仮面の下の愛憎  フォルチュネ・デュ・ボアゴベ『鉄仮面』
4061982966鉄仮面〈上〉 (講談社文芸文庫)
ボアゴベ Fortun´e Du Boisgobey
講談社 2002-05

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 「鉄仮面」といえば、17世紀後半にフランスに実在した伝説的な囚人です。常に仮面で顔を覆い、その正体は当時の人々にとっても、謎だったと言います。ヴォルテールを始め、数々の人間によって、その正体が取り沙汰され、現代でもその正体は、はっきりしません。
 文学作品でも、何度も取り上げられており、日本ではアレクサンドル・デュマによる作品が有名でしょう。
 フォルチュネ・デュ・ボアゴベの『鉄仮面』(長島良三訳 講談社文芸文庫)も、そんな鉄仮面伝説を扱った作品のひとつです。
 ルイ14世の御世、青年貴族モリスは秘かに国王に対する反乱活動を指揮していました。同じく反乱の同士であるソワソン伯爵夫人の従僕フィリップは、国務大臣ルーヴォアの部下、ナロ会計長の口車に乗せられ、反乱活動を失敗させるため、腹心の友のふりをしてモリスに近づきます。
 モリスの恋人ヴァンダや、部下のブリガンディエールは、フィリップを信用しないようモリスをいさめますが、モリスは、陰謀の詳細をフィリップに話してしまいます。
 やがて国王の誘拐を実行する段になり、フィリップの密告により先回りされたモリス一行は、奇襲を受け、モリスは命を落としてしまいます。しかし内情を知るフィリップは、捕らえられ幽閉されてしまうのです。
 恋人の復讐に燃えるヴァンダは、幽閉されたフィリップを探し出し殺そうと考え、ブリガンディエールとともに計画を立て始めます。同時に、フィリップを愛していたソワソン伯爵夫人もまた、フィリップを救出しようと動きはじめるのです…。
 幽閉された「鉄仮面」の正体は、陰謀の詳細を知ったために囚われた、密告者フィリップだという設定になっています。この男を殺そうと考えるヴァンダの一味と、助けようと考えるソワソン伯爵夫人の一味が、それぞれ権謀術数を繰り広げていきます。
 これだけでも十分面白いのですが、陰謀をつぶそうと暗躍する国務大臣ルーヴォア、魔術で貴族たちをたぶらかす女占い師ヴォワザン、宝石商にして盗賊のモンヴォワザン、モンヴォワザンの可憐な娘マリエット、マリエットに恋する青年判事ピエールなど、多彩な人物が入り乱れ、ストーリーを彩っていきます。
 面白いのは、物語を動かす二人の主人公、ヴァンダとソワソン伯爵夫人が、どちらも女性であること。それぞれ恋人の復讐、恋人の救出と、二人ともその行動の原動力は愛なのです。目的のために、ヴァンダは牢獄に潜り込もうと身分を偽って侵入し、またソワソン伯爵夫人は財力と権力を使い、囚人を釈放させようと活動します。剣戟や活劇こそありませんが、二人の行動は読んでいて読者を夢中にさせます。
 メインとなるストーリーに加え、逮捕された女占い師ヴォワザンの処刑を止めようとするマリエットとピエールの冒険を描くサイドストーリーなども絡み、決して一本調子にはならないところも、魅力的です。
 後半になると、「鉄仮面」の正体がフィリップではなく、生き残ったモリスなのではないかという疑惑も生まれてきます。本当に最後の最後まで「鉄仮面」の正体はわからず、サスペンスが途切れることがないのです。19世紀の作品ながら、今読んでも十分に面白い、波乱万丈の歴史ロマンといえるでしょう。 

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手探りの冒険  マルセル・ベアリュ『夜の体験』
bea.jpg夜の体験
マルセル ベアリュ Marcel B´uealu
パロル舎 1998-02

