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奇跡と予感  ディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』
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 ディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』(関口英子訳 光文社古典新訳文庫)は、ブッツァーティの短篇を集めた傑作選。著者特有のブラックなお話も多いですが、優しいタッチの作品も混ざっています。原著は学生向きに編まれた作品集だそうで、それもあって、ソフトな感触の短編集に仕上がっている印象です。神や聖人を扱った作品が多いのも、意図的な編集なのでしょうか。
 読みやすい短篇が収められているのはもちろん、解説や年譜等も充実しており、ブッツァーティ入門としては最適な短篇集となっています。


「天地創造」
 全能の神のもとに、天使オドゥノムが携えてきたのは、ある惑星を創造するプロジェクトでした。惑星ならばもう沢山作ったという神に、天使たちは様々な生物のアイディアを示し、神はそれらを快く承認していきます。
しかし、一人だけ、高慢さで同僚たちにも疎まれている天使が示した案には承認をしかねていました。猿に似たその生物の名前は「人間」といいました…。
 人間の誕生を描く天地創造のファンタジーです。神にも渋られていた人間がなぜ誕生したのか、そもそもそれが良いことだったのか悪いことだったのか…? 風刺の効いた作品となっていますね。

「コロンブレ」
 船長である父親のもとに生まれ、海への憧れを持つようになった少年ステファノ・ロイ。しかし初めての船旅で、伝説の魚、恐ろしい鮫である「コロンブレ」を目撃します。父親によれば「コロンブレ」に目を付けられたら最後、相手を呑み込むまで、何年も付け狙われるというのです。
 二度と海には関わるなと忠告されたステファノでしたが、海への憧れは絶ちがたく、コロンブレへの不安を抱きながらも、積極的に海の仕事に関わっていくことになります…。
 恐ろしい怪物コロンブレを避け続けながら生きる男を描いた、寓話的な作品です。コロンブレの正体に気付いたときには、すでに人生は終わる寸前だった…という、「取り返しのつかなさ」感は強烈ですね。
 コロンブレは、餌食になる人間とその家族にしか見えない、という設定も意味深です。

「アインシュタインとの約束」
 プリンストンの街を散歩中のアインシュタイン博士は、見知らぬ黒人から声をかけられます。悪魔だと名乗る黒人は、彼の命をもらいに来たというのです。あと一か月あれば、研究が完成する、という博士の言葉を受けて、悪魔は博士に猶予を与えます。そして約束の期日が経ちますが…。
 「悪魔との契約」テーマの作品なのですが、二段階のオチが待ち構えています。悪魔は、なぜアインシュタインのもとを訪れたのか? 皮肉の効いたラストは見事ですね。

「戦の歌」
 王の軍隊は、勝利を重ね続け、山のような戦利品を手に入れていました。しかし兵士たちは、どこか悲し気な響きの歌を歌います。かってないほどの武運に恵まれ、悲しむ理由もないにも関わらず、兵士たちは歌を歌い続けます…。
 勝利に次ぐ勝利を重ねる軍隊の兵士たちが、それにもかかわらず悲しみの歌を歌い続ける、という物語。進軍に成功しながらも一方的に進むだけで、凱旋はすることがない…というあたりに、ブッツァーティ特有のテーマが見えますね。
 ブッツァーティ独特の「反戦小説」とも取れるでしょうか。

「七階」
 七階建てのその専門病院は独自のシステムを取り入れていました。入院患者たちは、病気の程度によって各階に振り分けられていたのです。最も軽症の患者は七階、症状が重くなるに従って下の階に行き、一階ともなると、ほぼ望みのない重症患者が収容されていました。
 最初は七階の病室に入れられたジュゼッペ・コルテは、病院の手続きや取り違えによって、次々と下の階に移されていきますが…。
 最初は軽症だった男が、ひょんなことから、重症患者が入るべき下の階に移されていってしまうという不条理味強めのブラック・ユーモア短篇です。下の階に移っていく過程で実際に体調が悪くなったり、別の症状が出たりしているようで、その意味では精神的な不安が身体に影響しているようです。
 主人公がかかっている病気(病院が専門としている病気でもありますが)が伏せられているのも、寓意的な要素を強くしていますね。
 システムや組織の「手違い」で人間が「抹殺」されてしまう…という非人間性を読み取ることもできますし、病気とは何なのか? 純粋に肉体的なものだといえるのか? といったテーマを読み取ることもできそうです。
 その不気味さと同時に、いろいろな解釈が可能な名作短篇ですね。

「聖人たち」
 生前は普通の農夫だったものの、数百年を経て評価が高まり、聖人となった聖ガンチッロは、聖人たちが住む海沿いの家にやってきます。捌ききれないほどの請願を受けている同僚たちを見て、自分も何かしたいと考えるガンチッロは、ささやかな奇跡を起こしていきますが、人々はそれらをガンチッロの奇跡として受け取ってくれません…。
 地味で実直な聖人が奇跡を起こしますが、なかなか認めてもらえない、という、微笑ましいファンタジー作品です。同僚の聖人マルコリーノと食卓を共にするシーンには味わいがありますね。
 聖人たちが住む場所の、海水や煙までが神の一部である、という描写には、汎神論的な思想が窺えて、日本人読者には親しみが持てるところでしょうか。

「グランドホテルの廊下」
 ホテルに宿泊していた「私」は、夜も更けてからトイレに行きたくなり、部屋の外に出ます。トイレに向かう途中でガウン姿の鬚の男と鉢合わせになりますが、目の前でトイレに入ることに気後れを感じた「私」はそのまま通り過ぎてしまいます。しかも鬚の男も同じような行動をしているらしいのです。
 部屋のドアの前の引っ込んだスペースに身を隠した「私」は再度トイレに向かいますが、またしても鬚の男と鉢合わせしてしまい、トイレに入れずじまいになってしまいます。二人は互いの行動をうかがっていましたが…。
 相手の目を気にしてトイレをやり過ごしてしまった二人の男が、互いの行動を牽制し合う…という、冗談の塊のような作品です。ただ、この感覚、読んでいて非常に共感できるもので、人間の日常感覚を上手く作品に落とし込んだ感じではありますね。結末の「やり過ぎ感」も楽しいです。

「神を見た犬」
 ティスの村でパン屋を営むデフェンデンテは、伯父から財産を相続する際、その条件として、貧しい者たちに毎日50キロのパンを施すことを義務づけられ、嫌々ながらそれに従っていました。ある日人間に混じってパンをくわえてゆく犬を見つけたデフェンデンテは後を追いかけますが、その行き先は村のはずれの廃墟で暮らす隠修士シルヴェストロのもとでした。
 彼と知り合いになったデフェンデンテは、その後、犬のガレオーネがパンをくわえていくのを黙認していましたが、シルヴェストロが亡くなった後はそれも惜しくなっていきます。人々は、主人が亡くなった後も村に現れ続けるガレオーネのことを、神を見た犬として、怖がり始めますが…。
 主人である隠修士亡き後、神を見た犬として恐れられるようになった犬をめぐる奇談です。もともとモラルに欠けていた町の人々が、犬の目を意識してその行状を改めていきます。犬が本当に超自然的な存在なのか、神の威光に触れたのかどうか、については、はっきりしないのですが、殺されたはずなのに蘇っているように見えるシーンもあるなど、神秘的なヴェールに包まれている部分があり、いろいろ考えさせる作品になっています。

「風船」
 オネートとセグレタリオ、二人の聖人は、地上ではだれひとり幸せでない、ということについて賭けを行います。オネートは、下界から貧しく幼い女の子の姿を見つけ出します。母親から風船を買ってもらった彼女の喜びは、まさしく幸せそのものでした。
 しかし、通りがかった三人組の若者たちは、その喜びをぶち壊してしまいます…。
 幼いがゆえの純粋な幸福感と、それに伴う絶望感を描いた作品です。風船を壊してしまう若者たちのタバコと、聖人が吸っているタバコが対比的に描かれているのも見事ですね。詩的な美しさのある作品です。

