 「声」はただナレーションをするだけであり、主人公に具体的な力を及ぼしたり、行動を妨げたりするわけではありません。
 しかし、主人公の仕事中にも「声」が聞こえて邪魔をしたり、思いを寄せている女性の前では、その恋心さえも「描写」されてしまうのには笑わされてしまいます。
 「声」が妄想ではなく、現実のものだと認識したハロルドは、文学研究者であるヒルバート教授に相談するのですが、この教授がしごく真面目に「物語」を特定しようとするのが面白いところ。これは悲劇なのか喜劇なのか? 全能の作家に主人公の運命は決められているのか? それとも登場人物のキャラクターがストーリーを進めるタイプなのか? 何もしなかったらどうなるのか試してみろ、という教授の助言に従って、家にこもっていたハロルドを襲うアクシデントも強烈。
 几帳面で数字にうるさい主人公の名前がクリックと、時計を連想させることからもわかるように、時計がモチーフとして、ところどころで用いられて、重要な小道具になっています。序盤で止まった時計の描写が、後半の伏線になっているというのも、非常に芸が細かいですね。
 自分の死期がわかってしまったときに、人は何をすればいいのか?という問題も重要なモチーフになっています。実際、死を意識することによって、主人公ハロルドの生き方は変わり、精神的な成長を遂げるのです。ただこの作品の場合、作者であるカレンによって、運命は変えられる可能性が残っているので、あまり切迫感はありません。
 その代わりに、クライマックスでクローズアップされるのは「主人公の死によって作品が傑作になるときに、主人公を生かすべきなのか?」という問題です。過去の小説の登場人物には、ためらいなく死を下してきたカレンも、自分の死の運命を知ってしまった主人公に対して、本当に死を下せるのか、悩みぬくのです。そして結末の下書きを読んだハロルドのとった決断とは…?
 自分の人生は、本当に自分の意志で生きているのか? 運命は変えられないのだろうか? なかなか考えさせるテーマを含んだ作品といえるでしょう。
 俳優陣による丁寧な演技はもちろんですが、何より、よく練られた脚本が素晴らしい。笑いの要素もほど良く挟まれた、ハートウォーミングな佳作です。
夢で会いましょう  キャサリン・ストー『マリアンヌの夢』
4001140950マリアンヌの夢 (岩波少年文庫)
キャサリン ストー Catherine Storr 猪熊 葉子
岩波書店 2001-11

