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あり得ない色  バラージュ・ベーラ『ほんとうの空色』
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 バラージュ・ベーラ『ほんとうの空色』(徳永康元訳 岩波少年文庫)は、不思議な花から作った絵の具『ほんとうの空色』によって、不思議な出来事が起こるというファンタジー作品です。

 せんたく屋を営む母親と貧しい生活を送る少年カルマール・フェルコーは、母親の手伝いで宿題をする時間も取れず、学校では劣等生とされていました。絵の得意なフェルコーは、金持ちの少年チェル・カリに、絵を描いてあげると持ち掛け、彼から絵の具と画用紙を借りることになります。
 家で絵を描いている途中でお使いを頼まれたフェルコーが戻ってみると、あい色の絵の具がなくなっていることに気づきます。飼い猫のツィンツが動かしたのかとも思いますが、絵の具は見当たりません。フェルコーは用具を返すのを引き延ばそうとしますが、チェル・カリは盗んだと騒ぎ出します。
 町はずれの野原に咲く青い花を見つけたフェルコーは、用務員のおじさんから、その花は、昼に一分間しか咲かない『ほんとうの空色』という花だと教えられ、その花を摘んで絵の具を作ることにします。絵の具を作ったフェルコーは、描きかけの絵の空を『ほんとうの空色』で塗りますが、その絵には不思議な出来事が起こっていました…。

 少年が見つけた不思議な花から作った絵の具『ほんとうの空色』。その絵の具を塗ったものには不思議な出来事が起こる…というファンタジー作品です。
 『ほんとうの空色』で描かれたものは現実と同じ効果を発揮するようなのです。描かれた空は曇ったり晴れたりします。月が出ていればその光が出たり、太陽が出ていればその熱や熱さを感じ取ることもできるのです。その効果を利用して体を温めたり、火をつけたり、といったシーンが出てくるのも面白いところですね。
 不思議な魔法の力が描かれる一方、主人公の少年フェルコーが置かれた現実生活はかなりシビアです。経済的に苦しい家庭なのはもちろん、それが理由で勉強もできず、劣等生になってしまうのです。
 趣味である絵に使う道具も、まともに買うことができません。いじわるな少年チェル・カリを始め、同級生にはフェルコーを馬鹿にする者たちも多いほか、教師もそうした事情を顧みない高圧的な存在として描かれています。唯一、フェルコーに好意を寄せるのは女生徒ダーン・ジュジだけで、彼女とチェル・カリに関しては、フェルコーと『ほんとうの空色』 をめぐるあれこれに絡んでくることになります。

 フェルコーをめぐる現実生活が厳しくシビアに描かれることによって、逆に『ほんとうの空色』 の魔法がロマンティックに見える…という効果も働いているようですね。
 興味深いのは、主人公フェルコーが不思議な力を手に入れながらも、それによって現実を変えるとか、人生を一変させる…という方向には話が進まないところです。飽くまで、一時的な魔法の力を楽しむ、という感じなのですよね。そのあたりの感触もあって、題材は完全なファンタジーでありながら、「現実」の香りが強い物語になっているのも特徴でしょうか。
 それを示すように、後半では、『ほんとうの空色』 の原材料が少なくなり、魔法の力がだんだんと弱まっていくという展開にもなっています。

 キャラクターとして印象深いのはは、フェルコーの飼い猫ツィンツ。青い絵の具を食べたねずみを食べて青色になってしまいます。自分を売らせてお金を家族に与えた後に、逃げ出してまた戻ってきてしまいます。この猫のキャラにも、シビアな現実が反映しているようですね。

 バラージュ・ベーラ(一八八四年~一九四九年)はハンガリーの作家。映画理論家として有名な人ですが、創作もいくつか残しています。『ほんとうの空色』はその中でも名作の評価が高いものです。

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言葉の力  ヴァーツラフ・ハヴェル『通達/謁見』
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 チェコの作家ヴァーツラフ・ハヴェル(1936-2011)の戯曲集『通達/謁見』(阿部賢一、豊島美波訳 松籟社)は、「言葉」をテーマとした不条理度の高い戯曲二篇を収録した作品集です。

