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永遠のからだ  マルク・デュガン『透明性』
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 フランスの作家マルク・デュガンの長篇『透明性』(早川書房)は、不死になる権利をめぐって、世界を変革しようとする女性の計画が描かれるSF作品です。

 環境破壊が進み、人類の生存できる地域が北へと狭まっていた2060年代。グーグルを始めとする企業によって人間のあらゆるデータが収集され、人々はその恩恵としてベーシック・インカムを提供されていました。
 理想のパートナーのマッチングを主な業務とするトランスパランス(透明性)社の社長である女性カッサンドルは、インサイダーによる金融暴落を利用して、既に国家規模になっていたグーグル乗っ取りを図ります。彼女は収集されたデータを鉱物による人工的な体に移植し、人間の不老不死を実現する計画を立てていたのです。
 計画を進める一方、カッサンドルは、とある人物を突き落として殺したという罪で告発されていました…。

 一企業が人間の不老不死の権利を独占してしまったとき、何が起こるのか? という面白いテーマのSF作品です。主人公が一企業であるグーグルを買収しようとするのは、この世界ではグローバルなIT企業が力を持ち、ほぼ一つの国家になっているからです。グーグルはアメリカとほぼ同じ力を持つばかりか、選挙では彼らの力を借りないと勝てない分、むしろアメリカよりも強力な「国家」ともなっています。
 この作品で登場する不老不死の技術は、人工的な有機体を体にして、生前のデータを移すというもの。基本的には亡くなった段階で蘇らせるので、不死というよりは復活でしょうか。しかも不老不死の権利は金で買えず、アルゴリズムで判断して選ばれるため、権力や資産は役に立ちません。国家元首といえど選ばれない可能性があるのです。
 それゆえ復活をめぐって、カッサンドルは地球でもっとも権力を持った人物となります。また、温暖化による地球環境の悪化を防ぐため、地球環境にとって有用な人物が優先的に復活されるため、それをめぐって地球の人々の行動をコントロールしようとする意図もありました。

 カッサンドルの地球規模での計画が上手く運んでいく一方、私生活においては困難が現れる、というのも興味深いです。夫である火山の研究者エルファーは、カッサンドルが自分にも内緒で計画を進めていたことに腹を立てていました。またそれ以前に、行方不明になっている二人の息子をめぐっても争いの種が胚胎していたのです。
 飽くまで世界レベルでの活動が優先するカッサンドルと必ずしもそうではない夫との間の葛藤も読みどころでしょうか。そもそも世界規模での人類の救済を願うカッサンドルが、一人の子供の親としては失格だった…というあたりには諷刺的な意図もありそうです。

 不老不死の技術を手に入れた人類はどう変わるのか? それをめぐって社会の仕組みはどう変わっていくのか? 一企業や特定の人間が権力を手に入れるのは正しいのか? など、様々な問題提起がされていくシリアスな作品、と見えるのですが、その実、一筋縄ではいかない作品でもあります。
 後半では思わぬ展開が発生し、それまでのトーンをひっくり返すような趣向が用意されています。その結果、この作品を真面目にとるべきなのか否か、といったあたりを含めて、何ともいいようのない読後感が待ち受けています。
 シリアスな問題提起の書とも、壮大な冗談とも取れる、不思議な読み味の作品で、結末は評価が分かれそうなのですが、どちらにしても、知的な刺激の得られる面白いSF作品だと思います。


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アポリネールのコント・ファンタスティック  ギヨーム・アポリネール『拾遺コント集』
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 フランスの詩人・作家ギヨーム・アポリネールは、ブラック・ユーモアに富んだ幻想的な短篇小説を多く書き、それらは生前に刊行された短篇集『異端教祖株式会社』『虐殺された詩人』に収められました。
 ただ、これら二つの短篇集に収められなかった短篇も多く存在し、それらは『拾遺コント集』(窪田般彌訳『アポリネール全集Ⅱ』青土社 収録)として翻訳もされています。こちらを紹介していきたいと思います。

 浮気を疑われ失踪した妻が数十年後に夫に復讐を遂げるという「アイゼンベルク伯爵夫人」、妻子の敵として英国人を憎む男が私掠船を組織し、英国船を沈め続けるという「英国野郎(ミロール)のクリスマス」、駅に留め置かれた御者が何年も駅に留まり客が戻ってくるのを待ち続ける「《ジオコンダの犠牲者》によるサン・ラザール駅のロビンソン・クルーソー」、戦死した男の影のみが生き続け町を彷徨い続けるという「影の散歩」、もう助からないと見放された病人が回復してしまったことから思わぬ犯罪が発生する「オレンジエード」、手や眼、口など必要に応じて人体の各パーツを付け加える医者たちを描く「整形外科」、幼児を急速に成長させる療法が描かれる「甲状腺療法」、結婚生活をわざと破綻させ賠償金をむしり取る女の物語「妖婦」、人間の熱エネルギーによって動く列車の物語「戦争列車」、魔法によって人間になったシンデレラの供廻りたちのその後の人生が語られる「シンデレラの供廻り または鼠と六匹の蜥蜴」、不遇な女性と鉢植えの物語「鉢植え」、デザイナーによって生み出された透明な布地が話題を惹き起こす「〔目に見えない布地〕」などを面白く読みました。

 「《ジオコンダの犠牲者》によるサン・ラザール駅のロビンソン・クルーソー」は<奇妙な味>の物語。
 資産家パンドヴァン氏は辻馬車を拾い、サン・ラザール駅に向かいます。御者に待っていてほしいと伝え駅に入りますが、列車が発車する直前だったため、荷物は御者がスーツケースの住所を発見して、後で請求してくるだろうと考え、そのまま出かけてしまいます。一方、御者のルディオールは、駅の前で待ち続け、その場所で生活を始めます。何年も待ち続けるルディオールでしたが…。
 客を待ち続けるため、何年も駅前で待ち続ける御者を描いた物語です。帰ってくるかも分からない客を待つのに、その生活は意外と楽しそうなですよね。思わぬハッピーエンドにも笑ってしまいます。

