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悪夢の人生  ボアロー、ナルスジャック『悪魔のような女』

悪魔のような女 (ハヤカワ・ミステリ文庫) 文庫 – 1996/7/1


 ボアロー、ナルスジャックの長篇『悪魔のような女』(北村太郎訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)は、愛人と共謀して妻を殺した男が精神的に追い詰められていくという、悪夢のようなサスペンス作品です。

 セールスマンのラヴィネルは、愛人である医師リュシエーヌと共謀して、妻のミレイユを殺す計画を立てます。数年前に彼女にかけた巨額の保険金をだまし取ろうというのです。出張先の家へとミレイユを誘い込んだ二人は、彼女に睡眠薬を飲ませ風呂で溺死させます。
 死体を運んで自宅前の洗濯場から川に落とし、翌朝に仕事帰りのラヴィネルが妻の遺体を発見するという計画でした。アリバイ作りをした上で帰宅したラヴィネルは、しかし妻の遺体が消えていることに驚きます。
 やがて、妻の筆跡でメッセージが届いたのを皮切りに、ラヴィネルの近くで妻の姿が見え隠れするようになります。妻は生きているのか? それとも死者となった妻が徘徊しているのか? 消えた妻の遺体を探してラヴィネルは奔走することになりますが…。

 保険金と愛人との再婚を目的に、妻を共謀して殺害した男が、精神的に追い詰められていく…というサスペンス長篇です。妻の遺体がなくなってから、まるで妻が生きているかのような痕跡が現れはじめ、人によっては妻本人に会ったという人までが現れる始末。妻は本当に生きているのか?
 殺人を犯す夫のラヴィネルが精神的にナイーブな男で、気が弱いところから、追い詰められていくことになります。もともと愛人を作ったのもリュシエーヌからの誘惑、そして殺人計画自体もリュシエーヌが主導しているのです。妻のミレイユに対しても、特別憎しみがあるわけではなく、愛人のいうままに計画に加担してしまった…という感が強いのです。妻が生きているのでは? という疑惑が続いているうちに、ラヴィネルの現実感覚も狂い始め、普通に妻が家に帰ってくるのを肯定するような態度まで取るようになってしまいます。
 遺体が収容されているかもしれないと死体置場を訪れたり、ふと知り合った元刑事に捜索の手伝いを頼んでしまったりと、ラヴィネルの行動はほとんどパニック状態。リュシエーヌに助けを求めるも、彼女は一方的に突き放し、ラヴィネルは精神的にも孤立無援の状態になってしまいます。

 殺人を犯しているとはいえ、それほどの悪人ではなく、積極性にも欠けるだけに、読んでいて主人公ラヴィネルの苦境に同情してしまうところもありますね。ただ、死んだはずの妻の影が見え隠れするとはいっても、罪を断罪されたり脅迫されたりと、具体的な被害を受けているわけではないので、飽くまで主人公が精神的に追い詰められ破滅していくという、純サスペンス的な作品になっています。
 妻の遺体の消失、そしてその生死に関しても、最終的には現実的な解釈がなされるのですが、それまでの主人公ラヴィネルが経験する事態は本当に悪夢のようで、その肌触りはミステリというよりは幻想小説といった方が良いぐらいですね。

 ちょうどボアロー、ナルスジャックのミステリ小説論『探偵小説』(文庫クセジュ)を買ったので、本人の作品について書かれている箇所がないかと思って拾い読みしてみると、ありました。ちょうどこの作品『悪魔のような女』に触れているところがあり、参考になります。ちょっと引用しますね。

このように、事態に納得のゆく説明がつけられないと、犠牲者は現実の世界に戻って来られない。いわば悪夢を遠隔操縦する敵によって、とことんまでもてあそばれてしまうのである。しかしサスペンスに対して加えられたこのちょっとした改変は、その性格を根本的に変えることになる。不安は正体のはっきりした恐ろしい危険が引き起こす恐慌状態(パニック)ではなくなり、未知のものや形を成さない謎を前にした不安に席をゆずる。

 自作について語っている部分は、サスペンス小説についての章なのですが、実はこの部分のちょうど一つ前がウィリアム・アイリッシュについての論述になっています。ボアロー、ナルスジャックはアイリッシュについて、サスペンスを完璧の域まで高めた作家であると、最高級の賛辞をささげています。
 アイリッシュの登場人物は悪夢に襲われながらも、最終的に悪夢からは覚めてしまうが、もし彼らが悪夢から覚めないとしたらどうなるだろうか、という提案をしています。ボアロー、ナルスジャックはまさにその路線を意識的に狙っているようなのです。再度引用しますね。

被害者は単純に苦しむばかりでなく、拷問係の選び抜いた方法でさらに苦しめられることになる。これには緻密な構成が前提となるだろう。中心的な登場人物が現実の中にもどって来ないのだから、物語は幻想的なもののほうへ向くことになる。

 要するに彼らの作品においては、恐怖の対象が具体的なものではなく、明確な対象のない「不安」が主調となっている、とのことだと思います。これ、ミステリというよりは幻想小説へ向かう方向で、実際、ボアロー、ナルスジャックは自分たちの作品が幻想小説に近い、ということを意識していたようですね。
 このサスペンスについて書かれた章の最後の部分、サスペンスと幻想小説の近縁性について非常に示唆的なことが書かれており、非常に参考になります。最後の一段落は興味深い発言なので、こちらも引用しておきますね。

