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明日をも知れぬ身  埋もれた短編発掘その18
 イタリアの文豪アルベルト・モラヴィアには、幻想的な作品を集めた『シュールレアリスム短編集(仮題)』という作品集があり、その中からいくつかの短篇が訳されています。本編『夢、うつつ』(千種堅訳 早川書房 ミステリマガジン1991年2月号所収)もその一つですが、その奇怪な世界観は、飛び抜けて独創的です。
 どことも知れぬ「夢の島」は、クルウールーという名の怪物に支配されていました。姫君ともぐらの不自然な婚姻から生まれたと言われるクルウールーは、母親の死後、王位継承者として王位につきます。しかし生まれてから一度も目覚めたことのないクルウールーの姿は異様そのもの。

 生まれながらにびっしりと体毛におおわれ、すでにおなかも突き出ていて、ちゃんと大きな爪も生え、大きな頭はいかにも眠たげ、巨大なまぶたは真っ青で皺だらけだった。眠りながら生まれてきた。いや、いびきをかきながらといったほうがいい。そのいびきの音から彼の名前がつけられた。

 誰もが統治能力などないと思ったクルウールーには、しかしとんでもない能力が隠されていました。彼の見る夢のとおりに、島の住民は操られてしまうのです。 彼が最初に見た夢は、島の貴族全員が高い塔から飛び降りてしまうというものでした。そして実際に貴族全員が死んでしまったのです!
 また、大臣たちが突然逆立ちをしたり、身内の死を喜んだり、と住民たちに奇怪な行動が現れるようになります。これもまた、クルウールーの夢のせいでした。
 しかしクルウールーの夢は不条理なものばかりではありません。

 たとえば、クルウールーが権力を掌握した直後、島の商店全部が商品を超廉価で提供した。住民はクルウールーが太っ腹になった夢を見ているなと察知し、がっかり顔の商店主のところに殺到し、手当たり次第に買っていった。この夢につづいて、恐ろしい物不足が起こったのはいうまでもない。

 クルウールーの見る夢は、比較的合理的な夢と、奇怪な悪夢とに分けられることに住民は気づきます。とはいえ、ずっと休みなく夢を見るわけではなく、何年か一切夢を見ない期間が続くこともあるのです。
 学者たちはクルウールーの夢について議論を重ねます。クルウールーを安楽な状態にすれば、悪夢が防げるのではないか。クルウールーを殺してしまえばいいのではないか。しかしすべての手段は他ならぬクルウールーの夢によって露見し、失敗します。
 やがてある学派が深刻な仮説を打ち出します。島ではすべてがクルウールーの夢ではないか、というのです。しかしそれを確認する術はありません。あらゆる対抗策を断たれた住人たちは、クルウールーが老いて死ぬのを気を長くして待ち続けるのですが…。
 夢を見続ける奇怪な怪物によって支配される世界。そこでは理性では考えられないことが日々起こります。明日が全く予見できない混沌とした世界観には、怖気を振るうものがあります。しかしただ陰惨なのではなく、奇妙ながらもどこかおかしい夢の描写など、妙なユーモアをたたえたところも魅力的です。
 どこからどこまでが夢なのでしょうか? ボルヘスを思わせる〈夢見る人と夢見られる人〉テーマの作品です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

天使のささやき、悪魔のためいき  埋もれた短編発掘その17
 皮肉な短篇の書き手として知られるジョン・コリアの作品には、よく悪魔が登場します。悪魔といっても、例えば『エクソシスト』だとか『オーメン』だとかに出てくるような、オカルティックなそれではありません。ずるがしこいながらも、ドジでおっちょこちょい。そうした愛すべき存在として描かれているのです。今回紹介する『天使と悪魔と青年と』(伊藤典夫訳 早川書房 ミステリマガジン1970年3月号所収)もまたそうした作品です。本作には、悪魔だけでなく天使も登場し、実にユーモラスなファンタジーに仕上がっています。
 アインシュタインが「宇宙は有限である」と宣言した直後から、天国と地獄の地価はうなぎのぼりに急騰します。地獄の片田舎で暮らしていた悪魔たちは、追い立てをくい、居住可能な惑星に散っていきます。その一人はある深夜、ロンドンに到着します。
 そして天使たちのなかにも、同様な事情で同様な手段をとったものがいました。その中の一人は奇しくも同じ時刻にロンドンに到着します。

