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恐怖の航跡  マッツ・ストランベリ『ブラッド・クルーズ』
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 スウェーデンの作家マッツ・ストランベリの長篇『ブラッド・クルーズ』(北綾子訳 ハヤカワ文庫NV)は、吸血鬼の入り込んだクルーズ船で、感染パニックが惹き起こされるというホラー作品です。

 スウェーデンとフィンランドを往復する豪華クルーズ船バルティック・カリスマ号。しかし老朽化の進んだ船に乗る客たちは、ほとんどが酒と一夜の出会いを求めている人間ばかりでした。
 今宵の乗客は千二百人。その中には吸血鬼の母親と息子が紛れ込んでいました。息子は飢えに耐えかね、船内の男を襲いますが、その男を通して船内に感染が次々と広まってしまいます…。

 海上を航行する大型クルーズ船内で、吸血鬼による感染パニックが起こる…というバイオレンス風味強めのホラー作品です。
 特定の決まった主人公はなく、船内にいる客や船員など一部の人間たちがクローズアップされて描かれていくという群像劇的な構成を取っています。
 前半はそんな人々の様子がじっくりと描かれていくのですが、この人間ドラマ部分が非常に面白いのです。精神に病を抱えた父と車椅子の母に育てられたヴェトナムからの養子の少年、元乗員でパートナーの男性にプロポーズする予定のゲイの男性、カラオケバーのホストを務める凋落した歌手、一夜のロマンスを求めて乗り込んだ中年女性たちなど、多様な人物の人生が描かれていきますが、多くはその人生に問題を抱えています。

 中盤から、紛れ込んだ吸血鬼により感染が進みパニックが起こることになります。吸血鬼に噛まれると吸血鬼になるのですが、知性のない獣のようになってしまう(ほとんどゾンビ状態です)者のほか、一部は知性を保ったまま兇暴な性格になる者もいるという具合。誰が吸血鬼になり、誰が生き残るのか? といったところでサスペンスも強烈です。吸血鬼になった者の行為は非常に残酷で、その描写はスプラッターたっぷり。かなりグロテスクな描写も多いので、このあたりが苦手な人は要注意です。
 両親との問題を抱える養子の少年アルビンといとこのルー、元乗員のカッレとそのボーイフレンドであるヴィンセント、孤独な老婦人マリアンヌ、女友達同士のマッデとザンドラ、バーテンダーでカッレの友人フィリップと同僚マリソル、女性警備員ピア、カラオケ・バーのホストであるダン、などが中心に描かれていきますが、アルビンたちが母親に再会できるのか、引き裂かれたカッレとヴィンセントが再会できるのか、といった部分も読みどころです。

 船内に充満した、ほぼ知性のない吸血鬼のほか、知性を保ったまま吸血鬼になった者や、そもそもの元凶である吸血鬼の親子など、危険極まりない状況のなか、あちこちで別れ別れになった人間たちがグループを作り、吸血鬼から生き延びようとすることになります。非常に緊迫感があって怖いホラーとなっていますね。
 前半、パニックが起こる前の人々の人物描写が結構長いのですが、この部分が後半生きてくることになります。パニックが始まってからは展開が早く、そのアクションとバイオレンス描写の上手さも相まって、止められない面白さがあります。パニック・ホラーの秀作でしょう。

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あり得なかった人生  マルセル・ティリー『時間への王手』
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 マルセル・ティリー『時間への王手』(岩本和子訳 松籟社)は、特殊な機械により、過去のワーテルローの戦いを観測しようとする男たちの計画を描いた、ベルギーの幻想SF小説の古典です。

 1935年、35歳になる鉄鋼卸売業者ギュスターヴ・ディウジュは、ベルギー北端のオステンドの町で、数十年ぶりに旧友アクシダンと再会しますが、彼から英国人物理学者レスリー・ハーヴィーを紹介されます。ハーヴィーによれば、独自に開発した機械により、過去の時代を観測することができるようになったというのです。出資を求められたディウジュは彼らに協力することになります。
 ハーヴィーの直接的な目的は、100年以上前のワーテルローの戦場の様子を「見る」ことでした。かの戦いに参加していた彼の曾祖父ダグラス大尉は、その行動によりウェリントンの退却を促し、それがナポレオンの勝利につながったというのです。曾祖父の「無実」を証明するため、その事実を確認したい、というのがハーヴィーの悲願でした。
 実験によって過去の時代を覗くことに成功しますが、その一方で、事業を放りっぱなしで実験に夢中になっていたディウジュの事業は破産に瀕していました…。

 ベルギー幻想文学の流れを汲む作家の一人、マルセル・ティリー(1897-1977)の時間テーマのSF幻想小説です。 1815年のワーテルローの戦いが、我々の知る歴史とは異なった結果に終わった世界、具体的にはナポレオン率いるフランス軍が勝利した世界を舞台にした歴史改変作品です。

 主人公ディウジュが旧友の教師アクシダンから紹介された英国人物理学者ハーヴィーは、自身が発明した装置により、過去のワーテルローの戦いを実際に目にしようとします。ハーヴィーの曾祖父ダグラス大尉の行動がナポレオンの勝利につながったと言われており、その汚名を返上するために事実を確認したい、というのがハーヴィーの願いだったのです。
 三代目の経営者として、会社を傾かせてしまっていた主人公ディウジュは、現実逃避気味に、ハーヴィーの実験に夢中になってしまいます。
 中心となる三人の男性のほかに、物語の重要なキャラクターとして登場するのが、ハーヴィーが住む家の管理人の女性リザ。未婚の母だったリザは、かって子どもを事故で亡くしており、そのトラウマから精神を病んでいるのです。リザもまた、ハーヴィーたちから知らされた実験に気を惹かれるようになっていきます。後半の展開には、リザが重要な役目を果たすことにもなります。

 序盤でのディウジュの語りから、実験が成功したこと、何らかの原因で歴史の改変がなされてしまったことが明かされており、なぜそうした事態に至ったのか…ということが、徐々に語られていきます。
 最初は歴史的な事実を確認するのが主目的だったものの、リザの過去のこともあり、段々と歴史そのものを変えられないのか?という考えがハーヴィーたちの頭に入り込んでくることになります。その目的は実現されることになるのですが、それが彼らの考えていた形とは異なる形で成就してしまう…という点で、全体的に「悲劇」の様相が濃いお話となっていますね。
 主人公ディウジュは、親から受け継いだ会社の経営者となっていましたが、事業は傾き、破産の危機に瀕していました。ハーヴィーの実験に一方ではロマンを感じ、一方では実用的な価値を感じて協力することになりますが、そののめり込み方には、ある種の「破滅願望」的な部分も感じられます。

