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戦争と幻想  ロード・ダンセイニ『戦争の物語』
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 ロード・ダンセイニ『戦争の物語』(稲垣博訳 西方猫耳教会)は、第一次世界大戦時に情報部に務めていたというダンセイニの、戦争をテーマにした作品を集めた短篇集です。
 全体に物語らしい物語は少なく、戦争の情景を描いた短めのスケッチ的な作品が多くなっています。また当時の敵国ドイツに対するプロパガンダ的な要素も強めです。それでも時折現れる叙情的な自然描写、幻想的な光景など、ダンセイニならではの魅力が感じられるところもありますね。

 ドイツに対する主戦的な視点、特にドイツ皇帝ヴィルヘルム二世に対する当たりは強烈です。作品内で何度も非難されたり風刺的に描かれるなど、ひどい扱いをされています。
 「戦争の罪」という作品は特に強烈です。魂だけになった皇帝が亡霊に引き連れられ、自身のせいで不幸になった家庭の情景を数千軒も見させられるという物語。希代の犯罪者扱いなのです。
 他にも、皇帝の特徴的な「カイゼルひげ」をモチーフに、理髪師に戦争の原因を求めるという風刺的な「戦争の起源と原因」、戦争で息子を失った老夫婦の皇帝に対するうらみを描いた「シュニッツエルハーザー家の一夜」など、様々な形でドイツ皇帝は断罪されていてます。

 上記にあげたようにプロパガンダ文学的な面が強いのは確かなのですが、ダンセイニらしい幻想的・叙情的な作品も垣間見られます。戦争に巻き込まれた男たちが故郷の村の記憶を残そうとする「デルスウッドの祈り」、集中砲火の中故郷を思い出す兵士たちを描いた「故郷を想って」、かっての美しい光景が荒野と化すという「雑草と鉄条網」、言葉を話せるゴリラを描いた風刺的な「野蛮なる者」、銃弾に倒れた兵士の最後の幻想を描いた「最後の光景」などが面白いですね。

 一番印象に残るのは「デルスウッドの祈り」でしょうか。小さいながら幸福な村だったデルスウッド。召集され男たちが次々と戦死していきます。故郷デルスウッドの思い出を語り継ぐために、皆から村の話を聞いた一番若い男に降伏させ、彼が村の記憶を語り継げばいいのではないかという提案がなされます。
 しかし若者たちは自分だけ降服することを拒否します。相談していた男たちは塹壕の中で大きな石灰岩を見つけます。その石にナイフで村の記憶を書き残そうではないかと思い付きますが…。
 人々の思いを打ち砕くような結末が待ち構えています。戦争の残酷さ、もしくは人の記憶のはかなさを描いた作品といってもいいのでしょうか。詩的な発想の非常にダンセイニらしい作品です。

 ダンセイニの違った一面の見られる味わい深い作品集ではあるのですが、代表作に見られるようなファンタジーとユーモアに満ちた作品を期待すると、ちょっと違うな…となってしまうと思います。代表的なダンセイニ作品を読んだ後に触れてみるのが、一番良い読み方ではないでしょうか。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

現実と空想の旅  ロード・ダンセイニ『夢源物語 ロリーとブランの旅』
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 ロード・ダンセイニの長編小説『夢源物語 ロリーとブランの旅』(稲垣博訳 Penaga Lost Works)は、夢見がちな青年ロリーと相棒ブランの、現実と空想が交錯する旅を描いた長編小説です。

 夢見がちで少し頭の弱い青年ロリーは、牛飼いを生業とする両親から用事をいいつかります。それはグルトナルーナの市まで十二頭の牛を連れていくというものでした。ロリーを心配する両親は、旅の相棒にブランを同行させることにします。
 人を信じやすいロリーは、やがて旅の途中で有り金と牛を巻き上げられてしまいますが…。

 心優しい青年ロリーと相棒ブランが、道中に様々なトラブルにあいながらも、やがて幸せな結末を手に入れる…というロードノベル的な物語です。
 明確に超自然的な出来事は起こらないものの、全体を通して空想的でファンタスティックな空気感に満ちています。

 主人公ロリーは空想がちで騎士道物語のファンであり、現実世界の出来事には疎い青年です。旅の途次で自分を騎士に見立てて空想に耽ったりなどしてしまいます。
 ロリーだけでなく、彼らが旅の途中で出会う人々もまた、ロリーに輪をかけて現実離れした人物たちであるというのも、作品の空想的な雰囲気を醸成するのに寄与しているようです。
 ロリーの持ち金や牛を巻き上げようとする香具師めいた騎手ファーガン、自分をアイルランドの国王だと主張するオハリガン、魔法の力を信じる鋳掛け屋「瓶の船」、そしてロリーの想い人であるライアン家の娘「麗しのオリアナ」…。

 登場人物たちはどれもユニークですが、とくにロリーを全面的にバックアップすることになる鋳掛屋に関しては、物語中でも重要な人物として描かれています。鋳掛屋はロリーの空想を否定せず、魔法の存在そのものを肯定するというキャラクターになっています。
 この鋳掛屋とロリーとの掛け合いは非常にファンタスティックな香気に満ちています。特に、鋳掛屋の眠っている飼い犬に対して彼が話すセリフは印象的です。

 「いや、まだ眠っておる。起こさん方が良いじゃろう。どんな夢を見ているか解らんからな。奴は今、玉座に座る王かも知れん。今起こせば一国を抹消させることにもなりかねん。…」

 犬が夢の中で別の人生を生きているかも…という何ともファンタスティックな空想に満ちたセリフで、とても魅力的です。

 騎手やオハリガンなどに持ち物や牛を巻き上げられても、ロリーは持ち前の空想癖と楽観主義からまったくめげることがありません。牛を売るための旅であるのに、牛を全頭失ったまま旅を続けることになるのです。
 やがてロリーの想い人オリアナが助けを求めてきたとき、ロリーは「仲間」たちとともに助けに向かうことになります。ロリーの純真な性質、そして「仲間」たちの「狂気」がオリアナを助けるために役に立つ…という展開は、そこまで作品を読んできた読者にとって非常に説得力があり感動があります。
 ロリーを始め、狂気に囚われたり、頭のねじがちょっと緩んでいるような登場人物たちが、ただそれだけで切り捨てられるのではなく、彼らなりの役割を発揮するというのも面白いところですね。

 空想の世界に生きていたロリーが「愛」の力で現実の世界に戻ってくるというのも興味深いところです。かといって彼が空想の世界を失ったわけではない、というのは結末でも示されます。
 空想の世界と現実の世界、両方の美しさが描かれています。空想と現実、どちらかを否定するのではなく、どちらもが人生には共存する…というような非常にバランスのとれた作品です。劇的な事件はあまり起こらないものの、詩心あふれるタッチで描かれた作品です。

 相棒であるブランが所々で存在感を放ちながらも、作中一つもセリフがないというのもユニークかつ面白い試みですね。

 ファンタスティックではありながらも「ファンタジー小説」とは言い切れないところもある作品で、その意味で読者を選ぶところもあるのですが、ダンセイニ作品の変遷を考える上で重要な意味を持つ作品ではないでしょうか。

 『夢源物語 ロリーとブランの旅』は、稲垣博さんの主宰する<Pegana Works ペガーナ・ワークス >から購入できます。


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ロード・ダンセイニの短篇作品を読む
 長編も素晴らしい作品がありますが、ロード・ダンセイニの本領はやはり短篇にあるといっていいのではないでしょうか。初期の昏い世界観のファンタジーから、後期のユーモアにあふれた作品まで、幅広い作風の短篇が残されています。
 以下、いくつかの作品集について見ていきましょう。


ペガーナの神々 (ハヤカワ文庫FT)
『ぺガーナの神々』(荒俣宏訳 ハヤカワ文庫FT)

 創作神話集「ぺガーナの神々」とその続編「時と神々」(「時と神々」は抄訳)が収録されています。神々さえもが滅びの対象であるという、独自の世界観に彩られたファンタジー作品集です。
 「神話」であるので、世界の成り立ちについての説明が成されるのですが、その構造が非常にユニークなのです。人間やその世界を作ったのは「ちいさき神々」であり、その「ちいさき神々」を作ったのは主神マアナ=ユウド=スウシャイ、そして、そのマアナもまた<宿命>と<偶然>の勝負に影響されるという独自の神話になっています。

 特に興味深いのはマアナ=ユウド=スウシャイの設定です。彼は鼓手スカアルのたたく太鼓によって眠りについており、マアナが目を覚ました瞬間に全てが消え去るというのです。さらに独特なのは、主神マアナ以外は、神も含めてはかない存在であるというところ。そしてマアナ自身も物語中ではほとんど姿を見せずに、その存在や真実も人間にとっては不確かであるのです。

 「ちいさき神々」の中では、キブ、シシュ、ムングの三人の神が存在感を放っていますね。生命を生み出すキブ、死をもたらすムング、そして一番ユニークなのが猟犬<時>をけしかけるというシシュです。時間を形象化した神で、キブとムングの間にいる…という設定もなるほどという感じですね。

 「ぺガーナの神々」では主に神々や予言者についての物語が記されるのに対して、「時と神々」では神々と人間との関わりについての物語が多くなっています。
 神々を知らない幸福な人々が神々に発見されて争いを強要されるという「神々の栄光のために」、過去の記憶を求める王を描く「カイの洞窟」、人間に似せた神像で神々の怒りを買った王が存在を抹消されるという「消えた帝王」、疫病によって神々に蹂躙された人間たちが神を呪うという「人間の復讐」、神々の秘密を知った予言者オルドが五感や記憶までをも奪われるという「南風」などが面白いですね。
 特に記憶を寓話的に描いた「カイの洞窟」と、全てを奪われた人間を描く「南風」は強い印象を残す佳品です。



世界の涯の物語 (河出文庫)
『世界の涯の物語』(中野善夫他訳 河出文庫)

 ダンセイニ初期の短篇集「驚異の書」「驚異の物語」の邦訳です。ファンタジーの中にところどころに挟まれたユーモア(ブラック・ユーモア)が非常に楽しいですね。
 ファンタジーとはいっても「ロマンティック一辺倒」ではないところがダンセイニ作品の魅力です。例えば「宝石屋サンゴブリンド、並びに彼を見舞った凶運にまつわる悲惨な物語」「三人の文士に降りかかった有り得べき冒険」などでも、主人公たちは優れた能力を持つ者たちなのですが、冒険は失敗に終わってしまいます。失敗するだけならいいのですが命を奪われてしまうことも。考えてみると、ダンセイニ作品では「冒険」が上手くいかないパターンが結構多いのですよね。その点、計画は失敗しながらも悠々と逃げさる主人公の登場する「ナス氏とノール族の知恵比べ」は面白いですね。

「ミス・カビッジと伝説の国のドラゴン」
 ドラゴンにさらわれて「伝説」になってしまう女性を描いた作品。さらわれた後の余韻に雰囲気があります。

「女王の涙をもとめて」
 泣いたことがないという森の女王を泣かせようとする人々の物語。、終始ロマンティックな展開ながら、結末の皮肉さは強烈です。

「トーマス・シャップ氏の戴冠式」
 現実の味気なさから自分だけの空想の王国を作り、その想像(創造)がエスカレートしていくという物語。非常に現代的なテーマの作品で、主人公を必ずしも風刺的な位置からのみ描いていないのは、ダンセイニの懐の広さでしょうか。

