過ぎ去った夢  レオ・ペルッツ『聖ペテロの雪』
4336059527聖ペテロの雪
レオ ペルッツ Leo Perutz
国書刊行会 2015-10-26

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 国書刊行会の<レオ・ペルッツ・コレクション>、最終巻となる『聖ペテロの雪』(垂野創一郎訳 国書刊行会)が刊行されました。
 今までの3冊が、過去の時代を扱った、いわゆる「歴史小説」であったのに対して、『聖ペテロの雪』は、刊行当時の世相を舞台にした「現代小説」になっています。

 父を亡くし、叔母に育てられたアムベルクは、叔母の希望もあり、医学の道に進みます。ふとしたきっかけから、父の旧友であるフォン・マルヒン男爵の領地で医者としての仕事を得ることになったアムベルクは、かっての同僚で憧れだった女性ビビッシェと再会します。
 男爵が養子にした少年フェデリコの出自の謎、ビビッシェが男爵のもとで行っている奇妙な研究の詳細を知るに及んで、アムベルクは「神聖ローマ帝国」を復活させようとする男爵の壮大な計画に気付くことになりますが…。

 フォン・マルヒン男爵の計画が、実に壮大で魅力的です。少年フェデリコとビビッシェの研究が、計画に対してどんな意味を持つのか? タイトルにもなっている「聖ペテロの雪」の意味が明かされたときには、なるほどと膝を打つはず。
 一方、主人公のアムベルクは、自らを「傍観者」と称するとおり、事態に積極的に関わろうとはしません。唯一、彼が動くのは、執着を抱く女性ビビッシェに関することだけなのです。
 やがてビビッシェと恋仲になるアムベルクですが、余りにも上手くいきすぎる恋路に対し、疑念が湧いてきます。
 ここで気付くのは、物語全体が、事故に遭ったアムベルクの過去の回想という、枠物語の形になっていること。そして、アムベルクの記憶にある事実と、医者や同僚が語る事実は全く異なっているのです。
 アムベルクの体験は、真実なのか、それとも妄想なのか? 真実がはっきりしないままに進む展開は、じつにスリリングです。
 フォン・マルヒン男爵の「妄想」ともいうべき壮大な計画を描いた物語なのですが、その物語自体が、アムベルクの「妄想」なのではないかという、二重の語りには唸らされます。読了まで気をゆるめることのできない、きわめて現代的な幻想小説の傑作です。

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幻想のプラハ  レオ・ペルッツ『夜毎に石の橋の下で』
4336055173夜毎に石の橋の下で
レオ・ペルッツ 垂野創一郎
国書刊行会 2012-07-25

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 いつまでもこの世界に浸っていたい…。そう思わせられるような作品に出会ったのは久しぶりです。20世紀前半に活躍したオーストリアの作家レオ・ペルッツの『夜毎に石の橋の下で』(垂野創一郎訳 国書刊行会)は、ルドルフ2世統治下のプラハを舞台にした幻想歴史小説です。
 連作短編集の形をとっていますが、大枠としては、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世、ユダヤ人の豪商モルデカイ・マイスルとその美しい妻エステル、高徳のラビ・レーウらを巡る物語が中心となっています。
 いま「中心」とは言いましたが、これらの登場人物たちが、常時、表舞台に立ち、ストーリーを展開していくわけではありません。皇帝にせよマイスルにせよ、各エピソードに少しづつ現れる程度なのです。その合間に、芸人、貴族、錬金術師、道化、そしてケプラー、ヴァレンシュタインなど、実在の有名人物たちを含む登場人物たちが、様々な物語を繰り広げます。
 その意味で、決まった主人公がいるわけではありません。群像劇とでもいったらいいでしょうか。また、それぞれのエピソードは時系列的につながっているわけではなく、過去と現在、未来を行ったり来たりします。
 何事にも運のない男が処刑を宣告されるものの、魔術の効果で、一緒に牢屋に放り込まれた犬から話を聞くという『犬の会話』、妄想にとらわれた皇帝と臣下たちとのやり取りを描く『地獄から来たインドジフ』、宮廷錬金術師と彼を慕う道化との奇妙な友情物語『忘れられた錬金術師』などが印象に残ります。もちろんどのエピソードも、それ一編で一つの短編小説として完成されたものばかりです。
 ルドルフ2世、モルデカイ・マイスル、ラビ・レーウなどのメインとなる登場人物たちは、各エピソードに主役もしくは脇役として登場したり、伝聞的な形で情報が示されます。読み進むにつれて、読者の中に彼らの人物像が形成されていく仕組みです。
 そして結末に至り、冒頭の挿話の謎が解けるという、ミステリ的な興味も見逃せません。
 各短編の完成度もさることながら、一つの長編として読んだときの魅力はまた格別です。全体を通して、古き良き時代のプラハの空気が感じられるようです。
 これほどの作品が未訳だったとは、まさに驚き。幻想文学としてだけではなく、一般の文学作品としても一級の作品でしょう。広く読まれてほしい作品です。

