たくさんのふしぎ  ディーノ・ブッツァーティ『モレル谷の奇蹟』
4309206735モレル谷の奇蹟
ディーノ ブッツァーティ Dino Buzzati
河出書房新社 2015-04-15

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 代表的な作品が岩波文庫に入るなど、日本でも再評価の進むイタリアの異色作家ディーノ・ブッツァーティ。イラストレーターでもあった彼の画風は、『シチリアを征服したクマ王国の物語』(天沢退二郎、増山暁子訳)で窺うことができます
 そんなブッツァーティの遺作となった作品が『モレル谷の奇蹟』(中山エツコ訳 河出書房新社)です。「聖女リータの奇蹟に感謝して捧げられた奉納画」というコンセプトで作られた画文集になっています。

 大枠として、ブッツァーティ自身が、父親の遺品のなかにノートを見つけたことから物語は始まります。そのノートには、聖女リータが起こした奇跡について記されていました。興味を持ったブッツァーティは、聖女リータの祠を探し出し、番人である老人から、聖女の奇跡の物語を聞きだします。老人の話と、目にした奉納画を元に描かれたのが『モレル谷の奇蹟』という趣向です。

 各ページごとに奇跡の現場を描いたイラストと、その事件についての文章が記されます。文章は簡潔で、ジャーナリスティックなタッチで描かれます。事件が真実かどうかの当否については記さず、あくまで淡々と事実(とされること)が述べられるのがミソ。
 各々の事件は、基本的には人間の願いに応えて聖女が起こした奇跡がメインになります。人間にとりついた悪魔を追い払ったとか、怪物を撃退したというオーソドックスなものから、狩ったサイの首に裁判にかけられる貴族の話とか、円盤が襲来した話などの、奇想天外なものまで、時代や事件もさまざまに描かれます。

 イラストの画風もさまざまで、素朴な奉納画風と思いきや、ポップアート風だったり、デフォルメの効いたものだったりと、いろいろな絵が楽しめます。
 なかには、ブッツァーティ作品として有名な「コロンブレ」も現れ、彼のファンにとってはうれしいところです。(添付している画像の一つがコロンブレです)

 文章が短く簡潔なので、物語が展開される前にエピソードが終わってしまうのですが、読者の想像力を刺激するという意味では、これはこれでありなのかもしれません。
 読んでいて思い出したのが、クリス・ヴァン・オールズバーグ『ハリス・バーディックの謎』(村上春樹訳 河出書房新社)という絵本。この作品も絵に対して、一言だけの文章が添えられているだけで、読者が物語を想像する…という趣向の作品です。ついでにこの作品もオススメしておきましょう。
 あくまで事実を淡々と記すという形をとりながら、明らかなホラを混ぜてくるあたり、ブッツァーティのユーモアがチャーミングに現れた作品だと思います。

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眩惑のミステリ  パオロ・マウレンシグ『狂った旋律』
4794208634狂った旋律
Paolo Maurensig
草思社 1998-12