 「影の散歩」は幻想的な物語。
 ある日、通りを影だけが歩いているのを見て驚いた「私」はその後を追いかけます。シルエットからするとその影は青年のようなのです。影はある若い娘のもとを訪れてしました。娘が言うには、戦争で死んだ恋人の影のみが残り、町をうろついているというのです…。
 死後、青年の影だけが残って彷徨う…というお話です。哀切な雰囲気がある一方、影そのものの動きには、妙な軽やかさがあるのですよね。魅力的な幻想小説となっています。

 「シンデレラの供廻り または鼠と六匹の蜥蜴」は何とも魅力的なファンタジー。
 シンデレラの供廻りとして、魔法によって人間になった鼠と六匹の蜥蜴たち。人間のままに留め置かれた彼らは職業強盗となり、資産を貯えます。
 読書を趣味として教養を身に付けたリーダーのルラ(フランス語で鼠の意)は、部下たちに教育を施します。それぞれ画家、詩人、演奏家、舞踏家、彫刻家、建築家として身を立てた彼らは「諸芸術(レ・ザール)」とまで呼ばれるようになりますが…。
 人間になった鼠と蜥蜴たちが、思わぬ運命の導きで芸術家になるという、洒落たファンタジー小説です。ただ、幸福に死んだメンバーとそうでないメンバーに分かれてしまうあたりには哀切な雰囲気もありますね。

 この『拾遺コント集』『異端教祖株式会社』『虐殺された詩人』に劣らず魅力的な短篇揃いでした。こちらも独立した形で読めるようにしてほしいところですね。

 ついでに、アポリネールの中篇「腐ってゆく魔術師」(窪田般彌訳『アポリネール全集Ⅱ』青土社 収録)も紹介しておきたいと思います。

 悪魔と人間の女の間に生まれた魔術師メルランは、湖底の女王ヴィヴィアーヌに恋をしますが、彼女から人を閉じ込める魔法を訊かれて、それを教えてしまいます。その魔法によって逆にメルランは森の墓場に幽閉されてしまいます。不死の魂を持つメルランですが、その肉体は段々と腐り始めていました…。

 アーサー王伝説をもとに、魔術師メルラン(マーリン)をテーマにした幻想的でシュールな物語です。恋人に裏切られ地中に封じられた魔術師メルランが、自身の肉体が腐るのを認識しながら、自身の墓場に来た者たちと対話する…という、グロテスクかつシュールな物語です。
 メルランの魂のみが他の者たちと対話を繰り広げるのですが、対話の相手として、彼を封じ込めた当人の湖底の女王の他に、人間、動物たち、怪物や神話的な人物さえもが現れます。
 登場人物たちの名前が示され、彼らの会話が示されるという戯曲形式で書かれています。メルランと対話をする場合もあれば、やってきた人物の独白になるというパターンもあります(独白のパターンの方が多いですね)。対話の内容も象徴的・詩的なもので、そこに物語的な展開があったり、哲学的な思索が交わされたりするわけではありません。
 時代も無視して現れる人物もあったりと、かなりシュールなお話になっています。
 次から次へと新しい登場人物(動物)が現れては話していき…という、かなりまとまりのない形式で、そこに意味を読み取るのがなかなか難しい作品にはなっていますね。
 度々メルランと湖底の女王との会話がなされますが、二人の間に相互理解が訪れることはありません。閉じ込められながらも愛情を失わないメルランと、裏切りながらもまだ惹かれている部分がないではない女王。互いに求めながらも二人の関係は平行線をたどり続ける…という点では、男女の愛情の関係性を詩的・寓話的に描いた作品、といえるかもしれません。
 ただ、そうしたテーマを読み取るには「夾雑物」(といっていいか分かりませんが)がやたらと多いのは確かなのですよね。
 芝居形式で描かれていることや、多くの登場人物が現れることなどから、題材としては悲劇的なテーマなのですが、意外と祝祭的な雰囲気があるのも面白いところです。

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残酷な夜  フレデリック・ブウテ『絞首台の下で フレデリック・ブウテ残酷戯曲集』
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 フレデリック・ブウテ『絞首台の下で フレデリック・ブウテ残酷戯曲集』(蟻塚とかげ編訳 爬虫類館出版局)は、知られざるフランス作家ブウテ(1874-1941年)による、残酷趣味にあふれた戯曲集です。

「絞首台の下で」
 町外れの絞首台に吊るされた三人の男の死体は、夜が訪れると共に、烏や幽霊たちと会話を交わし始めます…。
 吊るされた死者たちが、周囲に現れた烏や幽霊たちと語り始める…という怪奇劇です。絞死人たちが自分たちの死の原因となった過去の罪を語るだけでなく、途中から登場する無垢な女性たちも、死者たちの悪意によって死に至ってしまう…という、徹底してダークな物語になっています。
 第一の絞死人が語るエピソードは、人造人間生成の物語にもなっており、こちらも興味深いですね。

「詩人と娼婦と二人の墓堀人」
 亡くなった詩人サミュエルの通夜のため雇われた墓堀人トゥルービィとメイムは、酒を飲みながら死体の見張り番をしていました。そこに現れたのは、詩人の生前の愛人である娼婦でした。ふざけて死者の口に酒を注ぎこんだところ、サミュエルは息を吹き返しますが…。
 墓堀人と娼婦の目の前で死者が甦る…という物語。この死者が本当に息を吹き返したのか、それとも超自然的な力により死者として蘇ったのかは定かではないのですが、どちらにしても彼を待つのは残酷な運命なのです。
 死者よりも生者の方が「怖い」物語といえましょうか。