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暗黒のロマンス  C・H・シュピース『侏儒ペーター』
侏儒ペーター世界幻想文学大系〈第18巻〉侏儒ペーター (1979年)
国書刊行会 1979-12

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 怪奇小説やホラー小説を読んでいて、気分が憂鬱になることは稀です。題材に超自然的な要素が使われていても、それが表層的なものにとどまる限り「楽しむ」ことができるからです。エンタテインメントとして書かれた作品なら、なおのこと、その傾向は強いでしょう。
 しかし時折、こちらの心をえぐるような作品に出会うことがあります。18世紀ドイツの作家、C・H・シュピースの『侏儒ペーター』(波田節夫訳 国書刊行会)もそんな作品のひとつ。読んでいて息苦しくなるような作品です。
 舞台は13世紀のドイツ。若くして城主となった青年ルードルフは、狩りに明け暮れ、女性とは縁のない生活を送っていました。そんな彼の前に、小人の老人が現れます。先祖代々、一族の前にあらわれるこの老人は「ペーター」と呼ばれ、一族の守護霊とみなされていました。ペーターは、ルードルフに女性への興味をかきたてます。やがてレギーナという令嬢と恋に落ちたルードルフは、彼女との結婚を望みます。
 ペーターの策略により、レギーナの父親との軋轢を引き起こしてしまったルードルフは、レギーナと駆け落ちをしようと考え、実行します。しかし貞操を傷つけられたと考えたレギーナは、自害してしまいます。
 後悔の念にとらわれるルードルフでしたが、その後も、知り合う女性と恋に落ちるたびに相手の女性を不幸にし、死に至らしめてしまうのです。倫理観の麻痺したルードルフは、悪事を働くのに何の呵責も覚えなくなっていきます…。
 18世紀の作品ということで、いわゆる「ゴシック・ロマンス」に分類される作品ですが、読んでいて目を引くのは、その徹底した暗さと救いのなさです。
 悪魔の手先ペーターにそそのかされて、悪事を重ね続けるルードルフ。最初は純粋だったルードルフが悪事を重ねるにつれ、ペーターさえ驚くような犯罪に手を染めていきます。彼の欲望のままに、善人も悪人も次々と死んでいくのです。その徹底ぶりは、現代の犯罪小説そこのけ。
 死んだと思われていた人間が生きていたという「ご都合主義」が何回も現われるのですが、それさえもさらなる殺人・惨事を起こすための題材に過ぎない、という徹底ぶりです。
 悪事の原因は、主人公をそそのかす悪魔にあるとはいえ、悪事を行う決断をするのはあくまで主人公であるルードルフです。そこに人間の欲望やエゴを読み取ることもできるという点で、心理小説としての一面も持っています。
 ただ、陰惨なだけの作品になっていないことも記しておくべきでしょう。ヨーロッパ、アフリカ、中近東と次々に移り変わる舞台、魔女によって塔にとらえられたり、サルタンの囚人になったりと絶え間なく起こる事件。物語はサスペンスたっぷりで、読者を飽きさせません。
 正直、読んでいてその残酷さ、やり切れなさに最後まで読めない人もいるかと思います。まさに「暗黒小説」といっていい作品です。その意味で、現代でも、いまだ強烈なインパクトを持った作品といえるでしょう。覚悟して読むことをお勧めします。