「驚異の窓」
 ふとしたことから「魔法の窓」を手に入れた若者を描く物語。その窓からは現実とは違った世界が見えるのです。窓の先の世界に憧れを抱く若者ですが、その世界の光景もまた不変ではない…という展開はほろ苦さを感じさせますね。

「ロンドンの話」
 バグダッドのスルタンがハシッシュ吸引者から幻想のロンドンの素晴らしさを聞かされるという物語。空想上の東洋から見た空想のロンドンの素晴らしさを語るという、多重に幻想がかった作品です。

「食卓の十三人」
 狩の最中に迷ってしまった語り手が一夜の宿を求めたのは風変わりな主人のいる館でした。主人は食事の席で自分たち二人以外にも客がいるようなふりをしていたのです…。
 結末の急展開が読みどころですね。風変わりなゴースト・ストーリー。

「なぜ牛乳屋(ミルクマン)は夜明けに気づいたときに戦慄き震えたのか」「黒衣の邪(よこしま)な老婆」はどちらも意味深なタイトルですが、内容がはっきりしないまま終わるというナンセンス・ストーリーあるいはリドル・ストーリー的な作品。人を喰ったような味わいがあります。

「強情な目をした鳥」
 「宝石屋サンゴブリンド」の主人公の息子ニーピー・サンの登場する続編的な作品。鳥のネーミングのインパクトだけでも素晴らしいです。続編でも計画は上手くいかないのが面白いですね。

「老門番の話」
 世界の涯の老門番について描かれた物語。非常に素敵な物語なのですが、結末の一文でそれをひっくり返してしまうユーモアも楽しいです。登場する「トン・トン・タラップ」という地名の響きは魅力的ですね。

「アリが煤色(ブラック・カントリー)の地を訪れた顛末」
 「蒸気」によって汚されたイングランドに美しさを取り戻すために呼ばれた男を描く物語。ダンセイニの文明嫌悪的な要素が出た作品ですね。「九死に一生」でも同じくロンドンに自然を取り戻そうとする魔法使いが登場しています。

「不幸交換商会」
 パリにある「不幸交換商会」は災厄や不幸を他人と交換することができる店でした。わたしは自分の持つ「船酔いへの恐怖」の交換を希望しますが…。
 結末を含めて間然するところのない傑作。作中のセリフも警句のように気が利いています。奇妙な味の名品。

「赤道の話」
 赤道に宮殿を建てその素晴らしさを予見して語れと命令するスルタンを描く物語。結末は非常にファンタスティックで、その味わいはまるでボルヘスを思わせます。

「望楼」
 かってサラセン人の襲撃を受け続けた塔の魂が人の形になって現れるという物語。過去への郷愁しか存在しないという寂しさが描かれる味わい深い作品です。

「チェスの達人になった三人の水夫の話」
 ある日突然現れた三人の水夫を描く物語。彼らは必ず三人でしかチェスをしようとせず、しかしその状態でプレイすると達人にまで勝つことができるのです。一見素人の集まりの彼らの秘密とは…?
 ほら話的要素の濃い楽しい作品です。

「流浪者クラブ」
 ふとしたきっかけからエリティヴァリアの前王の晩餐に誘われた「わたし」は、館の地階で食事をすることになります。そこに集まったのは王の血筋を引きながらその地位を追われた人間ばかりでした…。
 零落した王族たちを描く風刺的な作品かと思いきや、とんでもない展開に。直接的に真相を描かないところが秀逸です。序盤から張られた伏線が結末の一行で判明するという構成は見事の一言。恐怖小説的な味わいの濃い作品です

「三つの悪魔のジョーク」
 風変わりな長所と交換に「三つのジョーク」との交換を持ちかけられた男は契約をしてしまいます。それらのジョークを聞いた人間は笑い死にしてしまうというのですが…。
 悪魔との契約もの。怪奇味とユーモアが渾然となった作品です。リドル・ストーリー的な味わいもありますね。

 様々な作品で幻想・空想の都や町の美しさが語られますが、その一方で空想のロンドンの魅力について語る「ロンドンの話」などの例もあり、ダンセイニ作品においては全てが空想の対象なのだと感じさせられますね。
 そもそもダンセイニの描く都市や場所は、現実世界とどこかでつながっているらしく、ロンドンから直接行くこともできるようなのです。「世界の涯」が現実と地続きになっているという、ゆるやかな世界観は何とも素敵です。



夢見る人の物語 (河出文庫)
『夢見る人の物語』(中野善夫他訳 河出文庫)

 原著短篇集「ウェレランの剣」「夢見る人の物語」が収録されています。夢幻的で香りの高い作品が多く収録されている印象ですね。

「ウェレランの剣」
 かってウェレランを始めとする英雄たちによって守られていた都メリムナ。英雄たちは自分たちの死を隠し、死後も都を守っていましたが…。
 少年が過去の英雄の魂に啓示を受けるというファンタジー。偉大な英雄たちの物語を語りながら、彼らにも死は平等に訪れます。そして彼らの魂を引き継いだ少年が剣を手に立ち上がったとき、英雄たちの本当の死が訪れる…という、勇ましさと哀切さが同居したファンタジー作品です。

「バブルクンドの崩壊」
 伝説的な美しさを誇るバブルクンドを求めて旅をする一行を描く物語。旅の途次に出会う旅人たちから都の美しさを聞かされるものの、本当の都にはたどり着けません…。
 実際に訪れることがかなわないゆえにその美しさが輝くという逆説的な作品です。

「妖精族のむすめ」
 自然の美しさを味わってみたくなった妖精族の野に棲むものは、仲間たちに拵えてもらった魂を使い人間の娘になります。しかしその代りに死すべき運命をも与えられてしまったのです…。
 純粋に世界の美を味わいたいという妖精族のむすめに対し、人間側は勝手な都合で彼女を翻弄していきます。やがて故郷に帰りたくなった彼女が見つけた「魂のない」人間とは…?
 自然と文明をテーマになっています。文明社会が風刺的に描かれるのとは対照的に、ヒロインの純粋性が際立っている秀作です。

「追い剥ぎ」
 死刑台に吊るされたかっての仲間の遺体を埋葬してやろうとする強盗たちの物語。彼らが悪人であることには変わりはない…とする結末も味わい深いですね。

「幽霊」
 ある古い屋敷で「わたし」が出会った幽霊たちは「罪」の象徴をともなっていました。それらに触れた「わたし」にはいわれのない兄に対する殺意が生まれますが…。
 幽霊だけでなく彼らの残した「罪」が獣の姿になって現れるという寓話的な作品です。

「ハリケーン」
 <ハリケーン>が<地震>とともに人間の文明を滅ぼそうとする寓話作品。擬人化された災害たちそれぞれにユニークな性格付けがされているのが面白いですね。

「サクノスを除いては破るあたわざる堅砦」
 悪夢によって人々を支配する魔術師ガズナクを倒すため、少年レオスリックはサクノスの剣を求めて旅立ちます。サクノスは龍鰐サラガヴヴェルグの背中にのみある鋼だというのですが…。
 前半は龍との戦い、後半は魔術師との戦いと、終始サスペンスフルな展開で読ませます。強大な龍の倒し方が妙にユーモラスだったり、剣を手に入れてからの展開があっさりしていたりと、意外な「軽み」が魅力的な作品です。ヒロイック・ファンタジーの傑作。

「椿姫の運命」
 生前の罪のため地獄に送られることになった椿姫をめぐる作品。彼女の魂を運ぶ天使たちは逡巡しますが…。
 同情する天使たちに対して、神の残酷さが垣間見える描写が面白いですね。

「海を臨むポルターニーズ」
 幸福な内陸の王国から壁のような巨大な山ポルターニーズを越えていった若者たちは二度と戻りません。王国の王たちは戻ってきたらヒルナリック姫との結婚を許すという交換条件で青年アセルヴォクを送り出しますが…。
 海と姫どちらが美しいのか? というダンセイニならではの問いが面白いですね。ほろ苦さを含んだ作品です。

「ブラグダロス」
 古いコルクやマッチ棒など、捨てられた物たちが夜ひっそりと話出します。そんななか古い揺り木馬は自分の空想を語り出します…。
 物たちが語る童心と空想に満ちたファンタジー作品。作中に登場する首吊り紐のエピソードが特に印象的です。

「アンデルスプラッツの狂気」
 「わたし」は都市アンデルスプラッツを訪れたとき、その都市が息絶えているのに気付きます。彼女にいったい何があったのか…?
 人と同様、都市や町にも魂があり、それらは狂気に陥ったり死んだりすることがあるというファンタジーです。

「潮が満ちては引く場所で」
 ある忌まわしい行為のせいで地獄にも居場所がなくなり、潮が満ちては引く場所に死体を放置されることになった「わたし」。たまに埋葬されることがあっての、何者かによって再び同じような場所に放置されてしまうのです…。
 半永久的に苦しみ続ける魂の物語。夢の話と断りながらも、ひどく息詰るような物語だけに、結末にはカタルシスがありますね。読み方によっては、すごく怖い話です。

「ヤン川を下る長閑な日々」
 ヤン川を下り様々な都市を訪れるという物語。この都市がそれぞれ奇妙な都市ばかりなのが面白いですね。とくに都中の人々が眠っている都市マンダルーンのエピソードは『ペガーナ』の「 マアナ=ユウド=スウシャイ」を思わせます。夢幻的な雰囲気が印象的な作品です。

「剣と偶像」
 石器時代を舞台にした先史もの。ある日ふとしたことから強力な鉄の剣を手に入れた男は、代々息子にその剣を引き継ぎ村を支配していました。その支配に不満を抱くイスは、やがて<ゲド>と呼ばれる神の偶像を拝みだすようになりますが…。
 剣が「神」に対する信仰に負けてしまうという、寓話的作品です。この作品に限らないのですが、ダンセイニ作品における「神」は横暴なイメージが強いですね。

「哀れなビル」
 ことあるごとに船員に呪いをかける横暴な船長を食料とともに島流しにした船員たちは、船長の呪いにより船を港につけることができないことに気付きます。やがて食料のなくなった彼らがとった手段とは…?
 終始ユーモラスに語られながらも、内容は残酷かつハードな恐怖小説的作品です。

「乞食の一団」
 ある日ロンドンに現れた乞食の一団は、目に付くものすべてを言祝ぎ、褒め称え始めますが…。
 煤まみれの煙さえ称賛の対象になるという風刺的な作品です。結末の一文が印象的ですね。

「カルカソンヌ」
 偉大な戦功を誇るカモラク王とその家臣たちは、カルカソンヌには行き着けないという占術士の予言に影響されて、かの地に旅立ちます。やがて次々と死者が出て、一行はどんどんと数を減らしていきますが、一向にカルカソンヌにはたどり着きません…。
 永遠にたどり着けない都市、というカフカ的なモチーフを扱った作品で、ボルヘスの<バベルの図書館>のダンセイニの巻にも選ばれている作品です。いかにもボルヘスが好きそうな作品ですね。

