10月の気になる新刊
10月10日刊 リチャード・ニーリイ『愛する者に死を』(ハヤカワ・ミステリ 1260円)
10月中旬刊 クリスチアナ・ブランド『ぶち猫 コックリル警部の事件簿』(論創社 予価2100円)
10月中旬刊 木々高太郎・海野十三・大下宇陀児『風間光枝探偵日記』(論創社 予価2960円)
10月23日刊 エドワード・リア詩/エドワード・ゴーリー画『ジャンブリーズ』(河出書房新社 予価1050円)
10月25日刊 『山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー』(角川文庫 予価683円)
10月25日刊 レイ・ブラッドベリ『緑の影、白い鯨』(筑摩書房 予価3675円)
10月25日刊 マシュー・ニール『英国紳士、エデンへ行く』(早川書房 予価2730円)
10月刊    レイ・ブラッドベリ『さよなら僕の夏』(晶文社 予価1680円)

 10月の予定でいちばん気になるのは、やっぱりニーリイの作品でしょう。デビュー作だそうですが、これもどんでん返しがあるんでしょうか。
 論創社からは、クリスチアナ・ブランドの短編集。この人の長編は読み通すのがなかなか大変なんですが、短篇は結構読みやすいんですよね。
 久々の邦訳になる、ゴーリーの絵本は、エドワード・リアの詩に絵をつけたもの。なんだか言葉遊び系の本ばかり、優先的に訳されているような気がするんですが、個人的には、もっと物語性の強いものを訳してほしいところです。
 ブラッドベリは来月2冊刊行です。『緑の影、白い鯨』は、ちょっとお値段が張るようですが、自伝的な作品らしいです。『さよなら僕の夏』のほうは『たんぽぽのお酒』の続編。

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こころの裁判  スタンリイ・エリン『鏡よ、鏡』
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鏡よ、鏡
スタンリイ・エリン 稲葉 明雄
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 先日の記事で、スタンリイ・エリンの長編はわりとストレートなものが多いと書いたのですが、ひとつ例外があります。それが『鏡よ、鏡』(稲葉明雄訳 ハヤカワミステリ文庫)です。精神分析的なテーマを扱ったサスペンスといえる作品ですが、その書き方が、じつに異様なのです。
 全編が主人公の独白で語られ、しかも過去や現在の出来事が入り乱れています。過去の回想が唐突に挟まれたりと、物語の時系列がバラバラになっているのです。主人公たちが今どこで何をしているのか?ということさえ、序盤では非常につかみにくいでしょう。
 あらすじを要約するのも難しいのですが、とりあえず、紹介してみましょう。
 妻ジョーンと離婚した主人公ピーターは、ある日、自宅の浴室で見知らぬ女が射殺されているのを見つけます。女は誰で、ピーターとどんな関係があったのか? なぜ彼女は殺されたのか?という謎を追って行く、というのが、大まかなアウトライン。
 その後、ピーターは、精神分析医エルンスト博士に精神分析をされていたかと思うと、どことも知れぬ場所で陪審員を前に、裁判を受けることになります。しかも、陪審員たちは、エルンスト博士をはじめ、元妻ジョーン、ジョーンと再婚した弁護士アーウィン・ゴールド、ピーターとジョーンそれぞれの父母や姉など、関係者ばかりなのです。ピーターは実際に殺人を犯したのでしょうか? そしてその理由とは…?
 唐突に動く場所と時間、つじつまの合わない物語展開、そしてどうやら記憶が曖昧になっているらしい「信頼できない語り手」。まさに霧の中を進んでいくような作品ですが、サスペンスは途切れません。それは、物語自体のサスペンスというよりは、主人公ピーターの人間性を探ってゆくサスペンスといえるでしょう。
 ピーターの子供時代から、両親や姉との関係、そして長じてからは、妻や息子との歪んだ関係が徐々に明らかにされていきます。ピーターは、男らしくハンサムで、冷静な男性として登場しますが、その奥には、子供時代に端を発する、病んだ神経が潜んでいることが、わかってくるのです。
 後半、ピーターに対する裁判は、殺人に対する糾弾ではなく、ピーターの人間性に対する糾弾となっていきます。いったい誰が誰を裁いているのか? 最後の最後まで、物語は予断を許しません。そして最後に明かされる驚くべき事実とは…?
 この作品、主人公の性的な側面がかなりクローズアップされており、その点、あまり愉快な作品とはいいにくいのですが、大胆な手法といい、驚くべき結末といい、傑作の名に値する作品であるといってもいいかと思います。万人に勧められるような作品ではありませんが、変わったサスペンスを読みたい人はぜひ。ただ、最後まで読まないと、作品の構成がわからないので、序盤がわからないからといって、投げ出さずに読むことをお勧めしておきます。