しかしこれとはまったく反対に、もし《現実の世界への復帰》を欠いたサスペンス小説がきわめて巧みに書かれ、非常に魅惑的な雰囲気を醸し出すならば、それは幻想小説になり、最終的な絵解きは興ざめなむしろ余分なものになるだろう。サスペンス小説は、スリラー小説と空想科学小説の中間に、つまり『黒衣の花嫁』(ウィリアム・アイリッシュ)と『私は伝説である』(リチャード・マシスン)の間に留まらなければならない。二方向への変化がたえずサスペンス小説をねらっている。恐怖によって下方へ、超自然によって上方へ、という二つの変化である。

 幻想小説になる直前でかろうじてサスペンスにとどまる作品、というのが、ボアロー、ナルスジャックが狙っていた方向のようで、ここまで自作を意識的にコントロールしていたとするなら、すごい作家ですね。彼らがマシスンの『アイ・アム・レジェンド』を読んでいた、というのも興味深いところです。

 あと、E・S・ガードナーを論じている部分で次のように述べているのも面白いです。

…彼には残酷趣味の片鱗すら見られないが、サスペンスが緩慢な死を歌う詩となるためにはそれが不可欠なのである。

 ボアロー、ナルスジャックは、サスペンスには残酷さが不可欠と考えていたというのは面白いですね。彼らの実作には確かに残酷趣味が強いです。また、残酷劇で知られた<グラン・ギニョル座>にも脚本を提供していたりしますね。
 時代的には、<グラン・ギニョル>の最盛期よりも後になりますが、その血脈を受け継いだ作家の一人といっていいのかもしれません。


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万物への変身  ジュール・シュペルヴィエル『日曜日の青年』

日曜日の青年 (1980年) (Serie fantastique) 単行本(ソフトカバー) – 古書, 1980/10/1


 ジュール・シュペルヴィエル『日曜日の青年』(嶋岡晨訳 思潮社)は、魂を他の生き物に潜り込ませることのできる若い詩人が、様々な生き物になって恋する人妻の周囲をさまよいながら、不思議な体験をするという幻想小説です。

 パリの青年詩人フィリップ・シャルル・アペステーグは、南米出身の人妻オブリガチオンに恋をしていました。しかしオブリガチオンは夫のフィルマンを熱愛しており、アペステーグに対しては母親のような愛情を抱いていました。彼女はむしろ、彼のお相手として妹のドロレスがふさわしいと考えていました。
 オブリガチオンと二人きりになった際にアペステーグは衝動的に彼女にキスをしてしまいます。怒ったオブリガチオンに部屋を追い出されたアペステーグでしたが、そこを去りたくないと強く念じた結果、自分の体とは別に、部屋の中にいた蠅の体の中に自分の魂がいるのに気づきます。蠅として、オブリガチオンの周囲を飛び回るアペステーグでしたが…。

 人妻に恋しているうちに、他の生き物に魂を潜り込ませることができるようになった青年詩人を描く幻想的な作品です。
 人妻オブリガチオンは夫を熱愛しており、アペステーグの恋が実る可能性はあまりないのですが、詩人は最初は蠅、次は猫と、他の生き物に潜り込んだ状態で、人妻の後を追いかけ続けます。
 最初は他の生き物だったのが、ついにはオブリガチオンその人と一体化したり、その後はまた別の人間の中に潜りこんだりすることにもなります。他の生物の中に潜り込んでも、その生物の行動には特に影響はないようで、そもそも宿主はアペステーグの存在にすら気が付かないのです。
 物語上、重要な役目を果たすのが、第二部から登場する、ギュチエレッツ博士。小人でありながら、その知識と技術で周囲から尊敬される医師です。オブリガチオンの良き友人になりますが、その後、彼女に恋をして精神錯乱を起こしてしまいます。

 作品は大きく三部に描かれています。第一部では主人公アペステーグが蠅と猫の中に入り込み、オブリガチオンとその周囲を観察することになります。第二部ではオブリガチオン自身に入り込んだアペステーグが、ギュチエレッツ博士の体に入り込むという展開、
第三部では「変身」は起こらず、「詩そのもの」への変身が行われる、という象徴的な結末を迎えます。
 基本、アペステーグのオブリガチオンへの恋がメインの物語なのですが、途中から登場するギュチエレッツ博士の存在感が強烈で、後半では二人の仲を取り持つなど、重要な役目を果たすことにもなります

 詩人でもあるシュペルヴィエルらしく、主人公アペステーグが蠅や猫に入り込んだときはその意識、他の人物、オブリガチオンやギュチエレッツ博士の体に入り込んだときは、その人の体の中から観察する他人の意識など、風変わりな主観描写が非常に面白く描かれています。
 主人公の魂が他の生き物に入り込んだ後、本体の体はどうなっているのか?というのも気になるのですが、本体に関してそちらの意識も普通に続いている、という設定も面白いところですね。
 ただ、魂なしでは、体の本体は生きていけず、だんだんと死に近づいていってしまうのです。魂と体の再会が描かれる部分も、どこか象徴的なものを帯びていて興味深いところです。

 恋愛小説的な部分でも、アペステーグが、恋敵であるはずのオブリガチオンの夫フィルマンに親愛の念を抱いたり、ギュチエレッツ博士に同情したりと、風変わりな味わいですね。<奇妙な味>の恋愛ファンタジーとしてとても面白い作品だと思います。