「不幸な肉体」
 肉体と魂の乖離を扱った作品。ある肉体は語ります。自分を支配しているのは、獰猛で凶暴な精神なのだと…。
 高邁な精神が肉体に悩まされる…というパターンはありますが、その逆を語るパターンは珍しいのでは。
 しかもこの作品の「精神」は意欲的であり言っていることは正しいのです。それに対して、肉体はただ眠りたいだけという、ある種とても現代的なテーマをはらんだ作品ではないでしょうか。



時と神々の物語 (河出文庫)
『時と神々の物語』(中野善夫他訳 河出文庫)

 短編集「ペガーナの神々」とその続編「時と神々」「三半球物語」の他、「その他の物語」としていくつかの短篇を収録しています。

 「ペガーナの神々」「時と神々」に関しては、上記に記していますので感想は省略します。どちらの訳もそれぞれ味があるのですが、荒俣訳でちょっと意味がとりにくいところがあったのが、こちらの河出文庫版ではかなりわかりやすくなっている…というのはありますね。
 荒俣訳でダンセイニに馴染んだ人は、やはり荒俣訳に思い入れがあると思いますが、初めて読むなら河出版の方が良いかと思います。
 さて「時と神々」に関しては、荒俣版ではカットされている作品が結構あります。その中から印象に残った作品の感想を。

「時の国で」
 アラッタの新王カルニス・ゾーは<時>を倒し老いと死をなくそうと決意します。長い旅路の果てにようやく<時>の城を見つけた王ですが、城には一向に近づけません…。
 <時>に勝負を挑む一行を描く物語。<時>の残酷さと壮大さを描いています。寓話としても印象深い一篇です。クライマックス、<時>の力によって王たち一行が急速に老いていくシーンは、ヴィジュアル的にも強烈な印象を残します。

「世界を哀れんだサルニダク」
 虐げられていた侏儒のサルニダクは、ある日別の都に行くらしい人影の一行を見つけ衝動的に彼らについていきます。やがて別の都では、神々と思しき一行が現れるのが目撃されますが…。
 神々に関わる物語でありながらハッピーエンドに終わるという、ダンセイニ作品では珍しいファンタジー。後味の良い作品です。かって「奇跡譚」を集めたアンソロジー『怪奇幻想の文学6 啓示と奇蹟』に収録されたこともある作品です。

「神々の冗談」
 笑いを必要とした古き神々は、強い野望と誇りを持った王の魂を作ります。それを地上の奴隷の体に埋め込み、その姿を見て笑おうというのですが…。
 神々の遊戯が失敗に終わるという掌編。神々がしっぺ返しをくらうというパターンはダンセイニには珍しいですね。

「預言者の夢」
 神々を呪った「私」を詩人はある場所に案内します。そこには巨大な骨が散らばっていましたが…。
 「神々の巨大な骨」という壮大なイメージが現れます。虚無的な雰囲気に覆われながらもそれをひっくり返すような結末は皮肉に富んでいますね。
 2章に分かれており、2章目では<運命>と<偶然>のゲームについて記述されます。彼らによって、神々を駒に使ったゲームが何度も繰り返されている…という描写があり、ぺガーナ神話でも重要なエピソードではないでしょうか。
 ただ気になるのは、「それまでに起きたことは何もかも再び繰り返される」「まったく同じ動かし方」というような表現があるところで、そうなると<運命>と<偶然>のゲーム自体は何回も繰り返されますが、その展開の仕方は同じ…という解釈ができますね。

「ブウォナ・クブラの最後の夢」
 アフリカ、ブウォナ・クブラの野営地と呼ばれる場所には不思議な現象が起こると言われていました。そこで死んだ白人が最後に夢見た街が姿を現すというのです…。
人間が夢見た都市が幻想となって現れるという、なんともファンタスティックな一篇です。

「オットフォードの郵便屋」
 毎年のように秘密めかした郵便を受け取る荒れ果てた丘陵の一軒家。妻にそそのかされてその秘密を探ろうとするオーットフォードの郵便屋が見たものとは…。
 恐怖小説的な味わいもある作品ですが、結末はやはりファンタスティック。

「ブゥブ・アヒィラの祈り」
 ライバルであるブゥブ・アヒィラが自分を追ってこないのを疑問に思ったアリは、ブゥブ・アヒィラがすでに偶像に願いをしていることを知ります…。
 ライバルが神々に願いを聞き届けられたと判断して、倒錯した行動を取る男の物語。主人公の行動原理が非常に面白い一篇です。

「小競り合い」
 小人族と半神との戦を描くファンタジー作品です。かなり一方的な争いになるところが残酷ではありますね。

「神はいかにしてミャオル・キ・ニンの仇討ちをしたか」
 女神に捧げる睡蓮を運ぶ途中に殺されたミャオル・キ・ニンの仇討ちを誓った神々は、下手人のアプ・アリフを罰しようとしますが…。
 正当な罰を与えようとする公平な神々かと思いきや意外な結末に。神々の気まぐれさが印象的ですね。

「神の贈り物」
 平和に飽き飽きした男は古の神々に戦争を起こしてほしいと願いますが…。
 「気まぐれな人間」を描いた寓話作品。神々ではなく人間の気まぐれさを描いているのが面白いところです。

「エメラルドの袋」
 ある夜酒場を訪れた老人は巨大なエメラルドを入れた袋を持っていました。彼からエメラルドを奪った客たちを襲った運命とは…?
 人々を襲った存在の正体をはっきり描かないところが効果的ですね。語り手が最後まで見届けずに逃げるという演出も技巧的です。

「茶色の古外套」
 競りで茶色の古外套に執着する男の姿を目撃した語り手は、その外套に何か秘密があると思い高値でそれを落札します。やがて男はさらなる高値で外套を買いたいと申し出てきますが…。
 何かいわくがあるらしい古外套の秘密とは…。
 物語の展開もナンセンス極まりないのですが、結末ではさらに唖然とするようなシーンが描かれます。ダンセイニのユーモアが発揮された好篇です。

「われわれの知る野原の彼方」は、『夢見る人の物語』にも収録されている「ヤン川を下る長閑な日々」を三部作に改編しなおした連作シリーズです。
 ヤン川沿いの不思議な都市を巡る川下りの日々を描く「第一話 ヤン川を下る長閑な日々」、旅からの帰還後に再度ヤン川を求めて語り手がある店を訪れるという「第二話 <見過ごし通り>のとある店」、第一話で言及された壊滅した街ペルドンダリスと象狩人シンガニーについて描かれる「第三話 ペルドンダリスの復讐者」から成っています。
 全体に夢幻的な雰囲気で展開される連作で、物語も「夢」のように不条理な展開がされたりするのが特徴。特に第三話ではペルドンダリスを滅ぼした怪物を倒したとされる象狩人シンガニーが登場しますが、その戦いや都市が滅びた由来などもあまり描かれず、ちょっともどかしい感じもしますね。

「谷間の幽霊」
 過去に谷間で生まれそこでずっと住み着いてきたという幽霊を描く物語。この作品で登場する幽霊は、死んだ人間の霊というよりは自然から生まれた精霊に近い存在です。先進的な文明を説く語り手に対し、幽霊はあくまで運命論的な考え方をしているのが面白いところです。

「サテュロスたちが踊る野原」
 まるでサテュロスたちが踊るような野原を見つけた語り手はそこを訪れますが…。
神秘的なものを求める語り手が落胆するものの実は…という物語。余韻を残す結末も味わい深いです。

「秋のクリケット」
 高齢の老人は誰もいない夜のクリケット場で観戦をしていました。彼には、死んだ名選手たちがクリケットの試合をしているのが見えるというのですが…。
幽霊たちの試合を観戦する老人という、どこか叙情的で、ノスタルジックな雰囲気も感じさせる作品です。

「電離層の幽霊」
 改装した古い屋敷の「幽霊」が気になったジャン・ニーチェンズは、科学者の友人に頼み幽霊を除去するという装置を据え付けてもらいます。除去には成功するものの、思わぬ結果が男を襲います…。
 科学装置によって幽霊を排除しようというユーモア怪談。語り口も楽しい作品です。

「おかしいのはどこ?」
 変わり者の男ヘンリー・ブードンは、リスに笑われたという話を大真面目に始めますが…。
 犬の断尾の話題がとんでもない方向へ。ユーモアあふれる<奇妙な味>の物語です。

「古い廊下にいる幽霊」
 長い放浪の旅から帰ってきた「わたし」は、丘の上の屋敷に出る幽霊の話を聞きますが…。
 静謐な雰囲気で語られるゴースト・ストーリー。結末の余韻には味がありますね。

「白鳥の王子」
 気前のいいことで有名な男パトリック・ゲラティ。彼はいつもどこからか飲み代を調達してくるのです。その秘密とは…?
 「詐欺」というか「コン・ゲーム」というか、そういう題材を描いている作品なのですが、その手段がファンタスティックなところがダンセイニらしいですね。

「誓ってほんとうの話だとも」
 酒場で出会った男はかってサタンと出会ったことがあると話します。彼はゴルフでホールインワンを出す契約をサタンと交わしたというのですが…。
終始人を食ったような語り口のユーモア・ストーリー。結末の一文の破壊力が強烈です。



最後の夢の物語 (河出文庫)
『最後の夢の物語』(中野善夫他訳 河出文庫)

 寓話集「五十一話集」、後期の作品集「不死鳥を食べた男」、その他の短編を収録しています。軽妙で「ほら話」的な性格が強いものが多くなっている印象ですね。

「五十一話集」
 寓話的性格の強いショート・ショート。神話の登場人物や概念を擬人化したキャラクターが多く登場します。ダンセイニ作品の中では一番解釈の難しい作品だと思うのですが、掌編として非常に含蓄のあるものも散見されますね。
 「五十一話集」中では、誰もいない席に話しかける男の話「連れの客」、兎と亀の物語の真相を語る「兎と亀の駆けくらべの真相」、稲垣足穂風の「ピカデリーを掘る」、神話的風格がありながらリリカルな「詩人、地球とことばを交わす」などが面白いですね。

「不死鳥を食べた男」
 不死鳥を食べた結果、不思議なものが見えるようになったと証する青年パディ・オホーンが、伝説の生き物や妖精たちと出くわすという連作短篇。ユーモアの要素が強く、ほら話的な味わいがある楽しい作品です。

「林檎の木」
 林檎泥棒の罪で訴えられた青年によって語られたのは、魔法によって雁に変身したという信じられない話でした…。
 ユーモアたっぷりに語られるファンタスティックな変身物語。雁の世界は人間世界と違う時間が流れているという設定がユニーク。お姫様が姿を変えられた雁も登場したりします。

「皆の仕事が知られた町で」
 ある日、人探しに訪れた見知らぬ男と町の人々の会話を描くナンセンス・ストーリー。ダンセイニのユーモア感覚が発揮された好篇です。

「薔薇の迂回路」
 小さな町に一人住み続ける高齢のミス・フィンは、工事のために薔薇の生垣を壊すなら呪いがふりかかると宣言しますが…。
 実際の「魔法」は現れないものの、ファンタスティックな香りの強い物語です。

