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戦慄の社会  アルベルト・モラヴィア『薔薇とハナムグリ シュルレアリスム・風刺短篇集』
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 アルベルト・モラヴィア『薔薇とハナムグリ シュルレアリスム・風刺短篇集』(関口英子訳)は、イタリアの文豪モラヴィアによる、諷刺とブラック・ユーモアに彩られた幻想小説集です。

「部屋に生えた木」
 合理的・人工的なものに関心が深く都会的な夫オデナートと、自然に関心が深い妻カリーナの夫婦。ある日、暖炉と戸棚の間から奇妙な木が生えだしているのに気付いたオデナートはそれを切ろうとしますが、妻に止められてしまいます。やがて部屋に大きく張り出した木は部屋を侵食していきますが…。
 妻の意見には逆らえない夫が、なし崩し的に木が部屋を占領していくのを眺めることしかできない…というお話です。木の正体は皆目分かりません。夫婦には子どもがいないようなので、子どもの象徴とも取れますね。
 自然が文明よりも強いという「寓意」を示したものなのか、夫婦の間の断絶を描いたものなのか、いろいろな解釈ができそうです。結末にはちょっと不穏な雰囲気もありますね。

「怠け者の夢」
 物事を常に空想上で処理してしまう男タラモーネ。温厚で物わかりの良い男とされている彼は、実のところとんでもなく怠惰な男でした…。
 実際に物事をこなすのではなく、白昼夢で満足してしまうという「怠惰な男」が描かれます。それがゆえに、明らかに性質の悪い部下を評価してしまったり、恋する相手に告白もできなかったりと、その人生の悲哀ややるせなさが描かれて行く部分に面白みがあります。しかも、本人はそのそれほどその生活に不満を覚えているようでないのも興味深いところですね。

「薔薇とハナムグリ」
 ハナムグリの母親と娘は薔薇とキャベツが植えられている庭を発見して降り立ちます。母親は薔薇の素晴らしさを説いた後、後で待ち合わせを約束して飛び立ちますが、ハナムグリの娘は薔薇ではなくキャベツに魅了されていました…。
 ハナムグリは薔薇の花を食べるために生まれてきた。そう疑わない母親に対して、娘は薔薇には全く興味を覚えず、キャベツに魅力を感じていました。固定観念や伝統に反する「マイノリティ」を描いた寓話といえるでしょうか。
 薔薇にせよキャベツにせよ、その食行為には奇妙な官能性がついて回っているところも異色です。その意味では「性的マイノリティ」関するお話とも読めますね。

「パパーロ」
 割のいい投資先を探していたマチェッローニは、友人のエウジェニオから話を聞いて「パパーロ」なる品物に投資することにします。大量の「パパーロ」を買い込んで、値が上がるのを待っていたマチェッローニでしたが、「パパーロ」は次々に問題を起こし始めます…。
 買い込んだ謎の品物「パパーロ」をめぐる、コメディタッチの不条理小説です。無機物かと思っていた「パパーロ」は実は生物のようで、異臭を放ったり腐ったり、人の肉を食べたり、果ては娘を妊娠させたりと、とんでもない被害をもたらします。ホラー的な感触も強い作品ですね。

「清麗閣」
 娘の結婚式会場となった清麗閣を訪れた母親。足をつかまれて運ばれていく人々を見ながらも、それが結婚式の趣向だと思い込んでいました…。
 新婦の母の視点で結婚式の披露宴の様子が描かれていくのですが、その様子はとても尋常ではなく…。不条理小説の一種といえるのですが、この披露宴の様子は、戦争による徴兵の寓意なのか、もしくは直接的な「地獄」の寓意とも読めますね。

「夢に生きる島」
 その島は、巨大モグラと王女との間にできた怪物クルウーウルルルによって支配されていました。生まれてからずっと眠り続けているクルウーウルルルが見た夢の通りに、島では現実の出来事が起こってしまうのです。島民達はいつ何が起きるか分からずに不安にかられていましたが…。
 怪物の夢によって支配される島を描く幻想小説です。島の現実生活が、怪物クルウーウルルルが見た夢の通りになってしまうため、それが悪夢であった場合、とんでもなく不条理な出来事が起こることになります。
 怪物クルウーウルルルに対する反乱が起きたところ、それさえもが夢だった、という事が起きるなど、島民たちは自分たちの意志で動いているのか、夢の支配によって動かされているのかすら分からなくなっていく、というところが魅力的ですね。

「ワニ」
 上流階級に憧れを抱くクルト夫人は、夫の上司の妻であるロンゴ夫人の家に招かれて喜んでいました。上品な家の特徴を観察して真似ようというのです。ロンゴ夫人は突然生きたワニを背負い出し、クルト夫人はそれが最近の流行なのかと驚くことになります…。
 上流階級の夫人がワニを身にまとっており、それを見た女性が自分もそれを真似したいと思うという不条理小説です。ワニを身にまとうというのが異常なことだと認識しながら、それが上流社会の流行なら自分も真似したいと思うクルト夫人は諷刺的に描かれていますね。

「疫病」
 ある日発生した疫病は、健康にそれほど害を及ぼさないものの、強烈な悪臭を伴っていました。しかも病が進むと、その悪臭が香しい芳香に感じられてくるというのです。医師達はその疫病について様々な対策を考え出していましたが…。
 健康への実害はなく、ただ悪臭だけを出し続ける病を描いた作品です。病が進むとそれが良い匂いになってしまうのですが、病にかかっていない人、進行途中の人にとっては悪臭である、ということから、人々が断絶されてしまうことになります。
 病が進んでしまった人は、もう以前の悪臭を感じ取ることができなくなる…というのがポイントでしょうか。思想的に「洗脳」されてしまった、など、いろいろな寓意を読み込むことができそうです。
 疫病の流行から時間が大分経った時点からの語りになっており、結果的に変化してしまった国の様子について語られる結末部分にも味わいがあります。

「いまわのきわ」
 高名な評論家であるSのいまわのきわに呼ばれた「わたし」は、彼から重大な告白を聞くことになります。かって創作を志したSはそれを断念し評論家に転向したというのですが、その妬みから様々な作家に、その才能とは全く異なる方向に進むよう誘導したというのです。しかし、「わたし」の知る限り、Sが言及した作家たちは、それぞれの分野で名をとどろかせている者ばかりでした…。
 嫉妬から、多くの作家の才能をねじ曲げてやったとする評論家の言葉は真実なのか? 彼が被害を与えたとする作家たちは皆才能を発揮しているように見える…というあたり、皮肉なタッチの作品ですね。
 才能は最初に現れたのとは違う形で実ることが多いのか、それとも文学界の評価は全くあてにならないのか、語り手によって示される考え方はどれもありそうで、いろいろと考えさせる作品となっています。

「ショーウィンドウのなかの幸せ」
 経済的に苦しいため、唯一散歩を趣味とする元公務員ミローネとその妻エルミニアと娘のジョヴァンナ。ショーウィンドウのなかで「幸せ」を売っているのを見つけたジョヴァンナはそれを欲しがりますが、ミローネはそんなものはくだらないと一喝します…。
 「幸せ」が店で売っている…という物語です。それが金で買えるものなのか、という事を含めて、露骨に寓意を含んだ物語といえますね。それがアメリカ製、というところにも皮肉があるようです。

「二つの宝」
 資産家の老人ヴィットリーノはかってのメイドで若く美しいフォティデと結婚します。妻から、家に保管してある財産を銀行に預けるよう繰り返し言われたヴィットリーノは、銀行を訪れますが、そこで追いかけてきた妻らしき姿を見つけたヴィットリーノは彼女ごと金庫を閉めてしまいます…。
 吝嗇で嫉妬深い老人が、美しい妻(これまた欲が深いようです)も資産もどちらも失ってしまう、という物語。「二つの宝」とは妻と資産のことを表したものでしょうか。
 銀行の金庫まで妻がつけてきたとか、棺の中に妻の代わりに金が入っているとか、作中で示される事実が本当なのか怪しく、主人公ヴィットリーノの妄想であるようにも読めます。その意味では「信頼できない語り手」ものともいえるでしょうか。

「蛸の言い分」
 つり上げられた蛸は、食べられてしまうという自分の末路を聞いて、蛸の世界で考えられていた地上の世界の話を語ります。海の上には《いけす》があり、食べ物を食べ放題の天国のようなものだと考えられていたというのですが…。
 蛸の世界での「死後」(とは明言されていませんが…)の世界について、蛸自身によって語られていくという、諷刺的な作品です。「天国」を素直に信じる一派に対して、懐疑的な一派もいるなど、極めて「人間的」な蛸の世界が描かれるところが面白いですね。

