5月の気になる新刊
5月1日刊 デイヴィッド・マレル『真夜中に捨てられる靴』(ランダムハウス講談社文庫 893円)
5月2日刊 パトリック・マグラア『失われた探険家』(河出書房新社 予価1995円)
5月9日刊 西崎憲編訳『エドガー・アラン・ポー短篇集』(ちくま文庫 予価672円)
5月10日刊 ミステリー文学資料館編『江戸川乱歩と13の宝石』(光文社文庫)
5月10日刊 シャーウッド・キング『上海から来た女』(ハヤカワミステリ 予価1260円)
5月11日刊  北原尚彦・西崎憲編『クルンバーの謎 ドイル傑作集3』(創元推理文庫 予価756円)
5月11日刊 トーマス・オーウェン『青い蛇』(創元推理文庫 予価693円)
5月23日刊 フィリップ・K・ディック『最後から二番目の真実』(創元SF文庫 予価1008円)
5月25日刊 ヘンリー・スレッサー『最期の言葉』〈ダーク・ファンタジー・コレクション〉(論創社 予価2100円)
5月30日刊 ジャック・ウィリアムスン『エデンの黒い牙』(創元推理文庫 予価1113円)
5月刊   キャロル・エムシュウィラー『すべての終わりの始まり』〈短篇小説の快楽〉 (国書刊行会)

 デイヴィッド・マレル『真夜中に捨てられる靴』は、短編集。以前出たマレルの短編集『苦悩のオレンジ、狂気のブルー』が素晴らしい出来だっただけに、期待大です。
 西崎憲編訳『エドガー・アラン・ポー短篇集』は、ポーの新訳短編集。この訳者は文章には定評があるので、気になりますね。
 トーマス・オーウェン『青い蛇』は、『黒い玉』の続編の短編集。
 ヘンリー・スレッサー『最期の言葉』は、〈快盗ルビイ・マーチンスン〉ものを含む短編集。スレッサーは、何冊か邦訳短編集が出ていますが、〈快盗ルビイ・マーチンスン〉ものの翻訳は長いこと途切れていたので、楽しみです。
 キャロル・エムシュウィラー『すべての終わりの始まり』は、たぶん刊行が遅れるような気がしますが、この作家の作品集を出してくれるというだけで感涙もの。

テーマ:新刊・予約 - ジャンル:本・雑誌

ごった煮小説  マーク・トウェイン『アメリカの爵位権主張者』
4882025337アメリカの爵位権主張者—マーク・トウェインコレクション (12)
マーク・トウェイン Mark Twain 三瓶 眞弘
彩流社 1999-01

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 『アメリカの爵位権主張者』(三瓶眞弘訳 彩流社)は、マーク・トウェインの作品中でも、知名度も低く、評価もあまり高くない作品なのですが、捨てがたい魅力があります。
 イギリスの貴族ロズモア伯爵には、何代も前から正当な爵位権を主張する、アメリカの遠い親類がいました。そして、新たに爵位権主張者となったセラーズ大佐は、さっそく正当な爵位を要求する手紙を出します。ロズモア伯爵はそれを無視しますが、理想家肌である伯爵の息子バークレー子爵は、爵位をゆずることを主張します。
 喧嘩別れをしたバークレー子爵は、アメリカに渡りますが、ホテルに滞在中に火事にあいます。行きがかり上、他人の服を着ることなった結果、子爵は死んだとみなされてしまいます。これ幸いと、子爵はふつうの人間になりすまし、自らの力で生きようと決心します。ところが、アメリカにおいては、学歴も肩書きも役に立たず、何の技能も持たないバークレーは、貧窮に悩まされることになります…。
 肩書きを失った青年のアイデンティティ模索、セラーズ大佐の「霊の肉体化」計画など、魅力的なテーマ、素材がめいっぱい詰め込まれた作品です。ただ、あまりに、いろいろな要素を詰め込み過ぎた結果、焦点がしぼりきれず、中途半端になってしまっている感は否めません。
 最初は、バークレーが火事の際に着た服が、たまたま、名うての悪党のものだったために、セラーズ大佐が「霊の肉体化」が成功したと思い込むあたりでは、非常に面白くなりそうな感じなのですが、それが途中で寸断されて、バークレーのアイデンティティ模索の話になってしまいます。これも社会の矛盾を突き詰めるとか、テーマが深化するわけでもありません。
 作中にあらわれる要素要素は、それぞれもの凄く面白くなりそうな可能性を秘めているように思われるのに、どれもが互いの邪魔をしあって、ごった煮的な作品になってしまっているのです。
 まとまりがないのは確かですが、読んでいて、部分部分は面白く、楽しいことは否定できません。この作品、もう少し手が入って、まとまりがついていたなら、とんでもない傑作になったかも…という期待を抱かせる作品ではあります。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