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 フランスの作家、マルセル・ベアリュは、幻想的な掌編・短編で知られる作家です。本邦では二つの短編集『水蜘蛛』(白水uブックス)と『奇想遍歴』(パロル舎)が出ています。
 ベアリュの短編の魅力は、シュールなイメージと幻想的なストーリー展開。例えば『球と教授たち』という作品は、謎の球体に出会った教授たちが、球体について議論するという、ただそれだけの物語です。記憶に残りにくい傾向のある掌編でも、そのイメージの美しさで強い印象を残します。
 さて、そんなベアリュの長編『夜の体験』(高野優訳 パロル舎)は、どんな物語でしょうか。
 日常生活に違和感を感じていた、主人公の青年マルセル・アドリアンは、謎めいた眼科医フォア博士のもとを訪れます。博士の治療方針に従っているうちに、健康を回復したかに思えたマルセルでしたが、再び違和感を感じ、もう一度フォア博士に会おうと考えますが…。
 正直、あらすじを述べてもあまり意味のない作品だと言えます。大きく要約すると、青年の通過儀礼の物語、と言えるのでしょうが、全体として、非常に茫洋とした物語なのです。
 それでは、つまらないかと言うと、実は結構面白いのです。長編とはいうものの、部分部分はまとまった物語になっており、長編として楽しむというよりは、ところどころのイメージや細部を楽しむべき作品なのでしょう。
 様々な眼鏡、ひいては眼球まで作ってしまう天才的な眼科医フォア博士、恋人を探し続けるアパートの管理人の娘、話すことのできない二人組の青年など、エキセントリックなキャラクターたちが幻想的な物語を形作ります。
 主人公に至っては、作中、フォア博士によって、握り締めた物体を粉々にしてしまう能力を身につけてしまうなど、時折、唖然とするような展開があります。
 短編でもそうなのですが、このベアリュという作家、とても明晰で、文章自体に曖昧なところは全然ないのです。それがまとまったときに幻想的なイメージを帯びる、というのも不思議といえば不思議な話です。
 ベアリュの短編が肌に合う人なら、面白く読めるのではないでしょうか。

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あり得なかった人生  トニー・デュヴェール『小鳥の園芸師』
小鳥の園芸師
小鳥の園芸師 (1982年)
山田 稔
白水社 1982-12

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フランス短編フランス短篇傑作選 (岩波文庫)
山田 稔
岩波書店 1991-01

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 世の中には様々な職業がありますが、この作品で描かれるほど奇妙な職業は、おそらく世界のどこにもありません…。
 フランスの作家、トニー・デュヴェールの『小鳥の園芸師』(山田稔訳 白水社)は、空想上のさまざま職業について語った連作掌編集です。
 目次には「尻拭い」「時計読み」「硝子割り」「小鳥の園芸師」「裁き屋」「身代わり」「思索屋」「役立たず」など、奇妙な職業名が並びます。そのどれもが、現実にはありえないような職業ばかり。
 例えば、「裁き屋」を見てみましょう。これはなんと、犯罪を犯したくなった人間を、あらかじめ牢屋に入獄させておき、その時間に見合った犯罪をあっせんするという職業です。

 彼は、これよりもあれを犯したらどうか、とか、もっと軽い罪を二つ一度に犯したら、とか助言を与えてくれる。ある重罪をさらに重く、あるいは軽くするにはどうすればよいかを明確に教えてくれる。それからあなたは、どんな犯罪が好きかを告げる。裁き屋はあなたの申告を記入し、店の陳列窓に公示し、あなたに向かって、成功を祈る、と言う。

 また「身代わり」は、自分の子供の代わりに、その子供の親に叱られる、という職業です。

 こんなわけで、男の子を殴るのは禁じられた(女の子は構わない、当然のことだ)。詳しくいうと、親は自分の男の子を懲らしめる権利を失ったのである。彼らは「当番の子」しか叱ってはならないのである。

 このように、へんてこな職業が並びますが、デュヴェールの描く作品に共通するのは、人間に対する皮肉です。どの掌編でも、描かれる人間たちは貪欲で利己的。その職業も、自らの欲望を満たすためのものなのです。
 空想上の職業と言えば、例えばわが国のクラフト・エヴィング商會『じつは、わたくしこういうものです』(平凡社)が思い浮かびますが、デュヴェールの作品は、それとは全く正反対。ファンタジーを楽しむというよりは、徹底的に、現世的・肉体的なイメージを帯びています。
 ただ、そんな「生臭い」職業たちの中でも、時折、非常に詩的なイメージが立ち現れることがあります。例えば、表題作にもなっている「小鳥の園芸師」から。

 小鳥の園芸師はたくみに罠をこしらえ、恋に狂ったようにさまざまな種類の木を集め、継ぎ木をしたり、種の混交をおこなったりした。そして、それらの木立ち、それらの果実、それらの芳香は、天の高みから無数の小鳥を招き寄せ、その色彩と歌声とで、あたりはまたいちだんと賑わうのだった。

 とても美しいイメージとなっています。もっとも後半、この掌編も前半の美しさをぶちこわしにする展開になってはしまうのですが。
 また、この掌編集の中でもいちばん魅力的だと思われる「夢の肖像画家」を見てみます。これは、本人そのものを描くのではなく、その人間が本来そうありたかった自分の姿を描く、という職業です。