「春物ラインナップ」
 ファッションの流行に敏感なインデリカート夫人に対し、夫は服など少しあればいいと考える男でした。妻が雑誌で見つけたという最新のファッションはまるで収容所に収監される囚人のようでした…。
 流行であれば、どんな奇抜なファッションでも受け入れられてしまう…という皮肉なお話です。さらにそれが囚人のような格好であるというところから、「流行の奴隷」といった意味合いも匂わせているのでしょうか。全体主義的な世界を予感させる結末も不気味です。

「月の〝特派員〟による初の地球からのリポート」
 月から来た特派員が地球の社会について調査を進めたところ、その星には「金持ち」と「貧乏人」という二つの人種が存在することが分かります。彼らは互いに全く違った生活を送っているというのですが…。
 月の特派員の視点で、貧富の差が極端になった社会を諷刺するという作品です。金持ちたちが貧乏人たちの視点を持ち合わせない一方、貧乏人たちは文化を全く介さないなど、互いの間の断絶が示されます。かなり政治的・露骨な諷刺作品ですね。

「記念碑」
 その国では英雄とされるミュラーなる人物の記念碑、彼は国民生産省仕上げ課ボタン係だったというのですが、彼の像がどのような経緯で建てられることになったのか、観光ガイドと作者(モラヴィア)が対談することになります…。
 対談形式で、記念碑が建てられた人物の「偉業」について語られるという諷刺作品です。観光ガイドの話からは、この国では全てが徹底して「お国のため」であり、人間の権利よりも国家が優先されるという社会であることが分かります。
 人間の骨を使ってボタンを作るなど、グロテスクなまでの全体主義社会なのですが、さらにミュラーが命を落とすことになったのもただの「勘違い」「ミス」であるにも関わらず、それが「美談」にされてしまうという、恐るべきディストピアが描かれています。

 この作品集、諷刺的な意図で描かれたらしい作品が多いのですが、国や時代を超えてシュールな幻想小説となっている作品も多いですね。もっぱらファシズム体制下のイタリアで書かれたらしく、そうした時代背景を考えると味わいが増してきます。


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それぞれの人生  ドナテッラ・ヅィリオット『トロリーナとペルラ』
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 イタリアの作家ドナテッラ・ヅィリオットの『トロリーナとペルラ』(長野徹訳 岩波書店)は、取り替え子をテーマにした童話作品です。

 川辺のアシ原に住む人間に似た妖精たち「野暮らし族」の人々は、金髪で色白のお姫さまに憧れていました。しかし女王フィオリーナが生んだのは縮れ毛で、丸々と太った女の子でした。
 都会生まれで体が弱かったため、川の近くの農家に預けられていた金髪の人間の赤ん坊を見つけた「野暮らし族」の長老たちは、赤ちゃんを取り替えてしまいます。
 「野暮らし族」の姫トロリーナは町で人間の両親に育てられ、人間の少女ペルラは「野暮らし族」の間でお姫さまとして育てられることになります…。

 赤ちゃんの頃に取り替えられてしまった妖精と人間の少女を描いた童話作品です。
 取り替えによって「野暮らし族」たちは金髪の理想のお姫さまを、人間の両親は元気な娘を手に入れることになるのですが、段々とその生活は身に合わなくなっていってしまいます。
 かといって、取り替えによって不幸が訪れてしまうのかというと逆で、それぞれ幸せな生活を送ることにはなるのです。トロリーナは自然や動物を愛する少女で、小動物どころかゴキブリにまで同情してしまうほどの優しさを持っています。ペルラの方は、多少性格はきつめながら、その頭の良さで「野暮らし族」たちの生活を、便利で効率的なものに一変させたりもします。
 本来の環境とは別の環境に置かれた二人の少女が、それぞれ性格は異なりながらも、周囲の人々に幸福をもたらしていきます。
 最終的には取り替えが回復されることにはなりますが、それまでの生活もまた幸福な時間であった…という展開もポジティブですね。

 登場する妖精「野暮らし族」の生態もユニークです。見かけは人間に似ていますが、体は小さく、子どもはともかく大人は小人のようなのです。あまり身なりに構わない性質なのですが、このあたりはペルラによって改善されることになります。
 精神的な病を抱えた人々が登場するのですが、彼らが「野暮らし族」の人々と仲良くすることになる、という部分も面白いです。

 トロリーナとペルラがそれぞれ本来のものとは違った環境を知ることと併せて、多様性を受け入れることが人生の幸福につながる、というテーマも内包しているようです。
 悲劇的な展開につながることの多い「取り替え子」テーマを扱っていて、これほど幸せな結末を迎える物語は初めて読みました。イタリア作家ならではというべきか、読んでいて幸福感を覚える、温かみのあるファンタジー作品です。

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不確かな現実  ディーノ・ブッツァーティ『ババウ』
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 ディーノ・ブッツァーティ『ババウ』(長野徹訳 東宣出版)は、作家自身が編んだ最後の短篇集『難しい夜』の前半部分26篇が訳出された短篇集です。後半部分は既に『階段の悪夢』(千種堅訳 図書新聞)として邦訳されています。

 空想上の存在が大人たちによって追い詰められていくという「ババウ」、幻想的な掌編集「孤独」、夫の余命を妻が知らされるというシチュエーションがエスカレートして展開される「同じこと」、悲しみのあまり岩になってしまった老人の伝説をめぐる「岩」、アルプスの療養所での思いもかけない安楽死法を語る「誰も信じないだろう」、友人への手紙の中で夫殺しが語られる「うんざりさせる手紙」、占星術が信奉される町で災難に巻き込まれる男を描いた「星の影響力」、アパルトマンに住む重要人物たちが実は皆偽物だったという「セソストリ通りでは別の名で」、老人たちが死神に異議申し立てをして「死」が止まってしまうという「世界的な異議申し立て」、不思議な幽霊事件が三つ語られる「ヴェネト州の三つの物語」、日常生活と世界的な事件が混在したまま語られていくという前衛的な「消耗」、道路にまつわる奇譚が語られていく「交通事故」、ささいな出来事の連鎖が世界大戦を惹き起こしてしまうという「ブーメラン」、奇妙な味の掌編集「現代の怪物たち」、気遣いのある死刑執行の様子を描いた「気遣い」、パーティーのトラブルを解決する医者を描く「パーティー医者」、車に関する不思議な物語を集めた「車の小話」、蛮族の侵入を恐れた男が塔を立てそこから監視を続けるという「塔」、高名な医者の誤診を防ぐため患者の容体を無理にそれに合わせようとする「名声」、修道士の入れ知恵で、罪を犯すことが神に至る道だと信じ込まされた隠者の物語「隠者」、美人コンテストに出ることになった片足に障害のある女の子の物語「チェネレントラ」、蠅の脚の中に存在する極小の宇宙の星について語られる奇想SF「十月十二日に何が起こる?」、世間に順応することの是非について問いかける「診療所にて」、死ぬまで仕事をすることを強制された書記を描く「書記たち」、幸福をめぐる皮肉な掌編を集めた「馬鹿げた望み」、愛する孫たちに殺されそうになった老人が従容としてそれを受け入れる「ミートボール」を収録しています。

 「同じこと」は、妻が医者から夫の余命を聞かされる、というシチュエーションが何度も繰り返される、という物語。繰り返されるたびに余命が伸びていくという、ブラック・ユーモアたっぷりの作品です。
 例え寿命が何十年あったとしても、時間が決められた時点で絶望感に囚われてしまうだろう、というのは真実味がありますね。

 「星の影響力」は、占星術が信奉される町で災難に巻き込まれる男を描いた作品。マスタはそこに住む住人の間で占星術が信奉されているという町でした。そこを訪れるにあたって、友人のチェリエッロから彼の家の鍵を渡された「私」は、快適に過ごしていましたが、ある時、蛇口を壊し、水があふれてしまいます。慌てて消防に電話しようとしますが電話番号が分かりません。近所の家で訪ねようとすると、マンション全体で電話が通じないというのです…。
 災難に遭遇した主人公がそれを止めようとするものの、次々と災難がエスカレートしていくというスラップスティックな作品です。それらの災難が星占いで予見されていた、というのも面白いですね。
 占星術に支配された町の新聞では、占いによって悪影響を受ける個人のリストまで載っている…というところに笑ってしまいます。

