人さまざま  アンリ・ミショー『幻想旅行記』
B000J94ZGC幻想旅行記―グランド・ガラバーニューの旅 (1972年)
小海 永二
青土社 1972

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 旅行記の体裁を取った作品、アンリ・ミショー『幻想旅行記』(小梅永二訳 青土社)は、架空の国「グランド・ガラバーニュ」に住むという、諸民族の奇妙な風習や文化を語った幻想コント集です。
 非常に寓意性・風刺性が強いのが特徴です。描かれる諸民族のひとつとして常識的なものはなく、ボルヘスを思わせるような、形而上学的な思想を持つ民族、または異様に短気だったり暴力的だったりと、誇張された心性を持つ民族など、ヴァラエティ豊かで幻想的な掌編が並びます。
 例えば、二年に一度、妻の分け直しを行うという、お人好しのオマンヴュ族。

 それは、大勢の男たちにとって、心の重荷を下ろす日だ。この妻たちの市では、当然のことながら、若い娘たちの市でよりも、ずっと多くの有益で残酷な真実が理解されよう。

 若い男は、みな猿のように毛を生やすというガリナヴェ族。

 若い男たちは、彼らの結婚の日に、より濃くより硬い毛が生えてくるようにと、自分の体の毛をせっせと剃る。若い花嫁は血まみれの身体でベッドから出、花婿は全員の尊敬を受けてベッドから出る。

 再生機能に優れ、ほとんど死なないというボーラール族。

 この種族の場合には、血液が強烈な早さで再生されるので、彼らは傷に対しては(それは数時間で癒ってしまう)、致命的な重傷に対しても(翌日になれば、何の跡も残らない)、全くの無頓着である。

 異様に喧嘩好きなカラキエ族。

 だが、夫と妻とを一緒に生活させることは、絶対に問題になりえなかった。それは、真の挑発行為であり、恐らく急速な死亡によって終わるしかないだろう。

 諷刺や寓意だけでなく、ナンセンスな性質を持つ民族も登場します。身体に触れると、その跡が何時間も赤くなるというエカリット族。

 森から戻ってくる猟師たちは、花の跡を、木の葉の跡を、種子の跡を、全身につけて戻ってくる。

 面白いのはアララ族。彼らの国では、警察と犯罪者とが融通無碍なのです。

 それぞれの立場をよりいっそう融通のきくものにするために、強盗どもは警察の中で、警官たちは悪人たちのところで、実習を行う。両方のグループは、絶えず人間を交換し合っている。

 いくつかを除いて、どの民族の章も1ページたらずの掌編ですが、そのどれもブラックなショート・ショートとして楽しめます。この手の不条理コントは、著者の一人よがりになりがちなことが多いのですが、この作品集は、どれも非常にエンタテインメント性に富んでいます。
 作品の舞台になっている「グランド・ガラバーニュ」は、どうやら未開の国という設定のようなのですが、大体において、描かれる民族で、手放しで賞賛されるものはほとんどありません。そこには著者の「悪意」というか、ささやかな「意地悪さ」が感じられるのです。
 とはいっても、大上段に文明社会を批判するような大げさなものではなく、素直に楽しめるナンセンス・コントになっています。ブラック・ユーモア好きな方はぜひ。
海中の講義  ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』
4087602176海底二万里
ジュール ヴェルヌ Jules Verne 江口 清
集英社 1993-05