「通達」
 役所の局長グロスは、局長代理のバラーシュから、自分の知らぬ間に、効率化を図るための人工言語「プティデペ」が組織に導入されたことを聞かされます。「プティデペ」は自然言語とは全く似ておらず、その習得には相当の困難が伴う言語でした。
 既にその教育機関が役所内に作られていたことにもグロスは驚きますが、その言語が理解できる者はほとんどいないというのです。翻訳しようにも翻訳すらできず、そもそもその翻訳の許可さえがまともに取れない仕組みになっていました。
 いつの間にかすべてを取り仕切っていたバラーシュに気圧され、困惑したグロスは、バラーシュに局長の座を譲り渡してしまいます…。

 ある日突然、聞いたこともない人工言語が導入された組織の困惑を描く不条理作品です。
 局長グロスが知らぬ間に、代理のバラーシュが勝手にその言語「プティデペ」を導入しており、組織はその言語中心に動くようになっていました。しかし、バラーシュ自身、その言語を理解するのはおろか、そのシステムを使いこなすことはできないことが分かってくるようになります。
 そもそもこの言語、正確さを高めるために従来の原語とは全く似ないよう作られているため、やたらと単語が長くなる傾向があります。一番長い単語は文字が319文字もあるというのです。
 たびたび挟まれる「プティデペ研修所」では、教師ペリナによって「プティデペ」の奇怪極まりない複雑さが語られていく…というのも人を食っていますね。
 効率化のために導入されたはずの言語が、煩雑さと複雑さを増すだけにしかならないのにも関わらず、上からの命令だということで広められてしまう様が、喜劇的なトーンで描かれていきます。
 しかも、後半ではそれが「命令」ですらなかったこと、それを否定するような通達が来ても、誰もそれが読めないこと、などとも相まって、その混沌さが増していきます。人工言語導入以前に、役所内では元々まともに仕事がなされていないことが示される部分にも諷刺が効いていますね。
 1960年代に書かれており、当時のチェコの社会情勢が反映されているのだとは思いますが、そうした社会諷刺の意味を超えて、今読んでも普遍的な味わいの感じられる作品になっています。

「謁見」
 ビール工場に勤める、元劇作家のヴァニェクは醸造長から呼び出しを受けます。ビールを進めながら話す醸造長は、ヴァニェクに楽な環境への移動を提案しますが、肝心なことを話さず、何度も堂々巡りの話を繰り返します…。

 こちらは短い一幕劇なのですが、社会的に強く影響を持った作品だとか。社会主義の圧政下における密告の苦しさを一幕の「謁見」で象徴させた作品です。
 醸造長は、ヴァニェクを特別扱いしてやろうという意思を示し、一方ヴァニェクはそれに感謝しているという態度を崩しません。しかし酔った醸造長は、インテリに対する反感を示し始めます。圧迫をする側と見える醸造長もまた、苦悩しているようなのです。
 知り合いの女優を連れてきてくれとヴァニェクに頼む醸造長の態度が、単なるミーハー根性ではなく、彼の「救い」なのかもしれないのが分かる後半部分にはインパクトがありますね。
 社会体制が人間全体を苦しめている様を象徴的に描いた作品、と言えるでしょうか。


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物語の生まれる場所  カレル・チャペック『長い長い郵便屋さんのお話』
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 カレル・チャペック『長い長い郵便屋さんのお話』 (栗栖茜訳 海山社)は、チェコの作家チャペックによる、九篇を収めた童話集です。

 ふと寝込んでしまった郵便局員が夜中に郵便の仕事をしている小人たちと出会う「長い長い郵便屋さんのお話」、川に住む不思議なカッパたちの物語「カッパのお話」、竜退治に駆り出されたお巡りさんたちと、卵から生まれた竜を育てることになった男の物語「長い長いお巡りさんのお話」、見知らぬ人からカバンを預かったホームレスの男が窃盗犯として逮捕されてしまうという「クラールという名のホームレスのお話」、紳士として育てられた大盗賊の息子が家業の盗賊を継ぐことになるという「大盗賊ロトランドの息子のお話」、喉に実をつまらせた魔術師を治療に訪れた医者たちが長々とお話を語るという「長い長いお医者さんのお話」、元気な犬が色々と騒動を引き起こす「ヴォジーシェクという名の犬のお話」、様々な小鳥たちの様子を描いた「小鳥のお話」、王女のもとにやってきた子ネコをきっかけに起こる色々な事件を描いた「長い長いいたずら子ネコと王女様のお話」を収録しています。