個性のない男  ジャージ・コジンスキー『庭師 ただそこにいるだけの人』
4870316579庭師 ただそこにいるだけの人
ジャージ コジンスキー Jerzy N. Kosinski
飛鳥新社 2004-12

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 ピーター・セラーズ主演の映画化でも有名な、ジャージ・コジンスキー『庭師 ただそこにいるだけの人』(高橋啓訳 飛鳥新社)は、何とも不思議な味わいを持った寓話です。
 少しばかり知恵が足りず、それまでの生涯を、ずっとある屋敷内の庭で過ごしてきた庭師チャンス。彼は、外の世界のことも全く知らず、庭とテレビのことしか知りません。主人の死によって、屋敷を出て行かざるを得なくなったチャンスは、ふとしたことから、大物銀行家の夫人の車と接触事故を起こしてしまいます。銀行家夫妻に気に入られたチャンスは、大統領とも会見することになり、たちまちのうちに時の人となってしまうのですが…。
 大した実力も知性もないのに、勘違いや巡り合わせで、のし上がってしまう、というのはそれこそコメディの世界ですが、その種の作品の場合、だいたいにおいて主人公は、ちっぽけな小悪党だったり、または変化を望まない小市民だったりすることが多く、それがまた、おかしみを倍増させるわけです。
 本作品が、それらの作品と異なる点は、主人公のチャンスには、とくに成功したいとか、人に認められたいという欲望自体が存在しない、というところです。主人公の欲望や意志がそこにある限り、それが人間関係を築く魅力ともなるわけですが、チャンスはただそこにいるだけ。周りの人間が、勝手に解釈をし、いいようにとらえてしまうのです。
 つまりは、個性がないことが個性とでもいうのでしょうか。平々凡々、というのとは違います。チャンスは無色透明であって、そこには何もないのです。そして、それゆえに、人が自らを移す鏡でもあるのです。
 無学で、庭のことしか語ることのできないチャンスの話が、含蓄をもった例えとして、周りには理解されてしまうおかしさ。銀行家の夫人にせまられても当惑してしまうチャンスの哀しさ。
 勝手に自分の意見を反映してしまう、周りの人間のおかしみと対照的なのが、何もないチャンスの哀しさ。小説の褒め言葉として「人間が描かれて」いるという言い回しがありますが、そういう意味で言うと、この作品には「人間が描かれて」いません。何しろチャンスには、人間的魅力がまったくないのだから。
 一般的な意味でのリアリティが全くないにもかかわらず、不思議な魅力をもった作品です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

冗談による死  マイケル・イネス『アプルビイズ・エンド』
4846006425アプルビイズ・エンド
マイケル イネス Michael Innes 鬼頭 玲子
論創社 2005-09

