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リドル・ストーリー補遺
 <リドル・ストーリー>とは、物語中で提出された謎が解決されないままに終わる物語ジャンルです。以前に記事をまとめたこともありますが、それ以降に読んだり再読した<リドル・ストーリー>、及び関連作品をまとめて紹介しておきたいと思います。


フランク・R・ストックトン「女か虎か」(紀田順一郎訳 紀田順一郎編『謎の物語』ちくま文庫 収録)
 その王国では、絶大な権力を持つ王のもと、ある裁きが行われていました。それは闘技場で罪人に二つの扉のうち、どちらかを選ばせるというもの。
 片方には虎がおり、こちらの扉をあければ食い殺されてしまいます。もう片方には美女がおり、こちらを開ければ、強制的にその娘と結婚させられるのです。
 王女と恋をした罪で罪人となった若者は、裁きにかけられることになりますが、王女はその権力を使用し、二つの扉のうち、どちらに虎がいるかを知ります。王女は若者に合図をしますが、実際に現れたのは女だったのか、虎だったのか?
 〈リドル・ストーリー〉の代名詞ともいうべき作品です。明確に二つの選択肢が示され、どちらも同じぐらいあり得る…と思わせる、優れた設定の作品です。


フランク・R・ストックトン「三日月刀の督励官」(紀田順一郎訳 紀田順一郎編『謎の物語』ちくま文庫 収録)
 若者が裁判にかけられてから一年ほど後、遠い国から使者がやって来ます。裁判の結末を教えてほしいという使者に対し、役人はもう一つのエピソードを話し出します。
 ある国の王子が、王に対し、宮廷の侍女の誰か一人を花嫁にほしいと申し出ます。王は、王子に目隠しをしたうえで、侍女を進呈し結婚式をあげさせます。その後、花嫁を別の四十人の侍女と一緒にしてから、王子の目隠しを取り、自分の花嫁を連れ出しなさいと命令します。ただし、間違って他の女を連れ出そうとしたら、王子の命はないのです。
 四十人の侍女は同じような衣装をつけており、身動きをしてはいけないと王様に厳命されています。ただ、二人の侍女のみに、表情に変化が現れたのを王子は見て取ります。一人は微笑み、一人は眉を寄せています。王子が選んだのはどちらか? このエピソードの答えを当てられたら「女か虎か」の結末を教えようと言うのですが…。
 作者ストックトン自身による「女か虎か」の続編です。〈リドル・ストーリー〉の解答が〈リドル・ストーリー〉になっているという、なんとも人を食った続編です。
 正編と同じく、女性はこういう場合、どんな反応を示すものなのか? という設問になっており、どちらもあり得る…と考えられるところがにくい作品ですね。


ジャック・モフィット「女と虎と」(仁賀克雄訳 紀田順一郎編『謎の物語』ちくま文庫 収録)
 ヴァチカン図書館で司書を務めるチャールズ・セヴィアは、ストックトンが「女か虎か」についてのアイディアをローマの古書研究家から得たということを知り、研究を重ねた結果、ストックトンの物語に登場する王はヘロデ・アンティパスであり、王女とはサロメであることを確信します。
 その後、セヴィアはヘブライ文字で書かれた羊皮紙文書を発見します。それは、大祭司カヤパの娘ミリアムが父にあてた手紙であり、「女か虎か」の事件の真相を窺わせるものでした。
 ミリアムはギリシャ人奴隷のイアソンと相思相愛になりますが、サロメ王女はイアソンを見初め、自分のものにしたいと考えます。
 自らの生まれから野心を抱えるイアソンは、サロメの寝室に侵入した罪で「女か虎か」の刑を処されることになってしまいます。サロメにかけあったミリアムは、イアソンを助けミリアムと結婚させるというサロメの言葉を信じることになりますが…。
 アメリカの脚本家モフィットによる、ストックトン「女か虎か」についての解決篇です。
 物語に登場する王はヘロデ、王女はサロメであった、という設定で展開される物語です。作品は、もっぱら受刑者イアソンに恋するミリアムの視点で語られます。ストックトンの原作ではほとんど語られなかった、登場人物の性格や過去など、キャラクターの肉付けがされており、物語として厚みを増しています。
 サロメが意外に善人で、ハッピーエンドになるのかと思いきや、思いもかけない結末が待ち構えています。イアソンはともかく、純真な少女であるミリアムを襲う運命は悲劇的で、後味はちょっと悪いですね。
 解決を求められて書いた続編がまた〈リドル・ストーリー〉になっていたという原作者ストックトンとは異なり、ちゃんと結末が付けてあるところが評価される所以でしょうか。解決の一つの形として、なかなか上手い作品だと思います。


福永武彦「女か西瓜か」『加田伶太郎全集』扶桑社文庫 収録)
 夏の海岸にやってきた雄ちゃん、西川君、ハジメ君の中学生三人組。ハジメ君は、近くに立ててあったビーチパラソルの中をじっと観察していました。パラソルの下には胸板の厚い日焼けした男と小柄な若い娘の二人がおり、西瓜を食べていました。さっきまで見当たらなかった西瓜が、いつの間にか現れたことに対して、ハジメ君は手品のようだと話します。やがて男は女を砂に埋め始めます。仲のいい恋人だと考えたハジメ君は関心を失って泳ぎ始めます。
 元の場所に戻った三人は、先ほどの男から西瓜を食べないかと誘われます。砂に埋もれた西瓜を指し示した男は、余興として西瓜割をやるといいと言い、ナイフを渡します。面白がった中学生たちはナイフで西瓜割をやり出しますが、ハジメ君は恐ろしい想像をしていました…。
 男が女を殺した…、もしくは中学生たちに殺させようとしていたのではないか、という疑いが持ち上がるミステリ作品です。結末がはっきり示されないため、ハジメ君の想像が当たっていたのかそうでないのかは分からないようになっています。
 ちょっとサイコ・スリラー味もあって、怖い作品ではありますね。都筑道夫の解説によれば、作中に手掛かりが隠されており、よく読むと真相が分かるようにはなっている…ということです。


都筑道夫「即席世界名作文庫 別巻一 ストックトン集 女か虎か」『悪夢図鑑』桃源社 収録)
 ストックトン「女か虎か」を原文で読んだ杉田省造は、小説の結末が気になり、もしあなたが小説の王女だったらどちらの扉を若者に教えるかと、たびたび女性に聞くようになっていました。答えを教えてくれる女性が多いなか、答えをはぐらかしていた市村しず江に惹かれ、彼女と結婚することになります。
 しかし、何年経っても、しず江は問題の答えを教えてくれません。結婚四年目、例の質問をきっかけに別の女に恋するようになった省造は、しず江と別れることを決心します。省造は、しず江に対してある提案をしますが…。
 世界の名作小説のパロディーをまとめたシリーズ「即席世界名作文庫」の一篇です。ストックトン「女か虎か」に執着した男が、それをきっかけに女と結婚し、またそれをきっかけに分かれることになる…という短篇です。
 女は「女か虎か」の答えを話してくれないのですが、男が最終的に持ち出す手段によって、その答えが分かる、という洒落た趣向です。
 「女か虎か」の問題は、結局のところ、「女ごころの謎をとけ」という形に集約されるという指摘は、なるほど、という感じですね。


小松左京「女か怪物(ベム)か」『御先祖様万歳』角川文庫 収録)
 その惑星の大物であるP・ゴッドフレイ博士は、ブランディを口にはこびながら客たちに話をしていました。話の途中で見知らぬ美しい女性が現れますが、客たちは皆が理想の女性だとひそかに思っていました。
 博士はストックトンの「謎小説(リドル・ストウリイ)」である「女か虎か」と似たような話を聞かせようと、話を始めます。五十年ほど前、事故のせいで、まだ若いジムはその惑星に一人取り残されることになります。たった一人残され、暇つぶしもなくなってしまった彼は、理想の女性の姿を想像の中で描き出すようになります。
 アルコール中毒になりながらも想像を続けた結果、とうとう理想の女性、ベアトリスが姿を現します。理想の女性の出現に喜ぶジムでしたが、いつの間にかベアトリスの体がドロドロしたものに変わっているのに気が付きます。どうやら酒の効果がある間にだけ、それは女性に見えるようなのです。
 ある日、ベアトリスがいるらしい部屋をへだてるカーテンの前で、ジムは光線銃を持って立っていました。部屋にいるのは女なのか、怪物なのか…?
 ストックトン「女か虎か」からインスピレーションを得て、舞台を宇宙に取ったSF短篇作品です。アルコールと妄想の力で美女をつくりあげた男を描く作品です。美女の正体が「怪物」であることに気づいた男が、その美女をあきらめることもなかなかできない、というお話になっています。
 ジムがカーテンの向こうにどちらを見たか?という〈リドル・ストーリー〉になっているのですが、結末において、さらに別の形で「女か、怪物(ベム)か」の選択が迫られるという、二重の形の〈リドル・ストーリー〉となっています。これは凝っていますね。


E・D・ホック「女かライオンか」(谷田貝常生訳「ミステリマガジン1979年12月号」早川書房 収録)
 石油で潤う中東の国アンゴ・ファールにやってきたエレクトロニクスの専門家コンラッド。彼は国の統治者に呼ばれて、隠しマイクと盗聴記録装置を取り付けることになっていました。コンラッドと気の置けない会話をし、アメリカで流行するビデオ・ゲームをするなど、首長は、一見気さくな人物でしたが、リブ活動にかぶれた娘について嘆いていました。
 首長の部下アルジア・モハッドに監視されていたコンラッドは、彼との会話から、自分が装置を取り付け終わったときに殺される計画であることを察知します。
 ある夜、襲ってきたアルジアを返り討ちにしたコンラッドは、首長に掛け合います。首長は助かるためには自分とゲームをしなければいけないと話します。負けたらライオンの餌食、勝ったなら命を助ける、ただし娘の夫として…。
 「女か虎か」の舞台を中東、虎をライオンに置き換えた作品です。ただし〈リドル・ストーリー〉にはなっておらず、純粋な冒険譚となっています。「女か虎か」のような舞台設定を現代で実現するために、絶対的な権力者として中東の君主を登場させたものでしょうか。
 主人公コンラッドは美しい首長の娘との結婚は悪くないと考えているものの、娘の方は彼の過去の離婚歴を知り、彼のことを嫌っている、というのも面白いところですね。


生島治郎「男か?熊か?」『死は花の匂い』旺文社文庫 収録)
 新聞の身上相談欄を受け持つことになった精神医学者の「ぼく」のもとには、直接、家に相談に訪れる人間も多くなっていました。その一人、畑中権三郎は、ある相談を持ち掛けてきます。彼は趣味として始めた猟をするために入った山の中で、熊と思われる黒いものに対して引き金を引き、結果も見ずに逃げ帰ってきたというのです。「助けてくれ」という人間の悲鳴を聞いたような気もするという畑中は、自分が撃ったのが熊だったのか人間だったのかを確かめないことにはノイローゼになってしまうと告白します。
 畑中と共に、現場である山の中へ出かけることになった「ぼく」でしたが…。
 山の中で男が撃ったのは熊だったのか、人間だったのか、という謎と共に、男の話自体が本当だったのか、妄想だったのか、という可能性も示唆されるという〈リドル・ストーリー〉です。
 後半では、訴えていたことが事実かどうかは別として、畑中の精神状態がおかしくなっており、さらに語り手の「ぼく」もまた遺伝的な精神分裂の気味があるため、精神状態が普通でなくなってくる…という、非常に不穏な作品になっています。


家田満理「女も、虎も……」(阿刀田高編『ショートショートの花束4』講談社文庫 収録)
 王女と懇ろになった罰として、家臣の男は、美女か人食い虎か、どちらかが現れる扉を一つ選ばされることになります。しかし、王は娘に執念深く恨まれることを恐れ、二つの扉のどちらにも美女を入れることを、腹心の家臣に命令します。
 一方、恋人の男に飽きてきていた王女は、別の娘と男が結ばれるのを腹立たしく思い、二つの扉のどちらにも虎を入れるようにと家臣に命令します。
 王と王女、二人から矛盾する命令を受けた家臣は悩むことになりますが…。
 フランク・R・ストックトン「女か虎か」のストーリーを前提に、当事者たちの心理を描いた作品です。ストックトンの原話では最後まで謎だった王女の心理と、こちらもほとんど触れられない王の心理を描いているという、目の付け所の面白いオマージュ短篇です。
 家臣の取った策が強烈で、おそらく男を待つのは不幸のみ、という残酷度の高い作品になっています。


芦辺拓「異説・女か虎か」『迷宮パノラマ館 ヴァラエティ作品集』実業之日本社 収録)
 恋人が、美女と虎、どちらかが入った二つの扉の刑に処せられることになり、王女はついにどちらの扉に虎が入っているかを突き止めます。しかし、残忍な一面も持つ王女は、恋人が他の女と一緒になるのには耐えられません。悩む王女と同様に、恋人の男も悩んでいました…。
 王女はどちらの扉を指し示し、男はどちらを選んだのか? と思いきや、唖然とするような結末が待っています。ナンセンス味が強いですね。


芦辺拓「女も虎も」『迷宮パノラマ館 ヴァラエティ作品集』実業之日本社 収録)
 男が開けた扉からは、女も虎も、何も飛び出してきませんでした。いったい何が起こったのか…?
 王女と男をくっつけまいと、考えに考えた王の策略が思わぬ結果を生む、という作品です。こちらはユーモア度高めですね。
 ちなみに、この『迷宮パノラマ館』という本、いろんなジャンル・形式の作品を集めた「ひとり雑誌」的コンセプトの本になっています。モーリス・ルヴェルやL・J・ビーストンのオマージュ短篇などもあって、楽しいですね。


東野圭吾「女も虎も」『あの頃の誰か』光文社文庫 収録)
 殿様の妾のお猟に手を出した罪で、牢屋に捕らえられ処刑を待っていた真之介。処刑方法は特殊なものでした。三つの扉の前に立たされ、好きな扉を開かされるのです。一つには絶世の美女が入っており、その扉を開いたら彼女と結婚しなければいけません。また一つには、人食い虎が入っており、その扉を開ければ食い殺されてしまうのです。そして最後の一つには何が入っているかは分かりません。
 処刑の寸前にお猟から紙を渡された真之介は、そこに三番の扉を選びなさい、と書かれているのを見ますが、逆にどの扉を選ぶべきか悩むことになってしまいます…。
 「女か虎か」の二つの扉を三つの扉に拡大したという、面白い発想の作品です。主人公は幸運だったのか不運だったのか、どちらとも取れる結末になっています。読み終えると、タイトルの「女も虎も」に対してなるほど、となる仕組みです。


高橋葉介「女か虎か」『夢幻紳士 幻想篇』早川書房 収録)
 青年は、夜の公園で女性と連れ立って歩いていました。しかしなぜここにいるのか、女性は誰なのか記憶がありません。血痕と死体の一部を見つけた青年に対して、女性は、近くの動物公園から逃げた虎による犠牲者ではないかと話します。
 アパートに着くと、女性は自分が青年の浮気相手であることを明かします。しかし彼女の夫は嫉妬深く、浮気現場を見つかったら、ピストルで殺されるかもしれないというのです。そんな時、ドアをたたく音が響きます。女性はピストルを持った夫に違いないと、ドアを開けさせまいとします。
 一方、ドアの外の声は、自分は青年の「連れ」だと言います。さらに、虎に食われた女の死骸を見たショックで、青年は虎を女性だと思い込んでいるのだと話すのですが…。
 高橋葉介の漫画作品〈夢幻紳士〉シリーズの一つ『幻想篇』の一エピソードとなる短篇です。
 記憶の怪しい青年が連れ立っているのは人間の女なのか、それとも猛獣の虎なのか? ストックトンの同名作品にインスピレーションを得たと思しい〈リドル・ストーリー〉です。
 この『幻想篇』を通しての主人公である青年は、もともと精神のバランスを崩して入院していたことがあり、常に記憶がはっきりしません。何かしらの衝撃を受けると、脳が勝手に物語を作ってしまうのです。
 自分の目には人間に見えているこの女性が本当に人間の女性なのか、猛獣の虎なのか? また、女の言うことを信じるのか、ドアの外から話しかける「連れ」の言葉を信じるのか? といった選択肢が示されます。
 いったん事件の解決がついた後にも、事件は本当にその通りだったのか疑問を持たせるような展開になっており、多重仕掛けの〈リドル・ストーリー〉になっています。
 ちなみに、この『幻想篇』、精神のバランスを崩した青年が、毎回何らかのショックで「物語」を作り出してしまうものの、彼の「守護者」である夢幻魔実也によって、その真相が明かされる…という構造になっています。それぞれのエピソードの出来もさることながら、全体を通しての完成度が非常に高い作品となっています。


クリーヴランド・モフェット「謎のカード」(深町眞理子訳 紀田順一郎編『謎の物語』ちくま文庫 収録)
 パリを訪れたニューヨークの住人リチャード・バーウェルは、〈フォリー・ベルジェール〉で美しい女性を目に留めます。女性は突然、彼の卓へフランス語の文章が二行書かれたカードを置いていきます。
 フランス語の読めないバーウェルは、泊っているホテルの支配人に訳してほしいと頼みますが、カードを見た支配人はバーウェルをホテルから追い出してしまいます。別の宿の主人からも追い出されてしまったバーウェルは、カードをいろいろな人間に見せて、書いてあることを確かめようとします。私立探偵に相談したところ、警察に拘留され、さらに裁判にまでかけられ、フランスを国外追放されてしまいます。
 カードを妻に見せると、二度と一緒に暮らしたくないと言われ、共同経営者の親友ジャック・エヴァリスからは絶縁されてしまいます。ある日ブロードウェイを走る馬車の中に、カードをくれた女性の姿を認めたバーウェルは彼女の住まいをつきとめますが…。
 女性からフランス語で書かれた謎のカードをもらった男が、理由も分からず不幸な目に会い続けるという不条理作品になっています。カードを見る相手によってその具体的な反応は異なるものの、共通するのは自分に対する嫌悪感のようなのです。カードにはいったい何が書かれていたのか…?
 数ある〈リドル・ストーリー〉の中でも、いろいろ想像をたくましくさせるような設定の作品ですね。


クリーヴランド・モフェット「続・謎のカード」(深町眞理子訳 紀田順一郎編『謎の物語』ちくま文庫 収録)
 ベテランの開業医である「私」は、不吉な〈土星宮〉の手相を持つ患者リチャード・バーウェルに関心を持ちます。彼は慈善家として知られていましたが、ある日、背後から拳銃で撃たれてしまいます。
 しかも、彼には殺人容疑がかかっているというのです。瀕死のバーウェルから、謎のカードにかかわる過去の事件を聞いた「私」は、彼からカードを託されます。バーウェルの死後「私」のもとに現れた浅黒い肌の眼鏡の紳士は、著名な学者であり、かってバーウェルにカードを渡した女性の兄だといいます。
 紳士は、バーウェルと謎のカードの真相について語り始めます。バーウェルは生まれつき邪悪な悪霊に憑かれており、カードは本人にそれを自覚させるために作られたというのです…。
 不条理度の高い〈リドル・ストーリー〉「謎のカード」の作者自身による解決篇です。カードの被害者であった男は悪霊に憑かれた邪悪な存在であり、カードはその真実を示していたために、それを見た人々から恐れられていたという設定の怪奇小説になっています。
 続編では完全に超自然的な要素が導入されています。本編にもどこか超自然的な香りがしていただけに、その意味では「正統的」な続編になっていますね。
 問題の人物バーウェルは、悪霊に憑かれた、生まれつきの純粋な悪であり、滅すべき存在、とでもいうような激烈な主張が繰り返されます。大量の犠牲者が出ていたことが判明するなど、かなり凄惨な話になっており、カードのギミックも含めて、オカルト的な雰囲気が強くなっています。
 正編からこの続編を続けて読むと、びっくりする読者もいるのではないでしょうか。


エドワード・D・ホック「謎のカード事件」(村社伸訳 山口雅也編『山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー』角川文庫 収録)
 暗号通信の専門家ランドのもとに、死んだ旧友の娘であるジェンマが久し振りに現れます。彼女はモデルとして働いているというのですが、先日パリで出会った不思議な事件についてランドに語ります。カフェーで見知らぬ男からフランス語らしき文字の書かれたカードを渡されたというのです。
 ホテルの支配人に何が書いてあるのか尋ねたところ、追い出されてしまいます。別のホテルの主人や、知り合いのカメラマン、翻訳の代理店社長など、幾人かに同じ問いを投げかけますが、全ての人間から何も教えてもらえないまま追い払われ、挙句の果てには警察に捕まってしまったといいます。
 実物のカードを見たいというランドとジェンマは、カードを取りに家に戻りますが、その途中でカードをよこした男が近くにいるのにジェンマは気づきます。しかし男は突然倒れ、急死してしまいます。加えて、家から持ち出したカードからは文字が消えてしまっていました…。
 クリーヴランド・モフェットの〈リドル・ストーリー〉「謎のカード」の続編(解決編)となる短篇です。
 モフェット自身の続編「続・謎のカード」は、超自然的な怪奇小説になっていることで評判が悪かったそうですが、ホックの作品では、超自然は排除され、合理的な解決が図られたミステリ短篇となっています。
 イギリス諜報機関の暗号通信部《ダブル=C》部長を務める、暗号の専門家ジュフリー・ランドを主人公にしたホックのシリーズものの一篇です。カードには暗号が書かれており、その内容がカードを見たものに不穏な行動を取らせていた、という本格謎解きものになっています。
 モフェットの話の直接的な続編ではなく、現代において似たようなシチュエーションに遭遇した若い女性の事件として、再構成がされています。また作中で、探偵役のランドが、モフェットの「謎のカード」事件に言及するシーンもありますね。
 解決編として優れた作品なのですが、完全に解決されてしまうと、本編のミステリアスさが消えてしまうという意味で、ちょっと物足りない感覚はありますね。モフェット自身の続編の方が、オカルト的な謎が残っており、個人的にはこちらの続編の方が好きでした(個人的な嗜好によるところではありますが…)。


A・ハックスリー「ジョコンダの微笑」(太田稔訳 紀田順一郎編『謎の物語』ちくま文庫 収録)
 教養豊かな紳士ハットン氏は、病弱な妻を抱えながら若い娘ドリスを愛人としていました。さらに、ミス・スペンスとは友人づきあいをしているつもりのハットン氏でしたが、ミス・スペンスの方ではハットン氏に恋をしていました。
 ミス・スペンスと妻との昼食のあと、外出先でハットン氏は医者のリバードに会い、妻のエミリーが亡くなったことを知ります。その直後に、ミス・スペンスに結婚を迫られたことから、ハットン氏は彼女の元から逃げ出してしまいます。
 裏切られたと感じたミス・スペンスは、ドリスと結婚するために、ハットン氏が妻を毒殺したのだと言いふらし始めます…。
 相思相愛だと思い込んでいた男性がそうでなかったことが分かり、復讐心を抱く女性を描いた作品です。その復讐心が男性を悲劇的な結末に追い込んでしまうという点に残酷な味わいがあり、その点が〈奇妙な味〉作品と評価される部分でもありましょうか。
 ハットン氏は、妻がいながら愛人を作り、なおかつミス・スペンスに思わせぶりな態度を取るなど、教養人ではありながら、あまり褒められた人間ではありません。ですが、無実の罪で殺されるほどのことをしたかというと微妙なところで、かなりアンモラルな物語ではありますね。
 エミリーを毒殺したのは、夫のハットン氏なのか、それとも別の誰かなのか? というミステリ味があるのですが、実のところ、エミリーを毒殺したのは、ほぼミス・スペンスに間違いないようです。その意味では犯人は「謎」ではありません。
 男性への恋心が憎悪に変わるミス・スペンスの心理、過去に多くの女性とつきあいながらもどこか満たされないハットン氏、年上の男との不倫の恋に身をやつすドリスなど、登場人物それぞれの心の動きが独特で、そこに割り切れないものがある、という意味での「謎」が主眼になった作品ともいえるでしょうか。


ロード・ダンセイニ「野原」(原葵訳 紀田順一郎編『謎の物語』ちくま文庫 収録)
 ロンドンでの情景に倦んだ「私」は、美しい野原を見つけ、散策することになります。しかし二回目に訪れた際に、その場所に不吉なものを感じます。過去にその場所で何かがあったのではないかと、詳しい男に訊ねてみますが、特別な出来事はなかったといいます。それでは野原の苦しみがやってくるのは、未来からではないのかと「私」は考えます…。
 美しさに満ちた野原に立ち込める不吉な気配の原因とは何なのか? それが過去ではなく未来に起こる出来事に起因する、というのは面白いですね。さらにそれを解明するのが「詩人」であるというのも、ダンセイニらしい詩的な発想です。


サキ「宵やみ」(中西秀男訳 紀田順一郎編『謎の物語』ちくま文庫 収録)
 ノーマン・ゴーツビーは、公園のベンチで元気のない年配の男を見かけます。その男が去った直後に現れた若い男が怒鳴っているのを見たゴーツビーは、男から話を聞きます。
 泊まるつもりのホテルがつぶれており、別のホテルに宿をとったものの、石けんを買おうと外に出て気が付くと、ホテルの名前も通りも覚えていないというのです。お金を持っていないという彼に、ゴーツビーは証拠となる石けんを見せてほしいと言いますが、男はなくしてしまったと話します。中途半端な詐欺だと考えるゴーツビーでしたが…
 一見、詐欺だと思った若い男の話が実は本当だったと見せかけて、やっぱり詐欺だった…という話に読めます。石けんが見つかったことから、ゴーツビーは男の話が本当だったと信じるのですが、実のところ、若い男の話が本当なのか嘘なのかは分かりません。
 最後のオチの部分で、さらに解釈の可能性が広がってしまうという〈奇妙な味〉のお話になっています。


木々高太郎「新月」(紀田順一郎編『謎の物語』ちくまプリマーブックス 収録)
 弁護士の「私」のもとに訪ねてきたある父子。父親によれば、細田圭之助という五五歳の実業家のもとに嫁いだ娘の斐子が殺された可能性があるので、その慰謝料を取りたいというのです。
 細田夫妻が湖を訪れた際、泳ぎだした斐子が溺れるのを見捨てて細田はボートで遠ざかったといいます。結婚前に斐子と付き合っていた青年、物集がその光景を目撃していたというのですが、ただ、物集自身にも犯罪の動機がありました。
 細田の家に呼び出された「私」は、細田が自分が斐子を殺したのかもしれない、と聞いて驚きますが…。
 歳の離れた若い妻を見殺しにしたという容疑を受ける初老の夫、彼は本当に妻を殺したのだろうか?
 嫉妬による殺人だと糾弾する家族や元恋人、それを否定するものの、あるいはそれは「殺人」だったのかもしれないと考える男の心理の謎を描いています。