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 言わずと知れた名作、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』(江口清訳 集英社文庫)。これ、抄訳が多いことでも有名な作品ですが、この完訳版を読むと、理由がよくわかります。まずはストーリーの方をどうぞ。
 ヨーロッパやアメリカで海難事故が多発します。事故の現場で人々は、紡錘形で燐光を発する、クジラよりも大きい謎の物体を目撃していました。その物体は生物であるとも、人工物であるとも取り沙汰されていましたが、意見を求められたパリ自然科学博物館のアロナックス教授は、おそらく巨大なイッカクであろうと推理します。
 やがて〈怪物〉退治のために遠征隊が組織されます。遠征船エイブラハム・リンカン号に、助手のコンセイユとともに乗り込んだアロナックス教授は、とうとう〈怪物〉に遭遇します。同乗していた銛打ちの名人ネッド・ランドは、銛を投げますが、それは金属的な音を立てて、はねかえされます。〈怪物〉はエイブラハム・リンカン号に衝突し、人々は海に投げだされてしまいます。
 アロナックス教授、コンセイユ、ネッドの三人は、やがて〈怪物〉の乗務員に助け出されます。〈怪物〉の正体はなんと潜水艦でした!
 その潜水艦〈ノーチラス号〉の船長ネモは、三人の命を助け、客としてもてなす代わりに、彼らを潜水艦に監禁します。秘密を漏らすわけにはいかないのだ、と。
 反感を持ちながらも、その場はおとなしくネモ船長にしたがう一行でしたが、やがて〈ノーチラス号〉の見せてくれる海の驚異に目を奪われます。深海の珍しい動植物や風景にアロナックス教授は夢中になり、囚われの身であることをすっかり忘れていました。
 常に紳士的なネモ船長でしたが、ときに無条件で三人を部屋に閉じ込めます。さらには食事には睡眠薬を入れるという念のいれよう。船長は詳しい話をすることを拒みます。
 ネモ船長の目的とは? 彼が持つ莫大な財産の出所とは? 海の驚異とともに、ネモ船長その人に魅力を感じ始めたアロナックス教授に対し、活動的な漁師であるネッドは、ことあるごとに脱出のチャンスを狙いつづけるのですが…。
 さて、この作品、物語の筋に関係ない、余計な部分がやたらと目につきます。ネモ船長が見せる海中のさまざまな自然の驚異…、それはいいのですが、そういう部分になると、突如として科学的な説明・蘊蓄が始まってしまうのです。そもそもこの生物は…であるとか、この大陸は…である、この海流は…である、などと科学的な説明が延々と続きます。
 評論家の北上次郎はヴェルヌを扱った『科学の冒険』(早川書房『冒険小説論』所収)の中で、ヴェルヌのこの癖を〈講義〉と読んでいます。この〈講義〉が多いために、物語の流れが疎外されてしまっているのです。そういう点、ヴェルヌは当時の最新的な科学の知見を盛り込んだ、情報小説の趣が強いと言えるのかもしれませんが。
 波瀾万丈な冒険小説のイメージが強い本作品ですが、実はストーリー自体もそんなに波瀾万丈ではなかったりします。原住民に襲われたり浮氷に閉じ込められたりと、それなりに小事件は頻発するものの、大きなプロット上のうねりというものは見あたらないのです。全編これ潜水艦の海中探査が続くと思ってもらえればいいでしょう。いつ終わらせてもいいし、延々と続けてもいいようなストーリーではあるのです。それゆえ結末も、とってつけたような感じが拭えません。
 もちろん海中の驚異や、自然の描写もそれなりに印象的です。スエズ運河開通以前に、紅海と地中海を結ぶ海中トンネルがあったとか、世界中の難破船から財宝を取るとか、そのあたりはさすがに胸躍らせる描写に満ちています。
 登場人物のキャラクターもなかなか魅力的。語り手のアロナックス教授は、わりと無色透明な人間として描かれていて、それほど特色は感じられませんが、他の人物はそれぞれに特色が与えられています。出自も経歴も全く不明、ときには冷酷だが、弱者には慈悲深いネモ船長。分類学には長けているが、本物の魚はまったく見分けがつかないコンセイユや、豪放磊落で食い意地のはったネッド・ランドなどのキャラクターは魅力があります。
 とくにネッドが、ことあるごとに動物を食べる描写が愉快です。コンセイユがあげる魚の分類に対し、食べられるか否かでしか答えないネッドの返答などは非常にユーモラス。他にもジュゴンやカンガルーまで焼いて食べてしまう描写には、微笑を禁じ得ません。このネッドのキャラクターが、ネモ船長の少し陰鬱なトーンに支配されがちな物語に、ユーモアを添えているといえるでしょう。
 さまざまな自然描写、科学的な蘊蓄、機械のメカニカルな描写など、それらが好きな読者にはたまらなく魅力的でしょうが、純粋にストーリーを楽しみたい読者には、かなり冗漫なところのある作品だと感じられるかもしれません。

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まるで獣のような  ボアロ&ナルスジャック『呪い』
4488141048呪い
ボワロ ナルスジャック 大久保 和郎
東京創元社 1963-04

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 本来ミステリというのは合理的なものだと考えられています。しかし、謎が提出される時点では、事件の謎が現実に起こりえないように見えるということが多いようです。謎は不可解であればあるほど、それが解決されたときの感動が大きいからでしょう。ボアロ&ナルスジャックの作品も例外ではありません。ただ彼らの作品においては、謎が合理的に解かれた後も、序盤から醸成された悪夢めいた雰囲気が雲散霧消しないところに特色があります。『呪い』(大久保和郎訳 創元推理文庫)もそんな作品のひとつです。
 海辺の土地で、妻エリアーヌとともに静かな生活を営んでいた獣医ローシェルは、ある日近くの島に住む女を訪問します。それは、女のペットである豹の診察に赴くためでした。アフリカ帰りのその女ミリアンは、獣を思わせる野性的な魅力を持ち、ローシェルを魅惑します。ミリアンとわりない仲になってしまったローシェルは、やがて彼女の自分勝手さ、冷酷さに恐れを感じ始め、彼女と手を切ろうとします。
 そんなおり、エリアーヌが家の近くの井戸に落ち、死にかけるという事件が起こります。原因を聞いてもエリアーヌはよくわからないと言うばかり。まさかミリアンが…。そう考えると思い当たることがいくつもあるのです。
 ミリアンを紹介してくれたヴィアル医師から、ローシェルはミリアンの夫の死についての詳しい話を聞きます。夫は石切場で墜落死を遂げていました。しかも夫婦の不和を知らない者は誰一人としていなかったのです。その時刻にはミリアンは自宅にいたことが確認されていました。しかし、彼女はその石切場の絵を以前に描いていたのです。アフリカの社会においてそれは疑いを招く行為といえました。