 これくらい高度の生物となると、人間の姿をとるときには、どちらの性別を選んでもよいという特権がある。生き物といってもたんなる生き物ではないので、天使も悪魔も、何が何であるかはちゃんと心得ている。その点をおもんぱかって、二人はそれぞれ芳紀まさに二十一歳の若い女になることに決めた。

 悪魔はブルネットの美人ベラ・キンバリイに、天使は同じく美しいブロンドのエヴァ・アンダースンになります。ふと出会った二人はたちまち意気投合し、ルームメイトになることに決めます。やがて二人は下宿を見つけ、ベラはダンス教師、エヴァは、ハープ奏者の職を得ます。

 いったん落ちつくと、二人はそこらの娘たちと同じように四六時中ぺちゃくちゃお喋りしたり、くすくす笑ったりしながら、楽しい生活を始めた。

 同じ下宿に住む青年ハリイ・ペティグルーと知り合いになった二人は、どちらも青年に恋してしまいます。やがてハリイは、ベラよりもエヴァに惹かれていきます。ベラに愛想良くするものの、その気持ちは明らかにエヴァに傾いていました。

 ベラも、それにいつまでも気がつかないほど愚かではなかった。この魅力的な青年と、これから長い罪深い一生をおくり、やがて彼の魂をともなって地獄へとぶ、そんな生活を彼女は心に描いた。

 エヴァとハリイの仲が進展していくのに腹を立てたベラは、ベラと同じぐらい腹黒い青年ヴァレンティノを利用しようと考えます。ヴァレンティノにエヴァを誘惑させようというのです。策略のかいあって、エヴァがヴァレンティノと浮気をしているのではないかと邪推したハリイは、エヴァに疑惑をぶちまけてしまうのですが…。
 奇妙な四角関係の行方は? そしてハリイとエヴァの恋は実るのでしょうか?
 描かれるストーリーは、お定まりの三角関係(後には四角関係)なのですが、その語り口は洗練の極致です。文章の一つ一つが非常な吸引力を持っています。上に挙げた引用文でもわかると思いますが、そのレトリックの豊かさには驚嘆すべきものがあります。そして何とも魅力的な天使と悪魔のキャラクター!
 本来宿敵の二人が、互いの素性を知らぬまま、親友になってしまうという設定もさることながら、それぞれの本性に応じた性格を与えられているところが面白いです。恥ずかしがり屋で純真無垢なエヴァ、あけっぴろげで大らかなユーモアの持ち主ベラ。物語の展開上、ベラは悪役を振られているのですが、そのキュートさはエヴァにも劣りません。
 プロット上のひねりというものは、とくにないので、その点で、おさまるところにおさまる物語、といった印象は拭えないのですが、この作品の場合、それがまったく欠点となっていません。再読、再再読してもその魅力を失わないのです。何ともチャーミングなファンタジーの逸品です。