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 自分が望む「夢」が見たい。そんな誰もが持つ願望を実現する力を得た少女。しかし「夢」の世界はそんなに甘いものではなかったのです…。
 イギリスの作家キャサリン・ストーの『マリアンヌの夢』(猪熊葉子訳 岩波少年文庫)は、「夢」を扱ったファンタジーですが、ほのぼのとしたタイトルとは裏腹に、その味わいは恐怖小説のそれに近いほどの「怖さ」を持った作品です。
 10歳になる活発な少女マリアンヌは、長引く病気にかかってしまいます。しばらくベッドで過ごさなければならなくなったマリアンヌは、家庭教師のチェスターフィールド先生に習い事をすることになります。先生から、自分と同じような環境にいるという、病気の少年マークの話を聞いたマリアンヌは、彼に興味を抱きます。
 退屈しのぎに、古い裁縫箱の中を探っていたマリアンヌは、裁縫道具に混じって入っていた鉛筆を見つけます。ふとマリアンヌは、その鉛筆で画帳に絵を書き始めます。
 一軒の煙突のある家を描いたマリアンヌは、その夜、夢を見ます。そこに現れたのは、絵に描いた通りの家!
 しかしその家に入ることはできません。目を覚ましたマリアンヌは、自分を家の中に入れてくれる人間を描こうと、絵の中の家の窓に一人の少年の顔を描き込みます。
 そしてその夜「夢」の中の家に入ることに成功したマリアンヌは、マークという少年に出会いますが、彼は、小児まひで歩けない状態でした。「夢」の中の家が、自分が作ったものであることを力説するマリアンヌに対し、マークは信じようとせず鼻で笑います。怒ったマリアンヌは、起きるとすぐに、画帳の中の家に格子窓を作り、家の外には目のついた大岩をいくつも描き加えます。
 ふたたび「夢」の世界に現れたマリアンヌは、様子がいつもと違うのに気づきます。空は暗く、家には格子がはまっています。そして家の外には、自分達を監視する、一つ目の岩の化け物たちがいるのです。あわてて絵に描いた大岩たちを消そうとするマリアンヌですが、一度描いたものは、絶対に消えないのです…。
 画帳に描いた通りのものが「夢」の中に出現する、とはいえ、何でもありの、融通無碍な展開にはなりません。そこにはそれなりのルールがあるのです。一度描いたものは消せないし、人を増やそうと思っても「マーク」以外に人を登場させることはできないのです。そして怒りに駆られて、描き加えてしまった化け物たち。彼らは徐々に家に近付いてきます。マリアンヌとマークは、彼らから逃げられるのでしょうか…?
 「夢」の世界が、マリアンヌの思い通りになるといっても、それは画帳に絵を描き込む時点までであって、「夢」の中に入ってしまったら、超能力が使えるわけでも何でもありません。怪物たちから逃げるために、マリアンヌたちは知恵を絞るのです。
 「夢」の世界の謎、家を取り囲む怪物たちの謎、そして「夢」の中に登場するマークは、実在するマークと同一人物なのか?という謎も含めて、じつにサスペンスに富んだ展開になっています。
 現実世界では病気で臥せっているマリアンヌとマークが「夢」で出会う怪物たちは、おそらく「病」や「恐怖」の象徴なのでしょう。そして「夢」の世界全体がマリアンヌの内的世界であるという解釈もできます。「夢」の怪物たちの手を逃れることが、マリアンヌが、現実世界で病気を直し、また精神的に成長することとリンクしているのです。その意味で、成長小説としての側面が強い作品ではあります。
 怪物に囲まれた暗い家の中で、子供がたった二人、というシチュエーションからしてもうすでに「怖い」のですが、クライマックスの緊張度は半端ではありません。それまでの経過からして、マリアンヌとマーク以外の人間が助けにくることはありえず、怪物たちが消える事もありえない…ということがわかっているので、なおさらです。「夢」の中とはいえ、怪物たちに捕まったら、おそらく「死」が待っているのですから。
 著者のストーは、もと精神科医だそうで、その経験が上手く作品に反映されている感じがします。完成度の高さはもちろんですが、この「怖さ」は、大人の読者でも充分に感じ取れるものなので、児童文学だからといって、読まないでいるのは非常にもったいない作品ですね。
 ちなみにこの作品、バーナード・ローズ監督『ペーパーハウス/霊少女』として映画化されています。B級ホラーみたいな邦題ですが、作品自体は素晴らしい出来ばえ。幻想的な雰囲気と映像の美しさは必見です。こちらでは、怪物は登場せず、代わりに絵に描かれた「父親」が主人公を襲うという展開になっています。映画版の方もかなり怖いのでご注意を。
1月の気になる新刊
1月 9 日刊 北村薫・宮部みゆき編『名短篇、ここにあり』(ちくま文庫 予価798円)
1月 9 日刊 イアン・R・マクラウド『夏の涯ての島』(早川書房 予価2310円)
1月10日刊 ミステリー文学資料館編『江戸川乱歩と13人の新青年 〈論理派〉編』(光文社文庫 予価720円)
1月15日刊 ギルバート・アデア『ロジャー・マーガトロイドのしわざ』(ハヤカワ・ミステリ 予価1260円)
1月18日刊 レイ・ブラッドベリ『猫のパジャマ』(河出書房新社 予価1890円)
1月21日刊 道尾秀介『ラットマン』(光文社 予価1680円)
1月23日刊 北村薫『ミステリ十二か月』(中公文庫 予価980円)
1月24日刊 『異能の画家 伊藤若冲』(新潮社 予価1470円)
1月25日刊 フリオ・コルタサル『愛しのグレンダ』(岩波書店 予価2730円)
1月刊    鹿島茂+鹿島直(写真)『パリのパサージュ レトロ・モダンなアーケード街』(平凡社コロナ・ブックス 予価1680円)

 北村薫・宮部みゆき編のアンソロジーは、どうやら2ヶ月連続刊行のようです。収録作品は、日本作家の作品が中心になるようですが、海外ものも入るんでしょうか。
 ギルバート・アデアの新刊は、例によってミステリのパロディ的な作品のようです。ジャンル小説のファンが素直に楽しめる作品とは思えないのですが、たぶん読んでしまうでしょうね。
 このところ邦訳が続いているブラッドベリの新刊は、短編集です。近作はもういいよ、という心境なのですが、今回は、1940年代からの古い未発表作も含まれるということなので、少し期待しています。
新年おめでとうございます
 あけましておめでとうございます。2008年最初の更新になります。本年もよろしくお願いいたします。
 去年は、ちょっと気の抜けかけたところに「たら本」主催という、個人的には大きな企画があったこともあり、なかなか新鮮な一年でした。
 ところで、最近はまり出したのが、井上雅彦編の『異形コレクション』シリーズ。このシリーズ、いわゆる書き下ろしアンソロジーといわれるもので、毎回テーマを設定して、そのテーマでいろいろな作家が競作するというコンセプトのシリーズです。
 創刊当時から気になってはいたものの、どうも装丁の趣味がよろしくない…という理由で、敬遠していたのですが、最近何冊か読む機会があり、なかなか面白かったので、少し追いかけてみようかな、と思っています。古本屋でバックナンバーを集めはじめたのですが、このシリーズけっこう巻数があるんですよね。もともと手狭な部屋がさらにすごいことに…。
 というわけで、今年の目標は例年通り、積読本を減らすこと(笑)。毎年同じことを言っているような気もしますが、ご勘弁を。

 話は変わりますが、このブログ、翻訳もの専門とうたっているのですが、じつは最近読んでいるのは、日本作家のものが多かったりします。前述した『異形コレクション』などを読むにつけても、日本の作家も、いまや海外作家とそれほど遜色はないのではないか、というのが実感です。
 そういうわけで、ちょくちょく日本作家もとりあげるようにしようかな、と考えているのですが、どんなもんでしょうか。ただ、そんなにメジャーな作家はとりあげないと思うので、そのへんはご安心を(笑)。


プロフィール

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主催。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。



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