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硬質な運命劇  ハインリヒ・フォン・クライスト『ミヒャエル・コールハースの運命』
ミヒャエルコールハースミヒャエル・コールハースの運命―或る古記録より (岩波文庫)
クライスト 吉田 次郎
岩波書店 1941-06

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 19世紀前半のドイツに生まれた文学運動《ドイツ・ロマン派》。いわゆる「メルヘン」や「童話」を芸術の域にまで高めようとした彼らの作品は、幻想性・物語性に富み、今で言うところの「ファンタジー」に近い味わいを持っています。E・T・A・ホフマンやルートヴィヒ・ティーク、ヴィルヘルム・ハウフの作品などは、その最たる例でしょう。
 この《ドイツ・ロマン派》の中にあって、ひときわ異色な作家がいます。その作家の名は、ハインリヒ・フォン・クライスト。その作品は「メルヘン」というにはあまりに硬質、しかし、尋常ではない迫力があります。
 例えば。本邦では怪談の名作として知られる『ロカルノの女乞食』(植田敏郎訳『怪奇小説傑作集5』創元推理文庫収録)を見てみましょう。
 これは、城主に虐げられて死んだ女乞食が、幽霊となって現れるという、ごく短い掌編です。内容はともかく、その文章のスタイルが特徴的なのです。幻想的な題材を扱っていても、徹頭徹尾、血肉が通ったかのような表現を多用しています。端的に言えば「リアル」なのです。
 そして今回紹介する『ミヒャエル・コールハースの運命』(吉田次郎訳 岩波文庫)にも、そのクライストの特質はよく出ています。
 16世紀ドイツ、馬商人であるミヒャエル・コールハースは、いわれもなく馬3頭を横領されてしまいます。しかも、彼の訴えは、却下され、あげくのはてに、妻まで殺されてしまうのです。コールハースは、手勢をひきいて復讐に立ち上がります…。
 世の不合理に対して立ち上がった男の復讐劇。要約してしまうと、簡単な話なのですが、作品から受ける印象は、すさまじいの一言。書かれた当時より過去を舞台にした、いわゆる「時代小説」なわけですが、それにもかかわらず、その世界があまりに「リアル」なのです。
 例えばこの作品では、占いをするジプシーなど、超自然的な要素がわずかながら登場するのですが、それが作品全体のなかで、異様に浮き上がってしまうほど、作品全体のトーンはリアリズムに支配されているのです。
 このリアリティがどこから来るのかと考えてみると、作品の「視点」に気がつきます。登場人物の心理描写がほとんどないのです。登場人物の心理の直接描写を行わず、飽くまで、行動だけを淡々と描写しているのです。それが、映画のシナリオでも読んでいるような錯覚を覚えさせるのでしょう。
 そもそもこの時代は、まだ小説作品において「視点」や「人称」がほとんど意識されていませんでした。そんななか、これほどの「スタイル」をもって作品を書き上げたこと自体、驚異的だといえるかもしれません。
お尻の理性 ヨアヒム・リンゲルナッツ『動物園の麒麟』

動物園の麒麟

 先日の「たら本」企画で、リンゲルナッツの詩をちょっと紹介したところ、いくらか興味を持っていただけたようです。そこで今回は、もう少し詳しく、リンゲルナッツについて書いてみようかと思います。
 改めて紹介すると、ヨアヒム・リンゲルナッツ(1883~1934)はドイツの詩人。様々な職業を転々としながら、酒場や劇場で詩を朗読していました。ボヘミアン気風の自由人で、その詩にはユーモアとペーソスが溢れています。
 まずはサンプルとして、いくつかの作品を引用してみたいと思います。


ハンブルクに二匹の蟻がいたが
オーストラリアへ旅行にでかけた
アルトナあたりの街道で
足をすっかり痛めてしまった
そこで彼らは賢明にも
旅行の最後の部分をあきらめた


※アルトナはハンブルク近郊

『蟻』(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)