「護送大隊襲撃」
 三年間の収監から解放された山賊の頭プラネッタは、仲間たちがいるかっての砦を訪れます。様変わりしてしまっていたため、本人だと気付かれなかったプラネッタは、同房の囚人のふりをして話をしますが、自分がもはや彼らの頭ではないことを実感し、そこを去ります。
 一人で小屋に隠れ住むようになったプラネッタは、ある日現れた山賊志望の若者ピエトロを、まだ頭であるふりをして弟子とします。
 プラネッタはピエトロの手前、ほとんど誰も成功したことがない護送大隊を襲撃する計画を立てていることを話します。護送大隊には莫大な租税を運ぶために、武装した大人数の護衛がいるのです。ピエトロはプラネッタを止めようとしますが…。
 収監とそれによる体調の悪化から、その地位を追われてしまった山賊の元首領が、自らの意地をかけて護送大隊を襲撃しようとする物語です。
 無謀な計画であり、実際に失敗してしまうのですが、そこに現れたのはある「救い」だった…という、哀感あふれるお話になっています。結末の情景はまるで叙事詩のような美しさに溢れていますね。

「呪われた背広」
 とあるパーティで、見事なスーツを着ている男と知り合いになった「私」は、そのスーツがコルティチェッラという仕立屋の手になることを知ります。さっそく仕立屋を訪ね、スーツを作ったもらった「私」ですが、その見事な出来にも関わらず、妙な不快感を感じ、なかなか身につける気になりません。
 ようやく身につけた際に、右ポケットに手を入れると、そこには一万リラ札がありました。仕立屋の忘れ物かと思いきや、ポケットに手を入れる度に一万リラ札が出てくるのです。欲に囚われた「私」は、忙しなく紙幣を取り出しにかかりますが…。
 悪魔的な仕立屋が作った「呪われた背広」。際限なく金が引き出せるかのように見えますが、そこには邪悪な落とし穴が待っていた…という物語です。ろくなことにならないということが分かってからも、その誘惑には勝てない、という人間の愚かさが描かれており、風刺的な味わいも強いですね。

「一九八〇年の教訓」
 冷戦の最中、ソ連の最高指導者クルーリンが急死します。西側陣営がほっとしたのもつかの間、アメリカ大統領フレデリクソンも心筋梗塞で死去してしまいます。その後も要職に就いている人物が次々と死に見舞われます。
 どうやら人知を超えた力によって、地球上で権力者と見なされた人物は殺されているようなのです。命が惜しくなった人々は、進んで地位を投げ出すようになります…。
 権力者たちが命惜しさに地位を投げ出すようになり、その結果、平和がもたらされる…という風刺的なアイディア・ストーリーです。ふてぶてしく権力者の地位に居座るド・ゴールが、それにも関わらず相手にされていない、という部分はブラック・ユーモアたっぷりですね。

「秘密兵器」
 アメリカとソ連の対立は頂点に達し、ついにソ連はアメリカに向けて大量のミサイルを発射します。その直後、アメリカもソ連に向けてミサイルを発射します。世界の終わりを覚悟した人々は、ミサイルが白い煙のみを吐き出すのを見て安堵しますが、それは究極の「秘密兵器」でした…。
 究極の「秘密兵器」の効果とは…? 互いに開発していた、冷戦を終わらせるための兵器が、結局は双方の立場を入れ替えるものに過ぎず、冷戦の構造は全く変わらなかった、という作品です。

「小さな暴君」
 ジョルジュ少年は甘やかされた結果、小さな暴君といえる存在になっていました。おもちゃを買い与えても、ろくに見向きもせず、見せびらかしたいがためにそれらを集めていました。ジョルジュが出かけた際、少年の祖父は彼のトラックのおもちゃを触り壊してしまいます。
 ジョルジュがおもちゃの破損にいつ気がつくか、家族は戦々恐々と見守っていましたが…。
 わがままでつむじ曲がりの少年のおもちゃを祖父が壊してしまい、戦々恐々とするという物語。ドメスティックなテーマですが、どこか共感を覚える読者もいるのでは。

「天国からの脱落」
 神のもとで永遠の幸福を約束された聖人たち。しかし、ふと下界の光景をのぞき見た聖エルモジェネは羨望の念に囚われます。そこには、夢と希望にあふれた若者たちが集う姿が見えていたのです。
 永遠の幸福を捨ててでも、地上でやり直したいと、エルモジェネは神に懇願することになりますが…。
 神に祝福された聖人が、若者たちの夢と希望を羨望し、地上で生活をやり直そうとする、という物語です。変化のない永遠の幸福よりも、失敗する危険があろうとも夢や希望を追い続けたい、というポジティブなお話になっています。

「わずらわしい男」
 レモラと名乗る男が、勤務中のフェニスティのもとに面会に訪れます。聞いたこともないリモンタなる男の紹介で訪れたというレモラは、延々と自分の窮状を訴えます。あまりのわずらわしさに、フェニスティは、紙幣を渡してレモラを追い返すことになりますが…。
 その「わずらわしさ」によって、人々からお金を巻き上げる詐欺師の物語、と思いきや、後半では事態はエスカレートしていきます。教会で同じ事を繰り返し、なんと神や聖人さえ彼を嫌がって逃げ出してしまうのです。ブラック・ユーモアたっぷりのファンタジー短篇です。

「病院というところ」
 血だらけの彼女を抱きかかえた「僕」は、裏の門から病院の敷地内に入り助けを求めます。しかし、看護士は書類がなければ受け入れられないと突っぱねます。現れた医師もまた、入ってきた門について文句を言い始めますが…。
 人の命がかかった状態でありながら、病院の入り方や受付など、独自のルールを言い立てて、状況を全く考慮しない医療関係者たちを描いた作品です。形は違えど、現実社会にもあり得る事態をデフォルメして描かれたと思しいですね。

「驕らぬ心」
 都会の一角、廃車になったトラックで告解を始めたチェレスティーノ修道士のもとに、まだ若い司祭が告解に訪れます。彼は自分が「司祭さま」と呼ばれることに喜びを感じ、それが高慢の罪に当たるのではないかと心配していました。チェレスティーノは快く若者を赦します。
 数年後再び訪れた若者は、今度は「司教さま」と呼ばれることに罪を感じているというのです…。
 高慢の罪の告解に訪れた若い司祭が、訪れる度に地位がどんどん上がっていく…という物語。ささやかな「高慢」に罪を感じる若者の純真さに修道士は苦笑いしますが、その純真さゆえに、彼が評価されていくようになった、ということでもありましょうか。

「クリスマスの物語」
 クリスマスの夜、神と共に過ごす大司教のために、司教館を整えていた秘書のドン・ヴァレンティーノ。みすぼらしい男が現れて、その場所に感嘆します。自分にも少し神を分けてくださいという男に、大司教さまから神を奪おうというのか、とドン・ヴァレンティーノは怒りますが、
 その瞬間、建物の中から神が消えてなくなってしまいます。大司教のために、神を分けてもらおうと、外に出たドン・ヴァレンティーノでしたが…。
 大司教のための「神」を無くしてしまった秘書が、それを探し回る…というファンタジー作品。この作品に登場する「神」は、神の威光を帯びた空気のような存在として描かれています。善人のそばに発生するようなのですが、我欲や吝嗇といった気持ちを抱くと消えてしまいます。
 「神」を求めていく先々で、どんどんと「神」が失われていってしまう、というあたり、ファンタジーではありながら、シビアな雰囲気がありますね。本当に大事なものとは何なのか? という寓話的なメッセージも込められているようです。