 ある女、あるいは老嬢が、次のように言う。「あたしが欲しいのは小さな鼻と、やさしく生き生きとした大きな眼と、陽気な歯と、男を喜ばせたいとおもうときにはこんな風にめくれ上がる唇と、こんなおなかと、こんなももと、ものを言うような手なの」。すると絵描きは、そのあって欲しいと思う姿に似せて肖像画を描くのだった。

 他の掌編と同様に皮肉にあふれてはいるものの、この作品では、登場人物たちに対する、どこか優しい視線が感じられます。それがはっきりと現れているのが、最後の部分です。

 自分が生まれつき容貌に恵まれていると考えれば考えるほど、また、現物に似せて描くよう要求すればするほど、絵の方は平凡で、うぬぼれが目立ち、やたらにちまちましたものになるのだった。それに反し、ひどく醜い連中は自分の家に、涙が出るほど美しい肖像画を持っていた。彼らには、わかっていたのである。

 上に見てきたように、基本的にはブラック・ユーモアにあふれたシニカルな作品集といえます。ただ、そんな中にも感じられる一抹の詩情。この相反する要素がまた、この作品集の魅力とも言えそうです。
 なお、この作品集の抄録が『さまざまな生業(抄)』 として、山田稔編『フランス短篇傑作選』(岩波文庫)に収録されていますので、こちらでそのエッセンスを味わうのもいいかもしれません。

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人さまざま  アンリ・ミショー『幻想旅行記』
B000J94ZGC幻想旅行記―グランド・ガラバーニューの旅 (1972年)
小海 永二
青土社 1972

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 旅行記の体裁を取った作品、アンリ・ミショー『幻想旅行記』(小梅永二訳 青土社)は、架空の国「グランド・ガラバーニュ」に住むという、諸民族の奇妙な風習や文化を語った幻想コント集です。
 非常に寓意性・風刺性が強いのが特徴です。描かれる諸民族のひとつとして常識的なものはなく、ボルヘスを思わせるような、形而上学的な思想を持つ民族、または異様に短気だったり暴力的だったりと、誇張された心性を持つ民族など、ヴァラエティ豊かで幻想的な掌編が並びます。
 例えば、二年に一度、妻の分け直しを行うという、お人好しのオマンヴュ族。

 それは、大勢の男たちにとって、心の重荷を下ろす日だ。この妻たちの市では、当然のことながら、若い娘たちの市でよりも、ずっと多くの有益で残酷な真実が理解されよう。

 若い男は、みな猿のように毛を生やすというガリナヴェ族。

 若い男たちは、彼らの結婚の日に、より濃くより硬い毛が生えてくるようにと、自分の体の毛をせっせと剃る。若い花嫁は血まみれの身体でベッドから出、花婿は全員の尊敬を受けてベッドから出る。

 再生機能に優れ、ほとんど死なないというボーラール族。

 この種族の場合には、血液が強烈な早さで再生されるので、彼らは傷に対しては(それは数時間で癒ってしまう)、致命的な重傷に対しても(翌日になれば、何の跡も残らない)、全くの無頓着である。

 異様に喧嘩好きなカラキエ族。

 だが、夫と妻とを一緒に生活させることは、絶対に問題になりえなかった。それは、真の挑発行為であり、恐らく急速な死亡によって終わるしかないだろう。

 諷刺や寓意だけでなく、ナンセンスな性質を持つ民族も登場します。身体に触れると、その跡が何時間も赤くなるというエカリット族。

 森から戻ってくる猟師たちは、花の跡を、木の葉の跡を、種子の跡を、全身につけて戻ってくる。

 面白いのはアララ族。彼らの国では、警察と犯罪者とが融通無碍なのです。

 それぞれの立場をよりいっそう融通のきくものにするために、強盗どもは警察の中で、警官たちは悪人たちのところで、実習を行う。両方のグループは、絶えず人間を交換し合っている。

 いくつかを除いて、どの民族の章も1ページたらずの掌編ですが、そのどれもブラックなショート・ショートとして楽しめます。この手の不条理コントは、著者の一人よがりになりがちなことが多いのですが、この作品集は、どれも非常にエンタテインメント性に富んでいます。
 作品の舞台になっている「グランド・ガラバーニュ」は、どうやら未開の国という設定のようなのですが、大体において、描かれる民族で、手放しで賞賛されるものはほとんどありません。そこには著者の「悪意」というか、ささやかな「意地悪さ」が感じられるのです。
 とはいっても、大上段に文明社会を批判するような大げさなものではなく、素直に楽しめるナンセンス・コントになっています。ブラック・ユーモア好きな方はぜひ。
海中の講義  ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』
4087602176海底二万里
ジュール ヴェルヌ Jules Verne 江口 清
集英社 1993-05

