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夢と現の物語 ヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』
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 ヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』(畑浩一郎訳 岩波文庫)は、ポーランドの貴族ポトツキ(1761-1815)がフランス語で著した、多様な要素を持った奇想天外な枠物語です。

 フェリペ5世からワロン人衛兵隊長に任命され、その拝命のためマドリードへと向かう青年貴族アルフォンソは、旅の途次で従僕とはぐれ、盗賊が出没するというシエラ・モレナ山脈をさまようことになります。
 うち捨てられた旅籠で一夜を過ごそうとしたアルフォンソの前に、美しいムーア人の姉妹エミナとジベデが現れます。彼女たちが話すには、アルフォンソと姉妹は同じゴメレス一族に連なる出自を持っているというのです。
 夢のような一夜を過ごした後、アルフォンソが目覚めたのは、盗賊ゾトの弟二人が吊された絞首台の下で、脇には死体が転がっていました…。

 青年貴族アルフォンソが体験する61日間の不思議な出来事が、枠物語形式で描かれていくという小説です。
 序盤は、アルフォンソが体験する神秘的な出来事が語られていきます。彼が出会う不思議なムーア人の姉妹はアルフォンソにイスラム教への入信を迫るのですが、姉妹は本当に人間なのか、それとも魔性のものなのかも分かりません。彼女らが語るゴメレス一族に関しても、ところどころの物語でその背後に一族の存在が示唆されるなど、得体が知れないのです。

 上記の通り、序盤は怪奇幻想色が濃いのですが、話のトーンが変わってくるのがジプシーの族長アバドロが登場してから。メインの語り手がアバドロになり、彼が様々なエピソードを話すのですが、ここからは男女の恋をめぐる物語やアバドロ自身の冒険をめぐる物語など、恋愛小説・冒険小説的な要素が濃くなっていきます。
 面白いのは、アバドロが語っている物語の中の登場人物が、物語中で更に別の物語を語り出すという入れ子構造。これは最大五層にまで至る階層になっており、読んでいて、今誰が話しているのかが分からなくなってしまうほどなのです。
 付録として、下巻には、この作品の語りの階層構造を表にした「通覧図」が載せられているので、こちらを参考にしながら読むのもいいかもしれません。
 入れ子状の構造も面白いのですが、語りの技法も面白いです。肝心なところで物語が中断されて読者をじらしたり、エピソードによっては、聞かされている人物が嫌がっているのに、無理矢理物語を聞かされる、などというパターンもあります。過去のエピソードで登場した人物が現在時間(語りの現場)に現れて、物語のその後を話す…という展開もあったりと、語りの形も様々です。

 中盤からは怪奇幻想色は薄くなるのですが、いくつか幻想味が強いエピソードもあります。「ブラス・エルバス、または神に見棄てられた巡礼者の物語」「トラルバ騎士分団長の物語」の二篇は明確に超自然現象の起こる怪奇幻想小説といっていいですね。
 実際、「トラルバ騎士分団長の物語」の方は、アンソロジー『東欧怪談集』(沼野充義編 河出文庫)にも収録されています。
中盤からはアルフォンソは物語の聞き手に回ってしまい、アバドロの語りが続きます。アバドロの子ども時代から大人に至るまでの生涯が語られるのと同時に、彼が接した人物たちのサイドストーリーが語られていく感じでしょうか。このアバドロが悪戯好き・冒険好きの人物で、彼がメインに活躍するエピソードはピカレスク(悪漢)小説風の味わいもありますね。

 メインの語り手となるアバドロの他にも、妖しい魅力を放つ姉妹エミナとジベデ、義賊の一面もある盗賊ゾト、悪魔憑きの男パチェコ、謎のカバラ学者ウセダとその妹の美女レベッカ、人の秘密を詮索する図々しい男ブスケロス、傲岸で誇り高いアビラ女公爵、女好きの美青年トレドの騎士、全てを幾何学で説明しようとする変人学者ベラスケスなど、様々な人物が登場します。
彼らが活躍するエピソードは、本当に多種多様で、次にどんなお話が出てくるのか、予測できない面白さがありますね。

 国書刊行会の《世界幻想文学大系》の一冊として、1980年に工藤幸雄訳『サラゴサ手稿』が刊行されています。こちらは1958年にロジェ・カイヨワが原著の四分の一に序文を付けて刊行したバージョンです。このカイヨワ版は、ポトツキ自身の筆だと確証がある部分だけ(14日目まで)の刊行だったそうです。
 「幻想文学の古典」という評価は、このカイヨワ版の刊行によって定まったということで、実際この序盤は非常に怪奇幻想色が濃いのですが、完訳版を通読してみると、ちょっと雰囲気が違ってくるのですよね。
 中盤からは怪奇幻想色は薄くなり、様々なジャンルの物語が入り乱れる総合エンターテインメント小説のような形になっていくのです。
 また、序盤のトーンから、真相が曖昧になっていくタイプの小説と思われる方もいるかと思うのですが、意外にも、合理的に辻褄の合うタイプの物語になってくる、というのもユニークな読み味です。

 『サラゴサ手稿』、その来歴もなかなか奇妙です。生前に刊行されたものは、版元の独断で抜粋されたバージョンのみ。さらにこの版から剽窃を行う作家もたくさんいたとか。シャルル・ノディエやワシントン・アーヴィングといった有名な作家も剽窃していたそうです。
 作者の死後、1847年にポーランド語翻訳版が刊行されるものの、話の欠落や辻褄を合わせるために、かなりの改変が行われているようです。フランスで全体を読むことができるようになったのは1989年。ただ、こちらの版でも話のつながりが分からない部分はポーランド語訳から補填しているとのこと。
 2002年に新たな草稿が見つかり、『サラゴサ手稿』には少なくとも二つの異なるバージョンがあることが分かったそうです。今回完訳がされたのは、物語が綺麗に完結している1810年のバージョンです。
 もう一つの1804年のバージョンは途絶しているらしいのですが、こちらではさまよえるユダヤ人のエピソードがメインとなる神秘的な色彩の物語になっているとか。こちらのバージョンも読んでみたいところですね。
 ちなみに、映画化されたヴォイチェフ・イエジー・ハス監督『サラゴサの写本』(1965年 ポーランド)はポーランド語版が原作となっているそうです。

 この『サラゴサ手稿』、純粋な怪奇幻想小説とはちょっと異なるのですが、その入れ子構造や語りの技法などを含めて、広義の幻想文学と言える作品になっており、不思議な魅力のある物語であることは間違いはありません。
 一つ一つのエピソードが面白いのはもちろん、それらの物語間の関連性も凝っています。例えば超自然的な現象だと思われたあるエピソードの真相が、また違うエピソードの側から謎解きがされて合理的に解決される、という部分もあるなど、ミステリ的な興趣もありますね。とにかく読んで面白い物語です。
 上中下巻それぞれに詳しい訳者解説が付いており、こちらも参考になります。物語の主要な舞台となる場所の地図や、登場人物一覧、中巻と下巻では、それまでの簡単なあらすじがついているなど、物語を楽しむための工夫もいろいろとされています。
 さらに作品の来歴や作者の経歴も、物語に劣らぬ数奇なもので、そのあたりを記した解説も読みごたえがあります。読み終えたときには非常に充実感が味わえる作品ではないでしょうか。

