FC2ブログ
幻想の犬たち  フィリパ・ピアス『まぼろしの小さい犬』
まぼろしの小さい犬 (岩波少年文庫)
 フィリパ・ピアスの長篇『まぼろしの小さい犬』(猪熊葉子訳 岩波少年文庫)は、空想上の犬を飼うことになった少年を描くファンタスティックな作品です。

 少年ベンの望みは犬を飼うこと。しかしロンドンに住むベンには、その願いは叶いません。祖父母のもとで彼らが飼う犬ティリーとの生活を経験してからはその思いは募るばかりでした。祖父からの犬のプレゼントを期待していたベンに届いたのは、亡くなったおじが祖母に送った南米の土産物の犬の刺繍であり、ベンは落胆してしまいます。
 犬への思いが膨らんだベンは空想の中で犬と戯れるようになります。やがて目を閉じるとすぐにも犬の姿が見えるようになったベンは、四六時中、目を瞑って過ごすようになりますが…。

 犬を飼いたいという欲求が高じたあまり、空想の中で犬を飼ってしまうようになった少年を描く物語です。
 五人きょうだいのちょうど真ん中であり、姉二人と弟二人がそれぞれ非常に仲が良いのに対し、孤立しがちなベン。友人も特におらず、他のきょうだいに比べ家族に構ってもらう機会も少ないのです。
 家にあまり経済的に余裕もなく、両親、特に父親は犬を飼うことに反対しています。日常的に鬱々としたものを抱えている少年ベンのキャラクターは印象的です。
 現実の犬が飼えないことに落胆したベンは、空想上の犬に夢中になります。刺繍の絵の裏に書かれていた言葉からチキチトと名付けた空想の犬と戯れるベンでしたが、空想に耽るあまりに、日常生活に支障を来すまでになっていきます。

 後半、本物の犬を飼える機会を得たベンですが、それまで空想で作り上げてきたイメージの犬との違いに戸惑うことになります。「理想の犬」などはどこにもいない。手に届くものを大事にすべき、というようなテーマも見え隠れしますね。
 主人公の犬に対する執着は強烈で、物語を牽引するのは全て犬との関わりです。贈り物だった刺繍の犬、そこから生まれた空想の犬、そして本物の犬…。多様な犬のイメージが移り変わっていくという、見事な構成の作品になっています。

 この作品、「ファンタジー小説」ではなく「リアリズム小説」に分類されているようです。確かに主人公ベンのキャラクターやその家庭の描写は非常にリアルです。ベン自身だけでなく、その家族や社会の描写には閉塞感が感じられ、その意味ではリアルなのですが全体としての印象は良質なファンタジーのそれです。テーマ性の強い作品でもあり、子どもだけでなく大人が読んでも、充分に読み応えのある作品ではないでしょうか。

テーマ:読書 - ジャンル:小説・文学

イーディス・ネズビットの魔法世界
 昨年末から集中的に、イーディス・ネズビット(1858-1924)の作品を読んでいました。ネズビットはイギリスの作家。児童文学・ファンタジーの祖ともいうべき作家で、名作をたくさん残しています。〈砂の妖精〉シリーズ三部作の『砂の妖精』『火の鳥と魔法のじゅうたん』『魔よけ物語』とタイムトラベル二部作『アーデン城の宝物』『ディッキーの幸運』、長篇『魔法の城』に関しては既にこのブログでも紹介していますので、その他の邦訳作品をまとめて紹介しておきたいと思います。


mahoumahoumahou.jpg
イーディス・ネズビット『魔法!魔法!魔法! ネズビット短編集』(八木田 宜子訳 講談社青い鳥文庫)

 「魔法と恋」をテーマにした作品を集めたファンタジー短篇集です。
 職業紹介所で紹介されて王様になる少年を描いた「キング、募集中」、日曜日だけ美人になる呪いをかけられたプリンセスを描く「日曜日だけ美人」、プリンセスのための寄宿学校から誘拐事件が起こる「プリンセスたち失踪事件」、願いのかなう魔法のリンゴを手に入れた青年の物語「魔法のリンゴと白い馬」、元王族のエレベーター会社の跡取り息子がプリンセスに恋をする「エレベーター=ボーイはだれ?」、魔法使いによっておろかさを与えられたプリンスとみにくくされてしまったプリンセスが恋をするという「魔法使いの心臓」の6篇を収録しています。

 基本的には、ファンタジーの約束事を逆手にとって捻ったりおちょくったりするタイプのお話が多いです。王や女王が職業紹介所で斡旋される「キング、募集中」や、王位を追われた王が機械会社を設立してしまうという「エレベーター=ボーイはだれ?」などは、非常にモダンなファンタジーになっています。
 「エレベーター=ボーイはだれ?」では、主人公の青年が身分違いの恋をした罪で死刑を宣告されてしまいます。しかし青年は「不死身の心臓」を持っているという設定なので、何度殺そうとしても殺せない…という何ともシュールな展開で、モダンであるとともに面白い物語になっていますね。

 どの短篇にもユーモアがあふれているのも特徴ですね。「日曜日だけ美人」では、日曜日だけ美人になるという呪いをかけられたヒロインが登場しますが、このヒロインのお相手が日曜日だけみにくくなる呪いをかけられたプリンスという、ユーモラスな設定です。
 収録作はモダンな印象が強いものが多いなか、古典的な印象を与えるのが「魔法のリンゴと白い馬」
 運探しの旅に出た青年が手に入れたのは、何でも願いが叶うという魔法のリンゴ。しかしそれを手に入れた青年が故郷へ戻ると、長い時間が経っており、家族も恋人も既に死んでいた…という話です。
 モダンで、時折パロディ的な要素もはさみながらも、物語の面白さはしっかり味あわせてくれるという点で、非常に面白いファンタジー作品集になっています。



ドラゴンがいっぱい! (講談社青い鳥文庫)
イーディス・ネズビット『ドラゴンがいっぱい!』(八木田宣子訳 講談社青い鳥文庫)

 魔法の本から飛び出したドラゴンを退治しようとする「本からドラゴンが…」、生きものの大きさが独自である島に邪悪な紫色のドラゴンが現れるという「紫色のドラゴン」、鍛冶屋の一家が住む廃墟になった古城の地下牢にドラゴンが現れるという「地下牢のドラゴン」、魔法使いの父親によりドラゴンによって守られた島に囚われたプリンセスを描く「うず潮の島のドラゴン」、いとこによって王国を奪われてしまったプリンセスのいる国がドラゴンに襲われるという「火をふくドラゴン」、ありとあらゆる大きさのドラゴンが国中にあふれるという「国じゅうがドラゴン」、最後のドラゴンを自分の剣術で倒したいと考えるプリンセスがドラゴンのもとに向かうという「最後のドラゴン」の7篇を収録しています。

 収録作すべてがドラゴンをテーマにした作品なのですが、それぞれ一捻りがされており、どれ一つとして単なるドラゴン退治のお話になっていないところが凄いですね。
 なかでも面白いのは「紫色のドラゴン」「うず潮の島のドラゴン」「国じゅうがドラゴン」などでしょうか。

 「紫色のドラゴン」は、ロタンディアという島国が舞台。この島ができたときの影響で、この国で生まれる動物は、ほかの国とは違った大きさで育つのです。モルモットはゾウぐらいの大きさ、ゾウは逆にモルモットぐらいの大きさ、ウサギはサイぐらいの大きさ、という具合。
 ここに紫色のドラゴンが現れるのですが、邪悪なドラゴンを利用しようと考えたプリンセスのおじは、プリンセスをドラゴンの生贄にしようと考えます…。
 物語序盤に、この島国の由来や動物の大きさがなぜ他の国と違うかが語られます。単なるファンタジー的な舞台設定だと思って読み進むと、後半とんでもない展開に。ものすごい伏線であるのみならず、奇想に満ちたアイディアで唖然としてしまいます。

 「うず潮の島のドラゴン」では、魔法使いである父親により島に幽閉されてしまったプリンセスが描かれます。彼女はドラゴンとグリフィンに守られており、彼女を救い出せる男が現れるまで、年をとらないというのです。勇敢な少年ナイジャルはプリンセスを救い出そうと考えますが…。
 少年ナイジャルは非常に賢いという設定なのですが、プリンセスを救い出すためには数学的な問題を解く必要があるというユニークな展開です。
 「もし、うず潮がとまり、潮が引くのが二十四時間に五分間で、それが二十四時間ごとに五分間ずつ早くなり、また、ドラゴンが毎日五分間ずつねむり、それが毎日三分間ずつ遅くなるとすると、いったい何日めに、そしててその日の何時に、潮が引くのがドラゴンがねむるより三分間早くなるか?」
 読んでいて笑ってしまうような展開で、しかも少年が賢いといってもそれほどではないという描写があるのが楽しいですね。