「マジシャン」
 作家の「私」は、家に帰る途中で、知り合いのスキアッシ教授に出会います。彼の素性ははっきりせず、マジシャンだと噂する者もいました。近況を訊かれた「私」は、疲れもあり、自信なさげに応答しますが、スキアッシは、現代において作家という職業は本当に必要なのかと、議論をふっかけてきます…。
 現代における作家とその役割について、冷徹に語るスキアッシと、その言葉に滅入ってしまう作家の「私」の対話が描かれる作品です。
 スキアッシの言葉の妥当性にはうなずきながらも「私」が自らの作家としての使命感と意味に目覚める後半の展開には爽快感がありますね。
 ブッツァーティの作家としての矜持も窺えるようで、その意味でも興味深い作品です。

「戦艦《死(トート)》」
 第二次大戦時、フーゴ・レグルス海軍少佐は「作戦第9000号」と題された秘密作戦が存在し、部下だったウンターマイヤーを始めとした多くの人間がそのプロジェクトに駆り出されていくのを目にしていました。しかし極秘のその作戦の内容は全く知らされず、戦後に至っても、その内容は明かされていませんでした。
 レグルスはその作戦を調べていきますが、そのうちにそれは巨大な戦艦の建造計画だったのではないかと考えるようになります。折しも、行方不明だったウンターマイヤーが発見されます。
 ウンターマイヤーは自殺未遂をし、死を迎える前の短い間に、戦艦フリードリヒ二世号のその後のことを断片的に語ります。終戦時にすでに完成していた戦艦は、投降することを良しとせず、そのまま運行を続けていたというのですが…。
 その存在が秘匿されて続けていた、謎の巨大戦艦。終戦後も動き続けていた彼らは、いったい何と戦っていたのか? 一部の軍人の狂気から発した行動かと思いきや、実際に「敵」が現れ戦いを始める戦艦の姿に驚愕します。「敵」の正体は亡霊なのか、それとも異次元の存在なのか…。
 神秘的な雰囲気に包まれた、戦争奇談です。

「この世の終わり」
 ある朝、とてつもなく巨大な握りこぶしが町の上空に現れます。それが神による世界の終わりだと考えた人々は、あわてて告解をして救われようと、若い司祭を取り囲みますが…。
 世界の終わりに直面した人々のエゴイズムを描いた作品です。それが本当に世界の終わりなのか、司祭に告解をしたところで救われるのか、全く分からない状態ながら、極限状況で何かにすがろうとする人間たちの心理が描かれており、迫力がありますね。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

ささやかな不安  ディーノ・ブッツァーティ『七人の使者・神を見た犬 他十三篇』
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 ディーノ・ブッツァーティ『七人の使者・神を見た犬 他十三篇』(脇功訳 岩波文庫)は、原著短篇集『六〇物語』(1958年)から15篇を精選した作品集です。ブッツァーティの代表作が集められており、彼の作品を概観するには便利な短篇集になっています。
 「七人の使者」「七階」「なにかが起こった」などに代表されるように、突然起きる不条理な状況から人間の不安が抉り出される、というのがブッツァーティ固有の作風なのですが、その一方「大護送隊襲撃」「マント」「竜退治」など、感傷的な要素が強い物語もあります。共通するのは、人間存在の悲哀、といったところでしょうか。物語は取り返しのつかない状況や悲劇を迎えることが多いのですが、そこには奇妙なユーモアがあって、「陰鬱な話」にはならないのもブッツァーティ作品の美点ですね。

「七人の使者」
 父の治める王国を踏査しようと、国境を目指して旅に出た「私」。国と連絡を取れるよう、七人の伝令役を連れた「私」は順番に彼らを送り出します。かし数年の月日が経っても国境は見えてきません。使者が戻ってくる間隔も段々と長くなっていきますが…。
 国境調査の旅に出た王子が、いつまで経っても国境に辿り着けない…という象徴的・寓意的な作品です。使者たちが戻ってくる間隔がどんどんと長くなり、数年、やがては生命のある間に戻ってこれない可能性もあるなど、その時間的スケールが、一人の人間の人生を超えてしまうのです。
 「私」が目的地にたどり着けない可能性を考えながらも、希望を失わないところには、不条理でありながらも、奇妙な明るさがありますね。

「大護送隊襲撃」
 三年間の囚人生活を終えた山賊の首領ガスパーレ・プラネッタは様変わりしており、かっての仲間たちのもとに戻るものの、首領本人であるとは認めてもらえません。山賊たちはすでにアンドレアを次の首領としていました。
 一人暮らしを始めたプラネッタは、山賊に憧れる青年ピエトロと一緒に暮らし始めますが、彼の手前、大護送隊を襲撃することを宣言します。大量の租税を運び、それゆえ大人数の護衛が付く大護送隊襲撃には誰も成功したことがないのです。ピエトロは止めますが、プラネッタは本気だと話します…。
 囚人生活で山賊の首領からすべりおちてしまった男が、到底不可能な大護送隊襲撃を計画する…という物語。実際、悲劇的な結末を迎えることになるのですが、そこには「救い」があります。ある意味でハッピーエンド作品ともいえましょうか。

「七階」
 列車に乗って、七階建ての専門病院を訪れたジュゼッペ・コルテ。彼が入院することになったその病院には独自の仕組みがありました。症状の重さにしたがって、それぞれの階に患者が振り分けられるというのです。七階が最も症状の軽い者、下の階に行くにしたがって症状は重くなり、一階はもはや見込みのない者が収容されているといいます。
 最も病状の軽い者が行く七階に落ち着いたコルテは、病院の手違いで、次々と下の階に移されていくことになりますが…。
 軽症であったはずの男が、病院の手違いから次々と重症患者が入るはずの階に移されていってしまう、という不条理極まりないブラック・ユーモア短篇です。
 下の階に行くにしたがって、実際の症状も悪くなっているようで、実際にこのまま行くと死が待っているのではないか…と予測させる展開は非常に怖いです。
 窓のブラインドがゆっくりとおりていく…という結末の描写は非常に象徴的でインパクトがありますね。

「それでも戸を叩く」
 夜遅く、グロン一家の住む屋敷を訪ねてきた、知り合いの青年マッシゲール。彼が言うには雨で堤防が崩れ、この屋敷から避難しないと危ないというのです。しかしグロン夫人を始め、屋敷の人々は意に介そうとしません…。
 危機的な状況を耳にしながらも、一向に動こうとしない家族を描く作品です。家族の中でもグロン夫人は日常を脅かす事態を認識したくないようで、このあたり、寓意的な持たせられているようですね。
 直接物語の展開には関与しないのですが、序盤で登場する、貴重な古代の像を気に入らないという理由で捨ててしまうというエピソードは、グロン夫人の性格を示すうえでも面白いところですね。

「マント」
 二年ぶりに戦争から家に帰ってきた青年ジョヴァンニは、母親の哀願にも関わらず、すぐにまた出立しないといけないと話します。外に連れを待たせているというのです。しかも彼はずっとマントで体を覆い、それを脱ごうとしません…。
 青年がマントを脱ごうとしないのは何故なのか? 彼が待たせている男は何者なのか? 怪談的なシチュエーションを扱った幻想短篇です。

「竜退治」
 谷あいに竜が住んでおり、地元の者が山羊を供えていると聞いたジェロル伯爵は、その竜を狩ろうと、友人たちを連れて出かけます。実際に竜を見つけた伯爵はそれを殺そうとしますが…。
 実在の生物として竜が登場する作品です。楽しみで竜を残酷にいたぶる伯爵に対して、それまで一緒に楽しんでいた友人たちも領民たちも、竜に同情を感じるようになっていきます。痛々しさがあり、後味が悪という「嫌な話」ではありますね。