 現実世界でリアルに展開するお話かと思っていると、急に奇想天外な要素が登場して、思いもかけない展開になるのが魅力です。話の途中で出てきた別の人物が全く別のお話を始めるなど、その構成も融通無碍ですね。

 表題作「長い長い郵便屋さんのお話」は、仕事中に寝込んでしまい、目を覚ますと郵便局に住み着く小人たちに囲まれていた郵便局員を描く物語。宛先の書かれていない手紙を届けるために旅に出るという、意想外に壮大なお話になっています。小人たちの食料が、落としたパン屑とか、封筒の糊だったりと、妙にリアルなところに笑ってしまいますね。

 「長い長いお巡りさんのお話」では、警官の業務報告の話が、いつの間にか竜退治の話になってしまいます。沢山の頭を持つ竜を退治するための警官たちの奇想天外な手段も読みどころです。また竜に関わるエピソードも二段構えになっていて、竜退治のエピソードの次には卵から孵った竜を育てる男性を描くエピソードも登場します。こちらも楽しいお話ですね。

見知らぬ人からカバンを預かった、善人のホームレスの男が窃盗犯として疑われ続け、果ては死刑にまでされそうになってしまう「クラールという名のホームレスのお話」、父親の希望で修道院で教育を受け、紳士となった大盗賊の息子が、父親の家業を受け継ぐものの、その礼儀正しさが禍して、逆に騙され続けてしまうという「大盗賊ロトランドの息子のお話」などは、シンプルに面白い物語になっています。「大盗賊ロトランドの息子のお話」では、予想外にブラックな結末も風刺が効いていますね。

 「長い長いお医者さんのお話」「長い長いいたずら子ネコと王女様のお話」は、それぞれ小粒な挿話を含んだ枠物語のような形式になっています。

 「長い長いお医者さんのお話」では、のどにプラムの実をつまらせた悪名高い魔術師を助けるために、弟子によって呼ばれた医者たちが治療をする様子が描かれます。普段人を困らせている魔術師を懲らしめてやろうと、医者たちは治療をそっちのけで延々といろんなお話をする、という趣向です。
 中では、名前を聞き違えたことから医者と間違えられ、東洋の国のお姫さまの治療に連れてこられた木こりを描くエピソードが楽しいです。医術を全く知らない木こりは、とりあえず部屋の外の木を切り倒し風通しを良くしますが、それが功を奏してしまうのです。
 「長い長いいたずら子ネコと王女様のお話」は、知恵者のおばあさんが銀貨と引換えに王女のもとに連れてきた子ネコのユーラをきっかけに、様々な事件が起こるという物語。
 部屋から落ちてしまったユーラが魔術師にさらわれてしまい、その後を名探偵シドニー・コールが追うというエピソードが目立って面白いです。
 警官や刑事たちが全く捕まえられず、拳銃を何発も撃ち込んでも全く効かないという魔術師を名探偵はどう捕まえるのか? 皆の期待をよそに名探偵は世界一周旅行に出かけてしまいます…。
 奇想天外な手段で相手を捕まえようとする名探偵と魔術師の戦いが描かれるエピソードで、これは楽しいです。

 おとぎ話の伝統的なフォーマット風に始まりながらも、意図的にその型を崩したり、メタフィクショナルな捻りを入れたりと、自由闊達な作風が楽しい童話集になっています。

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天使と人間たち  パヴェル・ブリッチ『夜な夜な天使は舞い降りる』
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 チェコの作家パヴェル・ブリッチ(1968~)の『夜な夜な天使は舞い降りる』(阿部 賢一訳 東宣出版)は、守護天使たちが、自分たちが見守る人間たちのエピソードを話し合うという、連作ファンタジー集です。