 後半では、世界が「改変」され、歴史が変わってしまったことが分かりますが、改変後の世界に立ち会ったディウジュが見た「変わったもの」と「変わらなかったもの」とは何なのか? 人間の人生のはかなさと脆さ、意外にも変わらない世界の堅牢さ…。数人の人間たちの不思議な巡り合わせを描いた、運命奇譚としても読めるでしょうか。
 SF的な題材が扱われるのですが、メインとなるのは世界の変革とそれによる人間たちの運命の変転。そういう意味では、幻想小説的な感触が強い作品となっていますね。


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過去と記憶 ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ『過去を売る男』
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 アンゴラのポルトガル語作家ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザによる長篇『過去を売る男』(木下眞穂訳 白水社)は、イモリを語り手に、「過去」を作り出す男とその「過去」を作ってもらった男の人生が交錯する、という作品です。

 一匹のヤモリは、アンゴラの首都ルアンダのフェリックス・ヴェントゥーラの家に棲みつき、彼の生活を観察していました。フェリックスは、新興の富裕層のために、偽りの家系図と「過去」を作ることを仕事としていました。写真や書類だけでなく、家族の「物語」さえも作り出していたのです。
 ある日、フェリックスのもとを訪ねてきた身元不詳の年配の外国人男性は、名前を含めて、全ての過去を書き換えてほしいと頼んできます。フェリックスは、ジョゼ・ブッフマンという新しい名前で彼の過去の人生を作り出します。
 感謝の念を抱いたブッフマンは、それ以後、足繁くフェリックスのもとを訪ねるようになっていきますが…。

 アフリカの国アンゴラを舞台に「過去」や「記憶」がテーマになった作品です。主人公のフェリックスは富裕層の住人のために、由緒ある家系図や過去を偽造することを生業にしています。新しく現れた男は「全ての過去」を創作して欲しいと頼み、逡巡するものの、男の完璧な過去を創作することになります
 その男ブッフマンとフェリックスとの間には不思議な縁ができることになるのですが、本当の過去を隠そうとするブッフマンにはどんな意図があるのか、何を求めているのか?というあたりもミステリアスですね。実在しないはずの架空の父親や母親を探し始めるなど、非現実的なブッフマンの行動にも何かしらの意味があるのか? といったあたりにも謎があります。

 主な登場人物はごく少数です、フェリックスとブッフマンのほか、フェリックスと恋人未満のような関係になる写真家の女性アンジェラ・ルシア、元共産主義者の浮浪者エドムンド・バラッタ・ドス・レイス、そして語り手となる一匹のヤモリ。
 このヤモリの存在がユニークで、日常的にフェリックスの様子を窺い、その言葉も理解しているようなのです。彼の語りによれば、このヤモリは前世は作家であったといいます。彼自身の前世の人生の回想とそれについての内省が語られるほか、夢の中ではフェリックスとヤモリ(夢の中では人の形を取っているようです)、後にはブッフマンとヤモリとが語り合うシーンも展開されます。夢のシーンでは、それだけで独立した章が定期的に現れてくるなど、その構成もユニークです。
 ヤモリの前世の作家が誰であるのかは明記されないのですが、作中の記述にヒントが隠されているほか、作品の最初の冒頭の部分に引用される文章で、誰であるかは分かるようになっています。その作家の名前が分かると、本書のテーマである「過去」と「記憶」についても新たな意味合いが加わってくるところは、非常に上手いですね。

 このヤモリ、元作家であるだけに、フェリックスが読む本を通して、自分も新しい本を読んだりします。他のヤモリに関しても、前世が人間で生まれ変わったものが多数いることが示されるなど、本当に不思議な世界観です。

 主人公フェリックスが作る「過去」は本当に詳細で、本物らしさが横溢しています。ブッフマンのために作った彼の家族や一家に関わる記録はリアルで、ブッフマンが架空の父母を探すようになるという行動にも説得力が感じられるぐらいなのです。
 フェリックス自身が元捨て子の養子であること、養父ファウストの職業が古書店主であったことなども、彼の現在の生業につながっているようですね。

 前世が作家のヤモリ、「過去」を創作する男、そして「過去」を作られた男…。神秘的かつ幻想的なテーマを持った物語ではあるのですが、その「過去」から現れてくるのは、アンゴラの内戦に関わる悲劇的な事実でもあるのです。
 記憶があるがゆえの幸せと、記憶があるがゆえの悲しみ。人間にとって記憶というものがどんな意味を持つのか? 人生にどんな影響を与えることになるのか? それらが現実的な意味で問い直されるのと同時に、哲学的な部分でも問い直されてくるところが魅力でしょうか。


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運命の一断面  レオ・ペルッツ『アンチクリストの誕生』
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 レオ・ペルッツの短篇集『アンチクリストの誕生』(垂野創一郎訳 ちくま文庫)は、様々な時代や題材を扱った物語性豊かな作品集です。

「「主よ、われを憐れみたまえ」」
 ロシア内乱時代、ヴォローシンは、戦友二人を匿っていた罪で捕らえられてしまいます。折しも、重要な情報を隠したであろう暗号がモスクワで傍受され、ヴォローシンはその暗号解読の技術を買われて、秘密警察(チェーカー)のジェルジンスキーから革命政府に協力するよう要請されます。しかしヴォローシンはそれを断り、慫慂として処刑を受け入れる心境になっていました。
 しかし、死ぬ前に妻子に会いたいという願いが許され、戻ってくることを条件に妻の住むロストフへ旅に出ることになります…。
 秘密警察に囚われた男が、処刑される可能性が高いにも関わらず、戻ってくる約束をして妻子に会いに行くという、まるで「走れメロス」のようなお話です。
 主人公ヴォローシンが、死ぬ前に一度妻子に会いたいと考えるものの、妻へ出した手紙には返事がなく、おそらくすでに他の男と暮らしている可能性も高いのです。それでも、と旅に出るヴォローシンの心理は悲痛に満ちていますね。
 死が約束された男の哀切な物語、と思いきや、後半では思わぬ展開が待っています。激動の時代に生まれた男の不思議な運命の物語として読み応えがあります。
 また、ジェルジンスキーが冷徹な男でありながら、ヴォローシンが必ず戻ってくると信じているなど、男同士の不思議な信頼感が描かれたり、モチーフとなっている暗号の奇妙な照応などの部分も興味深いお話になっています。

