残虐への郷愁  真野倫平編訳『グラン=ギニョル傑作選』

4891768088グラン=ギニョル傑作選―ベル・エポックの恐怖演劇
真野 倫平
水声社 2010-11

by G-Tools

 グラン=ギニョル(ギニョール)とは、19世紀末から20世紀にかけて、フランスで流行した残酷劇の通称です。もとは特定の劇場の名前でしたが、その劇場で演じられるような、血みどろで、残酷な劇ジャンルを表すようになったものだそうです。
 邦訳されている、フランソワ・リヴィエール、ガブリエル・ヴィトコップ 『グラン=ギニョル―恐怖の劇場』(未来社)という研究書以外は、「怪奇幻想映画」もしくは「幻想文学史」に関する本などで、散発的に言及されることはあったものの、グラン=ギニョル作品は、実作としては紹介されていませんでした。
 そんなグラン=ギニョル作品としては、本邦初となる邦訳作品集が、真野倫平編訳『グラン=ギニョル傑作選――ベル・エポックの恐怖演劇』(水声社)です。
 もともと舞台劇なので、作品は全て戯曲の形になっています。ただ、戯曲といっても、もともと扇情的なスリラーやショッカーを目指しているジャンルですので、読みやすさは抜群です。
 収録作品からいくつかご紹介します。
 モーリス・ルヴェル『闇の中の接吻』は、恋人に硫酸をかけられ二目と見られぬ顔になった男の復讐劇。アンドレ・ド・ロルド、アンリ・ボーシェ『幻覚の実験室』は、事故にあった妻の情夫を治療することになった医師の悪魔的な所業を描く作品です。
 『悪魔に会った男』(ガストン・ルルー)は、悪魔との契約により、あらゆる賭けに勝つようになってしまった男の家に、たまたま泊まることになった数人の男女を描く作品。「悪魔に会った男」がメインテーマではなく、たまたま家に泊まった男女の不倫をめぐる心理劇がテーマになっているという異色作です。小説版も邦訳されているので、読み比べてみるのも一興ですね。
 『怪物を作る男』(マクス・モレー/シャルル・エラン/ポル・デストク)は、動物を改造して作った「怪物」をサーカスの見世物にしている男が登場します。団長の妻に思いを寄せている男は、引き抜きをあきらめる代わりに、妻をよこせと要求しますが…。集中では、もっともグロテスクな要素のある作品です。
 グラン=ギニョル作品の特徴としては、その恐怖の源泉が「人間の肉体」から来ている、ということが挙げられます。解説にもありますが、悪魔や幽霊や吸血鬼など、ひっくるめて言えば「超自然」的な要素はほとんど現れず、人間の肉体的・心理的な恐怖が主にとりあげられています。人間が人間に行う肉体的な拷問や心理的な圧迫など、「人間の怖さ」が描かれるのが特徴といえるでしょうか。
 読み終えて思ったのは、江戸川乱歩や「新青年」時代の探偵小説を彷彿とさせるなあ、ということ。これは当時一世を風靡したモーリス・ルヴェルの影響などもあるのでしょうね。
 本書には、実作のほかに『グラン=ギニョル主要作品紹介』として、主要作品のあらすじが紹介されています。これが数十作品も紹介されていて驚きます。面白そうな作品が多く、それらも読みたくなってきますね。
 解説・解題も詳細で、これ一冊でグラン=ギニョルの全体像がつかめる構成になっています。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

悪夢の実験  ボアロー、ナルスジャック『私のすべては一人の男』
私のすべては一人の男
私のすべては一人の男 (1967年) (ハヤカワ・ノヴェルズ)
中村 真一郎
早川書房 1967

by G-Tools

 巧緻なサスペンスを得意とするフランスのコンビ作家、ボアロー、ナルスジャック。彼らの作品の中でも、とりわけ異色な味わいを持つのが『私のすべては一人の男』(中村真一郎訳 ハヤカワ・ノヴェルズ)です。
 臓器移植の大家マレック教授は、政府の協力を得て、大胆な実験を計画します。それはひとりの人間の体を、複数の人間に移植しようというものでした。しかし、それには五体満足な体が必要でした。そこで選ばれたのは、残虐な死刑囚ルネ・ミィルティル。改悛の情を見せているミィルティルの体は、死刑執行後、即座に移植手術に使われることが決定します。
 事故で重傷を負った、7人の患者たちに施された手術は全て成功し、患者たちは命を取り留めます。死刑囚の体を手術に使用した事実を伏せたまま、彼らの様子を見守るように指令を受けたギャリックは、患者たちの様子を見守ることになります…。
 題材が猟奇的なものなので、どぎつい物語を期待しがちですが、意外と淡白なトーンで話は進みます。手術が終わった後は、語り手のギャリックが手術後の患者たちを観察するくだりが続くのですが、このあたりもなかなかの読みどころです。
 うだつの上がらなかった画家は、腕を移植されたことによって独自の画風を生み出し、肺を移植されたミュージシャンは活力を取り戻します。足を移植された男は、同じくもう一つの足を移植された女に恋情を抱くようになるのです。
 観察者のギャリックもまた、かってのミィルティルの恋人レジィーヌと出会うに及んで心をかき乱されます。いまだミィルティルに執着を抱くレジィーヌは、恋人の体が移植された患者たちに会ってみたいと言い出し、ギャリックを困惑させます。
 しばらくは何の問題もなかったように見えたものの、やがて患者のひとりジュモージュが自殺したのを皮切りに、患者たちの自殺が続きます。ギャリックは疑問を抱きはじめるのですが…。
 死刑囚の体を移植された患者たちに、異常が起こり始める…。ホラーの愛読者ならば、超自然的な展開を予想しますが、面白いのは、あくまで合理的に謎が解き明かされるという点です。その解決には、ミステリ慣れした人も驚かされるはず。一読の価値はある怪作です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