「老人の話」
 型破りな老人オハンラハンから聞いた話は信じられないものでした…。
 ジョーキンズものにも通じるホラ話的物語。語り口が印象的です。

「いかにして鋳掛け屋はスカヴァンガーに到ったか」
 北方の土地スカヴァンガーに家族と暮らす男は生活が上手くいくようになるようにとの願いをしに神にささげものを持っていきますが…。
 初期作品にも通じる神話的香りの強い作品です。

「オパールの鏃」
 ノキアルトンはノームのワインを盗み出したがためにオパールの矢で撃たれたという知人の話を語りだします…。
 ホラ話の香りがしながらも描写は非常にリアル。楽しい作品です。

「スルタンの愛妾」
 スルタンはかって自分が愛した娘のことを思い出します…。
 愛妾の美しい思い出が意外な真相へとつながる展開は非常に技巧的。センチメンタルな空気も良いですね。

「警官の予言」
 スピード違反の車を注意する警官の話から、人類の滅びた遥か未来までを幻視してしまうという、なんとも頓狂な物語。すごい想像力を感じさせる作品ですね。

「ジュプキンス氏との邂逅」
 転生を繰り返すマーブルスウェイト氏は、ジュプキンス氏に会ったとたんにこの男こそ求めていた人物だと確信します…。
 繰り返される生まれ変わり、善神と悪神との争い、壮大なテーマをひどく庶民的なレベルで語るという、風刺的なファンタジーです。

「悪夢」
 あらゆる犯罪が消滅した未来を夢で見たやり手の弁護士は非常なショックを受けますが…。
 テーマは風刺的なのですが、悪夢的な雰囲気は強烈です。きわめて個人的な「悪夢」ながら、その深刻さが印象に残ります。

「帰還」
 馴染みの場所に戻ってきた「わたし」は、ある幽霊の話を耳にしますが…。
 意外な真相が示されるゴースト・ストーリー。味わいのある作品です。

「狂った幽霊」
 うら淋しい町ボーアーロウンを訪れた「わたし」は、町で何の反応も示さない余人の狂った男たちを目撃します。彼らは奇怪な体験をしたというのですが…。
 悪夢的な雰囲気を持つゴースト・ストーリー。戦慄度の高い「怖い」作品でしょう。

「無視」
 お金を持って買い物するように躾けられた犬は、だんだんと貨幣の価値を理解し、やがて高額で自分自身を売りつけるまでになりますが…。
経済観念を身に着けた犬を描くユーモアたっぷりのスラップスティックストーリー。鼻持ちならなくなっていく犬のキャラが面白いです。

「リリー・ボスタムの調査」
 愛鳥家シモンズ氏が失踪してしまいます。少女探偵リリー・ボスタムは、シモンズ氏の顧客の一人ヴァネルト夫人が怪しいとにらみ独自の調査を開始しますが…。
何ともファンタスティックな幻想ミステリ小説。完全に謎が明かされない展開も魅力の一端になっていますね。

「第三惑星における生命の可能性」
 火星の住民が地球の生命の可能性について述べた講義が受信される…というSF作品。当時の火星についての認識を風刺的に裏返してみたものでしょうか。

「最初の番犬」
 原始時代、最初の番犬がいかにして生まれたかを描く先史小説。ところどころに力強さのあふれた作品で、「犬小説」の名作のひとつではないでしょうか。

「実験」
 クラブで罰せられない犯罪について議論がされていました。会員の一人が話し出したのは、生きながら人間の皮をはいだ男の物語でした…。
ダンセイニ屈指の残酷な犯罪が描かれる作品。細かい描写はないものの強烈な印象を残しますね。

「悪魔の感謝」
 食品会社に勤める青年ボスターは、悪魔の訪問を受けます。彼の作った新商品が「悪いもの」として評価されたので、褒美を上げようというのです。ボスターは最高の詩が書けるようになりたいと願いますが…。
人によってさまざまな反応を引き出す「悪魔の詩」を描くリドル・ストーリー。

「犬の情熱」
 クラブ会員タブナー=ウォーブリイは犬の脳からの抽出物を投与するという治療の結果、異様な情熱の虜になりますが…。
会員がクラブから追い出された顛末を描くだけの作品なのですが、読み方によっては非常に怖いホラー作品としても読めますね。

「四十年後」
 教師のブリンリイは、かっての教え子に会ったことから過去の体験を思い出します。ある日教室の教え子たちがみな大人の姿で見えたことがあったのです…。
未来を幻視するという物語ですが、その「夢」を見ていることを当事者が認識しているというメタな展開が面白いです。

「忘れ得ぬ恋」
 平凡な銀行員の過去の恋愛は有名な話として人々の間に知られていました。彼はかって偉大な女優と恋をしたというのですが…。
コミカルに描かれるユーモア恋愛小説。「失恋」が悲劇にはならないという後味のよい作品です。

 後期の作品集「不死鳥を食べた男」では、初期の作品に比べ、舞台が現実世界に設定されている作品が多いこと、軽妙さやユーモアの要素が強くなっていることが特徴になっています。初期作品では、初めから最後まで「異世界」で展開されるハイ・ファンタジー的なものが多いのですが、後期作品では、現実と地続きになっている設定の作品が多いです。現実からの遊離度が低い、といってもいいでしょうか。そのため、ダンセイニの代表的なファンタジーが苦手な読者には、逆にもっとも読みやすい作品集になっているのではないかと思います。



二壜の調味料 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
『二壜の調味料』(小林晋訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)

 <奇妙な味>の代表作として知られる表題作を始め、ミステリ的な作品を集めた作品集です。

 最初に収録された「二壜の調味料」以下9篇は、リンリー探偵と助手兼友人のスメザーズを主人公にしたミステリ連作。シャーロック・ホームズをモデルにしたと思しき構成なのですが、語り手となるスメザーズのユーモアあふれる語り口もあり、楽しい読み心地のシリーズになっています。
 シリーズ中では、やはり「二壜の調味料」が群を抜いて素晴らしい出来ですね。

 調味料「ナムヌモ」を売り歩くセールスマンのスメザーズは、ひょんなことからリンリーという紳士とルームシェアをすることになります。リンリーは推理力に優れた男で、殺人と思しき難事件の真相を推理することになります。
スティーガーという男が大金を持った娘と同棲した後、娘が姿を消してしまったというのです。死体が運び出された形跡はありません。しかもなぜかスティーガーは庭の唐松の木を切り倒しているというのですが…。

 残酷な事件を扱っていながらも妙なユーモアの漂う、まさに<奇妙な味>というにふさわしい作品です。特に結末の一文の破壊力がすごいです。江戸川乱歩が感銘を受け<奇妙な味>の代表例として挙げた作品ですが、それももっともと思わせる名作ですね。

 「二壜の調味料」以降のシリーズものは、正直オーソドックスすぎて微妙な作品も多いのですが、語り口が上手いので楽しく読めますね。中では、射殺された巡査の凶器となる弾が見つからないという「スラッガー巡査の射殺」、奇抜な手段の殺人が描かれる「スコットランド・ヤードの敵」、先入観を逆手に取ったスパイの変装手段を描く「クリークブルートの変装」、宿敵スティーガーとの最後の争いが描かれる「一度でたくさん」などが面白いですね。

 時節柄というべきか(本作品集の原著は1952年刊行)、戦争や謀略、スパイを扱った作品が多くなっています。あとこれはダンセイニならではなのか、犯人が捕まらなかったり無罪放免になったりする例が多いのも興味深いところですね。
 特に「二壜の調味料」で登場する「悪役」スティーガーは、その後も「スラッガー巡査の射殺」「第二戦線」「一度でたくさん」などに登場する「準レギュラーキャラ」のようになっていて面白いです。

 わりと生真面目なリンリーに比べ、どこかとぼけた味で物語を語るスメザーズのキャラクターは印象深いですね。敵方のアジトに潜入したりと危ないこともやっている一方で、調査の傍ら調味料を売り歩いてくる…というのもおかしいです。
 そもそも彼が売り歩く謎の調味料「ナムヌモ」にしてからが、どうも得体の知れない感じです。表題作「二壜の調味料」では、ちゃんとこの「ナムヌモ」が伏線の一つになっているのも芸が細かいですね。

「疑惑の殺人」
 恋していた女性エミリーが自分を捨てて結婚した相手、それは殺人を疑われながらも放免となった男アルバート・メリットでした。やがてエミリーは姿を消し、彼女が残した日記が見つかりますが…。
 いわゆる「青髭もの」作品ですが、女性側が男が犯罪者であることを知りながら惹かれているというところがポイントですね。

「給仕の物語」
 ホテルでどんちゃん騒ぎを繰り返す男とその一行。労働者と思しきその男が豪遊を繰り返せる理由とは…?
 非情な悪意が描かれる物語なのですが、それがかすんでしまうような結末が待っています。味わいのある作品ですね。

「ラウンド・ポンドの海賊」
 公園の池に魚雷を付けた模型船を浮かべ、他の船を撃沈しようと考えた少年たちでしたが…。
 最初は喜んでいた少年たちでしたがやがて不穏な状況になりはじめ…。引き所を知らない少年たちと大人げのない大人が描かれる、ビターな味わいの少年小説です。

「新しい名人」
 チェスに執着する男アラビー・メシックは、費用をつぎ込み人間を上回る知能を持つチェス専用機械を作り出します。しかし機械は人間以上の知能を持ちながらも、自らを誇り相手に嫉妬するという下品な性質を持っていました…。
「人間的な」機械というユニークなアイディアを扱った作品です。いわゆる「フランケンシュタインもの」「ロボット怪談」の古典として挙げられることもある作品ですね。

「新しい殺人法」
 クラースン氏は、商売上の理由から自分の命がターランド氏に狙われていると警察に訴えますが…。
 タイトル通り「新しい殺人法」が描かれた作品。ある種回りくどい方法がユーモアを醸し出しています。

「復讐の物語」
 戦時中に救命艇で遭難した三人の男。やがて食料がなくなりますが…。
復讐の念にとらわれた男を描く物語。短いながらサスペンスのある作品です。

「演説」
 ヨーロッパが戦争突入一歩手前といった状況で、火に油をそそぎかねない演説をする可能性のあるピーター・ミンチ議員。彼の演説を止めようとする団体が現れ、脅迫を繰り返しますが…。
 脅迫は思わぬところから実行された…というアイディア・ストーリー。

「消えた科学者」
 他国に売りつけようと核爆発の秘密を持ちだした男。責任を追及されたモーネン教授はある秘策を用意していました…。
 政治的な謀略スリラー、なのですが結末にはどこかユーモアが漂います。

「書かれざるスリラー」
 インドラムはテイザーの政界進出を止めるべきだと力説します。スリラーを書くために絶対確実な殺人方法を思いついたテイザーは、それを現実に使う可能性があるというのです…。
 殺人が殺人とは証明できず、その方法も明かされないというリドル・ストーリー的作品です。

「ラヴァンコアにて」
 オーティス氏はガネーシャ神の偶像を購入しそれをポケットに入れます。やがてオーティス氏はインド人たちの集まりに招待されますが…。
 偶像が違った意味で持ち主を助ける…というアイディア・ストーリー。