稲垣足穂「チョコレット」(紀田順一郎編『謎の物語』ちくまプリマーブックス 収録)
 ある日、三角帽子をかぶった妖精ロビン・グッドフェロウに出会ったポンピイは、相手が、自分はロビンではなく、ほうきぼしであると言い張るのを聞いて驚きます。何にでもなれるということを証明してほしいという願いに答えて、ロビンはチョコレットの中に入ってしまいます。
 何も反応しなくなってしまったロビンに対して、ポンピイはチョコレットを壊してみようとしますが、硬くなったそれは全く壊すことができません。鍛冶屋に持ち込んで壊してもらおうとしますが、大の大人が数人がかりでも壊すことができないのです…。
 妖精の入り込んだチョコレットを何とか壊そうとするという、愉快なファンタジー作品です。クライマックスの大爆発はなんともインパクトがあります。
 妖精が「ほうきぼし」のふりをしたロビンだったのか、それともロビンのふりをした「ほうきぼし」だったのかが分からない、という〈リドル・ストーリー〉的な結末も面白いですね。


上田秋成「青頭巾」(石川淳訳 紀田順一郎編『謎の物語』ちくまプリマーブックス 収録)
 大徳の僧、快庵禅師が下野の富田という里で一夜の宿を求めようとしたところ、周囲の人間が鬼が来たと言って騒ぎ出します。理由を聞いたところ、山の上の寺の住職が可愛がっていた童子を亡くし、妄執のあまりその死体を食べて鬼と化したというのです。
 快庵は自らその鬼に会い、教化しようと、永嘉作の証道歌の一節を彼に授けます…。
 有名な『雨月物語』の一篇。妄執のあまり鬼となった僧を教化しようとする禅師の物語です。一年後に再会した僧が執念を捨てて消え去るのですが、受け取った歌から彼が何を得たのかは分からない…という結末になっています。
 また、僧がすでに死んでいたのか、それまで生きていて、禅師との再会によって禅の本義が成就して成仏したのか、どちらとも取れるようになっていますね。


法月綸太郎「使用中」『しらみつぶしの時計』祥伝社文庫 収録)
 作家の新谷と若手編集者の桐原は、喫茶店で打ち合わせをしていました。密室がテーマの短編を書いてほしいという依頼に対して、新谷はスタンリイ・エリンの「決断の時」を引き合いにだして説明しますが、桐原がエリンを全く知らないことに驚きます。
 「決断の時」の概要を説明する新谷でしたが、突然の腹痛に見舞われ店の外の手洗いに駆け込みます。二つある個室のうち、片方が故障中と書かれていたため、もう片方に入って用を済ませた直後、新谷は突然襲われ殺されてしまいます。
 一方、桐原も新谷を待っている間に腹痛を覚え、手洗いに駆け込みます。用を済ませた直後、新谷の死体を見つけた桐原は驚きますが、そこに犯人を示す証拠を見つけ、瞬時に自分の置かれた立場を認識することになります。このまま外に出れば、証拠を取りに戻った犯人に殺されてしまうのではないか?
 さらに思わぬ事態も発生し、そのまま個室にこもっていると危険な状況に桐原は追い込まれてしまいます。個室を出るべきか、それとも出ない方がいいのか、桐原は迷うことになりますが…。
 心理的な「密室」を〈リドル・ストーリー〉に仕立てたという作品です。犯人の動機もユニーク、死体に気づかず用を足してしまう編集者など、ブラック・ユーモアもたっぷりです。作中で詳細に言及されるように、スタンリイ・エリンの名作「決断の時」に触発されたと思しいですね。
 エリン作品における「懺悔室」が、この作品では「手洗いの個室」に置き換えられているなど、パロディ味も強いです。作中、作家の新谷が話す、「決断の時」は「密室もの」のパロディでもあるのではないか、という指摘はなるほどという感じです。
 エリンを知らない編集者に対してあきれ返る作家を描くシーンなど、ミステリマニアには楽しい作品になっています。


田中小実昌「えーおかえりはどちら」『幻の女 ミステリ短篇傑作選』ちくま文庫 収録)
 渋谷道玄坂裏にあるバー。そこはママのレン子のほか、ホステスはユミという女の子が一人の小さなバーでした。レン子は、トイレから帰ってきたユミに、トイレに誰もいなかったのか質問します。先ほど男性客がトイレに行ったきり戻ってこないというのです。しかもトイレは一人用でした。
 ホステス紹介の件でたまたまバーに呼ばれていた「おれ」は、トイレを確認しますが、そこには誰もいませんでした…。
 小さなバーのトイレから消えてしまった男性客の謎を描いた〈奇妙な味〉の作品です。トイレから男が消えた謎については、一見合理的な解決がなされるのですが、その後も、その男性客らしい男の事故死やママ自身の失踪など、不可思議な事件が相次ぎます。
 結末において、再びバーのトイレの謎がクローズアップされてくるという、妙な読み味の作品になっています。ママの失踪については合理的な解釈も可能なのですが、ママも男と同様トイレから消えたのではないかという可能性が示されます。
 人間消失の謎については、ほぼ超自然現象としか読めないようになっているのですが、作品中では深く追及されず、あっさり終わってしまうところも異色です。


マヌエル・ペイロウ「わが身にほんとうに起こったこと」(内田吉彦訳 J・L・ボルヘス選『アルゼンチン短篇集 バベルの図書館20』国書刊行会 収録)
 本の取次業をしている「私」は、友人の事務所を出た後、十時ごろにある男とすれ違います。何の変哲もない男になぜか注意を惹かれるものの、そのままやり過ごした「私」は、その直後に、またもや前から来た先ほどと同じ男の姿を見かけて驚きます。しかも男は前とは違う服装をしていたのです。
 さらにもう一度、違った服装をした同じ男とすれちがった「私」は、別の日に全く同じ体験をします。一か月にわたって同じ実験を繰り返した「私」は、どうやら男が過去から現在に向かっている姿を見ていることを確信します。
 見知らぬその男ではなく、自らに関係のある人物の過去を見ることも可能なのではないかと考えた「私」は、男の後をつけ、彼の協力を得ようと考えますが…。
 見知らぬ男と何度も遭遇した語り手が、男の過去を見ていることを悟り、自らも過去に入り込めないかと考えるという、時間テーマの幻想小説です。
 男を利用して過去に入り込みたいと考える語り手ですが、その計画はある存在によって邪魔されることになります。後半の展開は不穏かつ不気味で、ホラー小説としても読めますね。
 語り手の計画を邪魔する存在は何者なのか? 男はなぜ過去の姿を見せていたのか? 語り手の過去に何があり、なぜ過去を見たがるのか? など詳細なところが明かされないため、読み終わっても謎がいろいろと残る作品です。


江戸川乱歩「陰獣」『陰獣』角川ホラー文庫 収録)
 探偵小説家の寒川は、博物館で美しい女性、小山田静子と出会います。彼女は実業家小山田六郎の夫人でした。静子が寒川の探偵小説の愛読者であったことから二人は親しくなりますが、あるとき彼女から相談を受けます。
 結婚前に一時的につきあっていた男、平田一郎から復讐を仄めかす手紙を受け取ったというのです。平田は、陰湿で猟奇的な性質の男でしたが、その性質を活かした探偵小説を書き、作家大江春泥として人気を得ていました。しかし、このところ世間から姿をくらませていました。彼は静子を監視しており、その生命までも狙っているというのです。
 静子に惹かれていた寒川は、彼女を守ろうと考えますが、やがて静子の夫が川で死体となって発見されます…。
 かっての恋人である猟奇的な作家から、命を狙われる人妻を描いたサスペンス作品です。その作家、大江春泥は周辺に潜んで静子を監視しているらしく、日常生活だけでなく夫婦生活までもが覗かれているようなのです。静子の夫が死体となって発見され、春泥は自らが犯人であることを仄めかします。
 次に狙われるのは静子自身の命ではないか、ということで、寒川は彼女を守ろうとすることになります。
 事件の真相に対する推理が何度もひっくり返されるという作品になっています。最初は大江春泥(=平田一郎)が犯人に見えた事件が、別の人物の仕業ではないかとの推理が提出され、さらにそれがひっくり返されます。最後には、その最終的な推理もまた確証があるとは言い切れない…という形で結末が曖昧にされています。何通りかの解釈が取れるということで、ある種の〈リドル・ストーリー〉とも言える作品となっていますね。
 また、小山田夫妻がSMチックな遊戯を楽しんでいたこと、寒川と静子との倒錯した関係など、乱歩特有の官能的な描写も魅力です。
 作中に登場する探偵作家大江春泥は、明らかに江戸川乱歩自身のパロディーで、言及されるその作品も「屋根裏の遊戯」「B坂の殺人」「パノラマ国」など、自作をもじったタイトルとなっています。
 また乱歩の本名は平井太郎であり、春泥の本名平田一郎もそのもじりですね。「屋根裏の遊戯」(乱歩の実作としては「屋根裏の散歩者」)に倣って、屋根裏を探索するシーンがあるなど、乱歩ファンには非常に楽しい作品ともなっています。
 さらに、語り手である寒川も、やはり作者乱歩の分身ではあって、理知的な作風とされる寒川が猟奇的な作風の春泥を嫌っているあたり、自らの作家としての二面性を自己パロディー的に描いている節もあり、そうした意味合いでも面白い作品です。


ハンス・カール・アルトマン「解けない謎」(種村季弘訳『サセックスのフランケンシュタイン』河出書房新社 収録)
 ボストンから地中海に向けて出港した小帆船〈アレトゥサ〉号。船には十九人の水夫のほか、船長とその妻が乗り込んでいました。
 ジブラルタルの港口に船が到着し、検査のために税関の役人たちが船を訪れたところ、そこには人影が見当たりません。
 金銭は手付かず、船内にも異常がありません。唯一見つかったのは南米産のおまき猿だけでした…。
 船内から人間が消えてしまい、しかも船内自体にはほとんど異常がなかった…という奇談です。
 何が起こったのか全く解釈が示されないため、読者は唖然とするだけ、という短篇です。有名な〈マリー・セレスト号事件〉を思わせる内容ですが、極限まで情報を削いでいるのが逆に特色といえるでしょうか


小松左京「お召し」『物体O』ハルキ文庫 収録)
 ある朝の小学校で、授業が始まる時間になっても担任の吉田先生が現れません。職員室に向かった生徒によれば、先生が誰もいないというのです。先生だけでなく周辺の人間、生徒の家の親たちも含めて、一二歳以上の人間が姿を消していることが発覚します。
 最年長である小学六年生の生徒たちは、幼い子どもたちを集め、自分たちだけで自給自足の生活ができるように計画を立て始めます。天才児である山口くんの力で、食べていくのにある程度の見通しは立ったものの、大人でなければ操作できない機械や技術が多々あることも判明することになります。
 一二歳になればこの世界から消えてしまうことが分かっている小学六年生たちは、年下の子どもたちに、できる限りの知識と技術を教えようと考えますが…。
 ある日、一二歳以上の大人が世界から消えてしまい、取り残された子どもたちの奮闘を描く不条理SF作品です。
 異変前に円盤が目撃されたことも関係があるのではないかという推測はなされますが、大人たちが消えた原因は全く分かりません。当座、子どもたちは生き抜いていくために、協力して事に当たることになります。
 一二歳になると消えてしまう一方、病院では生まれたばかりの赤ん坊が突然虚空から出現するという現象が観測されていました。どうやら生まれた瞬間にこちらの世界に赤ん坊は転移してしまうらしいのです。
 必死で生きようとする子どもたちのサバイバル生活部分も面白いのですが、大人たちはどこに行ってしまったのか? 子どもたちが一二歳になるとどこに行くのか?という部分が全く分からないまま展開する物語は非常に不穏で、かすかなホラー味もある作品となっています。
 物語の形式も独特です。メインの物語は、子どもだけが取り残された現象について一生徒が書き残した手記、ということになっているのですが、この手記が三千年後に未来の人類によって発見される…という趣向になっているのも面白いところです。
 三千年後には、この「お召し」現象が解決されているのかと思いきや、その点については昔と変わらないようなのです。むしろ正確な知識が失われていて、独自の社会・世界観が作られているというあたり、かなり不気味な展開ではあります。
 円盤が言及されるあたり、異星人の仕業であるとも考えられますし、また作中で天才児の生徒がパラレルワールド説を述べたりと、いろいろな仮説は出されるのですが、真相は最後まで分かりません。非常に想像力をそそる一篇で、小松左京の傑作のひとつといっていいかと思います。
 ちなみに、萩尾望都が漫画化した『AWAY』という作品もあります。


筒井康隆「熊の木本線」『おれに関する噂』新潮文庫 収録)
 四つ曲という小さな町に上手い蕎麦があると聞いて、毛多線に乗ってその駅に向かった「おれ」。乗り合わせた髭の濃い男から、熊の木本線という単線に乗り換えれば4時間早く目的に着けるという話を聞いた「おれ」は髭男とともに乗り換えることにします。
 連絡の電車を4時間も待たなければいけないことを知った「おれ」は、「熊の木」で行われる髭男の親戚の通夜に誘われ、ついていくことにします。酒の入った親戚たちは「熊の木節」と呼ばれる踊りを踊り出し、笑い転げていました。
 やがて「おれ」にも踊りの誘いがかかり、見様見真似と出鱈目な歌詞で踊ることになりますが、その踊りを踊った途端に周囲が突然静かになっているのに気がつきます…。
 「おれ」が踊った踊りは何を表していたのか…? 山の中の一族の踊りと、それに見合わぬスケールの出来事が連動するという〈破滅SF〉作品です。
 しかも、踊りが原因で起こった(可能性のある)出来事が何なのかも全く分からず、その点で〈リドル・ストーリー〉としても読むことができる作品になっています。


飯城勇三『本格ミステリ戯作三昧 贋作と評論で描く本格ミステリ十五の魅力』(南雲堂)
 本格ミステリの色々な作家やテーマについての評論と、それと対になる形で創作された贋作小説を収録したという、ユニークな評論集です。
 〈リドル・ストーリー〉についての章では、《贋作篇》「英都大推理研VS「女か虎か」」《評論篇》「リドルとパズルの間」が納められています。

《贋作篇》「英都大推理研VS「女か虎か」」
 フランク・R・ストックトン「女か虎か」を読んだ推理小説研究会の四人の学生が、扉から出てきたのは女か虎かについて、それぞれの推理を話し合う、というお話です。
 「女か虎か」の解決の決め手となるのは、王女の性格(「自分の愛した男が他の女とくっつくのを許せる性格かどうか」)ですが、それについては、断定するほどの情報が作品には書かれていないということで、純粋に作品内の情報から推理するという形になっています。
 どの推理も面白いのですが、特に、王女と男それぞれの取り得るパターンを上げて、プラスマイナスの評価をつけるというのは面白い試みですね。解説によると、ゲーム理論を参照しているそうです。
 作中で展開される四通りの推理が、それぞれ異なった過程を踏みながらも、答えは皆同じになる…というのも面白い趣向です。
 なるほどと思ったのは「パズル」と「パズル小説のようなもの」とは別物であるという指摘。パズルでは人物描写はいらないが、小説では必ず人物描写が必要になり、そこに解釈が入り込む余地が生まれるというのです。

《評論篇》「リドルとパズルの間」
 ストックトン「女か虎か」とクリーブランド・モフェット「謎のカード」を俎上に上げて、これらの物語がミステリ的にどういう意味を持った作品なのか、ミステリジャンルに取り込まれてどのように変容したのか? という面を中心に論じられていきます。
 「謎のカード」は奇譚、「女か虎か」はパーティ上の余興の性格テスト用として書かれたので、もともとミステリジャンルとして書かれた作品ではない、というのは何気に重要な指摘ですね。ミステリとして書かれたエリン「決断の時」やバリイ・ペロウン「穴のあいた記憶」とは根本的に異っているのです。
 「謎のカード」に関しては、作者自身による解決篇が書かれていますが、それが超自然を用いた怪奇小説になっているため無視されてしまい、合理的に解決を図ったエドエワード・D・ホックの「謎のカード事件」などの方が重要視されているといいます。
 「謎のカード」がミステリジャンルに取り込まれてどうなったのかに関しては、「パリ万博で消えた母親」のような〈奇抜なシチュエーション〉になったと著者は言っています。確かにこの話、種明かしがなかったら〈リドル・ストーリー〉感が強いです。〈奇抜なシチュエーション〉が全て〈リドル・ストーリー〉になり得るかどうかは微妙ですが、なるほどという感じではありました。
 「女か虎か」は、読んだ人の反応を見るための性格テスト用として作られているので、王女の選択を推理するためのデータが一切提示されていないといいます。また、ジャック・モフィットによる続編「女と虎と」では、王女の性格にデータが追加されているので、解答が特定できるようになっているとのこと。
 「女か虎か」はミステリジャンルに取り込まれて何になったかというと「手がかりのない謎」だといいます。手がかりが(一見)存在しないように見える謎、ということで、全く手がかりのなかった「女か虎か」に手がかりが加えられることによって、本格ミステリが生まれる、という論理には膝を打ちました。
 リドル・ストーリーが終わった地点から本格ミステリが生まれる、というのは説明されてみると、なるほど、という感じです。
 正直、これほど理路整然と〈リドル・ストーリー〉について解読した評論は初めて読みました。〈リドル・ストーリー〉について興味のある人には一読をお勧めしたいです。
 「女か虎か」が性格テスト用に作られたという点ですが、都筑道夫によるパロディ短篇で、主人公の男が様々な女性に「女か虎か」の結末について訊ねる、というシーンがありましたが、これなどまさにストックトンの趣旨通りの「性格テスト用」といえますね。

 以前にまとめた〈リドル・ストーリー〉についての記事は以下のものです。
 リドル・ストーリーと結末の定まらない物語 その1
 リドル・ストーリーと結末の定まらない物語 その2
 リドル・ストーリーと結末の定まらない物語 その3


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スタンリイ・エリンの短篇小説を読む
 アメリカの作家、スタンリイ・エリン(1916-1986)は短篇の名手と言われた作家です。ミステリジャンルの枠内で活躍した作家ですが、その作風は狭義のミステリにとどまらず、時には幻想小説の領域まで及んでいます。
 「特別料理」によってエラリイ・クイーンに見出されて以来、短篇は年に一作ずつ、推敲を重ねて書いていたということですが、短篇一つ一つの完成度が半端ではありません。
 幸い日本でも、エリンの短篇作品の大部分が邦訳短篇集三冊で読むことができます。以下紹介していきましょう。



特別料理 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
『特別料理』(田中融二訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)

「特別料理」
 雇い人であるラフラーに連れられて、コステインは、知る人ぞ知るという小さなレストラン、スビローズを訪れます。その店は客が品を注文することはできず、店が用意したメニューしか食べることができないという不思議な店でした。しかしその美味しさにコステインは驚きます。
 滅多に出ないというアミルスタン羊を使った「特別料理」のあまりの美味しさに感動したコステインは、ラフラーとともに店に通い続けることになりますが…。
 エリンの代表作にして「美食ミステリ(ホラー?)」の傑作です。物語の「ネタ」そのものよりも、それを描く描き方にこそその命があるタイプの作品といえるでしょうか。最後までその「落ち」を明確に描くことはせず、遠まわしに仄めかしていくその手腕は洗練の極致です。
 作中、アンブローズ・ビアスを思わせる作家のエピソードが語られるなど、ブラック・ユーモアもたっぷり。これはあらすじを聞くよりも、実際に読んでみてください、としか言えないタイプの作品ですね。

「お先棒かつぎ」
 職を失った中年男性ミスター・クラブトリーは、求人広告で見つけた仕事に応募します。それはビルの小さな事務所内で、いくつかの会社に関わる新聞や記事をチェックして報告雇い主の名前もわからぬ仕事に不審の念を抱くものの、内容に見合わぬ高給に惹かれて、真面目に働いていたミスター・クラブトリーのもとに、ある日見知らぬ男が現れます…。
 目的も意図も分からない仕事の秘密とは? 名前も明かさない雇い主とは一体誰なのか?
 有名な某ミステリ短篇とも発想を同じくする作品ですが、その後の結末の処理はエリンならではの皮肉なもの。人間心理の不思議さと恐ろしさを描いた作品です。

「クリスマス・イヴの凶事」
 その歪んだ家族関係から、互いに憎みあいつつも離れられないセリアとチャーリーの姉弟。妻ジェシーが事故により落下死したのはセリアの仕業だと信じるチャーリーは、弁護士の「私」にセリアへの憎しみを語りますが…。
 弟を束縛する姉が、弟の妻を殺してしまったらしいのですが、その後も彼らは同じ家に住み続けているのです。姉弟の関係はどうなってしまうのか? それだけでも非常にドロドロした情念の物語なのですが、結末で明かされる真相により、それがさらに歪んだものであることがわかる…という物語です。

「アプルビー氏の乱れなき世界」
 自らが経営し執着する骨董店のために、金目当てに次々と結婚しては妻を事故に見せかけて殺してきたアプルビー氏。しかし7人目の妻マーサは、一筋縄ではいかない女でした。マーサへの不快感に耐え切れなくなったアプルビー氏は彼女もまた殺そうと考えますが…。
 保険金目当てに次々と妻を殺すという、いわゆる「青髭もの」作品です。殺人を繰り返してきた夫よりも妻の方が一枚上手だった…という展開ながら、さらにひっ繰り返しがあったりと、非常に面白い作品ですね。

「好敵手」
 束縛が強く口うるさいものの、妻ルイーズに対しては「良妻」だと感じていた中年男性ジョージ。ある日友人からチェスセットをもらってきたジョージはチェスに夢中になってしまいます。しかし友人を呼んだり出かけたりすることに対する妻の不満のため、ジョージは一人遊びでチェスを愉しんでいました。一人二役でチェスの試合を続けているうちに、ジョージは向かいにもう一人の人間がいることに気がつきます。対戦を続けるうちに、彼はルイーズに対する憎悪をささやくようになりますが…。
 主人公の分身が現れるという、いわゆる<ドッペルゲンガーもの>の幻想小説です。表面的には意識していない、妻に対する憎悪が分身の形をとって表れてくるというのが面白いところです。チェスの使い方も効果的ですね。

「君にそっくり」
 好男子の野心家アーサーは、自らに教養や家柄などがないことを残念に思っていました。ある日出会った青年チャーリー・プリンスが軽犯罪を起こして父親から勘当されたと聞かされますが、彼の立居振舞から学ぶものがあると考えたアーサーは、チャーリーに同居を提案します。
 チャーリーから立居振舞を学んだアーサーは、やがて社長令嬢であるアン・ホートンと結婚の約束をするまでに至りますが…。
育ちのいい青年からその立居振舞を学び、彼と「そっくり」になった主人公を描いています。その「そっくり」さが幸運と同時に不幸をも呼ぶ…という非常によくできた作品です。

「壁をへだてた目撃者」
 ロバートは隣に住む美しい女性エミーにほのかな思いを寄せていました。アパートの薄い壁越しには彼女の動きが伝わってくるのです。ある日、彼女の夫のヴィンスという男が彼女に暴力をふるっているらしい音が聞こえてきます。やがて人が倒れそれを引きずっていく音も。
 エミーが殺されたことを確信したロバートは、何もできなかったことを悔やみ、せめて殺人犯であるヴィンスを追い詰めようと決心します。エミーのふるさとを訪れたロバートが知ったのは、不遇なエミーの生涯でした…。
 壁越しの音でしか知らなかった女性に恋をした男が、彼女の生涯を辿ってゆくという、ロマンティックな展開ながら、流石はエリン、ロマンティックな結末には落ち着きません。何とも皮肉な結末が待ち構えているのです。読み終えてわかる、計算されつくしたプロットに感心させられる作品ですね。
 ちなみに、海外ミステリ作家の創作法を集めた『ミステリーの書き方』(ローレンス・トリート編 講談社文庫)という本があるのですが、この中でポーリン・ブルーム「ストーリーの構成法」という章があります。ここで俎上に上がっているのが、エリンの「壁をへだてた目撃者」です。
 完成されたプロットの見本として取り上げられているのですが、この評論を読むと、エリンの小説技術が非常に技巧的であることがわかると思います。興味のある方はお読みになるとよいのでは。

「パーティーの夜」
 天才肌ながらむら気のある役者マイルスは、自宅で開かれたパーティーの席上、失神してしまいます。居合わせたマース博士は健康を請合いますが、マイルスの憂鬱は晴れません。彼は繰り返しを強要される芝居にも、母親然とした妻ハンナからも逃げ出したがっていたのです…。
 役者として成功し、美しい妻も手に入れた男マイルス。しかし、しばらく慣れてしまうとその生活から逃げ出したくなるのです。何度も同じ言動を繰り返させられる芝居に飽き飽きしていながらも、その人生自体が「繰り返し」に過ぎない…というラストは非常に皮肉に富んでいます。

「専用列車」
 ウォール街の株式仲買人コーネリウスは、たまたま早い時間で帰宅した際に、年の離れた妻クレアが見知らぬ男と車で出かける場面に遭遇します。コーネリウスは妻の浮気相手の男を車の事故に見せかけて殺そうと計画しますが…。
 妻の浮気相手を殺そうと、殺害計画を練る男の物語です。あまりひねりのないストレートな展開ですが、作品の初めと終わりに現れる「専用列車」のモチーフが上手く使われています。

「決断の時」
 先祖伝来の財産家で、基本的には善人ながら自尊心が高く激情家でもある男ヒュー・ロジャー。彼も憧れていたデーン館を買い取り引っ越してきたのは、一世を風靡した奇術師チャールス・レイモンドでした。水と油である二人はことあるごとに対立しますが、レイモンドがデーン館の周りを改装するのを止めようと、ヒューが私道を封鎖するに及び、対立は決定的なものになります。やがて二人は互いの意地をかけて賭けをすることになりますが…。
 結末を読者にゆだねるという「リドル・ストーリー」の名作の一つです。ヒューとレイモンド、互いに優れた資質を持ちながらも徹底的にお互いを受け入れられない二人が対立する様が詳細に描かれていきます。彼らの性格・性質を考えると、提示された選択肢がどれもあり得るように見えるのが非常に技巧的。
 ヒューの友人であるワイナント博士、ヒューの妻エリザベスとその弟である「私」たちが、良識を持った人物として描かれており、彼らが二人の賭けを客観的に見ている…というのも上手いですね。
 特に語り手の「私」は、ヒューに愛情を抱いていながらも、彼の行き過ぎた行為には批判的であるなど、中立的に描かれています。
 莫大なものが賭けられているにも関わらず、その財産の行方よりも、二人の男の「自尊心」の争いの方がメインのテーマとなっている作品ですね。



九時から五時までの男 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
『九時から五時までの男』(小笠原豊樹ほか訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)