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まぼろしの故郷  埋もれた短編発掘その16
 孤独な青年は、また別の運命を夢見ますが、思わぬ形でその機会が訪れることになるのです…。今回紹介するのは、不思議なノスタルジアを感じさせる作品、ローレンス・トリート『拾った町』(羽田詩津子訳 早川書房 ミステリマガジン1986年8月号所収)です。
 郵便局に勤めるフレッド・フェリスは、これといった野心もない、孤独な青年でした。決まり切った日常を淡々とこなす彼は、たいした根拠もなく、何か別の運命が自分を待っているのではないかという考えを持っていました。
 ある朝、前を歩いていた猫背の男が新聞を落とし、それに気がついたフレッドは男に声をかけます。差し上げると言われたフレッドは、新聞を持ち帰り読み始めます。それは〈ザ・ウィークリー・ガゼット〉、地方の町イースト・ヴィックスビルのローカル新聞でした。そして、フレッドは個人消息欄の一つの記事に目を止めます。
 それはダニエル・リスター夫人の70歳の誕生日の記事でした。彼女は、アリンガムという男とともに駆け落ちしてしまった姪のアリスが帰ってくるのを未だに待ち続けているというのです。フレッドはすっかり引き込まれ、早速一年分の予約購読を申し込みます。
 結局リスター夫人の願いは実現しないようでしたが、一年あまり新聞を読み続けたフレッドは、イースト・ヴィックスビルの人々を知るようになります。やがて彼らが昔からの知り合いであるかのように感じ始めたフレッドは、ある決心をします。

 銀行には金があるじゃないか。事が起きた時に備えて貯めてきた金だ、イースト・ヴィックスビルを訪ねてなぜ悪い? ある意味じゃ、おれはあそこの人間だ。住民の名も職業も、半数は知っている。

 イースト・ヴィックスビルにたどり着いたフレッドは、さっそく目に付いた家を訪ねます。現れたのは、大柄なたくましい女。一見して好感を持ったフレッドは、意図しなかった言葉を発してしまいます。

 「僕はフレッド・アリンガムといいます」彼は名乗った。「実は部屋を探してるんですが」
 「アリンガムですって?」女は問い返した。「あなた、まさか…」


 そう、行方不明のリスター夫人の姪アリスの息子であると名乗ったフレッドは、女の家族から歓迎されます。彼女はアリスの親類エマ・リスターでした。やがてこの町で暮らすようになったフレッドは、エマの娘マイラと恋仲になります。
 しかし町の人々は、一応の敬意は払うものの、フレッドに馴染んでくれません。それに対して、もともと人々からのけ者にされがちだったマイラはフレッドにぞっこんとなり、彼と結婚することを疑いもしない様子です。ようやくフレッドは将来を真剣に考えはじめます。この町に落ち着くことは不可能ではない、しかし自分に何ができるだろう。この町で暮らしていけるような才能は全くない…。フレッドは、もとの家に帰ることを考えます。
 ある日、マイラとドライブに出かけたフレッドは、彼女に真実を打ち明けようとします。てっきりプロポーズの言葉が出るものと思いこんでいるマイラに、フレッドはなかなか言い出すことができないのですが…。
 フレッドとマイラの恋の行方は…。彼は真実を話してしまうのでしょうか?
 新聞によって、青年の脳裏に焼き付けられた理想の町。ノスタルジーを感じさせる発端は、上手いの一言。そして、ふとした偶然からその町に入り込んだ青年は、理想と現実のギャップに苦しめられます。よどみなく流れるストーリーはおちるべきところにおちます。真実を知ってなお、青年と娘の愛が確認される物語…、だったらよかったのですが、物語は意外な方向に進んでいきます。単なる恋物語では終わらないクライム・ストーリー。結末は賛否両論あるでしょうが、様々な可能性を予感させる発端部の素晴らしさだけでも、充分際だつ作品です。

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夢かうつつか  埋もれた短編発掘その15
 われわれが生きているこの世界は本当に現実でしょうか? この世界が夢でないかどうかは、究極的には証明しようがないのです。この物語の主人公のように…。今回紹介する作品はステファニー・ケイ・ベンデル『死ぬ夢』(青海恵子訳 早川書房 ミステリマガジン1986年10月号所収)。
 ある日、私立探偵ベネディクト・ファインの事務所に四十代半ばの女性が現れます。ヘレン・ローソンと名乗るその女性は、開口一番奇妙なことを言い出します。

