18世紀の怒れる若者  石井宏『天才の父 レオポルト・モーツァルトの青春』
レオポルト天才の父レオポルト・モーツァルトの青春
石井 宏
新潮社 2008-05

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 天才作曲家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。この名前を聞いたことのない人は、あまりいないのではないかと思います。それでは、彼の父親レオポルトについて知っている方は、どれだけいるでしょうか?
 息子の天才を見抜いたレオポルトは、早くから音楽の英才教育を施し、息子を神童と呼ばれる存在に育てました。父親の教育がなかったとしても、モーツァルトはのちに才能を発揮したのかもしれませんが、今日あるような評価は得られていなかったかもしれません。その意味で、レオポルトは優秀なプロデューサーであったともいえるのです。
 本書『天才の父 レオポルト・モーツァルトの青春』(石井宏 新潮社)は、そんなレオポルトの知られざる人生を語った読み物です。貴族でもなく、ただの平民出身の彼が、あそこまで息子に英才教育を施したという事実が、当時にあって、どれだけ異例のことであったのか。そしてレオポルト自身が、自身の才能と力を頼みに、封建社会の中でいかに生きたのか、ということに焦点を当てて描かれています。
 さて、タイトルでもわかるように、本書で具体的に描かれているのは、レオポルトの生誕から青春時代にわたる部分です。つまり本書では、息子のヴォルフガングは全く出てきません。著者によると、本書はモーツァルト家の歴史を描くシリーズで、本書はその第一部というわけですね。
 いくらモーツァルト好きの方でも、まったくモーツァルト自身が出てこないんなら、興味がわかないんじゃないの?と思われがちでしょうが、これがまた面白いのです! レオポルトが、人並み優れた自分の能力をうまく使って、社会でのし上がろうという過程が描かれていくのですが、当時の封建社会にあっては、財産も家柄も持たない人間がのし上がるのが、いかに難しいかが、実例を持って示されていきます。鬱屈した思いをかかえるレオポルトの等身大の人間像が浮かび上がってくるのと同時に、レオポルトがそうならざるを得なかった、当時の時代背景や人間の考え方が、リアルに描かれるのです。
 例えば、貴族の家に雇われることになったレオポルトに、仕事を斡旋してくれた人物がかける言葉を見てみましょう。

 貴族の家には、不合理な生活、不合理なしきたり、不合理な存在がうようよしている。それをちょっと整理したり改善したりするだけで、事態はずっと良くなる。それは、君が一歩その社会に入ればすぐわかることだし、だれの眼にもすぐわかることだ。そういう、眼につくムダ、浪費の山を改革しようなどとは決して思ってはいけない。なぜかといえば、一見ムダや浪費、不合理に見えるものの蔭には、だれかの利益があるからだ。

 貴族社会の後進性、腐敗した生活がよくわかります。実際レオポルトは、この貴族たちの社会で苦しめられることになるのです。そして彼は、貴族たちだけでなく、自分の同僚や部下にもまた悩まされます。

 つまり、要するに……こんなこと言いたかないけど、正直言って、何をやっててもおんなじだということよ。だれも音楽なんか、まともに聴いてるやつはいねえのさ。集まってくる客たちは飲んで食って、しゃべって笑って、がやがやわいわいやってるだけなのよ。

