あらかじめ失われた女  マイクル・コニイ『カリスマ』
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 イギリスのSF作家マイクル・コニイ。彼の作品はジャンル小説である以前に、小説としての枠組みがしっかりとしています。本作品『カリスマ』(那岐大訳 サンリオSF文庫)もその例にもれません。
 ホテルの支配人ジョン・メインは、神秘的な若い女性スザンナと出会い、恋に落ちます。初対面なのに、なぜか自分を知っているらしいスザンナは、また明日会おうと約束をして別れます。メインは翌朝、見知らぬ好男子と一緒にいるスザンナを見つけ、声をかけますが、彼女はメインに見覚えがないような素振りを見せます。約束の場所に姿を現したスザンナは、一緒にいた相手は自分が勤める研究所の所長ストラトンだと話します。しかし詳しいことに関しては口ごもります。
 突然雨が降り出したため、メインはスザンナを車で送ろうと申し出ますが、なぜか彼女は拒否します。そして、こちらに向かってくるレインコートの若い女性を認めたとたん、スザンナは恐怖の表情を浮かべます。風で転んだ拍子に空が晴れ上がり、スザンナは消え失せます。そして、そこには先ほどのレインコートの女性が。その女性はスザンナ! スザンナは再びメインのことを知らないような態度をとります。メインは怪訝に思いますが、ふとあることに思い至るのです。

 「きみは多元宇宙から来たんだね。」ぼくは言った。

 研究所ではパラレルワールドの研究をしており、スザンナはその調査に派遣されているというのです。彼女が来た世界は、メインのいる世界とほとんど同じものでした。並行世界を移動したり、移動したその人間を見ることができるのは、ある種の人間だけ。メインはその能力を持つ人間だと、スザンナは話します。そして付け加えます。

 「もし、わたしがこの囲いから外に出たら、わたしはあなたとわたしの世界で同時に二箇所にいることになるわ。わたしともう一人のわたしが同じ世界にいる。これは不可能よ」

 しかしこの直後、スザンナは雷に撃たれ、焼死してしまうのです!
 メインは研究所のストラトンに近づき、自分を並行世界に派遣してくれと頼みます。別の世界でまだ生きているスザンナを見つけようというのです。折しも仕事のことで揉めていた富豪メローズが殺害され、メインは容疑者として警察にマークされてしまいます。執拗にメインを追い回すバスカス警部の目を逃れ、メインは、ストラトンの装置で〈第二世界〉へ旅立つのですが…。
 最愛の女性を失い、パラレルワールドにまだ生きている女性を捜しにいくというメインとなるテーマに加え、殺人容疑を晴らすというミステリ的な謎解きが、絡み合っている作品です。主人公メインは〈第二世界〉だけでなく、様々な世界を旅するのですが、どの世界も細部が違っているだけで、ほとんど現実世界と同じ作りになっています。それだけに起きる出来事もほぼ共通しており、メインはどの世界でも同じようなトラブルに巻き込まれてしまうのです。
 どの世界でも同じ出来事が起こる蓋然性が高いということ、それぞれの世界には微妙なタイムラグが存在すること、これらの事実からそれぞれの世界の探索は、恋人探しだけでなく、真犯人を捜す行程ともなっています。同一人物が主人公を知っていたり知らなかったりするかと思えば、殺人事件が起きなかった世界もあります。そして中には主人公が死んでしまった世界もあるのです! これらの複雑な要素がからみあった展開は、ミステリとしても一級品です。
 本書は、ミステリ的、SF的な趣向もさることながら、小説としてよく出来ています。傲岸な富豪メローズ、その妻ドリンダ、主人公の親友パーブロ、そしてメインを追いかけるバスカス警部など、どの人物も陰影を持って描かれています。何より運命の女性スザンナを求める主人公の心情が、細やかに描かれているのです。後半、スザンナとは別に主人公の気を引く女性も登場し、結末まで全く飽かせません。結末も一辺倒のものではなく、SF的な要素をうまく使ったハッピーエンドといっていいでしょう。
 ミステリであり、SFであり、恋愛小説でもある作品。派手さはないかもしれませんが、味わい深い傑作です。

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女=悪女?  ピエール・ヴトロン監督『世にも不思議な物語2』
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 ちょっと珍しいビデオを見る機会があったので、紹介しましょう。ピエール・ヴトロン監督『世にも不思議な物語2』。フランス製のオムニバス映画です。タイトルで分かると思いますが「フランス版トワイライトゾーン」みたいな謳い文句を掲げています。
 全話原作付きなのですが、なかなか興味深いラインナップ。エミール・ゾラ、ギョーム・アポリネール、フランソワ・コペ、テオフィル・ゴーチェ、ジャン・コーの幻想小説が原作となっています。ジャン・コー以外はわりと有名な作家だと思います。
 タイトルに「2」とあるので、他にもシリーズが出ているのかと思ったら出てないようです。日本の発売元が勝手に「2」をつけてしまったみたいですね。原題にも「2」は見あたりませんし。詳細をご存じの方がおられたら、ご教示お願いします。
 さて内容紹介に入りましょう。オムニバス映画らしく、まず物語の大枠として、現代の女優が台本を読んでいるというパートが現れます。この台本に、それぞれのエピソードが記されているという趣向です。ちなみに原作はジャン・コー以外、19世紀の作家なのですが、物語の方も現代を舞台に改変したものではなく、19世紀が舞台になっています。

 第一話はエミール・ゾラの原作。こんな話です。
 初老の夫と年の離れた若い妻がアパートに住んでいます。夜、妻の悲鳴が響き渡ります。近所の連中は驚き、家にかけつけてきます。何でもないと言う妻に対し、人々は夫が虐待しているのではないかと考えます。夫婦の上の階に住む美男子の医師がやってきて、自分の部屋で治療をすると言ってドアを閉めます。しかし妻の悲鳴は狂言で、その医師と会うために仕組んだ芝居でした。
 そしてまた別の夜、妻は鞭で自分の体を痛めつけ、悲鳴をあげます。人々は警察に通報し、夫は逮捕されてしまうのですが…。

 第二話はアポリネール『アムステルダムの船員』(窪田範彌訳 福武文庫『アポリネール傑作短篇集』所収)が原作。
 ジャワから帰ってきたアムステルダム出身の水夫は、初老の紳士から声をかけられます。水夫の肩に止まっているオウムを買おうというのです。家に鳥籠があるので、一緒に来てくれといわれ、水夫はついていきます。
 家に入ったものの、水夫は突然ドアを閉められ、閉じ込められてしまいます。ドアに駆け寄ると、のぞき窓からピストルが! 言うとおりにしないと射殺すると脅かされた水夫はうなずきます。まず引き出しから拳銃を取り出させた紳士は、そのまま後ろのカーテンを開けろと指示します。その中には、猿轡をかまされ縛られた若い女性が転がっていました。
 その女性は紳士の妻でした。姦通を犯した妻を殺したいが、彼女を愛している自分には殺せない。今から10数えるうちにお前のピストルでその女を殺さなければ、お前が死ぬことになる…。

 第三話はフランソワ・コペ原作。
 カジノで負け続け、一文無しになった若い男が主人公。そこに太った男が現れ、金を貸してくれないかと頼みます。彼は、今夜十二時ぴったりにルーレットに17番が出ると、確信ありげに話します。主人公は相手にせず、男をやり過ごして外に出ます。ピストル自殺しようとしたそのとき、道ばたで眠っている若い娼婦の姿が眼につきます。娼婦の足下に金貨が落ちており、それを見た主人公は太った男の言葉を思い出し、あわててカジノに駆け戻ります。
 男の言葉通り、ルーレットの数字は的中し、その後も当たりを出し続け大もうけします。そこへ現れた太った男は、先ほどの娘のもとへ行ってやらなければならない、と言うのですが…。

 第四話は、ゴーチェ『オムパレー』(店村新次/小柳保義訳 創土社『ゴーチエ幻想作品集』所収)が原作です。
 富裕だが強欲な貴族が臨終の床にあります。そこへ呼び寄せた甥が現れます。伯父は、女はみな悪魔だとわめきちらし、甥だけを側に残します。ワインが飲みたいという伯父に対し、甥は鍵をもらいワインをとりに行くのですが、その部屋は伯父の妻が死んで以来開いたことのないという部屋でした。部屋の壁には一面にヘラクレスとオンファレを描いたタピスリーがかかっていますが、甥はオンファレの美しさに目をひかれます。伯父によれば、それは伯父と妻とを描いたものでした。
 伯父は甥にふと秘密をもらします。実は妻は自分が殺させた。姦通した妻を許せなかったのだ。甥は驚きますが、タピスリーに描かれた女が気になって、再び部屋に向かいます。タピスリーの女の目からはなんと涙が…。

 最終話は、ジャン・コー原作。ここでは、再び大枠の物語、現代に戻ります。
 女優は、仕事の後、見知らぬ青年に銃を突きつけられます。女優を強姦するという青年に、その理由を訊ねますが、答えてくれません。女優のファンでもないようです。理由のわからぬまま、青年の言うなりになる女優でしたが、シャワーをあびさせてくれと言い出します。
 青年の気がゆるんだ矢先、女優は青年を閉じ込めることに成功します。その直後、女優の恋人がやってきます。相手がまだ子供ゆえ、事を荒立てたくない、という女優にしたがって、恋人は姿を隠します。
 銃と身分証をよこせば、大人しく見逃してやるという言葉にしたがい、青年はドアの下から身分証を差し出します。その身分証を見た恋人は驚きます…。

 非常に退廃的でアンニュイな雰囲気が漂う作品です。各エピソードは基本的に男女の愛をめぐる幻想物語。舞台は大枠の物語を除いて19世紀に設定されていますが、セットもとくに豪華というわけではありません。例えば第二話の水夫が登場する港に至っては安っぽい書き割りのような背景なのですが、それが逆に幻想的な雰囲気を醸し出しています。
 舞台が19世紀だからというわけでもないのですが、物語の展開もかなり遅く、アメリカ映画を見慣れた方なら、イライラするかも。
 そして、すべてのエピソードに共通するテーマは「女の恐ろしさ」です。どの物語でも主人公は、女のために破滅するのです。そのテーマを強めている要素として注目したいのは、枠物語の趣向です。大枠に登場する女優が他の全てのエピソードでもヒロインを演じているのです。各エピソードのつなぎ目も非常にうまく出来ています。とくに、第四話自体が、実は大枠の物語の女優が演じていた芝居だった、というメタフィクション的な趣向はなかなかです。他にも細かい仕掛けがたくさんあって、例えば第二話に登場した紳士とオウムが第三話の酒場にさりげなく登場します。
 派手さはありませんが、テーマと趣向が実にうまく組合わさった佳作だと思います。この作品、話題にされているのを全然見たことがないのですが、捨てがたい味がありますね。
 ちなみにゴーチェとアポリネールの原作小説を読み直してみたのですが、どちらも作者の作品としては、地味な部類のもので、なぜこれを原作に選んだのかは、ちょっとわかりかねます。そもそもゴーチェの幻想小説はどれも大体女がからんでくるので、もっと他にいい原作があったと思うのですが。例えば『死女の恋』あたりでもよかったのではないかと思ってしまいました。

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かごの中の鳥  ロード・ダンセイニ『最後の夢の物語』
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ロード・ダンセイニ 中野 善夫 安野 玲
河出書房新社 2006-03-04