「ブレッシントン計画」
 中年男性トリードウェル氏のもとに、ある日「老齢学協会」の代表を名乗るバンスという男が現れます。彼は、現役の夫婦や若者の邪魔になる老人を人知れず抹殺するという「ブレッシントン計画」の概要をトリードウェル氏に話します…。
処分」を依頼してしまう…というのも面白いところです。
 結末で主人公に対して不安感を拭うような対応がなされますが、それでも消しきれない不安感が強烈です。

「神さまの思し召し」
 純朴ながらいささか気の利かない男メネフィーは、車の修理をきっかけに知り合った伝道師ジョーンズに心酔し、彼の仕事を手伝うようになります。ジョーンズの娘エミリイと恋仲になったメネフィーはジョーンズに二人の結婚を許してほしいと話しますが…。
 病気や怪我を治せると豪語する、山師的な伝道師ジョーンズと、彼の力を本気で信じてしまった男メネフィーを描く、ブラック・ユーモアあふれる短篇です。メネフィーが「本当に」ジョーンズを信じているのか怪しくなるリストは皮肉に富んでいますね。

「いつまでもねんねじゃいられない」
 若くして結婚した人妻ジュリーは、夫の不在の夜に何者かに暴行され意識を失ってしまいます。容疑者を捕まえた警察に面通しを依頼されたジュリーは、確信がないながらも、夫のトムや周囲の人間に押されて、容疑者を犯人と認めてしまいますが…。
 暴行した犯人は誰なのか? という謎とともに、常に他人に依存していた主人公の人生について問われることになるという作品です。
 以前は母親、今は夫と、常に他人に依存していた主人公が真実を知り、そこから抜け出そうとする…という、アイデンティティーに関わるテーマも強く出ています。

「ロバート」
 普段は物静かな優等生であるはずのロバートから、突如暴言を聞かされ困惑した老教師ミス・ギルディー。校長や周りの人間に事実を話しても、ロバートは白を切るばかりでしたやがてロバートの言動はエスカレートしていきますが…。
 「恐るべき子供たち」を描く作品です。問題の子供ロバートが悪意を持ってわざと行動しているのかがはっきりせずに物語が進むのですが、結末に至ってその原因が明かされます。そこで明かされる真実は非常に皮肉。これは後味が悪いですね。

「不当な疑惑」
 静養を兼ねて旅行に出たウィロビイは、列車内で興味深い話を耳に挟みます。それは資産家ホゼア・スノウが殺された事件でした。容疑者としてホゼアの相続人ベンが逮捕されたというのです。ベンの裁判の最中、ベンの兄弟オーヴィルが、自分こそその犯人だと主張しますが…。
 殺したのは兄弟どちらかなのは間違いないのに、どちらも犯人を主張する…というリドル・ストーリー的な発想の物語です。結末も人を喰った構成になっています。

「運命の日」
 「私」は、新聞でギャングの首領が殺されたことを知りますが、なんとその男は数十年来会っていない幼馴染イッギーでした。「私」が引越しをする直前、イッギーと「私」に起こった事件が彼を変えてしまったのではないかと「私」は考えますが…。
 正義感の強かった幼馴染がギャングにまで身を落としてしまった原因は何なのか? 彼に起こった「運命の日」とは…? 少年時代のある出来事がその人間の人生を変えてしまうという作品です。「正義」や「価値観」についても考えさせる真摯なテーマを持った作品です。

「蚤をたずねて」
 「私」は落ちぶれた老人バイデンバウアーから、彼がかって興行していたという蚤のサーカスの話を聞きます。人気を誇った蚤のサーカスには、スターであるセバスチァンと彼の恋人セリーナがいましたが、新たに加入したカシミールとの三角関係から、悲劇が起こったというのです…。
 「蚤のサーカス」内での蚤たちの三角関係とその結果引き起こされる殺人(蚤)事件を描いた作品です。ユーモアたっぷりに描かれており、贖罪のために失踪した蚤を探す老人の姿には、哀感も感じられますね。楽しい作品です。

「七つの大徳」
 野心家の青年チャールズは、世界をまたにかける巨大企業の社長エバグリーンとの面接に臨みますが、社長が口にしたのは驚くべき言葉でした。「七つの大罪」を積極的に破ることがビジネスの要諦だと言うのです。半信半疑ながら、チャールズは彼の言葉に引き込まれていきますが…。
 モラルを守る必要はない、むしろ積極的に破るべきだと主張するやり手の企業社長。単なる不道徳な人物なのだと思いきや、結末では意外な正体が判明します。初読の人は、この展開に驚くのではないでしょうか。風刺的なブラック・ユーモア短篇です。

「九時から五時までの男」
 物販を扱う「キースラー商会」だた一人の社員キースラー氏の本当の仕事は、保険金詐欺でした。数十年も犯罪を続ける彼の信念は目立たないことであり、仕事も必ず「九時から五時まで」に限られていたのです…。
 日常生活を送りながら犯罪を生業とする男の静かなクライム・ストーリーです。仕事に関しては緻密な男が日常生活では忘れっぽく、凡庸な人物である…という部分に皮肉が利いています。

「伜の質問」
 父親からその仕事を受け継ぎ、密かに電気椅子係を務める「わたし」は、出張と称して、家族にもその内容を秘密にしていました。やがて息子のその仕事を受け継がせようと考えた「わたし」は秘密を明かしますが、息子の口から出たのは思いもかけない言葉でした…。
 様々な理由や価値観を挙げながらも死刑執行の仕事を続ける本当の理由とは何なのか…? 本質をつきながらも強烈なインパクトを与える作品です。例えばシャーリイ・ジャクスン「くじ」やデイヴィッド・イーリイ「ヨットクラブ」などと並んで、人間の本性・暴力性を描いた作品といえるでしょうか。



最後の一壜 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
『最後の一壜』(仁賀克雄ほか訳 ハヤカワ・ミステリ)

「エゼキエレ・コーエンの犯罪」
 ローマを訪れていたアメリカ人刑事ノア・フリーマンは、宿で働く美しい娘ロザンナへ思いを寄せるようになります。彼女の亡き父親エゼキエレ・コーエンは20年前にナチスに仲間を売ったことで、未だにその子供ロザンナとその兄ジョルジオともども憎まれていました。
 清廉で知られたコーエンがなぜそんな行為に及んだのか? ノアは過去の事件の調査を開始しますが…。
 恋人の父親の潔白を証明するため、過去の事件を調べ始める刑事を描いた作品です。父親の行動の真意が判明するくだりには、説得力がありますね。読み応えのあるクライム・ストーリーです。

「拳銃よりも強い武器」
 道楽者だった息子のせいで財産をほとんど失った、元資産家のミーカー夫人。広壮な屋敷のみが彼女に残された財産でした。やがて屋敷を買い取りたいという男オーガストの代理でイエーガーという男が夫人のもとを訪れます。オーガストが後ろ暗い商売をしていることを知った夫人は提案を断り続けますが、イエーガーはしつこく屋敷を訪れます。やがてイエーガーは夫人の孫娘ポリーを誘惑し、彼女もまたイエーガーに夢中になってしまいますが…。
 資産を失いながらも誇りは失わない元資産家夫人が、一世一代の勝負をする…という物語です。状況が泥沼に落ち込む中で描かれる、落魄した夫人の心理が読みどころでしょうか。

「127番地の雪どけ」
 127番地の老朽化したアパートの住人たちは、寒さに苦しんでいました。因業な家主は暖房を修理しようとはしなかったのです。やがてアパートを訪れた家主の息子はアパートの住人たちに改善を約束しますが…。
 がめつい家主に対してアパートの住人たちが考えた策とは…? どこかおとぎ話風の雰囲気で展開される<奇妙な味>の作品です。エリンの代表作「特別料理」ともどこか通じる味わいの作品ですね。

「古風な女の死」
 画家のポール・ザカリーは、芸術に対する理解は皆無ながら容姿の美しい女エリザベス・アンに夢中になります。売れない時代から自分を引き立ててくれていた前妻ニコールと離婚した結果、ニコールはショックで自殺してしまいます。
仕事は順風満帆ながら、ポールは徹底して現実的なエリザベス・アンとの間に齟齬を来すようになりますが…。
 画家ポールの後妻エリザベスの死が冒頭で示され、彼女がなぜ死ぬことになったのかを過去から遡って描いていくという物語です。
 エリザベス・アンが「古風な女」であるがゆえに死ぬことになるという展開には非常に説得力がありますね。派手な展開も劇的な事件もなく、描かれるのは「ありふれた」男女関係のもつれだけなのですが、これだけ濃厚なサスペンスが生まれるのは、名手エリンならではでしょうか。

「12番目の彫像」
 吝嗇で好色、人望はないながら低予算で映画を作ることでは定評のあるプロデューサー、アレグザンダー・ファイル。一方、才能はありながらファイルに散々こき使われ芽の出なかった監督サイラス・ゴールドスミスは、自らの死期が近づいていることを知り、最後の映画を素晴らしいものにしたいと考えます。脚本上必要になった12個の彫像を彫刻家の卵パオロに依頼することになりますが、ファイルは彼の妹クラウディアに手を出してしまいます。パオロはファイルを殺さんばかりに激怒します。その直後、ファイルが事務所から姿を消してしまいますが…。
 傲慢なプロデューサーが姿を消し、おそらく殺されたであろうことが示されます。その性格上、中心スタッフを始め、彼を殺害する動機を持つ者は数知れません。プロデューサーを殺したのは一体誰なのか?
 最も殺害の動機を持つであろう監督サイラスが、しかしファイルが生きていないと宿願である映画を完成できない…という設定が見事です。
 中篇といえる作品ですが、それぞれの登場人物の描写に厚みがあり、長篇を読んだような感覚が味わえます。ある人物の高潔さが判明するラストも味わい深いですね。

「最後の一壜」
 ワイン愛好家として有名なドラモンドの前に、ワイン愛好家機関紙の編集長であるド・マレシャルが現れます。幻のワインとして有名な「ニュイ・サントアン1929」を所有していることをもらしてしまったドラモンドに対し、ド・マレシャルの後援者である大富豪カスーラスは興味を抱き、ワインを売ってほしいと申し出ます。売るつもりのないドラモンドはワインに常識外れの値をつけますが、カスーラスは純粋にドラモンドとの交流を喜び付き合いが始まります。そんなある日、カスーラスはかってドラモンドのつけた常識外れの値でワインを買うと言い出しますが…。
 衆人環視の中での完全犯罪を描く物語です。煮詰まった人間関係が静かに爆発するクライマックスのインパクトは強烈です。事件後の、ある登場人物の心理の変化も皮肉が効いていますね。心理サスペンス小説の名作です。

「贋金づくり」
 パリの蚤の市を訪れたアメリカ人夫婦ウォルトとミリー。垢抜けた妻ミリーは、お上りさんのような風体のウォルトの格好に不満を漏らします。妻は、夫が共同経営者エド・リンチに対して頭の上がらないことに対して文句を言いますが、夫は優しくたしなめます。
 妻が家具を物色する間に、夫はエドから頼まれた古貨幣を探しにいくと出かけますが…。
 垢抜けず人の良い夫の裏の顔とは…? 妻の全く知らない間に犯罪や殺人が行われ、妻は全くそれに気付かないという、そのギャップが面白い作品です。

「画商の女」
 貧乏な画家を食い物にする、やり手の女画商マダム・ラグリュ。彼女のお気に入りの画家ラトゥールの作品は飛ぶように売れますが、マダム・ラグリュはろくに報酬を払わず、生かさず殺さずの状態に置いていました。
 ラトゥールに惚れ込んだアルジェリア生まれの蓮っ葉な娘ファティマは、ラトゥールの意趣返しとしてある策を考え、マダム・ラグリュの元に乗り込みますが…。
 陰険でずる賢い女画商をやり込めるための秘策とは…? やられ邦題だった画家の反撃が示される後半の展開は非常に痛快。気っ風のいいファティマのキャラクターも魅力的ですね。終始楽しいユーモア・ストーリーです。

「清算」
 ボートに載って浜辺からホテルに入り込んだ若い男は、突如ある男性を襲いますが…。
 男が突如として凶行に走った理由とは…? 人間の狂気をテーマとした作品ですが、犯行の理由が理由とも言えないところに凄みを感じますね。

「壁のむこう側」
 自他共に容姿が冴えない人間だと自認する男アルバートは、夢の中に登場する美女に夢中になっていました。その美女は、アルバートが雇った受付の女性ソフィアが反映された姿だというのです。
 夢の中で壁のむこうに消えてしまう美女は、何をしているのか? 精神分析医シュヴィンマー博士はアルバートの話を聞きますが…。
 夢の中の美女について語る男を描いたサイコ・スリラー作品です。最初はただ憧れの念を持っているだけかに見えた男の態度がだんだんと不穏なものになっていきます。アルバートとシュヴィンマー博士の関係も何やら異様で、先の展開の読めない作品ですね。

「警官アヴァカディアンの不正」
 杓子定規にルールを解する融通の利かない警官アヴァカディアンは、同僚のシュルツと一緒に通報のあったカフーン家を訪れます。主人であるサイラス医師は何もなかったと言いますが、その妻は医師は誘拐されたのだと言い張ります。医師の身に一体何が起こったのか…?
 不正を病的に嫌う警官が手を染めた「不正」を描いています。その「不正」もどこか風刺的で、何やら社会的なテーマも感じさせる作品ですね。

「天国の片隅で」
 引退して後、閑静で安価な家賃のアパートで植物を育てながら余生を愉しむホッチキス氏。同じアパートに引っ越してきた隣人ギルフォイル嬢は、派手でふてぶてしい女性でした。
 彼女の交際相手の男は車で騒音をまき散らし、ホッチキス氏の嘆願も受け入れてくれません。やがてホッチキス氏はある対策を考えますが…。
 穏やかな生活を乱されたときに芽生える初老の男の殺意を描いています。殺される相手が非常に不愉快な人物として描かれるので、読者としては爽快なのですが、よく考えると怖いですね。日常の狂気を描いた作品です。

「世代の断絶」
 両親や姉の心配をよそに、気軽にヒッチハイクを繰り返す16歳の高校生ビッチー。従姉の家に遊びに行った帰りにも、お小遣いを浮かすためヒッチハイクをするビッチーでしたが、そこで車に乗せてくれた男は彼女を脅したうえ、人気のないところに連れ込みます…。ヒッチハイク、ひいては危険に対する考え方に関する世代の断絶を描いた作品です。教訓が身に染みたと思いきや、全く考えの改まっていないヒロインの姿にはアイロニーが感じられますね。

「内輪」
 資産家の父親の死をきっかけに母親の世話をすることになった末息子ハワードは、既に結婚して家を出ていた二人の姉から、遺産目当ての行為だと非難されてしまいます。母親の意に染まない結婚をした姉たちは母親から充分な支援を得られずにいたのです。
 幼い頃から孤独感を抱えるハワードは母親に仕えることで充足感を感じますが、姉たちやその子供たちとも触れあいたいと考えていました…。
 皆と仲良くしたいと考える純朴な青年は、周りの人間からは遺産目当ての計算高い人間だと見られてしまいます。また母親から頼りにされることで充足感を感じているため、母親の傲岸な態度にも逆らうことができないのです。
 ある日母親の横暴に我慢の出来なくなったハワードは、逆らうような態度を取ることになりますが…。
 数十年間にわたる家庭の事情を、短い短篇のなかでさらっと描いていますが、長期間母親に仕え続ける末息子といい、ひたすら遺産の相続を待ちわびる姉たちといい、よく考えると空恐ろしい作品ですね。

「不可解な理由」
 ビジネスマンとしてそれなりの成功を収めたラリー・モリスンは、ある日部署の廃止を理由に会社を辞めさせられたかっての同僚ビル・スレードに再会します。有能だったスレードはタクシー運転手をしており、その凋落ぶりにモリスンはショックを受けます。
スレードの話を聞いてからモリスンは様々な不安に苛まれ始めますが…。
 リストラにおびえるサラリーマンという非常に現代的なテーマが扱われています。ただ、描かれる「不安」は具体的な作品の背景を超えて、読者に訴えかけるメッセージ性を持っています。
 これは作品発表当時よりも、今現在の方がその「怖さ」を実感できる作品では。



夜明けの睡魔―海外ミステリの新しい波 (創元ライブラリ)
 瀬戸川猛資のミステリ評論集『夜明けの睡魔』(創元ライブラリ)のなかに、スタンリイ・エリンについて語った「いやなことば-スタンリイ・エリンの諸作」という章があり、そこで語られている内容が興味深いので、合わせて紹介しておきたいと思います。
 瀬戸川氏によれば、エリンは「異色作家」どころか「正常」な作家であり、ダールやコリアと同列に扱うのは間違っている、といいます。あまりにも正常で当たり前であるがゆえに「異色」に見えるというのです。
 そんな氏が推すエリンの傑作は「倅の質問」「ブレッシントン計画」。世の中に出てある程度の経験を経た人が読んだときに、その本質がわかる作品ではないかという意見には、非常に説得力がありますね。
 エリンの長篇だけでなく、短篇でもたまにあるのですが、異様に「ストレート」な作品がまま見られるのは、エリンの「正常さ」のなせる業…というのは、なるほどという感じです。その意味で代表作「特別料理」は、エリンの一番の「異色作」といっていいのかもしれませんね。



ミステリーの書き方 (講談社文庫)
 スタンリイ・エリンの短篇集を再読していて、邦思ったのはそれぞれの完成度が半端ではないな…ということ。エラリイ・クイーンの雑誌のために一年に一度、推敲を重ねて短篇を一作だけ書く、ということからして、一篇にかける労力が並々ならぬものであるのは当然なのですが、読んでいて本当に無駄なところがないのです。
 ローレンス・トリート編『ミステリーの書き方』(講談社文庫)という本に、エリンが創作法について語った章があります(「「手直し」という厳しい仕事」)。
 タイトル通り、フィクションには「手直し」が絶対に必要で、これで良くならない作品はない、とまで言っています。他のエッセイで、プロットは最初に全体を決めてから書き始めるという話も読んだ覚えがあるのですが、これらのことから考えても、一見天才肌の印象が強いエリンの作品は、その実、地道な努力から作られている…といってもいいでしょうか。

 エリン短篇の個人的なベスト10を挙げておきたいと思います。

スタンリイ・エリン短篇ベスト10
「パーティーの夜」
「特別料理」
「壁をへだてた目撃者」
「決断の時」
「最後の一壜」
「伜の質問」
「古風な女の死」
「七つの大徳」
「蚤をたずねて」
「127番地の雪どけ」

 「パーティーの夜」から「伜の質問」までは、大体傑作だと衆目の一致する作品かと思います。「古風な女の死」「七つの大徳」「蚤をたずねて」「127番地の雪どけ」はかなり個人的な趣味から入れています。というのも、これらの作品には、あまりエリンとしては取り沙汰されることの少ない、ファンタジーとユーモアが強く出ていると思うのですよね。



推理作家の発想工房
 海外のミステリ作家たちのインタビューを写真とともにまとめた本『推理作家の発想工房』(南川三治朗 文藝春秋 1985)に掲載された、スタンリイ・エリンの写真です。参考に載せておきますね。
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『翻訳編吟』を読む
 主に文学フリマで頒布しているサークル「翻訳ペンギン」さんの『翻訳編吟』は、英米の幻想的な小説作品の翻訳を集めた良質なアンソロジー。感想をまとめておきたいと思います。


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『翻訳編吟1』

メアリ・ド・モーガン「ナニナの羊」(澤田亜沙美訳)
 羊の世話をしている女の子のもとへ、フルートを吹く少年がやってきて羊をどんどん連れ去ってしまう…という物語。少年が非常に怖いです。

L・デュイックウッド「ニワトリになった女の子」(斉藤洋子訳)
 タイトル通り、魔法でニワトリにされてしまう女の子の物語です。意識までニワトリになってしまうところが怖いですね。物語のトーンが妙に陽気なのも結末の怖さを引き立てている感じです。

ルクレティア・ピーバディー・ヘイル「塩入コーヒーをおいしく飲む方法」(大澤聡子訳)
 間違って塩を入れてしまったコーヒーをめぐるスラップスティックな作品。《ピーターキン一家もの》のシリーズらしいです。



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『翻訳編吟2』

M・P・デア「知られざるイタリア人」(伊東晶子訳)
 語り手の青年は、神父から不思議な話を聞きます。神父は、ある日泊まった宿に飾られた小さな油彩画に目を留めます。16世紀か17世紀に書かれたのではないかと考える神父に対し、宿の女主人シェリー夫人は、自分が書いた絵だというのです。
 「巨匠」といっていい技術に驚く神父でしたが、夫人は自分に絵など描けないといいます。子供の頃から霊感のあった夫人はいつごろからか絵筆を持ちたい衝動にかられ始め、筆を握った後は手が動くにまかせているというのです。やがて夫人はイタリアの邸宅内で鷲鼻の黒衣の男と出会う夢を見ますが…。
 M・P・デアは、M・R・ジェイムズの影響を強く受けた作家だそうです。夫人の霊能力など、オカルト的な要素が出てきますが、その真相や因果関係については最後まで語られません。小粒ながら、味わいのある作品だと思います。

L・M・モンゴメリ「エリスとエルダーベリー」(大澤聡子訳)
 怠け者の父親が死んだ後、父親の悪評のために仕事を見つけることもできない息子を描く物語。彼が唯一手に入れたのは、膨大なエルダーベリー(ニワトコ)を抜く仕事だけでした…。
 努力は報われるという、いい話でした。

スーザン・クーリッジ「二組の目 運の良い者と悪い者」(斉藤洋子訳)
 いとこ同士の少年ジャンとルイを描く物語。ジャンは、いろいろ幸運な目に会うのに、ルイはそうではない。二人の違いは何なのか?
 一見「教訓物語」に見えますが、実はちょっとシニカルな視線を感じる作品ですね。

メアリ・ド・モーガン「金貨のゆくえ」(澤田亜沙美訳)
 行商人が持ってもいないのに金貨二枚を上げると言い、ロバに荷物を運ばせます。ロバはハエを追い払ったら金貨三枚を払うとカラスを雇います。カラスはイワヒバリを雇い…と、お金を持っていない連中がそれぞれ別の生きものを雇う…という物語。
 楽しい童話です。



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『翻訳編吟3』

R・H・モールデン「スタイヴィングホウの堤」(小森政道訳)
 スタイヴィングホウの旧家の蔵書で見つけた文書を読んでから「私」の身の回りで奇妙な現象が起こり始めます…
 細かい怪奇現象が繰り返されるのが効果を上げていますね。

ジョン・ケンドリック・バングス「ハロビー館の水幽霊」(伊東晶子訳)
 ハロビー館には数百年前から女の幽霊が取り憑いていました。クリスマス・イヴの十二時になると、ある部屋に水浸しの幽霊が出るのです。館の歴代の当主は彼女を追い払えずにいました。当代の主はある手段を考えますが…。
 「科学的」に攻める当主の行動が非常に楽しいです。この作品、旧訳が存在しますが(『幻想と怪奇2』ハヤカワ・ミステリ 収録)、本書収録の新訳では、読みやすさもさることながら、作品のユーモラスな味が良く出ていると思います。

ライマン・フランク・ボーム「強盗の箱」(稲吉力訳)
 小さなマーサは屋根裏に何年も置いあった箱に気がつきそれを空けようとします。イタリアからウォルターおじさんが送ってきたものでした。ようやく鍵を探し当て開けてみると、中から3人の男が現れます。彼らは強盗だと言うのですが…。
 箱から突然現れる男たちという、何ともシュールな題材を扱っています。箱や男たちについて何の説明もされず、結末も非常にナンセンス。後を引くような味わいがありますね。

ルーシー・モード・モンゴメリ「クリスマスのひらめき」(大澤聡子訳)
 クリスマスの夜、孤独なミス・アレンにプレゼントをしようと思いついた少女たちを描くクリスマス・ストーリー。読後感のいい作品です。

フランク・R・ストックトン「幽霊の転職」(斉藤洋子訳)
 滞在先の令嬢マデレンに恋をしている「僕」は、彼女の伯父ジョン・ヒンクマンにマデレンとの結婚話を打ち明けるべきか悩んでいました。そんなある夜、まだ生きているはずのジョン・ヒンクマンの「幽霊」が現れます。
 「幽霊」が語るには、幽霊は人間が死ぬ直前にその人間の姿になり、死んだ後にその人物の幽霊になるというのです。死ぬはずのジョン・ヒンクマンが生きながらえてしまったため、「幽霊」はジョン・ヒンクマンの姿のまま彷徨っているというのですが…。
 男女の恋物語と「幽霊」の転職話が同時進行するという楽しい作品。この作品を読むと、当時作者のストックトンが人気があったというのがわかる気がします。ちなみにストックトンは、有名なリドル・ストーリー「女か虎か」の作者ですね。

メアリ・ド・モーガン「小鬼のパン」(澤田亜沙美訳)
 ある日怒りっぽいパン屋の前に現れた小鬼は、かまの中で住まわせてもらう代わりに、パンが上手く焼けるようにしてやると請合います。ただし、そのパンを食べた人間が少し不幸な気分になるというのですが…。
 ブラック・ユーモアも感じられる作品です。何か教訓やひっくり返しがあるのかと思いきや、そのまま終わってしまうのには驚きます。ファンタジー要素の強い童話作品。

A・E・コッパード「過ぎ去りし王国の姫君」(青山真知子訳)
 小さな王国の姫君は、美しい詩人の若者に出会い恋をします。しかし若者は姫君を愛しているとは言ってくれません…。
 作品の色彩が豊かで、イメージの美しさが印象に残ります。



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『翻訳編吟4』

M・P・デア「非聖遺物」(伊東晶子訳)
 グレゴリー・ウェインは、研究の調査のためフランスのトゥールーズを訪れます。近くのサン・セルナン大聖堂にイングランドの聖人ふたりの聖遺物が保管されていることを聞いたグレゴリーは、そこを訪れることにします。
 現地のサルー神父によると、かって16世紀にアモリ・ド・モワサックなる人物が大聖堂のクリプト(地下祭室)で死者を甦らせるための実験を行ったというのですが…。
 作者のデアは、M・R・ジェイムズの影響を強く受けた作家だとのこと。古い歴史や学術的な描写が積み重ねられていく中で、オカルト的な現象が立ち上がってくる…という流れは、確かにジェイムズに似ていますね。
 後半の「クリプト」内で展開される怪奇現象は視覚的にも強烈なもので、20世紀前半の作家の作品とは思えないほど。日本ではあまり知名度のない作家だと思いますが、これは怪奇幻想小説の名品といっていいのでは。

アンナ・レティシア・バーボールド「騎士バートランド ~呪われた古城での一夜」(青山真知子訳)
 騎士バートランドは、夜に荒野で迷ってしまいます。突如現れた古城に一夜の宿を求めようと考えますが、その城では奇怪な現象が起こっていました…。
 18世紀の作家による、ゴシック小説風の作品です。短めながら、古城、囚われた乙女、悪漢の亡霊など、ゴシック的な要素が揃っているのが特徴です。ゴシックの原型的な作品として研究書でも言及されることのある作品ですが、全体の印象としては「妖精物語」的な印象も強く、今読んでも面白いですね。