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残酷な真実  モーリス・ルヴェル『夜鳥』

夜鳥 (創元推理文庫) 文庫 – 2003/2/12


 モーリス・ルヴェル『夜鳥』(田中早苗訳 創元推理文庫)は、残酷物語を得意としたフランスの作家ルヴェル(1875-1926)の傑作集です。ルヴェル作品にほれ込んだ同時代の翻訳家、田中早苗(1884-1945)の翻訳を集めています。

 刺激に飢えた男が危険な曲芸の見世物に通い続ける「或る精神異常者」、不倫の恋人に麻酔をかけることになった医者を描く「麻酔剤」、目の見えない乞食に施しをして自分が資産家になった幻想を抱く乞食を描く「幻想」、不貞を働いた妻へ復讐する夫を描く「犬舎」、孤独の念に捕らわれた初老の男を描く「孤独」、書斎に置かれた頭蓋骨になぜか惹き付けられるという「誰?」、障害を持ち、老いた三人の姉弟を描く「闇と寂寞」、妻の不貞を疑う男が残酷な行為を働くという「生さぬ児」、死刑になった恋人を悼む娼婦がある男に出会うという「碧眼」、妻と主人の不貞を疑う作男が復讐を遂げるという「麦畑」、荷馬車の下敷きになった男を助けようとするものの乞食ゆえにその家族から相手にしてもらえないという「乞食」、殺した相手の前に立たされた殺人犯の恐怖を描く「青蠅」、娼婦のささやかな幸せが崩されてしまうという「フェリシテ」、ふられた元恋人に復讐をする作家を描く「ふみたば」、恋人に硫酸をかけられて失明した男が女を許し二人きりで会おうとする「暗中の接吻」、列車内で世間を騒がせる殺人事件について話していたことから事故が起きるという「ペルゴレーズ街の殺人事件」、純潔に執着する老婆が猫にさえそれを強要しようとする「老嬢と猫」、一人では育てられない赤ん坊を保育院に任せようとする若い母親を描いた「小さきもの」、死刑になろうとする息子を救うために嘘をつく母親の物語「情状酌量」、真面目なふりをして大金を盗んだ集金係の男の誤算を描く「集金掛」、遺書で母の父に対する裏切りを知った息子の逡巡を描く「父」、凄惨な列車事故に居合わせた男の告白を描く「十時五十分の急行」、自分でも分からぬうちに殺人を犯した男の奇妙な物語「ピストルの蠱惑」、思わぬ事故から一人の赤ん坊を共同で育てることになった二人の女を描く「二人の母親」、放蕩のあまり逃げ出した元画家が、かっての名前に執着するという「蕩児ミロン」、元検事が自ら死刑台に送った男が無実だったのではないかと思い悩む「自責」、医者の誤診によって家族を殺してしまった男を描く「誤診」、物凄い形相で死んでいる死体の謎が描かれる「見開いた眼」、殺人を犯した青年が自らの犯行が無駄だったと悟る「無駄骨」、空家に忍び込んだ窃盗犯の恐怖体験を描く「空家」、船での反乱のためと呼び集められた悪党たちの航海を描く「ラ・ベル・フィユ号の奇妙な航海」を収録しています。

 ルヴェル作品、人間が人間に行う残酷な行為が描かれる作品が多いのですが、それらの人物もごく普通の人間であり、嫉妬や激情など、ふとした感情から残酷な行為を働いてしまうのです。
 その原因として、最もよく取り上げられるのが、不貞とそれによる嫉妬の念。不貞を働いた妻への復讐のため、気を失った間男が死んでいると偽り犬舎に投げ込むという「犬舎」、妻の不貞を疑う男が自らの息子に残酷な行為を働くという「生さぬ児」、妻と主人の不貞を疑う作男が二人に対して復讐を遂げるという「麦畑」など、多くの作品で不貞とそれに対する復讐が描かれます。
 同じく、妻の不貞がその死後に遺書によって知らされるものの、愛する父親のためにその手紙を破ってしまう息子が描かれる「父」は、血のつながらない父子の愛情を描いていて、感動を呼ぶ作品になっていますね。

 弱い立場の人間が登場するのも特徴で、乞食、障害者、娼婦、未亡人など、社会的に立場の弱い人間が多く描かれます。その立場の弱さゆえに残酷な運命に遭遇することになるのですが、またその過酷な運命が読者の心を打つこともありますね。
 自らも死ぬ直前の乞食が、目の見えない乞食に施しをして幸福感を得るという「幻想」、一人では育てられない赤ん坊を保育院に任せるものの、捨て子をさらに拾ってしまう若い母親を描いた「小さきもの」などはそうしたタイプの作品でしょうか。もっとも、弱い立場の人間たちが悲惨な目に会うだけ、という救いようのない「闇と寂寞」のような作品もあるのではありますが。

 純粋に恐怖小説として面白い作品もあり、いちばんインパクトがあるのはやはり「或る精神異常者」でしょう。
 刺激に飢えた男が、ある日訪れた自転車曲芸の見世物。その危険な刺激に一時は興味を惹かれるものの、すぐに慣れてしまいます。しかしいつか事故が起こるのではという期待から、見世物に通い続けます。ある日対面した曲芸師は、曲芸の成功の秘訣を聞かされることになります…。
 あらゆる刺激に飽きた男が猟奇的な興味から曲芸を見に通い続けるという不穏なお話で、実際、猟奇的な結末が訪れることになります。いわゆるサイコパス的な主人公なのですが、直接手を下さず、間接的な手段で殺人を行う、というところが興味深いところですね。
 自らも分からぬ理由で殺人を犯した男を描く「ピストルの蠱惑」、物凄い形相で死んでいる死体についての謎が描かれる「見開いた眼」、空家に忍び込んだ窃盗犯が恐怖体験をするという「空家」などは、ホラーとして面白い作品になっています。