真田虫の容態が非常に悪かった
彼は何だかしじゅうお尻がかゆかった
そこで彼のおなかを切開して
シュミット博士が診断を下したところによれば
この虫には虫がわいており
その虫にまた虫がわいている


『真田虫』(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)



風呂槽が大変な法螺をふいた
自分は地中海だと彼女は言う

この思いあがった浴槽は
カルチェ・ラタンに住んでいた


『浴槽』より(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)



二個の分子が住んでいた
水車小屋の上に座って
水車が回るを見ておった
心みち足り たがいに愛していた
誰も誰もそれを知らなんだ
たった一人、封筒書きの男のほかは


『二個の分子が住んでいた』(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)

 どの作品でも「奇想」といっていいほどの、表現とアイディアが溢れています。遥かかなたのオーストラリアへの距離を「旅行の最後の部分」と表現する洒落っ気。虫にわく虫にわく虫…という、めくるめくようなイメージ。
 カルチェ・ラタンに住む「浴槽」や、愛し合う「分子」の話なんて、だれが思い付くでしょうか。
 もうひとつ目につくのは、生き物たちの姿。「蟻」や「真田虫」、ひいては「風呂槽」や「分子」などの無生物までが、まるで生き物のように扱われているのです。そして、彼らに対する作者の視線は、限りなく優しいのです。

 また、リンゲルナッツの詩は、ただおかしいだけではありません。そこには人生に対する思索も感じられるのです。例えば次の作品。


-どこに一体
地球儀がこっそり こまっちゃくれて
白い、賢い、見きわめもつかぬ広漠たる壁にきいた
-どこに一体、僕らの理性はあるのかね

壁はしばらく考えたが
-君んところじゃお尻だね


『地球儀』より(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)



-おぼえていらっしゃる?
夕方、かげろうの妻がたずねた
-階段の上であの頃あなたのチーズのかけらを盗んだのを

老人らしい明るさでかげろうの夫が言った
-ええ、覚えていますよ
そして彼は微笑した-昔々のこと


『全生涯』より(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)


 小難しい哲学癖をからかうかのような『地球儀』の視点も魅力的ですが、注目したいのは『全生涯』の内容。
 一日しか寿命のない、かげろうの夫婦を描いています。人間から見れば「ついさっき」の出来事は、彼らにとっては「昔々のこと」なのです。その時間的なスケールのギャップが、おかしみを出しているのと同時に、その生涯の「繊細さ」と「はかなさ」をも表現しています。
 生物学者ユクスキュルが提唱したとされる「環境世界」論というものがあります。これは、どんな動物も、自分が生きるために必要な意味にしたがって、現実世界をとらえている、というものです。つまり人間には人間の「世界」があり、かげろうにはかげろうの「世界」がある、というもの。
 僕は、この『全生涯』ほど、その説をスマートに、詩的に表現した例を知りません。思えば、リンゲルナッツの作品に登場する「生き物」や「物」たちの独特の視点は、彼が「生き物」や「物」たちに「成りきって」いるからこそ、生まれたものなのでしょう。その意味でリンゲルナッツもまた、自分なりの「環境世界」を持っていたといえるのかもしれません。
 最後に、前回の記事で紹介した『郵便切手』の全文を引用しておきましょう。


男性の郵便切手が、はりつく前に
すばらしいことを体験した
彼はお姫様になめられた
そこで彼には恋が目覚めた

彼は接吻を返そうとしたが
そのとき旅立たねばならなかった
かくて甲斐なき恋であった
これは人生の悲劇である


ヨアヒム・リンゲルナッツ『郵便切手』(板倉鞆音訳『動物園の麒麟』国書刊行会収録)

幻視のミステリ  レオ・ペルッツ『最後の審判の巨匠』
4794927452最後の審判の巨匠 (晶文社ミステリ)
レオ ペルッツ Leo Perutz 垂野 創一郎
晶文社 2005-03