「雨の夜の酒場[タバーン]」
 冷たい雨の夜、ジョナス・シュリップの経営する安酒場には、様々な人々が集まっていました。貧しい酔っ払い、脱走兵たち、片言のユダヤ人商人、幼子を抱えた母親など。彼らの元にはそれぞれ残酷な運命が訪れますが…。
 安酒場に集まった貧しい人々が、さらに残酷な運命に見舞われる…という群像劇的作品です。直接的な悲劇に見舞われなくても、すでにして将来は真っ暗な人々だけでなく、同じような過酷な環境にありながら、互いに裏切って他人を陥れてしまう者など、現実的でリアルな残酷行為が描かれていきます。
 起こっている悲惨な出来事にも関わらず、作品の最後で「無口な男」が吐くセリフ「人生は素晴らしい」は、実に皮肉です。

「我が言葉を聞け」
 貧窮した人々が集っている橋の下に現れた男は、己の信じる「真実」に従って人々を説得しようとします。その説得には身内を捨て去ったり、死を選ぶことすら含まれていたのです…。
 貧窮して兵士になろうとしている若い男、盲人の父親を抱える美しい娘、生きるのもままならない子連れの女など、困窮の極みにある人々が集まる場所に現れた男が、「眞實」と称し、自らの信念に従って人々を説得しようとする物語です。
 男は自分なりの正義を信じているようなのですが、その勧めに従った結果は世間一般のモラルとは正反対であり、ほとんど「悪魔」のようにも感じられますね。
 男の勧めに従って、罪を犯してしまう者もいるのですが、実際のところ貧窮の状態にある彼らの行為を責めることもできない…という、いたたまれない状況が描かれています。
 また「眞實」を称する男もまた、一人の何の変哲もない人間であり、彼の「偽善」も断罪されてしまうという、救いのないお話になっていますね。

 ブウテの戯曲作品、下層階級や貧窮した人々など、弱者がさらに悲惨な運命に出会ってしまう、という点で非常に救いのないお話が多いです。しかもその際に人間の利己心や裏切り、悪意などが現れてくる、という部分も強烈です。
 その意味で非常に「残酷」な物語群であるのですが、その残酷さが粘着質でなく、からっとしているのも特徴でしょうか。下手な「情」が入ってこない分、ある種の様式美というか、「残酷美」が感じられるようにもなっています。
 さらにある種のブラック・ユーモアさえ感じられるものもあって、「絞首台の下で」はそうした要素の強い作品ですね。
 残酷劇として有名な<グラン・ギニョル>とは直接関係はなかった作家だそうですが、方向性として、非常に近しいものがあるように思います。

 『絞首台の下で フレデリック・ブウテ残酷戯曲集』は、こちらのお店にて購入できます。
 https://cavabooks.thebase.in/items/74997371

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信じ難い物語  プロスペル・メリメ『メリメ怪奇小説選』
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 プロスペル・メリメ『メリメ怪奇小説選』(杉捷夫訳 岩波文庫)は、フランスの文豪メリメの怪奇幻想小説を三篇収録した作品集です。

「ドン・ファン異聞」
 資産家の貴族の息子として生まれ、品行方正に育てられた青年ドン・ファン・デ・マラーニャは、父親の意向でサラマンカの大学に行くことになります。そこで出会った男ドン・ガルシアと友人になりますが、彼は短気な乱暴者で、悪魔との関わりさえ噂される人物でした。
 ドン・ファンは一目惚れしたドニャ・テレサと恋人になります。しかし、ドン・ガルシアにそそのかされた結果、彼女の家族を殺す羽目になってしまい、町を逃げ出すことになりますが…。
 酒と女、そして幾多の罪を重ねたドン・ファンが、自らの行状を振り返り悔悟するまでを描いた歴史奇譚です。
 ドン・ファンは、悪友ドン・ガルシアの影響によって、女性を裏切ることを始め、殺人さえ含んだ罪に関しても何も感じなくなっていきます。
 このドン・ガルシアの態度は一定していて、死ぬ間際まで自身の行為を後悔しない、という潔さ。一方ドン・ファンは、自身の行為に一抹の不安を感じつつ悪事を行っていく、という風なのです。善悪どちらに転んでもおかしくないような不安定な人物としてドン・ファンが描かれていくだけに、最終的に彼が超自然的な光景を幻視して、悔悟することになる、という流れには説得力がありますね。
 悔悟した後もドン・ファンが罪を重ねざるを得ない状況が現れる、というところも興味深いです。
 ちなみに、本作に登場するドン・ファン・デ・マラーニャは、有名な色男ドン・ファン(ドン・ファン・テノリオ)とは別の人物とされています。

「ヴィーナスの殺人」
 紹介状をもらい、イールの町のペイレオラード氏を訪ねた「私」は、案内人から、ペイレオラード氏の息子の結婚式が近々あること、また氏が古代ローマのものと思われる銅製の黒いヴィーナス像を掘り出したことを耳にします。
 ヴィーナス像は官能的でありながら、どこか邪悪なものを感じさせる像でした。像を掘り出す際には、怪我人も出ているというのです。
 ペイレオラード氏の息子アルフォンスは、花嫁のための指輪を用意していましたが、遊戯に熱中した結果、邪魔になった指輪をヴィーナス像の指にはめます。アルフォンスが後に指輪を取りに戻ったところ、像の指が曲がってしまって指輪がはずせないと、「私」に打ち明けることになりますが…。
 地中から掘り出された、異教のヴィーナス像が起こす現象によって悲劇が起こるという怪奇幻想小説です。
 指輪をつけたことによって、ヴィーナス像と婚姻を結んだ形になってしまう、というモチーフの描き方が上手いですね。
 ヴィーナス像が何を惹き起こしたのか…という点が「私」からするとすべて伝聞で聞いた話であり、ヴィーナスの得体の知れなさが強烈です。
 世界の怪奇幻想小説の名作の一つといっていい作品でしょう。