 「国じゅうがドラゴン」では、突然国中に大小さまざまなドラゴンが現れ、人々に害をなします。少女エフィーと兄のハリーは、ドラゴンを倒してもらおうと、英雄セント=ジョージを復活させようとしますが…。
 とんでもない設定のドラゴン小説です。何しろ冒頭でヒロインの目の中に虫が入ったと思ったらそれがドラゴンだった…という始末なのです。つぶされたドラゴンの死体が積まれている描写があるなど、ドラゴンがほとんど害虫のような扱い。主人公の兄妹が英雄を起こそうとするものの上手くいかず、災害を止めるために新たな手段を探すことになるのですが、ここも非常にナンセンスな展開で開いた口がふさがりません。
 100年近く前の物語とは思えないほど、モダンでナンセンスな物語が多く、児童向けの本ではありますが、大人にもお薦めしたい作品集になっています。



メリサンド姫: むてきの算数! (おはなしメリーゴーラウンド)
イーディス・ネズビット『メリサンド姫 むてきの算数!』(灰島かり訳 高桑幸次絵 小峰書店)

 妖精に呪いをかけられることを恐れた王とおきさきは、娘のメリサンド姫の誕生祝いの会を開かないことにしますが、逆に妖精にうらまれて、いじわるな妖精ワルボラに呪いをかけられてしまいます。それは姫が一生、つるつるのはげ頭になるようにとの呪いでした。美しく成長した姫でしたが、やはり髪は生えてきません。王は、かって自分が名付け親の妖精からもらった、願い事が一つだけかなう魔法の小箱を使おうと考えます。おきさきの言葉通りに姫がかなえた願いは、一メートルの長さの金色の髪が生え、毎日三センチ伸び、切るたびに倍の長さになるように、との願いでした。皆は姫に髪が生えたのを喜びますが、その髪は際限なく伸びていました…。

 髪の伸びるのが止まらなくなった姫を描く、ユーモアたっぷりのファンタジー作品です。最初はちょこちょこ切っていた髪ですが、やがて収拾がつかなくなっていきます。髪の毛を国民の服「姫さま肌着」にしたり、それでも余った髪を他国へ輸出したりするようになるのです。
 やがて智恵と勇気をもった王子が現れ、メリサンド姫の髪を伸ばさない方法を考え出しますが、それによって新たな困難が持ち上がります。

 ネズビットのファンタジーは、魔法によって起こった事件のエスカレートの仕方が面白いのですが、本作品のそれもスケール感が豊かです。
 タイトル通り、髪の毛が切るたびに倍々になっていってしまう展開は抱腹絶倒。いろいろな製品に加工したり、輸出品になってしまうという展開は非常に楽しいです。髪を伸ばさない方法を見つけたと思ったら(その方法自体もナンセンスなのですが)、また別のトラブルが発生してしまいます。

 有名な古典童話作品、例えば「ラプンツェル」だとか「ガリヴァー旅行記」などのエッセンスがところどころにパロディ的に使われているのも楽しいですね。ほぼ毎ページに挿絵が入っており、こちらもユーモラスかつキュートなタッチで楽しいです。
 ナンセンスなユーモア・ファンタジー童話作品で、大人が読んでも充分に楽しい作品です。



kuniwosukuttakodomotati.jpg
イディス・ネズビット作、リスベート・ツヴェルガー絵『国をすくった子どもたち』(猪熊葉子訳 太平社)

 小さな女の子エフィは、目のなかにゴミが入ったことに気がつき、医者である父親にゴミを取ってもらいます。しかしそのゴミはよく見ると小さな竜だったのです。その日から、虫のようなサイズに始まり、人間を食べてしまうような大きなサイズのものまで、竜が国中にあふれてしまうようになります。
 エフィと兄のハリーは、伝説の聖ジョージならば竜を退治できるのではないかと考え、聖ジョージ教会に向かいますが…。

 竜をモチーフにしたネズビットの短篇童話にツヴェルガーが絵をつけた絵本です。
 竜が大量に発生するという作品なのですが、ここでの竜はロマンティックなものではありません。目のなかに入ってきたり、スープに混入したりと、ほとんど害虫扱いなのです。大きいサイズのものでも、知能はあまりないようで、人に害を与える一方。退治するといっても、すさまじい数の竜が発生しているのです。子どもたちは竜を退治できるのでしょうか?

 聖ジョージに願いをしにいくあたりまでは、普通の童話のフォーマットなのですが、その後の展開が何ともナンセンス。ホラ話すれすれの味わいで、楽しい作品になっています。ツヴェルガーの挿絵も繊細ながらユーモラスなタッチになっています。ネズビットの作中で「竜」というよりは「トカゲ」的なイメージが強いのを考慮したものか、絵に描かれた竜も、爬虫類感が強いですね。

 このお話、「国じゅうがドラゴン」のタイトルで『ドラゴンがいっぱい!』(八木田宣子訳 講談社青い鳥文庫)という短篇集にも収録されています。



midorinokuninowaraidori.jpg
イディス・ネスビット『緑の国のわらい鳥』(猪熊葉子訳 大日本図書)

 原著の1901年刊の童話集『九つのありそうもない話』から二篇を翻訳した本です。ファンタスティックな味わいの強い作品集になっています。

「緑の国のわらい鳥」
 ばあやのプリッドモアと共に、大嫌いなウイロビー大おばの元を訪問することになったマチルダは、ふくれっつらになっていました。乗り込む馬車を間違えてしまった二人は、見たこともない国に辿りつきます。そこは緑にあふれ、親切な王さまのいる国でしたが、いろいろとおかしな点があるのです。そして、ばあやは突然自動販売機になってしまいます。王さまが言うには、姫が可愛がっている鳥オオムハシが笑うたびに、国や人に何か不思議なことが起こるというのです。マチルダは王さまに協力して、鳥の笑いの秘密を探ろうとしますが…。
 魔法の力を持つ鳥によって国が滅茶苦茶になってしまうという不条理ファンタジー。鳥自身も何が起こるか分からず、ばあやが自動販売機になったり、総理大臣が小さくなったり、王様が肉屋になったりしてしまいます。
 たまたま鳥の力によって賢くなったヒロインが、頭が働くうちに対策を立てようとするのも可笑しいです。

「図書室のなかの町のなかの図書室のなかの町」
 家の図書室で留守番をしているロザマンドとフェービアンは、母親が出かける際に開けてはいけないといいつかったビューローの引き出しが気になってしまい、とうとう開けてしまいます。ビューローの上につみ木やブロック、本などでお城を作った二人は、自分たちがいつの間にかお城の中の町に入ってしまったことに気がつきます。その町の中にも自分たちの家を同じような家があり、そこに入っていった二人はその家の図書室にも同じようなお城があることに気がつきます。更にそのお城の中に入っていく二人でしたが…。
 幼い兄妹が、自分たちの作ったおもちゃのお城の町に入ると、その中に同じような家があり、更にその中に入っていってしまうという、入れ子状(空間的に)の物語です。どんどん深い層に入っていってしまい、そこから抜け出すことができるのか、というハラハラドキドキ感もありますね。
 人間の大きさが加速度的に小さくなるに従って、周りの世界は大きくなり…。眩暈がしてくるようなファンタスティックな作りで、これは実に魅惑的なお話です。



ネズビットきみのいきたいところ159
イーディズ・ネズビット『きみのいきたいところ』(吉田新一訳 学習研究社)

 原著『九つのありそうもない話』から二篇、同じく『まほうのせかい』から一篇、ネズビットのファンタジー短篇を収録しています。

「きみのいきたいところ」
 嫌いなおじさんとおばさんがやってきて、退屈していたセリムとトマシナのきょうだい。彼らに突然話しかけてきた赤と緑のゴムまりのあとをついていくと、そこは世界中でいちばん楽しい「きみのいきたいところ」でした。
 しかし、きょうだいが不満を抱くたびに、「きみのいきたいところ」の環境は悪くなっていきます…。
 ゴムまりに導かれ訪れた別世界は子どもの理想の場所でしたが、その環境にだんだんと満足できなくなってしまうという物語。序盤からおとぎ話的な雰囲気の濃い作品なのですが、クライマックスでは結構残酷なシーンもありますね。