 「奥さんが罪を犯したのだと信じていたのですか?」
 「そうですとも。しかしその罪というのが魔術的な意味のものか道徳的な意味のものかということになると、私にはなんとも云えませんがね」


 ローシェルはミリアンの家で、彼の自宅とエリアーヌを写した写真を見つけたことに思い当たり、寒気を覚えます。ミリアンの呪術がエリアーヌを殺そうとしているのか? そしてエリアーヌは再び体調を悪くします。診察した医師は、砒素中毒の疑いがあるとローシェルにささやきます。しかし、ミリアンはペットの豹に足首を噛まれ、とても歩けるような状態ではなかったのです!
 ミリアンは本当に魔術を行っていたのでしょうか? そして、ローシェルは彼女の魔の手から逃れられるのでしょうか?
 貞淑な妻エリアーヌと魔性の女ミリアン、二人の女の間で揺れ動くローシェルの心の葛藤が描かれます。ミリアンの魅力に溺れながらも、家に帰ればエリアーヌの静かな愛情を感じ、罪悪感を感じるローシェル。
 彼らの三角関係を象徴するものとして、うまく使われているのが、物語の舞台となる「ル・ゴワ」と呼ばれる土地です。満潮時には完全に海に沈んでしまい、干潮時にのみ通ることができるこの道は、ミリアンの住む島に通じています。ローシェルにとって、この道は、魔術と呪いに満ちた異界への入り口となっているのです。クライマックスでもこの「ル・ゴワ」が使われるのですが、その使い方が実にうまい。
 主人公が獣医であるという設定も秀逸です。豹でさえ飼い慣らすローシェルが、ミリアンのあまりの奔放さに、彼女を御しきれなくなっていくのです。ここでは明らかに豹とミリアンはアナロジー的に対比されています。
 どんなに悪夢めいた作品であろうとも、ボアロ&ナルスジャックはあくまで現実の枠内で謎を解釈するのですが、不条理な現象が累積するにしたがって、もしかしてこれは幻想小説にシフトしていくんだろうか?と思わせることがままあります。この作品でも、ミステリになるのか幻想小説になるのか予断を許さないところがあります。言い換えると、そのくらい不合理な現象に対するサスペンスが豊かなのです。ミリアンが、本当に呪術を使っているかもしれないと思わせられてしまう繊細な雰囲気づくりが、この作品の魅力のひとつでしょう。ことにペットである豹に足首を噛まれ動けないはずのミリアンが、ローシェルの自宅近くで目撃されるという不可能興味は、なかなか印象的です。
 事件の真相は、明かされてしまえば、大したことのないものなのですが、全編を通じて醸成される心理的なサスペンスは捨てがたいものがあります。後半に至って、ローシェルはミリアンの呪術の存在を確信し、ミリアンと一緒に出奔すれば、彼女はエリアーヌに手を出さなくなるに違いないと考えます。エリアーヌを思うがゆえにミリアンのもとに走るのです。このあたりの男女の心情の機微は細やかで素晴らしいです。そして「ル・ゴワ」での思わぬ結末。
 比喩や象徴を多用した、工芸品を思わせる繊細なサスペンス小説です。

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胸躍らせぬ物語  カトリーヌ・アルレー『死神に愛された男』
4488140238死神に愛された男
カトリーヌ アルレー 安堂 信也
東京創元社 1986-02

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 サブタイトルにもあるように、基本的にこのブログでは面白かった作品をとりあげています。今回の作品はあまりに面白くなかったので、やめようかと思ったのですが、たまにはこういうのもいいかなと思うので、ちょっと書いてみます。問題の作品はこれ、フランスの作家カトリーヌ・アルレーの『死神に愛された男』(安堂信也訳 創元推理文庫)です。アルレーの作品は『わらの女』以外、どれもぬるい作品ばかりです。その中でも、この作品はかなりひどいのですが、こんな話です。
 モード・デザイナーであるポール・ラティノは、何事もうまくいかない男でした。それに比べ、ポールの雇い主ルノー・モラティエは富と才能をあふれんばかりに持つ男であり、ポールの羨望の念を集めていました。モラティエの秘書であり、ポールのフィアンセであるリーナは、出張の際にモラティエと関係を持ちます。プレイボーイのモラティエは、一夜の遊びとしてしか考えていませんでしたが、野心的なリーナはモラティエの夫人の地位を狙い、ポールとの婚約を一方的に破棄します。
 一方、夫の浮気に苦しんでいたモラティエ夫人フランソワーズは、ポールに悩みを打ち明け、夫への殺意さえ仄めかします。そんな折り、リーナがモラティエの家のガレージで車のバンパーに挟まれて圧死します。モラティエが、鬱陶しくなったリーナを殺害したと信じるポールは復讐の念に燃えるのですが…。
 これ、あらすじだけ聞くと、結構面白そうに見えるのが曲者。ここまでのあらすじで、ポールがモラティエを陥れようとするが失敗して破滅する、というようなストーリーを思い浮かべた人は、はずれです。この後、モラティエに詰め寄ってリーナとのことを指弾するポールは、モラティエの持ち出した昇進話に丸め込まれてしまいます。ここまではいいです。ポールの態度もとりあえずモラティエを安心させるためと描写されていますし。問題はこの後。なんと墜落事故でモラティエは死んでしまうのです! ここまでで、まだ小説は半分です。
 「死神に愛された男」ポールが、ことごとく不幸な目にあう、という設定はいいと思うのですが、作品全体があまりに行き当たりばったり感が強すぎます。モラティエが墜落事故で死ぬときに、ポールも乗り合わせており、唯一の生存者になるのですが、この墜落した場所がアフリカの人跡未踏の地! ここからサバイバルになるのかと思いきや、次のページでは、何事もなかったかのようにフランスに戻っているのです!これには呆れます。
 さらにこの後は、未亡人となったフランソワーズと結婚しようとポールがいろいろと手を尽くすという展開になります。ここでリーナ殺害事件やモラティエの死についての疑惑が絡み合ってサスペンスが増す、とかいうことには、全くなりません。伏線は全く活きてこないし、面白くできるところを、ことごとくつまらなくさせているとしか思えません。
 何をやってもうまく行かない男の喜劇として見るなら、この行き当たりばったりの展開も、うなずけないことはないのですが、どうも作品のトーンはシリアスで、笑えるような雰囲気ではありません。この作品の設定を使えば、たいていの作家なら、もう少し面白くできるような気がします。
 本当に安手のサスペンス。評価できるのはタイトルだけ。フランス製の「火曜サスペンス劇場」といった感じの超凡作です。ただ、ここをこうしたらもう少し面白くなるな、といった自分なりの改善策を考えられるという点では面白いかもしれません。逆に言うと、そういう考えがすぐに浮かぶほど不器用な作品ではありますが。