ユーモアと幻想  エルクマン-シャトリアン『怪奇幻想短編集』
シャトリアン
 エルクマン-シャトリアンは、アルザス・ロレーヌ地方出身である、エミール・エルクマンとアレクサンドル・シャトリアンの二人からなる合作作家のペンネームです。19世紀後半に、主に地方色豊かな大衆小説で人気を得ました。
 本邦では、彼らとしては余技だった、短編怪奇小説の書き手として認識されているようです。とくに平井呈一の訳になる『見えない眼』『恐怖の愉しみ』創元推理文庫収録)は、読者に強い印象を残しています。ただ、邦訳短編の数は数編にとどまり、彼らの怪奇短編を俯瞰するには難しい状況が続いていました。
 今回、同人出版という形ではありますが、エルクマン-シャトリアン『怪奇幻想短編集』(小林晋訳 ROM叢書)が刊行されたことは、じつに意義のあることと言わねばなりません。
 以下、主だった作品を紹介していきたいと思います。

 『謎のスケッチ』 経済的に困窮していた画家の「私」は、ある夜、衝動に突き動かされてスケッチを描きあげます。それは殺人の場面を描いた陰鬱な作品でした。しかしスケッチに描かれた情景は、実際に起きた殺人事件の犯人しか知り得ないとして、「私」は投獄されてしまうのです…。
 神秘的な力に突き動かされて描いたスケッチ。それは得難い能力なのか、それとも…。怪奇現象の理由がまったく説明されないところが、不安感を高めています。

 『ハンス・シュナプスの遠眼鏡』 変人として知られる薬剤師ハンス・シュナプス。彼の作り出した遠眼鏡には不思議な力がありました。見るものの心のままに、望む世界を見せてくれるのです…。
 短めの作品ながら、なんとも魅力的なレンズ嗜好の一品。

 『梟の耳』 梟の耳と呼ばれる廃墟に、何者かが潜んでいるという報を受けた村長は、その場所で不審な小男をとらえます。しかし事情を聞く前に、男は首を吊って死んでしまいます。男が潜んでいた場所から発見された文書にはある秘密が…。
 文書に描かれた秘密は本当なのか、それとも男の妄想なのか? 曖昧な結末が味を出しています。『ハンス・シュナプス』同様、SF味のある作品。

 『親方の懐中時計』 一稼ぎにやってきた楽士の二人組が、泊まった旅籠で殺人事件に遭遇します。遺留品の懐中時計を証拠として捕まった相棒の嫌疑を晴らそうと、「私」は奔走しますが…。
 犯人はいったい誰なのか? サスペンス風味豊かな一編。

 『三つの魂』 狷介な学者ヴォルフガング・シャルフには、一つの持論がありました。人間には三つの魂がある。植物魂、動物魂、そして人間魂。この仮説を証明するために、彼はカトリーヌ婆さんを監禁し、飢えさせていました。シャルフは、その事実を知った「私」までも監禁しようとしますが…。
 狂気の人体実験を繰り返す学者。監禁された人間の描写は、じつにリアル。今読んでも、迫力のあるサスペンス作品です。

 『ハンス・シュトルクス』 聖歌隊指揮者の職を得て、ようやく名士となった「私」は、旅の途中で、ハンス・シュトルクスと名乗る測量技師と出会います。学問的情熱に燃える彼は、化石の蒐集をしていました。シュトルクスに蒐集品を身に来ないかと誘われた「私」が聞いたのは、彼が殺人を犯したという知らせでした…。
 情熱の対象を奪われた不遇な男が起こした事件とは…。哀愁感ただよう、スケッチ風小品です。

 『蟹蜘蛛』 温泉地で発見された白骨死体は、原因不明の事件として処理されていました。「私」と友人のサー・トーマスは、洞窟のそばの池を訪れますが、サー・トーマスは死体となって発見されます。「私」は、後見人であるヴェーバー医師に助けを求めますが…。
 奥地に怪物が潜んでいたという、典型的な怪物ホラー。ただ怪物の造形にはインパクトがあります。