「青い山」
 気みじかで色黒な人間ばかりが住む国アンテオケ。そこに住む少年トニーは、祖父である同名のトニー同様、穏やかな性格ゆえにその国では浮いていました。ある日亡き魔術師バーベックの墓石に予言が書かれているのを見つけたトニーは、王にそれを報告します。
 予言には「トニー」が青い山のミルクを飲むと巨人となり国を支配すると書いてありました。ミルクを入れた茶碗を持った巨人の少女を見つけたトニーは、そのミルクこそ予言のものと考え、それを手に入れようとしますが…。
 何やら思わせぶりな特徴を持つ国で、不思議な出来事が起こるのですが、この国や、後に登場する巨人の少女の意味合いが判明するシーンは見事ですね。
 少年が体験した出来事は、夢だったのか現実だったのかわからなくなるという結末にも味わいがあります。
 中国の有名な古典物語「南柯郡太守の物語」(李公佐)にすごくよく似たモチーフの物語です。直接の影響関係があるのかはわかりませんが、東西で似た発想の作品が書かれたのだとすると興味深いですね。

「さかなになった少年」
 いとこたちの家に遊びに来た少年ケネスは、いとこの一人アリスンが持ち出した姉エセルの指輪を無くしたことを自分のせいにされ、おばに叱られてしまいます。指輪を探しにボートに乗りながら「魚になりたい」と考えていたケネスは、自分がいつの間にか魚になっていることに気がつきます…。
 魚になってしまった少年を描く作品です。最初は喜んだ少年でしたが、池の中に閉じ込められてしまったことに気がつき、脱出方法を考えることになります。
 すべてが夢だったとも取れるのですが、最後にさらっとそれが夢ではなかった…という要素を入れているところが洒落ています。



宝さがしの子どもたち (福音館古典童話シリーズ)
イーディス・ネズビット『宝さがしの子どもたち』(吉田新一訳 福音館書店)

 経済的に苦しいバスタブル家の子どもたちが、知恵を出し合って「宝さがし」をし、幸福を手に入れるという物語です。
 かって豊かだったバスタブル家は、母親を亡くし、父親は取引相手に騙され経済的な苦境に陥ってしまいます。六人の子どもたちは、自分たちでお金を儲けて家を建て直そうと、いろいろな活動をすることになります。しかしそれらはなかなか成功せず、成功してもすぐにその成果は無くなってしまいます…。

 子どもたちが父親や家を助けようと「宝さがし」をするという物語です。この場合の「宝さがし」は文字通りの、土を掘り返す宝さがしだけでなく、何か商品を作って売ったり、新聞を発行して売ったり、金持ちの人間を助けて謝礼をもらったりと、広い意味での経済活動なのです。
 あの手この手でお金を稼ごうとする子どもたちですが、その幼さゆえに、思い込みで動いたり、知識が足りなかったりと、様々な原因で失敗してしまうことが多くなっています。しかし、子供たちは失敗を繰り返してもあきらめず、互いにきょうだいに対して思いやりを忘れません。また「宝さがし」をしていく中で成長し、また親切な大人と出会ったりと、人脈を広げていくことにも成功します。

 子どもたちも、それぞれ個性豊かに描かれています。長女でしっかり者のドラ、寛大で男気のある長男オズワルド、几帳面な次男ディッキー、病気がちながら詩人肌の三男ノエル、正義感に厚い二女アリス、茶目っ気のある末っ子H・O。
 特に、リーダー的存在のオズワルド、感受性が豊かで作中でもたびたび詩を作る詩人肌のノエルのキャラクターは際立っていますね。

 ファンタジー系統の作品に比べ、かなり現実がシビアに描かれる物語です。著者ネズビットは、経済的に苦しんだ時期が長かったとのことですが、そのあたりの現実感覚が反映されているのでしょうか。ただ、心温まる楽しいエピソードが多いので、あまりペシミスティックな感じにはなりません。
 子供たちが自分たちで新聞を作って売ろうと考える「新聞の編集をする」、父親の友人を泥棒と勘違いしてしまい、捕まえた直後に本物の泥棒が侵入してしまうという「どろぼうとこそどろ」などのエピソードなどは楽しいですね。
 「詩人」のノエルだけでなく、子どもたちは皆本が好きなようで、たびたび本や作家に関する記述も表れます。ネズビット自身の好みでもあるのか、キプリングは優れた作家として言及されていますね。

 子どもたちが行う「宝さがし」は、「お金」が目的ではあり、その行為自体も現実的ではありながら、どこかファンタジーにあふれています。やがて子どもたちの純真さが、バスタブル家に幸福を呼び込むことにもなるのです。
 作中での「現実」と「空想」のバランスが非常に上手くとれており、日常の中の「ファンタジー」を描いた作品として、児童文学の名作といってよいのではないでしょうか。



yoikorennmei.jpg
イーディス・ネズビット『よい子連盟』(酒井邦彦訳 国土社)

 インド帰りで母親の親戚である資産家のおじさんの屋敷に、父親ともども世話になることになったバスタブル家の子どもたち、オズワルド、ドラ、ディッキー、アリス、ノエル、H・O。経済的な問題が解決しても、彼らの遊びとそれに伴ういたずらは収まりません。
 「罰」として、彼らは田舎の家に預けられることになります。家族の友人である、アルバートのおじさんの監督のもと、子どもたちは田舎の掘割屋敷で過ごすことになります。父親の知り合いの子ども、デージーとデニーも加わり、彼らは、よい子になるために「いつかよい子連盟」を結成しますが…。

 児童文学の名作『宝さがしの子どもたち』の続編です。前作に引き続き、バスタブル家の子どもたちの冒険(といたずら)が描かれていきます。
 前作では、父親や家を助けるために、経済的にお金を稼ぐという方向で活動していた子どもたち。今作ではその経済的な心配がなくなったため、彼らの活動はより「遊戯的」な性格が強くなっています。それに伴い、いたずらの結果(被害)もかなり強烈になっています。
 川をせきとめたり、家が水浸しになったり、橋が燃えたりと、経済的な損失も大きくなっています。子どもたち自身も怪我をしたり、ひるに吸い付かれたりと、ある種やりたい放題。前作よりも純粋に冒険小説な要素が濃くなっていますね。

 よい子になるはずの「いつかよい子連盟」が全く守られず、結局解散してしまう、という流れも非常に楽しいです。前作の「宝さがし」のような、作品全体を通してのテーマはないのですが、今作では後半に、アルバートのおじさんの縁結びというテーマが登場します。
 その顛末も、子どもたちならではの早とちりと思い込みでユーモラスなものになっています。子どもたちは、おじさんを結婚させることができるのか?

 今作の子どもたちの冒険は遊びの要素が強いので、前作のように、子どもたちが大人の商売に手を出してそのギャップが面白おかしく描かれるわけではなく、純粋に子ども目線で子どもの遊びが詳細に描かれる…という感じになっています。
 大人が読んでも充分に面白いのですが、子どもの頃に読むほうがもっと楽しめる感じがする作品ではありますね。



鉄道きょうだい
イーディス・ネズビット『鉄道きょうだい』(中村妙子訳 教文館)

 ボビー、ピーター、フィリスの三人のきょうだいは父母とともに幸せに暮らしていましたが、ある日父親は警察に連れていかれ帰ってこなくなってしまいます。母親とともに田舎に引っ越した子どもたちは貧乏な生活を余儀なくされますが、現地の鉄道やその職員、周囲の人間たちと仲良くなります。知り合いが増えるにしたがって、彼ら家族の生活も明るくなっていきますが…。

 父親がいなくなり、母親と共に田舎で貧しい生活を送ることになった三人の子どもたちが、鉄道やその職員たちと友達になり力強く生きる…という作品です。
 聡明で明るい子どもたちが、現実の苦難にも負けず強く生きていく…という児童文学の王道的な作品ではあるのですが、そこはネズビット、そうした厳しい生活の中にも明るさとユーモアたっぷりのエピソードが詰め込まれており、非常に読み心地のよい作品になっています。