 「セソストリ通りでは別の名で」は、アパルトマンに住む重要人物たちが実は皆偽名を使っていたという物語。
 人格者として知られた高名なラロージ教授が亡くなりますが、実は彼は本物のラロージではなく、戦争犯罪者シリーリだったというのです。警察の友人ルッチフレーディからその詳細を聞こうとした「私」は思いもかけない事実を聞くことになります。隣人のスコペルティが、実は詐欺師のボッカルディだというのです。さらに、ルッチフレーディは同じアパルトマンに住む住人たちの正体を明かしていきますが…。
 家主のラロージを始め、同じアパルトマンに住む住人たちが皆別人だった…という唖然とするようなお話です。それでは、ルッチフレーディや「私」はどうなのか? と考えると結末が予想できるかもしれませんね。ブラック・ユーモアに溢れた物語です。

 「ヴェネト州の三つの物語」は、不思議な幽霊物語が三つ語られるという作品。どれもオーソドックスなゴースト・ストーリーで、特に最後の「瓜二つ」は「死の舞踏」を思わせるお話ですね。ブッツァーティには珍しいタイプの作品だなと思っていたのですが、解説によると、これは創作ではなくノンフィクション記事だとのこと。だとしても、怪談としてなかなか面白い内容になっています。

 「気遣い」はブラック・ユーモアの効いた作品。
 その国では、死刑は気遣いをもって執行されていました。死刑囚のトロルは、刑務所長から、死はいかに恐れる必要がないか、ということについてレクチャーを受けていました。その流れから、ある実験をしてみないか、という提案を受けますが…。
 説得力がなくもない、死後についての論理が語られ、それを聞いているうちに唖然とするような結末へ…。ブラックではありながら楽しい作品ですね。

 「十月十二日に何が起こる?」は、奇想SF作品。
 法制史学者のスプリッテリ教授の家で、教授は周囲を飛び回る蠅を叩き潰そうとしていました。しかし、その蠅の二番目の右脚の一番先端の原子内には、極小の宇宙が存在し、さらにその中の惑星Zは、地球にそっくりで、同じような人類も存在しているというのです…。
 蠅の脚の中に存在する極小の宇宙の星について語られる、奇想SF作品です。極小宇宙を扱った、エドモンド・ハミルトンのSF短篇「フェッセンデンの宇宙」を思わせますね。

 「書記たち」はどこか寓話的な雰囲気の作品。
 その広大な部屋には、何百人、何千人といった人間たちがおり、タイプライターを使って作業をしていました。雇い主の王のために仕事を続けているのです。部屋の人間たちの間では、タイプライターからカチッとした音がして、キーボードの上の小さな赤いランプが点灯することを「召集」と呼んでいました。
 「召集」を受けた人間は、かすかな休憩を除いて、書き続けなければ死が待っているというのです。何年も「召集」は発生していませんでしたが、書記である「私」はとうとう「召集」を受けてしまいます…
 どことも知れぬ国と時代、死ぬまで仕事をすることを強制された書記を描く短篇です。「召集」の実態が何なのか、どんな意味を持っているのか? といったことも判然としません。何やら「生と死」についても考えさせられてしまうという、カフカを思わせるような寓意的な作品です。

 収録作のどれもに工夫やアイディアがされており、バラエティに富んだ短篇集です。それでいて、読み通すとブッツァーティの作品らしさが感じられるところが魅力でしょうか。原著短篇集の後半部分の邦訳書である『階段の悪夢』は絶版になって久しいので、こちらも復刊をお願いしたいところですね。

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星々のメルヘン  ロベルト・ピウミーニ『アマチェム星のセーメ』
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 ロベルト・ピウミーニ『アマチェム星のセーメ』(長野徹訳 汐文社)は、好奇心旺盛な宇宙人の少年を主人公ににした童話作品です。

 宇宙のかなたアマチェム星に生まれた子どもセーメは、その好奇心を満たすため、宇宙を旅することになります。様々な不思議な星とそこに住む住人たちに出会うことになりますが…。

 純粋で好奇心の強い宇宙人の子どもが、宇宙のいろいろな星を旅する、という寓話的要素の強いファンタジー作品です。
 主人公セーメは、アマチェム星に生まれた子どもなのですが、この星の人には男女の区別がなく、頭の上に乗せた赤い雲を互いに混ぜ合わせることによって、心の声で語り合うことができるのです。
 純真なセーメが、様々に不思議な星に降り立ち、その星の独自の文化に触れて学んだり、逆にその星の人々に影響を与えることもあります。いわば「文化の相対性」的なテーマが描かれるのですが、セーメの純粋さゆえ、特定の文化を否定する、といったことにはならず、飽くまで多様性が尊重されるところは読んでいて清涼感がありますね。

 登場する星や文化は奇想天外なものが沢山です。鏡の星、子どもたちが延々と親の帰りを待つ駅のある星、巨大な卵のような星、石けんでできており水分によってすり減ってしまう星、形が四角い星など。
 一番印象に残るのは、病院のある星。複雑にからみあっている巨大なチューブのかたまりのような星で、星全体が病院になっているというのです。部屋の一つ一つが数十から数百キロメートルの広さがあり、それが延々と続いています。20億年前に出来た世界だというのですが、数千万の医者や職員がいる一方、患者はいままで来たことがなく、セーメが初めての患者だというのです…。
 数十億年もただ一人の患者を待っていた世界、というのもすごいスケールですが、人の人生がそれぞれの部屋で表されたり、病院自体は絶えず拡張されているとか、なにやら寓意を感じさせる設定になっていますね。

 また、地球人の「影」たちが住む星のエピソードも興味深いです。本来人間とは別の種族の影たちが弾圧を逃れるために人間のまねをするようになります。夜の間に休息を得るため、別の惑星に避難しているというのです。登場するのはあくまで「影」だけで、地球や地球人たちそのものは直接登場しないのも面白いところですね。

 主人公セーメが宇宙の星を探検するとはいいつつ、そこに登場するのは科学的整合性を無視したメルヘン的な惑星たち。
 ですが、それぞれヘンテコな星の物語の中に文化的・哲学的にいろいろと考えさせるテーマが現れてくるあたり、知的なファンタジーともいえそうです。


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奇想とファンタジー  ロベルト・ピウミーニ『キスの運び屋』
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 イタリアの作家ロベルト・ピウミーニの『キスの運び屋』(長野徹訳  PHP研究所)は、ユーモアと奇想に満ちたファンタジー短篇集です。

「アルチバルド・ヴァカンツァ氏のニュース」
 アルチバルド氏はいつものように新聞を買って読もうとしたところ、紙面が真っ白であることに驚きます。世間に何も事件が起こらなかったため、報道するニュースがないというのです。やがてアルチバルド氏は町で自分なりにニュースを探し、それを紙面に書き込むようになりますが…。
 ニュースがなくなってしまった世界で、自分だけのニュースを探す男性が描かれる不思議な味わいの作品です。視点や考え方を変えれば、世界は変わって見える…というテーマも含まれている感じでしょうか。

「アレッサンドラの窓」
 美しいアレッサンドラの心を射止めようと、窓の下で列をなす大勢の男たち。しかし窓が開く気配はありません。大胆な若者ピエトロは堂々と部屋に入っていきますが…。
 不敵で行動力のある若者が美女を射止めるという物語です。行動を起こさなかったにも関わらず、文句ばかり言う男たちが諷刺的に描かれる部分も面白いですね。

「キスの運び屋」
 遠い戦場にいる夫のアルヴァオ伯爵に愛情を伝えたいと願うリベッタ夫人は、召使いの若者リッチョを通じてキスを届けようとします。夫人から手のひらの上にキスを受けとったリッチョは彼女に恋してしまいますが、それを伯爵に届けたところ、軍務の邪魔をするなと突っぱねられてしまいます…。
 キスの届け役となった召使いが、伯爵夫人に恋をしてしまうという奇想天外なラブストーリーです。届け物がキスだけに、召使いが恋してしまうのは必然的に感じられますね。