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 河出文庫から出版された《ロード・ダンセイニ幻想短編集成》は、近年稀にみる素晴らしい企画でした。その最終巻である『最後の夢の物語』(中野善夫/安野玲/吉村満美子訳)は、初期の作品集『世界の涯の物語』や『夢見る人の物語』に収録された作品にくらべて、現実世界を舞台にしたものが多くなっています。いくつかの作品は、それこそ異色作家短編集に入れてもおかしくないようなもの。ダンセイニのハイ・ファンタジーが肌に合わない人にこそ読んでいただきたい作品集となっています。それでは面白かったものをいくつか紹介しましょう。
 『五十一話集』は荒俣宏の訳もありますが、かなり寓意が濃いのでちょっと難解な作品もちらほらします。意味を無理に探るよりもイメージを楽しむべきなのでしょう。最後の『詩人、地球とことばを交わす』は稲垣足穂も気に入っていたという極めつけの名作です。
 『不死鳥を食べた男』はかなりホラ話の色彩が濃い作品。ちょっと頭の足りない男が、不死鳥を食べたことから、様々な精霊や不思議な出来事に出会うようになる、という連作短編。男の話を聞く語り手が、本当に話を信じているのか判然としないところも人を喰っています。
 『林檎の木』は、魔女の魔力で鳥になった少年の話。真実を語る少年に対し、それを信じない大人たちが対比されています。少年の話が本当なのかどうか明らかにしないところもスマートです。
 『老人の話』は、アイルランド版浦島太郎の物語。老人の語りが、エドモント・ハミルトン『追放者』を思わせる結末につながります。
 ノームのゴルゴンディ・ワインを盗んでしまった男の顛末を描く『オパールの鏃』
 まだ手に入れてもいない虎皮を広げるために、玉突き台を欲しがる奇妙な男。まるでスタージョンの作品かと見紛うような異様な論理が支配する『虎の毛皮』
 夢の中で犯罪がなくなってしまったために、仕事にあぶれてしまうやり手弁護士の話『悪夢』
 現代に舞台を移し替えた『当世風の白雪姫』は、非常に諷刺の強いモダンなおとぎ話。
 金の価値を理解し、とうとう自分を売りつけることに成功した犬。彼は身なりを整える道具を買い揃え、次第に傲慢になってゆきます。人々は犬である彼に無視されることに非常な恐怖を覚えるのですが…。ユーモアあふれる滑稽譚『無視』
 火星からの電波をなんとか解読した男。そこにはなんと地球における生命の可能性についての議論が…。ダンセイニには珍しいSF作品『第三惑星における生命の可能性』
 黎明期の人類と番犬の出会いを情感豊かに描く寓意ファンタジー『最初の番犬』
 クラブの名誉会員に選ばれた謎の男。誰もがうやうやしく迎えるその男の正体とは…。神話と現実が交錯する『名誉会員』。 
 大佐から聞いた奇妙な話。彼が出会った老修道士の壮大な野望とは…。一読唖然とする珍品『金鳳花の中を下って』
 悪魔から、この世で最高の詩を書ける能力を手に入れた青年。しかしその詩を読み聞かせた人々は、思いもかけない反応を示す。その詩の秘密とは…。リドル・ストーリーのヴァリエーションともいえる『悪魔の感謝』
 犬の抽出物を注入された男は「犬の情熱」のとりこになり、あらゆる事象に情熱を示し始める。男を疎み始めた人々は彼をクラブから除名しようとしますが…。ブルガーコフの「犬の心臓」を彷彿とさせるユーモア篇『犬の情熱』
 誰もが知る美貌の大女優としがない銀行員、二人のつかの間の恋愛を諷刺を交えて描く『忘れ得ぬ恋』
 収録作品はどれも甲乙つけがたいものですが、一番インパクトを受けたのはこの作品『リリー・ボスタムの調査』です。
 十六歳のリリー・ボスタムは天才的な私立探偵。リリーは、最近起こった愛鳥家シモンズ氏の失踪事件について調査を始めます。死体も血痕もなし。犯罪の形跡も、自殺する理由も全くなく、事業の景気もよかったシモンズ氏の失踪は、警察を悩ませます。
 シモンズ氏は鳥を商っていました。リリーは、シモンズ氏の顧客であるヴァネルト夫人を怪しみ、彼女の身辺を調べます。夫人が言っていたという言葉にリリーは注意を惹かれます。

 シモンズも自分の歌い鳥がいなくなって寂しいに違いなく、自分で歌うことを覚えなければならないと彼女はいいました。そして、自分が費用を負担して歌の勉強をさせてやろうといったのです。

 レッスンによって歌が上達したシモンズ氏に、夫人は満足します。

 「さあ、これでもう自分で歌えるようになったわね。きっと大切な鳥たちがいなくなっても寂しい思いをすることもないに違いないわ」

 さらにリリーは、ヴァネルト夫人が、人間が入れるくらい巨大な鳥籠を注文していたことなどをつきとめます。そこから彼女は驚くべき結論を引き出すのですが…。
 少女探偵物語のパロディと思しき本作は、まるでマルセル・エーメやカミ、あるいはラファティといった作家たちのナンセンス・コントの域に達しています。その奇想天外な結末には唖然とされるはず。何より少女探偵のチャーミングさが際だつ傑作です。
 本書は、ダンセイニと言われて思い浮かべるような神話的なファンタジーよりも、軽やかなほら話といった色彩が強い作品集です。上にも記しましたが、ファンタジーが苦手な読者にも読める奇妙な味の短編集になっていますので、ぜひ一読することをお勧めします。

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恋するグラスアイ  埋もれた短編発掘その14
 自他共に認める不幸なオールドミス、そんな彼女がやっと見つけた生きがいとは? 今回は、悲しいラブストーリー、ジョン・K・クロス『義眼』(村社伸訳 早川書房 ミステリマガジン1968年8月号所収)です。クロスはイギリスの怪奇小説家だそうですが、邦訳はこれ一編きりのようです。
 醜い容貌の孤独なオールドミス、ジュリアは、やることなすことことごとく失敗する運命を持っているかのようでした。年配の実業家に誘惑されては捨てられ、やっと手に入れた婚約者は行方をくらます。彼女の愛の対象は、雇い主の老モーフリイと、身体障害児である甥のバーナード少年だけでした。
 あるとき、甥を連れてミュージックホールにショーを見に出かけたジュリアは、あるプログラムに興味を惹かれます。それは、腹話術師マックス・コロディと人形ジョージによるショーでした。ショーを見た彼女は、甥の存在も忘れ、マックス・コロディの美しい容姿にひきつけられます。

 黒い髪が輝いて、あごがうっすらと青みを帯びた翳りを宿し、口髭にはこまやかな手入れが行き届いて、幅広い肩は力強さを物語っていた。こめかみは狭く、眼が深くすわって、あごにはまっすぐな凹みが走り、歯はしゃべるごとに宝石のように輝いた。

 それに対して人形のジョージのグロテスクな容姿に、ジュリアは嫌悪感を感じます。

 彼の膝の上に乗っているジョージというグロテスクな人形は高さ一メートル足らずで亜麻色の髪と、じろじろ見られているような感じを起こさせるいやな目つきをしていた。

 マックス・コロディに熱をあげた彼女は、彼の舞台に通いつめます。公演が終わりコロディが移動すると聞くと、休暇をとり、おっかけを始めます。それと同時に、コロディに直に合いたいと手紙を出し始めるのです。しつこく出し続けた手紙のかいあって、コロディも次第に親愛を示すようになり、あるとき彼女の写真を送ってくれないかと言い出します。ジュリアは恐ろしく古びた、若いころの写真を送ります。そして、とうとうコロディはジュリアと会うことを承知します。
 ただしコロディは、会うに際して条件を出してきます。場所は人気のない小さいホテル、時間は五分間のみ、部屋は薄暗くしておくこと、会うときには人形のジョージが一緒にいること、など。そしてジュリアは憧れのコロディと対面します。そこで思いもかけない悲劇が起こってしまうのですが…。
 コロディがつけた条件とはいったい何のためだったのでしょうか? タイトルの「義眼」の秘密とは?
 ここまでのあらすじで、勘のよい方は結末が予測できてしまうかもしれません。メインアイディアはおそらく前例があるように思いますが、この作品の読みどころはそのアイディアとは別のところにあるのです。醜い中年女であり、不幸を体現したようなジュリア、もともと精神のバランスをくずしかけていた彼女が、マックス・コロディとの出会いにおいて、さらに精神的に追いつめられてしまう過程が読みどころです。それをどこかユーモアを交えて描いたところに、この作品の真骨頂があります。ユーモアと悲哀の入り混じったラブストーリーの逸品と言えるでしょう。
 ちなみに、この作品はテレビドラマシリーズ『ヒッチコック劇場』で映像化されているそうです(詳しくは、geshicchiさんのサイト「海外ドラマ研究サイト HANDMADE」を参照ください)。この作品、昔の映像技術では、映像化は難しいと思われる要素があるのですが、どう処理しているのか気になります。ぜひ見てみたいものです。

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血を分けた仲  エヴァンズ&ホールドストック編『アザー・エデン』
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アザー・エデン
クリストファー エヴァンズ ロバート ホールドストック 浅倉 久志
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 今回紹介するのは、イギリスの書き下ろしSFアンソロジー、エヴァンズ&ホールドストック編『アザー・エデン』(浅倉久志訳 ハヤカワ文庫SF)です。面白かったものを紹介しましょう。
 まずは巻頭作、タニス・リー『雨に打たれて』。おそらくこれが集中で一番の力作です。近未来、核によって汚染された世界での母娘の触れ合いを描いています。汚染によってほとんどの人間が三十にならずに死んでしまう世界で、生きのびる手段は〈センター〉に迎えられることのみ。娘を〈センター〉に入れようとする、一見強欲な母親の本当のやさしさが明らかにされる結末には、ほろりとさせられます。
 ブライアン・オールディス『キャベツの代価』は、オールディスらしい皮肉の効いた作品。植民した惑星から、商売のために宇宙船で往復する父親。しかし「ウラシマ効果」のために、12年ごとに戻ってくる父親はほとんど年をとりません。自分より遙かに老けてしまった妻と、若さあふれる美しい娘、彼らと父親との間の奇妙な三角関係の行方は…。
 グレアム・チャーノック『フルウッド網』は奇妙な味の作品。「偶然」を人為的に引き起こそうという画期的な実験。その結果やたらと偶然が多発するようになります。しかし実験のミスから予期せぬ結末が…。シリアスなタッチで、ある意味ホラーとも読める作品。
 リサ・タトル『きず』は、フェミニズムSF。恋をすると性転換が起こってしまう世界が舞台。ここでは「女」になるということは、敗北者を意味するのです。離婚した主人公の男性は、同僚の青年と親しくしている内に、自分の体に変化が起こりつつあることに、とまどいを覚えるのですが…。直接的な男性批判の作品ではなく、主人公の変化に対する心理の綾が読みどころです。
 そして本アンソロジーの中で一番の怪作ギャリー・キルワース『豚足ライトと手鳥』。キルワースの作品は『掌編三題』として、三編の作品が並んでいるのですが、他の二編は不条理なカフカ風短編であまり面白くありません。くらべて『豚足ライトと手鳥』は異様な設定と奇天烈な展開で楽しませてくれます。
 近未来、高層ビルの高みに住む老婆は飼っていた猫を亡くしたばかりでした。猫は高価でまた買う余裕はありません。そこで老婆の要望を聞いた福祉機械はあることを提案します。片足を切除して、それを使って子豚に似たペットを作れますよ。老婆はその計画に同意します。

 こうして、老婆の右足が切除され、おおざっぱな形と生命を与えられた。その生きものを、老婆は豚足ライトと名づけた。いかにも小さな動物らしく、そいつが床の上をちょこまか走りまわったり、部屋のすみをくんくん嗅ぎまわったりするのを見ていると愉しかった。

 しかし、つむじまがりで、いうことをきかない豚足ライトに老婆は飽きてきます。そこで老婆は今度は左足を切除してペットを作ります。左足はバジルと名づけられ、豚足ライトと仲良くなります。成功に気をよくした老婆は、動物園を拡張することにします。ふたつの耳はくっつけられて蛾になり、両手は鳥になります。動物たちとの暮らしに老婆はとても満足します。
 しかし、ある晩、物音で老婆は目を覚まします。侵入者に気づいたペットたちが戦っているに違いないと考えた老婆ですが、照明をつけた途端、恐ろしいことに気づきます。

 部屋の中央で、手鳥と豚足ライトがとっくみあっている。そのまわりに、血を流し、傷を負ったほかのペットたちがいる。耳蛾のちぎれた体が、ぐしゃっとなって床に落ちている。

 豚足ライトが狂ってしまったに違いない! しかし体中を切除した老婆になす術はありません。ペットたちの争いを不安気に見守ることしかできない老婆でしたが…。
 体の一部をペットにしてしまうという発想が独創的です。グロテスクなイメージながら、異様なおかしさをも醸し出しています。ホラーともファンタジーともつかぬ妙な味わいの作品。
 本アンソロジー、編者の言葉は自信に溢れているのですが、読後感は意外と玉石混淆だなというのが正直なところ。とはいえ、イギリスSFらしい渋い味はなかなかです。上に紹介した作品だけでも一読の価値のある作品集です。

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ナイトビジョンその4
 今週放送分の『ナイトビジョン』のレビューです。

「再会」
 湾岸戦争の英雄デール中尉。自らの命を賭して隊を救った彼は勲章を授与される。10年後、将兵の感謝会の席上で、中尉はかっての隊の仲間たちを見かける。仲間たちは夜バーで飲もうと言って姿を消す。
 その夜中尉は、仲間たちを待つが一向に現れない。しかも時折、戦争時の幻影が現れ、中尉を悩ます。彼は戦争体験でストレス障害に陥っていたのだ。
 やがて姿を表した仲間たちは、戦場で起こった事実を中尉に話し出す。それは中尉が記憶しているものとは全く違う現実だった…。
 主人公の中尉が、幻影を見たり薬を飲むシーンを多用して、彼が精神的に不安定であることを示す描写が、伏線になっています。見ている内に大体結末が読めてしまうのが惜しいです。中尉がフラッシュバックで戦争体験を思い出すシーンなど、演出は悪くないのですが、ストーリーにもう一ひねりほしいところ。