 『鴉のレクイエム』 音楽家のツァハリアス伯父は、スランプに悩んでいました。彼は仕事の邪魔をする鴉を悪魔の化身だと信じていたのです。奇人のハーゼルノス医師は、伯父の飼っている猫と引き換えに、彼の悩みを解消しようと申し出ますが…。
 ツァハリアス伯父といい、ハーゼルノス医師といい、登場人物がコミカルかつ情感豊かに描写されるのが、じつに魅力的。終始ユーモラスな調子のスラップスティックな作品です。

 『見えない眼』 屋根裏部屋に住む画家のクリスティアンは、窓から見える旅籠屋で首吊りを目撃します。しかも首吊りは、これが最初ではないというのです。旅籠屋の向かいの家に住む奇怪な老婆が、首吊りの原因なのではないかと疑うクリスティアンは、ある対策を考えますが…。
 平井呈一の既訳がある作品ですが、英語からの重訳ではなく、フランス語からの翻訳になります。何度読んでも迫力のある、名作短編といえます。

 『壜詰めの村長』 ぱっとしない宿で口にしたワインに感銘を受けた友人のヒッペルは、その夜、悪夢にうなされて目を覚まします。なんと彼は夢の中で、とある村の村長だったというのです。強欲な村長が死ぬまでを体験したというヒッペルの言葉に、「私」は半信半疑でしたが、実際に夢に見た村にたどり着くに及んで、彼の言葉を信じ始めます…。
 夢の中で他人の人生を生きるという、テーマだけを見れば目新しさのない作品ですが、夢の中で語られる村長の人物描写がリアルで読みごたえがあります。客観的には嫌われ者の村長と一体化したために、彼をあくまで良く見てしまうヒッペルの姿に、皮肉なユーモアが感じられます。

 『絞首人のヴァイオリン』 才能はありながらも、オリジナリティに欠けるという師の言葉を受けて、ハーフィッツは、それを克服する旅に出ます。ふと立ち寄った宿屋で、彼は不審の念にかられます。狂ったような娘の言葉、野ざらしになった絞首人によく似た亭主、そして深夜に聞こえるヴァイオリンの音…。
 硬派なゴースト・ストーリー。出現する幽霊の立ち回りの描写が、実に繊細で素晴らしいです。

 『蜜蜂の女王』 アルプスの山を訪れた植物学者のエネティウスは、山の中で三人で暮らす親子に出会い、彼らの家に世話になることになります。純朴な家族に親愛の念を抱くエネティウスでしたが、なかでも盲目の幼い娘レーゼルにひときわ惹かれます。彼女は盲目にもかかわらず、山の天候や様子を正確に言い当てるのです…。
 蜜蜂との共感能力を持つ娘を描いた作品です。終始やさしい雰囲気で描かれた、心あたたまる一編。

 タイトルに「怪奇幻想」とはありつつも、厳密には「怪奇幻想」でないものも含まれています。共通するのは、味のある人物描写と繊細な情景描写。ユーモアや哀感を盛り込む手腕はじつに巧みです。派手さには欠けるものの、読んでいて楽しい作品集になっています。
 訳文も上質で、古き良き怪奇小説のファンには、ぜひ読んでいただきたいですね。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

あり得なかった人生  トニー・デュヴェール『小鳥の園芸師』
小鳥の園芸師
小鳥の園芸師 (1982年)
山田 稔
白水社 1982-12

by G-Tools

フランス短編フランス短篇傑作選 (岩波文庫)
山田 稔
岩波書店 1991-01

by G-Tools

 世の中には様々な職業がありますが、この作品で描かれるほど奇妙な職業は、おそらく世界のどこにもありません…。
 フランスの作家、トニー・デュヴェールの『小鳥の園芸師』(山田稔訳 白水社)は、空想上のさまざま職業について語った連作掌編集です。
 目次には「尻拭い」「時計読み」「硝子割り」「小鳥の園芸師」「裁き屋」「身代わり」「思索屋」「役立たず」など、奇妙な職業名が並びます。そのどれもが、現実にはありえないような職業ばかり。
 例えば、「裁き屋」を見てみましょう。これはなんと、犯罪を犯したくなった人間を、あらかじめ牢屋に入獄させておき、その時間に見合った犯罪をあっせんするという職業です。

 彼は、これよりもあれを犯したらどうか、とか、もっと軽い罪を二つ一度に犯したら、とか助言を与えてくれる。ある重罪をさらに重く、あるいは軽くするにはどうすればよいかを明確に教えてくれる。それからあなたは、どんな犯罪が好きかを告げる。裁き屋はあなたの申告を記入し、店の陳列窓に公示し、あなたに向かって、成功を祈る、と言う。

 また「身代わり」は、自分の子供の代わりに、その子供の親に叱られる、という職業です。

 こんなわけで、男の子を殴るのは禁じられた(女の子は構わない、当然のことだ)。詳しくいうと、親は自分の男の子を懲らしめる権利を失ったのである。彼らは「当番の子」しか叱ってはならないのである。