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書物のための物語  ゾラン・ジヴコヴィチ『図書館』
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 セルビアの作家ゾラン・ジヴコヴィチの『図書館』(渦巻栗訳 盛林堂ミステリアス文庫)は、「本」と「図書館」がテーマの幻想小説が収められた連作集です。

「仮想の図書館」
 〈仮装図書館〉を名乗るメールを受け取った作家の「わたし」は、そのサイトを訪れ、ふと自分の名前を検索してみることになります。電子化を許可していないはずの三冊の著作の内容が出てきたことから、著作権違反だと憤りますが、驚いたのは、そこに記されていた略歴でした。
 書いた覚えのない著作のタイトルが何冊も並び、しかも「わたし」の没年が九種類も示されていたのです…。
 作家のあり得る未来までもが含まれた、完全な電子図書館が描かれる作品です。作家がいつ亡くなり、どのぐらいの著作を残すのか、といった未来は確定しておらず、揺らいでいる…という発想は魅力的ですね。

「自宅の図書館」
 ある日、自分の家の郵便箱に『世界文学』と題された黄土色の本を見つけた「わたし」は、郵便箱の扉を閉めて開けるたびに全く同じ本が現れるのに気付きます。
 スーツケースを使い、大量の本を引き出した「わたし」は部屋を本で埋めていきますが…。
 扉を閉めて開ける度に無限に同じ本が出てくる郵便箱が描かれます。なぜか何度も本を引き出してしまい、部屋を埋めていくという、語り手の強迫症的な行動がシュールですね。自宅が本で埋まることがタイトルの「自宅の図書館」を表しているのでしょうが、部屋に詰められた本は全て同一であるというのも、何とも寓意的です。

「夜の図書館」
 夜に図書館に立ち寄った「わたし」は、館員が帰ってしまい建物内に取り残されてしまいます。突然現れた男は「夜の図書館」の館員を名乗ります。ここではあらゆる人間の人生が収められているというのです。自らの人生が記された本の閲覧を希望した「わたし」は、そこに自分だけしか知り得ないことが載っていることに驚きますが…。
 あらゆる人間の人生が収められたという「夜の図書館」が描かれます。自分にさえ隠していたことがそこには記されており、読んでいていたたまれなくなってしまう…というあたり、ほろ苦い味わいがあります。

「地獄の図書館」
 地獄に落ちた男は、そこでは予想していたような責め苦がないことに驚きます。コンピュータによって近代化された地獄では「治療」を行っているというのです。その「治療」とは、永遠に本を読まされるというものでした…。
 本を読むことが嫌いな人間にとっては、読書が罰(この作品では「治療」ですが)となる…というブラックな発想の物語です。嫌々ではあれ読んでいるうちに読書が好きになるのでは、などとも考えてしまうのですが、その「治療」の結果は描かれず想像に任されているあたり、余韻がありますね。

「最小の図書館」
 古本を商う露天商が集う場で、盲目の老人から汚れた本を押しつけられた「ぼく」は、その中の一冊が不思議な力を持っていることに気付きます。本を開く度に内容が変わり、どうやら毎回違う小説が現れるようなのです。
 閉じてしまうと、二度と同じ作品が現れないことに気付いた「ぼく」は、それを記録しようとコピーを取りますが、コピーをしても複写はできないようなのです…。
 閉じるたびに消えてしまう本の内容を、何とか記録しようとする男が描かれます。本を閉じると、その内容が永遠に失われてしまうことに気付いた主人公が、罪悪感に囚われてしまうところに切なさもありますね。
 「一回限りの本」という魅力的なテーマの作品です。主人公が辿り着いた結論が奇をてらったものではなく、伝統的なある行為であるところも味わいがありますね。

「高貴な図書館」
 自らの蔵書と書斎を洗練されていると自負する「小生」は、ある日自分の文庫の中に場違いなペーパーバック本が紛れているのに気付きます。憤慨した「小生」はペーパーバックを捨てますが、部屋に戻るとそこには同じ本がささっていました。
 何度も捨てたり、破壊したりを繰り返しますが、何度でも本は棚に戻ってきてしまうのです…。
 「処分」しても何度でも戻ってきてしまうペーパーバック本をめぐる奇譚です。主人公が最終的に行うのは思いもかけないユニークな処分方法で、しかもそれがある種の寓意にもなっているという洒落た作りのお話になっています。
 この短篇集の全ての収録作のタイトルが、作中で言及され総括されるという趣向も洒落ていますね。

 全篇が本のモチーフで形成されており、本好きにはたまらない魅力を持った連作集になっています。さらに、それぞれのタイトルが「~図書館」となっているように、何らかの形で「図書館」が現れるというのも特徴ですね。

 ジヴコヴィチ、作風的にボルヘスと比較されることもあるそうなのですが、本作にしても幻想的・寓意的な図書館が多く登場し、その類似を感じさせます。ネット上に現れる未来の可能性を含んだ図書館、全く同じ本で形成された図書館、一冊にあらゆる物語が含まれる図書館など、
 まるでボルヘスが図書館をモチーフに描いたバリエーション集とでもいったような味わいになっています。もっとも、ジヴコヴィチ作品の方は、哲学的な味わいはあれど、基本はエンタメ作品の要素が強いのではありますが。

 この本は《ゾラン・ジヴコヴィチ ファンタスチカ》の第一弾だそうで、続けてジヴコヴィチ作品が刊行されるということです。これは楽しみなシリーズができましたね。
 この本は、こちらから購入できます。
 https://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca1/1015/p-r1-s/

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あり得たかもしれない世界  トーマス・パヴェル『ペルシャの鏡』
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 ルーマニアの作家トーマス・パヴェル(1941~)の『ペルシャの鏡』(江口修訳 工作舎)は、いくつかの架空の書物をめぐっての青年の体験が語られる、観念的な幻想小説です。

 青年ルイは、古い学院の蔵書である古文書を調べていたところ、哲学者ライプニッツの弟子だったという、数学と天文学の教授アロイシウス・カスパールなる男の存在を知ります。彼の手稿には、アロイシウス自身の人生と共に、不倫の仲になってしまった娘アグネスについても記されていました。
 アロイシウスに別れを告げられたアグネスは、魔術師クラウゼンブルグ博士の指導のもと、ある魔術の探求に励むことになります。それは「可能的世界」への扉を開くためのものでした…。