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 本邦では、幻想的な歴史小説『第三の魔弾』で知られるレオ・ペルッツ。彼のミステリ作品『最後の審判の巨匠』(垂野創一郎訳 晶文社)もまた、不思議な味わいを持った作品です。
 20世紀初頭のウィーンが舞台。かっての名優ビショーフが、取引先銀行の倒産で窮状にあることを、周りの人間は本人に隠していました。俳優としても落ち目になっていたビショーフがその事実を知れば、自殺しかねないことを知っていたからです。ビショーフの妻ディナに、かって恋心を抱いていたヨッシュ男爵は、自分でも無意識に、ビショーフに自殺を示唆するような言動を繰り返します。
 そんな中、客の一人、ゴルスキ博士のすすめで、ビショーフは「リチャード三世」の役を披露することになりますが、役作りのために、あずまやにこもったビショーフは拳銃自殺を遂げてしまいます。ヨッシュに対して反感を抱いていた、ディナの弟フェリックスは、ヨッシュを弾劾しますが、エンジニアのゾルグループは、拳銃が二発発射された事実から、これは別の犯人による犯行だと主張します…。
 この作品「ミステリ」として読むか、そうでないかで、評価がだいぶ分かれる作品だと思います。ミステリとして読むには、かなり無理がある作品なのです。前半は、論理的に殺人や真犯人の証拠を求めていくのですが、後半になると、もううやむや。何しろ「密室」が何の意味も持っていないのです。そもそも、謎の提出の仕方自体も、非常に下手というか、読者に対する吸引力が感じられません。
 ただ、ミステリとして読まなければ、もつれた人間関係の心理ドラマとして、なかなかのものです。かっての恋人の屋敷に通い続けるヨッシュ男爵の執着、ビショーフが破産したことに対する無意識の喜び、自分でもおさえきれず、言動のはしばしに見え隠れする妬み。その気持ちを見越したフェリックスの反感。このあたりの心理的なサスペンスは息詰まるようで、じつに迫力があります。
 ひとつ難を言うなら、ディナの心理にあまり触れられないところでしょうか。作品の中心にディナとヨッシュの関係が置かれているにもかかわらず、ディナ側に関する限り、ほとんど触れられないのです。この二人の関係をもっと深く掘り下げていけば、もっと上質の心理ドラマが生まれたろうと思うのですが、殺人が起きてから、ディナはほとんど登場場面がないのです。
 へたに本格ミステリ的な要素を導入しないで、心理サスペンスとして持っていった方が、完成度は上がったのではないか、というのは、個人的な考えです。
 この作家ならではの、幻想的な雰囲気は素晴らしいものですので、「ミステリ」というよりは「幻想小説」として読んだ方が楽しめる作品でしょう。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

ティンパニの一撃  マリー・ルイーゼ・カシュニッツ『六月半ばの真昼どき』
4839700761六月半ばの真昼どき―カシュニッツ短篇集
マリー・ルイーゼ カシュニッツ Marie Luise Kaschnitz 西川 賢一
めるくまーる 1994-01

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 戦後ドイツ文学を代表するといわれる女流作家、マリー・ルイーゼ・カシュニッツ。彼女の短編には、共通する特質があります。それは、平凡な人間の、なんの変哲もない日常生活のさなかに、突如として奇妙な出来事が起こり、それによってその人間の生活は一変し、登場人物は自分と向き合うことになる…というもの。この説明を読んで、何か思い当たる節がありませんか?
 そう、スティーヴン・キングに代表される、いわゆる〈モダンホラー〉と同じような定義なのです。日常生活に異物が侵入する…という一点をとってみれば、そこに差異はありません。違うのは、〈モダンホラー〉では作中で起こる奇妙な事件自体に関心が向かうのに対して、カシュニッツの作品では、その出来事によって、否応なく変化させられる登場人物の自己意識にウエイトが置かれている、ということでしょう。カシュニッツは、短編『いつかあるとき』の中で、そのことをこう表現しています。

 自分もあの夜“ティンパニの一撃”を聞いたのだ、ということに彼が思い当たったのはずっとのちのことである。人間だれしもいつかはその一撃を聞き、それとともに本来の人生が始まるものであるが。