 このように、へんてこな職業が並びますが、デュヴェールの描く作品に共通するのは、人間に対する皮肉です。どの掌編でも、描かれる人間たちは貪欲で利己的。その職業も、自らの欲望を満たすためのものなのです。
 空想上の職業と言えば、例えばわが国のクラフト・エヴィング商會『じつは、わたくしこういうものです』(平凡社)が思い浮かびますが、デュヴェールの作品は、それとは全く正反対。ファンタジーを楽しむというよりは、徹底的に、現世的・肉体的なイメージを帯びています。
 ただ、そんな「生臭い」職業たちの中でも、時折、非常に詩的なイメージが立ち現れることがあります。例えば、表題作にもなっている「小鳥の園芸師」から。

 小鳥の園芸師はたくみに罠をこしらえ、恋に狂ったようにさまざまな種類の木を集め、継ぎ木をしたり、種の混交をおこなったりした。そして、それらの木立ち、それらの果実、それらの芳香は、天の高みから無数の小鳥を招き寄せ、その色彩と歌声とで、あたりはまたいちだんと賑わうのだった。

 とても美しいイメージとなっています。もっとも後半、この掌編も前半の美しさをぶちこわしにする展開になってはしまうのですが。
 また、この掌編集の中でもいちばん魅力的だと思われる「夢の肖像画家」を見てみます。これは、本人そのものを描くのではなく、その人間が本来そうありたかった自分の姿を描く、という職業です。

 ある女、あるいは老嬢が、次のように言う。「あたしが欲しいのは小さな鼻と、やさしく生き生きとした大きな眼と、陽気な歯と、男を喜ばせたいとおもうときにはこんな風にめくれ上がる唇と、こんなおなかと、こんなももと、ものを言うような手なの」。すると絵描きは、そのあって欲しいと思う姿に似せて肖像画を描くのだった。

 他の掌編と同様に皮肉にあふれてはいるものの、この作品では、登場人物たちに対する、どこか優しい視線が感じられます。それがはっきりと現れているのが、最後の部分です。

 自分が生まれつき容貌に恵まれていると考えれば考えるほど、また、現物に似せて描くよう要求すればするほど、絵の方は平凡で、うぬぼれが目立ち、やたらにちまちましたものになるのだった。それに反し、ひどく醜い連中は自分の家に、涙が出るほど美しい肖像画を持っていた。彼らには、わかっていたのである。

 上に見てきたように、基本的にはブラック・ユーモアにあふれたシニカルな作品集といえます。ただ、そんな中にも感じられる一抹の詩情。この相反する要素がまた、この作品集の魅力とも言えそうです。
 なお、この作品集の抄録が『さまざまな生業(抄)』 として、山田稔編『フランス短篇傑作選』(岩波文庫)に収録されていますので、こちらでそのエッセンスを味わうのもいいかもしれません。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

人さまざま  アンリ・ミショー『幻想旅行記』
B000J94ZGC幻想旅行記―グランド・ガラバーニューの旅 (1972年)
小海 永二
青土社 1972

by G-Tools

 旅行記の体裁を取った作品、アンリ・ミショー『幻想旅行記』(小梅永二訳 青土社)は、架空の国「グランド・ガラバーニュ」に住むという、諸民族の奇妙な風習や文化を語った幻想コント集です。
 非常に寓意性・風刺性が強いのが特徴です。描かれる諸民族のひとつとして常識的なものはなく、ボルヘスを思わせるような、形而上学的な思想を持つ民族、または異様に短気だったり暴力的だったりと、誇張された心性を持つ民族など、ヴァラエティ豊かで幻想的な掌編が並びます。
 例えば、二年に一度、妻の分け直しを行うという、お人好しのオマンヴュ族。

 それは、大勢の男たちにとって、心の重荷を下ろす日だ。この妻たちの市では、当然のことながら、若い娘たちの市でよりも、ずっと多くの有益で残酷な真実が理解されよう。

 若い男は、みな猿のように毛を生やすというガリナヴェ族。

 若い男たちは、彼らの結婚の日に、より濃くより硬い毛が生えてくるようにと、自分の体の毛をせっせと剃る。若い花嫁は血まみれの身体でベッドから出、花婿は全員の尊敬を受けてベッドから出る。

 再生機能に優れ、ほとんど死なないというボーラール族。

 この種族の場合には、血液が強烈な早さで再生されるので、彼らは傷に対しては(それは数時間で癒ってしまう)、致命的な重傷に対しても(翌日になれば、何の跡も残らない)、全くの無頓着である。

 異様に喧嘩好きなカラキエ族。

 だが、夫と妻とを一緒に生活させることは、絶対に問題になりえなかった。それは、真の挑発行為であり、恐らく急速な死亡によって終わるしかないだろう。

 諷刺や寓意だけでなく、ナンセンスな性質を持つ民族も登場します。身体に触れると、その跡が何時間も赤くなるというエカリット族。

 森から戻ってくる猟師たちは、花の跡を、木の葉の跡を、種子の跡を、全身につけて戻ってくる。

 面白いのはアララ族。彼らの国では、警察と犯罪者とが融通無碍なのです。

 それぞれの立場をよりいっそう融通のきくものにするために、強盗どもは警察の中で、警官たちは悪人たちのところで、実習を行う。両方のグループは、絶えず人間を交換し合っている。