 青年ルイが出会ういくつかの書物をきっかけに、不思議な出来事や過去の物語を知ることになる…という幻想小説です。
 全体のテーマとなるのはライプニッツの「可能的世界」で、それを表すように、各章で登場するエピソードや物語は明確に完結せず、曖昧なまま閉じられています。
 上記のあらすじで紹介したのは一章目の内容です。全五章それぞれに架空の書物が登場し、それにまつわるエピソードが展開されます。
 視点人物となるのは青年ルイなのですが、各章の中心となるのはルイが出会った古書の内容(五章目はルイの創作)であるので、その点メタフィクショナルな作りといえるでしょうか。

 特に面白いのは一章目と五章目です。一章目では、アロイシウスと不倫の仲になった娘アグネスが魔術によって「可能的世界」に移動しようとするオカルト的な展開が面白いですね。
 五章目では、ルイ自身の書き始めた物語「ペルシャの鏡」が登場しますが、この章が一番物語性が強いでしょうか。語り手は、湖畔に住む老オランダ人ヘルマンから彼の過去の話を聞きます。ヘルマンは、かってイスパファンの市場でペルシャ語が彫られた美しい鏡を手に入れていました。
 恋仲になった娘マーガレットとの結婚話が進む一方、結婚によって制限される自由にも未練を抱いていました。逡巡の中、ペルシャの鏡を覗き込むと、鏡の中の自分が同じ行動をしていないことに驚愕します。
 マーガレットとの結婚をあきらめ出奔するヘルマンでしたが、後日知ったマーガレットの結婚相手は何と自分自身のようなのです…。
 魔術的な鏡の力で、重大な選択を機に「二人」に分かれてしまった男の人生を語る幻想的なエピソードとなっています。こちらも「可能的世界」がモチーフとなっているようですね。

 魅力的なモチーフや物語の萌芽がたびたび登場するのですが、哲学的で固めの語り口のせいもあり、素直に物語が展開していきません。それゆえ難解な印象を抱く人もいるかもしれませんね。その意味で「ルーマニアのボルヘス」の異名も、なるほどという感じです。曖昧で明確な結論が出ないエピソードも多いのですが、逆に読者の想像力をそそる部分も大きく、魅力的な幻想小説といっていいかと思います。


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東欧の怪奇と幻想  沼野充義編『東欧怪談集』
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 沼野充義編『東欧怪談集』(河出文庫)は、東ヨーロッパの様々な国から、幻想的な小説を集めたアンソロジーです。この本でしか読めない作家の作品も収録されており、貴重なラインナップとなっています。

ヤン・ポトツキ「『サラゴサ手稿』第五十三日」(工藤幸雄訳)
 マルタ騎士団入りした「わし」は、嫌われ者だった騎士分団長フゥルケールと果し合いをして、彼を殺してしまいます。絶命の寸前に、剣をテート・フゥルクに持ち帰ってほしいこと、城のチャペルで百回のミサをしてほしいとの言葉を残します。騎士分団長は死後も夢の中に出現し、同じ言葉を繰り返し続けますが…。
ポーランドの貴族ポトツキによる連作集『サラゴサ手稿』の一エピソードです。ある男を決闘で殺してしまったことから、その霊にとり憑かれてしまう男を描いたゴースト・ストーリーなのですが、後半では殺した男の先祖の幽霊にも遭遇するなど、二段構えの構成となっています。
語り手が殺した相手だけでなく、その先祖の一族全員の恨みを買ってしまった…という形になっており、これは怖いですね。

フランチシェク・ミランドラ「不思議通り」(長谷見一雄訳)
 電信局に勤める男フランチシェク・シャルィは、ある日水道から垂れる水滴が言葉のように聞こえるのに気付きます。それは「不思議通り三十六番地」なる住所をささやいていました。外に出たシャルィは、老齢の紳士に出会いますが、彼は自分こそその場所の住人であり、弟子になれば秘密の知恵を教えてやろうというのです。今日来なければチャンスは二度とないと話す紳士に対し、シャルィは躊躇することになりますが…。
 水滴のささやく言葉をきっかけに、日常を抜け出るチャンスに遭遇した男の物語です。恋人のことを考えて、そのチャンスを振り捨てますが、そのことに対するいら立ちと恋人への愛情が半ばする結末には、哀愁の念が感じられますね。

ステファン・グラビンスキ「シャモタ氏の恋人」(沼野充義訳)
 憧れの女性ヤドヴィガから逢引きの手紙を受け取った「私」は、天にも昇る心地になっていました。毎週土曜日に彼女と逢瀬を繰り返すことになりますが、ヤドヴィガは全く言葉を話さず、現れるときも別れるときも、その気配がまったくないのです。しかも決まった日以外にはその存在を隠していました。
 ヤドヴィガがつけているドレスの一部をふと破いてしまった「私」は、それが部屋のカーテンと同じ模様であることに気付き、不審の念を抱きますが…。
 美女の「霊」との逢瀬を語ったゴースト・ストーリー、に見えるのですが、その実、そう単純な話には収まらない作品です。「私」が出会う美女ヤドヴィガは明確に超自然的な存在ではあるのですが、その存在の仕方が異様なのです。
 物質的なものと入り混じったり、はたまた「私」と一部が融合しているかのような描写があったりと、「普通の幽霊」とは思えないのです。そもそもヤドヴィガ自身の「意思」があるのか、それとも「私」の彼女への妄念が形をとったものなのか…?
 異様な手触りで、いろいろ考えさせられてしまうという、異色の怪奇小説です。

スワヴォーミル・ムロージェック「笑うでぶ」(沼野充義訳)
 異様に太った男たちが複数おり、その誰もが不可解な笑いを浮かべているのに気づいた「私」は、屋敷に忍び込みますが…。
 異様に太った男たちが一様に笑っており、その笑いの対象は何なのか? という不条理ホラー作品です。冗談のようなお話なのですが、存在そのものを「嘲笑う」という、考えるとかなり深刻なテーマのお話とも取れますね。

レシェク・コワコフスキ「こぶ」(沼野充義、芝田文乃訳)
 ライロニア国に住む石工のアイヨにこぶができますが、それはあっという間に成長し、アイヨとそっくりの姿になってしまいます。こぶのアイヨは自分こそが本物だと主張し始め、周囲の人々もそれを信じるようになってしまいます…。
 自分が本物だと主張するこぶを描いた作品です。後半では、アイヨだけでなく、多くの人間がこぶに成り代わられてしまうことになるなど、その感触はまるで侵略SF作品。「こぶ」とは何なのか? 何らかの寓意も込められているようですね。

ヨネカワカズミ「蠅」(坂倉千鶴訳)
 山小屋で暮らす「俺」は、周りで飛び回る蠅にいらつき、それを殺してしまいますが…。
 蠅を殺してしまったその罪の意識が、語り手に「幻覚」「幻想」を見させるという物語。蠅殺しを行うにあたって、男の「良心」と「悪魔」が登場するのも面白いところですね。