「隣人の監視」
平和に過ごしていたマンションの住人たちに警察から不穏な手紙が届く。刑期を終えた性犯罪者エド・ネヴィルがこのマンションに引っ越してくるというのだ。弁護士のジムとサリーの夫妻は、娘ジェニーの身を案じる。
 警察はネヴィルが何か犯罪行為を犯さない限り、マンションから追い出すことはできないと語る。夫妻は娘にネヴィルに近づかないようにと警告するが、友達に挑発されたジェニーはネヴィルの家に侵入し、おもちゃを盗もうとする。それを見つけたネヴィルはジェニーを捕らえようとし、その拍子に服を破いてしまう。
 ジムたちがジェニーの姿に驚いている間に、警官が彼らを訪ねてくる。ネヴィルがおもちゃを盗まれたと自分から警察に連絡してきたというのだ。その警官に夫妻はネヴィルを捕まえてくれと頼むが、警官は逮捕はできないと語る。
 ジムたちは子供のいるマンションの住人たちを集めて、ネヴィルを追い出す相談を始める。手始めに彼の車に傷をつけメッセージを残すが、それでは飽きたらない。とうとう示し合わせてネヴィルを始末しようと計画を練るのだが…。
 ミステリではよくある「隣人」テーマのヴァリエーションであり、ヘンリ・スレッサー風のクライム・ストーリーです。いざこざから隣人を始末しようとするが、思わぬ落とし穴が…というもの。これはもう完全にオチが読めてしまいます。というか、同じようなストーリーをどこかで読んだことがあるような気がします。子供を守るために性犯罪者を追い出そうとする親たち、というのはなかなか興味をそそる題材なのですが、展開がちょっとお約束過ぎる気がします。

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英国人の魂  ウィリアム・モール『ハマースミスのうじ虫』
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 今回はウィリアム・モール『ハマースミスのうじ虫』(井上勇訳 東京創元社 世界推理小説全集23収録)を紹介しましょう。ミステリファンなら、瀬戸川猛資がエッセイ集『夜明けの睡魔』(創元ライブラリ)で、この作品を褒めていたのを記憶している方もいるかも。瀬戸川はこの作品に対して「誇り高さ」「凛々しい男の子っぽさ」という表現をしていましたが、確かにそうした評も肯けるような作品です。
 ぶどう酒商会の重役をつとめるキャソン・デューカーは、素人探偵を趣味としていました。人間観察家をもって任じるキャソンは、行きつけのクラブ「ケイン」で銀行の重役ヘンリー・ロッキヤーが酒を浴びるほど飲んでいる姿に興味をひかれます。その乱れぶりは、ふだんの謹厳なロッキヤーからは想像もつかない姿です。酔った勢いを利用したキャソンは、ロッキヤーの不機嫌の理由を聞き出すことに成功します。
 それはロッキヤーが恐喝されたという事実でした。同性愛者だという根も葉もない噂を広めるのをやめさせるために、大金を払ったというのです。なぜ事実無根の脅しに屈するのかというキャソンの問いに、ロッキヤーは答えます。貧民街の少年を対象にした帆走クラブ設立を目前に控えている今、もし噂が広がれば、その計画がおじゃんになってしまうからだ、と。
 それよりもキャソンが驚いたのは、バゴットと名乗る恐喝者の用意周到さでした。小柄で眼鏡をかけたその平凡な容姿は、あまりに平凡なために記憶にも残らないのです。そして彼の犯罪理論は明晰極まりないものでした。

 犯罪者の多くは、同じことを繰り返さなければ、犯罪現場へふたたび姿を見せたりしなければ、発見されないものだ、という見解を持っている。自分はけっして同じ人間を二度も恐喝したりはしないというんだ。

 そして弱みを握られた被害者は、裁判で証言をすることには二の足を踏みます。ロッキヤーも例外ではありませんでした。調査の結果、バゴットは以前にも恐喝を働いており、被害者のグリーンハーフという男は自殺していたことが明らかになります。再び被害が繰り返されるのを防ごうと、キャソンは調査を開始します。
 キャソンは、ロッキヤーの話から、バゴットがローマ時代の彫刻に興味を持っているということを知り、ある計画を立てます。友人の骨董商ウィリントンの協力により、バゴットが目をつけそうな彫刻を競売にかけ、おびき寄せようというのです。計画は成功し、バゴットらしき男を特定したキャソンは、その男の後をつけ住まいをつきとめます。さらに、変装して近所に作家として下宿したキャソンは、バゴットの日常を監視し、現行犯で逮捕しようとしますが、バゴットはなかなか隙を見せません…。
 一度脅迫した相手には二度と接触しないという頭脳的な脅迫者バゴット。被害者は噂が広まるのを恐れ、証言しようとしません。この憎むべき相手に対して立ち上がったキャソンの調査が綿密に描かれます。
 探偵役のキャソンが、人間の性質に興味を持つ思索家であるところがユニークです。最初は狡猾でつけいるスキの全くないように思えたバゴットが、キャソンの捜査によって、徐々に人間性を露わにしてゆきます。物理的な捜査に加え、キャソンによって心理的にもバゴットは解剖されてゆくのです。このあたりの心理的なサスペンスはなかなかのもの。
 この作品の視点は、基本的にキャソンを中心に進められるのですが、中盤から時折バゴットの内面描写がはさまれます。この部分は一見、作品中で浮いているような感じを受けるのですが、この部分の描写によって、バゴットの卑小さ、醜い虚栄心などが、読者に印象づけられる仕掛けになっています。そしてこれが結末の心理的な伏線にもなっているのです。
 ローマ美術に興味を持つなど、それなりの美的なセンスを持つバゴットは、しかしその教養に似合わぬ世俗的欲望の持ち主です。人から認められたい、ちやほやされたいというその一心でバゴットは犯行を重ねます。その人間的なちっぽけさをキャソンは完膚無きまでに暴いてしまいます。探偵と犯人の闘争といっても、バゴットは自分が監視されているとは知りません。キャソンの一方的な監視や策略によってバゴットは追いつめられていくのです。いくら悪人とはいえ、そのあまりの一方的な攻撃に、読者によっては、バゴットに同情を覚えるのではないかと思うほどです。その意味で、この作品でのキャソンの位置は悪人を裁く「神」にも比せられるでしょう。しかし作者は、そのキャソンの思い上がりを打ち砕くような結末を用意しています。
 結末でキャソンは、虚栄心が高いバゴットの性質を利用して、彼を追いつめます。そしてその過程で、キャソン自身の人間性を試されることにもなるのです。瀬戸川猛資が評した「誇り高さ」が明らかになる最後の三行には、きっと感銘を受けるはず。
 プロットに特別ひねりがあるわけでもなく、展開も実に地味ですが、イギリス小説の、地に足のついた良さが感じられる佳作といえるでしょう。
偶然は怖い  埋もれた短編発掘その13
 偶然というものは、どの程度まで人生を左右するものなのでしょうか? 本編の主人公は偶然を味方につけていました。ある女性に会うまでは…。今回は、偶然の恐ろしさを描いた奇妙な味の作品、ロバート・トゥーイ(本編の表記はトウイ)『階段は怖い』(東野満晴訳 早川書房 ミステリマガジン1969年4月号所収)です。
 
 ヘンリー・ラケット夫人はおそろしい音をたてて地下室の階段をころげ落ちていった。ラケット氏の耳には、それはちょうど階段をころげ落ちる塵芥入れの罐の音のように聞えた。

 衝撃的な一文で、物語は始まります。夫人が死んだにもかかわらず、ラケット氏は平然と警察に電話を入れます。やがて警察が到着し、夫人の遺体も運び去られた後、ひとり残ったのはダークスーツに身をつつんだ痩躯の男、チェンバーズ警部でした。チェンバーズは、不審の目を持ってラケット氏を眺めますが、その態度は理由のないことではありません。ラケット氏が妻を失うのは、これが初めてではないのです。今回死んだ夫人は四人目の妻でした。ラケット氏が妻殺しを繰り返していると考えているチェンバーズ警部ですが、その動機はつかみかねています。

 「しかし、金のためではない。むろん最初のときは-あのおかげであなたは金持ちになりました。けれどもあとのお三方はあなたになにも残していません。ええ、なにかの保険すらもね。それなのにあなたはなぜこんなことをするのです?」

 ラケット氏は、今までの妻の死は全て偶然だと主張します。最初の妻が崖から車ごと墜落して死んだのも、二番目の妻が三階の窓から墜落して死んだのも、三人目の妻が四人目と同じ地下室の階段から落ちたのも偶然であると。チェンバーズは、ラケット氏に面と向かって、あなたは殺人者だと指弾します。しかし、その最中にも、ふと恐怖にかられるのです。あなたは、まさかまたあの地下室をつかうつもりではないでしょうね? ラケット氏は平然と答えます。

 「二度あったことです。もう一度起こりえないとはだれが確信をもって-一片の疑念ももたずに-断言できるでしょう?」

 その場はおとなしく引き下がったチェンバーズでしたが、地方検事にラケット氏は連続殺人犯だと進言します。しかし逆に証拠がなければ捕らえることは不可能だと、たしなめられてしまいます。チェンバーズは、ラケットの動機はもしや自分に対する挑戦ではないかと考えます。
 数ヶ月後、下町でラケット氏と偶然出くわしたチェンバーズは、思いがけない話を聞かされます。なんと再び結婚したというのです。チェンバーズ警部は、新夫人を訪問し、ラケット氏の過去をぶちまけると脅しますが、ラケット氏は妻には全てを話してあると歯牙にもかけません。
 その晩、夕食の席でラケット氏は妻に言います。私の人生は信じがたい偶然に支配されている。おまえも死ぬかもしれないと。夫人は平気な顔をして、そんなことはナンセンスだと言い放ちます。
 そして二日後、ラケット氏の家を訪ねたチェンバーズは、夫人に迎えられます。夫人は、驚くべき事をチェンバーズに告げるのですが…。
 ラケット氏を襲った偶然とは? ラケット氏の言葉に対して平然とかまえる夫人の真意は? そしてチェンバーズは恐ろしい事実を知るのです。
 四度も事故で妻を亡くす。誰もがそれは殺人ではないかと疑うでしょう。しかし読者の疑念を裏切り、物語は驚愕の結末を迎えるのです。ミステリなどにおいては、作品中の偶然の使い方は難しいとよく言われます。それはあまりに偶然が過ぎると、物語が作者のご都合主義になってリアリティを失ってしまうからです。ところが、本作品は、それを逆手にとっています。不自然なほど偶然に支配された物語を作るとどうなるのか? 作者の意図は驚くべき成功をおさめているといえるでしょう。

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夢のなかへ  W・サマセット・モーム『人生の実相』
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 今回はW・サマセット・モームの短編集『人生の実相』(田中西二郎訳 新潮文庫)。本書に収められた作品は、モームとしてはあまり有名なものではないのでしょうが、その物語づくりにはいささかの手抜きもありません。面白さは保障付きです。では、どうぞ。
 『獅子の皮』は、人間の性格に対する寓話。財産家の婦人と結婚した男が、裕福になり紳士を気どっていますが、ある日近所に越してきた貴族に、身分を偽っているのを看破されます。そんなおり自宅が家事になり、妻の愛犬が取り残されているのを知った男は、躊躇いなく家に飛び込む…という話。ある役を演じ続けるうちに、人間はあたかもその役になりきってしまうのではないか? という作品。
 『山鳩の声』傲慢だが才能ある若い作家メルローズは、大歌手ラ・ファルテローナに引き合わされます。利己的で俗悪そのもののラ・ファルテローナに失望すると思いきや、彼は自分の見たいものだけを歌手の中に見て、理想主義的に美化された作品を書き上げる…という皮肉な話です。
 『人生の実相』成績優秀でテニスプレイヤーとしても秀でた息子を、モンテ・カルロに学びに行かせた父親。賭け事や女には手を出すなという父親の願いも空しく、息子は賭にも女にも手を出すのですが、ことごとく成功してしまいます。父親は、教訓を学ばない息子に腹を立てるのですが…。運命の皮肉をとことんポジティブに描き、非常に読後感のよい作品です。
 『幸福』口うるさい妻を殺したルイ・ルミールは、逮捕され、植民地に送られます。模範囚で人当たりのいい彼は、家を与えられ死刑執行人の役目をおおせつかります。死刑を執行するごとに支給される金、気ままに魚を釣る生活、ふとルミールは自分が「幸福」であることに思い至ります。だが六人もの死刑を控えた前日の夜、自宅に帰る途中でルミールは自分を恨む人々に囲まれてしまうのです…。服役中にふと幸福を覚えてしまう男の皮肉な運命を描いた物語。
 そしてモームにしては珍しく超自然的な要素の見られる作品「マウントドレイゴ卿の死」
 狷介で傲慢ながら、並ぶ者のない才能を持つ政治家マウントドレイゴ卿は、精神科医オードリン博士を訪れ、奇妙な夢の話を始めます。それは驚くべき話でした。以前より自分に対してうらみを抱いていた平民出身の代議士グリフィスが、夢の中で毎回マウントドレイゴ卿に恥をかかせ、嘲弄するというのです。卿は、グリフィスは自分と同じ夢を見ているに違いないと断言します。
 毎夜の夢に苦しめられているマウントドレイゴ卿は、もはや自分が死ぬかグリフィスが死ぬか二つに一つだと言います。なだめるオードリン博士に対し、卿は驚くべきことを言い出します。