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ふてぶてしさは伊達じゃない  ジャック・リッチー『ダイアルAを回せ』
4309801056ダイアルAを回せ (KAWADE MYSTERY)
ジャック・リッチー
河出書房新社 2007-09

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〈KAWADE MYSTERY〉シリーズの最新刊、『ダイアルAを回せ』(駒月雅子他訳 河出書房新社)は、ジャック・リッチーの三冊目の邦訳短編集。さすがに三冊目となると、筋が読めてくる作品もあるのですが、質の高さは相変わらずです。以下、面白かった作品からご紹介します。

 『政治の道は殺人へ』 殺し屋の「わたし」は、女丈夫ハーマイオニーから依頼を受けます。夫をゆすっている男を始末してほしいというのです。議員に立候補している夫は、過去に泥棒をしていたことを知られていました。一方、夫のフレデリックからも、ハーマイオニーを始末してほしいという依頼を受けた「わたし」は、まずゆすり屋の男に会いに行きます。しかし、そこにいたのは、本人ならぬ、ゆすり屋の未亡人でした…。
 次々と依頼を受け、冷静に胸算用をする、殺し屋の節操のなさがおかしさを誘います。大儲けできるはずだった殺し屋の誤算とは?「夫と妻の殺人」テーマのヴァリエーション作品です。

 『いまから十分間』 ある日突然、中身のわからない箱を抱えて市庁舎に現れた男。彼は、十分以内に市長に会いたいと主張します。箱の中から聞こえる異様な音に、中身が爆発物ではないかと疑った警官は、彼を取り押さえます。しかし、箱の中身はただの目覚まし時計。その男ベリントンは、繰り返し、爆発物を装った箱を持って現れ、警察と市長を挑発します。もしやベリントンは、庁舎の警備体制を確認しているのではないか? そしてとうとう、本物の爆発物と思われる箱を抱えて、ベリントンが現れます…。
 何度も箱を使って挑発を続ける男の真意とは…? ドタバタ風なクライマックスと唖然とする結末。ふてぶてしさとユーモアが同居する、リッチーの面目躍如たる作品です。

 『動かぬ証拠』 突如、書斎で見知らぬ男に拳銃をつきつけられた「わたし」。男は、浪費家の若い妻から、殺しを依頼されたというのです。金で買収しようとしても、男は受け付けません。しかし、なぜか「わたし」は、冷静に話を続けます…。
 「わたし」がとった思いもかけぬ行動とは…? 張りつめた雰囲気の中で、「わたし」が駆使する心理的な駆け引きが見物です。

 『殺人はいかが?』 「あなたの悩みには究極の解決策があります」。配偶者の殺しを示唆する広告を載せたいと、新聞社にあらわれた男。パーカーソンと名乗る男は、これは、心理学の実験であると説明します。警察の了承を受け、広告を載せることに成功したパーカーソンは、タイプで打たれた手紙を受け取ります。実際に会うことになった男は、自分は殺し屋だと名乗り、パーカーソンに協力を迫りますが…。
 実験のつもりだった広告が、大事に発展していく過程が読みどころ。殺し屋との会話の中で、パーカーソンに芽生えた疑惑とは…? ひねりの利いたクライム・ストーリー。

 『三階のクローゼット』 家政婦の急死により、その家は捜索を受けていました。一家の主人はここ数年目撃されておらず、使用人は、死んだ家政婦たった一人。警官が三階のクローゼットで見つけたものは、監禁されていた一家の主人でした…。
 恐るべき家政婦に監禁された男の話、のはずが、思わぬ方向にストーリーが進んでいきます。男が話すことは本当に事実なのだろうか? 人間性の不思議さに着目した、異色の作品です。
 