「豆畑にて」
 大量殺人を起こそうと計画する組織にスパイとして潜り込んだ男。ある日スパイが紛れ込んでいるのに気付いた組織の議長は容疑者を含む数人を殺すと宣言しますが…。
多くの殺人シーンが描かれる、ダンセイニには珍しい作品です。

「死番虫」
 泥棒のティップはある日突然脅迫者に鞍替えし、ウェザリー氏に対し死にたくなければ金を払えと要求しますが…。
証明できない殺人を描く作品。ダンセイニはこのパターン、結構多いですね。

「稲妻の殺人」
 引退した警察官リプリーはかっての事件を回想します。落雷で男が死んだ事件が実は殺人だったというのですが…。
動機や手段など、それぞれが工夫されており、よくできたミステリ短篇です。

「ネザビー・ガーデンズの殺人」
 弁護士スタンターから示された被告の供述書、そこには殺人を目撃しそのために殺されそうになったという男の物語が示されていました…。
語り手が犯人なのか被害者なのかわからないというリドル・ストーリー。追われる過程の描写はサスペンスたっぷりで読ませます。

「アテーナーの楯」
 探偵リチャード・ラクスビーは彫刻家ジェイムズ・アードンを疑っていました。彼の彫刻は人間そっくりと評価されていましたが、アードンが彫刻を学んだ事実も、材料である大理石を購入した形跡もないというのです。
 しかも彼の作品である女性像を、行方不明になった妹そっくりだと証言する男も現れるに及び、ラクスビーは、アードンはギリシャを旅行した際、ある品物を持ち帰ってきたのではないかと推測しますが…。
 ミステリ的な構成を持ちながらも、その実完全な幻想小説です。ファンタスティックなモチーフ、そこはかとないユーモア…ダンセイニ後期の作品の中でも傑作といっていい出来の作品ではないでしょうか。



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『未収載短篇集Ⅰ』(稲垣博訳 ぺガーナワークス)

 単行本未収録の短篇を集めた作品集です。全体に短めで散文詩的な作品が多く集められています。

 中では、詩人が敬われる国にやってきた詩人と悪党を描く寓話「詩人と悪党」、森の精霊と出会った少女の物語「黄昏の囁き」、神々の血を引くと称する奴隷が旅に出るという「希臘人奴隷」、星によって未来を占う男を描く「情報源」、山の神の生まれ変わりとされた少年の寺院での暮らしを描く「ツェ・ガーの物語」、皇帝の愛玩物の水晶を運ぶ途中で砂漠で遭難する男を描いた「皇帝の水晶」などが印象に残ります。

 特に「ツェ・ガーの物語」「皇帝の水晶」は傑作と言っていい作品だと思います。
 「ツェ・ガーの物語」では神の生まれ変わりとされる語り手が宮殿にて、人々に敬われながら暮らしている情景が描かれます。語り手が本当に神の生まれ変わりかどうかははっきりしません。
 また、人々の彼に対する扱いも何やら不可思議なのです。東洋的な雰囲気と、何とも余韻のある作品で、心惹かれる作品ですね。

 「皇帝の水晶」は、皇帝が愛玩していた水晶を別の王への貢物とすることになり、その運び手として選ばれた男アルホデリックの旅路を描く物語。
やがて砂漠の中で遭難したアルホデリックは水がなくなってしまったことに気がつきます。しかし貢物の水晶の中には何百世紀も前の水が入っていたのです…。
 こなれた語り口と皮肉な展開。この短篇集の中では物語性が強く、非常に完成度の高い作品です。



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『未収載短篇集Ⅱ』(稲垣博訳 ぺガーナワークス)
 読み応えのある作品が収録されています。

 魔法を否定する教師が呪いをかけられるという「ズボンを穿いた山羊」、魔法を信じない男が魔女の魔法で猫に変身させられてしまう「バルカンの魔女」、深夜の城で出会った幽霊とダンスをすることになる「ウィアード・ムーア城のダンス」、三百年前に死んだはずの男フィヌカンへの配給カードをめぐるユーモラスな物語「マードック・フィヌカンの配給カード」、溺れかかった女性を助けた青年の恋物語「海峡」、処刑間際の料理人が一世一代の料理を振舞うという「サンタマリアの料理人」、詩人になりそこねた男の恋を描く「失われた詩」、霊によって未来を知ることができるという博士の物語「惑星の未來」などが面白いですね。

 「ズボンを穿いた山羊」では、魔法を信じない男に対して魔女たちが魔法を使ったらしいことが示されます。草原に現れた「ズボンを穿いた山羊」の正体について、何通りかの解釈が示されますが、魔法が本当にあったのかどうかぼかす結末は、リドル・ストーリー的で面白いですね。

 「バルカンの魔女」は、魔女の魔法を描く物語。バルカン地方で魔女とされている老女が殺されそうになっているのを知った男は、自分が魔女の魔法にかけられれば村の者は安心だからと魔女の家に向かいます。
 魔法を信じない男は魔法をかけてみろと言いますが、気がつくと自分の姿が猫になっていることに気がつきます…。
 この作品、自身にかけられた魔法を解こうとする主人公が登場したり、魔女が使う魔法が漢字で記されているなど、長編『魔法使いの弟子』ともかなり通底する要素を持った作品です。
 ただ、こちらの短篇では魔女はそれほど邪悪な存在ではなく、猫にされた主人公もその生活に馴染みそうになってしまうなど、どこか柔らかな雰囲気を持つ作品で、妙な味わいがありますね。

 「海峡」では、溺れかかった女性と、それを助けた青年との間のロマンスが描かれます。女性と結婚の意思を固める青年ですが、女性が何者なのか、なぜ海にいたのかなど、彼女は具体的なことは全く教えてくれません…。
 ファンタスティックな要素はなく「一般小説」といってもいい作品なのですが、何とも言えない魅力があり、ダンセイニらしさの感じられる瀟洒な作品ですね。

 「惑星の未來」では、他の惑星の霊の力によって、地球の未来も知ることができると語る博士が登場します。博士の話によれば、その惑星の人たちは科学の発展によって自らの星を滅ぼしてしまったというのです…。
 放射能によって「死の星」になってしまった惑星の情景が描かれるという、ペシミスティックな作品です。これと近いテーマでは、ダンセイニには、スピード違反の車を注意する警官の話から人類の滅びた遥か未来を幻視してしまうという「警官の予言」なんていう作品もありますね。
 神々に翻弄される人間を描く一方で、真摯に人類の未来を憂う…という、これもまたダンセイニの一面を表す作品といっていいのかもしれません。


 以下、ダンセイニについて触れた文章についても紹介しておきます。


怪奇三昧 英国恐怖小説の世界
南條竹則『怪奇三昧 英国恐怖小説の世界』(小学館クリエイティブ)

 第3章が「師匠と弟子―ダンセイニ卿とラヴクラフトについて」として、ラヴクラフトとダンセイニを絡めて作品を紹介した章です。
 ダンセイニ作品の紹介と、その影響を受けたラヴクラフト作品、ラヴクラフトのダンセイニ評などが紹介されています。ラヴクラフトに関しては、主にダンセイニの影響という観点で紹介されているので、少し大雑把な紹介になっているのは否めませんが、非常にわかりやすく書かれていて参考になりますね。

 ちなみに『怪奇三昧』はイギリスの恐怖小説について、何人かの作家をクローズアップして紹介した良質なガイドです。英国怪奇小説が好きな方は必読でしょう。目次を紹介しておきますね。
第1章 四大の使徒―アルジャノン・ブラックウッド
第2章 セント・ジョンズ・ウッドの市隠―アーサー・マッケン
第3章 師匠と弟子―ダンセイニ卿とラヴクラフトについて
第4章 ケンブリッジの幽霊黄金時代―M.R.ジェイムズその他
第5章 霊魂の交わるとき―メイ・シンクレア
第6章 レドンダ島の王たち―M.P.シールとジョン・ゴーズワース
第7章 魔の家を見し人は―H.R.ウェイクフィールド
第8章 思いがけぬものを求めて―リチャード・ミドルトン
第9章 付録・翻訳



定本ラヴクラフト全集〈7-1〉評論篇 (1985年)
H・P・ラヴクラフト「ダンセイニとその業績」(並木二郎訳『定本ラヴクラフト全集7-1 評論編』(国書刊行会)

 ダンセイニの伝記的なプロフィールから、実際の作品、当時ラヴクラフトが実際に読むことのできたダンセイニ作品それぞれについて解説を加えています。ラヴクラフトは批評眼はけっこう厳しい人だと思うのですが、ダンセイニに関しては絶賛に近い褒め方ですね。書き出しからして印象的です。

 これまで、ダンセイニ卿-現今存命の作家中、おそらく最も独創と個性とに富み、想像力豊かなこの作家が、相対的に冷たいあしらいを受けてきたことは、人類生来の愚昧さを称する興味深い事実である。

 ラヴクラフトとしては、ダンセイニ初期作品、『ペガーナの神々』『時と神々』『ウェレランの剣』『夢想家の物語』などについて高く評価しているようです。
 ただ当時、風俗喜劇や諷刺的な作品などが中心となりつつあったダンセイニの作風の変化には良い印象を抱いていなかったことも記されていますね。

 -昔日の神話の紡ぎ手ダンセイニから新しい風刺家ダンセイニへ、転身の全からざることを筆者は乞い願う。シェリダンの生まれ変わりも確かに貴重だが、『夢想家の物語』のダンセイニは倍も貴重なかけがえのない驚異である。余人には模倣することも、そこに近づくことも叶わない。

 今回初めて知ったのですが、この評論の訳者並木二郎は、南條竹則さんのペンネームだったのですね。道理で著書にダンセイニとラヴクラフトの章があったわけだ…と勝手に納得してしまいました。



空想文学千一夜―いつか魔法のとけるまで
荒俣宏「苦悶と愉悦の幻想軌跡」『空想文学千一夜』作品社 収録)

 1971年に書かれた文章ですが、今でも見事なダンセイニ論になっていますね。文中、ぺガーナ神話に関して「機械論的な宇宙観 ー宇宙を飽くまでも冷酷な異質者と見なす見方だー 」と表現している部分があって、なるほどなという感じです。
 『空想文学千一夜』は、荒俣宏さんの幻想文学関連の文章を集めた評論集で、このジャンルのファンには非常に参考になる本です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

神々と人間の物語  ロード・ダンセイニ『ダンセイニ戯曲集』

ダンセイニ戯曲集
 ロード・ダンセイニ『ダンセイニ戯曲集』(松村みね子訳 沖積舎)は、象徴的・寓話的な作品が集められた戯曲集です。小説作品と同様、ファンタスティックなモチーフやテーマが多く扱われていますね。松村みね子による訳文も流麗で美しいです。

「アルギメネス王」
 かって王だったアルギメネスは、ダルニアックに王位を簒奪され奴隷の身分に落とされていました。課された労働の最中に、地中から剣を見つけたアルギメネスは、その剣を使い王位を取り戻そうと反乱を起こしますが…。
 かっての王が奴隷となり、また現在の王もまた王位を追われてしまう…という無常観に満ちた作品です。