ルーシー・モード・モンゴメリ「約束」(大澤聡子訳)
 死の床にあったローレンスさんは、若くして亡くなった恋人マーガレットが自分を迎えにきてくれると話します。「私」は庭で見たことのない美しい女性を見かけますが…。
 シンプルながら雰囲気のあるジェントル・ゴースト・ストーリー。「私」ことジャネットが、亡くなったマーガレットの遠縁であり彼女の面影を持っているというのが、物語に彩りを添えています。

フランク・R・ストックトン「最後のグリフィン」(斉藤洋子訳)
 とある町の古い教会にグリフィンの巨大な石像があることを知った最後のグリフィンは、その像を見るために町にやってきます。案内役をした若い神父を気に入ったグリフィンは彼についてまわり、町の人々を困惑させますが…。
 グリフィンがやってきた町の様子を語るファンタジー作品です。怪物とされるグリフィンがモラルも高く高潔なキャラクターとして描かれるのに対して、町の人々は利己的で愚かな人間として描かれるなど、寓意的な要素も強いですね。
 グリフィンの最期を描くシーンには、非常に味わいがあります。

R・H・モールデン「日没と月の出のあわいに」(小椋千佳子訳)
 語り手は、神経衰弱になり亡くなった旧友の遺稿から、彼が神経衰弱になった原因と思しき内容の書類を発見します。牧師だった旧友は、よそからやってきて教区内に住み着いたミセス・フリーズに気まずさを感じていました。まるで魔女のような風貌の彼女は、村の人々から敬遠されていたのです。そんなある日、旧友は霧がかった道で奇怪な現象を目撃します…。
 シンプルな作りの怪奇小説なのですが、登場する怪奇現象(悪魔、悪霊?)の因果的な説明が全く加えられないため、不条理感・戦慄度の高い作品になっています。
 旧友の目撃する怪奇現象に非常にインパクトがあります。数十人の人影が半分ぐらいになったり、くっついたり巨大になるなど、このシーンは怖いですね。

分載されていた、ブラックウッド作品についてはまとめて感想を。

アルジャーノン・ブラックウッド「アザーウィング」(斉藤洋子訳)
 古い屋敷に住む幼い少年が主人公です。夜に自分の部屋をのぞき込む「何者か」が、屋敷の〈別翼〉に住んでいると確信した少年は〈別翼〉を訪れる…という物語。
 舞台となる屋敷の雰囲気が素晴らしく、幼い少年の心理描写も瑞々しい作品でした。
 「怪奇小説」というよりは「ファンタジー」に近い作品だと思いますが、すでに邦訳のあるものだと『ジンボー』とか『妖精郷の囚われ人』に近い雰囲気の作品ですね。原題の"wing"は、作品に登場する「何者か」が「翼」を持っているということと、建物の「翼」をかけたタイトルなのでしょうか。



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『翻訳編吟5』

T・W・スペイト「深夜のお迎え」(伊東晶子訳)
 軍人のスタンドリル大尉と結婚し、離れて暮らしていた姉アリスは実家に帰ってきますが、夫と別れた理由を家族に明かそうとはしません。夫からの手紙の影響で体の調子を悪くした姉の容態が悪くなり、医者を呼びにいくことになった妹の「わたし」は、急ぎのためにスケートで運河を横切ることになりますが、スケートで滑っている最中に後ろから何者かが追いかけてくるのに気がつきます…。
 追いかけてくるのは何者なのか? スケートで追いかけてくる幽霊という、面白い趣向のゴースト・ストーリーです。

メアリ・ド・モーガン「小鬼のパン」(澤田亜沙美訳)
 パンの焼き加減に悩んでいた短気なパン屋は、突然現れた小鬼の提案に従うことにします。小鬼をかまの中に入れればちょうど良い焼き加減のパンを作れるようになるというのです。ただし、そのパンを食べた人間は不幸な気持ちになるといいますが…。
 ちょっとブラック、不条理味もある寓話的な童話作品です。

ヘンリー・ドヴィア・スタックプール「まぼろしのチューリップ」(野島康代訳)
 富を得るため、高名な学者ヴァン・ホーテンの提案にしたがって、二人でエジプトに幻のチューリップの球根を探しに訪れたフォン・ドゥンク。何とか目的のものを手に入れた二人でしたが、現地のガイドにだまされて荷物を盗まれてしまいます…。
 これはなかなか捻りの利いた作品。主人公の誠意が報われるというラストも良いですね。お話自体が、娘にお話をねだられた父親の即興話のような形で展開するのも洒落ています。

A・A・ミルン「おとぎ話の現実」(青山真知子訳)
 王国の三番目の王子チャーミングは、カメに変えられた兄を助けたいというビューティー姫の頼みをかなえるため、巨人を殺そうと旅に出ますが…。
 おとぎ話をおちょくるというパロディ的な作品です。定番の設定をことごとくひっくり返すところが面白いですね。

フランク・R・ストックトン「キラキラ光る」(斉藤洋子訳)
 大型客船から、プリマドンナのシニョーラ・ロキータが落としたという高価なダイヤモンドのブレスレット。落とした場所のあたりをつけた潜水夫の「私」は、潜水中に突如サメに襲われてしまいます…。
 落としたブレスレット探しの物語がとんでもない方向へ。まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」を物語にしたようなユーモアたっぷりな作品です。

ルーシー・モード・モンゴメリ「訪問者」(大澤聡子訳)
 誰に対しても分け隔て無く善行を施していたスティーブンじいさんは、それゆえに財産をすり減らし、やがては住む土地から追い出されようとしていました。
 財産を作りその村に帰ってきた、かっての無頼漢ベン・バトラーは、昔老人から受けた恩を思い返しますが…。
 善意は報われる…という非常に後味の良いヒューマン・ストーリーです。

アルジャーノン・ブラックウッド「恐喝者たち」(水野美和子訳)
 妻子と順風満帆な生活を送るアレグザンダーのもとに突然現れた恐喝者ローソン。彼はアレグザンダーが過去に書いた手紙を何通も持っているというのです。それらの手紙を小出しにしてお金を請求するローソンでしたが、どう見てもローソンは紳士であり、そのようなことをするような人物には見えないのです…。
 恐喝する方もされる方もどちらも善人だという、面白い設定の物語です。物語がどう動くかわからない心理的なサスペンスは強烈ですね。幽霊物語としてももちろん、「奇妙な味」の物語としても興味深い作品です。



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『翻訳編吟6』

イーディス・ネズビット「ごちゃまぜ鉱山」(伊東晶子訳)
 難破船から流れてきた箱を拾ったエドワードは、箱の中に入っていた望遠鏡を見つけます。その望遠鏡は、覗きこんだ物を大きくしてしまうという不思議な品物でした。友人になったガスタスとともに、様々な物を大きくして遊ぶエドワードでしたが…。
 見たものを大きくする魔法の望遠鏡を扱ったファンタジー作品です。二人の少年が魔法の効果を検証していく過程がすばらしく面白いです。友人のガスタスが貧しい家庭の出身で、経済的な効果を期待して望遠鏡を使おうとするところも興味深いですね。
 ガスタスのキャラクターが立っていて、将来は泥棒になると宣言するガスタスが本当に泥棒しに忍び込んでくるところに笑ってしまいます。これは傑作。

W・クローク採集、W・H・D・ラウズ再話「かしこい亀 インドの昔話より」(青山真知子訳)
 猟師に捕まったガンを助けようとする亀を描いた物語。欲をかいた猟師がだまされるのが痛快ですね。

ワシントン・アーヴィング「アルハンブラのバラ」(青山真知子訳)
 ムーア人が撤退した後のグラナダ、かってムーア人王女が住んでいたという塔でおばと暮らす娘ハシンタは王妃に仕える小姓ルイス・デ・アラルコンに恋をしてしまいます。
やがて王族たちとともに街を離れてしまったルイスを思い続けるハシンタは、ムーア王女の幽霊に出会いますが…。
 かって恋に破れて死んだムーア人王女の霊の手助けにより恋を成就する娘の物語です。ハシンタが手に入れることになる銀のリュートとそれによって奏でられる音楽が魅力的に描かれています。

W・クローク採集、W・H・D・ラウズ再話「スズメの夫婦 インドの昔話より」(大澤聡子訳)
 自分の食事まで食べられたことに怒ったスズメの妻が夫を井戸に落としてしまうことになりますが…。
 スズメの夫婦の仲が壊れそうになるものの、無事に元の鞘に戻るという物語です。騙されることになるネコもそんなに怒ってはいない感じなのが良いですね。

ルーシー・M・モンゴメリ「ダベンポートさんのはなし」(大澤聡子訳)
 幽霊話に興じている「ぼく」たちのところにふと現れたダベンポートさんは、自分が体験した実話を話し始めます。それは姪をかわいがっていたダベンポートさんの兄チャールズが死後にその姿を現したという話でした…。
 愛していた姪を救うために死後に姿を現す幽霊を描いた物語。シンプルながら味わいのあるゴースト・ストーリーです。

メアリ・ド・モーガン「風の妖精」(澤田亜沙美訳)
 粉引きの父親に育てられた娘ルーシラは、風の妖精たちから彼らの踊りを習います。しかしそのことを他人に言ってはいけないと諌められます。やがて結婚し二人の子供も授かったルーシラは、お金を稼ぐために、よその王国の王に踊りを見せに出かけます。
 踊りは賞賛されるものの、嫉妬に囚われた王妃の陰謀によりルーシラは捕らえられてしまいますが…。
 風の妖精との約束を守り続けるヒロインが苦難から救われる、というファンタジー作品。ヒロインを襲う災難が不条理かつ苛酷なだけに、結末にはカタルシスがありますね。

W・クローク採集、W・H・D・ラウズ再話「ツグミの話 インドの昔話より」(斎藤洋子訳)
 知恵者のツグミは手に入れた綿から素敵な服を作ってもらいます。服を身に着けたツグミは王様の前でその姿を見せますが、悪い王はツグミをバラバラにして食べてしまいます…。
 ツグミが服を手に入れるまでの前半も楽しいのですが、食べられてしまったツグミがそれでも不幸を訴え続ける…という後半はなんともシュールな展開で驚かされます。なかなか凝った物語になっていますね。

ラフカディオ・ハーン「オテイの話『怪談より』」(水野美和子訳)
 医者の息子ナガオの恋人オテイは、病により早世してしまいます。しかし死の床でオテイはこの世に再び生まれ変わったら一緒になってほしいと話します…。
 生まれ変わりをテーマとした物語です。外国から見た日本の感覚を表現するために、わざと日本の地名や人名をカタカナ表記にしているとのことなのですが、なかなか味わい深い翻訳になっているように思います。

O・ヘンリー「もう一ラウンド」(野島康代訳)
 マーフィー夫人の下宿屋に住むマカスキー夫妻は、いつもどおりの夫婦喧嘩を繰り広げていましたが、マーフィー夫人の幼い息子マイクが行方不明だという話を聞くに及び、互いに対し思いやりの気持ちが浮き上がるのを感じます…。
 下宿のおかみの子どもの行方不明事件をきっかけに、授からなかった子どものことを思う夫婦の心情が描かれるという短篇作品です。結末のユーモア感も洒落ていますね。

 どの巻も、上質な訳文と良質なセレクションで楽しめるアンソロジーになっています。文学フリマに足を運ばれる方には購入をお薦めしておきたいと思います。



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『翻訳編吟7』

アルジャーノン・ブラックウッド「怪しい贈り物」(青山真知子訳)
 二人の男と部屋をシェアしている、貧乏暮らしのブレイクは、空腹に耐えながら書き物仕事をしていました。部屋に突然訪ねてきた見知らぬ男は、匿名の人間からブレイクに対して大金を預かってきたと言うのですが…。
 現実的な恐怖を扱ったサイコ・ホラー作品といったところでしょうか。突然現れた男の挙動の不気味さが印象的です。オチはちょっと脱力してしまうところではありますが、恐怖度はかなり高い作品ですね。

メアリー・E・ペン「オリエント荘の怪」(伊東晶子訳)
 冬の間ニースに別荘を借りることにしたイギリス人女性たち。誰もいないはずの別荘に、時折現れる外国人女性を不審に思いますが、彼女は別荘の持ち主ヴァレルと別れて既に祖国に帰ったという夫人ではないかと、不動産屋から聞きます。
 マダム・ド・ヴァレルの不可思議な行動を見守るイギリス人女性たちでしたが、ある日突然、家主のヴァレルが現れます…。
 外国人だということもあり、マダム・ド・ヴァレルらしい女性が不審な行動をしていても、彼女が生者なのか死者(幽霊)なのかが微妙なままに物語が進む…というところがポイントでしょうか。
 お話自体は、オーソドックスな幽霊の復讐物語なのですが「ヒロイン」にエキゾチックな特性を与えているところは興味深いですね。

マーク・トウェイン「生きているのか、死んでいるのか」(野島康代訳)
 リヴィエラにやってきた「私」は、リヨンの引退した絹織物業者だというマニャンという老人が、悲しそうな様子をしているのを見て興味を惹かれます。
 知り合いになったスミスという男から、マニャンの過去について聞かされたのは、奇想天外な話でした…。
 これは何とも愉快で珍妙なほら話。タイトルは、スミスが語る話の内容が本当なのか嘘なのか、をあらわしたものでしょうか。現代で言うところの「コン・ゲーム」的なテーマを扱っており、非常にモダンな魅力を持った作品です。

ルーシー・モード・モンゴメリ「オズボーン家のクリスマス」(大澤聡子訳)
 クリスマスの行事そのものに飽きてしまったオズボーン家の子どもたち。彼らのもとを訪れたいとこのマイラは、恵まれない子どもたちにクリスマスのおすそわけをしてみてはと提案します…。
 これは心温まるクリスマス・ストーリー。オズボーン家の子どもたちが、恵まれない子どもたちに対しても偉ぶることなく対等な立場で接する…というところも良いですね。

フランク・R・ストックトン「マジックエッグ」(斎藤洋子訳)
 ローリングは小さな劇場を借り、新機軸の出し物を上演することにします。インドの魔術であるという<マジックエッグ>を披露し、観客はその不思議な魅力にとらわれてしまいます。
 しかし、遅れて劇場に入ってきたローリングの恋人イーディスは、舞台を不審の念を持ったまま眺めていました…。
 ローリングの魔術とはいったい何だったのか…? その結果は、恋人たちの将来をも左右することになるのです。魔術をめぐって、恋人の男と女、それぞれの人生観も明らかになるという、味わい深い作品です。

メアリ・ド・モーガン「池と木」(澤田亜沙美訳)
 荒野の真ん中に立つ木と、その木陰にある小さな池、二人は互いに愛しあっていました。しかし木が珍しい種類のものであることに気づいた人間たちによって、木は掘り起こされ運ばれていってしまいます。
 池は太陽の力を借りて雲となり、木のもとへ向かいます…。
 「木」と「池」の愛を描いた、異色の「恋愛小説」です。自分の姿がどうなっても…という、池の自己献身的な描写も光っていますね。

ルイザ・メイ・オルコット「ドクター・ドーンの復讐」(小椋千佳子訳)
 資産家のメレディスと貧しいマックス・ドーンとの間で揺れていた美しい娘イヴリン。心はマックスに惹かれていたものの、自らの貧しさから結婚を躊躇していました。
 二人のどちらを選ぶのか、女性たちが噂話をしているのを立ち聞きしたイヴリンは、それに影響されてメレディスを結婚相手に選んでしまいます…。
 互いに愛し合いながらも、経済的な理由から別れてしまう恋人たちを描いた悲恋物語です。やがて再会した二人の立場は非常に皮肉なもの。タイトルにある「復讐」がどのような形で訪れるのか、興味深い作品になっています。



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『翻訳編吟8』

ルーシー・モード・モンゴメリ「嵐の夜の告白」(大澤聡子訳)
 マデレンによって、スモーキー島の別荘のパーティーに招かれた人々。その中には、前妻スゼットが睡眠薬の過剰摂取で亡くなったという医師のアームストロング夫妻がいました。仲がこじれていた前妻を遺産のために殺したのではないかという噂の立つ夫アンソニーに対して、後妻のブレンダは恐れを抱くようになっていましたが…。
 前妻の殺人疑惑をめぐって夫婦間の軋轢が描かれるのですが、それが幽霊現象によって解決されるというゴースト・ストーリーになっています。

シリル・ヘアー「命には命を」(伊東晶子訳)
 宿の喫煙室で話していた釣り仲間の男たち。死刑制度の是非について議論になったところで、口を挟んだよそ者の巡回セールスマンは不思議な話を披露します。大戦時の毒ガスの影響で体を悪くしていた男は、霧に出会うと体調を悪くするのが常でした。
 ヨークシャーの小さな町ゴーブリントンにやってきた男は、ある夜、霧によって体調を崩し、近くに薬局がないかと必死で探すことになりますが…。
 死刑をめぐって、殺人者にも償いの機会は与えられるべきではないか、というテーマで描かれた作品です。命には命で償わせる、というテーゼをプラスの方向で捉えた、異色の幽霊譚です。

マックス・ペンバートン「悪魔の効用」(野島康代訳)
 婚約者のキティと喧嘩をし腹を立てていたアンブローズのもとに、ニコラス・フロリアン伯爵は、金が儲かるという話を持ち込みます。しかしそれは倫理的にも問題のある案件でした。伯爵が悪魔のように思えてきたアンブローズは、衝動的に彼を金庫の中に監禁してしまいます。それ以後、アンブローズの周囲では、悪事が減るのみならず、欲や気力を持つ人間自体が減っていました…。
 「悪魔」を封印したことによって、世の中の悪だけでなく、生きる欲望や人生を楽しむ気概すらがなくなってしまうという物語。人生には多少の悪のスパイスが必要だった、という軽妙かつ皮肉な作品です。

マージョリー・ボウエン「アン・リーテの肖像」(青山真知子訳)
 宝石商の「わたし」は、知り合いの屋敷で見かけた肖像画に魅了されます。その絵には、深緑色のシルクのドレスを着た美しい女性が描かれていました。アン・リーテという名のその女性をめぐっては、70年以上前に何か事件があったらしいのですが、事件を知る人々はそれに関して口を閉ざしていました。ある日素晴らしい出来栄えのメダルを見る機会に恵まれた「わたし」は、それがかって見たアン・リーテの銘板にあったのと同じ模様であることに気が付きます。
 メダルの作者が100歳近い老宝石職人であることを知った「わたし」は、職人に直接会うことにします。品物は職人エネアス・ブレットンが恋人アン・リーテのために作ったものでした。「わたし」は、彼からアンについての話を聞くことになりますが…。
 不遇な最期を遂げた女性に関して、この世ならざる復讐と霊現象が描かれる作品です。死を超えた愛情がテーマとなっており、そのロマンティックさからも、怪異というよりは、奇跡譚に近い印象を受ける作品です。

ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ「チャペリゾッドの墓堀人」(斎藤洋子訳)
 ダブリンの西にある村チャペリゾッドの墓堀人ボブ・マーティンは、大の酒好きでした。話の上手い男として知られるボブはフィリップ・スレニーと飲み友達になりますが、飲み代が嵩み、経済的に立ち行かなくなったスレニーは自殺してしまいます。禁酒の誓いを立てたボブは、ある夜遅く、外を歩いていた際に執拗に飲もうと誘ってくる男につきまとわれます…。
 自殺したかっての友の霊からあの世に引き込まれそうになる男を描いたゴースト・ストーリーです。この作品では幸い主人公は難を逃れるのですが、レ・ファニュの描くあの世や地獄はすごく陰惨な雰囲気が強いですね。

イーディス・ウォートン「宣告」(小椋千佳子訳)
 売れっ子だった画家ジャック・ギズバーンは、突然引退を発表し、資産家の女性と結婚してリヴィエラに引きこもってしまいます。ジャックの家を訪れたリッカムは、そこで名画家と言われたストラウドのロバの絵が飾られているのに気付きます。
 かってストラウドの死後に、その夫人から画家の姿を描いてほしいと家に招かれたジャックは、そこでの経験から筆を折ることになったというのですが…。
 一世を風靡していた画家が筆を折った理由とは?芸術をめぐる寓意性の強い作品です。文学的な香りも強いですね。読む人によっていろいろな感想が出てきそうな、懐の広い作品です。



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『翻訳編吟9』

O・ヘンリー「しがない犬のメモワール」(大澤聡子訳)
 一方的な女主人の愛情に嫌気の差していた犬の「わたし」は、同じく女主人に虐げられている夫に同情を抱きますが…。
 犬を語り手にしたユーモア・ストーリー。冴えない犬と亭主が互いに友情を抱くようになる…という部分に味わいがありますね。

サキ「セルノグラツの狼」(東詩織訳)
 グリューベル男爵夫人のもとで働く老齢の家庭教師アマーリエは、客から、城には古い言い伝えはないのかと問われ、ある言い伝えを話します。セルノグラツ家の血筋の者がこの場所で死ぬときにだけ、狼たちがやってきて、臨終というときに吠えるというのです。また、敷地内のどこかの木が一本倒れるともいいます。
 なぜ言い伝えに詳しいのか問われ、アマーリエは、自分が没落したセルノグラツ一族の末裔だということを話します…。
 一族伝来の城で、没落した末裔の老婆が舞い戻り、死を迎えるという、ゴシック風に展開される作品です。現実的で俗物として描かれる男爵夫人と、言い伝えを信じるアマーリエが対比的に描かれていますね。端整な幻想小説となっています。

マーク・トウェイン「鏡の中の絵」(澤田亜沙美訳)
 その絵描きは、鏡を通して見る絵はもとの絵より美しい、という持論を持っていました。絵描きの飼い猫は、それを聞き、森の動物たちにその話をします。動物たちは絵描きの家に行き、鏡を覗き込んでみますが…。
 どんな作品であっても、想像力という鏡を通さなければ、見えるのは自分自身の姿だけ、という教訓がついた寓話的作品となっています。トウェインらしい皮肉のあふれたお話ですね。

メアリ・エリザベス・ブラッドン「亡霊に魅入られた花嫁」(青山真知子訳)
 ふとした諍いから、いとこのアンドレと決闘になり、殺してしまったエクトール・ド・ブリサック。アンドレは死の間際にエクトールの幸福を邪魔してやると言い残します。憂鬱に囚われていたエクトールを救ったのは、美しい娘エヴリーヌでした。
 幸せな生活を送るエクトールとエヴリーヌでしたが、エヴリーヌから毎日のように、顔立ちのいい若い男が現れると聞いて、エクトールは驚きます…。
 自分を殺した男の結婚生活を壊すために現れる亡霊を描いたゴースト・ストーリー。恨みも逆恨みに近く、憑りつき方も質が悪いという点で、後味の悪いお話になっていますね。

フランク・R・ストックトン「赤い木綿の端切れ」(斎藤洋子訳)
 妻から、同じような生地を買ってきてほしいと、赤い木綿の小さな端切れを渡された男は、町に向かいます。服地屋では同じものが見つからず、他の店を訪れますが、そこでも見つかりません。店と売り場を転々とするものの、全く同じものは見つからないのです…。 妻から頼まれ赤い生地を探す男が、店を転々とするも同じ品物が見つからないというユーモア小説です。部分的に同じということで妥協できず、全く同じ物を求めようとするところも面白いのですが、店員たちがやたらと「ターキーレッド」を勧めてくるところにも笑ってしまいます。
 本国では、「女か虎か」と並ぶ人気作だそうですが、これは確かに楽しいです。<ユーモア・スケッチ>的名作ですね。

キャサリン・マンスフィールド「パーカーおばあちゃんの人生」(小椋千佳子訳)
 つらい人生を送ってきた苦労人のパーカーおばあちゃん。唯一の慰めは孫のレニーの存在でしたが、彼もまた亡くなってしまいます…。
 つらい人生の果てに与えられた喜びが、再び奪い去られてしまった老齢の女性の悲しみをじっくりと描く作品です。自分の悲しみを人に見られたくない…という心境が描かれるラストの情景には味わいがありますね。

ステイシー・オーモニア「いらいらの種」(野島康代訳)
 サム・ゲイツ爺さんは、姪のアギーから、何か変わったことはないか、と毎日のように尋ねられるのにいらいらを募らせていました。畑の手入れをしていたサムのそばに、ドイツの飛行機が不時着してきますが、ドイツ兵は彼の顔を見るなり驚き、そのままサムを連行してしまいます。どうやらサムは、ドイツ軍に属するスパイ、ポール・ジュペールとそっくりの顔をしているらしいのです。彼らはサムを使って何か企んでいるらしいのですが…。
 スパイに顔が似ていることからドイツ軍に誘拐されてしまった老人を描くユーモア作品です。ほとんど家の周辺から出たこともない男が、一世一代の大冒険をするものの、それによって何かが変わるわけでもなく、日常に帰還するという、味わいのある作品となっています。
 作品の最初と最後で、それぞれ姪のアギーから「変わったことはないか?」と問われ、それに対してサム爺さんが同じような返事をするのですが、その言葉に含まれる感慨は異なっていることが感じられる部分は上手いなあと思います。


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奇想・幻想短篇集さまざま
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レオン・ブロワ『薄気味わるい話』(田辺保訳 国書刊行会)
 フランスの作家、レオン・ブロワ(1846-1917)のブラック・ユーモアに満ちた短篇集です。収録作品はどれも短いものながら、人間に対する強烈な呪詛と悪意に満ちています。

 告悔室で自分の母親が煎じ薬に毒を入れたことを知る息子の話「煎じ薬」、利己主義の娘が父親をあっさりと見捨てる「うちの年寄り」、吝嗇な老人が実は何百もの貧しい家族を養っていたことがわかる「ブルール氏の信仰」、外の世界に出ようとするが決して出られない夫婦を描くカフカ的な作品「ロンジュモーの囚人たち」、すべてを同じくするという結社を結成した四人組の一人が恋をしたことから始まる悪夢的短編「陳腐な思いつき」、死んだと思っていた姉が売春婦となってあらわれる「あんたの欲しいことはなんでも」など。

 どれもブラックユーモアと呼ぶにもあまりにも悪意に満ちた作品ばかりです。ブルジョワや貴族など、一部の階級や人間を軽蔑しているというよりも、人間全体を憎悪しているといわんばかりの悪罵が頻出します。
 例えば「ブルール氏の信仰」。けちだと思われていた老人が実は慈善家だったという話なのですが、老人にほどこしを受けていた人間も老人を見下し軽蔑し、そして当の老人自体も著者から軽蔑されているのです。誰一人、著者の悪意を受けないものはないという強烈な一篇。