「熊男」
 ヴィッテンバッハ教授は、かって自分がリトアニアにセミオット伯爵を訪ねた際の体験を語り出します。
 貴重な書籍を読ませてもらうため、セミオット伯爵を訪ねた教授は、現地で奇怪な様子の女性を目撃します。彼女の侍医だというフレーベル博士によれば、女性は伯爵の母親であり、かって夫との狩りの最中に熊にさらわれ、その際の恐怖によって精神を狂わせてしまったというのです。
 後に懐妊していたことが分かった伯爵夫人は伯爵を産み落とすものの、母子の交流はほとんどないまま息子は育てられたといいます。やがて伯爵自身に会った教授は、伯爵の明晰さに感心しますが、彼には神経症的な症状があること、彼が恋しているらしいイヴィンスカ嬢が明るく屈託がない女性で、伯爵とは真逆の性格であることに気付きます…。
 熊に襲われ発狂してしまった女性の息子が惨劇を惹き起こす…という怪奇幻想小説です。伯爵自身は冷静沈着、明晰な頭脳の人物として描かれるのですが、どこか不安定な要素を抱えていることが示されます。それだけに結末の異常さが際立っている感じです。
 作中で明確には描かれないのですが、伯爵が「熊」の子どもなのではないかという「異類婚姻譚」的なモチーフも興味深いですね。

 訳者解説にも書かれていますが、「ドン・ファン異聞」「煉獄の魂」「ヴィーナスの殺人」「イールのヴィーナス」「熊男」「ロキス」、それぞれの訳題で知られている作品です。


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無残な物語  ペトリュス・ボレル『シャンパヴェール -悖徳物語-』
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 フランスの小ロマン派の作家ペトリュス・ボレル(1809-1859)の『シャンパヴェール -悖徳物語-』(金子博訳 南柯書局)は、様々な形で残酷な運命を迎える人々の物語を集めた短篇集です。
 何の罪もないのに一方的に不幸な運命に襲われたり、嫉妬や絶望から破滅的な運命を選んでしまったりと、時代や形は異なれど、残酷な運命に襲われた人々を描く連作短篇集です。
 作品集自体が、自殺したシャンパヴェール青年(彼がペトリュス・ボレルの名を名乗っているというのです)の遺稿集という体裁を取っています。最初の「シャンパヴェールについての覚書」では、彼の知己によりシャンパヴェールの人となりが語られ、さらに巻末の短篇「狼狂シャンパヴェール」では、彼が死に至った運命が語られるという趣向です。

 貧窮する無垢な娘が襲われ、冤罪で死刑にまでなってしまうという「訴追官ドゥ・ラルジャンティエール氏」、友人が妻と浮気をしているという疑念から殺し合いにまで発展してしまう「大工ハケス・バラオウ」 、不貞を繰り返した若妻に異常な方法で復讐する解剖学者を描いた「解剖学者ドン・アンドレア・ベサリウス」、命の恩人である魔術師の男と彼を殺そうとする恋人との間で引き裂かれる娘を描いた「魔術師三本指のジャック」 、ユダヤ人の美しい娘と彼女と結婚した貴族の青年の悲しい運命を描く「猶太美女ディナ」 、恋人の裏切りを知った青年が自暴自棄になり破滅してしまう「学生パスロ」 、死を求める青年が恋人と共に凄惨な死を遂げる「狼狂シャンパヴェール」を収録しています。

 主人公やその恋人たちが不幸な目に会い、大体において死に追いやられてしまう…というパターンが繰り返される、徹底してダークな色彩の連作短篇集になっています。主人公たちを不幸な目に追いやる悪人たちは全く罰を受けないどころか、その罪が社会的に認知さえされないあたりも強烈ですね。
 「不幸」が物語の主要な人物によって起こされるのではなく、突然現れた「脇役」によってなされることすらあり、その救いのなさには驚かされてしまいます。

 巻末の「狼狂シャンパヴェール」は、シャンパヴェールが死に至る運命を描いた作品なのですが、この作品に至っては、他作品にはあった「物語」すらなく、シャンパヴェールとその恋人が死に至る凄惨な情景のみが描かれています。

 「解剖学者ドン・アンドレア・ベサリウス」は、澁澤龍彦の翻訳があり、アンソロジーに収録されることも多いです。ボレル作品では一番有名なものでしょうか。
 迷信深い民衆によって妖術師とも称される解剖学者ドン・アンドレア・ベサリウス。老人となったベサリウスには若く美しい妻マリアがいました。
 体調を崩し死を覚悟したマリアは、今まで何人かの男と不貞の行為があったことを夫に打ち明けます。しかし男たちは一回の逢瀬のあと、皆が姿を消してしまったというのです。話を聞いたベサリウスは、妻をある部屋に連れていこうとしますが…。
 他作品同様、「嫌な話」ではあるのですが、裏切られた主人公の「復讐」が成就するあたりに、多少のカタルシスがある作品ともなっています。エンターテインメント性があるといってもいいでしょうか。澁澤龍彦がこの『シャンパヴェール』からこの作品を選んで翻訳したのは、このあたりに原因があるような気もしますね。

 全ての収録作において、不幸な結末を迎える「嫌な話」のオンパレードといった作品集で、19世紀前半という刊行年代を考えると、当時はかなり衝撃的な作品集だったのではないでしょうか。

 ちなみに、この南柯書局版の『シャンパヴェール -悖徳物語-』、ペトリュス・ボレル小説全集の第一巻と銘打たれていますが、結局続刊は出ませんでした。第二巻は『ピュティファル夫人』が予定されていたようです。《世界幻想文学大系》の一冊として『シャンパヴェール悖徳物語』(川口顕弘訳 国書刊行会)という翻訳も出ています。読みやすさでは、南柯書局版の方が優れているように思います。

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信じられない物語  ジェローム・ルブリ『魔王の島』
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 ジェローム・ルブリの長篇『魔王の島』(坂田雪子、青木智美訳 文春文庫)は、たくらみに満ちたサイコ・スリラー作品です。

 1986年、祖母シュザンヌの訃報を受け、遺品の整理のため、彼女の住んでいたノルマンディー沖の孤島を訪れた新聞記者のサンドリーヌ。かってナチスに使われていたというその島には、老人ばかり数人が暮らしていました。島ではかって子どもキャンプが行われたものの、全員が溺死するという悲劇的な事故があったといいます。それ以来、職員だった人々はずっと島に残っているというのです。
 やがてシュザンヌの親友だった女性が、奇妙な形で突然死を遂げます。この島の秘密とはいったい何なのか…?

