 絵画、音楽、文学、と多方面に才能を発揮した、ドイツ・ロマン派の幻想作家、エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(1776-1822)。作家として名を成した彼が、いちばんなりたかったのは「音楽家」だったといいます。それだけに「挫折した音楽家」である彼の文学作品、その大部分には、音楽が何かしらのテーマやモチーフとして使われているのが特徴です。 さて、ホフマンの生きた時代は、音楽史でいうところの「古典派」の時代。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)やルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)の活躍期と重なります。筆名の「アマデウス」がモーツァルトにあやかったと言われているように、ホフマンがモーツァルトの心酔者だったのは有名です。 ホフマンの作品を読むと、モーツァルトを初めとして、音楽家の名前がよく出てきますが、その大部分は、一般の人には馴染みのない名前でしょう。 しかし、クラシック界では、近年「古楽器」によるバロック・古典派の音楽家の復興が盛んになり、今まで音楽辞典でしか見たことのなかったような作曲家の作品がCDとして出され、実際に耳にすることができるようになっています。なかには「世界初録音」の作曲家であるとか、作品も珍しくなくなっているのです。 今回はホフマンの短篇作品『クレスペル顧問官』(池内紀訳『ホフマン短篇集』岩波文庫収録)をサンプルとして、何人かの作曲家を紹介していきましょう。ちなみにこの『クレスペル顧問官』は、次のような物語です。 語り手は、あるとき、奇人として有名な、クレスペル顧問官と知り合います。クレスペルは学識豊かな法律家であり、趣味とするヴァイオリン製作の腕にかけては、超一流との評判でした。クレスペルの家には、アントニエという非常に美しい娘がいますが、クレスペルは彼女を家から一歩も出さずに軟禁しているというのです。何年か前に突然クレスペルが連れてきたというアントニエ、彼女とクレスペルの関係がどんなものなのかは、誰も知りません。 ふとしたことから、クレスペルの家に招かれた語り手は、彼とヴァイオリンの話で盛り上がります。美声の持ち主であるというアントニエの歌を聞いてみたいと考えた語り手が、ふとピアノで伴奏を始めると、アントニエは目を輝かせてピアノの前にとんできます。しかし、その様子を見ていたクレスペルは何故か激怒し、語り手は追い出されてしまうのですが…。 クレスペルとアントニエとの関係とは…? 二人の人物についての謎が、読者の興味を引っ張っていきます。ユーモアも交えた魅力的な人物描写と、全体を通して流れる幻想性。そこにはもちろん音楽が重要な意味を持って現れてきます。ホフマンの名作のひとつといえるでしょう。 それでは、作中からいくつか引用してみましょう。
「あれね、あのヴァイオリンはですな−」といって、こんな話をした。 「名も知れない名人の作でして、タルティーニの時代につくられたものと思いますね。…」
ジュゼッペ・タルティーニ(1692-1770)は、18世紀前半に活躍したイタリアのヴァイオリニストにして作曲家。夢のなかで悪魔に教わったという逸話のある『悪魔のトリル』で有名です。悪魔的な技巧を持ったヴァイオリニストといえばパガニーニ(1782-1840)が有名ですが、さしずめタルティーニは18世紀版パガニーニといったところでしょうか。ヴァイオリン・ソナタやヴァイオリン協奏曲では、技巧もさることながら、優美な旋律美が特徴です。 「故しゅたーみっつ氏が引退興行ノ際ニ用イタル弦ノ一部ナリ」
これはカール・シュターミッツ(1745-1801)のことでしょうか。ドイツのマンハイム楽派の祖、ヨハン・シュターミッツの息子で、ヨーロッパ各地で演奏旅行を行い人気を博しました。モーツァルトが、書簡のなかでこの人のことを「書き殴り屋」と言っていることでも有名。しかし実際シュターミッツの曲はかなりモーツァルトに近い感じで、なかなか魅力的。優雅で落ち着いた感じのする曲が多いです。
と言いながら、古いレオナルド・レオの名曲を弾きはじめたとたん、アントニエの頬がぱっと赤らんだ。
レオナルド・レオ(1694-1744)は、イタリア、ナポリの作曲家。オペラ、教会音楽、器楽曲など多方面の作曲を行い、どれも高い質を保っています。「スターバト・マーテル」で知られるペルゴレージ(1710-1736)の師匠でもあります。チェロ協奏曲がよく演奏されるようですが、どの曲も「歌うような」旋律を持っています。
アントニエは繊細な感受性によって、変わり者の父の心の底にあるやさしさを感じとっていたようだった。彼女はマルティーニ作のモテットを歌った。
ジョヴァンニ・バッティスタ・マルティーニ(1706-1784)は、イタリアの作曲家。音楽学者としても名声を馳せ、学識豊かな音楽教師として、人望も厚かった人です。モーツァルトが指導を受けたことでも非常に有名です。
『クレスペル顧問官』のあらすじからもわかるように、ホフマンの作品の大部分は、だいたいにおいて音楽が重要な位置を占めています。音楽に興味のない人でももちろん楽しめますが、ホフマンの言及する作曲家や曲を聞くことで、さらに楽しみを増すことができるのではないでしょうか。 テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学
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