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ホフマンの周辺で
 先日、読書会のテーマとして、ドイツの作家E・T・Aホフマンを取り上げたこともあり、ホフマンに関連する本と映画をいくつか鑑賞しました。紹介していきたいと思います。


ホフマン物語: ホフマンの幻想小説からオッフェンバックの幻想オペラへ (オペラのイコノロジー)
長野順子『ホフマン物語 ホフマンの幻想小説からオッフェンバックの幻想オペラへ』(ありな書房)

 オッフェンバックのオペラ『ホフマン物語』とホフマンの原作を様々な面から考察した本です。
 オペラ『ホフマン物語』の各エピソードの内容を原作との関わりから考察していく部分がメインですが、他にもE・T・A・ホフマン自身の経歴や作品の概説、フランスにおけるホフマンの影響、その影響によって生まれたフランスの幻想文学の紹介、フランスにおけるオペラ・オペレッタについてや、オッフェンバックの作品について、また内容的に関連するモーツァルト作品についてなど、内容は盛り沢山で非常に参考になります。
 作曲者が完結させる前に亡くなったため、『ホフマン物語』には、後世の人々によって改変・再編されたいろいろな版(バージョン)があるということも初耳でした。
 特に「大晦日の夜の冒険」を元にした「ジュリエッタ」の幕では、殺人が登場したり悲劇的な結末になっているバージョンが多いため、省かれることも多かったというのは、なるほどという感じです。
 全体に非常にわかりやすく書かれており、ホフマン作品やフランスにおけるその影響、または19世紀フランスの文化や音楽史的な面などに興味がある人には面白く読める本だと思います。
 そもそも自分自身、ホフマンの幻想小説には馴染みがあるものの、オペラの『ホフマン物語』は観たことがありません。この本を読んで関心を惹かれたので、とりあえず映画版『ホフマン物語』(1952 イギリス マイケル・パウエル 、エメリック・プレスバーガー監督)を観てみたいと思います。



ホフマン物語《4Kレストア版》  Blu-ray マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー
オペラ映画『ホフマン物語』(1952 イギリス マイケル・パウエル 、エメリック・プレスバーガー監督)

 オッフェンバックのオペラ『ホフマン物語』をイギリスにて映画化した作品。豪華な舞台が美しい作品です。
 初めて観てみましたが、非常に面白い作品です。枠物語になっており、現在の主人公ホフマンが過去の恋人との物語を回想するという形式になっています。毎回悲劇的な結末に終わるのですが、そこには必ず悪魔的な人物が登場し、ホフマンの恋を邪魔するのです。
 元になっているエピソードは、それぞれ「砂男」「クレスペル顧問官」「大晦日の夜の冒険」。原作と比べながら観ていくと面白いですね。目に付く大きな違いは、まずホフマンの親友「ニクラウス」が常時登場していること。
 ところどころホフマンを諌めたり手伝ったりするのですが、時折邪魔をするようなそぶりをすることもあって、一筋縄ではいかないキャラクターです。
 毎エピソード、敵役のキャラが登場するのですが「クレスペル顧問官」を元にしたエピソードでは、原作には登場しない敵役「ミラクル博士」が登場します。
 一番大幅な改編がされているのが「大晦日の夜の冒険」を元にしたエピソード。こちらでは敵役の他に、ホフマンの恋敵としてシュレミール(シャミッソー「影をなくした男」の主人公)が登場します。原作でも少しだけ出てきたと思いますが、こちらではメインキャラクターとして登場するのが面白いです。
 「大晦日の夜の冒険」を元にしたエピソード「ジュリエッタ」の幕は、『ホフマン物語』の様々な版の中でも、いろいろな結末があるそうです。恋人を殺してしまったりするバージョンなどもあるようですが、ここではホフマンが恋敵シュレミールを決闘で殺してしまいます。
 全体としては、現世の恋に破れたホフマンがミューズによって芸術の世界に導かれる…というようなテーマになっているようです。その意味ではホフマンの邪魔をする「悪魔」も彼を導いている…と取ってもいいのかもしれません。
 古い映画ながら、豪華絢爛な舞台と衣装は今見ても見事です。手塚治虫の漫画『リボンの騎士』はこの『ホフマン物語』から多大な影響を受けているとか。なるほどという感じですね。
 演出も面白いです。特に「砂男」を元にした「オランピア」の幕では、自動人形オランピアにわざとぎこちない踊りをさせたりもしています。時折ねじを巻いたりしているのにも、恋におぼれたホフマンは気が付かない…という、なかなかに気のきいた演出です。
 もちろん音楽も、有名な「ホフマンの舟歌」初め、チャーミングな曲が多く登場します。
 この作品だけ観ても充分面白い作品ですが、原作小説を読んでから観ると、さらに面白く観れるのではないかと思います。