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眼が二人をわかつまで  テオフィル・ゴーチェ『魔眼』
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魔眼
テオフィル ゴーチエ 小柳 保義
4390113917

 今回は、フランスの作家テオフィル・ゴーチェの作品集『魔眼』(小柳保義訳 教養文庫)です。ゴーチェはもともと神秘的な傾向があったことに加え、当時流行していたホフマンの影響を受け、多くの幻想小説をものしています。本書には三編を収めていますが、狭義の幻想小説は『魔眼』のみです。他の二編は古代を舞台にしているものの、普通小説といっていいでしょう。
 『金の鎖またはもやいの恋人』は古代ギリシャが舞台。ミレトスの女プランゴンは、その美しさで知られた娼婦でした。彼女は恋人の美少年クテシアスが、プランゴンと並び称される娼婦、サモスのバッキスともわりない仲になっていることを知り、クテシアスを拒絶します。
 クテシアスはプランゴンの愛を取り戻そうとしますが、プランゴンは条件を出します。それは、バッキスが生涯の蓄えとして秘蔵している金の鎖を持ってくること。バッキスが命の次に大切にしているという金の鎖、それを手に入れるのは不可能に近いことでした。クテシアスはバッキスに泣きつき、その鎖を譲ってもらおうとするのですが…。
 ギリシャの説話を元にしたという作品ですが、他愛ない作品です。全ての登場人物が善意に満ちているため、恋愛において何の障害も起こらないところが、物足りない感じがします。
 『クレオパトラの一夜』は古代エジプトが舞台。退屈に囚われていたクレオパトラは、ある日恋文が結びつけられた矢を受け取り、心を高ぶらせます。恋文の主メイヤムーンは、死刑覚悟で、王宮に忍び込みクレオパトラの入浴をのぞき見します。捕らえられたメイヤムーンは、女王への恋を打ち明けます。彼の熱情にほだされたクレオパトラは一夜だけ彼を恋人にすることを許すのですが…。
 テーマは悪くないのですが、肝心のメイヤムーンがクレオパトラと過ごす一夜の部分が、駆け足で語られるので、もったいない感じがします。かなり冗漫な部分が感じられる作品。
 そして本書の作品中では、もっとも純粋な幻想小説の『魔眼』。これは傑作といっていいでしょう。
 フランス人の青年ポール・ダスプルモンは、婚約者が静養しているナポリに船で到着します。青年の謎めいた風貌、それに加えて目だつのはその眼でした。

 とりわけ、眼が異常だった。眼をふちどる黒いまつ毛が、瞳のうすい灰色や髪の焦茶色と異様な対照をなしている。

 船の停泊の際、不思議な出来事が起こります。ポールが見つめていた小舟が大波によってひっくり返ったのです。とくに気には止めず、ポールは早速、婚約者のイギリス人令嬢アリシヤのもとに出かけます。六カ月前とはうって変わって健康そうなアリシヤを見てポールは安心しますが、ポールと会った後、なぜかアリシヤは体調を悪くします。
 アリシヤの伯父の准将はポールとの仲を公認していましたが、アリシヤを見初めた美男子アルタヴィラ伯爵の入れ知恵により、考えを変えます。アルタヴィラ伯爵は、ナポリでは魔眼の伝承がいまなお信じられていると語るのです。そしてアリシヤもそうした連中の一人に狙われているのだと。

 「たいていの場合、魔眼は本人の意志に無関係です。それはこのいまわしい才能の能力に気づくようになったとき、その働きを誰よりも嘆き悲しむのは彼らです。だから彼らを避けるようにして、むごく扱ってはいけません。」