 『カーデュラと昨日消えた男』 相棒の死体を探してほしい。カーデュラのもとに現れた泥棒の男は、奇妙な事件の顛末を語ります。アパートに忍び込み、物色している最中に、突然相棒はドアにロックをかけ、捕まってしまったというのです。そして聞こえたのは、うめき声と、ごつんという鈍い音。とりあえず逃げ出した男は、翌日の新聞に事件が載っていないのを見て不審に思います。相棒は殺されてしまったのではないか? カーデュラは真相を探るために調査を開始しますが…。
 カーデュラものの一編。単なる物取りの話が、なかなか複雑なストーリーに。結末も印象的です。

 『未決陪審』 ある裁判の陪審員が三名も殺されます。復讐のためだろう、と早合点するターンバックル部長刑事に対し、殺されたのは、被告を無罪にした方の陪審員だ、とラルフは語ります。その裁判では、明らかな有罪にもかかわらず、被告は無罪になっていました。しかも殺人が起こった時点で、被告は死亡しているのです…。
 つぎつぎと迷推理を繰り広げる、ターンバックル部長刑事ものの作品。矢継ぎ早に繰り出されるターンバックルの推理がことごとく引っくり返されていくのが実に楽しい一編です。

 『二十三個の茶色の紙袋』 殺された被害者の後部座席から発見された、二十三個の茶色の紙袋。中には、べつべつの二十三件で購入した石鹸とレシートが入っていました。被害者はなぜこんな回りくどい行為をしたのか? 殺された理由に何か関係があるのだろうか? ターンバックル部長刑事は斬新な推理を繰り広げますが…。
 エラリイ・クイーンばりの、奇妙な状況設定に小躍りするターンバックルの推理が楽しい作品です。ターンバックルのロマンスを示唆する結末も微笑ましい一編。

 『グリッグスビー文書』 市長の息子を逮捕したために、閑職に追いやられてしまったバックル部長刑事。古い事件の資料を見ていたバックルは、ある事件に興味を惹かれます。その事件、サミュエル・ニコルスン殺人事件は、なんと1863年に起こったものでした。バックルは、過去の資料を探し出し、事件の真相に迫ります…。
 ターンバックル部長刑事ものの原型である、バックル部長刑事の登場する作品。過去の事件を資料だけで推理してゆくという、歴史推理ものです。ターンバックルものに見られるようなドタバタはあまりなく、あくまでストレートな本格推理となっています。作中作である、過去パートの話もそれだけで、充分興味深いストーリーになっています。

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明るい治療計画  ロイ・ウォード・ベイカー監督『アサイラム 狂人病棟』
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 切れ味するどいホラー短篇を得意としたアメリカの作家、ロバート・ブロック。彼の作品は、ときに殺人や猟奇的なシーンが描かれる場合でも、現代のそれのように具体的・直接的な行為は描写されません。そのためブロックの作品を読んでいても、あまり陰惨な印象を受けることは少なく、その手触りはむしろファンタジーに近付いています。いうならば「明るいホラー」といった感じでしょうか。
 1960~70年代にかけて、ブロックはいくつかの映画脚本を手掛けていますが、それらの映画作品でも、ホラー作品でありながら、どこかおとぎ話めいた雰囲気が出ているのが特徴です。ロイ・ウォード・ベイカー監督『アサイラム・狂人病棟』(1972 イギリス)もそのうちのひとつです。
 『アサイラム』は、短篇を枠物語でまとめた、オムニバス作品になっています。脚本は全てロバート・ブロック。
 作品は、若い医師マーティンが、とある精神病院を訪ねるところから始まります。面接を受けに来たマーティンは、車椅子に乗った副院長に迎えられます。院長はどこかという問いに、副院長は困惑ぎみに答えます。スター院長は精神の病にかかり、この病院に患者として入院している、と。彼は、別人である妄想に囚われているというのです。副院長はテストとして、何人かの患者に会い、院長が誰であるかを当てたなら、合格にする、と提案します。マーティンは一人ずつ患者の部屋に入っていきますが…。

 第1話 夫が愛人といっしょになるために、妻を殺害しようとします。しかし魔術に凝っていた妻の復讐が始まる…というもの。筋立ても単純な、オーソドックスかつストレートなホラーです。

 第2話 家賃を払えず、立ち退きを迫られている仕立屋のもとに、突然見知らぬ客が現れます。持参した生地で、息子の服を作ってほしい、作業は深夜の特定の時間にしか行ってはならない。不審に思いながらも、高額の報酬を提示された仕立屋は、仕事を引き受けます。服を完成させた仕立屋は、客の家に服を持っていきますが、客は思いがけないことを言い出します…。
 呪われた服、というありふれたテーマながら、後半の展開はなかなか面白いです。「死者を蘇らせる本」という、どうやらクトゥルー神話っぽいアイテムも登場します。闇の中で光る生地の特殊効果が、今見ると安っぽいのはご愛嬌。