 貧しい研究者の青年が子どものために罪を犯してしまうという「天使はいつ自分の姿を見るのか?」、凡庸な少年がある年のクリスマスプレゼントによって人生を変えることになる「終身クリスマス」、才能はないながら意欲だけが極端にある飛行家の男に振り回される天使の物語「過労気味の天使」、司祭の導きで世界を探検することになる少年の物語「アフリカの周遊航海」、自分の受け持ちではない方の双子の少年にばかり肩入れしてしまう天使を描いた「あるじを裏切った天使」、体のつながったシャム双生児の守護天使になった二人の天使を描いた「シャム双生児の物語」、宇宙飛行士と共に宇宙に飛び出した守護天使を描く「宇宙訓練」、不死に近いほどの幸運を持つ子どもが周囲に利用されてしまうという「幸運の子ども」、北極で遭難した学者を助けようとする守護天使を描いた「摩訶不思議な旅」、犬橇レース中の青年が狼に襲われるという「狼のまなざし」、破綻寸前の葡萄酒の醸造家が手に入れた幸運を描く「天使の味」、無一文の男が瞬く間に幸運を手に入れるという「ノミのサーカス」、守護天使に守られたサッカー選手の物語「ゴール」、未来を見通す能力を持つ女性のある決断を描く「アンジェリカ」、精神的に遅れていると思われていた少年が、祖父とそのタイプライターとの出会いで才能を開花させる「古いタイプライター」、天使とも見紛う美しい女性が子どもたちを導くことになるという「鏡像」、天使たちが泥棒を追い出すためにオルガンを演奏する「バッハ」の17篇を収録しています。

 夜な夜な、プラハにあるバロック様式の教会に集まる守護天使たちが、自らが守護する人間たちについて、そしてその不思議な人生のめぐり合わせについて、互いに話し合うことになるという物語集です。
 天使たちは、直接人間の人生に介入することはできないものの、間接的な手段によって手助けをしたりすることなどは可能になっています。
 天使たちが、極めて人間的な存在として描かれているのが特徴で、彼らにも好き嫌いがあったり、ひいきがあったりします。自分が愛している人間が不幸になるのを止めようとしたり、成功するための手助けをしたり、場合によってはルールを破って、かなり意識的な介入を行うこともあります。
 守護天使たちが手助けをしても、結局は不幸になってしまう人間もいますし、あえて愚かな選択をする人間を止められないこともあります。それらの人間に対して悲喜こもごもの感情を抱くなど、お話の中心となる人間たちの物語であると同時に、天使たちの物語にもなっているのが面白いところですね。

 「あるじを裏切った天使」では、双子の片割れを守護することになった天使が描かれます。しかし輝かしい性質を持つもう一人の少年に惹かれてしまった天使は、そちらの少年ばかり見るようになってしまいます。結果として自ら守護するはずの少年の人生は苦いものになっていました…。
 また「摩訶不思議な旅」では、守護する学者が北極で遭難してしまい、彼を助けようとしてルール違反を行ってしまう天使が描かれます。
 天使たちが、それぞれの性格を持ち、ある種の「弱さ」をも持った人間的な存在として描かれており、それがゆえに思いもかけない展開をもたらすこともあります。

 単独でも味わい深い人間たちの人生のエピソードに、さらに人間臭さを持った天使たちが絡むことになり、非常に味わい深い作品集となっていますね。
 全体に優しくあっさりとした味わいのエピソード群にあって、シリアスで重厚な味わいのエピソードもいくつか見られます。「幸運の子ども」「アンジェリカ」はそのタイプでしょうか。

 「幸運の子ども」は、こんなお話。16世紀、プラハの錬金術師の叔父が用意していた、煮えたかまのなかに落ちてしまった幼い少年カレル。しかしカレルは全く傷を負いませんでした。少年は幸運にめぐまれた不老不死の能力を持っていたのです。
 その幸運は周囲の人物にも適用され、彼がいた場所では、災難や事故が起こっても周囲の人々は無事だったのです。空爆の爆心地でもカレルがいるだけで、周囲の人物は全く無傷なことに気づいた軍は、彼を利用しようと考え始めます…。
 絶大な能力を持つ少年と、彼を利用しようとする勢力が描かれるSF的なエピソードとなっています。