ホフマン物語 (KCスペシャル)
水野英子『ホフマン物語』(講談社KC SPECIAL)

 オペラ『ホフマン物語』の漫画化作品です。オペラ版、というか映画版に忠実な漫画化といっていいのでしょうか。繊細な描写で、舞台よりも物語がわかりやすくなっています。
 コマ割をとりはらった複雑な画面構成がちょくちょく現れるのが特徴で、読んでいて舞台感が味わえるのが特徴でしょうか。
 物語が非常にわかりやすいので、この漫画作品を読んでからオペラ版・映画版の方を見るのもありかもしれませんね。
 背景や風景、特に建物の造形にマリオ・ラボチェッタっぽいものを感じるのですが、もしかして多少影響があるのでしょうか。ラボチェッタはイタリア出身で絵本『ホフマン物語』に挿絵を書いたりなどしている挿絵画家です。



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雑誌『ユリイカ1975年2月号 特集ホフマン 悪夢と恍惚の美学』(青土社)

 ドイツの幻想作家E・T・A・ホフマンの特集号です。ホフマンに関するエッセイ・評論が盛り沢山で、今でも読み応えがあります。
 面白く読んだのは、フランス文学におけるホフマンの影響を語った「ホフマン変幻」(稲生永)、ホフマンとポーを比較した「魔界を視る者」(島田太郎)、ヴェルヌにおける ホフマンの影響を語った「ホフマンとジュール・ヴェルヌ」(私市保彦)、ホフマン、シャミッソー、中国古典などについて触れたエッセイ「影を失った男たち」(多田智満子)、学生時代のホフマンについての思い出を語るエッセイ「ホフマン・思い出すことなど」(日影丈吉)などでしょうか。
 「ホフマン変幻」(稲生永)では、フランスにおけるホフマンの翻訳とその影響について語れらていますが、当時フランスの文芸に与えた影響は強かったようですね。ちょっと引用します。

ホフマンがフランスに登場する有様はやはり異常というほかはない。
短期間にくりひろげられた激烈な翻訳合戦は、同時にその幻想的作品がフランス人に強烈な魅力をもつものであったことを如実に裏付けている。その人気は本国でのそれをはるかに凌駕するものであったといってもよいであろう。
豊かで奔放な想像力の生み出す幻想の世界は、フランスのロマン派に神秘と幻想の源泉を教え、すでに十九世紀初頭にフランスで猛威をふるっていた十八世紀イギリスの《暗黒小説》あるいは《ゴシック小説》のもたらす怪奇的中世趣味の影響と合体して、フランスに新たな《幻想小説》の様式を生み出すきっかけとなった。


 ウォルター・スコットがホフマンを批判した論文が雑誌に掲載されたものの、逆にホフマンに対する関心を集めてしまったとか、仏訳ホフマン作品集にそのスコットの文章が載ってしまった…というのも皮肉めいて面白いですね。

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カタストロフと運命  ハインリヒ・フォン・クライスト『チリの地震』
チリの地震---クライスト短篇集 (KAWADEルネサンス/河出文庫)
 ハインリヒ・フォン・クライスト(1777-1811)の『チリの地震』(種村季弘訳 河出文庫)は、若くして自殺を遂げたという、ドイツ・ロマン派の作家クライストの短編集です。一篇一篇は短いにもかかわらず、文章の密度が半端ではなく、すさまじいまでの硬質性が感じられます。
 訳者の種村季弘の文体によるところも大きいのでしょうが、何気ない人物描写からでさえ、圧倒的なリアリズムを感じます。ただ「リアリズム」といっても、物語自体はむしろファンタジーに近いものが多いです。飽くまで、物語の部分部分が圧倒的にリアリスティックなのです。

 収録作の多くの作品で、登場人物は悲劇を迎えます。その容赦のなさは、作者のペシミズムゆえでしょうか。「チリの地震」では、死刑にされる直前に地震のおかげで助かった恋人たちが、結局不幸な目に会ってしまいます。
 「拾い子」では、同情から養子にしてやった浮浪児が、財産を食いつぶしてしまいます。また「ロカルノの女乞食」では、女乞食のために城主は気が狂ってしまいます。安易なハッピーエンドは訪れず、主人公たちは悲劇的な結末を迎えることが多いのです。