 本書には付録として、田中早苗のほか、小酒井不木、甲賀三郎、江戸川乱歩、夢野久作といった、同時代の探偵作家たちのルヴェルについての文章も収録されています。当時のルヴェル人気がうかがえますが、なかでも乱歩のエッセイ「少年ルヴェル」が出色。
 ルヴェルには少年のような心性があるとして、彼の作品の魅力を考える際に示唆的な文章となっています。


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人生の不思議  モーリス・ルヴェル『ルヴェル新発見作品集 緑の酒』
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 モーリス・ルヴェル『ルヴェル新発見作品集 緑の酒』(中川潤編訳 エニグマティカ)は、フランスの残酷コント作家、モーリス・ルヴェル(1875-1926)の未邦訳作品を6編収録した作品集です。

 物乞いに金を恵んだ男が、その物乞いを尾行して真実を知ろうとする「緑の酒」、女性に相手にされない醜い男が娼婦によって幸福なまま死んでいくという「金髪の人」、犯罪を犯して収監され死の床にある息子とその監房を訪れた父親の物語「家名を穢すな」、人になつかない栗鼠とその飼い主の皮肉な物語「栗鼠を飼う」、妻の裏切りを知った夫の残酷な復讐を描く「小径の先」、亡き妻のイメージを心の中に取り戻そうと妻の墓を暴く男を描いた「忘却の淵」を収録しています。

 父親に復讐するために敢えて自暴自棄に犯罪を犯す息子を描いた「家名を穢すな」や、妻を苦しめるために情夫に残酷な復讐をする夫を描いた「小径の先」など、いかにもルヴェル風といった作品もありますが、今回の作品集では「栗鼠を飼う」「忘却の淵」がちょっと異色でしょうか。

 「栗鼠を飼う」は、野生味が強く人にあまり馴れない栗鼠のアドルフと彼を飼うことになった男の物語。なかなか馴れない栗鼠のために、男は屋敷の庭に面した部屋をまるまるアドルフのために開放します。窓が開いているのに気づいたアドルフはやがて庭に飛び出しますが…。
 これは作者には珍しい、動物とのふれあいを描いた物語?と思いきや、そこはルヴェル。人間に触れてしまった動物が野生に戻りきれない哀しみを描いた残酷物語になっています。

 巻末の「忘却の淵」は、ルヴェルとしてはかなり長めの作品になっています。
 「わたし」は、五年ぶりに友人のガストン・ヴァルイユに出会います。彼は妻を亡くして以来塞ぎこみ別人のようになっていました。ガストンは自分の心情を打ち明けます。
 愛妻は不治の病で亡くなったが、亡くなる直前の亡霊のような容貌が心に焼きついてしまい、妻の姿を思い浮かべることができなくなったことに苦しんでいるというのです。髪の毛が死後もしばらく残ることを知ったガストンは、妻の墓からその髪の毛を手に入れようと考えますが…。
 晩年の病にやつれた妻のイメージを払拭しようと、妻の墓からその髪を手に入れようとする男の物語です。強迫観念に囚われてはいるものの、ある種の純愛を描いた物語と思いきや、そこには皮肉な結末が待ち構えています。精神的な残酷さを描いた物語ともいえるでしょうか。


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小鳥の世界  マルセル・エーメ『他人の首・月の小鳥たち』

他人の首・月の小鳥たち (1958年) - – 古書, 1958/1/1


 マルセル・エーメの『他人の首・月の小鳥たち』(宗左近訳 東京創元社)は、「他人の首」「月の小鳥たち」の二篇を収録した戯曲集です。

「月の小鳥たち」
 大学入学資格試験予備校が舞台、校長のシャベールは、娘のエリザから、彼女の夫であり学校の教師として働くヴァランタンについて相談をしたいと打ち明けられます。
 現れたヴァランタンは、ジュール・ヴェルヌとセギュール伯爵夫人の本を読んだ結果、他人を小鳥に変えてしまう能力を得たというのです。話を信じないシャベールでしたが、直後に彼の妻が小鳥になってしまったことを知り、ヴァランタンの力を信じざるを得なくなります。小鳥になった方が幸せだという持論を持つヴァランタンは、学校の生徒やその親たちを次々と小鳥にしていきますが…。

 唐突に人を小鳥に変えてしまう能力を手に入れた男が巻き起こすトラブルをコミカルに描いた不条理劇です。
 小鳥に変えるはいいものの、元に戻す力はなく、そのために鳥になった直後に猫に襲われて死んでしまう者も現れます。
 行方不明になった人を調べに訪れた警察関係者も、片っ端から小鳥にしてしまうのです。
 序盤で小鳥にされてしまうシャベール夫人が、亡くなった富豪の親戚の遺産相続者になっていたことがわかり、その相続をめぐって娘たちが争ったり、ヴァランタンが学校の秘書シルヴィに恋してしまったりと、様々な要素が絡み合って、非常に複雑なお話になっています。
 脱走した元シャベール夫人の小鳥が、これまた小鳥に変えられた教師と並んでいるところを、片方が猫に食べられてしまい、生き残ったのは一体どちらなのか? という謎も面白いですね。
 奇想天外な設定と展開ながら、登場人物の心理はリアルです。特に事件の張本人ヴァランタンとその妻エリザ、ヴァランタンが恋する少女シルヴィとその恋人マルチノンの関係も複雑で、恋愛物語としても面白く読めます。
 一連の事件の解決方法が突然訪れる、いわゆる「デウス・エクス・マキナ」的な結末なのですが、それもファンタジーに満ちたこの作品には合っているのかもしれません。