「一九一六年十月十二日火曜日」
 怪我をして捕虜となったドイツの予備役伍長ゲオルグ・ピヒラーは、ロシア軍下の療養所に収容されますが、周囲には言葉は通じず、読める本もないため、無聊をかこっていました。
 ある日、医者が持ってきた一九一六年十月十二日火曜日付けのウィーンの新聞を手に入れたピヒラーは、その新聞を何度も読み直しているうちに、書かれた事件や人の名前をすっかり覚え込んでいました…。
 それしか読むものがない状況のなか、ある一日の新聞を読み込み続けた男の中で、一つの世界が出来上がってしまう…という物語です。彼の中では一つの新聞の中で起きた人物や事件は一続きなのです。後年、実際に訪れた町でもその認識で行動してしまい、そのズレに困惑してしまう、という不思議な心理が描かれています。
 「洗脳」というとまたニュアンスが異なりますが、平凡な一日が一人の人間にとって「永遠」にも近い重要な意味を持ってしまうことになる、というのも面白いですね。

「アンチクリストの誕生」
 18世紀半ばのパレルモ、靴直しの男は司祭の家政婦をしていた女と知り合い夫婦になります。ある日女房は、夫に後ろ暗い過去があり、悪人たちから脅迫まがいのことをされていることをを知ります。
 生まれたばかりの赤ん坊がアンチクリストだという夢を信じ込んだ靴直しは、赤ん坊を殺そうとします。夫の意図を悟った女房は、子どもを殺させまいと様々な手段を取りますが…。
 生まれたばかりの子どもがアンチクリストだと信じ込んだ男が、子どもを殺そうと考え、それを殺させまいとする女房との間に対立が持ち上がる、という作品です。
 互いに後ろ暗い過去を持ちながらも、愛し合っていた夫婦の愛憎が変転していく様がサスペンスたっぷりに描かれています。夫も妻も、それぞれ異なる形ではありますが、信心深い人物であり、その敬虔さと互いに対する愛情が入り交じった結果として、意外な結末に導かれていくストーリー展開は非常に面白いですね。
 子どもが「アンチクリスト」だというのも男の思い込みに過ぎないのだろうと読んでいくと、満更それが間違いでもなかったのではないか…という結末にも気が利いています。
 靴直しの男と腐れ縁の悪党三人組のキャラクターも立っており、ストーリーへの絡ませ方も達者ですね。

「月は笑う」
 老弁護士は、かって顧客だったサラザン男爵について話を始めます。男爵からかって打ち明けられたところによれば、ブルターニュの出だというサラザン一族には、代々月に対する恐怖心が受け継がれており、男爵もまたその不安を抱えているというのです。
 月に関わりのある形で、先祖が何人も亡くなっており、また男爵自身の娘も亡くなっているといいます。男爵の月に対する恐怖心はどんどん膨らんでいきますが…。
 月を恐れる男を描いた恐怖小説です。サラザン男爵は恐怖心が高じて自滅してしまったように見えるのですが、そこに本当に月の意志は働いていなかったといえるのか? 男爵の死が月の仕業なのか妄想の結果なのか分からなくなってくるところも面白いですね。
 男爵が持ち出す年代記の部分も興味深いです。その年代記には先祖の不幸な運命が記されているといいます。中では、月に向かって発砲したところ、逆に月から奇妙な石の狙撃を受け亡くなったというオリヴィエ・ド・サラザンのエピソードは印象に残ります。
年代記が結局は見つからず、それが実在したのかも分からないのも面白いところです。
 美しく澄明なイメージの強い「月」がこれほど邪悪に描かれる作品は珍しいのでは。

 この作品、初期バージョンが存在し、それも邦訳されています。こちらも紹介しておきますね。
 レオ・ペルッツ「月を狩る」(小泉淳二、田代尚弘訳 ハンス=ハラルト・ミュラー編『ウィーン五月の夜』法政大学出版局 収録)、「月は笑う」の初期バージョン作品です。
 カラガン公爵こと「私」は、月に対する恐怖心を抱えていました。一族の年代記によれば、先祖は皆月に呪われており、暴力や奸計によって命を落とさなかったカラガン公はいないというのです。ある夜、月を追いかけていた「私」は、近くのフランス騎兵隊大佐の庭園で、ある情景を目撃しますが…。
 「月は笑う」と物語の大筋は同じですが、一番異なるのは一人称で物語が語られていることでしょうか。先祖の年代記や子どもの死を語るのも、語り手本人になっています。狂気に囚われている風ではあるものの、一人称で語られることによって、
超自然的な現象(月による災厄)が実在する可能性が高くなっているように読めますね。
 また子どもの死の状況が具体的に語られます。こちらでは妻のレオニーと共に馬車で事故にあったことが語られています。
 結果的に「月を狩る」は、かなりストレートな怪奇小説のように読めます。比べてみると、「月は笑う」の方は第三者である弁護士が物語を間接的に語ることによって、超自然的な現象があるのかないのか、はっきりとはしない…という曖昧な幻想小説として読めるようになっているようです。
 その意味では、書き直された「月は笑う」の方が完成度は非常に高くなっているように思います。

「霰弾亭」
 酒の席では陽気な男として知られるフワステク曹長。フワステクと親しくなった部下の「わたし」は、曹長の部屋で美しい女性と並んで写っているフワステクの写真を見て、その女性に憧れを抱きます。どうやら「わたし」も以前に知っていた女性のようでもあるのです。
 ある日「わたし」は、フワステクが旧友らしい中尉と出会う場面を目撃します。中尉の妻は写真の女性のようなのです。フワステクは動揺しているようにも見えましたが…。
 酒場では陽気で野卑であり、蓮っ葉な娘フリーダとつきあっているフワステク。ならず者と思いきや、過去に将校でありながら何らかの事件を起こし降格されたこと、生まれも悪くなく教養もあること、などが判明します。
 さらに曹長の部屋にある女性と写った写真から、この女性をめぐって何らかの事件があったことが示唆されます。後半で実際に人妻となったこの女性が現れ、その再会を経て、フワステクが自殺に至ってしまうのですが、そこにはどんな思いがあったのか…。
 女性との再会後、自暴自棄のようになってしまい、付き合っていた娘フリーダに対してもぞんざいに扱ってしまうフワステクが描かれるシーンには、哀切さが漂っています。
 運命というか偶然というか、悪い巡り合わせでフワステクは死に至ってしまうのですが、作中ではそれが「遠くから来た流れ弾」という表現がされています。タイトルにもなっている酒場の名「霰弾亭」といい、フワステクが自殺に使った弾丸の行方が詳細に描写される序盤の描写といい、「弾丸」が重要なモチーフともなっています。
 さらに言うなら、フワステクの死を語る語り手も、事件が起こった未来から過去を回想回想しており、語り手自身も過去からの「流れ弾」を受けている、ともいえそうです。
 時間を経て大切なものに気付き、その取り返しのつかなさを認識して絶望してしまった男の物語、とでもいいましょうか。非常に文芸味豊かな作品になっています。