 近くを通っている鉄道に夢中になり、その職員や周辺の人々と仲良くなっていく子どもたち。子どもたちがたまたま行った人助けにより、有力者と知り合いになり、それが彼らの生活を助けることにもなります。ファンタジー要素はないので、ネズビットの他作品ほど破天荒な展開はないものの、子どもたちが出会う冒険や事件には、やはりわくわくさせる要素があります。鉄道事故を未然に防いだり、火事から赤ん坊を救ったり、トンネル内で怪我をした子どもを救出したりすることになるのです。
 子どもたちが勇敢で聡明なのは、他作品のそれと同様ですが、本作では、子どもたちの手先が器用であること、彼らが行う対策がわりと現実的であることから、ネズビット作品特有の「ドタバタ感」は薄めです。ただ、子どもたちが常時家族を含めて、利他的な精神で動くので、周囲の人々を幸せにし、自分たちも幸せになってゆくという、後味の良い作品になっています。

 後半では、消えてしまった父親の秘密が明らかになります。子どもたちは父親と再会することができるのか? それまでの子どもたちの善意が実を結ぶ結末には、ある種の感動があります。特に鉄道を使ったクライマックスの視覚的なシーンにはインパクトがありますね。児童文学の名作といってよい作品だと思います。

 この『鉄道きょうだい』、かって『若草の祈り』(1970)というタイトルで映画化されています。その際に同名タイトルで邦訳もされているようです。本書は新訳ですが、訳文も読みやすいです。
 訳者解説によると、本書の父親をめぐる陰謀については、当時世間を騒がせた「ドレフュス事件」の影響もあるのではないかとのことです。


以下、アンソロジーや雑誌に収録された、ネズビットの大人向け怪奇短篇もいくつか紹介しておきますね。


E・ネスビット「あずまや」(佐藤ひろみ訳『ミステリマガジン1986年8月号』早川書房 収録)

 資産家のフレドリックが伯母と暮らすドリコート館を訪れた平凡で地味な娘アミーリア。フレドリックの友人セシジャーに思いを寄せるアミーリアでしたが、彼は美しい娘アーニスティンに夢中でした。
 アーニスティンをめぐって、館のあずまやでの肝試しを主張したセシジャーとフレドリックは一夜をその小屋で過ごすことになります。家に古くから伝わる本によれば、あずまやで何人も死者が出ているというのですが…。
 吸血鬼物語のバリエーション作品なのですが、男女四名の「恋の鞘当て」的な心理描写が秀逸です。一人だけ蚊帳の外に置かれた感のあるヒロインの行動が物語を動かすのですが、淋しげな結末にも味がありますね。


イーディス・ネズビット「影」(BOOKS桜鈴堂訳『夜のささやき 闇のざわめき』Amazon kindle 収録)

 舞踏会の後の夜に「私」を始めとした若い女の子が三人集まって、幽霊話に興じていました。そんな折、ふとドアを叩いたのは、家事を取り仕切っているイーストウィックさんでした。無口な性質のイーストウィックさんでしたが、たまたま彼女を知らない年下の子から促されて、自分の体験したという怖い話を始めます。それは彼女の友人夫婦に関する話でした。
 友人のメイベルとその夫が暮らしていたのは新築の綺麗な家でした。しかし夫はその家に不気味なものを感じるというのです。やがてイーストウィックさん自身も戸棚から不気味な「影」が現れるのを目撃します…。
 不気味な手触りの怪奇小説です。直接描写はされないのですが、過去に友人夫婦とイーストウィックさんとの間に何かがあったこと、おそらく夫婦の夫(作中では「あの人」と呼ばれます)とイーストウィックさんは、かって恋人だったのではないかということが仄めかされています。怪異現象として現れる「影」も幽霊や妖怪というよりは、イーストウィックさんから発した「生霊」のような解釈もできそうな感じです。ただ、直接関係のない夫婦の娘にまで「影」が影響を及ぼしているという展開はかなり怖いですね。
 語り手たちが「機械」のように扱っていたというイーストウィックさんにも感情があり、彼女自身の過去の事件の語りを通して、その情念を感じさせる…という部分も興味深いです。非常にモダンな怪奇小説でありました。


イーデス・ネスビット「ハーストコート城のハースト」(南田幸子訳『安らかに眠りたまえ 英米文学短編集』海苑社 収録)

 尊大な態度から男性には嫌われているものの、女性には何故か絶大な魅力を及ぼす男ハースト。黒魔術の研究書を出版したハーストは一躍人気作家になります。村一番の美女と言われるケイトと結婚したハーストは、一族の城、ハーストコート城を相続します。学生時代からの親友で医者である「僕」は、ハーストに招かれ、ハーストコート城を訪れます。そこで見たのは、更なる美しさを重ねたケイトと、かってとは別人のように好人物となったハーストでした。
 愛し合うハースト夫妻を好ましく思う「僕」でしたが、ある時を境にケイトが病に陥り、重態に陥ります。しかも倒れる直前に、彼女はハーストについての懸念を「僕」に打ち明けていました…。
 古城で展開されるゴシック・ロマンス風味の強い怪奇幻想作品です。かって黒魔術に凝っていた夫は、妻に対して何を行ったのか? ポオの有名な短篇作品と同じアイディアが使われていますが、こちらの作品ではそれが夫婦の愛情の絆を表すものとして使われています。名作といっていい作品では。


以下の作品レビューも参考までに載せておきますね。
『砂の妖精』『火の鳥と魔法のじゅうたん』『魔よけ物語』
http://kimyo.blog50.fc2.com/blog-entry-1037.html
『アーデン城の宝物』『ディッキーの幸運』
http://kimyo.blog50.fc2.com/blog-entry-1041.html
『魔法の城』
http://kimyo.blog50.fc2.com/blog-entry-1040.html

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

物語の饗宴  サッパー『十二の奇妙な物語』
十二の奇妙な物語 (論創海外ミステリ)
 イギリスの作家サッパーの短篇集『十二の奇妙な物語』(金井美子訳 論創海外ミステリ)は、恋愛もの、ミステリ、サスペンス、恐怖小説と、様々なジャンルの物語が楽しめる作品集です。オーソドックスな話が多く、その点先が読めてしまうものも多いのですが、面白く読めてしまうのは不思議です。

 ロンドンの秘密クラブで会員たちが面白い話を披露していく…というのが前半の設定です。それぞれの会員たちが自分の職業に関連した話をしていくという形になっています。後半はそこから離れて、それぞれ独立したエピソードが続きます。

 自分が天才女優だと信じる女性にだまされたふりをする俳優を描く「俳優の話 キルトの布きれ」、夫を殺害した女性への恋心と仕事に対する使命感に引き裂かれる弁護士を描く「弁護士の話 サー・エドワード・ショーハムの決断」、余命を先刻された青年が恋人に嫌われようとする「医者の話 死の宣告」、作家が犯罪計画に巻き込まれるという「作家の話 アップルドアの花園」、過去に惨劇のあった屋敷で怪現象が起こるという「古びたダイニングルーム」、死んだ親友の恋人に求婚していた男が記憶を無くした親友を見つけるという「ジミー・レスブリッジの誘惑」、気位の高い美女と世捨て人の青年との恋模様を描く「レディ・シンシアと世捨て人」、南アフリカの僻地で自暴自棄になった男を描く「酔えない男」などが面白く読めますね。

 基本的に、どのエピソードもかなり古典的な展開の話が多いのですが、最後まで安心して読める安定感があります。オーソドックス、というと聞こえが悪いかもしれないですが、言い方を変えると「王道」といってもいいでしょうか。
 人間同士の心理のすれ違い、プライドや愛情ゆえの行き違いなど、説得力のある人間ドラマが丁寧に描かれているのが魅力でしょうか。その意味で、犯罪ものや怪奇ものよりも、恋愛ものの方に生彩が感じられますね。アンハッピーエンドはあるものの、基本後味が良い物語ばかりなのも好印象です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

時間の夢  イーディス・ネズビット『アーデン城の宝物』『ディッキーの幸運』
 イーディス・ネズビットの『アーデン城の宝物』『ディッキーの幸運』は、時間旅行をテーマにしたファンタジー二部作。このテーマとしては非常に早い作例になりますが、それぞれ味わい深い作品になっています。


アーデン城の宝物
『アーデン城の宝物』(井辻朱美、永島憲江訳 東京創元社)