「他人の首」
 マイヤール検事は、証拠のあまりない難しい殺人事件の容疑者に死刑に追い込んだことで高揚していました。妻と友人が出かけた直後に、友人のベルトリエ検事の妻で愛人であるロベルトと逢引をしていたマイヤールは、突然闖入者の訪問を受けます。
 それはマイヤールが死刑宣告したばかりの男ヴァロランでした。輸送車が事故に会い運よく逃げ出したというのです。彼は自分が無実だと訴えます。何故なら殺人があった晩にはある女性と一緒であり、その女性とは今この場にいるロベルトだと言うのです。
 ロベルト自身もそれを認めた結果、マイヤールは困った立場に立たされます。無実である以上、ヴァロランの冤罪を証明しなければならないが、それをするためにはマイヤールやベルトリエのスキャンダルにもつながりかねないのです…。

 殺人容疑で死刑囚となった男の冤罪をめぐって展開される、恐ろしく複雑怪奇な心理サスペンス劇です。
 マイヤールは友人ベルトリエの妻ロベルトと浮気をしているのですが、このロベルトが稀代の悪女で、無実なのを知りながら、ヴァロランが死刑宣告されるのを見ていたというとんでもない人物。
 かといってヴァロランが善人なのかといえばそうではなく、こちらはこちらで悪質な女たらしなのです。滞在することになったマイヤール家で、マイヤールの妻ジュリエットを誘惑して愛人にしてしまうという始末。
 ヴァロランに再度興味を持ち出したロベルトとジュリエットが対立し、またジュリエットはマイヤールに対してヴァロランをかばう、その間にもマイヤールとベルトリエは事件をいかに穏当に済ませようかと考えている、という具合。
 登場人物たちの愛憎が次々に入れ替わっては、敵味方もどんどん入れ替わるというサスペンスは強烈です。
 実際の殺人事件の真犯人は誰なのか? という部分も意外にちゃんとしていて、結末までに解決されることになります。
 主要な登場人物たちがそろってモラルのない利己的な人物たちなので、その点あまり愉快な話ではないのですが、お話の面白さは格別で、次にどうなってしまうのか、ハラハラドキドキ感がありますね。
 上質なユーモア・サスペンス劇で、上演当時人気があったというのも頷けます。


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楽園の行方  アンリ・ボスコ『ズボンをはいたロバ』
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 フランスの作家アンリ・ボスコ(1888-1976)の長篇小説『ズボンをはいたロバ』(多田智満子訳 晶文社)は、「楽園」をテーマにした、秘教的な幻想小説です。

 ペイルーレ村に住む少年コンスタンタンは、ズボンをはいたロバが気になっていました。賢いそのロバは、山の上の土地ベル・テュイルに住み着いた変わり者の老人シプリアンの家と村との間を往復していました。シプリアンは山に住み着いてから、不毛だと思われていた土地に花や植物を生やすばかりか、動物たちを不思議な力で手懐けていました。ロバもまた、シプリアンによって不思議な行動をするようになっていたのです。
 祖父母や女中からベル・テュイルを訪れることを禁止されていたコンスタンタンですが、ロバに導かれて、シプリアンのもとを訪れることになります。それを知るのは、唯一、コンスタンタンの家の召使いである孤児の少女イヤサントだけでした…。

 山上に、花が咲き乱れ多くの動物たちが憩う「楽園」のような土地を築いた老人。それに魅了された少年と、少年を心配する少女を描いた、どこか秘教的な香りのする幻想作品です。
 序盤は、少年コンスタンタンがシプリアンの土地やシプリアン当人に関心を抱くものの、なかなかその秘密にはたどり着けず、その一方で少年と一緒に暮らす祖父母や女中たちとの生活が描かれてゆきます。素朴な家族小説といった趣なのですが、ある事件を境に、物語のトーンは悲劇的な方向に進んでいくことになります。
 とはいえ、コンスタンタンは物語全体を通じて、事件の真相について情報をほぼ知らされません。シプリアンの他、シプリアンの古い友人のシシャンブル神父、コンスタンタンの家で働くアンセルム老人、そしてイヤサントなどから、情報の断片を聞くのみで、彼が真相を知るのはずっと後のことになります。

 中盤以降、祖母の意向により、コンスタンタンは別の土地にやられてしまいます。彼が戻ってきたときには、作中での事件は既に終わってしまっていた…という面白い構造の物語になっています。
 物語全体が、少年コンスタンタンの視点から描かれる本篇と、シプリアンの手記(とそれに註をつけるシシャンブル神父の文章)、そしてそれらを読んだ未来のコンスタンタンの覚書、とから成り立っています。
 コンスタンタンが訳の分からないままに翻弄される本篇の謎解きが、それに付随するサブテキストによって明かされる、という仕組みになっています。