 祖母の死をきっかけに、彼女が住んでいた孤島に渡ることになった女性の奇怪な体験を語るサイコ・スリラー作品です。
 1986年のサンドリーヌのパートと、1949年のシュザンヌのパートが交互に現れる構成になっています。サンドリーヌのパートでは、過去に子どもが亡くなった事件や職員たちがなぜ数十年も島に止め置かれているのかなど、過去の謎を探っていくことになります。
シュザンヌのパートでは、子どもキャンプの職員としてやってきたシュザンヌが、子どもたちの様子がおかしくなり「魔王」なる存在を恐れていることが分かり、その謎を追っていくことになります。
 サンドリーヌのパートにせよシュザンヌのパートにせよ、「魔王」に関する部分には超自然風味が濃厚で、これが超自然現象なのか否かという興味で読んでいくのですが、中盤ではまた大きな転回点があり、さらに別の謎が発生してくるなど、非常にダイナミックな展開のある作品となっていますね。

 最初から最後まで、事件の「真相」だけでなく、物語の構図、それだけでなく物語全体が「誰のためのもの」だったのかさえ変転していくという、技巧的な物語となっています。ミステリとしての論理的整合性という面では多少弱い面がありますが、幻想小説として見ると、その眩惑的な構造を含めて魅力的な作品ではないかと思います。

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無慈悲な物語  ヴィリエ・ド・リラダン『残酷物語』
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 フランスの作家ヴィリエ・ド・リラダン(1838-1889)の『残酷物語』(田上竜也訳 水声社)は、「残酷さ」をテーマに、様々なジャンルの作品が収められた短篇集です。

 職業的な誇りを持つ娼婦の姉妹が金銭を伴わない恋愛について決裂するという「ビヤンフィラートルのお嬢様方」、妻が生きているふりを続けることで死んだ妻を蘇らせようとする幻想小説「ヴェラ」、社会的な変革の最中、民衆の声の中では物乞いの声は聞こえないという「民ノ声」、全く才能が無いと称する青年と編集者のやりとりを描く「二人の占い師」、天空に広告文字を映し出すという発明が描かれる「天空の広告掲示」、女性の自己愛を描いた「アントニー」、芝居において喝采を受けるための機械が発明されるという「栄光製造機」、社交界から身を隠し隠遁した公爵の秘密が語られる「ポートランド公爵」、金を挟んだ若き恋人たちの交流が諷刺的に語られる「ヴィルジニーとポール」、宴に招待された見知らぬ客の恐るべき正体が明かされる「最後の宴の会食者」、思わぬ場所に入り込んでしまった男の困惑を描く「取り違えるほど!」、ペルシアとの戦いから逃げ帰ってきたスパルタ兵に群衆の怒りがぶつけられる「群衆の苛立ち」、使い手がほとんど残っていない楽器の演奏のため老巨匠が引っ張り出されることになる「古き音楽の秘密」、恋人たちが別れなければならない理由が独自の論理をもって語られていく「サンチマンタリスム」、世界で最も豪華なディナーと称された食事を超えようと、そのライバルの男が考え出したメニューを描く「世界で最も豪華なディナー」、自分には「悔恨」が必要だと考えた俳優が放火をしてしまうという「人間たらんとする欲望」、墓場から持ち去られた花の行方が語られる「闇の花」、親の死にあたって子どものショックを抑えるため、臨終の際の吐息の成分を分析する機械が発明されるという「断末魔の吐息の化学的分析器」、追剥が出没すると信じた村人たちが武装して同士討ちをしてしまうという「追剥」、恋人が他の美女に入れ込んでいるという噂を耳にした王妃が残虐な復讐を企てるという「王妃イザボー」、思い立って旧友の神父のもとを訪れた男が様々な予兆に出会う「予兆」、劇場である女性に一目惚れした青年が思わぬ事実を聞かされる「見知らぬ女」、まっとうな女性のふりをした娼婦が純真な青年との恋に悩むという「マリエル」、聴覚の異常を治すという奇怪な発明について語られる「トリスタン博士の治療」、女性との恋愛を語った詩の連作「恋の物語」、インドにおいて冒険者として伝説となった男について語られる「幽玄な思い出」、古代ユダヤ王国に関する宗教的・象徴的な作品「エピローグ 告知者」を収めています。

 幻想小説、SF、諷刺、恋愛など、ジャンルとしては様々なものが並んでいます。書かれた年代もバラバラだそうで、その意味ではまとまりの少ない作品群なのですが、強いて共通要素を探せば、そこにあるのはやはり「残酷さ」。恋人の裏切りに対して王妃が復讐する「王妃イザボー」のように、特定の人間が残酷な行為を働く、といったタイプの作品もありますが、大部分は、人間の運命の残酷さが描かれている、といった方が近いでしょうか。
 もう一つ特徴的なのは、著者の人間に対する不信の念。個人レベルにせよ集団レベルにせよ、ところどころで人間の愚かさを嘲笑ったり、皮肉ったりする場面が繰り返されています。
 社会変革の度に上がる民衆の声で物乞いの声がかき消されてしまう「民ノ声」、群衆の思い違いで善人が殺されてしまう「群衆の苛立ち」、追い剥ぎだと信じ込んだ村人同士が殺し合いになってしまう「追剥」などでは、群衆の蒙昧さが描かれています。