 行き交う人々が、ことごとに自分に示す不審な態度に疑問を抱いていたポールは、町中で手に入れた本により、自分は魔眼者ではないかと思い至ります。子供のころからの友人たちの不幸も、自分のせいだったのではないかと思い悩むポールは、今またアリシヤに危害を及ぼすことを恐れはじめます。
 アルタヴィラ伯爵は、ポールが魔眼者であることを指摘し、決闘を申し込みます。愛する人を死の危険にさらすよりは、自らの命を断とうと、すすんで決闘に出かけるポールでしたが…。
 二人の決闘の行方は…。そしてポールとアリシヤの恋の結末はどうなるのでしょうか?
 見る者の意志とは無関係に見つめた人間に害を与えてしまうという「魔眼」が扱われています。愛する者にも害を与えてしまうというテーマでは、ホーソーン『ラパチーニの娘』などが思い浮かびますが、ゴーチェの作品では「魔眼」が本当に事実であるかどうかは明言されてはいません。ポールが出会う不幸がすべて偶然であるという解釈もありえるのです。もっともポールが引き起こすのは人災だけでなく、その眼で見つめた天気が激変するなどという、すさまじい効力があることも暗示されるので、偶然であるという解釈はしにくいのですが。
 とにかく、ポールが本当に魔眼の持ち主であるか否かとは関係なく、アリシヤ以外の全ての人間が、ポールが魔眼者であると思いこむことによって悲劇が引き起こされる、という点は変わりません。恋人同士が互いを思いやるがために起こってしまう、悲劇の恋愛物語として一読の価値がある作品といえるでしょう。
 ちなみに作者のゴーチェは迷信深いことで有名だったそうです。作曲家のオッフェンバックを魔眼者だと信じて、尊敬はしていたが近寄らなかったとか、逸話には事欠きません。しかし本気で迷信を信じていたにしては『魔眼』に懐疑的な解釈が発生する余地があるのも不思議な話です。

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悪魔でも…  アラン・ルネ・ル・サージュ『悪魔アスモデ』
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 今回紹介するのは、『ジル・ブラース』で知られる18世紀フランスの作家、アラン・ルネ・ル・サージュの諷刺小説『悪魔アスモデ』(中川信訳 集英社版世界文学全集6巻所収)です。まだ小説というジャンル自体が女子供の読むものであり、詩歌や演劇よりずっと低い地位に置かれていた時代ですから、この作品もかなり軽いタッチで描かれています。
 舞台はマドリード。十月のとある夜、学生ドン・クレオファスは、追っ手から逃げている最中でした。さる婦人との密会中、踏み込んできた連中に、結婚するか命を捨てるか、迫られたからです。屋根伝いに逃げるドン・クレオファスは、ふと見える明かりを目指して進みます。そしてその明かりのもと、ある屋根裏部屋に入り込みます。人気のないその部屋には、フラスコやら計器類がちらばっていました。さては占星術師の部屋だったかと考えるドン・クレオファスの耳に、妙な声が聞こえます。その声はなんと蓋のついたフラスコの中から聞こえるのです!

 「わたしは六カ月この方、この栓のふさがったフラスコのなかにいるのです。この家の住人は物知りの占星術師で、また魔法使ときています。ほかならぬそいつが術の魔力をつかってわたしをこの狭い牢に閉じ込めてしまったのです」

 アスモデと名乗るその悪魔は、ここから出してくれれば、それなりの礼をしようと申し出ます。逡巡するドン・クレオファスでしたが、今夜彼に起こった災難の首謀者は他ならぬ逢い引きの相手ドニャ・トマーサであるということを聞き、悪魔を解放します。ドン・クレオファスは悪魔の背にのり、復讐かたがた、世の中の人間たちの真実を見に出かけるのですが…。
 悪魔が登場するといっても、人間を堕落させる邪悪な存在ではありません。本書に登場する悪魔アスモデは、むしろ礼儀に厚く、世の中を冷めた目で見る智恵者です。そのアスモデが案内役となって、ドン・クレオファスは、世の中を見て回るのです。彼が見るのは、強欲な金貸し、浮気性の女、吝嗇な老人、傲慢な貴族などの愚かな人間たち。その人間観察はなかなかに辛辣です。ただそれらの短い人間観察のスケッチが、それこそ百を超える数で現れるので、読みにくいのは否めませんが。
 基本的には本書の構成は、短い人間スケッチの集まりです。ただ、それだけでは著者も退屈してしまうと思ったのでしょうか、ところどころに、それだけで独立した短編小説的な物語がはさまれす。それらが、諷刺小説という本書の意図からすると、一見首を傾げるような、ストレートな恋愛物語なのは不思議ですが、皮肉にも、その部分が一番面白いのです。
 作品中に挟まれる物語のうち『ベルフロール伯爵とレオノール・デ・セスペデスの愛の物語』『友情の堅い絆』、この二つの物語が比較的長く、また面白く出来ています。
 『ベルフロール伯爵とレオノール・デ・セスペデスの愛の物語』は、娘に懸想した伯爵が、結婚の意図がないにもかかわらず、その振りをして娘に言い寄るが、結局は真実の愛に目覚め結婚する、という話です。
 『友情の堅い絆』は、親友が恋をしている未亡人に、自分も恋してしまった騎士の話。未亡人もやがて騎士に恋をするようになるが、親友への義理から苦しむのです。そのうち未亡人が、以前から言い寄っていた別の恋敵にさらわれ、それを追いかけた騎士と親友も海賊に襲われてしまいます。このあたり実に波瀾万丈で読ませるのですが、肝心なところで、かなりご都合主義な展開があるので、ちょっと興ざめしてしまうかもしれません。
 そもそも諷刺というのは、時代が変わってしまうと、その意図が通じなくなるのが常です。本書もその例に漏れないのですが、その部分を差し引いても、単純に娯楽小説として楽しめる作品です。

