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過去と孤独  キット・ピアソン『床下の古い時計』

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床下の古い時計 単行本 – 1991/1/1


 キット・ピアソンの長篇『床下の古い時計』(足沢良子訳 金の星社)は、少女が古い懐中時計の力により過去にさかのぼり、子供のころの母親と出会うという、時間ファンタジー作品です。

 離婚を前提とした父母の話し合いの中で、12歳の娘パトリシアは、しばらくの間、母ルツの妹であるジニー叔母夫婦のもとに預けられることになります。おとなしいパトリシアは、活発ないとこたちとの間に壁を作ってしまい、孤独感を抱えていました。
 一人で過ごしていたパトリシアは、たまたま小屋の床下に隠されていた古い懐中時計を見つけます。それは彼女の祖母ナンの持ち物だったらしく、若くして亡くなった婚約者ウィルフレッドからのメッセージが刻まれていました。
 時計のねじを巻いて、外に出てみたところ、そこで少年二人と少女一人のきょうだいたちに出会います。しかしパトリシアの姿は彼らには見えないようなのです。彼らの顔に見覚えを感じたパトリシアは、彼らが、昨夜見た母親とそのきょうだいたちの古い写真と同じ顔であることに気がつきます。
 どうやらパトリシアは、35年前、母親ルツが子供のころの時代に来ているようなのですが…。

 両親の不和、独立心の強い母親との軋轢に悩む少女パトリシアが、叔母の家に預けられるものの、そこでも人間関係に悩みます。ふと見つけた古い懐中時計の力により、子供時代の母親がいる過去に行ったパトリシアが、立場は違えど、孤独感を抱えているらしい母親の姿を見て、そこに共感を抱き、母親の気持ちを理解しはじめるようになる…という作品です。
 いわゆるタイムトラベルを扱っていますが、あくまで主人公側は傍観者で、一方的に物事を見るだけ、という形になっています。相手側には自分の姿が見えず、物理的に干渉することもできません。それゆえ過去に起こったことをただ目撃するだけなのです。
 ただ、主人公パトリシアが目撃するのは、母親ルツの少女時代であり、それらを目撃することでパトリシアの中の母親や家族観が変わっていき、母親への理解を深めると同時に、自らも現実的に成長する、という物語になっています。

 パトリシアはおとなしい少女で引っ込み思案、活発で元気ないとこたちとなかなか親しくなれず、孤独感を抱えてしまいます。特にいとこの一人で美しい少女ケリーからは嫌われてしまいます。ふと見つけた時計の力により、母親の過去の姿を見ることになりますが、そこで目撃したのは、活発で独立心旺盛な少女の姿でした。
 何か目立つことをすると「女の子なのだから」とたしなめられてしまい、また兄のゴードンやロドニーと一緒にいたずらをしても、彼女だけがしかられることになるのです。家族から浮いてしまい、孤独感を抱えるルツの姿にパトリシアは共感を抱くことになります。
 とくに母親のナンとの軋轢は根深いものがあり、大人になったルツとナンとの仲も良くないことをパトリシアは知っているだけに、そこにも興味を抱くことになります。
 小さいころにあったきりで、祖母に対してほとんど知識がないパトリシアが、過去で若いころの祖母の姿を見るのとほぼ同時期に、叔母の家にやってきた年老いた現実の祖母にも出会うことになる、というのは面白い展開ですね。

 時間が経つにつれて、ケリーをはじめとするいとこたちとも仲良くなっていき、孤独感を解消することになるパトリシア、過去の母親を通して理解を深めるものの、現実の母親との仲が良くなったわけではありません。
 父母の離婚が進むなか、現実世界で迎えに来た母親ルツとパトリシアは理解し合えることができるのか…?というところも読みどころですね。
 娘のルツに厳しく接していた祖母ナンもまた、自らの婚約者を失っており、彼女なりの考え方をしていたことも示されます。ルツとパトリシアの親子間だけでなく、過去にさかのぼるナンとルツの親子間の愛憎もまた描かれることになり、三代にわたる家族について考えさせられることになるという、真摯なテーマの作品ともなっています。

 最終的には、家族やいとこたちとの絆を築くことに成功するのですが、序盤、人間関係に悩む主人公の孤独感の描写は強烈です。叔母の手前、いとこたちと遊んでいるふりをして一人で過ごすことになるパトリシアが描かれるシーンでは、そのいたたまれなさは印象深いですね。
 広い意味での家族の問題を扱った作品で、タイムトラベルという空想的なテーマを使用していながらも、その手触りは非常に現実的なファンタジー作品になっています。大人が読んでも読み応えのある秀作です。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