 「ミスター・ファイン」と、彼女はおだやかに言った、「主人があたくしを殺します」

 「殺したい」でも「殺そうとしている」でもなく「殺します」。奇妙に思いながらもファインはミセス・ローソンの話を聞き続けます。彼女の話は驚くべきものでした。
 ミセス・ローソンの見た夢は現実になるというのです。子供のころから夢に見たことが次々と現実になっている、例えば大伯父が自動車事故で亡くなる夢を見た直後、大伯父はそのとおりに亡くなったといいます。恐らく、命に関わる夢のみが現実化するようだとミセス・ローソンは考えているようでした。
 そしてこの探偵事務所に来た理由も、それを夢に見たからだというのです。彼女は、夢の中では机の上に緑色のホチキスがあった他は、現実と全く同じだと断言します。机の中にホチキスが入っているのを知っているファインは愕然とします。さらに彼女が、これから起こることとして予言した出来事が、次々と実現するのを見て、ファインもようやく彼女を信じ始めます。

 「あたくしがこのスーツを着て、ここにまいりましたのは、そうなる運命だからですわ。逆らったところでどうなるものでもないのはこれまでの経験からわかってましたから。あたくしがどうあがこうと、夢にみたとおりのことが起こるんです」

 ミセス・ローソンは夫を心から愛しており、夫もまたそれは同じだというのです。裕福で人格者であり、妻を心から愛するチャールズ・ローソンが妻を殺す理由は全くないのです。しかしミセス・ローソンは自分が殺されるだろうことを疑いません。夢の中で夫はミセス・ローソンにオレンジジュースを飲ませます。しかもそれはたったの二、三滴!
 二、三滴で効果を発揮する毒物というのはそうはありませんよというファインに対し、ミセス・ローソンは答えます。夫は薬品チェーンを経営しており、どんな薬物も入手できる立場だ、と。
 しかしファインは解せません。殺されるのが分かっており、それを絶対防げないのなら、なぜここにいらしたのですか? ミセス・ローソンは夫が自分を殺す理由を知りたいと言います。二十年間何の問題もなく愛し合ってきた夫がなぜ自分を殺すのか、その理由がわからないでは死ぬに死ねないと。
 ファインは半信半疑ながら、インテリアデザイナーと称し、ローソン夫妻の家に潜り込むことに成功します。夫のチャールズは想像していた以上の好人物であり殺人を犯すとも思えません。ファインは困惑しますが、ある朝ミセス・ローソンの自分に対する態度が豹変していることに気づきます。聞けば、なんと新しく見た夢では夫がミセス・ローソンを殺そうとするのをファインが手伝っているというのです!
 しばらく離れていた方がよさそうだと判断したファインは暇をつげようとしますが、そのとき思いもかけない事態が持ち上がるのです…。
 ミセス・ローソンの夢は現実になってしまうのでしょうか? そうだとすれば夫が夫人を殺す理由とは一体?
 冒頭から何やら幻想的な要素の漂う作品です。ミセス・ローソンが予言した出来事がことごとく実現するので、読者は彼女の能力が本物であることを疑わないでしょう。物語もその期待を裏切らず、幻想的な要素を強めていきます。そして驚愕すべき結末。まるでパズルのピースがはまるかのようにたどり着く結末は、ハッピーエンドとは言えませんが、読者も深く満足されるはず。異色のラブストーリーとしても読める不思議な読後感の作品です。

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恋するグラスアイ  埋もれた短編発掘その14
 自他共に認める不幸なオールドミス、そんな彼女がやっと見つけた生きがいとは? 今回は、悲しいラブストーリー、ジョン・K・クロス『義眼』(村社伸訳 早川書房 ミステリマガジン1968年8月号所収)です。クロスはイギリスの怪奇小説家だそうですが、邦訳はこれ一編きりのようです。
 醜い容貌の孤独なオールドミス、ジュリアは、やることなすことことごとく失敗する運命を持っているかのようでした。年配の実業家に誘惑されては捨てられ、やっと手に入れた婚約者は行方をくらます。彼女の愛の対象は、雇い主の老モーフリイと、身体障害児である甥のバーナード少年だけでした。
 あるとき、甥を連れてミュージックホールにショーを見に出かけたジュリアは、あるプログラムに興味を惹かれます。それは、腹話術師マックス・コロディと人形ジョージによるショーでした。ショーを見た彼女は、甥の存在も忘れ、マックス・コロディの美しい容姿にひきつけられます。