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 近年、再評価が進みつつある作家、マイケル・イネスの作品は、一応ミステリに分類されてはいますが、その肌触りには、むしろファンタジーに近いものがあります。『アプルビイズ・エンド』(鬼頭玲子訳 論創社)も、そんなファンタジー色の強い一編。
 スコットランド・ヤード警部ジョン・アプルビイは、列車の中で、百科事典を編纂しているという風変わりな男エヴァラード・レイヴンと出会います。時刻表の手違いから、途中下車せざるを得なくなったアプルビイは、エヴァラードの屋敷に泊まることになります。風変わりなレイヴン家の人間は、みな芸術的な才能を持っているといいます。エヴァラードのいとこたちに紹介されたアプルビイは、彫刻家のジュディスに心を惹かれます。
 ところが直後に、召使いのヘイホーが首まで身体を雪の中に埋めた状態で発見されます。それは、昔一世を風靡した小説家、ラヌルフ・レイヴンの未発表の小説どおりだというのです。そして、つぎつぎとラヌルフの小説どおりの出来事が起こり始めます。しかも、アプルビイが降り立った駅の名は、アプルビイズ・エンド…。
 小説通りの出来事が次々と現実になるという、テーマからしてファンタジー風の作品ですが、一応は、現実の枠内で事件は解決されます。とはいえ、その肌触りは、やはりファンタジーのそれに近いでしょう。
 注目したいのは、そのファルス志向。冗談と言っても構いませんが、作品世界全体が、冗談でできているかのような印象を受けます。
 何しろ、最初から最後まで、登場人物たちは、それぞれ冗談を飛ばし続けるのです。殺人に対しても、周りの人間は大して気にもとめません。ミステリにおける人間の死が、リアルな血を伴わない「記号」でしかないというのは、以前から言われていた問題ですが、この作品では、それが極端に誇張されているのです。殺人の被害者ヘイホーの死は、まさに「冗談」として描かれています。
 探偵役のアプルビイでさえ、例外ではありません。最終的に真相に到達するとはいえ、レイヴン一族の壮大な冗談に喜んでつきあい続けている感さえあります。
 本格ミステリのファンからすると、ある意味、許せない作品かもしれませんが、冗談小説、ファンタジーとして見ると、とても面白い作品です。いわゆる「本格」に思い入れのない方の方が楽しめるでしょう。さらに付け加えるなら、ある程度ミステリを読み込んで、ミステリのジャンル的な決まり事がわかっていて、なおかつ「本格」にこだわらない人、にはもっと楽しめる可能性があります。
 あとひとつ、作中で言及される小説家ラヌルフの作品のあらすじが、もう少し魅力的であれば、もっと面白くなったような気もします。ただその陳腐さが、ある意味、作品中の肝にもなっているのが、心憎いところです。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

聖人たちの天国  ディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』
433475127X神を見た犬
ブッツァーティ 関口 英子
光文社 2007-04-12

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 先日の記事でも紹介した、ディーノ・ブッツァーティの短編集『神を見た犬』(関口英子訳 光文社古典新訳文庫)が刊行されました。全22編中、嬉しいことに、本邦初訳が10編も含まれていました。短編集が、軒並み絶版ということもあり、既訳の作品も含めて、現在手に入るブッツァーティの邦訳としては、望みうる最上のものといっていいでしょう。
 先日の記事で紹介した作品もいくつか含まれているので、今回はそれ以外の作品から、ご紹介します。

 『天地創造』 全能の神のもとに、一人の天使がたずさえてきたのは、ある惑星のプロジェクト。その星には「生命」と呼ばれる存在を植え付けようというのです。天使たちは争って、さまざまな動物のデザインを持ち込みます。神は快くそれらを承認していきますが、ひとりだけ、皆から疎まれている天使の案だけには承認をしかねていました。見るだけで嫌悪感を抱かせるその動物の名前は「人間」…。
 神や天使たちから疎まれる「人間」という、皮肉の利いたファンタジーです。

 『アインシュタインとの約束』 ある日、アインシュタイン博士は、プリンストンの街を散歩中に突然霊感に囚われます。その直後、彼は、黒人から声をかけられます。悪魔だと名乗る黒人は、彼の命をもらいにきたと語ります。アインシュタインは、研究を完成するために、あと一か月だけの猶予をくれと懇願します。そして一か月がたちますが…。
 典型的な「悪魔との契約」テーマの作品ですが、考えオチというべき、皮肉の利いたラストが見事。