理想の家族  キット・ピアソン『丘の家、夢の家族』

丘の家、夢の家族 単行本 – 2000/10/1


 キット・ピアソンの長篇『丘の家、夢の家族』(本多英明訳 徳間書店)は、幸せな家族に憧れる少女が、理由も分からないまま、願った通りの「夢の家族」の一員になるというファンタジー作品です。

 バンクーバーで母親リーと暮らす少女シーオは、家族に憧れていました。母親のリーは16歳でシーオを生んだものの、父親は行方知れず、自分自身もまともな定職に就かず、娘のシーオを放置していました。
 ボーイフレンドの出来たリーは、シーオを姉のシャロンに預けようと考えます。シャロンの住むビクトリアに向かうフェリーの中で、仲の良さそうな四人きょうだいとその両親に出会ったシーオは、彼らのような家族の一員になりたいと強く願い、その直後に意識を失ってしまいます。
 目を覚ますと、彼女はなぜかフェリーで出会ったカルダー家の家族の一員となっていました。夢のような家族と幸せな生活を送るシーオでしたが…。

 経済的にも精神的にも孤独な少女シーオが、幸せな家族の一員になりたいと願った結果、何らかの理由でその願いが叶うことになる…というファンタジー作品です。
 主人公のシーオは不遇な少女で、母親からは育児放棄に近い扱いを受けています。食べ物もろくに与えられず、衣服などもほとんど買ってもらえません。母親にボーイフレンドができればほとんど放置状態、時には物乞いの真似までさせられています。
 彼女の唯一の楽しみは本を読むことぐらいで、図書館から本を借りてきては読みふけっていました。物語に没入することは現実世界から逃れたいという思いの表れでもあり、そのため本を読んでいないときでも、現実逃避のあまり空想をしがちで、学校の授業もろくに頭に入らないのです。
 カルダー家での生活を体験している時期には、本に対する興味が薄れてしまうというのも、もともと現実逃避の要素が強かったゆえでしょうか。

 シーオが夢見ていた家族との生活は、空想していた理想の生活そのものなのですが、何らかの原因で起きていた不思議な出来事は、また何らかの原因によって終わってしまうことになります。
 空想か夢だと思っていたカルダー家の人たちとの生活ですが、カルダー家やその住人たちが実在することが分かり、シーオは再び彼らの一員になりたいと、彼らに接触することになります。しかし、一緒に暮らしていたときは理想の家族だったはずのカルダー家の人たちも、思っていたほどの理想的な人物たちではなく、不平不満を訴えたり、仲違いしたりと、ごく平凡な普通の家族であることが徐々に分かってきます。
 また、カルダー家の人たちに憧れるあまり、彼らと比較して、持て余していた友人のスカイも、そこまで嫌な人間ではないことも分かってきます。

 後半では、自分の空想や理想を通して観てきたカルダー家の人々や友人に対して、彼らを等身大の現実的な存在として受け入れるシーオの成長が描かれていきます。
 それは母親のリーに対しても同様です。最後まで母親としても人間としてもあまり成長の見られないリーに対して、なるようにしかならない、しかし自ら主張すべきことは主張する、という現実的な落としどころを見つけるという展開は、ファンタジーとしては夢がないところではあるのですが、非常にリアリティがありますね。

 ヒロインが本好きということで、様々な児童文学やファンタジー作品が言及されるのも、楽しいところです。『砂の妖精』『ふくろ小路一番地』『シャーロットのおくりもの』『ナルニア国ものがたり』『ツバメ号とアマゾン号』『若草物語』など、
名作のタイトルが多く言及されています。
 シーオの出会うきょうだいが四人であるのは、『砂の妖精』に代表されるイーディス・ネズビット作品の主人公たちの構成を思わせるところがあり、シーオの空想が反映されていると考えてもいいのかもしれません(ネズビット作品の主人公の子どもたちは四人か五人のきょうだいであることが多いのです)。

 主人公シーオが夢の家族の一員になるという、一種の超自然現象に関する部分の解釈もユニークです。ある種の「現実改変」に近い扱いなのですが、仮定されるその原因も独特の設定になっています。
 シーオが主人公であり、彼女の成長を描く物語ではあるのですが、彼女の物語自体がまた別の人物の人生の物語でもあったことが分かるという結末には、感動がありますね。それに伴って、物語がメタフィクショナルな展開を見せるところもユニークです。
 夢と現実、両方を見据えた上でリアリティーは失わず、なおかつ物語の楽しみを味あわせてくれる、現代ファンタジーの秀作かと思います。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