 解説でも触れられていますが、共通するテーマは「カタストロフと運命」といったところでしょうか。クライスト短篇では、登場人物の内面描写というものがほとんど見られず、徹底した外面的描写が見られます。その筆致はまるでハードボイルド。それゆえ、ファンタスティックな題材を扱っていても、非常にリアルな読後感なのです。

 個人的にいちばん面白く読んだのは、クライストにしては珍しく喜劇的なトーンで描かれた音楽ファンタジー「聖ツェツィーリエ」でしょうか。
 プロテスタントの若い兄弟たちが、修道院を襲い、聖像破壊をしようと、ならずものたちを集めます。
 しかし、当日おこなわれた奇跡的なまでのミサ曲に感銘をうけて、狂信者になってしまいます。あとから、その日の指揮をつとめるはずの尼僧は熱病で伏せっていたことが明らかになりますが…。
 主人公たちを襲う運命は、悲劇的なものではあるのですが、全体のトーンが明るいので、あまり気になりません。
 音楽が作品の主要なテーマになっている点でも、登場人物が非常に風刺的に描かれている点からも、同時代の作家E・T・Aホフマンを思わせる作品ですね。音楽ファンタジーの名品だと思います。

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彼岸への憧れ  E・T・A・ホフマン『ホフマン短篇集』
ホフマン短篇集 (岩波文庫)
 ドイツの幻想作家、E・T・A・ホフマンの『ホフマン短篇集』(池内紀訳 岩波文庫)は著者の代表的な短篇を集めたバランスも良い傑作集です。収録作のセレクション、翻訳の質、入手のしやすさなどを勘案しても、ホフマン入門書として非常に良い本ではないでしょうか。


「クレスペル顧問官」
 奇行で知られる変わり者ながら、性格は善良で人々から好かれる顧問官クレスペル。彼が同居させていた娘アントニエの歌う歌は美しいと噂されていましたが、なぜかクレスペルはアントニエが歌おうとすると、それを止めようとします…。

 娘に歌わせまいとするクレスペルの真意とは? アントニエとクレスペルの関係は? クレスペルの過去に何があったのか? など、物語の真相が徐々に明かされていく構成は見事です。加えてホフマンが得意とする、恋愛や親子愛といった地上での愛情と、音楽や芸術との葛藤といったテーマも見え隠れします。
 ヴァイオリン分解を趣味とするクレスペルが、アントニエの頼みで残したヴァイオリンが彼女の慰めとなり、アントニエの魂とヴァイオリンがリンクする…というモチーフも美しいですね。
 ホフマン作品の傑作の一つです。


「G町のジェズイット教会」
 馬車の故障でたまたまG町を訪れた「私」は、この町に友人の知り合いヴァルター教授がいることを重い出し、彼を訪ねることにします。教授が勤めるジェズイット教会を訪ねた「私」は、建物を塗装していたベルトルトという男と知り合います。
 相当な技量を持つベルトルトに関心を抱いた「私」は彼の過去についてヴァルター教授に訊ねます。ベルトルトから打ち明け話を聞いた生徒が書き留めたという書類には、芸術家としてのベルトルトの苦悩と、それによる不幸な過去が記されていました…。

 才能を持ちながらも、あと一歩何かが足りないと感じているベルトルトが地上での幸せを手に入れながらも、それゆえに芸術上では高みに達することができない…というテーマが描かれます。他作品でもそうなのですが、ホフマン作品では地上での幸福と芸術との葛藤というのが重要テーマとして現れてきます。
 ベルトルトの過去に何があったのか? 彼の妻子はどうなったのか? 最終的に彼は生きているのか死んでいるのか? など、明かされない謎がいくつも存在しており、ちょっとしたリドル・ストーリーとしても読むことができる作品です。様々な解釈が可能な、拡がりのある作品といってもいいようですね。


「ファールンの鉱山」
 故郷に帰ってきた船乗りの若者エーリスは、病気の母親が既に亡くなっていたことを知り、悲しみに沈んでいました。不思議な老人にファールンの鉱山で鉱夫になることを勧められたエーリスは鉱山町ファールンに向かいます。
 鉱山の所有者ダールシェーに目をかけられるようになったエーリスは、ダールシェーの娘ユッラと恋仲になりますが…。