ヤン・ネルダ「吸血鬼」(石川達夫訳)
 プリンキポ島に観光にやって来たポーランド人家族、若いギリシャ人画家、そして「私」の一行。周囲の景観に感嘆しますが、宿屋の主人は画家の男を忌み嫌っていました。彼の綽名は「吸血鬼」だというのです…。
 「吸血鬼」と忌み嫌われる青年画家の正体とは? 詳しい事情が語られないため、その不気味さが強烈な作品です。

アロイス・イラーセク「ファウストの館」(石川達夫訳)
 かってファウスト博士が住み、天井から悪魔にさらわれたという噂のある館は、人が寄り付かなくなっていました。貧窮した大学生は雨露をしのぐため館に住み着きます。書斎の大理石の黒い皿の上に銀貨を見つけた大学生は喜びます。
 持ち去っても毎日のように現れる銀貨を使って、大学生は享楽的な生活を始めますが…。
 魔術的なファウストの館に住み着いた大学生の青年が、その罠にはまり、悪魔にさらわれてしまうまでを描いた作品です。怠惰と欲のために、自ら罠に入り込んでしまう…という点で、教訓的なお話ともなっていますね。

カレル・チャペック「足あと」(栗栖継訳)
 夜に雪道を歩いていたリプカ氏は、奇妙な足あとを発見します。自分の家に向かって足あとがいくつかついているものの、それは途中でなくなっていたのです。
 頭を悩ませたリプカ氏は、警部のバルトシェクを呼び相談することになりますが…。
 超自然的としか思えない、不思議な足あとをめぐる幻想小説です。頭を悩ませるリプカ氏に対し、バルトシェク警部は、公安を乱さない限り何もできないし、何もする必要はない、と極めて現実的に考えます。二人の考え方の対比が面白いですね。

イジー・カラーセク・ゼ・ルヴォヴィツ「不吉なマドンナ」(石川達夫訳)
 絵画の収集家の集まりの席、ナヴラーチルの呪われた絵についての話がされますが、年配の文士は自身の体験談としてある絵にまつわる話を始めます。
 ある古物屋でホルブボックスという画家のマドンナの絵に惹かれた文士は、その絵を買おうと決心しますが、絵は別の男性が入れ違いに買ってしまったことを知ります。友人の学芸員によると、ホルブボックスのマドンナ画は、我が子を殺した母親が処刑される前にモデルとして描いた絵であり、それを受け継いだホルブボックスの家族や子孫は皆不幸に見舞われたというのです…。
 呪われたマドンナ画をめぐる奇談です。絵を目撃して以来、その絵に執着する文士が奇怪な体験をすることになります。クライマックスで文士が体験する幻視には迫力がありますね。
 前半で言及されるナヴラーチルの絵が、あくまで間接的な噂にとどまるのに対して、ホルブボックスの絵に関しては、体験の当事者がいる…というあたりも、対比的な効果を狙ったものでしょうか。

エダ・クリセオヴァー「生まれそこなった命」(石川達夫訳)
 山小屋に移り住んだエヴァとマルチンのカップル。子供を欲しがるエヴァに対し、マルチンはそれを嫌がってしました。小屋には、二人を見つめるある存在がいましたが…。
 子供をめぐって対立するカップルの話に、未生の子供の視点が挟まれるという面白い構成の物語です。さらに近所の老人が語るボスピーシル一家の物語が挿入されます。老人の話もカップルに影響を与え、それは悪い方向性のようなのです。
 全てから逃げ出すエヴァの姿が描かれるラストは、希望ととっていいのか、読む人によっても意見が分かれそうですね。

フランチシェク・シヴァントネル「出会い」(長與進訳)
 材木の夜間警備についている老人オンドロ・ジエンカは、見知らぬ男に遭遇しますが、イラヴァから来たというその男はどうやら脱獄囚のようでした。食べ物を与え落ち着かせると、男はその来歴を語り出します。
 別の男と結婚しアルゼンチンに行っていた、かっての許嫁アンナが戻ったことをきっかけに、彼女と結婚することにした「私」でしたが、ある日アンナは、死んだはずの夫ベラーニが現れたと恐怖の表情で語ります…。
 夜警が脱獄囚から不思議な話を聞かされる、という物語です。死んだ婚約者のかっての夫の霊が現れたように見えながら、実体のある人間のようでもあり、すると婚約者の話が真実でないのか? また、混乱した脱獄囚自身の話は信用できるのか?といったところで、真実が分からなくなってくるという曖昧な幻想小説となっています。

ヤーン・レンチョ「静寂」(長與進訳)
 山小屋で暮らしていた男は、ある朝、普段とは異なる静寂に違和感を感じていました。ラジオも電話もつながらず、やってくるはずの車もやってきません。不審に思った男は、小川に沿って歩き始めますが…。
 「破滅」を描いた不思議な手触りの掌篇です。静寂の質が変わったという表現、ある種そっけないほどの結末の描写も、逆に効果を上げていますね。

ヨゼフ・プシカーシ「この世の終わり」(木村英明訳)
 列車の遅れで待合室で待機することになった「私」は、十字架を持った物乞いと出会います。彼は裁きの日が訪れたと話しますが…。
 宗教的熱情にかられているらしい物乞いと出会った男を描く物語です。物乞いの言っていることは真実なのか…?
 主人公の見る幻視のイメージには迫力がありますね。不気味な宗教的幻想小説です。

カリンティ・フリジェシュ「ドーディ」(岩崎悦子訳)
 重い病で死にかかっている幼児ドーディは、母に甘えたい一方で、父母に害をなそうとする「悪い子」を彼らから遠ざけようとしていました…。
 死の間際の幼児の視点から描かれた幻想作品です。「悪い子」は超自然的な存在のようなのですが、その正体ははっきりしません。両親を思いやるがゆえに、彼らについて「嫌い」と話すドーディの姿には切なさと哀しさが感じられますね

チャート・ゲーザ「蛙」(岩崎悦子訳)
 毛の生えた不気味な蛙を目撃した「私」は、それを殺そうとします。毛の生えた蛙が現れると誰かが死ぬという言い伝えがあったのです。蛙は思わぬ抵抗をしてきますが…。
 迷信で恐れられる蛙と遭遇した男の物語です。後に起こる悲劇との関連性は明確ではないのですが、蛙自体の不気味さが強烈ですね。

タマーシ・アーロン「骨と骨髄」(岩崎悦子訳)
 老憲兵ヤーノシュは、無意識に、飼い犬ヴィテーズに清めを受けた肉の骨を放ってしまいます。聖骨をくわえていく犬に恐怖を感じたヤーノシュと手伝いの少年ガーシュパールは犬の後を追いかけますが…。
 清めを受けた肉の骨が犬によって持ち去られ、それを取り戻そうとする老人と少年の姿が描かれる作品です。事態はユーモラスでありながら、老人には死が近づいてきており、骨を取り戻すこと対して深刻さがある…というところも興味深いです。