 大まかに言うと、この作品のテーマは「楽園の喪失」といっていいでしょうか。「楽園」を創造したシプリアンだけでなく、主人公コンスタンタンにとっても、自分の知らぬ間に「楽園」が失われていたということ。それが物語の構造によっても再現されています。
 それと同時に、彼が持っていた幼児期の「純粋さ」も失われ大人になるという、通過儀礼的なモチーフもそこには含まれているようです。
 多分に宗教的なモチーフが頻出する作品ではあって、シプリアンが作る「楽園」には動物が多く住んでいるのですが、そこには敵となる動物も存在しています。具体的にはそれが「狐」と「蛇」で、殺しを繰り返す「狐」を忌まわしく思ったシプリアンは「蛇」の存在を利用しようと考えますが、それがまた「楽園」を壊す一因ともなってしまうのです。
 結局シプリアンは何をしたかったのか? 「楽園」はなぜ崩壊したのか? イヤサントはどうなったのか? など、いろいろな点について、はっきりとした解決は示されません。少年小説的な装いとは裏腹に、その物語の解釈は意外に難解です。
 ただ、物語を読み終えた後の余韻は深く、どこか心に残る作品になっています。

 全くジャンルもテーマも違うとは思うのですが、この作品を読み終えて思い出したのは、ナサニエル・ホーソーンの短篇「デーヴィッド・スワン」(坂下昇訳『ホーソーン短篇小説集』岩波文庫 収録)でした。お話の構造がよく似ているのです。
 主人公コンスタンタンが知らぬ間に「夢」(この作品の場合「楽園」ですね)が、彼の生涯を通り過ぎてしまう…という、夢幻的ではありながら、どこか空しさを感じさせる作品ともいえそうです。主人公が「選ばれた人間」でありながら、本人はそれに気付かず、後になってそれを知るという構造は、こうした通過儀礼的なテーマを持った作品としては、とても異色に感じられます。


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魔の時間  P・ボワロー、T・ナルスジャック『魔性の眼』

 P・ボワロー、T・ナルスジャック『魔性の眼』(秋山晴夫訳 ハヤカワ・ミステリ)は、異常心理を扱ったサスペンスを二篇収録した中篇集です。

「魔性の眼」
 幼い頃、母親が急死した心理的なショックで歩けなくなっていた少年レミは、18歳になりようやく歩けるようになります。今までの時間を取り戻そうと、周りの人間に母親や過去のことについて詳しいことをたずねるものの、誰もまともに答えてくれません。
 かって幼い頃暮らした家に、ロベール叔父や看護婦のレイモンドとともに訪れたレミは、レミの父親に不満を抱く叔父と口喧嘩になってしまいます。翌日、叔父は二階の手すりから転落死した状態で発見されますが…。

 長いこと臥せっていた少年が、過去の秘密を探るのと同時に、背伸びして大人になろうとするものの果たせず、家庭を崩壊させてしまう…という心理サスペンス作品です。
 主人公レミが歩けなくなってしまったのは母親の死が原因とされていたものの、実は麻痺はそれ以前から始まっていたのではないか…?という疑惑を皮切りに、少年の眼から隠されていた真実が段々と明かされていく…という構成になっています。
 タイトルの「魔性の眼」は、少年レミの眼を恐れてでもいるかのように周囲が彼を避ける…というところからの比喩的な表現なのですが、実際、彼には知らせたくない悲劇的な真実が秘められていたということになるわけですね。
 仕事や経済どころか、日常的な知識や行動もままならない少年が、麻痺が治った途端に、大人のふりをして行動しようとする自意識が痛々しいほど描かれており、歪んだ青春小説としても読めるでしょうか。

「眠れる森にて」
 フランス革命のためイギリスに亡命していたミュジヤックの領主の息子ピエールは、1818年、かっての城を取り戻そうとフランスへ舞い戻ります。城を買い取った人間は次々と死んだり発狂したりしており、呪われているという噂が立つなか、現在は、エルボー男爵という男の所有になっていました。男爵は妻と娘と暮らしているといいますが、ほとんど姿を見せないというのです。
 公証人を通して申し出をしたところ、簡単に城を引き渡すのに同意したことにピエールは驚きますが、男爵の娘クレールを一目見たことから、恋に陥ってしまいます。
 夜に城をこっそりと訪れたピエールは、窓から男爵夫妻とクレールが食卓で微動だにしない状態で座っているのを見つけます。不審に思ったピエールが近づいて触ると、彼らは皆死んでいました…。

 復古王政時代のフランスの古城を舞台に、奇怪な恋物語が繰り広げられるという、ゴシック・ロマンス風サスペンス作品です。
 先祖代々の城を取り返そうと意気込むものの、相手の男爵には何か後ろ暗いところがあるらしく、簡単に同意します。一方、男爵の娘クレールに一目惚れし、求婚するピエールですが、相手はなかなか首を縦にふりません。
 夜の城で、男爵の家族が死んでいるのを見た直後に、彼らの生きている姿を見たピエールは驚愕することになります。彼らは死んでいるのか、生きているのか? クレールは死人なのだろうか?
 どう見ても超自然的としか思えない現象が続き、合理的理由は明かされずにピエールの物語は幕を閉じますが、ピエールの物語自体が手記として残されており、それをピエールの子孫の青年とガールフレンドが読むという設定のエピソードが、最後に付け加えられています。
 そこで神秘的な謎が合理的に解き明かされるのですが、かなり無理のある設定であることもあり、逆に本編の神秘性を高めることになっている感もありますね。
 ピエールが語る本編の物語は、怪奇幻想小説としても本当に魅力的なお話になっています。


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奇想の冒険  ピエール・グリパリ『ピポ王子』『木曜日はあそびの日』
 フランスの作家、ピエール・グリパリ(1925-1990)。邦訳紹介されているのは二作のみだと思いますが、どちらも奇想とファンタジーに溢れた面白い作品になっています。それぞれ紹介していきましょう。