 実話だという「ファールンの鉱山」事件を題材に、ホフマン独自の幻想的な世界観を付け加えた作品です。
 この作品でもホフマン特有の「天上の芸術」と「地上の幸福」の葛藤が描かれます。この作品では「天上の芸術」は「大地の女王」のイメージで描かれています。地上での花嫁との幸福を夢見るものの、やがて天上の世界に引っ張られてしまうのです。
 基本的にホフマン作品で最終的に勝利するのは「地上」ではな「天上」の力なのですよね。
 ちなみに「ファールンの鉱山」事件は、スウェーデンの町ファールンで、1670年に落盤で埋められた鉱夫が1719年に原型を止めた死体となって発見された事件で、哲学者G・H・シューベルトの著作によって紹介され有名になったものです。ホフマン以外にも同じ題材で作品を書いた作家が多くいたようですね。

 ついでに、同じ「ファールンの鉱山」事件を題材にした小説、ヨーハン・ペーター・ヘーベル(1760-1826)の「思いがけぬ再会」 (川村二郎訳  種村季弘編『ドイツ幻想小説傑作集』白水Uブックス)も読んでみました。
 こちらは短い掌編です。結婚直前に婚約者の男性が鉱山の落盤で行方不明になり、50年後に老婆となった許婚の女性が、若いままの男性の死体に再会する…という物語です。こちらの作品の方が原型の実話に近いのでしょうね。
 ホフマン作品では、シンプルだった原話に、幻想的な鉱物世界と、天上と地上の葛藤といった複雑なテーマや構造を持ち込んで、重層的な物語を生み出しています。比べて読むと、ホフマンの作家としての手腕が見えるようで、その意味でも面白い作品でした。


「砂男」
 勉学のため家を離れていたナタナエルは、親友のロタールとその妹で婚約者のクララへ手紙を送ります。そこにはかって父の元に出入りしていた不気味な男コッペリウスとそっくりのコッポラと名乗るからくり師がナタナエルの前に現れた、ということが記されていました。
 やがて、聴講しているスパランツァーニ教授の娘オリンピアに恋をしたナタナエルは、周りの忠告も聞かずに、オリンピアに夢中になりますが…。

 SFやサイコ・スリラーの先駆的な要素も持つ、名作怪奇小説です。
 幼い頃の父の死や、聞かされた「砂男」の物語などのトラウマが具体的なコッペリウス=コッポラという人の形をとって、主人公を脅かします。
 コッポラのレンズの「魔法」によって主人公ナタナエルが幻想世界に誘われるものの、現実を知って狂気に陥る…という展開も非常に見事。現実味・人間味のないヒロイン、オリンピアと、現実的・地上的なヒロイン、クララとが対置されているのも面白いところですね。


「廃屋」
 夢想家テオドールは、自分が体験した不思議な話を語ります。町中にある廃屋にはいろいろ噂が立っていました。テオドールは行商人から手に入れた鏡を通してその家を覗き込んだ際に、そこに女性がいるのを目撃しますが…。

 廃屋をめぐって噂がどんどん膨らんでいき、主人公はその真実を実際に確かめようとする…という正統派といえば正統派のストーリー展開です。
 真相は現実的な解釈が可能なのですが、幻想的な余地もあるという、近代的な怪奇幻想小説です。特に、主人公が手に入れた鏡に異様なものが映るのを第三者も目撃するシーンは、かなり不気味ですね。


「隅の窓」
 重い病を患う物書きの従兄は、住んでいる屋根裏部屋から町の人々を観察するのを楽しみにしていました。従兄を訪ねた「私」は、彼と一緒に窓から見える人々の来歴や様子を想像しますが…。

 晩年の作ということもあり、この本に収録されている他の作品とは唯一カラーの異なる作品ですね。ジャンル的には「リアリズム」作品といっていいのでしょうが、人間観察における過剰と言っていいほどの「想像力」はホフマン一流のファンタジーがあふれています。
 ある男に対する想像が一つではなく何パターンか示される、というのは正にそれを表しているようです。
 ささいな手がかりからその人生を推測(想像)する…というのは「シャーロック・ホームズ」の遠い祖先といってもいいかもしれませんね。

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過ぎ去った夢  レオ・ペルッツ『聖ペテロの雪』
4336059527聖ペテロの雪
レオ ペルッツ Leo Perutz
国書刊行会 2015-10-26

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 国書刊行会の<レオ・ペルッツ・コレクション>、最終巻となる『聖ペテロの雪』(垂野創一郎訳 国書刊行会)が刊行されました。
 今までの3冊が、過去の時代を扱った、いわゆる「歴史小説」であったのに対して、『聖ペテロの雪』は、刊行当時の世相を舞台にした「現代小説」になっています。