「水滴」
 ある日突然、その水滴は、自然法則を無視して階段を昇ってくるようになりますが…。
 階段を逆に昇ってくる水滴が描かれるだけのお話なのですが、それに対しての人々の不安もが描かれるという異色の作品です。水滴が何かの「寓意」とか「象徴」なのではと考えるあたり、メタフィクショナルな香りもしますね。

「神を見た犬」
 パン屋のデフェンデンテは、叔父の遺産相続の条件として大量のパンを毎日貧しい人に配らなければならないことになっていました。パンを持ち去る野良犬を見つけたサポーリが後を付けると、その犬は老隠者にパンを運んでいたことが分かります。隠者が亡くなった後も犬が町をうろついているのが目撃されますが…。
 隠者と一緒にいたことから、神から霊妙な力を授かったと信じられている犬が、人々から恐れられることになるという作品です。
 実際に犬に超自然的な力があったのかどうかは別として、人々がそう信じ込むことによって、ある種の倫理的規範が広がる…というところが面白いですね。

「なにかが起こった」
 北に向かう列車の中から、外で人々が慌てて南へ逃げ出していく様を目撃した「私」。しかし彼らが何に慌てているのかは全く分かりません…。
 列車の窓越しになにかが起こり、人々が逃げまどう様を目撃しながらも、それが皆目分からず、しかもその原因となっているであろう方向にどんどん進んでいく…という、人間の不安を凝縮したような作品です。途中で新聞の切れはしを入手するも、それも断片で何が何だか分からない…というのも不安を煽りますね。
 ブッツァーティ作品の本質を示すような短篇で、彼の代表作といってもいい作品だと思います。

「山崩れ」
 大きな山崩れが起こったと編集長から知らされ、記事執筆のためにゴーロの町を訪れた記者のジョヴァンニ。しかし現地ではそんな災難は起こっていないと聞かされます。少年からもっと上の村サンテルモではないかという話を耳にしたジョヴァンニはそちらに向かいますが…。
 山崩れを取材に訪れた記者の男がその事実を確認できず、うろつき回ることになる…という作品です。噂だけが拡大されて広まってしまう、という人間社会を諷刺した作品であるともいえるのでしょうか。
実 際には災難などなかった、という形に落ち着きながらも、それが実際に起こるかもしれない…という不安を煽るようなラストも不気味です。

「円盤が舞い下りた」
 教会の屋根に止まった円盤から降りて来た異星人と会話を交わすことになった司祭ドン・ピエトロ。十字架の意味が分からないという彼らに、ドン・ピエトロは神について語ります。しかし、彼らはそもそも禁断の木の実に手を出さなかったというのです…
 異星人の目から、神を信じている人間の態度を諷刺するという作品です。信仰している神や人間の態度が、第三者からは馬鹿げて見えてしまう…というところがシニカルですね。「原罪」を背負わなかった異星人に対し、人間は卑しくても、神に言葉をかけようともしない異星人よりましだ…と述懐する司祭の様子は、論理が破綻してはいるものの、ある種の人間らしさを示しているようです。
 宗教というものに対してのブッツァーティの考え方の一端を見るようで興味深いですね。

「道路開通式」
 首都と、孤立した場所にある町サン・ピエロとを結ぶ八十キロの新しい道路が開通し、その開通式が行われます。式典に参加した内務大臣モルティメール伯爵は、他の者と共に開通祝賀の旅に参加しますが、最後のニ十キロが石ころ道のままだったため、無理にその道を進むことになります。
 馬車も進めなくなり、徒歩になっても進もうとしますが、一人また一人と脱落していきます…。
 いつまで経ってもたどり着けない町を描いた、ブッツァーティお得意のテーマで描かれた作品です。この作品では道路が開通しきっていないことや、徒歩ではあまりに時間がかかる…ということから、飽くまで物理的な困難が描かれているのですが、そのうちに目的の町自体は本当に実在するのかどうか? という疑問までもが出てくることになります。
死を覚悟してまで進み続ける伯爵の姿が描かれる結末には、ある種の感動までもが感じられますね。

「急行列車」
 急行列車に登場していた「私」は列車のスピードが遅くなっていることに気付きます。数十分の遅れで着いた駅では恋人とも会えず、次の駅には数か月、更にその次には数年の遅れまでもが出ていることが発覚しますが…。
 急行列車であるはずの列車がどんどんと遅れ、最大数年までもの遅れが出てしまう、という作品です。数十分程度であきらめて帰ってしまう恋人に比べ、数年間も待ち続ける母親が描かれるあたりに、著者の母親への深い愛情が現れているとも取れるでしょうか。
 終着点に辿り着くことができるのか…という不安に満ちたラストも著者らしい味わいですね。

「聖者たち」
 生前は百姓で、長い時をかけて評価の高まってきた、地味な聖人ガンチッロ。何か仕事をしなければという思いに駆られた彼は、ささやかな奇跡をいくつか起こしますが、誰も彼の仕業だとは気づいてくれません…。
 天上で暮らす地味な聖者の日常が描かれるという、微笑ましいファンタジー作品です。
 聖者が主人公であるだけに、ブラックな結末にならないところも好感触です。聖者の身の回りのものがみな「神」である…という汎神論的な描写が見られるところも面白いですね。

「自動車のペスト」
 排気ガスを通じて感染し、感染するとエンジンが気管支炎みたいな音を立て、接続部分が瘤のように腫れ上がる、塗装面がかさぶたに覆われるなどの症状がある自動車のペストが流行り出していました。病気が発覚した車は回収され、焼かれてしまうのです。
 フィナモーレ侯爵夫人のお抱え運転手である「私」は、運転する黒いロールスロイスを愛していましたが、車に病気の兆候が出始めたことに気付いていました…。
 車に病気(ペスト)が発生する世界を描いた作品です。愛車に病気の兆候を発見した語り手が、何とかそれを治そうとするものの、悲劇的な結末を迎えてしまいます。
 他の作品でもそうですが、人間以外の生物や無生物に対する同情的な視点が現れていて、ブッツァーティの「優しさ」が感じられる作品ともなっています。



テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

生き物さまざま  ディーノ・ブッツァーティ『動物奇譚集』
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 ディーノ・ブッツァーティ『動物奇譚集』(長野徹訳 東宣出版)は、著者の没後、1991年に刊行された原著作品集『動物譚』より短篇36篇が訳出された作品集です。
 全て、動物をテーマにした作品となっています。書かれた年代は様々で、1930年代から晩年の1970年代初頭まで、長期間にわたっています。年代順に作品が配置されていて、奇しくもブッツァーティの作家的な軌跡を見ることもできる作品集なのですが、最初から最後まで作風がほとんど変わっていないところに驚きます。というよりも、最初から作風が完成されているというべきなのでしょうか。