 『聖人たち』 聖人たちはみな、海岸沿いに、ひとり一軒ずつの居心地のよい家をあてがわれていました。新しく聖人に列せられると、またひとつ家が建てられるのです。やってきたばかりの聖ガンチッロは、世間を驚かせるようなことをしたこともない、地味な聖人でした。日々、同僚のもとに寄せられる嘆願書の山を見て、焦燥感に囚われたガンチッロは、自分も何かせねばなるまいと、ささやかな奇跡を起こすのですが…。
 悪気のない聖人が起こした奇跡は、あまり評判を呼びません。失望した彼のもとにやってきたのは…。落ち着いた雰囲気の中で語られる、心温まるファンタジー。しみじみとした結末が余韻を残します。

 『風船』 二人の聖人、オネートとセグレタリオは、地上ではだれひとり幸せでない、ということについて、賭けをします。オネートは、さっそく下界から貧しく幼い女の子の姿を見つけだします。母親から風船を買ってもらった彼女の喜びは、まさしく幸せそのものに違いない。しかし、その場を通りかかった三人組の若者は、それをぶち壊してしまいます…。
 こちらは『聖人たち』とは対照的に、人間の残酷さを描く作品。

 『呪われた背広』 とあるパーティで、ある男の着ている、非の打ち所のない背広に目を奪われた「私」は、その背広がコルティチェッラという仕立屋の手になることを知ります。さっそく仕立屋をたずねて、背広を作ってもらった「私」は、その見事さに感心しながらも、言い様のない不快感を覚えます。ふと背広の右ポケットに手を入れると、そこには一万リラ札が。しかもポケットに手を入れるたびに、一万リラ札は出てくるのです。欲にとらわれた「私」は、せわしなく紙幣を取り出しにかかりますが…。
 悪魔的な仕立屋が作った「魔法」の背広。際限なく金が引き出せるかのように見えたものの、意外な落とし穴が…。人間の欲には限りがない、という風刺的な短編。

 『一九八〇年の教訓』 冷戦のただなか、ソ連の最高指導者クルーリンが急死します。西側がほっとしたのもつかの間、今度はアメリカ大統領フレデリクソンが心筋梗塞と思しき発作で世を去ります。その後も、要職にあると思われる人物が死に見舞われます。ようやく人々は、人智を超えた力が、地球上の最高権力者たちを葬っていることに気づきます。命が惜しくなった要人たちは、こぞって地位を投げ出すようになりますが…。
 フレドリック・ブラウンを思わせるアイディア短編。新聞記事風に綴られた文章が、効果を上げています。ふてぶてしく生き続けるド・ゴールの描写が、ときおり挟まれ、おかしさを誘います。

 『秘密兵器』 アメリカとソ連の対立は頂点に達し、ついにソ連はアメリカに向けて数多のミサイルを発射します。直後に、アメリカもソ連に向けてミサイルを発射します。世界の終わりかと思った人々は、ミサイルが白い煙だけを吐き出すのを見て安心しますが、それは究極の「秘密兵器」だったのです…。
 究極の「秘密兵器」は、なんら冷戦の構造を変えるものでなく、双方の立場を入れ替えたものでしかなかった、という相対的な認識を描いた作品。

 『天国からの脱落』 永遠の幸福を約束された聖人たち。しかし、ふと下界の光景を見てしまった聖エルモジェネは羨望の念に囚われます。そこには、夢と希望にあふれた若者たちの姿があったのです。エルモジェネは神に、地上で一からやり直したいと懇願します…。
 天上の永遠の幸福には、持つべき希望もありえない…という逆説。やさしさに満ちた雰囲気が、心地よい作品です。

 『わずらわしい男』 レモラと名乗る男が、フェニスティのもとに面会に訪れます。聞いたこともないリモンタという男の紹介で訪れたというレモラは、延々と自分の窮状を訴えます。あまりの鬱陶しさに、フェニスティは、紙幣をやってレモラを追い返しますが…。
 神も逃げ出すという、「わずらわしい」男を描いたブラック・ユーモア短編です。