「アラビヤ人の天幕」
 砂漠の先の土地にあこがれる王は、一年の約束で旅に出てしまいます。やがて砂漠で出会った流浪民の恋人とともに王国へ帰ってきた王でしたが…。
 外の世界に憧れる若き王を描いたロマンティックな作品。乞食と王が入れ替わってしまう…という趣向も面白いですね。

「金文字の宣告」
 王国の扉に少年が金で描いた落書きの言葉は、王国中で騒ぎを引き起こします。落書きが「星の言葉」であると考えた王は、その意味を解くように家臣に命令しますが…。
 子供が何の気なしに書いた言葉を意味深にとらえてしまう大人たち。しかもそれが詩的な雰囲気を持って語られるところがまたロマンティックです。

「山の神々」
 乞食のアグマアは、ある日仲間の乞食たちとともに山の神々のふりをして国に入り、食べ物や酒をせしめようと考えます。彼が本当に神であるのか半信半疑の人々でしたが、やがて山の神の像がいなくなっていることがわかります…。
 乞食でありながら知恵者であるアグマアの行動が印象的です。自分たちが神であることを納得させるために口に出される言葉や行動に実に説得力があるのです。やがて神のふりをしたものたちに罰がくだることになりますが…。
 本物の神々が間接的にしか登場しないところが面白いです。乞食たちの結末が示されることで、人々は乞食たちが本物の神だったと思い、また読者には、本物の神々がいたことがわかるという仕組み。これは傑作ですね。

「光の門」
 死んでしまった泥棒のビルは気が付くと門の前に立っていました。門のそばには昔馴染みですでに死んだ別の泥棒ジムがいました。ジムはここには希望は全くないとあきらめていますが、ビルは門の向こうには希望があるはずだと考え、門を開けようとします…。
 死んで後も希望を失わないビルと、希望を失ってしまったジム、二人の泥棒が対照的に描かれます。どこかリリカルな世界観で展開される作品なのですが、どこからか神々(創造主?)の笑いが聞こえてくるようなナンセンス味かつ残酷な味もあり、集中でも印象深い作品です。

「おき忘れた帽子」
 家の前に立っている紳士は、道行く人を捕まえては、理屈をつけて家の中から帽子を取ってきてくれないかと頼みます。断る人々ばかりのなか、詩人の話を聞いた紳士は気を変えますが…。
 労働者、店員、詩人と、次々に人が入れ替わっていくのが楽しいです。結局、空想力豊かな詩人に紳士は心を動かされることになりますが…。

「旅宿の一夜」
 インドの石像から宝石を盗み出した泥棒一味は追い詰められていました。3人の僧侶たちが彼らを追いかけてきており、すでに何人かの仲間は殺されてしまったのです。一味の中の知恵者トッフは、追手を始末する方法を考えますが…。
 これは開幕からサスペンスに満ちた展開の作品。泥棒一味の作品が上手くいったかと思いきや、意外な結末が待っています。ファンタジー味も強い作品です。ボルヘスがアンソロジー<バベルの図書館>のダンセイニの巻に選んでいた作品でもありますね。

「女王の敵」
 女王の招きに応じて集まった彼女の「敵」たち。彼女の企みを疑う人々でしたが、女王の真心あふれる言葉に、「敵」たちは警戒を解いていきます…。
 「いい話」かと思いきや、意外な結末が待ち構えています。女王のキャラクターが印象に残りますね。

「神々の笑い」
 家臣たちの願いに応じて、カアノス王は美しい藪の市テックに都を移します。しかし家臣の妻たちは買い物もろくにできない町に嫌気がさし、元の都バアバル・エル・シャアナックに帰りたいとこぼします。家臣たちは予言者の弱みを握り王が元の都に帰りたがるよう偽の予言をさせますが…。
 自分たちの望みのため予言を利用する人間たちの物語。神託を信じるような人々のいる世界が舞台になってはいるものの、そこで展開される人々のやりとりは、極めて人間くさいドラマになっています。
 それだけに結末も現実的なものになるのかと思いきや、そこはやはりダンセイニ、ファンタスティックな結末が待ち構えています。

 収録作品では、「乞食」や「泥棒」といったアウトローたちが活躍する作品が多いのが特徴です。ダンセイニ世界の中で重要な役割を担う「王」や「詩人」に劣らず、彼らは重要な役割を与えられているようです。特に「山の神々」に登場する乞食アグマアは強烈な存在感がありますね。
 多くの作品で「神々」が登場しますが、登場する神々は総じて残酷です。「山の神々」「旅宿の一夜」「神々の笑い」といった作品では、神々を侮辱したがために人間が痛い目に合うという解釈もできるのですが、「光の門」における神はそうではありません。 神々は、登場人物たちを絶望に落とし込むためだけに残酷な行為を行っているように見え、その「気まぐれさ」が印象に残ります。
 また神々を多く登場させながらも、人間化された神、あるいは人格を持つキャラクターとして登場する神は皆無で、物語の背景から存在感を放つ…といったタイプの神が多いですね。特に「光の門」の神は、まったく姿を現さないながらも、強烈な存在感があります。



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 ついでに、ダンセイニ研究誌『PEGANA LOST vol.8』に収録されたダンセイニの単行本未収録の戯曲も紹介しておきましょう。


「もしもあの時」(松村みね子訳『PEGANA LOST vol.8』収録)

 妻のメリイと子供たちともにささやかながら幸せに暮らしていたジョン・ビイルは、ある日アリという東洋からの客人の訪問を受けます。ジョンはアリが破産したときに会社を通して少しばかりの金を融通してやったというのです。そのお礼にと、アリは不思議な水晶を差し上げようと言い出します。
 その水晶に願うと、自分の望みの過去に戻ることができ、そこで過去に行ったのとは違う選択をすることができるというのです。そしてそこから一日経つと、過去が変わった状態で現在に戻ってくるのだと。
 ジョンはかって駅員のせいでロンドン行きの列車に乗れなかったことを腹立たしく思っており、それについて正してきたいと考えます。メリイは自分たちとの出会いがなかったことになるのではないかと心配しますが、ジョンは会う相手が結局約束をすっぽかしていたのだから問題はないと話します…。

 過去をやり直すというファンタスティックな設定で、非常に読ませる作品になっています。一本の列車に乗れたか乗れないかで、一人の男の運命が変わってしまうのです。列車の中で出会った妖艶な女性ミラルダに惹かれたジョンは、彼女の相続を助けるために、遠くペルシャの地にまで行くことになります。
 従来あったはずの平和な生活が、血と暴力に満ちた陰謀劇になってしまうという、その対比が面白いですね。最初はただ不遇な目にあっている可憐な女性と思われたミラルダが、サディスティックな性質を露にしてくるという展開も刺激的です。その点「宿命の女」的要素もありますね。

 同じく松村みね子訳を集めた『ダンセイニ戯曲集』収録作と比べても、かなり長めの作品なのですが、物語に推進力があり、読ませる力がすごいです。ループを描くかのような結末の処理も洗練されていて、非常に完成された作品といえますね。
 SFで言うところの「歴史改変もの」で、1921年という発表年を考えると、かなり先駆的な作品といっていいかと思います。

 この手のテーマだと、主人公が重大な選択を後悔していてそれをやり直したいというパターンが多いのですが、この作品の場合、主人公は今の生活に基本満足しています。ただ腹立たしく思っていた過去の不満をはらそうとするだけなのです。
 しかしそんな些細な動機があっさりと運命を変えてしまいます。このあたり、人間が人生を切り開くというよりも、むしろ「運命」に翻弄されてしまう…という、ダンセイニ独自の視点が感じられますね。


「カボチャ」(未谷おと訳『PEGANA LOST vol.8』収録)
 軽いタッチのユーモア喜劇。農夫から買ったカボチャで巨大な力が引き出せると豪語する科学者をめぐるスラップスティックな作品です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

ロード・ダンセイニの長編小説を読む
 アイルランドの作家、ロード・ダンセイニ(1878-1957)の長編小説は何作か邦訳がありますが、それぞれが独自の魅力にあふれています。もっぱら掌編といっていい長さの作品が多い短篇に比べ、ダンセイニの描くファンタジー世界にどっぷり浸かれる…というのが長篇作品の魅力でもありますね。
 以下、いくつかの作品を紹介していきたいと思います。


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『エルフランドの王女』(原葵訳 月刊ペン社)

 アールの郷の人々は評定の結果、国王に請願を行います。魔を行う国主にこの国を治めてほしいというのです。王は長男アルヴェリックに、妖精の国エルフランドに行き王女リラゼルを娶るようにと話します。アルヴェリックは魔女ジルーンデレルに鍛えてもらった魔剣を手にエルフランドに向かいますが…。

 人間世界とエルフランドをめぐる、ひたすら美しいファンタジー作品です。魔剣を手に主人公アルヴェリックがエルフランドに向かう序盤は、ヒロイック・ファンタジーといっていい展開で非常に面白いです。魔女に鍛えられた魔剣の力は強力で、エルフランドの魔法も寄せ付けません。結構あっさりと王女リラゼルを連れ出すことに成功します。
 エルフランドから王女を連れだし結婚するまでの部分は、分量としては実は全体の1/3程度です。後は何が描かれるかというと、人間界の空気に馴染めずエルフランドに戻ってしまったリラゼルを求めて再度旅に出るアルヴェリックと、残された息子オリオンの成長の過程が描かれていきます。

 アルヴェリックの妻を探す旅のパートは絶望的な空気に覆われていて、エルフランドを一向に見つけることができません。旅の共にと選んだ面々もどれも変わった人間ばかり。何年も放浪を続けるうちに仲間も人数が減っていきます。残されたのは狂気に憑かれたような人間ばかりなのです。
 強力な魔剣や連れ出した仲間たちが障害になって、さらにエルフランドへの道が遠のく…という展開も面白いですね。アルヴェリックも含め、ある種の狂気の一行が旅をする過程は、同じくダンセイニの短篇「カルカソンヌ」を思わせます。

 比べて、エルフの血を引いた息子オリオンのパートでは、ところどころに魔法の香りが感じらる美しい情景が描かれます。彼自身の魔法を感じ取る能力をきっかけに、エルフランドの魔法の生き物たちとの交流なども描かれていきます。

 後悔に苛まれるアルヴェリック、母の愛を求めるオリオン、そして人間界への郷愁にとらわれるリラゼル、彼らの思いが交錯するなか、エルフ王の魔法が世界を覆っていく…というラストの光景はひたすら美しいですね。
 ユニコーンやトロールなど、魔法の生き物たちの描写もリアルで魅力的です。魔法の力、エルフランドの情景、自然の美しさ…、描かれる世界のことごとくが美しさに満ちていて、またその中で描かれる物語も魅力にあふれています。
 時が止まったかのようなエルフランドの世界観もユニークですね。妖精世界と人間世界とが場所的なものだけでなく「時間」によっても隔てられているというのは、ダンセイニならではの視点ではないでしょうか。
 ダンセイニ作品の中でも屈指の美しさと完成度を誇っていて、間違いなく「傑作」といっていい作品だと思います。



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『影の谷年代記』(原葵訳 月刊ペン社)