 父を亡くし、叔母に育てられたアムベルクは、叔母の希望もあり、医学の道に進みます。ふとしたきっかけから、父の旧友であるフォン・マルヒン男爵の領地で医者としての仕事を得ることになったアムベルクは、かっての同僚で憧れだった女性ビビッシェと再会します。
 男爵が養子にした少年フェデリコの出自の謎、ビビッシェが男爵のもとで行っている奇妙な研究の詳細を知るに及んで、アムベルクは「神聖ローマ帝国」を復活させようとする男爵の壮大な計画に気付くことになりますが…。

 フォン・マルヒン男爵の計画が、実に壮大で魅力的です。少年フェデリコとビビッシェの研究が、計画に対してどんな意味を持つのか? タイトルにもなっている「聖ペテロの雪」の意味が明かされたときには、なるほどと膝を打つはず。
 一方、主人公のアムベルクは、自らを「傍観者」と称するとおり、事態に積極的に関わろうとはしません。唯一、彼が動くのは、執着を抱く女性ビビッシェに関することだけなのです。
 やがてビビッシェと恋仲になるアムベルクですが、余りにも上手くいきすぎる恋路に対し、疑念が湧いてきます。
 ここで気付くのは、物語全体が、事故に遭ったアムベルクの過去の回想という、枠物語の形になっていること。そして、アムベルクの記憶にある事実と、医者や同僚が語る事実は全く異なっているのです。
 アムベルクの体験は、真実なのか、それとも妄想なのか? 真実がはっきりしないままに進む展開は、じつにスリリングです。
 フォン・マルヒン男爵の「妄想」ともいうべき壮大な計画を描いた物語なのですが、その物語自体が、アムベルクの「妄想」なのではないかという、二重の語りには唸らされます。読了まで気をゆるめることのできない、きわめて現代的な幻想小説の傑作です。

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幻想のプラハ  レオ・ペルッツ『夜毎に石の橋の下で』
4336055173夜毎に石の橋の下で
レオ・ペルッツ 垂野創一郎
国書刊行会 2012-07-25

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 いつまでもこの世界に浸っていたい…。そう思わせられるような作品に出会ったのは久しぶりです。20世紀前半に活躍したオーストリアの作家レオ・ペルッツの『夜毎に石の橋の下で』(垂野創一郎訳 国書刊行会)は、ルドルフ2世統治下のプラハを舞台にした幻想歴史小説です。
 連作短編集の形をとっていますが、大枠としては、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世、ユダヤ人の豪商モルデカイ・マイスルとその美しい妻エステル、高徳のラビ・レーウらを巡る物語が中心となっています。
 いま「中心」とは言いましたが、これらの登場人物たちが、常時、表舞台に立ち、ストーリーを展開していくわけではありません。皇帝にせよマイスルにせよ、各エピソードに少しづつ現れる程度なのです。その合間に、芸人、貴族、錬金術師、道化、そしてケプラー、ヴァレンシュタインなど、実在の有名人物たちを含む登場人物たちが、様々な物語を繰り広げます。
 その意味で、決まった主人公がいるわけではありません。群像劇とでもいったらいいでしょうか。また、それぞれのエピソードは時系列的につながっているわけではなく、過去と現在、未来を行ったり来たりします。
 何事にも運のない男が処刑を宣告されるものの、魔術の効果で、一緒に牢屋に放り込まれた犬から話を聞くという『犬の会話』、妄想にとらわれた皇帝と臣下たちとのやり取りを描く『地獄から来たインドジフ』、宮廷錬金術師と彼を慕う道化との奇妙な友情物語『忘れられた錬金術師』などが印象に残ります。もちろんどのエピソードも、それ一編で一つの短編小説として完成されたものばかりです。
 ルドルフ2世、モルデカイ・マイスル、ラビ・レーウなどのメインとなる登場人物たちは、各エピソードに主役もしくは脇役として登場したり、伝聞的な形で情報が示されます。読み進むにつれて、読者の中に彼らの人物像が形成されていく仕組みです。
 そして結末に至り、冒頭の挿話の謎が解けるという、ミステリ的な興味も見逃せません。
 各短編の完成度もさることながら、一つの長編として読んだときの魅力はまた格別です。全体を通して、古き良き時代のプラハの空気が感じられるようです。
 これほどの作品が未訳だったとは、まさに驚き。幻想文学としてだけではなく、一般の文学作品としても一級の作品でしょう。広く読まれてほしい作品です。

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暗黒のロマンス  C・H・シュピース『侏儒ペーター』
侏儒ペーター世界幻想文学大系〈第18巻〉侏儒ペーター (1979年)
国書刊行会 1979-12