 作品中に現れる「罵倒語」も、おそらく控えめに訳してあるのでしょう。原文の味わいはかなり強烈なものであることが窺えます。ブロワの作品は、言葉通りの意味で、まさに「残酷物語」。ただそのあまりの身も蓋もなさは、読者を選ぶかもしれません。



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H・C・アルトマン『サセックスのフランケンシュタイン』(種村季弘訳 河出書房新社)
 H・C・アルトマン(1921-2000)はオーストリアの作家。『サセックスのフランケンシュタイン』は、幻想的な要素の強いパロディ小説集です。

 表題作「サセックスのフランケンシュタイン」は、アリスがフランケンシュタインの花嫁にされようとするが果たせず、メアリ・シェリー自身が花嫁になってしまうというナンセンス・ストーリーです。表題作以外の作品は全て、ショート・ショートといってよいぐらいの短い掌編からなっていますね。

 マリー・セレスト号事件を思わせる船客蒸発事件を描く「解けない謎」、上半身のない二本の足だけを見つけた兵士の奇妙な体験「踊り手」、難破船の遭難者を殺して金品を奪った男の悲惨な結末「異常な疫病神」、人肉食者たちの飛行船に乗り込んでしまった記者の運命を描く「危険な冒険」など。

 「コンラッド・トレゲラスの冒険」という、ラヴクラフトのパロディ小説も入っています。あまりにもナンセンスで意味のとりがたい作品もままあるのですが、大部分は奇妙な味のショート・ショートとして楽しめる作品です。

 パロディではありながら、実際に出典元がはっきりしない作品もあるのですが、知らなくても十分楽しめる作品集になっています。全体的にホラーやスリラー、冒険物語といった、大衆小説的な技法を用いていて、そのB級感、安っぽさを逆手にとった作品に才気を感じさせますね。



小型哺乳類館
トマス・ピアース『小型哺乳類館』(早川書房)
 あり得ない状況や奇想を扱いながらも、読後感は限りなく普通小説に近い…という面白い味わいの短篇集です。

 息子から再生された小型マンモスを預けられた母親の困惑を描く「シャーリー・テンプル三号」、恋人が夢の中で結婚している相手に嫉妬を抱き、その相手が実在するのではと疑う男を描く「実在のアラン・ガス」、気球ツアー会社を経営する女性と風変わりな客とのやりとりを描く「おひとりさま熱気球飛行ツアー」、細菌により死亡した弟の遺体が細菌兵器扱いされ、弟の遺体の返還に執着する兄の物語「追ってご連絡差し上げます」などが面白いです。

 明確なオチがある作品はほとんどなく、風変わりな状況に落ち込んだ一般人の人生の断面を切り取る…といった感じの作品が多いですね。全体に妙なユーモアがあり、読み心地は悪くありません。
 紹介文やあらすじから《異色作家短篇集》みたいな作品を期待する人もいると思うのですが、そういう味わいとはちょっと違うので、好き嫌いが分かれる短篇集かもしれません。



夜更けのエントロピー (奇想コレクション)
ダン・シモンズ『夜更けのエントロピー』(嶋田洋一訳 河出書房新社)
 ホラー味の強い短篇を集めた作品集です。どの短篇にも頻出するモチーフがあり、具体的には、吸血鬼、ゾンビ、エイズ、ベトナム戦争、教師などのモチーフがそれ。

 題材的に新鮮味はあまりないのですが、その使い方が、どれも意表をついていて上手いのが特徴です。とくに驚かされるのは「最後のクラス写真」。ゾンビになってしまった子供たちを、なお教えようとする女教師の孤独な戦いを描いたこの作品には、力強いものがありますね。

 一番面白かったのは、表題作「夜更けのエントロピー」です。保険調査員の主人公は、偶然起こる不思議な事故の情報をファイルにまとめています。その事故の事例を挙げるのと並行して、主人公の息子が死んだ顛末が語られます。そして、娘にもいつ何が起こるかわからないという不安…。
 ほんのちょっとした出来事が運命の分かれ目になる。それが起こったあと、人がなぜそうなったのかを納得できず、不条理に苛まれる。そんな人間の根元的な不安をうまく描いている作品です。ある意味、普通小説に近い作品なのですが、ジャンル小説中心の短篇集の中では、逆に意外性がありますね。



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マーティン・H・グリーンバーグほか編『ゴーサム・カフェで昼食を』(白石朗ほか訳 扶桑社ミステリー)
 「異常な愛」をテーマにした書き下ろしホラーアンソロジー。テーマがテーマだけに、超自然的な要素は少なく、「サイコ」的なテーマの作品が多いですね。以下面白かった作品を紹介します。

マイケル・オドナヒュー「サイコ」
 精神病者の狂気じみた行動を脚本形式で描く作品。脚本形式にしたことにより、サイコ的人物の心理が直接描写されず、その行動だけを坦々と追っていくのが効果を出しています。解釈が分かれそうな結末も面白いですね。

ベイジル・コッパー「きらめく刃の輝き」
 ベルリンの下宿に突然現れた謎の下宿人を描く作品。「わたし」という一人称で語られながら、男性であること以外、素性は全く明かされません。殺人を繰り返していることが暗示されるが実際の行為は直接描写されないという、技巧的な短編です。

ロバート・ワインバーグ「ロー・バーグ」
 妻と二人、平凡な生活を送る男性のもとに、クレジット会社から名前を間違えて送られてきたクレジットカード。そのカードを使っているうちに、男は別の人格になり切るようになります。弟と妻の浮気を知ったとき、もう一人の人格は何をするつもりなのか…?
 発端のつかみの上手さを始め、語り口がうまいので、ストーリーの展開がある程度予想できるにもかかわらず最後まで読ませられてしまいます。二重人格テーマの佳品。

リチャード・レイモン「湖の乙女」
 小心者の「ぼく」は、プレイボーイのクラスメイトたちに誘われて湖に行きます。そこには「ぼく」に熱をあげている女の子が待っているというのです。しかし湖には、殺された乙女の霊が出るといううわさがありました。
 ためらっている「ぼく」の前に、向こう岸の女の子が見えます。「ぼく」は島まで泳いでいけるのか…。
 いたずらとしか思えない誘いにのる「ぼく」はどうかしているのではないかと思ってしまうのですが、強烈なひっくり返しが待っています。飄々とした語り口が喜劇的な雰囲気をかもしだす怪作。

エド・ゴーマン「すべての終わり」
 冴えない中年男性の「私」は、事故をきっかけに整形手術を受けます。容姿に自信をもつようになった「私」は、昔憧れていた女性に会いに行きます。女性は相変わらず魅力的でしたが、夫とはうまくいっていないらしいのです。
 しかも、美しい実の娘に対して異常な嫉妬を燃やしているのです。「私」は娘の方に惹かれていきますが、ある日女性の夫が殺され、娘は暴行を受けて障害者になってしまいます。犯行は嫉妬に燃えた女性の犯行なのか…?
 娘と「私」との感動的なラブストーリーになると思いきや、狂気じみた女性の行動がすべてを覆いつくしてしまいます。独占欲が肥大した女性のキャラクターが強烈で、集中随一の力作といっていいのではないでしょうか。

 収録作は玉石混交ではあるのですが、面白い作品も多数です。特にエド・ゴーマン作品の出来が素晴らしく、この短篇を読むためだけに本を買ってもいいのではないでしょうか。



首ざぶとん (角川ホラー文庫)
朱雀門出『首ざぶとん』(角川ホラー文庫)
 華道教室に通うまりかは、母親の代りに先生を務めることになった龍彦に惹かれつつありました。彼の趣味は怪談蒐集であり、蒐集を手伝ううちに、まりかは異様な怪異現象に巻き込まれていくことになります…。

 いわゆる「ゴースト・ハンターもの」といっていい作品なのですが、登場する怪異現象が、非常に風変わりで不条理なところがユニーク。そこはかとなく感じられるブラック・ユーモアも魅力的な作品です。
 4篇を収録する連作短篇ですが、最初の2篇「首ざぶとん」「トモダチ」が特に面白いです。

 「首ざぶとん」は、古来から入ってはいけないといわれていた洞穴に入り出られなくなった、まりかと龍彦の脱出行を描く作品。脱出のルールが民話を思わせる不条理なもので、非常に不気味です。

 「トモダチ」は、電話をする友人同士の通話に突然乱入してくる声の怪異を描いた作品。その声は質問をし、答え方によっては、その人間を全く他人のいない孤独な世界に送り込んでしまうのです。これは相当怖いです。

 怪異に詳しい龍彦も、あくまで少し「詳しい」だけで、本格的な怪異現象に対してはそれほど打つ手がない…というレベルであるのが、逆に怪異の不可思議さを感じさせて、ほど良いポジションだと思います。この本だけで完結しているシリーズのようですが、続きを読んでみたい作品ですね。

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レーモン・ルーセルの奇想世界
 フランスの作家レイモン・ルーセル(1877-1933)は、奇想と実験精神にあふれた作品を残した作家です。「人間を描く」こととは全く無縁、過度に人工的なその作品は、今読むと逆に「幻想的」です。そんなルーセルの代表作をいくつか見ていきたいと思います。


アフリカの印象 (平凡社ライブラリー)
『アフリカの印象』(岡谷公二訳 平凡社ライブラリー)

 乗船していたリュンケウス号が難破し、「私」たちは、アフリカのポニュケレ国の王タルー七世に捕らえられてしまいます。莫大な身代金と引き替えに帰還することを約束された「私」たちは、身代金が届くまでの時間つぶしに〈無比クラブ〉を設立し、芸を競い合うことになりますが…。

  前半は〈無比クラブ〉の面々の芸事が紹介されていき、後半はそれらの登場人物の紹介と前半の芸事の説明に費やされるという作品です。
 後半のエピソードはそれぞれ面白いのですが、前半はとりとめのないイメージが続きます。
 そのため、最初から読んでいくと、ついていけない読者もいるのではないでしょうか。著者が語っているように、後半から読んで前半に戻るという読み方もありかもしれません。
 作品を貫く「思想」などはありません。また、全体を通して重要な主人公がいるわけでもありません。あるのは奇想に溢れたイメージ群とファンタスティックなエピソードだけ。そしてそのエピソードも、道徳的なテーマがあるとか、人間の成長を描くとか、そういうこととは全く無縁です。
 しかし逆にそのおかげで、時代色や風俗色を全く感じさせない、奇妙な「新しさ」を獲得することに成功しています。ジュール・ヴェルヌやデュマを愛読したという、著者の趣味が純粋なエッセンスとなってばらまかれているのです。ある意味、これは好きな人にはたまらない作品でしょう。

 独自の言語遊戯から生み出されたという前半部分はあまりに人工的で、続けて読んでいると退屈してしまうのですが、有名な「チターを弾くみみず」などを始め、今まで読んだことのないイメージに出会うことができます。
 普通の文学作品の概念では全く捉えきれない作品です。普通の意味の「文学」ではないですが、これはやはり「幻想文学」といっていいのでは。



ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

『ロクス・ソルス』(岡谷公二訳 平凡社ライブラリー)

 パリ郊外、モンモランシーに住む科学者マルシャル・カントレルが、客たちに自分の発明品とその由来を語るというだけの物語です。発明品が詳細に描写され、そのエピソードが語られていき、その繰り返しが終始するという、人を喰ったような作品です。

 『アフリカの印象』同様、その発明品や機械は奇想天外です。人間の歯のモザイクであるとか、息のできる水中で踊り子が奏でる音楽、死者の脳をよみがえらせて生前の行動をとらせる薬品など、その奇矯さは枚挙に暇がありません。
 人間が登場するエピソード部分はともかく、機械や発明の描写のパートは、それぞれ非常に長いため、読者によってはマニュアルを読まされているような感覚を覚える人もいるかも。
 物によっては、あまりに詳細にわたって描かれ、かつ現実にはあり得ないような形状や作りであったりするので、読者はそれをうまくイメージすることができないほどです。死者を蘇らせる薬品を例にとれば、その薬品の効き目だけをとりあげてエピソードにつなげれば読者の注意をそらすことなく作品を続けることができそうなのですが、ルーセルはそういうことはしません。あくまで懇切丁寧に発明品の描写を延々と続けていくのです。ルーセルは「人間を描くこと」に全く興味がないので、このあたり食傷してしまう人もいるかもしれませんね。

 前半いっぱいずっと芸事の描写に割かれるという構成の『アフリカの印象』に比べれば格段に読みやすいのですが、それでもけっこうしつこいものがあります。それぞれのエピソードは単独でも魅力のあるものなので、その魅力で読めてしまうのですが、これを小説といっていいかどうかも悩んでしまいます。
 非常に説明がしにくいのですが、何ともいいようのない魅力のある作品です。



レーモン・ルーセルの謎―彼はいかにして或る種の本を書いたか
岡谷公二『レーモン・ルーセルの謎 彼はいかにして或る種の本を書いたか』(国書刊行会)

 レーモン・ルーセルに関して書かれた文章を集めた本です。『アフリカの印象』『ロクス・ソルス』の翻訳者だけあって、ルーセルに対する理解に関してはまさに第一人者。
 金持ちで教養があり、プロはだしのピアニストであるルーセル。規則マニアであり、日常生活においても規則に従わなければならなかった奇人ルーセル。知れば知るほど興味深い人物です。
 ルーセルの文学的立場は、文学史から孤絶しており、それは反現実に貫かれている、と著者は言います。ヴェルヌやデュマなどの小説、児童劇や妖精物語などを好み、同時代の文学には全く興味を示さなかったのです。何度も旅行に出かけながら、それを作品に生かそうとは全くしませんでした。
 自分を賞賛するアンドレ・ブルトンたちとも距離を置き、あくまで世間的な栄光を求めてやまなかったのです。一番驚かされるのは、「方法」と呼ばれる独自の創作法です。それは現実とは全く関わりを持たない、完璧に人工的な創作法でした。こんな方法で小説が書けるとは誰も思いもしなかったでしょう。
 実際、当時のシュルレアリストたちは、ルーセルは夢を題材にしているのではないかと考えていたらしいのです。しかし、ルーセルの独創性はその人工的な創作法に尽きるわけではありません。むしろそうして得たイメージやエピソードが、人間的な興味、現実に対する関心に欠けているという点です。

 ルーセルのような方法によってイメージを得るというのは、創作法としてはありでしょう。しかし普通の作家であれば、あくまで得たイメージをもとに、人間を描いた作品に発展させるかと思います。しかしルーセルにおいては、現実とのとっかかりを持たない、物語のための物語、にしかなり得ないのです。

 レーモン・ルーセルの作品を読む際には非常に参考になる副読本であり、またこの風変わりな人物を知るためのノンフィクションとしても面白い一冊です。

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現実と夢想  ジャック・フィニイの作品世界
 アメリカの作家、ジャック・フィニイ(1911-1995)は、ミステリ、サスペンス、SF、ファンタジーなど、多様な作品を書いた作家です。その本領は「過去への郷愁」や「ノスタルジー」をベースとしたファンタジーにあり、長編では『ふりだしに戻る』、短編集では『ゲイルズバーグの春を愛す』が、その最良の部分が表れた作品といえるでしょうか。

 「過去への郷愁」「ノスタルジー」といった言葉を使うと、願望充足的な作品を思い浮かべる人もいるかと思います。確かにそうした面もあるのですが、フィニィの作品では単純な願望充足で終わる作品は意外に多くありません。「願望」や「夢」が成功したとしても、そこには一抹の「ほろ苦さ」があるのです。
 その「ほろ苦さ」は、ミステリ・サスペンス系の作品でも同様です。作中で描かれる計画が失敗することもあれば、成功したとしても主人公たちの胸中には苦い思いが残る…というパターンが多いのです。
 その意味で、フィニィは単なる理想主義者ではなく、現実を認識したうえでのロマンティストといっていいかもしれません。その現実と理想とのはざまで描かれる作品世界にこそ、フィニィ作品の魅力があるのです。
 今回は、そんなジャック・フィニィ作品について見ていきたいと思います。



4152087587レベル3 (異色作家短篇集)
ジャック フィニイ Jack Finney
早川書房 2006-09-01

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『レベル3』(福島正実訳 早川書房)

 「過去への郷愁」が「時間旅行」と結びついたファンタジーが多く収められた短編集です。同じ「時間もの」作品でも、SF風、ファンタジー風、コメディ風、ホラー風と、見せ方に工夫が凝らされているところが楽しいですね。

 存在しないはずの地下三階をめぐる「レベル3」、未来からやってきたらしい夫婦を描く「おかしな隣人」、時間の狂いをドキュメンタリー風に語る「こわい」、別世界への切符を手に入れた男を描く「失踪人名簿」、互いに想像を凝らす恋人たちの物語「雲のなかにいるもの」、過去の妄念が時間を越えて幽霊として現れる「潮時」、願いをかなえる植字機によって世界を変えようとする「ニュウズの蔭に」、未来から持ち込んだ飛行機で南北戦争に勝とうとする「世界最初のパイロット」、同じロマンス小説を読んだ男女のロマンティック・コメディ「青春一滴」、車好きの青年が復元したクラシックカーが過去に迷い込むという「第二のチャンス」、風で飛ばされた書類を取るためにビルのへりを歩くことになるという「死人のポケットの中には」の11篇を収録しています。

 フィニィの「時間もの」作品では、当時の服や持ち物を身につけその時代の人間になりきる…という「ジャック・フィニィ型タイム・トラベル」が有名ですが、短篇では、「おかしな隣人」のように、機械(タイム・マシン)による時間移動も描かれていますね。
 現実からの脱出、というテーマの作品が多く見られますが、主人公たちは必ずしもそれに成功するわけではない…というところが、また味わいがあります。一度きりの現実からの脱出に失敗してしまうという「失踪人名簿」の結末はほろ苦さにあふれています。

 歴史改変小説とも読めるのが「潮時」「第二のチャンス」です。「潮時」では主人公の前に「幽霊」が現れ、それがまだ生きている人間の過去の姿であることがわかります。当人から過去の重大な決断を聞かされた主人公は、自らもまた決断をすることになります。その結果得られたものと失われたものとは?
 「第二のチャンス」では、車好きの青年が壊れた古い車を手に入れます。それは数十年前に事故で運転手が亡くなったという車でした。修理によって当時の姿を取り戻した車でドライブをしていた青年は、過去に迷い込んだことに気がつきます。青年が過去に現れたことにより、ある家族の運命が変わるのです。
 「第二のチャンス」は希望にあふれた作品で、フィニィ作品の一般的なイメージとしては正にぴったりの作品です。対して、同じような過去改変テーマを扱っていても「潮時」は、多少ペシミスティックな味わいのある作品ですね。
 人間のどんな選択も、それが正しいかどうかはわからない…という「潮時」を読むと、フィニィが単純なロマンティストではないことがわかります。「現実」を認識したうえでの「夢想家」、かすかな皮肉と憂愁をたたえた部分もまた、フィニィの魅力といっていいのかもしれません。



4150200262ゲイルズバーグの春を愛す (ハヤカワ文庫 FT 26)
ジャック・フィニイ 福島 正実
早川書房 1980-11-01

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『ゲイルズバーグの春を愛す』(福島正実訳 ハヤカワ文庫FT)
 収録作品がバラエティに富んでいるのは『レベル3』と同様ですが、洗練度はこちらの方が上でしょうか。ロマンティックな「愛の手紙」の印象が強いですが、コメディやホラー風の作品などもあり、名短篇集といっていい作品集です。

「ゲイルズバーグの春を愛す」
 イリノイ州ゲイルズバーグで起こる不思議な事件を、ドキュメンタリータッチで描いた作品です。古き良き街で頻発する不思議な現象の目的は一体何なのか?
 「過去」の力は「現在」よりも強い…。フィニィ作品に共通する「過去への郷愁」がもっとも物理的・攻撃的な形で現れるという、その意味でユニークな作品です。

「悪の魔力」
 街歩きが趣味の「ぼく」はある日、マジック・ショップで入荷したばかりという不思議な眼鏡を手に入れます。それをかけると女性の服が透けて見えるのです。同じく街歩きが趣味の同僚フリーダをその眼鏡で覗いた「ぼく」は驚きますが…。
 不思議な道具の効果とその顛末を描きながら、「ぼく」と友人フリーダとの恋愛模様が同時進行するという、ロマンス風味の強い作品です。街歩きとものづくりが趣味だというフリーダのキャラクターが魅力的ですね。

「クルーエット夫妻の家」
 富裕なクルーエット夫妻が過去の家の図面に魅せられたことから、その過去の様式で家を建てるという物語。実業家であり非常に現実的であった夫妻が、家の影響でだんだんと外界との接触をなくしていく…という、ある意味ホラーチックな展開もユニーク。

「おい、こっちをむけ!」
 作家マックス・キンジェリーは、才能豊かながら経済的にも恵まれず不遇な日々を送っていました。彼の友人になった「わたし」は妻ともども、彼の面倒をいろいろと見てやっていたのです。しかし「わたし」が家をしばらく空けている間に、マックスは流行性感冒であっさりと死んでしまいます。彼の死後半年して「わたし」は、街中でマックスの「幽霊」を見かけます。マックスは何のために現れたのか…?
 死んだ友人が幽霊となって現れるという、お話としては単純な作品なのですが、作家としての矜持を持つマックスと、それを理解する「わたし」との友人関係、また作家と批評家としての関係性が全体に流れており、読み応えのある作品になっています。
 霊となって現れるという執念がありながらも、この世に残せるものがない…というマックスの姿が非常に哀感を感じさせます。彼が最後に残した「もの」とは何だったのか? 様々な解釈ができそうな、深みを持った短篇といえますね。

「もう一人の大統領候補」
 語り手の「私」は友人チャーリイを大統領候補になってもおかしくないと男だと断言します。チャーリイの少年時代のエピソードの中でも最大の事件は、脱走した虎に催眠術をかけるというものでした…。
 チャーリイは本当に虎に催眠術をかけたのか? 利発な少年の活躍もさりながら、彼の活躍を描く「私」の語り口にもユーモアが感じられる楽しい作品です。

「独房ファンタジア」
 死刑執行が近づいた若いメキシコ人の死刑囚ペレスは、絵を描くための道具と、独房の壁に壁画を描きたいという請願書を典獄に提出していました。
許可が下りるとペレスはさっそく壁に絵を描き始めます。時間が経つにつれ、その絵がドアを描いたものだということが判明しますが…。
 死刑執行までに絵は完成するのか? ペレスの意図は何なのか? 死刑執行までのタイムリミット・サスペンスでもあり、そのファンタスティックな結末も魅力的です。

「時に境界なし」
 物理学の助教授ウェイガンは警察のイリーン警部に呼び出されます。捜査の手伝いをしてほしいというイリーンはいくつかの事件を語り始めます。
 どの事件でも、容疑者は消えたきり行方が杳として知れません。彼らは「過去」へ逃亡したのではないかと話すイリーンに対し、ウェイガンは困惑しますが…。
 「過去」へ行ってしまった容疑者に対してさえ執念を燃やすイリーン警部のキャラクターが強烈です。彼の取った最終的な手段とは…?