 「いや、刑罰のことを仰しゃるのなら、わたしは死刑にならずにすみますよ。わたしがあの男を殺したことが、誰にわかるでしょう。わたしの見た、あの夢が、方法を教えてくれたではありませんか。わたしがビール瓶であいつの頭を殴った翌日、あいつは頭痛のために顔もあげられないほどだったとお話しましたね。」

 夢の中でグリフィスを殺してやると息巻くマウントドレイゴ卿に対し、グリフィスに対してとった無礼な態度が、無意識に自ら罰を与えているのだと考えたオードリン博士は、グリフィスに謝罪するように暗示をかけるのですが…。
 夢をテーマにした奇妙な味の作品です。マウントドレイゴ郷だけでなく、脇役に過ぎないオードリン博士の描写までが精密かつ印象深く示されるのが、異様な雰囲気を高めています。そして驚くべき結末。現実では割り切れない気味の悪さを残す、鬼気迫る一編です。

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あれは何だったのか?  マレー・ラインスター『ガス状生物ギズモ』
4488621023ガス状生物ギズモ
マレー・ラインスター
東京創元社 1969-06

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 SF黎明期の作家マレー・ラインスター。「ファースト・コンタクト」テーマをはじめ、彼の発案になるというSF的アイディアは数知れません。今回は、そんなラインスターのモンスターSF『ガス状生物ギズモ』(永井淳訳 創元SF文庫)を紹介します。
 野生動物の異常な死が頻発するのを受けて、狩猟専門誌のライター、ディック・レーンは、山中でフィールドワーク中の学者ウォレン教授に会いに出かけます。しかしその途中、奇妙なものを見つけます。それは二、三十匹ほどのウサギの死骸の山でした。その直後ディックは得体のしれないものに襲われるのです。

 なにかが顔にぴったりとはりついて、鼻孔と口をふさいだ。額のあたりにもなにかがそっと押しつけられた。その感じは顔全体と咽喉のあたりをすっぽり覆い、まるで目に見えないクモの巣にとらわれたようだった。

 目に見えない謎の生物に窒息させられそうになったディックは、からくも逃げ出します。ようやくウォレン教授に会えたディックでしたが、教授との話の最中、犬がほえ出します。また例の生物に襲われると考えたディックは、教授とその姪キャロルとともにトレーラーハウスに逃げ込みます。教授はそのガス状の生物をギズモと呼び、古来から人間が悪魔や悪霊と呼んできたのはギズモなのではないかと考えます。
 そこへ突如、トレーラーに入り込んだギズモがキャロルを襲います。ディックはギズモをシーツに包み込み、殺すことに成功しますが、ほっとしたのもつかの間、トレーラーはギズモに包囲されてしまうのです! 一匹では非力な彼らも集団を組み、トレーラーへの進入を開始します。
 一方、各地で家畜や動物が死んでいくことを疫病だと勘違いした人々が、街を封鎖したことにより、さらなる混乱が引き起こされてしまうのですが…。
 ディックたちはギズモを撃退できるのでしょうか? そして人類の運命は?
 目には見えないというガス状の生物ギズモと人類の戦いを描くパニックSF! なのですが、このギズモ、かなり弱いので拍子抜けしてしまいます。袋に閉じ込めて、つぶされれば死んでしまうし、ライターの火を近づけただけでも死んでしまいます。後半にはニンニクや煙草にも近づけないという弱点が明らかにされます。とはいえ、何万という数で襲撃してくるギズモの攻撃には、さすがにインパクトがあります。
 ストーリー展開もかなりストレートなのが気になります。ギズモによって危機に陥った人類が、ディックたちの行動により、ギズモを撃退する、というお約束どおりの展開になります。しかし危機に陥るといっても、何千何万と死んでいくとかいう絶望的なレベルではなく、数人が死ぬ程度の規模なので、あまり危機感は感じられません。
 主人公ディックが非常な熱血漢であり、ウォレン教授やキャロルなどの仲間も積極的、行動的なので、人類が危機に陥る前に解決されてしまうのです。主人公たちは、かなりあっさりとピンチを切り抜けてしまうので、その点ひねりがないと感じられるかもしれません。
 中盤でディックが仲間に加える男がいるのですが、この男が主人公たちの足を引っ張ります。ここで仲間割れでも起これば、サスペンスが増すのですが、この男もどうも影が薄く、大した興味を惹きません。
 1958年発表の作品なのですが、今となってはちょっと物足りないかも。SF的なアイディアはともかく、小説としては完成度が高いとはお世辞にも言えません。これはこれで、古き良きパニックホラーとして楽しむべきものでしょう。

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悪魔でも…  アラン・ルネ・ル・サージュ『悪魔アスモデ』
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 今回紹介するのは、『ジル・ブラース』で知られる18世紀フランスの作家、アラン・ルネ・ル・サージュの諷刺小説『悪魔アスモデ』(中川信訳 集英社版世界文学全集6巻所収)です。まだ小説というジャンル自体が女子供の読むものであり、詩歌や演劇よりずっと低い地位に置かれていた時代ですから、この作品もかなり軽いタッチで描かれています。
 舞台はマドリード。十月のとある夜、学生ドン・クレオファスは、追っ手から逃げている最中でした。さる婦人との密会中、踏み込んできた連中に、結婚するか命を捨てるか、迫られたからです。屋根伝いに逃げるドン・クレオファスは、ふと見える明かりを目指して進みます。そしてその明かりのもと、ある屋根裏部屋に入り込みます。人気のないその部屋には、フラスコやら計器類がちらばっていました。さては占星術師の部屋だったかと考えるドン・クレオファスの耳に、妙な声が聞こえます。その声はなんと蓋のついたフラスコの中から聞こえるのです!

 「わたしは六カ月この方、この栓のふさがったフラスコのなかにいるのです。この家の住人は物知りの占星術師で、また魔法使ときています。ほかならぬそいつが術の魔力をつかってわたしをこの狭い牢に閉じ込めてしまったのです」

 アスモデと名乗るその悪魔は、ここから出してくれれば、それなりの礼をしようと申し出ます。逡巡するドン・クレオファスでしたが、今夜彼に起こった災難の首謀者は他ならぬ逢い引きの相手ドニャ・トマーサであるということを聞き、悪魔を解放します。ドン・クレオファスは悪魔の背にのり、復讐かたがた、世の中の人間たちの真実を見に出かけるのですが…。
 悪魔が登場するといっても、人間を堕落させる邪悪な存在ではありません。本書に登場する悪魔アスモデは、むしろ礼儀に厚く、世の中を冷めた目で見る智恵者です。そのアスモデが案内役となって、ドン・クレオファスは、世の中を見て回るのです。彼が見るのは、強欲な金貸し、浮気性の女、吝嗇な老人、傲慢な貴族などの愚かな人間たち。その人間観察はなかなかに辛辣です。ただそれらの短い人間観察のスケッチが、それこそ百を超える数で現れるので、読みにくいのは否めませんが。
 基本的には本書の構成は、短い人間スケッチの集まりです。ただ、それだけでは著者も退屈してしまうと思ったのでしょうか、ところどころに、それだけで独立した短編小説的な物語がはさまれす。それらが、諷刺小説という本書の意図からすると、一見首を傾げるような、ストレートな恋愛物語なのは不思議ですが、皮肉にも、その部分が一番面白いのです。
 作品中に挟まれる物語のうち『ベルフロール伯爵とレオノール・デ・セスペデスの愛の物語』『友情の堅い絆』、この二つの物語が比較的長く、また面白く出来ています。
 『ベルフロール伯爵とレオノール・デ・セスペデスの愛の物語』は、娘に懸想した伯爵が、結婚の意図がないにもかかわらず、その振りをして娘に言い寄るが、結局は真実の愛に目覚め結婚する、という話です。
 『友情の堅い絆』は、親友が恋をしている未亡人に、自分も恋してしまった騎士の話。未亡人もやがて騎士に恋をするようになるが、親友への義理から苦しむのです。そのうち未亡人が、以前から言い寄っていた別の恋敵にさらわれ、それを追いかけた騎士と親友も海賊に襲われてしまいます。このあたり実に波瀾万丈で読ませるのですが、肝心なところで、かなりご都合主義な展開があるので、ちょっと興ざめしてしまうかもしれません。
 そもそも諷刺というのは、時代が変わってしまうと、その意図が通じなくなるのが常です。本書もその例に漏れないのですが、その部分を差し引いても、単純に娯楽小説として楽しめる作品です。

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新トワイライトゾーン
 奇妙な味のオムニバス番組として、不朽の名声を誇る『トワイライトゾーン』(ミステリーゾーン)。しかし、僕にとっては『トワイライトゾーン』といえば『新』の方を意味しています。そういうわけで、今回はちょっと『新トワイライトゾーン』の話をしてみたいと思います。
 ちょうどビデオが普及しだしたころ、レンタルビデオ屋でふと眼にしたタイトル。それが『新トワイライトゾーン』でした。もともとホラー映画が好きで、その種のビデオばかり借りていた頃のことです。たぶんその前に『デビル・ゾーン』というオムニバスを見ていたからだと思うのですが、同じ「ゾーン」がつくタイトルに惹かれたのでしょう。借りて帰りました。見てみて、これは好きだ、と感じたのです。そのころはまだ小説にはほとんど縁がなかったので、原作がどうだとか、内容がジャンル的にはどの辺の位置づけにあるのかとか、全然わからなかったのですが、一目見て自分が好きなタイプの作品だと感じたのです。
 早速、その他の巻も借りに行き、結局ビデオ化されたものは全部見たと思います。後から知ったのですが、このビデオ化されたシリーズは、第一シーズンのものでした。原作にはリチャード・マシスン、チャールズ・ボーモント、ヘンリー・スレッサー、レイ・ブラッドベリ、シオドア・スタージョンなど異色作家の作品が多く含まれていました。ロバート・シルヴァーバーグ、ハーラン・エリスン、ロジャー・ゼラズニイ、グレッグ・ベアなんて名前もありました。
 思えば、まだ小説作品に触れる前から、こうした形で異色作家に触れていたわけですね。僕の今現在の嗜好は、多分にこの番組の影響が強いのではないかと思います。後年、小説を読むようになったときに『新トワイライトゾーン』みたいな話、という観点で本を読むようになりましたから。
 一応第一シーズンは全部見ているはずなのですが、もうあまり内容は覚えてません。見直したいのですが、DVDも出てないし、ビデオは廃盤のようです。出来れば第二、第三シーズンも含めてDVD化してほしいものです。
 とりあえず覚えているもので、面白かったエピソードを挙げると、

 ヘンリー・スレッサー原作『試験日』
 レイ・ブラッドベリ原作『バーニングマン』
 シオドア・スタージョン原作『時のすきま』
 ロバート・シルヴァーバーグ原作『無視刑囚』
 リチャード・マシスン原作『欲望のボタン』
 チャールズ・ボーモント原作『ナイトメア』

などになるでしょうか。考えたら、全て原作を読んだものばかりでした。多分それで印象に残ってるんでしょう。マシスンとボーモントは旧シリーズのリメイクのようです。
 扶桑社ミステリーからJ・M・ストラジンスキー『新トワイライトゾーン』という本が出ていて、上のエピソード名はこの本のリストを参照しました。ちなみにこの本は、第三シーズンを担当した脚本家ストラジンスキーが自らの脚本を小説家したものです。かなり面白いので、これもお勧めしておきます。
 それで、気になるのが未見の第二、第三シーズンです。リストを見ながら涙を飲んでいるわけですが、地方によってはテレビ放送したことがあるらしいので、ご覧になった方もいるかも。気になるエピソードがいくつかあって、非常に見たいのですが、挙げてみましょう。

 シオドア・スタージョン原作『孤独の円盤』
 フィリス・アイゼンシュタイン原作『紛失物』
 ジョージ・R・R・マーティン脚本『小旅行』
 トム・ゴドウィン原作『冷たい方程式』
 