 いくつかを除いて、どの民族の章も1ページたらずの掌編ですが、そのどれもブラックなショート・ショートとして楽しめます。この手の不条理コントは、著者の一人よがりになりがちなことが多いのですが、この作品集は、どれも非常にエンタテインメント性に富んでいます。
 作品の舞台になっている「グランド・ガラバーニュ」は、どうやら未開の国という設定のようなのですが、大体において、描かれる民族で、手放しで賞賛されるものはほとんどありません。そこには著者の「悪意」というか、ささやかな「意地悪さ」が感じられるのです。
 とはいっても、大上段に文明社会を批判するような大げさなものではなく、素直に楽しめるナンセンス・コントになっています。ブラック・ユーモア好きな方はぜひ。
海中の講義  ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』
4087602176海底二万里
ジュール ヴェルヌ Jules Verne 江口 清
集英社 1993-05

by G-Tools

 言わずと知れた名作、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』(江口清訳 集英社文庫)。これ、抄訳が多いことでも有名な作品ですが、この完訳版を読むと、理由がよくわかります。まずはストーリーの方をどうぞ。
 ヨーロッパやアメリカで海難事故が多発します。事故の現場で人々は、紡錘形で燐光を発する、クジラよりも大きい謎の物体を目撃していました。その物体は生物であるとも、人工物であるとも取り沙汰されていましたが、意見を求められたパリ自然科学博物館のアロナックス教授は、おそらく巨大なイッカクであろうと推理します。
 やがて〈怪物〉退治のために遠征隊が組織されます。遠征船エイブラハム・リンカン号に、助手のコンセイユとともに乗り込んだアロナックス教授は、とうとう〈怪物〉に遭遇します。同乗していた銛打ちの名人ネッド・ランドは、銛を投げますが、それは金属的な音を立てて、はねかえされます。〈怪物〉はエイブラハム・リンカン号に衝突し、人々は海に投げだされてしまいます。
 アロナックス教授、コンセイユ、ネッドの三人は、やがて〈怪物〉の乗務員に助け出されます。〈怪物〉の正体はなんと潜水艦でした!
 その潜水艦〈ノーチラス号〉の船長ネモは、三人の命を助け、客としてもてなす代わりに、彼らを潜水艦に監禁します。秘密を漏らすわけにはいかないのだ、と。
 反感を持ちながらも、その場はおとなしくネモ船長にしたがう一行でしたが、やがて〈ノーチラス号〉の見せてくれる海の驚異に目を奪われます。深海の珍しい動植物や風景にアロナックス教授は夢中になり、囚われの身であることをすっかり忘れていました。
 常に紳士的なネモ船長でしたが、ときに無条件で三人を部屋に閉じ込めます。さらには食事には睡眠薬を入れるという念のいれよう。船長は詳しい話をすることを拒みます。
 ネモ船長の目的とは? 彼が持つ莫大な財産の出所とは? 海の驚異とともに、ネモ船長その人に魅力を感じ始めたアロナックス教授に対し、活動的な漁師であるネッドは、ことあるごとに脱出のチャンスを狙いつづけるのですが…。
 さて、この作品、物語の筋に関係ない、余計な部分がやたらと目につきます。ネモ船長が見せる海中のさまざまな自然の驚異…、それはいいのですが、そういう部分になると、突如として科学的な説明・蘊蓄が始まってしまうのです。そもそもこの生物は…であるとか、この大陸は…である、この海流は…である、などと科学的な説明が延々と続きます。
 評論家の北上次郎はヴェルヌを扱った『科学の冒険』(早川書房『冒険小説論』所収)の中で、ヴェルヌのこの癖を〈講義〉と読んでいます。この〈講義〉が多いために、物語の流れが疎外されてしまっているのです。そういう点、ヴェルヌは当時の最新的な科学の知見を盛り込んだ、情報小説の趣が強いと言えるのかもしれませんが。
 波瀾万丈な冒険小説のイメージが強い本作品ですが、実はストーリー自体もそんなに波瀾万丈ではなかったりします。原住民に襲われたり浮氷に閉じ込められたりと、それなりに小事件は頻発するものの、大きなプロット上のうねりというものは見あたらないのです。全編これ潜水艦の海中探査が続くと思ってもらえればいいでしょう。いつ終わらせてもいいし、延々と続けてもいいようなストーリーではあるのです。それゆえ結末も、とってつけたような感じが拭えません。
 もちろん海中の驚異や、自然の描写もそれなりに印象的です。スエズ運河開通以前に、紅海と地中海を結ぶ海中トンネルがあったとか、世界中の難破船から財宝を取るとか、そのあたりはさすがに胸躍らせる描写に満ちています。
 登場人物のキャラクターもなかなか魅力的。語り手のアロナックス教授は、わりと無色透明な人間として描かれていて、それほど特色は感じられませんが、他の人物はそれぞれに特色が与えられています。出自も経歴も全く不明、ときには冷酷だが、弱者には慈悲深いネモ船長。分類学には長けているが、本物の魚はまったく見分けがつかないコンセイユや、豪放磊落で食い意地のはったネッド・ランドなどのキャラクターは魅力があります。
 とくにネッドが、ことあるごとに動物を食べる描写が愉快です。コンセイユがあげる魚の分類に対し、食べられるか否かでしか答えないネッドの返答などは非常にユーモラス。他にもジュゴンやカンガルーまで焼いて食べてしまう描写には、微笑を禁じ得ません。このネッドのキャラクターが、ネモ船長の少し陰鬱なトーンに支配されがちな物語に、ユーモアを添えているといえるでしょう。
 さまざまな自然描写、科学的な蘊蓄、機械のメカニカルな描写など、それらが好きな読者にはたまらなく魅力的でしょうが、純粋にストーリーを楽しみたい読者には、かなり冗漫なところのある作品だと感じられるかもしれません。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