 ホテルの解体により、そこに住み着いていたネズミたちが追われてしまうという「ホテルの解体」、仲間を求めて孤独に生き続ける怪物を描く「ひとりぼっちの海蛇」、かって閉じ込めてしまった犬の死に様を精霊から聞かされるという「いつもの場所で」、軍艦内での小さなゴキブリの果てしない挑戦を描く「驚くべき生き物」、船上で可愛がられていた犬が自分の扱いの変化に戸惑う「船上の犬の不安」、スイスの科学者によって蠅が全滅間際に追い詰められるという「蠅」、人間に反感を持つ鷲がその生涯を振り返る「鷲」、犬に飼われる夢を見た警官の物語「警官の夢」、死後もその骨から長期間にわたって良質な出汁を出し続ける豚の物語「豚」、殺虫剤が効かず、人間の言葉を話す蠅を描いた「しぶとい蠅」、共産主義にかぶれた犬を描く諷刺的な「進歩的な犬」、舞台の才能を持つ者を見抜き、光り出す猫の物語「興行師の秘密」、愛犬を殺された男が神にも等しい力を発揮するという「憎しみの力」、ネズミに残酷な実験を続ける科学者を描く「実験」、前世が犬だった男と、犬たちとの関係を描いた「出世主義者」、皇帝庭園の警備を任ぜられた兵士が上司たちの違反に戸惑うことになる「衛士の場合」、奇怪な魚と三人の魔女たちの物語「海の魔女」、その写真がチーズの売り上げに貢献したことからモデル料を自らつりあげるメスのネズミを描く「恐るべきルチエッタ」、死を間近に迎えた犬が永遠の救いを求める「犬霊」、巨大な塔の建設を決意した石工が、鳥たちの助けを借りて建設を進めるという「塔の建設」などを面白く読みました。

 全体的に悲劇的な結末をたどる動物たちが多いのですが、その一方、ユーモラスな姿を見せたり、したたかな姿を見せる動物も登場していますね。共産主義にかぶれた犬が東側に行ってしまうものの、結局しおれて帰ってくる「進歩的な犬」や、自分の価値を知ってどんどんと報酬を釣り上げるネズミの登場する「恐るべきルチエッタ」などでは、そのしたたかさが描かれています。

 ブッツァーティは愛犬家だったらしく、それもあるのでしょうが、動物の中でも犬の登場する率が高くなっています。かといって、犬が幸福になる話が多いかと言えばその逆、というところもシニカルですね。屋敷に閉じ込めら得てしまった犬がじわじわと衰弱していく様を描いた「いつもの場所で」、死を間近に迎えた犬が永遠の救いを求めるも、その願いはかなわないという「犬霊」など、かなり救いのない物語もあります。

 集中でも、妙な幸福感のある不思議な物語が「豚」です。戦争の過酷だった1944年、ナーネ・ファメガの農場で飼われていた豚ボンペーオは、その素晴らしい肉で人々を喜ばせます。八年後、ナーネのもとを再訪した「私」は、ボンペーオの残した骨がいまだ良質な出汁を出し続け、周囲の家庭に貸し出されていることを知ります…。
 死後も、何年にもわたって、その骨から良質な出汁を出し続ける豚の物語で、豚当人は食べられてしまっているのに、死後も周囲の人々に幸せを与え続けている…という奇妙な幸福感のある物語になっています。

 寓話的な「塔の建設」も面白いですね。若い石工のアントニオ・シッタは、町の塔を見て、自分一人で塔を立ててやろうと思いつきます。レンガを焼き始めるものの、一人ではなかなか進みません。そこへ鳥たちが次々とレンガを持ち寄り、作業が進むことになりますが、レンガ工や労働組合の人間たちはアントニオの作業の邪魔をします。夜に夜行性の鳥の助けを借りたうえで、長期間の作業を経て塔は完成しますが、検査委員会の委員長は規則違反だとして、塔を壊すと言い出します…。
 鳥たちの助けを借り塔を建設する…という流れもファンタスティックなのですが、完成した塔を壊されまいとして、アントニオが守りに入る後半も思いもかけない展開で驚かされますね。

 物事の結末がつかず、不安な状態のまま終わる…というブッツァーティのお得意のパターンの作品ももちろんありますが、ポジティブな形であれネガティブな形であれ(大体ネガティブですが…)、明確に「結末」のつくお話が多くなっている印象です。
 その意味で、他のブッツァーティ作品集を読んでいると、逆に新鮮な側面を味わえるのではないかと思います。


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本と人生  ファビオ・スタッシ『読書セラピスト』
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 イタリアの作家ファビオ・スタッシの長篇『読書セラピスト』(橋本勝雄訳 東京創元社)は、職を失い、読書セラピストを開業した男性が、ある女性の失踪事件に巻き込まれるという、文芸味あふれるミステリ作品です。

 パートナーと別れ、職も失った元国語教師のヴィンチェ・コルソは、ローマのメルラーナ通りにアパートを借り、そこで読書セラピストを開業することにします。クライアントは定期的に訪れますが、彼らを満足させることはなかなかできず、苦闘の日々を送っていました。
 ある日、階下に住む老齢の女性イザベッラ・パロディ夫人が失踪し、その夫には殺人犯の容疑がかかることになります。
 読書家だったパロディ夫人が、近所にある書店から借りていた本のリストを、書店主のエミリアーノから入手したヴィンチェは、夫人の失踪の謎について調べることになりますが…。

 パートナーも職も失ってしまった男性ヴィンチェが、その趣味を生かし、読書セラピストを開業するという物語です。クライアントの悩みを聞き、それに合った本を薦めるというのが読書セラピーなのですが、その仕事はなかなか上手く行きません。
 訪れるクライアントは、人生において現実的な悩みを抱えており、本質的に本を読むことによってそれが解決する、ということはほとんどないのです。完全に否定されてしまうこともあれば、軽蔑混じりに話だけを聞いてもらえることもある、という始末。
 しかし、現実的に解決の方法がないと考えているクライアントに、慰安としての本を薦めたりと、ある種成功といえるセラピーも体験するようになっていきます。

 ヴィンチェによって引用されるのは、ヘミングウェイ、ポール・オースター、ウォルター・テヴィス、ボルヘス、ホーソーン、ロマン・ガリ、小川糸など、メジャーな作家から日本ではあまり知られていない作家まで様々。人の悩みに本で対応しようとするヴィンチェの談義は読んでいて楽しいのですが、紹介している最中に、その本が暗い結末を迎えることや作者の最期が悲惨なことに気づいてハッとするシーンなどもあり、そこには、ある種の哀感とユーモアが入り混じっています。

 物語中、メインとなるのは、パロディ夫人の失踪事件なのですが、この事件に対して主人公ヴィンチェが重大な関わりを持っていたり切迫した事情があるわけではありません。飽くまで個人的な関心を持って、事件を調べ始めるという形なので、失踪事件の調査については、すぐに進展せず、物語全体を通して少しづつ進んでいく、という感じになっています。
 この事件の調査と同時に、別のクライアントたちとの読書セラピーのエピソードが挟まれていきます。帯の文句にあるような「ミステリ」的な興味が終始あるわけではなく、どちらかと言うと「人生の謎」を追い求めていく、というような物語になっています。実際、ヴィンチェがセラピーで出会う人間たちとも一度きりの出会いであり、彼らのその後が描かれることもありません。
 まさに「人生の一断面を切り取る」といった感じであり、その意味でパロディ夫人の事件も、個人的な興味の強さがあるとはいえ、ヴィンチェにとってはセラピーの一つでしかないのです。

 夫人の事件に関わりを持つのは、同じく「失踪」のモチーフを持つホーソーンの短篇「ウェイクフィールド」で、事件の真相が明かされたときには、その文学的類似にも関心させられますね。
 クライアントたちの人生、パロディ夫人の人生、そしてヴィンチェ自身の人生…。様々な人間模様が文学作品と共にイメージ豊かに描かれていくという、文芸味豊かなミステリです。本好きの読者には、大変楽しめる作品ではないでしょうか。



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一途な恋  メラニア・G・マッツッコ『ダックスフントと女王さま』
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 イタリアの作家メラニア・G・マッツッコ(1966~)の長篇『ダックスフントと女王さま』(栗原俊秀訳 未知谷)は、密輸されてきたアフガン・ハウンド犬と彼女に恋するようになったダックスフント犬の、恋の模様をリリカルに描いた動物小説です。