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 オークションで、17世紀に作られたバイオリンの名器を手に入れた語り手の前に、小説家を名乗る男が現れます。彼はヴァイオリンを譲ってくれないかと申し出ます。理由を尋ねる語り手に対し、小説家はそのバイオリンの元の持ち主の数奇な生涯を語り始めます…。
 こんな魅力的なプロローグで始まるのが、イタリアの作家、パオロ・マウレンシグの『狂った旋律』(大久保昭男訳 草思社)です。語りの中に語りがあり、さらにその中に語りがあるという重層的な構造。真実はいったいどうなっているのか? 読者はそんな疑問にとらわれつつ、物語を読み進めることになります。
 小説家が酒場で出会った、うらぶれた男。しかし彼の弾くバイオリンは超一流でした。イエネー・ヴァルガと名乗る男は、自分の生涯を話し始めます。ハンガリーの片田舎に生まれたヴァルガは、私生児として母親に育てられました。父親が残していったバイオリンに触れるようになったヴァルガは、才能をめきめきと現します。やがて名門の音楽学校に入学を許されたヴァルガは、そこで親友となるクーノと出会います。貴族の子弟であるクーノの屋敷に招かれたヴァルガでしたが、やがて二人の間に軋轢が生まれ始めます…。
 貧しい家に生まれながら、音楽の才能によりその環境から抜け出す主人公。閉鎖的な学校での行き詰まるような生活。身分違いの友との軋轢。そして、音楽に情熱を燃やし続ける少年の前に近付く戦争の足跡。
 単純に、少年の成長物語として読んでも、充分に面白い作品です。ことに、友情を誓い合ったヴァルガとクーノが、やがて袂を分かつことになるまでの、心理的な描写は読みごたえがあります。そしてクーノの父親の屋敷でヴァルガが出会う希望と幻滅。
 結末に至って、物語はその様相を変えてきます。ヴァルガ少年の生涯を語り終える前に、ヴァルガは行方をくらましてしまいます。やがて明かされる意外な事実により、ヴァルガという男は本当に存在したのかさえもが曖昧になってくるのです。そしてバイオリンを手に入れた語り手もまた、ヴァルガと関わりのある人間だということが明かされます…。
 結末でそれまでの物語が反転してしまうという重層的な語り。目眩を起こさせる、不思議な味わいの音楽ミステリです。

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喜劇と悲劇  ディーノ・ブッツァーティ『シチリアを征服したクマ王国の物語』
4834023524シチリアを征服したクマ王国の物語 (福音館文庫 S 54) (福音館文庫 S 54)
天沢 退二郎 増山 暁子
福音館書店 2008-05-14

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 短篇の名手である、イタリアの幻想作家ディーノ・ブッツァーティの『シチリアを征服したクマ王国の物語』(天沢退二郎・増山暁子訳 福音館文庫)は、児童文学に属する作品ですが、大人の鑑賞にも耐える優れた作品といえます。
 あらすじはつぎのようなもの。山に住んでいた「クマ」たちは、食料に飢え、人間たちの国に攻め込もうと考えます。王であるレオンツィオも、過去にさらわれた王子を探すいい機会だと考えて、その案に同意します。
 最初は苦戦を強いられていた「クマ」たちですが、巨漢のバッボーネの活躍により勝利を収めます。魔術師デ・アンブロジイースの力を借りたレオンツィオは、シチリアを征服し、息子を奪還することに成功します。
 新たな王国を打ち立てた「クマ」たちでしたが、やがて富や快楽に惑わされた「クマ」たちは堕落してしまいます…。
 タイトルからもわかるように、主人公は「クマ」たち。児童ものによくある、擬人化された動物ファンタジーか、と思われるでしょうが、侮ってはいけません。この作品のすごいところは、登場人物たちの「クマ」が「血と肉」を持って描かれているところです。ファンタジーゆえ「魔法」が登場したり、登場人物が生き返る、といったシーンももちろんあるのですが、大多数の場面においては、「クマ」たちは生身の生物として描かれます。

 けれど、槍や弓矢、銛などふりかざすクマが、
 鉄砲だの小銃だの、大砲だの長砲だのと戦って、何ができる?
 弾丸は前のようにふり、血は雪をまっ赤にそめる。
 こんなにたくさん死者が出て、だれがお墓をほるのだろう?