 スペイン、アルゲント・アレスの谷地の領主には二人の息子がいました。領主は身まかるにあたって、長男ロドリゲスに土地は不出来な弟に譲ってやってほしいと話します。剣とマンドリンの腕に優れるロドリゲスは、その腕一本で戦を求めて旅に出ることになります。
 父親から譲り受けたカスティーリャの名剣とマンドリンを携えたロドリゲスは、旅の途次、ふとしたことから従僕として彼に仕えることになったモラーノとともに冒険の旅を続けますが…。

 スペイン黄金時代を舞台にした、剣と魔法と恋をめぐるファンタジーです。主人公たちは『ドン・キホーテ』をモデルにしていると思しき主従です。ロドリゲスは騎士道精神にあふれた好青年、モラーノは粗野ながら明るい剽軽者です。この主従が旅の途次に次々出会う事件や出来事が描かれていくという、連作的な味わいの作品になっています。
 財産を持たないため、最初は漠然と「いくさ」を求めていたロドリゲスが、やがて手に入れたいもの、具体的にはそれは「恋人」であり「自分の城」なのですが、それらを求めていくことになります。しかしその過程は順風満帆ではありません。

 剣の腕が立つといっても、それ以上の腕を持つ相手と出会ってしまいますし、恋をした女性にも上手くアプローチできません。城を手に入れたと思っても、それは空約束だったりと、主人公の努力が必ずしも成果に結びつかないのです。
 その意味で、作品全体にある種の「無常観」というか「諦観」が流れていて、基本は楽しい冒険ファンタジーでありながら、どこかほろ苦い部分もあるのが読みどころでしょうか。

 主人公自身は魔法を使わないものの、作中多くの魔法が登場します。タイトルにもある「影の谷」の王が使う魔法もそうですが、一番印象に残るのは「オリオンの奴隷」と呼ばれる魔法研究者の教授が使う魔法です。何とロドリゲスとモラーノの魂を宇宙に飛ばして、他惑星のヴィジョンまで見させるのです。
 この教授が使う魔法の威力は強烈で、後半メインになる影の谷のそれよりも目立つのですが、脇道のエピソードといった感じで途中退場してしまうのがちょっと残念ですね。

 主人公ロドリゲスは、品行方正で礼儀正しく、非常に好青年なのですが、キャラクター的にはやはり従僕のモラーノの存在感が強烈です。粗野ながら忠義に熱く、ユーモア精神もあり、主人の危機にもかけつける…という存在。
 剣で負けそうになった主人の危機を救うため、モラーノが敵を後ろからフライパンで殴るシーンは楽しいです。しかもそれが原因で騎士道を重んじるロドリゲスから殺されそうになったりします。ロドリゲスに追われたモラーノが、体型に似合わぬものすごいスピードで消えていくシーンは抱腹絶倒です。

 冒険と魔法、恋と挫折、ユーモアとペーソス…。いろいろな要素が盛り込まれた良質なファンタジー作品ですね。



魔法使いの弟子 (ちくま文庫)
『魔法使いの弟子』(荒俣宏訳 ちくま文庫)

 スペインの片田舎の領主の息子ラモン・アロンソは、年頃になった妹ミランドラの嫁入りの持参金を作るために、父親から魔法使いのもとに弟子入りして、黄金を作る秘法を学んでくるようにと言われます。
 かってラモン・アロンソの祖父は魔法使いにいのしし狩りを教えたことがあり、子孫に貸しがあるというのです。弟子入りに成功したラモン・アロンソは、師匠に秘法の伝授を乞いますが、教えるには相応の対価が必要だと話します。その対価とはラモン・アロンソの影でした。
 魔法使いのもとで働いている掃除女アネモネは、不死のためにかって魔法使いに影を渡してしまっており、その後悔からラモン・アロンソに絶対に影を渡さないようにと忠告します。一方、妹のミランドラは、父親が嫁入り先に考えているグルバレスが影の谷の公爵と共に屋敷を訪れることを知ります。
 ラモン・アロンソは手ほどきとして師匠から知識を得るものの、肝心の黄金作りの秘法を手に入れられないまま影を奪われてしまいます。影を取り返そうと智恵を絞るラモン・アロンソのもとに、妹から惚れ薬を作ってほしいとの依頼が届きますが…。

 魔法使いに弟子入りした若者の冒険を描くファンタジー長篇です。ずるがしこい魔法使いに影を奪われてしまった青年が、知り合った掃除女の影と自分の影を取りかえそうとする…というのがメインのストーリーです。
 影を奪われると、その人間は魔法使いの意のままになってしまうのです。影が封じられた箱を解錠する呪文が漢字になっているというのも面白い趣向です。

 剣には自信のある主人公が力づくで影を取り返そうとするものの、魔法の力には及ばず、智恵を絞って打開策を考えていくことになります。魔法の呪文を解読するための過程はなかなかスリリングですね。

 影を奪われた主人公が偽の影を作ってもらい、最初はそれに満足しているのですが、その影で人々の前に出た結果、まともな人間とは認められず迫害されてしまいます。影は人間性の象徴としても機能しているようなのです。
 このあたり、シャミッソー『影をなくした男』やホフマン「大晦日の夜の冒険」などとも通底するテーマが扱われています。

 正義感はあるもののどこか空回りする主人公ラモン・アロンソに比べて、妹のミランドラは、終始賢く冷静に立ち回るイメージの強いキャラクターです。好機を見逃さず自身の幸せを手に入れることになるのです。通る道は違えど、最終的には兄妹が幸せになるという意味では非常に読み心地の良い作品ですね。

 作中に登場する「影の谷の公爵」は、同じくダンセイニの長篇『影の谷年代記』に登場する主人公の二代目、という設定です。スペイン黄金時代という舞台設定と世界観は同じくするものの、お話自体は直接的にはつながっていないので、単独でも楽しめます。

 敵役として登場する魔法使いは、固有名詞が出てこないというユニークなキャラなのですが、研究が全てであり、世俗的な富などには関心を持っていません。さらには魂や人間性というものに対しても関心を払っておらず、その度合いは地獄に落ちても構わない…という徹底したもの。
 それだけに主人公の造反に対しても、それほど復讐の念を覚えたりはしないのです。ラストでは、魔法使いのその後の情景が描かれるのですが、ある意味予定調和的な主人公兄妹の結末に比べて、妙に印象に残るシーンになっています。



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『牧神の祝福』(杉山洋子訳 月刊ペン社)

 イギリスの寒村ウォルディングでは、夜な夜な若い娘たちが丘陵に向かって出かけていました。娘たちは不思議な笛の音に惹かれて出ていくらしいのです。笛は村に住む少年トミー・ダッフィンが、川沿いの葦で作ったものでしたが、彼自身にもわからぬ力で、村人たちを惹き付けていきます。
 危機感を感じた村の司祭アンレルは、両親にトミーの行為をやめさせるよう働きかけますが果たせません。調べていく内に、トミーの洗礼を行ったのは失踪したアンレルの前任者アーサー・ディヴィドソン師だったこと、失踪前にディヴィドソン師の奇怪な姿が目撃されていることも分かってきます。
 主教や外部の人間に協力を求めるアンレルでしたが、彼らはまともに取り合ってくれません。やがてトミーの笛の力は娘たちだけでなく、青年たち、大人の男女たちまでをも魅了していきます…。

 牧神の力によりキリスト教信仰が危機にさらされた村で、孤軍奮闘する司祭を描く異色作です。牧神の笛の音によって村が異教の信仰になびいていくのですが、少年トミーが吹いているのは、おそらく牧神の葦笛であり、彼は牧神に憑かれているといっていいのでしょう。その影響で村人たちがキリスト教信仰から離れていくのを危惧した司祭アンレルは、信仰を守ろうと孤軍奮闘するのです。しかし牧神の力は強く、村人たちは皆トミーの影響下に入ってしまいます。

 この作品で描かれる「異教」は、特に邪悪なものではなく、近代文明を放棄して原始に帰ろうとするものです。アンレル自身もその影響を受けながらも、自らの使命感から最後まで踏みとどまることになります。

 ダンセイニの持ち味であるほのかなユーモアと詩情があり、とても読みやすい作品なのですが、読み終わってみると、まるで「モダンホラー」といった感触が強いです。ホラーチックな印象を与えるのは「敵」の正体がはっきりしない、ということからも来ています。
 過去に失踪したディヴィドソン師が牧神の化身だったのではないかという疑いなどは言及されますが、人々に影響を及ぼすのは飽くまでトミーの笛であり、最後まで「牧神」自体は登場しません。その意味で非常に得体の知れない力が描かれており、侵略SF作品を読んでいるような錯覚も覚えますね。

 キリスト教の力が負けてしまう…というのも、当時の読者にとっては衝撃的だったのではないでしょうか。「牧神」といえばアーサー・マッケンを思い出しますが、官能性という点では共通するものがあるものの、ダンセイニ作品ではマッケン作品ほどの邪悪さは感じられません。
 本作品での牧神の力は、何かを積極的にやらせるというよりは、消極的に何もしなくなる…という方向に働いています。文明対自然といった構図も見え隠れしますが、特徴的なのは文明を積極的に破壊するのではなく、だんだんと劣化するに任せていく…という姿勢です。
 ただ「異教の力」というのも、キリスト教を代表するアンレルたちから見た見方であって、その力に浴した人々にとっては、まさに「牧神の祝福」に他ならないのです。まともな判断力を失っているとはいえ、彼ら自身は「幸福」なのですから。

 ダンセイニは、人間や人間の理性の勝利といったことをあまり信用していないところがあって、この『牧神の祝福』はその傾向がかなり強く出た作品ではないかと思います。
 ダンセイニの邦訳作品中では、かなり問題意識が強い作品といっていいでしょうか。ただ物語のタッチは非常に穏やか、自然描写は流麗であり、美しい仕上がりの作品なのは間違いないところです。

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冒険とロマンス  ロード・ダンセイニ『ドワーフのホロボロスとホグバイターの剣』
ドワーフのホロボロス
 西荻窪の古書店、盛林堂さんが刊行しているシリーズ≪盛林堂ミステリアス文庫≫。その最新刊として発売されたのが、ロード・ダンセイニ『ドワーフのホロボロスとホグバイターの剣』(稲垣博訳)です。

 晩年のダンセイニが、孫のために書いたといわれている短編童話です。童話とはいえ、その味わいは全盛期のダンセイニ作品、例えば『サクノスを除いては破るあたわざる堅砦』『ウェレランの剣』などを思わせます。

 悪の国の王は、樺の国の王に戦いを挑みます。しかし樺の国の王には、魔法を持った金の頬髭があり、それに打ち勝たないことには、戦争に勝つことはできません。悪の国の王は、金の頬髭を持ってきたものには、王女をめとらせることを約束します。
 青年イグドラシオンは、森の魔女から、金の頬髭に打ち勝つ方法を教えてもらいます。頬髭はホグバイターの剣でしか打ち落とせないのです。ホグバイターの剣は、森の一番古い樫の木の中に埋まっており、その木からホグバイターの剣を取り出すには、ドワーフのホロボロスの斧を使うしかありません。
 イグドラシオンは、ドワーフのホロボロスを探し出し、協力を求めますが…。