まるで獣のような  ボアロ&ナルスジャック『呪い』
4488141048呪い
ボワロ ナルスジャック 大久保 和郎
東京創元社 1963-04

by G-Tools

 本来ミステリというのは合理的なものだと考えられています。しかし、謎が提出される時点では、事件の謎が現実に起こりえないように見えるということが多いようです。謎は不可解であればあるほど、それが解決されたときの感動が大きいからでしょう。ボアロ&ナルスジャックの作品も例外ではありません。ただ彼らの作品においては、謎が合理的に解かれた後も、序盤から醸成された悪夢めいた雰囲気が雲散霧消しないところに特色があります。『呪い』(大久保和郎訳 創元推理文庫)もそんな作品のひとつです。
 海辺の土地で、妻エリアーヌとともに静かな生活を営んでいた獣医ローシェルは、ある日近くの島に住む女を訪問します。それは、女のペットである豹の診察に赴くためでした。アフリカ帰りのその女ミリアンは、獣を思わせる野性的な魅力を持ち、ローシェルを魅惑します。ミリアンとわりない仲になってしまったローシェルは、やがて彼女の自分勝手さ、冷酷さに恐れを感じ始め、彼女と手を切ろうとします。
 そんなおり、エリアーヌが家の近くの井戸に落ち、死にかけるという事件が起こります。原因を聞いてもエリアーヌはよくわからないと言うばかり。まさかミリアンが…。そう考えると思い当たることがいくつもあるのです。
 ミリアンを紹介してくれたヴィアル医師から、ローシェルはミリアンの夫の死についての詳しい話を聞きます。夫は石切場で墜落死を遂げていました。しかも夫婦の不和を知らない者は誰一人としていなかったのです。その時刻にはミリアンは自宅にいたことが確認されていました。しかし、彼女はその石切場の絵を以前に描いていたのです。アフリカの社会においてそれは疑いを招く行為といえました。

 「奥さんが罪を犯したのだと信じていたのですか?」
 「そうですとも。しかしその罪というのが魔術的な意味のものか道徳的な意味のものかということになると、私にはなんとも云えませんがね」


 ローシェルはミリアンの家で、彼の自宅とエリアーヌを写した写真を見つけたことに思い当たり、寒気を覚えます。ミリアンの呪術がエリアーヌを殺そうとしているのか? そしてエリアーヌは再び体調を悪くします。診察した医師は、砒素中毒の疑いがあるとローシェルにささやきます。しかし、ミリアンはペットの豹に足首を噛まれ、とても歩けるような状態ではなかったのです!
 ミリアンは本当に魔術を行っていたのでしょうか? そして、ローシェルは彼女の魔の手から逃れられるのでしょうか?
 貞淑な妻エリアーヌと魔性の女ミリアン、二人の女の間で揺れ動くローシェルの心の葛藤が描かれます。ミリアンの魅力に溺れながらも、家に帰ればエリアーヌの静かな愛情を感じ、罪悪感を感じるローシェル。
 彼らの三角関係を象徴するものとして、うまく使われているのが、物語の舞台となる「ル・ゴワ」と呼ばれる土地です。満潮時には完全に海に沈んでしまい、干潮時にのみ通ることができるこの道は、ミリアンの住む島に通じています。ローシェルにとって、この道は、魔術と呪いに満ちた異界への入り口となっているのです。クライマックスでもこの「ル・ゴワ」が使われるのですが、その使い方が実にうまい。
 主人公が獣医であるという設定も秀逸です。豹でさえ飼い慣らすローシェルが、ミリアンのあまりの奔放さに、彼女を御しきれなくなっていくのです。ここでは明らかに豹とミリアンはアナロジー的に対比されています。
 どんなに悪夢めいた作品であろうとも、ボアロ&ナルスジャックはあくまで現実の枠内で謎を解釈するのですが、不条理な現象が累積するにしたがって、もしかしてこれは幻想小説にシフトしていくんだろうか?と思わせることがままあります。この作品でも、ミステリになるのか幻想小説になるのか予断を許さないところがあります。言い換えると、そのくらい不合理な現象に対するサスペンスが豊かなのです。ミリアンが、本当に呪術を使っているかもしれないと思わせられてしまう繊細な雰囲気づくりが、この作品の魅力のひとつでしょう。ことにペットである豹に足首を噛まれ動けないはずのミリアンが、ローシェルの自宅近くで目撃されるという不可能興味は、なかなか印象的です。
 事件の真相は、明かされてしまえば、大したことのないものなのですが、全編を通じて醸成される心理的なサスペンスは捨てがたいものがあります。後半に至って、ローシェルはミリアンの呪術の存在を確信し、ミリアンと一緒に出奔すれば、彼女はエリアーヌに手を出さなくなるに違いないと考えます。エリアーヌを思うがゆえにミリアンのもとに走るのです。このあたりの男女の心情の機微は細やかで素晴らしいです。そして「ル・ゴワ」での思わぬ結末。
 比喩や象徴を多用した、工芸品を思わせる繊細なサスペンス小説です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