イツホク・レイブシュ・ペレツ「ゴーレム伝説」(西成彦訳)
 絶体絶命だったユダヤ社会のために、偉大なるマハーラールは粘土から泥人形を作り出し、敵を殲滅しますが、泥人形の抑えは効かなくなりつつありました…。
 ゴーレム伝説を語る説話的な作品です。泥人形が封印された後の言い伝えが、あれこれ語られる後日談の部分にも味わいがありますね。

イツホク・バシヴィス「バビロンの男」(西成彦訳)
 「バビロンの男」ヨイェツは、老齢になりながらも、人々の治療をしてまわっていました。しかしラビからはその行為を否定されてしまいます…。
 魔術的な手腕で人々を助けていた男の最期を語る物語です。善行を施しながらも、それが否定されてしまう男の姿には哀愁が感じられます。物の怪たちが乱舞する幻視の光景は圧巻ですね。

イヴォ・アンドリッチ「象牙の女」(栗原成郎訳)
 「ぼく」は、慇懃無礼な中国人から象牙の女の像を買います。机の上に置いていたところ、象牙の女だんだんと大きくなっていき、こちらへ近づいてきますが…。
 人間のようになる不思議な象牙の女をめぐる幻想譚です。女が善意を示す一方、男の側は恐怖を抱いて逃げようとする、というのも面白いですね。象牙で出来ていることを指摘され、動揺する女の姿にはユーモアがあります。

ミロラド・パヴィチ「ルカレヴィチ、エフロシニア」(工藤幸雄訳)
 十七世紀、ドゥブロニクの貴族夫人エフロシニア奥方の人生と伝説が語られます…。
 謎の民族ハザール人について事典形式で書かれた小説『ハザール事典』の一節です。人物自体に奇矯さがあるのはもちろん、彼女にまつわる伝説が長詩の形で語られ、こちらは怪奇幻想味が濃いですね。

ダニロ・キシュ「見知らぬ人の鏡」(栗原成郎訳)
 三姉妹の末妹ベルタは、父親がジプシーから買った小型の鏡の中に、ある光景を見て戦慄することになりますが…。
 家族の悲劇を予言する鏡が登場する奇談です。ただ本筋の話が素直に展開せず、悲劇に見舞われる家族の動向が間に挟まれていくという体裁になっており、面白い読後感の話となっています。

ペトレ・M・アンドレエフスキ「吸血鬼」(中島由美訳)
 死んで一晩もたたないうちに、村に戻ってきた死人のナイデン・ストイコイチン。姿は見えないものの、彼の仕業とされる事件が相次いでいました。また物を盗んでは、女房のナイデニッツァのもとに運んできてしまうことから、村中の非難は女房に集中することになります。
 やがて吸血鬼が見えるという男が連れてこられますが…。
 死んで「吸血鬼」になった男が村中にトラブルを巻き起こすという怪奇作品。吸血鬼とはいいながら人を殺すわけではなく、被害もそこまで深刻ではないのですが、その非難は妻に集中してしまいます。どこかユーモラスな雰囲気がありながら、結末では悲劇を迎えるというそのミスマッチさも興味深いですね。

ミルチャ・エリアーデ「一万二千頭の牛」(直野敦訳)
 一万二千頭の牛に関わる、大蔵省のパウネスクとの商談のため、フルモアサ街にやってきたヤンク・ゴーレは、肝心のパウネスクが行方知れずになっていることを聞き、地団太を踏みます。
 突然の空襲を受けて防空壕に入り込んだゴーレは、上流のポポヴィチ夫人と召し使いのエリサヴェータ、プロトボペスク判事と出会うことになりますが…。
 死んだはずの者たちと出会った男の体験を描く作品です。幽霊譚というべきか、時間のねじれを描く幻想小説というべきか…。実際どちらとも解釈できそうな作品ではありますね。

ジブ・I・ミハエスク「夢」(住谷春也訳)
 戦争に駆り出されている間、戦乱の中で最愛の妻ナタリアを失ってしまったドクター・カロンフィル。妻の生死は行方知れずであり、生きているのではないかとドクターは信じていました。
 友人のラガヤック中尉から、チェルナウツィの町で、妻と同名のナタリアという踊り子がいることを知らされたドクターは、踊り子が妻自身ではないのかと考えます。やがてドクターは、妻との再会について夢想することになりますが…。
 戦乱の最中に生き別れになった妻との再会について夢想を繰り広げる男の物語です。やがて訪れた本当の再会は、夢想とはかけ離れており…。しかもそれさえもが夢だったのかもしれない、という幻想的な作品です。

リュドミラ・ペトルシェフスカヤ「東スラヴ人の歌」(沼野恭子訳)
 幻想的な掌篇が並べられた連作です。自分は母の不貞の子だと知った青年が悲劇的な人生を歩むという「母の挨拶」、恋人のため意に染まぬ結婚をした男が不仲のあげく妻を殺してしまうという「新開発地区」、死後妻の棺をあけて顔を見てしまった男が不思議な幻視をするという「手」、ただの隣人を許嫁と信じる娘がその男の死後おかしくなってしまうという「小さなアパートで」の四篇を収録しています。
 どの作品でも怪異な現象が起こるのですが、それよりもその現象の影響を受けた人間の数奇な人生が語られる部分に味わいがありますね。


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あり得ない色  バラージュ・ベーラ『ほんとうの空色』
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 バラージュ・ベーラ『ほんとうの空色』(徳永康元訳 岩波少年文庫)は、不思議な花から作った絵の具『ほんとうの空色』によって、不思議な出来事が起こるというファンタジー作品です。

 せんたく屋を営む母親と貧しい生活を送る少年カルマール・フェルコーは、母親の手伝いで宿題をする時間も取れず、学校では劣等生とされていました。絵の得意なフェルコーは、金持ちの少年チェル・カリに、絵を描いてあげると持ち掛け、彼から絵の具と画用紙を借りることになります。
 家で絵を描いている途中でお使いを頼まれたフェルコーが戻ってみると、あい色の絵の具がなくなっていることに気づきます。飼い猫のツィンツが動かしたのかとも思いますが、絵の具は見当たりません。フェルコーは用具を返すのを引き延ばそうとしますが、チェル・カリは盗んだと騒ぎ出します。
 町はずれの野原に咲く青い花を見つけたフェルコーは、用務員のおじさんから、その花は、昼に一分間しか咲かない『ほんとうの空色』という花だと教えられ、その花を摘んで絵の具を作ることにします。絵の具を作ったフェルコーは、描きかけの絵の空を『ほんとうの空色』で塗りますが、その絵には不思議な出来事が起こっていました…。