 人間と戦ったり、怪物と戦ったりする「クマ」たちは、都合良く勝利を収めるわけではありません。戦いのたびごとに、多数の犠牲が出るのです。そのあたりをぼかさずに描くあたり、ブッツァーティの作家としての良心が見えるようです。
 ユーモラスで奇想天外なお話の魅力もさることながら、この作品のもう一つの魅力は、作者自身による挿絵でしょう。画家でもあったブッツァーティの手になるユーモラスな絵は、とても魅力的。シンプルながら、細かいところまで描きこまれた挿絵は、見ていて飽きさせません。合戦のシーンを描いた挿絵などでは、部分部分が、物語を忠実に再現するように描かれているあたり、とても手が込んでいます。
 自らの王国を手に入れた「クマ」たちは、やがて堕落していってしまいます。飽くまで正義と公正さを愛する王レオンツィオの願いも空しく、物語は悲劇的な結末を迎えます。単なるお伽話の枠を超え、真摯なメッセージをも感じさせてくれます。
 長らく絶版だったこの作品、今年になって文庫として再刊されています。短篇小説だけではない、またひと味違ったブッツァーティの魅力が味わえる作品ですので、この機会にぜひ。
シンプソン氏の秘密道具  プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』
4334751660天使の蝶 (光文社古典新訳文庫 Aフ 5-1)
関口 英子
光文社 2008-09-09

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 イタリアの作家プリーモ・レーヴィ。彼の短編集『天使の蝶』(関口英子訳 光文社古典新訳文庫) には、シニカルかつブラック・ユーモアに満ちたSF的な短篇が収められています。
 収録作品に共通するのは、風変わりな「機械」や「発明品」が登場するところ。空想的な「機械」や「発明品」の使用によって、ストーリーもまた風変わりな方向に進んでいくところに、レーヴィの短篇の面白さがあります。そして、多くの作品において「機械」を持って現れるのは「シンプソン氏」という人物。彼が狂言回しとして活躍します。
 ある意味『ドラえもん』の「秘密道具」に似たようなタッチの作品といってもいいでしょうか。

 『ビテュニアの検閲制度』 ビテュニアでは、検閲の需要が大幅に増えた結果、人員が足らなくなっていました。最初に検討されたのは機械化でしたが、手違いで逮捕・処刑される人間が出る始末。最終的に採用された方法とは、なんと「家畜」を使用するものでした…。
 効率を優先する結果が行き着く先とは…。皮肉な視線で描かれる寓話的作品です。
 
 『詩歌作成機』 注文をこなしきれなくなった詩人は、NATCA社のシンプソン氏にある機械を依頼します。それは「詩歌作成機」。あらゆるジャンルの詩や散文を自動的に作成する機械でした…。
 創造的な「詩」とは対極にあるはずの機械。自らのアイデンティティをあっさり捨てる詩人の姿が、皮肉をもって描かれています。作中に登場する「詩」は、それぞれユーモアたっぷり。

 『天使の蝶』 レーブ教授の持論は、人間はその能力の全てを開花させていない、というものでした。もし人間に人為的な操作を加えて「成体」にさせることができれば、それは「天使」と呼ぶにふさわしい存在であるはずだ、というのです。教授は持論を証明すべく、人体実験を始めますが…。
 皮肉まじりながらも、ユーモアの色濃い本作品集の中にあって、もっとも暗鬱なトーンで描かれた作品です。なにやらナチスを思わせる実験が登場しますが、それらがすべて伝聞の形で提示されるところに、特色があります。

 『低コストの秩序』 シンプソン氏が持ってきたのは《ミメーシン》と呼ばれる複写機でした。それは表面だけでなく、奥行きまで再現する、つまり完全な複製を作る機械だったのです。シンプソン氏の制止にもかかわらず、「わたし」は、ダイヤモンドを複製し、ついには昆虫の複製にとりかかりますが…。
 倫理観の強いシンプソン氏に対して、好奇心から様々なものを複製してしまう「わたし」が対比的に描かれます。

 『人間の友』 サナダムシを構成する細胞に規則的な配置が発見されます。アッシリア学者ロスアードは、そこにメッセージが現れていると主張し、いくつもの詩句を再現していきます。そこには、個々に異なった詩文が記されていたのです…。
 「サナダムシの詩」が登場する、ユーモアにあふれた物語です。愛について語った詩や、なんと寄生主と寄生虫の関係について語った詩なども登場します。