大いなる犬たち  アンドレ・アレクシス『十五匹の犬』

十五匹の犬 (はじめて出逢う世界のおはなし カナダ編) (日本語) 単行本 – 2020/11/27


 カナダの作家アンドレ・アレクシスの『十五匹の犬』(金原瑞人、田中亜希子訳 東宣出版)は、ギリシア神話の神々によって人間の知性を与えられた十五匹の犬たちを描く、寓話的ファンタジー作品です。

 カナダ・トロントのレストランバー〈ウィート・シーフ・タヴァーン〉で、話し合っていたギリシア神話の神アポロンとヘルメスは、ある賭けをします。それは何匹かの動物に人間の知性を与え、そのうち一匹でも死ぬときに幸福だったらヘルメスの勝ち、皆が不幸であればアポロンの勝ち、というものでした。
 近くの動物病院にたまたま預けられていた十五匹の犬が対象となり、人間の知性を与えられた犬たちは変化を始めることになりますが…。

 神によって知性を与えられた犬たちを描く、寓話的要素の濃いファンタジー作品です。 主人公の犬たちが十五匹もいるということで、群像劇的に複数の犬が描写されていくのかと思いきや、序盤からどんどん犬が死んでしまうのに驚きます。病院で安楽死させられてしまう犬を別としても、群れの中での序列をめぐっての争い、どう生きるのかの方針をめぐっての争いなど、人間並みの知性を持ったとしても、犬としての本能自体がなくなったわけではなく、群れの中で、次々と争いが発生してしまうのです。

 犬たちの中でも何匹かの犬がメインに描かれます。群れの中で一番の力を持つリーダー的存在のアッテカス、与えられた知性を使い思索を深めるマジヌーン、感性豊かで詩を作る芸術家的なプリンス、日和見主義者にして利己主義の塊であるベンジー、この四匹が中心となって物語が展開していきます。
 知性を持とうが、飽くまで犬として生きるべきだとするアッテカスは、自分と考えが合わない者、邪魔になる者を殺したり追放したりします。与えられた知性を使おうとするマジヌーンとプリンスは、ことに彼にとっては目障りであり、相容れない二匹は群れを離れることになるのです。
 自分の意に従うものだけを群れに残したアッテカスは、犬本来の生活を強要しようとしますが、従来と同じ生き方はできず、かといって本来の本能もなくなったわけではなく、群れの序列などをめぐって、血で血を洗う抗争も起きてしまうのです。
 従来通りの生活をしようとするものの、知性があるがために、犬たちの行動が「犬のふり」のような不自然な形になってしまう…というのも面白いところですね。

 登場する場面も一番多く、おそらく主人公として描かれているマジヌーンは、アッテカスとは対照的に、与えられた知性を精一杯使おうとします。あるとき出会った人間の女性ニラと良好な関係を結んだマジヌーンは、人間の言葉を学び、言葉によって彼女と交流していくことになります。
 深いところでニラとつながりながらも、犬としての本能から彼女とその恋人に対して序列を意識してしまったり、共に鑑賞した人間の芸術作品については異なった意見を持つなど、犬と人間との世界観や文化の違いが描かれている部分は、哲学的で面白いですね。

 詩を作り続けるプリンスや思索的なマジヌーンなど、知性によって幸福な体験を得る犬も少数ながらいますが、ほとんどの犬は大体において不幸であり、残酷な死を迎える犬たちが大部分となっています。圧倒的な力で群れを支配するアッテカスもその例外ではなく、全体に非常にシビアな物語となっています。
 知性を持っていても、本能的に犬たちは群れの序列を求めてしまい、互いに公平な関係を結ぶことができません。そこに知性を持つがゆえの不満が重なり、群れの中での争いが発生してしまうのです。
 その点、利己主義者であり、ずる賢く立ち回るベンジーのキャラクターも印象的です。力の強いアッテカスに服従しながらも、常に裏をかく方法を探したかと思うと、再会したマジヌーンを利用しようとしたり、さらに人間たちにも取り入るという、日和見主義的な言動を繰り返すのです。

 メインとなる犬の他にも、序列は下のほうでありながら常に上をうかがう野心的なマックス、凶暴な双子の兄弟フラックとフリック、姉妹のような友情を結ぶことになるアイナとベルなど、知性を持った犬たちの姿は、人間以上に人間的に描かれています。