「ボタンを押すだけで」
 ケレティ博士は突然の脳卒中によって死を遂げたというのですが、実は撃ち殺されたという噂もありました。アラダーはその真相について語り出します。
 名門の宮廷顧問官の娘と結婚したアラダーは、教養を高めようと様々な勉強をしていました。その一環として降霊術の会に出かけることになります。どんな霊でも呼び出せるという霊媒に、衝動的にまだ生きているケレティ博士の名前を出してしまいますが、霊媒はケレティ博士本人だという霊を呼び出していました…。
 ブラック・ユーモアたっぷりのオカルト風幻想小説です。語り手の男アラダーと、生まれが良く虚栄心の強い妻との間がしっくりいっていないことは匂わされるのですが、真実を知ってか知らずか、教養を高めるために努力を続けたという男の行動が描かれていきます。
 語り自体に本当のことを語っていないような胡散臭さがあり、その不穏な雰囲気も読みどころですね。生きている人物を無理矢理霊媒によって呼び出したらどうなるのか、というアイディアの部分も面白いです。

「夜のない日」
 資産家の家に生まれ、様々な方面に手を出していた青年デュルヴァル。ある日一人の男と諍いになり、決闘をすることになってしまいます。興奮を収めようと本棚から冊子を手に取ると、数学的な思考が働き始め夢中になってしまいます。決闘の当日になっても気もそぞろなデュルヴァルでしたが…。
 有名な数学者ガロアの生涯をモデルにしたと思しい物語です。決闘をきっかけとして思考が研ぎ澄まされたがゆえに、優れた数学的発想が生まれることになる、という物語です。運命の皮肉というよりは、運命自体が人間の成果を吐き出させた…というような、独自の思考様式の物語になっていますね。
 夭折ではなく、成すべき事を成して人生を終えた、というような物語なのですが、もちろん物語の主人公にその認識はなく、飽くまで彼を外から見ている視点が前提となっているようです。逆に言うと、人間は自分自身でその生涯を総括することはできない…という不可能性を示した作品ともいえましょうか。

「ある兵士との会話」
 バルセロナを訪れた「わたし」は、電車を待つ間に、若いスペイン兵と知り合い意気投合します。彼は口がきけないにも関わらず、その雄弁な身振り手振りで様々な事を語ります。しかし通りかかった馬車の馬が倒れ、その主人の残酷な行為を見た途端、怒りのあまり言葉を失ってしまいます…。
 あらゆる物事を身振りで語り得る男が、原初的で単純な感情を語ることができない…という逆説的なテーマを扱った作品です。身振り手振りであらゆる物事を語るというのも、何やら超自然的な風味さえ感じさせますね。わずか数ページの小品ながら、非常にテーマ性が強く、考えさせられる作品です。

 ペルッツのこの短篇集を読んでいたら気になることがあって、J・L・ボルヘスのエッセイ集『続審問』に収録されたエッセイ数篇を読み直してみました。ちょっとペルッツと似た視点について書かれているところがあるのですよね。
 読み直したのは、「コウルリッジの花」「コウルリッジの夢」「カフカとその先駆者たち」です。

 「コウルリッジの花」は、詩人コウルリッジが残したテクストをめぐるエッセイ。夢の中で手に入れた花が目覚めてもそこにあることに気付く、という内容のコウルリッジの文章を手始めに、H・G・ウェルズやヘンリー・ジェイムズの作品にも同じようなモチーフが現れる、ということが記されています。
 「コウルリッジの夢」はコウルリッジの詩「クブラ・カーン」をめぐるエッセイ。忽必烈汗(クビライハン)が王宮を造営する夢を見て、そこから三百行もの詩を受け取ったコウルリッジがそれを書き起こそうとしたところ、来客があり、一部しか思い出すことができなかったというエピソードが記されます。
 もともとモンゴルの皇帝自身が、自ら見た夢に従って宮殿を作った、という記述が文献にあることから、忽必烈汗とコウルリッジは同じ「存在」から宮殿のイメージを受け取っており、さらに宮殿の「造営」はまだ終わっていないのではないか? というのです。
 「コウルリッジの花」「コウルリッジの夢」に共通して現れるのは、文学や芸術のもとになる精神体のようなものが、この世の外にいるのではないか、という思想です。そこから敷衍して「この世のすべての作者は一人」というとんでもない考え方が提示されています。不気味ではありながら、魅力的な考え方ではあるのですよね。
 ペルッツの短篇「夜のない日」に登場する主人公の人生についての捉え方が、ボルヘスの上記の考え方にちょっと似ているな、と思いました。

 「カフカとその先駆者たち」では、カフカ以前の作家たちによるカフカ的なテキストや作品が、カフカが登場したことによって「カフカ的なもの」としてカテゴライズされることになる、という逆説的な状況を描いています。おのおのの作家は、その先駆者を作り出す…というテーゼには説得力がありますね。
 こちらはペルッツ作品との関連性はありませんが、ボルヘス独自の思考様式が面白いエッセイだと思ったので、併せて紹介させてもらいました。


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運命の弾丸 レオ・ペルッツ『第三の魔弾』
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 レオ・ペルッツの長篇『第三の魔弾』(前川道介訳 白水Uブックス)は、コルテス率いるスペイン軍に敵対し、三発の魔弾を手に入れることになったドイツ人伯爵の運命を描く幻想歴史小説です。

 16世紀、皇帝の不興を買ったことで神聖ローマ帝国を追放された「ラインの暴れ伯爵」グルムバッハは、ドイツ人の部下たちと共に新大陸に渡り、アステカ王国の王モンテスマと友好関係を結んでいました。
 新大陸にやってきた、コルテス率いるスペイン軍は、アステカ王国を征服しようとしますが、グルムバッハは彼らに敵対することになります。百発百中として知られるスペイン軍の狙撃兵ノバロの銃を手に入れることになったグルムバッハでしたが、その責任を問われ絞首台に上ることになったノバロから、三発の銃弾に呪いをかけられてしまいます…。