 筋立ては単純なものですが、その語りには、物語の喜びがあふれています。老境になっても、これだけ純粋な物語を語れるダンセイニは、やはり生粋のファンタジー作家なのでしょう。

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幻想百科事典  キアラン・カーソン『琥珀捕り』
琥珀捕り (海外文学セレクション)
 「百科事典」のような物語があります。ごく短い物語に「図書館」を再現したボルヘスの作品、または、どこからでも読める辞書を模した物語、ミロラド・パヴィチの『ハザール事典』。これらは「世界」をひとつの「物語」に封じこめてしまいたい、永遠に終わらない「物語」を作りたい、という願望のあらわれなのかもしれません。

 アイルランドの作家、キアラン・カーソンの『琥珀捕り』(栩木伸明訳 東京創元社)もまた、そんな「百科事典」小説の系譜に連なる作品です。
 短いエピソードでつながれた、連作短篇と呼べる作品ですが、それぞれの物語には、それほど緊密な結びつきはありません。それゆえ、各エピソードが羅列されたような印象を強く受けるようになっています。ただ、作者もまた故意に、そのような構成を選んでいるような感もあります。

 具体的には、語り手の「わたし」が語る、いろいろな物や人に関わるエピソードのあいまに、語り手の父親が語る「冒険王ジャック」の物語がはさまれる構成になっています。
 「冒険王ジャック」の物語は、どれも奇想天外な「ほら話」になっているのに対して、「わたし」が語るのは、主にペダンティックな知識や教養です。とくに繰り返されるのが17世紀のオランダや、オランダ絵画や画家に関するエピソード。日本でも人気のあるフェルメールを始めとしたオランダ絵画の部分は、この分野に興味のある方なら楽しめるでしょう。
 あとがきでも触れられていますが、「わたし」の語るパートは、本当に百科事典の一項目のよう。まるで、偶然に開いた百科事典の一ページを拾い読みするような魅力にあふれています。

 数えきれないほど様々なエピソードが登場しますが、個人的にいちばん印象を受けたのは、絵を描く「人魚」のエピソード。洪水の際に人間に助けられた人魚が、人に慣れるにしたがって絵を描くようになります。その評判が広まり「人魚」は有名になりますが、世話をしていた婦人がなくなると同時に火事になり、絵は全て失われてしまう…という話。絵につけられたタイトルが、全て海に関連するものであるところが、非常に洒落ています。

 作品全体にあふれる、饒舌なほどのエピソードや知識、これらが、この作品の第一の魅力なのですが、逆に言うと、そうしたものに興味を感じられない読者、もしくは統一のとれた物語構成をもとめる読者には、楽しみにくい作品であるとも言えそうです。ただ、「拾い読み」を許容する百科事典のように、つまらないところはどんどん飛ばして、自分の興味のある部分だけを「拾い読み」する。そんな楽しみ方も許してくれるような、ふところの大きい物語なので、いちど挑戦してみてはいかがでしょうか。

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悲しみのアイルランド  ピーター・トレメイン『アイルランド幻想』
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ピーター トレメイン Peter Tremayne 甲斐 万里江
光文社 2005-08

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 ピーター・トレメイン『アイルランド幻想』(甲斐万里江訳 光文社文庫)は、アイルランド土着の民俗を描いた、幻想的な短編集です。どの短編にも、イギリスに搾取され続けてきた、アイルランド国民の悲しみが背景として描かれ、哀切な雰囲気を醸し出しているのが特徴です。 
 そして、もう一つ特筆したいのは、情景描写の素晴らしさ。これほどビジュアルを喚起させる情景描写はまれでしょう。エンターテインメントにおいて、情景描写はストーリーを追うのに邪魔になりがちなことが多いのですが、この作品集においては、それが無駄なく作品の構成に組み込まれています。
 作品の内容としては、わりとオーソドックスで、古典的な怪奇小説風のものが多いのですが、どれも手堅くまとめられており、面白く読めます。
 盲目の作曲家が庭にある古代の石柱の怪に遭う『石柱』、取り替え子をテーマにした『冬迎えの祭り』、恩人の夫婦を虐殺した兵士の因果応報譚『髪白きもの』、スタンリイ・エリンの作品を思わせる奇妙な味の作品『メビウスの館』、クトゥルー神話のオマージュ『深きに棲まうもの』、時を越える恋物語『恋歌』あたりが面白いところです。
 『メビウスの館』などを読むと、この作家、ジャンル的なエンターテインメントを描かせてもなかなか達者だと思わせます。ちなみにこの作品、某映画でおなじみになった有名なオチを使っているのですが、それをさらにひねっています。
 『冬迎えの祭り』などは、「恐るべき子供たち」テーマを、アイルランドの妖精譚に置き換えたものでしょうか。
 そして、アイルランド人の不幸な境遇を感じさせられる作品も、多く見られます。例えば『大飢饉』。ジャガイモ飢饉の際に、作物をイギリス地主に全て奪われ餓死していく人々の悲惨さは、ただのホラーの枠にとどまりません。また、『髪白きもの』に登場する兵士は、アイルランド人は野蛮人だと見なし、自分の命を救ってくれた夫婦でさえ、あっさりと殺してしまうのです。全編を通して流れる、アイルランドの悲劇の歴史が、作品に彩りを与えています。
 サブタイトルの「ゴシック・ホラー」とは、いささか趣が違うかもしれませんが、幻想性と物語性とがほどよくブレンドされた秀作集です。

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かごの中の鳥  ロード・ダンセイニ『最後の夢の物語』
4309462634最後の夢の物語
ロード・ダンセイニ 中野 善夫 安野 玲
河出書房新社 2006-03-04

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 河出文庫から出版された《ロード・ダンセイニ幻想短編集成》は、近年稀にみる素晴らしい企画でした。その最終巻である『最後の夢の物語』(中野善夫/安野玲/吉村満美子訳)は、初期の作品集『世界の涯の物語』や『夢見る人の物語』に収録された作品にくらべて、現実世界を舞台にしたものが多くなっています。いくつかの作品は、それこそ異色作家短編集に入れてもおかしくないようなもの。ダンセイニのハイ・ファンタジーが肌に合わない人にこそ読んでいただきたい作品集となっています。それでは面白かったものをいくつか紹介しましょう。
 『五十一話集』は荒俣宏の訳もありますが、かなり寓意が濃いのでちょっと難解な作品もちらほらします。意味を無理に探るよりもイメージを楽しむべきなのでしょう。最後の『詩人、地球とことばを交わす』は稲垣足穂も気に入っていたという極めつけの名作です。
 『不死鳥を食べた男』はかなりホラ話の色彩が濃い作品。ちょっと頭の足りない男が、不死鳥を食べたことから、様々な精霊や不思議な出来事に出会うようになる、という連作短編。男の話を聞く語り手が、本当に話を信じているのか判然としないところも人を喰っています。
 『林檎の木』は、魔女の魔力で鳥になった少年の話。真実を語る少年に対し、それを信じない大人たちが対比されています。少年の話が本当なのかどうか明らかにしないところもスマートです。
 『老人の話』は、アイルランド版浦島太郎の物語。老人の語りが、エドモント・ハミルトン『追放者』を思わせる結末につながります。
 ノームのゴルゴンディ・ワインを盗んでしまった男の顛末を描く『オパールの鏃』
 まだ手に入れてもいない虎皮を広げるために、玉突き台を欲しがる奇妙な男。まるでスタージョンの作品かと見紛うような異様な論理が支配する『虎の毛皮』
 夢の中で犯罪がなくなってしまったために、仕事にあぶれてしまうやり手弁護士の話『悪夢』
 現代に舞台を移し替えた『当世風の白雪姫』は、非常に諷刺の強いモダンなおとぎ話。
 金の価値を理解し、とうとう自分を売りつけることに成功した犬。彼は身なりを整える道具を買い揃え、次第に傲慢になってゆきます。人々は犬である彼に無視されることに非常な恐怖を覚えるのですが…。ユーモアあふれる滑稽譚『無視』
 火星からの電波をなんとか解読した男。そこにはなんと地球における生命の可能性についての議論が…。ダンセイニには珍しいSF作品『第三惑星における生命の可能性』
 黎明期の人類と番犬の出会いを情感豊かに描く寓意ファンタジー『最初の番犬』
 クラブの名誉会員に選ばれた謎の男。誰もがうやうやしく迎えるその男の正体とは…。神話と現実が交錯する『名誉会員』。 
 大佐から聞いた奇妙な話。彼が出会った老修道士の壮大な野望とは…。一読唖然とする珍品『金鳳花の中を下って』
 悪魔から、この世で最高の詩を書ける能力を手に入れた青年。しかしその詩を読み聞かせた人々は、思いもかけない反応を示す。その詩の秘密とは…。リドル・ストーリーのヴァリエーションともいえる『悪魔の感謝』
 犬の抽出物を注入された男は「犬の情熱」のとりこになり、あらゆる事象に情熱を示し始める。男を疎み始めた人々は彼をクラブから除名しようとしますが…。ブルガーコフの「犬の心臓」を彷彿とさせるユーモア篇『犬の情熱』
 誰もが知る美貌の大女優としがない銀行員、二人のつかの間の恋愛を諷刺を交えて描く『忘れ得ぬ恋』
 収録作品はどれも甲乙つけがたいものですが、一番インパクトを受けたのはこの作品『リリー・ボスタムの調査』です。
 十六歳のリリー・ボスタムは天才的な私立探偵。リリーは、最近起こった愛鳥家シモンズ氏の失踪事件について調査を始めます。死体も血痕もなし。犯罪の形跡も、自殺する理由も全くなく、事業の景気もよかったシモンズ氏の失踪は、警察を悩ませます。
 シモンズ氏は鳥を商っていました。リリーは、シモンズ氏の顧客であるヴァネルト夫人を怪しみ、彼女の身辺を調べます。夫人が言っていたという言葉にリリーは注意を惹かれます。

 シモンズも自分の歌い鳥がいなくなって寂しいに違いなく、自分で歌うことを覚えなければならないと彼女はいいました。そして、自分が費用を負担して歌の勉強をさせてやろうといったのです。

 レッスンによって歌が上達したシモンズ氏に、夫人は満足します。

 「さあ、これでもう自分で歌えるようになったわね。きっと大切な鳥たちがいなくなっても寂しい思いをすることもないに違いないわ」

 さらにリリーは、ヴァネルト夫人が、人間が入れるくらい巨大な鳥籠を注文していたことなどをつきとめます。そこから彼女は驚くべき結論を引き出すのですが…。
 少女探偵物語のパロディと思しき本作は、まるでマルセル・エーメやカミ、あるいはラファティといった作家たちのナンセンス・コントの域に達しています。その奇想天外な結末には唖然とされるはず。何より少女探偵のチャーミングさが際だつ傑作です。
 本書は、ダンセイニと言われて思い浮かべるような神話的なファンタジーよりも、軽やかなほら話といった色彩が強い作品集です。上にも記しましたが、ファンタジーが苦手な読者にも読める奇妙な味の短編集になっていますので、ぜひ一読することをお勧めします。

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プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。
twitterアカウントは@kimyonasekai



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