 エルフリダとエドレッドとの姉弟は、南アメリカに渡った父親が仕事のパートナーとともに死んでしまったという知らせを受け、イーディスおばさんとともに引越しを余儀なくされます。そんな折、親戚のアーデン卿が亡くなり、エドレッドはその地位を引き継ぐことになります。
 先祖代々の住処であるアーデン城を訪れた姉弟は、近くに住む老人から、アーデン卿の地位にある者が9歳から10歳の間に呪文を唱えると宝が見つかるという伝説を聞きます。図書室で呪文を見つけたエドレッドが呪文を唱えると、モルディワープと名乗る、しゃべる白いモグラが現れます。
 モルディワープには時を越える力がありました。モルディワープの力により、姉弟は、たびたび他の時代へと冒険の旅をすることになりますが…。

 エルフリダとエドレッドとの姉弟が、白モグラのモルディワープの力を借り、一族の宝を求めていろいろな時代へとタイムトラベルするという物語です。訪れるのは100年前、200年前、果てはヘンリー八世の時代までと様々。
 面白いのは、全くの第三者として別の時代に行くのではなく、その時代ごとに存在するアーデン家の同名の娘と息子としてタイムトラベルするところです。ある意味「憑依」に近い感じなのでしょうか。伏線として、どの時代にもアーデン家には娘と息子がいた、という描写も出てきます。
 なので、現地の人々にとっては元々存在している人物なわけで、大きな混乱が起こらないというのは上手い設定ですね。さらに関連して、他の時代に行く前に、その時代の衣装を着てから出かけるというのも、重要なモチーフとして描かれています。

 主人公たちは過去の時代に出かけるわけなのですが、基本的に歴史は変えられません。処刑されてしまう王妃を助けようと思って行った行為が原因で歴史と同じ結果になってしまったりするのです。
 また一族の過去の歴史として残っている事件の原因が、主人公たちが不用意にもらした言葉だったりするのも面白いところ。
 姉弟がけんかしたら、しばらくモグラを呼び出せないとか、詩の形で呪文を唱えないと出てきてくれないとか、ユニークな設定が盛り込まれています。しかも、この設定が伏線になっている箇所もあったりと、非常に手が込んでいますね。

 基本的には、過去の時代へのタイムトラベルを繰り返していくうちに、冒険を重ねた姉弟たちが成長してゆく…というお話なのですが、過去に行って戻って、という単純なパターンの繰り返しにはなっていません。姉弟が片方だけでトラベルしたり、姉弟が引き離されてしまうこともあるのです。
 やがて主人公たち以外にも、時を越えることのできる人物が見え隠れし、物語はさらに複雑になっていきます。
 特に途中から登場する「いとこのリチャード」もタイムトラベルをしていることが明かされますが、彼について詳細は最後まで明かされません。このあたりは続編で語られることになります。

 一見クールなモグラのモルディワープのキャラクターにも魅力がありますね。気難しい性格ながら温情深いところもあったりします。アドバイスはするものの、基本はタイムトラベルさせるだけで積極的に子供たちの手伝いをするわけではなかったモルディワープ自身が最終的には自らの体を張って協力するようになるという展開も熱いです。
 100年以上前の物語ながら、タイムトラベルについてもよく考えられており、それ以上に冒険物語として秀逸な作品になっています。



ディッキーの幸運
『ディッキーの幸運』(井辻朱美、永島憲江訳 東京創元社)

 ニュークロスに住む少年ディッキーは、両親の死後、孤児となり、知り合いのおばさんに引き取られて暮らしていました。幼い頃のけがが元で片足が不自由なディッキーの生活は苦しく、財産と呼べるものは亡き父親が残したというガラガラだけでした。
 ある日知り合った浮浪者のビールという男に誘われたディッキーは、彼を慕い、家を出て一緒に旅をすることになります。しかし物乞いを繰り返していた二人は、ある事件を境にはぐれてしまいます。あるとき、ふと魔方陣のようなものを描いたディッキーが気がつくと、見知らぬベッドに寝ていました。
 彼を「ぼっちゃん」と呼ぶばあやによれば、彼は「アーデン家の若さま」だと言うのです。そこが17世紀だということを知ったディッキーは、熱病で記憶を失ったふりをして、その世界のことを学んでいくことになりますが…。

 前作の主人公の姉弟の「いとこ」として登場したディッキーを主人公にした作品です。続編というか、前作と表裏のような関係になっていて、こちらの作品から読んでも大丈夫なようになっています。
 序盤は、貧しく不遇な環境で生まれた少年ディッキーが健気に生きる姿が描かれており、リアリズム風少年少年小説といった趣ですね。純真でまっすぐな少年が浮浪者然とした同行者ビールおじさんを感化してゆき、正道に引き戻す…というのは、読んでいて気持ちのよい展開です。

 父親の形見のおもちゃによって発動した魔法により、ディッキーは17世紀にタイムトラベルすることになるのですが、今回は前作と異なり、本人には明確に魔法の仕業ということがわからないため、しばらくの間、夢を見ているのだと思い込むというのが面白いところです。
 しかも一定期間を経て、現代に戻ることも繰り返されるため、ディッキーはどちらが夢でどちらが現実かわからなくなってくる…という、まるで「胡蝶の夢」のような展開です。過去の時代で学んだ技術を生かして、現代で少しづつお金を稼ぎ生活水準を上げてゆくという、経済的なサバイバル描写部分も丁寧に描かれていて、この作品の魅力の一つになっています。基本的な技術も学問もない、連れのビールおじさんに対しては、彼の好きそうな犬のブリーダーの技術を教えるなど、連れを真人間に戻そうとする努力も描かれていきます。

 後半では、前作で描かれた、いとこのエルフリダとエドレッドとの冒険がディッキー側から描かれていて、前作で触れられなかった謎についても明らかになっていきます。
 前作で登場した魔法の導き役である白いモグラ、モルディワープも再登場します。今作ではそのモルディワープだけでなく、彼の一族の他のモルディワープも登場するのが楽しいですね。

 タイトル通り、貧しかった主人公ディッキーが出会っていく「幸運」を描く作品と言えるのですが、単純な夢物語ではなく、彼が「幸運」を手に入れるのには非常な努力を要するのです。特に序盤に描かれるディッキーの生活は悲惨なもので、その部分だけ取り出すと非常にリアリスティックな印象が強いです。
 しかし、その悲惨な状況を含め、主人公ディッキーが常に純真でまっすぐな少年として描かれているため、終始気持ちよく読み進めることができます。クライマックスでは、最大の「幸運」を手に入れたディッキーが、あえてそれを捨てる場面も描かれます。
 それと同時に、今作では脇役であったエドレッドやその父親の気高い行為も描かれ、ディッキーもそれに応える形で、ある決断をすることになるのです。
 「現実」を見据えながらも、「魔法」によってそれは変え得るという強いメッセージ性も感じられる作品になっています。前作『アーデン城の宝物』とも併せ、力強い筆致で描かれた、ファンタジー小説の名作といっていいのではないでしょうか。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

魔法の降る夜  イーディス・ネズビット『魔法の城』
mahounosiro.jpg
 イーディス・ネズビットの長篇『魔法の城』(八木田宣子訳 冨山房)は、魔法の城で、願い事を叶えてくれる指輪を手に入れた子供たちの冒険を描くファンタジー小説です。

 ジェラルド、ジミー、キャスリーンのきょうだいは、フランス人の家庭教師マドモワゼルのもとで休みを過ごすことになります。ある日、近くにあるという「魔法の城」にもぐりこんだ三人は、城の迷路から続いている赤い糸を見つけます。糸を辿った先には、王女らしきドレスの少女が横たわっていました…。

 城の中で、魔法の指輪を手に入れた三人のきょうだいと、後に仲間になる少女メイベルが、魔法によって引き起こされるトラブルや事件に巻き込まれ冒険していゆくという、ファンタジー作品です。
 魔法がどこから発生して、どういう条件で働くのかなど、その詳細が最初は分からず、それを探っていくという過程が抜群に面白いです。初めは城自体に魔法の力があるのかと思いきや、それは指輪そのものにあることがわかり、さらにその指輪の能力がどういうものなのかがはっきり分かりません。
 そのため、指輪の力を使うたびごとに、いらぬトラブルを巻き起こしてしまい、その事態を収拾するために、子供たちが活躍することになります。面白いのは、指輪の魔法の力が全世界に対して働いているらしいところです。

