愛すべきナンセンス  ダニイル・ハルムス『ハルムスの小さな船』
4860951980ハルムスの小さな船
ダニイル ハルムス 西岡 千晶
長崎出版 2007-04

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 今世紀初頭に活躍したロシア・アヴァンギャルドの詩人、ダニイル・ハルムス。その前衛的な作風は、当時の政府に弾圧され、獄死したといいます。その短い数奇な生涯に劣らず、彼の作品には、ナンセンスが溢れており、強烈な魅力を持っています。そんな彼の散文を集めた作品集が『ハルムスの小さな船』(井桁貞義訳 西岡千晶絵 長崎出版)です。
 ごく短い作品が大部分なのですが、基本的に、ストーリーらしいストーリーはありません。言葉遊びに近いナンセンス詩や、不条理な展開がたまらないコントなどが収められています。
 例えば『夢』と題された作品。薮の中を通り過ぎる警官の夢を見る男を描いた、ただそれだけの作品です。『フェージャ・ダヴィードヴィチ』は、妻に隠れてバターを口にほおばった男の物語。『衣装箱』は、衣装箱に潜り込んで生と死を考える男の奇妙な話です。
 また『墜落する老婆たち』は、墜落する老婆たちを描いたシュールな作品。イメージがとても面白いので、一部を引用してみます。
 
 一人の老婆が異常な好奇心のために窓から落ち、地面に叩きつけられて粉々になった。
 窓からもう一人の老婆が身を乗り出して、下の、粉々になった老婆を見ていたが、極度の好奇心のために同じように窓から落ちて、地面に叩きつけられて粉々になった。
 さらに三番目の老婆が窓から落ち、四晩目、そして五番目が落ちた。


 この作品に限らず、どの作品にも、とくに意味があるとも思えない、シュールなイメージが溢れています。しかも、不条理ながらも、陰湿ではなく、陽気な雰囲気を持っていて、楽しく読めるのが特徴です。
 そして、ハルムスの作品自身の魅力もさることながら、西岡千晶の挿絵もじつに魅力的です。繊細で震えるような描線で描かれた画風は、ハルムスの作品とぴったり! まるで文章と絵が一緒に作られたかのようで、もはや、挿絵の領域を超えているといってもいいでしょう。
 とくに、いくつかの戯曲形式のコントにつけられた挿絵は、上質のコラボレーションともいうべき出来です。寝転がったプーシキンとゴーゴリが、互いの体につまずきあうという、人を喰った作品『プーシキンとゴーゴリ』、劇団員全員が吐き気をもよおして、舞台から退場してしまうという『失敗した芝居』などに至っては、挿絵と文章のレイアウト、間のとり方が、じつに絶妙で、感嘆させられる事しきりです。
 装丁も、戦前の児童書を思わせる瀟酒なもの。軽装ながら、洒落た箱もついており、ずっと手もとに置いておきたくなるような、愛らしい本に仕上がっています。

夢のかなう国  アレクサンドル・グリーン『深紅の帆』
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深紅の帆
アレクサンドル・グリーン
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 19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したロシアの作家、アレクサンドル・グリーン。現実の世界とは隔絶した、自分だけの世界を描き続けた作家です。彼が描くのは、通称〈グリーンランディア〉と呼ばれる、現実のロシアとは異なった世界。ロマンスと冒険にあふれた、澄んだ世界観には独自の魅力があります。
 グリーン作品に登場する人物は「〜スキー」とか「〜ノフ」などというロシア風の名前ではなく、みな英語風の響きの名前を持っているのですが、それがまた無国籍風の雰囲気を醸し出すのに一役買っています。作者名を伏されたら、おそらく英語圏の作家だと思うのではないでしょうか。
 彼の作品の特徴のひとつとして、超自然的な要素が薄い、という点があります。幻想的な要素が散りばめられながらも、はっきりとしたファンタジーや幻想小説になりきらないところに、もどかしさを覚える方もいるかもしれません。ただ、普通の人々の日常生活を描いているだけでも、そこに「みずみずしさ」や「透明感」が感じられるのです。作品全体が、童話的な雰囲気を帯びているとでもいえばいいのでしょうか。本書『深紅の帆』(原卓也訳 フレア文庫)もその例にもれません。
 舞台はどことも知れぬ村カペルナ。船乗りのロングレンは、長い航海から帰ってくると、娘を残して妻が死んだことを知ります。船乗りをやめたロングレンは、娘と二人で暮らすことになります。娘のアッソーリは夢見がちな子どもでしたが、ある日、森で出会った詩人から「深紅の帆」の物語を聞き、それを信じ込みます。それはいつか「深紅の帆」の船に乗った王子様がやってきて、自分を幸せにしてくれる、というものでした。
 一方、資産家の息子で、意志の強い少年アーサー・グレイは、船に船員として乗り込みます。経験を積んだ後に、彼は、自分の船を持ち、船長として航海を続けていました。航海の途中、カペルナに立ち寄った際に、グレイは眠っているアッソーリに出会いますが、いたずら心から、指輪をアッソーリの指にはめて立ち去ります。アッソーリについての話を聞いたグレイは、彼女の願いを叶えて、自分の妻とするために「深紅の帆」を自らの船にかかげて、アッソーリを迎えに出かけます…。
 ものすごく単純かつ純粋な物語です。完全な「夢物語」といってしまっても、さしつかえありません。物語の筋に、たいした起伏やサスペンスなどはなく、要約してしまうと、夢見る少女のもとに王子様がやってくる、という身も蓋もない物語ではあります。しかし、この心地よさはなんでしょう。
 思うに、グリーン作品の「心地よさ」の原因は、おそらく、登場人物たちがみな「夢」を信じている、といった一点につきるのではないでしょうか。「現実」の汚さにまみれていない、純粋な人間たちの物語は、生活に疲れた現代人の心を癒してくれます。
 気分が沈んだときに読みたい、そんな、愛すべき一編です。



プロフィール

Author:kazuou
男性。本好き。短編好き。異色作家好き。
主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。雑誌に埋もれた短編を紹介する「埋もれた短編発掘!」コーナーもあり。「奇妙な味」の作品がお好きな方は必見です。
記事の新旧に関わらず、コメント・トラックバックは歓迎しています。



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