胸躍らせぬ物語  カトリーヌ・アルレー『死神に愛された男』
4488140238死神に愛された男
カトリーヌ アルレー 安堂 信也
東京創元社 1986-02

by G-Tools

 サブタイトルにもあるように、基本的にこのブログでは面白かった作品をとりあげています。今回の作品はあまりに面白くなかったので、やめようかと思ったのですが、たまにはこういうのもいいかなと思うので、ちょっと書いてみます。問題の作品はこれ、フランスの作家カトリーヌ・アルレーの『死神に愛された男』(安堂信也訳 創元推理文庫)です。アルレーの作品は『わらの女』以外、どれもぬるい作品ばかりです。その中でも、この作品はかなりひどいのですが、こんな話です。
 モード・デザイナーであるポール・ラティノは、何事もうまくいかない男でした。それに比べ、ポールの雇い主ルノー・モラティエは富と才能をあふれんばかりに持つ男であり、ポールの羨望の念を集めていました。モラティエの秘書であり、ポールのフィアンセであるリーナは、出張の際にモラティエと関係を持ちます。プレイボーイのモラティエは、一夜の遊びとしてしか考えていませんでしたが、野心的なリーナはモラティエの夫人の地位を狙い、ポールとの婚約を一方的に破棄します。
 一方、夫の浮気に苦しんでいたモラティエ夫人フランソワーズは、ポールに悩みを打ち明け、夫への殺意さえ仄めかします。そんな折り、リーナがモラティエの家のガレージで車のバンパーに挟まれて圧死します。モラティエが、鬱陶しくなったリーナを殺害したと信じるポールは復讐の念に燃えるのですが…。
 これ、あらすじだけ聞くと、結構面白そうに見えるのが曲者。ここまでのあらすじで、ポールがモラティエを陥れようとするが失敗して破滅する、というようなストーリーを思い浮かべた人は、はずれです。この後、モラティエに詰め寄ってリーナとのことを指弾するポールは、モラティエの持ち出した昇進話に丸め込まれてしまいます。ここまではいいです。ポールの態度もとりあえずモラティエを安心させるためと描写されていますし。問題はこの後。なんと墜落事故でモラティエは死んでしまうのです! ここまでで、まだ小説は半分です。
 「死神に愛された男」ポールが、ことごとく不幸な目にあう、という設定はいいと思うのですが、作品全体があまりに行き当たりばったり感が強すぎます。モラティエが墜落事故で死ぬときに、ポールも乗り合わせており、唯一の生存者になるのですが、この墜落した場所がアフリカの人跡未踏の地! ここからサバイバルになるのかと思いきや、次のページでは、何事もなかったかのようにフランスに戻っているのです!これには呆れます。
 さらにこの後は、未亡人となったフランソワーズと結婚しようとポールがいろいろと手を尽くすという展開になります。ここでリーナ殺害事件やモラティエの死についての疑惑が絡み合ってサスペンスが増す、とかいうことには、全くなりません。伏線は全く活きてこないし、面白くできるところを、ことごとくつまらなくさせているとしか思えません。
 何をやってもうまく行かない男の喜劇として見るなら、この行き当たりばったりの展開も、うなずけないことはないのですが、どうも作品のトーンはシリアスで、笑えるような雰囲気ではありません。この作品の設定を使えば、たいていの作家なら、もう少し面白くできるような気がします。
 本当に安手のサスペンス。評価できるのはタイトルだけ。フランス製の「火曜サスペンス劇場」といった感じの超凡作です。ただ、ここをこうしたらもう少し面白くなるな、といった自分なりの改善策を考えられるという点では面白いかもしれません。逆に言うと、そういう考えがすぐに浮かぶほど不器用な作品ではありますが。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