 自分の人生観を一変させる運命的な出来事を、ここでは、「ティンパニ」というインパクトのある比喩によって表現しています。
 ジャンル的には純文学に分類されるカシュニッツの作品ですが、ときに幻想小説やファンタジーに限りなく接近するその作風は、物語そのものをとっても、十分に面白く「奇妙な味」の作品として、楽しむことができます。本書『六月半ばの真昼どき』(西川賢一訳 めるくまーる)にも、そんな作品が多く集められています。

 『でぶ』 自宅で私設図書館を始めた「私」は、ある日家を訪れた「でぶ」の女の子に興味を引かれます。無愛想で、食い意地の張った女の子に嫌悪感を抱きつつも、何かを感じた「私」は、女の子のあとをつけます。女の子はスケート中に、割れた氷の穴に落ちてしまうのですが…。
 子供らしさの全く感じられない「でぶ」の女の子の中に、語り手は何を見たのか? 結末はどこか予定調和ながら、アイデンティティーをテーマにした佳作。

 『アダムとエヴァ』 動物の死を見てから、自分も死ぬ事を悟ってしまったアダムは、日々思い悩みます。対照的に、溌溂とし、生そのものを謳歌しているエヴァに対し、アダムは苦々しい気持ちを抱きます…。
 男女の人生観の違いを描いた寓話です。陰鬱なアダムに対して、エヴァのなんと生き生きとしていることか。

 『幽霊』 ロンドンに旅行に訪れたドイツ人夫婦。女好きの夫は、ある夜、観劇中に出会ったイギリス人兄妹の妹に興味を惹かれます。きっかけをつかんで、彼らと知り合いになった夫婦は、兄妹の家に招待されます。夫は、あの女性には以前どこかであったことがあるはずだ、と繰り返し語りますが、妻は取り合いません…。
 タイトルどおり、超自然味が濃厚な怪奇小説。懐疑的な妻を語り手に設定したことで、効果を上げています。

 『わらしべ』 ある日夫の留守中に本の間にはさまった手紙を見つけた妻。それは夫にあてた女性の恋文でした。妻は、夫と別れることを、つらつらと考えはじめます…。
 まだ事態が始まってもいないのに、妻の思考はどんどんと進んでいきます。あまりにもリアルな妄想は、人生をも変えてしまう、というよくできた作品。

 『いつかあるとき』 出世しか念頭にない軽薄な青年は、法律家見習いの仕事として、亡くなった女性の遺品管理に訪れます。その女性はなんと餓死したというのです。実務的に処理を続けていた青年は、しかし女性が残した何枚もの自画像を見ているうちに、異様な興奮にとりつかれてしまいます…。
 女性の自画像を通して、人生の悲劇的な面を知る青年。「ティンパニの一撃」を聞いた青年のその後の人生とは? 皮肉な結末が、リアリティあふれる作品。

 『白熊』 深夜に帰宅した夫は、電気もつけずに突然妻に質問を始めます。動物園でふたりが初めて出会ったとき、本当はお前は別の男を待っていたのではなかったのか? 質問を受け流しながらも妻は不安にかられます…。
 夫の意図は何なのか? 驚くべき結末が待ち受ける幻想小説。

 『作家稼業』 世間にも認知され、有名な作家となった男は、突然執筆への意欲をなくし、転職をしようと考えます。義兄に相談してもまともにとりあってもらえず、面接に行っても断られるばかり。精神科の看護人の募集を耳にした男は、これこそ自分にあった仕事だと思い、さっそく連絡するのですが…。
 突如として作家稼業をやめたくなった男の試行錯誤を、ユーモアをまじえて描く作品です。男のどんな言動も受け入れる、包容力あふれる妻の存在が印象的。

 『火中の足』 働く独身女性の「私」は、ある日ひじに出来た内出血によるあざに気が付きます。しかし痛みは全くないのです。それからも、指の切り傷、のどの炎症、果ては骨折までしていても、全く痛みがないことに驚きを覚えます。それとともに「私」は、感情や感覚までが麻痺しつつあることに気が付きます…。
 痛みを感じなくなった女性。痛みは何の寓意なのか、いろいろと考えさせられる問題作。