「サウル親方の靴」
 類いまれな腕を持つサウル親方が作った靴には不思議な力が備わっていました。残忍な隊長モディは親方に三足の靴を作るように要求します。一足目はサラマンカ征服のため、二足目は王女の心を手にするため、三足目は地獄の底を歩けるようにするため。
 靴を履いたまま地獄に落ちてしまったモディは、靴のおかげで地獄の責め苦を楽に切り抜けることになります。地獄で、自分が死ぬ原因となった宿敵のトレマンに出会いますが…。
 地獄の底を歩ける靴を履いたまま地獄に落ちた男が、不思議な地獄めぐりをすることになるという作品です。ユーモラスではありながら、「罪と罰」についてその本質を問うというシリアスな作品でもありますね。

「聖トニオのお助け」
 サーカスの曲芸師フィローフィロは、綱渡りの最中に、持っていた棒の片方にスズメが止まったことバランスを崩してしまい、とっさに神に祈ります。祈りを聞き届けたのは、おっちょこちょいの聖トニオでした。聖トニオは棒のもう片方にスズメを出現させ、バランスを回復しようとしますが、元からいた雄スズメは、出現した雌スズメに一目惚れしてしまい、もう片方に寄ってしまいます。
 聖トニオはスズメ二羽に対するバランスを取るため、さらにスズメ二羽分のハトを出現させますが…。
 ドジな聖人が、綱渡り芸人の落下を防ごうと次々といろいろな生物を出現させていく、というスラップスティックで楽しい作品です。出現させた生き物により次々トラブルが起きてしまい、芸人は落下せずに生き残れるのか?というサスペンスもたっぷりです。
 出現させるのが、なぜか全て生物、というのもどこかおかしいですね。

「病気のストライキ」
 医者や薬による脅威に立ち向かうために、世界中の病気が集まり会議を始めます。彼らが出した対策は、百年近くも活動を停止して、人間たちに病気がなくなってしまったように思わせよう、というものでした。
 結果、健康になったはずの人間たちでしたが、医者たちによってその状態こそが病気だと判断され、治療を続けた結果、新たな病気にかかってしまいます…。
 病気たちの完璧な計画の顛末とは…。「風邪」「猩紅熱」「リューマチ」など、擬人化された病気たちの会議が楽しいファンタジーです。
 病気がなくなっても、人間たち自身が新たな病気を作り出してしまうのではないか、という諷刺的なテーマも見て取れますね。

「不運にとりつかれた床屋」
 その店で散髪をしてもらうと不幸なことが起こるということで有名になってしまった床屋。占い師によれば四つ葉のクローバーを見つければ不幸はなくなるといい、それを探しますが一向に見つかりません。
 客は激減してしまいますが、仕事好きな床屋は無料で散髪をすると宣言します。ちょっとぐらいの不運が起こっても構わないという貧乏な人たちが店にやってくるようになりますが…。
 不運にとりつかれてしまった床屋が、自らの仕事を愛するがゆえに無料で奉仕しているうちに幸運を取り戻す、という物語です。職人気質の主人公が清々しいですね。

「壁の声を聞く男」
 古い建物の壁からは、そこに住んでいた人々の声が聞こえることに気付いた男ヤン・ヴォンソンは、壁に蛇口をつけては瓶の中に埋もれていた声を封じ込め、そこから声を聞き取っていました。名君といわれるチューリップ王の悪い真実を声から知ってしまったヤンは、新聞社を通じてその事実を公表しようとしますが、名誉棄損と侮辱の罪で逮捕されてしまいます…。
 壁から昔の人々の声を聞き取れるようになった男が、それが原因で捕まってしまいますが、また声のおかげで困難を切り抜けることにもなる…という物語です。
 過去の真実が「声」という直接的な形で表れてくるというユニークな作品です。しみじみとした味わいがありますね。


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奇跡と予感  ディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』
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 ディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』(関口英子訳 光文社古典新訳文庫)は、ブッツァーティの短篇を集めた傑作選。著者特有のブラックなお話も多いですが、優しいタッチの作品も混ざっています。原著は学生向きに編まれた作品集だそうで、それもあって、ソフトな感触の短編集に仕上がっている印象です。神や聖人を扱った作品が多いのも、意図的な編集なのでしょうか。
 読みやすい短篇が収められているのはもちろん、解説や年譜等も充実しており、ブッツァーティ入門としては最適な短篇集となっています。


「天地創造」
 全能の神のもとに、天使オドゥノムが携えてきたのは、ある惑星を創造するプロジェクトでした。惑星ならばもう沢山作ったという神に、天使たちは様々な生物のアイディアを示し、神はそれらを快く承認していきます。
しかし、一人だけ、高慢さで同僚たちにも疎まれている天使が示した案には承認をしかねていました。猿に似たその生物の名前は「人間」といいました…。
 人間の誕生を描く天地創造のファンタジーです。神にも渋られていた人間がなぜ誕生したのか、そもそもそれが良いことだったのか悪いことだったのか…? 風刺の効いた作品となっていますね。

「コロンブレ」
 船長である父親のもとに生まれ、海への憧れを持つようになった少年ステファノ・ロイ。しかし初めての船旅で、伝説の魚、恐ろしい鮫である「コロンブレ」を目撃します。父親によれば「コロンブレ」に目を付けられたら最後、相手を呑み込むまで、何年も付け狙われるというのです。
 二度と海には関わるなと忠告されたステファノでしたが、海への憧れは絶ちがたく、コロンブレへの不安を抱きながらも、積極的に海の仕事に関わっていくことになります…。
 恐ろしい怪物コロンブレを避け続けながら生きる男を描いた、寓話的な作品です。コロンブレの正体に気付いたときには、すでに人生は終わる寸前だった…という、「取り返しのつかなさ」感は強烈ですね。
 コロンブレは、餌食になる人間とその家族にしか見えない、という設定も意味深です。

「アインシュタインとの約束」
 プリンストンの街を散歩中のアインシュタイン博士は、見知らぬ黒人から声をかけられます。悪魔だと名乗る黒人は、彼の命をもらいに来たというのです。あと一か月あれば、研究が完成する、という博士の言葉を受けて、悪魔は博士に猶予を与えます。そして約束の期日が経ちますが…。
 「悪魔との契約」テーマの作品なのですが、二段階のオチが待ち構えています。悪魔は、なぜアインシュタインのもとを訪れたのか? 皮肉の効いたラストは見事ですね。

「戦の歌」
 王の軍隊は、勝利を重ね続け、山のような戦利品を手に入れていました。しかし兵士たちは、どこか悲し気な響きの歌を歌います。かってないほどの武運に恵まれ、悲しむ理由もないにも関わらず、兵士たちは歌を歌い続けます…。
 勝利に次ぐ勝利を重ねる軍隊の兵士たちが、それにもかかわらず悲しみの歌を歌い続ける、という物語。進軍に成功しながらも一方的に進むだけで、凱旋はすることがない…というあたりに、ブッツァーティ特有のテーマが見えますね。
 ブッツァーティ独特の「反戦小説」とも取れるでしょうか。

「七階」
 七階建てのその専門病院は独自のシステムを取り入れていました。入院患者たちは、病気の程度によって各階に振り分けられていたのです。最も軽症の患者は七階、症状が重くなるに従って下の階に行き、一階ともなると、ほぼ望みのない重症患者が収容されていました。
 最初は七階の病室に入れられたジュゼッペ・コルテは、病院の手続きや取り違えによって、次々と下の階に移されていきますが…。
 最初は軽症だった男が、ひょんなことから、重症患者が入るべき下の階に移されていってしまうという不条理味強めのブラック・ユーモア短篇です。下の階に移っていく過程で実際に体調が悪くなったり、別の症状が出たりしているようで、その意味では精神的な不安が身体に影響しているようです。
 主人公がかかっている病気(病院が専門としている病気でもありますが)が伏せられているのも、寓意的な要素を強くしていますね。
 システムや組織の「手違い」で人間が「抹殺」されてしまう…という非人間性を読み取ることもできますし、病気とは何なのか? 純粋に肉体的なものだといえるのか? といったテーマを読み取ることもできそうです。
 その不気味さと同時に、いろいろな解釈が可能な名作短篇ですね。

「聖人たち」
 生前は普通の農夫だったものの、数百年を経て評価が高まり、聖人となった聖ガンチッロは、聖人たちが住む海沿いの家にやってきます。捌ききれないほどの請願を受けている同僚たちを見て、自分も何かしたいと考えるガンチッロは、ささやかな奇跡を起こしていきますが、人々はそれらをガンチッロの奇跡として受け取ってくれません…。
 地味で実直な聖人が奇跡を起こしますが、なかなか認めてもらえない、という、微笑ましいファンタジー作品です。同僚の聖人マルコリーノと食卓を共にするシーンには味わいがありますね。
 聖人たちが住む場所の、海水や煙までが神の一部である、という描写には、汎神論的な思想が窺えて、日本人読者には親しみが持てるところでしょうか。