眼が二人をわかつまで  テオフィル・ゴーチェ『魔眼』
20060403102832.jpg
魔眼
テオフィル ゴーチエ 小柳 保義
4390113917

 今回は、フランスの作家テオフィル・ゴーチェの作品集『魔眼』(小柳保義訳 教養文庫)です。ゴーチェはもともと神秘的な傾向があったことに加え、当時流行していたホフマンの影響を受け、多くの幻想小説をものしています。本書には三編を収めていますが、狭義の幻想小説は『魔眼』のみです。他の二編は古代を舞台にしているものの、普通小説といっていいでしょう。
 『金の鎖またはもやいの恋人』は古代ギリシャが舞台。ミレトスの女プランゴンは、その美しさで知られた娼婦でした。彼女は恋人の美少年クテシアスが、プランゴンと並び称される娼婦、サモスのバッキスともわりない仲になっていることを知り、クテシアスを拒絶します。
 クテシアスはプランゴンの愛を取り戻そうとしますが、プランゴンは条件を出します。それは、バッキスが生涯の蓄えとして秘蔵している金の鎖を持ってくること。バッキスが命の次に大切にしているという金の鎖、それを手に入れるのは不可能に近いことでした。クテシアスはバッキスに泣きつき、その鎖を譲ってもらおうとするのですが…。
 ギリシャの説話を元にしたという作品ですが、他愛ない作品です。全ての登場人物が善意に満ちているため、恋愛において何の障害も起こらないところが、物足りない感じがします。
 『クレオパトラの一夜』は古代エジプトが舞台。退屈に囚われていたクレオパトラは、ある日恋文が結びつけられた矢を受け取り、心を高ぶらせます。恋文の主メイヤムーンは、死刑覚悟で、王宮に忍び込みクレオパトラの入浴をのぞき見します。捕らえられたメイヤムーンは、女王への恋を打ち明けます。彼の熱情にほだされたクレオパトラは一夜だけ彼を恋人にすることを許すのですが…。
 テーマは悪くないのですが、肝心のメイヤムーンがクレオパトラと過ごす一夜の部分が、駆け足で語られるので、もったいない感じがします。かなり冗漫な部分が感じられる作品。
 そして本書の作品中では、もっとも純粋な幻想小説の『魔眼』。これは傑作といっていいでしょう。
 フランス人の青年ポール・ダスプルモンは、婚約者が静養しているナポリに船で到着します。青年の謎めいた風貌、それに加えて目だつのはその眼でした。

 とりわけ、眼が異常だった。眼をふちどる黒いまつ毛が、瞳のうすい灰色や髪の焦茶色と異様な対照をなしている。

 船の停泊の際、不思議な出来事が起こります。ポールが見つめていた小舟が大波によってひっくり返ったのです。とくに気には止めず、ポールは早速、婚約者のイギリス人令嬢アリシヤのもとに出かけます。六カ月前とはうって変わって健康そうなアリシヤを見てポールは安心しますが、ポールと会った後、なぜかアリシヤは体調を悪くします。
 アリシヤの伯父の准将はポールとの仲を公認していましたが、アリシヤを見初めた美男子アルタヴィラ伯爵の入れ知恵により、考えを変えます。アルタヴィラ伯爵は、ナポリでは魔眼の伝承がいまなお信じられていると語るのです。そしてアリシヤもそうした連中の一人に狙われているのだと。

 「たいていの場合、魔眼は本人の意志に無関係です。それはこのいまわしい才能の能力に気づくようになったとき、その働きを誰よりも嘆き悲しむのは彼らです。だから彼らを避けるようにして、むごく扱ってはいけません。」

 行き交う人々が、ことごとに自分に示す不審な態度に疑問を抱いていたポールは、町中で手に入れた本により、自分は魔眼者ではないかと思い至ります。子供のころからの友人たちの不幸も、自分のせいだったのではないかと思い悩むポールは、今またアリシヤに危害を及ぼすことを恐れはじめます。
 アルタヴィラ伯爵は、ポールが魔眼者であることを指摘し、決闘を申し込みます。愛する人を死の危険にさらすよりは、自らの命を断とうと、すすんで決闘に出かけるポールでしたが…。
 二人の決闘の行方は…。そしてポールとアリシヤの恋の結末はどうなるのでしょうか?
 見る者の意志とは無関係に見つめた人間に害を与えてしまうという「魔眼」が扱われています。愛する者にも害を与えてしまうというテーマでは、ホーソーン『ラパチーニの娘』などが思い浮かびますが、ゴーチェの作品では「魔眼」が本当に事実であるかどうかは明言されてはいません。ポールが出会う不幸がすべて偶然であるという解釈もありえるのです。もっともポールが引き起こすのは人災だけでなく、その眼で見つめた天気が激変するなどという、すさまじい効力があることも暗示されるので、偶然であるという解釈はしにくいのですが。
 とにかく、ポールが本当に魔眼の持ち主であるか否かとは関係なく、アリシヤ以外の全ての人間が、ポールが魔眼者であると思いこむことによって悲劇が引き起こされる、という点は変わりません。恋人同士が互いを思いやるがために起こってしまう、悲劇の恋愛物語として一読の価値がある作品といえるでしょう。
 ちなみに作者のゴーチェは迷信深いことで有名だったそうです。作曲家のオッフェンバックを魔眼者だと信じて、尊敬はしていたが近寄らなかったとか、逸話には事欠きません。しかし本気で迷信を信じていたにしては『魔眼』に懐疑的な解釈が発生する余地があるのも不思議な話です。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



プロフィール

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。雑誌に埋もれた短編を紹介する「埋もれた短編発掘!」コーナーもあり。「奇妙な味」の作品がお好きな方は必見です。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