 『驕らぬ心』 都会の一角、廃車になったトラックを告解室に使っているチェレスティーノ修道士のもとに、まだ若い司祭が告解に訪れます。「司祭さま」と呼ばれることに喜びを感じてしまう自分は、高慢の罪を犯しているのではないか。チェレスティーノは、若者を快く赦します。数年後、再び若者は告解に訪れます。やはり「司教さま」と呼ばれることに対して高慢の罪を犯している、というのですが…。
 高慢の罪を告解に訪れる司祭の地位がだんだんと上がってゆく…という展開からわかるように、結末は予定調和的ですが、ほのかな暖かさの感じられる作品です。

 『この世の終わり』 ある朝、とてつもなく巨大な握りこぶしが、町の上空に現れます。それは神であり、世界の終わりだと知った人々は、あわてて司祭を取り囲み、告解を始めます。年若い司祭は、千人近い数の群衆に囲まれたまま、自分の告解はどうしたらいいんだ?と問いかけますが、それに構う者はいません…。
 世界の終わりに直面した人々のエゴイズムを描いた作品。司祭を含めた人々がその後、本当に神の赦しを得られたのかどうか、結末をはっきりと記さないのが心にくいところ。

 原著は、学生向きに編まれたというだけあって、ブッツァーティにしては、わりとソフトな感触の短編集に仕上がっています。神や聖人を扱った作品が多いのは、意図的な編集なのでしょうか。ブッツァーティらしい「毒」には、いささか欠けるきらいはありますが、解説や年譜等も充実しており、ブッツァーティ入門としては最適な短編集でしょう。

以前に書いたブッツァーティの記事はこちら

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

友達は殺人犯  ウィリアム・ゴールドマン『殺しの接吻』
4150017530殺しの接吻
ウィリアム・ゴールドマン 酒井 武志
早川書房 2004-06-11

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 ウィリアム・ゴールドマン『殺しの接吻』(酒井武志訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリ)は、映画の原作小説となるサイコ・スリラー。この作品、猟奇的なサイコ・スリラーが氾濫する現代にあって、ユニークな特徴を持っています。
 一人住まいの女性を狙った連続殺人が発生します。被害者の額には、口紅で毒々しくキスマークが描き込まれていました。ある日、事件を担当するモー・ブランメル刑事に、一本の電話がかかってきます。殺人者を名乗る男は、犯人しか知らないはずの事件の詳細を語り、親しげな口調で語りかけます。
 殺人犯はなかなかつかまらず、事件は続きますが、たびたび刑事のもとにかかってくる電話を通して、殺人犯と刑事との間に妙な親近感が生まれはじめます…。
 世間一般で言う「友情」とは形が違うものの、刑事と殺人犯の間に生まれる、奇妙な「親近感」が読みどころです。異常性格者である殺人犯に親近感を抱くだけあって、この主人公の刑事もまた、屈折した性格を抱えています。二人とも過去に、母親との軋轢があったことも共通点として記されます。
 刑事が主人公ではあるのですが、警察側の捜査状況は、ほとんどといっていいほど描写されません。刑事と殺人犯の知恵比べ、といった要素はあまりなく、むしろ刑事と殺人犯の心理を描いた異常心理サスペンス、といった趣が強い作品です。それを表すかのように、殺人犯のプロフィールは前半で、読者に明かされてしまうのです。
 殺人犯は、資産家で、優男。ものまねがうまく、女装をしても見破られないほど。この殺人犯の造形が非常に面白いところです。
 さらに後半、殺人犯の犯行をまねた模倣犯が現れるにおよんで、物語は大きく動き始めます。プライドを傷つけられた殺人犯は、刑事に模倣犯を捕らえるように強調するのです。警察の無能さに業を煮やした殺人犯は、なんと自ら捜査をはじめて模倣犯を追いつめてしまいます。そして最終的に彼がとったのは、恐るべき手段。それに対する刑事の反応は…。
 刑事も殺人犯も、一皮剥けば、中身はそう違うものではない。一般の人間でもふとしたきっかけで、殺人犯になりうるのだ…。1964年と、発表は古いながら、極めて現代的なテーマをもった異色サスペンスです。
 デヴィッド・フィンチャー監督の映画『セブン』と共通するものがある…といえば、少しはこの作品の魅力が伝わるでしょうか。ただ猟奇的なだけのサイコ・スリラーに飽き飽きした人にこそ、読んでいただきたい作品です。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