「大胆不敵な気球乗り」
 チャーリイは妻子が留守の間、ふと空を飛びたいという衝動にかられます。百科事典の気球の項目を読み、さっそく気球を自作し完成にこぎつけたチャーリイは、夜になるのを待って気球で空に上がります。
 飛行している姿を、近所に住むレニダス夫人に目撃されたチャーリイは、次の夜、彼女から一緒に気球に乗せてほしいと懇願されます。やがて二人は気球で夜の冒険に出かけることになりますが…。
 深夜、気球で大空を飛ぶ男女二人組を描いた、大人の童話ともいうべき作品です。この二人がそれぞれ既婚者でありながら、恋愛感情が絡まず、純粋に「憧れ」を共有する…というスタンスが良いですね。結末も非常に洒落ています。

「コイン・コレクション」
 結婚して四年になる「私」は、妻マリオンへの態度が原因で彼女を怒らせてしまいます。ある日「私」はズボンのポケットに、見たことのない十セント銀貨が紛れ込んでいるのに気がつきます。銀貨にはウッドロー・ウィルソンが描かれていましたが、「私」はそれを新しい硬貨だと思い、その銀貨で新聞を買います。その直後「ココ・クーラ」と描かれたペンキ塗りの広告を目撃した「私」は自分が別の世界に来たことを確信します。自宅に戻った「私」を出迎えたのは妻である「ヴェラ」でした…。
 銀貨を媒介に訪れたのは、かっての恋人と別れずに結婚していたら…というパラレルワールドだったのです。その世界では様々なものが「現実」とは違っており、作家たちの寿命が延びた結果、知られざる新作が書かれたりもしています。
 日常的に別世界の硬貨が日常に紛れ込んでおり、また別の世界への移動の可能性も匂わせていたり、設定に厚みがありますね。

「愛の手紙」
 「ぼく」は、古道具屋で時代ものの机を手に入れます。机は取り壊し中のヴィクトリア朝風の大きな邸から出たもので、三段の小抽斗がついていました。ある夜抽斗を触っていた「ぼく」は、奥に隠し抽斗があることに気付きます。
 抽斗に隠されていたのは手紙でした。ヘレンという結婚間近の娘が、空想上の恋人に向かって書いた手紙らしいのです。ふと手紙に返事を書くことを思いついた「ぼく」は、返事をしたためると、当時の切手を貼り、古い郵便局のポストに投函します。
 その後二番目の隠し抽斗に隠されていた古びた手紙を見て「ぼく」は驚きます。自分が出した手紙に対し、1880年代にいるはずのヘレンの返事が入っていたのです…。
 過去の「物」を媒介にして過去とつながる…というフィニィお得意のテーマの作品ですが、ここでは人は移動できず、移動できるのは手紙だけ、という状況が描かれます。しかもやりとりできるのは抽斗の数だけ。つまり、手紙のやりとりも数通しか出来ないのです。その数通の手紙の中で、互いに恋愛感情を抱く男女ですが、その結末は悲恋に終わらざるを得ません。しかしそこに悲愴な感覚がないのは、フィニィの作家性ゆえでしょうか。「障害」は恋愛小説の要諦ともいえますが、ここで恋人たちを隔てるのは「時間の壁」なのです。
 時間テーマの作品はロマンスと相性がいいと言われますが、その中でも屈指の名編といっていい作品ではないでしょうか。



4150200025夢の10セント銀貨 (ハヤカワ文庫 FT 2)
ジャック・フィニイ 山田 順子
早川書房 1979-02-01

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『夢の10セント銀貨』(山田順子訳 ハヤカワ文庫FT)

 29歳の男性ベンは、結婚して四年になる妻ヘティとの間に倦怠期を感じていました。ある日ズボンのポケットに、ウッドロー・ウィルソンが描かれた硬貨を見つけたベンは、ニューススタンドでその硬貨を使った直後、周りの光景がいつもと違っていることに気がつきます。
 生産をやめたはずの車が走り、勤め先のビルがなくなっていたのです。ベンは自分が「現実」とは異なる世界に来ていることに気付きます。自宅に戻ると、そこにいた妻は、かっての恋人テシーでした。この世界では、ベンはヘティとは出会わずテシーと結婚していたのです。
 テシーとの生活を楽しむベンは、この世界では発明されていない品物の特許をとって大もうけしようと考え、さっそく弁理士事務所にコンタクトをとります。現れた弁理士はかっての知り合いカスターでした。カスターを自宅に招待したベンは、カスターが連れてきた婚約者の女性を見て驚きます。女性はかっての「妻」ヘティだったのです。結婚を予定しているという二人に嫉妬したベンは、彼らの仲を裂こうとあれこれ策略をめぐらしますが…。

 主人公が、それぞれ別の妻がいるパラレルワールドを行き来するという、どたばたファンタジーコメディです。短篇「コイン・コレクション」『ゲイルズバーグの春を愛す』収録)を長編化した作品で、序盤の展開は、ほぼ短篇版を踏襲しています。大きく異なるのは、短篇版には出てこないカスターというキャラの存在です。
 後半は、ヘティをめぐってのカスターとの争いがメインになり、スラップスティック色が濃くなっていきます。パラレルワールドの妻テシーは魅力的な女性として描かれるものの、ヘティが別の男と結婚しようとしていることがわかると、主人公の注意はそちらに完全に移ってしまいます。
 傑作とはいいにくい作品ではあるのですが、もちろん読みどころもいろいろあります。短篇では細かいところまで描かれなかったパラレルワールドの世界観や主人公夫婦の日常生活の描き込みなどは密になっており、読み応えは増していますね。
 とくにパラレルワールドの設定は面白いです。あるはずのものがなかったり、逆にないはずのものがあったりします。また、かっての知り合いが別の形で出てきたり、有名な映画俳優がこの世界では一般人として暮らしていたりするのです。
 後半は、パラレルワールド間の移動を利用して大金を手に入れようとしたり、移動が原因でのっぴきならない状態に陥ったりと、お話としては動きが多く読ませます。
 正直、主人公がかなり「身勝手」なキャラなので、好き嫌いは分かれると思いますが、ファンタジーコメディとして面白い作品です。



4042735037マリオンの壁 (角川文庫)
ジャック フィニイ Jack Finney
角川書店 1993-02

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『マリオンの壁』(福島正実訳 角川文庫)

 ニックと妻のジャンが移り住んだのは、かってニックの父親が若い頃住んでいたという家でした。家の壁紙をはがすとそこに現れたのは「マリオン・マーシュここに住めり」という文字。ニックの父親は、かって自分の恋人であったマリオンが書いたものだと話します。
 才能があったものの奔放な性格だったマリオンは、女優として成功するためハリウッドに行きたいと言います。その件で、ニックの父親と喧嘩し、直後に事故で死んでしまったというのです。マリオンが出演した映画をテレビでたまたま目にしたニックとジャンは、彼女の魅力に捕えられます。
 映画を見た直後、ジャンの様子が豹変します。自分はマリオンだと言い出したのです。どうやら映画女優の幽霊がジャンに取り憑いたらしいということを認識したニックは、マリオンの魅力に惹かれながらも、妻に対する裏切りになるのではないかと疑問を抱き始めます…。

 映画女優の幽霊に取り憑かれた妻とその夫を描く、ロマンティックなファンタジーコメディ小説です。
 本来おとなしい性格の妻ジャンと、映画女優マリオンが憑依したときの奔放な性格のギャップが読みどころです。妻を愛しながらも、マリオンのコケティッシュな性格にも惹かれてしまう夫ニックの逡巡が描かれます。
 マリオンは役者であり、憑依した状態で本来の人格ジャンのふりをしたりもするのだから非常にややこしい。やがてマリオンは自分の生前の夢をかなえるために、ニックとジャンに協力しろと言い出します。ついにはマリオンだけでなく、ニックにもある映画俳優が憑依することになります。
 マリオンの夢は実現するのか? ニックと妻ジャンとの関係は元に戻るのか? 不思議な三角関係が描かれるのと同時に、背景には1920年代のサイレント映画への作者フィニィの憧れの念が描かれます。やがてそれらの二つの流れがひとつになるという結末は非常に見事。
 フィニィの他の作品でも見られる、過去への郷愁は本作でも描かれますが、それがノスタルジックな作品のテーマとも連動しており、嫌味になっていません。非常に肩の力が抜けた感のある作品で、主人公(?)マリオンのキャラの魅力とも相まって、フィニィ作品の傑作の一つといっていいかと思います。



4042735010ふりだしに戻る〈上〉 (角川文庫)
ジャック・フィニイ 福島 正実
角川書店 1991-10-01

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4042735045フロム・タイム・トゥ・タイム―時の旅人 (角川文庫)
ジャック フィニイ Jack Finney
角川書店 1999-01

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『ふりだしに戻る』(福島正実訳 角川文庫)
『時の旅人』(浅倉久志訳 角川書店)(文庫化名『フロム・タイム・トゥ・タイム 時の旅人』角川文庫)

 1970年のニューヨーク、広告代理店でイラストの仕事をしているサイは、訪ねてきたルーブから奇妙な誘いを受けます。彼はある計画の候補者としてサイが選ばれたことを話します。サイが訪れた古いビルの地下には、1920年代の住宅街の精巧なセットが作られていました。
 このプロジェクトの目的は、過去の特定の時代に現代の人間を送り込むことだったのです。サイは、女友達ケイトの養父の父の自殺現場に残された青い封筒の謎を突き止めるため、1880年のニューヨークへ旅立ちますが、過去で出会った女性に恋をしてしまいます…。

 過去のある場所にいると思い込むことで、タイムトラベルをするという、フィニィ独自のタイムトラベル方法が使われている作品です。女友達ケイトの養父の父が自殺したという謎や、主人公が参加することになる国家的プロジェクトに関わる陰謀などもあるものの、作品のメインとなるのは、過去の時代・街に対する主人公のノスタルジーと、過去の時代の女性とのラブストーリーです。
 実際、作中の大部分で19世紀末の写真やイラストなどがこれでもかとばかりに紹介され、街の細かい描写が続きます。フィニィの「過去への郷愁」が最も強く出た作品といえますね。

 続編『時の旅人』では、サイが再びタイムトラベルを行います。前作よりも「歴史改変もの」的な要素が強くなっていますね。前作から20年以上時間が空いていることもあり、作品の感じも大分異なっています。正直、こちらは無理に読まなくてもいいかも。



4150116369盗まれた街 (ハヤカワ文庫SF フ 2-2)
ジャック・フィニイ ハヤカワ・デザイン
早川書房 2007-09-20

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『盗まれた街』(福島正実訳 ハヤカワ文庫SF)

 小さな街サンタ・マイラで医者を務めるマイルズは、かって思いを寄せていた女性ベッキィの訪問を受けます。ベッキィは、彼女の従姉妹ウィルマについての相談のためやってきたと言います。ウィルマは、父親であるアイラ伯父が本物でないと話しているというのです。
 マイルズは直接ウィルマから話を聞き、アイラ伯父に会ってみたものの、特におかしな点は感じることができません。似たようなことを訴える患者が増えてきたことについて、精神医学の権威であるマニーは、集団ヒステリーではないかと話します。
 そんな折、マイルズは街に住む作家ジャックから連絡を受けます。ジャックの家を訪れたマイルズは、そこにあった人間の死体らしきものに驚きます。しかもよく見ると、それは死体ではなかったのです…。

 小さな街で、家族が偽者になってしまったと訴える人間が急激に増えてきます。訴える人によれば、記憶も人格も体に残った傷跡さえも同じながら、何かが決定的に違うというのです。集団ヒステリーかと思われた事件は、やがて深刻な局面を迎えることになります。身近な人、大切な家族が、いつの間にか「何か」と入れ替わっている…という不安感が支配する序盤のサスペンスは強烈です。
 具体的に何がおかしいのかもわからず、入れ替わったと思われる「何か」の正体も全くわからないのです。
 後半、その「何か」の正体は判明するのですが、今度はその「何か」が自分と入れ替わって自分の存在が消滅してしまう…というアイデンティティーに関わる不安が前面に出てきます。

 侵略SFの古典的作品ですが、今読んでもそのサスペンスと恐怖感は強烈です。侵略SFは数あれど、この作品ほど、原初的な不安感・恐怖感にあふれた作品は少ないのではないでしょうか。作品発表時のアメリカの政治状況と絡めて語られることもある作品ですが、そうした文脈を抜きにしても、非常に面白く、ホラー小説としてみても第一級の作品です。


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ことば四十八手 (1980年) (楽しみと冒険〈9〉)
井上 ひさし
新潮社 1980-01

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「従兄レンの驚異の形容詞壺」(田村義進訳 井上ひさし編『楽しみと冒険9 ことば四十八手』新潮社 収録)

 ジャーナリストである従兄レンは、質流れの店で不思議な壷を買ってきます。消火栓に似た形のその壷を「ぼく」もレンも塩壷だと思っていました。ある日レンがコラムを書いた後、壷をいじっていると、いつの間にかコラムの文章が変わっていることに気がつきます。
 文章から形容詞と副詞が削られており、しかも文章は引き締まっていました。壷は形容詞と副詞を吸い取る「形容詞壷」だったのです。「形容詞壷」を利用して書いたレンのコラムはどんどん評価を上げていきますが…。

 短篇集『レベル3』が翻訳されるときに割愛されてしまった短篇なのですが、これが実に味わいがあって良い作品なのです。
 文中に、レンが書いた文章が記され、実際に「形容詞壷」によって削られた文章も引用されます。それがちゃんと引き締まった文章になっているのが説得力がありますね。文章を書くときの指針としてもためになる作品です。
 初訳は『ミステリマガジン1978年3月号』(田村義進訳 早川書房)。後に、井上ひさし編『楽しみと冒険9 ことば四十八手』(新潮社)にも再録されています。『ことば四十八手』は様々なことばに関する文章を集めたアンソロジーで、文章技術としての面白さも勘案されて再録されたものでしょうか。



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五人対賭博場 (1977年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジャック・フィニィ 伊東 守男
早川書房 1977-01

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『五人対賭博場』(伊東守男訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)

 19歳の大学生「ぼく」ことアルと、その友人ブリック、ガイ、ジェリーは、学生生活に鬱屈していました。何か大それたことがやりたいという彼らは、冗談交じりに賭博場を襲ったら…ということを話し合っていました。
 ウェイトレスのティナに入れ込むアルは、彼女のために大金が欲しくなり、襲撃計画を本気で考え始めます。ティナを加えた5人は、それぞれの事情から、やがて計画に本気で取り組み始めます。襲うのはネバダ州レノ、巨大な賭博場「ハロルド・クラブ」。厳重な警備の中、彼らの計画は成功するのか…?

 賭博場を襲撃し大金を盗み出そうという計画を描いたサスペンス作品です。
 主人公たち5人が賭博場襲撃計画のプランを立て、実現可能な案を考えていく過程がじっくり描かれます。アルバイトで務めたことのある者の経験や、実際に偵察に訪れたりと、計画が煮詰まっていく流れは、高揚感にあふれており楽しいところです。
 しかし考え方の違いから、5人の中にも不穏な空気が流れ始めます。計画の中止はできず、そのまま襲撃計画を実行することになりますが、さらにアクシデントが起こり、計画遂行の雲行きも怪しくなっていくのです。
 若者たちが大それたことをしたい…という序盤から、青春小説的な要素が濃いのですが、結末で彼らが遭遇することになる「現実」は、非常に苦い味わいです。ほろ苦さはフィニィ作品の常ではあるのですが、この作品のそれは一際強烈で、フィニィ作品の中でもいちばんと言っていいのではないでしょうか。



4150720541完全脱獄 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジャック・フィニイ 宇野輝雄
早川書房 2007-09-26

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『完全脱獄』(宇野輝雄訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)

 詐欺の容疑でサンクェンティン刑務所に収監されていたアーニー・ジャーヴィスは、脱獄をしようとして失敗し、しかも直後に看守を殴ってしまいます。その結果、法律上は死刑になる可能性があることに気付いたアーニーは、面会に訪れた弟ベンに脱獄の協力を要請します。
 ベンはアーニーの婚約者ルースと共に脱獄の計画を進めます。夫婦であると偽って刑務所の近くに家を借りた二人でしたが、折悪しく、すぐそばには刑務所に勤める刑務官ノヴァも住んでいました。不安を抱えながらも、脱獄計画をスタートさせる二人でしたが…。

 死刑になる可能性のある兄を救うために、兄の婚約者とともに兄を脱獄させようとする弟の物語です。脱獄の過程だけでなく、登場人物同士の心理にも多く触れられており、読み応えのある作品ですね。
 脱獄計画自体はわりとシンプルで、その計画の過程も地味に面白いところなのですが、それ以上に目を引くのが、登場人物たちの関係性です。収監されているアーニーは、一見魅力的ながら自尊心が異様に高く、後先をあまり考えない性格。弟のベンは逆に思慮深い性格です。
 あまりに思慮のないアーニーの行動に失望したルースは、ベンに惹かれていきます。ベンもまた義務の念からアーニー救出をしようとしますが、ルースに惹かれていくのを止めることはできません。不穏な思いを抱えながら計画を成功させることができるのか?

 救出される囚人が、ある種の「ならず者」なのがポイントで、計画の成否と同時に、「ならず者」アーニーが問題を引き起こさないか、ハラハラドキドキするという意味のサスペンスもありますね。
 脱獄計画自体もわりと小粒、主な登場人物たちも少数(登場人物表は5人のみ)なので、非常に読みやすい作品になっています。小粋なサスペンスといっていい作品です。



4150010099クイーン・メリー号襲撃 (ハヤカワ・ミステリ 1009)
ジャック・フィニイ 伊藤 哲
早川書房 1967-11

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『クイーン・メリー号襲撃』(伊藤哲訳 ハヤカワ・ミステリ)

 青年ヒューは、ついた仕事がどれも長続きせず、心の奥では冒険を求めていました。そんな折、再会した海軍時代の友人ヴィックは、冒険と大金が手に入る機会があると、ヒューをある計画に誘います。
 計画の立案者フランクは、計画について語ります。それは第一次大戦時に沈んだ潜水艦Uボートを引き上げ、その潜水艦を使って豪華客船クイーン・メリー号を襲撃する、というものでした。しかし40年以上海に沈んでいた潜水艦はそのままでは使えません。彼らは協力し、潜水艦に修理を施そうとしますが…。

 豪華客船クリーン・メリー号を襲撃し、莫大な金銭を奪い取ろうとする男たちの奇想天外な計画を描く、犯罪サスペンス作品です。
 潜水艦で客船を襲って大金を奪う…という、かなり単純な犯罪計画ではあるのですが、その過程や登場人物たちのやり取りが詳細に描かれ、飽きさせません。そもそも計画の実行が始まるのが、作品もかなり後半になってからなのです。それまでは、計画の準備が丁寧に描かれていきます。
 古い潜水艦が壊れていないのか、バッテリーは使えるのか、動力はどうするのか、といった問題を一つ一つクリアしていく過程は地味ながら面白く読ませます。並行して、主人公たちの性格や軋轢も描かれていきます。一味の紅一点ローザをめぐっての、主人公ヒューと船長モレノの対立も読みどころの一つ。
 冒険とロマンを求める主人公ヒューですが、計画の実行段階に及んで、現実と夢との落差を実感することになります。モラルを捨てて富を手に入れるのか?自らの正義感を守るのか?
 奇想天外な犯罪の一部始終を描く犯罪小説であり、青年の夢の実現と挫折を描く青春小説でもある作品です。読み終えた後に残るほろ苦さには、独特の味わいがありますね。



yorunobouken.png夜の冒険者たち (1980年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
ジャック・フィニイ 山田 順子
早川書房 1980-09

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『夜の冒険者たち』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 法律事務所に勤める青年リュウは、仕事も順調、恋人ジョーとの仲も問題ない状態ながら、鬱屈したものを抱えていました。ある夜眠れなくなったリュウは深夜一人で散歩に出かけます。夜の街の魅力に捕えられたリュウは、ジョーの他、親友ハリーとそのパートナーシャーリーの4人での深夜の散歩を提案します。
 無人の高速道路での大騒ぎを皮切りに、警官との追いかけっこを体験した4人の行動はエスカレートしていきます。それはやがて犯罪すれすれの行動にまで発展しますが…。

 夜の都会を舞台に、4人の男女の冒険を描くサスペンス作品です。
 序盤は若者たち4人が、深夜の街を散歩する…という、ロマンティックながら、いささか退屈しかねない展開なのですが、やがてスリルを求める彼らの行動がエスカレートしていき、警官との追跡が始まるに及んで、俄然サスペンスが高まってきます。
 基本的に主人公たちが行うのは「いたずら」なのですが、それを理解しない警官たちとの間に軋轢を引き起こしてしまいます。引くべきところでも相手を挑発してしまい、事態は悪化していきます。しかし4人は中途半端に「いたずら」をやめようとはしません。
 主人公たちは、最後の最後まで「いたずら」を繰り返し、結末では非常に大掛かりな「いたずら」を計画します。いい大人が子供のようないたずらを繰り返すという、ある意味「子供っぽい」物語ではあるのですが、その一貫性が非常に心地よいのです。
 舞台となる夜の街も非常に雰囲気があります。中盤で展開される深夜の図書館への侵入は何とも魅力的。サスペンスというべきか冒険小説というべきか。言うならば「大人気ない大人の冒険小説」。フィニィならではの不思議な味わいの作品です。


フィニィのオマージュおよび関連作品についても、いくつか紹介しておきたいと思います。



4488612067万華鏡 (ブラッドベリ自選傑作集) (創元SF文庫)
レイ・ブラッドベリ 中村 融
東京創元社 2016-10-20

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レイ・ブラッドベリ「狐と森」(中村融訳『万華鏡』創元SF文庫 収録)

 ジャック・フィニィの短篇「おかしな隣人」の中で言及されるレイ・ブラッドベリの短篇です。タイトルは言及されず、内容だけが紹介されるのですが、ほぼこの作品と断定してよいかと思います。

 国家が国民を管理する未来社会で、タイムマシンで時間旅行を許された夫婦が偽名を使い、現代のメキシコに逃げ込みます。しかし秘密警察の追っ手らしき男が現れ…という物語です。
 読んでいて、なるほど、フィニィの「おかしな隣人」の発想元はこれか…と思わせる作品です。ただ、ブラッドベリ作品に比べ、フィニィの料理の仕方はユニークです。フィニィの方は、未来社会に失望した国民たちが皆過去に逃げ出してしまい、国が成り立たなくなってしまうのです。
 飽くまで生真面目なブラッドベリ作品と、風刺的な目を失わないフィニィ作品、それぞれの作家の特徴がよく出ていて面白いですね。



4150308039サマー/タイム/トラベラー (2) (ハヤカワ文庫JA)
新城 カズマ
早川書房 2005-07-21

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新城カズマ『サマー/タイム/トラベラー』(ハヤカワ文庫JA)

 時間跳躍能力を持ったヒロインとその仲間たちをめぐる青春小説です。作中でヒロインの能力を知った仲間たちが、タイムトラベルを扱ったフィクションを集めて研究するというくだりがあって、非常に楽しいです。
 『ジェニーの肖像』『リプレイ』『トムは真夜中の庭で』など、沢山のタイムトラベル作品が言及されるのですが、中でも、ジャック・フィニィ作品の言及が多いのです。登場人物がさりげなく『ゲイルズバーグの春を愛す』を読んでいたり、浴衣の柄が『ゲイルズバーグの春を愛す』の表紙画になっていたり。
 浴衣の柄に関しては、二巻の表紙(全二巻です)が、ちょうどヒロインがそのフィニィ柄の浴衣を着ているイラストになっているという凝り様です。また、登場人物たちもフィニィ作品は別格として扱っているようで、セリフの端々にそれが見られますね。
 作中から一部引用してみましょう。

 「フィニィ的思考の勝利だわ」謳うように、響子の御託宣。「過去への憧れ。失われたものへの想い。『ふりだしに戻る』-『レベル3』-『愛の手紙』。でなきゃマシスンの『ある日どこかで』とか。過去を望まない人間がいるかしら?それこそお目にかかりたいものだわ!」

 登場人物たちがタイム・トラベル作品を分類した表が実際に載せられているのですが、その分類の仕方がユニークです。縦軸が「過去が改変可か不可か」、横軸が「悔恨欲と俯瞰欲」で、4つに区切られた表に作品が分類されています。
 例えば、ウェルズ『タイム・マシン』は俯瞰欲が優勢で過去改変は不可、フィニィ「愛の手紙」は悔恨欲が優勢で過去改変可に分類されています。「過去の改変」はともかく「悔恨欲と俯瞰欲」という分類は非常にユニークですね。でも言われてみると確かにうなずける考え方ではありますね。



409408134820世紀の幽霊たち (小学館文庫)
ジョー ヒル Joe Hill
小学館 2008-09-05

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ジョー・ヒル「黒電話」『20世紀の幽霊たち』小学館文庫 収録)

 少年ジョン・フィニィは、誘拐犯アルにさらわれ地下室に閉じ込められてしまいます。地下室内に黒い旧式の電話があるのを見つけますが、その電話線は切られていました。数日後、希望を失いかけたフィニィは、切られているはずの電話が鳴っているのに気づきます…。
 作風的には全くフィニィとは異なる作品なのですが、フィニィへのオマージュがところどころに見られます。
 主人公の少年の名前がフィニィであり、作中でも名前のジョンではなく苗字のフィニィで描写されます。殺人鬼の通称が〈ゲイルズバーグの人さらい〉だったりと、ジャック・フィニィを意識した作品です。実際作者のあとがきでも、フィニィに対し最大級の賛辞を送っています。
 お話は、つながるはずのない電話から聞こえた声に従い、地下室から脱出しようとする少年を描いていて、ちょっと幻想がかったサスペンス短篇になっています。削除されたという最終章も同じ本に収録されていて、こちらも合わせて読むと興趣が増しますね。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

新入生のための海外幻想文学リスト
 ネットの一部で話題になっているらしい、J.Uchidaさんによる「新入生のための海外現代文学リスト(2018年版)」と、それに触発されたshigeyukiさんの「学生のための海外文学リスト50+4」を見させてもらいました。どちらも非常によいリストなのですが、見ている内に自分でも選びたくなってきました。

 選択の方針としては、shigeyukiさんが書かれている「読んでいてそれなりに楽しめて、なおかつ文学性を感じられるもの」という意見に同意するものです。そこからさらに「娯楽性」「エンタメ性」を高めて、しかも現在テキストの入手が容易なもの、ということで選んでみました。
 選んでいるうちに気付いたのですが、選択したタイトルがほとんど「幻想文学」に分類されるような作品ばかりになってしまいました。いっそのこと「幻想文学」で統一してしまおうということで、「新入生のための海外幻想文学リスト」を作ってみました。

 大部分は、現在でも入手が可能だと思います。あとこれは個人の趣味なのですが、短篇集の割合が非常に多いです。
 もともとの「新入生のための海外現代文学リスト」の趣旨としては「ラノベに飽きた人向け」とのことですが、「幻想性」や「ファンタジー性」が強い作品が多いので、結果的に、ラノベ好きには親和性の高いセレクションになったのではと思います。とにかく「読んで面白い物語」を集めていますので、参考にしていただければと思います。

 光文社古典新訳文庫の本がやたらと出てきますが、改めて見ると、この文庫「幻想文学」に好意的ですね。


新入生のための海外幻想文学リスト

1.H・G・ウェルズ『タイム・マシン 他九篇』(橋本槇矩訳 岩波文庫)

2.メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』(森下弓子訳 創元推理文庫)

3.E・T・A・ホフマン『砂男/クレスペル顧問官』(大島かおり訳 光文社古典新訳文庫)

4.ナサニエル・ホーソーン『ホーソーン短篇小説集』(坂下昇訳 岩波文庫)

5.ジュール・ヴェルヌ『永遠のアダム』(江口清訳 文遊社)

6.ウィルキー・コリンズ『白衣の女』(中島賢二訳 岩波文庫)

7.グスターボ・アドルフォ・ベッケル『スペイン伝説集』(山田真史訳 彩流社)

8.マルセル・エイメ『壁抜け男』(中村真一郎訳 早川書房)

9.ジュール・シュペルヴィエル『海に住む少女』 (永田千奈訳 光文社古典新訳文庫)

10.フリードリヒ・ド・ラ・モット・フケー『水の精(ウンディーネ)』(識名章喜訳 光文社古典新訳文庫)

11.アルジャーノン・ブラックウッド『秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集』(南條竹則訳 光文社古典新訳文庫)

12.ロバート・ルイス・スティーヴンスン『新アラビア夜話』(南條竹則 光文社古典新訳文庫)

13.H・R・ハガード『ソロモン王の洞窟』(大久保康雄訳 創元推理文庫)

14.ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』(平井呈一訳 創元推理文庫)

15.ロード・ダンセイニ『最後の夢の物語』(中野善夫他訳 河出文庫)

16.キャサリン・ストー『マリアンヌの夢』(猪熊葉子訳 岩波少年文庫)

17.A・E・コッパード『天来の美酒/消えちゃった』(南條竹則訳 光文社古典新訳文庫)

18.ダフネ・デュ・モーリア『鳥』(務台夏子訳 創元推理文庫)

19.フィッツ=ジェイムズ・オブライエン『不思議屋/ダイヤモンドのレンズ』(南條竹則訳 光文社古典新訳文庫)

20.アーデルベルト=フォン・シャミッソー『影をなくした男』(池内紀訳 岩波文庫)

21.レイ・ブラッドベリ『十月はたそがれの国』(宇野利泰訳 創元SF文庫)

22.デイヴィッド・イーリイ『タイムアウト』(白須清美訳 河出文庫)

23.パトリシア・ハイスミス『11の物語』(小倉多加志訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)

24.シオドア・スタージョン『不思議のひと触れ』(大森望訳 河出文庫)

25.デイヴィッド・ガーネット『狐になった奥様』(安藤貞雄訳 岩波文庫)

26.ジョン・ウィンダム『トリフィド時代』(井上勇訳 創元SF文庫)

27.ロバート・ウェストール『かかし』(金原瑞人訳 徳間書店)

28.ジョナサン・キャロル『死者の書』(浅羽莢子訳 創元推理文庫)

29.パトリック・レドモンド『霊応ゲーム』(広瀬順弘訳 ハヤカワ文庫NV)

30.シャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』(市田泉訳 創元推理文庫)

31.エリック・マコーマック『隠し部屋を査察して』(増田まもる訳 創元推理文庫)

32.パトリック・マグラア『失われた探険家』(宮脇孝雄訳 河出書房新社)