 大学生の青年ユーリと共に、アパートの一室で暮らすオスのダックスフントのプラトーネ。哲学を学ぶユーリの話をずっと聞いていたプラトーネは、物知りの犬となっていました。ある日、恋した少女アダを追いかけてユーリが船旅に出かけてしまったことから、プラトーネは管理人に預けられることになり寂しい思いをしていました。
 アパートの地下室では、希少な動物を密輸しているタトゥーの男が、運んできた動物たちを閉じ込めていました。猿や亀、ヘビなどと共に運ばれてきたアフガン・ハウンドのメスは、その美しさから「女王」と呼ばれていました。
 劣悪な環境で次々と死んでしまう動物たちがいる中で、「女王」はプラトーネと知り合い、彼の話を聞いているうちに心を開いていくことになりますが…。

 純真なダックスフント、プラトーネと、囚われの身となったアフガン・ハウンドの「女王」との触れ合いを童話的な雰囲気のうちに描く動物小説です。主人公プラトーネの名前の由来はもちろん哲人プラトン。哲学を学ぶ主人と一緒にいたために、哲学や物語を身につけた、という設定です。
 気位が高い「女王」が、プラトーネの献身と「お話」によって、彼に親愛の情を抱くようになっていきますが、それはあくまで「友情」レベルであって「愛情」にまでは至りません。彼女に恋するプラトーネが落胆しているうちに、二人は引き裂かれてしまうことになります。二人(二匹)は再会して結ばれることができるのか? というのがお話の肝となっています。

 二匹の犬を始め、動物たちがメインとなった物語なのですが、物語自体が、推移を見守る緑のオウムによって語られるという趣向になっています。そもそも、地下室の動物たちについてプラトーネに知らせるのもこのオウムで、語り手としてだけでなく、閉じ込められた女王とプラトーネの橋渡し役になったりと、積極的に事態に介入しようとするという点で、非常にキャラクター性の強い語り手となっています。
 犬たち以外に、重要なキャラとして登場するのが、ヒョウモンガメのスィニョーラ・レオ。長寿で知恵者、包容力に優れたキャラクターです。他の動物たちと共に密輸犯にさらわれてきてしまうのですが、動物たちの相談役を務めたりもします。作中で命を落としてしまうことになるのですが、その「死後」も魂となって動物たちを見守るという、超自然性の強いキャラとなっていますね。

 主人公プラトーネの性格は純粋そのもので「女王」への思いは最初から最後まで変わることはありません。それに対して女王は、他の犬へ目移りしたりと、その気持ちは常時揺れ動いています。読んでいてプラトーネを応援したくなってしまうのですが、主人公のパートより、女王の遍歴のパートの方が物語に動きがあり、面白いのですよね。
 密輸犯であり「悪人」であるタトゥーの男、そして彼の飼い犬たちも、「女王」との関わりの中である種の成長を遂げるなど、登場人物たちが単純な悪役になっていないところも素晴らしいです。

 プラトーネが語る「お話」や「歌」の描写も良いですね。特に、犬の神アヌビスについての話や、宇宙に行った犬について歌った「ライカのバラード」は魅力的です。また、プラトーネ自身もその誠実さ・純真さを含めて、愛すべきキャラクターとなっています。

 監禁された動物たちの生死や運命、二匹の犬の恋の行方など、残酷さも含んだお話なのですが、全体に童話的というか、リリカルな味わいが強くなっているのもユニークなところです。動物小説の傑作の一つといえるのでは。


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がっかりする物語  セルジョ・トーファノ『ぼくのがっかりした話』

ぼくのがっかりした話 (シリーズ再生の文学) 新書 – 2021/9/13


 イタリアの作家セルジョ・トーファノ(1886年~1973年)の『ぼくのがっかりした話』(橋本 勝雄訳 英明企画編集)は、落第続きの少年が家庭教師の導きでお伽の国を探検し、失望を繰り返すことになる…という脱力系のフェアリー・テールです。

 落第続きのベンヴェヌート少年は家庭教師を付けられますが、その出来の悪さから、家庭教師たちは次々に辞めてしまいます。13番目の家庭教師パルミーロ・メッザネッラは、勉強代わりにおとぎ話を語り、ベンヴェヌートや周囲の子どもたちを魅了します。
 パルミーロがおとぎ話ばかりしていたことに激怒したベンヴェヌートの父親は彼を解雇しようとしますが、パルミーロはベンヴェヌートに自分の話すおとぎ話や魔法は事実だと断言します。彼が持っていた、一歩で七リーグ進むことができる魔法の靴を履いたベンヴェヌートは、一瞬でひとけのない野原に来ていました。
 ベンヴェヌートは、おとぎの国や有名な物語の登場人物たちと次々と出会うことになりますが、そこにあるのは「がっかり」するものばかりでした…。

 家庭教師の魔法の靴を盗み出した少年が、様々なおとぎ話の住人に出会うことになりますが、それらが思い描いていたものと全く異なることに「がっかり」を繰り返す…という脱力系のフェアリー・テールとなっています。
 冒険や魔法に憧れるベンヴェヌート少年が、様々なおとぎの国を訪れ、有名なおとぎ話の登場人物たちに出会うことになります。しかしそこにはろくな「魔法」も「英雄」も存在しなかったのです。
 例えば、人食いの夫婦が菜食主義者で子どもたちを幸せにしようとする善人になっていたり、眠れる森の美女が不眠症になっていたり、善人となったオオカミが主婦となった赤ずきんの家で手伝いとして働いていたり、アラジンが経済的に落ちぶれていたりと、夢と冒険を求めていたベンヴェヌートの期待を裏切るような出来事ばかりに遭遇します。やがては、おとぎ話の世界に対して嫌悪感まで抱くようになってしまいます。
 一方、家庭教師のパルミーロは、最初から最後まで、おとぎ話と夢の世界に生きている人物で、ベンヴェヌートをそうした世界に誘おうとするのですが、彼に対してもベンヴェヌートは怒りを向けることになります。

 現実世界で落第を繰り返す少年が、おとぎ話と魔法の国で冒険をして帰還する…という、形だけ見れば王道のファンタジーなのですが、そのおとぎの国も失望だらけの「がっかり」続き、少年が成長することもない、という皮肉なお話になっています。


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迷宮世界  パオラ・カプリオーロ『エウラリア 鏡の迷宮』

エウラリア 鏡の迷宮 単行本 – 1993/6/1


 『エウラリア 鏡の迷宮』(村松 真理子訳 白水社)は、イタリアの作家パオラ・カプリオーロの手になる、硬質な味わいの幻想小説集です。

「エウラリア 鏡の迷宮」
 馬車で旅する旅芝居の一座のもとに働かせてほしいとやってきた百姓の娘。貴婦人役の「私」は同情から、娘を小間使いとして雇うことにします。数年後、馬車が焼けてしまったことから一座の解散を意図する「私」でしたが、若い男性の楽手は、どこからか黒い馬たちに引かれた巨大な馬車を持ち帰ります。馬車の中は広く、豪華に整えられた部屋がいくつもありました。天蓋つきの寝台のある部屋に巨大な鏡を見つけた娘は、その鏡に魅了され、毎日のように閉じこもって鏡を見つめるようになります。
 彼女によれば、鏡の中には非常に美しい若者が見えるというのです。そのうちに鏡の中には、若者よりも美しいのではないかと思える娘が現れます。若者に恋していた娘は失望しますが、やがて娘は、鏡の中の娘と似た姿になっていきます。美しくなった娘は「大女優エウラリア」として評判を呼ぶことになりますが…。
 どこからか現れた馬車の部屋内の鏡、そこに映る男女を眺めていくうちに、自らも「変身」していく娘の人生を語った幻想小説です。鏡の中の娘が乗り移ったのか、それとも同化してしまったのか、後半では「大女優」となった主人公エウラリアが不思議な城を建造したりと、さらに摩訶不思議な展開となっていきます。
 鏡テーマの幻想小説なのですが、その世界観がなんとも魅力的です。鏡、影、分身、美青年、悪魔、城など、これでもかとばかりに幻想的なガジェットが散りばめられた作品になっています。ぼかしたような結末にも味わいがありますね。