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 言わずと知れた名作、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』(江口清訳 集英社文庫)。これ、抄訳が多いことでも有名な作品ですが、この完訳版を読むと、理由がよくわかります。まずはストーリーの方をどうぞ。
 ヨーロッパやアメリカで海難事故が多発します。事故の現場で人々は、紡錘形で燐光を発する、クジラよりも大きい謎の物体を目撃していました。その物体は生物であるとも、人工物であるとも取り沙汰されていましたが、意見を求められたパリ自然科学博物館のアロナックス教授は、おそらく巨大なイッカクであろうと推理します。
 やがて〈怪物〉退治のために遠征隊が組織されます。遠征船エイブラハム・リンカン号に、助手のコンセイユとともに乗り込んだアロナックス教授は、とうとう〈怪物〉に遭遇します。同乗していた銛打ちの名人ネッド・ランドは、銛を投げますが、それは金属的な音を立てて、はねかえされます。〈怪物〉はエイブラハム・リンカン号に衝突し、人々は海に投げだされてしまいます。
 アロナックス教授、コンセイユ、ネッドの三人は、やがて〈怪物〉の乗務員に助け出されます。〈怪物〉の正体はなんと潜水艦でした!
 その潜水艦〈ノーチラス号〉の船長ネモは、三人の命を助け、客としてもてなす代わりに、彼らを潜水艦に監禁します。秘密を漏らすわけにはいかないのだ、と。
 反感を持ちながらも、その場はおとなしくネモ船長にしたがう一行でしたが、やがて〈ノーチラス号〉の見せてくれる海の驚異に目を奪われます。深海の珍しい動植物や風景にアロナックス教授は夢中になり、囚われの身であることをすっかり忘れていました。
 常に紳士的なネモ船長でしたが、ときに無条件で三人を部屋に閉じ込めます。さらには食事には睡眠薬を入れるという念のいれよう。船長は詳しい話をすることを拒みます。
 ネモ船長の目的とは? 彼が持つ莫大な財産の出所とは? 海の驚異とともに、ネモ船長その人に魅力を感じ始めたアロナックス教授に対し、活動的な漁師であるネッドは、ことあるごとに脱出のチャンスを狙いつづけるのですが…。
 さて、この作品、物語の筋に関係ない、余計な部分がやたらと目につきます。ネモ船長が見せる海中のさまざまな自然の驚異…、それはいいのですが、そういう部分になると、突如として科学的な説明・蘊蓄が始まってしまうのです。そもそもこの生物は…であるとか、この大陸は…である、この海流は…である、などと科学的な説明が延々と続きます。
 評論家の北上次郎はヴェルヌを扱った『科学の冒険』(早川書房『冒険小説論』所収)の中で、ヴェルヌのこの癖を〈講義〉と読んでいます。この〈講義〉が多いために、物語の流れが疎外されてしまっているのです。そういう点、ヴェルヌは当時の最新的な科学の知見を盛り込んだ、情報小説の趣が強いと言えるのかもしれませんが。
 波瀾万丈な冒険小説のイメージが強い本作品ですが、実はストーリー自体もそんなに波瀾万丈ではなかったりします。原住民に襲われたり浮氷に閉じ込められたりと、それなりに小事件は頻発するものの、大きなプロット上のうねりというものは見あたらないのです。全編これ潜水艦の海中探査が続くと思ってもらえればいいでしょう。いつ終わらせてもいいし、延々と続けてもいいようなストーリーではあるのです。それゆえ結末も、とってつけたような感じが拭えません。
 もちろん海中の驚異や、自然の描写もそれなりに印象的です。スエズ運河開通以前に、紅海と地中海を結ぶ海中トンネルがあったとか、世界中の難破船から財宝を取るとか、そのあたりはさすがに胸躍らせる描写に満ちています。
 登場人物のキャラクターもなかなか魅力的。語り手のアロナックス教授は、わりと無色透明な人間として描かれていて、それほど特色は感じられませんが、他の人物はそれぞれに特色が与えられています。出自も経歴も全く不明、ときには冷酷だが、弱者には慈悲深いネモ船長。分類学には長けているが、本物の魚はまったく見分けがつかないコンセイユや、豪放磊落で食い意地のはったネッド・ランドなどのキャラクターは魅力があります。
 とくにネッドが、ことあるごとに動物を食べる描写が愉快です。コンセイユがあげる魚の分類に対し、食べられるか否かでしか答えないネッドの返答などは非常にユーモラス。他にもジュゴンやカンガルーまで焼いて食べてしまう描写には、微笑を禁じ得ません。このネッドのキャラクターが、ネモ船長の少し陰鬱なトーンに支配されがちな物語に、ユーモアを添えているといえるでしょう。
 さまざまな自然描写、科学的な蘊蓄、機械のメカニカルな描写など、それらが好きな読者にはたまらなく魅力的でしょうが、純粋にストーリーを楽しみたい読者には、かなり冗漫なところのある作品だと感じられるかもしれません。