このごろ読んだ本
ぼくの大好きな外国の漫画家たち 活字狂想曲―怪奇作家の長すぎた会社の日々 無意味なものと不気味なもの
人間はどこまで耐えられるのか もしもし、運命の人ですか。 グラフィック・デザイナーの仕事

 最近、時間があまりとれないせいもあり、小説がなかなか読めません。基本的に小説の場合、物語の流れにのったら、一気に読んでしまった方が面白いんですよね。なので、あまり時間がないときは、小説以外の本を手に取ることが多くなっています。
 そんなわけで、最近読んで面白かった、小説以外の本をご紹介しましょう。

 植草甚一『ぼくの大好きな外国の漫画家たち』(晶文社)
 近年復刊された〈植草甚一スクラップブック〉シリーズの一冊。外国の漫画家たちについて語ったエッセイ集です。書かれた時代が古いため、いまとなっては、あまり話題にならない人も含まれていますが、とにかく読んでいて楽しい本です。有名どころでは、トミ・ウンゲラー、フォロンなどが取り上げられています。

 倉阪鬼一郎『活字狂想曲』(時事通信社)
 怪奇作家、倉阪鬼一郎のエッセイ集、なのですが、これが面白い! 印刷会社に校正係として勤務していたときの体験を扱っているのですが、著者の変人ぶりが爆笑もの。そして、著者に勝るとも劣らない奇人・変人が目白押しに登場して、楽しませてくれます。コミュニケーション能力に欠けるが有能な、ラヴクラフトファンの「ラヴクラフト氏」、東大大学院卒なのに無能で、一作も作品を書いた事のない作家志望の「横光利一氏」など。
 この人、小説よりエッセイストの方が向いてるんじゃないでしょうか。

 春日武彦『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)
 精神科医でもある、春日武彦の文芸評論集。とりあげられる作品が、どれもグロテスクで、B級の香りがする作品が多いのが興味深いですね。エッセイなどでも共通するのですが、この著者、本職だけあって、狂気の表現がすごく上手いです。フロイトがどうだの、象徴がどうだの、とか、そういう話ではなく、具体的な実例をあげたり、個人的な体験をさしはさむなどして、淡々と説明するのですが、それが非常に説得力があるのです。とりあげる例でも、はっきりとした「狂気」というよりも、むしろ「違和感」や「気持ち悪さ」といった要素が強い感じです。
 文芸評論にしては、異様に「私」的な体験部分が突出しているのですが、それがまた面白いところです。変に細部がリアルで、しかも全体的に陰鬱なトーンなので、気分が沈んでいるときには読まない方がいいかも。

 フランセス・アッシュクロフト『人間はどこまで耐えられるのか』(矢羽野薫訳 河出書房新社)
 極限状況において、人間の体はどこまで耐えることができるのか、を探った科学ノンフィクション。エベレストの山頂、深海、火山帯、極地、宇宙空間など、極限的な自然環境における人間の生理が、こと細かに記されています。専門用語はほとんど使われず、著者の文章にもユーモアがあるので、読みやすさは抜群です。飛行機に異常事態が起こったとき、もしくは船が難破して冷たい海に投げ出されたときなどに、どうすればいいのか、という具体的なサバイバルにも言及していて、その点でも参考になります。