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想いびと、想われびと  ジュール・シュペルヴィエル『海の上の少女』

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海の上の少女

 今回はウルグアイ生まれのフランス詩人、ジュール・シュペルヴィエルの短編集『海の上の少女』(飯島寿秀訳 みすず書房)を紹介しましょう。かって堀口大學によって彼の作品が紹介されていたので、ご存じの方もいるかと思いますが、小説作品に関しては長らく読めない状況が続いていました。新訳として出た本書は、ファンにとってはありがたい限りです。
 まずは、表題作『海の上の少女』です! おそらくシュペルヴィエルの短編で最も有名なものでしょう。
 人知れぬ大西洋の沖合、六千メートルもの深さの海面に、道が浮かんでいます。いくつもの店が並ぶ、村といっていい広さのこの道には、たった一人の少女が住んでいました。しかし彼女には、なぜ自分がここにいるのか、そもそも自分は誰なのか、まったく記憶がありません。
 食料はいつの間にか戸棚に入っており、食べてもまたすぐに補給されます。少女は朝早く起きては、村中の店のシャッターを開けてまわります。そして日没になると何を考えるでもなく、シャッターを閉めるのです。
 少女の部屋の戸棚には一冊のアルバムがあります。その中の一枚には少女とそっくりな人物が写っていました。

 また別の写真には、女の子に両わきに水兵服を着た男と、晴れ着姿の痩せぎすの女が立っていた。男というもの女というもの、まだどちらも見たことのない少女は、この二人がいったい何者なのか、長いこと思い悩んだ。

 少女はひとり、学校に通って書き取りをしたり、誰に宛てるともなく手紙を書いて海に投げ込んだりすることを繰り返していました。ある日、はじめて船が間近にくるのをとらえた少女は「助けて」と叫びますが、水夫たちはまるで気付いてくれません。絶望した少女は自殺をしようと試みるのですが…。
 謎につぐ謎、冒頭から読者をとらえて離さない優れた設定ですが、合理的な解決を期待してはいけません。非常に幻想的な結末です。ひとの思いがどこまで力を持ちうるものなのか、切ないファンタジーとなっています。
 他には、身投げした娘が死者の世界に出会う『セーヌから来た名なし嬢』、タイトルが全てを表す「ヴァイオリンの声をした少女」、ポルターガイストを引き起こす不思議な少女の話『年頃の娘』、売れない劇作家のためにサクラとして用意された蝋人形が引き起こす悲喜劇を描いた『蝋の市民たち』、本物の羊を息子に持った未亡人の話『三匹の羊をつれた寡婦』などが面白いです。こう見てみると、少女が登場する作品が多いですね。それにしてもシュペルヴィエルの描く少女の可憐なことといったら、どうでしょう。
 そして『海の上の少女』と並んで強い印象を与える作品『また会えた妻』は、シチュエーション・コメディと見まがうばかりの魅力的な設定を持っています。
 妻とのふとした喧嘩から、家を飛び出し船に乗ったポール・シュマンは、難破して死んでしまいます。天国に来たシュマンは、下界の妻の姿を見て再会を強く望みますが、天国の役人は条件を出します。それは、人間の姿では無理だが、動物としてなら可能だ、というものでした。妻の好きだったフォックス・テリアの姿になったシュマンは、うまく妻の家に住み着くことに成功します。しかしあくまでペットとしてしか扱ってもらえないシュマンは複雑な思いを抱きます。そこへ妻の恋人としてあらわれた男、彼はよりにもよって醜い中年の肉屋でした。シュマンは強烈な嫉妬の念に駆られるのですが…。
 三角関係をめぐる物語に、突飛な設定を導入したファンタジーです。設定からも予想されるように、悲劇的な結末が待ちかまえているのですが、単に悲劇で終わるのではなく、そこはかとないユーモアが感じられるところが素晴らしいです。
 シュペルヴィエルの短編は、幻想味を帯びた、ごく短い作品が多数を占めています。非常に突飛なイメージを持ちながらも、叙情性が感じられるものになっているところが特徴です。ことに登場人物に対する視点に、大らかなやさしさが感じられます。それでいて甘さべったりの感傷性とはまた異なるのです。日本人にとっては、馴染みやすい感性の作家ではないでしょうか。