 「アンジェリカ」は、こんなお話。幼い頃から、未来を見通す能力を持つ女性アンジェリカ。孤児院で育ったアンジェリカは、その美しさゆえ、養子にもらわれていきますが、気味悪がられて何度も孤児院に戻されてしまいます。彼女は本来見えないはずの天使の姿が見えるらしく、彼女の守護天使であるフベルトに話しかけます。昏睡状態にある実の母親を助けるために、ある手伝いをしてほしいというのですが…。
 絶大な能力を持つ代わりに何かを失ってしまった女性と、昏睡状態である彼女の母親。二人を助ける方法として提案されたのは何とも奇妙な手段でした。結局誰が助かり、誰が幸せになったのか? いろいろと考えさせるお話になっています。


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移りゆく物語  ミハル・アイヴァス『黄金時代』
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ミハル アイヴァス 阿部 賢一
河出書房新社 2014-11-26

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 小説作品の内部に、さらに別の「本」が登場する…。それが実在の本であれ、架空の本であれ、本好きの読者にとっては、何とも魅力的なテーマです。
 ただ、この種のテーマの本を読んでいて、いつも不満に思っていたことがありました。それは作中に登場する「本」の魅力が、あまり感じられないこと。作中で「読み始めたら止めることができないほどの魅力を持つ本」であるとか「魔性の本」などと描写されていても、その「本」の中身が実際に語られると、それほど魅力的には感じられないことが多いのです。
 考えると、それも無理からぬ話です。そんなにも魅力的な「本」が語れるなら、作中の「本」にせずに、その内容そのものを物語として書いてしまえばいいのですから。その意味で、魅力的な「本」を描くのは、魅力的な物語を描くよりも難しいような気がします。
 そんなことを考えたのも、チェコの作家、ミハル・アイヴァスの小説『黄金時代』(阿部賢一訳 河出書房新社)を読んだからです。ここまで、厚みのある「本」の造形を成し遂げた作品には出会ったことがありません。
 
 ある架空の島に滞在した旅行者が、その島の独特の風習や奇妙な住人たちについて語ってゆく、断章形式の博物誌的物語。要約すると、そんな作品なのですが、これが何とも一筋縄ではいきません。
 島民の不思議な性質や風習が次々と語られていきますが、そのひとつひとつが魅力的なエピソードになっています。例えば、島民の性質について描写される、次のような文章があります。

 すでに触れたように住民たちは島に名をつけていなかった。固定した名前を嫌っていたため、自分の名前もしばしば変え、生涯のあいだに何十もの名前を持っていた。

 金や権力に興味はなく、人間関係にさえも絶対的なものを認めない、不思議な島民たち。彼らの上に君臨するはずの王でさえ、例外ではありません。王は選挙で選ばれますが、そもそも名前がころころ変わるので、誰が話題になっているかもはっきりしないのです。

 このように間違いだらけであったため、王の候補としてある時期話題になっていたのは、じつは存在しない人物だったというようなこともあった。けれども、島民たちはそんなことをまったく気にしていなかった。

 王という人物はある一定の尊厳を島で集めていたが、その尊敬は同情と結びついていて、そればかりかある種の侮蔑も混ざっているようにも思えた。

 転倒した価値観を持つ島民たち、彼らの間で読まれる「本」もまた、常識的な価値観では計ることができません。島には本がそれしか存在しないため、彼らの間では「本」とだけ呼ばれています。蛇腹状になったその「本」は、島民の間で回し読みされますが、誰がどのぐらいの期間持っていて、誰に渡すかなどのルールも全くありません。
 「本」のいちばんの特徴は、島民が自分たちで加筆をするところにあります。加筆を繰り返していくうちに、「本」の内容はどんどん変わっていってしまうのです。