 穂村弘『もしもし、運命の人ですか。』(メディアファクトリー)
 歌人兼エッセイストである著者のエッセイ集。主に恋愛についての文章を集めているのですが、洒落たユーモアがたまりません。歌人だけあって、言葉の使い方も非常に面白く、感心させられます。内容もぶっ飛んでいて、その発想は、ある種〈センス・オブ・ワンダー〉の域に達しています。
 例えば「「ときめき」延長作戦」。相手の事を知り過ぎると「ときめき」が磨耗してしまうので、互いの情報をあまり知らせずにつきあったらどうか、という提案。結婚記念日に「贈り物」として、年齢・血液型・名前などの情報をひとつづつ教えていけば「ときめき」が長持ちする…。ギャグに近いネタもあるのですが、意外と本質をついているなあ、と感じさせるところもあります。
 この人のエッセイ集は、どれもみな面白いのでオススメです。

 太陽レクチャーブック001『グラフィック・デザイナーの仕事』(平凡社)
 現在活躍中のデザイナーたちへのインタビューを集めた本。専門用語が使われるわけでもなく、一般読者にもわかりやすく書かれていて楽しめます。クラフト・エヴィング商會が目当てで購入したのですが、期待を裏切らない内容でした。値段もリーズナブルなので、クラフト・エヴィング商會のファンは是非。

テーマ:読了本 - ジャンル:本・雑誌

昔の女を探せ  リチャード・ニーリィ『日本で別れた女』
4150013888日本で別れた女 (ハヤカワ・ミステリ 1388)
リチャード・ニーリィ 金田 文夫
早川書房 1982-02-26

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 リチャード・ニーリィのミステリ作品には、ある特徴があります。それは「どんでん返し」。どの作品にも必ず何度か「どんでん返し」が使われ、めくるめくような感覚を味わうことができます。本作『日本で別れた女』(金田文夫訳 ハヤカワ・ミステリ)も、そんなニーリィ独特の味が前面に出た作品です。
 ある日キャサリンは、広告会社の重役である義父スコット・ウエルズが、昔書いた小説の原稿を発見します。若いころ、彼は作家志望だったのです。そこには、進駐軍の若い兵士と日本の娘のロマンスが描かれていました。キャサリンは、小説の主人公のなかに、父親らしい優しさを認めて微笑みます。
 しかし、スコットの妻ティナは、小説が事実に基づいていると考え、夫を疑いはじめます。今でも日本の友人と連絡をとっている夫は、不倫をしているのではないか? ティナは、夫の身辺調査をいとこのガードナーに頼みます。ところが、その直後、彼女は死体となって発見されます。ガードナーは、スコットとキャサリンにかかった殺人容疑を晴らすために、調査を開始しますが…。
 作品のしょっぱなから、作中内作品(スコットの書いた小説)が登場し、それを読む娘キャサリンの描写が、交互にはさまれていくという構成をとっています。この作中内作品が、なかなか曲者。
 この作品の一番のキーポイントは、主人公の昔の恋人である日本人女性が本当に存在するのか、存在するとして現在でも主人公の近辺にいるのか? というところ。序盤では、作中内作品が事実なのかどうかが保証されないために、日本人女性が実在するのかわかりません。主人公に容疑をかけるために、他人が捏造した可能性があると、読者は勘ぐってしまうのです。
 けれど、ニーリィ自身は、作中内作品の客観性については、ほとんど関心がないような感じを受けます。つまり、登場人物たちが、作中内作品の内容が捏造された可能性がある、とは全く考えないのです。作中内作品の内容はあくまで事実である、という前提でストーリーが進められていくのです。
 探偵役が、主人公と一緒にいる日本人女性を見かける描写もはさまれるなどして、その印象も強められています。その結果、やはり妻を殺害する動機がスコットにあることが仄めかされるわけです。
 後半になると、怒濤のように「どんでん返し」が連発されます。あまりに連発されるので、誰が犯人でもいいような気になってくるほど。そのため、ストーリーが、多少不自然になっている感は否めません。登場人物の性格の掘り下げが浅いのも、ちょっと気になるところですね。ストーリーの展開と、キャラクターの結びつきが弱い印象を受けてしまいます。
 ただ趣向自体はたいへん面白く、ニーリィ作品を初めて読む読者なら、充分楽しめる出来でしょう。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