「グランドホテルの廊下」
 ホテルに宿泊していた「私」は、夜も更けてからトイレに行きたくなり、部屋の外に出ます。トイレに向かう途中でガウン姿の鬚の男と鉢合わせになりますが、目の前でトイレに入ることに気後れを感じた「私」はそのまま通り過ぎてしまいます。しかも鬚の男も同じような行動をしているらしいのです。
 部屋のドアの前の引っ込んだスペースに身を隠した「私」は再度トイレに向かいますが、またしても鬚の男と鉢合わせしてしまい、トイレに入れずじまいになってしまいます。二人は互いの行動をうかがっていましたが…。
 相手の目を気にしてトイレをやり過ごしてしまった二人の男が、互いの行動を牽制し合う…という、冗談の塊のような作品です。ただ、この感覚、読んでいて非常に共感できるもので、人間の日常感覚を上手く作品に落とし込んだ感じではありますね。結末の「やり過ぎ感」も楽しいです。

「神を見た犬」
 ティスの村でパン屋を営むデフェンデンテは、伯父から財産を相続する際、その条件として、貧しい者たちに毎日50キロのパンを施すことを義務づけられ、嫌々ながらそれに従っていました。ある日人間に混じってパンをくわえてゆく犬を見つけたデフェンデンテは後を追いかけますが、その行き先は村のはずれの廃墟で暮らす隠修士シルヴェストロのもとでした。
 彼と知り合いになったデフェンデンテは、その後、犬のガレオーネがパンをくわえていくのを黙認していましたが、シルヴェストロが亡くなった後はそれも惜しくなっていきます。人々は、主人が亡くなった後も村に現れ続けるガレオーネのことを、神を見た犬として、怖がり始めますが…。
 主人である隠修士亡き後、神を見た犬として恐れられるようになった犬をめぐる奇談です。もともとモラルに欠けていた町の人々が、犬の目を意識してその行状を改めていきます。犬が本当に超自然的な存在なのか、神の威光に触れたのかどうか、については、はっきりしないのですが、殺されたはずなのに蘇っているように見えるシーンもあるなど、神秘的なヴェールに包まれている部分があり、いろいろ考えさせる作品になっています。

「風船」
 オネートとセグレタリオ、二人の聖人は、地上ではだれひとり幸せでない、ということについて賭けを行います。オネートは、下界から貧しく幼い女の子の姿を見つけ出します。母親から風船を買ってもらった彼女の喜びは、まさしく幸せそのものでした。
 しかし、通りがかった三人組の若者たちは、その喜びをぶち壊してしまいます…。
 幼いがゆえの純粋な幸福感と、それに伴う絶望感を描いた作品です。風船を壊してしまう若者たちのタバコと、聖人が吸っているタバコが対比的に描かれているのも見事ですね。詩的な美しさのある作品です。

「護送大隊襲撃」
 三年間の収監から解放された山賊の頭プラネッタは、仲間たちがいるかっての砦を訪れます。様変わりしてしまっていたため、本人だと気付かれなかったプラネッタは、同房の囚人のふりをして話をしますが、自分がもはや彼らの頭ではないことを実感し、そこを去ります。
 一人で小屋に隠れ住むようになったプラネッタは、ある日現れた山賊志望の若者ピエトロを、まだ頭であるふりをして弟子とします。
 プラネッタはピエトロの手前、ほとんど誰も成功したことがない護送大隊を襲撃する計画を立てていることを話します。護送大隊には莫大な租税を運ぶために、武装した大人数の護衛がいるのです。ピエトロはプラネッタを止めようとしますが…。
 収監とそれによる体調の悪化から、その地位を追われてしまった山賊の元首領が、自らの意地をかけて護送大隊を襲撃しようとする物語です。
 無謀な計画であり、実際に失敗してしまうのですが、そこに現れたのはある「救い」だった…という、哀感あふれるお話になっています。結末の情景はまるで叙事詩のような美しさに溢れていますね。

「呪われた背広」
 とあるパーティで、見事なスーツを着ている男と知り合いになった「私」は、そのスーツがコルティチェッラという仕立屋の手になることを知ります。さっそく仕立屋を訪ね、スーツを作ったもらった「私」ですが、その見事な出来にも関わらず、妙な不快感を感じ、なかなか身につける気になりません。
 ようやく身につけた際に、右ポケットに手を入れると、そこには一万リラ札がありました。仕立屋の忘れ物かと思いきや、ポケットに手を入れる度に一万リラ札が出てくるのです。欲に囚われた「私」は、忙しなく紙幣を取り出しにかかりますが…。
 悪魔的な仕立屋が作った「呪われた背広」。際限なく金が引き出せるかのように見えますが、そこには邪悪な落とし穴が待っていた…という物語です。ろくなことにならないということが分かってからも、その誘惑には勝てない、という人間の愚かさが描かれており、風刺的な味わいも強いですね。

「一九八〇年の教訓」
 冷戦の最中、ソ連の最高指導者クルーリンが急死します。西側陣営がほっとしたのもつかの間、アメリカ大統領フレデリクソンも心筋梗塞で死去してしまいます。その後も要職に就いている人物が次々と死に見舞われます。
 どうやら人知を超えた力によって、地球上で権力者と見なされた人物は殺されているようなのです。命が惜しくなった人々は、進んで地位を投げ出すようになります…。
 権力者たちが命惜しさに地位を投げ出すようになり、その結果、平和がもたらされる…という風刺的なアイディア・ストーリーです。ふてぶてしく権力者の地位に居座るド・ゴールが、それにも関わらず相手にされていない、という部分はブラック・ユーモアたっぷりですね。

「秘密兵器」
 アメリカとソ連の対立は頂点に達し、ついにソ連はアメリカに向けて大量のミサイルを発射します。その直後、アメリカもソ連に向けてミサイルを発射します。世界の終わりを覚悟した人々は、ミサイルが白い煙のみを吐き出すのを見て安堵しますが、それは究極の「秘密兵器」でした…。
 究極の「秘密兵器」の効果とは…? 互いに開発していた、冷戦を終わらせるための兵器が、結局は双方の立場を入れ替えるものに過ぎず、冷戦の構造は全く変わらなかった、という作品です。

「小さな暴君」
 ジョルジュ少年は甘やかされた結果、小さな暴君といえる存在になっていました。おもちゃを買い与えても、ろくに見向きもせず、見せびらかしたいがためにそれらを集めていました。ジョルジュが出かけた際、少年の祖父は彼のトラックのおもちゃを触り壊してしまいます。
 ジョルジュがおもちゃの破損にいつ気がつくか、家族は戦々恐々と見守っていましたが…。
 わがままでつむじ曲がりの少年のおもちゃを祖父が壊してしまい、戦々恐々とするという物語。ドメスティックなテーマですが、どこか共感を覚える読者もいるのでは。

「天国からの脱落」
 神のもとで永遠の幸福を約束された聖人たち。しかし、ふと下界の光景をのぞき見た聖エルモジェネは羨望の念に囚われます。そこには、夢と希望にあふれた若者たちが集う姿が見えていたのです。
 永遠の幸福を捨ててでも、地上でやり直したいと、エルモジェネは神に懇願することになりますが…。
 神に祝福された聖人が、若者たちの夢と希望を羨望し、地上で生活をやり直そうとする、という物語です。変化のない永遠の幸福よりも、失敗する危険があろうとも夢や希望を追い続けたい、というポジティブなお話になっています。

「わずらわしい男」
 レモラと名乗る男が、勤務中のフェニスティのもとに面会に訪れます。聞いたこともないリモンタなる男の紹介で訪れたというレモラは、延々と自分の窮状を訴えます。あまりのわずらわしさに、フェニスティは、紙幣を渡してレモラを追い返すことになりますが…。
 その「わずらわしさ」によって、人々からお金を巻き上げる詐欺師の物語、と思いきや、後半では事態はエスカレートしていきます。教会で同じ事を繰り返し、なんと神や聖人さえ彼を嫌がって逃げ出してしまうのです。ブラック・ユーモアたっぷりのファンタジー短篇です。