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死ぬまで愛して  日影丈吉編『フランス怪談集』
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フランス怪談集
日影 丈吉
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 今回は日影丈吉編『フランス怪談集』(河出文庫)です。先日の記事でも紹介しましたが、本書は「怪談」というよりは「幻想小説集」です。「フランスに怪談はない」と言ったのは、ハインリヒ・ハイネですが、確かにフランスの作品は怪奇よりも幻想に流れる傾向があるとはいえるでしょう。例えば、同種のアンソロジーである、澁澤龍彦編『怪奇小説傑作集4 フランス編』(創元推理文庫)を見ても、全体的な雰囲気は本書と共通しています。それでは、面白かったものを紹介します。
 ジェラール・ド・ネルヴァル『魔法の手』は、文字通り魔法をかけられた手を描く奇譚。ホフマンに影響されたと思しい、不気味ながらも妙なおかしさのある作品。似たようなテーマの作品にW・F・ハーヴィー『五本指の怪物』なんて作品もありますが、これはまた別の機会に。
 テオフィル・ゴーチェ『死霊の恋』は、死霊の女に取り憑かれた青年僧の物語。「吸血鬼」テーマとしても有名な作品です。この手の作品史上、もっとも可憐な吸血鬼が登場します。
 バルベー・ドールヴィイ『深紅のカーテン』は、ダンディとして知られた貴族が、初恋の女性について回想する物語、と思わせておいて後半急展開が待っています。サスペンスに富んだ好編です。
 マルセル・シュオッブ『木乃伊つくる女』は、アフリカの砂漠に迷い込んだ兄弟が出会う木乃伊づくりの女たちを描く作品。短い掌編ですが、切れ味するどい作品です。
 モーリス・ルヴェル『或る精神異常者』は、残酷味のあるコント。世間の快楽に倦んだ青年が、ある空中自転車乗りの見せ物に通いつめます。彼の目的とは…。ルヴェルの作品は、近年、短編集『夜鳥』(田中早苗訳 創元推理文庫)が出ましたので、そちらで読むこともできます。
 ピエール・ド・マンディアルグ『死の劇場』は、十五歳以上の女は全て、臨終の際に円形劇場の舞台で、男たちの目の前で死ななければならない、という奇怪な掟のある村に迷い込んだ男の不思議な体験を描いています。何やら悪夢めいた雰囲気の作品。
 ミシェル・ド・ゲルドロード『代書人』は、美術館に足繁く通ううちに、代書人の蝋人形にふと友情めいた気持ちを抱くようになった男の物語。男の心象風景のような記述が延々と続くのですが、結末には驚かされるはず。「分身」テーマの佳作です。
 さて本書のハイライトは、プロスペール・メリメ『イールのヴィーナス』です。この作品のメインテーマは、ティム・バートン監督『コープス・ブライド』でも使われていたもの。「死者との結婚」テーマのヴァリエーションといっていいでしょう。
 イールの町を訪れた「私」は、町の資産家ペイレオラード氏の家に招待されます。ペイレオラード氏は、古木を引き抜く際に発見したというローマ時代のものらしきヴィーナス像を「私」に見せます。ヴィーナス像はまさに傑作でした。その美しさに「私」はうたれますが、どこか邪悪なものも感じます。
 ペイレオラード氏は、息子アルフォンスの結婚式を控えており、ヴィーナス像にちなんで金曜日に式をやろうと考えます。夫人は神を汚すといさめますが、ペイレオラード氏は意に介しません。
 結局、式は実行され、アルフォンスは、仲間たちと余興のスポーツを始めます。競技に熱中し出した彼は、つけっぱなしの結婚指輪が邪魔になり始めます。

 彼は、かなり骨を折って、ダイヤ入りの例の指輪をはずした。私はそれを受け取ろうとして進み寄った。けれども彼の方がその先を越して、ヴィーナスのところへかけ寄ったと思うと、その指輪を女神の無名指に通し、それから再びイール勢の先頭の自分の部署についた。

 おかげで競技には大勝したものの、アルフォンスは帰り道、高価な指輪をヴィーナス像に嵌めたまま忘れてきたことに気付き、ひとり取りに戻ります。その夜、夕食の席で、アルフォンスは異様な顔つきで「私」に相談したいことがあると持ちかけます。
 それはヴィーナス像に嵌めた指輪のことでした。像から指輪がはずせないというのです! 力を込めなかったのではないかという「私」の意見を、アルフォンスは必死で否定します。

 「ちがいます。そうじゃないのです。ヴィーナスの指が引っこめられたのです。もとにまげられてしまったのです。手を握っているのです。おわかりですか?……形の上からは、僕の妻なのです、私が指輪をやってしまったものですから……返してくれようとしないのです」

 「私」は酔いが回っているのだろうと取り合いませんが、その夜、悲劇が起こるのです…。
 この作品、結末はおそらく読めてしまうと思うのですが、それを差し引いてもヴィーナス像の不気味さは強烈です。おそらく西洋の読者は、異教的な不気味さをも合わせて感じ取るのでしょう。その点は残念ですが、結末のイメージの鮮烈さは素晴らしいものがあります。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

老齢の美女  マルセル・エメ『マルセル・エメ傑作短編集』
412204586Xマルセル・エメ傑作短編集
マルセル エメ Marcel Aym´e 露崎 俊和
中央公論新社 2005-09