 アポロンとヘルメス以外にも、ゼウス、運命の三女神など、ギリシャの神々が多数登場し、何人かは犬たちの運命にも干渉することになります。神々の介入によって犬たちの運命はどうなるのか? 死を迎える際に幸福に死ねる犬は一体誰なのか? アポロンとヘルメスの賭けはどうなるのか?
 どの犬がどんな運命を迎えるのか、彼ら同士の関係性はどうなるのか、とてもスリリングな物語になっています。犬としての生き方と人間的な知性との相克など、哲学的な部分にも読み応えがあり、いろいろと考えさせるところもありますね。傑作といってよい作品だと思います。


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孤独の終わり  イアン・リード『もう終わりにしよう。』

もう終わりにしよう。 (ハヤカワ・ミステリ文庫) (日本語) 文庫 – 2020/7/16


 イアン・リードの長篇『もう終わりにしよう。』(坂本あおい訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)は、男性の両親が住む農場へ挨拶に行くカップルが、心理的な危機を迎える…という幻想的なスリラー作品です。

 付き合いたてのカップルである、ジェイクと「わたし」。二人はジェイクの両親が住む農場に挨拶に向かっているところでした。しかし「わたし」は、二人の関係を終わりにしたいことを言い出せずにいました。
 しかも、以前から「わたし」のもとには見知らぬ男からの不可解なメッセージがいくつも留守電に残されていました。車で農場に向かう途中にも、何度もその男かららしい電話がかかってきますが…。

 男性の両親のもとに挨拶に向かうカップルを描いていますが、女性側は別れを切り出すことを考えていた…という、一見すると心理スリラー的作品に見えるのですが、その実、そうしたジャンル分類には収まらない奇妙な味わいの作品です。
 ジェイクの言動が不自然なこと、「わたし」の来歴が曖昧なこと、「わたし」に電話をかけ続けてくる謎の男のメッセージも意味が不明であるなど、不穏の塊のような物語で、どこか超自然的な雰囲気さえ漂わせており、実際その読み味もホラーに近いです。

 カップルの物語の合間に挟まれる、殺人か自殺に関わる捜査らしきパートも、最初のうちは全体の物語とのつながりが全く分からず、作品の不気味さを増しています。
 結末では事件の真相が明かされ、それによって、それまでの不可解な点が伏線として機能していたことが分かるのですが、それでも多数の不明点が残るなど、不条理度の高い作品になっていますね。

 メインのテーマは、おそらく「孤独」とその「救済」なのではないかと思います。主人公の二人のカップルは、恋人でありながら、それぞれ孤独を抱えており、二人の間にはどこか壁のようなものがあります。
 それでも二人が一緒にいるのはなぜなのか? 女性側の「わたし」が別れを切り出さないのはなぜなのか?
 その理由が示されるラストには、非常に説得力がありますね。
 こうしたテーマをこのような不条理スリラーのような形で描いているのは、試みとして新しく、一読の価値がある作品なのではないかと思います。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

物語を続けよう  トマス・ウォートン『サラマンダー -無限の書-』
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トマス ウォートン Thomas Wharton 宇佐川 晶子
早川書房 2003-08

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 読み続けても終わらない、無限に続く本。それは、本好きの人間が夢見る究極の願望です。カナダの作家トマス・ウォートンの作品『サラマンダー -無限の書-』(宇佐川晶子訳 早川書房)は、真っ向からそのテーマを扱った力作。
 舞台は18世紀、オスマン・トルコとの戦争で息子を、出産で妻を失った、スロヴァキアの貴族オストロフ伯爵は、領地の城に閉じこもってしまいます。パズルや暗号など、謎かけの熱狂的な愛好者である伯爵は、自らの城を機械仕掛けに改造する作業に没頭します。
 城内のあらゆる部屋や家具は、機会仕掛けにより、次々とその場所を変えるようになります。そしてその中核にあるのは図書館でした。

 客が芳香を放つ風呂を楽しんだり、淫らな気分で召使いを追いかけたりしていると、目に見えぬギアの震音とともに、岩のように堅牢だったはずの仕切がうしろへ滑走し、本棚やら読書机やらががたごととそばを通過し、しばしばそのあとを伯爵当人が時計を見ながら、家具の進み具合の正確さとタイミング以外いっさい眼中にない様子で歩いていくといったありさまだった。