 これは、レオポルトが楽士長として勤めることになった家の、部下の楽士の言葉です。宴席で演奏する楽士たちの音楽は、貴族たちにとっては、ただのBGMでしかない、という事実を表しています。
 こんな感じで、社会の無理解・硬直性に対して、一生懸命立ち向かうレオポルトの姿が描かれていきます。しかし彼のふんばりに対して与えられるのは、せいぜいが二流の楽士の肩書き。そんな折りに訪れたのは、ある娘との結婚の話でした。
 妻とのおだやかな生活の中で、レオポルトにも変化が現れていきます。そして待望の息子ヴォルフガングが誕生するとことで、本書の幕は閉じられるのです。
 上にも述べましたが、結局、モーツァルト自身が登場するのは、最後の数ページ。しかも生まれたばかりの赤ん坊としてです。その意味で本書は、完全に父親レオポルトの物語となっています。
 著者は、上昇志向の強い青年レオポルトを、スタンダールの生み出したキャラクターである「ジュリアン・ソレル」になぞらえていますが、それもむべなるかな、と思わせるぐらい、彼らの人生には共通点があります。その意味で、18世紀を舞台とした「怒れる若者」の物語ともいえるのではないでしょうか。
 モーツァルトの父親レオポルトを中心としたというだけでも、意欲的な作品なのですが、彼を「天才の父親」としておとしめるのではなく、かといって「偉大な父親」と礼賛するわけでもない。あくまで、18世紀という時代のなかで生き抜いた一個の人間として描かれている、という点でじつに見事な作品となっています。作曲家モーツァルトについて書かれた本というよりは、18世紀を舞台とした歴史小説、という捉え方で読んだ方が、より楽しめる作品かもしれません。
バッハ系ドイツ人  バッハの息子たちの音楽
Wilhelm Friedemann Bach: Concerti W.F. Bach: Oeuvres pour clavecin C.P.E.バッハ:ヴァイオリンソナタ集C.Ph.E. Bach; 6 Hamburg Symphonies, Wq. 182 Bach: Die Kindheit Jesu (The Infancy of Jesus); Wachet auf (Awake) バッハ:6つのシンフォニア
 バッハといえば「音楽の父」と称される、有名な作曲家です。音楽に興味がない方でも、バッハの名前は聞いた事があると思います。ただし「バッハ」という作曲家が、ひとりではない、というのはご存じでしょうか?
 じつは、この「バッハ」、音楽を生業とした音楽家の一族なのです。現在では、ただ「バッハ」と言えば、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)のことを指すのですが、このヨハン・セバスティアン以外にも、一族から優秀な音楽家を多数輩出しています。このため、ヨハン・セバスティアンのことを、他の一族と区別して「大バッハ」という言い方をすることもあります。
 当時、画家や音楽家という職業を子孫に受け継ぐ、というのは珍しいことではありませんでした。そもそも18世紀においては、現代のような「芸術家」という概念がまだ生まれておらず、画家も音楽家も、貴族や王侯に使える「職人」という位置づけだったのです。ただ、それにしてもバッハ家は、一族総出ではないかというぐらい、多くの人間が音楽を生業にしていた、という点で、じつにユニークな一族です。
 同じ名字を持つ人間が、同じ職業についている、ということから想像がつくように、当時の人々も、彼らバッハ家の人間を区別するのに苦労したことと見えます。アメリカのユーモリスト、フランク・サリヴァンは『忘れられたバッハ』(浅倉久志訳『忘れられたバッハ  ユーモア・スケッチ絶倒篇』ハヤカワ文庫NV収録)という作品の中で、このあたりの事情を茶化して書いています。

 そこで、彼らはバッハ一族を名前で区別するのをあきらめ、そのかわりにバッハ家の一人ひとりを、それぞれがオルガン奏者をつとめる都市に結びつけようと試みた。

 事実、当時のドイツでは、駅弁あるところ必ずバッハが住んでいた、といわれる。さて、そこでなにが起こったか? ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハは、ドレスデンの教会オルガン奏者だという理由で、ドイツ人からドレスデン・バッハと名づけられたとたん、ハレへ引っ越した。カール・フィリップ・エマヌエルは、ベルリンの宮廷オルガン奏者だという理由でベルリン・バッハと呼ばれたとたん、ハンブルクへ移った。

 同じ名字の親戚を、当人が住む都市の名前で呼ぶ、というのは日本でもある習慣ですね。ただ、上に引用した部分の内容、じつはフィクションではなく事実です。バッハ家の人間は引っ越し魔らしく、やたらと引っ越しているのです。
 さて、長くなりましたが、これからが本題。「大バッハ」ヨハン・セバスティアンは、今でこそ「大作曲家」ですが、生前にはそれほどの評価を受けていませんでした。腕のいい中堅作曲家、というのが当時の世間の見方であり、むしろ、彼の息子たちの方が有名だったのです。
 ヨハン・セバスティアンの息子たちのうち、4人が有名な作曲家になりました。今でこそ知名度は父親に及びませんが、彼らは、後の古典派へとつながる音楽史の潮流を作り出したという意味で、重要な位置を担っています。また、それぞれが父親とは違った魅力を持った音楽を作っています。そこで今回は、彼らバッハの息子たち4人の音楽を、簡単に紹介してみたいと思います。

