先日の記事でも紹介した、ディーノ・ブッツァーティの短編集『神を見た犬』(関口英子訳 光文社古典新訳文庫)が刊行されました。全22編中、嬉しいことに、本邦初訳が10編も含まれていました。短編集が、軒並み絶版ということもあり、既訳の作品も含めて、現在手に入るブッツァーティの邦訳としては、望みうる最上のものといっていいでしょう。 先日の記事で紹介した作品もいくつか含まれているので、今回はそれ以外の作品から、ご紹介します。
『天地創造』 全能の神のもとに、一人の天使がたずさえてきたのは、ある惑星のプロジェクト。その星には「生命」と呼ばれる存在を植え付けようというのです。天使たちは争って、さまざまな動物のデザインを持ち込みます。神は快くそれらを承認していきますが、ひとりだけ、皆から疎まれている天使の案だけには承認をしかねていました。見るだけで嫌悪感を抱かせるその動物の名前は「人間」…。 神や天使たちから疎まれる「人間」という、皮肉の利いたファンタジーです。
『アインシュタインとの約束』 ある日、アインシュタイン博士は、プリンストンの街を散歩中に突然霊感に囚われます。その直後、彼は、黒人から声をかけられます。悪魔だと名乗る黒人は、彼の命をもらいにきたと語ります。アインシュタインは、研究を完成するために、あと一か月だけの猶予をくれと懇願します。そして一か月がたちますが…。 典型的な「悪魔との契約」テーマの作品ですが、考えオチというべき、皮肉の利いたラストが見事。
『聖人たち』 聖人たちはみな、海岸沿いに、ひとり一軒ずつの居心地のよい家をあてがわれていました。新しく聖人に列せられると、またひとつ家が建てられるのです。やってきたばかりの聖ガンチッロは、世間を驚かせるようなことをしたこともない、地味な聖人でした。日々、同僚のもとに寄せられる嘆願書の山を見て、焦燥感に囚われたガンチッロは、自分も何かせねばなるまいと、ささやかな奇跡を起こすのですが…。 悪気のない聖人が起こした奇跡は、あまり評判を呼びません。失望した彼のもとにやってきたのは…。落ち着いた雰囲気の中で語られる、心温まるファンタジー。しみじみとした結末が余韻を残します。
『風船』 二人の聖人、オネートとセグレタリオは、地上ではだれひとり幸せでない、ということについて、賭けをします。オネートは、さっそく下界から貧しく幼い女の子の姿を見つけだします。母親から風船を買ってもらった彼女の喜びは、まさしく幸せそのものに違いない。しかし、その場を通りかかった三人組の若者は、それをぶち壊してしまいます…。 こちらは『聖人たち』とは対照的に、人間の残酷さを描く作品。
『呪われた背広』 とあるパーティで、ある男の着ている、非の打ち所のない背広に目を奪われた「私」は、その背広がコルティチェッラという仕立屋の手になることを知ります。さっそく仕立屋をたずねて、背広を作ってもらった「私」は、その見事さに感心しながらも、言い様のない不快感を覚えます。ふと背広の右ポケットに手を入れると、そこには一万リラ札が。しかもポケットに手を入れるたびに、一万リラ札は出てくるのです。欲にとらわれた「私」は、せわしなく紙幣を取り出しにかかりますが…。 悪魔的な仕立屋が作った「魔法」の背広。際限なく金が引き出せるかのように見えたものの、意外な落とし穴が…。人間の欲には限りがない、という風刺的な短編。
『一九八〇年の教訓』 冷戦のただなか、ソ連の最高指導者クルーリンが急死します。西側がほっとしたのもつかの間、今度はアメリカ大統領フレデリクソンが心筋梗塞と思しき発作で世を去ります。その後も、要職にあると思われる人物が死に見舞われます。ようやく人々は、人智を超えた力が、地球上の最高権力者たちを葬っていることに気づきます。命が惜しくなった要人たちは、こぞって地位を投げ出すようになりますが…。 フレドリック・ブラウンを思わせるアイディア短編。新聞記事風に綴られた文章が、効果を上げています。ふてぶてしく生き続けるド・ゴールの描写が、ときおり挟まれ、おかしさを誘います。
『秘密兵器』 アメリカとソ連の対立は頂点に達し、ついにソ連はアメリカに向けて数多のミサイルを発射します。直後に、アメリカもソ連に向けてミサイルを発射します。世界の終わりかと思った人々は、ミサイルが白い煙だけを吐き出すのを見て安心しますが、それは究極の「秘密兵器」だったのです…。 究極の「秘密兵器」は、なんら冷戦の構造を変えるものでなく、双方の立場を入れ替えたものでしかなかった、という相対的な認識を描いた作品。
『天国からの脱落』 永遠の幸福を約束された聖人たち。しかし、ふと下界の光景を見てしまった聖エルモジェネは羨望の念に囚われます。そこには、夢と希望にあふれた若者たちの姿があったのです。エルモジェネは神に、地上で一からやり直したいと懇願します…。 天上の永遠の幸福には、持つべき希望もありえない…という逆説。やさしさに満ちた雰囲気が、心地よい作品です。
『わずらわしい男』 レモラと名乗る男が、フェニスティのもとに面会に訪れます。聞いたこともないリモンタという男の紹介で訪れたというレモラは、延々と自分の窮状を訴えます。あまりの鬱陶しさに、フェニスティは、紙幣をやってレモラを追い返しますが…。 神も逃げ出すという、「わずらわしい」男を描いたブラック・ユーモア短編です。
『驕らぬ心』 都会の一角、廃車になったトラックを告解室に使っているチェレスティーノ修道士のもとに、まだ若い司祭が告解に訪れます。「司祭さま」と呼ばれることに喜びを感じてしまう自分は、高慢の罪を犯しているのではないか。チェレスティーノは、若者を快く赦します。数年後、再び若者は告解に訪れます。やはり「司教さま」と呼ばれることに対して高慢の罪を犯している、というのですが…。 高慢の罪を告解に訪れる司祭の地位がだんだんと上がってゆく…という展開からわかるように、結末は予定調和的ですが、ほのかな暖かさの感じられる作品です。
『この世の終わり』 ある朝、とてつもなく巨大な握りこぶしが、町の上空に現れます。それは神であり、世界の終わりだと知った人々は、あわてて司祭を取り囲み、告解を始めます。年若い司祭は、千人近い数の群衆に囲まれたまま、自分の告解はどうしたらいいんだ?と問いかけますが、それに構う者はいません…。 世界の終わりに直面した人々のエゴイズムを描いた作品。司祭を含めた人々がその後、本当に神の赦しを得られたのかどうか、結末をはっきりと記さないのが心にくいところ。
原著は、学生向きに編まれたというだけあって、ブッツァーティにしては、わりとソフトな感触の短編集に仕上がっています。神や聖人を扱った作品が多いのは、意図的な編集なのでしょうか。ブッツァーティらしい「毒」には、いささか欠けるきらいはありますが、解説や年譜等も充実しており、ブッツァーティ入門としては最適な短編集でしょう。
以前に書いたブッツァーティの記事はこちら テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学
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