「石の女」
 洞窟の近くの天幕で、禁欲的な生活を送る老人。彼は石を刻む聖なる芸術を信奉し、弟子のムールと共に暮らしていました。地上の世界に栄光を求めてはならないという教えを守っていたムールでしたが、ある日窓から見かけた女の美しい腕に魅了された彼は、女の像を作り始めます。師とも決裂してしまったムールは、女の像に精魂を込め始めるようになりますが…。
 天上の芸術を目指す師の教えを破り、地上の女の魅力に囚われてしまった弟子が、しかしながら師の警告通り、裏切られてしまう、という作品です。「石」を使う芸術家を主人公にしてあることもあるのでしょうが、芸術の理念が硬質な描写で語られるという芸術家小説となっています。

「巨人」
 監獄に、妻と息子と共に赴任してきた「私」。快活で美しい妻のアデーレの様子が段々とおかしくなり始めます。囚人の一人が引くヴァイオリンに合わせて、アデーレはピアノを弾いているらしいのですが、彼女はそれに取り憑かれたようになっていきます。やがてアデーレは憔悴していきますが…。
 監獄でヴァイオリンを弾き続ける謎の男と、その奏でる音楽に取り憑かれてしまったかのような人妻を描く幻想作品です。ヴァイオリンを弾く男は囚人であるため、人妻アデーレとは顔を合わせたことさえないのです。あくまで流れる音楽そのものによって、魂を削られてしまうという、謎めいた作品です。

「ルイーザへの手紙」
 何らかの罪で監獄に収監された囚人の男。彼はヴァイオリンを弾く芸術家肌の男で、かって恋人だったらしきルイーザなる人物へ手紙を送り続けます。そこには、監獄に赴任してきた男の妻の音楽的な素養について書かれていました…。
 「巨人」で登場したヴァイオリンを弾く囚人の側から描かれた作品です。「巨人」では男の正体が全く明かされないため不気味さが強烈だったのですが、こちらの「ルイーザへの手紙」では、多少サイコパス気味な男が描かれます。
 ただ何の罪で囚われているのか、男の職業や仕事は何だったのか、ルイーザとはどんな関係だったのか、などの具体的な情報は相変わらず明かされません。男が狷介で高慢な男であるようなのは、描写からも示されていますね。蜘蛛をとらえて自分の作った小さい迷宮にそれを入れる、というのも意味深です。
 囚人の男と人妻の音楽が最終的に「調和」して、二人の破滅をもたらすのですが、それが意味するとことも含めて、非常に象徴性の高い作品となっています。


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知られざる幻想作品  橋本勝雄編編訳『19世紀イタリア怪奇幻想短篇集』

19世紀イタリア怪奇幻想短篇集 (光文社古典新訳文庫) 文庫 – 2021/1/13


 橋本勝雄編訳『19世紀イタリア怪奇幻想短篇集』(光文社古典新訳文庫)は、19世紀イタリアの知られざる怪奇幻想小説を集めたアンソロジーです。
 20世紀以降の作品と比べ、19世紀の怪奇幻想作品は本国イタリアでもなかなか再評価が進まなかったそうです。確かに日本ではあまり名前も聞かれない作家が集められており、その意味でも貴重なアンソロジーになっています。
 特に国や時代のカラーを出すことを狙ったわけではなく、作品の多様性を優先して選んだとのことで、バラエティ豊かなアンソロジーとなっています。

イジーノ・ウーゴ・タルケッティ「木苺のなかの魂」
 猟に出かけた若い男爵Bは、喉の渇きを癒すためそばに生えていた木苺を食べますが、その途端、自分の中に自分ではない、女性のような感覚が芽生えるのを覚えます。出会った領地の人々は、別人のような対応をする男爵に驚きますが…。
 殺された娘の霊が木苺を通して憑依するという物語。憑依といっても、自分自身の感覚はそのままで別の人間の感覚を二重写しで経験するという、実のところ憑依とは少し異なる現象が描かれます。しかも取り憑いた人格は女性のようで、普段は見向きもしない対象に対して美や魅力を感じるなど、その感覚や感性に驚く主人公の困惑を描く部分が面白いですね。

ヴィットリオ・ピーカ「ファ・ゴア・ニの幽霊」
 アルベルトは、魔術の心得のある友人パオロに対して、富と美女が欲しいとぼやいたところ、不思議な提案を受けます。願いを叶える代わりに、日本のある新郎の命を奪うことになるがそれでもいいか、と。
 願いを叶えてほしいと頼んだアルベルトは、その日本人ファ・ゴア・ニの死の瞬間を見せられます。直後に、アルベルトは亡くなった親戚から遺産を相続し、美しい娘を嫁にもらい受けます。しかし深夜になると、彼のせいで死んだファ・ゴア・ニの幽霊が彼の前に出現するようになります…。
 見知らぬ人物の命の代わりに富を手に入れた男が、殺された男の幽霊にまとわりつかれるという物語です。その幽霊が、たびたび現れて恨めしさを語るなど、恐怖感よりも、霊の人間くささが目立つ作品になっています。
 霊によれば、死んだ後に動物に生まれ変わって、恋人の女性オ・ディアキラのそばにいようとするものの、彼女は新しい恋人を作ってしまい、それに対して復讐の念を抱いているというのです。後半では、主人公よりも幽霊の男の方が存在感を増してくるという、面白いゴースト・ストーリーになっています。
 見知らぬ他人の命の代わりに富を手に入れる、というモチーフも興味深いです。おそらくこれは、当時ヨーロッパで広く知られた「マンダリン(中国の大官)を殺す」というモチーフで描かれた作品かと思います。
 邦訳があるものでは、エッサ・デ・ケイロース「大官を殺せ」(弥永史郎訳『縛り首の丘』白水Uブックス 収録)も同じモチーフの作品ですね。

レミージョ・ゼーナ「死後の告解」
 神父の「わたし」は、呼び鈴が鳴った直後に、部屋にいるはずの医者の兄クラウディオが外に立っているのを目撃し、ふと後をついていくことになります。たどり着いた建物の中では女性の遺体が寝かされていました…。
 告解を受けるために死者の女性が蘇るという奇跡譚です。どこか夢幻的な雰囲気の中で展開される作品です。

アッリーゴ・ボイト「黒のビショップ」
 その勤勉な働きにより雇い主から莫大な遺産を相続したという黒人の資産家アンクル・トム。彼の弟はジャマイカで反乱軍を率いているガル・ラックという男だといいます。
 アメリカに住む元英国貴族サー・ジョージ・アンダーセンは、トムにチェスの勝負を申し込みます。黒の側を選んだトムは、手持ちの駒のビショップに執着しているようでした。勝負は、チェスの達人であるアンダーセンの圧倒的な優位のままに進んでいきますが…。
 白人と黒人の男がチェスで争うという物語なのですが、その戦いは熾烈を極め、何やら幻視的な光景まで立ち現れるという、迫力のある作品になっています。チェスの白と黒、白人と黒人、そしてビショップの駒が重要なモチーフとして使われるなど、象徴的な要素が強い作品ともなっています。

カルロ・ドッスィ「魔術師」
 周囲の人物から「魔術師」と呼ばれる男マルティーノは、死への恐怖に取り憑かれていました。彼の技術や知識も、その恐怖を押さえつけるためのものでした…。
 死への恐怖に取り憑かれた男を描いた作品です。結末も鮮やかですね。