 まずは、長男ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710~1784)。通称「ドレスデンのバッハ」または「ハレのバッハ」。
 初めて誕生した男の子ということもあり、父親から溺愛されて育ちました。音楽的な才能は突出していたものの、克己心に欠ける不安定な性格だったため、世間的には大成せずに終わりました。
 しかし彼の音楽は、今聞くとなかなか魅力的です。いささか不安定ながら、ファンタジーに富み、幻想的とさえいっていい曲を書いています。当時の他の作曲家たちの曲と比べても、あまりに異質な曲調はオリジナリティの証明でしょう。オルガンやチェンバロなどの、鍵盤による即興曲には、先の読めない面白さがあります。

 次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714~1788)。通称「ベルリンのバッハ」または「ハンブルクのバッハ」。
 当時「バッハ」と言えば、この人のことを指すぐらい、広く影響力を持った作曲家です。ヨーゼフ・ハイドンも彼を尊敬していたとか。
 プロイセンのフリードリヒ大王に仕えるものの、意見の相違から大王と喧嘩別れをし、後にハンブルクの音楽監督に就任します。
 「多感様式」と呼ばれる彼の作風は、激しい転調が特徴的で、今聞いても刺激的な音楽です。とくに「ハンブルク交響曲」と呼ばれる交響曲群は傑作。形式的には似たような曲が多かった時代にあって、一度聞いただけで判別できるぐらい独創的な曲を書いた「天才」作曲家。

 ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ(1732~1795)。通称「ビュッケブルクのバッハ」。
 バッハ家には珍しく、ひとつの都市にとどまりつづけ、平穏な一生を送りました。ヘルダー(1744~1803)との出会いから、文学的な要素を音楽に取り込みます。アクの強い兄弟たちの中にあって、適度に保守的、適度に革新的、というバランスのとれた作風です。

 ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735~1782)通称「ミラノのバッハ」または「ロンドンのバッハ」
 ヨハン・セバスティアンの末っ子。バッハの息子たちの中で、唯一オペラに手を染めました。ミラノでデビューするも、後にロンドンに渡ります。カール・フリードリヒ・アーベル(1723~1787)とともに、公開演奏会の先駆となる『バッハ・アーベル・コンサート』を主催し、人気を博します。ここでクリスティアンの曲を聴いたモーツァルトが絶大な影響を受けたのは有名。
 オペラで鍛えただけあって、交響曲や鍵盤曲など他のジャンルでも、歌うような流麗な旋律が特徴です。一見してモーツァルトと区別がつかないぐらい似た作風を持っています(実際は、モーツァルトがクリスティアンを真似ているのですが)。

 カール・フィリップ・エマヌエルやヨハン・クリスティアンの音楽は、後にハイドンやモーツァルトに大きな影響を与えました。バロック時代から古典派のはざまにあたるこの時代、音楽史的には「前古典派」と呼ばれますが、バロックとも古典派とも違う、過渡期の荒削りながらユニークな音楽は、今聴いても充分な魅力を持っています。
 昨今では、モーツァルトしか聴かないモーツァルト・ファンなども多いと聞きますが、バッハの息子たちの曲で、モーツァルトの源流の一端にふれる、というのも貴重な体験ではないでしょうか。
 ちなみに、上で引用した『忘れられたバッハ』は、バッハ家に音痴の息子が誕生し、一族のもてあましものになる、というユーモア短篇です。これもなかなか面白いので、機会があったら、ご一読をお勧めしておきます。
文学と音楽のはざまで ホフマンによる音楽紹介
ジュゼッペ・タルティーニ:ヴァイオリン協奏曲 全集 シュターミッツ:交響曲集(Stamitz: 4 Symphonies) レオ:チェロ協奏曲(全6曲) Martini: Sonatas Cello Concerti 1-3
 絵画、音楽、文学、と多方面に才能を発揮した、ドイツ・ロマン派の幻想作家、エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(1776-1822)。作家として名を成した彼が、いちばんなりたかったのは「音楽家」だったといいます。それだけに「挫折した音楽家」である彼の文学作品、その大部分には、音楽が何かしらのテーマやモチーフとして使われているのが特徴です。
 さて、ホフマンの生きた時代は、音楽史でいうところの「古典派」の時代。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)やルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)の活躍期と重なります。筆名の「アマデウス」がモーツァルトにあやかったと言われているように、ホフマンがモーツァルトの心酔者だったのは有名です。
 ホフマンの作品を読むと、モーツァルトを初めとして、音楽家の名前がよく出てきますが、その大部分は、一般の人には馴染みのない名前でしょう。
 しかし、クラシック界では、近年「古楽器」によるバロック・古典派の音楽家の復興が盛んになり、今まで音楽辞典でしか見たことのなかったような作曲家の作品がCDとして出され、実際に耳にすることができるようになっています。なかには「世界初録音」の作曲家であるとか、作品も珍しくなくなっているのです。
 今回はホフマンの短篇作品『クレスペル顧問官』(池内紀訳『ホフマン短篇集』岩波文庫収録)をサンプルとして、何人かの作曲家を紹介していきましょう。ちなみにこの『クレスペル顧問官』は、次のような物語です。
 語り手は、あるとき、奇人として有名な、クレスペル顧問官と知り合います。クレスペルは学識豊かな法律家であり、趣味とするヴァイオリン製作の腕にかけては、超一流との評判でした。クレスペルの家には、アントニエという非常に美しい娘がいますが、クレスペルは彼女を家から一歩も出さずに軟禁しているというのです。何年か前に突然クレスペルが連れてきたというアントニエ、彼女とクレスペルの関係がどんなものなのかは、誰も知りません。
 ふとしたことから、クレスペルの家に招かれた語り手は、彼とヴァイオリンの話で盛り上がります。美声の持ち主であるというアントニエの歌を聞いてみたいと考えた語り手が、ふとピアノで伴奏を始めると、アントニエは目を輝かせてピアノの前にとんできます。しかし、その様子を見ていたクレスペルは何故か激怒し、語り手は追い出されてしまうのですが…。
 クレスペルとアントニエとの関係とは…? 二人の人物についての謎が、読者の興味を引っ張っていきます。ユーモアも交えた魅力的な人物描写と、全体を通して流れる幻想性。そこにはもちろん音楽が重要な意味を持って現れてきます。ホフマンの名作のひとつといえるでしょう。
 それでは、作中からいくつか引用してみましょう。