 少年が見つけた不思議な花から作った絵の具『ほんとうの空色』。その絵の具を塗ったものには不思議な出来事が起こる…というファンタジー作品です。
 『ほんとうの空色』で描かれたものは現実と同じ効果を発揮するようなのです。描かれた空は曇ったり晴れたりします。月が出ていればその光が出たり、太陽が出ていればその熱や熱さを感じ取ることもできるのです。その効果を利用して体を温めたり、火をつけたり、といったシーンが出てくるのも面白いところですね。
 不思議な魔法の力が描かれる一方、主人公の少年フェルコーが置かれた現実生活はかなりシビアです。経済的に苦しい家庭なのはもちろん、それが理由で勉強もできず、劣等生になってしまうのです。
 趣味である絵に使う道具も、まともに買うことができません。いじわるな少年チェル・カリを始め、同級生にはフェルコーを馬鹿にする者たちも多いほか、教師もそうした事情を顧みない高圧的な存在として描かれています。唯一、フェルコーに好意を寄せるのは女生徒ダーン・ジュジだけで、彼女とチェル・カリに関しては、フェルコーと『ほんとうの空色』 をめぐるあれこれに絡んでくることになります。

 フェルコーをめぐる現実生活が厳しくシビアに描かれることによって、逆に『ほんとうの空色』 の魔法がロマンティックに見える…という効果も働いているようですね。
 興味深いのは、主人公フェルコーが不思議な力を手に入れながらも、それによって現実を変えるとか、人生を一変させる…という方向には話が進まないところです。飽くまで、一時的な魔法の力を楽しむ、という感じなのですよね。そのあたりの感触もあって、題材は完全なファンタジーでありながら、「現実」の香りが強い物語になっているのも特徴でしょうか。
 それを示すように、後半では、『ほんとうの空色』 の原材料が少なくなり、魔法の力がだんだんと弱まっていくという展開にもなっています。

 キャラクターとして印象深いのはは、フェルコーの飼い猫ツィンツ。青い絵の具を食べたねずみを食べて青色になってしまいます。自分を売らせてお金を家族に与えた後に、逃げ出してまた戻ってきてしまいます。この猫のキャラにも、シビアな現実が反映しているようですね。

 バラージュ・ベーラ(一八八四年~一九四九年)はハンガリーの作家。映画理論家として有名な人ですが、創作もいくつか残しています。『ほんとうの空色』はその中でも名作の評価が高いものです。

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言葉の力  ヴァーツラフ・ハヴェル『通達/謁見』
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 チェコの作家ヴァーツラフ・ハヴェル(1936-2011)の戯曲集『通達/謁見』(阿部賢一、豊島美波訳 松籟社)は、「言葉」をテーマとした不条理度の高い戯曲二篇を収録した作品集です。

「通達」
 役所の局長グロスは、局長代理のバラーシュから、自分の知らぬ間に、効率化を図るための人工言語「プティデペ」が組織に導入されたことを聞かされます。「プティデペ」は自然言語とは全く似ておらず、その習得には相当の困難が伴う言語でした。
 既にその教育機関が役所内に作られていたことにもグロスは驚きますが、その言語が理解できる者はほとんどいないというのです。翻訳しようにも翻訳すらできず、そもそもその翻訳の許可さえがまともに取れない仕組みになっていました。
 いつの間にかすべてを取り仕切っていたバラーシュに気圧され、困惑したグロスは、バラーシュに局長の座を譲り渡してしまいます…。

 ある日突然、聞いたこともない人工言語が導入された組織の困惑を描く不条理作品です。
 局長グロスが知らぬ間に、代理のバラーシュが勝手にその言語「プティデペ」を導入しており、組織はその言語中心に動くようになっていました。しかし、バラーシュ自身、その言語を理解するのはおろか、そのシステムを使いこなすことはできないことが分かってくるようになります。
 そもそもこの言語、正確さを高めるために従来の原語とは全く似ないよう作られているため、やたらと単語が長くなる傾向があります。一番長い単語は文字が319文字もあるというのです。
 たびたび挟まれる「プティデペ研修所」では、教師ペリナによって「プティデペ」の奇怪極まりない複雑さが語られていく…というのも人を食っていますね。
 効率化のために導入されたはずの言語が、煩雑さと複雑さを増すだけにしかならないのにも関わらず、上からの命令だということで広められてしまう様が、喜劇的なトーンで描かれていきます。
 しかも、後半ではそれが「命令」ですらなかったこと、それを否定するような通達が来ても、誰もそれが読めないこと、などとも相まって、その混沌さが増していきます。人工言語導入以前に、役所内では元々まともに仕事がなされていないことが示される部分にも諷刺が効いていますね。
 1960年代に書かれており、当時のチェコの社会情勢が反映されているのだとは思いますが、そうした社会諷刺の意味を超えて、今読んでも普遍的な味わいの感じられる作品になっています。

「謁見」
 ビール工場に勤める、元劇作家のヴァニェクは醸造長から呼び出しを受けます。ビールを進めながら話す醸造長は、ヴァニェクに楽な環境への移動を提案しますが、肝心なことを話さず、何度も堂々巡りの話を繰り返します…。

 こちらは短い一幕劇なのですが、社会的に強く影響を持った作品だとか。社会主義の圧政下における密告の苦しさを一幕の「謁見」で象徴させた作品です。
 醸造長は、ヴァニェクを特別扱いしてやろうという意思を示し、一方ヴァニェクはそれに感謝しているという態度を崩しません。しかし酔った醸造長は、インテリに対する反感を示し始めます。圧迫をする側と見える醸造長もまた、苦悩しているようなのです。
 知り合いの女優を連れてきてくれとヴァニェクに頼む醸造長の態度が、単なるミーハー根性ではなく、彼の「救い」なのかもしれないのが分かる後半部分にはインパクトがありますね。
 社会体制が人間全体を苦しめている様を象徴的に描いた作品、と言えるでしょうか。


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物語の生まれる場所  カレル・チャペック『長い長い郵便屋さんのお話』
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 カレル・チャペック『長い長い郵便屋さんのお話』 (栗栖茜訳 海山社)は、チェコの作家チャペックによる、九篇を収めた童話集です。

 ふと寝込んでしまった郵便局員が夜中に郵便の仕事をしている小人たちと出会う「長い長い郵便屋さんのお話」、川に住む不思議なカッパたちの物語「カッパのお話」、竜退治に駆り出されたお巡りさんたちと、卵から生まれた竜を育てることになった男の物語「長い長いお巡りさんのお話」、見知らぬ人からカバンを預かったホームレスの男が窃盗犯として逮捕されてしまうという「クラールという名のホームレスのお話」、紳士として育てられた大盗賊の息子が家業の盗賊を継ぐことになるという「大盗賊ロトランドの息子のお話」、喉に実をつまらせた魔術師を治療に訪れた医者たちが長々とお話を語るという「長い長いお医者さんのお話」、元気な犬が色々と騒動を引き起こす「ヴォジーシェクという名の犬のお話」、様々な小鳥たちの様子を描いた「小鳥のお話」、王女のもとにやってきた子ネコをきっかけに起こる色々な事件を描いた「長い長いいたずら子ネコと王女様のお話」を収録しています。