 例えば、作中で演劇の客役として作ったボロ人形に生命を与えてしまうシーンがあるのですが、なんとそのボロ人形は町に事務所を構える資産家ということで、以前から存在したことになってしまうのです。またきょうだいの一人ジミーの金持ちになりたいという願いが叶う場面では、単純にお金が現れるのではなく、何と資産を持った初老の男性として存在が書き換えられてしまうという展開になります。しかもややこしいことに、この初老になってしまったジミーとボロ人形とは同じビル内に事務所を構えたライバル同士になっているという、複雑な設定です。

 作中で現れる魔法の及ぶ力が広範囲で、現実世界にも影響を与えます。主人公の子供たちも、魔法の力を信じてはいるものの、現実世界の「常識」も理解していて、魔法によって現実世界にどう影響が及ぶのかなどを考えながら行動するのが面白いですね。
 「現実」と「魔法」の世界の相互的な影響が描かれていく作品といえるのですが、クライマックスでは明らかに「魔法」の力が優勢になる場面が現れ、その場面にはある種の感動があります。「現実」に足をしっかりと着けつつも、「魔法」の魅力を描いたモダンなファンタジーと言っていいのではないでしょうか。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

幽霊船の真実  ロビン・モーム『十一月の珊瑚礁』『ノンフィクション 幽霊船』
 作家ロビン・モームは文豪サマセット・モームの甥。実在の幽霊船事件に惹かれ、その調査内容をノンフィクションとしてまとめました。そしてその内容から、創作である長篇小説『十一月の珊瑚礁』を生み出しています。幸い、そのノンフィクションと小説とが二つともに邦訳されています。事実と創作との関係を考える上でも、非常に面白いサンプルとなる作品ではないでしょうか。以下、それぞれ紹介していきたいと思います。


zyuuitigatunosangosyou.jpg
ロビン・モーム『十一月の珊瑚礁』(田中睦夫訳 新潮社)

 サモアの町アピーアから出港した改装船ジャネット号が行方不明になります。船には四人のヨーロッパ人と十四人のサモア人が乗っていました。その後、フィージー周辺で船が発見されますが、乗客の姿は誰一人として見つかりません。
 会社の依頼を受けた保険調査員のケン・ジルは、現地に派遣され詳細を調べることになります。その過程で、ケンは現地で出会った混血の娘ニーナに思いを寄せるようになります。
 船を調べたケンは、船に残された痕跡から、行方不明事件に人間の手が絡んでいることを察知します。独自に得た証拠から、ジャネット号と同じく、アピーアに向かう予定の船メアリゴールド号が同じように姿を消してしまうのではないかと考えたケンは、その船に同乗しようとしますが、船長のニールはなぜかケンが乗るのを妨害します。しかもその船にはニーナも乗船することになっていたのです…。

 保険調査員である主人公ケンが、乗客全てが行方不明になった船の調査をしているうちに、人為的な陰謀を察知し、それに巻き込まれていくという海洋冒険小説です。冒頭に提示される、船から乗客が消えてしまうという謎は合理的に明かされてしまうのですが、そこからの展開がハラハラドキドキの連続です。
 ある陰謀にはまってしまった主人公はそこから脱出することができるのか? ニーナとの恋愛は成就するのか? タイトルにもある「十一月の珊瑚礁」とは何なのか?
 影響を受けたという叔父サマセット・モーム譲りといっていいのか、登場人物のキャラクター造型にも味があります。
 主人公ケン、ヒロインのニーナ、船長ニール、後半に登場するその他のキャラクターにもそれぞれ深みがあります。とくにユニークなのはヒロインのニーナ。白人と現地人との混血であり、生活のために娼婦をしていながらも、純真さと現実主義的な面を合わせ持つキャラクターとなっています。
 それゆえ主人公との恋愛模様も一筋縄ではいかず、後半で登場するライバルとの三角関係も、この物語の魅力の一つとなっています。
 興味を削いでしまうので、後半以降の展開は紹介しにくいのですが、ロマンあふれる冒険小説であり、ある種の幻想文学といっていいテーマをも持った魅力的な作品だと思います。
 箱入りで、宇野亜喜良による装幀も魅力的。内容とも合わせ、非常に瀟洒な本ですね。



nonfictionyuureisen.jpg
ロビン・モーム『ノンフィクション 幽霊船』(高橋泰邦訳 月刊ペン社)

 実際に起こった「幽霊船」事件に惹かれた著者が、その事件を追ったノンフィクション作品です。小説『十一月の珊瑚礁』の発想元になっています。
 1955年、西サモア諸島のアピア港を出航したジョイタ号は、北にあるトケラウ諸島に向かいますが、出航直後に姿を消してしまいます。37日後、フィジー諸島周辺で発見されたジョイタ号の船内には一人の船員も乗客もいませんでした。乗っていた25人の行方については何もわかっていません。
 事件に興味を持ったロビン・モームは、現地で事件を調べ始めます。公式には自然災害による事故で済まされていた事件でしたが、モームはそれは事実ではないのではないかと考え、事件を再構成しようと、関係者への聞き込みや公的書類の調査などを続けます。
 自然災害による事故、潜水艦による攻撃など、様々な説が出されますが、それらに納得のいかないモームは、船そのものやそれが置かれていた経済的状況、船長や船員の性格や人間性などについても詳細に調べます。キーになるのは、やはり船長であったダスティー・ミラー。
 腕の良い船乗りであり、義理堅い男でありながら、経済的には失敗続きで、ジョイタ号による就航がおそらく最後のチャンスであったこと、彼は船を愛しており、自分から船を離れるようなことはないと、周囲の人間は口をそろえて話します。
 それでは、ジョイタ号から人が消える前には、必ず船長自身に何かがあったに違いないとモームは考えます。船長と乗員との間に何かいさかいがあったのではないか…? 船長と乗組員、同乗者たちの性格や履歴を調べたモームが、船上で何があったかを想像していくくだりは、まさに小説そこのけのイマジネーションにあふれています。
 モームによって再構成された事件が、事実と合っているのかはわかりませんが、読んでいて非常に説得力のある説になっています。
 本筋の事件の調査以外にも、類似した「幽霊船」事件や漂流事件についての記述、また叔父のサマセット・モームを知る現地人から叔父の話を聞いたり、現地では有名なスティーヴンソンの墓を訪れたりする場面も面白く読めますね。
 ちなみに、ロビン・モームはスティーヴンソンの作品では、『箱ちがい』と『引き潮』を評価しているようです。

 訳者による「付記」がつけられているのですが、これが90ページ近くある長大なもので、モーム作品の解説よりも、それ以外の記述の方が圧倒的に多いです。「マリー・セレスト号事件」を初めとする海外・日本の幽霊船事件や漂流事件、果ては海の妖怪の記述まで、海に関わる奇譚の総まとめのようで、この「付記」だけで、一冊の本を読んだぐらいの密度がありますね。
 問題となったジョイタ号をモーム本人が買い取るなど、かなり事件に入れ込んでおり、その成果は小説『十一月の珊瑚礁』にも反映されています。小説の方では実際の事件と発端こそ共通しているものの、以後の展開には小説家ならではの想像力が発揮されており、ロマネスクな冒険小説に仕上がっています。

 この『ノンフィクション 幽霊船』と長篇『十一月の珊瑚礁』、絶版になって久しい本ですが、どちらもとても面白い本です。この二冊を合本にして復刊したら、すごく面白いと思うのですが、なかなか難しいでしょうか。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

魔法と子どもたち  イーディス・ネズビット<砂の妖精>三部作
 イギリスの児童文学の先駆者であり、ファンタジーの名作を数多く残した作家イーディス・ネズビット(1858-1924)。彼女の代表作とも言えるのが『砂の妖精』『火の鳥と魔法のじゅうたん』『魔よけ物語』から成るファンタジー三部作です。
 どの作品でも、願い事を叶えてくれる「魔法」がテーマになっていますが、その「魔法」が、別世界ではなく現実世界において展開されるところが特徴です。魔法の効果が主人公たち以外の事物や大人にも影響し、その軋轢が物語を牽引していくという点で、SF小説の先駆的な面も感じられますね。


砂の妖精 (福音館文庫 古典童話)
『砂の妖精』(石井桃子訳 福音館文庫)

 家族と共にロンドンの家から田舎のケント地方に引っ越してきたシリル 、アンシア、ロバート、ジェイン、坊や(ヒラリー)の五人の子どもたち。両親の留守中に、家の庭にある砂利掘り場で遊んでいたところ、砂の中から奇妙な生き物を発見します。言葉を話し出した生き物は、サミアドと名乗ります。
 サミアドは何千年も生きる砂の妖精であり、自分を見つけ出した人間の願いを何でも叶えてくれるというのです。子供たちはいろいろな願いを叶えてもらいますが、その度にトラブルが起こってしまいます…。