 『怪鳥ロック』 ある日部屋の中にとつぜん現れた巨大な鳥。ドアを開けても、出ていく気配は一向にありません。知人に相談しようとしても、なぜか鳥のことは口に出せないのです。しかも見るたびに、鳥は大きくなっていきます…。
 カフカを思わせる不条理小説。鳥が何を意味しているのかはわかりにくいのですが、物語としても面白い短編です。

 『天使』 年配の未亡人の「私」はあまった部屋に下宿人を置くことを考えます。やってきた若い娘エヴァが気に入ってしまった「私」は、なにくれとなく世話を焼きます。世話をされるのが当然といわんばかりのエヴァは、やがてボーイフレンドを連れ込みます。そして子供が産まれるにいたって「私」はどんどんと家のすみに追いやられていくのですが…。
 無邪気な顔をした居候によって、やがて家の主導権がうばわれてしまう、というヒュー・ウォルポール『銀色の仮面』を思わせる作品。被害者であるはずの「私」が、加害者を「天使」とあがめつづけるのが、無気味さを増しています。

 『船旅』 間違えて違う船に妹を乗せてしまったドン・ミゲルは、妹の行方を探しますが、まったく見つかりません。やがて届いた手紙にはその船の情報も場所もしるされていません。手紙を読み進むにつれて、常軌を逸してくる妹の記述に、彼は困惑するのですが…。
 「船旅」とは「死への旅」なのか? 船や乗客の描写の気味悪さが印象に残る幻想小説。
 

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人生を乗り間違えて  クルト・クーゼンベルク『壜の中の世界』
20060214101748.jpg
壜の中の世界
クルト クーゼンベルク Kurt Kusenberg 前川 道介
433603060X

 今日紹介するのはドイツの作家クルト・クーゼンベルクの『壜の中の世界』(前川道介他訳 国書刊行会)です。クーゼンベルクの作品はどれも短く、掌編といっていい長さのものばかりですが、そのどれもが傑作です。彼の作品は、時代や風俗といった要素をほとんど感じさせず、そのため普遍的な読みやすさを獲得しています。
 国家が、国民の生活に過剰な好奇心を抱いているため、膨大なアンケートを毎日書かされるという『秩序の必要性』、あらゆるものが抱き合わせで売られるようになった社会の物語『抱き合わせ販売』、永遠に飛び続ける弾丸をめぐる話『休まない弾丸』など、あらすじを聞くだけで面白そうだと思いませんか?
 クーゼンベルクの作品は、どれも短いためアイディア・ストーリーの一言ですませられてしまう恐れがあるのですが、その短い中にも人生の不思議を描いた作品として、『汽車を乗り間違えて』があげられます。
 七十代にさしかかり、最愛の妻を失ったティーゲル氏は、人生に絶望しています。しかし友人からの絵はがきに海が載っていたことから、ティーゲル氏は思い立ちます。どうせなら海を見てから死んでやろう。そして列車に乗って旅立つのです。しかしティーゲル氏は全く逆方向の列車に乗ってしまったことに気付きます。ティーゲル氏の災難を知った乗客たちは、ティーゲル氏になにくれとなく親切をほどこします。人々との触れ合いに喜びを見いだしたティーゲル氏は、今度はわざと列車を乗り間違えるのです!
 それから数限りなく乗り間違いを繰り返す老人のことが噂になり始めます。幸運のマスコット扱いされるようになったティーゲル氏は、鉄道会社から莫大な報酬で雇われることになります。

 彼らの話が本当だとすれば、老人が降りた列車はその直後に大なり小なり損傷を被った。一方、ティーゲル氏が乗った列車の方は、いつも無事故で、そのうえ定刻通りに目的地に着いた、というのである。

 ティーゲル氏が乗り込まなければ、出かけられないと言う人々も現れる始末。ふとした偶然で人生の喜びを見いだしてしまったティーゲル氏でしたが…。
  運命の皮肉さを軽妙なタッチで描き出した傑作です。星新一などがお好きな方は、楽しめるのではないでしょうか。



プロフィール

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主催。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。



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