 コルテスのアステカ征服以前に、新大陸に渡り現地の人間と友好関係を結んでいたドイツ人たちがいた、という設定で描かれる幻想歴史小説です。
 高貴な生まれではありながら、その激情的な性格から追放されてしまったグルムバッハが、コルテス率いるスペイン軍に敵対し、彼らに大打撃を与える過程が描かれていきます。ただ、グルムバッハが獅子奮迅の働きをするというよりは、運命の手によって結果的にその役目を担わされた…という感覚が強いです。
 というのも、グルムバッハの性格は直情径行で、緻密な計画を元に動いたりはできず、その場の感情に囚われて動いたり、まんまと騙されてしまうことも多いのです。グルムバッハと対照的に描かれるのが、彼の異母兄弟である、冷血漢の美男子メンドーサ。危機に陥っても、のらりくらりと逃れたり、グルムバッハをまんまと欺いたりもします。インディオの娘であるダリラをめぐって、グルムバッハとメンドーサが三角関係にもなり、その愛憎関係を含めて、二人の関係がどう展開されていくのか、と言う部分も物語の魅力の一つになっていますね。

 特筆したいのは、語り口の妙です。新大陸でのグルムバッハの物語は過去に起きたことであり、それが現在の時点で回想されるという形になっています。具体的には、ミュールベルクの戦い(1547年)の皇帝軍の陣営で、古参のスペイン兵が、コルテスの無敵軍を敵に回して戦った伝説的な男グルムバッハについて語り出すのです。三発の魔弾のことについても語られますが、一発目と二発目の行方については語られるものの、三発目の行方については、様々な説が出されることになります。
 グルムバッハはどうなったのか? 三発目の魔弾はどこに行ったのか? ということが明かされる最終章「終曲-第三の魔弾」の展開は幻想的で、何とも言えない魅力があります。歴史上に実際にあったアステカ帝国征服を題材としており、コルテスも実在の人物です。
 それだけにグルムバッハの宿敵といえどもコルテスが殺されることはないだろうことが予想できるのですが、そのあたりの処理も上手くされています。歴史の隙間を空想で埋める…といった体で、まさに「幻想歴史小説」の名に恥じない作品になっていますね。

 著者のペルッツ自身がユダヤ系ということも関係しているのでしょうか、本作で蹂躙されてしまう側のインディオの描き方には同情味が感じられ、そこには人間味があります。
 その一方、コルテスやメンドーサ、スペイン人たちの描かれ方は散々で、その残虐さ、悪辣さは強烈です。インディオたちをまともな人間とは見なさず、嬉々として殺戮を行う人間たちとして描かれています。ただグルムバッハ自身も、スペイン人たちに対しては殺人も辞さないなど、純粋な意味でのヒーローとはいえないところも興味深いですね。

 序盤から終盤に至るまで、とにかく大量の死者が発生します。殺戮されるインディオの民衆、混乱に巻き込まれ命を落とすスペイン兵、スペイン兵に殺されてしまうグルムバッハの部下のドイツ人たち…。
 そうした殺伐かつ混沌とした世界観の中で、グルムバッハがどんな運命をたどるのか…? 悲劇的ではありながら魅力的なロマンが展開されています。
 単純なヒューマニズムでは割り切れない人種間、人間間の争いや憎悪が描かれ、その筆致は濃厚です。列強による帝国主義の盛んだった1915年という時代に描かれていることを考えると、なおさらその特異性が目立ちますね。


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死のない場所  ジョゼ・サラマーゴ『だれも死なない日』
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 ポルトガルの作家ジョゼ・サラマーゴの長篇『だれも死なない日』(雨沢泰訳 河出書房新社)は、ある日誰もが死ななくなった国で起こる出来事を描いた寓意的な幻想小説です。

 新年が始まって以降、その国ではだれも死がななくなっていました。老齢で衰弱死寸前の老人、交通事故で即死のはずだった者、自殺を決行した者など、本来であれば既に死んでいるはずの人間たちが、死なずに止め置かれていたのです。
 死がなくなったことに喜ぶ者がいる一方、葬儀業界や医療関係者たちは困難に遭遇していました。
 その国の国境を越えた場所では、まだ「死」が存在することを知ったある家族は、死ねずに苦しんでいる老父と赤ん坊を移動させ、彼らに安息を与えます。彼らの行為を聞いて真似をする者たちが大量に現れ、それはやがて非合法のマーフィアの生業ともなっていきますが…。

 ある日「死」がなくなり、誰も死ななくなった国の出来事を描く、寓意的・哲学的な幻想小説です。
 死ななくなったと言っても、健康になるわけではなく、瀕死の状態の者は瀕死のままに、病気の状態の者は病気のままに留め置かれてしまうのです。身内の者に安息を与えるために、まだ死が機能している国外へ行こうとする者も現れてきます。やがては非合法のマーフィアの生業にもなってしまうのですが、現実的に困難を抱えている国家はそれらを容認することにもなっていきます。
 前半では、死がなくなったことによって起こる現実的な困難と人々の反応が、群像劇的に描かれていきます。商売のやり方が変わってしまったことに業者たちが苦慮する様子も描かれますが、一番深刻なのは宗教者たちで、彼らが言うには、死が無ければ復活もなく、宗教の存立基盤が崩れてしまうというのです。
 他の国家が、まだ「死」が存在することに安堵する、という描写があるのもブラックかつ諷刺的ですね。

 後半では「死」を停止に関わっていた超自然的な存在が登場し、事態に変化がもたらされることになります。と同時に、その「人物」と、あるチェロ奏者の関わりがクローズアップされ、不思議な「ヒューマン・ストーリー」となっていくのも面白い展開です。

 テーマからも分かるように、軸足は「生」の世界に置かれています。死後の世界などは取り扱われず、飽くまで現実世界の変化について描かれていくのが特徴です。
 「死」がなくなったらどうなるのか? という思考実験的な面白さがあると同時に、逆説的に「生」とは何なのか? という疑問も湧いてくる哲学的な風味もありますね。
 全篇「死」がテーマとはなっていながら、陰鬱な調子にはなりません。むしろ奇妙な明るさとユーモアがあります。著者独特の凝った文体もあり、決して読みやすくはないのですが、一読の価値がある作品ではないでしょうか。