33.マヌエル・ゴンザレス『ミニチュアの妻』(藤井光訳 白水社)

34.ワレリイ・ブリューソフ『南十字星共和国』 (草鹿外吉訳 白水Uブックス)

35.レオ・ペルッツ『夜毎に石の橋の下で』(垂野創一郎訳 国書刊行会)

36.ステファン・グラビンスキ『火の書』(芝田文乃訳 国書刊行会)

37.F・S・フィッツジェラルド『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(永山篤一訳 角川文庫)

38.ブライアン・エヴンソン『ウインドアイ』(柴田元幸訳 新潮クレスト・ブックス)

39.J・S・レ・ファニュ『ドラゴン・ヴォランの部屋 レ・ファニュ傑作選』(千葉康樹訳 創元推理文庫)

40.アーサー・マッケン『白魔(びゃくま)』(南條竹則訳 光文社古典新訳文庫)

41.プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』(関口英子訳 光文社古典新訳文庫)

42.ジェイムズ・ホッグ『悪の誘惑』(高橋和久訳 国書刊行会)

43.アヴラム・デイヴィッドスン『エステルハージ博士の事件簿』(池央耿 河出書房新社)

44.ジョー・ヒル『20世紀の幽霊たち』(白石朗訳 小学館文庫)

45.ジャック・フィニィ『ゲイルズバーグの春を愛す』(福島正実訳 ハヤカワ文庫FT)

46.ロアルド・ダール『あなたに似た人』(田口俊樹 ハヤカワ・ミステリ文庫)

47.アルベルト・モラヴィア『薔薇とハナムグリ シュルレアリスム・風刺短篇集』(関口英子訳 光文社古典新訳文庫)

48.イタロ・カルヴィーノ『まっぷたつの子爵』(河島英昭訳 岩波文庫)

49.ジェイムズ・サーバー『傍迷惑な人々 サーバー短篇集』(芹澤恵訳 光文社古典新訳文庫)

50.グレッグ・イーガン『祈りの海』(山岸真訳 ハヤカワ文庫SF)

51.R・A・ラファティ『昔には帰れない』(伊藤典夫 /浅倉久志訳 ハヤカワ文庫SF)

52.ゾラン・ジヴコヴィッチ『12人の蒐集家/ティーショップ』(山田順子訳 海外文学セレクション)

53.ロジャー・ゼラズニイ『伝道の書に捧げる薔薇』 (浅倉久志訳 ハヤカワ文庫SF)

54.ガブリエル・ガルシア=マルケス『エレンディラ』(鼓直訳 ちくま文庫)

55.フリオ・コルタサル『遊戯の終わり』(木村榮一訳 岩波文庫)

56.ショーン・タン『アライバル』(小林美幸訳 河出書房新社)

57.J・G・バラード『結晶世界』 (中村保男 創元SF文庫)

58.ケン・グリムウッド『リプレイ』 (杉山高之訳 新潮文庫)

59.フィオナ・マクラウド/ウィリアム・シャープ『夢のウラド』(中野善夫訳 国書刊行会)

60.サマンタ・シュウェブリン『口のなかの小鳥たち』(松本健二訳 東宣出版)

61.ジョン・クロウリー『古代の遺物』(浅倉久志他訳 国書刊行会)

62.ガストン・ルルー『オペラ座の怪人』(平岡敦訳 光文社古典新訳文庫)

63.ヴォルテール『カンディード 他五篇』(植田祐次訳 岩波文庫)

64.パトリック・ジュースキント『香水 ある人殺しの物語』(池内紀訳 文春文庫)

65.アレクサンドル・グリーン『消えた太陽』(沼野充義訳 国書刊行会)

66.カレル・チャペック『山椒魚戦争』 (栗栖継訳 岩波文庫)

67.ミハイル・ブルガーコフ『犬の心臓・運命の卵』(増本浩子・ヴァレリー・グレチュコ訳 新潮文庫)

68.ヤン・ヴァイス『迷宮1000』 (深見弾訳 創元推理文庫)

69.ミロラド・パヴィッチ『帝都最後の恋 占いのための手引き書』(三谷恵子訳 松籟社)

70.レシェク・コワコフスキ『ライロニア国物語』(沼野充義訳/芝田文乃訳 国書刊行会)

71.アドルフォ・ビオイ=カサーレス『パウリーナの思い出に』(野村竜仁/高岡麻衣訳 国書刊行会)

72.スタニスワフ・レム『泰平ヨンの航星日記〔改訳版〕』(深見弾/大野典宏訳 ハヤカワ文庫SF)

73.ジェフリー・フォード『白い果実』(山尾悠子/金原瑞人/谷垣暁美訳 国書刊行会)

74.フリードリヒ・デュレンマット『失脚/巫女の死 デュレンマット傑作選』(増本浩子訳 光文社古典新訳文庫)

75.ルイジ・ピランデッロ『月を見つけたチャウラ ピランデッロ短篇集』(関口英子訳 光文社古典新訳文庫)

76.リチャード・マシスン『ある日どこかで』(尾之上浩司訳 創元推理文庫

77.ミュリエル・スパーク『バン、バン! はい死んだ ミュリエル・スパーク傑作短篇集』(木村政則訳 河出書房新社)

78.スティーヴン・ミルハウザー『イン・ザ・ペニー・アーケード』(柴田元幸訳 白水Uブックス)

79.スティーヴン・キング『呪われた町』(永井淳訳 集英社文庫)

80.柴田元幸編『どこにもない国 現代アメリカ幻想小説集』(松柏社)

81.中村融編『街角の書店 18の奇妙な物語』(創元推理文庫)

82.中村融編『夜の夢見の川 12の奇妙な物語』(創元推理文庫)

83.ディーノ・ブッツァーティ『七人の使者・神を見た犬 他十三篇』(脇功訳 岩波文庫)

84.アンドリュー・カウフマン『銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件』(田内志文訳 東京創元社)

85.ミュノーナ『スフィンクス・ステーキ ミュノーナ短篇集』(鈴木芳子訳 未知谷)

86.アレクサンダー・レルネット=ホレーニア『両シチリア連隊』(垂野創一郎訳 東京創元社)

87.ウイリアム・ピーター・ブラッティ『エクソシスト』(宇野利泰訳 創元推理文庫)

88.クリストファー・プリースト『魔法』(古沢嘉通訳 ハヤカワ文庫FT)

89.エッサ・デ・ケイロース『縛り首の丘』(弥永史郎訳 白水Uブックス)

90.アンナ・スタロビネツ『むずかしい年ごろ』(沼野恭子訳 河出書房新社)

91.リュドミラ・ペトルシェフスカヤ『私のいた場所』(沼野恭子訳 河出書房新社)

92.ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』(浅倉久志他訳 国書刊行会)

93.ジュディ・バドニッツ『元気で大きいアメリカの赤ちゃん』(岸本佐知子訳 文藝春秋)

94.マッシモ・ボンテンペッリ『鏡の前のチェス盤』(橋本勝雄訳 光文社古典新訳文庫)

95.ジョン・コリア『炎のなかの絵』(村上啓夫訳 早川書房)

96.フィリップ・K・ディック『時は乱れて』(山田和子訳 ハヤカワ文庫SF)

97.ハーラン・エリスン『死の鳥』(伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫SF)

98.ミック・ジャクソン『10の奇妙な話』(田内志文訳 東京創元社)

99.ケヴィン・ウィルソン『地球の中心までトンネルを掘る』(芹澤恵訳 東京創元社)

100.クリフォード・D・シマック『中継ステーション〔新訳版〕』(山田順子訳 ハヤカワ文庫SF)

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

物語をめぐる物語 その2
B000J83KXC世界幻想文学大系〈第19巻〉サラゴサ手稿 (1980年)
荒俣 宏 紀田 順一郎 J.ポトツキ
国書刊行会 1980-09

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ヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』(工藤幸雄訳 国書刊行会)

 ナポレオン戦争中のスペインで、あるフランス人将校が、古い家の中で写本を発見します。そこに書かれていたのは、青年アルフォンスの不思議な物語でした。
 アルフォンスは、マドリッドに向けて山を越えようとしていました。そこは絞首刑になった山賊、ゾト兄弟の幽霊が出るという噂の土地でした。廃屋で夜を明かそうとしたアルフォンスは、ある貴婦人の侍女と名乗る女に導かれた先で、美しいムーア人の姉妹に出会います。アルフォンスの遠い親戚だという姉妹に歓待されたアルフォンスが目を覚ますと、そこは山賊の死体が吊るされた処刑場の真下でした…。

 ポーランドの大貴族ヤン・ポトツキによって、19世紀初頭に書かれた枠物語です。収録されたエピソードは、どれも『千夜一夜物語』を思わせる、妖艶で幻想味あふれる作品になっています。エピソードが入れ子状になるなど、構成そのものも幻想的です。
 原作は66日間分のエピソードがあるらしいのですが、邦訳ではその5分の1の抄訳になっています。完訳の原稿は既に出来ていると話なので、全訳の刊行が期待されますね。
 映画版も、原作の味を上手く生かした秀作で、非常に面白い作品でした。映画版のレビューはこちら



4150200858プリンセス・ブライド (ハヤカワ文庫FT)
ウィリアム・ゴールドマン 佐藤 高子
早川書房 1986-05

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ウィリアム・ゴールドマン『プリンセス・ブライド』(佐藤高子訳 ハヤカワ文庫FT)

 作家のウィリアム・ゴールドマンが、子供の頃に父親に読んでもらい、忘れられない作品がありました。それは、ヨーロッパの小国フローリン出身の作家S・モーゲンスターンによる「プリンセス・ブライド」でした。
 その本を自分の息子にも読ませたいと考えたゴールドマンは、古本屋でその本を手に入れ読ませますが、息子は退屈で読み通せなかったというのです。本を実際に読んでみたゴールドマンは驚きます。息子の言うとおりだったのです。かって父親は、本の面白いところだけを選んで読んでくれていたらしいのです。
 ゴールドマンは、父親に倣い「プリンセス・ブライド」の娯楽抜粋版を書こうと考えますが…。

 非常に手の込んだメタ・ファンタジー小説です。物語本編の「プリンセス・ブライド」は、それだけでも十分面白いファンタジーなのですが、本編に挟み込むように現れる作家自身のツッコミも秀逸。作家のパートのみ、赤インキで印刷されているというのも洒落ていますね。
 本の作者モーゲンスターンが架空の作家だということは、すぐわかるようになっているのですが、それをめぐるゴールドマンの回想部分も、さりげなくフィクションが混ぜ合わされていたりと、一筋縄ではいかない作品です。とにかく読んで楽しい作品。



4047913103ゾッド・ワロップ―あるはずのない物語
ウィリアム・ブラウニング スペンサー William Browning Spencer
角川書店 1998-12

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ウィリアム・ブラウニング・スペンサー『ゾッド・ワロップ あるはずのない物語』(浅倉久志訳 角川書店)

 有名な童話作家ハリーは、娘の事故死のショックから精神を病み、心療クリニックに入院します。そこで出会った患者のレイモンドは、熱狂的なハリーのファンでした。入院中にハリーが創作した童話「ゾッド・ワロップ」の世界観を信じ込んだレイモンドは、退院後もハリーに電話をし、悩ませていました。
 数人の患者と小猿と共にハリーの自宅に現れたレイモンドは、世界を救うためにハリーの力が必要だと話します。狂人のたわごとだと思っていたハリーでしたが、やがて現実に不思議な現象が起き始めます…。

 フィクションの世界が現実世界を侵食していく…というタイプのファンタジー小説なのですが、世界観が独特です。
 旅の途中で出現する怪物や不思議な現象も面白いのですが、興味深いのは、ハリーの童話「ゾッド・ワロップ」の登場人物と、現実の登場人物が二重写しになっていくところです。「ゾッド・ワロップ」には、ハリー入院中に出会った人々が無意識に反映され、それぞれのモデルがいるというのです。
 それぞれの登場人物は、レイモンドの妄想にも当てられ、自分が現実の人間なのか、作中人物なのかがはっきりしなくなっていきます。同様に主人公ハリーも、その「妄想」に取り込まれていきます。
 そもそも「ゾッド・ワロップ」はハリーの娘の死の影響から書かれた作品でした。愛する妻とも別れたハリーは娘の死を乗り越えられずにおり、レイモンドたちとの旅は、彼が立ち直るための旅でもあるのです。
 一見、何でもありのファンタジー世界に見えるのですが、そこにはある種の論理があり、後半ではその「論理」も明かされていきます。主人公ハリーを含め、登場人物たちの旅は、彼らの「再生」のためでもあったことがわかるクライマックスには感動があります。
 現実の世界に「帰還」しながらも「魔法」は消えない…という肯定的な結末も好感触です。序盤は多少とっつきにくいのですが、世界観に慣れてしまえば面白く読めると思います。ファンタジーの名作の一つと言っていいのではないでしょうか。



4152088575哀れなるものたち (ハヤカワepiブック・プラネット)
アラスター・グレイ 高橋和久
早川書房 2008-01-26

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アラスター・グレイ『哀れなるものたち』(高橋和久訳 早川書房)

 容貌魁偉ながら天才的な技術を持つ医師バクスターは、身投げした妊婦の死体を蘇生させ、彼女をベラと名付けます。まっさらな状態から再度精神的な成長を始めたベラは、その奔放さで男たちを魅了し、翻弄します。
 バクスターの友人アーチボールド・マッキャンドレスを見初めたベラは、彼と結婚すると言い出します。しかしその直後に別の男と出奔し、海外を遍歴することになりますが…

 天才医師の手により、死から甦った女性の生涯を描く、ゴシック風奇想小説です。
 メインとなる物語は、後にベラの夫となったアーチボールド・マッキャンドレスが書いた「スコットランドの一公衆衛生官の若き日を彩るいくつかの挿話」という自伝です。しかし、夫の自伝の後に、その内容を否定するかのような、ベラ自身の手記も収録され、真実をわかりにくくさせています。
 さらに複雑なのは、夫婦二人の手記に対し、小説家グレイが編集を行い註をつけているという、非常に手の込んだ体裁。
 アーチボールドの自伝は非常にグロテスクで戯画的。そこでのベラは倫理的にも性的にも奔放です。
 一方、ベラの手記では、自分は甦った死体などではなく、普通の人間であることが強調されます。どちらの物語にしても、ベラが学習を重ね、やがて医師になることは同じで、やがて彼女は社会を改善したいという活動家のような存在になっていきます。
 男と出奔してしまったベラが、思想や宗教の影響を受けたり、元夫に訴えられたりと、ストーリー的にも非常に面白いのですが、後半医師になって以降のベラを描く部分では、かなり「まっとうな」話になってしまうという、妙なアンバランスさも面白いですね。
 全体にグロテスクな題材ではあるものの、一女性の生涯を描く「教養小説」的な要素が強いです。メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』や、ジェイムズ・ホッグ『悪の誘惑』の影響が感じられる作品で、とくに作品構成については、手記を多用するなど、ホッグ作品との共通点が多いようです。



4151830510ノクターナル・アニマルズ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
オースティン ライト 吉野 美恵子
早川書房 2017-10-05

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オースティン・ライト『ノクターナル・アニマルズ』(吉野美恵子訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)

 外科医の夫と子供たちと暮らすスーザンの元に、小説の草稿が送られてきます。それは20年以上前に別れたスーザンの元夫エドワードからのものでした。若い頃から作家を目指していたエドワードは、作家の夢に見切りをつけたものと考えていたのですが、彼はあきらめていなかったようなのです。
 小説の感想を聞かせてほしいというエドワードの手紙を読んだスーザンは、何の気なしに読み始めますが、その小説「夜の獣たち」にすぐに夢中になります。「夜の獣たち」の主人公は大学教授トニー。妻子とともに車で走っていたトニーは、柄の悪い男たちに煽られ接触事故を起こしてしまいます。
 言い争いをしている内に、妻子は男たちに誘拐されてしまいます。警察の協力を得たトニーは妻子の行方を探します。最初は妻子を助けるヒーローの物語かと思いきや、どんどんと不穏な展開になっていく小説を読みながらスーザンは不安になります。この小説は一体何を表わしているのか?
 20年以上も前に別れた自分に小説を読めというエドワードの意図は一体何なのか? 小説を読みながら、スーザンはエドワードとの生活や、今の夫と出会った過去を思い出し始めますが…。

 作中の登場人物が書いた小説を、別の登場人物が読んでいくという、入れ子状の構成をとったサスペンス小説です。
 エドワードの作中作「夜の獣たち」と、それを読むスーザンの心理が交互に描かれていくという体裁になっています。「夜の獣たち」はそれ単体で充分に面白いサスペンス作品なのですが、その小説を読みながらスーザンの心理に徐々に変化が起きていく様子もまた読みどころ。
 読者は、作中作の小説に何か「仕掛け」があるのではないかと疑いながら読むと思います。確かに「仕掛け」はあるのですが、ギミックという意味でのそれではなく、スーザンの心理に変化を起こさせる「きっかけ」という意味での「仕掛け」なのです。
 面白いのは、作中には直接エドワードは登場しないところ。スーザンの回想を通してしか現れないのです。それゆえエドワードが小説を書いて送ってきた意図ははっきりしません。しかし最後まで読み終えた読者は、エドワードの意図が何だったのかが、ぼんやりと見えてきます
 「ぼんやり」とはしているのですが、そこには豊かな「含み」があって、読後感は悪くはありません。狭義のミステリやサスペンスとは異なるかもしれませんが、これは確かに傑作といえる作品だと思います。



4309461093イーディスの日記〈上〉 (河出文庫)
パトリシア ハイスミス Patricia Highsmith
河出書房新社 1992-08

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パトリシア・ハイスミス『イーディスの日記』(柿沼瑛子訳 河出文庫)

 夫と息子とともに郊外の新居に引っ越してきたイーディス。ライターの経歴もある彼女は、ここで新聞を作ろうと理想に燃えていました。しかし夫の老齢の伯父ジョージと同居することになったことから、だんだんと家庭が上手くいかなくなり始めます。息子のクリッフィーは怠け者で、働く気もありません。
 夫は秘書との浮気から家を出ていってしまいます。ジョージは介護を必要とするようになり、経済的にも苦しくなっていきます。イーディスは日常生活の辛さを忘れるために日記をつけるようになります。その日記では現実と異なり、幸せなことばかりが書かれていました。
 イーディスの日記の中では、息子は一流の実業家であり、美しい妻と子供も持っています。日記の中の息子たちの生活を書き続けるのと同時に、イーディスは静かな狂気に囚われていきますが…。

 一人の主婦が日常を過ごすうちに狂気に囚われていく、という作品です。犯罪が起こるわけでもないのに、尋常でない迫力と密度のあるサスペンスになっています。
 ヒロインのイーディスは有能な女性なのですが、ふとしためぐり合わせの悪さから、どんどんとのっぴきならない状況に追い込まれていきます。それに輪をかけて、夫と息子、特に息子が彼女の足を引っ張ります。不満を外に出せず、溜め込んでいくイーディスはだんだんと日記にのめりこんでいきます。
 日記はイーディスの正気を保つ手段であると同時に、狂気の進行具合を測るバロメーターでもあるのです。やがて、周りの人間たちと軋轢を起こし始めたイーディスの行く末は…?
 作中で殺人事件や大きな犯罪は起こりません。起こるのは、夫の不倫、介護、素行不良の息子などの日常的な「事件」。それらが降り積もったとき、何の変哲もない普通の人間がどうなってしまうのか、というリアリティあふれるサスペンス小説。これは現実的な意味で「怖い」作品ですね。



433603964Xハルーンとお話の海
サルマン ラシュディ Salman Rushdie
国書刊行会 2002-01-01

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サルマン・ラシュディ『ハルーンとお話の海』(青山南訳 国書刊行会)

 主人公の少年ハルーンの父ラシードは、天才的なストーリー・テラーで「物語ること」を生業にしていました。しかし妻のソラーヤが近所の男と家出してしまったことから、自信をなくし、物語ることができなくなってしまいます。
 ある日、水の妖精モシモと出会ったハルーンは、ラシードが「お話の海」と契約をしていて、そこからお話を貰って話をしていたということを知ります。ハルーンは、父に「お話」を取り戻すべく、モシモと共に「お話の海」のある場所「オハナシー」に赴くことになりますが…。

 「物語ること」について書かれた、ちょっとブラックなファンタジー小説です。全体におとぎ話的な雰囲気でありながら、ところどころに妙に「現実的」なモチーフが現れるのが面白いですね。
 この手のファンタジーでは不思議なことがあっても「魔法だから」で済ませがちですが、この作品、変にリアリティのある設定があって楽しいです。例えば、舞台となる「オハナシー」が、地球のもう一つの月で、毎回軌道が変わるので、誰も見つけられないとか。 展開が非常に速く、あれよという間に結末を迎えます。結末も「ハッピーエンド」なのですが、その安易さも含めて物語を相対化するようなメタな視点があるのが読みどころ。一見子供向けですが、大人が読んでも楽しめる作品です。



4488256090青鉛筆の女 (創元推理文庫)
ゴードン・マカルパイン 古賀 弥生
東京創元社 2017-02-26

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ゴードン・マカルパイン『青鉛筆の女』(古賀弥生訳 創元推理文庫)

 三重構造になったメタミステリという面白い小説です。作中に埋め込まれた小説が、非常にB級なスリラーなのですが、最後まで読むとそれもまた別の意味を持っていることがわかるという、手の込んだ趣向になっています。
 作品全体は、二種類の小説と、作者に対する女性編集者の手紙との三種類のパートが交互に現れるという構成になっています。小説の一つは、タクミ・サトーによる『改訂版』という作品。日系アメリカ人の講師が、殺された妻の事件を調査するハードボイルド小説です。
 もう一つの小説は、ウィリアム・ソーン『オーキッドと秘密工作員』。残酷な日本人美女をリーダーとするスパイ組織の連続殺人を、朝鮮系アメリカ人の私立探偵が追っていくというスパイ・スリラー作品です。
 3つ目のパートは、作中小説の作者タクミ・サトーに対する女性編集者の手紙です。こちらからは、戦争や日本人排斥の風潮などから、日本人主人公を改変したり、小説内に愛国心を煽るような要素を盛り込むなど、改変を余儀なくされていることがわかります。
 やがて、作中の2つの小説が混ざり始め、片方の小説の主人公がもう片方の小説の主人公を追うような形になっていきます。日系人講師の妻を殺したのは誰なのか? そして「オーキッド」の正体とは?

 作中の2つの小説のうち『改訂版』は非常にSF的な要素の強い作品で、主人公の日系人は、なぜか日米戦争の前夜から開戦直後に時間を跳ばされているのです。しかも周りの人間は自分のことをまったく覚えていません。ただでさえ日系人への当たりが厳しいなか、アイデンティティまでが揺らぐ…という展開。
 作中の2つの小説が互いに交じり合っていき、それらも、最後には女性編集者の視点により、また違った意味を持ってくるという、非常に凝った趣向になっています。作中作、特に『オーキッド』の方はかなりステレオタイプなB級スリラーなのですが、この味わい自体が作者の意図したところなのでしょう。
 全体を読み終えると、作中では直接登場しなかった、ある人物の生涯が浮かび上がってきます。それを読み取ることを含め、作中作同士の関係や、女性編集者の意図を探るなど、読者がいろいろ想像をめぐらす部分が多数あって、読んでいて非常に楽しい作品になっています。



4150119554華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)
レイ・ブラッドベリ 伊藤典夫
早川書房 2014-04-24

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レイ・ブラッドベリ『華氏451度〔新訳版〕』(伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫SF)

 本を所有することが禁じられた未来社会、本を見つけ出し燃やすことを生業にする「昇火士」モンターグは、自分の仕事に誇りを持っていました。しかし冷え切っていく妻との暮らしの中、たまたま出会った風変わりな少女との交流をきっかけに、モンターグは書物の魅力に惹かれていきますが…。

  本が禁じられた未来社会を舞台にしたディストピアSF小説ですが、ブラッドベリらしい詩情も感じられる作品。やはり名作だと思います。
 窮屈な管理社会で、反旗を翻す主人公…という、ある種フォーマットともいうべき展開の作品なのですが、その対抗の手段が、実にブラッドベリらしいのです。「現実的」ではないといえばその通りなのですが、こうした抵抗の仕方があってもいいんじゃないかと思わせるのが、ブラッドベリのユニークさ。
 ブラッドベリは、短篇でも「第二のアッシャー邸」や「亡命した人々」といった作品で、書物(特に怪奇幻想小説)が焚書になる世界を描いていますが、そうした未来を本当に危惧していたように見えます。



4594059767ルシアナ・Bの緩慢なる死 (扶桑社ミステリー)
ギジェルモ・マルティネス
扶桑社 2009-06-27

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ギジェルモ・マルティネス『ルシアナ・Bの緩慢なる死』(和泉圭亮訳 扶桑社ミステリー)

 ある日、作家である「私」の元に電話がかかってきます。電話の主はルシアナ。10年前の一時期、タイピストとして「私」が雇っていた女性でした。彼女は、かっての雇い主である大作家クロステルが復讐のため、ルシアナの家族を殺していると話し、「私」に助けを求めます。
 クロステルは娘の死を、ルシアナのせいだと考えているというのです。ルシアナはかってクロステルを訴訟ごとに巻き込み、それが原因でクロステルの妻は娘を死なせてしまいます。逆恨みをしたクロステルは、何らかの間接的な手段を使って、ルシアナの関係者を殺していきます。
 最初は恋人、続けて両親と兄を失ったルシアナは、次は祖母か妹が狙われるというのです。懇願に負けた「私」は口実を設けて、クロステルと話すことに成功しますが、そこで耳にしたのは、驚くべき話でした…。

  アルゼンチンの現代作家によるアンチ(?)・ミステリー小説です。同じ事件や事態に対する「被害者側」と「犯人側」の言い分が異なるのが面白いところなのですが、クライマックスではさらに斜め上の展開が。
 「被害者」であるルシアナと「犯人」であるクロステルの言い分が全く異なっており、「私」は何を信じていいのかがわからなくなっていきます。ルシアナが狂気に陥っているのではないかと考える「私」でしたが、そんな矢先に再び事件が起こります。クロステルは本当に「無実」なのか?
 最初にルシアナの語るクロステル像が提示され、次にクロステル自身によってそれらがひっくり返されていく、という部分が読みどころです。何よりクロステル自身が語る自伝的な部分が非常に面白いのです。しかも物語はそれで終わりません。二人とは異なる「第三の視点」までが発生するのです。
 本格的な謎解きを期待すると、ちょっと異なる味わいなのですが「幻想小説」としては、非常に面白い作品ではないかなと思います。



4488224024殺人者の烙印 (創元推理文庫)
パトリシア ハイスミス 深町 真理子
東京創元社 1986-06

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パトリシア・ハイスミス『殺人者の烙印』(深町眞理子訳 創元推理文庫)