 現実世界でリアルに展開するお話かと思っていると、急に奇想天外な要素が登場して、思いもかけない展開になるのが魅力です。話の途中で出てきた別の人物が全く別のお話を始めるなど、その構成も融通無碍ですね。

 表題作「長い長い郵便屋さんのお話」は、仕事中に寝込んでしまい、目を覚ますと郵便局に住み着く小人たちに囲まれていた郵便局員を描く物語。宛先の書かれていない手紙を届けるために旅に出るという、意想外に壮大なお話になっています。小人たちの食料が、落としたパン屑とか、封筒の糊だったりと、妙にリアルなところに笑ってしまいますね。

 「長い長いお巡りさんのお話」では、警官の業務報告の話が、いつの間にか竜退治の話になってしまいます。沢山の頭を持つ竜を退治するための警官たちの奇想天外な手段も読みどころです。また竜に関わるエピソードも二段構えになっていて、竜退治のエピソードの次には卵から孵った竜を育てる男性を描くエピソードも登場します。こちらも楽しいお話ですね。

見知らぬ人からカバンを預かった、善人のホームレスの男が窃盗犯として疑われ続け、果ては死刑にまでされそうになってしまう「クラールという名のホームレスのお話」、父親の希望で修道院で教育を受け、紳士となった大盗賊の息子が、父親の家業を受け継ぐものの、その礼儀正しさが禍して、逆に騙され続けてしまうという「大盗賊ロトランドの息子のお話」などは、シンプルに面白い物語になっています。「大盗賊ロトランドの息子のお話」では、予想外にブラックな結末も風刺が効いていますね。

 「長い長いお医者さんのお話」「長い長いいたずら子ネコと王女様のお話」は、それぞれ小粒な挿話を含んだ枠物語のような形式になっています。

 「長い長いお医者さんのお話」では、のどにプラムの実をつまらせた悪名高い魔術師を助けるために、弟子によって呼ばれた医者たちが治療をする様子が描かれます。普段人を困らせている魔術師を懲らしめてやろうと、医者たちは治療をそっちのけで延々といろんなお話をする、という趣向です。
 中では、名前を聞き違えたことから医者と間違えられ、東洋の国のお姫さまの治療に連れてこられた木こりを描くエピソードが楽しいです。医術を全く知らない木こりは、とりあえず部屋の外の木を切り倒し風通しを良くしますが、それが功を奏してしまうのです。
 「長い長いいたずら子ネコと王女様のお話」は、知恵者のおばあさんが銀貨と引換えに王女のもとに連れてきた子ネコのユーラをきっかけに、様々な事件が起こるという物語。
 部屋から落ちてしまったユーラが魔術師にさらわれてしまい、その後を名探偵シドニー・コールが追うというエピソードが目立って面白いです。
 警官や刑事たちが全く捕まえられず、拳銃を何発も撃ち込んでも全く効かないという魔術師を名探偵はどう捕まえるのか? 皆の期待をよそに名探偵は世界一周旅行に出かけてしまいます…。
 奇想天外な手段で相手を捕まえようとする名探偵と魔術師の戦いが描かれるエピソードで、これは楽しいです。

 おとぎ話の伝統的なフォーマット風に始まりながらも、意図的にその型を崩したり、メタフィクショナルな捻りを入れたりと、自由闊達な作風が楽しい童話集になっています。

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天使と人間たち  パヴェル・ブリッチ『夜な夜な天使は舞い降りる』
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 チェコの作家パヴェル・ブリッチ(1968~)の『夜な夜な天使は舞い降りる』(阿部 賢一訳 東宣出版)は、守護天使たちが、自分たちが見守る人間たちのエピソードを話し合うという、連作ファンタジー集です。

 貧しい研究者の青年が子どものために罪を犯してしまうという「天使はいつ自分の姿を見るのか?」、凡庸な少年がある年のクリスマスプレゼントによって人生を変えることになる「終身クリスマス」、才能はないながら意欲だけが極端にある飛行家の男に振り回される天使の物語「過労気味の天使」、司祭の導きで世界を探検することになる少年の物語「アフリカの周遊航海」、自分の受け持ちではない方の双子の少年にばかり肩入れしてしまう天使を描いた「あるじを裏切った天使」、体のつながったシャム双生児の守護天使になった二人の天使を描いた「シャム双生児の物語」、宇宙飛行士と共に宇宙に飛び出した守護天使を描く「宇宙訓練」、不死に近いほどの幸運を持つ子どもが周囲に利用されてしまうという「幸運の子ども」、北極で遭難した学者を助けようとする守護天使を描いた「摩訶不思議な旅」、犬橇レース中の青年が狼に襲われるという「狼のまなざし」、破綻寸前の葡萄酒の醸造家が手に入れた幸運を描く「天使の味」、無一文の男が瞬く間に幸運を手に入れるという「ノミのサーカス」、守護天使に守られたサッカー選手の物語「ゴール」、未来を見通す能力を持つ女性のある決断を描く「アンジェリカ」、精神的に遅れていると思われていた少年が、祖父とそのタイプライターとの出会いで才能を開花させる「古いタイプライター」、天使とも見紛う美しい女性が子どもたちを導くことになるという「鏡像」、天使たちが泥棒を追い出すためにオルガンを演奏する「バッハ」の17篇を収録しています。

 夜な夜な、プラハにあるバロック様式の教会に集まる守護天使たちが、自らが守護する人間たちについて、そしてその不思議な人生のめぐり合わせについて、互いに話し合うことになるという物語集です。
 天使たちは、直接人間の人生に介入することはできないものの、間接的な手段によって手助けをしたりすることなどは可能になっています。
 天使たちが、極めて人間的な存在として描かれているのが特徴で、彼らにも好き嫌いがあったり、ひいきがあったりします。自分が愛している人間が不幸になるのを止めようとしたり、成功するための手助けをしたり、場合によってはルールを破って、かなり意識的な介入を行うこともあります。
 守護天使たちが手助けをしても、結局は不幸になってしまう人間もいますし、あえて愚かな選択をする人間を止められないこともあります。それらの人間に対して悲喜こもごもの感情を抱くなど、お話の中心となる人間たちの物語であると同時に、天使たちの物語にもなっているのが面白いところですね。