怪奇への情熱  紀田順一郎『幻想と怪奇の時代』
4879842508幻想と怪奇の時代
紀田 順一郎
松籟社 2007-03

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 名翻訳家、平井呈一を顧問に迎えた、わが国初の本格的なアンソロジー『怪奇幻想の文学』(新人物往来社)、伝説の怪奇小説専門誌『幻想と怪奇』(歳月社)、質量ともに、いまだにこれを超えるものがない記念碑的な叢書『世界幻想文学大系』(国書刊行会)。どれも、このジャンルのファンなら、お世話になったであろうシリーズです。これらの企画に関わり、戦後の怪奇・幻想文学の翻訳紹介を進めてきた功労者と言うべき人物が、紀田順一郎です。本書『幻想と怪奇の時代』(松籟社)は、そんな著者の回想と批評を収録しています。
 全体は、2部に分かれていて、第1部が書き下ろしの回想、第2部が解説やエッセイの再録、という作りになっています。第2部に収録されているのは、ゴシック・ロマンス、ブラックウッド、M・R・ジェイムズなどについての文章。ゴシック関係のものは、『ゴシック幻想』(書苑新社)で全て読めますし、ジェイムズのものは、『M・R・ジェイムズ怪談全集』(創元推理文庫)で読めます。その意味で、あまりコストパフォーマンスはよくありません。
 やはり、評論よりも、第1部の回想のほうが、ファンには面白く読めるでしょう。著者の幼いころの読書傾向から始まって、幻想文学ジャンルにのめり込んでいった過程、そして実際の出版物の具体的な事情など、このジャンルのファンであれば、面白い話題がつまっています。
 興味深かったのは、当時の世間のこのジャンルに対する態度。なにしろ、推理小説でさえ、俗悪な読み物とされていた時代です。怪奇小説などは、低俗の極み、といった感じなのです。
 例えば、著者が、海外から書物を取り寄せようとしたときのエピソード。為替制度の都合で、送金するときに、何の本を買うのかカタログをつけなければいけなかったらしいのです。

 係の行員が身を乗り出すようにしてこちらを見ているので、どうしたんだろうと思っていたが、ハッと気がついたのはカタログの意匠であった。そこには血塗られた吸血鬼が牙をむき出し、女性に襲いかかっている図が掲載されていたのである。

 当時の一般の人々のこのジャンルに対する意識がよくわかります。
 あと、怪奇・幻想ジャンルの台所事情の苦しさ、というところも実感を持って記されています。若き荒俣宏と著者が面会したときのエピソードからも、その辺りの事情が窺えます。幻想文学専業で食べていけるか?という荒俣の質問に対して、著者は答えます。

 私は言下に「幻想文学では絶対に食えない。やめたほうがいいですよ」と答えた。この有能そうで、誠実な学生の道を誤らせてはならないと思ったからである。

 全く身も蓋もない言葉に対して、荒俣の返事が、また、ふるっています。

 しばらく店内の音楽だけが聞こえ、彼はしばし沈黙していたが、やがて意を決したようにいい放った。 
 「ぼくは、やります」


 後年のエネルギッシュな活動を知っている読者は、この言葉に思わず熱くなってしまうでしょう。
 『怪奇幻想の文学』『幻想と怪奇』は、最近では、古書店でも見る機会が少なくなっているので、若い読者の中にはご存じない方もいるでしょう。その点、回想部分にはピンと来ないところもあるかもしれません。ですが、まだまだ、怪奇小説というジャンル自体に偏見を持たれていた時代、このジャンルを広めようとした、著者たちの情熱が感じ取れるという意味では、なかなか面白い書物ではないでしょうか。

テーマ:書評 - ジャンル:本・雑誌



プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主催。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。



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