 黒い髪が輝いて、あごがうっすらと青みを帯びた翳りを宿し、口髭にはこまやかな手入れが行き届いて、幅広い肩は力強さを物語っていた。こめかみは狭く、眼が深くすわって、あごにはまっすぐな凹みが走り、歯はしゃべるごとに宝石のように輝いた。

 それに対して人形のジョージのグロテスクな容姿に、ジュリアは嫌悪感を感じます。

 彼の膝の上に乗っているジョージというグロテスクな人形は高さ一メートル足らずで亜麻色の髪と、じろじろ見られているような感じを起こさせるいやな目つきをしていた。

 マックス・コロディに熱をあげた彼女は、彼の舞台に通いつめます。公演が終わりコロディが移動すると聞くと、休暇をとり、おっかけを始めます。それと同時に、コロディに直に合いたいと手紙を出し始めるのです。しつこく出し続けた手紙のかいあって、コロディも次第に親愛を示すようになり、あるとき彼女の写真を送ってくれないかと言い出します。ジュリアは恐ろしく古びた、若いころの写真を送ります。そして、とうとうコロディはジュリアと会うことを承知します。
 ただしコロディは、会うに際して条件を出してきます。場所は人気のない小さいホテル、時間は五分間のみ、部屋は薄暗くしておくこと、会うときには人形のジョージが一緒にいること、など。そしてジュリアは憧れのコロディと対面します。そこで思いもかけない悲劇が起こってしまうのですが…。
 コロディがつけた条件とはいったい何のためだったのでしょうか? タイトルの「義眼」の秘密とは?
 ここまでのあらすじで、勘のよい方は結末が予測できてしまうかもしれません。メインアイディアはおそらく前例があるように思いますが、この作品の読みどころはそのアイディアとは別のところにあるのです。醜い中年女であり、不幸を体現したようなジュリア、もともと精神のバランスをくずしかけていた彼女が、マックス・コロディとの出会いにおいて、さらに精神的に追いつめられてしまう過程が読みどころです。それをどこかユーモアを交えて描いたところに、この作品の真骨頂があります。ユーモアと悲哀の入り混じったラブストーリーの逸品と言えるでしょう。
 ちなみに、この作品はテレビドラマシリーズ『ヒッチコック劇場』で映像化されているそうです(詳しくは、geshicchiさんのサイト「海外ドラマ研究サイト HANDMADE」を参照ください)。この作品、昔の映像技術では、映像化は難しいと思われる要素があるのですが、どう処理しているのか気になります。ぜひ見てみたいものです。

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偶然は怖い  埋もれた短編発掘その13
 偶然というものは、どの程度まで人生を左右するものなのでしょうか? 本編の主人公は偶然を味方につけていました。ある女性に会うまでは…。今回は、偶然の恐ろしさを描いた奇妙な味の作品、ロバート・トゥーイ(本編の表記はトウイ)『階段は怖い』(東野満晴訳 早川書房 ミステリマガジン1969年4月号所収)です。
 
 ヘンリー・ラケット夫人はおそろしい音をたてて地下室の階段をころげ落ちていった。ラケット氏の耳には、それはちょうど階段をころげ落ちる塵芥入れの罐の音のように聞えた。

 衝撃的な一文で、物語は始まります。夫人が死んだにもかかわらず、ラケット氏は平然と警察に電話を入れます。やがて警察が到着し、夫人の遺体も運び去られた後、ひとり残ったのはダークスーツに身をつつんだ痩躯の男、チェンバーズ警部でした。チェンバーズは、不審の目を持ってラケット氏を眺めますが、その態度は理由のないことではありません。ラケット氏が妻を失うのは、これが初めてではないのです。今回死んだ夫人は四人目の妻でした。ラケット氏が妻殺しを繰り返していると考えているチェンバーズ警部ですが、その動機はつかみかねています。