 『孤独の円盤』と『冷たい方程式』はぜひ見たいですね。

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吐き気のするような  クエンティン・クリスプ『魔性の犬』
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魔性の犬
クエンティン・クリスブ 望月 二郎 船木 裕
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 今回はイギリスの作家クエンティン・クリスプの『魔性の犬』(望月二郎・船木裕訳 ハヤカワ文庫FT)を紹介しましょう。このクリスプなる作家、ゲイカルチャーの分野ではかなり有名な人物だそうです。サリー・ポッター監督の映画『オルランド』では、なんとこの人、男性ながらエリザベス女王役で出演しています。これだけで作者の奇人ぶりがうかがえますが、本書『魔性の犬』も、それに劣らず奇っ怪な作品です。
 かって栄華を極めた名門エムズ家は、歴代の度重なる放蕩で、見る影もなく落ちぶれていました。現当主ヘンリー・エムズ卿は、人間嫌いで知られる奇人ですが、極端な節制と財産目当ての結婚で、ある程度財産を回復していました。妻と子供に先立たれたエムズ卿は、親類から遺産として贈られた、雑種の半シェパード犬フィドーをかわいがるようになります。
 遺産相続の望みを抱いていた使用人のデーヴィス夫妻は、ある日主人が犬に話しかける声を聞いて驚愕します。もしや人間嫌いの主人は、動物に遺産を残すつもりなのではないか。あせった夫婦は、屋敷中の動物を全て抹殺する計画を立てます。亀を手始めに、猫、魚、オウムと着実に始末してゆくデーヴィス夫妻。ところが最後に残してあった犬フィドーを殺そうとする直前に、エムズ卿は階段から落ちて急逝してしまいます。遺産はフィドーに贈られてしまうのです! 夫婦は犬が生きている間、世話をする限りにおいて、以前同様の給与が得られるとされ、犬を主人として仕えることになるのですが…。
 登場人物全てが奇人だという、恐るべき作品です。エムズ卿はいうまでもなく、俗物で傲慢なデーヴィス、無知で臆病だが感傷的なデーヴィス夫人、天衣無縫な娼婦、こすからい詐欺師、他の登場人物もみな、作者の皮肉な目を逃れられません。例えばエムズ卿の妻子に対する態度は次のように描写されます。

 娘は仕返しとして結婚に踏みきり、すぐに男の子と女の子を一人ずつ産んで夫に背負いこませた。息子は、十一歳というもどかしい年頃で亡くなり、娘はどうにか二週間生きのびたのちに、よくはないとしても、まんざら悪くもないあの世へと旅立っていった。エムズ卿はあまり悲しまなかった。

 またデーヴィスは次のように描写されます。

 デーヴィスの容貌は、鉛筆で描いた主人の似顔絵のようで、それも下手くそな画家が羊皮紙に書きつけたという趣があった。

 全編を通して、登場人物は皆このような扱いです。欠点を誇張するかのような辛辣な描き方、そこには滑稽さはあってもユーモアは全くありません。そしてそんな彼らが繰り広げる物語も不愉快そのもの。愚かな人物たちが、愚かな行為を繰り返す物語なのです。人間性に対する信頼など全く感じられません。唯一人間的な情を持つ人物として描かれるのはデーヴィス夫人ですが、彼女も周りの人間たちの醜い争いに巻き込まれ、悲惨な結末をたどるのです。
 胸のむかつくような、圧倒的に不快な読後感。これほど胸くそ悪い作品は、空前絶後ではないでしょうか。とはいえ、決してつまらないわけではないのです。その奇想天外な展開は一読の価値があります。ただ、気分が悪いときには、読むのは避けた方がいいでしょう。

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想いびと、想われびと  ジュール・シュペルヴィエル『海の上の少女』

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海の上の少女

 今回はウルグアイ生まれのフランス詩人、ジュール・シュペルヴィエルの短編集『海の上の少女』(飯島寿秀訳 みすず書房)を紹介しましょう。かって堀口大學によって彼の作品が紹介されていたので、ご存じの方もいるかと思いますが、小説作品に関しては長らく読めない状況が続いていました。新訳として出た本書は、ファンにとってはありがたい限りです。
 まずは、表題作『海の上の少女』です! おそらくシュペルヴィエルの短編で最も有名なものでしょう。
 人知れぬ大西洋の沖合、六千メートルもの深さの海面に、道が浮かんでいます。いくつもの店が並ぶ、村といっていい広さのこの道には、たった一人の少女が住んでいました。しかし彼女には、なぜ自分がここにいるのか、そもそも自分は誰なのか、まったく記憶がありません。
 食料はいつの間にか戸棚に入っており、食べてもまたすぐに補給されます。少女は朝早く起きては、村中の店のシャッターを開けてまわります。そして日没になると何を考えるでもなく、シャッターを閉めるのです。
 少女の部屋の戸棚には一冊のアルバムがあります。その中の一枚には少女とそっくりな人物が写っていました。

 また別の写真には、女の子に両わきに水兵服を着た男と、晴れ着姿の痩せぎすの女が立っていた。男というもの女というもの、まだどちらも見たことのない少女は、この二人がいったい何者なのか、長いこと思い悩んだ。

 少女はひとり、学校に通って書き取りをしたり、誰に宛てるともなく手紙を書いて海に投げ込んだりすることを繰り返していました。ある日、はじめて船が間近にくるのをとらえた少女は「助けて」と叫びますが、水夫たちはまるで気付いてくれません。絶望した少女は自殺をしようと試みるのですが…。
 謎につぐ謎、冒頭から読者をとらえて離さない優れた設定ですが、合理的な解決を期待してはいけません。非常に幻想的な結末です。ひとの思いがどこまで力を持ちうるものなのか、切ないファンタジーとなっています。
 他には、身投げした娘が死者の世界に出会う『セーヌから来た名なし嬢』、タイトルが全てを表す「ヴァイオリンの声をした少女」、ポルターガイストを引き起こす不思議な少女の話『年頃の娘』、売れない劇作家のためにサクラとして用意された蝋人形が引き起こす悲喜劇を描いた『蝋の市民たち』、本物の羊を息子に持った未亡人の話『三匹の羊をつれた寡婦』などが面白いです。こう見てみると、少女が登場する作品が多いですね。それにしてもシュペルヴィエルの描く少女の可憐なことといったら、どうでしょう。
 そして『海の上の少女』と並んで強い印象を与える作品『また会えた妻』は、シチュエーション・コメディと見まがうばかりの魅力的な設定を持っています。
 妻とのふとした喧嘩から、家を飛び出し船に乗ったポール・シュマンは、難破して死んでしまいます。天国に来たシュマンは、下界の妻の姿を見て再会を強く望みますが、天国の役人は条件を出します。それは、人間の姿では無理だが、動物としてなら可能だ、というものでした。妻の好きだったフォックス・テリアの姿になったシュマンは、うまく妻の家に住み着くことに成功します。しかしあくまでペットとしてしか扱ってもらえないシュマンは複雑な思いを抱きます。そこへ妻の恋人としてあらわれた男、彼はよりにもよって醜い中年の肉屋でした。シュマンは強烈な嫉妬の念に駆られるのですが…。
 三角関係をめぐる物語に、突飛な設定を導入したファンタジーです。設定からも予想されるように、悲劇的な結末が待ちかまえているのですが、単に悲劇で終わるのではなく、そこはかとないユーモアが感じられるところが素晴らしいです。
 シュペルヴィエルの短編は、幻想味を帯びた、ごく短い作品が多数を占めています。非常に突飛なイメージを持ちながらも、叙情性が感じられるものになっているところが特徴です。ことに登場人物に対する視点に、大らかなやさしさが感じられます。それでいて甘さべったりの感傷性とはまた異なるのです。日本人にとっては、馴染みやすい感性の作家ではないでしょうか。

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子供とお菓子  埋もれた短編発掘その12
 子供にお菓子をあげ続ける老夫妻、その目的は? 今回は幻想的なミステリ、チェット・ウィリアムスン『シーズン・パス』(羽田誌津子訳 早川書房 ミステリマガジン1986年4月号所収)を紹介します。
 遊園地「マジックランド」。ここに勤める保安係である「わたし」は、あるとき初老の夫婦に目を止めます。二人とも六十前後、とくに目を惹く特徴もありません。ところがある日、夫婦が少年にチョコレートキャンディをあげているのを見かけます。単なる親切だと考えた「わたし」ですが、夫婦の眼差しには何かを感じます。
 そして後日、再び「わたし」は、夫婦が少女にキャンディをあげているのを目撃します。数時間後、その少女が青ざめて医務室にすわっているのに出くわし、疑念を抱くのです。

 キャンディの中に何か入っていたのだろうか? 微量の猫いらず? 殺虫剤を吹きつけたのか? あるいは、この温厚そうな老人たちは、復讐を企む元小学校教師なのだろうか?

 そしてまたある日、医務室に連れられてきた兄弟を見て「わたし」は声をかけます。キャンディを食べ過ぎたんじゃないのかな、坊や? そこで「わたし」は思いがけないことを聞きます。具合が悪くなったのは、キャンディを食べた弟ではなく、食べなかった兄の方だというのです。 不審の念を拭えない「わたし」でしたが、老夫妻の名前はヤンガー夫妻であることを、切符係のピートから聞き出します。彼らはシーズン・パス-定期入場券を使って、ここに通いつめているというのです。そしてピートは意外な事実を話します。二十五年前から勤めているピートは、当時から夫妻を見かけていたということを。

 二十五年前だなんて。あの夫婦は、今六十前後に見える。しかし、ピートが最初に二人と出会った時に六十だったとすると、現在は八十五か九十、いやもっと上ということになるじゃないか。

 ヤンガー夫妻は、相変わらず子供たちにお菓子をあげ続けます。「わたし」は、夫妻を問いつめ、驚くべき彼らの行為を知ることになるのです…。
 夫妻があげ続けるお菓子には何か意味があるのでしょうか? 二十五年前から歳をとらないように見える彼らの秘密とは…。夫妻との接触は「わたし」の過去を再び蘇らせることにもなるのです。ミステリの体裁をとりながらも、徐々に物語は超自然的な要素を強めていきます。その幻想性はかなりのリアリティを持って迫ってくることでしょう。

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世界を革命するために  アーシュラ・K・ル・グィン『天のろくろ』
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天のろくろ
アーシュラ・K. ル=グウィン Ursula K. Le Guin 脇 明子
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 もし世界がこうだったら…、誰もが一度は考えたことがあるはず。そんな願望を実現する能力が、与えられたとしたら、あなたはどうしますか? 今回は望まずしてそんな能力を手に入れてしまった男を描く物語、アーシュラ・K・ル・グィン『天のろくろ』(脇明子訳 サンリオSF文庫)です。
 精神科医ヘイバー博士は、奇妙な患者の訪問をうけます。ジョージ・オアと名乗る、その温厚な青年の症状とは、自分が見た夢が現実になるという妄想でした。

 「そ、その、つまり、ぼくが何か夢を見ると、それが本当になるということなんです」

 目覚めると、夢に見たとおりに現実が改変されており、周りの人々の記憶もつじつまの合うように変わっているというのです。彼はその例をあげます。十七のとき、まだ若い叔母が性的ないたずらをしかけるのにうんざりした彼は、叔母の存在を消してしまったというのです。改変以前の世界の記憶があるのはオアただ一人。しかも夢はオア自身、コントロールできず、無意識が世界を変えていることに恐怖を抱いていました。
 ヘイバー博士は、妄想だと一蹴し、目の前で催眠実験をすることで証明しようとします。ヘイバー博士の暗示の結果、オアは夢を見ます。目覚めると部屋の壁にかけられた絵が変わっていました。初めからこの絵がかかっていたと語るヘイバー博士ですが、オアの指摘によりそれが改変されたことに気付き愕然とします。オアの能力が真実だと確信したヘイバー博士は、その能力を使って世界を改善することを考えるのです。
 ヘイバー博士に自分の夢を操作されることを恐れたオアは、弁護士のミス・ルラッシュに助けを求めます。しかし、ルラッシュの立ち会いのもと行われた実験で、今までになかったような重大な世界の改変が起こってしまうのです!