 つまり、読者は受け取った本とは別物の本を次の読者に手渡していた。「本」が人の手から人の手に渡っている間に、島民は加筆に加筆を重ね、読者が何年かあとに「本」にふたたび遭遇するときには、以前手にしていたものとはまったく別の作品になっていた。

 最初は、島の不思議な風習の一つとして登場したかに見えた「本」が、だんだんと物語の中心にシフトしていきます。「本」自体の奇妙な性質だけではなく、変容する中身の物語もやがて語られ始めるのです。それは王族や英雄たちの胸躍る神話的な冒険物語。ギリシャ神話、あるいはアラビアン・ナイトを思わせるような香気あふれるエピソードです。
 「本」が登場するのが、だいたい中盤、それまでの淡々とした紀行文風の部分がかなり長いので、合わない人はそこで読むのをやめてしまいそうな気がしますが、「本」が登場してからの後半が圧倒的な素晴らしさです。
 この作品での「本」は、作中でのアイテムといった扱いを超えて、それ自体がテーマとなっています。ここまで「本」について語りつくした作品は今までなかったのではないでしょうか。「書物」や「物語」に興味を持つ方に薦めたい、知的なエンターテインメントになっています。

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静寂のファンタジー  ゾラン・ジフコヴィッチ『ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語』
4902075164ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語 (Zoran Zivkovic's Impossible Stories)
ゾラン・ジフコヴィッチ 巽 孝之
Kurodahan Press 2010-10-15

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 SFともファンタジーともホラーともつかない、独特の味わい。強いていうなら、「奇譚」でしょうか。
 旧ユーゴスラビアの作家、ゾラン・ジフコヴィッチの短編集『ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語』(山田順子訳 黒田藩プレス)は、なんとも言いようのない味わいを持った作品集です。
 収録作品は、3編と少なめですが、どれもが佳作といってよいかと思います。

『ティーショップ』 ちょっとした手違いから、次に乗るはずの鉄道を数時間待つことになったグレタ。ふと見つけたティーショップに入った彼女がメニューに見つけたのは、「物語のお茶」でした。
 ウエイターが運んできたのは、とくに変わったこともない普通のお茶でした。しかし一口お茶を飲むと、目の前のウエイターは物語を語りはじめます。それは、自分の仕事に嫌気がさした死刑執行人の物語でした。たちまちグレタは物語に魅了されます。
 その物語が短かったことを残念に思いながら、お茶をもう一口すすると、今度はレジ係の女性が目の前にやってきて別の物語を始めます。そしてその後には、なんと店にいた客が物語の続きを語り始めるのです…。
 「物語のお茶」をきっかけに、いくつもの人間を通して語られる物語。しかもそれぞれは別の物語でありながら、微妙に内容は関連しているらしいのです。ある話で語られた人物のその後が、別の人物が語る物語の続きでなされたり、とメタフィクション的な趣向が仕掛けられています。

『火事』 司書の女性は、ある夜夢で、どうやら古代の図書館らしい建物が火事に見舞われるという情景を目撃します。翌朝、勤務先の図書館でコンピュータのスクリーンに現れたのは、夢と同じとおぼしい図書館の景色。画面がその内部を写すと、失われたはずの古代の大作家の原稿がいくつも並べられているのです。この原稿の内容を保存しなければ! 慌てる彼女の目の前で建物を火が呑み込んでいきます…。
 結末を予期させつつも、神話的な風格さえ漂う佳品です。

『換気口』 担当の医師が怪我をしたため、ある女性患者を診ることになった精神科医。患者であるカタリーナは若い女性でしたが、ある時以来、未来が見えるようになったというのです。しかもそれは確定した未来ではなく、分岐した未来の可能性が光の紐となって見えるといいます。
 自殺未遂のために、拘束されたカタリーナに医師はその理由を尋ねますが、それは信じがたいものでした…。
 患者の言っていることは妄想なのか、事実なのか? 思わぬ結末に驚かされるサイコ・スリラー。