 天空に広告文字を映し出す発明が描かれる「天空の広告掲示」、芝居における栄光を手に入れるために諸々の機械が開発される「栄光製造機」、使い手のほぼいなくなった伝説の楽器の老巨匠が引っ張り出されるという「古き音楽の秘密」、世界で最も豪華と称されたディナーを超えようとライバルの男がある策を考える「世界で最も豪華なディナー」、親の死のショックを和らげるため臨終の際の吐息の成分を分析する機械が発明されるという「断末魔の吐息の化学的分析器」、聴覚の異常を治すといいながら感覚を混乱させていく奇怪な発明の登場する「トリスタン博士の治療」などは、諷刺的な要素が強い作品群ですね。諷刺のための奇怪な発明やアイテムがよく登場するのも特徴です。

 諷刺的な要素が強めでありながらも、その諷刺が倒錯したレベルにまで到達しており、魅力的なのが「ビヤンフィラートルのお嬢様方」「二人の占い師」でしょうか。
 「ビヤンフィラートルのお嬢様方」は、娼婦の姉妹を主人公とした物語。家族のために職業的な娼婦を続けていたアンリエットとオランプの姉妹。彼女らはその代償として金銭を得ることを誇りと考えていました。ところが妹のオランプはマクシムという青年に恋をしてしまいます。
 アンリエットや両親たちは、オランプを非難することになりますが…。
金銭を得ない無償の愛が非難されるという、倒錯した世界観が描かれています。罪悪感によって瀕死になったヒロインのもとに示される「救い」には、諷刺的でありながらも、奇妙な美しさがあります。
 「二人の占い師」は、小説を持ち込んだ青年とそれを見る編集者との会話が描かれる作品。青年は、自分には全く才能がないと、自信ありげに小説を持ち込みます。それを一読した編集者は、青年には才能があると断言するのですが…。
 才能ある者が有り余っており、才能の無さこそが得がたい才能であると評価される世界が描かれています。どんな人間でもある程度の才能は持っているものだ…という逆説的な考え方が面白いですね。

 ブラック・ユーモアが強烈なのが「人間たらんとする欲望」「闇の花」「追剥」
 「人間たらんとする欲望」では、ある俳優の犯罪が描かれます。悲劇俳優ショードヴァルは、ある日自らを振り返り、自分の仕事には「悔恨」が必要だと判断します。それを得るために放火を行い、多くの人間を死に至らしめますが…。
 職業俳優として、悔恨や罪の意識を得るために多くの人間を死に追いやりながら、何も得ることができなかった男の姿が描かれます。「亡霊」さえもが彼の前には現れなかった…という結末部分には相当な皮肉が感じられますね。
 「闇の花」はブラックな掌篇。墓場から盗まれた花がめぐりめぐって女性たちのもとにプレゼントとして届けられます…。タイトル通り「闇の花」が描かれており、花の美しさは「死」の美しさでもあった…という作品です。
 「追剥」は、悲惨極まりないお話です。一人の老いたヴァイオリン弾きが生活に困り盗みを働きます。それが追い剥ぎの出没の噂となり、心配した村人たちは個々に武器を備え始めます。ある夜、それぞれ武装した村人たち同士のグループが出会い、殺し合いが始まってしまいます…。
 人々の不安が増幅した結果、惨劇が起こってしまうという救いのないお話です。惨劇を目撃したヴァイオリン弾きが逃げ出す理由が描かれるのですが、この部分には非常に説得力がありますね。

 純粋な幻想小説といえるのが「ヴェラ」「予兆」
 「ヴェラ」はE・A・ポオを思わせる美女再生譚です。
 最愛の妻ヴェラを失ったダトール伯爵は、地下埋葬所の棺の前で悲しみに沈んでいましたが、もう二度とそこには戻るまいと部屋の鍵をかけ、それを内部に投げ入れてしまいます。
 妻の死を受け入れられないダトール伯は、彼女が生きているものとして、生活を続けることにします。忠実な召使いレイモンを残し、ほかの者には暇を取らせ、友人との交際も絶ってしまいます。そんな生活を続けるうちに、いないはずの妻ヴェラの存在感が増していくことになりますが…。
 「想念」によって妻を蘇らせようとする男を描いた幻想小説です。妻の生活を形作っていた物たちと夫の思いによって、ヴェラが「復活」するシーンは圧巻です。
 「予兆」は、奇跡的な死の予兆を描く物語。
 青年男爵グザヴィエは、憂鬱症の静養のため、ブルターニュの小村に住む旧友モーコンブ神父のもとに滞在することを決心します。神父が住むサン・モールに辿り着き、司祭館に入ろうとした瞬間、その美しい家が禍々しく不吉な家として見えるような錯覚に陥ります。神父との再会直後、そして深夜にもグザヴィエは幻覚ともつかぬ不思議な光景を目撃することになりますが…。
 主人公の青年が何度も幻覚や幻視のような現象を体験し、それが後にある人物の死に結びついていたことが分かる…という奇跡譚のような味わいの作品です。
 青年自身の行動がその死に結びついていたわけで、予知のようにも見えるのですが、幻覚の情景に宗教的な香りも強いことからキリスト教的な「啓示」のようにも捉えられますね。

 この『残酷物語』、ジャンルは異なれど、一つ一つの収録作の完成度が高い作品集となっています。執筆期間は長期間にわたっていることもあり、文字通り「傑作集」の趣がありますね。
 リラダン作品というと、齋藤磯雄の翻訳が有名なのですが、訳文に癖があり、読者を選ぶところがあります。今回の水声社の田上竜也訳は、非常に読みやすい翻訳になっていますので、旧訳版が合わなかった方にもお勧めです。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

夢うつつの物語  X・B・サンティーヌ『夢日記より』
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 X・B・サンティーヌ『夢日記より 上下』(蟻塚とかげ訳 爬虫類館出版局)は、フランスの作家ザビエル・ボニファティウス・サンティーヌ(1798-1865)が晩年、自身が書いた夢日記をもとに、夢をめぐる小説や詩をまとめた作品集です。
 夢がテーマであるだけに、不条理な展開のお話が多いです。物語になる以前の、幻想的な情景を切り取った…というタイプの掌篇もありますね。
作品同士に関連性が持たされているわけではないのですが、いくつかの作品を通して「レリージャ」なる女性が登場し、その登場の仕方もかなり唐突。まさに「夢の中の女」という感じのキャラクターであって面白いところです。