 そして彼と同様に、彼女もまた振り向いて窓の外に起こったことを見てしまった。塔の群れが夢のように薄れ、なんの痕跡も残さずに消え失せるのを。

 ヘイバー博士の暗示は、人口過剰が文明と生態系を圧迫していることの解決を求めるものでした。オアが見た夢の結果、それまで地球にいた70億の人口のうち、疾病により60億人が死亡したという世界に作り変えられてしまったのです!
 その後もヘイバー博士はオアを使い、世界を改変してゆきます。多大な人口を消滅させてしまったことに対して、オアは苦悩します。ヘイバー博士の影響から逃れようとするオアに、今や多大な権力を持つにいたったヘイバー博士はその影響力を強めていくのですが…。
 ものすごい設定の作品です。夢を見た通りに世界を変えることができる、というある意味、何でもありという能力なのですが、何でも思い通りになるわけではなく、そこにはやはり制限があります。夢の内容は無意識によるものであり、ヘイバー博士の暗示も直接コントロールがきくわけではないのです。改変の結果、それまでの記憶も修正される人々と異なり、何重もの記憶を持つオアの孤独感、恐怖感は想像するだに恐ろしいものです。
 絶大な能力を持つオアが、それとは対照的な性格を与えられているところが特徴的です。誠実で感性豊かであり、心が弱くつけこまれやすいオアは、自らの能力に対する責任感を抱えこんでしまうのです。そんなオアに対し、ヘイバー博士は、その意図は道徳的であるものの、独善的で世界を支配しようとする権力欲の強い人物です。ヘイバー博士の影響から脱しようとしながらも、ずぶずぶと博士の支配下に入ってしまうオアの姿が印象的です。
 題名は有名な荘子の翻訳から取られているそうです。ただ、その翻訳の誤訳部分からイメージをふくらませたというところが興味深いですね。そんな老荘思想に影響されたとおぼしい考えが、主人公オアを通して語られます。世界を改良し続けようとするヘイバー博士に対し、オアはあるがままの世界を受け入れろ、と答えるのです。
 作品のメインアイディア自体は、SFでは比較的よく使われるテーマです。例えばフレドリック・ブラウンの『火星人ゴーホーム』『事件はなかった』『唯我論』、ロバート・A・ハインライン『彼ら』、フィリップ・K・ディックの作品などにもよくあるパターンではあります。この種の作品では、世界改変の能力が真実であるか否かは、結末近くまで飽かされないのが通例です。なにしろ思った通りに世界を変えられる、というのがすぐわかってしまったら、何でもあり状態になる可能性がありますから。
 その点で、本書は独創的です。序盤でオアの能力が真実であることが示されてしまいます。後はその改変が許されるのかどうか、改変はいいことなのかどうか、という倫理的な問題が追求されていくのです。オアとヘイバー博士はその両極端のそれぞれを代表する人物として描かれています。しかも複雑なことに、ヘイバー博士もそれなりに倫理的な人物であり、その目的自体の善は否定できないのです。その点はっきり白黒がつけられるわけではなく、物語に厚みをもたらしているといえるでしょう。
 設定の面白さとテーマの倫理性とが見事に溶けあった、ル・グィンの傑作といえるのではないでしょうか。ちなみに本書は、長らく絶版だったのですが、もうすぐ復刊されるそうです。

※2006年4月、本書はブッキングより復刊されました。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

シンデレラを組み立てろ!  ステファヌ・ブランケ『幸福の花束』
4894190419幸福の花束
ステファヌ ブランケ St´ephane Blanquet 中条 省平
パロル舎 2005-11

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 今回はフランスの絵本作家ステファヌ・ブランケの『幸福の花束』(中条省平訳 パロル舎)です。『幸福の花束』なるタイトルを持つこの本、案に相違して、タイトルとは全く正反対のブラックな絵本です。とても子ども向けとは思えない、暗い話ばかりおさめられています。結末も全てバッド・エンディングです。しかし、陰惨さはほどんど感じられません。残酷なシーンもあるのですが、それもうまくソフィスティケートされています。
 特筆すべきは、やはりその絵柄でしょう。すべてが切り絵のようなシルエットで構成されているのです。顔の造作ははっきりしているという、よくある切り絵風のものとは一線を画します。20060222170753.jpg目や耳といった部分も全部シルエットでぬりつぶされているのが特徴。そうなると登場人物の見分けがつかないんじゃないか、と思いがちですが、そんなことはありません。シルエットとは思えない、デフォルメのきいた人物造形、その輪郭線の豊かなことといったら! とてもシルエットとは思えない存在感があるのです。
 物語もまたブラックな味わいが濃厚です。獲物を殺しまくる暴力的な猟師が、けなげな娘に恋をするが…という『あら皮』、子供を夢の中でとらえて働かせる奇怪な三人組の話『目が重くなると』、シンデレラストーリーがとんでもなく現実的な悲劇に反転する傑作『プリンセス組み立てキット』などが面白いです。
20060222170737.jpg タイトルからして魅力的な「プリンセス組み立てキット」、とくにこの作品が素晴らしいです。
 王子は、舞踏会で出会った娘に一目惚れしてしまいますが、娘は十二時になると急いで姿を消します。王子が後に見つけたのは、靴、ではなく、なんと娘の足! なのです。王子は娘は一本足なのだと考え、一本足の娘を探させますが、一向に見つかりません。するとその後、娘のもう片方の足が発見されるのです! その後、腕など、娘の体の各部分が見つかります。王子はパーツを組み立てて娘を生き返らせようとするのですが…。
 ばらばらのパーツで構成されたシンデレラ、という奇想天外な設定もさることながら、それまでおとぎ話だと思っていたストーリーが最後のシーンで、現実の出来事であったことが分かる仕組みになっています。このおとぎ話と現実が反転する結末は、とてもそこらの絵本のレベルではありません。
 作者の邦訳はどうやらこの本が初めてのようですが、もっと他の作品も読んでみたいものです。

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この世は悪党でできている  フランシスコ・ゴメス・デ・ケベード「大悪党(パブロスの生涯)」
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 今回はフランシスコ・ゴメス・デ・ケベード『大悪党(パブロスの生涯)』(桑名一博訳 集英社版世界文学全集6巻所収)。17世紀初頭にスペインで書かれたピカレスク小説の名作です。
 主人公は、床屋にして泥棒の父親と妖術師にして詐欺師の母親から生まれたパブロス。パブロスは、小さい頃からこすっからく、貴族の子弟であるドン・ディエーゴに取り入り、召使いになることに成功します。
 成長した彼は、ドン・ディエーゴとともに寄宿学校にやられます。ところがこの学校の経営者カブラ学士は、とんでもない吝嗇漢です。この男、あまりにケチで、生徒はひもじさで死なんばかり。ドン・ディエーゴとパブロスも餓死寸前になる始末なのです。このあたりの描写は、抱腹絶倒で非常に愉快です。

 わたしは最初の入門的な部分を読むように命じられましたが、あまりにお腹が空いていたものですから、読むべき言葉の半分を飲みこんでそれを朝食にしてしまいました。こうした嘘みたいなことも、カブラ先生の召使いがわたしに語ったことをご存じの方なら、さもありなんと信じてくださるでしょうが、その召使いが言うには、彼がこの家に来たばかりのころ、先生が二頭の大きな馬を家に入れたところ、二日後に空を飛べるぐらい軽い馬が出てきたのや、肥ったマスチフ種の犬を家に入れたら、三時間後にグレーハウンド犬が出てきたのを見たとのことでございます。

 引用の文章のように、主人公のパブロスが一見礼儀正しい口調ながら、自分の悪行をはじめ、様々な悪党たちの愚かしい顛末を語るのが特徴です。当人はずっと真面目な口調で語り続けるのが、笑いを誘います。
 その後パブロスは、なんとか、カブラ学士の手から逃れることに成功します。アルカラにある大学に向かったパブロスとドン・ディエーゴですが、ここでパブロスは本格的に悪行を始め、それは主人のドン・ディエーゴにも手に負えないものになっていきます。
 そんな折り、パブロスの両親が処刑されたという知らせが届きます。処刑人はなんと実の伯父! 両親の遺産を手に入れるべく、主人と離れたパブロスは、その道中、悪党たちとつきあい、その術を学んでゆくのです。泥棒をしたり、乞食になったり、詐欺を働いたりしますが、どれも一時は成功するものの、最終的にはうまくいかず、失敗します。それでも徹底的に悪の道を行こうとする主人公の悪びれなさは、爽快ですらあります。
 主人公の父母は、作中で死刑にされてしまうのですが、その扱い方を見てもわかるように、本書は基本的に冷笑的な態度で書かれています。ユダヤ人やイスラム教に対する偏見が露骨に出ているのも、その表れでしょう。その点、どじな悪党だが心あたたまるストーリー、というわけにはいきません。しかし、主人公をはじめとして詐欺師や悪党たちを笑いのめす、著者の徹底的な筆致は心地よいほどで、今読んでも理屈抜きに面白い小説です。筒井康隆が好きな人なら、楽しめることうけあいの作品でしょう。

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ナイトビジョンその3
 今週放送分の『ナイトビジョン』のレビューです。

「木が倒れても」
 大学生のデヴィンとガールフレンドのベサニー、友人のセスは、車が横転し、湖に車ごと転落してしまう。三人とも、無事に湖面から顔を出し、助かったことを喜び合う。しかし、沈み行く車の中を見た瞬間、彼らの顔は硬直する。車の中には三人の死体が見えたのだ! そういえば、車を脱出した記憶など全くない!
 自分たちは幽霊なのか? 三人は驚愕するが、あることに思い当たる。木が倒れても、その音を聞く人間がいなければ、音がしないのと同じように、人間の死もそれを確認する人間がいなければ、死ぬことはできないのではないか。三人はこの事実を伏せて普通の人間として生きてゆこうとする。しかし、信心深いデヴィンは、自分たちの行為が罪になるのではないかと考え、神父に事実を告白してしまう…。
 その死を他人に確認してもらわなければ、死んだことにはならない、というテーマを思いついた時点で、成功は約束されたようなものです。主人公の信心深さが、飽くまでも生き続けたいという他の二人の思いと葛藤を起こすあたりも、人間ドラマとして、よく出来ています。おそらくオチは読めてしまうでしょうが、デヴィンに対し、他の二人が自分たちの死を隠そうと行動するあたり、非常にサスペンスに富んでいます。
 この作品、もしかしたら、フレドリック・ブラウンの『沈黙と叫び』が発想元なのではないかと思うのですが、どうでしょうか。ちなみにこの「森の中で木が倒れたとき、その音を聞く人間がいなくても、音がしたといえるのか?」という問題は、哲学の認識論ではけっこう有名な問題のようです。

「居住者」
 離婚して一人暮らしをしているメアリー。彼女はキッチンに、使った覚えのない汚れた皿が出ているのに驚き、警察に通報する。しかし警察は、侵入の跡もなく、盗まれたものもないことから、とりあってくれない。その後も化粧品や服などが散らかっていたり、動かされていたりすることが続き、メアリーはおびえる。家の中に自分以外のだれかが住んでいる! そしてある夜、大きな音をさせて部屋に向かってくる足跡におびえたメアリーは、クローゼットに隠れ、警察に通報するのだが…。
 異常に神経過敏な主人公の描写が伏線になっています。他にもレストランの支払いでカードが使えなかったこと、貴金属店に時計を売りにいくシーンなど、結末のオチにつながる伏線が、実に丁寧にはりめぐらされているのには、感心しました。
 主人公に、やたらとちょっかいを出してくる男が登場するのですが、この男が実は侵入者なのではないかと思わせるような作りになっています。このミスディレクションも秀逸。
 『シックス・センス』『アザーズ』などに似ているといえば、結末も何となく予想がつくと思うのですが、全体に丁寧な作りで楽しめます。

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鋼鉄の肉体  埋もれた短編発掘その11
 思いこみというのは、どこまで人間を変えるものなのでしょうか? 燃える炭の上を火傷せず歩く行者のように、思い込みによる精神力は、ときに常識を越えた力を発揮します。しかし、この物語の主人公は、少し行き過ぎてしまったのです…。今回紹介するのは、エアンド・ビンダーの『アイアン・マン』(島田三蔵訳 早川書房 ミステリマガジン1979年4月号所収)です。
 ロボット工場に勤める、小柄でやせた男チャーリー・ベッカーは、ある日奇妙なことを言い出します。油をさしてもらってくるというのです。同僚は驚きます。ベッカーは冗談をいうような男ではなかったからです。給油係のピート・オズグッドのもとにやって来たベッカーは同じ言葉を繰り返します。機嫌の悪いオズグッドは、ベッカーの肩に油をたっぷりと浴びせかけます。しかし、ベッカーの反応は驚くべきものでした。

 「どうもありがとうございました」といって、ベッカーは腕をぐるぐるとまわしてみせた。「肩の関節はもう、ちゃんと動きます」

 家に帰ったベッカーは、自分はロボットのX八十八号であると名乗り、相変わらず同じ行為を続けます。冗談だと思っていた妻のローラでしたが、夫が油の罎を飲み干すに至って、事態の異常さに気付きます。ローラは夫を精神科医ジョン・グレイディのもとに連れてゆきます。
 グレイディがローラから聞き出した話によれば、ベッカーは九年間、ロボットの言語中枢を調整する仕事を担当していたということでした。装置が反応しない欠陥ロボットを処理するのに罪悪感を覚えたベッカーが、罪の意識からロボットになりきっているのだと考えたグレイディは、ベッカーの幻想を打ち砕くべく、様々な手段を試みます。まずグレイディは、論理的にベッカーは人間だと説得を試みますが、効果はありません。
 そこで、グレイディは、ロボットならその金庫を持ち上げられるはずだと、そばにある金庫を指し示します。それは大男三人がかりでも動かせないような、重いものでした。

 グレイディは、ベッカーがかがんで、短い脚のついた金庫の下のほうの手がかりに手をいれるのを、息をつめて見つめていた。人間ロボットはパイプの柄のような腕とか弱い背筋で、懸命に、金庫の一角を床から持ちあげた。

 驚いたグレイディでしたが、間髪を入れず次の試みにとりかかります。ロボットなら、この十階の窓から飛び降りても、膝関節のバネで損傷せずに着地できるだろう、とけしかけますが、ベッカーは平然とした顔をして窓を開けます。グレイディは、あわてて命令を撤回します。グレイディは、ひとまず治療をうち切り、時間をかけてベッカーを治してゆくことにしますが、ふと重大なことに気付くのです。ベッカーは、人間の食物を有害だとして、食事をとっていなかったのです!