 『《ミメーシン》の使用例』 いささかモラルに欠けた「わたし」の友人ジルベルトは、複製機《ミメーシン》を使い、妻のエンマを複製してしまいます。最初は、仲良く過ごしていたものの、やがて二人のエンマは異なった性格を見せはじめます…。
 『低コストの秩序』の続編的な作品です。もとは同じ人間でも、複製された人間は、まったく同じ人間ではない…というテーマの作品。もっとも、結末はかなり脳天気ではあります。

 『転換剤』 「転換剤」、それは「痛み」が「快感」に変わるという驚異的な薬でした。しかし、それを投与した動物はみな痛みを求めた結果、死んでしまうのです。発明者のクレーバーは、とうとう自らの体にも「転換剤」を投与してしまいます…。
 「痛み」は、人間の生存に必要不可欠なものである…というテーゼを、説得力豊かに描いています。軽いタッチで描かれているものの、かなり深いテーマの作品です。

 『ケンタウロス論』 「僕」の馬小屋には「ケンタウロス」がいました。気が荒いという父親の言葉とは裏腹に、知性豊かな「ケンタウロス」に「僕」は尊敬の念を抱いていました。ある日「僕」の幼なじみであるテレザを見た「ケンタウロス」は彼女に恋してしまいます。しかし「僕」とテレザの逢い引きを目撃した「ケンタウロス」は姿を消してしまうのです…。
 「ケンタウロス」を、空想上の生物としてではなく、実在の生物として描いているところがユニークです。人間の男と馬との間に生まれた生物として描かれているのです。逆に「ケンタウロス」のメスは、人間の女と馬との間に生まれるものであり、顔が馬で体が人間、という設定が妙にリアリティを持っています。奇妙な生物学的ファンタジー。
 
 『完全雇用』 シンプソン氏は、昆虫とのコミュニケーションに成功します。ミツバチやトンボに仕事をさせることに成功したのです。やがてその対象はアリや蠅にまで広がっていきますが…。
 ミツバチを手始めとして、さまざまな昆虫とのコミュニケーションを試みるシンプソン氏の目論みは…? エスカレートしてゆく事態が楽しい、スラップスティック・コメディ。作品中にも言及されますが、フォン・フリッシュの「ミツバチの言語」に触発されたと思しい作品です。 

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聖人たちの天国  ディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』
433475127X神を見た犬
ブッツァーティ 関口 英子
光文社 2007-04-12

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 先日の記事でも紹介した、ディーノ・ブッツァーティの短編集『神を見た犬』(関口英子訳 光文社古典新訳文庫)が刊行されました。全22編中、嬉しいことに、本邦初訳が10編も含まれていました。短編集が、軒並み絶版ということもあり、既訳の作品も含めて、現在手に入るブッツァーティの邦訳としては、望みうる最上のものといっていいでしょう。
 先日の記事で紹介した作品もいくつか含まれているので、今回はそれ以外の作品から、ご紹介します。

 『天地創造』 全能の神のもとに、一人の天使がたずさえてきたのは、ある惑星のプロジェクト。その星には「生命」と呼ばれる存在を植え付けようというのです。天使たちは争って、さまざまな動物のデザインを持ち込みます。神は快くそれらを承認していきますが、ひとりだけ、皆から疎まれている天使の案だけには承認をしかねていました。見るだけで嫌悪感を抱かせるその動物の名前は「人間」…。
 神や天使たちから疎まれる「人間」という、皮肉の利いたファンタジーです。

 『アインシュタインとの約束』 ある日、アインシュタイン博士は、プリンストンの街を散歩中に突然霊感に囚われます。その直後、彼は、黒人から声をかけられます。悪魔だと名乗る黒人は、彼の命をもらいにきたと語ります。アインシュタインは、研究を完成するために、あと一か月だけの猶予をくれと懇願します。そして一か月がたちますが…。
 典型的な「悪魔との契約」テーマの作品ですが、考えオチというべき、皮肉の利いたラストが見事。