 城内の本の管理をするのは、伯爵の娘イレーナ。今や、たった一人の家族となったイレーナを、伯爵は溺愛していました。婚期を迎えても、まったく結婚する気のないイレーナでしたが、伯爵は、娘が自分の助手としても有能であることを発見して以来、城内の人間の数を減らし、ひたすら機械仕掛けを増やしていました。
 ある日、城にとどいた本の仕掛けに感心した伯爵は、ロンドンから、それを作った印刷職人フラッドを呼び寄せます。そして、フラッドにつきつけられた課題とは驚くべきもの。なんと、無限につづく本を作れというのです!
 フラッドは、難題に対し試行錯誤を続けますが、やがてイレーナとの間に恋が芽生えます。しかし、二人の仲を知った伯爵は、激怒し、フラッドを地下牢に幽閉してしまうのです。
 そして十数年後、フラッドの独房を一人の少女が訪れます。

 「こんにちは、シニョール・フラッド」彼女は英語でいった。「わたしの名前はパイカ。あなたの娘です」

 フラッドが幽閉から解放された理由とは? 彼女は本当にフラッドの娘なのでしょうか? やがてフラッドは、パイカとともに「無限の書」を求めて旅に出ることになるのです。そしてイレーナの行方は…?
 書物をめぐる幻想小説、なのですが、作品中にあらわれるガジェットがことごとく魅力的。無限に続く本、機械仕掛けの城、動く書棚、人工庭園、驚異の小部屋、自動人形、女海賊。何より全体を通して、書物や本に対する愛情が感じられるところが、本好きにはこたえられないところです。
 前半のオストロフ伯爵の城での「無限の書」作りのくだりは、もう素晴らしいの一言につきます。動く図書館とも言うべき城のからくりは、どれも魅力的です。そして機械仕掛けの城で繰り広げられる、フラッドとイレーナのロマンスもなかなか。
 ただ、幽閉されたフラッドが、娘とともに旅に出る後半になると、どうも作品のトーンが異なってくるのに気がつきます。海洋冒険小説的な色彩が濃くなってくるのです。フラッド父娘はつぎつぎと仲間を加え、世界中の様々な都市を訪れることになります。ヴェニス、アレキサンドリア、スリランカ、マダガスカル、広東など、その旅はエキゾチックかつファンタスティック。ストーリーの合間に、本編とは独立したエピソードもはさまれ、これはこれで飽きさせません。
 ただ、上にも書いたように、「無限の書」作りに対する焦点がぼけてくるきらいがあるのは否めません。目的自体がなくなったわけではないものの、旅の途上の異国の風物や冒険の方が、前面に出てくる感じなのです。その点、作品冒頭のトーンで、話が進むと思っていると、ちょっとはぐらかされます。端的に言うと、前半と後半とで、どうも違う話のようなのです。
 主人公だと思っていたフラッドが、あまり積極的に活動しないのも、ちょっと気になります。オストロフ伯爵に幽閉されてからは、ほとんどいいところなし。対して、その後は娘のパイカが主に活躍することになります。しかしそれでも「無限の書」作りが明確に達成されるわけでもなく、結末もどうも曖昧なのがちょっと弱い。
 そして、致命的に弱いのは、やはり作中での「無限の書」の扱いでしょう。「無限の書」というからには、それなりの魅力を感じさせなくては駄目だと思うのですが、この作品では、その内容も明確に示されず、曖昧なまま終わってしまいます。前半は、内容というよりもむしろ物理的な仕掛けで「無限」を作れないかという試み、後半になってからは、象徴的な「無限」として、話をにごしてしまうのです。まあ強いて解釈するなら、後半の冒険行そのものが、すなわち終わらない旅であり、「無限の書」である…、ともとれなくはないのですが。
 さらに言うなら、伯爵やフラッドが、なぜ「無限の書」に取り憑かれるようになったのかという点にも、あまり説得力が感じられません。この「無限の書」の魅力を読者に感じさせることができたなら、本作は、もっと素晴らしい作品になったと考えると、ちょっと残念です。
 ちなみに、読み終えた後、思い浮かべたのは澁澤龍彦の『高丘親王航海記』(文春文庫)でした。後半の旅のパートで訪れる、アジアやアフリカの都市の雰囲気など、実にそっくりです。ペダントリーも作中にばらまかれており、澁澤龍彦が好きな方なら楽しめるのではないでしょうか。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『奇妙な味の物語ブックガイド』「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」を刊行しました。



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