 売れない作家シドニーは、資産家の娘アリシアと結婚し、イギリスの田舎で執筆活動に励んでいました。度重なる夫婦喧嘩の末、アリシアは行き先も告げずに出て行ってしまいます。シドニーは妻を殺したとしたら…という想定で、古い絨毯を密かに捨てたり、実際の殺人者が取るような行動を取ります。
アリシアの行方が長期間にわたってわからないことから、周りの人間はシドニーが妻を殺したのではないかという疑念を抱き始めます。やがて警察が訪れますが、シドニーは、持ち前の反抗心から、疑念をさらに膨らますような発言を取ってしまいます…。

 ひねくれ者を主人公にした心理サスペンス小説です。周りの人間の疑念が雪だるま式にふくらんでいく過程が非常に面白いですね。
 主人公がとにかくひねくれ者で、妻や友人との軋轢はもちろん、警官にまで挑発的な言動を取り、どんどん追い込まれてしまう…という流れが読みどころです。もしかして本当に殺してるのでは?と思い始める矢先に、妻のパートが現れるのですが、妻は妻でおかしな行動を取り始めます。やがて妻の居所を知ったシドニーのとった行動とは?
 ハイスミス作品では変わった人物がよく登場するのですが、それらの複数の人物が絡んだとき、全く予想もつかない展開になることが多いです。この作品も例に漏れず、非常に斜め上の結末を迎えます。
 正直そこまで動きのある作品ではないのですが、心理のサスペンスだけでこれだけ読ませるのはすごいですね。



4488208029私家版 (創元推理文庫)
ジャン=ジャック フィシュテル Jean‐Jacques Fiechter
東京創元社 2000-12-01

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ジャン=ジャック・フィシュテル『私家版』(榊原晃三訳 創元推理文庫)

 イギリスの出版社社長エドワードは、少年時代からの友人であるフランス人作家ニコラのゴンクール賞受賞を苦々しげに見つめていました。ニコラの作品には明らかに若い頃の経験が反映されていましたが、その中にはエドワードの恋人だった女性の死の原因がニコラにあることが示されていたのです。
 エドワードは「本」そのものを使用して、ニコラを破滅させるための計画を着々と準備しますが…。

 「本の存在そのものが凶器になる」というのが売りの作品なのですが、そのギミック部分よりも、主人公の屈折した心理を描いた部分の方が読み応えがあるという、変り種サスペンス小説です。
 エドワードが「犯罪」に手を染めることになった理由は何なのか? 少年時代、長じては大人になってからのニコラの人生と、それを見つめるエドワード自身の人生が描かれていきます。裕福な家に生まれ、容姿端麗、女たらしのニコラに対し、エドワードは終始卑屈な態度で接します。
 劣等感を感じながらも、ある種の憧れを感じていたエドワードは、ニコラが恋人の死に関係していたことを知り、復讐の念にかられるのです。この鬱屈した心理描写が、この作品のいちばんの読みどころだと思います。
 「犯罪」が終わった後にも、意外な展開があります。オフビートといっていいのか、こんな結末を迎えるのは、フランス作品らしいというべきでしょうか。ジャンル小説というよりは、心理小説として面白い作品です。



4150106983鉄の夢 (ハヤカワ文庫SF)
ノーマン スピンラッド 荒俣 宏
早川書房 1986-12

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ノーマン・スピンラッド『鉄の夢』(荒俣宏訳 ハヤカワ文庫SF)

 架空の小説を扱ったメタフィクションであり、改変歴史ものでもあるという、非常に凝った作りのSF小説です。
 ページを開くとすぐに、アドルフ・ヒトラー作『鉤十字の帝王 第2版』という小説が始まります。それが終わると、大学教授による『鉤十字の帝王』に対する評があり、それで作品は終わってしまいます。つまり『鉄の夢』は、ヒトラーの小説『鉤十字の帝王』とその評だけでできているのです。
 もしヒトラーがアメリカに渡り、SF作家になっていたら…という想定の作品なのですが、ヒトラーが書いた仮想のSF小説で全文を構成してしまうという、面白い試みです。しかも作中世界では『鉤十字の帝王』はヒューゴー賞を受賞していると言う設定。
 小説そのものは、ひどくB級です。核の影響によりミュータントがあふれた世界が舞台で、遺伝子を汚染されていない「純人間」フェリック・ジャガーが主人公。ジャガーは、ミュータントを絶滅し「純人間」だけの世界を作ろうとする…という話。実際のヒトラーの思想をパロディ化したような作品ですね。
 主人公がほとんど無敵で、敵の大群を次々となぎ倒すという、ご都合主義の塊なのですが、戦闘シーンの迫力はなかなかのもので、娯楽作品としては意外と悪くありません。
 小説が終わった後に、大学教授の小説に対する評文が入るのですが、ここで作中世界がどうなっているのかがわかるという仕組みです。この世界では、ソビエト連邦がほぼ全世界を支配しており、日米のみがかろうじて抵抗を続けているのです。
 ほぼ共産主義に支配された世界で、『鉤十字の帝王』がある種の人々に評価されているという、非常に皮肉が効いた状況が描かれます。作中作『鉤十字の帝王』が、いろいろと「ひどい」作品なので読み通すのが意外と大変なのですが、作品全体のコンセプトは非常に面白く、一読の価値はあるのでは。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

物語をめぐる物語 その1
 本好きや物語好きの人にとって、本や物語それ自身をテーマにした小説は、何にも増して魅力的。また、一口に本や物語と言っても、その扱い方は様々です。
 物理的な本を扱った作品もあれば、架空の本を扱ったもの、手記や体験記の形をとったもの、作中作が埋め込まれたもの、また枠物語やメタフィクション的な実験小説まで、このテーマの作品は非常にバリエーション豊かです。そんな、本や物語をテーマとして扱った作品から、いくつか見ていきたいと思います。



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世界幻想文学大系〈第29巻〉夢想の秘密 (1979年)
紀田 順一郎 荒俣 宏
国書刊行会 1979-10

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ジェームズ・ブランチ・キャベル『夢想の秘密』(杉山洋子訳 国書刊行会)

 作家ケナストンは、ポワテム国を舞台にしたファンタジーを執筆しているうちに、作中に登場するヒロイン、エッタール姫に恋をしてしまいます。やがて現実と想像の境目が崩れはじめ、ケナストンは様々な時代やシチュエーションでエッタールに何度も出会うことになりますが…。

 キャベルはアメリカのファンタジー作家。代表作は18巻におよぶシリーズ〈マニュエル伝〉なのですが、『夢想の秘密』はなんとこの〈マニュエル伝〉の最終章という設定です。
 非常に要約しにくい作品で、簡単にあらすじを述べると上記のようになるのですが、実のところ、そう簡単な話ではありません。そもそもケナストンの創作であるはずの小説中に、すでにしてケナストンの分身と思しいホルヴェンディルという狂言回し的な人物が登場しています。
 ホルヴェンディルは作中でその世界自体がケナストンの創作世界であるということを断言し、メタ・フィクションな発言を繰り返すのです。また作品の前提として、ケナストンはこの作品が属する〈マニュエル伝〉のヒーローであるマニュエルの生まれ変わり、という設定になっています。
 さらにこの『夢想の秘密』という作品自体が、ケナストンの小説やメモをハロービーという編集者がつなぎ合わせたもの、という体裁になっています。二重、三重のメタ・フィクションになっていて、眩暈がしてきますね。
 作品世界に没頭して現実と想像の区別がつかなくなった作家の話とすれば単純なのですが、この作品の場合、それが本当に「ヒーロー」の生まれ変わりなのです。しかもそれが本当かどうかわからないという、さらに上の階層の視点もあるという。
 わりと独立した話なので、最終章であるとはいえ、この作品だけ読んでも面白く読めます。「現実」と「ファンタジー」について、非常に示唆を与えてくれる作品ではないでしょうか。



hazaru.jpgハザール事典―夢の狩人たちの物語 男性版
ミロラド パヴィチ Milorad Pavic
東京創元社 1993-05-01

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ミロラド・パヴィチ『ハザール事典 夢の狩人たちの物語』(工藤幸雄訳 東京創元社)

 かって存在した「ハザール王国」についての事典という形式をとった、破天荒な形式の小説です。
 ハザール国全体が改宗したという史実をもとに、改宗に関する論争とその顛末をキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の3つの宗教から描く、というのがメインになっています。キリスト教が「赤色の書」、イスラム教が「緑色の書」、ユダヤ教が「黄色の書」というタイトルの三部に分かれています。
 3つの宗教で、それぞれ主張していることが違ったり、共通して登場する人物の言動が違ったりするのがポイントで、真実はどこにあるのかがわからなくなっていくという仕組みです。項目それぞれは幻想的なショート・ストーリーになっていて、拾い読みしても楽しめます。
 不死と思しきハザールの王女アテー、夢の中を歩き回るサムエル・コーエン、夢の狩人ユースフ・マスーディ、魔性の女エフロシニア・ルカレヴィチ…。登場人物たちが繰り広げる物語に、また他の登場人物が絡みあってくるのが魅力です。
 さらに、中世や近世の人物たちが現代に転生していることも示唆され、時代を超えたつながりまでもが現れます。そして3つの章が終わった後に現れるのは、20世紀に起きる殺人事件。犯人は誰で、被害者は誰だったのか? ミステリアスな物語にさらに謎を重ねるという趣向です。
 作品全体に謎が仕込まれていて、それを読み解いていくのが愉しみなのですが、読み込んだとしても、唯一の真実は現れてきません。しかし、そこがまた魅力でもあります。読んだ人それぞれの物語が立ち現れてくるという意味で、似た作品の見当たらない、実にユニークな小説です。
 創元ライブラリから文庫版も出ていますが、個人的にはハードカバー版での読書をお勧めしたいです。というのも、ハードカバーの方には、3つの章にあわせた赤・緑・黄の3つのスピン(栞紐)がついており、それぞれの章を行き来しながら読めるからです。
全部読むのはきついけど、ちょっと拾い読みしたい…という方には「アテー」と「ルカレヴィチ、エフロシニア」の項目が単体でも面白いので、お勧めしておきます。



4879842699帝都最後の恋―占いのための手引き書 (東欧の想像力)
ミロラド パヴィッチ Milorad Pavic
松籟社 2009-05

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ミロラド・パヴィッチ『帝都最後の恋 占いのための手引き書』(三谷惠子訳 松籟社)

 タロットカードの1枚1枚に対応した章に分かれていて、タロット占いの順番に読むこともできれば、最初から通して読むこともできるという、遊び心にあふれた作品です。
 内容は、ナポレオン戦争時代を舞台に、セルビア人の青年ソフロニエとその父親ハラランピエのオプイッチ親子が引き起こす、幻想的な恋愛小説になっています。「恋愛小説」といっても、この親子、どちらもプレイボーイで、やたらと恋愛遍歴が繰り広げられるのがポイント。
 「ヒロイン」が多数登場するだけでなく、ある人物に捨てられた「ヒロイン」が別の登場人物の次の恋人になったりと、その関係性がやたらと複雑なのです。何しろ、物語本編が始まる前に「登場人物の系譜と一覧」が示されるのですが、そこを読んでもごっちゃになってしまうぐらいです。
 父親ハラランピエの三通りの死をモデルにした芝居が上演されるなど、幻想的なエピソードには事欠きませんが、作品のテーマとなっている恋愛もただの恋愛ではすみません。個人ではどうしようもない、運命や宿命という言葉が似合うような、神話的な恋愛模様なのです。
 最初から順番に読んでいっても、登場人物間の関係性が複雑で迷宮のようなので、これをタロット占いでランダムに読むと、さらに幻想性が増すのではないでしょうか。巻末には付録のカラータロットのページがついていたりと、本自体も非常にチャーミングな造り。パヴィチ作品としては、代表作『ハザール事典 夢の狩人たちの物語』よりも読みやすく、ページ数も短いので、パヴィチ入門としても格好の作品かもしれません。



4001109816はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)
ミヒャエル・エンデ 上田 真而子
岩波書店 1982-06-07

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ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』(上田真而子訳 岩波書店)

 いじめられっこの少年バスチアンは、いじめっ子に追い掛け回され、ふと入り込んだ古本屋で変わった本を見つけます。衝動的にその本を盗んでしまったバスチアンは、学校の物置で本を読み始めます。その本の中には、魔法の国「ファンタージエン」について書かれていました。
 「幼ごころの君」が支配するファンタージエンには異変が現れていました。国のあちこちで土地そのものが消滅していたのです。国を救うために「幼ごころの君」に選ばれた少年アトレーユは、国を救うためには「幼ごころの君」に新しい名前を付ける必要があることを知ります。
 しかし、ファンタージエンの住人には名前をつけることができません。「幼ごころの君」に名前をつけられるのは、人の子だけなのです。どうやって人の子を探せばいいのか悩むアトレーユに対し、バスチアンは自分なら「幼ごころの君」に名前をつけることができると考えますが…。

 「物語ること」をテーマにした哲学的なファンタジー小説です。異世界に入り込む主人公という、ある種典型的なヒロイック・ファンタジーではあるのですが、単なる願望充足に終わらず、「苦々しさ」を強く含んでいるのがユニークですね。
 前半では、本の中でのアトレーユの冒険行がメインに描かれます。「読み手」のバスチアンは一方的に本を読んでいるだけなのですが、やがて本の中の世界に入り込み、アトレーユとともに冒険を繰り広げることになります。
 しかし、異世界でほぼ全能の力を手に入れたバスチアンは記憶を失っていきます。支配欲にかられたバスチアンは、アトレーユとも決別することになってしまうのです。
 全体にメタフィクショナルな要素が多く扱われています。バスチアンが読む物語が、バスチアンらしき存在に言及し始め、やがて本の世界と一体化するあたりの展開は非常に鮮やか。本の世界に入ってからも、バスチアンには物語を作る力が備わっており、彼が話した通りの出来事が実際に起きるのです。
 物語る力により、無用な争いを引き起こしてしまったかもしれないと反省していたバスチアンが、やがて自らの権力を求めてしまうという、実に皮肉な展開になります。何でも実現できる「物語る力」にもまた代償が必要というのは、意味深ですね。
 いろいろと考えさせるテーマを含んだ作品ですが、もちろん単純な冒険物語としても面白く読めます。異世界の生物たちや独自の世界観もなかなかにユニーク。とくに、前半のアトレーユの冒険部分には生彩がありますね。
 何種類かの版がありますが、お勧めは箱入りのハードカバー版です。ハードカバー版は、作品の中に登場する「本」を模した装丁なので、作品世界に入り込むのには最適です。



4488016251死者の百科事典 (海外文学セレクション)
ダニロ キシュ Danilo Ki〓@7AAD@s
東京創元社 1999-02

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ダニロ・キシュ「死者の百科事典」(山崎佳代子訳『死者の百科事典』東京創元社 収録)

 演劇研究所の招きで、スウェーデンにやってきた「私」は、深夜に図書館を訪れます。ある部屋の本の背には「C」が、またある部屋の本の背には「D」が入っているのを見つけた「私」は何かに思い当たり、「M」の文字が入っている本の部屋に入ります。
 そこは世界中の無名の死者の生涯を綴った「死者の百科事典」が収められた図書館だったのです。そして「M」の部屋で見つけたのは「私」の父の生涯が書かれた本でした。「私」はその本から大切だと思われる部分を書き写し、父の伝記の要約版を作ろうと思い立ちます…。

 無名の人物たちの生涯を余さず書き綴ったという「死者の百科事典」。何やら神秘的な書物なのですが、超自然的なものではなく、あくまで人間が書いたものだとされているのが面白いところ。その仕事は平等主義的なセクトか宗教団体によるものとされ、時代も18世紀後半からだというのです。
 本当にささいな出来事ももらさず記述されているのに「私」は驚きます。読んでいるうちに「私」は父の人生を追体験します。父がなぜ、あのときああいう行動をとったのか。やがて父の人生は「私」の人生と重なって…。
 「死者の百科事典」の編者たちの思想が言及されるのですが、これがまた印象的。「人間の生命は繰り返すことができない。あらゆる出来事は一度限りである」。非常に奥深いテーマをもった作品です。



4560072078冬の夜ひとりの旅人が (白水Uブックス)
イタロ・カルヴィーノ 脇 功
白水社 2016-10-06

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イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』(脇功訳 白水Uブックス)

 イタロ・カルヴィーノの新作小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めた「あなた」は、本が乱丁で続きが読めないことに気付きます。本屋に行き交換を求めますが、そもそもその本の内容はカルヴィーノの作品ではなく、別の作家の作品が製本ミスで紛れ込んでいたというのです。
 同じく書店に交換を求めてきた魅力的な女性ルドミッラと知り合った「あなた」は、実際の作品、ポーランド人作家タツィオ・バザクバルの作品を探しますが、入手して読み始めた作品はカルヴィーノともバザクバルとも全く関係のない作品でした。ルドミッラと「あなた」は、物語の続きを探し続けますが…。

 様々な技法が凝らされたメタフィクションであり、ユーモアに満ちた〈読書〉小説です。
 主人公二人が、小説の続きを求めて彷徨う…というストーリーなのですが、毎回現れる小説は完結するまえに、何らかの原因で中断されてしまいます。しかも話が面白くなる直前に終わってしまいます。そして、次に出てくる小説はそれまでの作品とは全く関係のないものなのです。
 小説の続きを求める「あなた」は、やがてある作家の作品を訳したと称しながら全く別の作家の作品の翻訳に出会ったり、異国で作られた作家の偽作に出会ったりします。「あなた」自身も外国に出かけて作家に会ったり、果てには共産主義らしい国家に捕えられたりと、いろいろな出来事が起こります。
 「本」に関しても、主人公である「あなた」に関しても、非常にいろいろな出来事が起こるにもかかわらず「波乱万丈」にならないところが面白いですね。毎回途絶する「小説」はもちろん、「あなた」の冒険に関しても「これはフィクションです」といったメッセージが全体に伏流しているのです。
 それゆえ「感情移入」することが難しく、それがこの作品を読みにくくしている一因でもあるのでしょう。「物語」ではなく、「物語を読むこと」「読者であること」について徹底的に描かれた異色の作品で、そうしたテーマに興味のある人には非常に面白い作品かと思います。



sinkan.jpg新カンタベリー物語 (創元推理文庫)
ジャン レー 篠田 知和基
東京創元社 1986-04

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ジャン・レー『新カンタベリー物語』(篠田知和基訳 創元推理文庫)

 《アッパー・テムズ文芸倶楽部》の会員たちは、土曜の夜に例会を開く決まりになっていました。チョーサーが使ったという料理屋《陣羽織》でのその夜の例会では、特別にゲストが招かれていましたが、彼らが話しだしたのは奇妙な話ばかり。続いて話を続けるのは様々な亡霊たちでした…。

 チョーサーの『カンタベリー物語』やホフマンの『セラーピオン朋友会員物語』などに代表される、枠物語の形式を借りた怪奇幻想小説集です。チョーサーその人の亡霊や、ホフマンの登場人物(?)の牡猫ムルなども登場します。
 作品は枠物語になっており、全体の語り手は書記のトビアス・ウィープ。彼が参加したある夜の例会において、亡霊たちが語る作品が短篇の形ではめ込まれています。各エピソードの語り手たちの大げさなリアクションや、エピソード終了後の牡猫ムルの反応などが、非常に芝居がかっていて楽しいです。
 全体にユーモラスなほら話になっているのですが、それでも濃厚な怪奇幻想趣味が感じられるのは、作者の手腕でしょうか。個々のエピソードは非常に短いので、お話が本格的に展開される前に終わってしまうことが多く、本格的な怪奇小説を求めているとちょっと物足りない面もあります。
 エピソードの中では、オウムと結婚した老嬢の顛末を描く物語「ボンヴォワザン嬢の婚礼」、魔術を使って処刑場を混乱させる魔女を描く「タイバーン」、謎の怪物が登場する「ユユー」などが面白いですね。
 エピソードが語り終えられた後に、後日談が語られるのですが、この幕切れがまた素晴らしい。再び語り手となったウィープが出会った男の正体は…。あの夜の会合は本当にあったのか…? それまでの物語が「幻想」と化す展開は、まさしく怪奇幻想小説。
 チョーサーやホフマンなどの名前が言及されるので、文学趣味が強いのかと思いがちですが、あくまで味付け程度であって、先行作品についての知識がなくても全然構いません。とにかく読んで楽しい作品です。



4122033160潤一郎ラビリンス〈8〉犯罪小説集 (中公文庫)
谷崎 潤一郎 千葉 俊二
中央公論社 1998-12-18

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谷崎潤一郎「呪われた戯曲」(『潤一郎ラビリンス8』中公文庫収録)

 作家の佐々木は、不倫相手と結婚するために、妻の玉子を殺そうと考えます。山の中に玉子を連れ出した佐々木は、その場で書き上げた戯曲を読み上げ始めます。その戯曲の中には、佐々木と玉子と思しい夫婦が登場し、同じように山の中で戯曲を読み出します。さらにその戯曲の中には夫婦が登場し…。

 小説の中に登場する戯曲が入れ子になっているという怪作です。戯曲の中に戯曲が登場し、さらにその中に戯曲が登場するというイメージが強烈。ただ、クライマックスのその場面に至るまで、夫婦の軋轢が延々と描かれ、分量としてはそちらの方がメインになっています。
 玉子を疎みながらも良心の呵責を覚える佐々木と、夫の不倫を知りながら愛し続ける玉子の様子が描かれていきます。面白いのは佐々木の人物像で、単純に妻と別れた場合、自分の気が落ち着かないと言う理由だけで妻を殺そうと考えるのです。酷薄な身勝手さはありながら、自分の手を下すのも嫌だという、ユニークな「悪人像」が読みどころでしょうか。



4882930676鬼火 (ふしぎ文学館)
横溝 正史
出版芸術社 1993-10-01

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横溝正史「蔵の中」(『鬼火』出版芸術社 収録)

 雑誌の編集長、磯貝三四郎は、美少年から持ち込まれた小説原稿を読み始めます。蕗谷笛二と名乗る少年の作品「蔵の中」には恐るべき内容が書かれていました。少年は、蔵の中から遠眼鏡で、磯貝氏の殺人現場を目撃したというのです。現場を再度訪れた磯貝氏は、そこで蕗谷笛二と対面します。
 少年は、小説「蔵の中」の後篇を取り出し朗読し始めます。その原稿の中では、磯貝氏と少年が登場し現実と同じ会話を繰り広げていました。さらに原稿の中の少年はさらに原稿を読み始め、その中にはさらに原稿が…。

 合わせ鏡のように、原稿の中に原稿が登場するという魅力的な趣向です。谷崎潤一郎「呪われた戯曲」と似た趣向ですが、横溝作品の方が使い方が洗練されていますね。メタフィクショナルな部分だけでも面白いのですが、作中作に登場する少年の回想部分も面白いです。
 病弱ながら美しく残酷な姉との蔵の中でのやりとり、少年がはまり込んでいく女装趣味、そして小道具として登場する「遠眼鏡」の覗き趣味…。耽美的な味付けも強く、エンタメの好篇といった感じの作品ですね。
説です。美少年が書いたという小説の恐るべき内容とは…。



4153350338書架の探偵 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
ジーン ウルフ 青井 秋
早川書房 2017-06-22

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ジーン・ウルフ『書架の探偵』(酒井昭伸訳 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 主人公は、かって探偵小説を書いていたというE・A・スミスのクローン体。図書館に所蔵されていた彼は、コレットという若い女性に借り出されます。彼女は、殺された兄から託された本の謎をスミスに解いてほしいというのです。その本は「火星の殺人」。作者の名はE・A・スミスでした…。

 近未来、作家がクローンとして再生され、図書館に所蔵されているという世界を舞台に、殺人事件の謎を追うSFミステリです。
 「再生」された作家たちが、図書館に暮らしているという魅力的な設定です。ただ、作家たちは定期的に借り出されないと「焼却処分」されてしまいます。また書くことは禁じられていたり、人権はなかったりと、何だかディストピア的な匂いのする世界なのです。
 本好きとしては、「幻の本」や「再生された作家」たちについて興味津々なのですが、そちら方面の掘り下げはあまり行われず、オーソドックスなミステリとして展開していくのは、意外と言えば意外ですね。
 事件の鍵を握るかと思われた「本」の扱いが意外に雑だったり、正直ミステリとしてはどうかと思う面もあるのですが、主人公スミスのキャラクターに味があるのと、登場人物たちのユーモアあふれる掛け合いが楽しく、読みやすさは抜群です。
 邦訳のある他の作品に「難しい」作品が多いので、ジーン・ウルフ作品は構えて読んでしまう人が多いと思うのですが、この作品に限っては非常に読みやすいエンタメになっています。ウルフ入門としては格好の作品ではないでしょうか。



4042542026殺人にいたる病 (角川文庫 赤 542-2)
アーナス・ボーデルセン 村田 靖子
KADOKAWA 1981-12

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アーナス・ボーデルセン『殺人にいたる病』(村田靖子訳 角川文庫)

 デンマーク第二の売れっ子推理作家が、南国のホテルで9作目の作品を書いていました。その作品の主人公は、作家と同じ推理作家でしたが、ナンバーワンである作家ストラウスに対して嫉妬の念を抱いていました。ストラウスが「語り手」の作品を表立って酷評したことから、憎悪の念が膨らんでいきます…。

 ミステリ作家がミステリ小説を書く話なのですが、その小説の中のミステリ作家もミステリ小説を書いているという、目眩がするような作品です。
 作家が小説を書く話というのはよくあるのですが、この作品の面白いところは、作家が書いている話が、作家自身をモデルにしているということ。読んでいて、今読んでいるのが作家自身の現実なのか、作家が書いている小説なのか、ということがだんだんわからなくなってきます。
 やがて作家は犯罪に手を染めるのですが、その犯罪を犯した男も、現実の作家なのか、フィクションの中の作家なのかがはっきりしません。そもそも『殺人にいたる病』という作品自体が、現実とフィクションの境目をぼかしていくような描き方がなされているのです。
 後半では、だんだんと狂気に囚われていく主人公が突拍子もない行動を取り始めるなど、サイコ・スリラーとしての面白さもあります。現実とフィクションの境目が入り混じったような結末も気が利いていますね。
 「虚構」と「現実」をテーマにしたような異色の作品です。前半の読みにくさ(意図的にそうされている節もあるのですが)はあるものの、メタな趣向に興味のある方にとって一読の価値はあるのでは。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。twitterアカウントは@kimyonasekaiです。
怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」主宰。
『ミステリーズ!vol.96』(東京創元社)に怪奇小説の翻訳概況を書きました。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド 増補版』『奇妙な味の物語ブックガイド』『海外怪奇幻想小説ブックガイド1・2』『謎の物語ブックガイド』『海外ファンタジー小説ブックガイド1・2』を刊行。「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」も作成しました。



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