カミッロ・ボイト「クリスマスの夜」
 愛する双子の姉と姪を亡くした男ジョルジョは、クリスマスの夜に姉とそっくりなお針子の女を見かけ、声をかけることになりますが…。
 愛していた家族を次々と失った男が、町で見かけた女に、姉の面影を見ることになる…という物語です。一方的に姉の面影を見出すものの、実のところ、女は蓮っ葉な性格で、姉とは似ても似つきません。その差異に絶望した男が瞬間的に狂暴になるシーンは狂気を感じさせて強烈です。
 男の目には幻想が見えている、という意味での幻想小説でしょうか。結末で描かれる男の最後も、幸せだったのかそうでないのか…、読者によって見方の変わる作品かと思います。

ルイージ・カプアーナ「夢遊病の一症例」
 警察本部に勤めるヴァン・スペンゲルは、机の上に書いた覚えのない事件の報告書があるのを見つけます。家政婦によれば、彼が夜中に自分で書いていたものだというのです。そこにはまだ起こっていない事件のことが詳細に描かれていました。
 やがてロスタンテイン=グルニイ侯爵夫人と令嬢、その使用人が殺されたという事件が発覚しますが、その事件が報告書に書かれていたものとそっくりなのを知り、ヴァン・スペンゲルは驚きます…。
 夢遊病にかかった男が、未来の強盗殺人を幻視する、という幻想小説です。この作品の夢遊病はオカルト的な症状として描かれ、予知能力や狂気と結びつけて語られているのが特徴です。未来予知を参考に事件を解決するものの、主人公は狂気に陥ってしまうという結末もちょっと怖いですね。

イッポリト・ニエーヴォ「未来世紀に関する哲学的物語 西暦2222年、世界の終末前夜まで」
 魔術的な実験によって「わたし」が呼び出した未来の人間による手記。そこには三世紀にわたる世界の歴史が記されていました…。
 手記に記された未来の歴史を語るという未来小説です。未来の人間が過去の歴史を記したものを、過去の人間が未来の記録として読むという、面白い趣向となっています。作品が描かれたのと近い時代の部分は、かなり政治的な要素が濃いですが、
 後半、人造人間的な存在「オムンコロ」が登場してからはSF的な感興が強くなります。
 架空の国際政治史が描かれていく部分でも、宗教が強い力を持って登場するところは、19世紀に書かれた古典的作品ならではでしょうか。

ヴィットリオ・インブリアーニ「三匹のカタツムリ」
 宝石で出来た庭を持つ王は、そこを任せた人間が皆自分を裏切るのを嘆いていました。ドン・ペッピーノが嘘をつかない正直者との評判を聞いた王は、彼を庭番に任命します。
 いじめられていた動物たちを助けたドン・ペッピーノは、実は妖精であった彼らから不思議な力を授かります。王がドン・ペッピーノを讃えるのに腹を立てた、王の妻、弟、息子たちは、ドン・ペッピーノが王を裏切って嘘をつくことに対して、王に賭けを持ち掛けますが…。
 かなりエロティックな要素も濃い、艶笑譚的な作品です。富にも権力にも動じない男が、性の誘惑には勝てない…というところは寓話としても面白いところですね。宝石でできているという花や果実、真珠母と銀で出来たカタツムリなど、幻想的な庭の造形も魅力的です。


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超現実の世界  ロベルト・ピウミーニ『逃げてゆく水平線』

逃げてゆく水平線 (はじめて出逢う世界のおはなし イタリア編) (日本語) 単行本 – 2014/12/10


 イタリアの作家ロベルト・ピウミーニの『逃げてゆく水平線』(長野徹訳 東宣出版)は、奇想天外なアイディアと破天荒なストーリー展開が魅力のファンタスティックな童話集です。
 25篇を収録しています。少し長めのお話もありますが、だいたいはショート・ショートといってよい短めのお話になっています。

 中では、建物の奥に進むごとに相対する人間が小さくなっていくという「建物の中に入っていった若者」、国の人間が決闘を繰り返し人口が激減してしまう「ナバラの決闘」、沈黙を競う大会を描いた「沈黙大会」、自由を制限された天才料理人が料理を使って脱出しようとする「囚われの料理人」、境界線に執着する税官吏の物語「税関吏の物語」、事故を防ぐため悪魔の無理難題に答え続ける男を描いた「パトリシュスと悪魔ラクソー」、三十頭の馬を手に入れた老人が次々と馬を手放すことになるという「ジュッファの馬」、互いに攻守を入れ替えて戦い続ける二つの軍の物語「トルボレーズ包囲戦」、感謝を強要される記念日に従わなかった罪で死刑を宣告された男を描く「感謝日」、不老不死の力を持つトウモロコシに執着する男の物語「トウモロコシの中の老人」、帽子だけでなく、頭の中身まで取り替えてしまう帽子屋を描く「帽子と頭」、皇帝を歓迎するためのフレスコ画を無理やり描かせられることになった画家の復讐を描く「フランソワ・マジックのフレスコ画」、世界を旅する五つの感覚がリンゴをめぐって争い、ひとつになるという「五人とリンゴ」、水平線が逃げてゆくようになった由来を語る物語「逃げてゆく水平線」などが面白いですね。

 アイディアがユニークなのはもちろん、次にどうなるか分からないストーリー展開が魅力の作品集になっています。例えば「建物の中に入っていった若者」。若者が建物の奥に進むにつれて相対する人間がだんだん小さくなっていくのですが、最後に出会った人間に対して若者が起こす行動はあまりにシュール。
 「沈黙大会」では、世界中から沈黙を競うために人々がやってきます。それぞれの沈黙の中には固有の雑音が混じっており、その雑音がより小さいものが勝つというのです。高感度の電子装置によって、その沈黙が計られていく、という<奇妙な味>の物語です。
 集中でも強烈なインパクトがあるのが「トウモロコシの中の老人」。ある日トウモロコシの上に置いておいた古いジャガイモが新鮮さを保っているのに気づいた年老いた農夫は、トウモロコシにスミレを植えてみます。一向にスミレが枯れないのに気づいた農夫は、今度は死にかけた犬をトウモロコシに埋めてみます。何年も犬が元気なのを見てとった農夫は、自らも永遠に生きようと考えます。納屋に洞穴をこしらえた納付は、トウモロコシと共に閉じこもることになりますが…。
 不老不死を実現するトウモロコシを見つけた老人が、それによって永遠に生きようとする物語なのですが、閉じこもった後の展開がぶっ飛んでいて驚かされます。シュールな結末もユニークですね。

 無生物を擬人化するのは童話にはよくありますが、ピウミーニ、擬人化する対象も風変わりです。視覚や聴覚を擬人化した「五人とリンゴ」や水平線を擬人化した「逃げてゆく水平線」など、こんなものが!という対象が擬人化され、思いもかけない物語が展開します。
 「五人とリンゴ」では、五人の感覚たちが統合された経緯がキリスト教的な起源神話として語られたり、「逃げてゆく水平線」では水平線が人々から離れていくことになった理由が、まるでエッシャーの絵のような情景を伴って語られていきます。
 同じイタリアの童話作家ジャンニ・ロダーリもそうですが、ピウミーニの想像力もすごいですね。訳者解説でも、やはり二人の作家が比較して語られています。ファンタスティックでシュールな短篇集を読んでみたい方にはお勧めの作品集です。


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プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド 増補版』『奇妙な味の物語ブックガイド』『海外怪奇幻想小説ブックガイド1・2』『謎の物語ブックガイド』『海外ファンタジー小説ブックガイド1・2』を刊行。「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」も作成しました。



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