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 怪奇小説やホラー小説を読んでいて、気分が憂鬱になることは稀です。題材に超自然的な要素が使われていても、それが表層的なものにとどまる限り「楽しむ」ことができるからです。エンタテインメントとして書かれた作品なら、なおのこと、その傾向は強いでしょう。
 しかし時折、こちらの心をえぐるような作品に出会うことがあります。18世紀ドイツの作家、C・H・シュピースの『侏儒ペーター』(波田節夫訳 国書刊行会)もそんな作品のひとつ。読んでいて息苦しくなるような作品です。
 舞台は13世紀のドイツ。若くして城主となった青年ルードルフは、狩りに明け暮れ、女性とは縁のない生活を送っていました。そんな彼の前に、小人の老人が現れます。先祖代々、一族の前にあらわれるこの老人は「ペーター」と呼ばれ、一族の守護霊とみなされていました。ペーターは、ルードルフに女性への興味をかきたてます。やがてレギーナという令嬢と恋に落ちたルードルフは、彼女との結婚を望みます。
 ペーターの策略により、レギーナの父親との軋轢を引き起こしてしまったルードルフは、レギーナと駆け落ちをしようと考え、実行します。しかし貞操を傷つけられたと考えたレギーナは、自害してしまいます。
 後悔の念にとらわれるルードルフでしたが、その後も、知り合う女性と恋に落ちるたびに相手の女性を不幸にし、死に至らしめてしまうのです。倫理観の麻痺したルードルフは、悪事を働くのに何の呵責も覚えなくなっていきます…。
 18世紀の作品ということで、いわゆる「ゴシック・ロマンス」に分類される作品ですが、読んでいて目を引くのは、その徹底した暗さと救いのなさです。
 悪魔の手先ペーターにそそのかされて、悪事を重ね続けるルードルフ。最初は純粋だったルードルフが悪事を重ねるにつれ、ペーターさえ驚くような犯罪に手を染めていきます。彼の欲望のままに、善人も悪人も次々と死んでいくのです。その徹底ぶりは、現代の犯罪小説そこのけ。
 死んだと思われていた人間が生きていたという「ご都合主義」が何回も現われるのですが、それさえもさらなる殺人・惨事を起こすための題材に過ぎない、という徹底ぶりです。
 悪事の原因は、主人公をそそのかす悪魔にあるとはいえ、悪事を行う決断をするのはあくまで主人公であるルードルフです。そこに人間の欲望やエゴを読み取ることもできるという点で、心理小説としての一面も持っています。
 ただ、陰惨なだけの作品になっていないことも記しておくべきでしょう。ヨーロッパ、アフリカ、中近東と次々に移り変わる舞台、魔女によって塔にとらえられたり、サルタンの囚人になったりと絶え間なく起こる事件。物語はサスペンスたっぷりで、読者を飽きさせません。
 正直、読んでいてその残酷さ、やり切れなさに最後まで読めない人もいるかと思います。まさに「暗黒小説」といっていい作品です。その意味で、現代でも、いまだ強烈なインパクトを持った作品といえるでしょう。覚悟して読むことをお勧めします。

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硬質な運命劇  ハインリヒ・フォン・クライスト『ミヒャエル・コールハースの運命』
ミヒャエルコールハースミヒャエル・コールハースの運命―或る古記録より (岩波文庫)
クライスト 吉田 次郎
岩波書店 1941-06