 「しかし、金のためではない。むろん最初のときは-あのおかげであなたは金持ちになりました。けれどもあとのお三方はあなたになにも残していません。ええ、なにかの保険すらもね。それなのにあなたはなぜこんなことをするのです?」

 ラケット氏は、今までの妻の死は全て偶然だと主張します。最初の妻が崖から車ごと墜落して死んだのも、二番目の妻が三階の窓から墜落して死んだのも、三人目の妻が四人目と同じ地下室の階段から落ちたのも偶然であると。チェンバーズは、ラケット氏に面と向かって、あなたは殺人者だと指弾します。しかし、その最中にも、ふと恐怖にかられるのです。あなたは、まさかまたあの地下室をつかうつもりではないでしょうね? ラケット氏は平然と答えます。

 「二度あったことです。もう一度起こりえないとはだれが確信をもって-一片の疑念ももたずに-断言できるでしょう?」

 その場はおとなしく引き下がったチェンバーズでしたが、地方検事にラケット氏は連続殺人犯だと進言します。しかし逆に証拠がなければ捕らえることは不可能だと、たしなめられてしまいます。チェンバーズは、ラケットの動機はもしや自分に対する挑戦ではないかと考えます。
 数ヶ月後、下町でラケット氏と偶然出くわしたチェンバーズは、思いがけない話を聞かされます。なんと再び結婚したというのです。チェンバーズ警部は、新夫人を訪問し、ラケット氏の過去をぶちまけると脅しますが、ラケット氏は妻には全てを話してあると歯牙にもかけません。
 その晩、夕食の席でラケット氏は妻に言います。私の人生は信じがたい偶然に支配されている。おまえも死ぬかもしれないと。夫人は平気な顔をして、そんなことはナンセンスだと言い放ちます。
 そして二日後、ラケット氏の家を訪ねたチェンバーズは、夫人に迎えられます。夫人は、驚くべき事をチェンバーズに告げるのですが…。
 ラケット氏を襲った偶然とは? ラケット氏の言葉に対して平然とかまえる夫人の真意は? そしてチェンバーズは恐ろしい事実を知るのです。
 四度も事故で妻を亡くす。誰もがそれは殺人ではないかと疑うでしょう。しかし読者の疑念を裏切り、物語は驚愕の結末を迎えるのです。ミステリなどにおいては、作品中の偶然の使い方は難しいとよく言われます。それはあまりに偶然が過ぎると、物語が作者のご都合主義になってリアリティを失ってしまうからです。ところが、本作品は、それを逆手にとっています。不自然なほど偶然に支配された物語を作るとどうなるのか? 作者の意図は驚くべき成功をおさめているといえるでしょう。

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子供とお菓子  埋もれた短編発掘その12
 子供にお菓子をあげ続ける老夫妻、その目的は? 今回は幻想的なミステリ、チェット・ウィリアムスン『シーズン・パス』(羽田誌津子訳 早川書房 ミステリマガジン1986年4月号所収)を紹介します。
 遊園地「マジックランド」。ここに勤める保安係である「わたし」は、あるとき初老の夫婦に目を止めます。二人とも六十前後、とくに目を惹く特徴もありません。ところがある日、夫婦が少年にチョコレートキャンディをあげているのを見かけます。単なる親切だと考えた「わたし」ですが、夫婦の眼差しには何かを感じます。
 そして後日、再び「わたし」は、夫婦が少女にキャンディをあげているのを目撃します。数時間後、その少女が青ざめて医務室にすわっているのに出くわし、疑念を抱くのです。

 キャンディの中に何か入っていたのだろうか? 微量の猫いらず? 殺虫剤を吹きつけたのか? あるいは、この温厚そうな老人たちは、復讐を企む元小学校教師なのだろうか?