 急いで、ベッカーをロボット幻想からひきずりださなければならない。時間はなかった。チャールズ・ベッカーはすでに四十八時間、飲食物をとっていないのだ。

 ベッカーが餓死する前に、グレイディは、彼の幻想を壊すことができるのでしょうか? この後さらにグレイディは、思いもよらぬ手段を繰り出すのですが、それは予期せぬ結末をもたらすことになるのです。
 自分をロボットだと思いこんだ男ベッカーを治療しようと、精神科医グレイディが次々と試みる手段がことごとく失敗してゆく過程は、実にサスペンスフルです。ベッカーの幻想は、常にグレイディの予想を上回るのです。人間の思い込みはどこまで肉体上の変化をもたらすのか、興味深い症例となるでしょう。

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死ぬまで愛して  日影丈吉編『フランス怪談集』
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フランス怪談集
日影 丈吉
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 今回は日影丈吉編『フランス怪談集』(河出文庫)です。先日の記事でも紹介しましたが、本書は「怪談」というよりは「幻想小説集」です。「フランスに怪談はない」と言ったのは、ハインリヒ・ハイネですが、確かにフランスの作品は怪奇よりも幻想に流れる傾向があるとはいえるでしょう。例えば、同種のアンソロジーである、澁澤龍彦編『怪奇小説傑作集4 フランス編』(創元推理文庫)を見ても、全体的な雰囲気は本書と共通しています。それでは、面白かったものを紹介します。
 ジェラール・ド・ネルヴァル『魔法の手』は、文字通り魔法をかけられた手を描く奇譚。ホフマンに影響されたと思しい、不気味ながらも妙なおかしさのある作品。似たようなテーマの作品にW・F・ハーヴィー『五本指の怪物』なんて作品もありますが、これはまた別の機会に。
 テオフィル・ゴーチェ『死霊の恋』は、死霊の女に取り憑かれた青年僧の物語。「吸血鬼」テーマとしても有名な作品です。この手の作品史上、もっとも可憐な吸血鬼が登場します。
 バルベー・ドールヴィイ『深紅のカーテン』は、ダンディとして知られた貴族が、初恋の女性について回想する物語、と思わせておいて後半急展開が待っています。サスペンスに富んだ好編です。
 マルセル・シュオッブ『木乃伊つくる女』は、アフリカの砂漠に迷い込んだ兄弟が出会う木乃伊づくりの女たちを描く作品。短い掌編ですが、切れ味するどい作品です。
 モーリス・ルヴェル『或る精神異常者』は、残酷味のあるコント。世間の快楽に倦んだ青年が、ある空中自転車乗りの見せ物に通いつめます。彼の目的とは…。ルヴェルの作品は、近年、短編集『夜鳥』(田中早苗訳 創元推理文庫)が出ましたので、そちらで読むこともできます。
 ピエール・ド・マンディアルグ『死の劇場』は、十五歳以上の女は全て、臨終の際に円形劇場の舞台で、男たちの目の前で死ななければならない、という奇怪な掟のある村に迷い込んだ男の不思議な体験を描いています。何やら悪夢めいた雰囲気の作品。
 ミシェル・ド・ゲルドロード『代書人』は、美術館に足繁く通ううちに、代書人の蝋人形にふと友情めいた気持ちを抱くようになった男の物語。男の心象風景のような記述が延々と続くのですが、結末には驚かされるはず。「分身」テーマの佳作です。
 さて本書のハイライトは、プロスペール・メリメ『イールのヴィーナス』です。この作品のメインテーマは、ティム・バートン監督『コープス・ブライド』でも使われていたもの。「死者との結婚」テーマのヴァリエーションといっていいでしょう。
 イールの町を訪れた「私」は、町の資産家ペイレオラード氏の家に招待されます。ペイレオラード氏は、古木を引き抜く際に発見したというローマ時代のものらしきヴィーナス像を「私」に見せます。ヴィーナス像はまさに傑作でした。その美しさに「私」はうたれますが、どこか邪悪なものも感じます。
 ペイレオラード氏は、息子アルフォンスの結婚式を控えており、ヴィーナス像にちなんで金曜日に式をやろうと考えます。夫人は神を汚すといさめますが、ペイレオラード氏は意に介しません。
 結局、式は実行され、アルフォンスは、仲間たちと余興のスポーツを始めます。競技に熱中し出した彼は、つけっぱなしの結婚指輪が邪魔になり始めます。

 彼は、かなり骨を折って、ダイヤ入りの例の指輪をはずした。私はそれを受け取ろうとして進み寄った。けれども彼の方がその先を越して、ヴィーナスのところへかけ寄ったと思うと、その指輪を女神の無名指に通し、それから再びイール勢の先頭の自分の部署についた。

 おかげで競技には大勝したものの、アルフォンスは帰り道、高価な指輪をヴィーナス像に嵌めたまま忘れてきたことに気付き、ひとり取りに戻ります。その夜、夕食の席で、アルフォンスは異様な顔つきで「私」に相談したいことがあると持ちかけます。
 それはヴィーナス像に嵌めた指輪のことでした。像から指輪がはずせないというのです! 力を込めなかったのではないかという「私」の意見を、アルフォンスは必死で否定します。

 「ちがいます。そうじゃないのです。ヴィーナスの指が引っこめられたのです。もとにまげられてしまったのです。手を握っているのです。おわかりですか?……形の上からは、僕の妻なのです、私が指輪をやってしまったものですから……返してくれようとしないのです」

 「私」は酔いが回っているのだろうと取り合いませんが、その夜、悲劇が起こるのです…。
 この作品、結末はおそらく読めてしまうと思うのですが、それを差し引いてもヴィーナス像の不気味さは強烈です。おそらく西洋の読者は、異教的な不気味さをも合わせて感じ取るのでしょう。その点は残念ですが、結末のイメージの鮮烈さは素晴らしいものがあります。

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わたしだけの世界  レアード・コーニグ『白い家の少女』
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 少女の孤独な世界に侵入者が現れたとき、悲劇は起こるのです…。今回は、子役時代のジョディ・フォスターが主演した名作映画の原作、レアード・コーニグ『白い家の少女』(加島祥造訳 新潮社)です。もともと脚本家として慣らした著者だけあって、映画化を意識して書いたものか、非常に忠実な映画化となっていました。
 ニューヨーク郊外の閑静な別荘地に越してきたイギリス人の少女リン。彼女とともに越してきた詩人の父親は、家主と三年間の契約をした後、外に全く姿を見せません。13歳のリンは学校にも通おうとせず、家でリストの曲を聴いたり、詩集を読んで過ごしています。利発な少女ではありますが、他人を寄せつけようとはしません。銀行など、町での用事も全てリンがこなしていることを、町の人間は奇妙に思いますが、とくに気には止めていませんでした。
 ある日リンのもとに、地元の有力者でリンの家主でもあるミセス・ハレットが現れます。ミセス・ハレットは父親に会いたがります。リンは、父親は留守だと言いますが、ミセス・ハレットの傲慢な態度に不快感を覚えます。

 「こんなこと言うと威張るようだけど、ハレット家はこの島に来てから三百年以上になるのよ」女はステレオのそばをはなれて、今度は寝椅子に張ったさらさ木綿を撫でた。
 「この寝椅子はあそこに置くべきよ」と彼女は丸々した指で窓のほうを指さした。


 ぶしつけな質問をはぐらかすリンの態度に、ミセス・ハレットは気を悪くします。彼女は、ついでに地下室に保存してあるジャムの瓶を持っていきたいと言いますが、リンはなぜか地下室の上げ蓋を開けるのを拒みます。後で届けるからと言うリンに、ミセス・ハレットは激怒します。その場はおとなしく帰ったミセス・ハレットでしたが、リンが学校に通っていないことを教育委員会に答申すると脅していきます。
 翌日、電話でリンはミセス・ハレットを家に呼び出します。前日の非礼をわび、ジャムの瓶を用意していたリンですが、ミセス・ハレットは取り合わず、出てゆけと高圧的に命令します。激昂したミセス・ハレットは、無理やり上げ蓋を跳ね上げ、地下室に入り込みます。そして…

 それから、彼女は悲鳴をあげた。
 その悲鳴が合図になったかのように、リンはぱっと前にとび出して、壁に立てかけてあった上げ蓋を前に倒した。蓋はぴたりと地下室の入口にはまり、下からの悲鳴を遮断した。


 ミセス・ハレットが地下室で目撃したものとは? 何が起こっても姿を現さない父親の行方は? そしてこの後にとったリンの行動とはいったい何なのでしょうか? この後リンに不審を抱いた警察官や、ミセス・ハレットの息子で変質者の噂のあるフランク・ハレットなどがリンに近づいてきます。リンは自分の心地よい世界を守ることができるのでしょうか?
 詩を愛し、孤独を愛する少女リン。彼女は犯罪を犯してしまうのですが、それも悪意があったわけではありません。あくまでも自分の静かな心地よい世界を壊そうとする人間に対して、自分の身を守ろうとするにすぎないのです。いわゆる「恐るべき子供たち」テーマの作品なのですが、そこには得体の知れない子供の不気味さはありません。むしろ犯罪を犯すリンこそが、この世界では最大の被害者として捉えられているのです。現に彼女の世界を壊そうとする大人たち、ミセス・ハレットやフランク・ハレットは、がさつで傲慢な加害者として描かれています。
 静謐な雰囲気の中にも、繊細な少女の、はかなげで、もろい世界が描かれた名作。少女の孤独な戦いは、読者に悲痛な思いを抱かせることでしょう。

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「怪談集」とはいうけれど…  -河出文庫『怪談集』シリーズ-
 1988~1990年ごろにかけて、河出文庫から「怪談集」と銘打たれたシリーズが出ていました。「怪談」といっても怪奇実話ではなく、フィクション、小説を集めたものです。残念なことに、たぶん今現在は絶版だと思います。各国別のアンソロジーになっていて、興味深いシリーズでした。実際に出版されたものを挙げてみます。

 由良君美編『イギリス怪談集』
 荒俣宏編『アメリカ怪談集』
 日影丈吉編『フランス怪談集』
 種村季弘編『ドイツ怪談集』
 沼野充義編『ロシア怪談集』
 沼野充義編『東欧怪談集』
 鼓直編『ラテンアメリカ怪談集』
 種村季弘編『日本怪談集 上下』
 高田衛編『日本怪談集 江戸編』
 中野美代子・武田雅哉編『中国怪談集』

 並べてみると、結構冊数が出ていますね。このシリーズの特徴としては、編者の好みが出ていて、それぞれ特色のあるアンソロジーになっているところでしょう。中には「怪談」と呼ぶにはあまりに個性的なものも混じっています。簡単に触れてみましょう。
 『イギリス怪談集』は、伝統的な怪奇小説を集めたもの。ブラックウッド、レ・ファニュ、M・R・ジェイムズなど、怪奇小説の大家の作品が集められています。
 『アメリカ怪談集』も怪奇色が濃いのですが、イギリスよりも、より近代的な怪談、モダンホラーに近い感覚の作品集です。ラヴクラフト、ポオ、ビアス、ホーソーンなど。
 『フランス怪談集』は、硬派な幻想小説集。ジュリアン・グリーン、マルセル・シュウォッブ、マンディアルグなど、文学性が強い作品集です。
 『ドイツ怪談集』は、ドイツ・ロマン派から近代の怪奇小説まで、なかなかバランスのとれた編集。ホフマン、クライストから始まりエーヴェルス、シュトローブルなどプロパー作家はもれなく収録。ハンス・ヘニー・ヤーン、オスカル・パニッツァなど編者好みの前衛的な作品も入っているところが、にくいです。
 『ロシア怪談集』は、すばらしく目配りの行き届いた傑作集。プーシキン、ゴーゴリをはじめ、ドストエフスキーの珍しい作品やファンタジー作家アレクサンドル・グリーンの作品など、ロシアの幻想小説を概観するのに非常に便利なアンソロジー。
 『東欧怪談集』は、めちゃくちゃにマイナーな作品を集めたもの。これが文庫で出たこと自体、奇跡的なアンソロジーです。チャペック、エリアーデ、ダニロ・キシュ、ヤン・ポトツキ、パヴィチ、アイザック・シンガーなど。個人的には、ポーランド最高の怪奇小説家とされる、ステファン・グラビンスキの本邦初訳作品が掲載されているのが嬉しいです。
 『ラテンアメリカ怪談集』これは、もう「怪談」というよりは奇想小説集。いわゆる「マジック・リアリズム」系の作品集といっていいでしょう。ボルヘス、コルタサルの大家をはじめとして、アンデルソン=インベル、ムヒカ=ライネス、ビオイ=カサレスなど、とにかく読んで面白い物語揃い。
 『日本怪談集』この手の企画では珍しい、テーマ別編集。「家」「坂」「沼」「器怪」「身体」などのテーマ別にまとめられています。収録作家も純文学系、エンターテインメント系とバランスがとれています。森鴎外、三島由紀夫、芥川龍之介、筒井康隆、笹沢佐保、小松左京など、上下巻だけあってボリュームのあるアンソロジー。
 『日本怪談集 江戸編』これが一番「怪談」らしい巻でしょう。古典の現代訳を収めています。『雨月物語』『四谷雑談集』ほか、怪異小説集から抜き出した小品など。
 『中国怪談集』このシリーズ中もっともアヴァンギャルドな巻です。中国の怪談と言われて思い浮かべる志怪や伝奇ではなく、近代の奇想小説を集めています。しかも絵入り新聞『点石斎画報』からの抜粋や中国共産党の機関誌の記事なども入れてしまっているのには、驚かされます。もはや小説の枠組みさえ越えてしまっている、驚異的なアンソロジーです。