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まるで獣のような  ボアロ&ナルスジャック『呪い』
4488141048呪い
ボワロ ナルスジャック 大久保 和郎
東京創元社 1963-04

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 本来ミステリというのは合理的なものだと考えられています。しかし、謎が提出される時点では、事件の謎が現実に起こりえないように見えるということが多いようです。謎は不可解であればあるほど、それが解決されたときの感動が大きいからでしょう。ボアロ&ナルスジャックの作品も例外ではありません。ただ彼らの作品においては、謎が合理的に解かれた後も、序盤から醸成された悪夢めいた雰囲気が雲散霧消しないところに特色があります。『呪い』(大久保和郎訳 創元推理文庫)もそんな作品のひとつです。
 海辺の土地で、妻エリアーヌとともに静かな生活を営んでいた獣医ローシェルは、ある日近くの島に住む女を訪問します。それは、女のペットである豹の診察に赴くためでした。アフリカ帰りのその女ミリアンは、獣を思わせる野性的な魅力を持ち、ローシェルを魅惑します。ミリアンとわりない仲になってしまったローシェルは、やがて彼女の自分勝手さ、冷酷さに恐れを感じ始め、彼女と手を切ろうとします。
 そんなおり、エリアーヌが家の近くの井戸に落ち、死にかけるという事件が起こります。原因を聞いてもエリアーヌはよくわからないと言うばかり。まさかミリアンが…。そう考えると思い当たることがいくつもあるのです。
 ミリアンを紹介してくれたヴィアル医師から、ローシェルはミリアンの夫の死についての詳しい話を聞きます。夫は石切場で墜落死を遂げていました。しかも夫婦の不和を知らない者は誰一人としていなかったのです。その時刻にはミリアンは自宅にいたことが確認されていました。しかし、彼女はその石切場の絵を以前に描いていたのです。アフリカの社会においてそれは疑いを招く行為といえました。

 「奥さんが罪を犯したのだと信じていたのですか?」
 「そうですとも。しかしその罪というのが魔術的な意味のものか道徳的な意味のものかということになると、私にはなんとも云えませんがね」


 ローシェルはミリアンの家で、彼の自宅とエリアーヌを写した写真を見つけたことに思い当たり、寒気を覚えます。ミリアンの呪術がエリアーヌを殺そうとしているのか? そしてエリアーヌは再び体調を悪くします。診察した医師は、砒素中毒の疑いがあるとローシェルにささやきます。しかし、ミリアンはペットの豹に足首を噛まれ、とても歩けるような状態ではなかったのです!
 ミリアンは本当に魔術を行っていたのでしょうか? そして、ローシェルは彼女の魔の手から逃れられるのでしょうか?
 貞淑な妻エリアーヌと魔性の女ミリアン、二人の女の間で揺れ動くローシェルの心の葛藤が描かれます。ミリアンの魅力に溺れながらも、家に帰ればエリアーヌの静かな愛情を感じ、罪悪感を感じるローシェル。
 彼らの三角関係を象徴するものとして、うまく使われているのが、物語の舞台となる「ル・ゴワ」と呼ばれる土地です。満潮時には完全に海に沈んでしまい、干潮時にのみ通ることができるこの道は、ミリアンの住む島に通じています。ローシェルにとって、この道は、魔術と呪いに満ちた異界への入り口となっているのです。クライマックスでもこの「ル・ゴワ」が使われるのですが、その使い方が実にうまい。
 主人公が獣医であるという設定も秀逸です。豹でさえ飼い慣らすローシェルが、ミリアンのあまりの奔放さに、彼女を御しきれなくなっていくのです。ここでは明らかに豹とミリアンはアナロジー的に対比されています。
 どんなに悪夢めいた作品であろうとも、ボアロ&ナルスジャックはあくまで現実の枠内で謎を解釈するのですが、不条理な現象が累積するにしたがって、もしかしてこれは幻想小説にシフトしていくんだろうか?と思わせることがままあります。この作品でも、ミステリになるのか幻想小説になるのか予断を許さないところがあります。言い換えると、そのくらい不合理な現象に対するサスペンスが豊かなのです。ミリアンが、本当に呪術を使っているかもしれないと思わせられてしまう繊細な雰囲気づくりが、この作品の魅力のひとつでしょう。ことにペットである豹に足首を噛まれ動けないはずのミリアンが、ローシェルの自宅近くで目撃されるという不可能興味は、なかなか印象的です。
 事件の真相は、明かされてしまえば、大したことのないものなのですが、全編を通じて醸成される心理的なサスペンスは捨てがたいものがあります。後半に至って、ローシェルはミリアンの呪術の存在を確信し、ミリアンと一緒に出奔すれば、彼女はエリアーヌに手を出さなくなるに違いないと考えます。エリアーヌを思うがゆえにミリアンのもとに走るのです。このあたりの男女の心情の機微は細やかで素晴らしいです。そして「ル・ゴワ」での思わぬ結末。
 比喩や象徴を多用した、工芸品を思わせる繊細なサスペンス小説です。