 ジフコヴィッチの作品に共通するのは、その「静けさ」です。劇的な事件が起こっても、それをガラスごしに眺めているかのような、不思議な感覚が漂います。実際に読んでみないと、なかなか伝わりにくい味わいかと思うのですが、海外の作家で言うと、マルセル・シュオッブ、日本の作家で言うと、花輪莞爾あたりに似た味わいとでも言えばいいでしょうか。
 とにかく一読をお勧めしたい作品集なのですが、この本は、どうやら一般の流通では扱っていないらしく、今のところ版元の直接販売だけのようです。
 興味を持たれた方は、こちらに。

 追記 アマゾンでも取り扱いが始まったようです。こちらです。

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神の破片  カレル・チャペック『絶対子工場』
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 チェコの作家、カレル・チャペックの作品が評価を受ける際に、よく使われる単語といえば「風刺」と「予言」です。例えば代表作である『R.U.R(ロボット)』『山椒魚戦争』にしても、「行き過ぎた科学の弊害に警鐘を鳴らす」または「未来を予言する」作品、と捉えられがちです。
 たしかに、そういう評価も間違ってはいないのですが、チャペックの作品の魅力は、そこに尽きるわけではありません。なにより、奇想天外なアイディア、魅力的なストーリー、血の通った登場人物、それらがユーモアを持った筆致で描かれるところに、彼の作品の最大の魅力があるように思います。
 今回取り上げる『絶対子工場』(金森誠也訳 木魂社)も、原子力の存在とその弊害を「予言」したとされている作品ですが、純粋に物語として読んでも、とても面白い作品に仕上がっています。
 大企業の社長であるボンディ氏は、ある日ふと新聞広告に目を止めます。そこにはある「発明品」を売りたいという文章が載っていました。しかも、その広告主の名前にボンディ氏は見覚えがありました。それは、同級生のマレクだったのです。
 優秀だった彼がこんな広告を出すようでは、彼はあまり成功してはいないに違いない…、手助けをするつもりでマレクのもとを訪れたボンディ氏は驚かされます。マレクの「発明品」はとんでもないものだったのです。それはなんと、原子エネルギーを利用する炭素原子炉!
 ひとかけらの石炭を炉に投入するだけで、蒸気船に世界一周をさせることができる。プラハ全市の照明をまかなうこともできるし、大工場を操業させることすらできるのです。何故そんな大発明を手放すのか? ボンディ氏の疑問に対し、マレクは驚くべき事実を告げます。
 この原子炉を使用すると、原子核の分裂によって「絶対子」なるものが放出され、それは人間に驚異的な副作用を及ぼす。「絶対子」の影響を受けた人間は、まるで神がかった境地に至るというのです。しかし、警告にもかかわらず、ボンディ氏によって原子炉は世界中に影響を及ぼしはじめます…。
 この作品、「原子炉」を予測したとされていますが、これ、ただの「原子炉」ではないところが、チャペックのすごいところ。この「原子炉」は、たしかに原子を破壊することによってエネルギーを得るのですが、それと同時に物質に含まれていたある「成分」も放出されるのです。そしてその「成分」とは、なんと「神の破片」だというのです!
 「汎神論」という考え方があります。自然や物質に「神」が偏在するという思想ですが、この説から敷衍して、物理的に物質から「神」のエネルギーをとりだしたらどうなるかという、ある意味あほらしい設定から、この物語の前提はできています。たしかに、理詰めで考えると思い付きそうな話なのですが、それから実際に物語を作ってしまう、というところがチャペックの独創性ですね。
 さて、この「絶対子」がいわゆる「放射能」に相当するものとして描かれます。「放射能」が物理的に肉体に影響を及ぼすのに対して、「絶対子」は精神的な影響を及ぼすのです。「絶対子」にあてられた人は、改心したり悔い改めたり、奇跡を行えるようになってしまいます。
 しかし皮肉なことに、すべての人が聖人になった結果、逆に戦争が起こって、人々は殺し合いを始めてしまうのです。「悔い改めた」人々は、相も変わらず他の神を認めません。なぜなら他の人間の神を認めると、自分の所有する神や真理がすべてではないことになるから、だというのです。
 チャペックは、宗教や思想の持つ排他的な面を、非常に上手く描いています。そして、こうした物語を描くときにこそチャペックの美点が発揮されます。思想や宗教に対して、どの側にも与せず、公平な視点を保っているのです。しかもそれは、母国に対しても例外ではありません。作品の中で、チェコもまた無惨に荒廃してしまうのです。こうしたチャペックの客観性やバランスが、彼の作品を気持ち良く読み進められる、ひとつの要因なのかもしれません
 全体を通して、必ずしも明るいトーンの作品ではないのですが、作品中の個々の場面は、ユーモラスで面白く描かれています。とくに、互いに聖人を名乗るゴミさらいの船長と、メリーゴーランド屋が対立する場面などは、抱腹絶倒。
 連載ものだったという事情もあって、後半はまとまりがなくなってきたり、話が途中で切れたりする部分もありますが、それらを差し引いても、非常に魅力のある作品であることに間違いはないでしょう。