 そしてまたある日、医務室に連れられてきた兄弟を見て「わたし」は声をかけます。キャンディを食べ過ぎたんじゃないのかな、坊や? そこで「わたし」は思いがけないことを聞きます。具合が悪くなったのは、キャンディを食べた弟ではなく、食べなかった兄の方だというのです。 不審の念を拭えない「わたし」でしたが、老夫妻の名前はヤンガー夫妻であることを、切符係のピートから聞き出します。彼らはシーズン・パス-定期入場券を使って、ここに通いつめているというのです。そしてピートは意外な事実を話します。二十五年前から勤めているピートは、当時から夫妻を見かけていたということを。

 二十五年前だなんて。あの夫婦は、今六十前後に見える。しかし、ピートが最初に二人と出会った時に六十だったとすると、現在は八十五か九十、いやもっと上ということになるじゃないか。

 ヤンガー夫妻は、相変わらず子供たちにお菓子をあげ続けます。「わたし」は、夫妻を問いつめ、驚くべき彼らの行為を知ることになるのです…。
 夫妻があげ続けるお菓子には何か意味があるのでしょうか? 二十五年前から歳をとらないように見える彼らの秘密とは…。夫妻との接触は「わたし」の過去を再び蘇らせることにもなるのです。ミステリの体裁をとりながらも、徐々に物語は超自然的な要素を強めていきます。その幻想性はかなりのリアリティを持って迫ってくることでしょう。

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鋼鉄の肉体  埋もれた短編発掘その11
 思いこみというのは、どこまで人間を変えるものなのでしょうか? 燃える炭の上を火傷せず歩く行者のように、思い込みによる精神力は、ときに常識を越えた力を発揮します。しかし、この物語の主人公は、少し行き過ぎてしまったのです…。今回紹介するのは、エアンド・ビンダーの『アイアン・マン』(島田三蔵訳 早川書房 ミステリマガジン1979年4月号所収)です。
 ロボット工場に勤める、小柄でやせた男チャーリー・ベッカーは、ある日奇妙なことを言い出します。油をさしてもらってくるというのです。同僚は驚きます。ベッカーは冗談をいうような男ではなかったからです。給油係のピート・オズグッドのもとにやって来たベッカーは同じ言葉を繰り返します。機嫌の悪いオズグッドは、ベッカーの肩に油をたっぷりと浴びせかけます。しかし、ベッカーの反応は驚くべきものでした。

 「どうもありがとうございました」といって、ベッカーは腕をぐるぐるとまわしてみせた。「肩の関節はもう、ちゃんと動きます」

 家に帰ったベッカーは、自分はロボットのX八十八号であると名乗り、相変わらず同じ行為を続けます。冗談だと思っていた妻のローラでしたが、夫が油の罎を飲み干すに至って、事態の異常さに気付きます。ローラは夫を精神科医ジョン・グレイディのもとに連れてゆきます。
 グレイディがローラから聞き出した話によれば、ベッカーは九年間、ロボットの言語中枢を調整する仕事を担当していたということでした。装置が反応しない欠陥ロボットを処理するのに罪悪感を覚えたベッカーが、罪の意識からロボットになりきっているのだと考えたグレイディは、ベッカーの幻想を打ち砕くべく、様々な手段を試みます。まずグレイディは、論理的にベッカーは人間だと説得を試みますが、効果はありません。
 そこで、グレイディは、ロボットならその金庫を持ち上げられるはずだと、そばにある金庫を指し示します。それは大男三人がかりでも動かせないような、重いものでした。

 グレイディは、ベッカーがかがんで、短い脚のついた金庫の下のほうの手がかりに手をいれるのを、息をつめて見つめていた。人間ロボットはパイプの柄のような腕とか弱い背筋で、懸命に、金庫の一角を床から持ちあげた。

 驚いたグレイディでしたが、間髪を入れず次の試みにとりかかります。ロボットなら、この十階の窓から飛び降りても、膝関節のバネで損傷せずに着地できるだろう、とけしかけますが、ベッカーは平然とした顔をして窓を開けます。グレイディは、あわてて命令を撤回します。グレイディは、ひとまず治療をうち切り、時間をかけてベッカーを治してゆくことにしますが、ふと重大なことに気付くのです。ベッカーは、人間の食物を有害だとして、食事をとっていなかったのです!