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胸躍らせぬ物語  カトリーヌ・アルレー『死神に愛された男』
4488140238死神に愛された男
カトリーヌ アルレー 安堂 信也
東京創元社 1986-02

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 サブタイトルにもあるように、基本的にこのブログでは面白かった作品をとりあげています。今回の作品はあまりに面白くなかったので、やめようかと思ったのですが、たまにはこういうのもいいかなと思うので、ちょっと書いてみます。問題の作品はこれ、フランスの作家カトリーヌ・アルレーの『死神に愛された男』(安堂信也訳 創元推理文庫)です。アルレーの作品は『わらの女』以外、どれもぬるい作品ばかりです。その中でも、この作品はかなりひどいのですが、こんな話です。
 モード・デザイナーであるポール・ラティノは、何事もうまくいかない男でした。それに比べ、ポールの雇い主ルノー・モラティエは富と才能をあふれんばかりに持つ男であり、ポールの羨望の念を集めていました。モラティエの秘書であり、ポールのフィアンセであるリーナは、出張の際にモラティエと関係を持ちます。プレイボーイのモラティエは、一夜の遊びとしてしか考えていませんでしたが、野心的なリーナはモラティエの夫人の地位を狙い、ポールとの婚約を一方的に破棄します。
 一方、夫の浮気に苦しんでいたモラティエ夫人フランソワーズは、ポールに悩みを打ち明け、夫への殺意さえ仄めかします。そんな折り、リーナがモラティエの家のガレージで車のバンパーに挟まれて圧死します。モラティエが、鬱陶しくなったリーナを殺害したと信じるポールは復讐の念に燃えるのですが…。
 これ、あらすじだけ聞くと、結構面白そうに見えるのが曲者。ここまでのあらすじで、ポールがモラティエを陥れようとするが失敗して破滅する、というようなストーリーを思い浮かべた人は、はずれです。この後、モラティエに詰め寄ってリーナとのことを指弾するポールは、モラティエの持ち出した昇進話に丸め込まれてしまいます。ここまではいいです。ポールの態度もとりあえずモラティエを安心させるためと描写されていますし。問題はこの後。なんと墜落事故でモラティエは死んでしまうのです! ここまでで、まだ小説は半分です。
 「死神に愛された男」ポールが、ことごとく不幸な目にあう、という設定はいいと思うのですが、作品全体があまりに行き当たりばったり感が強すぎます。モラティエが墜落事故で死ぬときに、ポールも乗り合わせており、唯一の生存者になるのですが、この墜落した場所がアフリカの人跡未踏の地! ここからサバイバルになるのかと思いきや、次のページでは、何事もなかったかのようにフランスに戻っているのです!これには呆れます。
 さらにこの後は、未亡人となったフランソワーズと結婚しようとポールがいろいろと手を尽くすという展開になります。ここでリーナ殺害事件やモラティエの死についての疑惑が絡み合ってサスペンスが増す、とかいうことには、全くなりません。伏線は全く活きてこないし、面白くできるところを、ことごとくつまらなくさせているとしか思えません。
 何をやってもうまく行かない男の喜劇として見るなら、この行き当たりばったりの展開も、うなずけないことはないのですが、どうも作品のトーンはシリアスで、笑えるような雰囲気ではありません。この作品の設定を使えば、たいていの作家なら、もう少し面白くできるような気がします。
 本当に安手のサスペンス。評価できるのはタイトルだけ。フランス製の「火曜サスペンス劇場」といった感じの超凡作です。ただ、ここをこうしたらもう少し面白くなるな、といった自分なりの改善策を考えられるという点では面白いかもしれません。逆に言うと、そういう考えがすぐに浮かぶほど不器用な作品ではありますが。

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眼が二人をわかつまで  テオフィル・ゴーチェ『魔眼』
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魔眼
テオフィル ゴーチエ 小柳 保義
4390113917