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時の海を渡って  ミロラド・パヴィチ『風の裏側』
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風の裏側―ヘーローとレアンドロスの物語
ミロラド パヴィチ Milorad Pavi´c 青木 純子

 ミロラド・パヴィチ『風の裏側』(青木純子訳 東京創元社)を手に取って、まず驚かされるのは、その造本。中央の水色のページを境にして、それぞれ別の物語が、前後で逆に印刷されています。つまり、表と裏、どちらから読みはじめてもよいのです。そして、二つの物語が出会ったとき…、何とも秀逸なアイディアに満ちた本です。

 二つの物語のうち、ひとつは、17世紀の青年レアンドロスの物語、そしてもうひとつは、現代の女子大生ヘーローの物語です。
 レアンドロスのパートは、青年レアンドロスが、戦争や運命に翻弄されながらも、さまざまな冒険を繰り広げるという、冒険小説風の作品。代々、石工の家系に生まれ、その技術も身につけたレアンドロスは、しかし不思議な因縁から、旅回りの楽器奏者になり、そしてまた商人になります…。
 ヘーローのパートは、ちょっと風変わりな女子学生ヘーローの、不思議な日常を描いた作品です。家庭教師をすることになった家での、不思議な体験。二人の子供を教える約束だったのに、いつも現れるのは男の子ひとりだけ。もう一人はいったいどこに…? そしてレアンドロス同様、悲劇的な最後を遂げるヘーローの運命とは?
 どちらの物語も、古代の恋愛叙情詩『ヘーローとレアンドロス』を元にしているだけに、物語のところどころに、そのイメージが頻出します。ヘーローが、家庭教師先で教材に使う本が『ヘーローとレアンドロス』だったり、レアンドロスがラテン語の勉強をするときに使った物語が『ヘーローとレアンドロス』だったりします。

 ちなみに、恋愛叙情詩『ヘーローとレアンドロス』とは、次のような物語です。海峡を隔てた町の巫女ヘーローと恋に落ちた青年レアンドロスは、彼女に会うために、夜毎に、ヘーローの掲げる炬火の明かりを頼りにして、海峡を泳いで渡っていました。しかしある嵐の夜に、明かりが風に吹き消されてしまいます。方向を見失ったレアンドロスは溺死し、ヘーローも後を追う…という物語。

 そしてよく本を見ると、『風の裏側』という作品自体が、『ヘーローとレアンドロス』を再現したものであることがわかります。本の中央にはさまれた水色のページは、ヘーローとレアンドロスを隔てる「海」というわけです。しかもそれは「場所」だけでなく「時」もまた隔てているのです。
 二つの物語が出会う、といっても、技巧的なミステリやサスペンスとは、趣が違います。あくまで出会いは象徴的なそれであって、その意味では、読み終わってもピンと来ない向きもあるかもしれません。物語の全てのピースが当てはまって、謎が解かれる…というわけではないのです。
 その点、もどかしい読後感が残るのも事実なのですが、その幻想的な手触りは一読の価値があります。



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プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド 増補版』『奇妙な味の物語ブックガイド』『海外怪奇幻想小説ブックガイド1・2』『謎の物語ブックガイド』『海外ファンタジー小説ブックガイド1・2』を刊行。「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」も作成しました。



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