 『聖人たち』 聖人たちはみな、海岸沿いに、ひとり一軒ずつの居心地のよい家をあてがわれていました。新しく聖人に列せられると、またひとつ家が建てられるのです。やってきたばかりの聖ガンチッロは、世間を驚かせるようなことをしたこともない、地味な聖人でした。日々、同僚のもとに寄せられる嘆願書の山を見て、焦燥感に囚われたガンチッロは、自分も何かせねばなるまいと、ささやかな奇跡を起こすのですが…。
 悪気のない聖人が起こした奇跡は、あまり評判を呼びません。失望した彼のもとにやってきたのは…。落ち着いた雰囲気の中で語られる、心温まるファンタジー。しみじみとした結末が余韻を残します。

 『風船』 二人の聖人、オネートとセグレタリオは、地上ではだれひとり幸せでない、ということについて、賭けをします。オネートは、さっそく下界から貧しく幼い女の子の姿を見つけだします。母親から風船を買ってもらった彼女の喜びは、まさしく幸せそのものに違いない。しかし、その場を通りかかった三人組の若者は、それをぶち壊してしまいます…。
 こちらは『聖人たち』とは対照的に、人間の残酷さを描く作品。

 『呪われた背広』 とあるパーティで、ある男の着ている、非の打ち所のない背広に目を奪われた「私」は、その背広がコルティチェッラという仕立屋の手になることを知ります。さっそく仕立屋をたずねて、背広を作ってもらった「私」は、その見事さに感心しながらも、言い様のない不快感を覚えます。ふと背広の右ポケットに手を入れると、そこには一万リラ札が。しかもポケットに手を入れるたびに、一万リラ札は出てくるのです。欲にとらわれた「私」は、せわしなく紙幣を取り出しにかかりますが…。
 悪魔的な仕立屋が作った「魔法」の背広。際限なく金が引き出せるかのように見えたものの、意外な落とし穴が…。人間の欲には限りがない、という風刺的な短編。

 『一九八〇年の教訓』 冷戦のただなか、ソ連の最高指導者クルーリンが急死します。西側がほっとしたのもつかの間、今度はアメリカ大統領フレデリクソンが心筋梗塞と思しき発作で世を去ります。その後も、要職にあると思われる人物が死に見舞われます。ようやく人々は、人智を超えた力が、地球上の最高権力者たちを葬っていることに気づきます。命が惜しくなった要人たちは、こぞって地位を投げ出すようになりますが…。
 フレドリック・ブラウンを思わせるアイディア短編。新聞記事風に綴られた文章が、効果を上げています。ふてぶてしく生き続けるド・ゴールの描写が、ときおり挟まれ、おかしさを誘います。

 『秘密兵器』 アメリカとソ連の対立は頂点に達し、ついにソ連はアメリカに向けて数多のミサイルを発射します。直後に、アメリカもソ連に向けてミサイルを発射します。世界の終わりかと思った人々は、ミサイルが白い煙だけを吐き出すのを見て安心しますが、それは究極の「秘密兵器」だったのです…。
 究極の「秘密兵器」は、なんら冷戦の構造を変えるものでなく、双方の立場を入れ替えたものでしかなかった、という相対的な認識を描いた作品。

 『天国からの脱落』 永遠の幸福を約束された聖人たち。しかし、ふと下界の光景を見てしまった聖エルモジェネは羨望の念に囚われます。そこには、夢と希望にあふれた若者たちの姿があったのです。エルモジェネは神に、地上で一からやり直したいと懇願します…。
 天上の永遠の幸福には、持つべき希望もありえない…という逆説。やさしさに満ちた雰囲気が、心地よい作品です。

 『わずらわしい男』 レモラと名乗る男が、フェニスティのもとに面会に訪れます。聞いたこともないリモンタという男の紹介で訪れたというレモラは、延々と自分の窮状を訴えます。あまりの鬱陶しさに、フェニスティは、紙幣をやってレモラを追い返しますが…。
 神も逃げ出すという、「わずらわしい」男を描いたブラック・ユーモア短編です。