 今回は、フランスの作家テオフィル・ゴーチェの作品集『魔眼』(小柳保義訳 教養文庫)です。ゴーチェはもともと神秘的な傾向があったことに加え、当時流行していたホフマンの影響を受け、多くの幻想小説をものしています。本書には三編を収めていますが、狭義の幻想小説は『魔眼』のみです。他の二編は古代を舞台にしているものの、普通小説といっていいでしょう。
 『金の鎖またはもやいの恋人』は古代ギリシャが舞台。ミレトスの女プランゴンは、その美しさで知られた娼婦でした。彼女は恋人の美少年クテシアスが、プランゴンと並び称される娼婦、サモスのバッキスともわりない仲になっていることを知り、クテシアスを拒絶します。
 クテシアスはプランゴンの愛を取り戻そうとしますが、プランゴンは条件を出します。それは、バッキスが生涯の蓄えとして秘蔵している金の鎖を持ってくること。バッキスが命の次に大切にしているという金の鎖、それを手に入れるのは不可能に近いことでした。クテシアスはバッキスに泣きつき、その鎖を譲ってもらおうとするのですが…。
 ギリシャの説話を元にしたという作品ですが、他愛ない作品です。全ての登場人物が善意に満ちているため、恋愛において何の障害も起こらないところが、物足りない感じがします。
 『クレオパトラの一夜』は古代エジプトが舞台。退屈に囚われていたクレオパトラは、ある日恋文が結びつけられた矢を受け取り、心を高ぶらせます。恋文の主メイヤムーンは、死刑覚悟で、王宮に忍び込みクレオパトラの入浴をのぞき見します。捕らえられたメイヤムーンは、女王への恋を打ち明けます。彼の熱情にほだされたクレオパトラは一夜だけ彼を恋人にすることを許すのですが…。
 テーマは悪くないのですが、肝心のメイヤムーンがクレオパトラと過ごす一夜の部分が、駆け足で語られるので、もったいない感じがします。かなり冗漫な部分が感じられる作品。
 そして本書の作品中では、もっとも純粋な幻想小説の『魔眼』。これは傑作といっていいでしょう。
 フランス人の青年ポール・ダスプルモンは、婚約者が静養しているナポリに船で到着します。青年の謎めいた風貌、それに加えて目だつのはその眼でした。

 とりわけ、眼が異常だった。眼をふちどる黒いまつ毛が、瞳のうすい灰色や髪の焦茶色と異様な対照をなしている。

 船の停泊の際、不思議な出来事が起こります。ポールが見つめていた小舟が大波によってひっくり返ったのです。とくに気には止めず、ポールは早速、婚約者のイギリス人令嬢アリシヤのもとに出かけます。六カ月前とはうって変わって健康そうなアリシヤを見てポールは安心しますが、ポールと会った後、なぜかアリシヤは体調を悪くします。
 アリシヤの伯父の准将はポールとの仲を公認していましたが、アリシヤを見初めた美男子アルタヴィラ伯爵の入れ知恵により、考えを変えます。アルタヴィラ伯爵は、ナポリでは魔眼の伝承がいまなお信じられていると語るのです。そしてアリシヤもそうした連中の一人に狙われているのだと。

 「たいていの場合、魔眼は本人の意志に無関係です。それはこのいまわしい才能の能力に気づくようになったとき、その働きを誰よりも嘆き悲しむのは彼らです。だから彼らを避けるようにして、むごく扱ってはいけません。」

 行き交う人々が、ことごとに自分に示す不審な態度に疑問を抱いていたポールは、町中で手に入れた本により、自分は魔眼者ではないかと思い至ります。子供のころからの友人たちの不幸も、自分のせいだったのではないかと思い悩むポールは、今またアリシヤに危害を及ぼすことを恐れはじめます。
 アルタヴィラ伯爵は、ポールが魔眼者であることを指摘し、決闘を申し込みます。愛する人を死の危険にさらすよりは、自らの命を断とうと、すすんで決闘に出かけるポールでしたが…。
 二人の決闘の行方は…。そしてポールとアリシヤの恋の結末はどうなるのでしょうか?
 見る者の意志とは無関係に見つめた人間に害を与えてしまうという「魔眼」が扱われています。愛する者にも害を与えてしまうというテーマでは、ホーソーン『ラパチーニの娘』などが思い浮かびますが、ゴーチェの作品では「魔眼」が本当に事実であるかどうかは明言されてはいません。ポールが出会う不幸がすべて偶然であるという解釈もありえるのです。もっともポールが引き起こすのは人災だけでなく、その眼で見つめた天気が激変するなどという、すさまじい効力があることも暗示されるので、偶然であるという解釈はしにくいのですが。
 とにかく、ポールが本当に魔眼の持ち主であるか否かとは関係なく、アリシヤ以外の全ての人間が、ポールが魔眼者であると思いこむことによって悲劇が引き起こされる、という点は変わりません。恋人同士が互いを思いやるがために起こってしまう、悲劇の恋愛物語として一読の価値がある作品といえるでしょう。
 ちなみに作者のゴーチェは迷信深いことで有名だったそうです。作曲家のオッフェンバックを魔眼者だと信じて、尊敬はしていたが近寄らなかったとか、逸話には事欠きません。しかし本気で迷信を信じていたにしては『魔眼』に懐疑的な解釈が発生する余地があるのも不思議な話です。