 面白く読んだのは、蜘蛛に囚われた虫を見殺しにしたことからその行為を虫に糾弾されるという「黄金の虻」、過去に写した美女たちの幻像を映し出す鏡を描いた「ヴェネチアの鏡」、登山をめぐる怪奇譚「夜のユングフラウをきわめる」、亡くなった父が肘掛椅子の上に現れる「大きな肘掛椅子」、夢の中でマリオネット劇場の演技を見るという「マリオネット劇場」、二十年ぶりに恋人の女性に再会した男の不思議な体験を描く「リサは何処より」、かって捨てた恋人との間の子どもの手を幻視したことから、過去の愛が甦るという「小さな手」、死後の審問官が持つ杯には、裁かれる者のために流された涙がたまっていくという「涙の杯」、突然現れた美しい蛇の食料は黄金と人の血だったという「プシラ 黄金を喰らう蛇」、近未来、中国に支配されたフランスを描く「巴里を志那に」、社交場で褒めたたえられることに喜びを覚える男の物語「持ち上げられる」、釣りの最中に魚になった夢を見た男を描く「鯉になった男」、ギロチンにかけられた人々が舞踏会で踊るという「ギロチン舞踏会」、芸術のために恋人と家族を捨てて出奔した男の人生を描いた「聖ビビラの夜」、自分の死後の情景を夢見る男を描く「わが葬送」などでしょうか。

 とりわけ印象に残ったのは「プシラ 黄金を喰らう蛇」。ある日「私」は、自宅に現れた蛇と親交を結びます。プシラと名付け可愛がっていましたが、彼女が金を食べることに驚くことになります。家の中の金がなくなり、蛇に美しさがなくなっていくのに耐えられなくなった「私」は、家財道具を売り借金をしますが、それでも足りません。やがて「私」は博打打ちの商売に手を出しますが…。
 美しい蛇に魅了され、破滅の道に進んでいく男を描いた幻想小説です。蛇は魔性のもので、経済的にばかりか肉体的にも害を及ぼしていくことになります。唐突な結末に不条理感を覚えるのですが、ここが「夢小説」たるところではあるのでしょう。

 「聖ビビラの夜」は、有名なフランスの作家ジェラール・ド・ネルヴァルの自死にインスピレーションを受けて書かれたと思しき問題作です。
 両親に大切に育てられた息子ビビラは、芸術家になりたいという夢を持っていました。縁談を断り、恋人との結婚も許してもらいますが、結婚前夜に衝動的に家を出奔してしまいます…。
 家族や恋人を捨て芸術を志した青年が、しかし成功することはできず、敗残の身で帰還する…という芸術家小説なのですが、そこに「夢」と、実在の作家ネルヴァルの死が絡んでくるという作品です。
 メインのお話自体はシンプルな「夢と人生」の物語なのですが、ネルヴァルの死や彼が書いたというコント(これは実在するか怪しいようですが)の話が入り混じって、不思議な味わいの作品になっています。
 ネルヴァルの部分は、小説外の現実的な情報が入れ込まれている点で、純粋な創作とはいえなくなっているのですが、夢と現実が混沌としたこの作品集のトーンにはむしろ合っているのかもしれないですね。

 このサンティーヌ、蟻塚とかげさんによる同人出版なのですが、同訳者による『落選翻訳撰』『落選翻訳撰2』も文学フリマにて配付されていました。こちらの感想も一緒に上げておきましょう。


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『落選翻訳撰』(蟻塚とかげ訳 爬虫類館出版局)

ロバート・エイクマン「とけいもり」
 第二次大戦中にドイツで知り合った女性アーシュラをイギリスに連れ帰り妻とした「私」。アーシュラの父親が時計の製造者だったこともあってか、彼女は新居に大量の時計を持ち込んでいました。
 見慣れぬ新しい時計が家に増えていることや、調子の悪い時計が直っていることから、誰か時計の修理人らしき存在が家に出入りしていることに気付きます。
 アーシュラを問い詰めても、その男の詳細は分からず、実際にその姿を見ようとしても全く会えないことに「私」は不安感を増大させていきますが…。
 アーシュラが持ち込む大量の時計も不気味なのですが、それらを修理に訪れるという修理人の存在が非常に不気味です。本当にそんな男は存在するのか? と語り手が抱く不安感がだんだんと膨らんでいく過程が怖いですね。
 そもそもアーシュラにとって時計とは何なのか? 修理人との関係はどうなっているのか? といったことが最後まで明かされないため、「気色の悪さ」の目立つ怪奇小説となっています。
 訳者はこの作品をエイクマンの最高傑作だと考えていると記していますが、確かにその評価も頷ける傑作だと思います。


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『落選翻訳撰2』(蟻塚とかげ訳 爬虫類館出版局)

マルセル・エメ「万年ビリのマルタン君」
 プロの自転車乗りのマルタンは、万年ビリでありながら、競技に対する熱意は強烈で、毎回レースに参加するたびに自分は勝つと信じ込んでいました。
 やがて年を取り体も衰えたマルタンでしたが、レースには参加し続けていました。レースで最下位になるどころか、レースに間に合わないこともしばしばで、その遅れはだんだんと大きなものになってきていました…。
 万年最下位でありながらもレースに情熱を燃やす男が、段々と時間の遅れにも頓着しなくなり、それが極端なものになっていく…という、ほろ苦いユーモア作品です。
 遅れが極端になり、それが年単位になってしまったり、競技に熱中するあまり家族や子どもの成長にさえ気が付かなくなってしまうなど、その極端さの描写は、ほとんど幻想小説の域に達していますね。