 第3話 退院したばかりのバーバラは、兄とともに家に帰ります。しかし出迎えたのは看護婦。いまだに病人扱いする二人に対して、彼女は機嫌を害します。ベッドで寝ていたバーバラのもとに、突然親友のルーシーが現れます。彼女は、いっしょに家から逃げ出そうと提案しますが…。
 バーバラの病気とはいったい何なのか? ルーシーはいったい何者なのか? 設定の説明がまったくなされないため、話の先が読めないサスペンス作品。ちなみに、主人公のバーバラ役を演じているのは、シャーロット・ランプリング。

 第4話 ここで舞台は、枠物語である精神病院に戻ります。バイロン博士と自称する男は、人形を何体も作っていました。彼は語ります。人形の顔は過去の同僚たちのものであり、今作っている最後の人形は、自分のミニチュアである、そして自分はこの人形に乗り移るのだ、と。マーティンは、彼こそ精神を病んだスター院長ではないかと疑います。再度面接に望んだマーティンは、副院長に向かって、この病院の非人道性を訴えます。二人が話しているうちに、副院長の背後から近付いてきたものとは…?
 妄想していたことが現実だった…という話ですが、あんまりひねりがないので、少々あっけないかも。ただ事件が終わったと思った後の、どんでん返しは面白いです。

 総じて、どの話もストレートなホラーですが、演出がどうも垢抜けないので、間が抜けてしまっているのは否めません。はっきり言うと、迫力が全然ないのです。ストーリー自体は面白いのですが、やはり演出の悪さが、作品の勢いを殺してしまっていますね。ただ、作品の舞台となっている精神病院の雰囲気は悪くありませんでした。
 ちなみに、確認した範囲では、第3話と第4話の原作が、邦訳されています。第3話は、『ルーシーがいるから』(各務三郎訳 仁賀克雄編『幻想と怪奇2』ハヤカワ文庫NV収録)、第4話は『恐怖の粘土人形』(仁賀克雄編訳『ポオ収集家』新樹社収録)です。

テーマ:ホラー - ジャンル:映画

めくるめくサスペンス  スタンリイ・エリン『カードの館』
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カードの館 (1969年)
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 『特別料理』で知られるスタンリイ・エリンは、いわずと知れた短編小説の名手です。極端なときには、一年に一作しか書かなかったと言われる、その寡作さもその印象を強めています。しかし長編でも、短編とは異なるテイストながら、いくつかの秀作をものしています。
 「テイスト」の違いとは、端的に言えば、短編が「異色」であるのに対して、長編が「ストレート」であること。ハードボイルド、またはサスペンス的な要素が強い長編は、もし作者名を伏されたら、エリンの作品であると当てるのは、かなり難しいように思います。
 だからと言って、長編が凡作なわけではなく、練られたプロットといい、サスペンスたっぷりな展開といい、まさに手練というにふさわしい作品が揃っています。『カードの館』(深町眞理子訳 ハヤカワ・ミステリ)も、そんな職人芸を楽しめる秀作です。
 元ボクサーのレノ・デイヴィスは、あるとき、酒場でからまれている美しい女性を助けます。彼は、ふとしたきっかけから、その女性アンの息子、ポールの家庭教師をまかされることになります。しかし、その母子が住む邸宅には、一癖ありそうな親族がともに暮らしていました。
 アンは、誰かに脅迫されているという恐れをレノに打ち明けます。しかし親族たちが言うには、アンは夫を亡くした後、精神のバランスを崩しているというのです。アンの恐れていることは事実なのか、妄想なのか? レノは思わぬ陰謀の渦中に巻き込まれてしまいます…。
 わりと大部な作品ながら、最後まで飽かせずに読ませます。というのも、全編を通して、サスペンスが上手く持続しているからです。まず、物語の中盤に至るまで、アンの言っていることは本当なのか妄想なのかが判然としません。その後も、アンは本当に主人公の味方なのか敵なのかが、なかなか判明しないのです。そしてまた事件の黒幕はいったい誰なのか? 次々と現れる謎が、小気味よく読者を結末まで引っ張っていってくれます。
 とにかく、ストーリーの緩急をつけるのが上手いのです。物語がゆるくなったところで、引き締めるような要素を入れるタイミングがじつに見事。サイコ・スリラーなのか、冒険小説なのか、ジャンルがどこに転ぶかわからない、中盤までの展開も心にくいばかり。エンタテイメントの逸品です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