 急いで、ベッカーをロボット幻想からひきずりださなければならない。時間はなかった。チャールズ・ベッカーはすでに四十八時間、飲食物をとっていないのだ。

 ベッカーが餓死する前に、グレイディは、彼の幻想を壊すことができるのでしょうか? この後さらにグレイディは、思いもよらぬ手段を繰り出すのですが、それは予期せぬ結末をもたらすことになるのです。
 自分をロボットだと思いこんだ男ベッカーを治療しようと、精神科医グレイディが次々と試みる手段がことごとく失敗してゆく過程は、実にサスペンスフルです。ベッカーの幻想は、常にグレイディの予想を上回るのです。人間の思い込みはどこまで肉体上の変化をもたらすのか、興味深い症例となるでしょう。

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予期せぬ逃亡  埋もれた短編発掘その10
 今回は、「ジェニイ」「ポセイドン・アドベンチャー」などで知られる作家ポール・ギャリコの珍しい短編『もの言わぬ人質』(古沢安二郎訳 早川書房 ミステリマガジン1980年2月号所収)です。
 二人の殺し屋ワイリー・リックマンとアート・ホーサーを載せた車は、砂漠の町に向かって走っています。二人は刑務所から脱走した後、殺人を繰り返していました。いまも人質にとった女とその双子の子供を殺してきたばかりだったのです。
 臆病者の太っちょホーサーに比べ、小男リックマンの冷酷さは際立っています。

 リックマンのほうはもっと御しがたかった。というのは彼は冷然と殺人を犯したのであり、もし必要とあれば、自分の命をのばすためなら、いくらでも人の命を犠牲にする覚悟ができていたからである。

 二人はある町に入ります。そしておあつらえ向きの家を見つけます。窓からは、鏡の前で顔を剃っている男、台所にはエプロンを付けた女、寝室には女の子が寝た子供用ベッド、赤ん坊のいるサークル・ベッドが見えます。

 リックマンのうすい唇が満足そうにゆがめられた。これは思いもかけなかった拾い物である。その赤ん坊を連れていったら、彼らは国境まで逃げのびることができるかもしれない。

 もう殺しはうんざりだと言うホーサーを無理やり従わせたリックマンは、ホーサーに子供たちをさらってこいと命令します。そしてリックマンは両親を始末するべく、家の中に入り込みます。銃を構え、動くなというリックマンの言葉に、家の中の人間は、おびえきったのかピクリとも動きません。そして、リックマンは躊躇いなく引き金を引きます。おびえたホーサーの言葉が響きますが、リックマンの耳にはその言葉は入りません。

 このときばかりはリックマンは自分の相棒に立ち向かわずに、すでにもう一度撃鉄を起こしたピストルを持って立ったまま、男のワイシャツの後ろの心臓のあるあたりに現れている丸い穴をぽかんとして眺めていた。ワイシャツの繊維は少し煙を出したが、男は弾の衝撃も、自分が死ぬはずだという事実も忘れているように、立ったままであった。

 体に穴を開けられても立ち続ける男の正体とは? この後、強盗たちはまったく予期せぬ結末を迎えるのです。タイトルの「もの言わぬ人質」たちの正体が明かされた後に起こる出来事には、読者も驚かされるはず。人情作家ギャリコにも似合わぬ冷酷な殺人者たちですが、彼らは、まさしく神の配剤とでもいうべき罰を受けます。残酷な悪党たちがのさばる話かと思った方も、ちゃんとハッピーエンドが待っていますので、ご安心を。

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プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』を2019年8月に刊行しました(完売しました)。
「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」、同人誌『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』を盛林堂書房さんで通信販売中です。



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