L・P・ハートリー「白鳥たちの川」
 川沿いの快適な家で暮らす作家の「私」は、時折現れ、敵意を示す白鳥のつがいに不快感を抱いていました。
 ある日、カヌーで川からやってきた若い夫婦は、家を気に入り買いたそうな意志を見せますが、「私」は衝動的に家を売ってもいいと話してしまいます…。
 明確な怪異現象が起こらないタイプのお話なのですが、異様な憎悪を示す白鳥や、途中で記憶があやふやになってしまう若夫婦、突然家を売る意志に囚われる語り手など、不穏な要素が沢山詰まった作品になっています。
 白鳥のつがいと若夫婦、それぞれが夫婦なのは象徴的に使われているのでしょう。
 後半、若夫婦が白鳥に襲われたことが示されるのですが、そこは間接的にしか語られず、実際は何が起こったのか、その事件を通して若夫婦に何かの影響が及んだことは分かるのですが、その実態がはっきりしないところも不気味です。
 さらに、家や周囲の土地を愛していたはずの「私」が急に家を売る気になったのは何故なのか?と同時に、結局家を売らずに済んだものの、何かが変わってしまったのではないか…と匂わせる結末も不穏ですね。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

快楽の部屋  J・K・ユイスマンス『さかしま』
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 J・K・ユイスマンスの長篇『さかしま』(澁澤龍彦訳 河出文庫)は、俗世を嫌い、一人部屋に引きこもって人工的な生活を送る男の人生を語ったデカダンス文学作品です。

 貴族の末裔デ・ゼッサントは、放蕩生活によって財産の多くを蕩尽してしまいます。華美な生活に飽きたデ・ゼッサントは、不動産を売り払い、パリ郊外のフォントネエ・オー・ロオズに引っ越します。
 老いた使用人夫妻のほか、他人と接触しなくてもすむ環境を作り上げたデ・ゼッサントは、室内に自らの趣味にかなう人工的な空間を作ろうとします…。

 室内にこもり自分の趣味的で人工的な空間を作り上げようとする男を描いた、デカダンス文学の代表的作品と言われる小説です。ストーリーらしいストーリーはなく、主人公デ・ゼッサントの日常における「趣味」の探求が、淡々と綴られていくという作品です。
 デ・ゼッサントの趣味への入れ込みようは極端なほど。室内装飾に凝るのを初めとして、様々な分野で独自のテイストを追求していくのです。文学においては、選び抜いたラテン文学の古典、絵画においてはヤン・ロイケン、ブレスダン、ギュスターヴ・モロー、オディロン・ルドンなど。
 芸術だけでなく、その趣味はいろいろな分野に適用され、花や食事の趣味についても独特の感性が語られていきます。

 変わったところでは、部屋の中に作られた入れ子の部屋があります。その部屋の窓から設置した水槽が覗けるようになっており、これにより、自分が船の中にいるような想像ができるというのです。
 また、買い取った亀(生きた亀)の甲羅に宝飾的な装飾をしたり、複数の酒樽から出る酒のしずくをオルガンに見立て、口の中で音楽を奏でるという「口中オルガン」なるものも登場します。
 このあたり、ほとんど現代のパフォーマンス・アートといった趣ですね。

 「書斎派」たる部分は徹底していて、デ・ゼッサントがイギリスへの憧れを抱き旅行に行こうかと思案するものの、お店でイギリス人たちの姿を見た結果、イギリスに行った気になって家に帰ってきてしまったりもします。
 本や芸術、孤独を愛するデ・ゼッサントの生活の描写は魅力的で、このあたりがこの作品の評価が高い部分でもあるのでしょうが、注意したいのは、この生活によってデ・ゼッサントが「幸福」になるわけではないところです。
 他人を寄せ付けず、孤独に趣味にひたる生活こそが幸福だと信じて、デ・ゼッサントはそうした生活を続けるのですが、結果として神経症になり体調を崩してしまうのです。彼の本当の望みは趣味生活とは別のところにあります。後半に言及されますが、おそらくは信仰を得ること、宗教的な帰属感を求めているようなのです。しかし懐疑的な自分の性格を知るデ・ゼッサントは、宗教的なことに入れ込むことはできないだろうと自分で悟ってもいるのです。最終的に、豪奢な趣味生活も破綻してしまうことにもなります。
 また、肝心の趣味の方に関しても、体調悪化による影響もあるのでしょうが、時間が経つに従ってその趣味が変わってきたりします。というよりも、前に楽しんでいたものが楽しめなくなってきた、という感じなのでしょうか。

 この『さかしま』、孤独に独自の趣味を追求する生活が描かれているということで、そうした趣味や生活を礼賛する作品のように思われている節もあるのですが、実のところ、それらが手放しで肯定されてはいません。
 徹底した教養と趣味、そうした環境を構築できるだけの富と行動力があるデ・ゼッサントでさえ、孤独な趣味生活を続けることで、結局は病んでしまうのです。実のところデ・ゼッサントはそこまで「タフ」ではなく、社会的な接触を極端に断った結果、肉体的にも心理的にも弱ってしまうなど、意外と繊細な人物であることも分かってきます。
 他人との交友、あるいは宗教的な帰属感などはやはり必要で、結局のところ人間は一人では生きられないのではないか…? という思いが浮かんできてしまう、苦い読後感の作品となっていますね。
 ただ、一方で、デ・ゼッサントの様々な分野にかかわる趣味嗜好が紹介される記述は、作品の大部分を占めていて、そこが作品の魅力の一端となっていることは確かなのです。
 孤独な隠遁者の突き抜けた魅力を描きながらも、それを単純に肯定するわけではない…というところで、「異端の文学」ではありながら、意外にバランス感覚の取れた作品だともいえましょうか。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



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kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
twitter上でも活動しています。アカウントは@kimyonasekaiです。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」も主宰してます。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド 増補版』『奇妙な味の物語ブックガイド』『海外怪奇幻想小説ブックガイド1・2』『謎の物語ブックガイド』『海外ファンタジー小説ブックガイド1・2』『奇想小説ブックガイド』『怪奇幻想映画ガイドブック』を刊行。「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」も作成しました。



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