 「あれね、あのヴァイオリンはですな-」といって、こんな話をした。
 「名も知れない名人の作でして、タルティーニの時代につくられたものと思いますね。…」


 ジュゼッペ・タルティーニ(1692-1770)は、18世紀前半に活躍したイタリアのヴァイオリニストにして作曲家。夢のなかで悪魔に教わったという逸話のある『悪魔のトリル』で有名です。悪魔的な技巧を持ったヴァイオリニストといえばパガニーニ(1782-1840)が有名ですが、さしずめタルティーニは18世紀版パガニーニといったところでしょうか。ヴァイオリン・ソナタやヴァイオリン協奏曲では、技巧もさることながら、優美な旋律美が特徴です。
 
  「故しゅたーみっつ氏が引退興行ノ際ニ用イタル弦ノ一部ナリ」

 これはカール・シュターミッツ(1745-1801)のことでしょうか。ドイツのマンハイム楽派の祖、ヨハン・シュターミッツの息子で、ヨーロッパ各地で演奏旅行を行い人気を博しました。モーツァルトが、書簡のなかでこの人のことを「書き殴り屋」と言っていることでも有名。しかし実際シュターミッツの曲はかなりモーツァルトに近い感じで、なかなか魅力的。優雅で落ち着いた感じのする曲が多いです。

 と言いながら、古いレオナルド・レオの名曲を弾きはじめたとたん、アントニエの頬がぱっと赤らんだ。

 レオナルド・レオ(1694-1744)は、イタリア、ナポリの作曲家。オペラ、教会音楽、器楽曲など多方面の作曲を行い、どれも高い質を保っています。「スターバト・マーテル」で知られるペルゴレージ(1710-1736)の師匠でもあります。チェロ協奏曲がよく演奏されるようですが、どの曲も「歌うような」旋律を持っています。

 アントニエは繊細な感受性によって、変わり者の父の心の底にあるやさしさを感じとっていたようだった。彼女はマルティーニ作のモテットを歌った。

 ジョヴァンニ・バッティスタ・マルティーニ(1706-1784)は、イタリアの作曲家。音楽学者としても名声を馳せ、学識豊かな音楽教師として、人望も厚かった人です。モーツァルトが指導を受けたことでも非常に有名です。

 『クレスペル顧問官』のあらすじからもわかるように、ホフマンの作品の大部分は、だいたいにおいて音楽が重要な位置を占めています。音楽に興味のない人でももちろん楽しめますが、ホフマンの言及する作曲家や曲を聞くことで、さらに楽しみを増すことができるのではないでしょうか。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



プロフィール

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主催。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。



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