 このシリーズ、ぜひ再版してほしいものです。出来ればスペイン、イタリア、北欧などの巻も加えて。

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

ナイトビジョンその2
 今週放送分の『ナイトビジョン』のレビューです。

「リサイクル」
 山の中へ車で旅行にやってきた四人組、サラと弟のチャック、ヴィッキーとボーイフレンドのティムは、ヒッチハイクをしていた青年アンディを拾う。ヴィッキーがトイレに行きたがり、一行は休憩所に車を止める。そこではホームレスまがいの若者たちが、工芸品を売っていたが、サラとアンディ以外の一行は彼らを冷たくあしらう。しかし外に戻ってみると、いつの間にか車が盗まれていた!
 トイレに行ったチャックは、何者かに襲われ、謎の薬を飲まされる。全身が麻痺状態のチャックを見て、ヴィッキーとティムは助けを呼びに出かける。そこへやってきた通りすがりの車に助けを求めるが、車は彼らをひき殺そうとする。
 一方、サラが目を離したすきに、動けないはずのチャックが消えてしまう!
 車に襲われ、あわてて逃げ出したヴィッキーはティムとはぐれてしまうが、なんとか休憩所のサラのもとに戻る。しかし再びサラが目を離したすきに、ヴィッキーもまた消えてしまう…。
 あまりに不条理な出来事が次々と続くので、これはもしや夢オチなのではないかと勘ぐってしまったのですが、違いました。いかにも怪しげな青年アンディの言動、冷たく扱われるヒッピーたちの存在を考えれば、何となくオチの予想はつくと思います。はっきり言って邦題はネタを割っているような気がして、いただけません。原題「REST STOP」の方がよかったですね。
 見終わって、これなら夢オチの方がよかったと思えるような気が…。前半の謎を呼ぶ展開に較べ、あっさりしたオチには腹の立つ人もいるかも。

「天国」
 葬式の最中に、生き返ってしまった男マイケル。医者が死亡判定をくだした後に、心臓が偶然動き出したというのだ。娘は喜び、妻も不和だった仲をやり直そうとする。マイケルの体は、脳の損傷を除けば、完全な健康体だという。それにもかかわらず彼は何か違和感を感じ続ける。妻を美しいと思いながらも何の感興も覚えない。娘が作った料理も泥のような味しかしない。
 そんなとき、マイケルは突如死んだあとの光景を思い出したと言い出す。それは言葉にはできないほどの美しさであり、それに較べればこの世はゴミためだと言う。なぜあの幸せな世界から、この世にもどってこなければならなかったのだ。マイケルは自暴自棄になる。娘はそんな彼に、生き返ったのには何かの意味があるはずだと泣いて諭す。その後マイケルはついに自分が生き返った意味を見出すのだが、その意味とは…。
 生の意味を見失った男が娘によって再び生き返る感動的なストーリー、になるかと思いきや、物語は全くとんでもない方向に進みます。これはなかなか斬新です!
 男が本当に死後の世界を見たのか、それとも幻覚を見たのか、明らかにしないところが面白いです。見方によっては、死後の世界を信じ込んだ精神病者の話とも捉えることができるところがミソ。ちなみに、マイケルが見たという死後の世界を下手なCGを使わず、切り絵やステンドグラスで表現しているのは、いい判断だったと思います。

テーマ:日記 - ジャンル:日記

予期せぬ逃亡  埋もれた短編発掘その10
 今回は、「ジェニイ」「ポセイドン・アドベンチャー」などで知られる作家ポール・ギャリコの珍しい短編『もの言わぬ人質』(古沢安二郎訳 早川書房 ミステリマガジン1980年2月号所収)です。
 二人の殺し屋ワイリー・リックマンとアート・ホーサーを載せた車は、砂漠の町に向かって走っています。二人は刑務所から脱走した後、殺人を繰り返していました。いまも人質にとった女とその双子の子供を殺してきたばかりだったのです。
 臆病者の太っちょホーサーに比べ、小男リックマンの冷酷さは際立っています。

 リックマンのほうはもっと御しがたかった。というのは彼は冷然と殺人を犯したのであり、もし必要とあれば、自分の命をのばすためなら、いくらでも人の命を犠牲にする覚悟ができていたからである。

 二人はある町に入ります。そしておあつらえ向きの家を見つけます。窓からは、鏡の前で顔を剃っている男、台所にはエプロンを付けた女、寝室には女の子が寝た子供用ベッド、赤ん坊のいるサークル・ベッドが見えます。

 リックマンのうすい唇が満足そうにゆがめられた。これは思いもかけなかった拾い物である。その赤ん坊を連れていったら、彼らは国境まで逃げのびることができるかもしれない。

 もう殺しはうんざりだと言うホーサーを無理やり従わせたリックマンは、ホーサーに子供たちをさらってこいと命令します。そしてリックマンは両親を始末するべく、家の中に入り込みます。銃を構え、動くなというリックマンの言葉に、家の中の人間は、おびえきったのかピクリとも動きません。そして、リックマンは躊躇いなく引き金を引きます。おびえたホーサーの言葉が響きますが、リックマンの耳にはその言葉は入りません。

 このときばかりはリックマンは自分の相棒に立ち向かわずに、すでにもう一度撃鉄を起こしたピストルを持って立ったまま、男のワイシャツの後ろの心臓のあるあたりに現れている丸い穴をぽかんとして眺めていた。ワイシャツの繊維は少し煙を出したが、男は弾の衝撃も、自分が死ぬはずだという事実も忘れているように、立ったままであった。

 体に穴を開けられても立ち続ける男の正体とは? この後、強盗たちはまったく予期せぬ結末を迎えるのです。タイトルの「もの言わぬ人質」たちの正体が明かされた後に起こる出来事には、読者も驚かされるはず。人情作家ギャリコにも似合わぬ冷酷な殺人者たちですが、彼らは、まさしく神の配剤とでもいうべき罰を受けます。残酷な悪党たちがのさばる話かと思った方も、ちゃんとハッピーエンドが待っていますので、ご安心を。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

女を憎む男  ロバート・ブロック『ザ・スカーフ』
4787585428ザ・スカーフ
ロバート ブロック 村上 能成
新樹社 2005-10

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 今回は、『サイコ』で知られるロバート・ブロックのスリラー『ザ・スカーフ』(村上能成訳 新樹社)です。ブロックは、扇情的なショッカーやひねりの効いたホラーを得意とする作家です。
 主人公は、幼児期の母親の虐待と青年期の女教師による裏切りによって、女性を憎むようになった作家志望の男、ダニエル・モーリー。彼は女心をつかむのに長け、表面的にはプレイボーイに見えます。しかし心の中では女性全般を深く憎んでいるのです。
 モーリーは、亭主が服役中の女レナのヒモとなって生活しています。モーリーにベタ惚れのレナに対し、モーリーは心中ではレナを軽蔑しています。

 レナは飲んだくれで、ふしだらな大年増となるのが関の山だ。生きていようが、死のうが、だれもなんとも思いやしない。

 レナの存在を足手まといに感じだしたモーリーは、レナを殺害します。自分の野望の足がかりとなる金を奪うため、と自分では思っていましたが、そのうちモーリーは殺す必要はなかったのではないかと自問します。そこには女に対する憎悪が隠されていたのです。しかもモーリーは、殺した女の存在を自分の小説の登場人物として利用するのです。

 女は身持ちのわるいことでは天下一品で、やりきれなくなるほど不身持ちな女を地でいっていた。だから登場人物の名前や場所を変え、細部をすこし変更しさえすれば、女の話がそっくり使えそうだった。

 その後も女を利用しては殺し、それを自らの作品として生かすモーリー。作家として成功の階段を上りつつあったモーリーでしたが、あるとき色情狂と噂されるコンスタンスと、その元夫で精神分析医のジェフに出会ったことから、運命が狂い始めるのです…。
 自分の野心のためには犯罪も辞さない青年のピカレスク小説に、ブロックならではのショッカー風味を加えたという感じの作品です。主人公は、トラウマゆえに殺人を繰り返すという設定になっているのですが、その理由付けには大した説得力は感じられません。ただ無差別殺人では後味が悪い、という程度の意味づけでしょう。女性不信についても掘り下げが足りないように感じます。その点リアリティーという面では現代のサイコ・スリラーには及びません。しかし、小説自体があまり古びている印象はないのは不思議です。むしろその現実味の希薄さが何か童話的とでもいうべき雰囲気を作り出しているようなのです。そういう意味で、ブロックの作品は例えば「赤ずきん」のような残酷なおとぎ話に限りなく接近します。
 殺人が起こっても、ブロックの作品では人が死んだ重みというのがあまり感じられないのですが、軽い娯楽小説として割り切れば、楽しめる作品でしょう。いやむしろ、そうした読み方がブロックの作品の楽しみ方としては正しいのかも知れません。なお主人公の女性蔑視はかなり強烈なので、女性読者は不快感を覚えるかも。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

天まで上がれ  埋もれた短編発掘その9
 催眠術の力とはどこまで人間をコントロールできるものなのでしょうか? ときにそれは人知を越えた領域にまで及ぶのです…。今回はそんな催眠術の力を描いた一編、ジョゼフ・ペイン・ブレナン『人体浮揚』(望月和彦訳 早川書房 ミステリマガジン1984年8月号所収)です。ブレナンは怪奇小説誌「ウィアード・テイルズ」で活躍した作家。オーソドックスな手堅い幻想小説を得意としています。
 ある日、リヴァーヴィルの村に、モーガン驚異団の一行がやってきます。その出し物は、大女、刺青男など、ありきたりのものばかり。しかし山奥の村では、物珍しさから、歓迎を受けます。観客たちは出し物を愉しみ、くつろいだ気分になります。しかし催眠術師モーガンが登場すると、観客はその印象的な風貌に感銘を受けます。

 背が高く、憔悴したとでもいいたいほどの痩身、蒼白い顔、とりわけくぼんだ大きな目の輝きが、注目を集めずにはおかなかった。簡素な黒い服に古風な黒いストリング・タイが、メフィストフェレス的な雰囲気をさらに盛り上げていた。

 催眠術師は、観客に向かって言います。だれか実験を手伝っていただきたい。やがて一人の若い男が手伝いを申し出ます。椅子に座った男に対して、実験が開始されますが、突如ポップコーンのかたまりが若い男に命中します。観客は爆笑しますが、催眠術師は激怒します。そして、ポップコーンを投げた男に実験台になってもらおうと挑発します。その第二の男は、挑発に応じて舞台に上がりますが、催眠術が始まると、仰向けになった男はすぐに眠り込みます。そして催眠術師は、驚くべき命令を発するのです。横になったままで、舞台から浮き上がれ!

 若い男はみじろぎもせず、舞台の上に寝たままの姿で空中に昇りはじめた。ゆっくりと昇っていった。最初は目に見えないほどだったが、間もなく見誤りようもない、確かな速度をともなって上昇するようになった。

 男はどんどん空中に昇りはじめますが、そのとき催眠術師に異変が起こります。

 突然、観客の注意が移った。催眠術師が一方の手を胸にあててよろめき、舞台にくずれ落ちたのだ。

 催眠術師のそばに医者が呼ばれますが、すでに彼は事切れていました。そのまま空中に上がり続ける男の運命は…。
 かけた催眠術が解かれないままになったらどうなるのか? 作中において、催眠術師の来歴やその術などについての説明はすべて省略されています。催眠術師が倒れる原因も全くわかりません。読者は、観客と同様わけもわからず、あっけにとられたまま、結末までたどりつくことでしょう。同じモチーフとしては、ポオの「ヴァルドマアル氏の病症の真相 」が思い浮かびます。しかしポオの作品が、読者に恐怖をもたらすものとなっていたのに対し、ブレナンの作品は、もっとシンプルな効果を狙っています。はっきり言って、一発芸といっていい作品なのですが、その奇妙なおかしさには捨てがたい味があります。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学



プロフィール

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主催。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
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