「病院というところ」
 血だらけの彼女を抱きかかえた「僕」は、裏の門から病院の敷地内に入り助けを求めます。しかし、看護士は書類がなければ受け入れられないと突っぱねます。現れた医師もまた、入ってきた門について文句を言い始めますが…。
 人の命がかかった状態でありながら、病院の入り方や受付など、独自のルールを言い立てて、状況を全く考慮しない医療関係者たちを描いた作品です。形は違えど、現実社会にもあり得る事態をデフォルメして描かれたと思しいですね。

「驕らぬ心」
 都会の一角、廃車になったトラックで告解を始めたチェレスティーノ修道士のもとに、まだ若い司祭が告解に訪れます。彼は自分が「司祭さま」と呼ばれることに喜びを感じ、それが高慢の罪に当たるのではないかと心配していました。チェレスティーノは快く若者を赦します。
 数年後再び訪れた若者は、今度は「司教さま」と呼ばれることに罪を感じているというのです…。
 高慢の罪の告解に訪れた若い司祭が、訪れる度に地位がどんどん上がっていく…という物語。ささやかな「高慢」に罪を感じる若者の純真さに修道士は苦笑いしますが、その純真さゆえに、彼が評価されていくようになった、ということでもありましょうか。

「クリスマスの物語」
 クリスマスの夜、神と共に過ごす大司教のために、司教館を整えていた秘書のドン・ヴァレンティーノ。みすぼらしい男が現れて、その場所に感嘆します。自分にも少し神を分けてくださいという男に、大司教さまから神を奪おうというのか、とドン・ヴァレンティーノは怒りますが、
 その瞬間、建物の中から神が消えてなくなってしまいます。大司教のために、神を分けてもらおうと、外に出たドン・ヴァレンティーノでしたが…。
 大司教のための「神」を無くしてしまった秘書が、それを探し回る…というファンタジー作品。この作品に登場する「神」は、神の威光を帯びた空気のような存在として描かれています。善人のそばに発生するようなのですが、我欲や吝嗇といった気持ちを抱くと消えてしまいます。
 「神」を求めていく先々で、どんどんと「神」が失われていってしまう、というあたり、ファンタジーではありながら、シビアな雰囲気がありますね。本当に大事なものとは何なのか? という寓話的なメッセージも込められているようです。

「マジシャン」
 作家の「私」は、家に帰る途中で、知り合いのスキアッシ教授に出会います。彼の素性ははっきりせず、マジシャンだと噂する者もいました。近況を訊かれた「私」は、疲れもあり、自信なさげに応答しますが、スキアッシは、現代において作家という職業は本当に必要なのかと、議論をふっかけてきます…。
 現代における作家とその役割について、冷徹に語るスキアッシと、その言葉に滅入ってしまう作家の「私」の対話が描かれる作品です。
 スキアッシの言葉の妥当性にはうなずきながらも「私」が自らの作家としての使命感と意味に目覚める後半の展開には爽快感がありますね。
 ブッツァーティの作家としての矜持も窺えるようで、その意味でも興味深い作品です。

「戦艦《死(トート)》」
 第二次大戦時、フーゴ・レグルス海軍少佐は「作戦第9000号」と題された秘密作戦が存在し、部下だったウンターマイヤーを始めとした多くの人間がそのプロジェクトに駆り出されていくのを目にしていました。しかし極秘のその作戦の内容は全く知らされず、戦後に至っても、その内容は明かされていませんでした。
 レグルスはその作戦を調べていきますが、そのうちにそれは巨大な戦艦の建造計画だったのではないかと考えるようになります。折しも、行方不明だったウンターマイヤーが発見されます。
 ウンターマイヤーは自殺未遂をし、死を迎える前の短い間に、戦艦フリードリヒ二世号のその後のことを断片的に語ります。終戦時にすでに完成していた戦艦は、投降することを良しとせず、そのまま運行を続けていたというのですが…。
 その存在が秘匿されて続けていた、謎の巨大戦艦。終戦後も動き続けていた彼らは、いったい何と戦っていたのか? 一部の軍人の狂気から発した行動かと思いきや、実際に「敵」が現れ戦いを始める戦艦の姿に驚愕します。「敵」の正体は亡霊なのか、それとも異次元の存在なのか…。
 神秘的な雰囲気に包まれた、戦争奇談です。

「この世の終わり」
 ある朝、とてつもなく巨大な握りこぶしが町の上空に現れます。それが神による世界の終わりだと考えた人々は、あわてて告解をして救われようと、若い司祭を取り囲みますが…。
 世界の終わりに直面した人々のエゴイズムを描いた作品です。それが本当に世界の終わりなのか、司祭に告解をしたところで救われるのか、全く分からない状態ながら、極限状況で何かにすがろうとする人間たちの心理が描かれており、迫力がありますね。


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ささやかな不安  ディーノ・ブッツァーティ『七人の使者・神を見た犬 他十三篇』
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 ディーノ・ブッツァーティ『七人の使者・神を見た犬 他十三篇』(脇功訳 岩波文庫)は、原著短篇集『六〇物語』(1958年)から15篇を精選した作品集です。ブッツァーティの代表作が集められており、彼の作品を概観するには便利な短篇集になっています。
 「七人の使者」「七階」「なにかが起こった」などに代表されるように、突然起きる不条理な状況から人間の不安が抉り出される、というのがブッツァーティ固有の作風なのですが、その一方「大護送隊襲撃」「マント」「竜退治」など、感傷的な要素が強い物語もあります。共通するのは、人間存在の悲哀、といったところでしょうか。物語は取り返しのつかない状況や悲劇を迎えることが多いのですが、そこには奇妙なユーモアがあって、「陰鬱な話」にはならないのもブッツァーティ作品の美点ですね。

「七人の使者」
 父の治める王国を踏査しようと、国境を目指して旅に出た「私」。国と連絡を取れるよう、七人の伝令役を連れた「私」は順番に彼らを送り出します。かし数年の月日が経っても国境は見えてきません。使者が戻ってくる間隔も段々と長くなっていきますが…。
 国境調査の旅に出た王子が、いつまで経っても国境に辿り着けない…という象徴的・寓意的な作品です。使者たちが戻ってくる間隔がどんどんと長くなり、数年、やがては生命のある間に戻ってこれない可能性もあるなど、その時間的スケールが、一人の人間の人生を超えてしまうのです。
 「私」が目的地にたどり着けない可能性を考えながらも、希望を失わないところには、不条理でありながらも、奇妙な明るさがありますね。

「大護送隊襲撃」
 三年間の囚人生活を終えた山賊の首領ガスパーレ・プラネッタは様変わりしており、かっての仲間たちのもとに戻るものの、首領本人であるとは認めてもらえません。山賊たちはすでにアンドレアを次の首領としていました。
 一人暮らしを始めたプラネッタは、山賊に憧れる青年ピエトロと一緒に暮らし始めますが、彼の手前、大護送隊を襲撃することを宣言します。大量の租税を運び、それゆえ大人数の護衛が付く大護送隊襲撃には誰も成功したことがないのです。ピエトロは止めますが、プラネッタは本気だと話します…。
 囚人生活で山賊の首領からすべりおちてしまった男が、到底不可能な大護送隊襲撃を計画する…という物語。実際、悲劇的な結末を迎えることになるのですが、そこには「救い」があります。ある意味でハッピーエンド作品ともいえましょうか。

「七階」
 列車に乗って、七階建ての専門病院を訪れたジュゼッペ・コルテ。彼が入院することになったその病院には独自の仕組みがありました。症状の重さにしたがって、それぞれの階に患者が振り分けられるというのです。七階が最も症状の軽い者、下の階に行くにしたがって症状は重くなり、一階はもはや見込みのない者が収容されているといいます。
 最も病状の軽い者が行く七階に落ち着いたコルテは、病院の手違いで、次々と下の階に移されていくことになりますが…。
 軽症であったはずの男が、病院の手違いから次々と重症患者が入るはずの階に移されていってしまう、という不条理極まりないブラック・ユーモア短篇です。
 下の階に行くにしたがって、実際の症状も悪くなっているようで、実際にこのまま行くと死が待っているのではないか…と予測させる展開は非常に怖いです。
 窓のブラインドがゆっくりとおりていく…という結末の描写は非常に象徴的でインパクトがありますね。