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悪魔でも…  アラン・ルネ・ル・サージュ『悪魔アスモデ』
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 今回紹介するのは、『ジル・ブラース』で知られる18世紀フランスの作家、アラン・ルネ・ル・サージュの諷刺小説『悪魔アスモデ』(中川信訳 集英社版世界文学全集6巻所収)です。まだ小説というジャンル自体が女子供の読むものであり、詩歌や演劇よりずっと低い地位に置かれていた時代ですから、この作品もかなり軽いタッチで描かれています。
 舞台はマドリード。十月のとある夜、学生ドン・クレオファスは、追っ手から逃げている最中でした。さる婦人との密会中、踏み込んできた連中に、結婚するか命を捨てるか、迫られたからです。屋根伝いに逃げるドン・クレオファスは、ふと見える明かりを目指して進みます。そしてその明かりのもと、ある屋根裏部屋に入り込みます。人気のないその部屋には、フラスコやら計器類がちらばっていました。さては占星術師の部屋だったかと考えるドン・クレオファスの耳に、妙な声が聞こえます。その声はなんと蓋のついたフラスコの中から聞こえるのです!

 「わたしは六カ月この方、この栓のふさがったフラスコのなかにいるのです。この家の住人は物知りの占星術師で、また魔法使ときています。ほかならぬそいつが術の魔力をつかってわたしをこの狭い牢に閉じ込めてしまったのです」

 アスモデと名乗るその悪魔は、ここから出してくれれば、それなりの礼をしようと申し出ます。逡巡するドン・クレオファスでしたが、今夜彼に起こった災難の首謀者は他ならぬ逢い引きの相手ドニャ・トマーサであるということを聞き、悪魔を解放します。ドン・クレオファスは悪魔の背にのり、復讐かたがた、世の中の人間たちの真実を見に出かけるのですが…。
 悪魔が登場するといっても、人間を堕落させる邪悪な存在ではありません。本書に登場する悪魔アスモデは、むしろ礼儀に厚く、世の中を冷めた目で見る智恵者です。そのアスモデが案内役となって、ドン・クレオファスは、世の中を見て回るのです。彼が見るのは、強欲な金貸し、浮気性の女、吝嗇な老人、傲慢な貴族などの愚かな人間たち。その人間観察はなかなかに辛辣です。ただそれらの短い人間観察のスケッチが、それこそ百を超える数で現れるので、読みにくいのは否めませんが。
 基本的には本書の構成は、短い人間スケッチの集まりです。ただ、それだけでは著者も退屈してしまうと思ったのでしょうか、ところどころに、それだけで独立した短編小説的な物語がはさまれす。それらが、諷刺小説という本書の意図からすると、一見首を傾げるような、ストレートな恋愛物語なのは不思議ですが、皮肉にも、その部分が一番面白いのです。
 作品中に挟まれる物語のうち『ベルフロール伯爵とレオノール・デ・セスペデスの愛の物語』『友情の堅い絆』、この二つの物語が比較的長く、また面白く出来ています。
 『ベルフロール伯爵とレオノール・デ・セスペデスの愛の物語』は、娘に懸想した伯爵が、結婚の意図がないにもかかわらず、その振りをして娘に言い寄るが、結局は真実の愛に目覚め結婚する、という話です。
 『友情の堅い絆』は、親友が恋をしている未亡人に、自分も恋してしまった騎士の話。未亡人もやがて騎士に恋をするようになるが、親友への義理から苦しむのです。そのうち未亡人が、以前から言い寄っていた別の恋敵にさらわれ、それを追いかけた騎士と親友も海賊に襲われてしまいます。このあたり実に波瀾万丈で読ませるのですが、肝心なところで、かなりご都合主義な展開があるので、ちょっと興ざめしてしまうかもしれません。
 そもそも諷刺というのは、時代が変わってしまうと、その意図が通じなくなるのが常です。本書もその例に漏れないのですが、その部分を差し引いても、単純に娯楽小説として楽しめる作品です。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学



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kazuou

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。怪奇小説好き。
怪奇幻想小説の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主催。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。
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