 願いを叶えてくれる砂の妖精を見つけた子どもたちが、様々な願いを叶えてもらうのと同時にトラブルに巻き込まれるという、スラップスティックなファンタジー作品です。
 願いそのものは大部分叶うものの、その実現の仕方が変な方向に行ってしまうため、毎回トラブルに巻き込まれてしまいます。
 「きれいになりたい」と言ったためにきれいになりすぎて別人になってしまったり、金貨の山を手に入れたものの、古すぎる金貨のため誰も本物の金貨だと思ってくれなかったり、インディアンがいたらいいなと願って本物のインディアンに襲われたりと、なかなか上手く願いを叶えることができません。
 そもそも妖精であるサミアド自体、願いを不精不精願いを叶えるのに加え、割と意地が悪く、願いを杓子定規に叶えることもあって、子どもたちの意図通りにはいかないところがユーモラスですね。
 魔法の効果にも条件があったり、途中で子どもたちが付けた条件が魔法を拘束したりと、後半ではなかなか複雑な展開にもなっていきます。例えば、ねえやであるマーサには魔法が見えないという条件をつけているため、魔法で城が建ったり、インディアンが現れても彼女にはそれが全く見えないのです。
 家がお城になってしまい周りを敵兵に囲まれてしまうという「お城と敵兵」のエピソードでは、敵が襲ってくる中で、マーサは普通に調理しており、魔法の城で上書きされて見えなくなった食べ物を子どもたちが、手探りで食べる、なんて面白いシーンもあります。
 どれも面白いエピソードがつまっていますが、末っ子の坊や(ヒラリー)が文字通りの成人男性になってしまうというエピソード「おとなになって」は特に抱腹絶倒。子守りに飽き飽きした子どもたちが、早く大人になってほしいと願ったため、突然大人になってしまうのです。
 町のクラブに行こうとするのを自転車をパンクさせて止めたり、若い女性に声をかけようとするのを邪魔したりと、彼を行かせまいとするきょうだいたちの活躍が描かれます。
 魔法といっても、別世界に行ったりするわけではなく、あくまで周りの大人や社会を含めた現実世界で魔法が実現されるわけで、それによって不自然な状態が起こったり、魔法の効果が切れた後の後処理に困ったりと、魔法と現実の相互影響が描かれる、というのが興味深いですね。
 砂の妖精サミアドの造形も独特です。カタツムリのように伸びる目、コウモリのような耳、体にはクモのような毛が生えていて、手足は猿のよう、という日本の鵺みたいなキャラクターです(本の表紙で描かれている生き物がサミアドです)。
 100年以上前の物語ですが、今でもその面白さは失われていません。児童文学史に残る名作といっていいのではないでしょうか。



火の鳥と魔法のじゅうたん (岩波少年文庫 (2096))
『火の鳥と魔法のじゅうたん』(猪熊葉子訳 岩波少年文庫)

 願いを叶えてくれた砂の妖精サミアッド(サミアド)との別れ以来、退屈な日常を送っていたシリル、アンシア、ロバート、ジェインのきょうだいたち。いたずらでぼろぼろになってしまった子供部屋のじゅうたんの代わりに両親が購入したじゅうたんの中には、なぜか不思議なたまごが入っていました。
 ふとしたことからロバートが暖炉に落としてしまったたまごは、その火の力によって中に入っていた不死鳥を蘇らせます。不死鳥の話から、購入したじゅうたんは願いを叶えてくれる魔法のじゅうたんだと知った子どもたちは、その力を使って冒険を繰り広げることになりますが…。

 『砂の妖精』の続編です。前作に引き続き、子どもたちが、不死鳥と願いを叶えてくれる魔法のじゅうたんを手に入れて、冒険を繰り広げるという物語です。前作『砂の妖精』では、願いをかなえてくれる砂の妖精サミアッド(サミアド)の力で魔法を使っていましたが、今作ではそれはじゅうたんの力によるものとなっています。
 対して、不死鳥は賢さを持つ魔法の生物ではありますが、彼自身に願いを叶える力はなく、もっぱら子どもたちへのアドバイスや、冒険に同行して子どもたちをたしなめるなど、お目付役的な役目を果たすことになります。サミアドに比べ、仲間的な要素の強いキャラクターになっていますね。
 その一方、そのプライドの高さや思い込みが強い性格が災いして、トラブルに巻き込まれてしまうことも。火災保険会社を自分のための神殿だと勘違いする「不死鳥保険会社」や、興奮した不死鳥のせいで劇場が火事になってしまう「おわりのはじまり」などのエピソードは楽しいですね。
 『砂の妖精』同様、今作の魔法のアイテムであるじゅうたんにも、1日三回まで、効力に制限があったりなど、使用条件があります。ふとしたことで回数を使い切ってしまったり、願いが上手くいかなかったりするなど、様々なトラブルが子どもたちを待ち受けます。うるさい料理番の娘を南の島に送ったところ、その島の女王になってしまうという「女王になった料理番」、じゅうたんが数百匹の猫を持ち帰ってきてしまう「ペルシャネコそうどう」などは、抱腹絶倒ですね。
 「ペルシャネコそうどう」で増えてしまった大量の猫を、たまたま忍び込んだ初犯のどろぼうに同情し、売り物としてあげてしまった結果、どろぼうが捕まってしまい、彼を脱獄させて、南の島(前に料理番が女王になったところ!)に送ってしまうなど、エピソード間のつなぎも非常に上手いです。
 不死鳥だけでなく、じゅうたん自身にも「意思」があるらしい描写もあるのが面白いところ。話すことはできないものの、その行動が妙にユーモラスで人間味を感じさせるところも味わいがあります。
 もともと古びていたじゅうたんが、子どもたちが使いまくることによって、どんどんほつれたり、穴が空いていってしまいます。繕ってはみるものの、魔法の力があるのは元の布の部分だけらしいのです。やがて、じゅうたんとの別れもやってくることになります。 他人を助けるためであるとか、母親のプレゼントを用意するためであるとか、善行が目的の願いもありますが、今作では、もっぱら子どもたちが冒険して楽しむための願いが多くなっています。それゆえ、前作よりも更にスラップスティックで楽しい物語になっていますね
 前作に登場したサミアッド(サミアド)は直接的には姿を見せませんが、困ったときに不死鳥が願いを頼みに行くという形で、間接的に数回程度言及されています。
 基本的には独立した物語なので、前作『砂の妖精』を読んでいなくても、単独で楽しめる作品です。



魔よけ物語〈上〉―続・砂の妖精 (講談社青い鳥文庫)
『魔よけ物語』(八木田宣子訳 講談社青い鳥文庫)

 シリル、アンシア、ロバート、ジェインのきょうだいたちは、ひまつぶしに訪れたペットショップで、かって自分たちの願いを叶えてくれた砂の妖精サミアッドが捕まっているのを発見し救出します。お礼にサミアッドが教えてくれたのは、不思議な力を持つ魔よけの存在でした。
 しかし魔よけは半分に分割されており、もう半分がなければ本来の力を発揮できないといいます。魔よけ自身が語るところによれば、過去に戻れば完全な状態の魔よけを見つけることができるといいます。さらに今現在の半分の状態の力だけでも、子供たちを過去に送ることは可能だというのです。
 父親は従軍、母親と末っ子は療養のため、子どもたちとは離れ離れになっていました。家族一緒に暮らしたいという願いのため、子どもたちは魔よけの残り半分を求めて、様々な過去の時代を訪れることになります…。