誰が裁くのか?  A・H・Z・カー『誰でもない男の裁判』
4794927428誰でもない男の裁判
A・H・Z・カー 田中 融二
晶文社 2004-06-17

by G-Tools

 かっては、雑誌やアンソロジーに、ぽつぽつと短篇が訳載されるだけだった幻の作家、A・H・Z・カー。彼の短編集『誰でもない男の裁判』(田中融二他訳 晶文社)は、非常に粒ぞろいで、バラエティに富んだ短編集になっています。
 上司の容疑をはらすために美人秘書が活躍する、軽妙なストーリー展開の本格風作品『姓名判断殺人事件』、レストランで食事をしていた語り手が、居合わせた青年から聞いた奇妙な話を語る異色短篇『ジメルマンのソース』なども面白いのですが、とくに読みごたえがあるのは『黒い子猫』『ティモシー・マークルの選択』『誰でもない男の裁判』の三編でしょう。以下、簡単にあらすじを紹介します。

 『黒い子猫』 牧師であるウォルター・スローンは、ふとした間違いから、七歳になる娘エレンが可愛がっている黒い子猫を踏んでしまいます。ウォルターは、瀕死になった子猫をひと思いに殺してしまおうと、金槌で子猫の命を絶ちます。しかし、その事実を知ってしまった娘を前に、ウォルターは悩みます…。
 罪悪感に悩まされる父親の苦悩を描いています。小粒な題材ながら、読者の「身にしみる」作品です。

 『ティモシー・マークルの選択』 学内で新聞の編集長をしているティモシー・マークルは、新聞編集のスタッフとして、デニーを招きいれます。彼は、ティモシーの父親が勤務する会社の社長の息子でした。ある日、ティモシーは親から、近所に住む老人が車に轢かれて死んだという話を聞きます。ふとしたきっかけから、その事故はデニーがおこしたものではないかと思い当たったティモシーは、思い悩みます。彼が突き付けられた選択とは…?
 倫理的な判断を迫られる青年の悩みを描いた作品。自分の人生を左右する問題に対して、彼が取った決断とは…? 結末を読者にゆだねる、リドル・ストーリーの佳作です。

 『誰でもない男の裁判』 無神論者として名を馳せる作家、エルモ・ダージョン。とある後援会の席上で「もし神がいるのなら、おれを殺してみろ!」と叫んだ瞬間、ダージョンはその場にくずれおちます。彼を撃ったのは、ジョン・ノーボディと仮の名前を付けられた謎の男。ノーボディは、神の「声」がダージョンを殺せと命じたというのです。ノーボディに対する擁護の論調が高まるなか、事件を目撃していたミラード神父は、事件の調査会に参加することになります。証言台に立ったミラード神父の胸には、ノーボディに対する一片の疑惑がありました…。
 殺人を犯した男は、ほんとうに「神の声」を聞いたのだろうか?「信仰」と「神」の問題を問いかける、異色の中編です。合理的に解き明かされる謎と、理屈では割り切れない驚愕の結末。恐るべきインパクトを持つ、間違いなくカーの最高傑作と呼べる作品です。

 紹介した三編『黒い子猫』『ティモシー・マークルの選択』『誰でもない男の裁判』に共通するテーマとしては、倫理的な問題が挙げられます。基本的なスタイルとしては、ある人間が、自分の道徳観念をゆさぶられる出来事に出会い、それに対してどう対処するのか悩む、というもの。
 小説のテーマとしては、とくに珍しくもないのですが、カーの独創性は、その倫理問題に安易に答えを出さないところにあると言っていいでしょう。『黒い子猫』でいえば、子猫を殺してしまった牧師は、娘にあやまるのが教科書的な解答です。『ティモシー・マークルの選択』においては、友人のひき逃げを告発するのが正しい行為です。しかし、現実問題として、世の中においては、正しい行為がなされるとは限らない、のです。というよりも、現実のしがらみにおいては、道徳の教科書のような模範的な行為をなす方が難しいのです。そこのあたりを、ミステリの枠を借りて語っているのが、カーの作品ではないでしょうか。
 上に見てきたように、倫理問題の提出と、それに続く主人公の逡巡、読者に解決を選ばせるリドルストーリー的な結末、というのが、カー作品の基本的な型なのですが『誰でもない男の裁判』という作品に限っては、その例外となっています。
 他の作品と異なり、この作品では、作中で、主人公の神父は積極的な(倫理的)選択をします。ただその結果、引き起こされる出来事は神父の信仰さえ揺るがすものとなっているのです。それが神や信仰にかかわることだけに、事実があるわけでも確証を得ることもできない…。この状態で、神父はどうすればいいのか? ここでもカーは答えの出ない選択を読者に委ねるのです。
 本書は、いちおう「ミステリ」という枠で書かれた作品集ですが、それにとどまらず、ひろく一般に訴える可能性のあるテーマを持っています。ジャンルに関係なく、多くの人に読んでほしい作品集ですね。