「それでも戸を叩く」
 夜遅く、グロン一家の住む屋敷を訪ねてきた、知り合いの青年マッシゲール。彼が言うには雨で堤防が崩れ、この屋敷から避難しないと危ないというのです。しかしグロン夫人を始め、屋敷の人々は意に介そうとしません…。
 危機的な状況を耳にしながらも、一向に動こうとしない家族を描く作品です。家族の中でもグロン夫人は日常を脅かす事態を認識したくないようで、このあたり、寓意的な持たせられているようですね。
 直接物語の展開には関与しないのですが、序盤で登場する、貴重な古代の像を気に入らないという理由で捨ててしまうというエピソードは、グロン夫人の性格を示すうえでも面白いところですね。

「マント」
 二年ぶりに戦争から家に帰ってきた青年ジョヴァンニは、母親の哀願にも関わらず、すぐにまた出立しないといけないと話します。外に連れを待たせているというのです。しかも彼はずっとマントで体を覆い、それを脱ごうとしません…。
 青年がマントを脱ごうとしないのは何故なのか? 彼が待たせている男は何者なのか? 怪談的なシチュエーションを扱った幻想短篇です。

「竜退治」
 谷あいに竜が住んでおり、地元の者が山羊を供えていると聞いたジェロル伯爵は、その竜を狩ろうと、友人たちを連れて出かけます。実際に竜を見つけた伯爵はそれを殺そうとしますが…。
 実在の生物として竜が登場する作品です。楽しみで竜を残酷にいたぶる伯爵に対して、それまで一緒に楽しんでいた友人たちも領民たちも、竜に同情を感じるようになっていきます。痛々しさがあり、後味が悪という「嫌な話」ではありますね。

「水滴」
 ある日突然、その水滴は、自然法則を無視して階段を昇ってくるようになりますが…。
 階段を逆に昇ってくる水滴が描かれるだけのお話なのですが、それに対しての人々の不安もが描かれるという異色の作品です。水滴が何かの「寓意」とか「象徴」なのではと考えるあたり、メタフィクショナルな香りもしますね。

「神を見た犬」
 パン屋のデフェンデンテは、叔父の遺産相続の条件として大量のパンを毎日貧しい人に配らなければならないことになっていました。パンを持ち去る野良犬を見つけたサポーリが後を付けると、その犬は老隠者にパンを運んでいたことが分かります。隠者が亡くなった後も犬が町をうろついているのが目撃されますが…。
 隠者と一緒にいたことから、神から霊妙な力を授かったと信じられている犬が、人々から恐れられることになるという作品です。
 実際に犬に超自然的な力があったのかどうかは別として、人々がそう信じ込むことによって、ある種の倫理的規範が広がる…というところが面白いですね。

「なにかが起こった」
 北に向かう列車の中から、外で人々が慌てて南へ逃げ出していく様を目撃した「私」。しかし彼らが何に慌てているのかは全く分かりません…。
 列車の窓越しになにかが起こり、人々が逃げまどう様を目撃しながらも、それが皆目分からず、しかもその原因となっているであろう方向にどんどん進んでいく…という、人間の不安を凝縮したような作品です。途中で新聞の切れはしを入手するも、それも断片で何が何だか分からない…というのも不安を煽りますね。
 ブッツァーティ作品の本質を示すような短篇で、彼の代表作といってもいい作品だと思います。

「山崩れ」
 大きな山崩れが起こったと編集長から知らされ、記事執筆のためにゴーロの町を訪れた記者のジョヴァンニ。しかし現地ではそんな災難は起こっていないと聞かされます。少年からもっと上の村サンテルモではないかという話を耳にしたジョヴァンニはそちらに向かいますが…。
 山崩れを取材に訪れた記者の男がその事実を確認できず、うろつき回ることになる…という作品です。噂だけが拡大されて広まってしまう、という人間社会を諷刺した作品であるともいえるのでしょうか。
実 際には災難などなかった、という形に落ち着きながらも、それが実際に起こるかもしれない…という不安を煽るようなラストも不気味です。

「円盤が舞い下りた」
 教会の屋根に止まった円盤から降りて来た異星人と会話を交わすことになった司祭ドン・ピエトロ。十字架の意味が分からないという彼らに、ドン・ピエトロは神について語ります。しかし、彼らはそもそも禁断の木の実に手を出さなかったというのです…
 異星人の目から、神を信じている人間の態度を諷刺するという作品です。信仰している神や人間の態度が、第三者からは馬鹿げて見えてしまう…というところがシニカルですね。「原罪」を背負わなかった異星人に対し、人間は卑しくても、神に言葉をかけようともしない異星人よりましだ…と述懐する司祭の様子は、論理が破綻してはいるものの、ある種の人間らしさを示しているようです。
 宗教というものに対してのブッツァーティの考え方の一端を見るようで興味深いですね。

「道路開通式」
 首都と、孤立した場所にある町サン・ピエロとを結ぶ八十キロの新しい道路が開通し、その開通式が行われます。式典に参加した内務大臣モルティメール伯爵は、他の者と共に開通祝賀の旅に参加しますが、最後のニ十キロが石ころ道のままだったため、無理にその道を進むことになります。
 馬車も進めなくなり、徒歩になっても進もうとしますが、一人また一人と脱落していきます…。
 いつまで経ってもたどり着けない町を描いた、ブッツァーティお得意のテーマで描かれた作品です。この作品では道路が開通しきっていないことや、徒歩ではあまりに時間がかかる…ということから、飽くまで物理的な困難が描かれているのですが、そのうちに目的の町自体は本当に実在するのかどうか? という疑問までもが出てくることになります。
死を覚悟してまで進み続ける伯爵の姿が描かれる結末には、ある種の感動までもが感じられますね。

「急行列車」
 急行列車に登場していた「私」は列車のスピードが遅くなっていることに気付きます。数十分の遅れで着いた駅では恋人とも会えず、次の駅には数か月、更にその次には数年の遅れまでもが出ていることが発覚しますが…。
 急行列車であるはずの列車がどんどんと遅れ、最大数年までもの遅れが出てしまう、という作品です。数十分程度であきらめて帰ってしまう恋人に比べ、数年間も待ち続ける母親が描かれるあたりに、著者の母親への深い愛情が現れているとも取れるでしょうか。
 終着点に辿り着くことができるのか…という不安に満ちたラストも著者らしい味わいですね。

「聖者たち」
 生前は百姓で、長い時をかけて評価の高まってきた、地味な聖人ガンチッロ。何か仕事をしなければという思いに駆られた彼は、ささやかな奇跡をいくつか起こしますが、誰も彼の仕業だとは気づいてくれません…。
 天上で暮らす地味な聖者の日常が描かれるという、微笑ましいファンタジー作品です。
 聖者が主人公であるだけに、ブラックな結末にならないところも好感触です。聖者の身の回りのものがみな「神」である…という汎神論的な描写が見られるところも面白いですね。

「自動車のペスト」
 排気ガスを通じて感染し、感染するとエンジンが気管支炎みたいな音を立て、接続部分が瘤のように腫れ上がる、塗装面がかさぶたに覆われるなどの症状がある自動車のペストが流行り出していました。病気が発覚した車は回収され、焼かれてしまうのです。
 フィナモーレ侯爵夫人のお抱え運転手である「私」は、運転する黒いロールスロイスを愛していましたが、車に病気の兆候が出始めたことに気付いていました…。
 車に病気(ペスト)が発生する世界を描いた作品です。愛車に病気の兆候を発見した語り手が、何とかそれを治そうとするものの、悲劇的な結末を迎えてしまいます。
 他の作品でもそうですが、人間以外の生物や無生物に対する同情的な視点が現れていて、ブッツァーティの「優しさ」が感じられる作品ともなっています。



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生き物さまざま  ディーノ・ブッツァーティ『動物奇譚集』
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 ディーノ・ブッツァーティ『動物奇譚集』(長野徹訳 東宣出版)は、著者の没後、1991年に刊行された原著作品集『動物譚』より短篇36篇が訳出された作品集です。
 全て、動物をテーマにした作品となっています。書かれた年代は様々で、1930年代から晩年の1970年代初頭まで、長期間にわたっています。年代順に作品が配置されていて、奇しくもブッツァーティの作家的な軌跡を見ることもできる作品集なのですが、最初から最後まで作風がほとんど変わっていないところに驚きます。というよりも、最初から作風が完成されているというべきなのでしょうか。