 三部作の最終巻、魔法の力を持つ魔よけの片割れを求めて、子供たちが様々な時代を経巡るというファンタジー大作です。『砂の妖精』の最後で別れた砂の妖精サミアッドと再会した子どもたちが、不完全な魔よけの残りを求めて過去の時代に旅するというタイム・トラベル・ファンタジーになっています。著者のネズビットが親しくしていたというH・G・ウェルズの『タイム・マシン』の影響があるとか。
 実際、この『魔よけ物語』のエピソード中にも、明らかに意図的につけたと思われる「ウェルズ」という名の少年が登場します。ネズビットの他作品『魔法の城』(冨山房)には透明になれる指輪が登場するのですが、これもウェルズの『透明人間』の影響があるということです。
 魔よけの力によって、子どもたちは過去のいろいろな時代を訪れることになります。古代エジプト、バビロン、ローマ侵略直前のブリテン、アトランティスなど。魔法の力によって、現地の人々と言葉は通じるようになっているのですが、それ以外に子どもたちに何か力があるわけではありません。
 妖精サミアッドも同行するものの、以前の契約により、子どもたちの願いを叶えることはできません。魔よけのルーツの関係上、訪れる時代はほぼ時間の離れた古代ということもあり、文化や風習の違いからトラブルを引き起こしてしまいます。しかも襲撃されたり、牢屋に入れられたり、津波に襲われたりと命に関わるレベルの冒険が多くなっています。作中で子どもたちも自ら話すシーンもあるように、今作では冒険が「遊び」というよりも「使命」に近い感覚になっています。それゆえ三部作の前二作に比べ、全体にシリアス色の濃いファンタジーになっているといえるでしょうか。
 とはいえ、ところどころにこの著者らしいユーモラスなシーンが散りばめられています。サミアッドの願いにより、間違って現代ロンドンに来てしまったバビロンの女王が引き起こすトラブルを描いたエピソード「ロンドンに来た女王」などはその最たるものですね。今回は、副主人公的なポジションのキャラクターとして、古代を研究している学者の「先生」なる人物が登場します。子どもたちにいろいろ話をしてくれる好人物なのですが、魔よけの呪文を解読してくれたことを皮切りに、様々な面で子どもたちの手助けをしてくれます。
 やがて子どもたちと共に、過去の旅にも出ることになります。本人はその冒険を「夢」と解釈するのですが、その冒険から得られた知識で彼は成功することになるのです。結末での彼の重要な役目には驚いてしまうかも。
 タイム・トラベルを扱っているものの、行くのはもっぱら過去なのですが、途中で登場する未来への旅行にはちょっとびっくりします。未来に行けば、その瞬間に魔よけを手に入れた記憶が再構成され、その記憶を持ち帰ればいいのではないか?という大胆な発想です。1906年の作品としては、かなり先駆的なアイディアなのではないかなと思います。
 やがて完全な魔よけを手に入れることになる子どもたちですが、それとともに神秘的な結末が待ち構えています。子どもたちの願いは叶うのか? 「先生」を待ち受けている事態とは…?
 当時のきな臭い世界情勢が反映されているものか、父親が戦争に従軍するなど、物語自体にも前二作にはあまり見られなかった不穏な気配が見られます。そして子どもたちの目的も今回は真摯なものであり真剣さが伴っています。ただ、ところどころに挟まれるユーモアはやはり物語を和らげてくれています。特に「先生」がからむエピソードには微笑ましいものが多くなっていますね。
 前作『火の鳥と魔法のじゅうたん』が主に「空間」を移動していたのに対して、今作では「時間」移動がモチーフになっています。歴史的事実が子どもたちの行為が発端になって起こっていたりすることが分かるなど、「時間物語」特有の面白さもあり、三部作の最終作にふさわしい、スケールの大きな作品だと言えますね。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

時間と空間の殺人  スチュアート・タートン『イヴリン嬢は七回殺される』
イヴリン嬢は七回殺される
 スチュアート・タートンの長篇小説『イヴリン嬢は七回殺される』(三角和代訳 文藝春秋)は、館ミステリ+タイムループ+人格転移という、複雑怪奇なSFミステリ作品です。

 森の中で目を覚ました男性は、ここがどこなのか、自分が誰なのか、記憶を完全に失っていました。覚えているのは一人の女性の名前だけ。最寄の屋敷〈ブラックヒース館〉を訪れた男は、自分が客の一人セバスチャン・ベルであることを聞かされます。ふとしたことから意識を失った男が目を覚ますと、自分の意識がベルではない別の男性の肉体に宿っていることに気がつき驚きます。
 突如現れた謎の仮面の男<黒死病医師>が言うことには、その日の夜に屋敷の令嬢イヴリンが殺されることになっており、その犯人を見つけない限り、何度もその日の一日をループし続けるというのですが…。

 犯人を見つけない限り同じ一日が何度も繰り返されるという<ループ>、意識を失う度に別の人物に意識が移り変わるという<人格転移>、閉ざされた森の屋敷で展開されるという<クローズド・サークル>、大きく三つの趣向を組み合わせた、複雑怪奇なSFミステリ作品です。
 最初は記憶も全くない状態で放り出された主人公が、調べていくうちに自分が何らかの「力」により、ループ世界に囚われており、殺人事件の謎を解決しない限り脱出できないことを認識することになります。複数の人間に宿ることにより、情報を得やすい立場に置かれている主人公ではありますが、<宿主>はそろいもそろって癖のある人間ばかりなのです。
 知性はあるものの肉体的にはほとんど動けない者であるとか、意識が朦朧としている者、激情を抑えられない者など。主人公は宿った肉体の特性に行動が左右されるというのも面白いところで、場合によっては自らの意思に反して肉体が動いてしまうこともあるのです。

 解くべき殺人事件も複雑で、何度助けようとしても令嬢は殺されてしまいます。探っていくうちに事件の元凶が数十年前に起こった令嬢の弟の殺人事件に遡ることが示され、主人公は現在と過去両方の事件の謎を追うことになります。
 やがて自分以外にも<ループ>に閉じ込められた者がいること、自分の命を狙っているものがいることも判明します。誰が味方で誰が敵なのか? 嘘をついているのは誰なのか?

 現在と過去二つの殺人事件の謎に加え、主人公がこの<ループ>に閉じ込められた理由と自分自身の正体をも探っていくという、壮大な設定の作品になっています。
 中盤に多少だれるところはあるものの、次々と新たな謎が発生したり、敵味方が入れ替わったりと、終始面白く読ませる作品です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

引き裂かれる心  ピーター・ディッキンソン『エヴァが目ざめるとき』
エヴァが目ざめるとき
 ピーター・ディッキンソン『エヴァが目ざめるとき』(唐沢則幸訳 徳間書店)は、チンパンジーの脳に記憶を移植された少女を描くという、強烈なテーマの作品です。

 13歳の少女エヴァが昏睡状態から目が覚めると、自分がメスのチンパンジーの体の中にいるのに気がつきます。交通事故でエヴァの体が滅茶苦茶になり、両親の希望で実験的にエヴァの記憶をチンパンジーの脳に移植する手術が成功したのです。
 人間の心を持つチンパンジーとしてマスコミの寵児になったエヴァでしたが、チンパンジーの研究者である父親の提案で、飼育されているチンパンジーたちの群れの中で一時的に暮らすことになります。その生活のなかで、エヴァは人間ではなくチンパンジーとして生きていくことを決意しますが…。

 チンパンジーの体になってしまった少女を描く作品です。脳移植ではなく、あくまでチンパンジーの脳に人間の記憶を書き込む…という設定が面白いですね。主人公のエヴァは、肉体的・遺伝的には完全にチンパンジーであるわけです。
 もともと研究者の父親のおかげで、小さいころからチンパンジーたちと一緒に育ったという経歴もあり、エヴァ自身にはチンパンジーの体になってしまったことに対する驚きはあるにしても、違和感はあまりないのが特徴です。なので、人間とチンパンジー、二つの意識に引き裂かれる苦しみ、というのはほとんどなく、どちらかと言うとチンパンジーとしての生活に対して、人間的な視点から文化的な工夫を考えていこうとする、ポジティブな発想の物語になっています。

 物語の舞台は近未来で、野生生物は特別に保護されているチンパンジー以外はほとんど絶滅しています。人間たちもエネルギーを失ってゆるやかに滅びつつある…という中で、生きることに対して積極的であるエヴァの行動は光っています。
 チンパンジーの群れに潜り込んだエヴァは、群れのルールや野生動物のしきたりを尊重しながらも、新しい行動様式や文化を彼らの中に付け加えていこうとします。13歳の少女ながら、その視点は現実的であり、周りの大人たちと比較しても彼女の冷静さは際立っています。

 この作品、人間の愚かさを指摘し人類の後継者としてのチンパンジーを礼賛する…というわけでもなく、二つの種族が滅び行く様を慨嘆するわけでもないという、ユニークなスタンスの物語です。
 児童書のシリーズとして出版されていますが、いろいろ考えさせるテーマを含んでいて、これを読んだ年少読者はショックを受けるのではないでしょうか。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』を2019年8月に刊行しました(完売しました)。
「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」、同人誌『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』を盛林堂書房さんで通信販売中です。



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する