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 今回紹介するのは、マルセル・エメ『マルセル・エメ傑作短編集』(露崎俊和訳 中公文庫)。以前出版されたマルセル・エーメ『クールな男』(露崎俊和訳 福武文庫)の再刊です。表記が違うので、違う作家かと思ってしまいました。発音に忠実に従うとエメとなるそうです。内容は基本的に旧版と同じ。
 さて、本書には二つの系統の作品が収められています。一つは、何も不思議なことが起こらない普通小説です。『エヴァンジル通り』『クールな男』『パリ横断』がそれに当たります。エメのいつものイメージで読むと、びっくりするほどリアリズムが強い作品です。非人情な男を主人公とする『クールな男』などは、まるでハードボイルドです。これはそれなりに秀作であるのでしょうが、エメの読者としては、やはりファンタスティックな作品を求めてしまいます。
 そしてもう一つの系統の作品、これはエメお馴染みの奇想小説が収められています。『こびと』『ぶりかえし』『後退』などがこの範疇に入る作品です。
 『こびと』は、ある日サーカスのこびとが、突如成長し始め、一人前の美男子になってしまうというお話。その結果、こびとはサーカスの仲間たちから疎外されてゆくのです。哀愁を感じさせる物語です。
 『後退』は、悪魔的な頭脳を持つマルタン(!)という名の貧乏な青年が、大富豪の五人の御曹司を駆り立てて反革命の雑誌を創刊させるという物語。雑誌の名が「後退」というところが、気が利いています。労働者や革命などをおちょくる社会諷刺的な作品です。
 そして、本書の真打ちは、やはり『ぶりかえし』でしょう。奇想とユーモアがないまぜになった、典型的なエメ・スタイルの作品。
 ある日政府が、一年を二十四ヵ月にするという法案を成立させます。この結果国内の人々の年齢が、すべて半分になってしまいます。法的な年齢だけでなく、肉体的な年齢も半分になってしまうのです! 十八歳の娘ジョゼットは、二十七歳のベルトラン・ダロームと婚約していましたが、法案の影響で、肉体が九歳になってしまいます。ジョゼットは、同じく十三歳になったベルトランの愛も変わらないだろうと楽観視しますが、ベルトランは態度を豹変させます。

 「ぼくは十八歳の美しい娘に恋をした。見事なからだをした、ぼくの好みに合った腰や、腿や、胸をもった娘だ。今やきみは九歳で、ぼくの欲望をそそらない。それはぼくの意志とは無関係な事実さ。」

 しょげかえるジョゼットとは対照的に、中年や年寄りたちは大喜びです。若返った両親や祖母は、若い肉体をこれ見よがしにみせびらかします。ことに三十四歳に若返った祖母の変貌ぶりはすさまじいものでした。

 わたしをいちばん驚かせたのは祖母だった。背はすらりと高く、ほっそりとして、身のこなしはしなやかで、とてもきれいだった。一見しただけでは、顔立ちにも、からだつきにも、奇抜な身なりや、化粧や、見かけに凝って滑稽なくらいだったあの年寄りを思い起こされるものは何も見あたらなかった。

 美女に変貌した義母に対し、父親は色目を使う始末。母親も浮気を始めます。世の中の年寄りや中年たちが、わが世の春を謳歌するのに対し、もともと若かったものたちは、肉体が子どもになってしまったため、悲惨な状況に置かれます。

 わたしのすぐうしろに、六カ月の娘と九歳になる妻を連れた十一歳の男性がいた。その娘はかれらの小さな腕には重すぎたので、夫婦は交代で娘を抱いていた。町の乾物屋で店員をしている夫は職を失いかけていた。子供の力でできる仕事しかできなくなったからである。
 
 子供になった若者たちは、法案撤廃を求めて社会的な活動を開始します。ジョゼットの兄ピエールも「希望クラブ」なる団体に加入して活動に参加します。我慢の限界に来た子供たちは、政府に対して革命を開始するのです。大人たちと子供たちとの対立の結末は? そしてジョゼットの恋の結末はどうなるのでしょうか?
 何より、法律が現実の肉体に変化を起こさせてしまうというファンタスティックな設定が見事です。そしてその設定によって引き起こされる社会の混乱をユーモラスに描く著者の腕は確かです。主人公の恋をめぐるミクロな視点と、大人対子供の戦争というマクロな視点が、うまく重なり合って物語に厚みをもたらしているのです。結末もまた皮肉が効いていてなかなかの出来。
 美女になった義母に惹かれる夫、というモチーフは、『小説家のマルタン』(マルセル・エーメ『マルタン君物語』(江口清訳 ちくま文庫所収))にも見られます。エメには、突如美男子の顔になってしまう男を描いた『第二の顔』という長編もありますし、殺人犯が赤ん坊になってしまうという、タイトルそのままの『変身』という作品もあります。どうやら著者は「変身」というテーマに強い興味があったように見えますね。

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プロフィール

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。雑誌に埋もれた短編を紹介する「埋もれた短編発掘!」コーナーもあり。「奇妙な味」の作品がお好きな方は必見です。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。



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