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 19世紀前半のドイツに生まれた文学運動《ドイツ・ロマン派》。いわゆる「メルヘン」や「童話」を芸術の域にまで高めようとした彼らの作品は、幻想性・物語性に富み、今で言うところの「ファンタジー」に近い味わいを持っています。E・T・A・ホフマンやルートヴィヒ・ティーク、ヴィルヘルム・ハウフの作品などは、その最たる例でしょう。
 この《ドイツ・ロマン派》の中にあって、ひときわ異色な作家がいます。その作家の名は、ハインリヒ・フォン・クライスト。その作品は「メルヘン」というにはあまりに硬質、しかし、尋常ではない迫力があります。
 例えば。本邦では怪談の名作として知られる『ロカルノの女乞食』(植田敏郎訳『怪奇小説傑作集5』創元推理文庫収録)を見てみましょう。
 これは、城主に虐げられて死んだ女乞食が、幽霊となって現れるという、ごく短い掌編です。内容はともかく、その文章のスタイルが特徴的なのです。幻想的な題材を扱っていても、徹頭徹尾、血肉が通ったかのような表現を多用しています。端的に言えば「リアル」なのです。
 そして今回紹介する『ミヒャエル・コールハースの運命』(吉田次郎訳 岩波文庫)にも、そのクライストの特質はよく出ています。
 16世紀ドイツ、馬商人であるミヒャエル・コールハースは、いわれもなく馬3頭を横領されてしまいます。しかも、彼の訴えは、却下され、あげくのはてに、妻まで殺されてしまうのです。コールハースは、手勢をひきいて復讐に立ち上がります…。
 世の不合理に対して立ち上がった男の復讐劇。要約してしまうと、簡単な話なのですが、作品から受ける印象は、すさまじいの一言。書かれた当時より過去を舞台にした、いわゆる「時代小説」なわけですが、それにもかかわらず、その世界があまりに「リアル」なのです。
 例えばこの作品では、占いをするジプシーなど、超自然的な要素がわずかながら登場するのですが、それが作品全体のなかで、異様に浮き上がってしまうほど、作品全体のトーンはリアリズムに支配されているのです。
 このリアリティがどこから来るのかと考えてみると、作品の「視点」に気がつきます。登場人物の心理描写がほとんどないのです。登場人物の心理の直接描写を行わず、飽くまで、行動だけを淡々と描写しているのです。それが、映画のシナリオでも読んでいるような錯覚を覚えさせるのでしょう。
 そもそもこの時代は、まだ小説作品において「視点」や「人称」がほとんど意識されていませんでした。そんななか、これほどの「スタイル」をもって作品を書き上げたこと自体、驚異的だといえるかもしれません。
お尻の理性 ヨアヒム・リンゲルナッツ『動物園の麒麟』
動物園の麒麟―リンゲルナッツ抄 (クラテール叢書)
 先日の「たら本」企画で、リンゲルナッツの詩をちょっと紹介したところ、いくらか興味を持っていただけたようです。そこで今回は、もう少し詳しく、リンゲルナッツについて書いてみようかと思います。
 改めて紹介すると、ヨアヒム・リンゲルナッツ(1883~1934)はドイツの詩人。様々な職業を転々としながら、酒場や劇場で詩を朗読していました。ボヘミアン気風の自由人で、その詩にはユーモアとペーソスが溢れています。
 まずはサンプルとして、いくつかの作品を引用してみたいと思います。


ハンブルクに二匹の蟻がいたが
オーストラリアへ旅行にでかけた
アルトナあたりの街道で
足をすっかり痛めてしまった
そこで彼らは賢明にも
旅行の最後の部分をあきらめた


※アルトナはハンブルク近郊

『蟻』(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)



真田虫の容態が非常に悪かった
彼は何だかしじゅうお尻がかゆかった
そこで彼のおなかを切開して
シュミット博士が診断を下したところによれば
この虫には虫がわいており
その虫にまた虫がわいている


『真田虫』(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)



風呂槽が大変な法螺をふいた
自分は地中海だと彼女は言う

この思いあがった浴槽は
カルチェ・ラタンに住んでいた


『浴槽』より(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)



二個の分子が住んでいた
水車小屋の上に座って
水車が回るを見ておった
心みち足り たがいに愛していた
誰も誰もそれを知らなんだ
たった一人、封筒書きの男のほかは


『二個の分子が住んでいた』(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)

 どの作品でも「奇想」といっていいほどの、表現とアイディアが溢れています。遥かかなたのオーストラリアへの距離を「旅行の最後の部分」と表現する洒落っ気。虫にわく虫にわく虫…という、めくるめくようなイメージ。
 カルチェ・ラタンに住む「浴槽」や、愛し合う「分子」の話なんて、だれが思い付くでしょうか。
 もうひとつ目につくのは、生き物たちの姿。「蟻」や「真田虫」、ひいては「風呂槽」や「分子」などの無生物までが、まるで生き物のように扱われているのです。そして、彼らに対する作者の視線は、限りなく優しいのです。

 また、リンゲルナッツの詩は、ただおかしいだけではありません。そこには人生に対する思索も感じられるのです。例えば次の作品。


-どこに一体
地球儀がこっそり こまっちゃくれて
白い、賢い、見きわめもつかぬ広漠たる壁にきいた
-どこに一体、僕らの理性はあるのかね

壁はしばらく考えたが
-君んところじゃお尻だね


『地球儀』より(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)



-おぼえていらっしゃる?
夕方、かげろうの妻がたずねた
-階段の上であの頃あなたのチーズのかけらを盗んだのを

老人らしい明るさでかげろうの夫が言った
-ええ、覚えていますよ
そして彼は微笑した-昔々のこと


『全生涯』より(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)