『ピポ王子』(榊原晃三訳 ハヤカワ文庫FT)

 子供を欲しがっていた王と王妃は「水のほとりの大魔女」に頼み、赤ん坊を手に入れます。ピポと名付けられた王子はすくすくと成長します。15歳の折に生まれた赤い子馬に同じピポと名付けた王子は、愛馬と共に出かけますが、突然馬が勝手に走り始めます。
 火山に登り始め、とうとう火口に飛び込んでしまいますが、彼らが気がつくと城の近くの麦畑に倒れていました。そのまま家に戻ると、そこには城はなく変わりに農家がありました。しかも王と王妃はおらず、代わりにそこにいた小人と魔女は、自分たちがピポの両親だと話すのですが…。

 両親も自分の王国も無くしてしまった王子が、両親に再会するために冒険を繰り広げるというファンタジー作品です。上記にあげたあらすじがメイン・ストーリーと言えるのですが、実はこの話が始まるまでが長く、本が始まってから作者がこの話を語り始めるまで脱線が続くという、奇天烈な構成になっています。

 最初に出てくるのは、嘘つきの男の子が大変な目に会うという「嘘つきのお話」という独立したエピソード、そしてその後に続くのが「あるお話のお話」『ピポ王子』本編がどのように生まれたのか?というメタフィクショナルかつファンタスティックなストーリーです。
 作家のピエールさんが夢の中で作り上げたお話が『ピポ王子』本編だというのですが、目覚めたピエールさんがそれを忘れてしまい、語られなくなった「夢」が語り手を求めてさまよう…というエピソードになっています。
 実は、このピエールさんも、グリパリの別作品『木曜日はあそびの日』の語り手でもあって、それを考えると、更に手の込んだ物語といえますね。

 序盤のような独立したエピソードに関しては、本編中ほどにも二つほど出てきて、こちらも面白いお話です。一つは「「悲しみ」のお話」。「悲しみ」に取り憑かれた貧乏な弟が、「悲しみ」を追い払い幸せになる、というお話です。
 もう一つは、「「不死身のコシュ」のお話」。不死身の魔法使いコシュに婚約者の姫君をさらわれたジャン王子が、忠実な召使いや動物たちの助けを借りて、魔法使いを倒すという物語です。こちらも本編同様、奇想天外な展開で楽しいお話になっています。

 さて、本編はピポ王子が両親を捜して冒険するというお話なのですが、小人と魔女に監禁されてしまうのを皮切りに、さまざまな困難に出会うことになります。怪しい宿屋で動けなくなってしまい、「お話」をしないと殺すとおどされたり(先に紹介した二つのエピソードはここで語られます)、軍隊に入れられてしまったり、果てはドラゴン狩りに借り出されたりと、落ち着く暇がありません。
 冒険の途中で知った運命の人「ポピ王女」に出会うのも目的のひとつとして、ピポは冒険を繰り広げることになります。

 おとぎ話的なトーンで語られる物語ではあるのですが、作中では結構血が出たり、人死が出たりと、血なまぐさいシーンもあるのが特徴です。特にドラゴン狩りに関わるエピソードでは、大量の死人が出たりしますね。
 序盤からあちこちに飛んでしまう作者の語り口から、本編の王子の冒険も、一見、行き当たりばったりな印象を受けるのですが、後半に至って、それまでのお話がかちっとはまってくる感があり、そのあたりも爽快です。ちょっぴり寓意的な結末を含め、非常に面白いファンタジー作品といえますね。

 この作品、表紙画と挿絵を描いているのが『星の時計のLiddell』で知られる伝説的な漫画家、内田善美です。こちらもこの本の魅力の一つといっていいでしょうか。




『木曜日はあそびの日』(金川光夫訳 岩波少年文庫)

 パリにあるという不思議な通り「ブロカ通り」にやってきたピエールさんが、近所に住む子供たちとともに創作したお話、という設定の童話集です。「まえがき」でそのあたりの事情がまことしやかに語られ、お話自体は創作であるものの、元になった事情や人物は実在する…という体裁になっているのは楽しいですね。

 特に「まえがき」にも登場する居酒屋の主人サイドさんとその子供たちは、お話の直接の主人公になるエピソード以外にも、いろいろなエピソードで言及されます。
 このサイドさん始め、ブロカ通りには多国籍でいろいろな国の出身者が住んでいるという設定で、エピソードに登場する人間以外のものたちを含め、どこか無国籍風のファンタジーになっている感もありますね。

 若さを取り戻すために少女を食べようと画策する魔女を描く「ムフタール通りの魔女」、魔法の靴下を持つ巨人が一目ぼれした少女を結婚するために冒険する「赤靴下の巨人」、左右で夫婦である靴たちの物語「一足の靴」、未来を予知できる魔法の人形の冒険を描く「万能人形スクービドゥー」、顔を掘られ言葉を話せるようになったじゃがいもを描く「じゃがいもの恋の物語」、泉に封印されていた妖精が蛇口から魔法をかけるという「蛇口の妖精」、善人に憧れる悪魔の子供が神様に会いにいくという「やさしい、子供の悪魔」、魔女が出ると言う噂にあるいわく付の家を買った男の物語「ほうき置場の魔女」、死後も隠していた金貨を数え続ける幽霊を描く「ピエール伯父さんの家」、幼馴染の人魚と結婚しようとする王子を描く「ブリュブ王子と人魚」、空から星を盗み出した子豚を描く「ずるがしこい子豚」、魔法使いの妻と結婚した「とんま」が王様の難題に悩まされるという「誰やら、何やら、もしくは賢い妻」を収録しています。