 ホテルの解体により、そこに住み着いていたネズミたちが追われてしまうという「ホテルの解体」、仲間を求めて孤独に生き続ける怪物を描く「ひとりぼっちの海蛇」、かって閉じ込めてしまった犬の死に様を精霊から聞かされるという「いつもの場所で」、軍艦内での小さなゴキブリの果てしない挑戦を描く「驚くべき生き物」、船上で可愛がられていた犬が自分の扱いの変化に戸惑う「船上の犬の不安」、スイスの科学者によって蠅が全滅間際に追い詰められるという「蠅」、人間に反感を持つ鷲がその生涯を振り返る「鷲」、犬に飼われる夢を見た警官の物語「警官の夢」、死後もその骨から長期間にわたって良質な出汁を出し続ける豚の物語「豚」、殺虫剤が効かず、人間の言葉を話す蠅を描いた「しぶとい蠅」、共産主義にかぶれた犬を描く諷刺的な「進歩的な犬」、舞台の才能を持つ者を見抜き、光り出す猫の物語「興行師の秘密」、愛犬を殺された男が神にも等しい力を発揮するという「憎しみの力」、ネズミに残酷な実験を続ける科学者を描く「実験」、前世が犬だった男と、犬たちとの関係を描いた「出世主義者」、皇帝庭園の警備を任ぜられた兵士が上司たちの違反に戸惑うことになる「衛士の場合」、奇怪な魚と三人の魔女たちの物語「海の魔女」、その写真がチーズの売り上げに貢献したことからモデル料を自らつりあげるメスのネズミを描く「恐るべきルチエッタ」、死を間近に迎えた犬が永遠の救いを求める「犬霊」、巨大な塔の建設を決意した石工が、鳥たちの助けを借りて建設を進めるという「塔の建設」などを面白く読みました。

 全体的に悲劇的な結末をたどる動物たちが多いのですが、その一方、ユーモラスな姿を見せたり、したたかな姿を見せる動物も登場していますね。共産主義にかぶれた犬が東側に行ってしまうものの、結局しおれて帰ってくる「進歩的な犬」や、自分の価値を知ってどんどんと報酬を釣り上げるネズミの登場する「恐るべきルチエッタ」などでは、そのしたたかさが描かれています。

 ブッツァーティは愛犬家だったらしく、それもあるのでしょうが、動物の中でも犬の登場する率が高くなっています。かといって、犬が幸福になる話が多いかと言えばその逆、というところもシニカルですね。屋敷に閉じ込めら得てしまった犬がじわじわと衰弱していく様を描いた「いつもの場所で」、死を間近に迎えた犬が永遠の救いを求めるも、その願いはかなわないという「犬霊」など、かなり救いのない物語もあります。

 集中でも、妙な幸福感のある不思議な物語が「豚」です。戦争の過酷だった1944年、ナーネ・ファメガの農場で飼われていた豚ボンペーオは、その素晴らしい肉で人々を喜ばせます。八年後、ナーネのもとを再訪した「私」は、ボンペーオの残した骨がいまだ良質な出汁を出し続け、周囲の家庭に貸し出されていることを知ります…。
 死後も、何年にもわたって、その骨から良質な出汁を出し続ける豚の物語で、豚当人は食べられてしまっているのに、死後も周囲の人々に幸せを与え続けている…という奇妙な幸福感のある物語になっています。

 寓話的な「塔の建設」も面白いですね。若い石工のアントニオ・シッタは、町の塔を見て、自分一人で塔を立ててやろうと思いつきます。レンガを焼き始めるものの、一人ではなかなか進みません。そこへ鳥たちが次々とレンガを持ち寄り、作業が進むことになりますが、レンガ工や労働組合の人間たちはアントニオの作業の邪魔をします。夜に夜行性の鳥の助けを借りたうえで、長期間の作業を経て塔は完成しますが、検査委員会の委員長は規則違反だとして、塔を壊すと言い出します…。
 鳥たちの助けを借り塔を建設する…という流れもファンタスティックなのですが、完成した塔を壊されまいとして、アントニオが守りに入る後半も思いもかけない展開で驚かされますね。

 物事の結末がつかず、不安な状態のまま終わる…というブッツァーティのお得意のパターンの作品ももちろんありますが、ポジティブな形であれネガティブな形であれ(大体ネガティブですが…)、明確に「結末」のつくお話が多くなっている印象です。
 その意味で、他のブッツァーティ作品集を読んでいると、逆に新鮮な側面を味わえるのではないかと思います。


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本と人生  ファビオ・スタッシ『読書セラピスト』
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 イタリアの作家ファビオ・スタッシの長篇『読書セラピスト』(橋本勝雄訳 東京創元社)は、職を失い、読書セラピストを開業した男性が、ある女性の失踪事件に巻き込まれるという、文芸味あふれるミステリ作品です。

 パートナーと別れ、職も失った元国語教師のヴィンチェ・コルソは、ローマのメルラーナ通りにアパートを借り、そこで読書セラピストを開業することにします。クライアントは定期的に訪れますが、彼らを満足させることはなかなかできず、苦闘の日々を送っていました。
 ある日、階下に住む老齢の女性イザベッラ・パロディ夫人が失踪し、その夫には殺人犯の容疑がかかることになります。
 読書家だったパロディ夫人が、近所にある書店から借りていた本のリストを、書店主のエミリアーノから入手したヴィンチェは、夫人の失踪の謎について調べることになりますが…。

 パートナーも職も失ってしまった男性ヴィンチェが、その趣味を生かし、読書セラピストを開業するという物語です。クライアントの悩みを聞き、それに合った本を薦めるというのが読書セラピーなのですが、その仕事はなかなか上手く行きません。
 訪れるクライアントは、人生において現実的な悩みを抱えており、本質的に本を読むことによってそれが解決する、ということはほとんどないのです。完全に否定されてしまうこともあれば、軽蔑混じりに話だけを聞いてもらえることもある、という始末。
 しかし、現実的に解決の方法がないと考えているクライアントに、慰安としての本を薦めたりと、ある種成功といえるセラピーも体験するようになっていきます。

 ヴィンチェによって引用されるのは、ヘミングウェイ、ポール・オースター、ウォルター・テヴィス、ボルヘス、ホーソーン、ロマン・ガリ、小川糸など、メジャーな作家から日本ではあまり知られていない作家まで様々。人の悩みに本で対応しようとするヴィンチェの談義は読んでいて楽しいのですが、紹介している最中に、その本が暗い結末を迎えることや作者の最期が悲惨なことに気づいてハッとするシーンなどもあり、そこには、ある種の哀感とユーモアが入り混じっています。

 物語中、メインとなるのは、パロディ夫人の失踪事件なのですが、この事件に対して主人公ヴィンチェが重大な関わりを持っていたり切迫した事情があるわけではありません。飽くまで個人的な関心を持って、事件を調べ始めるという形なので、失踪事件の調査については、すぐに進展せず、物語全体を通して少しづつ進んでいく、という感じになっています。
 この事件の調査と同時に、別のクライアントたちとの読書セラピーのエピソードが挟まれていきます。帯の文句にあるような「ミステリ」的な興味が終始あるわけではなく、どちらかと言うと「人生の謎」を追い求めていく、というような物語になっています。実際、ヴィンチェがセラピーで出会う人間たちとも一度きりの出会いであり、彼らのその後が描かれることもありません。
 まさに「人生の一断面を切り取る」といった感じであり、その意味でパロディ夫人の事件も、個人的な興味の強さがあるとはいえ、ヴィンチェにとってはセラピーの一つでしかないのです。

 夫人の事件に関わりを持つのは、同じく「失踪」のモチーフを持つホーソーンの短篇「ウェイクフィールド」で、事件の真相が明かされたときには、その文学的類似にも関心させられますね。
 クライアントたちの人生、パロディ夫人の人生、そしてヴィンチェ自身の人生…。様々な人間模様が文学作品と共にイメージ豊かに描かれていくという、文芸味豊かなミステリです。本好きの読者には、大変楽しめる作品ではないでしょうか。



テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



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kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
twitter上でも活動しています。アカウントは@kimyonasekaiです。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」も主宰してます。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド 増補版』『奇妙な味の物語ブックガイド』『海外怪奇幻想小説ブックガイド1・2』『謎の物語ブックガイド』『海外ファンタジー小説ブックガイド1・2』『奇想小説ブックガイド』『怪奇幻想映画ガイドブック』を刊行。「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」も作成しました。



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