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懐疑時代の冒険小説  サミュエル・シェラバージャー『虚栄の神』
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 バロネス・オルツィ『紅はこべ』や、アンソニー・ホープ『ゼンダ城の虜』など、古いタイプの冒険小説では、たいてい主人公は「騎士道」を信奉する若い青年です。それらの作品においては、主人公の価値感がしっかりしており、行動基準に「ぶれがない」ことが常です。しかし、その点で、今回紹介する作品、サミュエル・シェラバージャー『虚栄の神』(西村考次訳 創元推理文庫)の主人公は異色です。
 舞台は18世紀のヴェネチア、貴族の私生児リチャードは、演劇の道を志していました。リチャードは、舞踏会で知り合った可憐な女性マリツァと恋に落ちます。しかし、彼を憎む青年期族サグレードは、ことあるごとにリチャードを迫害します。リチャードは、舞踏会の余興である芝居の中で、サグレードをこけにするための策略を考えます。計画は見事成功しますが、それがもとになり、リチャードは世界をまたにかける冒険行に出ることを余儀なくされます…。
 この作品の面白いところは、主人公リチャードに、確乎とした「信念」や「価値感」がないところでしょう。「正義」のために戦う、というような一貫した行動基準がリチャードにはないのです。それゆえ、主人公は、周りの情勢に翻弄され、いろいろな職業を転々とします。俳優、劇作家、貴族、軍人、スパイ、とその種類はさまざまですが、彼は何をやっても、本当の自分はここにはいない、と感じているのです。いま、貴族を職業のように書きましたが、まさに彼にとっては、貴族と言う身分も、役柄の一つでしかありません。
 主人公が「一徹な」正義の味方ではなく、アイデンティティに悩む青年、という意味では、現代の読者にとっては、感情移入しやすい作品ではないでしょうか。
 さて、肝心の物語の方は、イタリアをはじめとして、イギリス、フランス、はてはアメリカ大陸までと、舞台が非常に幅広く動くのですが、そのわりには盛り上がりません。というのも、剣戟やアクションシーンがほとんどないため、いまいち刺激に欠けるのです。前半で、敵役の青年と戦うシーンがあるのですが、これも見せ場に欠ける感じです。しかもこの敵役、前半で消えてしまい、後半は全く出てこないのです。全編を通して登場人物のからみが薄いため、物語の躍動感に欠けるのは致命的。それでも、主人公の職業遍歴の部分などで、もっと書込みがなされていれば、面白くなったろうと思うのですが、それもかなり薄味です。
 ちなみに、この『虚栄の神』を読んでいて思い出したのは、ラファエル・サバチニ『スカラムーシュ』(大久保康雄訳 創元推理文庫)という作品。職業を転々とし、アイデンティティに悩む主人公、という点では、かなり共通点があります。ただこちらの作品の方が、二転三転するストーリー展開といい、魅力的な主人公といい、数段上の出来栄えでしょう。『スカラムーシュ』を読んだ後に、『虚栄の神』を読むと、これが『スカラムーシュ』の劣化版みたいに見えてしまうのが難点です。
 ただ、18世紀の時代風俗がよく描けているという点では『虚栄の神』もなかなかではないかと思います。主人公が俳優、義父が作曲家という設定のために、芸術に関する蘊蓄や背景が多く描かれており、そのあたりに興味のある人には面白く読めるでしょう。
 波瀾万丈な冒険小説を期待してしまうと、当てがはずれてしまいますが、歴史風俗小説として見れば、それなりに読める作品です。

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プロフィール

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主催。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。



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