 物や動物が話したり、おとぎ話のフォーマットが使われていたりと、一見「普通の童話」なのですが、物語の展開の仕方がユニークでシュールなのが特徴です。
 例えば「じゃがいもの恋の物語」。話せるようになったじゃがいもが「油で揚げられる」ことを目指して、ギターとコンビを組んで興行に出る…という何ともシュールな作品です。
 また、「誰やら、何やら、もしくは賢い妻」は、魔法使いの妻と結婚した「とんま」が、妻に横恋慕した王様から出される難題に悩まされるというお話なのですが、この難題がどれもシュール。最終的に出されるのは「どこやらへ行って、誰やらを探して、何やらをもらって来い」という、ナンセンス極まりない課題なのです。

 一番面白いのは「ブリュブ王子と人魚」でしょうか。幼い頃からの友人である人魚の少女に恋をしたブリュブ王子は彼女と結婚したいと願います。しかし、そのためには王子自身も人魚となり「不死」になる必要があるのです。結婚に反対する父王は、人魚を捕らえて、王子を別の国に幽閉してしまいますが…。
 引き離されても「水」がある限り、王子のもとに人魚は現れることができる、という設定が面白いですね。王の命令によって捕らえられた人魚の体の一部が切り離されるという残酷なシーンもあるのですが、「不死」であるため人魚は死なず、むしろ不気味な変化を起こすと言う部分は、ちょっと怖いです。

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現実と幻想  マルセル・エーメ『エーメ ショートセレクション 壁抜け男』
エーメショートセレクション 壁抜け男 (世界ショートセレクション)
 マルセル・エーメ『エーメ ショートセレクション 壁抜け男』(平岡敦訳 理論社)は、奇想で知られるフランスの作家マルセル・エーメの短篇集です。ファンタスティックなファンタジーから、子供を描いた印象深い作品まで、バラエティ豊かな作品集になっています。

「諺」
 少年リュシアンは、強圧的な父親ジャコタン氏から作文の宿題を済ませていないことについて叱られます。やがて父親は自分も作文を手伝うと言い出しますが…。
 父親をやり込める機会を手に入れた少年の判断とは…? 頭の固い父親に悩まされる少年とその家族を描いた作品です。

「工場」
 六歳の少女ヴァレリーは120年前にタイムスリップしてしまいます。しかし彼女の姿は現地の人には見えないのです。ヴァレリーはは、貧しいゲニュー一家の息子イポリットが幼くして工場で働かされるのを見ることになりますが…。
 一見、現代の少女が昔のひどい環境を見てわが身を振り返る…という教訓的な話かと思わせるのですが、描かれる過去のゲニュー一家とその子供たちの置かれた環境が予想以上に悲惨で、読んでいる内に当時の社会問題について考えさせられてしまうという、意想外にシリアスな作品です。

「七里のブーツ」
 アントワーヌを始めとした少年たちは、風変わりな老人の店に置かれた七里のブーツに憧れを抱きますが、思わぬことから皆で怪我をして入院することになります。それぞれの親にブーツをねだる少年たちでしたが…。
 「七里のブーツ」というファンタスティックなアイテムが登場するものの、その実、貧しい母子家庭の生活がリアリスティックに描写されるという作品です。手に入れた「七里のブーツ」が本物なのかどうかも、どちらとも取れるようになっています。ブーツを扱う店や主人の老人のキャラは味がありますね。

「執行官」
 その酷薄なまでの仕事ぶりで名を馳せた差し押さえ執行官マリコルヌ。死んで神の前の裁きに引き立てられた彼は、もう一度生き返るチャンスを与えられます。天国入りを願う彼は必死で善行を積もうとしますが…。
 悪人が悪人のままで善行を積もうとしたらどうなるのか…という寓意的なファンタジー作品です。「善人のふり」をしつづけた悪人はいつの間にか善人になっていた、という味わいのある物語です。

「政令」
 戦争が激化するなか、列強諸国は政令により17年間の時間を進めることを決議します。その結果、一瞬で17年の時間が経過し戦争は終結します。作家の「わたし」は気がつくと、何冊もの本を書き、いつの間にか何人もの子どもを持つ父親になっていました…。
 「政令」により現実の時間も進められてしまうという、ファンタスティックな幻想小説です。後半では時間が進んでいない未だ戦争中の村を訪れた「わたし」が混乱する姿が描かれるなど、時間についての寓話とも取れる作品ですね。
 この作品でも言及されるエーメの短篇「カード」(生きる日数を決められてしまうというテーマの作品です)であるとか、一年を二十四ヵ月にするという法案で人々の年齢がすべて半分になってしまうという「ぶりかえし」など、エーメは意外と時間テーマについて関心が深かったようですね。

「壁抜け男」
 パリのモンマルトルに住む男デュティユールは、ある日自分が壁を抜けることができる能力があることに気がつきます。世間を騒がせてみたくなった彼は「お化け男」と称して、犯罪を繰り返しますが…。
 ファンタジーとユーモアがたっぷりの、エーメの代表作ともいうべき作品です。富を求めるというよりも、自分の存在価値を高めるために犯罪を繰り返すというところが妙に小市民的であり、エーメの主人公らしいところなのでしょうか。結末はちょっと残酷ですね。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『奇妙な味の物語ブックガイド』「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」を刊行しました。



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