 『驕らぬ心』 都会の一角、廃車になったトラックを告解室に使っているチェレスティーノ修道士のもとに、まだ若い司祭が告解に訪れます。「司祭さま」と呼ばれることに喜びを感じてしまう自分は、高慢の罪を犯しているのではないか。チェレスティーノは、若者を快く赦します。数年後、再び若者は告解に訪れます。やはり「司教さま」と呼ばれることに対して高慢の罪を犯している、というのですが…。
 高慢の罪を告解に訪れる司祭の地位がだんだんと上がってゆく…という展開からわかるように、結末は予定調和的ですが、ほのかな暖かさの感じられる作品です。

 『この世の終わり』 ある朝、とてつもなく巨大な握りこぶしが、町の上空に現れます。それは神であり、世界の終わりだと知った人々は、あわてて司祭を取り囲み、告解を始めます。年若い司祭は、千人近い数の群衆に囲まれたまま、自分の告解はどうしたらいいんだ?と問いかけますが、それに構う者はいません…。
 世界の終わりに直面した人々のエゴイズムを描いた作品。司祭を含めた人々がその後、本当に神の赦しを得られたのかどうか、結末をはっきりと記さないのが心にくいところ。

 原著は、学生向きに編まれたというだけあって、ブッツァーティにしては、わりとソフトな感触の短編集に仕上がっています。神や聖人を扱った作品が多いのは、意図的な編集なのでしょうか。ブッツァーティらしい「毒」には、いささか欠けるきらいはありますが、解説や年譜等も充実しており、ブッツァーティ入門としては最適な短編集でしょう。

以前に書いたブッツァーティの記事はこちら

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わしはそこにいた  イタロ・カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』
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レ・コスミコミケ ハヤカワepi文庫
イタロ・カルヴィーノ 米川 良夫
4151200274

 イタリアの作家イタロ・カルヴィーノは、ユニークな小説を数多く書いています。ファンタスティックな歴史小説三部作〈我らの祖先〉や幻想的な都市のスケッチを集めた『見えない都市』など、枚挙に暇がありません。今回紹介する『レ・コスミコミケ』(米川良夫訳 ハヤカワepi文庫)もまたそんな想像力に溢れた作品です。
 本書は、宇宙開闢以来存在すると称する、Qfwfq老人が語る連作小説です。宇宙の生誕において重要な瞬間にいつもそこにいたという、怪しげなQfwfq老人の語りが実に楽しい作品集になっています。そのスケールは文字通り宇宙的。途方もないスケールで語られるホラ話なのです。そしてQfwfq老人も、またすさまじいスケールの人物。ビックバンの瞬間にそこにいたと思えば、現代のイタリアにあらわれる。軟体生物だったかと思えば、恐竜になっていたりと、まさに変幻自在な老人です。
 例えば「昼」が誕生する前の宇宙を描く『昼の誕生』でQfwfq老人が語る言葉。

 いやあ、真っ暗闇だったなァ!-と、Qfwfq老人も確認した。-わしはまだほんの小僧ッ子で、ちょっとしか覚えておらんけどな。

 またビックバンの誕生を描く物語『ただ一点に』ではこんな感じ。

 もちろん、だれもかれも、みんなそこにいたとも-と、Qfwfq老人が言った-さもなくって、どこにいられたものかね? 空間の存在が可能だなんてことは、まだだれも知りゃあしなかったからね。時間にしたって、然りだ。