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滅びゆく世界 アンドルス・キヴィラフク『蛇の言葉を話した男』
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 エストニアの作家アンドルス・キヴィラフク『蛇の言葉を話した男』(関口涼子訳 河出書房新社)は、動物と会話し、従えさせることのできる不思議な言語「蛇の言葉」を身に付けた少年の人生が語られていく、スケールの大きなファンタジー作品です。

 エストニアの森には、古来から伝わる蛇の言葉を話す人々が住んでいました。その言葉を使えば動物と会話をし、あるいは意のままに従えることができます。その名の通り、蛇たちとの会話にも使われます。話者が一万人集まりその言葉を唱えれば、伝説の怪物サラマンドルを目覚めさせることができるという伝承もありました。
 しかし、森の民の間でも、蛇の言葉を信奉する者は減っており、その言葉を完璧に話す最後の人間と言われていたヴォートレは、甥のレーメットにその言葉を伝授することになります。蛇の言葉を身に付けたレーメットは、王族の蛇の子どもインツと友人になります。
 森から村に移り住む人間が多くなっていくなか、蛇の言葉と森の生活に誇りを持つレーメットは、村の司祭ヨハネスとその美しい娘マグダレーナに出会い、自分たちとは異なる生活に触れることになりますが…。

 森の民に代々伝わる不思議な言語「蛇の言葉」を身に付けた少年の人生が語られていくという、壮大なスケールのファンタジー作品です。
 おじのヴォートレから、ほぼ完璧な蛇の言語を伝授された少年レーメットは、その言葉と森での生活に誇りを持っていました。その反動として、外部の村での農耕生活やキリスト教的な思想に反感を持ちますが、時代はすでに文明化の方向に進んでおり、森の民たちもほとんどが村に移住してしまいます。
 森で暮らし続ける者たちの中にも、蛇の言葉を軽視し、独自の「精霊」を祭る者たちがおり、そうした人間たちを見たレーメットは、森での生活にも疑問を抱くことになるのです。
 そもそもレーメットが生まれた時点で、蛇の言葉はほぼ絶滅の危機に瀕しており、森の民たちもまた同様なのです。すでに滅びゆく世界に属しながらも、「新しい」キリスト教的世界に溶け込むこともできない…。
 レーメットとその家族たちの揺らぐ世界観が描かれていき、物語の大きなテーマともなっています。

 中盤からは、滅びゆく蛇の言葉とその伝統を残したいというレーメットの行動が描かれていきますが、その試みはことごとく潰されてしまうのです。
 奥底には、右記のように真摯なテーマが通底して流れていく一方、物語の表面では、奇想天外なキャラクターや事件が次々と現れ、エンターテインメントとしても魅力的な作品になっています。不可思議な蛇の言葉、眠りにつくサラマンドルの伝承、誇り高き蛇の一族、会話をし人間と結婚する好色な熊、毒牙を持つ人間、巨大シラミを飼う猿人たち、耳をふさがれ狂暴になった狼たち…。次から次へと奇想天外なモチーフが現れ、飽きさせない構成になっていますね。
 人や動物が次々と死んでしまうのも特徴で、主要な登場人物があっさりと死んだり殺されてしまうことも珍しくありません。レーメットをめぐる周囲の人物もまた同様で、彼が愛した人物たちもまた次々といなくなってしまいます。森での生活や人々が「前時代」のものとなり、滅びていく中で、彼が感じる諦観と厭世観には非常に説得力があります。

 装いは別として、テーマ的には一見、滅びゆく共同体に属するマイノリティの物語と見えますが、単純にそうした話にはなっていません。主人公レーメットが属する森の生活も一様ではなく、その生活が「善」でもないことは、レーメット自身が自覚しているのです。
 その一方、外部の生活はさらに受け入れがたいものであり、彼の居場所を求める「遍歴」が描かれていく過程には、悲哀が感じられます。
 奇想天外でコミカルでありながら、悲哀に満ちた人生の一代記でもある…。様々な要素を含んだ傑作ファンタジーといえますね。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

スラヴの不思議な物語  イヴァーナ・ブルリッチ=マジュラニッチ『昔々の昔から』『巨人レーゴチ』
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 イヴァーナ・ブルリッチ=マジュラニッチ『昔々の昔から』(栗原成郎 松籟社)は、「クロアチアのアンデルセン」と称される作家、ブルリッチ=マジュラニッチ(1874-1938)が、スラヴの民間伝承から材を採って作り上げた、ファンタジーに溢れた創作童話集です。

「ポティェフが真実にたどり着くまで」
 太陽神スヴァロジッチに出会った三人の兄弟たちは、祖父を大事にしなければいけないという神の言葉を忘れてしまいます。森の悪霊ビェソマールの手下の小鬼にとり憑かれた二人の兄は、祖父をないがしろにし利己的な人間になってしまいます。
 一方、末の弟ポティェフは神の言葉を思い出すために祖父のもとを離れることになりますが…。
 上の二人の兄は悪魔の影響で、末の弟はその純粋さゆえに、形は違えど、兄弟皆が、結果的に神の言葉と祖父を無下にしてしまうことになる…という物語。「罪」や「使命」についての寓話とも読めますね。

「漁師パルンコとその妻」
 富に憧れる貧乏な漁師パルンコは、海で美しい曙娘と出会い、幸運を授けてくれるようにと願います。直後に出会った孤児の娘と結婚したパルンコは、妻の語るお話に夢中になります。
 やがて息子も生まれますが、妻の語る話があくまで話であり、具体的な幸運を運んでくれないことに怒ったパルンコは、再び曙娘に「海の王」の王国に連れていってくれるように願います。しかし、そこに行けば二度と戻ってこれないというのです…。
 妻子を捨て置いて、海の王国へ行ってしまった男がその罰を受けるものの、最終的には身の丈に合った幸福を認識することになる…という物語。
 漁師の男が相当に身勝手なのですが、後半では、代わりに妻が、息子と夫を助けに向かうことになり、その健気さ、清廉さは印象に残ります。

「レゴチ」
 廃墟の町レゲンで、一人で石の数を数えていた巨人レゴチは、美しい妖精(ヴィーラ)のコーシェンカと出会い、共に旅に出ます。互いに争っている二つの村の一方の村に滞在することになった二人は、そこで子どもたちと友人になりますが、奇しくも村を大災害が襲うことになります…。
 妖精と巨人、親友となった二人が人間の村を救うことになるという物語です。互いが互いのことを思って行動するという展開が良いですね。特に少々頭の弱い巨人レゴチが、コーシェンカのために本能的に助けに向かうシーンは感動的です。
 村の危機が描かれる後半では、かなり破滅的な結果が待っています。甚大な被害が描かれるは童話らしからぬもので、非常にリアルなのも特徴的です。