 「あるじを裏切った天使」では、双子の片割れを守護することになった天使が描かれます。しかし輝かしい性質を持つもう一人の少年に惹かれてしまった天使は、そちらの少年ばかり見るようになってしまいます。結果として自ら守護するはずの少年の人生は苦いものになっていました…。
 また「摩訶不思議な旅」では、守護する学者が北極で遭難してしまい、彼を助けようとしてルール違反を行ってしまう天使が描かれます。
 天使たちが、それぞれの性格を持ち、ある種の「弱さ」をも持った人間的な存在として描かれており、それがゆえに思いもかけない展開をもたらすこともあります。

 単独でも味わい深い人間たちの人生のエピソードに、さらに人間臭さを持った天使たちが絡むことになり、非常に味わい深い作品集となっていますね。
 全体に優しくあっさりとした味わいのエピソード群にあって、シリアスで重厚な味わいのエピソードもいくつか見られます。「幸運の子ども」「アンジェリカ」はそのタイプでしょうか。

 「幸運の子ども」は、こんなお話。16世紀、プラハの錬金術師の叔父が用意していた、煮えたかまのなかに落ちてしまった幼い少年カレル。しかしカレルは全く傷を負いませんでした。少年は幸運にめぐまれた不老不死の能力を持っていたのです。
 その幸運は周囲の人物にも適用され、彼がいた場所では、災難や事故が起こっても周囲の人々は無事だったのです。空爆の爆心地でもカレルがいるだけで、周囲の人物は全く無傷なことに気づいた軍は、彼を利用しようと考え始めます…。
 絶大な能力を持つ少年と、彼を利用しようとする勢力が描かれるSF的なエピソードとなっています。

 「アンジェリカ」は、こんなお話。幼い頃から、未来を見通す能力を持つ女性アンジェリカ。孤児院で育ったアンジェリカは、その美しさゆえ、養子にもらわれていきますが、気味悪がられて何度も孤児院に戻されてしまいます。彼女は本来見えないはずの天使の姿が見えるらしく、彼女の守護天使であるフベルトに話しかけます。昏睡状態にある実の母親を助けるために、ある手伝いをしてほしいというのですが…。
 絶大な能力を持つ代わりに何かを失ってしまった女性と、昏睡状態である彼女の母親。二人を助ける方法として提案されたのは何とも奇妙な手段でした。結局誰が助かり、誰が幸せになったのか? いろいろと考えさせるお話になっています。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

移りゆく物語  ミハル・アイヴァス『黄金時代』
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ミハル アイヴァス 阿部 賢一
河出書房新社 2014-11-26

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 小説作品の内部に、さらに別の「本」が登場する…。それが実在の本であれ、架空の本であれ、本好きの読者にとっては、何とも魅力的なテーマです。
 ただ、この種のテーマの本を読んでいて、いつも不満に思っていたことがありました。それは作中に登場する「本」の魅力が、あまり感じられないこと。作中で「読み始めたら止めることができないほどの魅力を持つ本」であるとか「魔性の本」などと描写されていても、その「本」の中身が実際に語られると、それほど魅力的には感じられないことが多いのです。
 考えると、それも無理からぬ話です。そんなにも魅力的な「本」が語れるなら、作中の「本」にせずに、その内容そのものを物語として書いてしまえばいいのですから。その意味で、魅力的な「本」を描くのは、魅力的な物語を描くよりも難しいような気がします。
 そんなことを考えたのも、チェコの作家、ミハル・アイヴァスの小説『黄金時代』(阿部賢一訳 河出書房新社)を読んだからです。ここまで、厚みのある「本」の造形を成し遂げた作品には出会ったことがありません。
 
 ある架空の島に滞在した旅行者が、その島の独特の風習や奇妙な住人たちについて語ってゆく、断章形式の博物誌的物語。要約すると、そんな作品なのですが、これが何とも一筋縄ではいきません。
 島民の不思議な性質や風習が次々と語られていきますが、そのひとつひとつが魅力的なエピソードになっています。例えば、島民の性質について描写される、次のような文章があります。

 すでに触れたように住民たちは島に名をつけていなかった。固定した名前を嫌っていたため、自分の名前もしばしば変え、生涯のあいだに何十もの名前を持っていた。

 金や権力に興味はなく、人間関係にさえも絶対的なものを認めない、不思議な島民たち。彼らの上に君臨するはずの王でさえ、例外ではありません。王は選挙で選ばれますが、そもそも名前がころころ変わるので、誰が話題になっているかもはっきりしないのです。

 このように間違いだらけであったため、王の候補としてある時期話題になっていたのは、じつは存在しない人物だったというようなこともあった。けれども、島民たちはそんなことをまったく気にしていなかった。

 王という人物はある一定の尊厳を島で集めていたが、その尊敬は同情と結びついていて、そればかりかある種の侮蔑も混ざっているようにも思えた。

 転倒した価値観を持つ島民たち、彼らの間で読まれる「本」もまた、常識的な価値観では計ることができません。島には本がそれしか存在しないため、彼らの間では「本」とだけ呼ばれています。蛇腹状になったその「本」は、島民の間で回し読みされますが、誰がどのぐらいの期間持っていて、誰に渡すかなどのルールも全くありません。
 「本」のいちばんの特徴は、島民が自分たちで加筆をするところにあります。加筆を繰り返していくうちに、「本」の内容はどんどん変わっていってしまうのです。

 つまり、読者は受け取った本とは別物の本を次の読者に手渡していた。「本」が人の手から人の手に渡っている間に、島民は加筆に加筆を重ね、読者が何年かあとに「本」にふたたび遭遇するときには、以前手にしていたものとはまったく別の作品になっていた。

 最初は、島の不思議な風習の一つとして登場したかに見えた「本」が、だんだんと物語の中心にシフトしていきます。「本」自体の奇妙な性質だけではなく、変容する中身の物語もやがて語られ始めるのです。それは王族や英雄たちの胸躍る神話的な冒険物語。ギリシャ神話、あるいはアラビアン・ナイトを思わせるような香気あふれるエピソードです。
 「本」が登場するのが、だいたい中盤、それまでの淡々とした紀行文風の部分がかなり長いので、合わない人はそこで読むのをやめてしまいそうな気がしますが、「本」が登場してからの後半が圧倒的な素晴らしさです。
 この作品での「本」は、作中でのアイテムといった扱いを超えて、それ自体がテーマとなっています。ここまで「本」について語りつくした作品は今までなかったのではないでしょうか。「書物」や「物語」に興味を持つ方に薦めたい、知的なエンターテインメントになっています。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
twitter上でも活動しています。アカウントは@kimyonasekaiです。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」も主宰してます。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド 増補版』『奇妙な味の物語ブックガイド』『海外怪奇幻想小説ブックガイド1・2』『謎の物語ブックガイド』『海外ファンタジー小説ブックガイド1・2』『奇想小説ブックガイド』『怪奇幻想映画ガイドブック』を刊行。「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」も作成しました。



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