 宇宙が誕生する前にどうやってそこにいるんだよ? とか物質が存在しないのにどうやって存在してるの? という疑問を吹き飛ばす力業の数々。科学用語を散りばめていたりと、一見難解に見えるのですが、その実とてつもないホラ話として楽しむことができます。以下面白かったものを紹介しましょう。
 はしごがかけられるほど、月が地球と近い距離にあった時代を舞台にした恋物語『月の距離』。まるで稲垣足穂ばり。本書の中で最もとっつきやすいファンタジーでしょう。月の表面で発酵するという「月のミルク」の描写が素晴らしいです。
 Qfwfq老人が宇宙につけた「しるし」をめぐるナンセンスな考察が楽しい『宇宙にしるしを』。道具どころか線も点も存在しない宇宙でQfwfq老人がつける「しるし」の描写は、まさに文章のアクロバット。
 空気がまだ存在しない時代、音も色も何もない世界でのQfwfq老人の恋物語『無色の時代』。原子でビー玉遊びをする宇宙的スケールのゲームの話『終わりのないゲーム』。宇宙の存在について賭をする話『いくら賭ける?』
 『光と年月』は、一億光年以上先の星から見えるプラカードをめぐって展開するナンセンスストーリー。億年単位の気の遠くなるほどのコミュニケーションについてめぐらす、Qfwfq老人の考察は、ある種形而上学的なレベルにまで昇華しています。
 米川良夫の翻訳も、軽妙な老人の語りをうまく訳しており、素晴らしい作品集となっています。ちなみに本書の続編ともいうべき『柔らかい月』(脇功訳 河出文庫)という作品集もあるのですが、こちらは米川良夫に比べて、圧倒的に訳が堅いので、あまりオススメできません。

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ブルジョワ娘の空の散歩  マッシモ・ボンテンペルリ『わが夢の女』
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わが夢の女―ボンテンペルリ短篇集
マッシモ ボンテンペルリ 岩崎 純孝
4480022783

 今日ご紹介するのは、イタリアの作家、マッシモ・ボンテンペリの『わが夢の女』(岩崎純孝他訳 ちくま文庫)です。おかしな名前ですね。ちなみにボンテンペリのの表記は小さいです。非常にナンセンスでユーモアにあふれた短編の書き手です。
 例えば『鏡』という作品。鏡に向かってネクタイを結んでいる最中に、テロに遭い、鏡が瞬時に破壊されたために鏡像だけがふっとばされて、なくなってしまった男の話。
 また『便利な治療』という作品は、こんな話。プラーグに住む医者である《私》は、ボハチェック夫人の治療をするのに、中世の魔術書を利用して作った蝋人形を使うことになります。本人と寸分違わず作られた、この人形を診察することによって、自宅にいながらにして治療ができるのです。だがある日ふとした間違いで蝋人形をストーブのそばに置き、人形を溶かしてしまうのです。ボハチェック夫人の家にかけつけた《私》が見たものは…。
 大体の作品において、主人公は《私》であり、作者と同じ名前のマッシモです。その意味では私小説と呼べるのかもしれません。とはいえ、作中で起きる出来事は突拍子もないものばかり。リアリズムとはほど遠いのです。空想的な作品に《私》を持ち込むことによって、不思議な空間を作りだしています。どこかすっとぼけた味わいのボンテンペリの短編の中でも僕が一番好きなのは『太陽の中の女』という作品です。
 主人公の《僕》は、ある日飛行機で空を散歩しています。そこへ自分の方へ向かってくる別の飛行機が現れます。ぶつかりそうになった《僕》は、拡声器で文句をつけますが、相手はうらわかい女性でした。ほのかな恋心を抱いた《僕》は、エウリディーチェと名乗る彼女とおしゃべりをはじめます。また会う約束をとりつけようとする《僕》は、返事をはぐらかされてがっかりします。

 「…明日一緒に野原へ散歩に行きません?」
 エウリディーチェはせきこんで答えた。「いいえ、駄目。父さんが野原なんかにわたし一人で行かせませんの。危険だからって言うのよ。空は別、分かって?」


 ブルジョア娘の言葉のこの突拍子のなさ。大空の上という非地上的な場所と、あまりに地上的な発言とのギャップがユーモアを醸し出します。おそらくエウリディーチェという名前も、娘の俗物性と対比させるために使われているのでしょう。物語は、これだけで特に何か事件も起きません。そういう意味では何が面白いのかよくわからない作品なのですが、読んでいるだけで不思議に心地よいのです。
 作者は、ファシズム期のイタリアで活躍したそうなのですが、同時代の日本において、こんな作品が受け入れられたかと考えると、イタリアという国の間口の広さが感じられますね。

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プロフィール

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主催。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。



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