「ストリボールの森」
 魔法をかけられた森ストリボールに迷い込んだ若者は、そこで出会った邪悪な蛇の化身である娘に魅了され、結婚してしまいます。嫁に虐待されてしまうようになったおばあさんは、妖精であるチビ助ティンティンリニッチの力を借りることになりますが…。
 息子が邪悪な蛇の娘に囚われてしまったおばあさんが妖精の力を借り、娘を追い払うまでを描く物語です。
 自分のみが助かる機会でも、それをせず、息子のことを思い続けるおばあさんの自己献身が描かれます。またその愛情が、森の魔法そのものを崩すことにもなるのです。
 短い作品なのですが、非常に密度の濃い物語になっています。息子自身も、邪悪な性質と知りつつ離れられない蛇の化身の嫁は、「ファム・ファタール」的存在でしょうか。

「姉のルトヴィツァと弟のヤグレナッツ」
 幼い息子と共に国を追放されてしまった公妃は、羊飼いの娘ミロイカの小屋に宿を乞い、その際彼女に身分を示す黄金のベルトと金の十字架を預けていきます。時が経ち、ミロイカには娘ルトヴィツァと息子ヤグレナッツが生まれていました。しかし夫婦ともに子どもを残して病死してしまいます。
 母の葬儀の日、ルトヴィツァは鷲にさらわれてしまい、ヤグレナッツは姉の後を追って家を飛び出してしまいます…。
 両親を失った幼い姉弟が、その純真さと幸運から幸福を手に入れることになるというお話です。それに加え、国を追われた公妃と公子が地位を取り戻すまでの経緯が同時進行するという、波乱万丈の物語になっています。
 敵となるキャラクターも、火焔龍ズマイ・オグニェニと、彼に仕える七人の邪悪な妖精ザトチニツァなど多士済々。幼い姉弟が、彼らを殺そうとするザトチニツァの陰謀をギリギリで潜り抜ける部分ではハラハラドキドキさせます。
 また、後半では強靭な戦士となった公子レーリャの戦闘シーンが躍動感を持って描かれる部分はヒロイック・ファンタジーの趣もあるなど、集中でも、非常に面白いファンタジー短篇となっていますね。

「うろつきっ子トポルコと九人の王子」
 高邁なユーリナ王が楓の若木を大切に扱ったことに感心したネウミイカ爺さんは、彼の前に現れ、若木を伐って言うとおりにすれば、それは九人の王子になるといいます。言うとおりに実行した王は王子たちを得ることになり、彼らを大切に育てるようになります。
 一方、楓と同時に伐られた四手の木は、腹黒い重臣によって斧の柄にされようとしていました。仕事を依頼された大工の妻は、聞いた話から試しに楓の王子たちと同じようなことを木に行ったところ、木は小さな子供に変わっていました。
 トポルコ(斧の柄の子)と名付けられた子供は、ネウミイカ爺さんから直接知識を得て賢くなり、兄である九人の王子に会いに行こうと考えますが…。
 楓の木から生まれた九人の王子と、四手の木から生まれた男の子トポルコを描く物語です。九人の王子は名前が登場せず、活躍するのももっぱらトポルコとなっています。
 前半では、王子やトポルコたちの生みの親であり、守り神でもあるネウミイカ爺さんが味方キャラとして登場するのですが、後半では爺さんに囚われてしまった王子たちを脱出させるのが目的となるなど、キャラクターの立ち位置が変わってくるのも面白いところですね。

「婚礼介添え役の太陽とネーヴァ・ネヴィチツァ」
 粉挽き夫妻の娘ネーヴァは、両親に断られた老婆を気の毒に思い、粉を挽いてやりますが、老婆は太陽を孫に持つという妖精モコシでした。お礼としてネーヴァは、モコシから、王女がなくした長持の鍵の場所を教えてもらいます。それを王女に渡せば、女官長に取り立ててもらえるというのです。
 しかし、ネーヴァは鍵を王女の婚約者の美男子オレフ侯に渡してしまいます。ネーヴァにほれ込んだオレフ侯は彼女と結婚しますが、嫉妬した王女は彼らを殺そうと軍隊を差し向けることになります…。
 幸運のきっかけになる妖精の言う通りにはならず、災難に巻き込まれてしまう娘の運命を描いた物語です。しかもその妖精自身が後半では「敵」になってくるという異色の展開です。童話の「お約束」をずらしてくるという意味で面白い作品ですね。

「ヤゴル」
 継母に虐待されていた少年ヤゴルは食料もろくに食べさせてもらえていませんでした。雌牛と雌山羊、そして家の神バガンのおかげで食料を得て元気を取り戻します。いらだった継母は、今度はヤゴルを真昼の精ポルドニツァ婆さんにさらわせてしまいます…。
 不幸な少年ヤゴルが妖精や動物たちの助けを借りて、苦難を乗り越えるまでを描く物語です。超自然的な力を持っているらしい家の神バガンはもちろんですが、ヤゴルの家の家畜である雌牛と雌山羊の活躍シーンが多く、この二匹が主人公といってもいいほどの物語になっています。

 この『昔々の昔から』、スラヴの民間伝承から材を取った物語集ということなのですが、民話の再話ではなく、オリジナルな創作部分が非常に多い童話集になっているそうです。
 というのも、スラヴの神話に関しては体系化された書物というのはないらしく、有名なロシア民話の研究者アファナーシェフの著作などを参照しながら、創作した作品集だそうです。解説によれば、クロアチアの民間伝承にはないオリジナルな妖精や神なども多数登場しているとのこと。
 実際、読んでいても、「素朴な民話」というよりも「ストーリーテラーによる物語」という印象が強いです。時には童話の「型」を崩すような展開もあり、お話として非常に面白いものが多いですね。
 一つ気になったのは、以前に読んだ、イギリスの作家ジョーン・エイキンの『海の王国』の収録作とモチーフを同じくするもの(ほとんどそっくりのものもあります。)がいくつか見られたところです。『海の王国』はロシア・バルカンの昔話を再話した作品とのことなので、同じような話が出てくるのは当然といえば当然なのですが。
 「ポティェフが真実にたどり着くまで」とエイキン「太陽の神さまの城」「漁師パルンコとその妻」とエイキン「海の王国」「婚礼介添え役の太陽とネーヴァ・ネヴィチツァ」とエイキン「太陽のいとこ」は、かなりの部分で物語が似ています。
 おそらく原話が同じなのだと思いますが、英語圏のエイキンが再話したものと、スラヴ圏のブルリッチ=マジュラニッチが書いたものとでは、大分印象が異なっています。二つの本を読み比べてみるのも面白いのではないでしょうか。