 小難しい哲学癖をからかうかのような『地球儀』の視点も魅力的ですが、注目したいのは『全生涯』の内容。
 一日しか寿命のない、かげろうの夫婦を描いています。人間から見れば「ついさっき」の出来事は、彼らにとっては「昔々のこと」なのです。その時間的なスケールのギャップが、おかしみを出しているのと同時に、その生涯の「繊細さ」と「はかなさ」をも表現しています。
 生物学者ユクスキュルが提唱したとされる「環境世界」論というものがあります。これは、どんな動物も、自分が生きるために必要な意味にしたがって、現実世界をとらえている、というものです。つまり人間には人間の「世界」があり、かげろうにはかげろうの「世界」がある、というもの。
 僕は、この『全生涯』ほど、その説をスマートに、詩的に表現した例を知りません。思えば、リンゲルナッツの作品に登場する「生き物」や「物」たちの独特の視点は、彼が「生き物」や「物」たちに「成りきって」いるからこそ、生まれたものなのでしょう。その意味でリンゲルナッツもまた、自分なりの「環境世界」を持っていたといえるのかもしれません。
 最後に、前回の記事で紹介した『郵便切手』の全文を引用しておきましょう。


男性の郵便切手が、はりつく前に
すばらしいことを体験した
彼はお姫様になめられた
そこで彼には恋が目覚めた

彼は接吻を返そうとしたが
そのとき旅立たねばならなかった
かくて甲斐なき恋であった
これは人生の悲劇である


ヨアヒム・リンゲルナッツ『郵便切手』(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)

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幻視のミステリ  レオ・ペルッツ『最後の審判の巨匠』
4794927452最後の審判の巨匠 (晶文社ミステリ)
レオ ペルッツ Leo Perutz 垂野 創一郎
晶文社 2005-03

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 本邦では、幻想的な歴史小説『第三の魔弾』で知られるレオ・ペルッツ。彼のミステリ作品『最後の審判の巨匠』(垂野創一郎訳 晶文社)もまた、不思議な味わいを持った作品です。
 20世紀初頭のウィーンが舞台。かっての名優ビショーフが、取引先銀行の倒産で窮状にあることを、周りの人間は本人に隠していました。俳優としても落ち目になっていたビショーフがその事実を知れば、自殺しかねないことを知っていたからです。ビショーフの妻ディナに、かって恋心を抱いていたヨッシュ男爵は、自分でも無意識に、ビショーフに自殺を示唆するような言動を繰り返します。
 そんな中、客の一人、ゴルスキ博士のすすめで、ビショーフは「リチャード三世」の役を披露することになりますが、役作りのために、あずまやにこもったビショーフは拳銃自殺を遂げてしまいます。ヨッシュに対して反感を抱いていた、ディナの弟フェリックスは、ヨッシュを弾劾しますが、エンジニアのゾルグループは、拳銃が二発発射された事実から、これは別の犯人による犯行だと主張します…。
 この作品「ミステリ」として読むか、そうでないかで、評価がだいぶ分かれる作品だと思います。ミステリとして読むには、かなり無理がある作品なのです。前半は、論理的に殺人や真犯人の証拠を求めていくのですが、後半になると、もううやむや。何しろ「密室」が何の意味も持っていないのです。そもそも、謎の提出の仕方自体も、非常に下手というか、読者に対する吸引力が感じられません。
 ただ、ミステリとして読まなければ、もつれた人間関係の心理ドラマとして、なかなかのものです。かっての恋人の屋敷に通い続けるヨッシュ男爵の執着、ビショーフが破産したことに対する無意識の喜び、自分でもおさえきれず、言動のはしばしに見え隠れする妬み。その気持ちを見越したフェリックスの反感。このあたりの心理的なサスペンスは息詰まるようで、じつに迫力があります。
 ひとつ難を言うなら、ディナの心理にあまり触れられないところでしょうか。作品の中心にディナとヨッシュの関係が置かれているにもかかわらず、ディナ側に関する限り、ほとんど触れられないのです。この二人の関係をもっと深く掘り下げていけば、もっと上質の心理ドラマが生まれたろうと思うのですが、殺人が起きてから、ディナはほとんど登場場面がないのです。
 へたに本格ミステリ的な要素を導入しないで、心理サスペンスとして持っていった方が、完成度は上がったのではないか、というのは、個人的な考えです。
 この作家ならではの、幻想的な雰囲気は素晴らしいものですので、「ミステリ」というよりは「幻想小説」として読んだ方が楽しめる作品でしょう。

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kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』を2019年8月に刊行しました(完売しました)。
2019年10月に作成した「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」を盛林堂書房さんで通信販売中です。
2019年12月に同人誌『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』を刊行予定(盛林堂書房さんで通販予定です)。



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