 『昔々の昔から』収録の短篇「レゴチ」に関しては、単独で絵本化された作品を邦訳紹介されています。こちらも一緒に紹介しておきましょう。


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イヴァナ・ブルリッチ・マジュラニッチ作、ツヴィエタ・ヨブ絵『巨人レーゴチ』(中島由美訳 福音館書店)

 雲の上から地上に降りて来た妖精コーシェンカは、馬に乗って遊ぶのに夢中になって、そのまま馬と駆け出し、荒野の中のレーゲンという町に辿り着きます。そこには長年壁の石を数え続ける巨人レーゴチがいました。コーシェンカと意気投合したレーゴチはまだ見ぬ世界を見るために共に旅立ちます。
 地下の世界を探検しているうちに、様々な宝物を見つけたコーシェンカはそれらに夢中になり、ふとしたことから閉じ込められてしまいます。レーゴチは、コーシェンカを助けようとしますが…。

 可憐な小妖精コーシェンカと、忘れっぽく頭が弱いものの、純真で力持ちの巨人レーゴチのコンビが冒険と人助けをすることになる、という童話作品です。
 前半は地下に閉じ込められたコーシェンカの救出、後半は洪水に襲われた人間の村を二人が助ける、というのが山場になっています。
 コーシェンカは、空を飛べる妖精のベールや何でも品物が出せる魔法の真珠など、不思議な品物をいくつも持っているのですが、無考えにそれらを使ってしまい、本当の危機には何もできなくなってしまいます。肝心なときには、巨大で絶大な力を持つレーゴチによって危機を切り抜ける、という形になっています。
 後半の舞台となる二つの村では、村同士の争いがあり、洪水の原因も相手の村を滅ぼすためにわざと堤防を崩すなど、かなり人間の心根の醜さが強調されていますね。
それだけに、主人公二人の純真さは際立っており、彼らに協力することになる子どもたちによって未来がほの見える…という展開も、後味の良いものになっています。

 物語そのものも面白いのですが、何よりツヴィエタ・ヨブによる絵が素晴らしい出来です。素朴さを感じさせながらも、細かい部分ではリアルさがあるなど、独特の絵柄ですね。いい意味での「泥臭さ」が感じられます。見返しの部分にもカットが散りばめられていて、素敵なデザインになっています。


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数奇な運命  レオ・ペルッツ『テュルリュパン ある運命の話』
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 レオ・ペルッツの長篇『テュルリュパン ある運命の話』(垂野創一郎訳 ちくま文庫)は、17世紀フランスを舞台に、思い込みの強い床屋の青年が、国家的な陰謀に巻き込まれることになるという歴史冒険小説です。

 1642年のフランス、宰相リシュリュー枢機卿は、貴族勢力を一掃する大胆な陰謀をめぐらしていました。
 一方、孤児として育った青年タンクレッド・テュルリュパンは、サボー未亡人のもとで床屋の仕事を引き継いで暮らしていました。空想家で思い込みの強いテュルリュパンは、ふとしたきっかけから貴族ラヴァン公爵の葬儀に紛れ込みます。出席していた公爵夫人が自分を強く見つめていたことから、彼女が生き別れになった母親であり、自らも貴族であると思いこんだテュルリュパンは、自らの出自を証明しようと、公爵の家を訪ねることになります。
 やがて、運命の手によって、国家を揺るがす大陰謀に巻き込まれていくことになりますが…。

 歴史を動かす大陰謀が進むなかで、思い込みの強い一人の床屋の青年がそれに巻き込まれていく…という歴史冒険小説です。
 主人公テュルリュパンは純真な善人なのですが、非常に思い込みが強い青年として登場します。孤児で両親の顔も知らないテュルリュパンは、貴族の夫人にじっと見つめられ、また彼の肖像入りのメダイヨンをたまたま掏られたことから、夫人が彼の生き別れの母親であり、彼の絵姿を求めてそれを盗ませたと思い込んでしまうのです。
 この「思い込み」の力は強力で、後半ではテュルリュパンが別人のふりをすることになるのですが、その「成りきり」で何とか事態をやり過ごしてしまう…という部分にもユーモアが溢れています。
 テュルリュパンは、全体を通して「滑稽な道化役」として描かれていくのですが、テュルリュパン自身は大真面目、彼の動機もまた母親に会いたい・認めてもらいたい、という健気なものです。その行動には哀感が伴っており、読者も感情移入してしまうのではないでしょうか。

 サブタイトルにあるように「運命」が強く働いている物語です。主人公テュルリュパンは愛嬌がある人物ではあるものの、彼自身の力や努力で事態が動いていくわけではありません。事態を動かすのは偶然に次ぐ偶然で、テュルリュパン自身はいわば「触媒」的な扱いをされています。
 テュルリュパン自身の「思い込み」を始め、彼の言動や行動の影響で、連鎖的に状況が変化していく様は鮮やか。ペルッツの筆力に感心してしまいますね。
 「運命の皮肉」によって翻弄されてしまう人間を描く物語といえるのですが、その翻弄される人間が人並み優れたヒーローではなく、一介の床屋に過ぎない、と言う部分で、さらにシニカルな物語ともなっています。
 ただ、主人公テュルリュパンの必死の行動には滑稽味もありながら、読んでいて応援したくなるような何かがあります。異色のアンチヒーロー物語ともいえましょうか。


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プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
twitter上でも活動しています。アカウントは@kimyonasekaiです。twitter上の怪奇幻想ジャンルのファンクラブ「 #日本怪奇幻想読者クラブ 」も主宰してます。
同人誌『海外怪奇幻想小説アンソロジーガイド』『物語をめぐる物語ブックガイド』『迷宮と建築幻想ブックガイド』『イーディス・ネズビット・ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド』『夢と眠りの物語ブックガイド 増補版』『奇妙な味の物語ブックガイド』『海外怪奇幻想小説ブックガイド1・2』『謎の物語ブックガイド』『海外ファンタジー小説ブックガイド1・2』『奇想小説ブックガイド』『怪奇幻想映画ガイドブック』を刊行。「海外怪奇幻想作家マトリクス・クリアファイル」も作成しました。



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